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2012-05-18 評論 「伝えたいこと」
2012-05-16 評論 「太陽と惑星」
このプログには、次のオリジナル小説があります。
長編小説 「無力」「海の果て1-3部」「理不尽」「陽だまり」「復讐」 「弱き者よ」
短編小説 「不運」 「天軍の藍」「甲子園城」
超短編 「すずめ」 「雨」 「算術」 「逃亡者」
・・・ それぞれの小説へは、この下にある目次から飛んでください ・・・
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[ あらすじ ]
1
[ 無力 ]
1 2 3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16 17
[ 海の果て・・・ 1部 ]
1 2 3 4 5 6 7 8 9
[ 海の果て・・・ 2部 ]
1 2 3 4
[ 海の果て・・・ 3部 ]
1 2 3 4
[ 不運 ]
1
[ 天軍の藍 ]
1
[ 理不尽 ]
1 2 3 4
[ 陽だまり ]
1 2 3 4
[ 復讐 ]
1 2 3 4 5
[ 弱き者よ ]
1 2 3 4
[ すずめ ]
1
[ 雨 ]
1
[ 算術 ]
1
[ 逃亡者 ]
1
[ 甲子園城 ]
1
2012-05-18 評論 「伝えたいこと」
2012-05-16 評論 「太陽と惑星」
このプログには、次のオリジナル小説があります。
長編小説 「無力」「海の果て1-3部」「理不尽」「陽だまり」「復讐」 「弱き者よ」
短編小説 「不運」 「天軍の藍」「甲子園城」
超短編 「すずめ」 「雨」 「算術」 「逃亡者」
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[ あらすじ ]
1
[ 無力 ]
1 2 3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16 17
[ 海の果て・・・ 1部 ]
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[ 甲子園城 ]
1
伝えたいこと [評論]
今日も、最初に超短編小説を読んでください。
「崩壊との遭遇 ケース11」
日本県日本村の住民集会が、小学校の講堂で開かれていた。日本という国が崩壊し、税収も補助金も無くなったために地方自治体も事実上の解体状態になっているので、正確には村長ではなく、村の長老という立場で集会を招集した村井十郎が講堂の真ん中にある議長席に座っていた。日本村も過疎化と老齢化が進み、五百人に満たない住民の半数が65歳以上の老人である。集会には、病人と子供を除く全住民に出席してもらうように案内した。実際に何人が出席するのかわからなかったが、小学校の講堂より大きな場所はないという理由で会場が決められた。
その会場には、子供も含めて四百人近い住民が出席していたので、満員になっていた。乳児を除いた子供達を、教室の方へ移動させているので、用意が出来るまで開会が遅れている。勿論、積極的に出席したいという子供には出席が認められていた。
元・村長の村井十郎は70歳だが、現役の農夫である。まだ、腰は曲がっていない。
十郎は議長席で立ち上がって、大声を出した。
「全員集会を始めます」
村にも電気は来なくなったので、マイクは使えない。
「後ろの人、聴こえますか。聴こえていたら、手を挙げてください」
後ろの方の人達が手を挙げた。十郎は全体を確認して、続けた。
「みんなも知っとるように、国は潰れた。警察も、なくなった。役場も動けない。しかし、わしらは、まだ生きとる。今は、大丈夫でも、この先、揉め事は必ず起こる。まだ、他所者は入ってきていないが、いずれ、来るじゃろう。いい人ばかりが来てくれればいいが、そう都合よくはいかん。殺人が起きたらどうする。盗みが起きたらどうする。喧嘩が始まったらどうする」
「今のままでは、村は守れん」
「村を守れなければ、わしらは生きてはいけない。いつか、この国と同じように潰れる」
「わしは、村の掟を作る必要があると思う。今日、集まってもらったのは、みんなの意見を聞きたいから、忙しいじゃろうが、無理を言った」
「いつも、いつも、全員を集める訳にもいかん。そこで、今日は、この場で、世話役を選んでもらいたい。みんなを代表する世話役が、話し合いで掟を作り、最後にもう一度集まってもらって決定したいと思う。しかし、世話役に、手当はない。時間を取られるだけで、いいことはないが、誰かがやらんと、ここは無法地帯になり、わしらが追い出されることになるかもしれん」
「何か、意見のある人は、おらんか」
十郎は待った。
「賛成でも、反対でも、なんでもいい。意見のある人」
講堂は静かだった。
「それじゃ、賛成の人は、手を挙げてくれ」
少しずつ手を挙げる人が増え、ほぼ全員が手を挙げた。
「賛成多数。今から、1時間か2時間で世話役を選んでもらう。一軒に一人でもいいし、何軒か集まって一人でもいい、ただし、自分の言い分を言うためには自分達の代表を出しとく必要がある。そのつもりで話しあって貰いたい」
「頼みます」
―――――――――――――――――――――
自分達で自分達の村を治める。原始的ではあっても、自治が始まります。
しかし、全国一律で自治が始まるのではありません。たまたま、先を見ることができる長老がいた場所だけが、自治を始めるのです。人間の欲を放置したままの村落では、新たな崩壊が起きることになります。人間社会では、欲が最強の存在です。その欲を強欲まで進めたものが「自分さえよければ」なのです。社会を維持するためには、ある程度「自分さえよければ」を制限せざるをえないのです。太古の昔から、どんな集団にも「掟」があったのは、人間が生き延びるために必要だったから存在したのです。
振り返ってみれば、平成の日本では「自分さえよければ」が堂々と行われていました。「掟」は利権を守るために使われ、利権集団だけが丸々と太ってしまいました。ですから、日本が崩壊したのは、当然の出来事だったのです。
人間が集団で生きていく時には、何らかの方法で仮の絶対性を作らなければなりません。なぜなら、人間は悪も善も持っていますし、奉仕もあれば欲もあります。国家の統治機構が機能しなければ自分達で、自分達の社会を守らねばなりません。
問題は、この自治そのものから、権力も利権も生まれることです。何故、国が壊れたのかということを、私達は直視する必要があります。それができなければ、人間ですから、必ず過ちを繰り返すことになります。そんな当たり前なことを戦後日本は棚に上げてしまった経験があるのです。日本崩壊でも、同じ事が起きます。数千万人という犠牲者を出すのです。もう、同じ事をやってはいけません。
何とか、このことを、崩壊後の日本人に伝えることはできないものでしょうか。
人口が半分になっても、或いは、数パーセントの日本人しか残らないとしても、生き残る人がいるのなら、是非、伝えなければならないと思うのですが。
余談です。
このブログでは、ずっと、新しい哲学と思想が必要だと書き続けてきました。
それが、日本人に必要なことは言うまでもありませんが、日本人以外の民族や国にとっても有効なものになる可能性があります。私には、人類そのものが漂流し始めているように見えますので、きっと、世界の役にも立つと思います。
そこまで、大それたことではなく、もう少し身近な展望が開けるだけで、随分違うのではないかと思っています。例えば、日本はどんな国になりたいのか、日本人はどんな国の国民になりたいのか。そこで、国民はどんな権利、義務、責任を持たねばならないのか。その青写真が描けるだけでも、大きな変化になります。もしかすると、哲学と思想と言っているものは、その先にあるものなのかもしれません。
世界の潮流という波に乗るのではなく、分相応な生き方をする国であってはいけないのでしょうか。帝国主義の潮流に乗り、多くの犠牲を出したり、経済大国の潮流に乗り、崩壊する国になる必要はないのではないでしょうか。
例えば、永世中立国という国家像を作ったスイスは、まだ存在しています。民族も地理的条件も違いますので、日本がスイスになれる訳ではありませんが、日本人に相応しい国家像はあるのではないでしょうか。その国家像を本気で見つけなければなりませんが、国民が知らん顔をしていては、見つからないと思われます。自分で努力して得たものは大事にしますが、他人から貰ったものは粗末にするものです。国民は自分の手で、未来を手にするしかないように思えます。
明治・大正・昭和という時代は、世界の潮流に翻弄された時代ではないかと思います。それは、日本人に相応しい国家像が持てなかった結果です。振り返ってみれば、第二次大戦の敗戦は、新しい国家像を持つチャンスでした。それは、明治・大正・昭和という時代に優秀な思想家がいなかったことに原因があるのかもしれません。敗戦後、がむしゃらに経済復興を目指してきた日本ですが、最終的には利権だけを太らせ、国民は不安感の中に取り残されてしまいました。確固たる国家像があれば、世界第二位の経済大国にはならなかったでしょうが、国民の不安がここまで深刻になることもなかったと思います。経済、経済、経済、の掛け声だけで社会が出来上がってしまったために、とても歪な社会になりました。経済が最優先事項であることは間違いありませんが、他を無視してもいいということではありません。国家運営はバランスを持って進めていくもので、そのバランスの中で経済を優先させる必要があったのです。にも拘らず、経済だけを優先していた日本という国が、この20年間、経済成長から取り残されています。結果的に、経済すらも失ってしまったのです。国家運営が正常に行われなくなるのは当然の結果だとも言えます。私達の隣国に、北朝鮮というバランスを欠いた国家運営をしている国があります。軍事だけを優先した結果、国民は餓死を強いられるような過酷な生活をしています。国家運営の失敗という点では日本も同じです。
多くの国民が、「何か、違う」と感じています。
日本崩壊を迎えるに当たり、崩壊前が理想ですが、崩壊後であっても、新しい国家像が生まれることを心より期待しています。
話題が変わります。
前回も、ギリシャとヘッジファンドの話を書きましたが、少し追加します。
ギリシャの政治が不安定になっていて、世界が注目しています。どんな方向に進むかは明確ではありませんが、ギリシャ国民が苦しくなることだけは、はっきりしています。
先日、組閣のための最終会議が開かれていた時、銀行からの預金引き出しの話があったという報道があります。取り付け騒ぎにはなっていないという判断だったようですが、1日で約8億ユーロのお金が引き出されたとされています。これまでに、ギリシャから国外へ移された預金は約2500億ユーロ(約25兆円)だという説もあります。ユーロ圏からの離脱が話題になっていますが、これだけ資金が国外逃避してしまったのでは、ギリシャ経済が成長することはないのではないかと思います。このギリシャ危機は、ギリシャの政治家が引き起こしたことであり、今は、EUの政治家がその危機に輪を懸けてしまった結果になっています。それでも、最終的に責任を取るのは国民です。
少し前に、ギリシャ国債のヘアカットが話題になっていましたが、もうその話は誰もしていません。5/15日、ギリシャは4億3500万ユーロの国債を償還したというニュースがあります。これは、ヘアカット協議で債務交換に応じなかったヘッジファンドに支払われたそうです。ヘアカットに応じた民間債権者は97%でしたから、最後まで3%の債権者がヘアカットを拒否していたようです。償還を受けたヘッジファンドが、ギリシャ国債をいくらで購入していたのかは明らかにされていませんが、ジャンク市場で購入していたとしたら、ヘッジファンドは莫大な利益を挙げたことになります。ヘッジファンドがいかに強かな集団であるかの証明のようなものです。このことは、ギリシャ国内の富が純粋に国外に移転されたことを意味します。つまり、ギリシャの資産が、ヘッジファンドに投資している外国のお金持ちに配当として支払われるのです。
日本がヘッジファンドの餌食になった時、日本国内の富は、同じような結末を迎えると考えなくてはなりません。もっとわかり易く言えば、汗水垂らして国民が貯めていたお金が、金融取引だけで国外へ行ってしまうのです。庶民は、こんなこと考えてもいないでしょうが、ギリシャでは現実に起きているのです。日本では、こんな時事解説を誰もしませんが、それでいいのでしょうか。これも、国民の自己責任なのですか。
大きな不幸がやってくる時というのは、このような理不尽や矛盾や不運が重なるのだろうと思います。
2012-05-18
太陽と惑星 [評論]
今日も、最初に超短編小説を読んでください。
「崩壊との遭遇 ケース10」
日本県地球村は、6月になっても雪に閉じ込められていた。
古くからの住民と、都会から流れ着いた住民が融和し、村の中には雪以外の障害はなかった。ここ数年で雪解けが遅くなり、日照時間も減ったように感じられる。
上地十一郎は、都会からの流民であったが、村の人達の温かい協力のおかげで自分の収穫を手にできるようになった。
村の集会があるということで、村の集会所にやってきたが、古くからの住民の人達の表情が厳しい。何が起きたのだろう。何枚も重ね着をして暖かくしてきたが、集会所の空気は冷たく、寒さが足元から這い上がって来る。
村長が立ち上がった。村長に、いつもの笑顔がない。
「みんなも知っての通り、まだ、雪が溶けん。去年は5月に、何とか雪がなくなり、ぎりぎりで田植えができた。突然、真夏のような陽気になり、一気に雪が溶けたとしても、田植えができるかどうか、夏が短ければ、実を付ける前に枯れてしまうかもしれん」
「ここ何年かの様子を見ていると、どんどん夏が短くなっている。今年は、稲を諦めなければならんかもしれん。稲以外の物をと思ったが、種芋の不足は深刻で、全部に行きわたるほどの物がない」
「そこで、手分けをして種芋を探しにいかねばならん。交換する物を持っていかねばならんが、交換に応じてくれるとすれば、こちらからは米を持っていくしかない」
「ただでさえ少ない米を持っていくのは、辛いところだが、背に腹は代えられん」
「もう一つ、問題がある。来年は、どうなるのかがわからんことじゃ」
「いっそのこと、今年から、移住を考える方が正しいとも言える。もう、ここの土地は、稲作には向かなくなった可能性がある」
「最後に、村としては、これ以上の援助は難しい。それぞれの家で、対応してもらうしかないと思っております。どうか、ご理解いただきたい」
集会所を出た十一郎の頭の中は真っ白だった。死にたくなかったら移住しろと言われたに等しい。新米の百姓には、余りにも荷が重い。
実際に、村を捨てた住民もいたが、十一郎は決断が出来ないまま、村に残った。
―――――――――――――――――――――
崩壊から何年か経過しているので、既に日本の人口は半減しているでしょう。移住して、土地に困ることはないかもしれませんが、百姓がそう簡単に土地を捨てるとは思えません。その土には、自分の人生も、家族の人生も、先祖の人生も全部つまっているのです。また、初めて百姓をして、初めて収穫した食料で命を繋いだ人々にとっては、かけがえのない土地になっている筈です。難しい決断です。
太陽の北極で磁場が反転したというニュースは、今年(2012年)発表されています。太陽の南北両極がN極になるのは、数百年ぶりだと言う人もいますし、地球は氷河期に近い気象になる可能性もあると指摘する人もいます。
昨今の地球の異常気象はCO2の責任ではなく、太陽活動の変化によるものかもしれません。
日本各地が寒冷化すれば、一番影響をうけるのは農作物です。食料事情が悪い時の冷害は大変です。単年度の凶作でも影響は深刻ですが、毎年、冷害が続けば、追い打ちとも言える二度目の崩壊になります。
日本崩壊がなかったとしても、冷害が続けば、それだけで崩壊の危機に直面するでしょう。
やっとのおもいで、命を繋いだ人達にとっては最後の一撃になる可能性があります。
これでもか、これでもか、と不幸は押し寄せてきます。
太陽の変化は、太陽系の惑星全体に影響します。もちろん、地球全体がその影響を受けるのです。日本だけの問題ではないことが、生き残った日本人にとって禍にならなければいいと思いますが、どうなのでしょう。
食料の絶対量不足による人口の淘汰だけではなく、凶作による新たな人口淘汰が始まります。自然が相手なのですから、凶作がないとは言えません。歴史上でも、凶作は珍しい現象ではありませんでした。日本の各地に残っているお祭りが、豊作の願いだったのはそのためです。
生き残る日本人の中に、私は入っていないと思いますので、まだ生きているこの場から、皆さんにエールを送ります。「頑張ってください」そして「神の御加護を」
吉村昭氏の小説「破獄」によれば、終戦後の食料不足による刑務所での死者は、塀の外の人と比較して少なかったそうです。特に、網走刑務所では刑務所内にも畑があり、死者の数は他の刑務所より少なかったと書かれていました。食料不足は深刻で、栄養失調での死者が多かったそうです。人間の体は、腹を満たしさえすればいいというものではありません。栄養素が偏れば、それだけで死に結びつくのです。人体に必要なものは、バランスのとれた食料です。しかし、食料の絶対量が不足するとき、バランスを考慮に入れる余裕はなくなります。栄養分が足りないと、人体の抵抗力は脆弱になり、病原菌に対して弱くなるのが自然の摂理でもあります。人間同士だけではなく、弱肉強食の掟は、病原菌をも含めた生物界の常識なのです。現在の私達は、そんなことを意識しませんが、再び、この現実に直面することになります。
余談です。
ギリシャでの選挙結果は、ギリシャ国民の混迷を表面化させました。
いつも、周辺国がギリシャを見る目は冷たいと感じます。「自業自得だろう」と目が言っているように思えるのです。確かに、これまでのギリシャ政権は自分の利権を追うばかりの政権だったようなので、仕方がないのでしょう。きっと、日本が潰れる時も、世界の目は冷たいのだろうと想像できます。35年間も、利権を守ることに終始し、経済成長も、借金も、社会構造も放置していたのですから、やむを得ない事です。
これまで、ギリシャを食い物にしてきた2党が連立をしても、議会の過半数を取れずに、新政府が発足できません。再選挙になるようです。
失業率が20%を越え、賃金と年金が25%削減され、GDPが20%も縮小している現状では、ギリシャ国民が政府に「ノー」と言うのも頷けます。
「もう、沢山だ」というギリシャ国民の願いは切実なものです。
しかし、残念ですが、それを解決する方法はありません。EUとIMFの緊縮政策を拒否すれば、すぐにでも借金の返済が出来なくなるだけではなく、数か月以内に公務員の給料や年金が支払われなくなります。既に、来月(6月)の資金が不足するという書簡がギリシャからEUに送られたという報道もあります。
ユーロ圏から離脱すれば、ギリシャ国債は紙屑になりますし、ユーロ以前の通貨ドラクマに戻れば、貨幣価値の暴落は国民の貯蓄を無価値にしてしまいます。
EUとIMFの緊縮政策を実行すれば、更なる増税と給付の切り下げ、失業率の上昇は避けられませんし、緊縮政策を拒否すれば、それよりも悲惨な日々がやってきます。どうすることも出来ないのが現実です。
落ちるところまで落ちるしか、ギリシャには方法がないのです。
でも、ギリシャは、それに耐えれば生き残ることができます。
日本人から見れば、羨ましい限りです。
いつも、不思議に思うのですが、悪循環が始まると、次から次へと悪循環を呼び込みます。
これを、人間の力で変えるのは至難の業なのです。
日本も、落ちるところまで、落ちるしかないのかもしれません。
物理的な重力が働いている訳ではないのに、いろいろな物事が安定化しようとする力はどこから出てくるのでしょうか。
話題は変わります。
世界の金融市場は魔物だと言われます。私のような個人投資家にとっては別世界です。
最近では、鉄火場よりも過酷かもしれません。JPモルガンが20億ドルの損失を出し、責任者が辞任に追い込まれましたが、世界のヘッジファンドの成績も泥の中に埋もれています。ヘッジファンド業界の運用成績を示す「HFRIファンド加重総合指数」というものがあるそうですが、過去12カ月間の成績は、マイナス4.14%だそうです。では、新興市場で利益を出しているのかというと、「HFRI新興市場指数」によれば、過去12カ月間の成績は、マイナス10.49%だそうです。ヘッジファンドは、利益を顧客に約束することが仕事ですが、顧客に損失を与えているのが現実です。かなり、焦っています。
安全だと言われる国の10年物国債の金利は下がり続けています。利幅を取れる投資先が無いというのが現状であり、ヘッジファンドによる無理な売り仕掛けが多くなっているとも言われています。金融で利益を出すためには、上げて下げるか、下げて上げるかをして利ザヤを稼がなくてはなりません。行き場を失っている巨額の資金が、どんな仕掛けをしてくるのか。日本国債が利益になると判断すれば、売りを仕掛けられる危険はあります。国内の金融機関は大きくなりすぎた手持ちの日本国債残高を気にしていると思いますので、ヘッジファンドの標的にされる金融機関がないとは言い切れません。もし、ヘッジファンドの仕掛けが成功すれば、ヘッジファンドにとっては100年分の餌場を確保するような快挙になるでしょう。逆に日本から見れば、危険が一杯なのです。そんなことにならなければいいな、と願っていますが、時間の問題でしかないような気もします。
2012-05-16
幻の日本国 [評論]
今日も、最初に超短編小説を読んでください。
「崩壊との遭遇 ケース9」
石田九朗と仲間は、干潟に竿を立て、網を張った。網には周囲に何個もの錘が付けてある。草陰に隠れて、ずぶ濡れになりながら息をひそめて待った。
竿には切れ目があり、ロープが伸びている。全員で同時にロープを引くことで、野鳥の群れを一網打尽にする仕掛けになっている。何度も、実験とリハーサルを繰り返した。
鴨の群れが舞い降りてきた。
「引け―」
九朗の合図で竿が倒れ、網が落ちてくる。逃げた鳥もいるが、十羽以上の獲物が網の下で騒いでいる。成功したのだ。
九朗の村では、魚も獲るし、狩りもする。昔は過疎で悩んでいたのが嘘のように村の人口は増え続けた。農業も軌道に乗っているし、漁業にも慣れてきた。漁業と言っても、小さな船で小さな網を張るだけの漁だから、それほど多くの漁獲量があるわけではない。ともかく、考えられることは全てやる。鳥の捕獲も、その一つだった。作物の収穫が増加するよりも人口の増加の方が多いので、小さな鳥一羽でも貴重な食料になる。
数ヵ月後、九朗の仲間の一人が熱を出して倒れた。ただの風邪ではないようだったが、原因はわからない。元医者の人間は、インフルエンザだろうと言っていたが、抗生物質はなく、絞ったタオルで額を冷やす程度の治療しかできなかった。
それが大惨事の始まりだったことに、誰も気付かなかった。
あっと言う間に、村の半分の人間に感染し、住民は伝染病だということを知った。野鳥の持っていたインフルエンザ菌が変異して、人感染の鳥インフルエンザに変わったのだ。
村の住人の半分は、村を捨てた。
そのことが、感染を広げることになるとは思いもしなかったが、結果的に保菌者が各地に広がる出発点になった。
―――――――――――――――――――――
前回、食料の安全保障について書きましたが、それと同等の、或いはそれ以上の問題として、防疫という安全保障問題があります。古来より、伝染病の被害は全世界のあらゆる場所で発生し、その犠牲者は民族の絶滅もあったと言われるほど多いのです。
何もこんな時に、ウイルスが変異しなくてもよさそうなものですが、弱り目に祟り目はいつも起きることです。珍しいことではありません。
崩壊後の日本には、国家機能がなく、医療機関も全く機能していませんので、防疫という点では無防備になります。
幸運に恵まれなければ、民族の絶滅も現実になるかもしれません。
関係のない話かもしれませんが、ペルー北部でペリカンの大量死が見つかったそうです。約1200羽だと書かれていました。その近くでは、900頭のイルカの大量死もあったそうです。その他に、カツオ鳥やアシカの死骸もあったそうです。まだ、原因は不明ですが、ウイルスではないかと言われています。動物の大量死は時々あるようですが、人間の大量死は動物の世界では、どんな位置づけになるのでしょう。死因を究明すれば、それぞれの原因があるのだろうと思いますが、原因とは別に何かの力が働いているように思えてしまうのです。運・不運の分かれ道は、どのようにして生まれるのでしょう。考え過ぎでしょうが、どこか割り切れません。
ジャレット・ダイアモンドという学者が、「銃・病原菌・鉄」という本を書いています。その中で、氏は人類がいかに伝染病で死んでいったのかを書いています。1万3000年の人類史は、時間軸が長いので、私達は忘れがちになりますが、今でも伝染病の脅威が世界から消えてしまった訳ではありません。何百万、何千万という大量死が人間社会にもあったのです。この先も、その悲劇は繰り返されると思われます。現に、エイズの死者は2000万人を超えていますし、現在でも数千万人の感染者がいます。もし、飛沫感染できる鳥インフルエンザが世界的に流行すれば、短期間で数千万人の死者が出ると予測されています。崩壊後の日本で、鳥インフルエンザが発生したとしたら、世界は日本を国ごと隔離するでしょう。病原菌の中に取り残された日本人が、どれだけ生き残れるのでしょうか。
崩壊後の日本には病院はありません。医薬品も手に入りません。文字通り、次々と死んでいくのです。勿論、死者を弔う余裕もないでしょう。
仮に、このような状況になったとしても「地獄じゃない」と笑い飛ばせる人はいるのでしょうか。今生きている私達の中に、あり得ない想定だと言い切れる人はいるのでしょうか。
いいえ、レベル9は、ありうるのです。
1000年後に、まだ地球が存在していたとして、日本は「幻の邪馬台国」と同じように、「幻の日本国」と呼ばれるようになるのでしょうか。
昔々、日本という国があったそうじゃ。さむらいとつなみが有名じゃった。
余談です。
小沢裁判が上告されました。
政治の匂いがプンプンとします。
一審での判決理由の中でも、裁判長は新証拠が出せない場合は上告するなと言っていましたし、専門家も控訴はありえないという意見が大半でした。小沢氏本人が理解できないと言っていましたが、国民目線でみれば、無罪が理解できないだけではなく、ゴリ押しとも言える上告も理解できません。もし、一審で有罪になり、小沢氏側が控訴するという筋書きなら、まだ理解できます。
どこか、何か、変です。
つまり、これは別の何らかの事情により事が進められていると解釈すべきではないでしょうか。小沢氏は庶民ではありません。賽の目次第では総理大臣になっていた人で、まぎれもなく権力者サイドの人間です。法律は権力者を裁くようには作られていません。法律の目的は、一般庶民を裁く目的と、権力を守ることが目的で作られたものです。これは、古今東西、人間社会の常識です。
政治資金規正法はザル法だと言われています。政治家が政治家を律する法律をまともに作ると思っているのは、事情を知らない一般国民だけです。そんな、法律で政治家が裁かれる時は、政治力学が働いた時だけなのです。これは、政権内の権力闘争であり、現状維持を願う官僚の指示でもあります。多分、仙石氏と官僚が裏舞台で蠢いているのではないでしょうか。チーム仙石も、有罪になるとは思っていないでしょう。無罪放免になって党内で暴れてもらっては困るので、被告人という首輪をつけておきたいという狙いがあるのでしょう。実にスケールの小さな争い事です。
国民は、法律というものを勘違いしています。
法治国家などというと、何か国民が法律に守られているように聞こえますが、それは幻想に過ぎません。もし、国民のために法律が存在しているのであれば、これだけ貧しい国民が増え、自殺者も増えている社会が是正されないのは何故ですか。これは、明らかに国家運営の失敗です。その責任者は処罰されるべきです。また、税金を利権という名で好きなように使っている官僚はどうでしょう。誰も、法律で裁かれてはいません。取り締まる法律が存在しないのです。例えば、国民を騙しているのは詐欺罪になります。国民の収めた税金を好き勝手に使っているのは窃盗罪になります。社会を不安定にして、多くの自殺者を出しているのは、自殺教唆であり、殺人罪でもあります。
そもそも、法律とは、国民を縛り付けるものです。法治国家という騙し文句を易々と信じ込んでいるのが、縛られている方の国民自身なのですから、救いがありません。
法に触れさえしなければ何をやってもいい。これが、政治家、官僚、暴力団の基本姿勢です。暴力団以外は、取り締まる有効な法律はありません。
それを許してしまったのが、国民の間違った優しさだと気付くべきだと思います。
国民が目を覚ますきっかけは、毎日、山のようにあります。
そろそろ、無視するのは、やめてみませんか。
私達の国では、小沢裁判で権力闘争をしている時間はないのです。
政治家の劣化は目を覆うものがありますが、国民のレベルを凌駕するような政治家が出現するはずもありません。政治家は、国民の中から選出されるのですから、当然の結果です。そのことを裏返せば、国民が劣化しているという証明でもあります。
確かに、面倒な事ですが、国民が目を覚まさなければ、このままずるずると破滅に向かうだけです。
2012-05-14
何もしなかったのは [評論]
今日も、最初に超短編小説を読んでください。
「崩壊との遭遇 ケース8」
決して広くはない2DKの団地の食卓に、妻と二人の子供が並んで座っていた。学校の臨時休校が続いているのだから子供達がいることに違和感は無くなったが、朝早くから三人が並んでいる様子に高橋八郎の足が停まった。しかも、三人の目には厳しいものがある。
「なんだ」
食卓はきれいに片づけられて、朝食は用意されていない。
「お父さん、どうするつもりなの」
妻の香苗が硬い声を出したが、八郎は答えようがない。
「今日も、出勤するんですか」
「ああ」
高橋八郎は、県警本部の刑事課に所属する現職の警察官で、強行犯係の主任捜査官である。
「もう、食べるものがないんだけど、私達、どうしたらいいの」
「ん」
「お父さん、お腹、減った」
五年生の長女が、元気のない声で訴えた。
「もう、ちょっとの辛抱だ」
「いつまで」
「それは」
手元にお金はほとんど無いが、食料を売っていたとしても、インスタントラーメンが一個5万円もすると妻が言っていた。それも、先着10人の量しかない。お金があったとしても、数日前から並ばなければ買うこともできない。
「何とか、してください」
「そうは言っても、仕事を放り出す訳にはいかんだろ」
「どうして、ですか」
「こんな状態で、父さん達が仕事を放り出したら、誰が治安維持をする。父さんは警察官なんだ。そこは、わかって欲しい」
「家族を見捨てても、それほど、治安維持が大切なんですか」
「お父さん、何か食べたいよう」
四年生の長男の声は小さかった。
「何とかする」
「昨日も、そう、言いましたよね。その前の日も、その前の前の日も。明日も、そう言うんですか。話だけでは、生きていけないの」
「ん」
「あなたは、何か、食べているんでしょう」
「・・・」
署に備蓄されていたインスタント食品が、一日一食支給されているが、途中空腹で動けなくなることもある。事件は日増しに増えているのが実情なのに、体力がついていかない。その備蓄食料も残り少ないと聞いている。
「家族が、水しか飲んでいないのに、それでも、仕事なんですか」
「お腹、減ったよう」
長男の声は泣き声になっていた。
―――――――――――――――――――――
あなたが、このお父さんの立場だったら、どうしますか。
私なら、仕事を放り出して、家族の食料を確保する行動に出ると思います。どんな方法があるのかは別にして、米粒一つだけでも探しに行くでしょう。
警察官だってロボットではありません。人間なら、自分の家族を餓死させてまでも、やらねばならないという仕事があるとは思えません。
これは職業の問題ではありません。子供達に餌を運んで来るのは、親鳥の使命なのです。
男共は、仕事を言い訳に使う時がありますが、限界はあります。最後は使命の優先順位になりますが、人間にとって、最も大きな使命は家族を守る事です。この使命を忘れてしまえば、人類そのものが消滅するしかないのです。昨今、子供の虐待、育児放棄、傷害、殺人のニュースが多くなっています。これは、私達人間が家族を守るという基本的なお約束を破り始めたということです。日本崩壊という危機に際して、そのお約束を破る人が増えたとすれば、少なくとも日本人が絶滅の危機にあると考えなければなりません。「自分さえよければ」を追求していけば、その終着点は人類の滅亡でしかないのです。
どこかの国の総理大臣が優先順位の低い政策に固執し、命を懸けるとまで言っていますが、この手の勘違いをしてはいけません。国にとって一番大事なのは、国民の生命です。親にとって一番大事なのは、子供であり、家族なのです。どうか、警察官の皆さんが勘違いしないことを祈ります。
銀行の閉鎖が問題なのは当然なのですが、それよりも重大な問題は、食料の絶対量が足らないという事です。国内に、まだ食料が充分にある地域と、そうではない地域があったとして、配分のシステムさえあれば、人命が救えるという状態であればいいのですが、絶対量が足りない状態では何も克服できません。いつか、自分の所へも食料が回ってくると、多くの人が期待すると思いますが、それは、不可能なのです。
動物は、食料のある分しか生存できません。勿論、人間も動物です。
日本は、安全保障という問題に正面から取り組んできませんでした。安全保障と言えば、敵の侵略に対する防衛問題だと考えてしまいますが、それすら満足に取り組んできたとは言えません。食料問題は国防に匹敵するほどの、いや、それ以上の安全保障問題なのです。このことを指摘した人は一人もいないのでしょうか。そんな筈はありません。私達は目先の利益に執着していて、この問題を無視したのです。農業を利権の材料にしてしまい、将来の危険に目をつぶったのです。戦争での犠牲者は多くても数百万人ですが、食料問題では数千万人の犠牲者が出るのです。
食料の自給率が40%でもやっていけたのは、経済力のある時に限定されるのです。
「国とは何か」を私達日本人は棚に上げたまま放置していたのです。
15年後に、振り返って考えてみると、崩壊するまでの私達が、何もしなかったことを痛感すると思います。自業自得には違いありませんが、辛い体験になりそうです。
余談です。
先日、日米共同宣言について書きました。少し、補足します。
6年ぶりの共同宣言だそうです。この6年間を振り返ってみると、日本では日替わり総理の統治が続いていた時期になります。米国も、ここまでよく辛抱したと思います。
共同宣言で、対等な軍事同盟という言質を提供した日本は、この先、苦しい国際関係を強いられることになります。玉虫色の言葉が通用するのは、日本国内に限られています。日本人同士なら「なあなあ」や「まあまあ」は通用しますが、国際関係では信頼を失うことの方が圧倒的に多いのです。そのことは、何度も体験してきたはずなのに、私達の政府は理解できていません。民主党政権、特に野田政権では言葉だけが飛び交うだけで、実行力はありませんでした。言葉で相手を騙すたびに宿題を背負い、それを全て先送りしようとしているのです。国際関係での宿題は重いものですが、特に軍事に関する宿題はとても重いものになります。なぜなら、そこには兵士の死が存在するからです。
対等な軍事同盟というのは、後方支援にだけ顔を出して、銃を撃つことはしないという関係では済まないのです。米軍と同様の軍事作戦をしなくてはなりません。そこには、戦死もありますし、莫大な戦費も必要になります。
自衛隊員は、一般企業に就職する感覚で入隊します。それは、自衛隊が戦争をしなくてもいい軍隊だからです。でも、自衛隊が普通の軍隊になった時、入隊する若者がどれだけいるのでしょうか。徴兵制度を視野に入れる必要はないのでしょうか。
もう少し原点に近づいてみましょう。軍人はなぜ銃を持って戦うのでしょうか。国を守るためではありませんか。国を守ることが、自分の身近にいる人達を守ることになるから、戦うのではありませんか。日本以外の国では、国や国旗や国歌に忠誠を誓えと国民に求めています。そうしなければ、戦闘集団は維持できないからです。そして、日本以外の国は、忠誠心を育てるために教育という長い時間を使って、国民にそのことを求めてきました。
日本には、その環境が全くありません。どんなことがあっても戦争はしてはいけませんと教育してきた国民が、銃を取り、敵の命を奪い、自分の命を危険にさらせるのでしょうか。東北大震災で被災者の遺体収容に従事した自衛隊員の精神的なダメージは大きいと言われています。無残な遺体に接するのは、彼等にとって初めての体験だったでしょう。敵の銃弾が飛んで来ることはなく、自分の命を失うことはないという前提の作戦でしたが、そんな作戦でも、もう沢山だと思った自衛隊員はいたのではないでしょうか。本物の戦場の過酷さは半端ではないと聞きます。本物の軍事作戦で、彼等が過酷な戦地に送られるとしたら、自衛隊員を続けたいと思うでしょうか。
軍人というのは、人間同士が殺し合いをする職業です。例え、戦地から生きて帰ってきても、精神的な障害は大きいと言われています。私達のような平和ボケをしている国民にとっては未体験ゾーンなのだと思います。
軍事というものは、簡単なことではないと思います。
では、このまま、ずるずると先延ばしができるのでしょうか。
それは、難しいでしょう。
現状の日本では、本物の軍事作戦はできません。演習や机上訓練と、本物の戦争は全く異質なものだと思うからです。実戦の重みは体験してみなくてはわからないそうです。ですから、自衛隊員には対応できないと思いますし、そもそも、国民が対応できません。
日本が、米国の要求する軍事行動が出来ないと言い続けたら、将来的には、日米安保は無くなるものと思います。今回の共同宣言は、同盟解消の一歩になる宣言だったのではありませんか。なぜ、わざわざアメリカまで出向いて、自分の国を窮地に追い込むようなことをするのでしょうか。
勿論、自分の国は自分で守ることが当然です。しかし、その体制を作るには長い時間と確固たる信念が必要なのです。何の準備もなく、明日から自分で守ります、なんてことは不可能です。野田総理にその展望は、全くないと思います。少なくとも、外交問題で、何の準備もなく花火を打ち上げるような稚拙な行動をしてはいけません。
先日、自衛隊は尖閣諸島に不法上陸をした中国軍から尖閣諸島の奪還をする演習をしたという報道がありました。机上演習なのか、別の島で訓練を実施したのか、詳細は知りません。新聞に情報を流したということは、単なる政治的なパフォーマンスに過ぎないのかもしれません。しかし、全く現実離れをしています。ほんとに、総理大臣は自衛隊に発砲許可を出せるのでしょうか。仮に、発砲許可を出して、中国軍を撃退したとしましょう。当然、戦死者が出ます。中国は、それを口実にするでしょう。
日本には、中国と戦争をする準備はあるのでしょうか。数千発ものミサイルの照準が日本本土へも向けられますが、防衛可能なのでしょうか。中国に進出している民間会社や民間人は、どうなるのでしょうか。中国という市場を失くして、日本経済は成り立つのでしょうか。軍事行動など、そんなに簡単に出来るものではありません。最低条件として、国民にその覚悟がなければ、戦争などできません。国民にそんな覚悟、ありませんから。
それと、もう一つ付け加えるならば、戦死するのは、私達国民なのです。
防衛という一面だけをとっても、どこにも、出口がありません。また、尖閣問題で、対応を間違えれば、日本崩壊の引き金になる可能性もあるのです。
今の中国と戦争をして、勝てる国は一つもありません。それは、あの広い国土と余りにも多すぎる人口によるものです。アメリカでも、中国に戦争を仕掛ける選択肢は持っていません。中国は、自分のやりたいように出来るのです。日本の尖閣奪還作戦など、ただの絵空事に過ぎません。石原東京都知事の尖閣購入計画も、残念ながら、意味がありません。中国は、自国の行程表に従い、時が来れば実行するだけです。中国の国家戦略は世界制覇ですから、尖閣領有は、ほんの一部の作戦にすぎません。それでも、資源の確保という点からも、軍事目的からも、いずれ、尖閣諸島は中国領になります。その理由は、中国にとって必要だから、というものです。日本の事情で左右されるものではありません。もっとも、世界征服は人類が一度も成功したことがありませんので、簡単なことではありませんが、中国が本気であるという部分は怖いものがあります。
今、南沙諸島の領有権で争っている中国は、フィリピンに脅し文句を並べています。
「中国の領土を0.5インチでも奪い取ろうと考えるな」
「物事には限度がある。中国はこらえているのであって、軟弱なのではない。中国を張り子の竜だと思っているならば大きな間違いだ」
「唯一の結果は人々に不良政府のでたらめな行動を知らしめるだけだ。自分が醸造した苦い酒を自ら飲むことになる」
脅し文句は北朝鮮と似ていますが、中国の脅し文句の方が怖いです。
更に、中国は経済的な圧力もかけています。
フィリピンへの渡航ツアーの中止。バナナ等の果物に対する検疫強化です。
何が何でも、自分の領土にするつもりですし、いつか、そうなるでしょう。
一方、日本の国力は、弱まるばかりです。
手の打ちようがありません。
また、無茶な提案をしてみます。
尖閣諸島を1000兆円で中国に売り渡す案です。それが成功すれば、日本の借金はゼロになります。財政破綻は回避出来ますし、消費税の増税もしなくて済みます。この方が、今の日本にとってはメリットが大きいと思います。勿論、中国は買ってはくれません。金なんか出さずに、勝手に上陸して、自分のものだと言えば済むことなのです。
2012-05-12
子供の匂いと体温 [評論]
今日も、最初に超短編小説を読んでください。
「崩壊との遭遇 ケース7」
「お父さん。七郎から電話があって」
田畑六郎は、読んでいる新聞から目を離さなかった。
「帰りたい、言っとるけど、ええよね」
六郎は返事をしなかった。
高校を中退し、親の反対を押し切って、家を飛び出した一人息子。「帰りたい」と言われても「はい、そうですか」とは言えない。でも、妻の美智子が「お父さんには、私が言っとくから」と、甘い顔をしているのは読める。新聞やテレビでは話題になっていないが、都会では食料が不足して、餓死者も出ているらしいという噂話は聞く。いくら、不肖の息子でも「勝手に死んでしまえ」とは言えない。反対も賛成もできないのが、男親の立場だということをわかってもらうために、六郎は無言を押し通した。
その四日後に、息子夫婦と息子の背中でぐったりとしている小さな女の子が、六郎の家の庭先に現れた。最初は、自分の息子であることもわからなかった。
「母さん、粥だ」
「はい」
憔悴している三人が、何も食べていないのは明らかだった。
一番最初に元気を取り戻したのは、子供だった。後で聞くと、子供にだけは食べさせて、歩いて来たらしい。親は、水だけで三日間歩き通したのだ。頼りないと思っていた息子が、人の親になっているのを知って、六郎は息子を許すことにした。
三歳になった孫の朝子が、「じいじ」と呼んでくれ、六郎が座っていると必ず六郎の膝に乗って来る。テレビを見る時も、食事をする時も、じいじの膝を椅子替わりにする。子供の匂いと体温が、六郎の体に直接入って来る。とても、追い返すことなどできる訳がない。
二日後に、七郎と嫁の美紀が六郎の前で頭を下げた。そして、五人が新しい家族になった。
まだ、六郎の親が生きていた頃には作物が育っていた田畑も、休耕田の状態になっている。夫婦二人で面倒がみれる耕地はそれほど多くはない。貯金が使えなくなったのは田舎でも同じだが、夫婦二人が食べていくことは出来た。農作物は今日植えて、明日収穫できるものではないが、節約すれば何とか五人が食べていくことはできるだろう。六郎の頭の中では、どこに何を植えるか、いつ収穫できるか、何をすればいいのかということが渦巻いていた。孫の朝子のためなら、まだまだ無理はきく。
四人の大人が、必死で農作業に取り組んだ。慣れている筈の六郎でも筋肉痛を感じるほど働いた。半年ほど経って、少し目途が立ってきた。秋に米を収穫すれば、一息つくことができるだろう。農協が役に立たなくなったのも大きかったが、ガソリンや軽油が手に入らないので農機が使えないのが一番こたえた。全てを手作業でやらなければならない。100年も200年も時間が戻ってしまったような感覚を味わった。ただ、用水路がしっかりとしていたことは助かった。水がなければ、もっと厳しい状況になっていただろう。
それでも、食料は乏しくても、生活は充実していた。作物の収穫の時には、不思議と何かに感謝していた。家族の誰もが、笑顔を忘れず、家族のことをおもいやる気持ちも忘れなかった。
そんなある日、午前中の仕事を終えて家に戻ると、大勢の見知らぬ男達が庭にいた。日本刀を持っている男もいるし、鉄棒を持っている男もいる。納屋の鍵を打ち壊している男もいた。納屋に入っていのは農機具だけではない、食料もある。
「やめろぉ」
七郎が飛び出した。男達の鉄棒が何本も動き、七郎はその場に倒れる。父親の後を追った朝子の小さな頭にも容赦なく鉄棒が振り下ろされ、朝子の体は2メートルも飛ばされた。それを見た六郎は、近くにいる男に体当たりをして鉄棒を奪い、振り回した。妻の美智子が夫を止めようとして追い、二人は男達の鉄棒の下で動かなくなる。嫁の美紀は、その場に座り込んだ。その横で、男が鉄棒を振り上げる。
「待て」
男の鉄棒がとまった。
「そいつは、まだ利用価値がある。捕虜にしろ」
「はい」
男達の顔に卑しい笑いが浮かんだ。
―――――――――――――――――――――
食料不足になれば、自然発生的に盗賊が誕生するものです。自分で農業が出来ない人や、作物を育てようとしない人に残されているのは、力で他人の食料を奪う事です。盗賊はいつの時代にも存在していました。他人の命よりも、自分の食料の方が大切な人はいるものなのです。
「まさか」と思われる人がいるかもしれませんが、この状況が想像できないことを、私は「まさか」と思います。
これは、地獄ですよね。私達は、地獄を作り出してしまったのです。
きれい事など、通用しないのが地獄です。
これが、追いつめられた時の人間の姿なのです。
こんなことになる前に、何か出来たのかもしれない。
余談です。
憲法記念日があった関係で、憲法改正の話題が増えていますが、今の日本が抱えている問題は憲法の問題ではありません。勿論、憲法そのものに問題がないとは言いません。しかし、残念ながら、憲法を改正しても、この行き詰った日本は変われません。
更に、哲学と思想のないこの暗闇の中で、国民にとって望ましい憲法が出来るとは思えないのです。しかも、憲法の改正となれば、10年程度の時間は必要になるでしょう。とても、そんな時間の猶予はないのです。日本の問題点は、法律の条文の問題ではなく、新たな哲学と思想なのです。過去の延長線上には、日本の未来が存在しないことを認識しなければ、条文はただの文字になるのです。
国民目線ではない新憲法が出来ても、それで国民が幸福になれるとは思えません。
「自分さえよければ」が横行しているこの時期に憲法を作り直しても、権力者の利益にしかならないのです。
老人が、ああでもない、こうでもない、と議論しているその事が、既に問題なのです。老人に新しい哲学と思想を作る力はありません。なぜなら、新しいことは、老人の経験則が否定するからです。こんなことをしていて、この泥沼から抜け出せると思っているのでしょうか。いいえ、今までと同じように、泥沼の中で無駄な抵抗をするだけに終わります。
法律の条文に違反さえしていなければ、何をやってもいいという現状を抜け出さなくてはなりません。あらゆることを法律で規制しようとすれば、法律のお化けが出来るだけで、最終的には法律のためにのみ人間の存在が認められるという本末転倒の状態になるのです。
庶民は、法律の穴を探して、少しでも得をするという生き方はできません。それが出来るのは、政治家や官僚や暴力団なのです。法律だけで律すれば、強欲豚共に喰い荒されるだけで、国民はこの国のどこにも居場所がありません。哲学と思想を確立し、国の目的を明確にすることで、初めて国民の居場所ができるのです。そのことを、憲法にするのであれば、初めて憲法改正が新しい日本の第一歩になれる可能性が出てくるのです。
法律など不要だと言っているのではありません。人間社会ですから、法律で制限しなければいけないことはあります。それよりも、国の目的の方が必要だと思うのです。
どうしても、法律を作りたいのであれば、無茶な提案をしてみましょう。
安楽死法を作る事です。65歳になった人は全員、この法律の適用を受ける。そうすれば、社会は大変貌をするでしょう。若者が社会を運営することが当たり前になるのです。そのぐらい、老害を排除する必要性が日本にはあると思います。その副次的効果として、老齢年金や老人医療費が必要ではなくなります。日本財政は劇的に改善するでしょう。
勿論、こんな法律はできません。しかし、日本の窮地を救うためには、発想の転換が必要なのです。過去の価値観や常識や発想では、前に進めなくなっているのが現状なのではないでしょうか。そのためには、新しい哲学と思想が必要なのです。
2012-05-10
都会は廃墟に [評論]
今日も、最初に超短編小説を読んでください。
「崩壊との遭遇 ケース6」
社長室のドアは来客がない限り閉められたことがない。それは、先代からの習慣だった。経理担当の高橋常務が、ノックなしで部屋に入って来た。
「銀行が開きません」
「ん」
「電話も、通じません」
予想していなかった訳ではない。いや、三代目としての史郎は想定していなかったが、息子の五郎はこんな日が来ることを確信していた。五郎の意見を会社の方針として取り入れていなかったので、そういう意味では、会社として予測していたとは言えないかもしれない。史郎は、自分の代が終わったと感じた。斎藤ビルは、賃貸ビルを30棟以上保有する中堅の不動産会社で、先々代の史郎の祖父が大きくした会社だった。
「見に行ったのか」
「いえ、まだ」
「手分けして、見てきてくれ」
「はい」
「信用金庫や郵便局も、忘れるな」
「はい」
史郎は、内線で五郎を呼び出した。五郎は営業担当の専務をしている。
「聞いたか」
「はい」
「お前の言った通りになった」
「はい」
「この先は、どうなる」
「行くとこまで、行くと思う。銀行なしでは企業はもたない。大半の企業、いや、全部と言ってもいいかも。潰れます」
「うちも」
「もちろんです」
「その先は、どうなる」
「食料と燃料が無くなります」
「どうすればいい」
「自分で作るしかありません」
「農業」
「はい」
「できるのか」
「わかりません。でも、他に方法はありません」
「今から、家に戻って、皆を連れて那須に向かってくれ。現地の指揮は、全部、お前に任す。できれば、社員も受け入れられるようになれば有難い」
「わかりました」
斎藤ビルは、那須に保養所と別荘がある。かなり広い土地も所有している。先代の社長がリゾートマンションを作ろうとして買った土地だが、計画は中止され、土地だけが残った。
果樹園や田畑として貸してある土地もある。自分で農作物を作るためには、農家の協力がなければできないだろう。無駄なことなど、存在しないのかもしれない。
「東日本石油からタンクローリーを一台買っておいてください。ガソリン満タンで」
「わかった」
「そのまま、那須まで走らせて下さい」
「ん」
―――――――――――――――――――――
那須に保養所や別荘や土地があるなんて設定、出来過ぎですが、フィクションですから許して下さい。
日本崩壊を予測していたら、そして、少しだけその予測を信用していたら、たとえ、保養所や別荘や土地がなかったとしても、迅速な行動が取れるチャンスはあります。幸運があれば、家族を守ることができるかもしれません。
過去の日本の歴史は、都会への人口流入の歴史でしたが、日本崩壊を機に逆流現象が始まります。結局は自分の手で、自分の食べる物を作り出すことしか、生き延びる方法はないのです。コンクリートの土地で農作物は育ちませんし、食料になる草木や実も手に入れることはできません。農業用水路も必要です。都会は廃墟になるしかないのです。
土と水と太陽。そして、植物。
私達は、それら自然の絶妙な組み合わせの上に存在しているのです。いや、自然に生かしてもらっていると言っても過言ではないでしょう。
その事を、再認識させられる時が来るのです。
余談です。
石田は、いつも、国民に文句をつけます。国民が変わらなければ、何も変わらないと言います。このことは、間違っていないと確信していますが、漠然としていますので、いつか具体的に考えてみなくてはならないと思っています。
石田は、警告を発信することが自分の役目だと思っていますが、「言うだけ番長」と批判されるかもしれません。そのことは、事実ですから反論しません。それは、石田に哲学と思想が無いからなのです。この部分が、いつも、致命傷です。もっとも、哲学と思想を解明していたら、庶民をやめて、哲学者か思想家になっていたでしょう。
しかし、もしかすると、何か行動を起こすことで、何かが変わることがあるかもしれないという期待が無いわけではありません。根拠のない話で申し訳ないのですが、何もしないよりはいいのかもしれません。
では、国民の意識が変わるという事は、どういうことなのでしょう。
先ず、日々壊れていっている私達の社会が、壊れていると認識する事です。気付かないふりをすることを、やめればいいのです。
次に、何故、壊れるのだろうと疑問を持つことではないでしょうか。子供達のように「なんで」と問いかけるだけです。
そして、壊れたら自分達の生活はどうなるのか、と想像する事です。想像力は、人間に与えられた最大の特質なのではありませんか。
レベル9の存在を知れば、変わらざるをえません。
そして、漠然とであっても、壊したくないと願う事です。
そうなれば、何かをしたいと思うのではありませんか。
これらは、別に難しいことではありません。
この危機意識があれば、迷いながらでも、行動することが可能です。
行動することで、その中から、哲学と思想が生まれるかもしれません。
一人二人ではなく、大勢の国民が同じ気持ちになれば、変わるかもしれません。
例えば、新聞の不買運動が起きたとします。
新聞社は権力に迎合し、国民を騙しているのですから、新聞社が潰れることは容認できます。今や、新聞は国民の味方ではありません。敵の宣伝を、金を出して買うことはありません。新聞社は民間企業ですから、商品が売れなければ倒産します。惰性で購読している国民が意志を持って不買運動をすれば、潰すことも可能です。国民は新聞が無くても生活に支障はありません。新聞という形で復活しないとしても、ジャーナリズムが復活する可能性はあります。新聞に騙されていた増税賛成の人達が、騙されていたことに気付くかもしれません。協力する価値はあるのではありませんか。
ただ、どうすれば、不買運動が起こせるのか、具体的な知識はありませんので、実現するかどうかはわかりません。
或いは、金融機関から、預金を引き出す運動をすることでもいいです。
今は、預金利息よりも、手数料の方が高いのですから、銀行に預けておく価値はありません。自動引き落としも停止し、集金を依頼する方法を探してみるべきです。国民が銀行を利用しなくなったら、銀行は成り立ちません。
私達が、当たり前だと思っていることを疑ってみれば、その他にも、いろいろな行動ができるのではないでしょうか。
国民には、大きな力があるのです。
今のままでは、国民の善意すら破滅へと向かう国の背中を押しているのです。そこには、運命的な悲運を感じます。
日本国民は、従順で、大人しくて、素直な国民なのです。
これを、美点と思うか、欠陥と思うかは、結果次第です。国が潰れた場合は、この国民性が欠陥だったと判断されます。この国民性を美点にするかどうかは、日本歴史を見る限り、為政者の姿勢次第なのです。権力者が名君の場合は、大きな力になりますが、暗君だった場合は、滅びる可能性が大きいのです。
一部に、国民投票や大統領制の主張がありますが、これは大きな勘違いです。それは、私達国民に国民だという自己認識が無いからです。ですから、まるで人気投票のような気分にしかなれないのです。国民投票や大統領制の投票はAKBの投票と同じではありません。
権力者とその手先の利権集団の世論操作に、いとも簡単に従ってしまうのが日本人なのです。悪い意味での衆愚政治になるだけです。それは、増税に賛成している人が40%もいることを見れば一目瞭然です。彼等は騙されていることにも気付きません。
国民は、先ず、自分の足で立たねばなりません。
日本は国民主権なのですから、国民が、自分は国民なのだと胸を張る自己を確立しなければ、為政者にいいように料理されてしまうのです。国とは何か、国民とは何か、そして、国民主権とは何かという点については、話題にもならず、議論にもなりませんでした。それは、権力者の利権を脅かすものだったから、決して許されるものではなかったのです。そういう意味では、日本はまだ国家として未熟ですし、民主主義が根付くこともありません。国民主権という言葉を与え、国民に主権がない状態が、権力者には、とても都合のいい事だったのです。しかし、私達国民は自分にも責任が生じることを恐れ、そのことには触れようとしませんでした。
国民が、主権者としての責任を持ち、為政者と対等に対峙する権利を持たねばなりません。その上で、新たな哲学と思想による国家運営システムを構築するのです。
国家運営のシステムを構築する時には、性善説を前提においてはいけません。国民は、小さな悪さをしますが、為政者は大きな悪さをします。最初から、政治家や官僚や暴力団は悪さをする職業なのだという前提に立ってシステムを作らなくてはいけません。出発点が間違っているのですから、良い結果が得られないのは当然なのです。そういう現実を無視してまでも、日本人は性善説を尊いものだと思ってしまうのです。
今更、何を言っても手遅れなのですが、権力者だけが悪いとは言い切れません。私達国民の責任も、彼等と同じくらい重いものだと思います。
まだ、もう少しだけ、ほんの少しだけ、時間があります。
何もしなくても、いいのでしょうか。
このままで、いいのでしょうか。
2012-05-09
海外移住に成功 [評論]
今日も、最初に超短編小説を読んでください。
「崩壊との遭遇 ケース5」
太田三郎のアパートは、その住宅街の中では異質なものに見えた。なぜ、高給住宅街に不釣り合いな安アパートがあるのか、知らない住人も多い。
震度6には耐えられないと思われるボロアパートだが、空いている部屋はなかった。それは、都心に出るには便利だし、この立地条件では格安を通り越したような家賃のせいであった。三郎の職業はフリーライター。いわゆる、ヤクザまがいのゴシップ屋だった。
この町では、三郎の住むアパートを別にすれば、ゆったりとした時間が流れている。住民の入れ替わりもほとんど見られない。そんな空気に慣れている三郎が、三軒もの引っ越しを異常と捉えたのは職業柄だと言えるかもしれない。周囲の誰も認めてはいないが、本人は自分をジャーナリストだと思っている節がある。生活のために、不本意ながら駄文を書いているのだと思っているのかもしれない。ほんのたまに、週刊誌や雑誌に記事を持ちこいではいたが、業界紙に持ち込んだり、取材対象に買い取らせたりする方が本業だと言える。
三郎は引っ越しの取材を始めた。引っ越しをしたのが三人とも中央官庁の役人だったことで、さらに意欲が出てきた。10年に一度の大儲けの臭いを感じている。三郎は闇ルートで最新の名簿を手に入れた。役職者を中心に個人の住所を地道に調査していくと、3割程の役人が引っ越しをしている。そして、その引っ越し先を調べてみると、蒲田の倉庫が多いことに気が付いた。やはり、これは何かあると確信したが、それが何を意味しているのかは想像すらできない。
三郎は、近くに住んでいた財務省の課長に、週刊時報の記者と名乗って取材を申し入れた。行き詰った時は、当たって砕けるのが三郎流の取材術だった。
最初は、面会を断っていた三浦という課長が、渋々、取材に応じてくれることになった。面会の日時と場所が、どんな意味を持つのか不安だったが、相手に後ろ暗いものがあるのだろうという解釈をした。取り壊しの予定がある古い官舎の一角は人通りもなく、街灯の灯りも暗く感じたが、それでも、金の臭いの方が強かった。
指定された部屋は、リビングに簡単な机と椅子があるだけの殺風景な部屋だった。
「こんな場所で、すみませんね」
三浦課長は笑顔で三郎を迎えた。机の上にはお茶のペットボトルが2本置かれている。
三郎は、三日前に作った週刊時報の名刺を三浦に渡した。それは、三浦の名刺を貰うための餌に過ぎなかったが、三浦は簡単に自分の名刺を差し出してきた。
「で、お話、というのは」
三郎は、取材内容の概略を説明した。
「引っ越しをされた方のコメントも頂きたいと思いまして」
「それが、その引っ越しをしたことが、何か記事になるのですか」
「いえ、そうではありません。課長さんだけなら、記事になどなりません」
「たまたま、でしょう」
「蒲田の倉庫も、ですか」
「ああ、あれは、一時的な保管場所にすぎません」
「そうでしょうか。では、ご家族は、今、どちらにお住まいですか」
三郎が役人と対峙するのは初めてだったので、次第に相手のペースになっていった。
役人が答弁のプロだとわかっていれば、もう少し対応は違っていただろう。結果的には、三郎が取材内容を全部吐き出す結果となった。途中、一度、三浦の携帯電話が鳴り、「予定通りで、お願いします」と三浦が答えていた。その予定が、自分に関することだとは全く思わなかった。
突然、5人の男が部屋に入って来た。
「では、よろしく」
三浦は、三郎に笑顔で挨拶をして部屋を出ていった。男達は、明らかに筋者と思われる。
太田三郎というフリーライターが行方不明になっても、誰も気付く者はいない。アパートは、家賃滞納3カ月で家財の処分を認める契約になっている。
何事もなく、1年が過ぎ、財政破綻に伴う銀行閉鎖が発生したが、中央官庁のかなりの数の役人が海外移住に成功していた。
銀行が閉鎖してから1週間後、東京湾に一隻の外国籍の客船が入港した。その船に乗船したのは、中央官庁に勤務していた官僚や、マスコミの経営者、銀行の幹部だったが、船に乗り込む姿を見た人は少ない。彼等の家族は、既に出国していて、単身残っていた人達が日本を離れたものと思われる。客船の中では祝杯が挙げられていたようだった。
そのことが、ニュースになることもなく、日本は粛々と潰れていった。
―――――――――――――――――――――
お断りしておきますが、この小説は、あくまでもフィクションであり、実在の組織や人物とは全く関係がありません。
海外移住に成功する人達がどれほどいるのか、私には予測がつきません。ただ、それなりの数の人達が、この国難を免れるであろうことは想像できます。
国民の中には、ハッピーな人もいるということです。
勿論、私達貧乏人には、最初からハッピーになるチャンスはありません。
自分のハッピーのために利権に喰らいついた人達は、他者という多くの犠牲者を出しながらも、自分のハッピーを手に入れます。それが、人間の本性であることは言うまでもありません。弱肉強食は、動物としての本性です。理性であるとか、正義であるとかは何の役にも立たないのです。これが、今の、私達の国なのではないでしょうか。
私は神にはなれませんが、永田町と霞が関に神罰を下したいという衝動を感じます。
それに反して、東北で被災された方達が、自分の力で立ち上がろうとしている様子を見ると、理不尽としか思えません。あの人達は、ほんとに、「これでもか」というくらい、いい人達ばかりです。
ほんとに、これで、いいのでしょうか。
私達は、何もしなくても、いいのでしょうか。
余談です。
生活水準という少しマイナーな統計によれば、アジア域内で、日本はシンガポール、香港、台湾に抜かれ、すぐにでも韓国に抜かれる場所にいるそうです。1980年には、韓国の一人当たりGDPは日本の1/4しかなかったそうです。グラフを見れば一目瞭然なのですが、各国は右肩上がりのカーブであるのに対して、日本はほぼ横ばいのカーブです。このことは、既に抜かれてしまった国との格差は広がるばかりであり、後続の国々にもいつか抜かれるということなのです。
どうして、私達は、この現実から目を逸らすのでしょう。
過去の栄華を食料にすることはできないのです。
国内に目を転じてみると、20代の自殺願望者が増えているそうです。
このような事態を、日本は、いつまで放置するのでしょうか。
こういう言い方をするから、迷路に入ってしまうのです。
このような事態を、国民は、いつまで放置するのでしょうか。
主語は、日本ではなく、国民です。
日本の現状がここまで追いつめられると、最後の砦となることができるのは、国民しかいないのに、私達は、いつまで目を瞑るつもりなのでしょうか。どんどん壊れていっているこの国を、変えることが出来るのは、もう国民しかいないのです。他力本願では何も変わりません。
そうは、言っても、国民は何もしないでしょう。そうであれば、地獄に突入するのは時間の問題ですから、せめて覚悟は持たねばなりません。最後まで文句を言わず、黙って餓死するくらいの根性は必要なのです。いや、文句は言ってもいいです。できるだけ、誰もいない場所を選んで、思いっきり叫んでください。私も、そうします。その上で、静かに最期を待つことにします。自信はありませんが。
2012-05-08
配膳用ワゴン車 [評論]
今日も、最初に超短編小説を読んでください。
「崩壊との遭遇 ケース4」
会議室の中は、重い空気に支配されていた。
集まったのは、医師全員と全看護長、それと事務方の幹部であった。
院長が立ち上がった。
「銀行の預金凍結は、解除される見込みはありません」
院長の息子は、財務省のキャリア官僚になっている。病院関係者ならその事を知っている。院長の言葉が推測にすぎないと思う人は誰もいなかった。
「食料が手に入りません。それと、皆さんに給料も払えません。すでに、人道上という言葉も意味が無くなったと思われます」
院長はしばらく、出席者の顔を見ていた。
「当院は解散し、扉は全て破棄します。この事態が私のせいではないとしても、ここにおられる皆さんには、大変申し訳なく思っています。今日まで、本当に、有難うございました」
院長は、深々と頭を下げた。
銀行の閉鎖から2週間、日本病院の閉鎖が決まった。患者は精神科の患者ばかりで、そのドアには常に鍵がかけられていた。患者に食事が出せなくなり、このままでは餓死は避けられない。鍵で閉じ込めたままで、死を迎える事と、解放することで近隣に迷惑をかけることの選択になったが、院長は鍵のかかるドアを外す方法を選択した。この状態を説明しても理解できない患者が多いだろう。それでも、閉じ込めたままの死は許されないと思ったようだった。
各階で、食堂に患者全員を集め、院長が説明をした。食事が出せないことを説明し、連絡できる保護者への連絡は済んでいると告げた。どの部屋にも鍵はかかっていないことも知らせた。医師も看護士もいなくなり、薬の投与もなくなると言った。しかし、院長の言葉に反応する患者はいなかった。
院長の説明の間に、工務担当の職員が、入口のドアをドアごと外す工事をした。
日本病院の医師も職員も、全員が病院を後にした。
何人かの患者が外に出ていったが、ほぼ全員の患者が自分のベッドにいた。
夕方の食事時間になると、患者は食堂に集まって来たが、食器皿を入れた配膳用ワゴン車が部屋に入って来ることはなかった。
―――――――――――――――――――――
事件を捜査する警察官はいないし、取材する記者もいない。勿論、事件を伝えるメディアもない中、患者に致死量の薬を与える方法を選択した病院もあったかもしれない。患者を放置した病院の選択が正しかったのか、安楽死をさせた病院の決断が正しかったのか、誰も検証はしないだろうし、問題になることもないだろうと思われます。
病院は保護者に連絡はしたのでしょうが、迎えに来る保護者はいないと思います。
今の私達が持っている常識で判断できることではないようにも思います。
突然、全く別の世界になるのです。
そのことは、実際に世界が変わらなければ、わからないのです。例えば、明治維新で士農工商がなくなり、ちょん髷が斬切りになり、和服が洋服に変わった時も、そうだったと思います。明治維新より18年前、桜田門外の変があった江戸の町で、明治の日本の姿を想像した人がどれだけいたでしょう。
ある病棟に、「かよさん」と呼ばれる患者さんがいました。一応、精神疾患ということで長期入院をしている患者さんです。彼女には、戻るべき家がありません。生活保護で入院費用を支払うだけの生活です。それでも、退院という事態にならないように、一生懸命、病院や他の患者さんに迷惑をかけまいとしていました。毎日、廊下の手摺を拭くことで、病院の役に立とうとしていました。彼女は、日本が崩壊することなど、夢にも思っていなかったでしょう。彼女が、そんなこと知らなかったと言っても、誰も疑ったりしません。病棟が解放されたからといって、「かよさん」には行く所がありません。多分、力尽きるまで、廊下の手摺を拭くのでしょう。あの病棟に、配膳されることは、もう、ないのです。私達は、日本中の大勢の「かよさん」を餓死させることになるのです。
利権集団の応援をし、結果的に弱者を死に至らせたのは、何もしなかった私達国民です。
日本がヤバいことくらい、国民なら誰でも知っていました。財政問題が私達の首を絞めることになるのも知っていました。その財政問題と正面から向き合わなかったことが、こんな事態を招いたのです。先ず、国民負担を強い、足りない分だけ官僚利権を小出しにして切り抜けようとしたのです。この姑息なやり方が、最初から間違っていたのです。そんな時間は残されていませんでした。そこにあるのは「自分さえよければ」という助平根性でしかありません。その官僚の口車に乗って踊っていたのが政治家だったのです。
そんなことは、わかっていたのに、私達国民は何もしなかったのです。
時間だけは、取り戻すことができません。
私を含めて、全ての国民が結果的に弱者を死に追いやる加害者になったのです。
私は、この手で大勢の人を殺してしまうのです。
勿論、皆さんの手も同じように汚れます。
少なくとも、一般社会人は被害者面をしてはいけないのです。
私達は殺人者なのです。
ですから、私達は自分の命で償わなければならない。
弱者を餓死させた罪は、餓死で償わなければならない。
それが、15年後の現実なのではないでしょうか。
日本が崩壊した時、私達は他人のことを気にするゆとりはありません。
自分のことで、精一杯でしょう。
でも、15年前の今日も、それでいいのでしょうか。
私達には、まだ、今なら、何か出来るのではないでしょうか。
今なら、誰かのために。
今の日本社会が、何の問題もないと考えている人は、いないでしょう。
何とかしなくては、とほぼ全員の国民が思っているものと思います。
ただ、何とかするのは、自分ではなくて、誰か他の人、がやってくれると考えている。
その「誰か他の人」って、誰ですか。
余談です。
今回の消費税増税のキャッチフレーズは「社会保障と税の一体改革」だった筈ですが、最近は、それを言う人が減りました。枕詞の社会保障はどこへ消えたのでしょう。いつの間にか、財政破綻の阻止が増税の目的のように言われています。後付けの理由は何でもいいようです。ともかく、何が何でも、不退転でも、命を懸けてでも、増税の道を開くことが、官僚の利権を守るために必要なのです。
増税で社会保障が安定したり、財政破綻が阻止できるとは誰も言いません。なぜなら、そんなことは出来ないからです。
しかしですね、もう、いい加減、財政問題に本気で取り組まなくてはいけないのではありませんか。消費税の増税などという騙しをやっていれば、こんな茶番をやっていれば、貴重な時が失われるだけです。
日本崩壊の原因は、何度も書きましたが「自分さえよければ」なのです。本来、日本人は世界に類のない生き方ができる民族なのです。それは、被災した東北の人達を見ていればわかることです。私達は、日本人には似合わないことをやり過ぎて、根っこにある大切なものを失いつつあるのです。財政破綻はその症状の一つですが、インパクトが強すぎるので、財政破綻などしない方がいいのです。そのためには、本気で、真摯に財政問題に取り組むことが求められているのです。これは、「自分さえよければ」をやめろと言われているのですが、今、この国がやろうとしていることは「自分さえよければ」を助長する方向に向かっているのです。根本原因を治療するには時間が必要です。財政問題を解決し、日本という国のあり方を見つけ、世界で一番でなくてもいいですから、日本人らしい生き方が出来る社会を作り出さなくてはなりません。今の状況は、確かにピンチですが、逆に自分を取り戻すチャンスでもあるのです。自分を取り戻すと言うと、すぐに復古思想が出てきますが、それは大きな勘違いです。時間は前に向かって進んでいるのですから、復古思想では自分を取り戻すことなどできません。
私達に必要なのは、日本人らしい、新しい、哲学と思想なのです。
さて、野田総理が、また、やってくれました。
日米安保を一層の高みへと発展させるという共同宣言をしました。
これは、得意としている野田発言ですが、言葉遊びは国内にしか通用しません。国際関係においては、実行力が求められます。
日米安保は、軍事同盟です。これまでの日米軍事同盟は対等な関係ではありませんでした。米国では一方的な庇護を約束する軍事同盟に、長年不満を抱いていましたが、民主党の代表であり、日本国の代表が米国の代表と共に、対等な同盟にしようと宣言したものと受け取るでしょう。このことが、何を意味するのか。将来的には憲法の改正であり、当面は集団的自衛権の政府見解の変更です。米国は、韓国と同じ程度の軍事分担を要求してきます。それは、実際の戦闘行為に軍隊として参加することを意味します。米国には米国の事情があり、軍事費の削減をしなくてはなりません。同盟国に相応の作戦参加を求めることは必然だと思われます。
日本国内の環境は何も整っていません。実行力を求められても、何も出来ないのです。
野田総理は、何の展望もなく発言したものと思いますし、帰国後も自画自賛していたそうですから、まだ、わかっていないと思われます。
今まで、野田総理は言葉遊びをしていると指摘してきましたが、その指摘は間違いです。野田総理は言葉に遊ばれています。彼には主体性がありませんから、主人公は言葉の方だと思います。
2012-05-07
シャッターの向こう [評論]
今日も、最初に超短編小説を読んでください。
「崩壊との遭遇 ケース3」
中村次郎は、近くにある「日本土地開発」という小さな不動産屋を訪ねた帰り道だった。
自宅を売りに出したのは5年ほど前になるが、買い手はつかず、ずるずると時間だけが過ぎていた。値段の譲歩をしなかったのは、売りたくなかったのかもしれない。
不動産屋は更地にすればそれなりの値段で売れると言っている。要は値段を下げろと言っているのだ。
理屈はわかるが、自宅を壊すという部分で、どこかがひっかかる。まだ、若かった頃に無理をして買った家であり、人生の大半がその家に詰まっている。二人の子供がいるが、子供達との想い出も、この家にあった。売ってしまえば、子供達が帰って来る場所がなくなるのは同じ事なのだが、自分の手で更地にすることには抵抗があった。
家が古くなり、住んでいる二人も古くなった。次郎は今年で75歳になり、妻の恵子も70歳になる。自分で修理をする力はないし、修理を頼めば出費がこたえる。貯金と年金だけで生活している老人所帯には、修理費という臨時出費は不安だけを大きくする。
更地にして売っても、あと10年くらいなら、夫婦二人が小さなアパートで生きていけるだろうが、病気になったり10年以上生きた場合は、子供達に頼らなければならないかもしれない。それでも、このままという訳にはいかない。帰ったら恵子に相談して、決めるしかない。今なら、まだ、引っ越しに耐えられるかもしれない。
そんな寂しい考えに耽りながら、駅前を通り越すと、銀行の前に人が集まって、何か騒いでいる。
「何があったんですか」
次郎は、近くにいた中年の主婦に声をかけた。
「銀行が開かないんですよ。これじゃ、仕入れの金も払えない。冗談じゃないよね」
次郎には銀行のシャッターに「臨時休業」という紙が貼ってあるのが見えた。銀行が休業することなど聞いたこともない。75年生きてきて初めての経験だった。
でも、臨時なんだから、すぐに終わるのだろうと思うことにした。
テレビでは、何か難しいことを言っているが、よくわからない。「落ち着いて行動して下さい」と言っているが、心配で翌日も銀行の前まで行った。
つい一週間前に生活費として10万円を引き出していたが、年金も銀行振り込みだし、何よりも預金が引き出せなければ、生活ができない。
昨日よりも大勢の人達が銀行の前に集まっている。遠くから見ても、銀行のシャッターが閉まっているのは見えた。シャッターを叩く音が聞こえてくる。どなり声だけではなく、悲鳴のような声も聴こえる。何か大変なことが起きたことは、疑いようがない。それを、次郎は体で感じた。
必死に稼ぎ、節約の上にも節約をして貯めた金は、全部あのシャッターの向こうにある。
家に戻った次郎は、奈良に嫁いだ娘の真紀に電話を入れた。
「お父さん」
「何が、あったんだ」
「うちの人が、潰れた、と言ってた」
「潰れた。銀行が潰れたのか」
「うんんん。日本が」
「にほん」
「そっちも、銀行、シャッター閉まったままだよね」
「ああ」
「こっちも」
「康平さんは」
「会社に行ったけど、駄目だろうって言ってた」
「どうするんだ」
「わかんない」
「康平さんは、いつ頃、戻って来る」
「わかんない」
「そうか。また、電話しても、いいか」
「うん」
真紀は、事情をわかっていないようだった。夫の康平なら、何かわかるかもしれない。
この歳になって、日本が潰れたと言われても、何かが出来るようには思えない。ただ、とてつもないことが起きているのは、肌が感じている。はっきりするまで、妻の恵子には黙っておくしかないのかもしれない。
―――――――――――――――――――――
年金暮らしの老人は、銀行預金と年金で生活をしているのです。
ある日、突然、預金が消えてなくなる。
日本が崩壊すれば。
このようなケースは、どこでも起きる話です。
体力も、気力も衰えた老人に、新たな行動ができるとは思えません。
この国では、3人に1人が、65歳以上の老人なのです。
老人に、どんな選択肢があるというのです。
彼等に、餓死以外の選択肢があるとは思えません。
軽々に「おじいちゃん、おばあちゃん、頑張れ」とは言えません。
だって、頑張りようがないのですから。
国民の皆さんは怒るのでしょうね。
「冗談じゃねえ」
「俺の金、返せ」
一寸、待ってください。
これは、皆さんが選んだ結果なのです。今更、怒るのは筋違いじゃありませんか。
国が、皆さんのお金を取り上げて銀行に預けたわけではありません。皆さんが自分の意志で貯金したのです。銀行はそれを自由に運用することができるのです。銀行の経営者も社員も株主も監督官庁も、銀行の運用内容を否定しませんでした。監督官庁は逆に国債を購入することを推奨しました。銀行も、監督官庁に勧められて、楽な商売をしていました。それでも利益が出せるシステムを監督官庁が作ってくれたからです。
国は、国民資産を担保にして、好きなだけ借金をしました。
国民がそのことに反対して暴動でも起こしましたか。
いいえ、誰もが知らん顔をしていたのです。
10年前、皆さんは何をしましたか。20年前は、どうです。
皆さんは黙って受け入れていたじゃないですか。
確かに、悪いことをしたのは政治家であり官僚であり銀行です。
でも、それを放置したあなた方国民にも重大な責任があるのです。
今になって、被害者のような顔をして、怒ってみても仕方ないと思いますよ。
これは、私達国民が選んだ道なんです。
何もしないという方法を、皆さんは選んだのです。
「知らなかった」と言うのですか。それは、違うでしょう。皆さんは、わざと、知ろうとしなかったのです。私達は文句を言える立場でもないし、文句を言ったところで、どうにかなることでもありません。
諦めてください。
文句を言うのなら、もっと前に言っていただかなければならなかったのです。
今更、それは、卑怯です。
老人は年齢というハンデキャップを背負っていますが、ハンデキャップを背負っているという意味では、障害者も病人も同じです。最初に飢え始めるのは、そのような弱者です。家族や血縁者が被害を受けていなければ、まだ希望があるかもしれませんが、国が潰れれば被害規模は全国民に及びます。弱者を救う余力など誰にも残っていません。全員が被害者になるのですから、人道的見地という言葉も意味を持ちません。人道的という言葉は、余裕のある人達の言葉です。今日食べるものがない。明日も食べ物が見つからないかもしれない。そんな人達にとって、人道的という言葉は意味のない言葉です。全員が助けを求めているのです。どうしても、人の道を外したくないのであれば、自分の食料を全て差し出すことしかありません。しかし、1億2千万人分の食料を持っている人はいませんので、ほんの束の間の人道援助にしかなりません。
ただし、食料を差し出すということは、命を差し出すことでもありますので、納得して、穏やかに死を迎えることができるという効用はあります。それも、決して悪い選択肢ではありません。人道的という言葉は、ほぼ自己満足と同義語ですから、これを人道的と呼んでもいいのかもしれません。
余談です。
産経新聞が、増税反対に舵を切ったようです。
消費増税は日本をギリシャにする、という記事を書いています。
全国紙とはいえ「はみ子」だったマイナー新聞社です。増税反対と書きながら、その本質部分には切り込んでいません。新聞の存在価値が薄れていく中、どうやって生き残るつもりなのでしょう。新聞は、9割の国民が惰性で購入しているものと思います。新聞がなければ、生活に支障をきたすという人はいないでしょう。テレビがデジタル化され、天気予報も、テレビ欄も新聞に頼る必要はありません。これから、庶民の生活は苦しくなるのです。消費税増税になれば、真っ先に切り捨てられるのが新聞代ではないでしょうか。そんな時代に、新聞は、権力に迎合し、既にオピニオンリーダーという立場も捨ててしまいました。生き残れるとは思いません。中途半端なことはやめて、本質に切り込み、ジャーナリズムを復活させる以外に生きる道はなくなると思います。
2012-05-02
移動手段もなく [評論]
今日も、最初に超短編小説を読んでください。
「崩壊との遭遇 ケース2」
雨にけむる街を見下ろしながら、山田太郎は小さな溜息を漏らした。
リストラの網を今回も逃れることが出来た。しかし、包囲網は着実に狭まっていることを体で感じる。次のリストラでは、難しいのだろう。
太郎は、ある大手製造会社の本社企画部に籍を置く42歳の中堅サラリーマンで、経営不振に苦しむ社業の再編計画を作るプロジェクトチームにいた。もう、不採算部門を切り捨てていくしか方法はなく、買ってくれる会社がなければ、単純にその部門の廃止を決断しなければならない。この10年間、生き延びるために、切り捨て経営に終始してきた太郎の会社だが、それが成功しているのかどうか自信が持てない。それでも、切り捨てるしか方法はなかった。それは、社員の立場からすれば、自分の首を自分で絞めていることに等しい。考えないようにしていたが、ふとした時に、リストラで路頭に迷っている友人の顔を思い出していた。
郊外に買った自宅には、月に数えるほどしか帰らない。通勤時間を睡眠時間に当てなければ体力が続かない。会社が借り上げている社宅が近くにあり、ほとんどはそこに帰る。社宅というより仮眠所と言った方がいいのだろう。それでも、4LDKのマンションに4人が泊っているのだから恵まれていると言われていた。一部屋に三人が相部屋にしている社宅もあるのだ。
経理部次長の渡辺とタクシーに相乗りして仮眠所のマンションに戻ったのは、12時を過ぎていた。
「一杯、付き合え」
「ああ」
太郎は、自分の部屋には入らずに、渡辺の部屋に入った。自分の部屋に戻っても、酒を飲まなくては眠れない。酒は日課みたいなものだ。それに、渡辺は同期入社の友人だった。30人近くいた同期の仲間も、今では4人になってしまった。国内にいるのは渡辺と太郎の二人だけ。お互い自分の部署のことで精一杯だから、話をする機会も少なくなっていた。
「どうよ」
焼酎と水を机に並べて、渡辺が聞いてきた。
「どう、って」
「持ちこたえられるのか」
「お前の方が、詳しいだろ」
「経理が、駄目だと言った時は、本物のお終いだよ」
「ああ」
「あんまり、希望はないみたいだな」
「んんん。そうじゃなくて、わからないって言った方がいいのかもしれん。俺達、どっぷり漬かり過ぎていて、見えなくなってるんじゃないかと思うんだよ」
「ん。それはある」
「お前なら、資格があるんだから、転職できるだろう」
渡辺は公認会計士の試験に合格している。実務を経験すれば、公認会計士の仕事が出来る。
「どこに」
「ないのか」
「いや、国内では、どこに行っても同じだろう」
「どういう意味だよ」
「もう、この国が、駄目なんだと思う」
「おいおい」
「山田は、何か手を打ってるのか」
「何の」
「この国は、潰れるぞ。うちの会社とどっちが早いか」
「はあ」
「・・・・」
「財政破綻って、話か」
「ああ」
「何とか、なるんだろ。新聞でもテレビでも、そう言ってる」
「あんなの、嘘っぱちだよ」
「そう言うお前は、何か手を打ってるのか」
「1年ほど前に、家族はカナダに行った。女房の兄さんが、カナダに古くから住んでるんでな」
「カナダ」
「家も売ったし、国内資産はない。俺がカナダで何ができるかわからんが、行くしかないのかもしれん。女房が、食堂を出す準備をしている」
「そう言えば、お前のかみさん、料理得意だったな」
「ああ」
「危ない、か」
「まず、間違いない。国内資産は、全部紙屑になる。ハイパーインフレしか方法はないだろう。前に話したよな」
「ああ、聞いたけど、俺は、何もしていない」
会社が生き延びるかどうか自信がないのに、とても、国の心配まではしていられない。心配しても、何もできない。
渡辺と話をしてからは、仕事の途中で渡辺のかみさんがカナダで食堂を出す用意をしているという話が頭をよぎる。もし、渡辺が言っていたようなことになれば、渡辺は家族を守り、自分は家族を守れなかった男になるのだろうか。だからと言って、何かを始める余裕は太郎にはなかった。久しぶりに、ネットで財政破綻という文字を検索すると、渡辺の言っていたことの方が現実に近いように思える。
それから、1年後、企画部長から希望退職に応募してくれ、と太郎は告げられた。事実上のリストラになる。一方、渡辺は上司の慰留を断って希望退職に応じた。カナダで食堂の皿洗いをすることになったと笑っていた。渡辺なら、カナダでも自分らしい仕事を見つけることだろう。しかし、太郎には何の目算もなかった。40歳を過ぎて再就職などありえないと思っていた太郎は、岡山の実家で百姓をすることぐらいしか思いつかない。兄が家を継いで百姓をやっているが、土地はいくらでも余っている。邪魔にされることはないだろうが、素人の自分に農作業ができるのかという心配はある。それに、家族が岡山で百姓をすることに賛成してくれるのかどうか不安だった。都会の生活しか知らない子供達が、あの田舎での生活に馴染めるのだろうか。
心が決まらないまま、退職の日を迎えた。退職はただの事務手続きにすぎなかった。どんどん人が少なくなっているのだから、退職者に時間を割いている暇はない。人事部で手続きをし、企画部長に挨拶をしただけで20年の会社人生が終わった。10時にビルを出た。振り向くまいと思っていたのに、振り向いてしまった。自分には縁のない建物が立ち並んでいる。もう、二度とこの道路の上を歩くこともないのだろう。街中に拒絶されたような疎外感しか残らなかった。これが、退職するということなのか。
地下鉄の駅前にくると、銀行の前に人だかりがあった。10時を過ぎているのに、銀行のシャッターは降りたままになっている。太郎は足を止めた。「まさか」
銀行のシャッターには、臨時休業という貼り紙があった。理由は書かれておらず、四文字だけの貼り紙は不気味だとも感じた。渡辺が言っていた銀行閉鎖なのだろうか。
渡辺の忠告に従って、タンス預金を増やし、食料の備蓄も増やしていたが、退職金はまだ手にしていない。銀行が営業を再開することはないと渡辺が言っていた。頭の中で組み立てていた人生設計は、作り直しを迫られているのだと思うと、いろいろな感情が押し寄せてきて、目の前がにじんで見えた。太郎は声を出さずに泣いている自分にまだ気付かず、銀行の前で立ちつくしていた。それは、茫然自失の状態だった。
―――――――――――――――――――――
これが、ある中堅サラリーマンにとっての崩壊の幕開けだったのです。
ケース1のパートタイマーの母親と違い、日本崩壊の可能性について無知だったわけではない人間にとっても、本当に自分がその渦中に巻き込まれるという意識は強いものではなかったのです。友人の渡辺は、自分の都合で既にカナダへと旅立っていました。しかし、まだ、ケース2の主人公は、ハイパーインフレの嵐に呑みこまれることを意識していないのかもしれません。知識がある事と、その事態に対処することは全く別のものだと思われます。実家の岡山まで、行くことができるかどうかは、本人の決断次第ですが、普通に考えれば、なかなか出来ない決断です。マイホームを捨て、家財を捨て、子供達は学校を捨て、大切な友人を捨てる覚悟をしなくてはなりません。それに、その家には家族の想い出も一杯詰まっているのです。しかし、決断を先延ばしにしていたら、移動手段をも失うことになります。
つまり、それまでの常識であるとか、経験則が全く役に立たない世界に突入してしまっているのです。そのことに気が付くには、それなりの時間が必要ですが、事態はそれを許してはくれないでしょう。
タンス預金と食料の備蓄で、それなりの期間は耐えられます。しかし、銀行も商店も臨時休業が続き、学校も臨時休校が続く。それは、臨時などではなく、閉鎖という方が正しい状態になる。新聞が最初に配達されなくなり、テレビはNHKだけが政府広報を流すだけのメディアになり、必要な情報は無くなります。ガスの供給が止まり、電力も停電地区が広がり、ほぼ全面的に供給が止まる。それは、発電所の人員が日々不足していくのだから仕方のないことだと言えます。電車も、電力の供給が止まるまでは公共交通機関として、力を振り絞ってくれるかもしれません。運転手や車掌、司令本部の人達が自分の生活を犠牲にして仕事を続けてくれても、人間には限界があるのです。
都会の人間は、本当の静寂を体験したことがないかもしれません。風の音が、こんなにも大きなものだったのかと初めて知るかもしれません。経済活動を失った都会は、そのぐらい静かになります。
静寂を不気味だと感じていた人々も、その静寂に慣れてくるでしょう。
ここまでくると、家は雨露をしのぐだけの場所になり、家財の多くは役に立たなくなります。やっと、移動する決断が出来た時には、移動する手段がなく、その場で食料の確保ができなければ、待っているのは餓死だけになります。たとえば、東京から岡山まで、親子四人で、食料なしで、徒歩で辿りつくことができるでしょうか。無理。
どこかから、誰かが、救援の手を差し伸べてくれるのではないかという希望は、残り続けますが、その希望が実現することはないのです。なぜなら、全員が被災者なのです。
余談です。
「アレシナの黄金律」という法則があるそうです。
ハーバード大学のアレシナ教授のレポートが基になっている、財政再建成功のための法則だそうです。62件の調査で、再建に成功したのは16件、失敗した再建案は46件で、その調査から導き出された法則が「アレシナの黄金律」と呼ばれているそうです。
成功の法則は。
先ず、社会保障費を含む歳出削減を先行させ、増税はその後で実施をする。
次に、歳出削減と増税の割合は7対3とする。
実際にギリシャで行われている財政再建の比率は、75対25になっているそうです。
野田政権の財政再建は、0対100で増税をしようとしているので、失敗の確率が高いのだそうです。
そもそも、財政再建に成功した例が25%しかないのに、その法則をも無視するやり方をしている野田増税案は、目的が財政再建ではないことを示しています。
では、目的は何なのか。
これは、石田の独断ですが、官僚利権のためだとしか考えられません。
2012-04-30
訳がわからないまま [評論]
何回かにわたって、崩壊と庶民生活という視点から書きたいと思っています。
プロットは作りませんので、思いつくままの内容になり、少し読みづらいかもしれません。どうか、寛大な気持ちで読んでやってください。
今日は、最初に超短編小説を読んでください。
「崩壊との遭遇 ケース1」
12月になって、街はクリスマス商戦に入っていた。サンタさんがいないことは何年か前に知っていたので、鈴木太郎はプレゼントがないことも気にしていない。母親が「ごめんね」と言ってくれるが、太郎は母親の背中をさするだけで「気にしていない」ことを伝えていた。母子家庭で、太郎の家が貧乏なことぐらい六年生になれば知っている。
太郎は友人の一郎と二人で、繁華街のゲームセンターへ向かった。ゲームをするお金は、二人とも持っていなかったが、あの喧噪の中にいると、自分がゲームをしているような錯覚が味わえる。ランドセルは秘密の基地に隠して、手ぶらで堂々とお店に入って行くのだか、小学生だとばれているようだ。お店の人も迷惑そうな顔をするが、追い出すようなことはしなかった。
1時間ほどゲームセンターの空気を吸って、二人は基地に戻り、小学生に戻って団地に向かった。棟は違うが、二人とも同じ団地に住んでいる。一郎の家も貧乏だった。
駅前にある銀行の前に人だかりがしている。異様な雰囲気があったが、それは、大人の世界の臭いがした。二人は、大人達を横目で見て通り過ぎた。
母親が帰って来たのは、8時を過ぎていた。いつも持って帰るスーパーの袋がない。太郎の顔を見ることもなく、引き出しを開けて封筒を取り出した。手を出したことはないが、そこにお金が入っていることは太郎も知っている。その袋と財布を手にした母親が、力なく椅子に座った。
「どうか、した」
「あっ、ごめん。なんか、買ってくるわね」
袋と財布をバックに入れて、母親は部屋を出ていった。
翌朝、母親が起きていなかったので、太郎は昨日の残りの菓子パンを食べて部屋を出た。
団地の出口で待っている一郎と黙って挨拶をし、二人は学校へ向かった。
「なんか、変じゃない」
「何が」
太郎は面倒くさいような返事をした。
「通帳と睨めっこして、口もきかないんだ」
「だから」
「だから、へん。テレビでも訳わかんないこと言ってたし」
「何て」
「銀行が、どうのこうの。見たろ」
「いや、見てない」
「昨日、銀行の前に、一杯、人、いたじゃん」
「ああ」
「何か、あったんだよ」
「俺達には、関係ないだろう」
「そうかなあ」
教室の中も、いつもと違った。始業のベルが鳴っても、先生は来ない。
1時間後、校内放送が、臨時休校を知らせた。
「どうする」
「一度、帰ろう」
「だな」
部屋に戻ると、母親がパジャマのままで椅子に座っていた。
「臨時休校だって」
「そう」
「何が、あったの」
「・・・」
銀行が閉鎖されたという話を聞かされたが、それが、どういう意味なのかわからなかった。
「工場は」
「もう、お終い」
「お終い」
「そう。全部、お終い」
―――――――――――――――――――――
これが、庶民にとっての日本崩壊の始まりだとします。
銀行の閉鎖は工場や店舗の閉鎖、学校の閉鎖へと波及します。銀行が閉鎖されれば、パートタイマーであれ学校の先生であれ、給料が手にできなくなるのは同じです。
経営者も、動きが取れません。商品や原材料の仕入れ先が出荷に難色を示すことは明白であるし、現金引き換え取引になれば、資金繰りが出来なくなるのは、疑いようがないのです。
臨時閉店にして、様子を見るしかないが、政府が何の見通しも出さないのだから、先の見通しは立たない。経営者個人の預金も凍結されているのだから、個人の生活がどうなるのか、それもわからない。ともかく、わからないことだらけで、動きようがない。テレビは、一日中銀行の閉鎖を伝えているが、一日中テレビを見ていても、何も解決しないことになると思われます。
「落ち着いて行動して下さい」とアナウンサーは言い続けているが、そのアナウンサーが落ち着いているようには見えない。
時間の経過と共に、庶民の不安は増していく。1週間も過ぎると、街に殺気が出てくる。それでも、銀行のシャッターは開かないし、通勤時間になっても銀行員が出社してくる様子がない。「日本は潰れたらしい」という噂が聞こえるが、国が潰れるということがどういうことなのかもわからない。それでも、政府は「どうか、落ち着いて行動して下さい」としか言わない状態が続きます。
自分のお金だと思っていた預貯金が、自分のものではなくなったらしいという噂が、銀行の閉鎖により現実として体にしみ込んでくる。「そんな馬鹿な」と言っても、誰も答えてはくれない。インターネットでは、海外メディアのニュースとして、日本各地に暴動が起きていると伝え始めるでしょう。食料を扱う店舗が暴徒に襲われているというニュースです。営業している店舗の値札は全て書き換えられ、1週間で100倍の値段になる。いや、毎日、値段が上げられていく。陳列される商品の数が激減し、開店と同時に売り切れ、翌日は別の値札を付けて倉庫から出すが、それも数分で売り切れる。それも、在庫が切れれば、売る物がない状態になる。商業としての食品物流が完全に麻痺し、入荷の予定は立たない。次々に店舗のシャッターが降りたままになり、食料を求める人が手ぶらでうろつく街に変わる。
食料の確保が、何よりも優先することを多くの人が実感として受け止め、殺気だった人々が街中を走り回る。
一カ月を過ぎると、食料備蓄のなかった人達が飢え始め、諍いが街中で起きるが、テレビにはそれを伝える力は、もう残っていない。
二か月が過ぎると、餓死者が出始める。
三か月が過ぎると、街中に死臭が漂い始め、殺人も日常になる。
崩壊は日々進みます。
電力・ガスの供給が途絶え、マンションやビルではモーターが動かないので水道の供給も止まるでしょう。
交通機関が動かなくなり、ガソリンが無くなって、車も動かなくなります。
食べる物がないので、体力がなくなり、街には人影も無くなると思います。
火事が発生しても、消防車が来ることはなく、自然に鎮火するまで燃え続け、多くの人が放り出されることになるでしょう。
警察官だって、自分のことが優先しますから、治安維持機能は失われ、全土が無法地帯になり、路上に死体があっても風雨にさらされ、ただ朽ち果てるのを待つだけとなります。
誰一人、ニュースには関心を持たなくなるが、政府からは何の情報も出てこない。
「日本は潰れたらしい」という噂話を聞いた時は、意味がわからなかったが、餓死の直前になって、死ぬことなんだ、と漠然とわかる。
「潰れたんだ」と納得するしかないのが庶民の姿です。
毎日、値札を変えて販売していた店舗も、しばらくすると、貨幣を集めても意味がないことに気付きます。必要なのは食料であり、金を持っていても買うものがありません。誰も食料品を売らなくなります。自分の食料を確保することが、最優先事項だからです。
現実は、ともかく、訳がわからない、というのが庶民の正直な感想になるでしょう。何がどうなって、このようなことになったのか、まるでわからないまま、食料不足で餓死を迎える人が一番多いのだろうと思います。
国内的には、救援活動をする主体がありません。国際的には、救援活動のサポートをしてくれる日本人の数が足らないために、行き詰ります。救援しなければならない人が、災害時のような特定の地域の人達ではなく、全国規模であることも障害になります。更に、機動力の確保が難しくなります。空中給油機ではないですが、タンクローリーを同行させなければ、広範囲な場所に救援部隊を送り込めません。
救援物資の補給やガソリンの補給も、システムを作ることから始めなければなりません。
世界地図上では小さな国土ですが、実際に人間が行動するという点からは、決して狭くはありません。さて、何人の人達を救出できるのでしょうか。そもそも、国際援助隊に1億2千万人の人を救出する力はありません。
幸運に恵まれて、援助体制が出来たとしましょう。でも、そこには、必ずシロアリがたかります。国家的な危機だから利権に群がる人はいないのですか。とんでもありません。貴重な食料の多くは闇に消えていきます。
庶民を例に取った場合。
細かな展開は、もっとあるのでしょうが、大枠としてはこの想定に近い形で日本崩壊が進行するのではないかと思われます。
最初に書いた超短編の母子がどうなったのか。
それは、想像していただくしかありません。
そもそも、こんなことを書いていいのかどうか、とても悩みます。
しかし、私達には、レベル9を認識する方法しか残されていないのだと思います。
今、このことに国民が気付かなければ、地獄は来るのです。覚悟は必要です。
「ひどい」と言われても、書くしかありません。
余談です。
原発の再稼働で日本の迷走が続いていますが、どうしても、政治判断がしたいのであれば、需給の関係を前面に出し、安全性を犠牲にしても、7月と8月だけ臨時に原発の稼働をするという政治決断をすれば、国民に受け入れられると思います。政治判断の中に、需給以外の思惑が見え隠れするから、国民は変だと思うし、官僚や原子力村(ここには立地自治体の地方議員・公務員も含まれます)の利権を優先するから話がこじれるのです。国民生活や経済活動を優先すればいいだけのことです。それこそが、政治の仕事です。なし崩しで強行突破するには、問題が深刻すぎます。これを、欲ボケと言うのです。
こんなことをやっていても、内閣支持率が2桁もあるということは、私達国民にも大きな責任があるということです。私達国民は、何もしないだけではなく、利権集団の応援をしているようなものです。
ま、私達国民は、崩壊で、収入も失くし、貯金も失くし、結果的に責任を取るのですから、この程度のことは大目に見るべきなのかもしれません。
何と言っても、最終責任は、私達国民が取るのです。その覚悟さえあれば、どんなことでも許せます。
私達の覚悟のためにも、レベル9は書かねばなりません。
2012-04-28
マラソン競技 [評論]
今日は長距離走の話です。競技としては、マラソンと駅伝が代表的なものです。
市民マラソンに参加するとか、参加した、という明るい話ではありません。苦手な事ばかりですが、私は、走るのも苦手です。子供の頃からテープを切ったという記憶がありません。勿論、リレーの選手に選ばれそうになったこともありません。運動会と言えば、何と言ってもクラス対抗のリレー競技ですが、観客席にくぎ付けでした。
マラソンや駅伝のテレビ中継を見ていると、時々悲劇か起こります。特に駅伝の場合、選手が自分の区間を完走出来ない時は、チーム全体の記録がなくなってしまいます。自分の努力が無になるだけではなく、仲間の努力も無にしてしまうというプレッシャーが大きいと思います。選手は足がもつれ、フラフラになっても走ろうとします。監督やコーチは、選手に触れません。誰かが選手に触れた時点で違反になり、自動的に棄権となります。選手は倒れても、立ち上がろうとします。しかし、最後はドクターストップの意味もあって、監督が選手を抱きとめますが、選手はその監督の手を振り切ってでも走ろうとします。
本当に、悔しいと思います。
でも、これは青春です。走った選手も倒れた選手も、全力を出したのです。悔いることはありません。嬉しいことも、悔しいことも全部含めて青春だと割り切ってください。
スポーツの世界であれば青春の一言で、感動的な話になりますが、実生活の場合は、青春という言葉では済まないことが多いものです。
今日の話は、オリンピックのマラソン競技や箱根駅伝に関する話ではなく、仮想空間での国別経済マラソンの話です。つい最近、2位を走っていた日本が中国に抜かれて3位になりました。1位を走っているのはアメリカです。この20年間、フラフラしながら前進していなかった日本ですから、順位を落としても仕方がありません。このままだと、2030年代にマイナス成長が常態化し、2050年には、一人当たりGDPで韓国にも抜かれて、18位になるという予測も出ています。逆に、衰退国家のランキングでは、今でも先頭を走っていると思われます。
この国別経済マラソンは過酷な競争です。それは、ゴールのないマラソンだからです。エンドレスで走り続けなければなりません。この過酷なレースを走り続けるためには、体力だけではなく、気力も必要ですし、神経細胞の働きも必要です。持てるものを総動員して走らなければなりません。走るためには、腕の振りも重要だと聞いたことがあります。内臓器官が果たす役割も大きいでしょう。どこか一カ所でも不具合があれば、走り続けることは困難になります。それは、全体のバランスが整っていないと出来ない事なのでしょう。
では、なぜ、日本が前に進めていないのか。デフレという一言で片が付くことなのでしょうか。そもそも、デフレというのは現象を表す言葉です。原因ではありません。デフレ現象の原因には多くの要素があり、一発解決のような魔法はありません。
そこで、日本という走者がどんな状態なのか見てみたいと思います。
右足は前に出ようとしていますが、左足は後ろに戻ろうとしています。右手は上に伸びたままで、指だけが後ろに反っています。左手は真横にあり、動く気配もありません。体に力が入り過ぎているのか、全身から汗が流れています。視線は前方に向かっているのではなく左右に激しく振れています。呼吸も苦しそうです。眉間のしわも深く、首も前後に揺すっているようです。
とても、走れるような状態ではありません。立っているだけでも、大変な力が必要になっているように見えます。
これだけ各部がバラバラになっていては、前を向いて走るためのバランスを欠いている状態に見えます。
ゴールのない競争ですが、他の選手は仮のゴールを設定して走っているのに反し、日本は仮のゴールも設定していないようです。気温や風や湿度の変化も加味されていません。
走っている間に、いろいろな不具合が発生するのは、どの選手にも共通した悩みです。それを、どう修復していくかは、レースを大きく左右します。
日本の場合、手足だけではなく、ほとんどの部位が自分中心で修復をしてきましたので、全体のバランスが保てなかったのかもしれません。あらゆる部位が「自分さえよければ」という考えで走ってきた結果のように見えます。その大きな原因は、仮のものであってもゴールを設定しなかったことなのではないでしょうか。共通の目標がない状態で全体のバランスを保つことには無理があります。
これは、国家運営の失敗でしかありません。
立ち往生している日本が、このままで、再びレースに復帰できるのでしょうか。
既に、体の動きを制御する筈の脳細胞自体が正常に働いていません。
このままだと、倒れるのが、最も自然な成り行きだと思います。
私の目には、そんな日本の姿が見えるのです。
手足の筋肉に相当する企業活動や国民資産は自分で食べてしまいましたから、細くなり、もろくなっています。腹部に詰まっている官僚利権だけが太り、満足な動きはできません。丁度、飢餓図にあるような体型になってしまいました。これは、アスリートの体とは言えません。こんな体になってしまって、小手先の修復で何とかなると考えるのは少し思慮が足りないと思われます。
メタボを治療し、筋肉をつけなければなりません。それは、官僚利権を退治し、国民を豊かにすることで治療できます。先ず、走れる体を作り、目標を作ることです。何度も同じ間違いを犯すのは芸がないと思いませんか。
この競技には全世界の国が参加していますが、ランナーの体内で争い事が起こり、右手や右足を失くした選手もいますし、補給に失敗して血液の循環が悪くなり、その場に倒れ込んでいるランナーもいます。決して楽なレースではありません。しかし、このレースからスピンアウトはできないのです。スピンアウトするということは、国が消滅するということだからです。日本には、そのスピンアウトの危険すらあります。
石田に絵心があれば、漫画を描いてみるところですが、絵心は皆無です。ほんとに、何も出来ない人です。石田に出来るのは、妄想だけかもしれません。
さて、先ほど、日本というランナーの体型を描いてみました。立ち直って、再びレースに参加することが出来ると思われますか。
私は、無理だと思います。
日本崩壊は避けられないと思います。そのXデーがいつなのかは議論の余地はあるでしょうが、結論は変わらないと思います。
多くの事象について、時事評論という形で検証してきました。時事評論になって、もう、60本の記事を書きました。
これからも、検証は続けなければなりませんが、少し軸足を崩壊後の社会に、そして、崩壊後の庶民の生活に移して行かなければならないのではないかと思っています。
益々、暗い内容になると思います。
余談です。
書籍売上ランキングの総合部門で「地獄」という絵本が5位にランクインしたというニュースがあります。絵本なのに、総合で5位です。
千葉の延命寺に古くから伝わる「地獄極楽」という絵巻から写した絵が、絵本として売られているのです。子供のしつけのために購入するお母さんが多いそうですが、子供にとっては、かなり、ショッキングな絵で、絵本を読んでもらっている子供達の顔がどんどん暗くなっていくそうです。
でも、子供達に地獄図を見せて、教育する前に、大人にはやることがあるのではないかと思う気持ちの方が強いのは私だけでしょうか。だって、本物の地獄を体験するのは子供達だけではありません。地獄を自分の手で作り出している私達大人も、その真っ只中に放り込まれるのです。他人事ではありません。
このような絵本が売れるのは、暗示に思えてしまいます。
2012-04-25
本物の坂本竜馬 [評論]
今日は、書籍の紹介をします。
間違いました。書籍の広告の紹介をします。
幻冬舎が出版する「財務省のマインドコントロール」という書籍の広告で、著者は、みんなの党幹事長の江田憲司氏です。
最初に謝っておきます。
私はこの本を読んでいません。多分、買わないと思います。3刷と書いてありましたので、既に読まれた方もいると思います。私の解釈が間違っていたら、笑ってください。
でも、増税キャンペーンをやっている新聞の二面に広告を出したことについては拍手を贈りたいと思います。これを取り上げた最大の理由は、この一点だけかもしれません。
全国紙にあれだけの広告を出すには、かなりの資金が必要だったと思います。出版社が支払ったのか、著者が支払ったのか知りませんが、頑張りました。
広告をご覧になった方は多いと思いますが、見逃した方のために、その広告にあった目次をここに転記してみたいと思います。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
序章「財務省によるマインドコントロールから目を覚ませ」
・民主党政権のバラマキのツケが「5%の消費増税」
・なぜ「まず増税ありき」で進めようとするのか。
・財務省が増税をもくろみ、復興を遅らせた。
・どじょうの正体は「財務省支配政権」
第一章「増税しないと破綻キャンペーンの嘘をあばく」
第一節「財務省による10の増税マインドコントロールを解く
1. 国債は子どもや孫たちへのつけ回しではない
2. 国家の財政を家計にたとえるのは大間違い
3. 国の借金はGDPの2倍、それがどうした
4. ギリシャの教訓は「増税しても破綻」
5. デフレ下で増税しても、税収は上がらない。
6. 国外では「日本の財政は確固としている」と主張する、財務省の二枚舌
7. なぜ世界で例のない「伏魔殿」を廃止しないのか
8. 米国債の償還金15兆円をなぜ使わない
9. 消費税を社会保障の財源にする国なんてない
10. 増税の訴えは、責任ある政治家の証しではない
第二節「増税しなくても、10年間で80兆円を賄える」
・知れば知るほど寒々しくなる野田総理の正体
・国会議員の実態も悲しいほどひどい
・本気で実行するつもりのない、野田総理の口先答弁
・凍結した宿舎を復活させ財務省に媚を売る総理
・なぜ「埋蔵金」を有効活用しないのか
・民主党はバラマキを即刻ストップせよ
・国民を絞るのではなく、知恵を絞れ
第二章「財務省支配のカラクリ」
・野田総理は財務省にとって「パーなペット」
・財務省の「裏舞台工作員」による人格攻撃は尋常じゃない
・金融行政が大蔵省から分離されるなら、テロも辞さない
・なぜ政治家は財務省に頭が上がらないのか
・財務官僚は官邸にこんなに喰い込んでいる
・財務省は政府内を植民地化している
・財務省はIMFさえ操る
・このままでは「国破れて財務省あり」になる
・なぜ民主党政権は「政治主導」ができなかったのか
第三章「この国のかたちを変える」
・経済成長なくして財政再建なし
・デフレから脱却する方法は
・日銀はもっと市場にお金を回すべき
・4%名目成長はこうすれば実現できる
・TPPは日本にとって必ずプラスになる
・東電は法的に破綻処理すべき
・「原発ゼロ」でピンチをチャンスに
―――――――――――――――――――――――――――――――――
最初に褒め言葉を書きます。
既存政党の人間が、ここまで財務省を敵に回したことは立派です。勿論、野党にしか出来ない事ですが、それでも称賛に値します。もし、与党になっても同じ事が書けるようなら、もっといっぱい褒めてあげます。
闇の権力「財務省」と宣伝文句にありましたが、真の権力者が政治家ではなく官僚だという事実にぼんやりと気付いたことにも、花丸をあげましょう。
もう一つ、目次は立派です。
次に、残念ですが、みんなの党では、国の仕組みを変えられないことに言及しなくてはなりません。
それは、目次の中に、官僚利権がありません。あるのは、埋蔵金だけです。
江田氏は、官僚利権に手をつけないから、埋蔵金を使わせろと言っているに等しいのです。その結果が「10年で80兆円」という金額です。「10年で500兆円」の16%にすぎません。
このことは、財務省に見透かされていると思います。
誰も日本の借金がまともだとは考えていませんが、江田氏は借金を恐れる必要はないと言っています。きっと、「当面は」という言葉を省略したのでしょう。もし、そうであれば、政治的発言であって、野田総理と同じです。
当面という意味であれば、国債は何とか持ちこたえるだろうというのが一般的な評価です。でも、貿易収支は2020年には本格的に赤字転落するという観測が一般的です。8年後です。日本は国際的には債権国ですが、いつまでも続く訳ではありません。それに、財政再建には短期的に見ても10年単位の時間が必要ですし、長期的には100年必要です。
時間との競争です。とても、大丈夫だとは、言えません。
そんな中、経済成長で財政再建をすると書いています。この時点で、この主張は絵にかいた餅になってしまいました。江田氏は、それなりに経済通だと思っていましたが、政治家のずるさは身につけているようです。国債残高を心配しなくていいのなら、なぜ、財政再建が必要なのでしょうか。
財政問題に触りたくない気持ちはわかりますが、それが政治家として責任のある姿勢だとは、とても思えません。野田政権の「増税の訴えは、責任ある政治家の証しではない」と江田氏は書いています。野田政権とどこが違うのですか。同じ穴の貉になっていることに、気が付いていないのは、多分、政治の世界の常識に縛られているからだと思います。
「4%名目成長はこうすれば実現できる」が規制緩和であることを祈ります。ただし、その場合は官僚利権との壮絶な戦いになると思いますので、官僚利権が目次に出てきていないということは、規制緩和ではないのでしょう。
中身は読んでいませんが、規制緩和以外で「4%名目成長はこうすれば実現できる」というのであれば、今までなぜ出来なかったのですか。江田氏だけが魔法の杖を持っているのですか。それは、ないでしょう。日本の「失われた20年」を世界は認めています。日本病とも言われます。先進国は、この「失われた20年」の解決法を見つけていません。江田氏がその答えを知っていると言われても、そうですか、とは言えません。もし、そうであれば世界のビックニュースになっていて、世界も日本も大騒ぎをしているはずです。
もし、画期的な戦略があるのであれば、その戦略こそがこの書籍の表題になる筈です。財務省を敵に回すより、はるかにスケールの大きな話題です。それは、世界を救う大発明になれるからです。仕事上、経済ニュースには目を通しています。しかし、そのようなニュースは見ていません。
日銀のインフレターゲットが頼りであれば、野田政権と同じです。でも、どうやって日銀を動かすのですか。しかも、実体の伴わない経済成長は副作用が出るだけです。中央銀行の金融政策で経済を一時的に発展させることができるのは、為替相場に関与できるFRBだけです。そのアメリカでもファンダメンタルズが改善されなければ、成功はしません。
江田氏は、目次を見る限りでは、この国の危機の根源となっている官僚利権と国債残高に目を瞑って、何かをしたいと言っているのです。経済成長の手段として残されている方法は、日本の場合、規制緩和しかないと言われています。そのためには、官僚と全面対決をして、官僚利権を破壊するしか道はないのです。
逃げ腰では、とても、財務官僚には勝てないと思います。
江田氏は、まだ官僚の本当の怖さを知らないか、党利党略が優先したのかのどちらかでしょう。こんな中途半端なことで、官僚を制御することなど夢に過ぎません。相手は、本物の権力者なのです。そこがわかっているとは思えないのです。
例え、みんなの党が政権を取ったとしても、多分、みんなの党も、民主党と同じ結末を迎えることになる可能性が高いと言わざるをえません。
5年前の官僚と今の官僚は違います。末期症状でもあるのですが、隠していた牙を、隠さなくなりました。官僚を甘く見てはいけません。
江田氏は、財務官僚にエアガンを向けて降参しろと言っているのです。ピストルでも小銃でもバズーカ砲でも倒せない相手にエアガンを向けても、役には立ちません。
100トンクラスの爆弾を何発もぶち込んだら、少しは揺らぐという希望は持てますが、エアガンでは、ね。官僚は痛くも痒くもないでしょう。
以前に書きましたが、分限と第二公務員制度(これは核兵器に匹敵します)を作るぐらいの覚悟がなければ、何もできません。官僚をズダズタに切り裂いて、仕組みを変えなければ、日本を窮地から救うことなどできないのです。大丈夫です。それでも、官僚はついてきます。彼等は、打たれ強いし、新たな利権構築を翌日からでも始める根性を持っています。
どう見ても、官僚の方が、役者が一枚も二枚も上に見えます。
少しは、みんなの党に期待していた石田としては、残念でなりません。
このことは、政治家では、国の仕組みを変えることができない、ということなのかもしれません。
政治的判断よりも志が優先する、志だけしかないド素人でなければ、この窮地は救えないように感じました。
多分、本物の坂本竜馬が必要なのでしょう。
でも、そのことが「無い物ねだり」だということを私達は知っています。
政治家は、腹に一物を持っているので、投票権を持つ市民にとって不利なことは隠してしまいます。評論家は、評論を書く場所があって生計を立てていますので、金のためならどんなことでも書く習性を持っています。新聞やテレビは、自分の利権を守ることが第一義になっています。庶民の立場で何かを言ったり、何かを書くことはありません。前回の「記事紹介06」で取り上げた藤巻氏は、仕事の内容は知りませんが、実務家のようですから、書くことで生計を立てているのではないので、危ないことでも書けたのだと思います。
これらのことは、庶民の目に触れることが多い発信力の大きな場所にいる人達は、本当のことが書けないということです。庶民は自分で判断をし、自分で行動することが必要だということなのだと思います。
誰かが、自分の生存権を守ってくれると思うことは、幻想にすぎないのです。
たとえば、あなたがお隣の鈴木さんの生存権を守りますか。
三丁目の山田さんのために、残り少ない食料を差し出しますか。
ありえませんよね。
だったら、鈴木さんも山田さんも、あなたのことを守ることはありません。
それが、現実なのです。
そんな中、政治家や評論家、新聞社やテレビ局が、ましてや官僚が、あなたを救ってくれることは、ありえないと思ってください。
八方塞なのですから、そろそろ、現実を見る時だと思います。
余談ですが。
坂本竜馬が、なぜ、歴史に名前を残したのでしょうか。
個人的な見解ですが、あの船中八策がなければ、竜馬は幕末の志士の一人として歴史に埋もれていたのではないかと思います。西郷も桂も、徳川に代わって薩摩や長州が日本を統治することを考えていたと思います。船中八策を見た西郷も桂も、心の中で「なんじゃ、これは」と思ったのではないでしょうか。なぜなら、竜馬の船中八策は過去の延長線上になかったからです。外国の知識を取り入れたとはいえ、封建制度を否定する改革をすべきだと考えた竜馬が、西郷や桂より一歩前を歩いていたのです。そして、明治の近代日本がそれを実現しました。
今も、同じ事が言えます。過去の延長線上から抜け出そうとしている志士はいませんし、船中八策になるようなものも出現していません。西郷や桂では、時代を変えることは出来ないのだと思います。本物の坂本竜馬の出現が待たれます。
大阪維新の会の維新八策を見て、私が落胆したのは、過去の延長線から抜け出してはいなかったからです。橋下さんには、維新はできないと感じました。
修正や手直しでは、この国は立ち直れません。
もし、立ち直るつもりがあるのなら、必要なのは維新です。
心配なのは、日本国民に、その気があるようには思えないところです。
国民は、誰一人、その覚悟を持っていない。だったら、壊れる以外に選択肢はありません。自分に被害が及ばずに、誰かが、何とか、うまく、やってくれる。それが一番です。
それは、民族性でもありますので、どうにもなりません。ただし、そのコインの裏側には、元も子もなくす宿命があることを知る必要があります。ところが、「こんなはずじゃなかった」と泣き言を言うのも、日本人です。ずるいですよね。
2012-04-22
記事紹介 06 [評論]
ロイターの4/18の記事を紹介します。
ロイターのサイトに行っていただいた方がいいのですが、以前に記事を探すのに苦労したことがありますので、無断転記をします。ロイターには内緒に願います。
文中、太字と下線は石田が加工しました。
ロイターの記事
日本の財政問題を解決するには、もはや「インフレ税」という大増税しかないとフジマキ・ジャパン代表取締役の藤巻健史氏(元モルガン銀行東京支店長)は語る。
ロイターの「日本再生への提言」特集に寄せられた同氏の提言は以下の通り。
<消費増税は時すでに遅し>
政治家の責務は、たとえ不可能だとわかっていても、問題解決に向けて最後の最後まで努力すること。その意味で、消費増税の実現に政治生命を賭けて臨むと宣言した野田佳彦首相の姿勢を、私は素直に評価したい。
しかし、その努力が報われるかは別の話だ。残念ながら、政府が掲げる5─10%程度の消費増税で、日本の財政問題は解決しない。
確かに、国の借金が今の3分の1程度だった14─15年前ならば、なんとかできたかもしれない。財政構造改革を掲げた橋本政権の頃には、歳出入改革による財政再建路線にはまだ説得力があった。しかし、時すでに遅し。小泉政権の一時期を除き、放漫財政に身を任せた日本の借金の累積残高は1000兆円超に膨れ上がり、単年度の財政赤字は44兆円に達している。
消費増税1%分の税収はざっと2兆円程度。単年度の赤字を消費税だけで穴埋めしようとしたら、ラフに計算しても、22%以上の税率にする必要がある。試算の詳細は省くが、1000兆円もの大借金を100年で返そうとすれば、さらに10%前後の引き上げが必要となるだろう。30%以上の消費税率など、10%で大騒ぎしている日本国民が今すぐ受け入れるとは到底思えない。
では、どうなるのか。非常に厳しい現実だが、私は、日本に残された道はもはやインフレというかたちの実質大増税しかないと考えている。
経済学では、財政赤字を解消するインフレを「インフレ税」と呼ぶ。インフレで貨幣価値は下がり国家債務は実質目減りするが、同時に汗水垂らして稼いだ国民の財産も失われる。実際には課税されないものの、言い方は悪いが、お上に召し上げられる(行儀よく言えば、国民から国家への富の移転)という意味では、税と同じだ。
誤解してほしくないが、私は何も経済弱者を直撃するハイパーインフレを政策として掲げろと言っているわけではない。結果としてそこに追い込まれると申し上げている。
例えば、日本銀行の国債引き受けが政策として掲げるべきでない文字通りの「禁じ手」であることに、私も全く異論はない。しかし、福島原発事故で、高濃度の放射性物質を含む汚染水の流出を防ぐために低濃度汚染水を放出せざるをえなかったように、その禁じ手を使わざるをえない状況に陥るのではないかと心配している。
これほどの借金は、もはや200年をかけても返せない。いまだ歳出カットで財政を再建できるかのように言い続けることは、はっきり言って、無責任極まりない。
国の一般歳出の4割は社会保障関係費であり、世界に類を見ないペースで高齢化が進んでいるこの国で、本当にその聖域に大きくメスを入れられるというのか(本当にできるならば、私もハードランディングのシナリオを取り下げよう)。また、経済成長でなんとかなるような議論も聞かれるが、景気が回復すれば金利が上がり、金利負担増で税収増など吹き飛んでしまう。景気がどちらに転ぼうが、財政は火の車。ハードランディングはもはや不可避なのだ。
<郵貯問題と財政赤字問題の深いつながり>
その厳しい認識の上で私の提言を申し上げれば、日本は、経済破綻という第二の敗戦を経て「真の資本主義」に目覚めるしかないと考えている。
海外の企業で要職を務めた経験から言わせてもらえば、日本という国は、外から見れば見るほど、海外の人たちと話せば話すほど、中国をしのぐ最大の社会主義国家だ。歴史が証明しているように、社会主義国家は儲からない。この体質を修正することが一番の課題だ。
日本が社会主義国家だという理由はいくつもあるが、代表的な例を挙げれば、ゆうちょ銀行だ。最大の銀行が「国営」とは、社会主義そのものだ。
郵貯問題は財政赤字問題とも直結している。普通の資本主義国家ならば、バラマキ政策を続ければ、長期金利が上がり、政治家に警告する。ところが日本では、国民のお金を集めた国営銀行が日本国債をどんどん買うので(投資の80%が日本国債)、まったく警戒警報が鳴らない。政治家はいくらバラまいても痛みを感じないから、放漫財政にどんどん拍車がかかってしまう。しかし、社会主義国家がやがてグシャッとつぶれる運命にあることは歴史が示していることだ。
過去10年あまりを振り返って、社会主義国家から真の資本主義国家への変革を目指した政権は、郵政改革を進めた小泉政権ぐらいだろう。その郵政改革も、先日の郵政民営化改正法案の衆院通過で事実上白紙に戻された。もはや、政治が自発的に資本主義国家への脱皮を図れるとはとても思えない有様だ。
<国債未達が起こる可能性>
率直に言って、国債未達が起こる可能性は日増しに高まっていると思う。 国債未達ともなれば、それは財政破綻と同義だから、円は暴落するだろう。そして取り付け騒ぎが起きようものならば、日銀による国債引き受けが行われるだろう。そうなれば、ハイパーインフレが結果として引き起こされることになる(政策として掲げずとも)。
だが、絶望する必要はない。韓国の例を見てほしい。1997年に事実上の経済破綻を経てIMFの緊急支援を受けた際に「あの国は終わった」とも言われたが、その後の復活には目を見張るものがある。理由は、ひとえにウォン安による国際競争力の向上だ。
同じことは、日本でも可能である。痛みを伴う非常に辛いプロセスとなろうが、やがて円安による国際競争力の回復で日本経済も息を吹き返すはずだ。
そもそも今の日本の問題点は、通信簿にたとえれば、経済の実力は「1」にすぎないのに、通貨では「5」の最高点がついていることだ。円高とはそもそも円で売るモノ・サービス・労働力の値上げであり、円安とはその逆の値下げだ。不景気で値上げを継続して、儲かるはずがない。
日本企業が米国企業の十分の1も百分の1も儲からない最大の理由はずばり円高なのである。諸悪の根源である円高さえ修正されれば、多くの企業の収益は改善される。日本の法人税収はざっと7.8兆円。企業業績が10倍になれば、ラフに考えても、78兆円に跳ね上がる。それだけで単年度の財政赤字は穴埋めできる。製造業が日本に戻ってくれば、地方経済や若年層の雇用の問題も今よりずっと解決しやすくなる。
むろん、政府は極端な円安政策を積極的に取ることはできない。そんなことをすれば、資本の海外流出を加速させ、国債未達を自らの手で招くことになるからだ。だから、結果としてのクラッシュとなる。クラッシュを政策というわけにはいかない。
最後に補足すれば、われわれ日本人一人ひとりにできることは、日本経済のハードランディングを覚悟し、国際分散投資などを通じ、来るべき嵐に備えることである。自分の身は自分で守る。くれぐれも運を天に任せてはいけない。
(4月18日 ロイター)
この藤巻レポートは、一歩前進した内容だと評価しますが、マクロで見ているために国民生活が具体的にどうなるのかについては書かれていません。勿論、レベル9は想定されていないように思います。
藤巻氏は、国民資産が国に没収されることになるハイパーインフレを指摘しています。例えば、預金を失い、物価が1000倍になった時、国民にどんな生活が可能なのでしょうか。この点については、まだ誰も指摘していませんが、私達庶民には、ここが一番大事な部分です。Xデーが書かれていませんので、緊急度はわかりません。
どちらにしても、国民が貧乏籤を引くことに変わりがありませんので、何か対応策を取られる場合は、どうか皆さんご自身の判断でお願いします。少なくとも、投資という手段では国内であろうと国際投資であろうと、国内の金融機関が機能していなければ、同じ結果になるものと思います。
2012-04-19
ごめんなさい [評論]
最初に、石田の時事評論を初めて読まれる方にお伝えしたいことがあります。以前から読んでおられる方には、何度かご説明しましたので、この部分は飛ばしてください。
初めて石田のブログを読んだ方は、「こいつ、何、言ってるんだ」と感じることでしょう。
その感想は、間違いではありません。それは、石田の時事評論が、石田の独断と偏見による「戯言」だからです。そこには、学問的背景も事実の裏付けもありません。普通の庶民ですから、学者でも記者でもありませんので、ただの妄想を書いているだけです。評論だと思わずに、小説と同じフィクションだと思っていただいた方がいいのかもしれません。
書いているのは、ほとんどが未来に係わる事です。未来なんて、誰にもわかりません。ですから、石田の評論も、八卦に近いものです。
もう一つ、明るい未来や希望に満ちた未来は書いていません。暗く悲惨な未来だけを書いています。暗い話が苦手な方は、お読みにならない方がよろしいかと思います。
石田の予測(以前は預言と言っていました)は、実現しない方が望ましいことばかりです。悉く妄想で終わることを、石田も心の奥では願っています。
また、石田の予測が実現するには少し時間がかかります。1年の場合も2年の場合もありますし、10年20年の場合もあります。ただ、なぜか、不思議に、実現の確率は非常に高いので、心の準備をお勧めします。それは、石田の予測が悪い事ばかりですから、予測が外れた場合は、ハッピーになれるという理由からです。
石田の評論の行き着く先は、日本崩壊です。昨年までは、預言者として日本崩壊を預言する内容で書いていました。時事評論に替わりましたが、預言が予測になっただけで、私達の未来は変わっていません。ただ、3.11以降、地震等の自然現象に関する預言はしないと決めています。あくまでも、人災に限定しています。
日本崩壊と言っても漠然としていますので、その具体的な内容をお知りになりたい方は、昨年の6/25付の「まさか」という日記をお読み下さい。
時々、数字や計算が出てきますが、素人のやることですから、難しい内容は全くありません。そもそも、石田の視点は人間の「欲」を見るものです。感覚的なものから出発していますので、数字や計算は補助材料にすぎません。
石田の評論は全くのオリジナルです。パクリはありません。他の方の意見を書く場合は、そのことを断ります。時々、記事紹介を書きますが、石田の意見を補強してくれるであろうと思う記事を紹介しています。ですから、あくまでも手前味噌であります。
石田の評論はマイナーな意見ばかりです。初めて読まれた方には「笑ってしまうほど」の取るに足らない意見だと思います。ぜひ、笑ってやってください。それくらいしか、笑いを取れる場所は、このブログにはないのです。出来るだけ、さらりと書くようにしていますが、よく読んでみると、暗い、暗い、真っ暗なお話ばかりです。密かに、この暗さが、このブログの売りです。
いろいろと、最初に謝っておきます。ごめんなさい。
先日、「ブラックボード」というテレビドラマを観ました。
終戦前後の中学校の教師、校内暴力が盛んだった時の教師、学級崩壊という言葉が一般的に知られるようになった時の教師。3話構成のドラマで、同じ大田区立都中学校という設定で作られていました。歴史的な事実を前提にしたフィクションですが、これを、ドラマとしてではなく、歴史として見てみると、主人公は教師ではなく子供達だと思います。
前回の「恋は盲目」では、「大人でさえ、閉塞感や不安感、そして焦燥感を感じている。子供達はもっと敏感に感じています」と書きました。
子供達の叫びを、私達は理解していたのでしょうか。
子供達の叫びは、自分の未来に絶望した叫びだったのではないでしょうか。
これらは、子供達が、危険を察知し、警告を出していた歴史だとすれば、子供は、社会にとってのリトマス試験紙なのではないかと思うのです。
理屈ではありません。子供達の叫びは、動物としての本能です。子供達の本能は、まだピュアなのです。子供達は、毎日、毎日、薄皮のベールを本能の上に被せながら育っていきます。そのベールは、知識であったり、常識という名の非常識だったりしますが、できるだけ鈍感になれるように防御を固めていくのです。本能を奥深くに埋め込むことで、上手に世渡りをすることが正しいことだと信じているのが私達大人です。それは、それで否定するものではありません。人間社会は複数の人間が生きていかなくてはならないのですから必要なことだと思います。しかし、長い時間軸で人間社会を捉える時は、本能を無視していては人間社会が成り立たないのではないかと思えるのです。
子供達は、意識せず、自分達の未来が危険な未来なのだと訴えていたのです。
子供達の危惧は現実になり、ニートが生まれ、希望を持てない子供達が幻想を見てフリーターになり、企業の利益追求のために犠牲となった非正規社員が増加しました。彼等には、この先、希望はありません。益々、苦しくなるだけです。
子供達は、無意識ではありますが、今日の社会を予知していたのであり、明日の社会にも希望が無いことを知っていたのです。
このドラマは、ハッピーエンドで終わらせようと努力していますが、実際にハッピーな結末を迎えることは、ごく稀なことです。
フィクションは、どこかでハッピーエンドを「お約束」にしている部分があります。現実がハッピーではないのだから、せめて、作り物くらいはハッピーにしようとするのでしょう。書き手は、無理を承知で、何とかハッピーにしたいのです。私の小説は、作り物なのにハッピーエンドがありません。そのことを非難されることがあります。「お約束」を破っているのですから仕方がありません。勿論、私でも、ハッピーに締めくくりたいといつも願っているのですが、うまくいっていません。そこは謝らなくてはいけません。
しかし、現実は、フィクションとは違います。
悲しいことや苦しいことはいろいろあったけど、まあまあ、ハッピーな人生だったと思って死ねる人を、一人でも多くすることが人間社会の「お約束」であって欲しいと思います。
失意のまま、砂を噛むような終わり方は、少ない方がいいのです。
ニートやフリーターや非正規社員が死を迎えるまでには、まだ時間がありますが、彼等が自分の人生はハッピーだったと思えるでしょうか。私には、彼等がそう思ってくれるとは思えないのです。ニートやフリーターや非正規社員は、まだ増加傾向にあります。ハッピーではない終焉を迎える人達は増え続けていると考えなくてはなりません。では、どうすればいいのか。現段階では、普通の手段では、打つ手がありません。社会に修正を加えるとすれば、数十年前から、たえず修正をしていなくてはならなかったのだと思います。
そのためには、社会現象を、特に子供の状態を注意深く見守る必要があったのです。子供の生態は将来を暗示していると思うからです。子供達がおかしいのは、私達の社会がおかしくなっているのではないか、と疑ってみる時なのです。
学校が荒れた時も、振り返るチャンスでした。
ニートがニュースになった時も、チャンスでした。
学級崩壊も、そうです。
フリーターが、格好いいもののように言われた時も、そうです。
非正規労働が社会問題になった時も、私達は、もっと、自分達の社会を精査する時でした。
このような視点が、今の日本社会にあるのでしょうか。
私達は、多くの貴重なシグナルを見過ごしてきたのではないでしょうか。
損か得か、も大事ですが、そこに時間軸は加味されているのでしょうか。
私達は、目先の1円2円に振り回されているのではないでしょうか。
そのために、時間軸という観点を失っていたのではないでしょうか。
その最大の原因は、国の目標がなかったからではないでしょうか。
「自分さえよければ」が許される環境を私達が作ってしまったのではないでしょうか。
この「自分さえよければ」を端的に表しているのが、政治家と官僚です。
日本は法治国家ですから、法律さえあれば不可能なことは何もありません。政治家や官僚が有利になったのは、自分に都合のいい法律や制度を作れる場所にいたからです。
ここまで書くと、この先は哲学と思想の問題になってしまいます。
私が、哲学と思想を提示できればいいのですが、私の力では、とても無理です。
問題点を提起し、いろいろな視点を提案しても、哲学と思想という結論がないのであれば、それは何もない事と同じです。つまり、石田の主張は無力だということです。大変残念ですが、これが石田の限界です。石田にあるのは、何もしないよりは、という勝手な妄想の上に立っている駄論にすぎません。寂しい限りです。このブログを読んでくれる方には、大変申し訳なく思っています。ごめんなさい。
それでも、ほんの小さな抵抗に過ぎなくても、声を出さなければならないと自分に言い聞かせています。それしか、出来ませんので。
以前にも書きましたが、若者達が「社会が悪い」と言うと、大人達は、悟った様な顔で「頑張れ」と言います。「社会や他人のせいにせずに、頑張れ。頑張っている子は一杯いる」と言うのです。これは、大人の決まり文句です。大人だって、悟っている訳でも、社会が悪いことを知らない訳でもありません。確かに、善意の言葉だとは思いますが、自分には何も出来ないと思っているので、逃げるしかないのです。子供は頑張れと言われても困ります。子供だって、その子なりに頑張っているからです。
では、子供達が「社会は悪くないのですか」と問えば、大人達は返事ができない筈です。
「ともかく、君は頑張れ」と言うだけです。
どう考えても「社会が悪い」のですから、答えようがないということなのです。
私達は、そのことを棚に上げて、何もせずに今日までやってきたのです。そして、社会は益々生きづらくなっています。
放置すれば、社会はさらに悪くなるだけです。もう、今となっては外科手術的な手段しか残されていないのでしょうが、喰いとめる必要はあります。成功の確率は高くありませんが、遅れれば遅れるほど、確率は低くなります。哲学と思想がない状態ですから対処療法にしかなりませんが、国民が全員裸になって出直す事です。確かに痛みは伴いますが、その痛みは受け入れるしかありません。
ただし、残念ながら、これは机上の空論にすぎません。
痛みを受け入れる国民はいません。
本音の答えは「諦めろ」ということです。
出直すことが出来るのであれば、日本はもっと前に軌道修正していたはずです。日本には軌道修正マニュアルがありませんし、その能力も意思もありません。大人達は何もしなかったのです。従って、行き着くところまで行くしか方法はないのです。
この国が地獄になった時に、大人達は慌てると思います。それに反して、子供達は、それほど驚かないと思われます。「やっぱりなあ」とか「別に」と言うかもしれません。
なぜなら、未来や希望のない子供達にとっては、今の状態も地獄の状態も、それほど変わりがないのです。大人達が地獄に来てくれて、よかったと思うかもしれません。
その時は、大人達に言ってやってください。「頑張れ」と。
この国が地獄になるには、もう少し時間がかかりますが、必ずその時は来ます。
今、地獄で耐えている皆さんへ。
今しばらく、お待ちください。
大人達が、「もう、頑張れない」と言ったら、「諦めろ」と優しく言ってやってください。それが、人間の寛容というものです。
見て見ぬふりをすることが大人の対応だとしてきた私達。
変形している社会から目を逸らしてきた私達。
何も言わないのが太っ腹だと信じてきた私達。
何もしないのが当然だと思ってきた私達。
地獄に堕ちても、私達大人には、何も言う権利はありません。
私達に出来ることは、諦めて餓死する日を待つことです。
それは、私達が、大人が、勘違いをして、撒いた種なのです。
私達がやってきたのは、大人の対応ではなく、単なる助平根性です。
大人の対応ということについて、今、その具体例が目の前にあります。
前回「記事紹介05」で地元自治体のことを書きました。原発の再稼働問題で、政府のやり方が拙速だとか、不透明だという批判はありますが、地元自治体の姿勢に対しては誰も批判しません。どう考えても、自治体は、明らかに金欲しさで再稼働を容認しようとしているのです。地方議会の人達の報酬も自治体の人件費も各種の費用も、原発補助金から出ているのです。それを失いたくないというのが本音です。そんなことは、誰でも知っています。しかし、その事には触れません。これを、大人の対応だとして、見て見ぬふりをします。こうやって、大人は自分で自分の首を絞めてきたのです。首を絞めているのですから、
社会が息苦しいのは当たり前です。
「自分さえよければ」をやっていれば、そのツケは必ず自分に帰ってきます。そして、助平根性で、見て見ぬふりをしていれば、巻き込まれるのも必然です。
勿論、地元自治体にも言い分があるのはわかります。だからと言って、「自分さえよければ」が正しいことにはなりません。万が一の時に、取り返しがつかないのです。「なあなあ」でやっていい事と、そうではないことの区別はつけなくてはなりません。
そもそも、疲弊してしまった地方の再生を放置している国家運営にこそ問題があるのです。糺すべきなのは、国家運営の失敗です。それを放置しているのも私達大人です。
余談です。
以前にも書きましたが、橋下大阪市長にSPをつけることを提案します。今は「自分さえよければ」の時代ですから、何があっても不思議ではありません。それは、中央政界の苛立ちが、かなり大きくなっているからです。今、橋下氏がいなくなれば、既存政党にとって絵が描きやすくなるのは確かです。それは、民主党にとっても自民党にとっても、いや、それよりも政治家の上に君臨する官僚にとっての利益になります。私が財務省の黒幕か、某新聞社の会長だったら、手配するでしょうし、右系の政治結社の人間なら、10億の値札をつけて営業に行くと思います。刺す相手が一人ですから、相手が死んだとしても、10年もすれば出所できます。民主国家だとか、法治国家だとか、治安神話などは、もう幻想だと思わねばなりません。この国は、総理大臣を筆頭に、誰もが自分の利益を最優先にする利権主導国家になっているのです。利益のためなら「何でもあり」の国なのです。
1/23に「駄目党とダメ党」という評論を書きましたが、今の民主党の議員を見ていると、昨今の政治の「お粗末」は政党の問題ではなく政治家の問題のようです。今回の政権交代は、自民党も民主党も同じ体質の政治家しかいないのですから、政権交代そのものが何の役にも立たないことを証明しました。維新八策で日本の政治は変えられませんが、橋下氏は変革の「さきがけ」になることはできます。そういう意味では、橋下氏を大事にしなくてはなりません。今、彼を失うことは、この国にとって大きな損失になると思います。
2012-04-18
記事紹介 05 [評論]
記事紹介です。
4/12付、ダイヤモンド・オン・ライン
表題、「ドイツの放送局が問うフクシマの嘘とは」
筆者、山田厚史氏
大飯原発の再稼働問題は、以前に何度か取り上げました。これは、世界が注目している事案であり、日本は、また国益を損なう政治判断という愚行を繰り返そうとしています。
原発に関する意見は、多くのメディアで多くの方が語っていますので、その本質がどこにあるのかについては承知している国民が多いと思います。山田氏のレポートも、それをはっきりと指摘しています。
原発事故は、まだ終わっていません。
野田政権が、先送りをしているので、収束の時期は不明です。
さて、政府や東電に関する意見は多くみられますが、地元自治体の責任については、余り問題にされていません。今日は、地元自治体について、少しだけ書かせてもらいます。
原発の立地自治体には、原発建設の前から多くの金が流れ込み、原発が稼働してからも自治体には多くの金が流れ込んでいます。その自治体は、原発がらみの金がなくては立ち行かないという深刻な悩みがあります。でも、この悩みは、余りにも「自分さえよければ」に属する悩みではないでしょうか。それは、事故が起きた時、事故がその自治体で自己完結するような事故ではないからです。立地自治体は、政府に何かを求めるのも必要ですが、自分自身の展望も再構築するべきだと思います。この先、例えば100年間、原子力発電所の金に頼って生きていくのか、別の生き方をするのかという展望が必要です。その時に必要になるのは、自分の村や町や市という金を貰っている自治体だけではなく、被害が及ぶであろう地域の住民のことも考慮しなければなりません。他の自治体の住民は、金は貰えないが放射能だけは降って来る状態にあります。事故が起きて、放射能で汚染されたとしても、立地自治体の住民は、自分達の安全を金で売ってしまったのですから、文句は言えません。
昨年、福島原発事故の時に書きましたが、福島の人達は自業自得だと酷いことを書きました。補助金と雇用が欲しくて原発を誘致したのは、自治体だからです。「被災者に何て事を言うのだ」と思われるかもしれませんが、金を受け取っていたのは事実です。金に目が眩んだわけではないと言えるのですか。いいえ、ずばり、金が目的だったのです。福島の場合は、騙されたという言い訳が出来ますが、それは、言い訳です。補助金がなくても、東京都民のために、自分達が使わない電力のために発電所を作る許可を出したのですか。
勿論、すぐに補助金を止められたら困るでしょうから、期限を限定して、周辺自治体の理解を求めるくらいの努力は必要だと思います。政府や電力会社が責められるのは当然ですが、立地自治体も単純な被害者ではありません。厳しい言い方をすれば、共犯者です。
九州電力を見ていると、佐賀県知事や役所に金が流れていたようです。そうやって見てみると、個人の利益のために再稼働を受け入れる可能性もあります。
事故が起きてからでは遅いという現実を、私達は見たばかりです。
事故は、地震や津波だけでしょうか。北朝鮮のノドンの標的にはなっていないのでしょうか。アルカイダの標的にはならないという確証はあるのでしょうか。何らかの事故により発電所が制御不能になることはないのでしょうか。どれも、確率は低いものですが、ゼロではありません。1000年に一度の地震が起きたように、私達の希望通りになるとは限らないのです。福島の現実を見ている私達は、粛々と原発から撤退する青写真を描かねばならないのではないでしょうか。私達は、原子力を制御できるという自信を持っていたようですが、そうではないことが実証された以上、考えを変える必要はあると思います。人間の叡智は素晴らしいものですが、自然には勝てません。原子の核分裂も自然現象の一つです。自然現象は、人間よりもはるかに大きな存在であることを忘れてはいけません。
今の状態で、地元自治体が再稼働を受け入れるということは、「自分さえよければ」をやるのですから、何かあった時に賠償などを求める資格はありません。逆に、再稼働を受け入れた地元自治体は、周辺自治体の人に賠償金を払う覚悟が必要だと思います。
原発神話が生きていた時なら、知らなかったと言えるでしょうが、もう、神話は無くなったのです。知らなかったとは言えません。
今度は確信犯になるのです。
できれば、原発関連の補助金等は、全額、周辺自治体への賠償金として積み立てるべきです。その積立金で被害者全員に賠償は無理でしょうが、誠意は表わせます。それでも、お金が1円も使えなくても、再稼働に同意するのであれば、それはそれで一つの見識だと思います。少なくとも、民間の雇用は確保できます。
2012-04-13
恋は盲目 [評論]
最初は、久しぶりにギリシャの話題です。
デモで有名なアテネのシンタグマ広場で、77歳の老人が拳銃自殺をしたそうです。
遺書には「ゴミ箱から残飯をあさったり、借金で子供の重荷になったりする前に威厳ある最期を迎えるためには、こうするしかない」と書かれていたそうです。このニュースはギリシャに重い空気をもたらしたようです。ギリシャの失業率は20%を超えました。まだ働いている人も収入は減っています。税金は高くなる一方で、政府の支出が減少し続けています。ギリシャに日本の生活保護に似たシステムがあるのかどうか知りませんが、政府の支出が減少しているのですから、充分なセーフティーネットにはならないような気がします。ギリシャ人は、南欧特有な、生活を楽しむ明るい人達が多いと聞いたことがあります。そんな国で、浮浪者が増えているというニュースは随分前に書きました。日本に伝わってくるニュースが少ないですから、ギリシャの市民生活がどんな状況なのかわかりません。
このニュースは、ギリシャ国民が以前よりも、更に追い込まれているのではないかと心配になります。
表面的には、ギリシャの国債はデフォルトしていませんし、国家崩壊には至っていません。それでも、市民生活は大きく変化しているのだと思います。
いつも書きますが、国家運営失敗の責任は、最終的に国民が取るのです。国の主権者は国民なのですから、当然のことです。これは万国共通で、例外はありません。このことは、為政者が「自分さえよければ」をしないように、国には国民が為政者をチェックする機能が必要だということなのです。選挙が、そのチェック機能だとしていたのですが、事実上、機能していません。それは、時間の流れが速くなったことによるものだと思います。多くの機能が時代に合わなくなってきているのが、現在の姿なのです。だからこそ、国の仕組みを変えなければならないのです。これは、世界的にも、時代の要請であります。久しぶりに書きますが、哲学と思想なしに変革などできません。世界が求めているのも、新しい哲学であり、資本主義に替わる思想なのです。
さて、国内では、消費税増税法案が閣議決定されました。党内議論は民主党が得意とする茶番劇を経て、成長率の3%は努力目標という内容で打ち切られました。努力目標と書く意味はないように思いますが、所謂、これが茶番なのでしょう。財務大臣も、首相も、早速「デフレであっても増税は出来る」と発言しています。「わかりやすい」と言うのか「芸がない」と言うのかわかりませんが、お粗末な政権運営が続いています。
野田首相は、あるテレビ番組で「先送りする政治との決別が一番大事」だと真面目な表情で語ったそうです。普通であれば、とても立派な総理大臣に見える筈です。いや、騙された国民もいたと思います。
でも、ちょっと、待ってください。
総理。
被災地の復興を先送りしているのは、あなたです。
福島原発の収束を先送りしているのも、あなたです。
経済成長の政策(規制緩和)を先送りしているのは、あなたです。
デフレ脱却を先送りしているのも、あなたです。
行政改革を先送りしているのは、あなたです。
政治改革(政治費用の削減)を先送りしているのも、あなたです。
歳出削減を先送りしているのは、あなたです。
これだけ多くの先送りをしているあなたが、これらの懸案事項よりも優先度の低い消費税増税を先送りしないのは、何故なのですか。
ここに挙げた先送りをしなければ、日本国債の格下げはありませんし、財政破綻の危険も沈静化します。その上で、国の仕組みを変えれば、きっと、借金も返すことができます。
くどいようですが。
先送りをしているのは、総理、あなたなのです。
いいですか。
あなたがやっていることは、殺人犯が万引きしたお年寄りを捕まえて「この人、万引きしてます」と騒ぐようなものなのです。それとも、あのテレビ発言は、親父ギャグだったのでしょうか。言葉を弄んではいけません。
野田発言には、この手の発言が多すぎます。割れそうな風船を次の世代には渡せないという意味の発言もありました。風船を割ろうとしているのは、野田総理、あなたですから。
先送りしない政治、これは正論です。だから、反発のしようがありません。しかし、使い方次第では、それが正論であるがために、もっとも卑劣な手法になるのです。先送りしてはいけない課題を先送りしている人間が、言ってはいけないことを平然として言う。正論は、人を騙すためのツールではありません。政治家としての、人間としての、矜持も誠意も捨てた「自分さえよければ」人間のやることです。こうやって、正論という言葉さえ堕落させてしまっているのが、野田政権です。
1億2千万人の代表である総理大臣が、卑劣な手段を使えば、目に見えない多くのものを壊すことになるのです。残念ですが、一度壊れたものは、元に戻りません。
総理。あなたは、日本人の心を壊し続けているのです。
そして、総理大臣が先頭に立って壊している国が、このまま、何事もなく、前に進めると考えるのは夢物語にすぎません。人間社会は、それほど強固な基盤の上に立っているのではありません。ごく不安定な場所にあるのが、人間社会なのです。
私達がやっていることは、大人のエゴです。
「自分さえよければ」という、立派なエゴです。
ボロボロになった社会を受け継ぎ、大人達の不様な様子を見て育った子供達が、世の中を良くしてくれるのですか。
それは、ありえません。
もっと、社会をボロボロにし、もっともっと「自分さえよければ」をするしか、他に道はありません。
では、それを引き継ぐ次の世代はどうすればいいのですか。
もう、壊すしか道はないでしょう。
そこは、地獄です。
誰でも、これが「やばい」ことぐらい知っています。でも、大人は見て見ぬふりをするのです。自分だけは大丈夫だと思いたいのです。きっと、この嵐は頭の上を通り過ぎてくれると信じたいのです。でも。心のどこかで、そうならないことも知っています。
野田が、官僚が、人間の屑なら、私達大人も、同じ屑です。
こんな壊れた社会を渡された子供達は、何のために生まれてきたんだと思うでしょう。
生まれてきたことを憎む生き方しか出来ないとしたら、それは、大人の責任ではないのですか。親は子供に「だから、お前も自分さえよければ人間になれ」と言うのですか。
大人でさえ、閉塞感や不安感、そして焦燥感を感じているのです。
子供達はもっと敏感に感じています。
平凡なことですが、普通に育ち、普通に結婚をし、普通に家族を作れる社会が人間には必要なのです。しかし、今でも、既に、結婚すら諦めている若者が大勢います。年収100万円や200万円で結婚するのは大変です。それも、安定した収入ではありません。いつ、途絶えるかわからない収入で、子供が作れるとは思えません。こんな、小さな幸せを見つける生き方もできないような社会を作って、私達は大人の責任を果たしていると言えるのですか。世界の潮流に乗り遅れることが致命傷なのでしょうか。かつて、侵略が世界の潮流だった時代がありました。日本も必死に追いつこうとしました。その結果は、大勢の国民の人命を失い、国を焦土にしました。私達は、同じ事をしているのではありませんか。
いま、私達大人がやっていることは、子供達に許してもらえることだとは思えないのです。
生きるということは、それだけでも、充分、理不尽に満ちたものなのです。
それなのに。
私達は、子供達に山のような理不尽を渡そうとしているのです。
理不尽に直面した人間の怒りや悲しみや嘆きは、ぶつける場所がありません。じっと我慢するしかないのです。その我慢が限界を超えた時は、八つ当たりすることになります。でも、八つ当たりからは新しい理不尽が生まれるだけです。決して、理不尽に自己増殖能力があるのではありません。私達が作り出しているのです。理不尽は、往々にして人間の負の感情に働きかけます。それは、憎しみや妬みや怒りや侮蔑といった感情です。負の感情に支配された人間が行き着く場所はどこでしょう。それは、見事なほどの地獄への一本道なのです。
このように、大人と子供の対比で考えると、野田首相を代表とする為政者の罪は、そして、それを許している私達大人の罪は、万死に値すると思います。
もう一つ忘れていました。野田総理は、市民との対話集会に出席し、「消費税は、社会保障にしか使わないのです」と平然と、堂々と国民に嘘をつきました。子供達も見ているテレビ画面で、嘘つき総理の映像が流れていたのです。あの画像は、R18ではなくR70に指定して、老人以外には見せないようにしなければいけません。70歳の老人なら15年後の崩壊の時には、平均寿命から計算しても、大半の方が亡くなっているでしょう。
最初に、ギリシャ人の自殺の話題を書きました。あのギリシャ人はゴミ箱から残飯を拾うのが耐えられないと遺書に書きました。でも、ゴミ箱を探せば、残飯が見つかる状況は、まだ地獄ではありません。日本の子供達は、残飯すらない世界で生きなくてはならないのです。そこが、本物の地獄です。
野田政権の発足時に、この内閣は亡国内閣になる、と石田は書きました。
しかし、ここまでひどい内閣になるとは思いませんでした。
言葉は、日本人の場合なら日本語は、その民族の心でもあると言われることがあります。野田政権は、それを、引き裂きました。
全国の子供達に、自分の利益のためなら、何をやっても許される、と身を持って教えることで、野田政権は、日本の未来を砕きました。
このように、精神的に壊されるのは、とても怖い事です。
更に。
財務省に媚を売って、野田政権は、国民を苦界に沈めようとしています。
一般メディアでは話題になりませんが、年金、健康保険料、介護保険料、所得税、住民税が今年も上昇しています。電気料金、ガス料金も上がります。もう、庶民の苦界は始まっているのです。そして、実際に消費税が増税されれば、庶民の負担感は一気に重くなります。例えば、年収300万円の家庭なら年間で15万円の支出増です。毎月、ぎりぎりの生活をしている人にとって、月に1万円以上の支出増はこたえます。まだ、5%の増税ですが、将来的には20%の増税になります。月に5万円の支出増でも耐えられるのでしょうか。
私達は、自分にとっての今の環境が半永久的に続くものだと思い込んでいます。もう、そんな時代ではありません。環境は、ある日突然変わります。その頻度も範囲も、過去に比べて格段と増えているのが、今の時代なのです。消費税増税に賛成している人も、必ず後悔する日が来るのです。
庶民は庶民らしく、自分の生活を守るために本気を出さなければならない時代なのです。「俺は、貧乏人ではない」と信じている人でも、ある日突然、貧乏人になることなど珍しいことではありません。太っ腹な人間のふりをするのは、無理があります。
私達のような貧乏人が、裕福を楽しんでいる公務員の利権を支える義務があるとは思えません。二極化を推し進める価値があるのですか。いいえ、これは日本という国が崩壊する前の、悪あがきとも言える症状なのです。
短い期間でしたが、民主党がやったことは、国内問題に限っても、予算を膨らませ、借金を増やし、税金を上げただけの政権だったのです。見事に、亡国です。
そんなことしか出来なかったのに、いや、そんなことしか出来なかったから、最後は財務省の奴隷となる道を選んだのかもしれません。ただ、その動機はよくわかりません。理屈抜きの激情で、思いつくのは「恋」くらいです。これは、恋なのでしょうか。
日本をボロボロにし、所属する民主党をもボロボロにしている様子を見ていると、野田総理は財務省という性悪女に貢いでいるバカ親父にしか見えません。
もう少し、まともな恋はできないのですか。
こんな恋でも、やはり、恋は盲目なのでしょうか。
あの顔を不気味だと感じますし、生理的な嫌悪感すらあります。
ちょっと、吐き気、するんですけど。
こうやって、庶民の批判の矢面に立っている総理大臣が、実は、ただの操り人形に過ぎないことを想うと、虚しい限りです。
最後に、アメリカの話です。
シカゴ大学のスティーブン・デービス氏は「我々は今、あるべき社会の姿は何かという重要な決定を下すことにおいて、政策の歴史上の岐路に立っている」と言っています。日本にも、そのまま当てはまる言葉だと思います。自分達が彷徨っているという認識を持っているのは日本だけではないのです。その根底にあるのは経済です。
2012-04-11
記事紹介 04 [評論]
記事紹介はやめたつもりでしたが、やってしまいました。
ダイヤモンド・オン・ライン 4/6付
岸博幸氏の「東電を矢面に立てる経産省の姑息さ」という記事を紹介します。
今は、東電管内の値上げだと考えている他地域の皆さん。
これは、自動的に全国に波及します。
良識のあるレポートだと思います。
ただ、岸氏は官僚出身なので、書けない部分があるようなので、すこし曖昧なところがあります。あの3.11原発事故以降の政府、官僚、電力会社、金融機関、新聞社、学者の行動は、全て既得権益の防衛が最優先事項になってしまった結果なのです。
1年前に「電気料金の怪」という日記で、原子力損害賠償機構のことを書きましたが、利権集団の行動は実に迅速果敢な行動でした。彼等の目的は一貫して利権でした。その行動原理は、今日も続いているのです。あの時も、石田は警鐘を鳴らしました。今の状況は当然の帰結なのですが、敢えて警告をします。「このままでは、ヤバいことになります」
「値上げと言っても、月に数百円のことだろ、目くじらを立てる事なのか」
多くの皆さんが、そう思っていると思います。
真綿で首を絞められていると、気付きにくいのですが、首を絞められていることには変わりがありませんので、いずれ、呼吸困難になることは防げません。「こんな筈じゃなかった」という結果になることが多いのです。
事故は起きてしまったのですから、多少の利権が失われるのは仕方ないが、根底から覆されたのでは困る人達が大勢いるのです。その結果が公的資金の投入であり、電気料金の値上げなのです。国民負担で乗り切れば、自分達の利権が守れるという「自分さえよければ」をやっているのです。利権や利権集団という切り口は、権力に逆らう行為ですから、誰もやりたがりません。でも、利権を切り口にして見てみると、多くのことが見えてくるのも現実なのです。もっと言えば、今の日本は利権を主軸にして回っていますので、ほとんどのことが見えてきます。これって、国民にとって望ましいことなのでしょうか。
このような、個々の出来事で、国民が黙っていれば、最終的に責任を取るのは国民なのです。そのことに、早く気付き、何らかの行動を起こさなければ、もっと大きな厄災が襲ってきます。ここで、何もしなければ。
いつも、何もせず、広義の自己責任を果たすことなく、利権集団の利権が積み上がることを黙認してきた国民は、無責任を嫌と言うほど積み上げていますので、近い将来に、大きく責任を取らされる時代を迎えたとしても、文句は言えません。
でも。
何の力もない庶民に、何が出来るのか。
その疑問は、あります。
でも。
本当に、私達に出来ることは、何も無いのでしょうか。
なぜ。
ジャスミン革命が政権を倒したのでしょう。
本当は。
私達庶民にも出来ることは、あるのではないでしょうか。
革命が出来ない民族だとしても、せめて、世論をジャスミンの花で満たすくらいは出来るのではありませんか。
2012-04-07
上昇トレンド [評論]
詐欺師は言葉巧みに相手を騙します。これは、ある種の才能です。
その詐欺師の手法をシステムとして完成させたのが日本の官僚達です。
厄介なことに、国民を騙すために言葉や数字を組み合わせる技術は官僚達の専売特許だったのですが、民主党政権になって、政治家もその手法を真似するようになりました。
その結果、言葉は本来の意味を失いつつあるのです。
これは、先進技術ですから、国民はまだ対応できていません。元々、いい人ばかりの日本人は詐欺に騙されることが多いのですから、政治家や官僚の騙しには簡単に騙されてしまいます。石田のブログでは、この言葉について多くを書いてきました。
今日は、自己責任という言葉について考えてみました。
自己責任という言葉が、一人前になったのは小泉政権の時からのように思っています。
これは、小泉さんの責任ではなく、グローバル化が日本を飲みこみ始めた時期に小泉さんが首相をしていたということなのだと思います。勝ち組と負け組という言葉も市民権を得ました。これは、アメリカ発の新資本主義の影響だと言えるのかもしれません。
自己責任という言葉が、社会に良い影響を与えれば、日本の未熟な民主主義も成熟へ向かって動いていたかもしれません。しかし、そうはなっていないようです。
残念ながら、日本では、為政者にとっては大変都合のいい自己責任という言葉が、社会を歪めることに免罪符を与えているように感じます。
ただし、日本人に自己責任という概念が乏しかったことは否定できません。また、広義の自己責任に関する理解は、未だに不十分であり、多くの人にその存在すら認知されていない状態だと言えます。こんな国にしてしまったことも、やりたい放題の官僚を放置したのも、国民の意識が乏しかったための自己責任です。
自己責任という言葉が社会的に定義されたことはありませんし、一人歩きをしている場合もあります。日本人は、被虐精神と馴染みやすい精神構造を有していますので、自己責任という言葉による自己規制すら一般的なのです。
学術論文の場合は、言葉の定義に関してそれなりの配慮がされていますが、一般の社会生活の場合は、それが曖昧になるのは仕方がありません。それでも、暗黙の限度というものがあったように思いますが、昨今は「なんでもあり」的な使い方が多くなりました。
餓死や孤立死だけではなく、「訳のわからない」死者は年間で数万人いるものと言われています。ニートの数も、100万人に近づいてきています。しかも、統計に出てこない人達の数は、誰も知りません。ニートについても、「努力せずに、勝手に引きこもっている」のだから、自己責任だという言い訳が社会的に納得されてしまう時代です。当然、ニートに収入はありません。働いている人達でも、フリーターや非正規労働者の年収は100万円であったり200万円であったりします。それも、個人が自分の責任で選択した生き方だと思われている場合があります。自己責任と言ってしまえばそれまでですが、それが社会構造に大きな影響を与えるようになれば、他人事では済まなくなるのです。
若者の間は、何度でもやり直しができます。しかし、時間とともに人は老いていくのです。そのことを社会全体で捉えていかなければ、社会が変質してしまうのです。実際問題として、40歳を過ぎれば就職口は、簡単には見つかりません。
そして、40歳以上のニートが増えているのが現実です。
個々の自己責任が集まって、社会全体の問題になった時には、自己責任という言葉は従来の定義から変貌せざるをえなくなります。何人の国民がそのことに気付いているのでしょうか。とても、不安です。
ニートやフリーターや非正規労働者の数は、右肩上がりです。トレンドは、残念ながら上昇トレンドなんです。このままで、時間が経過するということは、どういうことを意味するのでしょうか。10年後、20年後に、この国はどうなっているのでしょうか。他人事だと考えていて、ほんとに、大丈夫なのでしょうか。
たとえ、日本が崩壊したとしても、世界は、きっと「自己責任」だと言うでしょう。
既に、地滑りが始まった国にいる私達は、いつまで、他人事で逃げていられるのでしょうか。まだ、地滑りのスピードは緩やかですが、次第に加速度がつき、角度も変わっていくとすれば、いつかは止めることのできないものになりませんか。
昔、ニートと言えば、引きこもりの「若者」を指していました。今は、もう、若者だけの言葉ではありません。昔、ニートだった若者も40歳になる人もいますし、フリーターの人達も、非正規労働の人達も、10年後に生活費を自分の手で得る手段があるのか心配です。社会保険料も払っていないと思いますので、彼等の老後はどうなるのでしょうか。自己責任と切り捨てていて、社会が成り立つのでしょうか。
社会からはじき出された人が、親元に戻り、引きこもり、ニートになっているケースが多く報告されるようになっています。その人達の収入源は親の年金だけというケースもあります。年金だけで、親子三人が生活するのは無理でしょう。共済年金や東京電力の年金受給者なら可能ですが、国民年金の受給者には不可能な事です。また、年金受給者の親が亡くなった場合はどうするのでしょう。親の死亡を隠すしかないのかもしれません。彼等には、借金や破産は身近なものであり、そういう人達にとって、健康保険や介護保険は別世界の出来事にすぎません。
また、大学を卒業して、厳しい就職戦線を潜り抜けた若者の3人に1人が3年以内に離職していると報告されています。毎日のように予備軍は増えています。
ニートやフリーターや非正規労働者は、負け組と決めつけられています。しかし、日本の大半の人達が、この負け組になる日は、それほど先のことではありません。勝ち組と言われる人達は、ほんの一握りの人達だけであって、国中に負け組が満ち溢れるのです。ニートやフリーターや非正規労働者に共通する特徴は貧困です。
この大きなトレンドは簡単には変化しません。いや、この国には、この状況を食い止めようとする意志がありません。日本という国を運営している人達は、自分の利権を守ることを最優先にしていますので、動きが取れないのです。
貧困層の増加は、当然、経済の縮小と税収の減少に繋がります。そうなれば、益々、増税が加速することになり、さらに、経済の縮小を招く悪循環が一層大きな渦となります。せめて、借金がなければ助かるのですが、経済が縮小するということは、相対的に借金の比重を大きくします。以前に、国家運営の基本は経済発展だと書きました。もう、20年以上も国家運営に失敗し続けているのに、まだ、自分の利権を優先しているのが、この国の為政者です。このままで、いいのでしょうか。
この国が、この道を進めば、行き着く先は容易に想像できます。そんな将来を想像することは、それほど難しいことではなく、普通に想定できる範囲だと思うのに、避けて通るのは何故なのでしょう。
今は、まだ、石田もブログを書いています。訪問してくれる方も、パソコンなり携帯なりの費用が支払える状況にあります。しかし、この状態が10年継続するという保証はありません。そうなれば、情報からも隔絶されることになります。ごみ箱から拾った新聞や、店頭にあるテレビから得られる情報は限定されたものであり、しかも、嘘八百の報道ばかりです。余りにも、自分とはかけ離れた情報は意味を持たず、情報とも疎遠になる日がやってくるでしょう。生きること自体が面倒になる人もいると思います。
こんな、日本を、豊かな国だと思う人がいるのでしょうか。
この日本を再生させるためには、政治家と官僚が利権を手放し、国民がダウンサイジングを受け入れることだと提案しましたが、この提案が実現する可能性は99.99999%不可能です。小数点以下の「9」の数字を100万個付け加えても足りないのかもしれません。
こんなことしか提案できない自分が情けないとは思いますが、かと言って、他に有効な提案を見ることもありません。これが現実であり、この現実を受け入れれば、私達の辿りつく先がユートピアではないと確信せざるをえません。後は、どれだけ、時間が残されているのか、それだけが頼りです。
自己責任という言葉は、国民を切り捨てるには都合のいい言葉です。
究極の自己責任社会を想像してみてください。そこに、国家という存在は必要ではありません。個人が全部の責任を持つのですから、為政者は国や国民に対して責任を持たなくてもいいのです。
この自己責任という言葉に付随して言われるのが、セーフティーネットです。ここにも、大きな勘違いがあります。本来、セーフティーネットが必要ではない社会を作るべきです。それでも、セーフティーネットは必要になるのです。そうでなければ、この社会にはセーフティーネットしか残りません。セーフティーネットだけの社会が実現可能だと思う方はいないでしょう。これも、現実離れした言葉と論理の落とし穴にすぎないのです。
私達は、言葉の不確実さを追求せずに、漠然とした安心感に頼っています。そして、今や、言葉は騙しの代表的なツールになっています。それが最も進化した職種が官僚です。彼等は、言葉のコントロールにより自分達の利権を増やす錬金術に成功しました。民衆がそのことに気付くまでは、有効な錬金術です。社会保障や環境という枕詞を多用する技術も彼等が開発しました。しかも、それは非常に有効なツールになっています。選択肢を隠蔽し、あたかも他に選択肢がないように論理を組み立てる技術も官僚が作り上げたものです。問題を袋小路に追いやっているのは、権力者がそれらの技術を使っているために、権力者に媚びる人達が、それを正当化するという副作用まで出現していることです。
不正や腐敗を測る尺度がありますが、国際的にみると、日本は不正や腐敗の少ない優秀な成績になっています。このことを誇りと出来るのは官僚達です。それは、彼等が法に触れない方法を確立しているからです。独裁政権の国を別にすれば、年間50兆円という日本の利権金額は世界でもトップクラスだと思います。それを不正や腐敗に見せない技術を開発した官僚の優秀さは、ここに、いかんなく発揮されているのです。以前にも書きましたが、法律を具体的に作っているのは官僚であり、言葉や言い回し、例外等は彼等の手中にあります。法律に触れずに利権を獲得することは、彼等にとって日常業務の一つなのです。どんな法律からでも利権を生みだすことはできます。しかも、会計検査院という内部機関を設けることで、身内以外の干渉は排除できるシステムも完備しています。各省庁は、会計検査院の監査に対して、お土産を用意しているとも言われます。会計検査院という組織の有用性を主張するためには、仕事の成果が必要だからです。もしかすると、このお土産は事務次官会議の議題になり、各省庁間の調整が行われているのかもしれません。
民間でも、国税局や税務署の監査がある時にはお土産を用意します。勿論、お菓子や現金を用意する場合もありますが、ここで言うお土産とは、お菓子や現金ではありません。監査結果の報告が出来る程度の会計上のミスを用意しておくのです。お土産がなければ、国税局や税務署は徹底的に、ミスが見つかるまで、監査をすることになるのですから、会社にとっても、監査官にとっても時間の無駄が生じます。これは、一般常識です。会計検査院が例外とはなりません。
政治家は、官僚の前で跪き、その利権のおこぼれを貰うことに汲々としているのです。これほど優秀な官僚支配政治を実現させたのは、世界でも、過去の日本でも初めてのことではないかと思います。自己責任やセーフティーネットという言葉も、官僚達にとっては美味しい言葉だったのでしょう。
日本という国をこんな姿にしてしまった元凶は官僚と官僚組織にあります。それを変えれば、日本は劇的に変わります。そのことに気付いている政治家や国民が少ないことが問題なのです。そこが、不思議でなりません。これこそが自己責任なのだと認識してくれれば、方向を変えることも可能かもしれません。
私は、ニートやフリーターや非正規労働者をゼロにしろとは言いません。人間には多様な価値観があり、ニートやフリーターや非正規労働者という立場を必要とする人もいないとは言えません。でも、右肩上がりで増えるのは、あるべき姿の社会とは言えません。ましてや、自己責任という言葉で切り捨てるのは責任放棄だと思います。
石田は、毎回、官僚を極悪非道の代名詞のように言います。でも、個人的に官僚に恨みや憎しみを持っている訳ではありません。個人的に付き合えば、どなたも、きっと、いい人ばかりなのだと思います。勿論、嫌な奴もいるでしょうが、そういう人はどんな組織にもいるものです。
話は変わります。
公的年金の積立金取り崩しが、本年度は8.8兆円になるという報道があります。公的年金の運用をしているのは、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)という法人だそうです。取り崩しは4年連続で、次第に取り崩し金額も大きくなっています。このGPIFが積立金の取り崩しを行うということは、国債の売却が増えることでもあります。過去、年金資金は国債の買い手だったのですから、国内の国債購買余力の減少を示す例になります。
公的年金の問題は、積立金の取り崩しだけではありません。年金受給者が増加することは広く知られていますが、年金資金の長期利回りが4.1%で計算されていることは余り知られていません。現実の運用利回りがどの程度なのかは知りませんが、とても目標を達成しているとは思えません。世界的に有名なヘッジファンドも青息吐息だと聞いていますし、日本国債の利回りは1%以下です。直近の成績は+0.5%だという数字を見たことがあります。
積立金を取り崩しているということは、年金が危ないだけではなく、国債も危ないのです。
また、話は変わります。
JBPRESSに「消費税増税に断固反対する」という記事がありました。日付は4/2です。
消費税には、課税、非課税、免税、対象外の区分があるそうですが、新聞社は消費税適用除外の申請を行っていると書かれていました。今回の増税にどれだけ貢献できるかが、その試金石になるのでしょうか。また、全国一律定価販売も特権として認められているそうです。そして、世界に類を見ない(独裁政権は除きます)記者クラブ制度があり、その記者クラブに所属できるかどうかは、特権を手に入れるかどうかの違いがあります。記者クラブに所属していれば、努力しなくても情報は「お上」の方から出してくれるからです。つまり、新聞社は「お上」には絶対に逆らえない立場にあるのです。その結果、自分達の利益のために、国民を騙すことも平然とやっているのが新聞社です。官僚とよく似ていると思いませんか。これが、ジャーナリズムですか。会社が利益だけを追求するのは、一般会社では普通ですが、ジャーナリズムを目的とする会社には、それなりの姿勢が要求されます。たとえ、その会社の経営陣が利益のみを追求せよと言っても、社員であるジャーナリストは自分達の主義を簡単には破棄できないと思うのですが、現実的には社員の造反や内部告発は見られません。それは、社員も1000万円以上の年収を捨てたくないという欲に支配されているのでしょう。人間の屑が、ここにもいます。
日本のジャーナリストは、何回、日本を潰せば学習できるのでしょうか。
試しに、朝日新聞の綱領をホームページから転記してみます。
一、不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す。
一、正義人道に基いて国民の幸福に献身し、一切の不法と暴力を排して腐敗と闘う。
一、真実を公正敏速に報道し、評論は進歩的精神を持してその中正を期す。
一、常に寛容の心を忘れず、品位と責任を重んじ、清新にして重厚の風をたっとぶ。
これほど嘘っぱちな綱領で、いいのでしょうか。
先月は、3日に一度の更新に挑戦してみました。少し、重かったので、また不定期更新になりそうです。気が向いた時に覗いてやってください。
最近では、日本が危ない、崩壊する、沈没するという言い方をする人が、一般メディアでも増えてきましたので、石田のブログも以前ほどインパクトはないかもしれません。それでも、心配してくれる人が増えて、奇跡的に助かる可能性に期待したいと思っています。石田も日本が崩壊しない方が有難いに決まっています。
そうは言っても、やはり、崩壊の確率の方が、はるかに高いと思います。
これほど、ボロボロになっている社会、借金漬けの国が、生き永らえるとは考えにくいと思うからです。
希望の持てるシグナルが、どこかにありませんか。
2012-04-05
人間の屑です [評論]
あるエコノミストのレポートによれば、財務省は、専門家やメディアに対し個別に説明に訪問しているらしいという記事がありました。
これが事実であれば、財務省は大々的に世論操作に乗り出しているということです。
仮に、そのエコノミストの方をY氏とします。
Y氏は「私の所まで、財務省の方が来るとは思わなかった」と謙遜していましたが、財務省は何らかのメディアに記事を書いている方の所へは、絨毯爆撃をやっているものと考えられます。説明に来た財務省の方を仮にA氏とすると、Y氏とA氏の間で集約された点は次の4点だと記しています。その優先順位は財務省の見解です。
1. 財政リスクの軽減
2. デフレ脱却
3. 成長率向上
4. 行政効率化
ある重大な事実を無視すれば、この4点は財務省にとって、実によく考えられた内容です。
Y氏の名誉のために言っておきますが、上記の4点は財務省の説明内容です。
私が心配するのは、4つの論点でも、その優先順位でもありません。
財務省の狙いは、論点を上記4つに限定することです。
それは、説明の前提を暗黙のうちに相手と共有するためです。
その前提とは、現状を是認する事です。ここが、説明の要です。
そして、世間で取り上げられている懸案事項を列挙します。
その上で、2番目のデフレ脱却と3番目の成長率向上には否定的見解を述べ、4番目の行政効率化は改革ではなく効率化という表現で逃げています。
残されたものは、1番目の財政リスクの軽減だけになります。これも、財政リスクの回避が目的ではなく、軽減という表現を使っています。軽減であれば何度でも使えます。
まるで、財政リスクの軽減のための増税をすれば財政破綻が回避できるかのような説明をしますが、回避できるとは言いません。
実に巧みなシナリオです。この手の作文は官僚が最も得意とするもので、完璧な出来栄えになっています。
A氏は、項目だけは列挙するが、増税以外は何もしないと言っているのです。
Y氏は、財務省のA氏の話を聞くというスタンスで面談したとレポートには書いてありました。それは、Y氏が面談に応じた目的は財務省を論破することではなく、どういう説明をするのかということに興味があったと書かれていました。
Y氏は、過去のレポートを読んでいる限り、また、財務省のA氏が訪問したことを隠さない態度からも、良識のあるエコノミストだと思っています。
ただ、Y氏の根底にあるものは、経済理論や財政理論という学問です。ところが、実体経済や国家の栄枯盛衰は、学問通りにはならないものなのです。環境や条件は、常に変化し、予測通りには進みませんので、変更を余儀なくされるのが普通なのです。勿論、学問を基盤にしている人達には「預言」のような根拠のないことは言えませんので、Y氏に何らかの責任があると言うつもりはありません。
それよりも、日本の財政危機の問題は官僚と学者が意見交換するレベルを超えているところに問題があります。
この問題はいかにも経済問題のように見えますが、今では政治問題であり、それもかなり高度な政治問題になっていると思うのです。経済理論や財政理論で片づけられる領域を超えていると思います。いわゆる、国のあり方の問題であり、将来の日本がどうなるかという一国の運命を左右するほどの問題です。
見えないものを見るということは学問には出来ません。それが出来るのは、唯一、人間の直感でしかないのだと思っています。学問的に、財政破綻が予測できる時点では、もう、それは確定と同じ事なのです。手の打ちようはありません。
学問的に証明できないとしても、多くの分野のトレンドを見れば、向かっている先にあるものが繁栄や安定や明るい未来ではないことが、直感として見えるのです。それに対応できるのは政治です。ですから、官僚が政治の領域の仕事をしているのです。行政官が、なぜ、政治判断にも等しいことをやっているのでしょう。
しかも、学問は万能ではなく、必ず限界があるものなのです。その理論に、国民の運命を委ねるのは大変危険なことだと言わざるを得ません。あらゆることが理論通りに動いてくれるのであれば、政治は必要ありません。学者がいれば国家運営ができます。
石田の主張は、今の時点では学問的に証明することはできませんが、5年後、10年後には環境や条件の方が、人間の直感に近づいてきます。それは、理論から導き出された結論が次第に変化し、直感に近づくということなのです。その時点では手遅れになるのですから、政治判断が必要になるのです。ただし、野田首相の政治判断とは別のものと考えてください。あれは、偽物の政治判断です。政治判断というのは、自分にとって都合のいい結論を出すためのテクニックとして使うものではありません。
今日は、財務省の思惑に異を唱えたいと思って書いています。
なぜ、財務省はこのような訪問説明をしているのでしょうか。
また、財務省のA氏が、Y氏に全てを話したのでしょうか。
さらに、A氏が財務省の職員だとすると、この戸別訪問は職域を逸脱していると思わざるをえません。
財務省にとって利益になることを大前提にシナリオを書くのは、当然のことです。それは、財務省が知られたくないと思っていることは隠されているということです。
そもそも、財務省の説明には、現状維持が大前提になっているので、国の仕組みを作り直すという視点が全く抜けています。日本を今の実体に合わせることなく、議論を積み重ねても、それは砂上の楼閣に過ぎません。
財務省の思惑、守りたいものは現状だということがはっきりしています。財務省にとっては、現状維持が一番利益に適う事なのです。
この現状維持という部分が日本の病巣であることに気付かねば何も始まりません。
なぜなら、財務省が守りたいと思っている現状というものは、高度成長期の延長線上にあるもので、日本の実体とはかけ離れているのです。最初に重大な事実が漏れていると書いたのは、このことです。その無理を押し通しているために、多くの矛盾や齟齬が表面化しているのです。
今、私達がしなければならないのは、日本が日本ではなくなったことを認めることです。
世界は、日本をそのような視線で見ています。現実を見たくないと思っているのは、日本人だけなのです。
現在の状況に限れば、官僚と学者の議論では何も解決しないのです。
このことは、原発再稼働での原子力行政に見られるように、他の分野でも行われていますが、官僚と学者だけが納得して、国民は納得していません。それは、国民の判断が専門知識ではなく、直感だからです。
財務省のA氏の行動は、世論操作のための、裏工作にしか見えません。
と言うより、裏工作そのものです。職員がこんなことしていいのでしょうか。
Y氏も、そのつもりで聞き、そのつもりでレポートも書いたようですが、財務省のA氏は訪問した事実を書かれるとは思わなかったかもしれません。と言うことは、Y氏以外の人達は、財務省の立場を慮って、口を噤んでいるということでもあります。
新聞の横並びを見ても、財務省の裏工作があるのは間違いないと石田は書いてきましたが、裏工作の対象になったY氏がレポートを書いたことで推測が事実になったと言えます。
では、なぜ、財務省はこのような世論操作が必要だと判断し、行動に出たのでしょうか。
それは、彼等が維持したいと思っている現状と日本の実体が違うことに国民が気づくと、自分達の利権を守るための増税が出来なくなると判断したのです。たとえば、以前に書いた「無管理国家」で示した図は財務省のホームページにある図ですから多くの方が見ています。この事に気付く材料は広く一般に知られているのです。これは、コロンブスの卵なのです。気がつけば、誰もが「何だ、こんなことか。俺も知ってたよ」というものです。本気で「何か変だな」と思ったら、石田のようなド素人でも気がつくのですから、財務省にとってはとても危険な事です。特に、発信力の大きな媒体には、発信しないように依頼する必要があったのです。もし、多くの人がまだ信じている日本と、実体が違うのであれば、自ずと対応も変わります。上記の4つの論点が小さな問題になってしまうのです。このことに気付けば、国の仕組みを変える以外に方法は無いと言われるようになります。手直しや改善では対応できるような問題ではないことを彼等も知っているのです。
この財務省の裏工作が成功すれば、彼等の利権を守るための増税や社会保障費の削減が続くことになります。これは、決して、社会保障のためでもなく、財政再建のためでもありません。官僚の利権を守ることが目的なのです。彼等は、何が何でも現状維持がしたいのです。自分達の利益を守るためなら、何でもやる腐った人間たちなのです。
財務省の意向を受けた新聞社やエコノミストも、現状維持の前提で発信しています。彼等は腐った人間よりも更に卑劣な人間だと言えます。
この財務省の動きを見ていると、壊れゆく日本が見えてきます。
私達は1000兆円もの借金をしてしまいました。逆に言えば、1000兆円の富を失ったことになります。でも、私達が失ったのは富なのでしょうか。「自分さえよければ」がこれほど日本に満ちているということは、私達が失ったのは、魂だったのではないでしょうか。
財務省を見ていると、そのように見えてしまうのです。彼等の魂は腐っています。
日本の今の姿を見ようとせず、自分の利益だけを追い求めている姿が誇れる魂なのでしょうか。本当の日本の姿を、落ちぶれてしまった我々の姿を、認めることは勇気のいる事ですが、次を考えれば、どうしても必要なことではないでしょうか。私達大人が地獄に堕ちるのは、自業自得と言えるかもしれません。でも、子供達は、孫達は、自業自得で済ませられるのでしょうか。私達には、次の世代に可能な限り苦しみの少ない日本を渡す責任はないのでしょうか。それが、大人の最低限の責任だと思いますが、ここでも「自分さえよければ」という判断になるのでしょうか。
人口の減少が話題になりますが、ここにも大きな問題があることに私達は気付く必要があります。これは、母性本能の自己防衛なのではありませんか。女性が理論的に辿りついた結論ではありませんから、理論的な説明はできません。しかし、自分の子供を地獄に放り込みたいと思う母親はいないと思います。ですから、「訳もなく」子供を産むことに躊躇した結果が人口の減少なのではないでしょうか。もし、そうだとすれば、女性は男性よりもずっと以前から危険を察知していたのです。いや、男はまだ何も気が付いていないのかもしれません。本能という点では、女性の方がはるかに優れていると思います。男は、弱虫のくせに自分が強いと思っているし、自分達が日本を作って行くのだと思い込んでいます。これも、勘違い。男が女に勝てるのは腕力の分野だけです。
人口が減少するから国が衰えるのではなく、国が衰えるから人口が減少するのだ、とは考えられないのでしょうか。
数多くの事象が、日本人に「立ち止まれ」と警告を発しています。
このまま、奈落の底に堕ちていっていいとは、とても思えません。
そうなれば、私達大人は、人間の屑です。官僚と同じです。
少し話題は変わります。
ある新聞に「進まぬ成長戦略策定」という見出しがありました。
まだ、成長戦略神話を信じているメディアがあることに驚きます。エコノミストでさえ信じているのですから仕方が無い事なのかもしれませんが、もう少し、深読みすれば、そう思い込んでいるふりをしているだけなのかもしれません。その解釈の方が現実的だと思います。財務省だけが、その事を知っているとは思えないのです。新聞社の方がエコノミストよりもフレキシブルな思考ができると思います。
もう、20年以上も成長戦略がない時代が続いています。それでも、魔法の杖があると言う根拠は何なのでしょうか。これは、あくまでも増税を正当化するための前振りだと考えれば納得できます。
「増税するのだから、成長戦略を策定せよ」という論調です。
成長戦略の策定が遅れているのではありません。
成長戦略そのものが存在しないのです。新聞社の人間なら、当然知っている事です。
その記事の中で「政府は、増税による社会保障の健全化が消費や企業活動を活発にするという立場だが」と書いています。今回の増税案で社会保障が健全化することはなく、増税で消費が活発になることもなく、企業活動が活発になる契機にもなりません。
もし、本気でそう思っているのであれば、経済に対する極度の認識不足であり、支離滅裂な論理を平然と記事にする無責任であります。新聞社の記者も編集者も馬鹿なんですか。違いますよね。全部わかった上で記事を書いているのです。購読者を、国民を、馬鹿にしているのです。こんな下手な騙し方で国民が騙されると考えているのです。
ほんとに、そこまでやるか、と言いたいですね。
財務省は、多分、新聞社に対しては、はっきりと脅し文句を言ったと思います。
「あなた達の行動で、日本は潰れるかもしれません。ジャーナリストとしても、国民の一人としても、その責任が取れるのですか」
新聞社は日本崩壊を知っているとしか思えません。
彼等は、明らかに、確信犯です。
朝日新聞は読んでいませんが、朝日よりはましなのかな。
それにしても、ひどい。
2012-03-30
三党連立政権 [評論]
素人による、勝手な政局分析です。
民主党は野田政権になって、単独での政権維持を、やっと、諦めたものと考えられます。
衆参のねじれがあるのですから、法案は通りません。あの歴史的な、政権を取った衆議院選挙の前に、正念場は参議院選挙だと書いた記憶があります。ボロボロになりますよ、と警告しました。その通りになってもらっては困るんです。石田の予測は、いつだっていい結果を予測することはありません。石田の予測は、外れる方がいいに決まってます。
選挙に勝てなくても、連立を組み直す努力は不可避でした。政権を取ったことで、うかれた鳩山と菅が何もしなかった。開けて吃驚、民主党には政権運営の設計図が何もなかったのです。その観点から言えば、野田内閣の選択肢は大連立しかなかったのですが、裏工作ができる唯一の民主党議員(小沢一郎)を敵に回してしまったために、裏工作の道も失ってしまいました。この先も、道が開ける目途が立ちません。これだけ派手に約束違反をするのなら、参議院選挙で負けた時点で、自民党か公明党の前で総理の座を捨ててでも土下座をすればよかったのです。民主党政権は、あの事業仕訳で終わったのでしょう。あれが、民主党を象徴しているように見えます。官僚に見事に潰されて、成果はありませんでした。事業仕訳で世間が沸いていたのが、随分昔のような気がします。短い期間でしたが、歴史として見てみると、無駄な数年間だったように思います。民主党政権は発足当時から死に体だったのです。素人にでもわかることが、何故、民主党にはわからなかったのか不思議です。初めての政権だったからですか。それは素人も同じです。政治主導だと宣言して省庁に乗りこみましたが、何の実弾も持っていなかったために、次々に討ち死にをしてしまいました。以前に評論「分限」で第二公務員という造語を作りました。素人でも、あの程度の発想はできるのです。分限と第二公務員の法案を政権発足直後に成立させていれば、政治主導も可能だったのです。銃も弾薬も、竹槍すら持たずに敵地に乗り込んだのですから、玉砕しても仕方がありません。そもそも、この国の権力者が誰なのかを知らなかったのではないでしょうか。おそまつ、としか言いようがありません。
政党支持率を見ても、選挙をすれば民主党が大敗するのは明らかです。今でも、民主党政権を望んでいるのは、日教組や自治労、それに半島関係者という利害関係のある方達だけでしょう。一般の普通の国民は、もう、うんざりしています。
だったら、財務省に恩を売っておくことが将来のためになると判断した結果の消費税増税法案だと思われます。何と言っても、財務省は最高権力者ですから、恩を売る価値はあります。野田氏の得意な政治判断です。実に姑息な男です。
従って、消費税増税法案が成立しなければ解散はしません。消費税増税法案が成立して、解散もしなくて済む状態が民主党にとってベストのシナリオでしょうが、それはありません。ベターのシナリオは話し合い解散ですから、現在、裏工作とは言えないような稚拙な裏工作が盛んになっているのです。まだ、自民党に主導権を渡すふんぎりがついていませんので道半ばですが、民主党では主導権が取れないと思いますので、もう少しゴタゴタします。
次の選挙で単独過半数をとれる政党はありません。大阪維新の会が国政に進出せず、政界再編がない場合を想定して、自民、民主、公明の連立政権を作る話し合いは、既に始まっているでしょう。今は、次の政権の枠組みでの権力争いの時期です。
既に、自民、民主、公明の三党は同じ穴の貉として繋がっています。三党にとっての最大の敵は橋下大阪市長です。以前は、大阪都構想を笑い飛ばしていた中央政界ですが、各党が地方自治法の改正案を提出することになりました。それは、橋下氏の国政進出を阻止しなければ三党連立政権が消えてしまう危険があるからです。
民主党が政権与党に潜り込めるチャンスがあるのであれば、野田代表の求心力はなくなりません。逆に小沢さんの求心力はなくなるでしょう。小沢派議員の切り崩しは可能であり、小沢さんは過去の人になる可能性も出てきます。小沢さんに大逆転の可能性があるとすれば、維新の会とその他の地方政党を仲間にし、みんなの党も巻き込んで三党連立に対抗する事ですが、それだけのパワーはもうないのではないかと思います。
これは、本物の妄想ですが、維新の会が国政に出る時、選挙参謀を小沢さんに任せることができれば、大きな力になるのではないかと思いました。妄想ですよ、妄想。
政治家は、政策、政策と声高に叫びますが、あれは表看板です。その看板を裏返せば、利権という二文字が書かれている筈です。民主党の議員もやっとそのことに気がついたのかもしれません。
国政では、政策や国家国民など些細なことに過ぎません。要は、権力に繋がることが出来るかどうかです。一度権力の味を知ってしまった人達にとっては、何よりも、そのことが重要なことなのです。
橋下氏の動向や発言を、固唾を飲んで見守っているのは国民だけではありません。中央政界の誰もが注視しています。ただ、国政進出は簡単にできるものではありません。もの凄いパワーが必要です。市長の職務に影響がでることは避けられません。それでも、橋下氏はハードルをどんどん下げています。大阪都構想実現のための国政進出でしたが、大飯原発の再稼働も選挙で決めると言いだしましたし、職員条例や教育条例も国に動くように求めています。まだまだ、要求は出てくるのでしょう。最後には国政進出せざるをえなくなりますが、大丈夫なのでしょうか。国政進出、そして玉砕。その可能性は決して低くありません。それは、ブレーンの不足です。組織として動けるまでには、まだ、時間も、人材も必要です。石田の予測が当たりませんように、と祈ります。
政界再編も、簡単には実現しません。党を飛び出した人がジリ貧になっている先例はいくらでもあります。議員なら、欲と得の連立方程式を解かねばなりません。身を捨てる覚悟と時の運を祈るのと、じっと我慢をするという変数がある計算式ですから難解な問題です。利権の獲得という答えを導き出すのは大変な事です。
現状であれば、国家や国民を無視すれば、既存の政治家にとって、三党連立政権が一番現実的な選択肢です。政治家の利権は政権与党にしかないからです。どんな美辞麗句を並べようと、政治家は利権目的で動くのです。
さて、民主党政権になって、やることが支離滅裂ですが、自民党政権と何が違うのでしょうか。官僚支配政治は何も変わっていませんので、民主党も自民党も同じなのに、訳のわからないことが多すぎます。それは、隠蔽工作の優劣によるものだと思います。自民党には、政治は裏で動かすものだという信念がありましたので、隠すことは学習してきました。民主党は素人集団だったので、そんな技量を持っていません。隠蔽工作に優れていることがいいのか、劣っている方が正しいのか、判別は難しいものですが、どちらも次元が低いことだけは確かです。三党連立政権になれば、裏工作の復活です。官僚達も仕事がやり易くなって、不眠症が解消するかもしれません。お断りしておきますが、これは「お上」の論理であって、その論理は国民という存在を無視しています。
国民の皆さんは、政治家であれ官僚であれ、同じ人間なのだから、思考過程は一緒だと思っていると思いますが、それは違います。彼等は、本気で自分達が「選民」だと信じているのです。特に、高級官僚といわれる人達の「選民」という信念は、揺るぎないものです。
信じてもらえないとは思いますが、本当なら、一般国民は官僚という大名行列が通る時は道端に土下座するぐらいでなくてはならないと思っています。そんな精神構造の人達がまともに国民のことを考慮すると思っていることが国民の勘違いなのです。政治家は選挙がありますので、一時的には国民に媚を売る必要に迫られますが、官僚にはそんな必要もありません。三党連立政権になれば、国民不在の政治が更に進むことになるでしょう。そんな彼等にとって、橋下という若造は許せませんよね。まさに、危険人物です。
先日、東京のテレビ局(TBS)が、報道番組で小沢一郎へのインタビューをやってました。報道番組として、増税反対派の小沢氏の意見を聞くというのが第一の目的だと思いますが、どこか、チラチラと小沢バッシングのきっかけは無いかと狙っている第二の目的も見えました。しかし、小沢氏も年季の入った政治家ですから第二目的はうまくいかなかったようです。個人的には、大手メディアが横並びで小沢叩きをやっていることに釈然としないものを感じています。権力者の奥の院の意志が働いていると思われます。
野田氏は、言っていることも、やっていることもハチャメチャですが、小沢氏は、言っている事だけはまともなことを言っています。彼が総理大臣になってハチャメチャにならないという保証はありませんが、野田氏よりはまともな政治ができるかもしれないという期待は持たせてくれます。何よりも、財務省のK氏が小沢氏を籠絡するのは難しいのではないかと思えるところが、私の場合、期待に繋がっているようです。国民にとっては、あれほど、あからさまな裏切りを働いている野田氏は信用できません。小沢氏も「なぜ、あんなに、入れ込んでいるのか、わからない」と言っていました。
別の番組で、これは、たまたま同じテレビ局なのですが、税調の藤井氏が小沢氏はわかっていないと発言していました。それは、増税に失敗すれば、国内の金融機関が国債を売り始めるという理由からです。どうやら、藤井氏は財務省のK氏から、その手の脅しを受けているようです。又は、財務省が作戦を一歩前に進めたのかもしれません。三菱UFJの危機管理がリークされた頃から始まっている作戦かもしれません。それにしても、財務省は国民を舐めてかかってますね。国債の暴落を匂わせても、その先に何があるのかを、国民が知ることはないと思っているのです。確かに、財務省と銀行は一心同体ですし、マスコミも学者も飼い慣らしているのですから、自信を持っても仕方がありませんが、ネットの危険性は考慮しているのでしょうか。
銀行が、これ以上、国債は買えないと言っているのであれば信憑性はありますが、売る側に回るということは、簡単なことではありません。可能性が無いわけではありませんが、国内の金融機関が、自分から率先して国債を売り始めるというシナリオは考えにくいと思います。そんなことをすれば、自分の首を絞めることを金融機関は充分にわかっています。我慢できるところまでは我慢しますし、財務省を敵に回すことを率先してやるとは思えません。フライングする銀行がないとは断言できませんが、確率は低いでしょう。
長期金利が上昇して、もう、これ以上は無理だと判断した時には、国内金融機関も売る側になるでしょう。しかし、それは増税法案が失敗したから、すぐに売り始めるという単純なものではありません。そういう意味では、K氏に翻弄されているのは藤井氏であり野田氏でありメディアの人達のようです。日本国債が危ないことには間違いありませんが、財務省の思惑の方が強いように感じます。財務省には、まだ余裕があるな、と感じました。行政改革をする前に、官僚利権に手をつけられる前に、増税してしまって、時間稼ぎをしたいという考えがあるのでしょう。動機が不純ですから、こういう場合、予期せぬ出来事が起きて、突然、暴落が始まるという危険は大きいと思います。そんなことは、誰にも読めません。私達日本人は、綱渡りしているのですから、何が起きても不思議ではないとすれば、やはり、王道を歩くべきです。それは、身の丈に合った生活をするという事です。
利権の温存は、大きな怪我の元になる可能性が高いのです。
藤井氏も王道を進めと言っていますが、それは、自分に都合のいい道であり、それを王道とは呼びません。それは我利我欲の道です。王道であれば、社会保障という枕詞をつけて増税するような騙しの手口はあり得ないからです。
岡田氏が消費税増税に反対するのは、先送り論に過ぎないと発言しています。大きな問題を先送りしている人が、堂々と言える言葉ではありません。ほんとに、厚かましいにも程があるという言葉を思い出してください。
民主党の皆さんには、もっと、言葉を大切に使って欲しいと願います。彼等は、日本語さえも崩壊させるつもりなのでしょうか。
野田氏は「この法案に政治生命を、命を懸ける」と言っています。そうであれば、自刃してその言葉を国民に信じさせてください。もし、彼が本当に自刃して、自分の死をもってでも国民に訴えるのであれば、私も今回の消費税増税は認めるしかありません。そうではなく、野田個人の政治生命など懸けてもらっても、国民には何の意味もない事です。勝手に死んでください。あれだけ真逆な発言をしておいて、国民に自分を信じてくださいと言っても、虚しいだけです。どうしても、国民を納得させたいのなら、本当に自分の命を絶ってください。その行動がなければ、野田氏の言葉は完結しません。そもそも、命を懸ける場所を間違っています。一つしかない命なのですから、国の仕組みを変えることに使ってください。
財政破綻という、大きな、本物の問題を隠しているので、言葉だけでは収拾しません。
今、やるべきことは、今しかできないことは、勇気を持つ事です。
間近に迫っている財政破綻の全容を提示し、国として、再建のための大きな青写真を示す勇気を持つ時なのです。この国は、政治家も、官僚も、国民も、誰一人として得をすることが出来ないほどの大怪我を負っているのです。
私は政治家ではありませんし、政権も担当していません。野田さんや岡田さんを大変羨ましいと思います。なぜなら、日本を救うことのできる立場にいるからです。こんなチャンスは誰にでもやってくるチャンスではありません。野田さんは、1/120000000のチャンスを、小さな欲のために捨てているのです。どうして、そんなチャンスを溝に捨ててしまうのか理解が出来ません。彼等は、完全に自分を見失っています。広島と長崎に原爆を落とさせ、沖縄戦に突入してしまった時の指導者と酷似しているように見えます。当時の指導者たちも、勇気さえ持つことができれば、あの惨状を避けるチャンスはあったのです。視野狭窄に堕ち、自分を見失っていた指導者達は、天皇陛下の玉音放送でしか事態を収拾できなかったのです。あの時の天皇陛下の決断は、真の勇気です。天皇は、自分の命を投げ出したのです。敗戦になれば、自分の命がなくなることは知っていました。結果的に、いろいろな事情があって処刑されなかっただけです。天皇は文字通り「命を懸けた」のです。勿論、天皇は自分のために命を懸けたのではありません。国民のために、自分の命を差し出したのです。
今の天皇に、昭和天皇のような影響力はありません。その天皇の代わりが出来るのは総理大臣なのです。あの昭和天皇の覚悟や行動と比べて、野田首相のスケールは余りにも小さすぎます。
今度の日本崩壊は、あの敗戦でさえ些細な歴史だと思わせるほどの惨事になります。
日本国債の国外保有率が昨年の12月で8.5%と発表されました。
以前に書きましたが、同じく昨年の9月が8.2%でしたから、上昇しています。
5%時代から見れば、70%も上昇しています。
一桁の数字ですから、気にする必要はないのでしょうか。
いいえ、これは、パーセントの魔術です。
単純計算をしますと、1000兆円の8.5%は85兆円です。
ギリシャの国債残高が約20兆円、スペインが約70兆円、イタリアが約200兆円です。
85兆円といえば、立派に一国の国債残高としても通用する数字です。
日本国債を買った海外資金は欧州危機から避難してきた資金だと言われていますが、どこまで本当かはわかりません。もし、国内資金の国債購入余力が無くなってきた結果だとすれば、長期金利の上昇はすぐそこに迫っています。国外保有の国債を半分売りに出しただけでも、40兆円になります。それを吸収する余力が国内資金にはあるのでしょうか。40兆円といえば、日本の年間税収と同じ金額ですから、簡単な金額ではありません。
国内資金の国債購入余力もはっきりしていません。国民貯蓄は1400兆円といわれていますが、それが全て預貯金かどうかわかりません。銀行も国債だけを買っている訳ではありません。企業への貸し付けも、個人への貸し付けもあり、有価証券や国債以外の債権も保有しています。それは、保険会社や年金運営会社も同じでしょう。実際の購入余力がいくらあるのかを知っている人はいるのでしょうか。推測に過ぎませんが、国内資金の国債購入余力は限界にきていると考えた方が正しいように思います。
日本の財政破綻のシナリオを簡単に書いてみます。
国内資金の購買余力の減少。
国外保有率の上昇。
長期金利の上昇。
国内金融機関の国債売り。
国債の暴落とデフォルト。
国外保有率の上昇が止められないとすると、長期金利の上昇も止められないことになります。そもそも、現在の1%以下の金利が普通ではないのです。以前に計算したように、4%になっただけで、日本国債はデフォルトします。
抜本的な対応が必要なのです。
消費税増税では何も解決しません。
財政が破綻すれば、増税しても、社会保障はゼロになります。
国民は、早く、そのことに気付かねばなりません。
それと、もう一つ、私達が勘違いしてはいけないことがあります。国民を地獄に落そうとしているのは、私達の本当の敵は、官僚と官僚組織であり、前線で騒いでいる政治家やメディアではありません。
抜本的な対応とは、何度も言いますが、先ず、官僚利権の国庫返還です。次に政治家が手弁当で国政を担うことです。そして、最後に国民の協力です。これであれば、日本はまだ再生が可能です。今は順番が逆であり、再生の可能性は遠のくばかりです。なぜ、官僚や政治家が国民より先なのか。それは、これが国家運営の失敗だからです。失敗したのは彼等であって、国民ではないからです。犠牲者である国民が真っ先に責任を取らされるのは、理に適っていないだけではなく、順番を逆にした方法では再生が不可能なのです。
勿論、国民に責任がないのではありません。彼等の失敗を放置した責任はあります。その責任は取らねばなりません。
社会保障維持のためには増税もやむを得ないという世論があります。
社会保障という枕詞をつければ、これだけの効果があるのですから、官僚の狙いは的確だと言えます。
しかし、いくら増税しても社会保障は維持できないということを彼等は決して言いません。
中には、5%の増税で社会保障は盤石だと思っている人もいます。
これを同床異夢と言うのです。
日本人は、実にお目出度い人々だと言ってもいいでしょう。
消費税は、留まることなく増税されます。仮に、25%が消費税の限界だとすると、次に来るのは社会保障費の減額です。重税に身動きが取れなくなった時に、社会保障が減らされるのです。どうして、これほど明らかなことが忘れ去られているのでしょう。
国民も、まだ、過去の栄華の中から抜け出せていないということなのです。
これは、ただただ、欲のなせる仕業です。
日本の現状は、そんな生易しい状態ではありません。
気付きましょうよ。国民の皆さん。
ほんの少しの間でいいですから、欲を棚に上げて冷静になってみませんか。
そうすれば、誰にでもわかる事です。
言い忘れましたが、社会保障費の減額で終わりではありません。
その後に本物の地獄が登場するのです。それが、日本崩壊です。
私達が次の世代に渡すのは、凄惨な地獄絵図です。
私達の終わりの始まりが、今回の増税なのです。
後になって「騙された」と叫んでみても、何の役にも立ちません。
2012-03-27
常識なんて [評論]
今日は、超短編小説としてお読みください。
これは、小説です。フィクションですから、登場する地名や団体や人物は実在するものとは一切関係がありません。
物語の舞台は、東京の永田町と霞が関の間に、地見町という町があり、そこにある町立の毛良小学校です。
魑魅魍魎小学校と陰口を叩かれていますが、生徒達は純真な子供達であり、決して魑魅魍魎などではありません。ただ、子供達の親は大半が政治家や官僚なので、親のことを揶揄して言われている陰口かもしれません。
では、早速、五年一組の授業を覗いてみましょう。
担任の石田先生が道徳の授業を始めました。
「みんな、元気かな」
「はーい」
毛良小学校では、道徳の時間は教科書を使わない授業をしていたので、生徒達の机の上には何も置かれていなかった。
「嘘つきは泥棒の始まり、という言葉を聞いたことがある人」
手を挙げる生徒はいなかった。
「昔、そう言われていた時代がありました」
先生は、子供達の私語が鎮まるのを待った。
「では、嘘と泥棒について、皆はどう思っているのかな」
「はーい」
「はーい」
ほとんど全員の子供達が手を挙げた。
「では、枝野さん」
「すぐにばれる嘘をついてはいけないと、言われています」
「よく、できました。他には」
「はーい」
「はーい」
「仙石君」
「捕まるような泥棒はしてはいけない、と言われています」
「そうですね。嘘はばれなければ嘘ではありません。捕まらなければ泥棒ではありません」
子供達は石田先生の道徳の授業を楽しいと感じている。
「この国で、一番偉い人は誰ですか」
「はーい」
「はーい」
「では、野田君」
「総理大臣でーす」
「よくできました。総理大臣は、あんなに嘘をついているのに、ばれていませんね」
「はーい」
「総理大臣は、税金も泥棒していますけど、捕まっていませんね」
「はーい」
「だから、一番偉い人になれたのです」
「はーい」
「みんなも、一生懸命頑張って、立派な嘘がつける大人にならなくてはいけません」
「はーい」
「間違っても、捕まるような泥棒をしてはいけません」
「はーい」
「そのためには、日々の努力が欠かせません」
「はーい」
その授業が終わって、一か月ほど過ぎた日に石田先生は校長室に呼ばれた。
「今日は、訓告を申し渡します」
「はあ」
石田先生の語尾は思いっきり上がった。懲戒処分など寝耳に水だったからである。
「去る、○月○日、道徳の時間に不適当な授業が行われました。今後はこのようなことのないように気を付けてください」
「よく、わかりませんが」
「嘘つきは泥棒の始まりという授業をしましたよね」
「それが、何か。私は間違ったことは言っていません」
「わかってます。教える時期が早かったと思い、教育委員会の要求を受け入れました。五年生では、私も、少し早いと思います」
「それは、おかしいです。正しいことは早くから教えなければなりません」
「石田先生」
「・・・」
「もう決まった事です。そして、もう、終わりました。取り消すつもりはありません」
校長室を出た先生は職員室に戻った。
「教頭。ご存知だったんですか」
「まあ」
「納得できません」
「まあ、まあ」
「早すぎる、なんてこと、ないでしょう」
「まあ、常識的な見解ってことで」
「常識」
「いいじゃないですか。これで、石田先生も仲間入りです。懲戒を貰ってなかったのは先生だけでしたからね」
「そういう問題じゃありませんよ」
「いや、そういう問題なんですよ」
その日、石田は浴びるほどの酒を飲んだ。
「常識なんて、糞食らえ」と叫んでいたことは憶えていない。
この物語が、無茶な設定であることは認めます。
決められたことを決められた通りにやることが大切な場合もあります。それを否定するものではありませんが、時と場合は、そのことより優先します。過去が正しくなかったことも、常識が正しくなかったことも、何度でもありました。崩壊後の社会では、みんなで仲良く助け合って生きていくという発想が通用しません。きれい事では生き延びることができない社会になるのです。嫌な事ですが仕方ありません。
今は、子供達に、自分で考える事、想像すること、応用する力を持つことを教えなくてはなりません。これまでの常識が何一つ役に立たなくなる時が来るのです。常識を破壊することから生まれてくる応用力が必要とされる時代になるのです。生き残る基礎力を教えなければなりません。死んだら、そこで終わりです。生きていれば、何かができるかもしれません。民族の再生をやってくれるかもしれないのです。
この毛良小学校で学んだ子供達は、日本が崩壊した後も一番長く生き残ると思います。それとは逆に真っ先に死ぬのは、話題になっている「ゆとりちゃん」達でしょう。なぜなら、誰も経験したことのない事態ですから、マニュアルがありません。100%応用力が求められます。食べるものが無くなっても「別に」と言っていたのでは生き残れません。文科省の一部の官僚達の思いつき実験のモルモットにされた彼等は犠牲者です。実に、教育というのは恐ろしいものだと思います。こんな時期に、こんな実験をしてしまったことも不幸の一つです。ゆとり教育で、子供達が生き残る力を手にしたとは思えません。
彼等は死ぬ時、「なんで」と言って死んでいくような気がしますし、その気持ち、わかるような気がします。だって「訳わかんない」ですものね。
また、「ゆとりちゃん」達は、どんな状況に追い込まれても暴動や革命はやらないでしょう。多分、そんな想像もしないと思います。もっとも、「ゆとりちゃん」達だけてはなく、先輩諸氏だって何もやりませんので、暴動や革命の心配はしなくてもいいのだと思います。
前回まで、石田は暴動や革命を推奨するようなことを書きましたが、推奨できるのは長くても今年一杯だと思います。来年以降の暴動や革命は崩壊の時期を早めるだけになると思います。来年からは、大人しくその日を待つことぐらいしかやることはありません。
ま、誰も暴動や革命を起こす心配はありませんので、取り越し苦労にすぎませんが。
さて、さんざん非難してきた政治家や官僚の生き方を見本にするような物語を書いたことに違和感を持っている方もおられるでしょう。それは、今までの環境と崩壊後の環境が全く違うものになるからです。残念ですが、善意の人をやっていたのでは生き残れません。最優先課題は生き残る事です。その為には、何でもありの世界になります。政治家や官僚は次の時代の「さきがけ」をしているのかもしれません。環境が違えば、求められる常識も変わります。どんな汚い行為でも、卑怯な行為でも、生き残るためには必要な時代になるのです。また、いつの日にか、高い志が戻って来る日を待つしかありません。
話題が変わります。
消費税増税法案の事前協議が民主党内で行われていますが、紛糾しています。増税反対派は景気条項に数値を明記するように要求していますが、政府側は数値を入れることに応じていません。そんな状況の3/22に税調の藤井会長へのインタビューを放映していました。
「私は数値を入れることには反対です。そんなことをすれば、日本は増税をしないと解釈され、国債がもちません」と発言しました。これは藤井氏の言葉通りではないかもしれませんが、発言内容は、ほぼ間違いないと思います。
先ず、藤井氏は、経済成長率が2%または3%のプラスになる自信がないということです。
次に、この増税は社会保障のための増税だったのに、なぜ、国債のことが前面に出てくるのでしょう。「増税しなければ、年金が払えなくなるんですよ」と言えばよかったのに、つい本音が出てしまいました。以前に「待ったなし」という野田発言を取り上げましたが、国債の暴落が「待ったなし」だと白状してしまったようなものです。
こんな細かなことに気付いている人はいないと思いますが、これは氷山の一角であり、本当は、ばかでかい問題が背後にあるのです。それが日本崩壊です。石田のブログを読んでおられない国民の皆さんは、このことに気付くことはありません。
財務省も、こんなマイナーなブログで、こんなことを書いているとは知らないでしょう。学者や評論家、そしてメディアには裏から手を回せますが、相手が個人では手の打ちようがありません。ある意味、国家反逆罪(刑法では内乱罪)になるかもしれません。石田の主張が広く知られるようになれば、日本国内はパニックになる可能性もあり、国益が損なわれることは避けられません。
さて、状況証拠による推測を進めてみますと。
もしも、民主党の事前協議が不透明なまま政府案に決まることがあれば、次のような発言があると思います。「増税しなければ、国債の暴落が始まり、日本はデフォルトします。あなたたちは、その責任が取れるのですか。国を潰しても、いいのですか」と。ただ、大勢の議員の前で言う訳にはいきません。必ず誰かがリークするからです。野田さんは不退転の決意なのですから、小沢さんの前で土下座をして、財務省のシナリオを提示し、理解してもらう方法が一番無難だと思いますが、果たして出来るのでしょうか。不退転なのですから、この程度のことは出来るのでしょう。
最後に、野田さんの衆議院本会議場での過去の演説ビデオを見ました。一般のテレビ(関西だけかもしれません。東京では無理かも)で放映したのですから見た方は多かったと思います。彼は、正しいことを、理路整然と言っていました。今は、過去の発言とは真逆なことをやっています。嘘つきではあっても、馬鹿ではないことを確認しました。でも、もっと広い意味で言えば、本質を見失っているのですから、愚かだという評価は正しいと思います。やはり、ここは、財務省のK氏の手腕を褒めるべきなのでしょう。私もK氏と会ったら、きっと、野田や新聞社のようになるのでしょう。勿論、会ってはくれませんけどね。
あのビデオを放映した関西テレビは、スポンサーが減って、赤字になるかもしれません。財務省ならそれぐらいの手は打つでしょう。
まだ、ユーチューブでも流れていませんが、東京でも見ることができるとすると、いくら頼りにならない民主党議員でも増税法案に賛成はし難いでしょう。
そうなると、増税法案が風前の灯です。
いよいよ、ヤバくなりました。前述の藤井氏の心配が現実になるかもしれません。
ここ数年で、国債の暴落が始まってしまうと、15年後だと言っていた私の説は間違いということになり、石田は嘘つきということになります。
それはそれで、大変、ヤバい、です。
2012-03-24
他人事です [評論]
報道されている政治家の発言を並べてみました。
1.
首相は18日午前、防衛大学校(神奈川県横須賀市)の卒業式で訓示し、「核・ミサイル問題を含む北朝鮮の動き、軍事力を増強し周辺海域で活発な活動を続ける中国の動向など、わが国の周辺環境は厳しさを増すと同時に、複雑さを呈し、不透明感が漂っている」と指摘した。その上で、「このような新たな事態の中においても、(自衛隊は)しっかりとこの国と国民を守らないといけない」と述べた。
2.
自民党の谷垣禎一総裁は18日、橋下徹大阪市長率いる「大阪維新の会」の国政進出に期待が高まる政治状況について、戦前に日本軍部やヒトラー、ムソリーニが台頭した際を想起させるとの観点から警鐘を鳴らした。京都府内で講演し「政党政治が駄目だということで昭和10年代に日本で軍部が出てきた。ヒトラー、ムソリーニが出てきた時もそういう雰囲気だったのだろう」と述べた。
谷垣氏は、維新の会について「(事実上の次期衆院選公約である)維新八策はいろいろ問題点があり、方向性が明らかな政党になるかは未知数だ」と指摘した。同時に「既成政党に期待しても無理との気分があるから、第三極が期待を集めている」と分析。(共同)
3.
自民党の石原伸晃幹事長は仙台市内で講演し、「それが事実なら(消費増税関連法案をめぐる)民主党内の説得を諦めて野党に話をしたということ。今ごろ何をやっているんだ、というのが率直な気持ちだ」と不快感を表明。その上で「党内をまとめられないのに、野党に協力してもらいたいと言われても、私たちはいつ沈むか分からない船に一緒に乗って航海を助ける余裕はない」と断じた。
この3つの発言、いつものことで、別に珍しくもなく、国民は右から左へ聞き流します。
政治や国に何の期待も持っていない人は無視するでしょうし、子供達は「ウザッ」と言うだけでしょう。しかし、この危機的な状況を切り抜けて欲しいと思っている石田は、立ち止まってしまうのです。それは、政治家抜きでは何も出来ないからです。前回、権力者と法律の関係を書きましたが、暴動も革命もできない日本人にとって、法律に対抗する手段は法律しかありません。その法律を作れるのは政治家なのです。ですから、政治家が本来の仕事をしてくれるように願うしか、庶民の選択肢はないのです。
これらの発言に共通しているのは、責任感の欠如と視界の狭さであり、そして平然と他人事だとしてしまう身勝手さです。
先ず、首相発言の「不透明」です。
中国は領土領海に対する覇権を主張していて、その意図は明確です。北朝鮮は体制の維持と生き残りをかけて恫喝外交を展開している。これも明確です。そんな国際環境の中で、毅然たる態度も、明確な発言も行動もしないのが日本です。唯一、不透明なのは日本の姿勢であり、東アジアを不透明にしているのは日本なのです。中国人なら、北朝鮮のミサイル発射を理由に尖閣諸島にパトリオットを配備するぐらいのことはします。こんなに明確な理由があるのに、腰が引けているのは日本だけです。
日本国内も不透明ですし、日本を不透明にしているのは政治なのです。今の状況で、日本を不透明にしている元凶は民主党であり、野田首相です。その本人が他人事のように、環境が不透明だと言っている様子は、問題のすり替えに過ぎません。自分に責任があることには気付きたくないし、将来のことは怖くて見ることもできない。だから、正面から対峙するのではなく、言葉で逃げるしかない。その結果、意味不明な発言も出てくるのです。野田首相は「これ以上、先送りはできない」という発言をします。最も大きな課題を先送りにしておいて、目先の問題に大声を出すやり方は卑怯です。一番「不透明」なのは、首相自身の視界であることに気付かなければいけません。
「不透明」の原因は、国家統治の失敗と政治の機能不全にあるのです。その原因を作っているのはあなた達政治家なのです。
自衛隊には国と国民を守れ、と言いながら、自分は国を壊しているのです。
他人事にしてしまう。嘘をつく。隠蔽する。それでも、日本国民はじっと我慢をする。
これで、日本丸が安全な航路を進むことができるとは思えません。
この日本丸には1億2千万人もの人達が乗っているのです。
次に、谷垣さんの「既成政党に期待しても無理」という発言です。
まるで、他人事です。
既成政党が期待されていない原因を作り出しているのは「お前だろう」と言いたい。橋下はヒットラーだと言えば、何かが解決するとでも思っているのでしょうか。余計なお世話です。自分の党の心配をするべきです。随分前に、自民党が野党になって一年目の時に「拝啓、自由民主党殿」という日記を書きました。一年経っても、何も変えられなかった自民党は、更に一年半が経過しても何も変わっていません。過去という亡霊にしがみついているその手を放さなければなりません。他党や維新の会の心配をしている場合ではないのです。今、あなたがやらねばならないこと、それは、自民党が変わるために客観的な目で自分自身を見つめることです。それが出来ないのであれば、リーダーの立場を返上する事です。谷垣さん。あなたは自分の責務を果たしていません。他人事だと思っていてはいけません。将来を見据えれば、自民党が変わらなくてはならないのです。
そして、石原さんの「いつ沈むか分からない船」という発言です。
既に沈没した船に乗っている人が、沈みそうな船を見て、その船には乗りたくないと言っているのです。いいとこのお坊ちゃんが言いそうなことで、自分の発言が「何か、変だな」とさえ感じていない。全く、当事者という意識が感じられません。これは、もう、笑止千万です。自民党議員の勘違いが、民主党を助け、日本を破滅へと追いやっているのです。
これが、日本の政治を動かしている第一党と第二党のリーダー達です。
これでは、国民に期待されなくても、仕方がありません。
子供達の目にも、頼りない大人と見えているようです。
それでも、政治家の皆さんには、敢えて、自分の立場に気付いて欲しいと願っているのです。本来なら、彼等は大きな責任を負っている筈です。
大阪維新の会に期待できないとすれば、既成政党に目覚めてもらうしか国民の選択肢はないのです。政治の劣化と貧しさには悲しくなりますが、これも私達の現実です。
何かを変えていかなければ、スタート地点にも立てません。
たとえ、間に合わないとしても、最後まで努力するしか方法はありません。
そのために、非常識と言われることを覚悟で、いろいろな提案をしています。
それは、過去と決別するきっかけが欲しいと思うからです。
今日は、国会運営に提案があります。
勿論、石田の提案ですから、非常識なものです。
国会審議における質問書の提出を廃止してみませんか。
国会討論を聞いていると、不思議に思うことが多いのです。
質問書を出すことになっていますので、議員よりも頭脳明晰な官僚が回答を書いて、閣僚はその通りに答弁します。
私には、「なれあい」や「出来レース」や「猿芝居」に見えてしまうのです。
年寄りの子供達が「おままごと」をしているように見えるのです。
現行の方式では、根回しが必須となります。それは、言い方を変えれば裏取引です。過去に、官房機密費が野党やメディアに流れていたということは、裏取引を必要悪だと言い繕って済ませてきたということです。民主党は、まだ裏取引に慣れていないので失敗ばかりしています。岡田さんが大連立を打診したそうですが、話だけを持っていったのでしょう。10億ぐらいの現ナマを持っていけば話は成功していたかもしれません。
でも、そろそろ、こんな常識は変えなければなりません。
国会審議で、本音の議論をすれば、政治不信も少しは解消できるのではないかと思います。
勿論、不様な様子を全世界に発信することになりますが、今は内部崩壊を起こそうとしているのです。先ずは、内部崩壊から自分の国を守ることを始めなければなりません。世界が、もっと混乱している時ならば、日本の国会が混乱しているという理由で、日本に侵略しようと考える国が存在するかもしれませんが、まだ、それはないと思います。政治家に日本を救いたいという志があれば、今はチャンスです。
従来のやり方で運営していますので、野党にも与党にも真剣さが見えません。以前にも書きましたが、儀式になっているのです。過去の常識に胡坐をかいている姿勢が、日本を壊しているのです。
百歩譲って、質問書の提出を認めたとしましょう。
その時は、野党の政治姿勢が、その真剣度合いが重要になります。
小さな提案をしてみます。
これは、非常識な提案とは言えません。
国会審議に何が欠けているのでしょうか。
ディベート能力の欠如というより、シナリオ不足だと思います。
質問する側も、どんな答えが返ってくるのか、予測できる筈です。そうであれば、シナリオを書かなくてはいけません。シナリオですから、当然、起承転結が必要です。先ず、結末を考えます。そのためには、どのような前振りと質問が必要かを割り出します。承と転で矛盾する回答を引き出せば、結の部分で政府の失態を認めさせることができるでしょう。特に、小政党の場合は持ち時間が少ないために、あれもこれも質問しますので、ただ、文字を並べるだけに終わります。それは、時間の無駄です。
つまり、野党の質問には、戦略も戦術もないように見えます。あるのかもしれませんが、とても稚拙に見えます。
小説を書く場合、長編の場合はプロットを書きます。それは、物語に矛盾を生じさせないためでもあり、いろいろな場面で結末に至る布石を置くためでもあります。本の宣伝文句にどんでん返しの結末という言葉があります。それでも、読者が「あれが、そうだったのか」と納得してくれなくては、結末にはなりません。脈絡も何もない結末は書けないのです。小説の場合は、プロットが戦略であり戦術なのです。
私の小説のように、本にもならない、売れない小説でもプロットはあります。
できれば、国会質問にも、もう少しまともな戦略を立てて欲しいものです。
あれだけ多くの国会議員がいて、憂国の議員が一人もいないとは思いたくありません。
このように、個別の事例を検証すると、従来方式がドン詰まりにきている様子がよくわかります。これは、国会審議だけではありません。日本の国家システムは、ほとんど惰性で動いているに過ぎません。
大阪の橋下市長が「全部リセットしなきゃ駄目です」と何度も言っていますが、地方政治を実践している彼には、この国の行き詰ったシステムが見えているのです。「ぼったくりバーの請求書」や「バカ教育委員会」などの派手な言動に対し、波風を嫌う人達は眉をしかめますが、過去のシステムが機能しなくなったことを放置しておいても自然治癒することはありません。壊れるものは壊れていくのです。
一般紙の記事にも、消費税増税40%の記事が出るようになりました。ほんの数行ですが、一橋大学の教授の発言として載せられていました。関心のある人間しか読まないでしょうが、次第に大きな記事になって欲しいものです。勿論、新聞社は増税に反対しているのではありません。増税に賛成する立場から、このままだと、つまり今回5%の増税をしないと、将来は40%増税になるから、早急に5%の増税を実現しなければならないと主張しています。こじつけの論理もここまでやると、やりすぎですが、庶民はそれほど馬鹿ではありませんので、増税賛成の立場でも構いませんので、40%増税を書いてもらいたいと思います。庶民は正しい判断をします。今、5%の増税をしたとしても、将来的には必ず40%がやってくることを気付き始めています。
消費税の40%や50%が持続可能なシステムだと思える方はいるのでしょうか。
いや、私は25%でも難しいと思います。
とことん搾りとられた後に、待っているものは飢えと死です。
ほんとに酷い話です。
日本人は、それでも暴動を起こさないのでしょうか。
これは、民族の特性を検証する実験なのでしょうか。
2012-03-21
現状認識すら [評論]
石田の評論はオリジナル評論です。他の人の意見を書く場合は、その意見が誰にでも読めるように紹介しています。どこで読んだか、どこで聞いたかが定かではない場合でも、自分の意見として書くことはありません。他の人の意見であることを明記します。
私は、自分が大きな勘違いをしていることに気付きました。
日本が直面している危機は大勢の人が知っていると思っていたのですが、どうも、そうではないようです。
先日読んだ記事に「国債の暴落は10年ぐらい、無いでしょう」という発言がありました。
どこで読んだのか憶えていませんので、固有名詞は書きません。
でも、それを言った人は、充分に知識のあると思われるネットメディアの編集長です。
実に驚きました。
何に驚いたかと言うと、それが結論だったからです。
国の統治機構や長期金利や国債の話をする時は、時間の単位は10年が1単位の筈です。すなわち、10年と言えば直近の話なのです。
私は、よく巨大タンカーの話をします。進路変更は簡単には出来ません。時間がかかるものなのです。国債の暴落が防げるものとして、その方法を実行するには、やはり10年単位の時間が必要なのです。1年や2年で借金を減らす魔法のような方法などありません。ぎりぎり目一杯の努力をしても、10年や20年はかかります。それでも、完済はできません。1000兆円の借金を返済するには、100年は必要になると思わなければなりません。
その時間を考えれば、10年という時間は、短くて、とても危険な時間だということです。
10年ぐらい国債暴落はないのだから、喫緊の課題ではないと考えている。そのことに、大変驚きました。メディアの編集長とはいえ、準専門家の一員と言ってもいいでしょう。彼がその程度の認識しか持っていないのであれば、他は推して知るべしです。
国債の暴落を本気で予測しているのは、そして、それが大変危険なことだと認識できているのは、財務省の一部の官僚だけなのかもしれません。
そう考えると、石田の話は、まだ、ヨタ話だと思っている人がほとんどだということです。
石田の評論を読まれた方は、違和感が大きかったのではないかと思います。
私は、日本崩壊は15年後だと、言いました。
「15年も先のことを、どうして、それほど大事件のように言うのだろう」と感じていたのだと思います。
それでも、私は大事件だと思っています。
私は、日本が進路変更するには15年以上、大特急でやっても、大きな幸運に恵まれたとしても、20年か30年は必要だと思っています。これでも希望的観測によるものです。実際には50年単位の時間が必要なのだと思います。それは、進路変更が容易ではないからです。
政治家が、官僚が、国民が、全員で変わらなくてはできない難事業です。この三者のうち誰か一人でも「しらんぷり」をすればできません。そのことに気がつけば、気楽な話をしていられる状態ではないのです。
現状認識ができなければ、何も始まりませんし、現状認識ができたとしても、三者が一丸となって協力しなければなりません。
政治家が、志を持てますか。
官僚が利権を手放しますか。
国民が、ダウンサイジングに同意しますか。
どれ一つ取っても、容易ではありません。
それどころか、99.9%は不可能だと考えなければなりません。
しかも、まだ、現状認識すら、できていないのです。
三者が現状認識で一致したとしても、再建計画を建てねばなりません。
計画を作るだけでも、時間がかかります。
その上、急激な変更は、別の意味で日本崩壊に繋がります。
ソフトランディングするためには、時間が必要なのです。
短時間で崩壊阻止をするためには、奇跡を願わなければなりません。
奇跡の掛け算をしてみましょう。
奇跡的に。
今すぐ、政治家、官僚、国民が現状を正しく認識したとしましょう。
今すぐ、官僚が利権を手放したとしましょう。
今すぐ、政治家が志を持ったとしましょう。
今すぐ、国民がダウンサイジングを受け入れたとしましょう。
今すぐ、再建計画が出来たとしましょう。
今すぐ、実行したとしましょう。
そして、ソフトランディングが10年で成功したとしましょう。
[奇跡]×[奇跡]×[奇跡]×[奇跡]×[奇跡]×[奇跡]×[奇跡]
奇跡の七乗です。
これは、あり得ない奇跡です。
私は、何度も、時間との戦いだと書きました。
10年では、とても出来ません。
ですから、日本崩壊は避けられないと確信しているのです。
崩壊の阻止には長い時間が必要だということに気付かなければ、未来が現在の延長線上にあると思ってしまうのです。
まだ僅かの人ですが、崩壊の危険があることを指摘する人はいます。それでも、崩壊後の社会を想定する人はいません。
崩壊を阻止する有効な方法を提示した人もいません。
崩壊を阻止する方法がわからないのですから、それにどの位の時間がかかるのかは、誰も言えません。
このことは、誰一人として、本気で考えている訳ではないという事です。
この危険を認識するまでには、まだまだ時間がかかることになるでしょう。
過去から続いてきている日常の中で、「何とかなるだろう」という漠然とした安心感に支えられているだけです。何の根拠もない安心感だけで大丈夫なのでしょうか。それなのに「何か、変だな」という空気はあります。矛盾していませんか。
増税をすれば乗りきれるという官僚の甘言に乗せられていていいのでしょうか。
いいえ、そんな簡単なことではありません。
基本となるのは、現状の正しい認識です。正しいという意味は、利権集団による数値の改竄や隠蔽がないデータを意味します。
ここで、現状認識とは何かを考えなければなりません。
あらゆる想定をした時に、今現在の日本がどんな場所に立っているかを知る事です。
数多くのシミュレーションが必要になります。長期金利、経済成長、国内貯金、支払い金利、それ以外にもありとあらゆるシミュレーションをした上で、破綻した時の社会環境もシミュレーションしなくてはなりません。更に、最悪の事態を避けるためには、何をすればいいのか、何ができるのかもシミュレーションし、時間計算もする必要があります。
これだけでも、かなりの時間が必要です。
そう考えた時、10年という時間はあまりにも短いと思います。
私達に残された時間は決して多くはないのです。
ここで大きな難問があります。利権を守りたい政治家や官僚やメディアや銀行や電力会社という現状維持連合の人達に影響されない場所で資料を作らなくてはなりません。それだけでも大変な事なのです。
もしも、このプロジェクトのリーダーを、あなたがやらねばならないとしたら、あなたなら、どうしますか。
私には出来ません。
お金もなく、スタッフもいない状況では何もできないのです。
1兆円の予算と100人のスタッフがいたとしても、数年はかかります。勿論、世界中の民間会社に外注しますので、100人のスタッフは調整役に過ぎません。もし、自前で全てのシミュレーションをするのであれば、100倍の人員が必要になります。利権集団が資金を出してくれるとは考えられません。これは、実現不能なプロジェクトです。
私達は、既に20年間を無駄に費やしてきました。20年前に行動を起こしていれば、かなりの成果が得られていたことでしょう。でも、きっと、今からも何もできないとすれば、10年後に同じ後悔をすることになると思います。あまりにも多くの人が危機に気付かず、ごく少数の人が、その危機を利用して利権を得ている。そして、今も消費税増税で利権の温存を画策している人達がいる。この日本の現状を知る人はどれだけいるのでしょうか。
ここで、あらためて、石田の立ち位置を書かせてもらいます。
石田の日本崩壊論は、経済理論でも政治理論でも国際理論でもありません。そもそも、学問的理論ではありません。
強いて、こじつけて、何らかの学問風に言うのであれば、人間論に近いかもしれませんが、そこに学問としての論理体系があるわけではありませんので、学問の範疇にはないものだと考えてください。
最初に。
石田の原視点は、人間の欲望にあります。
そして、見ている場所は未来です。
そこは、学問万能の世界ではありませんので、学問が役に立つとは限りません。
石田は、庶民の一人ですから、利権も権威も必要がありませんので、学問的な理論で武装することを求められている場所にはいません。
また、欲望を学問にしたいとは思っていません。なぜなら、学問になると、学問としての制約に自己規制されますので、その時点で欲望論は死にます。
石田の役目は、庶民の直感を、可能な限り文字に翻訳することだと思っています。
我々人間は、何となく、漠然と、もやもやと、訳もなく不安を感じるものです。それは、筋道を立てて理論的に説明できるものではありません。でも、庶民の不安感や閉塞感や焦燥感は、いつの時代でも時代を先取りしてきたのです。しかし、権力者達は、自分の権力を維持するために、力で庶民をねじ伏せてきました。権力者が使った力は、暴力であったり、武力であったり、恐怖であったりしましたが、その犠牲になったのは、いつも庶民でした。現代では、暴力や武力や恐怖で庶民をねじ伏せることはできませんので、それを法律で代行しています。権力者による、権力者のための法律を作ることで実現を可能にしました。ですから、その法律は庶民を守るものではありません。暴力や武力や恐怖ではありませんので、不安感や閉塞感や焦燥感が爆発し難くなっていることも権力者の利益になっています。庶民は、法律を絶対的なものだと信じ込まされているので、本音の部分を表に出せない状態なのですが、ねじ伏せられていることに変わりはありません。
次に。
危機管理の視点です。
危機管理も将来に対応するために存在しています。
そして、危機管理は最悪の事態を回避する目的で構築されます。
アメリカで発表された福島原発事故の報告書では、日本が危機管理をしていれば原子力事故は防げたはずだと断じています。私も、この意見には賛成です。
危機管理を危機管理でなくしてしまったのは、官僚達です。
日本の危機管理では、権力者にとって、別の側面から言えば利権集団にとって都合のよい数値を危機管理に使用してきました。これは、法律に違反している訳でもなく、使用された数値が限度を超えていた訳でもありませんが、下限の数値を使う場所に上限の数値を使うという手法で利権を生みだしてきたのです。官僚達の主業務は、この作文にありました。彼等は国家運営をしてきたのではありません。利権運営をしてきただけなのです。官僚にとっての優先事項は、第一が自分自身の出世と保身、第二が属する省庁の利益、第三が官僚組織の利益になってしまいました。国家国民のことは眼中にもありません。これで、まともな国家運営などできるはずがありません。民間会社であれば、最優先事項が自分自身の出世と保身でも構いません。自分の部署が大事、自分の事業部が大事であってもいいのです。公務員は、そうではありません。公務員とは、最優先事項に国家国民のために仕事をすることを求められている職業です。
だからと言って、官僚を根こそぎゼロにしろと言っているのではありません。利権運営ではなく国家運営をするために官僚は必要なのです。それが、彼等の本来の仕事です。必要だからこそ税金を投入しているのです。国民は、官僚の利権運営のために税金をつぎ込んでいるのではありません。現状であれば、公務員を税金で雇用している事、そのものが歳費の無駄使いなのです。
官僚は原子力村という利権集団を作り、危機管理よりも利権を優先しました。その結果が福島原発の事故になったのです。これは、原子力行政に特有のことなのでしょうか。
違います。
もし、危機管理が機能していれば、日本の借金はここまで膨れることはなかったと思います。日本の危機管理は利権の中に埋もれてしまったのです。
日本の危機の出発地点は、官僚利権にあるのです。ところが、誰も恐ろしくて手をつけません。それは、間違いを糺すべき政治家に、自分も利権の一部を手にしたいという助平根性があるからです。つまり、欲望の二重奏や三重奏があらゆる場所で行われているのです。
危機管理が機能するような仕組みを作らなければなりません。国の仕組みを変えるということは、そういうことなのです。
石田の日本崩壊論は、庶民の将来に対する危機管理だと捉えてください。
石田は、権力者の利権を擁護する立場にはありません。
石田の主張が、暴論だと感じたり、非常識だと見えることは致し方がありません。石田は権力者達が作りあげた常識を認めていないからです。
従って、学者や評論家の先生方の主張とは同じものになれません。それは、視点が違うのですから仕方がないのです。
学問的な理論は、時間とともに変化していきます。それは、環境が変わるのですから当然の事なのです。しかし、人間の欲望は、地球上に人類が生存し始めた時から変わらずに存在しているものですから変わりようがありません。人間が欲望をなくせば、人類は地球上から姿を消すことになります。人間が生きている限り、欲望はなくなりません。
時間が経過すれば、それは地獄が近くなることでもあるのですが、石田の日本崩壊論に近い主張が主流になります。でも、それでは対応策を取る時間が更に少なくなることを意味していますので、間に合わない確率が高まります。
日本の空き家率が増えているという報道があります。財政問題とは何の関係もない問題ですが、国家運営という観点からは無視できない内容です。少し古いデータですが、全国平均では空き家率が14.4%もあるようです。パーセントで見るとそれほど大きな数字ではないように感じますが、7軒から8軒に1軒の割合で、無人の家があるというのは驚きです。山梨県では、5軒に1軒は空き家だそうです。30年前のデータは知りませんが、日本社会が向かっている方向が明るいとは言えません。餓死もありましたし、孤立死も増えています。社会のいろいろな場所が、壊れ続けている。これが、現実なのだと思います。
財政だけが独立して破綻に向かっているのではありません。社会全体も同じ方向へと向かっているのです。確信はありませんが、もしかすると、片足ぐらいは地獄に踏み込んでいるのかもしれません。もし、そうだとすると、崩壊の阻止など、とても、間に合いません。
2012-03-18
壊れゆく日本 [評論]
JBPRESSの記事を二つ紹介します。
3/13付、ザ・エコノミスト紙の記事。
表題は、「3.11」後の日本 : 失われた信頼
同じく、3/13付、武者陵司氏の記事。
表題は、年末には90円が視野に、長期円高を終焉させたパラダイムシフト、です。
ダイヤモンド・オン・ラインの記事を一つ紹介します。
3/13付、河野太郎氏のインタビュー記事です。
内容は自民党内の電力改革の話です。
これらの記事に共通するものは、「壊れゆく日本」です。
ザ・エコノミスト紙の、最後の文章を転記します。
[日本における変化は通常、後になって初めてはっきり分かるものだ。ある幻滅した公務員の言葉を借りるなら、今のムードは第2次世界大戦が終わる前の時期を彷彿させる。日本の多くの下士官や市民が、大将たちが国を惨事に向かわせていることに気づきながら、決して声を上げようとしなかった頃のことだ。
地震と津波と原発事故は日本にとって、あのおぞましい日々以来最大のショックだった。だが、人々が意見を口に出すようになれば、まだ復活への望みはあるかもしれない。]
文中で公務員の言葉を借りれば、と書いていますが、ザ・エコノミストの記者は「日本は大惨事に遭遇しますよ」と記者本人が感じたことを警告として表現しているのです。日本以外のジャーナリストには日本の現状がはっきりと見えているということです。いや、日本のジャーナリストだって見えているのですが、書かないだけなのです。
次に、武者陵司氏の記事の一部を抜粋します。
[第1に地政学観点からの転換である。日本の貿易収支が赤字に転落するなど、1990年代以降米国の産業競争力を破壊しつつあった日本抑制のための超円高の必要がなくなった。]
これは、もう日本が昔の日本とは違うという意味です。
同じような内容が中国からも発信されています。
3/12付けの中国共産党機関紙・人民日報系の国際問題紙「環球時報」は「日本が早期に地震の暗い影から抜け出すよう真摯(しんし)に祈る」と題した社説を掲載、「アジア最強国への道を歩んでいるわれわれは、日本に対する考えを整理し直す適当な時期に来ているのかもしれない」とし、東日本大震災を機にこれまでとは異なる両国関係の構築が必要との見方を示した。 社説は、大震災1年を迎えた今、「日本の震災後の再建はあまり順調ではなく、国内で民衆の不満は非常に高い」と指摘。「1970~80年代のわれわれが知っているあの日本と比べて確かに異なるものだ」と感想を漏らした、と報道されています。
河野太郎氏の記事では、未だに「電力族は産業界、政界に深く根を張っている」と言っています。
そして、
[地域独占、発送電一体、総括原価方式等、こうした利権が今回の事故の温床だ。学者もメディアもみんなグルだった。原子力行政のトップである経済産業大臣は代々、自民党から出してきた。]
[こういう原子力の制度を設計したのは自民党だ。もし、国民の皆さんに自民党が政権を取ったら、これまでのような原子力行政を続けると思われていたら、自民党は政権を取ることはできないだろう。電力、特に原子力行政については社会保障や消費税と並ぶ争点となっている。]
河野太郎氏は自民党内での改革派ですが、何も変えようとしない自民党ですから、ネットメディアへの寄稿という形をとるのでしょう。河野太郎氏が自民党のリーダーになっていれば、そのチャンスはあったのですが、自民党は変わっていた可能性がありました。それが出来なかった自民党の支持率は下がったままです。河野太郎氏は電力族の抵抗で、自民党は有効な改革案が示せないと言っています。党の再生よりも、自分の利益が優先する自民党議員に国会議員としての価値はあるのでしょうか。過去の総括を何もせず、目減りした利権にでも、しがみつく道を選んだ彼等を国民は知っています。
人間の体も社会的な組織も、思想でさえ、新陳代謝ができなくなれば、死を迎えるのです。
ここに挙げた記事は、全てネットメディアの記事です。
新聞・テレビからは、日本の現状について発信されていません。
いつも、肝心な時に大手メディアが変節するのは、なぜなのでしょう。
一度ならず、二度までも悪魔に魂を売った大手メディア。
この罪は万死に値します。
特に、ザ・エコノミスト紙が書いた内容は、ジャーナリストとしては書かねばならない記事だと思います。
世界的に見ても、日本が壊れていく様子は見えているのです。
しかし、日本は何も対応していません。
過去の常識に立脚していたのでは、この先も、日本は壊れ続けることになります。
時代が変わったことを一番認識しなければならない当事国が、身動きが取れずに過去にしがみついているのです。それが、日本の現状です。
何度も書きますが、財政破綻は一つの現象に過ぎません。
これは、国家運営の失敗なのです。
勿論、それは致命的な事故になりますが、それを避けるために必要なことは増税ではありません。国は、現実から目を背け、逃げているだけです。
今、必要とされていることは、国の仕組みを変えることです。
そして、国の仕組みを変えるためには、志が必要なのです。
自分を棚に上げて言うのは卑怯ですが、志を為す人間が日本にはいません。
もっと言えば、日本には志が見えません。
今、放置すれば、日本は必ず崩壊します。
国家運営とは関係のないように見える場所にも、その兆候は数多く見られます。
多くの国民は気付いていませんが。
この日本崩壊は、人類史上、空前絶後の規模になるでしょう。
生活が苦しいという程度の国家崩壊ではありません。
レベル9が当たり前になる国家崩壊など今まではありませんでした。
北朝鮮でさえユートピアに見える社会になるのです。
こんな惨状を予測しているのは、財務省の一部の官僚ぐらいですが、決してそのことを表に出すことはありません。
何の力もない私達庶民は、せめて、声を出すしかないのだと思います。
それすら、しなければ、私達は、子供や孫達に向ける顔がありません。
何もしない、何も言わないことは。
最初に犠牲となる弱者に「死ね」と言っているのと同じなのです。
こんな悲しいことが、あってもいいのでしょうか。
児童虐待など、許せない、と誰でも思っています。
でも、私達は、それ以上に酷いことを子供達にしているのです。
何もしない、何も言わないということは、そういうことなのです。
欲望という泥に埋もれて、メディアが死んだ今。
残されているのは、私達庶民の良識しかないのです。
暴動や革命ができないのなら、せめて声だけでも出さなくてはなりません。
石田は、そう思って、書いています。
革命戦士になれない石田にとって、言葉は銃弾なのですが、全く敵には届かない。
情けない話です。
2012-03-15
言葉遊び [評論]
3/9付けのロイターの記事に、震災1年:相次ぐ日本国債格下げ、「暴落ストーリー」再燃の不安という記事がありました。特別な記事ではありません。誰でも書けるような記事です。
何度も指摘して済みませんが、海外メディアやネットメディア、そして雑誌、週刊誌では日本国債の危険を指摘する記事が多くなっていますが、新聞、テレビは無視をしています。消費税の増税では、前者が反対姿勢、後者は賛成です。テレビの地方局は、反対表明しますが、東京のキー局は避けて通ります。地方局のアナウンサーは「どうして、東京はこのことを取り上げないのですか」とコメンテーターに問いかけます。大手新聞社は積極的に「増税せよ」と叫んでいます。
大手新聞社と東京のテレビ局は、どう見ても変です。
状況証拠だけでは有罪にできませんが、何らかの作為があることは疑問の余地はないものと思います。しかし、庶民には捜査権がありませんので手がつけられません。
これって、国民を馬鹿にしてませんか。東京の世論操縦を重視しているということは、東京に住んでいる人達のことを馬鹿の集まりだと思っているのですか。東京を制圧できれば、全国を制圧できると考えているのでしょうか。
これは東京一極集中の弊害なのだと思います。それが、日本社会の歪みの要因にもなっているのでしょう。これは、末期症状です。その歪みが東京直下地震を呼び込むのだとすれば、それは、天災ではなく人災なのではありませんか。
先日、大騒ぎをした野田・谷垣秘密会談を仕組んだのは読売新聞の老人だという噂がありました。ほんとに、あの人も懲りませんね。フィクサーのつもりなのでしょうか。しかし、財務省の説得と脅しに屈し、ジャーナリズムを捨て、悪魔に魂を売った大手メディアのリーダーが国民を地獄へ突き落す先頭に立っているのは許せません。このことを、操縦されている東京の方はどう感じているのでしょう。
世論調査の数字を信用したとして、増税賛成の国民がいるということは一定の効果があるということなので、「お上」のやり方も的外れではないのでしょう。「お上」が国民のことを馬鹿だと思っていることも、彼等の判断が正しいのかもしれません。
それにしても、財務省のK氏の手腕は素晴らしいものがあります。総理大臣を籠絡し、メディアを支配下に置く力量は政治家以上です。何故、これほどK氏の力が強いのかを考えた時、そこには何らかの材料が存在すると考えざるをえません。その材料とは、苦痛度等級レベル9なのではないかと思います。野田氏にしてもメディアのリーダーにしても馬鹿ではありません。財政破綻の可能性程度の知識は持っています。しかし、レベル9を持ちだされたら、反論の材料はありません。レベル9に言及しているのは石田ぐらいです。ネットメディアでも、レベル9に言及している所はないと思いますので、インパクトは強かったと思われます。また、彼等でも、消費税を増税したぐらいでは財政破綻が回避できるとは思っていません。でも、直近の危機を回避しなければ、レベル9が現実になると言われれば、5%の消費税増税に賛成せざるを得なかったのでしょう。ですから、その説得力の源泉となったのは財政破綻ではなく、レベル9だったのです。石田でさえわかることなのですから、本家本元の財務官僚が知らない筈がありません。
彼等は、消費税を50%まで増税しても財政破綻が阻止できないことは知っています。それは、小学生レベルの算数ができれば誰にでもわかることです。それでも、先送りをしてしまうところが日本人なのだと思います。
本物の革命者でないかぎり、国の仕組みを変えることは不可能だということも彼等は知っています。何よりも、革命は既得権益の喪失に繋がります。現状維持の期間が長い方が彼等の利益になると考えたのです。
常識に縛られている人達は、前にも後ろにも進めないと思った時、残された道は先送りしかないと判断します。それは必然とも言えることですから、仕方のない事かもしれません。でも、それは、常識に縛られているために、常識を疑ってみるという選択肢を持っていないために起きた視野狭窄という症状なのです。
一度、その決定に従ってしまうと、共犯者になってしまったのですから、ずっと財務官僚の指示に従うしか道はないのです。ここが、一番怖いところです。
最初は5%の増税ですが。
この一歩を踏み出せば、増税は行く所まで行きます。国民から、もう1円も絞りとれない状態になって増税は止まりますが、その時、残されるものは国家崩壊しかないのです。
最初の一歩は、その時にはわからない。後で考えると、あれが始まりだったと気がつくのです。手遅れというものは、いつも、そういう形でやってきます。
勿論、財務官僚はその事を知っていて、それでもやるのですが、政治家やメディアはそこまでは考えていないのではないかと思います。
さあ、増税地獄の幕開けです。
5%増税しました。
次は。
もう5%増税も10%増税も同じでしょう。
そして。
今更、引き返せません。15%、行きましょう。
また。
20%は仕方ないと思いますよ。だって、足りませんから。
それでも。
これで、最後にしますから、25%増税しましょう。
さらに。
もう一回だけ、30%でお願いします。
まだまだ。
最後の最後の最後です。40%をよろしく。
これって。
どこか、ヤクザのやり口に似ていませんか。
増税では永遠に問題が解決することはありませんので、砂地獄と一緒です。
K氏の日本崩壊シナリオが、また、その結果としてのレベル9が石田のシナリオよりはるかに説得力があったのだと思います。勿論、財務省という看板を背中に背負っているという強みはあったのでしょうが、その資料も説得力も石田より優れていたのだと思います。そうでなければ、これだけ多くの人が消費税増税に突っ走る理由がありません。
このことを裏返せば、財政破綻は間違いなく起こるということです。そのことは、世界的な観測とも一致します。
増税の理由が社会保障ではなく、財政破綻の延命にあることに気付いている国民はいますが、残念ながらレベル9までは想像していません。従って、レベル9を認識しているのは一部の人達に限られています。それを表に出すことは、社会不安を煽ることになると言い含められているのです。だから、野田政権は苦しい運営を強いられているのでしょう。いかにも、日本人らしい対応だと思います。
財政破綻も、日本崩壊も、レベル9も必ずやってきます。紆余曲折はありますが、それは残り時間に影響するだけで、結果は同じ事になるものと思います。
しかし。
私のやっていることは、単に問題提起でしかなく、革命ではありません。
ですから、卑怯者と言われても、反論はできません。
本当は、銃を持たなければならないのです。
その意味では、多くの国民と同じで、他力本願に過ぎません。
先送りを批判していても、日本が崩壊することがわかっていても、多くの人達が死ぬことを知っていても、何もしないのですから、私も、日本人なのだと痛感します。
そう考えれば、実に虚しい事なのですが、それでも、自分に出来ることはやっておきたいと思っています。それが蟷螂の斧であったとしても、です。
餓死に直面した時に、少しぐらいは慰めになるかもしれませんから。
経産省の枝野大臣が「国の責任で原発の再稼働をする」という発言をしています。
大飯原発は4月からの再稼働が既に決まっているという話もあります。
彼の発言内容は時間とともに変化してきていて、ついに、再稼働の強行に行き着きました。
官僚の努力が実った訳で、経産省では祝杯があげられているのではないかと思います。
元々、言葉を弄ぶ技術は官僚の得意技だったのですが、民主党政権になって多くの政治家が官僚に弟子入りしたために政界と官界では言葉遊びが常識になったようです。元々、言葉遊びには非凡な才能を持っていた枝野は、さらに腕を磨きました。
言葉の中身を空洞にしておいて、言葉本来の持つ重みを利用する。官僚達がよく使う方法です。枝野発言の「責任」にどれほどの意味があるのでしょうか。
国が国民に対して責任を取るということは、何を指しているのでしょうか。
結論から言えば、重大事案に関して、誰かが誰かに対して責任を取ることなど不可能な事なのです。特に、国が責任を取ることはできません。重大事案が発生しないようにすることが国の責任なのです。責任の取りようがないことに対して責任を取ると発言し、責任を取らねばならないことをやらない。これは、責任放棄と騙しの発言です。
国が責任を取ると言って、再稼働した原発が地震で事故を起こした場合、国が死者や被爆者に対して賠償金を払えば責任を果たすことになるのでしょうか。金で解決できないことは山ほどあります。しかも、支払う賠償金は国の持ち物ではありません。それは国民から預かっている税金なのです。では、政治家が自分の生命を差し出すのですか。枝野個人が死んでも何の役にも立ちませんし、もちろん、枝野は死のうとはしません。責任を取ることもできない、責任を取るつもりもない人が、国という枕詞を付けて責任を取ると言うことは国民を愚弄することです。
今、国がやらなければならないのは、しっかりとした原発安全基準の作成です。しっかりというのは、利権に左右されないで、国民を守るための安全な内容を指しています。
今、首都直下地震が予測されていますが、これは予測に過ぎません。日本国中、どこで地震が発生しても不思議ではない活動期にあるのです。国民の生命と財産を守る責任は国にあります。賠償することが国の責務の先頭に立ってはいけません。
枝野は盛んに電気料金が値上げになると言い続けています。勿論、これも官僚が言わせていることです。世界一高額な電気料金の原因を追及すること無く、現状を認め、官僚利権を守った上で、値上げをすることを当然のように発言する政治家は、もう、政治家ではありません。官僚のパシリです。
何を言っても許される。その次に来るのは、何をやっても許される。何でも有りの社会は壊れるしかありません。言葉遊びは、破滅への第一歩なのです。それとも、もう壊れているのだから、言葉遊びは許されるのですか。
鳩山も菅も最低の男でしたが、どこか子供みたいな所があって、笑ってしまう部分がありましたが、枝野や仙石は許せないと思う人が多いのではないでしょうか。
2012-03-12
足しても掛けても [評論]
テレビでは、「被災地で頑張る人達」みたいな映像が多いのですが、これでいいのでしょうか。マスコミによる二次被害もありうるのではないかと心配します。
今日のテーマは「たてまえ」です。
これは、想像にすぎませんが、被災地では頑張れない人の方が圧倒的に多いと思っています。なぜなら、私が、家族を亡くし、家を流され、仕事を奪われたとしたら、絶対に頑張れないと思うからです。生き残ったことだけでも、今日まで生きてきたことだけでも、充分に頑張ったのだと思います。これ以上、もう、頑張れないと思っても不思議ではありません。本当は、もう、涙も出ないのではないかと思ってしまいます。
今、頑張らなくてはいけないのは、自分の利益しか見えていない永田町と霞が関におられる人達だと思います。
テレビの映像は、私には薄っぺらな「たてまえ」映像にしか見えません。勿論、現実に頑張っている人達を否定するつもりはありません。あの状況で頑張っている人達は、この先も頑張れる人達です。「こんなに頑張っている人達がいるじゃないか、だから、全員、頑張れ」みたいな映像は勘弁して下さい。頑張れない人達を置き去りにするような映像は、ひとりよがりに過ぎません。
バラエティー番組なら許せますが、報道番組での「たてまえ」報道は被災者の助けにはなっていません。「お上」と手を組むのではなく、被災者と手を組み、国の対応に警鐘を鳴らし続けなくてはジャーナリズムとは呼べません。「お上」の陣営にもぐりこんでいるメディアに、文句を言っても虚しいだけですが、それでも、やはり、腹立たしいことには変わりがありません。
被災者の方達の不安は、国民に理解されているのでしょうか。
先が見えないことが一番の不安だと思いませんか。
亡くした家族との未来が断ち切られた、その喪失感をどこへしまえばいいのでしょう。
仮設住宅を出たとして、どこへ行けばいいのだろう。
どうやって、生活費を作ればいいのだろう。
未来なんて、あるのだろうか。
それでも、生きている限り、生きようとすれば、たとえ不安と二人連れであっても、足を前に出すしか方法はありません。
そのためには、仕事が必要なのです。
自分の手で、生活費を稼ぎだすことが必要なのです。
以前の生活に戻れないことは、わかっています。でも、仕事があれば、おぼろげではあっても少しだけ未来を想像することができます。未来を想像することで、初めて希望が生まれるのです。希望が生まれれば、頑張る理由も受け入れられます。そこで、初めて頑張るスタートラインに立てるのです。生活保護や給付金からは、希望は生まれません。それは、今日という日を生き延びるためのもので、希望の前提の、そのまた前提に過ぎません。
東京から議員はいっぱい来るけど、「写真を撮って自分のブログに載せるだけ」と現地の方が言っていたそうです。どうすれば、被災地に仕事を作れるかを考え出すのが議員本来の仕事なのではありませんか。「私は、こんなに現地に足を運んでいます」と誇らしげに書いていても被災者の役には立ちません。「で、その結果、あなたは何をしたのですか」と問う国民もいない。被災者だけが置き去りです。
「たてまえ」と「しらんぷり」は足しても掛けても、希望を生みません。
ここで、簡単に仕事が生まれる方法を提案してみます。
石田の提案ですから、非常識は覚悟して下さい。
ワークシェアではなく、給料のシェアをするのです。
仕事を作る場合に、最も困難なことは給料となる原資を作り出す事です。被災地の多くの人達は、農業で作物を作り、また漁業で魚を獲り、それを売ることで原資を作ってきました。農業や漁業で生計を立てていた人達の年収は200万円とも300万円ともいわれていますが、取りあえずの目標を年収200万円の仕事にしてみましょう。従来思考からは、工場誘致を考えますが、インフラがズタズタになっていますので工場誘致は難しいでしょう。
しかし、工場誘致など必要ありません。
極端なことを言えば、仕事は何でもいいのです。
将来役に立つであろう土壌再生工事でも、中古漁網の再生でも構いません。
その仕事の給料の原資は公務員の給与をシェアするのです。
公務員の平均年収を650万円とすると、その33%をシェアすれば、約220万円の原資を確保することができます。たとえ、そうしたとしても、公務員の給料は430万円もありますので、まだ民間の給料より恵まれた額だと言えます。岩手、宮城、福島の各県に公務員が何人いるのかは知りませんが、公務員の数だけ被災者を雇用することができます。政府の補正予算も必要ありません。できれば、特別税制を作り、その仕事に従事する人の収入からは所得税を免除すれば、より助かります。被災地に写真を撮りに行くより、よほど被災地の方を助ける方法になると思いますが、駄目でしょうか。
被災地では、どうして公務員と民間人の落差を埋めようとしないのですか。震災前でも数倍の格差がありましたが、今ではその差が無限大になっているのです。同じ日本人として、この差別は不合理です。公務員でも民間人でも、被災したことには変わりません。公務員が650万円の収入を得て、民間人の収入がゼロになるのはおかしいでしょう。
議員の方は、給料のシェアに反対する公務員には退職してもらう法律を作ってください。公務員に欠員が出れば、被災者の中から新規採用すればいいのです。公務員に採用されれば、220万円の給料が430万円と倍になるのですから、絶対に喜んでいただけます。
その上で、220万円は固定とし、33%を変動させると、更に効果が上がるかもしれません。今、この仕事を特別職と呼んでみます。特別職に従事する人が多い場合は、50%の給料シェアになる可能性がありますが、特別職の人数が減少すれば、5%になる可能性もあります。特別職の人に農業や漁業を取り戻してあげれば、特別職の人は減ります。そうであれば、公務員は本気になって農業や漁業の再生に努力してくれる筈です。
これは、確かに無謀な提案です。でも、ほんとに出来ないのでしょうか。
現状を肯定する発想には限界があります。そして、私達はそこから抜け出せていません。それは、現状認識の甘さなのだと思います。あれだけの災害なのに、平常時と同じ発想で復旧・復興を考えてしまうのです。「1000年に一度の大災害」と言われていますが、それは言葉だけのもので、本気で1000年と考えている人はいません。いや、1000年という重さは誰も感じていないのだと思います。私達は言葉の軽さに慣れきっているのではありませんか。この提案が無謀であり、非常識であり、無茶苦茶であり、実現不可能だと思う方が大多数だと思います。では、一年も被災者を放置していることは、そうではないのでしょうか。たかだか、数十年の過去に蓄積した常識が正しいのでしょうか。誰か、こういう提案をしたのでしょうか。実行しようとしたのでしょうか。いいえ、誰もやらなかったし、やろうとはしていません。個人では出来なくても国なら出来る事です。なぜ、非常識がいけないのでしょうか。「きずな」も「がんばろう」もただの掛け声なんですか。さきほど書いたような提案が実行されれば、「きずな」も「がんばろう」も本物になります。
日本人は、特に東北の方は我慢強い人が多いので、なかなか泣き言は言いません。そんな皆さんの替わりに怒りをぶつけてみました。
被災地を訪問している国会議員の皆さん、あなた達は、本気で被災者のことを考えなければならない立場にいることを思い出してください。「たてまえ」など不要です。
大阪市には市営バスがあります。赤字続きで莫大な累積赤字(600億円)を出している交通局という部署です。その市バスの運転手の法外な給料を是正するために、市は約40%近い給与カットを組合に提示したという報道がありました。大阪市では、組合による、組合のための市政が長く続けられてきました。以前、私は大阪市役所には魔物が住んでいると書いたことがあります。強力な組合ですから、関西の人間なら、それは常識でした。
歴代の大阪市長は、組合の操り人形でしかなかったのですから、莫大な赤字も放置してきたのです。大阪市の組合と職員が選挙運動の主役になってきたのです。ですから、市長は組合の下働きをせざるをえなかったのです。橋下大阪市長と組合との戦いは始まったばかりです。大阪市の職員があるべき公務員の姿になるには、まだまだ先は長いと思われます。
組合の市職員人事への介入、公用パソコンでの選挙運動、組合への物品供与等々、いくらでも膿みは出てきます。以前に、権限を地方に移譲すれば、地方自治体にシロアリがたかるだけだと書きました。もう、地方自治体は充分汚染されているのです。勿論、これは大阪市だけの問題ではありません。全国の地方自治体の多くが同じような問題を抱えていると覚悟しなければなりません。国でも地方でも、税金という他人様のお金を湯水のように使うことが仕事だと思っているのが公務員なのです。ところが、日本にはそれに耐えられる体力が、もう、ないのです。その現実に目を瞑っているので、いたる所に綻びが目立つことになるのです。
でも、今日は、市長と組合のバトルに注目したのではありません。
あるテレビ番組が、街でインタビューしたときの市民の反応に驚いたのです。
「40%でしょう。突然、そんなこと言われても。運転手さんだってローンもあるだろうし、教育費もかかりますしねえ。でも40%って、凄いですね」
給与カットが当然だと言った人はいませんでした。
日本人は、「たてまえ」が好きなんです。大阪のおばちゃんですら「たてまえ」を言うのですから、他の地域であれば、もっと「たてまえ」論が多いのだと思います。
少し、無茶な話をしてみます。
「市バスの赤字を解消するために、市民税を10万円増税するという案がありますが、どう思われますか」
「なんで、赤字」
「運転手の給料が800万円近い高給なんだそうです」
「アホなこと、言わんといて。なんで、うちらが払わなあかんの」
ここで、やっと本音が出てきます。
「うちのお父ちゃんは、300万やで。運転手の給料下げたら済むことやんか」
「でも、組合が承知しないそうなんです」
「そんな組合、潰してしまい」
確かに、本音を出したら世間がギクシャクするのは間違いありません。でも、「たてまえ」論というものは、高くつくものでもあるようです。その高い原価を吸収する力は、今の日本にはなくなっているのではないかと思うのです。
もう、市民も格好つけている場合ではないと思います。
国政で行われている増税論議も、同じような構図です。
自分達の利権を守ろうと考えている人達を、市民の「たてまえ」は応援しているようなものだと思います。このままでは、国が潰れても仕方ありません。そうなれば、市民にだって、大きな責任があります。
「たてまえ」が大手を振っていられるのは、時代認識と現状認識の不足が最大の要因です。
もう、今の日本は昔の日本とは違います。私達の周りには危険がいっぱいなのです。
よく、省庁の縦割り障害が取り上げられますが、これは、省庁だけに存在しているのではありません。政治家と官僚、政治家と国民、官僚と国民の間にも縦割り障害と同じものがあります。特に、国民は、政治が何とかしてくれるだろう、日本の官僚は優秀だから何とかするだろうと思い込んではいませんか。国民は、政治も行政も自分の守備範囲ではないと思っています。経済が右肩上がりの発展をしている時は、何とかなりました。でも、時代は変わってしまったのです。もう、「たてまえ」が通る時代ではなくなったのです。国民の中に漠然とした焦燥感や不安感があるのは、そのことを認識するように時代が求めているからなのです。そもそも、誰かが、自分のために何かをしてくれるなんてことは、普通の社会生活でもありません。ましてや、欲望だけで出来ている政治家や官僚が、他人の利益のために働くことなどありえないと思わなくてはなりません。今までは、国民も時代の恩恵を受けてきたのですが、政治家や官僚は、もっと多くの恩恵を受けてきたのです。彼等は国民のために、何かをしたわけではありません。国民は利権のだしに使われてきただけです。
国民は、もう、そろそろ、目を覚まさなければならない時です。
だって。
奈落の底に堕ちていくのは、私達なのです。
政治家や官僚が「自分達が先に地獄に堕ちます」と言うでしょうか。いいえ。国民の背中を突き飛ばしてでも、自分達は助かろうとするでしょう。世の中って、そういうものじゃないんですか。
人間だけではなく、動物は弱者から犠牲になるものです。夢も希望もありませんが、それが現実なんだと思います。弱者は弱者なりに、細心の注意を払って、自分の身を守らなければならないのです。そこに「たてまえ」の入る余地はありません。
念のために、犠牲になる順番を書いてみます。障害者、老人、子供、女性、草食系男性、一般男性の順だと思います。時間軸で見てみますと、障害者から草食系男性までは短時間で滅びます。
もし、このブログを読んでくれている女性の方がおられたら、犠牲になる順番が後半だと思わないでください。それほど、時間はかかりません。崩壊後の世界は、女性にとって過酷な世界になります。想像できないかもしれませんが、1000年も2000年も時代が戻ると思ってください。昔、女は男の持ち物の一つだったのです。商品として売買されていたこともあります。人格など認められていませんでした。そんな世界に戻っていいのですか。
崩壊後の世界は食料の奪い合いですから、腕力が必要になります。それは、究極の男社会なのです。生き残るために、女はまたそんな時代を生きなければならないのです。
女性の皆さん、自分を守るためには、日本崩壊など許してはいけません。欲ボケしている男共を許してはいけません。女性に団結せよと言うのは酷ですが、ここは我慢して団結して下さい。崩壊を引き起こしている「自分さえよければ」男性が、崩壊後、女性の人格を認めるような人間でいられる筈がありません。今でも、人格的に問題のある男は、いぃぃぃっぱい、います。もちろん、女も、そうですが。弱肉強食の世界になった時にでも、男が女を人間として扱うと思い込んでいてはいけません。残念ですが、男はそれほど格好いい生き物ではありません。女性なら、そんなこと、わかっていますよね。
2012-03-09
まやかし [評論]
最近、土光臨調という言葉がよく出てきます。
1981年に発足した第二次臨時行政調査会。調査会の会長をした土光敏夫氏の名前を取って土光臨調と呼ばれている行政改革です。
NTT、JR、日本たばこの三公社の民営化には繋がったが、財務省(当時は大蔵省)主導の予算編成権に関する抜本的な変化はなかったと言われています。
今では、土光臨調が理想形のように言われていますが、実際には、官僚政治の牙城は全く揺るぎのないもののままに終わった行政改革です。それでも、民営化に繋がったのだから成果はあったという評価です。この土光臨調が理想形のように言われていては、余りにも次元が低すぎます。土光臨調を再現しても、日本は変われません。
何が問題なのでしょう。
田中秀征氏が3/1付けダイヤモンド・オンラインにオーストラリアの行政改革について記事を書いています。
オーストラリアでは、民間主導で行政改革を実行し、成功していると書かれています。土光臨調もリーダーの土光さんは民間人でしたが、本物の民間主導ではありませんでした。オーストラリアでは官僚の意見を全く聞かなかったのです。官僚との接触は業務に関する事情聴取のみで、一方的な接触でしかなかったそうです。一方、土光さんは官僚との調整に多くの時間と労力を使わされ、本丸の改革に着手できませんでした。日本では、調整型のやり方が好まれます。橋下大阪市長のように、独断や独裁は嫌われるという国民性があります。しかし、改革というものは調整型では出来ないのです。
田中氏がオーストラリアで行政改革に従事した民間人に話を聞くと、「日本では行政改革も官僚が主導するそうだが、それで行政改革ができるはずがない」と言われたと書かれています。
日本では、政治家が政治改革をし、官僚の下働きに過ぎない政治家が行政改革をします。以前に自浄能力は建前の言葉に過ぎないと書いたことがありますが、少なくとも、政治家と官僚に関しては、自分で自分を律することは不可能です。
田中氏はそのことを次のように書いています。
官僚が行政改革を主導するのは、被告が判決文を書くようなもの。受験生が答案の採点までするに等しい。患者がメスを握って手術するのと同じ。挙句は、まな板のコイが包丁を握るようなものだ、と。
日本には、本当の意味での第三者機関というものが存在していません。第三者機関風のものは存在しますが、全て紐付きですし、形だけのものです。この部分が、日本の民主主義の未熟なところだと思います。それは、自分達の手で民主主義を勝ち取ったのではなく、日本の民主主義がアメリカ軍による強制だったという出発点に問題があったのでしょう。
しかし、既にあの戦争からは長い時間が経過しています。少しは、まともな民主主義を育てなくては、次の世代にバトンタッチできません。
私は何度も儀式の「まやかし」に言及してきました。公聴会、説明会、諮問委員会等々の儀式は、「私達は、このように手順を踏んで正しいことをしているのです」という騙しの構図です。それが、全て官僚主導で設定され、官僚のシナリオで、官僚の都合によって運営されてきたために、官僚利権がこれほど肥大化してしまったのです。もし、本当に国民のためを思ってやっているのであれば、儀式など必要ありません。儀式を利用して誤魔化しの運営をするということは、国民のためではないことをやっているからではありませんか。その結果、年間50兆円もの官僚利権が積み上がり、財政破綻も目前になっているのです。これは、民主主義ではありませんし、国民主権でもありません。官僚による、官僚のための官僚主権国家を黙認している私達は一体何者なのでしょうか。
それと、年寄りが集まって会議をしている様子に危機感を持たねばなりません。今の時代、年寄りが出てくる場面はない筈なのです。何度も言いますが、過去と未来は既に繋がっていないからです。20年前から別の時代が始まっていることに目を瞑っていて、何かが変わると期待する方が間違っているのです。年寄りの経験則は役に立たないだけではなく、害にさえなるのです。今、年寄りに求められているのは、若者の下働きに徹する度量です。
間違った時代認識に基づいた手法が間違った手法になるのは必然です。日本の国家運営の至る所に空いている穴を塞いでも、綻びを繕っても、国家運営が好転することはありません。システムそのものが、時代に合わなくなっているからです。このまま、古い手法で時間を使えば、更なる増税と貧困がやってきます。そして、その先にあるものは地獄でしかないのです。
評論「埋没した大原則」で、日本はこの100年間で2度も同じ間違いをしようとしていると書きました。非常に珍しいケースだと思われます。前回は軍部の暴走で、今回は官僚の暴走で起きる国家運営の失敗です。世間一般に、このような視点がないことが不思議でたまりません。確かに未来のことは誰にもわかりません。でも、後講釈が何の役にも立たないことも周知の事実です。被害者は、今、生きている私達自身であり、子供達であり、孫達なのです。庶民であっても、私達、大人には責任があると思いますが、違うのでしょうか。皆で気付かないふりをしていれば、ほんとに赤信号も怖くないのでしょうか。そうは思えません。日本という国は立っているだけでも息が切れるほど「いびつな姿」になってしまっているのです。このままで、未来があるなどと子供達に語れるのでしょうか。それとも、私の心配が根も葉もない妄想に過ぎないのでしょうか。多くの「いびつな姿」を取り上げてきましたが、私が幻を見ているだけなのでしょうか。
クラッシュ・アンド・ビルドという言葉があります。一度壊して、建て直すことです。修理・修繕・補修では本来の機能が取り戻せない場合に用いられる手法です。日本の政治・経済・社会がこのような状態にあることは間違いありません。だから、日本は一度クラッシュしなければ、再生は出来ないのでしょう。そのための日本崩壊なのですが、何度も言うように次の日本崩壊は半端な崩壊では済みません。クラッシュ・アンド・デスになる確率が非常に高いのです。日本再生には数百年の時間が必要になるかもしれません。数百年後に再生される国は、もう日本ではなく、全く新しい国になるでしょう。今ある日本は地球上から消滅するものと考えねばなりません。
今、生きている私達は、そして直近の子孫達は日本崩壊を阻止するしか道は残されていないのです。そうだとすれば、方法は一つです。国民が立ち上がることです。民衆が自分の手で民主主義を勝ち取る事なのです。国家運営をする人達を権力者にしてしまってはいけないのです。人間社会では、権力が腐敗の元になることは何千年も証明し続けてきたのです。私達日本人は、世界に先駆けて新しい社会を築かねばならない場所に追い込まれているのです。以前から、哲学と思想が不可欠だと書いてきたのは、このことです。他の民族とは違っている日本民族は、滅びる運命と先駆けになる運命の両面を持っているのだと思います。民族主義や国粋主義を目指せとは言っていません。逆です。世界に平和をもたらす可能性が日本人にはあるのではないかと思っているのです。アメリカや中国の覇権主義とは正反対の場所にある社会形態です。東洋の神秘は、日本にあるのではないでしょうか。
ただし、これは簡単なことではありません。ありえないほどの救世主が出現しなければ成し得ない事なのでしょう。つまり、ほとんど、希望は無いということです。
では、私達には小さな希望もないのでしょうか。
もし、日本崩壊の阻止が出来るとすれば、部分的なクラッシュ・アンド・ビルドなのかもしれません。国全体をクラッシュさせるのではなく、政治家と官僚の腐りきった国家運営機構だけをクラッシュさせて、建て直す方法です。これが、一番現実的であり、もしかすると、成功する可能性がある方法なのかもしれません。
これを、一般的には革命と呼んでいます。
日本人には不向きな手法ではありますが、他に方法がなければ、やる価値はあるかもしれません。いや、きっと、私達は革命か崩壊かの二者択一を迫られているのでしょう。
さて。
お釈迦様が出現するか、革命が起きるか、ずるずると崩壊するか。
残念ですが、答えは、誰の目にも明らかです。
では。
崩壊を阻止する方法がないのであれば、崩壊から逃れる方法はないのでしょうか。
海外移住が出来るほどの資産を持っているか、海外移住しても稼ぐ才能を持っている方であれば崩壊から逃れることはできます。そのどちらも持っていないから、庶民をしている私にとっては、方法はありません。ゼロです。
いつも、石田の視点は世間とずれていると思っている方がいると思います。石田を変人奇人の類いだと思っている方もおられることでしょう。本人にその意識は欠如していますが、そう思われることは決して少なくありません。私には、壊れていく日本が見えますし、音でさえも聴こえるように感じます。
最後に、少しだけ、言い訳を書きます。
私が、このブログを書いている動機は、小説に関しては趣味ですが、評論に関しては利権を漁る権力者に対する怒りと、欲望に振り回される人間の弱さに対する悲しみと、多くの人が助かって欲しいと願う小さな愛だと思っています。このブログを読んで下さる方に何の利益もないのと同様で、評論を書く私にも利益はありません。ですから、利権とは縁のない場所にいる、庶民の願いの発信だと思っています。ほんとに小さな発信に過ぎませんし、このことで世の中が変わるわけでもありません。はかない抵抗だということは承知しております。しかし、この怒りと悲しみと愛は消えてくれません。
僅かであっても、石田のブログを読んでくれる方がいる。そのことに感謝すると同時に、まだ、日本は捨てたものではないという希望も貰っています。
ありがとうございます。
2012-03-06
原子力村の犯罪 [評論]
福島原発事故に関する民間事故調(正式名は福島原発事故独立検証委員会)の報告書が発表されました。ご覧になった方は多いと思います。
福島原発事故に関しては、政府の事故調、国会の事故調、そして、民間の事故調の三つの調査委員会があるそうです。
国会の事故調の報告書は出ていませんが、政府の事故調よりも今回発表された民間の事故調の報告書の方が評価が高いと聞きました。
その内容に関しては多くの方が解説していますので、私の出番はありませんが、気になったことを少し書きます。
先ず、この人災の大前提には、菅直人という人間の出来の悪さが、事故を大きくした要因になっている事が挙げられています。私もそれは否定しません。あの男は、リーダーとして不適格だっただけではなく、人間として最低だったのです。
しかし、私はそれだけではないと思っています。類は友を呼ぶ、という言葉がありますが、驚くほど多くの人達の粗末な人間性が、この事故を起こしたのだと思います。
この事故は、原子力村の信者が起こした犯罪と言っても過言ではありません。これは、政治家、官僚、電力会社、学者、ジャーナリストが利権のために国民を騙した詐欺罪と傷害罪という犯罪行為です。サリンを散布したオーム信者は死刑です。放射能を撒き散らした原子力村の信者も罪に問われなければなりません。
報告書によれば、政治家は「SPEEDI」の存在を本当に知らなかったそうです。もともと、この「SPEEDI」は原子力安全神話の補強材料として作られた原子力村の小道具に過ぎなかったのですから、有名な存在ではなかったのでしょう。しかし、「SPEEDI」のデータは海外から発信されていた事実があります。何故、日本政府があのデータを無視して同心円で避難指示を出したのか不思議でしたが、データの存在を知らなかったのですから致し方のない事なのだと思われているようです。
本当にそうなのでしょうか。
それは、違います。
政治家の中にも「SPEEDI」の存在を知っていた人もいたでしょうし、官僚の多くが知っていた筈です。少なくとも、経産省、文科省、環境省の官僚は業務の一環として承知していたはずです。知っている人が、全員、知らぬふりをしたのです。
日本国土の半分が汚染される危険があったのです。それでも、官僚は知らん顔をしていた。民主党による政治主導で官僚のプライドが傷つけられたからですか。菅直人が怒り狂っていたからですか。そんなものは、いい訳にもなりません。国のために働いているのなら、国民のために存在しているはずの公務員であるのなら、自分の不満や保身や利権よりも、国のことを考えなくてはならないのではありませんか。それが、人としての道だと思います。官僚達は菅直人と同じ最低の人間だったということです。菅直人の馬鹿さ加減が突出していたとしても、官僚達のやったことが正当化されてはいけません。実際に飯館村に避難した人達もいたのです。
そして、もう一つ気になることがあります。
それは、東京電力が民間事故調の事情聴取に応じなかったということです。
民間の委員会ですから法的な強制力はないのでしょう。
でも、こんなこと許されていいのでしょうか。
東京電力は事故後、撤退すると言って国とトラブルを起こしたそうですが、その時から自分勝手な判断が多かったようです。原子炉を放棄して逃げ出すなんてこと、あってはならないことです。東京電力はこの事故の張本人なんです。しかも、社会的責任を持った日本最大の電力事業者です。民間の委員会だからという理由で聴取を受けないという態度は変です。そこには、重大な隠蔽があると考えなければなりません。その隠蔽された問題が解決しているのであればいいのですが、まだ、未解決の可能性もあります。原発事故は進行中なのですから、とんでもない事態が起きないとは断言できません。
東京電力が隠していることは山ほどあるでしょう。こんなことで国家統治など出来るのでしょうか。犯罪者として、徹底的な捜査が出来ないのは、国も同じように隠し事が一杯あるからなのでしょう。国と東京電力は共犯者なのです。民間の事故調の聴取に応じない理由は、自分の悪事が表に出されることも困りますが、共犯者も庇わねばならない立場にあるからです。日本という国は、彼等利権集団に私物化されているのです。
東京電力は、今でも自分は悪くないという自信を持っています。政府の責任を肩代わりしているだけだという驕りがあります。でも、東電さん、それは違います。本当に自分に責任がないのであれば、国を相手にして戦いなさいよ。戦えば、国にも、東京電力にも責任があったことがはっきりします。あなた達は、原子力村のメインプレイヤーなのです。
放射能を撒き散らして国民に多大な損害を与え、電力不足で迷惑をかけ、それでも開き直っている態度はクズのやることです。どこまで「自分さえよければ」をすれば気が済むのですか。東北で頑張っている被災者の方達との落差が大きすぎます。同じ日本人とは思えないほどの醜態だと思います。
東京電力だけではなく、JALもエルピーダも、国の支援はあくまでも国からの支援であり、国民の税金だという感覚がありません。そもそも、公務員は自分達が国民の税金で贅沢していると思っていないのですから、役人よりも役人らしいと言われる東京電力の人達が、国民に助けてもらうという感覚は持っていません。出来るだけ、自分達に不利になることは黙っていたいと思っているのです。強制力のない民間の事故調の事情聴取など、どうして受けなくてはいけないのだという傲慢があるのです。これも、人のあり方としては菅直人と同じ最低の人間性しか持ち合わせていないということです。政府の事故調や、国会の事故調であれば、裏で手を回すこともできると考えていますので、彼等にとっては自然な行動なのかもしれませんが、人間としては腐っています。
その上、事故も収束していないのに、電力供給という人質を取って電気料金の値上げをするという恫喝をしています。私達、日本人には自国の核を人質に取っている北朝鮮を非難する資格があるのでしょうか。
話は変わります。
国会議員の歳費削減案が報道されています。年間300万円(歳費は2100万円です)を2年間限定で削減するという案です。公務員給与の削減も2年間限定です。
では、消費税増税も2年間限定なのでしょうか。
これは、詐欺以外の何物でもありません。
いつも、言いますが、これこそが日本崩壊の原因なのです。どこを向いても「自分さえよければ」が当たり前になっている社会が正常な働きをする筈がありません。
政治も経済も社会も、そして日本人も限界です。
権力者の皆さん。いや、利権集団の皆さん。
一歩引いて、日本の現状を見てください。
あなた達の目にも、壊れかけている日本が見える筈です。
目先の1円2円の計算をするのではなく、大きな計算をしてください。
国を壊せば、あなた達だって、元も子も失くすのです。
そうは言っても、無理なのでしょうね。
もう、日本人は自分を見失っているようです。
2012-03-03
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