So-net無料ブログ作成
検索選択
前の30件 | -

石田友の世界へ ようこそ

最新記事

2017-08-02 評論       「お先真っ暗」  
2017-08-01 評論       「情報収集と分析」  

再掲載

    崩壊との遭遇      崩壊後の社会    

   簡単な算数       財務省の推計  


このプログには、次のオリジナル小説があります。

長編小説 「無力」「海の果て1-3部」「理不尽」「陽だまり」「復讐」 「弱き者よ」
短編小説 「不運」 「天軍の藍」「甲子園城」「川面城」
超短編  「すずめ」 「雨」 「算術」 「逃亡者」 「告発」「火球少女」「花火」

・・・ それぞれの小説へは、この下にある目次から飛んでください ・・・

         日記は左の 記事一覧 からお願いします

  >>> 目 次 <<< 




[ あらすじ ]

    1    

[ 無力 ]

    1     2     3     4     5     6     7     8     9      

   10    11    12    13    14    15    16    17      


[ 海の果て・・・ 1部 ]

    1     2     3     4     5     6     7     8     9     

[ 海の果て・・・ 2部 ]

    1     2     3     4         

[ 海の果て・・・ 3部 ]

    1     2     3     4         


[ 不運 ]

    1    


[ 天軍の藍 ]

    1   


[ 理不尽 ]

    1     2     3     4    


[ 陽だまり ]

    1     2     3     4    

[ 復讐 ]

    1     2     3     4     5    


[ 弱き者よ ]

    1     2     3     4    


[ すずめ ]

    1    


[ 雨 ]

    1    


[ 算術 ]

    1    


[ 逃亡者 ]

    1  


[ 甲子園城 ]

    1  



[ 告発 ]

    1  



[ 火球少女 ]

    1  

[ 花火 ]

    1  

[ 川面城 ]

    1  









お先真っ暗 [評論]



OECD発表の「国の信頼指数」と呼ばれる「図表で見る政府」によると、政府を信頼している日本国民の比率は、36%だったそうです。
この数字を、どう捉えるかは、その人の考え方によると思います。
「どうして、こんなに低いの?」と感じる人もいるでしょうし、「36%なんて、ありえない」と感じる人もいるでしょうし、「そんなもんだろう」と冷めた見方をする人もいるでしょう。
私は、36%は高すぎると思いますが、50%であっても不思議ではないと思っています。どんな調査をしたのか、調査対象者はどう選別したのかわかりませんので、他の国と比較してみるしかありません。
他国の「政府支持率」下記のようです。
・インド 73%
・カナダ 62%
・トルコ 58%
・ロシア 58%
・ドイツ 55%
・南アフリカ 48%
・オーストラリア 45%
・英国 41%
・日本 36%
・米国 30%
・スペイン 30%
フランス 28%
・ブラジル 26%
・韓国 24%
・ギリシャ 13%

英国は、EU離脱問題を抱えています。アメリカは、トランプ政権発足時の数字だと思われます。スペインの政権は、いつも不安定なままです。フランスは、オランド政権の末期で、この後、マクロン政権がスタートしますので、もう少し数字は改善するでしょう。ブラジルは、大統領弾劾がありましたし、経済不況が続いています。韓国は、朴槿恵大統領時代の数字のようですから、低くなっています。ギリシャは財政再建の途上ですから仕方ありません。つまり、下位の国々は、政権不安を抱えている国です。日本は、世界でも有数の安定政権と言われていた時代の数字です。この数字は、加計学園問題や防衛大臣の失言や東京都議選の前の数字だと思いますので、今、調査をすれば、もっと低い数字になるものと思います。
シビアにみれば、一桁の支持率が正解だと思いますが、日本国民は優しいし、「なあ、なあ」「まあ、まあ」の国ですから、50%でも驚きません。
ただ、なんらかの政治混乱がある国に近い数字だということは、決して喜ばしい状況ではありません。もしかすると、この36%は上限の数字なのかもしれません。もちろん、こんな数字が発表されても、日本政治が変わることはありません。そして、経済の衰退も続くものと思います。いつか、ギリシャを追い抜いて、世界一を手にするものと思いますが、これが、トレンドというものです。今は、その途中経過に過ぎないと考えると、末恐ろしい気がします。



もう一つ、別の数字を見てみましょう。
「定年退職に関する意識調査」で対象となった15カ国中、定年に向けた準備が最も整っていない国は日本であることがわかった、という記事がありました。
この調査はオランダの保険会社エイゴンが1万4400人の労働者の回答から、対象国の定年準備のレベルを6つの項目(個人の責任・意識レベル・金融知識・定年後の収入・老後用貯蓄・定年後の計画)を10点満点で採点したものだそうです。
■労働者が「定年退職の準備が整っていない」と感じている15カ国
15位 インド 7.6
14位 米国 6.9
13位 ブラジル 6.4
12位 中国 6.3
11位 英国 6.2
9位 オーストラリア 6.1
9位 カナダ 6.1
8位 ドイツ 6.0
7位 オランダ 5.8
6位 トルコ 5.5
5位 ポーランド 5.3
4位 フランス 5.2
2位 ハンガリー 5.1
2位 スペイン 5.1
1位 日本 4.7

見事に、世界一、金メダルです。
国の借金も世界一です。
この類の金メダルには、困ったものです。
この数字は、将来的に、社会不安の増大を示す数字になります。しかも、これは、国家衰退というトレンドを後押しする数字にもなります。この数字以外にも、老人の貧困問題は爆発的に増加するという数字が数多く存在しています。もちろん、自己責任ですから、誰かが貧困老人を救ってくれることはありません。もちろん、国には貧困老人を救済する財源はありません。10年後の貧困老人は、少なく見積もっても500万人(まさか!!)と予想されていますが、残念ながら、放置するしか方法はないのです。
私は、老人人口が2,500万人になった時の貧困老人の数は、2,000万人になると思っていますので、社会不安は、現在の予想の数倍になると思っています。皆さんの近所のスーパーでは、見かけない光景かもしれませんが、千円札を握りしめた老人が「これで、買えるだけ」という注文をレジでしていることがあります。レジのおねえさんは、選別作業をしなければなりません。「これは、外しますよ」と言われて、別のかごに入れられる商品を見ている老人の顔は正視できませんでした。私の住んでいる地域では、今でもこういう老人がいるのです。10年後を想像すると、暗澹たる気持ちになります。
収入のない、貯金のない、年金のない老人は、生き延びることができません。10年後に、生活保護制度が機能しているとは思えません。もちろん、葬式の費用などありません。いや、1万円の火葬料も残せないでしょう。もっと言えば、死亡の認知が出来るかどうかも心配です。戸籍制度が崩壊すれば、統治機構も機能しなくなります。
国が衰退すれば、当然、国民の生活は貧しくなります。国民は、「こんな筈ではなかった」と思うでしょう。国民が、その怒りの持って行き場がなくなれば、政府が悪いというキャンペーンを野党やマスコミが始め、空気に左右される国民は、国に対する不満を増幅させることになります。でも、国が国民に責任転嫁をしても、国民が国に責任転嫁をしても、何も解決しません。確かに、失敗の原因は国家運営者の不作為によるものですが、国家運営者の好きにやらせたのは国民自身なのです。国民は、主権者であると同時に、責任者でもあります。これも、定義不在による弊害の一つです。「国民とは」という定義があれば、その定義の中に、「最終責任は国民が負う」という一文があるはずです。
かつて、戦後間もなく、「民主国家の国民の権利と義務」という話題が盛んになった時代がありました。「俺達は、王様だ」「何をやっても、許されるのだ」という馬鹿げた主張もありました。その後、民主国家も、国民も、権利も、義務も、曖昧という荒野に溶け込み、議論が深まることはありませんでした。その延長線上に今日があります。もちろん、議論を深めないほうが、国家運営者にとって利益になったのですから、そう誘導されたのですが、国民は、その事にも気づきませんでした。
手遅れ状態にならないと騒がない場合は、騒がないほうが悪いと思います。それが出来るのは民主国家だけなのに、もったいないことです。
長期的な対応は、本来、国の仕事ですが、民主化を求めなかった国民の、民主主義の定義を知らなかった国民の責任です。これも、「民主主義とは」という定義が欠如していることの弊害です。
将来を予測できる数字は、いくらでもあります。国民は、その対応を政府に求めなければなりません。「国とは」という定義はありませんが、それが国の仕事だからです。一方、最終責任を取るのは国民であり、四の五の言っても、自分と自分の子供と孫の生活がかかっているのですから、事前に騒ぐことが国民の仕事なのです。
国が対応できなかった少子高齢化が、その一例です。20年前に、国民は騒ぎましたか。いいえ、国民は自分の守備範囲だと思っていませんでした。少子高齢化による悪影響は、これから、ますます、大きくなりますが、今となっては、打てる手はありません。「定義」の欠如が、国を亡ぼすという、民主国家では見られない現象が起きるのです。
公助、共助、自助という話を書いたことがありますが、政府は、自らの責任を転嫁するために、ますます、自助を強調するようになるでしょう。自助とは、「最終責任を取るのは、国民の皆さんですよ」という意味です。
社会保障費の削減も着実に進行しています。生活保護の次は介護でした。介護の次は医療になり、医療の次は年金になるでしょう。選挙との兼ね合いがありますので、時期は未定ですが、社会保障費は確実に削減されることになります。もちろん、削減は一回では終わりません。エンドレスで続きます。ない袖は振れないのですから、仕方ありません。でも、ここに不思議があります。政府も日銀も、国の借金を中央銀行が引き受けても問題はない、と言っているのですから、借金はいくらでもできる筈なのに、どうして、社会保障費の削減をする必要があるのでしょう。そうです。いくらでも借金ができるという言い分が偽物だからです。当たり前のことです。もしも、無尽蔵に借金が出来るのであれば、増税も社会保障費の削減も必要ありません。皆で、使いたいだけ使い、皆でハッピーになればよかったのです。「これでもか」という巨額の借金をし、増税をし、給付削減をする。国民にとって、いいことは何一つありません。それでも、国民は自民党に投票します。日本国民は、どこまで「いい人」なのでしょう。それでも、責任を取るのは、国民です。上の数字は、そんな社会がやって来ることを示している数字なのです。現実は着実に崩壊の方向を向いています。
また、「このままでは、日本の金融緩和政策はヤバいことになるぞ」という意見が増えてきました。国債の購入も、ETFの購入も、マイナス金利政策も、賛成しているのは政府と日銀だけになりそうです。だって、最終責任を取るのは、政府でも日銀でもないのですから、彼等は他人の褌で相撲を取っているのですから、こんな楽なことはありません。責任を取る必要がないのですから、好き放題に出来ます。ところが、今でも、金融緩和政策失敗の最終責任を取るのは国民であるということを、国民は知りません。誰も責任を取らず、誰もが幸せになる方法なんて存在しないのです。誰かが責任を取らねばなりません。責任を取るのは、国民の皆さんです。皆さんは不条理だと感じるかもしれません。「俺が、何か、悪いことをしたか」と思うかもしれません。でも、「国民とは」という定義があれば、簡単に納得できることなのです。
社会保障費を削減することは当然だという空気の醸成も進んでいます。いつか、年金を貰っていると「国賊」と言われる日が来るのかもしれません。醸成された空気が支配する国ですから、これも仕方ありません。
つまり、少し長い目で見れば「お先、真っ暗」状態になっているのです。
これでは、国民の不安が消えることはありません。
国民は、理屈では説明できなくても、直感で、その「お先、真っ暗」を感じています。
でも、定義が存在していませんので、騒ぐことすらできません。
ほんの少しだけ、想像してみてください。
貧困老人が、バタバタと死に絶える日がやって来るのです。いや、貧困老人だけではありません。必死に貯めた1,000万円の貯金に頼って生活をしていた老人は、ハイパーインフレのせいで貨幣価値が暴落し、1万円の価値になってしまったらどうするのでしょう。貯金なんて、何の価値もなくなるのです。中には、年金は物価スライドするから大丈夫だと思っている人がいるかもしれません。しかし、財源があったら、という前提条件が満たされなければ実現しません。多少の貯金がある老人も、多少の年金がある老人も、ハイパーインフレがくれば、即座に貧困老人になるのです。残念ながら、この国の財政は、ハイパーインフレでしか清算できない運命を背負っています。国の財政問題は、庶民には関係ないなんて話は、嘘八百にすぎません。国の財政は、庶民の生活に直結しているのです。
では、若者は、老人問題だから、自分には無縁の出来事だと思えるのでしょうか。そうは思えないでしょう。自分の将来を見ることになるのですから、不安になります。老人だけではなく、全世代の人達が不安の中で生活をしなければなりません。これでは、社会が正常に機能するとは思えません。そんな社会にしたくないのであれば、事前に騒ぐしか方法はないのです。それが、国民に課せられた責任なのですから、定義の不在は、怖ろしいことだと気付いて欲しいと思っています。
先ず、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義をすることから始めなくてはならないのが、私達国民の仕事です。確かに、もう、手遅れですが、何もしないより、何かをするべきなのではありませんか。



これは、些末なことかもしれませんが、「構造改革とは」という定義がないために、国会が、いつものように三文芝居で国費を浪費しています。
「構造改革」という言葉は盛んに使われますが、私も使いますが、その中身については千差万別の解釈があるように思っています。統治構造の改革、政治構造の改革、経済構造の改革、社会構造の改革、どれをとっても一筋縄で解決するような問題ではありません。しかし、構造改革しかこの国を救うことができないことも確かです。だったら、言葉の定義をして、本気で取り組むべきだと思うのです。今は、目的も手段も曖昧なままです。
私は、NHKと契約をしていませんので、友人の家で閉会中審査をみましたが、安倍総理は「岩盤規制に風穴を開けるために」と何度も答弁していました。安倍総理は「構造改革」という言葉も政治用語にしてしまったようです。政治家の先生方(これは、蔑称です)は、法律に違反していなければ、何をやっても良いという基本理念で活動していますから、金や票のやり取りは秘匿しても、言葉の意味を変えることなど、正当な行動だと考えています。
昨日も言葉による騙し政治のことを書きましたが、私には、日本語受難の時代に見えてなりません。利用できるものは何でも利用しよう、という下心が丸見えで、不快な気分になるのは私だけなのでしょうか。国対委員長も幹事長も官房長官も総理大臣も、「丁寧」という言葉を乱発しています。「丁寧」という言葉を口にすれば、丁寧に説明したことになると思っているようです。いや、実際に効果があるから、彼等は「丁寧」を使うのであり、言葉に騙される純な国民がいる限り、「ふむ、ふむ」と大人の対応をしている国民がいる限り、勘違い国民がいる限り、彼等は使い続けるでしょう。ですから、政府だけが悪いわけではありません。ただ、本質を隠し、言葉で騙すやり方は、国にとっても、国民にとっても、不幸なことだと思います。
話は脇道に逸れますが、重婚疑惑やストーカー疑惑のある議員が謝罪会見を開き、後援会の人達と握手をしている映像がありました。濃い化粧の高齢女性が多かったように思います。皆さん、それぞれ事情はあると思いますが、あの勘違い高齢者は「気持ち悪い」と感じてしまいました。多分、これは、私の偏見なのでしょう。でも、やはり、気持ち悪いです。できれば、もう少し薄い色の紅を使ってくれると嬉しいです。
総理、もしも、総理が高い理念で岩盤規制に挑戦しているのであれば、京都産業大学に獣医学部を新設したのであれば、総理の言葉でも説得力があったと思います。加計理事長は古くからの友人なのですから「ここは、辛抱してくれ」と頼めば、友人なのですから、親友なのですから、加計理事長も承知してくれたと思います。もしも、加計理事長が「ゴルフにも連れて行ったし、飯も食わしてやっただろう」と言うような人間ならば、友人にしてはいけません。なぜなら、総理は、国家国民のために働く人だからです。それとも、友人の便宜を叶えるために政治をやっているのですか。お願いですから、「そうだ」なんて言わないでくださいよ。ただ、「それの、どこが、悪いんだ。皆やってることだろう」と言われると、その通りですから反論はできませんが、せめて、一人くらい、そんな人がいて欲しいと思うのは、庶民のささやかな願いです。
世間では、愚かにも、安倍総理は、国家国民のために働いてくれていると信じている人がいるようですが、その評価を無駄にしてしまったことは、大変残念だと思います。
もっとも、私は、安倍総理を、日銀に国債ファイナンスをさせた戦後最大級の戦犯だと思っていますので、残念だとは思っていません。
ただ、好き嫌いの感情だけであれば、私は、安倍さんが嫌いではありません。「安倍さんと蓮舫さんの、どちらが好きですか」と問われれば、安倍さんのほうが好きだと答えます。私は、「トランプとヒラリーのどちらが好きか」と問われれば、トランプと答えるような変人ですから、国に損害を与えるかどうかという観点からは、落第です。個人的な好き嫌いは、できるだけ封印しているつもりですが、端々に見えているかもしれません。それは、謝らなくてはなりません。
一方、野党の皆さんにお願いしたいことがあります。
加計問題など、ごくごく、些細なことにすぎません。野党の皆さんは、完全に力配分を間違っています。特に、蓮舫さん。加計問題に必死になっている姿は、見苦しいと思います。そのような近視眼的な展望しかないから、代表辞任に追い込まれるのです。
どうか、国会で「構造改革とは」という議論をしてください。
構造改革とは、文科省の対応で見られるような、既得権益者擁護ではありません。
ましてや、内閣府がやっている、新しい利権集団を作ることでもありません。
加計問題を政治家と官僚の闘いにするのではなく、原点に戻すこと、「構造改革とは」という定義をすることから始めなくてはなりません。法律違反かどうかという議論は、国会の仕事ではないと思います。
特に、今の日本に必要なのは構造改革なのですから、そのことを議論すべきです。
定義がなくて、利益に走ってしまうのは、人間ですから、致し方ありません。
でも、定義があれば、その定義に沿うように動くのも人間なんです。
確かに、人間は、弱くて愚かな生き物ですが、他の動物にはない理性という素晴らしい一面も持っています。
だからこそ、人類は、まだ、生き残っているのです。


2017-08-02



情報収集と分析 [評論]



東京都議選で自民党が大敗しました。
57議席が23議席になったのですから、6割減です。
自民党にとっては、かつて、民主党が政権を取った時の悪夢が、再現したと言っても過言ではありません。これは、後遺症として残ります。
菅官房長官も、流石に、今回は「たかが、地方選挙」という言い訳はできませんでした。
公明党の山口代表だけが、「たかが、地方選挙」という言い方をしていましたが、これは東京都政で自民党との連立を解消した罪滅ぼしの発言でしかないと思います。公明党にとって、東京都議選は、国政選挙クラスの重要選挙だと言われています。公明党は都議選で負けるわけにはいかなかったのです。その理屈は、私にはわかりません。不思議です。
東京都の公明党は、かなり早い時期に自民党との連立を解消しました。公明党の選挙参謀が優秀だったということなのでしょう。自民党は、公明党の動きに気付かずに、何の反応もできませんでした。国政での連立があるのだから、大丈夫だと思い込んでいたのでしょうか。もし、そうであれば、お粗末としか思えません。
落選した自民党都議は、「小池旋風よりも、公明党が痛かった」と語っていました。自民党は、創価学会票という下駄をはいた選挙をしてきたことを忘れていたのです。国政でも、自民党は、創価学会票という下駄を再確認することになります。ほんとに、宗教団体は強い。公明党は、イスラム教徒によるテロを否定すると思いますが、創価学会の信徒も、右向け右と言えば、全員が右を向きます。私には、大きな差はないように見えます。民主主義の対極にありますが、信教の自由は、民主主義では認められます。民主主義も、なかなか、辛いことがあります。できれば、信仰は、もう少し純粋であって欲しいと思いますが、宗教が権力と結託することは、太古の昔からの、世界規模での歴史なのですから、致し方ありません。これも、現実です。ですから、選挙に関しては、公明党の力は最強です。まあ、公明党の価値は、そこにしかありませんが、それも大きな価値です。これで、憲法改正も、少し難易度が上がったと思います。
ここまで、言葉による騙しが有効に効いていましたが、国民は、そのことに薄々気付き始めたのかもしれません。これで、得意の言葉騙しが通用しなくなる流れが生まれてしまう可能性があります。安倍総理は「真摯に反省して・・・・」と言っていますが、その会見が終了した足で、東京でも最高級といわれるフレンチレストランに行き、ワインを味わっていたのでは反省しているようにはみえません。恐怖は感じているかもしれませんが、反省はしていないと思います。国民は、白けています。軽々しい言葉と、虚言と、空気が支配するこの国の国民は、どうすれば、幸せになれるのでしょうか。
私は、森友問題で安倍政権打倒は難しいと書きました。しかし、いつものように、不幸は不幸を呼ぶという現象が起きています。加計学園、大臣発言、総理発言と目白押しです。どれも、無責任な言葉の洪水状態です。そのせいで、安倍政権の支持率は急降下しました。でも、政党支持率を見てみると、無党派層は増えましたが、自民党支持率はそれほど減っていません。自民党の支持率は30%あります。他の政党は、どこも、一桁の支持率しかありません。とても、自民党政治にストップをかけられるような状況ではありません。
実体の伴わない政治。この流れを大きくするものがあるとすれば、海外要因になると思います。アメリカの横車が押し寄せれば、更に、空しい言葉が溢れることになります。トランプ政権はハチャメチャ度を増幅させていますので、何としても「実績」が欲しいでしょう。G20でも、孤立というより、浮いているという表現が似合いそうでした。「G20の作業部会の所在なさげなトランプ氏」という写真が報道されていましたが、ポツンと一人で立っている姿がとても象徴的で、気の毒になりました。かなりの重症です。もう、事実上の「村八分」状態です。最後の写真撮影では、左端から2番目に並んでいました。中央の主催国のメルケルさんの隣に習近平さん、その隣にプーチンさんという並び方です。どうも、メルケルさんは、きつい人のようです。過去に、アメリカ大統領が中央から外れたことはなかったように思います。トランプ政権では、内政問題の解決も、進んでいません。そのことで、共和党が時間的な要因でデッドロックする可能性もあります。内政も外交も、次々と、トランプ自身が問題を作り出しているのですから、共和党も苦労します。トランプを他の誰かに変えれば、問題が片付く状態は、アメリカの不幸です。そんな中で、中国と全面対決するだけの体制は、まだありませんし、欧州は反旗を翻していますから、安易度から言えば、韓国、日本、カナダ、メキシコが候補になります。韓国が一番料理しやすいとは思いますが、北朝鮮が絡んできますから、北朝鮮が絡んでくるということは、中国やロシアも絡んできますから、面倒です。カナダもメキシコも、表面上は強気を維持していますから、消去法で選べば、日本に矛先を向けることが最善の策になります。トランプが、なりふり構わずに、成果を求めた場合、安倍さんは対応できるのでしょうか。自分から「わん、わん」とポチになった経緯がありますので、難しいのではないかと心配しています。

自民党が都議選で大敗した翌日、北朝鮮のミサイルが、日本の排他的経済水域に落下しました。北朝鮮は、都議選で自民党が大敗したことを祝って祝砲を打ったわけではなく、アメリカの独立記念日への贈り物と、G20へのメッセージとして発射したようです。成果があったかどうかは不明ですが、G20の共同声明では北朝鮮問題は取り上げられませんでした。北朝鮮とアメリカのチキンゲームは、どうやら、北朝鮮の勝利で終わるようです。後で振り返ってみれば、これも時代の曲がり角の出来事になるのでしょう。
ミサイルは9時39分に発射され、40分間飛んだそうです。アメリカも、ミサイルがICBMだと発表しました。ワシントンに届くミサイルが開発されるのも時間の問題だとされ、それも、近い将来、実現するだろうと言われています。もしも、北朝鮮が頑張って100発のミサイルを製造し、全弾、ワシントンに向けて発射したとして、アメリカは防衛できるのでしょうか。「窮鼠猫を噛む」という事態は、起こり得ます。仮に、半分のミサイルを打ち落としたとして、残りの50発がワシントンで爆発し、その中に、原子爆弾が含まれていたとすると、ワシントンは壊滅します。もちろん、アメリカは、即座に、報復をするでしょう。北朝鮮には、ミサイル防衛システムが存在していないと思いますので、アメリカのICBMは、全弾、標的を破壊するものと思います。それで、北朝鮮は白旗を挙げるのでしょうか。多分、そうはならないと思います。ミサイルとロケット弾が韓国に降り注ぎます。休戦ラインを越えて、陸上部隊も韓国になだれ込みます。心配なのは、北朝鮮軍が飢えているということです。食料補給が現地調達だとすると、これほど強い軍隊はありません。
過去のシミュレーションでは、在韓米軍に5万人の、韓国軍に50万人の犠牲者が出るとされています。民間人の犠牲者は、数百万人になる可能性があります。在日米軍の駐屯地に向けてもミサイルは発射されます。ついでに、東京にもミサイルが飛んでくるでしょう。その時の犠牲者は、400万人という予測もあるようです。
窮鼠が猫を噛む事態は防ぎようがありません。過去に、窮鼠状態だった日本が真珠湾攻撃をしたのと同じです。経済制裁で追いつめられている北朝鮮が、日本と同じことをしないという保証はありません。北朝鮮は、今、紛れもなく、窮鼠です。アメリカは、その窮鼠を更に追いつめようとしています。
アメリカは、北朝鮮のミサイルの射程距離が進化したことで、尻に火がついて焦っていますが、日本はどうするのでしょう。
防衛省がミサイル発射の第一報を発表したのが12分後の9時51分。ミサイルがノドンであれば、既に着弾した後です。菅官房長官が記者会見をしたのが、10時30分。その時点では着弾地点もミサイルの種類も判明していません。自治体は、この体制で、どうやって、住民を守るのでしょう。
いつものように「情報収集と分析を」と発表しましたが、着弾から10分後に、情報収集と分析をしていて、どうやって、国民を守るのでしょう。実際には、詳細が判明していて、軍事情報の保秘のために発表しなかったのであれば、いいのですが、優秀な菅官房長官の表情からは何もわかりませんでした。もしかすると、ミサイル発射の情報も、アメリカの監視システムから貰ったものかもしれません。本来であれば、着弾地点の延長線上にある、秋田県や北海道に、着弾前に、避難情報を出さなければならなかったのではないかと思います。このままでは、全国一斉の警報を出しておいて、政府は責任を果たしましたというアリバイ作りになってしまいそうです。これは、責任逃れの言葉遊びです。頻繁に警報が出て、ミサイルが落ちてこなければ、誰も避難しようとは思わなくなります。
安倍総理は、大臣の不祥事があると、稲田大臣の辞任の時も、「任命責任は私にあります」と堂々と言いますが、「責任を取る」とは言いません。ただ、「真摯に反省します」という常套句を、「反省しています」という顔で言うだけです。「責任」という言葉を、無害な言葉に変えてしまいました。
このような、実質的な行動の伴わない言葉が溢れています。もっとも、これは、今に始まったことではありませんので、「まあ、まあ」で決着するのでしょう。
でも、それでいいのでしょうか。
本気で、安全保障を考えるべきなのではありませんか。
実際に、有事が発生したら、政府は「想定外」で済ませばいいのですが、国民はたまったものではありません。
戦争は、相撲のように「よーい、はっけよい」で始まるとは限りません。先制攻撃を防ぐことはできません。ですから、国民に犠牲者が出ることは、防げません。そのことは、国民に伝えるべきです。一人の犠牲者も出さないような言い方は卑怯です。犠牲者は、必ず、出ます。その上で、被害を拡大させない行動を取ることが政府の責務です。「情報収集と分析」という定型発表は、何の意味もありません。国民は「情報収集と分析」という言葉で安心しているのかもしれませんが、「お上」は国民のために対応してくれていると思い込んでいるのかもしれませんが、ほんとに、そうなのでしょうか。毎回、毎回、判で押したように「情報収集」を口にしているのは、マニュアルによる発表なのではありませんか。
なし崩しで防衛力の強化をするのではなく、憲法改正をする前に、国防ビジョンを示し、国民投票をしてみては、どうでしょう。国民は、賛成してくれると思います。そうすれば、9条に自衛隊の文字を追加するような姑息なことをしなくても済みます。

東京都知事選挙で小池氏が勝った時も書きましたが、選択肢さえあれば、都民は自民党に「ノー」と言うだけの判断力を持っています。今回も、都民は、自民党東京都議団に「ノー」と言っただけではなく、自民党と安倍政権に「ノー」と言ったのです。都民は、森友や加計問題で自民党を見限ったのではありません。言葉で逃げようとした自民党の対応に、不安を持ったから、自民党に投票しなかったのです。ただ、これも、空気によるものです。理詰めで都民ファーストに投票したわけではありません。だって、定義がないのですから、理詰めをする原点がありません。空気に動かされた付和雷同状態に過ぎないのです。
「お上」が言葉騙しで何とかなっていた時代は終わっているのです。もちろん、国民はそのことに気付いていませんから、また、騙される状態に戻るのでしょう。国も国民も、時代に追い付いていませんから、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で時代遅れの安全地帯に戻り、安堵することになります。
国民は、漠然と、何となく、そのことに気付いているのかもしれませんが、原因が把握できていないのですから、また、空気で動きます。
それでも、選択肢さえあれば、いつでも、自民党は政権を失います。
それを証明したのが、前回の都知事選挙であり、今回の東京都議選です。
どうして、野党の政治家はそのことに気が付かないのでしょう。
専門的な情報収集や分析は必要ありません。金と票にしか関心がなく、感性と想像力を失ってしまった政治家は、直感も無くしてしまったのでしょうか。直感があれば、何をすればいいのか、簡単にわかるはずです。そうです、民進党ではなく、共産党でもなく、国民目線の第二自民党を作ればいいのです。業界団体の利益優先ではなく、一般国民の目線で政治が出来る集団を作ればいいのです。金がなければ選挙は戦えないと泣き言を言うかもしれません。ほんとに、そうなのでしょうか。仮に、そうであったとしたら、新しい集金システムの構築を全力でやるべきでしょう。新しいシステムの構築は、そう簡単にはできません。でも、それでも、しぼり出すしかないと思います。イデオロギーや過去の経緯は関係ありません。そんな屁のツッパリにもならない過去は、全部、捨てなくてはなりません。
もちろん、そのことをわかっていたとしても、今ある金と票を失う恐怖に勝たねばなりません。人間には、それが、できません。更に言えば、自民党に代わる受け皿集団ができると、金と票を求めて、信念なき政治家を呼び寄せてしまいます。民主主義には数が必要ですから、そんな有象無象も受け入れてしまいます。第2の民主党の誕生です。なかなか、うまくいきません。最終的には、国民意識でしか国の改造はできないことになります。でも、きっと、そこに突破口があるような気がします。
今は、どんな嘘をついても、政治家は選挙で選ばれます。政治家の都合で政治が行われるのではなく、政治家の生殺与奪権を握っているのが国民であれば、政治家は、常に、国民に視線を向けるしかありません。できれば、創価学会も、自主投票を第一義にしてくれるとありがたいものです。もっとも、これは、民主主義の定義がなくては、実現しないことですから、可能性はありませんが、それでも選挙制度の改革は必要だと思います。
過去に、度々、現行の選挙システムを変えるべきだと書いてきましたように、公職選挙法を大幅に変えることが必要ですが、それに取り組む政治家が出てきた時が、日本の民主主義の始まりなのかもしれません。以前にも書きましたが、選挙制度の改革というのは、一票の格差の問題や、中選挙区と小選挙区の問題でもありません。国民の本音の意志が反映できる新しい概念の制度が必要なのです。政治家の政治家による政治家のための選挙制度では、国民目線が生まれることはありません。
「国とは」の定義が、もしも、「国民の生命と財産を守る」ことであれば、国家運営者は、常に、国民目線で物事を見なければなりません。最近の風潮ですが、「国民の生命と財産を守る」と言う言葉からは安全保障を連想される方が多いかもしれません。安全保障も、その要素の一つですが、経済も、財政も、社会も、食料も、災害も、未来も、「国民の生命と財産を守る」ことです。
そのためには、政治家による、国民のための選挙制度にする必要があります。しかし、そのような発言はどこからも聞こえてきません。国民から聞こえてこないのですから、政治家から聞こえることはありません。国民次第で国は変われるのですが、定義のない曖昧国家の国民には、難しい注文なのでしょうか。この定義のない曖昧国家が、全ての元凶なのですから、国民が、先ず、そのことに気付く必要がありますが、そんな声も、聞こえてきません。小学校の頃から、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義について、子供達が議論することが定着すれば、国民の意識は変わってくるものと思います。ただ、50年くらいの時間は必要です。
このままでは、必ず、「あちゃー」と言う日が来ます。
間違えました。「あちゃー」を通り越して、阿鼻叫喚の日がやって来ます。
ただ、これは、起こるべくして起こることであり、自業自得なのですから、私達が助平根性を捨てられなかったのですから、諦めるしかありません。70年前にチャンスはありましたが、封建制度から民主制度に移行するためには、350万人の犠牲では少なかったようです。だから、数千万人の犠牲者を出し、新しい国造りをするための、国家崩壊がやってくるのです。次は、定義をすることから始めて欲しいものです。
もっとも、阿鼻叫喚の日々がやってきたら、「誰の責任か」なんて話をしても、意味がありませんし、そんなことやっているゆとりはありません。今日の食料を確保することが、それだけが、私達の仕事になります。


2017-08-01



空気という疫病 [評論]



ある東大教授の方が、日本の意思決定プロセスは「東大病」に冒されているというコラムを書いています。

「 特定の、誰か、が暴走するのではなく、組織全体がいつの間にか暴走してしまう。だれも責任を取らず、異議も唱えない一方、巧みな言葉の“すり替え”でごまかしながら、コトをするっと進めてしまう。そうこうするうちに既成事実となって歯車が回り始め、誰にも止められなくなる。これこそが「東大病」の正体です」

東大卒のエリートが、この国を支配している。
確かに、それは現実です。
この方は、東大の教授ですから、「東大病」に見えているようですが、これは、決して、「東大病」などではありません。日本は、太古の昔から、こういう統治方式を採用してきた国なのです。そして、封建制度の結晶ともいえる伝統という美名のもとに、多くの若者を教育してきたのです。なぜなら、これは封建制度を維持するためには、実に、有効な方式だからです。日本という国が時代に追い付けずに、衰退しているのは、伝統という名で装飾された日本流の封建制度にしがみ付いているからだと思います。
これは、「東大病」などではなく「日本病」なのです。
この国が構造改革をできない理由もここにあります。日本流の封建制度という現状の構造を逸脱すれば、辻褄が合わなくなり、全体が壊れてしまうという意識があり、頑なに、しがみついているのです。国家運営に携わる多くの方が、これこそが、国家統治の大前提なのだと信じています。先月も曖昧文化について書きましたが、日本流の封建制度も、曖昧文化のおかげで実にうまく作られています。パッと見は封建制度に見えません。正面から見れば、民主主義に見えるように作られています。そのカギを握っているのが儀式です。この方式は一朝一夕にできたものではありません。2,000年という時間が作り上げた方式なのかもしれません。この方式で時代を乗り越えられれば、言うことなかったのですが、うまく機能しなくなってしまいました。それは、グローバル化という世界潮流のせいです。
国民の皆さんは、この国に身分制度などないと思い込んでいると思いますが、それは、皆さんが「下々」だからです。すみません。私も「下々」です。ただ、「選民」という身分があることを知っている「下々」です。中には、身分制度に薄々気付いていて、自分が「下々」であるにも拘わらず、「選民」になりきって、悦に入っている不思議な方もいます。
実際に「選民」と「下々」という身分制度を前提にした国家統治が行われていることを知っているのは、「選民」だけです。東大卒の人達だけが「選民」ではありません。国家運営集団に参加できた人は、自分は選民だと思ってしまいます。選民になってしまえば、もう、そこには、国民という視点はありません。
この方式の中には、多くの要素が巧みに織り込まれています。「忖度」もそうですし、「責任回避」もそうです。皆が悪くて、皆が悪くない。そこにあるのは、選民と選民の「なあ、なあ」なのです。時々、今回のように文科省と内閣府で齟齬をきたしますが、得意の「なあ、なあ」が機能しない時もありますが、それはご愛嬌みたいなものです。日本国民は、「いい人」ばかりですから、時間が経てば、忘れてくれます。
私は、以前に、国会議事堂を国立茶番劇場だと書いたことがあります。「なあ、なあ」だけでは軽く見られてしまいますので、権威付けのために儀式を行う場所なのです。ですから、出し物は、三文芝居でも四文芝居でもいいのです。今年の通常国会は二文芝居でしたが、それもご愛嬌です。
そこには、民主主義の欠片もありません。そんな国の国民は、いつまでも、「下々」にすぎません。
ところが、国民は、自分の国は民主国家だと信じています。
「お人よし」もここまでくると、「お上」にとっては宝物です。
民主主義の定義がないにもかかわらず、どうして、民主国家かどうかを判定しているのでしょう。そうです。「空気」です。日本の主権者は、人間ではなく「空気」なのです。ですから、空気を醸成することが、統治になるのです。そして、その空気を作っているのが「選民」なのですから、当然、空気は「選民」のための空気になります。これは、民主主義ではありません。空気さえ作れれば、どんな統治でも可能になります。最近の例で言えば、戦前の「戦争まっしぐら」という空気です。多くの国民が戦争に違和感を持ちませんでした。空気を介在させて封建制度を維持する、いわば、間接封建主義が、日本の国体なのです。私は、いつも、この国の国体は「民主主義風王政並立封建制度」だと書きます。それは、民主主義という風味を加え、天皇制という味を付け加えていますが、本質は封建制度です。封建制度の国では、私達は「下々」にすぎません。ですから、「下々」が数百万人犠牲になっても、何の問題もないのです。第一次大戦でも、第二次大戦でも、国民は消耗品として使われました。兵士よりも、戦艦や飛行機や銃器のほうが大切にされました。
この国では、他民族に蹂躙されたという歴史はありません。また、過去に、極悪非道の支配者も出ませんでした。極悪非道の支配者に痛めつけられた体験があれば、もっと違った視点が生まれていたでしょう。織田信長が、初めて、極悪非道の支配者になる予定でしたが、残念ながら、暗殺されました。戦国時代、天下統一後の日本を織田信長が統治していたら、今の日本は別のものになっていたと思います。この国では、常に、曖昧が、空気が、支配者だったのです。そして、今、その空気が、時代に適合できずに、病んでいるのです。
確かに、微妙な匙加減で運営する方式には、いい面もあります。四角四面では角が立つという意見も、もっともなことです。でも、それでは、封建制度を卒業することはできません。国民は、いつまでも、「下々」のままです。「俺達は、下々でもいい。なんとか、うまくやってくれ」という意見もあるでしょう。私も、大惨事がやってこないのであれば、それも選択肢の一つだと思います。最終責任を「お上」が取ってくれて、私達国民が無傷でいられるのであれば、願ったり叶ったりです。でも、そんなことは、夢物語です。どう転んでも、最終責任を取るのは、私達国民なのです。国民が、このことに気付かない限り、いつまでも「なあなあ」「まあまあ」が支配することになります。
人間は、つい、現状の延長線上に未来があると信じてしまう性癖があります。
でも、それは、勘違いです。
そんなうまい具合に事が運ぶことは、滅多にないのです。いや、あり得ないことなのです。歴史の年表を見ただけでも、それは明らかな事実です。

私は、いつも、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義が必要だと書きますが、これは、2,000年の歴史を否定しろ、と言っているに等しいことです。実に、無茶な話です。そんなこと、実現することはありません。ただ、大惨事の後に生き残った日本人が、新しい国を作る時に、もしも、この文章が残っていれば、もしかすると、誰かが気付けば、ひょっとして、参考にする半端者がいれば、役に立つかもしれない、という奇跡を期待しているにすぎません。



もう一つ、同じような趣旨のコラムを紹介しておきます。

あることを実行したいと思っている(実力)者が、最適だと思われる機関を利用して、自分の個人的な意思を巧妙に組織の意思に作り替えるのが「意思決定」だ。検討に必要な材料を揃え、いろいろな人が意思決定に参画した形式を整え、正当性を確保するだけなのだ。そのため、他の意見が入る余地は小さいし、シナリオ外の決定はほとんどない。いわば、「意思決定ロンダリング」と呼んでもいいだろう。
この手の「意思決定ロンダリング」は、国や自治体の意思決定プロセスでもよく用いられる。恣意性を排除するために、「衆知を集める」という名目で「委員会」を組織することが多いが、そこに「御用学者」や「御用財界人」が集められることになる。すでに明確な意思を持っている事務方にとって都合のいい意見を言って、追認してくれる人たちだ。
そこでは「お互いに空気を読み合って」「自分の範囲を越えず」「流れに沿って」「阿吽の呼吸で」話し合いをする技術が求められる。あまりに賛成一色だと困るので、あえて異論を述べてくれる少数の「反対派」は入れてあるものの、多数派はしっかりと押さえてある。
また、このような委員会は、あえて広い部屋で協議が行われ、そもそも話し合いが盛り上がらないような配慮さえなされている。100人は入れる部屋に10~15人人しかいなければ、当然出席者の席は離れる(事務方の傍聴者はやたら多い)。声が通りにくいから、話しづらい。よってマイクを使うので、さらによそよそしくなる。貴重なご意見を承りました。とはいうものの、本質的な問題提起があったときは、巧妙に話しをそらして深い議論はしない。……と、どこまでも事務方に支配されているのである。
このように極めて儀式的な会議体だが、それでも、公的機関が設立した委員会の委員になると、社会的信用度が上がるため、委員会の委員の成り手には困らない。反対派として頑張って意見を述べても、あまり話題になることはない。報告書において、「○○のような意見もあったが…」というわずかな痕跡が残るだけである。恣意性の強い委員会の運営に抗議して「こんな茶番(意思決定ロンダリング)に付き合わされてたまるか!」と途中で委員を辞任する人もたまにいるが、大勢に影響はない。
著名なコンサルティング会社や弁護士事務所などが、その任に当たることもある。事務方の設定した目的に沿って、必要な情報を集め、目的に沿うような理論構築をするのが仕事となる。各種の第三者委員会なども、実質的に外部者が主導する一部の委員会を除き、その多くは事前のシナリオに沿った方向にまとめられる。事務方の意思が、いつのまにか権威を持った外部の識者によってお墨付きを得た「錦の御旗」に仕立て直されるのである。
さらに、このロンダリングの仕組みは、なかなか使い勝手がよい優れものである。もしその答申にそって実施された結果が悪かったときには、その答申が悪かったことにできるのだ。すなわち第三者(なんとか先生や、なんとか会社)が悪いということにしてしまえるということである。もともとその答申は事務方の意見なのだが、形式的には外部の先生のご意見をまとめたものだし、行為の実行者は(間違った)答申に従っただけだ。誰にも責任はない。こんな風に、外部を使った意思決定ロンダリングは、責任逃れには最適だ。



まだまだ少ない方が、こんなやり方に疑問を持っています。でも、そのことが全国規模で問題になることはありません。それは、国民の勘違いが大きく影響しています。この国が民主国家だと信じ込まされていることです。現在の方式は、伝統のある匠の技として重宝され、上記のように、その手法に問題があるとする主張があれば、変人の戯言として、意識的に「お上」が無視することで維持されます。「お上」が無視すれば、国民は騒ぎません。なぜなら、この国の国民は「いい人達」ばかりですから。
そこで使用されるのは、伝統のほうが立派に決まっているという宝刀です。実に不思議です。私達が宝刀だと信じている刀は、封建制度を維持してきた刀なのです。その封建制度の宝刀が、民主制度でも宝刀になるという不思議を不思議とも思わない不思議です。その上、この時代錯誤を時代錯誤だと思わないで平然としていれるのは、曖昧文化のおかげです。どこかに、出口はあるのでしょうか。ありません。だから、ガラガラポンが起きるのです。伝統は文化として受け入れるべきであり、時代が変わっている場合は、統治システムに組み込むのは間違いだと思います。
以前は、現状分析すら出来ていなかったのですから、少しは前進したのではないかと思う方がいるかもしれません。しかし、残り時間が少ない今となっては、そんなことを言っていたのでは手遅れです。今は、現状認識と対策の立案と実行を、一気にやらねばならない時なのです。
もちろん、伝統と文化という巨大な壁があるのですから、可能性は微塵もありませんが、必要とされているのは、民主国家の樹立です。
もしも、この国が民主国家であれば、国家の仕事は「国民の生命と財産を守る」ことであれば、国は、国民に「これからの100年の、国民の皆さんの生命と財産は、こうやって守ることが出来ます」という数字を示さねばなりません。でも、そんな数字は、どこにもありません。逆に、国民の生命と財産は守れないという数字は沢山あります。例えば、50年後の借金は8,000兆円と予測されています。仮に、金利が5%だとすると、400兆円の利息を支払わねばなりません。50年後のGDPが300兆円だとすると、国民は全員、霞を食べて生きなくてはなりません。これで、どうやって、国民の生命と財産を守るのでしょう。
私達は、今日を生きることで精一杯です。仮に、将来を考えても。「来月は」「今年は」くらいのものです。10年先、50年先、100年先を考えるのは国の仕事です。国家運営者までが、今日のことや、過去の失敗で右往左往していたのでは、国民は救われません。定義が曖昧になっていることが、国の本来の仕事を曖昧にしています。国民こそ、この定義不在が大惨事を招くという想像力を持たねばなりません。ここで、百歩譲りましょう。政治家は銭勘定や票勘定に忙しく、庶民は毎日の生活に忙しいのであれば、問題提起や方向性を提示するのは有識者と呼ばれる人達の仕事です。でも、その有識者の皆さんは、各種の会議に招聘されることに腐心しています。私達の将来には、ポッカリと穴が開いたままです。野球に例えるなら、センターの野手がいない状態です。しかも、レフトの野手もライトの野手もカバーに入るつもりはありません。これは、大穴です。これでは、国が滅びます。
石田ごとき爺が、こんなブログを書いていることが、国家崩壊が始まっている証拠です。
漠然とではありますが、壊れかかっている様子は、国民の皆さんにも見えているはずです。日本のガラガラポンは必然的な結果であり、それは、もう、9年後に迫っています。自分や自分の家族を守らなくていいのですか。
多くの国民の皆さんだって、「なんか、変だなあ」と思っていますが、皆さん、いい人達ばかりですから、波風を立てようとはしません。いや、そのほうが、楽だと思っています。
こうして、日々、何事もなく、過ぎることを願っています。
でも、そんな都合の良い未来などありません。現実とは非情なものです。
多くの方が、破滅へ向かっている現実を見ようともせずに、作られた空気だけを信じていますので、何を言っても無駄ですが、そうは問屋が卸しません。
それでも、国民は、根拠もなく「きっと、何とかなる」と信じています。もう、これは宗教のレベルです。この信仰心は崩せません。
それでも、残念ですが、この国は、間違いなく、壊れます。
いや、既に、壊れ始めています。
もう、空気で統治できるような時代ではありません。
300年前であれば、崩壊することはありませんでした。
100年前でも、350万人の犠牲で済んだことを僥倖だと考えねばなりません。
でも、もう、無理です。
今度は、数千万人の犠牲者が出ます。
何度も書いてすみません。
最終責任を取るのは、国民の皆さん、あなたたちなのです。
それなのに、国民という視点が、どこを探してもありません。
「下々」は存在していますが、昔から「下々」は多少犠牲になってもいいのです。
数千万人は、多少の犠牲とは言えませんが、それは仕方のないことです。「下々」ですから。
中には、根っからの「いい人」もいるでしょう。でも、ほとんどの方が「いい人」を演じているだけです。
勝手に、自分には害が及ばないと思い込んでいるだけです。
そうじゃありません。
例外なく、誰の身にも降りかかるのです。
皆さんは、今なら、「いい人」ぶって、「仕方ないさ」と言うかもしれません。
国家運営なんて、自分の守備範囲ではないと思っていますから、そう言うのでしょう。
でも、本物の痛みや苦しみや飢餓がやってきても、「いい人」を通せるのですか。
無理だと思います。
恨み、泣き叫ぶことしか、私達にはできません。
なぜなら、それが人間の本性だからです。


2017-07-04



棚から牡丹餅 [評論]



プーチン大統領という人は、生まれる場所と時代を間違えたのかもしれません。
彼が、20世紀のロシアではなく、15世紀のヨーロッパに生まれていたら、一大帝国を築いていたのではないかと思います。
プーチンは、アメリカの大統領選挙を好機と捉え、アメリカ国内の分断に成功しました。
そのサイバー攻撃の規模の大きさからも、国家的大作戦であったことは明白です。
元々、貧富の格差問題で分断されていたアメリカの病巣を、大統領選挙という一大イベントを利用し、表面化させただけのことですが、これは、プーチンの手柄なのかもしれません。そして、今、アメリカでは、ロシアゲートなどと騒がれています。それは、アメリカサイドの見方であり、ロシアゲートという名称まで作ってくれて、結果的にアメリカの内政を不安定にさせたという功績も、プーチンのものです。トランプが大統領の席に座っている限り、ロシアは何度でも配当を受け取ることができる優良銘柄投資をしたようなものです。
プーチンが、トランプと共謀したかどうかは、まだわかりませんが、ロシアにとって、そんなことは問題ではありません。ロシアゲートが立証されても、プーチンがアメリカの法廷に立つ必要はありません。トランプが大統領になって、アメリカが不安定になることが、ロシアの狙いです。ですから、トランプが大統領になることをロシアは望んでいました。その理由は、トランプが押しも押されもしない「ならず者」の一人だということを、プーチンは知っていたのです。それは、トランプがロシアでご乱行をしていたのですから、ご乱行の時には、その人物の本性が丸裸になりますので、トランプという人物がどんな人物なのかをプーチンは承知していました。世界に「ならず者」が増え、世界が不安定になることで、ロシアにもチャンスがやってくると考えたのでしょう。
トランプが大統領になったことで、アメリカとヨーロッパの間にも楔を打ち込むことができました。西側諸国の分断にも成功したのです。これが、プーチンの真の狙いだったのでしょう。大成功です。あり得ないと思いますが、もしも、トランプがNATOから手を引いてくれたら、ボーナスみたいなものです。
プーチンの目には、トランプは「ただの愚か者」に見えているのかもしれません。
プーチンは、トランプのことが好きだと言っています。「真っすぐで、率直な人」だと評価しているそうです。でも、これって、トランプが馬鹿だと言っているに等しいことのように聞こえます。
次から次へと、トランプの迷走は続いています。きっと、プーチンは満面の笑みを浮かべて見ているのでしょう。ここまでやってくれるとは思っていなかったかもしれません。プーチンにとっても、想定外の成果かもしれません。先人達は、きっと、こういうことを、棚から牡丹餅という言葉で表現したのでしょう。
プーチンは、「新しい軍拡競争が始まっている」と言っています。私も、プーチンの意見に賛成です。ロシアも、その競争に参加して、昔の威信を取り戻したいと願っているようです。ヨーロッパでは、ロシアの侵略はウクライナで完結しているとは考えていません。ヨーロッパでは、バルト三国から、第三次世界大戦が始まるのではないかと危惧する意見もあります。軍事的に突出することを避けてきたドイツが、NATOの枠組みを超えて、ロシアの侵攻に対する軍事協力を推進しています。国防予算の増額が可能な国は少ないですが、ドイツは、その希少な国の筆頭です。
プーチンは、極東でもミサイル部隊を展開し、二個師団を増派する予定だとされています。プーチンと安倍の間には信頼関係があったはずです。いや、勝手に安倍がそう言っているだけですが、プーチンは国益しか眼中にありません。プーチンは、「これは、日本に対する部隊ではない。アメリカは何をするかわかったものじゃない。晋三も、あの男には気を付けろよ」と友人のような口をきくと思います。おまけに、北方四島に部隊を配置しておけば、日本への売値も高くすることができます。プーチンは時代を読み、時代を自分の手で動かしたいと思っているものと推察します。プーチンと安倍では、あまりにも役者のレベルが違います。プーチンが、ブロードウェイでロングランしている芝居の主役だとすると、安倍は、下北沢の小さな芝居小屋で、不定期な公演をしている役者みたいなものです。
軍拡を主導したのは、中国ですが、中国の独り勝ちを容認するつもりはないようです。それは、プーチンもトランプも同じ考えなのでしょう。特に、「ならず者」の枠の中では、誰がトップを取るかが大変重要になります。それは、やくざ稼業や暴走族集団を見ていても、よくわかることです。「ならず者」であれば、世界一の「ならず者」になるのが、「ならず者」の共通した願いなのですから、二番手はありません。
先日、ロシアは「ジルコン」と呼ばれるミサイルの実験に成功しました。
ミサイルの実験というと、北朝鮮の専売特許のように報道されますが、ミサイルの実験をしているのは北朝鮮だけではありません。アメリカもロシアも中国も、盛んにテストを繰り返しています。核兵器の実験でも同じです。北朝鮮の実験は数回ですが、数百回もの実験をしている国は、いくつもあります。国連で非難されるのは北朝鮮だけですが、「いじめ」はどんな世界にも存在しているのですから、仕方ありません。「いじめ」というものは、弱い者をいじめることで成り立つのです。だからと言って、北朝鮮が核開発やミサイル実験をすることを喜んでいるわけではありません。ただし、これは、北朝鮮の自由です。
ミサイル防衛システムでは、アメリカが一歩先んじていましたが、「ジルコン」はそのミサイル防衛システムを無力化する可能性があります。「ジルコン」は時速7.000キロの性能を持っていて、潜水艦からの発射が可能です。アメリカには、まだ、この性能に匹敵するミサイルがありません。
NATOのミサイル防衛システムはアメリカ製ですから、今、第三次大戦が始まれば、欧州はロシアのミサイルを防ぐことができません。もちろん、核弾頭が搭載されていなければ、ミサイルだけで戦争が決着するわけではありませんが、大きな犠牲を強いられます。
私は、このブログを書き始めた時、世界は混沌の時代へと向かっていると書きました。
アメリカとソ連の1対1の世界が、ソ連崩壊により、1対nの世界になり、アメリカの衰退により、n対nの世界が生まれ、最終的には世界大戦に向かう危険があると書きました。ですから、軍拡競争は時代の要請でもあります。
世界大戦が、10年後になるのか、50年後になるのか、100年後になるのかはわかりませんが、どこかで決着をつける時期がやってきます。なぜなら、人間は水分と「欲」でできているのですから、仕方がありません。その時、核兵器を使用するかどうか、まだわかりませんが、次の世界大戦では、使う確率のほうが大きいと思います。それは、戦争をするのが「ならず者」の人間だからです。人間の「欲」の裏側は「恐怖心」です。人間は、「欲」にも「恐怖心」にも勝てません。
SFの世界が現実になる可能性も否定できません。
もっとも、日本は、世界に先んじて崩壊していると思いますので、世界大戦の影響は限定的だと思います。もちろん、それが喜ばしいことだとは思っていません。


それでも、プーチン大統領は不幸な星の元に生まれたと思っています。
プーチン大統領の不幸は、彼が持っている自由裁量権にあります。
それは、人間が神であると錯覚できる条件になります。
人間ですから、つい、やりすぎてしまうものです。
そのことは、中国の習近平主席にも当てはまります。
アメリカのトランプ大統領も、「やりたい放題」がしたいと願っていますが、アメリカ大統領の権限も大きなものですが、それでも、トランプは「やりたい放題」が出来ません。
この差は、どこから生まれるのでしょう。
上記の三人は、皆、「ならず者」です。もしかすると、最悪の「ならず者」はトランプかもしれません。トランプは「俺が、ロシアや中国の指導者であれば、誰よりも国の利益を大きくする力を持っている」と信じているかもしれません。
三人の「ならず者」の差は、その国の統治システムに左右されます。
そして、その統治システムの根っ子にあるのが、国民意識です。
では、アメリカやヨーロッパの国々の国民が、高い国民意識を持っているのかというと、そんなことはないと思います。ただ、最終的に責任を取らされるのは、自分達だということを知っている人が多い、ということなのだと思います。国家運営者が間違うことの方が自然であり、彼等に「やりたい放題」をやらせれば、自分達が痛い目に遭うことを知っているからだと思います。彼等は「お上」を信じてはいません。憲法を作ってでも、国家運営者の行動を規制しようという発想が生まれるのも、彼等が「お上」を信じていないからです。ロシアも日本も、国民が支配者を欲しがります。それは、地政学的な歴史に起因するのではないかと思います。
狭い場所で、国々が隣接し、常に他民族との戦争に巻き込まれてきた人達は、「最終的に、責任を取るのは、いつも、俺達だ。俺達が決めるしかないだろう」ということを学習したのだと思います。移民で成り立っているアメリカは、その縮図でもあります。そもそも、豊かな生活をしていたのであれば、新天地を求めてアメリカに渡る必要はありませんでした。責任を取らされ、貧しさに耐えかねた人々が、アメリカに逃げ込んだのです。彼等の根っ子にあるのは「性善説」ではありません。
権力者が悪に走る姿を見続けてきた人達にとって、権力者に「性善説」を当てはめようとする必然性はありません。彼等は「悪さ」をするのが権力者だと思っています。
そういう意味では、中国も権力者の「やりたい放題」に苦しんできた人々が大半ですが、彼等は、今、力で押さえつけられています。彼等が学んだのは「奴らは、やりたい放題のことをやっている。だから、俺達だって、やりたい放題のことをやってもいいのだ」というものです。ですから、中国で共産党の一党独裁が崩壊した時は、民主主義になるのではなく、無法地帯になる危険があります。
民主主義にも「旬」があるのかもしれません。その時を逸したら、民主主義を導入することは至難の業なのかもしれません。それは、日本にも言えます。
やはり、自らの力で民主主義を越える思想を生み出すしか方法はないのかもしれません。


2017-07-03



気休め [評論]



このブログでは、国家崩壊までの時間が10年を切った時から、崩壊の解説と崩壊回避の提言を諦め、経過報告を主眼として書いてきました。日本は、着実に、一歩一歩、破滅へと進んでいるのが現状です。小さな出来事ですが、また、一歩、前進しましたので、そのことを書いておきます。

政府の骨太方針が変わったそうです。
骨太方針とは、予算編成の基準になるものです。
「消費税の増税」という文字が消え、「債務残高の対GDP比」というトリックが盛り込まれました。「債務残高の対GDP比」というトリックについては、何年か前に書きましたので、ここでは省略します。
骨太方針から文字が消えたにもかかわらず、官房長官は「消費税増税の方針に変更はありません」と言い切りました。方針に変更がないのであれば、文字を消す必要もありませんが、文字は証拠として残りますが、記者会見での言葉は証拠能力に欠けます。記者会見の言葉であれば「怪文書」だと言っても問題になりません。野党への撒き餌になるくらいです。
いつものように、曖昧という隘路を利用する上手なやり方です。もう慣れていますので、実に、堂々とした様子で、記者も追及できなかったのでしょう。
同じく、「プライマリーバランスの黒字化目標に変更はありません」と明言しました。目標は、どこまで行っても目標ですから、目標を変える必要はないのです。官房長官は、目標を達成するとは言っていません。内閣府の試算でも、目標が達成できないことは明白になっています。目標の達成が可能であれば、「債務残高の対GDP比」というトリックを追加する必要もありません。
なんという無責任な記者会見なのでしょう。

政府と官邸記者クラブとの間には、暗黙の取り決めがありますから、どこの記者も、根っ子に触れる質問をしません。この国にジャーナリズムなんてものは、一度も存在したことがありませんし、国民目線なんて死語になっていますから、仕方のないことですが、なれ合いの記者会見をやっている政府も報道機関も、そのなれ合いが周知の事実なっていることに恥じることもなく続けていることにすら慣れてしまっている。この厚顔無恥は、大変、見苦しいものがあるということに気付いて欲しいものです。
別の日の記者会見では、東京新聞社会部の望月記者(女性)が、加計問題について23回も質問を繰り返しました。同じ質問はやめてくださいという事務方に向かって「ご返事をいただけないので、質問しています」と切り返しました。文科省の再調査は、望月記者の成果だともいわれています。官邸記者クラブの人間ではなかったし、政治部の記者でもなかったので、できたことなのでしょうが、記者クラブの人達はどう思ったのでしょう。「部外者が余計なことをしやがって」と憎々しく思っていたのではないかと思います。明らかに、記者クラブの人達のほうが間違っていると思いますが、実に嘆かわしいことです。
それにしても、破滅へ向かっている日本丸を、皆で、一致協力して、後押ししていることに、誰も気付いていないのは不幸としか言えません。破滅へと向かっているのに、基本は「なあなあ」「まあまあ」です。実に、「お見事」としか表現できません。どこの報道機関も、戦前の朝日新聞社と同じことをやっているのです。ま、朝日新聞が、今でも、平然と生き残っているのですから、許されるのでしょう。敗戦後、その朝日新聞を支えたのが国民なのですから、もう、どうすることもできません。お手挙げです。こんな政府を選んだのも、国民です。他に政権を担当できる政党がいないのですから、仕方ありませんが、ここまで自民党を大きくする必要は、全くありません。役立たずの民進党が増えるのも困りますし、どうすればいいのでしょう。日本共産党に一票を投ずる選択肢しかないのでしょうか。
逆に、ごく一部の方なのだろうと思いますが、政府が記者会見をしてくれるのは有難いことなのだと主張する方がいます。その理由は、世界には記者会見さえ開かない国がいくらでもある、というものです。そのレベルの低さに驚きました。また、記者会見が無くなれば、報道機関はどうやって情報を手に入れるのだ、と言います。私達は、「お上」の温情で情報を貰っているという認識のようです。多分、大手の報道機関も同じ考えなのでしょうが、それが、とても、有難いことだと言っています。これでは封建社会そのものです。この方の「民主主義とは」の定義を聞いてみたいものです。「お上」のご意向を、有難くお伺いすることが民主主義ではありません。定義がないと、こんな勘違いをする人も出てくるのです。いや、この国の現状が民主主義ではないことを、この方は証明しているようなものです。国家が情報開示をするから、民主国家なのです。なぜなら、政府は国民の外注先なのですから、出資者への報告は当然のことです。民主国家では、中国や北朝鮮と同じやり方は通用しません。この方、肩書はジャーナリストだそうです。とても、寒いです。

消費税増税以外の増税と社会保障費の削減は継続されますが、消費税増税は三度延期されることになりそうです。
消費税増税という文字を消した本当の理由は、衆議院選挙と憲法改正の国民投票を控え、影響の大きい消費税増税という文字は不吉だと思ったからにすぎません。
安倍総理が、1年前に消費税増税延期を決めた時、「2019年度の増税は、延期しません」と大見得を切ったことを憶えている方もいるでしょう。でも、増税ですから、一分一秒でも「先送り」が望ましいと考えている国民は、気にしません。いや、また増税を延期してくれるのであれば自民党に一票を入れてもいいと思う方が増えるかもしれません。
何度も書きますが、8%への消費税増税の時、国民の6割から7割の方が賛成しました。あの時の国民の皆さんは、どこへ消えてしまったのでしょう。宙を浮遊していて、風の吹くまま移動しているとしか思えませんが、それでいいのでしょうか。最終責任は、国民が取ることに、全く気付いていません。怖ろしいことです。

国際的な意識調査によると、「自分の子供達は、自分達より豊かな生活ができる」と思っている人は、新興国の人達であり、先進国では、50%を割り込んでいます。先進国の人達は「子供達の未来には、夢も希望もない」と感じているようです。
アメリカでは、37%の人達しか、ドイツでは、36%の人達しか、イギリスでは24%の人達しか「子供達は、自分達より豊かな生活ができる」と思っていないようです。
では、日本では、どうなのでしょう。
日本では19%の人達が、「子供達は、自分達より豊かな生活ができる」と思っているようです。
仮に、「わからない」と回答した人が30%いたとすると、「子供達の未来には、夢も希望もない」と感じている人は、50%もいるということです。
もちろん、この調査では、国民性が大きく影響します。私のような悲観論者がいる日本では、どうしても否定的な結論が出てきます。それにしても、率の差はあったとしても、全体として悲観的な意識を持っていることに変わりはありません。
逆に、19%もの人達が、「子供達は、自分達より豊かな生活ができる」と思っていることに、驚きました。どんな人たちが、そう思っているのでしょう。私には想像できません。
仮に、50%の人達が「子供達の未来には、夢も希望もない」と感じているのであれば、どうして、その人達は声を出さないのでしょう。
まさに、不思議の国の国民です。

国民が声を出さないのですから、政府は平然と「先送り」をすることができます。
消費税増税が無くなった訳ではありません。「先送り」されただけです。
財政健全化の謳い文句だった「プライマリーバランスの黒字化」も「先送り」のツールでしたが、時間の経過とともに失敗が見えてきましたので、「プライマリーバランスの黒字化」よりも効き目の強い薬を処方することになったのです。それが、「債務残高の対GDP比」というトリックです。これは、将来の経済成長の数字を、細工するだけで、長期間「先送り」が可能になる、優れた効能のある薬ですが、「先送り」の薬ですから、どこかで限界を迎えます。
最後には、「政府と日銀の一体化」という薬を使う日がやってきます。もっとも、これは劇薬ですから、その副作用も強く、長期間の治療には不向きです。
最近、金融緩和政策の出口戦略という言葉が出てくるようになりました。それは、アメリカが出口戦略へと移行し、EUの方向性も出口を意識したものになってきましたので、日本でも、出口戦略はどうなるのかという心配が民間から生まれたことによります。しかし、日銀は、出口戦略に関しての具体的な方向性は出しません。
いや、出せません。
度々、書いていますが、日本は出口戦略不在の金融緩和政策を採用しているからです。
日本の金融緩和政策は、表向きでは「デフレ脱却」のためだとされていますが、その目的は民間資金が枯渇してきましたので、日銀による国債購入が真の目的です。日銀が国債を購入しなければ、財政が成り立たない時期がやってくるのです。そのために、日銀は、一刻も休むことなく、買い続けなければなりません。未来永劫です。いや、日本そのものが破綻する迄、買い続けなければなりません。最初から、出口はないのです。
現在は、年間80兆円の購入ですが、新発国債だけを消化するためであれば、40兆円でも大丈夫です。ですから、購入枠を40兆円まで縮小することは可能です。それを出口戦略だと言い出すかもしれませんが、その場合は、長期金利が上昇する危険がありますので、かなり、勇気が必要です。出口戦略に着手したアメリカは、数年以内に長期金利が5%前後になると言われています。日本で、長期金利が5%になったら、大変なことになります。もしも、長期金利を0%に抑えたいのであれば、80兆円の購入枠は減らせないでしょう。
日本の金融緩和政策は、行ける所まで行って、後は、ガラガラガラと崩れるのを待つしかありません。

参考までに、ある信用金庫の理事長へのインタビュー記事を抜粋しておきます。理事長は信用金庫のトップです。その現場の責任者の方が、現在の金融システムは「修羅場になったら誰も手をつけられない状態で壊れていく」と予測しているのです。日本の金融機関の中で、最初に壊れていくのは信用金庫なのでしょう。既に、その信号は黄色く点灯しているのかもしれません。ですから、これは、現場の方の本音の声だと思います。財務省も金融庁も、信用金庫や地方銀行が淘汰されるであろうことは承知しています。たかが、信用金庫、たかが、地方銀行で済むとは思えません。金融機関の信用の失墜は、大きな障害になります。蟻の一穴が、大きな穴に発展するのは、よくあることです。

  黒田東彦日銀総裁が異次元緩和を導入した13年4月。増田理事長は直後に開いた営業店長会議の冒頭で、「止めたくても止められないエンドレスの政策を選択したという意味で、日銀はパンドラの箱を開けた」と訓示した。この4年間を振り返り「案の定そうなりつつあり、いずれ耐えられない金融機関が増えてくる」と語る。
  黒田総裁は5月16日、都内のセミナーで、自身の来年4月の任期満了後の金融政策運営について、「誰がトップであっても、日銀には将来の緩和解除にうまく対処する十分な手段がある」と述べた。増田氏は「いざ何かが起きた時は恐らく、これは想定外の出来事で、前の人がやったことだと言って終わりで、誰も責任を取らないのではないか」とみる。
   日銀は昨年9月、量を目標とした従来の枠組みを転換して長短金利操作を導入。10年物国債金利で0%程度の目標を設定した。増田氏は「日銀は長期金利をコントロールできると言っているが、絶対にできない。一時的にできるように見えても、今は皆、日銀の言うことを聞いているふりをしているだけだ」と懐疑的だ。「修羅場になったら誰も手をつけられない状態で壊れていく」と予測する。
  増田氏は「今の金融政策の下では、時間がたてばたつほど生き残れる金融機関の数は減っていき、そして誰もいなくなる。何をそんなに心配しているのかと言われるような、心配性の人たちしか生き残れない」と危機感をあらわにしている。

どこまで「先送り」ができるのか、それが官僚の腕の見せ所になります。5年なのか、10年なのか、15年なのか、わかりませんが、最長不倒距離に挑戦しているのが、日本財政です。
私の予測では、それが9年後です。
どんどん煮詰まってきています。
私達はその渦中にいますので、見え難いのですが、振り返ってみれば、誰の目にも「俺たちは、なんて馬鹿なことをしていたんだ」ということが見えるような簡単なことです。
私達は、対処療法を捜すことに熱中するあまり、原則を見落としています。これは、明らかに、視野狭窄という病気です。
余りにも当たり前のことですから、気付きにくいのかもしれません。しかし、いつの時代でも、どこの国でも「借金は返す」という経済原則があるのです。商品やサービスを買った場合、その代金を支払うことが原則です。代金の支払いを約束手形で支払った場合は、その約束の期日に現金を用意することが原則です。当たり前のことです。経済は、原則が守られているから回っているのです。同じように、借金の場合も期日までに返済しなければなりません。これも、原則です。原則を無視した経済活動なんて存在しません。その原則を破るということは、経済を破壊するということです。
民間で原則破りが横行しても、その影響は限定されますが、国が原則を破れば、国民が全員でその責任を取らねばなりません。
国民は、漠然と「まさか、国がそんなこと、するはずがない」と信じているのでしょう。
いけないのは、政府とつながっている人達が、一般専門家という肩書で「日本の借金は心配するほどのものではありません」と言いますので、国民はそれを信じてしまうのです。「日本には、腐るほど資産があるし、国債の半分は日銀が持っているのです」という説明です。それが、どうして財政破綻を回避することになるのかは説明しません。いや、説明できないから、説明しないのです。しかも、経済の専門家が言うのですから、国民は信じてしまいます。もしも、発信力のある方が、例えば竹中平蔵氏が「日本財政は危ない」などと発言すれば、嵐になります。そうなれば、その方の所から、あらゆる人達が離れていきます。もちろん、仕事も名声も、終わります。
ですから、「心配ありません」と言います。でも、実際に国が壊れてしまえば、そんな発言のことを憶えている人はいませんので、今は、何を言ってもいいのです。このくらい大きな問題になれば、責任ある発言などする必要はないのです。もっとも、「心配ありません」と言う人が増えてくると、庶民は、逆に、「危ないんじゃないか」と感じます。これは、自己保身本能ですから、仕方ありません。ただ、そう感じた時は、もう、手遅れですから、どうすることもできませんが、そうやって、歴史は作られてきたのです。「歴史は繰り返す」というのも歴史ですが、歴史とは人間の営みなのですから逃れることができません。
さきほど引用した理事長の心配とは、随分かけ離れています。理事長は現場責任者であり、社員やその家族に対する責任を負っています。私なら、竹中平蔵氏の言葉よりも、信用金庫の理事長の言葉を信じます。
昔から、都合の良い話が現実になったことはありません。
実際には、「まさか」が現実になる日が来るのです。
70年前も、国民は、「日本が負けるわけがない」と信じていました。
でも、現実は、無残な敗戦でした。
国でも、企業でも、個人でも、無い袖は振れないことに変わりはありません。
こんな当たり前のことが、忘れられているのです。
せめて、このブログを読んだ方だけでも、覚悟は持っておいてください。
もちろん、何の役にも立たない「覚悟」ですが、無いよりはあったほうがいいかもしれません。気休めくらいにはなります。

もう一つ、気休めを書いておきます。
共謀罪が、施行された時は、石田のブログには触れないようにすることをお勧めします。このブログは、政府にとっては危険思想そのものです。ブログを読んだだけで共謀罪に問われる可能性があります。もっとも、過去に遡られたら、逃れる術はありませんので、気休めにしかならない可能性もあります。ごめんなさい。



冒頭で、崩壊回避の提言を諦めた、と書きました。
ここで、あらためて、その理由を書いておきます。
崩壊回避の妙案や奇策は存在しません。国の構造を民主化するしか方法はないのです。民主化に必要なものは、国民の意思です。しかし、日本の国民にその意識はありません。それは、「お上」が「皆さんは、民主国家の国民なんですよ」と洗脳することに成功しているからです。それを、覆すことは、個人の手に余ります。
私の勝手な定義ですが、国家の唯一の目的は「国民の生命と財産を守る」ことだと思っています。それが、民主主義国家だと思います。国家は、そのためだけに存在していると言っても過言ではありません。しかし、世界の歴史を見ても、日本の歴史を見ても、守られなかった国民の生命と財産は、山のようにあるのが現実です。
このままでは、同じ結末を迎える日がやってきます。
国家が「国民の生命と財産を守る」ためには、常に、100年の計を立てておかねばなりません。それが民主国家の責務ですが、実現していません。
国民が「その気」にならなければ、民主化はできません。民主化とは、文字通り国民主権国家の樹立です。主権者である国民の生命と財産を守ることに特化された組織が必要なのです。私達は、その組織を維持するために税金を納めているのです。
結果的に、国民の生命と財産が守れなければ、国家の存在意義はありません。民主化すれば、成功すると断言は出来ませんが、少なくとも、目的だけははっきりしますので、軌道修正ができるチャンスを手に入れることはできます。
残念ですが、この国には「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義さえ存在していません。ですから、国家が国民の生命と財産を守る組織なのだという定義もありません。
この国は、未だに、封建制度から抜け出せていませんので、国民の生命と財産の価値は決して高くありません。守るふりはしますが、別に守らなくてもいいのです。
国民の皆さんは、未だに、小の虫のままなのです。
でも、国民が、「それでもいい」と思っているのですから、どうすることもできません。
崩壊回避の提言を断念したのは、そのことが決め手でした。
国民が目を覚まし、要求しなければ、民主化は実現しません。これが、現実です。
「誰かが」「何とか」なんてことは、現実として起きないものなのです。
多くの国民の生命と財産が失われることが見えているのに、どうすることもできません。
私だけの責任ではありませんが、申し訳ないと思っています。


2017-07-02



死について [評論]



今月は、頑張って、4本書きました。全部、暗い話題ばかりですが、時間があって、気が向いたら、読んでください。もしかすると、石田は頑張ってはいけないのかもしれません。暗い話を4本も読むのは、大変です。ごめんなさい。

最近、フィナンシャルプランナー(FPと呼ばれています)という仕事をする方が増えていると聞きます。高齢化社会だからこそ誕生した職業だと思います。
私は、FPという仕事が商売として成り立っていることに驚きました。
「私の老後は、大丈夫でしょうか」という心配をしている方がいるのです。
いや、大抵の人は心配していますが、それを、誰かに有料であっても相談したいと思っている人がいるということのようです。
実際に、FPの事務所に相談に行く人がいるから、商売になっているのです。
相談料がいくらかかるのか知りませんが、私には、その相談料を貯金するほうが老後の足しになるように思えてなりません。なぜなら、自分の老後設計が出来ない人が、他人の意見を聞いたところで、何かが出来るとは思えないのです。ただの、気休めなのか、諦めなのか、道楽なのか。不思議な現象です。
「あなたは、貧困老人の予備軍ですよ」と言われて、何とかなるものなのでしょうか。
老後設計をしてあり、自分の老後は何とかなるという自信のある方は、相談には行かないでしょう。自分の老後に何らかの不安を感じた時点で、その方は、貧困老人の予備軍であり、そこからの巻き返しはほとんど不可能だと思います。
参考までに、別の側面から現状を見てみましょう。
厚生労働省によりますと、今年3月の時点で生活保護を受けている世帯は全国で164万1532世帯と、前の月から2588世帯増えました。増加は3か月ぶりで、統計を取り始めた1951年以降で最も多くなっています。  世帯別では、「母子世帯」や「現役世代」が減少した一方、65歳以上の「高齢者世帯」が増加していて、85万5586世帯と全体の半数を超えています。  このうち9割は単身世帯で、厚労省は、「身寄りがおらず、貯蓄や年金だけでは暮らせない1人暮らしの高齢者が増えている」と分析しています。
念のために、将来も見てみましょう。
これは、現在の数字であり、問題ではあるが、危機的な状態ではないと言われます。その通りかもしれません。では、10年後は、どうなんですか。今年で老人の数がピークを迎えたわけではありません。まだまだ、増えるのです。しかも、この10年で一気に増えます。仮に、10年後の老人人口が、4,000万人とすると、1割の老人が生活保護を頼ったとしても400万人です。仮に、5割の老人(2,000万人)が、生活保護なしには生きていけないとすると、これは、危機的状況なのではありませんか。それだけではありません。物価が高騰すれば、老人が必死に貯めた資金は、役に立たなくなります。9割の老人(3,600万人)が生活保護を必要としたら、その財源はどこにあるのでしょう。誰か、こんなことにはならないと胸を叩ける人がいるのでしょうか。

FPの方は、宣伝を兼ねて、いろいろと発信しています。
「老後資金は、1,500万円あれば大丈夫」という宣伝文句も、よく見ます。
きっと、それを信用する人もいるのでしょう。
では、そのFPの方の前提条件を見てみましょう。
職業は、普通のサラリーマンであること。この場合は、多分、大企業の社員です。
借金は、ゼロであること。
子供は、独立して生計を立てていること。
夫婦は、健康であること。
その上で。
年金は、22万円だそうです。
生活費は、20万円あれば、大丈夫。
医療費は、最大で4万円。
介護が必要になれば、特養に入ればいいと言っています。
出来れば、70歳でも、80歳でも、夫だけではなく妻も働いた方がいいと言います。
こんな条件に合う方が、どれほど、いるのでしょう。
この雛形のような方が、一人もいないと言うつもりはありません。仮に、10%の老人が該当するものとしましょう。では、90%の老人は、どうすればいいのでしょう。いや、多分、FPの皆さんは、この10%の人達を相手に商売ができればいいと考えているのでしょう。90%の老人の相談を受けたとしても、助言することはありません。
多分、FPの方のところへ相談に行っている方は、50代か60代の方でしょう。目の前に自分の老後が見えてきた人達です。
FPの方は「節約しなさい。収入の道を探しなさい」と助言するのでしょうが、残念ですが、手遅れです。100万円貯めるだけでも至難の業です。それが、現実です。
70代の私には、1,500万円は、冗談にしか聞こえません。
介護が必要になれば、特養に入るという前提になっていますが、特養に入るためには、一定の条件をクリアしなくてはなりませんし、特養でも、年間100万円程度の費用が必要になると言われています。では、70歳で、要介護5になって、100歳まで生きたら、どうするのでしょう。仮に、年金が、月額22万円あったとしても、それが永続するという保証はどこにもありません。国も、月額10万円の年金は、削減し難いと思いますが、22万円の年金は削減の対象になります。しかも、成功していませんが、国はインフレを目標にしています。インフレになれば、介護費用が増えるのは当然です。それ以前に、特養には、簡単に入所できません。今でも、多くの方が行列を作って待っています。入所申し込みをして入所できるまでの期間は5年とも言われています。その上、これから先は、老人人口が増える一方です。特養は、ますます、狭き門になります。老々介護という選択肢しか残らないとすると、事件が増えるのは、致し方のないことです。でも、介護を舐めちゃいけません。体力も気力も、持続できなくなります。老後資金のない方には、夫の首を絞めるか、妻の首を絞めるか、という将来が待っています。これは、私の実感です。悲しいことに、妻の首を絞めている自分の姿をリアルに想像できてしまうのです。まだ、やっていませんが。
つまり、有料であっても、民間の老人介護施設に入所するという選択肢しかないのです。残余生存年数が、どのくらいあるのかは誰にもわかりませんので、余裕のある資金計画が必要になります。1,500万円の老後資金でそれが賄えるとは、とても、思えません。
FPの方は、商売ですから、石田のように絶望的なことは、絶対に、言いません。「頑張りましょう」と励ましてくれると思います。でも、ほんとに、頑張れるのでしょうか。
では、FPの方のところへ相談に行かない、20代30代40代の方は、どうなのでしょう。
残念ながら、更に劣悪な環境で老後を迎えることになります。
老後資金で問題になるのは、医療費と介護費です。
この課題を解決しない限り、国民の不安は消えません。
20代30代40代の方は、本気で、国立姥捨て山制度と安楽死法案の成立を要求すべきです。
他に方法はありません。
老後の最大の問題は、「いつ死ねるのか」がわからないことです。
もしも、仮に、70歳で安楽死する法律があれば、不安は解消します。70歳までの生活設計をすればいいのであれば、消費も増えますし、財政も負担が減りますし、何よりも安心感が生まれます。
私だけではなく、姥捨て山施設に入所し、安楽死をしたいと願っている老人は少なくないと思います。多分、20代30代40代の方も、その時が来れば実感として理解できると思います。



今日は、少し、長くなりますが、ロイターの記事を掲載しておきます。

「2025年問題」と呼ばれる壁に日本が突き当たるまであと7年半。2025年には、団塊の世代が全員75歳以上の後期高齢者となり、国民の3人に1人が65歳以上、5人に1人が75歳以上という、国家というコミュニティーにとって未踏の領域に達する。
高齢化に伴う医療費や介護費などの社会保障費の急増が懸念されている。
「国民の健康寿命が延伸する社会」の実現を掲げる厚生労働省は、男性で約9年、女性で13年弱とされる「要介護期間」(平均寿命と健康寿命の格差)を縮小すべく、病気や介護の予防と健康管理に向けた取り組みを推進している。
<弱っても死ねない>
健康寿命を延ばすことは確かに大事だが、良いことばかりでもない。京都市伏見区の社会福祉法人「同和園」付属診療所長で医師の中村仁一氏は「弱っても死ねない身体づくり」をすることによって、逆に、要介護期間も延び、生涯の医療費と介護費用が増えてしまう、と指摘する。
大事なのは、人生の最後に来る「健康寿命が尽きた後」の要介護状態をどう生きるかだと中村氏は語る。「無理に引き延ばしても費用がかかるだけで、決して本人の幸せにはつながらない。要介護期間の短縮こそ、われわれが向き合うべき問題だが、このことに対する働きかけは、全く見当たらない」
背景には、社会や制度の変化、医療の進歩に対する過信や、死の文化の喪失などがあるという。
昭和30年代までは、点滴注射や酸素吸入をされたり、無理やり口の中に食べ物を押し込まれたりすることもなく、自宅で好きなものを、無理せず食べられるだけ、という状況で、皆が穏やかに死んでいった。
死は日常の出来事であり、代々、文化として受け継がれていた。
ところが、医療保険制度が整備され、核家族化が進み、介護力が低下。老人医療の無料化によって、死期が近づくと病院へという流れとなり、人が自然に死んでいく時の様相がどんなものかさえ、分からなくなった。
未知ゆえに、死が恐ろしいものへと変貌した結果、人々はそれを「見ないよう、考えないようになってしまった」と中村氏は語る。さらに、医学の進歩が「死」すらも解決してくれるのではないかという過信も広がっていった。
<医療業界によるマインド・コントロール>
本来、病気やケガを治すのは、本人が生まれながらにして持っている自然治癒力だが、大半の日本人は、治してくれるのは、医者や薬だと思っている。
とはいえ、日進月歩とされる近代医学によって病人が減ったかといえば、現実はまるで逆で、高血圧の患者が4000万人以上、糖尿病は予備軍を入れて2000万人、骨粗しょう症は1400万人など、日本中が病人だらけになっている。
結局、進歩したとされる近代医療技術も、しょせん中途半端なハーフウェイ・テクノロジーと言わざるを得ない、と中村氏は語る。
医療業界にも責任がある。
「私たち医者はこれまで、まれな、かなり特異なケースを前面に押し出し、素人判断で様子を見ていて重篤になったらどうするのか、万一こじらせて手遅れになったらどうするのか、など業界を挙げて国民を脅し、思考停止状態にしてきた」と中村氏。
こうしたマインド・コントロールは、薄利多売の医療保険制度の上に成り立っている。つまり、1人でも多くの患者を診ないことには、経営も生活も成り立たない仕組みなのだ。さらに、今の高齢者はこのマインド・コントロールが効いている関係上、「欲が深く、よくならないのは、医者の腕が悪いからと考え、さらに大きな病院にかかり、専門医を探すようになる」と同氏は語る。
しかし、実際は、専門医は病名をつける専門家であって、必ずしもそれを治す専門家ではない。
また、近くに高度医療が可能な病院ができると安心だとされるが、医療には不確実性がつきものであり、最終的には賭けの要素がある。
「医療の恐ろしいところは、どんな状態でも助ければいい、一分一秒でも長く生かせばいい」という点だ、と中村氏は言う。そうなると、完治不能な高齢者が高度医療で一命を取りとめたとしても、まともな状態で生還する確率は低下し、高度な医療が重度の障害者を作りだすことになる。
「修繕に出す前よりひどい状態になっているにも関わらず、公然とカネを受け取って、引きとれと堂々と言える業界は、他にはない」と中村氏は言う。
<自力で食べられなくなったら寿命>
制度や社会が「死」を非日常に追いやり、死の文化も哲学も失ってしまった日本では、医療業界は自己保存本能に終始し、行政も本質的な解決策を避けている。
こうした現状で、多くの日本人を最後に待ち受けるのは「医療の虐待」と「介護の拷問」で、なかなか安らかには死なせてもらえない。
自然に安らかに死ぬには、医療・介護の現場と利用者の双方に意識改革が必要だ。
日本人は、食べないから死ぬと、どうしても思ってしまいがちだが、事実は逆だ。飲み食いが出来なくなれば、あるいは、飲み食いをしなくなれば、それは寿命が来たということ。これはあらゆる生き物に共通する自然な最期の姿で、人間も例外ではない。
しかし、現代日本の介護現場には「食べないから死ぬ」という強い思い込みがあり、どうしても、長い時間をかけて、強制的に食料や飲料を利用者の口に押し込んでしまう。
その結果、下痢をしたり、むくんだり、気道からの分泌物(痰)が増えて、1日に何回も痰を吸引するという、本人に苦痛をもたらす荒業をしなければならなくなる。
介護の現場で大事なことは、自分たちの思いを優先させるのではなく、この行為が本当に利用者のためになっているのか、もしかして負担をかけてはいないかと、言葉を発せられない利用者に対しても、その態度や表情から類推することだ。
人の最期を看取るというのは、一言で言えば、人が枯れるのを手伝うことであり、少なくとも枯れるのを邪魔しないこと。水やりは、枯れることを妨害する行為で、点滴注射などは論外だとの考えもある。
今こそ、国民一人ひとりが、真剣にわがこととして、生きること、死ぬことを考えなくてはならない。
これは医療の問題ではなく人生の問題で、医療は人生を豊かに幸せに、そして人間らしく死ぬために利用する1つの手段に過ぎない。ところが、医療は今、病気の管理を超えて人間管理にまで及び、人生を支配するに至っている。
利用者は、平素から医療のみならず、介護においても、限定的な利用を考え、意思表示をして、周囲とよく話し合うことが必要だ。
死を考えることは、「死に方」を考えることではなく、いのちが有限であることを視野の片隅において、それまでをどう生きるかを考えることだ。
「2025年問題を解決する要は、自力でものが食べられなくなったら寿命(が来た)との考えを、年寄りのあいだの合意にすること。そして、できれば穏やかに死んでみせて、決して死は恐ろしいものではないのだと、後輩たちに示すこと」だと中村氏は語る。



私の祖父は自然死でした。
そういう時代だったのです。
寝付いて、食事が出来なくなり、体力が落ちていきます。
ある日、祖父が、どうしても、食堂で食事がしたいと言ったので、学生だった私が背中におぶって食堂に連れて行きました。皆が食事をする様子を満足そうに見ていましたが、本人は、一箸か二箸を付けただけでした。祖父は、その日から数週間後に静かに息を引き取りました。軽かった祖父の体を思い出します。
そして、今でも、祖父は立派に生きたと思っています。

逆に、私の母は、「医療の虐待」と「介護の拷問」に苦しみました。それは、私が医師を説得できなかったためです。きっと、あの世では、きつく叱られることになります。

私は、自分が倒れた時のために、「医療の虐待」と「介護の拷問」を拒否する書面を子供に渡してあります。私は、今でも、母を苦しめたことを後悔しています。母の将来を想定して、同じような書面を貰っておけばよかった、と思っています。ほんとに、後悔は苦い味しかしません。


2017-07-01



文化という壁 [評論]



毎年、5月になると憲法の話題が増えます。
季節限定商品のような空気はありますが、年に一回くらい憲法について考えることは悪いことではありません。
ただ、本当に、憲法論議が行われているのでしょうか。
話題は増えていても、議論にはなってないように見えてなりません。
議論には前提条件が必須です。それが、「憲法とは」という定義です。
しかし、この国に、そんなもの、ありません。
その原因は、いつものことですが、目に見えない壁があるからです。
今日は、憲法と壁の関係について書きますが、その前に、まだ定義はありませんが、仮に、憲法が「その国の姿」の宣言書みたいな法律だと仮定すると、「国とは」という定義に言及せざるをえませんが、実際には、そんなものは存在していません。まるで、定義があるような空気だけで、四の五の言って、意味があるのでしょうか。もちろん、私が、確定的な定義を記述しても意味がありません。私が「憲法とは」「国とは」という定義を持っていたとしても、国民のコンセンサスが得られていなければ、ただの世迷い事に過ぎません。国民が議論をして、多くの国民の皆さんのコンセンサスを得て、初めて「国とは」という定義ができあがります。
「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義を国民議論で作り、それが国民の承認を受けたら、次は、「憲法とは」という定義を話し合わなくてはなりません。憲法条文の中身を話し合うのは、その「憲法とは」という定義ができてからの仕事になります。
憲法制定や憲法改定の壁になっているのは、この前提条件が整っていない状況で、憲法条文を触ろうとしている「曖昧さ」です。これは、基礎工事もせずに家を建てることと同じです。
何度も書きますが、これが曖昧文化の弊害です。
私達の前には、巨大な「文化」という壁が立ちはだかっているのです。
私達日本人は、そのことを不思議だとも思わずに受け入れています。
「憲法とは」という定義もなく議論して、結論が出るのでしょうか。
どうして、そのことを不思議だと思わないのでしょう。
曖昧文化の中では、定義をしてから議論をするという習慣が生まれませんでした。それは、必要がなかったからです。各人が、それぞれの定義を持ったまま、あるいは、定義そのものを持たないまま、議論をしても結論を得ることはできません。なぜなら、議論する人達の間に、同じ物差しがないからです。ですから、「まあ、まあ」で決着することにしたのです。それぞれの尺度が違うのですから、仕方がありません。だから、何事も、儀式を行うことで権威付けをする必要があり、私達の国は儀式を大切にする国になり、現在もその流れの中にあります。卑弥呼の時代から、今日まで、その方法に変化はありません。
では、ここで、「曖昧文化」と呼ばれるもののルーツを見てみましょう。
この文化を作り出したのは、どんな社会だったのでしょう。
食料の確保に成功した人類が、自然の法則に従って数を増やし、分業という概念が生まれ、集団で生活するようになりました。集団で生活するために、ルールが必要になりました。そのルールに沿って生まれたのが文化です。ルールを作ったのは、その時代の支配者であり、為政者でした。支配者は、神ではなく、人間ですから、自分に不利になるルールは作りません。当然のことですが、ルールに沿わない文化は、支配者によって抹殺されることになります。結果的に、支配者にとって利益のあるルールや文化が、生き残ったのです。これを、伝統と呼ぶ人もいます。そういう人達は、伝統を重んじることを要求します。確かに、権力者にとっては伝統を重んじたほうが利益になります。今、生き残っている「曖昧文化」は、1,000年以上も過酷な時代を生き抜いてきました。なぜ、生き抜くことが出来たのでしょう。そうです、支配者にとって利益があったからです。
近代に入り、欧州で主権者という概念が生まれました。それまでの力による支配者ではなく、主権者と呼ばれる人達を代表する人達が国家を運営する方法が生まれたのです。支配者という概念から、主権者という概念に変わるということは、文化も変わるということです。もちろん、その目的は、理想のためではありませんでした。国を一つにまとめ、国内で争っていた勢力を束ねて、より強大な力にして、世界制覇をめざすためでした。
もちろん、近代化ができなかった国も多く存在します。この近代化が遅れた地域は、地方の権力者の力が強く、その権力者に慣れ親しんできた住民の意識改革が行われなかったことが、要因として挙げられます。中東やアフリカの国々では、今でも、族長支配が続いています。もちろん、族長支配が悪だと言っているのではありません。近代化された国よりも、族長支配の国のほうが人間らしい温情が残されています。世界と関わらなくても生きていけるのであれば、族長支配の住民のほうが幸せなのかもしれません。しかし、それは、時代が許しません。どんな国でも世界と付き合うしかないのです。
過去の支配者と、近代の主権者との間には大きな差があります。
欧州で、憲法が生まれたのも、主権者の代表である国家運営者が、過去の支配者のように、自分の利益だけを考えて行動しないように、国家運営者を縛る必要があったからです。そこには、人間は「欲」には勝てないという考えがあったからです。日本にある「性善説」とは逆の思考です。
地球上に、帝国主義という嵐がやって来た時、日本も、植民地から逃れるために、国内の力を一つに集めなければ列強諸国に蹂躙される危険があったために、明治維新という政権交代をやりました。明治政府の最重要課題は、当然のように、西欧列強が近代化で導き出した結論である「富国強兵」になりました。近代国家の結論だけを取り入れただけですから、中身は近代国家ではありません。ですから、主権者という概念が生まれたわけではありません。帝国主義を取り入れることには成功しましたが、主権者という概念は生まれずに、「曖昧文化」は見事に生き残ったのです。
では、なぜ、曖昧文化は、権力者に好まれたのでしょう。
権力者にとって、裁量権の大きさは欠かすことができません。裁量権の最大値を獲得した国は、独裁国家と呼ばれます。かつての封建制度の国家も、独裁国家の一種です。先程、伝統に言及しましたが、伝統と呼ばれているのは、独裁政治を維持するための手法なのです。反乱や謀反を防ぐために、法度は作りましたが、それは、あくまでも、独裁を守るための法度でした。支配者にとって、決まりごとは、出来る限り曖昧な方がいいのです。権力者が、どのような解釈でもできる法度が、好ましい法度だったのです。その流れは、今日まで延々と続いています。定義などして、四角四面の法律を作れば、裁量権よりも法律のほうが優先されたら、困るのは国家運営者です。
明治憲法も、現在の憲法も、自民党の憲法草案も、その芯にあるのは、民主国家の法律に求められている筋ではなく、曖昧という真逆の概念です。戦後日本は、アメリカの要求に従い、民主国家という看板を掲げました。建前では、主権者は国民だということになっています。国民のための国家であるのなら、どうして、憲法の第一条に天皇条項があるのでしょう。それは、現行憲法を作成する段階で、明治憲法を修正するという、やっつけ仕事をアメリカがやったからです。自国の憲法ではありませんので、それでよかったのでしょう。アメリカには「日本に、二度と武力を持たせてはならない」という定義がありました。そのことを、憲法に書くことが、アメリカの仕事でした。
近代日本の国家統治システムは、主権者と呼ばれる国民の代表が国家運営をするのではなく(形式的な真似事はしましたが)、明治天皇を奉るという手法を使い、新しい身分制度を作ることで封建制度を温存しました。それが、明治憲法や教育勅語です。しかし、天皇主権封建制度の日本は、戦争に負けて、アメリカの支配下におかれます。
その時の日本人は、天皇制度の中で生きていましたので、制度の温存に動き、マッカーサーに、象徴天皇という曖昧な表現を使うことで、天皇制度の枠組みを認めさせました。
結果的に、明治憲法の流れを残し、アメリカから支給された民主主義で装飾を施した「民主主義風王政並立封建制度」になったのです。曖昧の上に曖昧を乗せて誤魔化されていますが、国家も国民も封建制度を卒業できませんでした。
でも、アメリカの定義があったために、現行の日本国憲法は、70年間、役目を果たすことに成功しました。現状を見てください。自衛隊の持つ武力では、他国と戦争することができません。日本は、今でも、武力を保持する国ではないのです。ですから、国も国民も、日米安保が基軸だと言うしかないのです。アメリカに頼らなければ、自分の国を守ることもできません。これは、アメリカの定義でしたが、定義があったからこそ、法律が機能した好例です。
「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義がなければ、憲法の定義もできません。定義のない法律が機能するとは思えません。あくまでも私見ですが、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義を憲法に書くことが、憲法の定義だと思います。特に、憲法からは曖昧を排除しなければなりません。解釈次第で、どのようにも利用できる憲法は、役に立ちません。天皇の統帥権を利用して、大日本帝国陸軍が暴走したのも、多くの犠牲者を生んだのも、憲法解釈という手法で憲法が利用できたからです。安倍政権でも、無理はありましたが、憲法解釈の変更で集団的自衛権の道を開きました。実に、姑息なやり方です。
憲法改正でやらねばならないのは、封建制度と決別するのであれば、国民が主権者になるのであれば、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義をした上で、明治憲法と決別する必要があります。そうしなければ、民主主義国家の憲法にはなりません。
憲法は、国の姿を書くことであり、国の原則を決める法律だとすれば、解釈次第でいかようにも変えられる憲法を、憲法と呼ぶべきではありません。でも、こんな議論は、どこを見ても存在していません。定義は、曖昧模糊とした霧に隠れて、見えていないのです。

仮に、「国とは」という定義に、「国は、国民の生命と財産を守らなければならない」という項目があったとしましょう。
交戦権を持たずに、国民を守ることができるのでしょうか。
いつの時代にも、無法者は存在します。このことは、私達が人間である以上、この世から消えてなくなることはありません。
もちろん、交戦権の目的は戦うことではありません。交戦権は使用することが目的ではなく、持つことが、国民を守ることになるのです。これが、安全保障の世界標準です。
交戦権を持ち、その権利を行使できる実行集団を持ち、ミサイルや核兵器という有効な交戦手段を保持し、その権利を行使するための法律を持っていることが、国民を守ることに繋がるのです。これが、どこの国でもやっている安全保障です。
その大前提にあるのが「自分の国は、自分で守る」ことです。
その上で、安全保障を、より強固にするためには、同盟も必要になるでしょう。でも、自国防衛を他国に全面的に依存するのは、間違いです。なぜなら、どこの国にも、その国の国益があり、絶対に守ってくれるという同盟関係など、地球上には存在していないからです。例えば、アメリカが、アメリカ人の血を流してでも、日本を守る必然性があるのでしょうか。
そんなもの、ありません。
全ての出発点は、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義にあるのです。
明治維新以前も、明治維新からの150年も、私達は、曖昧の中で生きてきました。第二次大戦の敗戦も、その結果だと言っても過言ではありません。鎖国政策が継続できていれば、曖昧文化だって、悪さはしなかったでしょう。しかし、私達は、否応なく、世界と向き合わなければ生きていけません。世界標準を無視しても、何もいいことはないのです。



さて、ここからは、各論です。
安倍政権は、憲法改正の機運を高めようとして、いろいろな策を打っています。
政府は、北朝鮮のミサイル攻撃に対処するために、地方自治体に避難訓練をするようにと求めています。先月も書きましたが、避難訓練は役に立ちません。政府は、そんなこと、百も承知だと思います。パニックにならない程度に、国民を脅す目的でやっているとしか思えません。おかげで、「怖いです」という国民が増えました。成功です。
安倍総理は、私案だとした上で、憲法9条に言及しました。
加憲を主張する公明党に配慮し、9条の1項2項を残して、3項を加え、自衛隊の存在を明文化したいと言っています。
驚きました。現在の2項と新しい3項は、真逆の内容になりますので、2項の文章を玉虫色に変え、3項で玉虫色の自衛隊を書き込まねばなりません。安倍総理にとって曖昧は正義ですから、不思議だとは思わないのでしょう。
憲法改正は、2020年に施行したい、と言っています。その理由は、オリンピックの時期と合わせるためだそうです。オリンピックと憲法って、何か、関係ありましたっけ。そう言えば、共謀罪もオリンピックのためだと言っています。もう、ほとんど、火事場泥棒状態になっていますが、これで、いいのでしょうか。中国韓国で「反日愛国」と言えば、なにをやっても許されることと同じことをやっています。
更に、細部に言及し、国民投票を国政選挙と同時にやるか、独立してやるかを検討して欲しいと言っています。
彼等は、争点を提供することで、憲法の定義から、離れて行く方向へと誘導しています。
根っ子に触れさせずに、目くそ鼻くその争点を提供することが、彼等の利益なのです。
一方、野党は、憲法改悪反対と叫び、安倍政権下での憲法改定は容認できないと言っています。これは、安倍政権でなければ、憲法改定に賛成するという意味なのでしょうか。支離滅裂と言わざるを得ません。野党にとっての「国とは」という定義は何なのでしょう。国民を守ることが、国の定義だとすると、憲法さえ守れば国民を守ることができると考えているようです。お花畑理論は、もう、賞味期限切れだということに、どうして、気付かないのでしょうか。
いつものように、「平和、平和」「戦争反対」と言います。「平和、平和」と連呼していれば、どこからともなく、平和がやって来るという夢物語を、いつまで、続けるのでしょう。もう、お花畑理論では、国民の心に届きません。これでは、逆効果にしかならず、安倍改憲を応援しているようなものです。
安倍総理に「民進党も、憲法草案を出してくださいよ」と言われ、蓮舫代表は「ぐー」の音も出せませんでした。
これが、憲法論議なのですか。
誰も、定義の話をしません。
与党も野党も国家運営に携わっている人達だとすると、彼等が率先して根っ子の議論から離れて行こうとしているのです。それを、許している私達は、確かに、彼等が思っているように、愚民だということです。こんな能天気な政治家が、憲法の案を作って、国民に提示し、愚民である私達は空気を読んで儀式に参加するのです。
確かに、私達国民が能天気なのですから、その能天気国民から選ばれた政治家が能天気であっても、文句のつけようがありませんが、困ったことです。
この国の閉塞感は半端ではありません。今、ヒットラーやスターリンやポルポトが出現したら、いや、トランプが出現しても、国民は、喜んで、その下僕になる危険があります。
これは、不幸としか言いようがありません。
さて、改憲が現実味を持ってきましたが、最大の課題は何でしょう。
憲法改定で、一番の課題は、国民です。
なぜなら、憲法の改定は、国民投票で決まるからです。
もちろん、国民投票が問題なのではなく、国民が、大問題なのです。
国民の憲法定義は千差万別だと言えます。いや、千差万別であっても定義を持っている国民のほうが圧倒的に少なく、「俺には、関係ねぇ」という国民が大半です。定義がないということは、判定する物差しを持っていないということです。そんな国民が、その時の空気を読み、投票して、決めるのです。自分が何をしているのかさえ、理解していません。「よくわからないから」という場合、私達は「☓」を書くのではなく「〇」を書く習性があります。だって、私達は、いい人ですから。波風は立てなくない、「お上」には逆らえない、非難されたくない、「まあ、まあ」という理由で、「〇」を書きます。
これで、大丈夫なのでしょうか。
どこまでも、曖昧という芯が通っています。「曖昧」と「芯」は真逆の概念だと思いますが、「曖昧」を「芯」にしてしまうのが、文化の底力なのでしょう。
憲法の中身ではなく、国民にとって、いかに心地よい言葉を示すことができるのか、が国民投票の結果を決めるのです。論理的であることより、「なんとなく」という空気に従ってしまうのが、曖昧文化に埋没させられている私達日本人です。しかし、「なんとなく」にも限界があります。その限界が、近づいているために、漠然とした不安や焦燥が生まれているのです。これは、動物的な本能によるものです。この窮地から脱するには、国民が目を覚ます以外に方法はありません。しかし、動物的な本能は時代遅れだと思い込んでいると、目を覚ますことはありません。原始的な視点だと思われるかもしれませんが、本能を捨てて生き延びることは、至難の業です。
日本の場合、国民投票は審判ではなく、儀式なのです。献花方式という葬儀がありますが、私達は花の代わりに「〇」が書かれた紙を箱に入れるという儀式に参列するのです。
以前に、一般公募による憲法草案コンペという提案をしたことがあります。もちろん、実現の可能性は100%ありませんが、袋小路に入り込んだ私達が出口を見つけるためには、この方法しかない、と今でも思っています。誰でも参加できるのですから、自分の作った草案が、国の法律になるのであれば、結構、盛り上がると思います。いや、きっと、国民は横目で見て知らん顔をするのでしょう。それでも、この方法であれば、一部の人達でしかないかもしれませんが、半覚半睡の国民が目を覚ますきっかけになる可能性がゼロだとも思えません。
自民党の草案しか叩き台がないとすると、私達は自民党草案の賛否を投票することになります。現在ある自民党草案がそのまま最終案になるかどうかはわかりませんが、大きな変更はないものと思います。ですから、明治憲法とアメリカ製の現憲法を踏襲した、いや、そこに、更なる曖昧表現を追加した草案が、国民投票という儀式を経て、新憲法になります。それは、どのような解釈でも出来る優れものです。そもそも、私達の国は、憲法を最重要法規だとは考えていません。だから、憲法裁判所も設置されていません。憲法は、ただの、装飾品です。それは、民主主義そのものが装飾品なのですから、仕方ありません。

この現状の底流を見てみましょう。
先ず、自民党ですが、彼等は定義の「て」の字も発言しません。当然です。定義などしたら、自分達の首を絞めるだけです。そのことに、メディアも国民も平然としています。曖昧文化に支配されていることに気付いていないのですから、仕方ありません。
自民党は、国民のことは考えていません。これも、当然です。今の自民党の思想は、ほぼ、「日本会議」に乗っ取られていますので、その目的は、天皇主権国家であり、国民は使い捨てのできる臣民に過ぎず、大日本帝国陸軍の復活であり、特高警察の再現です。「日本会議」の利益の最大化のためには、民主主義風王政並立封建制度が最適なのです。国民主権を謳う民主憲法が生まれる素地はありません。
では、民進党の底流は何でしょう。
民進党は、共産党の持っている固定票を恵んでもらうために、共産党の尻を舐めることに専念しています。彼等にとっては、憲法も国民も、どうでもいいのです。彼等の目的は「票」だけです。「反対、反対」と叫ぶことが、一番楽で、コストパフォーマンスの良い方法だと思っているのでしょう。反対を叫ぶだけなら、憲法の定義など考える必要もありません。蓮舫代表は、二言目には「再び、政権党に」と言います。共産党の後ろに隠れていては、政権は取れません。彼等は、チャンスに気付いていません。自民党が憲法草案を出しているのですから、後出しじゃんけんのアドバンテージがあるのです。これが、国民主権の憲法だ、という草案を出し、政権政党に相応しいのは民進党だと主張すれば、共産党の持っている固定票くらいは楽に集まります。「おこぼれ、ちょうだい」という乞食根性をやめて、汗を流すべきです。楽をして得をしようという助平根性では、政権政党にはなれません。

いつまで経っても、政治が過去に縛られたり、利益追求に専念していたのでは、近代国家にはなれません。これが、日本社会を覆う閉塞感の底流です。この閉塞感を打ち破る方法は、一つしかありません。それは、国民が目を覚ますことです。
しかし、日本国民も、いつまで経っても、近代国家の市民にはなれないようです。結果、私達日本国民は、国民投票に対応できる知見を持っていません。猫に小判です。それなのに、なぜ、国民投票で憲法を決めようとするのでしょう。それは、民主国家だという看板を掲げているために、意味のない儀式であってもやらねばならないからです。私達は、もう、何千年も同じやり方をしていますが、そろそろ儀式から卒業すべきです。もちろん、自分のためではありません。未来の国民のために、私達が変わらねばならないのです。それが、大人の責任だと思います。
「自分さえよければ」「今さえよければ」が、道の真ん中を堂々と闊歩している社会が、私達の求める社会なのでしょうか。確かに、今、世界標準は「自分さえよければ」「今さえよければ」になっています。その点では、世界も奈落へと向かっています。でも、ここは、踏ん張るところなのではありませんか。だって、私達は、いい人達集団なのです。他の民族には出来ないことだとしても、私達日本民族であれば出来るかもしれません。



憲法ではありませんが、今国会で共謀罪が成立します。
当面、矛先は北朝鮮や中国の工作員を取り締まる方に向かいますが、その矛先はいつでも国民に向けることが可能です。それは、どのようにでも解釈できる法律になっているからです。共謀罪は、過去に何度も廃案になりましたが、今回は、国民の支持を受けて、成立します。もちろん、民主国家になるのであれば、何の問題もありません。民主主義を守るためには、国防を考えるのであれば、共謀罪は必要だと思います。しかし、現在のような封建制度の下では、国民取締法になる危険のほうが大きいと思います。これも、国民が選択した道ですから、致し方ありませんが、とても心配です。前回の選挙の時、前々回の選挙の時、「自民党には投票しないでください」とお願いしました。それは、この国が民主国家ではないために、誰かに権力を集中することは危険だと思ったからです。曖昧文化で国家統治をしている国なのですから、曖昧があるべき姿なのです。曖昧なまま、権力だけを集中すれば、危険です。しかし、国民の皆さんは、自民党を支持しました。空気は、怖いです。でも、結果的に、それが皆さんの選択だったのです。
実際に、共謀罪が国民を取り締まる目的に変わった時、皆さんは、きっと、「あちゃー」と言うでしょう。でも、もう、後の祭りです。
私達は、曖昧文化に埋没している百姓根性から、脱皮するべきだと思います。
「国民とは」という定義をしなければ見えないかもしれませんが、それが主権者の責任なのだと思います。
特定の誰かのためではなく、名前も顔も知らない、未来の国民のためです。


2017-06-02



パラサイトシングル [評論]



国家崩壊のような、本物の危機が現実になるためには、多くの要因が必要になります。
例えば、財政破綻が起きたとします。しかし、経済基盤が盤石で、食料も豊富にあり、社会不安もなければ、財政再建は可能になりますから、本物の危機にはなりません。もちろん、犠牲者は出ますが、国家崩壊するほどの犠牲者は出ないと思います。
しかし、経済が衰退していて、食料が不足していて、社会不安が大きければ、財政破綻を引き金とした国家崩壊という本物の危機が実現します。
本物の危機は、多くの要因が一点に収斂した時に、発生するものだと思われます。
では、日本の経済基盤はどうなのか、食料はどうなのか、社会不安はどうなのか。
今日は、その社会不安について書きます。
社会不安と言っても、その要因も一つではありません。これまでも、数々の不安要因について書いてきましたが、多くの負の要因が一堂に会した時に、最終的に、臨界点に達するほどの社会不安という危機に至るものと思います。そういう時には、不思議と、経済もどん底になっているものです。財政も限界を超えているでしょう。食料自給率は、今よりも悪化していることも考えられます。不幸は不幸を呼びます。「何も、こんな時に限って」ということが起きるのは、なぜなのでしょう。この不思議の謎解きは、今でも解けません。
社会不安と数には密接な関係があります。
例えば、全国で火災が頻発し、10名の死者が出たとしても、社会不安にはなりません。こういう災害は度々起きていますが、国民はパニックにはなっていません。しかし、もしも、火事で10万人の死者が出たら、100万人の死者が出たらどうでしょう。たかが火事、だとは言っておれません。大きな社会不安の原因になります。
そんな社会不安の要因の一つに、パラサイトシングルリスクがあります。崩壊の要因としては大きくありませんが、崩壊の原動力の一つとしては、力を発揮します。
パラサイトシングル。
あまり有名な言葉ではありませんが、どこかで聞いたことがあると思われる方もいるのではないでしょうか。直訳すれば「寄生する独身者」になります。親の収入や財産に頼り、生活している独身者のことです。親が老齢になり、年金生活者になってからは、親の年金で生活している人達のことです。
独立した生計を営み、家庭を持ち、仕事をしている人達でさえ老後資金が貯められないという現実があります。パラサイトシングルの皆さんに、老後資金という発想はありません。生活を親に頼っているのですから、自分で資金を貯める必要はないのです。それは、親が考えることであり、自分の守備範囲ではないからです。
パラサイトシングルの増加は、本人の高齢化と、親の高齢化により、社会不安になる日が近づいていると言われています。
過去にも、親の死体を隠して、親の年金を受給し続けて生活していた子供達(もちろん、その時は、もう大人です)が事件になったことがありました。この先、このような事件が増加するものと思われます。親の死亡を公にすれば、年金が停止され、生活ができなくなるのですから、臭いを我慢し、死体を隠すことくらいやらねばなりません。多分、成仏できない親も、子供の生活費のためであれば、許してくれます。悲しいことですが、これが現実です。
統計から、トレンドを見てみましょう。
2015年に、50歳まで一度も結婚したことのない人は男性で23.37%、女性は14.06%で、男性の4人に1人、女性の7人に1人だそうです。この数字を見れば一目瞭然ですが、日本は男社会です。生涯に二人の妻を持つ男がいるから、女性の未婚率が低くなるわけで、シングルマザーが苦境に立っている現状も見えてきます。もちろん、未婚率は少子化に貢献しています。今の社会構造なら、未婚率の増加は、まだ続くと思わねばなりません。
45歳―54歳で親と同居している未婚者の数は、1980年の18万人から2016年には158万人に増加したそうです。このうち、基礎的生活条件を親に依存している可能性があるとされるのは31万人だそうです。
この基礎的生活条件を親に依存しているパラサイトシングルには収入がありませんから、生活の保障をしてくれていた親が亡くなった時、彼らの生活は破綻し、親の資産や貯金を食いつぶした後は、生活保護というパターンにならざるをえないと言われています。
1995年から2010年の間に、40代・50代人口は0.91倍と減っているのに、未婚者は1.89倍、そのうち単身世帯が1.71倍、親と同居が2.34倍に増えているそうです。
この傾向は、今後、増加すると予測されています。個人的な予測ですが、増加ではなく、劇的に増加すると思います。生き抜くのが難しい社会になっているだけではなく、平和ボケが異常とは認められていない社会では、成人した子供が親に頼る生き方は、それほど異様なこととは認識されていません。現在、30万人であっても、これが20年後に、300万人になるかもしれませんし、1,000万人になっても不思議ではない社会構造が出来つつあります。仮に500万人のパラサイトシングルが存在する社会が生まれたとして、人口減少の真っただ中にある社会が正常に機能するのでしょうか。社会不安と数には相関関係があると書きましたが、500万人のパラサイトシングルは、もう、立派な社会不安だと思います。
余談ですが、アパートマンションを建設する個人が増加していると言われています。「老後を家賃収入で、悠々自適の生活を送ってみませんか」という宣伝文句に騙されているとしか思えません。もう、そんな時代ではありません。人口は減少しているのです。現役世代の収入も減少しているのです。空き家は増加するばかりです。これは、決して、需要と供給のミスマッチの問題ではありません。アパートやマンションだって、供給過剰の時代になるのです。パラサイトシングルが増加しているということは、親の家に転がり込む人が増えているという現実があり、貸家の需要が減少しているということです。収入が無いか、収入が少ない人にとって、実家は最後の選択肢なのです。特に、東京の家賃は高すぎます。実家に住めば、家賃の負担は必要ありません。実家の親世代は昭和生まれであり、まだ、昭和の残滓の中に生きている方が多いのですから「何とかなる」と考えるのでしょう。
また、「ひきこもり」の高齢化も進んでいます。内閣府は昨年9月、15―39歳のひきこもりが2015年調査で54万1000人いるとの統計を発表しました。前回調査の2010年時点より、約15万人減っていますが、これは調査対象の年齢が39歳で切られているからであって、単に対象者が40代に入っていっただけだとされています。当然、「ひきこもり」を選択した、かつての若者も、50代になり60代になり、自分で生計を立てた経験がありませんから、親の死亡により生活の基盤を失います。そもそも、社会生活の経験がありませんので、外に出ることができません。廃屋と孤独死と白骨死体という事件が、それほど珍しくない時代になるようです。
現在でも、生活保護受給者に占める老人の割合は、年々、増加しています。20年後には、生活保護を受給する主な世代は老人世代になります。でも、ほんの少しだけ想像してみてください。3人に1人は老人ですし、パラサイトシングルだけではなく、老後資金を用意できない老人が大半ですから、多くの老人が生活保護を求めます。これで、生活保護制度が持続できるとは思えないのです。
ここでは、パラサイトシングルに焦点を当てていますが、それ以上に問題なのが、親に寄生せずに、独立した生計を立てている人達であっても、老後資金が用意できていないという現実です。年金保険料を支払っていない方も多数います。年金保険料を支払っていて、老齢年金だけで生活できたとしても、医療費や介護費はどうやって支払うのでしょう。多くの老人が生活保護制度に群がらざるを得ません。その老人の群れを支えるのは、ますます、少なくなるだけではなく、貧しくなる若者達であり、彼等が納めさせられた税金です。これは、無茶というものです。
65歳になっていない皆さん。
20代30代40代50代の皆さん。
大丈夫ですか。
年金制度も、医療制度も、生活保護制度も、破綻するしかありません。それが、高齢化社会の宿命なのです。今でも、老後資金の用意が出来ない方が大半です。しかし、例外なく、誰もが、老人になるのです。今以上に保険料や税金が高くなって、どうやって自分の老後資金を用意するのでしょう。そして、皆さんが老人になった時、社会福祉制度がないとしたら、どうやって生活するのですか。「あの時、老人を姥捨て山に送るべきだったんだ」と思っても、後の祭りです。ここで言う「あの時・・」というのは、今のことです。私のように安楽死を希望する老人だっているのです。姥捨て山と安楽死をセットにした法律を作れば、この国は生き返ります。高齢化社会を乗り切る方法は他にありません。どこかで、無茶をしなくてはならないのです。だったら、老人がその役目を引き受けてもいいのではありませんか。
20代30代40代50代の皆さん、大丈夫なのですか。声を出す必要はないのですか。
非難を覚悟で、「老人を駆逐しろ」と言わなくてもいいのですか。
皆さんは、いい人達ばかりですから、波風を立てるようなことはしないのでしょう。
皆さんからは、「俺に、何ができるんだ」「仕方ないだろう」「なるようにしか、ならない」という答えが返ってきます。どこかで、漠然と「何とかなる」と思っているのかもしれません。確かに、いい人達の群れですが、これで、大丈夫なのでしょうか。
のたうちまわるのは、まだ年金制度や生活保護制度がある今の老人達ではなく、20代30代40代50代の皆さんなのです。
ほんとに、それで、いいのでしょうか。
本人が、「それでいい」と言っているのですから、どうすることもできませんが、現実は想定よりも、はるかに、厳しいものになります。いや、何も想定していないのでしょう。そんな現実に直面しても、超然としていられる方が、どれほどいるのでしょう。そんな人は、いないのではないでしょうか。10年後20年後30年後40年後に、もがき苦しむのは、皆さんなのです。臍を噛むことになりますが、いいのでしょうか。
何度も書きますが、ほんとに、それで、いいのでしょうか。
最近、ほんの少数ですが、このような問題提起をする方が出てきました。
しかし、誰も、気にしません。
まるで、他人事のようです。
いや、もちろん、大半の方が不安な気持ちは持っていますが、その不安に気付くことを拒絶しているように見えます。多分、無意識に自分を守ろうとしているのだと思います。だって、本気で想像すれば、自分の将来を数字で見てみれば、目を塞ぐほど怖ろしいことだと気づいてしまいます。そんな未来、見たくないという気持ちはわかります。でも、それが現実だとしたら、気付くべきなのではありませんか。
ただ、本人が「それでいい」と言っているのだから、いいのかもしれません。
人間は、実際に苦しみに直面しなければ、何もしようとしません。これは、何万年前の人間も、何億年前の人間も同じだったのでしょう。予測の技術が進んだ現在でも、何も変わっていません。人間は、地獄に落ちて、初めて騒ぎ始めます。でも、「後の祭り」という言葉だってあるのです。現実と後悔とのダブルパンチですから、これは、きついです。
もっとも、原因もわからず、対策も持っていませんので、どうすればいいのかがわからないという現実もあります。では、原因を究明しようとしているのでしょうか。対策を求めているのでしょうか。それも、ありません。そこにあるのは「何とかなる、だろう」「誰かが、何とか、するだろう」という助平根性だけです。これでは、救われることはありません。
ここで、いつものように無茶な提案をしてみます。
いつものように、眉に唾をお願いします。尚、このブログを読まれた後は洗顔することをお勧めします。大量の唾を使用しますので、決して衛生的な行為とは言えません。
今は、国家運営システムの転換をしなければならない時代になっているのです。もちろん、日本だけではなく、世界の国がその対応を迫られています。ただ、日本は、老齢化という滅亡へ続く直線競技場で行われる地球規模のレースの先頭を走っていますので、最初に犠牲になるのは私達日本人です。日本は、世界に先んじて崩壊する運命にあるのです。長寿をお祝いしていた時代がありましたが、今では、長寿は国を亡ぼす要因になってしまいました。バッシングが怖くて、誰も言いませんが、視点を変える潮時なのではありませんか。
どうして、こんなことになってしまったのでしょう。
それは、何度も書きますが、私達の目は、未来を見るのではなく、過去を見ているのですから仕方ありません。過去に縛られ、現状維持が最大の関心事になっています。特に、国民の安寧を求めなければならない国家運営が、古いシステムから抜け出せていません。
国は、統計数値を発表しますが、それはただの数字でしかなく、対策とは別の存在なのです。数字を発表したことで、一件落着です。本来であれば、統計数値に基づき、国の指針を決めるはずでしたが、何のために統計を取り、数値を発表しているのかも曖昧になってしまい、ただのルーチンワークになりました。しかし、その数値は仮想空間に存在しているのではなく、皆さんの現実の中にあるのです。誰もが、そのことに気付かぬふりをしています。
崩壊の原因は、時代に追い付いていない国家運営システムですが、どこを探しても、その回答は見つかりません。数値を見れば、対策を立案しなければならないのは自明の理なのですが、対策を立案するという意識がありません。いや、対策を立案すれば、既得権益が毀損されるから、立案できないのです。
それは、私達が、水分と「欲」で出来ている人間だから、仕方がないのかもしれません。
では、私達が人間を辞めれば、どんな対策があるのでしょう。
皆で貧しくなり、国民の自給自足を助ける国家運営をすることです。もちろん、こんな対策は実現不可能ですが、それに近い対策を考えなければなりません。
生きたければ、食べたければ、自分で土を耕して働くしか選択肢のないシステムを作ることです。人類は、そうやって生き延びてきたのです。全員が貧しくなれば、誰も助けてくれる人はいません。老人は、大人しく、姥捨て山に向かう社会に戻ります。若者の中にも、命を落とす人は出てくるでしょう。そうです、自分の命と引き換えにすれば、自給自足に邁進するしか選択肢はなくなるのです。荒療治ですが、こんな無茶な方法しか残されていないほど、この国はどん詰まりにいるのです。この方法は、財政破綻で国家崩壊をした時でも、有効な対策になります。いつも書きますが、「何とかなる」という言葉はありますが、「何ともならない」という言葉もあるのです。
しかし、私達は、人間を辞めることはできませんので、不幸や苦しみは、一秒でも先延ばしにしたいと願います。しかし、先延ばしは、どこまで行っても先延ばしですから、結果的に、多くの犠牲者を出し、自給自足のシステムを採用せざるを得なくなります。だったら、最初から、そうすればいいのですが、私達人間には、それができません。
つまり、地獄は、私達が選択した必然的な結果だと言うことです。
行き着く場所は同じなのですが、行き着いてみないと理解できないのが残念です。
実現不可能と思われることに、果敢に挑戦するのか、それとも、時の流れに任せて、先送りをして、地獄に落ちるのかを選択しなければならない時が来ているのです。しかし、私達は、助平根性を捨てられませんので、限りなく100%に近い確率で、ドツボに嵌る運命にあります。
20代30代40代50代の皆さん。
ほんとに、これで、いいのですか。
皆さんの子供達に、こんな社会を渡してもいいのですか。
もっとも、自分のためなら、平気で子供達を犠牲にする大人達は、今に始まったことではありませんので、きっと、平気なのでしょう。教科書には書かれていませんが、人間は太古の昔から、自分の利益のために多くの子供達を犠牲にして生きてきました。地獄の辞書には「人道上」という言葉は書かれていません。子供に熱湯を浴びせたり、床に叩きつけたりする親がいますが、あれは、未来の私達の姿なのです。
だから、これも、運命として享受するしかないのかもしれません。
でも、今度の危機は、歴史を変えるような、想像を絶するような厳しさになります。
私は、地獄という言葉を使っていますが、まだ生ぬるいのかもしれません。
ほんとに、これで、いいのでしょうか。

こんなことを書けば、「だったら、お前が、なんとかしろよ」と言う方がいます。
こういう発言をする方は、どんな場面でも出てきます。「では、あなたは、どうすればいいと思いますか」と問うと、「何とかなる」と答えるのです。
でも、この発言は、実は的を射ているのです。
「だったら、お前が・・・」という言葉を「だったら、国民が・・・」という言葉に変えれば、意味を持ちます。
現実として、一人では、国民は何も出来ません。
でも、国民全体であれば、いや、多数の国民の意識が変われば、不可能なことではありません。こんな当たり前のこと、気付いて欲しいと思います。
国民意識を変えることでしか、このどん詰まりを突き破ることが出来ないことに、一日でも早く気付いて欲しいものです。
「お上」が何とかしてくれる、という通説は妄想にすぎないと思ってください。
10年前、20年前、30年前にも、将来、少子高齢化の社会がやって来るという数値はありました。もしも、「お上」がその対策をとっていたら、そろそろ実を結ぶ頃だと思いますが、少子高齢化は悪化するばかりです。つまり、「お上」は何もしなかったのです。そんな「お上」を信じるほうが間違っているのです。日本国民は、どこまで「いい人」なんでしょう。
勝手な時事評論を書いていますが、昔は、国民に対する「怒り」の気持ちが大きかったように思います。でも、最近は「悲しさ」しか感じません。将来、こんなにも多くの人達が地獄を彷徨うことになるのだと思うと、悲しいです。特に、未来のない子供達を見ると、泣けてきます。君達は、何のために生まれてきたのだろう。幸せになるためだったんじゃないのですか。もちろん、全員が幸せになれるとは限りません。でも、全員で地獄を這いずり回る必要もないと思うのです。


2017-06-01



核開発 [評論]



今日は、少し、いや、かなり、過激なことを書きます。
何でも書けるところが、弱小ブログの強みですから、遠慮なく書きます。
トランプ大統領のおかげで、と言うか、トランプ大統領のせいで、4月に朝鮮半島の危機が緊迫した状態になりました。ほんの少しだけ、国民が心配をしましたので、何もないよりは良かったのかもしれません。「なんとなく、不安」や「漠然とした危険」であっても、何もないよりは、という意味です。実際には、国民には何も知らされていませんので、曖昧な、漠然とした危険は、そのままです。
大半の方が、日本だけではなく各国の大半の方が、「まさか、そんな、馬鹿な真似はしないだろう」と考えているのが現状ですから、それほど心配する必要は、今のところ、ないのかもしれません。でも、朝鮮半島危機の主役は、トランプと金正恩です。二人とも、とても、正常な人だとは思えません。ですから、何があっても驚いてはいけない環境があります。危機管理と言う視点からは、その不測の事態に対応できるようにしておく必要があります。
しかし、残念なことですが、今回の危機で、日本の危機意識が甘いことに気付いた方は、と言うか、国民の平和ボケが危険であることに気付いた方は、それほど多くないということのようです。国民の意識が向上しない限り、国家運営者は自分にとって都合よいことにしか目を向けません。国民がぬるま湯の中で半覚半睡になっていますので、国全体がぬるま湯になっています。国家運営者だけが国の未来を心配する必然性はありません。「自分さえよければ」「今さえよければ」が当たり前になっていて、子供達の将来は、勝手に子供達が作ればいいと思っているようです。平成の大人は、日本史上最低の大人になってしまっているのですが、そのことに気付いていません。いつから、このような先送り体質になってしまったのでしょう。防衛問題でも同じことです。70年間、防衛を棚上げしてきたツケが回ってきているのですが、そのことにも気付いていません。
菅官房長官が、内閣府のサイトに国民保護ポータルサイトを作り、ミサイルからの避難方法を掲載したと発表しました。多くの方が、と言っていいのかどうか疑問ですが、1億2,000万人の人口なのに、数十万人の閲覧者を多いと言うべきかどうか疑問ですが、普段より多くの方が内閣府のホームページにアクセスしたようです。
その対策と言うのは「着弾の可能性がある場合は頑丈な建物や地下街に避難し、建物がない場所では物陰に隠れて地面に伏せるように、また、屋内にいる時は、窓から離れてください」という内容だそうです。これで、役に立つのでしょうか。
私には、政府のアリバイ工作にしかみえません。
地震警報の時、携帯電話が異様な音を出しますが、まず、吃驚します。しばらくして、地震警報だと気づきます。次に「さて、どうするか」と考えます。咄嗟には行動できません。だから、地方自治体で訓練をしてくれと書いてあるのでしょう。ま、地方自治体がどんな訓練をするのか見物です。ミサイルは、数分で着弾するのですから、避難の時は、全力疾走が求められます。日本は、4人に1人が老人の社会です。私がスーパーに行く時間帯では、95%が老人です。老人に全力疾走させて、心臓に過負荷がかかったり、足がもつれて転倒したりしたら、自治体はどうするのでしょう。自治体だって困ります。やはり、ここは、国が責任をもって、姥捨て山施設と安楽死法案を成立させることが先なのではないでしょうか。先ず、老人を駆除しなくては避難訓練もできません。
ミサイルは、発射後10分以内に着弾すると言われています。もちろん、その時点では着弾地点がどこになるのか不明です。つまり、全国民が避難行動を取らなければならないのです。それも、数分以内に建物に駆け込まなければなりません。しかし、核弾頭が搭載されていないとしても、着弾地点では、よほど頑丈な建物でなければ、建物ごと吹き飛ばされてしまいます。運悪く、着弾地点の近くにいれば、避難行動は何の役にも立ちませんし、着弾地点の近くにいなければ、避難する必要がありません。つまり、国民保護ポータルサイトに書かれていることは、実際には何の役にも立たないのです。運が良かったか、不運だったかで生死が分かれるという、ごく当たり前のことが起きるだけです。
また、安倍総理は「国民の命は、どんなことがあっても守ります」と断言していますが、非常時に、いつもの空手形は何の役にも立ちません。安倍総理は、具体的に、どうやって国民を守るのでしょう。
民進党の馬鹿議員が、「ミサイル防衛システムで、ミサイルは阻止できるのか」と防衛大臣に質問し、防衛大臣は「阻止できます」と答えました。野党も与党も、前提条件を持ち出すことなく、「できますか」「できます」というやり取りをしています。政治家がグルになってアリバイを作っているのです。野党は、質問した、というアリバイを、与党は想定外のことはお答えしていない、と言えばアリバイ成立です。
ミサイル防衛システムは、100発100中ではありません。その上、北朝鮮からのミサイルを防ぐためには、日本海に常時3隻のイージス艦を配置しておかなければなりません。交代するイージス艦も必要ですし、定期点検のためにドックに入らなくてはならないイージス艦も計算に入れなければなりません。もちろん、中国からのミサイルも、ロシアからのミサイルも防がねばなりません。ミサイル防衛を専門とするイージス艦だけでも数十隻必要になるのです。しかも、全数命中し、ミサイルを撃墜したとしても、最大で5発程度のミサイルを打ち落とすことしかできないようです。北朝鮮は、50発から100発のミサイルを発射できます。中国やロシアは、数千発のミサイルを発射できます。これを、どうやって防衛するのでしょう。
不可能です。
警報が鳴って、国民は逃げまどいますが、大半のミサイルは日本に着弾します。
安倍総理は、何を根拠に「国民を守る」と言っているのでしょう。
世界常識からみれば、明らかな空手形です。
でも、日本では、半覚半睡の国民が相手ですから、それが通用してしまうのです。
何も知らずにあの世に行けるのであれば、それはそれで幸せなことかもしれません。
でも、一思いに死ねなかった時は、怖ろしいことです。
自分の国は自分で守る、という国家の大前提を放棄してしまったツケが来ているのです。
私は、以前から軍事力は必要だと書いてきました。それは、防衛力という軍事力で構いません。ただし、それは専守防衛などではなく、いつでも攻撃できる力はあるが、防衛にしか使わない軍事力です。国民を本気で守りたいのであれば、憲法9条を「我が国は、国民を守るために、強力な軍事力を保持します。ただし、他国が危険な行為を仕掛けてこない限り、その軍事力を使用することはない」とすればいいのです。抑止力としての軍事力です。その代表が核兵器です。
核兵器を必要としているのは、実は、金正恩ではなく、日本なのです。
日本の国家運営者は、金正恩を非難するのではなく、金正恩を見習う必要があるのです。なぜなら、金正恩は本気で自分を守ろうとしています。日本の国家運営者は、本気で国民を守ろうとしていません。自分に本気度のないことを隠すために、他国を非難しても、国民を守ることにはなりません。
現実を見てください。中国も、北朝鮮も、日本を標的にしたミサイルを多数保有しているのです。ミサイルの発射を決断するのは、中国であり、北朝鮮です。彼等が善意の人達だという確証は、どこにもありません。現に、北朝鮮からミサイルが飛んでくる可能性があったのです。
少なくとも、数百発の核兵器を持っていれば、中国も北朝鮮も、日本を攻撃することはできません。核兵器の開発も、製造も、ミサイルの小型化も、固形燃料も、日本であれば可能です。問題は、軍事費の捻出です。今となっては、そんなお金はありませんので、資金不足で開発はできません。だから、国民に「逃げろ」ということしか言えません。でも、逃げようがありませんので、国民の命は守れないことになります。
しかし、国民は、そのことには気付いていません。
これでは、国民は能天気を絵に描いたような姿です。
ですから、総理大臣は「空手形」で逃げ切れると思うのです。
国民が、元凶は、自分達の平和ボケだということに気付いていないのですから、どうすることもできません。日本には、核兵器に対するアレルギーがあり、国民感情としては、核兵器の開発はタブーになっています。いや、お花畑で昼寝をしていて、自分達は夢のような世界に住んでいると勘違いしています。でも、本気で生き延びたいのであれば、タブーにも挑戦するしかありません。お花畑が幻想であったことに気付かねばなりません。反戦平和や核廃絶というスローガンが役に立たない時代になっているのです。反戦平和や核廃絶で盛り上がれた時代は終わりました。世界が変わろうとしている現実から、目を背けていては生き残れません。いつまでも、過去に縛られていては、自分の身を守ることもできないのです。時代が変わろうとしている現状を、日本国民に誰かが知らせなければならないのです。
多分、安倍さんは、建前として「国民を守る」と言っているのでしょうが、その本心は、ミサイルが撃ち込まれて、犠牲者が出ることを心待ちにしていると思います。確かに、今は、憲法を変えるためにも、防衛費を増やすためにも、それしか方法がありません。でも、これは乱暴なやり方です。今こそ、危機があるからこそ、正面から国民を説得すべき時です。国家は国民を守らなければなりません。では、国民とは、現在の国民のことなのでしょうか。違うと思います。将来、誕生するであろう子供達の子供も国民です。国家は永続しなくてはならないシステムなのです。明治時代の人達は「国家百年の計」という言葉を好んで使いました。彼等にとって、国家とは、将来の国民を含めた集合体だったのです。明治維新から150年で、私達はそんな基本的なことも忘れてしまったのです。
数と社会不安には相関関係があるのです。北朝鮮のミサイルで、10万人の犠牲者が出れば、国民も納得します。いや、逆に振れて、危険なことになるかもしれません。
自力防衛が必要だという点では、安倍総理の考え方には賛同できます。ただ、自力防衛の体制を過去の制度に復帰することで達成しようとする姿勢には賛成できません。
もちろん、アメリカは、日本が核武装することに反対するでしょう。それは、日本を意のままに操ることが出来なくなるからです。口先で「有事の際には、日本を守る」と言っておけば、どんなことでも日本は受け入れてくれます。実際に守るかどうかは、その時のアメリカの国益によって判断すればいいことです。防衛という国家の首根っ子を抑えているのですから、アメリカはどんな無理でも通せます。実際に、これまで、そうでした。
幸い、トランプが大統領になり、アメリカの利益が優先事項となり、たまたま、米軍駐留経費に注文は付けませんでしたが、いや、他の同盟国よりも多額の負担をしていた日本は、同盟国の見本だと称賛されましたが、その見返りに、アメリカは二国間FTAで有利な交渉が可能です。アメリカが得をするシステムになっています。国防を他国に頼っているのですから、これは致し方のないことです。
日本は「核武装をして、将来的には、経費の面でアメリカのお荷物になっている在日米軍の撤退が出来るようにしたい。もちろん、日米安保は堅持します。片務ではなく、相互に援助しあえる軍事力を持ちますので、ご安心ください」と説得すればいいのです。戦闘機の開発はまだ時間がかかりますので「F35だって、買いますよ」と言えば、喜んでくれるでしょう。もちろん、今進行している国産の戦闘機の開発はしなくてはなりません。
国民の、「軍拡をするのか」という問いには、他に選択肢はない時代が来ていることを説明して、理解してもらわねばなりません。ここが、一番難しいところですが、そうでなければ生き残れない時代になるのです。
軍事的な側面に限定すれば、中国は仮想敵国などではありません。軍事的には、紛れもなく、一番危険な真の敵国です。その中国の攻撃を抑止できるのは、核兵器だけです。米軍が日本を守ってくれる「筈だ」と言うことに、確証なんてないのです。アメリカはアメリカの国益で判断します。アメリカは、中国と戦っても何の利益もありませんから、日本を守るために軍事力を使うことの方が不自然です。それが、世界常識です。
国家首脳が、いくら信頼関係を構築しても、国益のほうが優先します。これも、世界常識です。そんなことは、私達の日常生活でも、よく起きることです。他人には他人の都合があるのが常識であり、自分を守ろうとすれば、自分で守らねばならないのも、常識です。そんな世界常識の中で、自分だけは他人に守ってもらえると考えていることが異常なのです。私達は、この70年間、その異常を続けてきたのです。そろそろ、気付かねばなりません。
確かに、時代の曲がり角の真っ只中にいる私達には、その変化を見極めることの難しさがあります。でも、そこを、何とかして、見極めるしかありません。


2017-05-02



時代の落とし子 [評論]



ホテル「東急イン」に対する受信料裁判で、NHKが勝訴しました。
他の裁判でも、なぜか、NHKが勝訴し続けています。中には、NHK側に明らかな瑕疵があり、敗訴した事例はありましたが、それは稀なケースだと思います。
私には、実に、不思議な現象に見えますが、長いものには巻かれたほうがいいのでしょうか。多分、ほとんどの国民は、惰性で、長いものに巻かれています。
先月、時代について書きました。このNHK問題も時代の落とし子だと思います。
放送法が成立した時の時代と今の時代は隔世の感があります。
昔は、ラジオ受信機でさえ、津々浦々にあったわけではなく、テレビ放送が始まったころは、テレビ受信機を持っている家庭は特別の家庭でした。これは、たとえ話ですが、庄屋様の家によそ行きの服を着てテレビ鑑賞に出かけるようなイベントが、テレビ鑑賞だったと思います。一般家庭にとって、テレビを買った、カラーテレビを買った、というのも大きな出来事でした。ですから、テレビを買えば受信料を支払うことは、ごく自然な成り行きだったと思います。当時、放送法の存在など、国民は知りませんでした。契約や契約書についても、庶民は知識を持っていませんでしたので、NHKのやりたい放題だったと思います。「契約」という概念すら一般的ではありませんでした。「受信機を持っていたら、契約をしなければならない、と法で定められています」と言われ、NHKが差し出す書類にサインする。その契約書の中に、受信料の支払い義務が書かれているのです。庶民には、契約書を交わしているという意識は、ありませんでした。しかし、現実には、その書類が契約書であり、法的に効力を持つことになるのです。これでは、庶民の無知につけこみ、法解釈を自分の都合に合わせ、金銭をだまし取る悪徳商法と何ら変わりません。そうやって、NHKは肥大化していき、その肥大化した所帯を支えるために、受信料の値上げや受信契約獲得に力を入れ、裁判まで起こすことになったのです。これは、既得権益を守ることに全力投球をしていると言っても過言ではありません。既得権益を守るために、時代を無視しているのです。
一方、司法は常に判例主義を第一義にしています。
一貫性という観点からは判例主義には価値があるかもしれません。しかし、司法に対する信頼感が薄れているのは現実です。司法が国民の信頼を失えば、国そのものの存続が危険に晒されます。時代により環境が違うのですから、国民の意識も変化しています。それを、過去の判例で国民を押し込めることには、無理があります。そんな時代感覚から裁判員裁判は発足したのでしょうが、それが見せかけの変革であることは、国民の目にも見えるようになってきました。裁判員裁判は地方裁判所だけに採用されている方式です。「なあに、高裁で過去の判例に戻せばいいだけのことだ」と司法関係者は高をくくっていたのでしょう。つまり、変革は変革ではなく、騙しに過ぎなかったのです。司法も、時代を無視しているのです。
過去の判例に沿えば、NHKを敗訴させるわけにはいきません。もしも、国民意識を前提として、公平な裁きをすれば、NHKが敗訴する可能性は増えます。それは、過去の価値観にしがみ付いている司法の否定にもなります。
司法も、行政も、立法も、過去の価値観に支配されていて、これで、明日の日本が生まれるのでしょうか。日本中に満ちている閉塞感の元凶は、ここにあるのではないでしょうか。つまり、国民が「お先真っ暗」と感じている現状は、私達自身が、過去に縛られていることによるものだと思われてなりません。
現実的な矛盾を見てみましょう。
放送法成立時点の社会で、年金に頼って生活している老人の数は何人だったでしょう。今は、4人に1人は年金生活者です。私が年金生活者の代表ではありませんが、私の年金は年間100万円です。生活にゆとりはありません。そんな老人が、年収1,200万円のNHK職員を支える妥当性があるのでしょうか。2,000万人も存在する非正規労働者の年収が、200万だとすると、彼等が高給取りのNHK職員を支える理由も見当たりません。もちろん、私の年金を1,200万円にしてくれたら、NHKの受信料は支払うかもしれません。NHKは観ませんから、無駄な費用ですが、1,200万円の収入があれば、「おつきあい」として支払ってもいいです。接待交際費だと思えばいいのです。
民法にある「契約」と放送法にある「契約」が、別のものになっています。ダブルスタンダードを司法が容認しているのです。お金が動けば商取引です。NHKの受信料は、税金のような特別のものではありません。ただ、特殊な契約なのですから、契約書のサインの有無の前に、契約書が契約書としての要件を満たしているのかを裁かねばなりません。
その最大の差は、NHKとの契約には選択肢がないことです。一方的な契約内容に同意することが、放送法での「契約」です。そんな「契約」は民法では存在しません。例えば、アパートの賃貸契約でも、契約期限や解約の条文があります。最近では、敷金の返還も義務付けられました。それなのに、簡単に目を通しただけですが、受信契約書に書かれているのは、NHKの都合ばかりです。これが、対等な契約書として存在していることのほうが異常だと思います。これは、いつものように「なあなあ」「まあまあ」で時間が経過したに過ぎません。私は、いつも、この国は封建制度のままだと書きますが、それは、対等という意識の欠如が当たり前に存在している社会だからです。
70前にはBS放送もCS放送もありませんでした。スクランブル技術も実用化されていませんでした。しかし、今は当たり前のように有料放送が存在しています。スポーツ観戦が希望の人、ドラマや映画を鑑賞したい人、アニメを観たい人。お金さえ出せば、自分の好きなものが観れる時代なのです。観たくもない映像を流しておいて、料金を支払え、というやり方は時代に合いません。これは、今では送り付け詐欺と呼ばれるやり方です。
仮に、1年間、風呂に入らなかったとしましょう。「垢」は溜まります。「臭い」も強烈です。これは、人間にだけ起きることなのでしょうか。明治維新から150年。この国にも「垢」は溜まっているのではありませんか。風呂に入るべきだと思います。
私の考えが古いのかもしれませんが、未だに、デジタル化の意味がわかりません。アナログ時代の放送とデジタル時代の放送の差異も実感できません。ネット回線を接続しろよ、と言われるかもしれませんが、回線を接続すれば、どんなメリットがあるのか、よくわかりません。そんな老人は多いと思います。デジタル化に際してB-CASカードを推進したのはNHKだけだと言われています。受信料を求めていない民放各社は、B-CASカードにメリットはありません。B-CASカードを付けても、付けなくても、民放には関係なかったので、NHKの主張を認めたのです。つまり、民放はNHKの既得権益を守る姿勢に負けたのです。それは、視聴者である国民よりも、同業者であるNHKの利益を優先させたということです。昨今、テレビ局の経営が苦しくなっていると言われていますが、国民に向き合うという姿勢を無くした放送から国民が離反するのは必然的な結果なのではないでしょうか。

今、最高裁でNHKの案件が審理されています。
NHKは高裁で勝訴したにもかかわらず、この案件を最高裁に上訴したのです。法務大臣も動員して、NHKは勝つつもりです。法務大臣が意見陳述するのは、戦後2例目だということですが、どれほどの裏金が動いたかはわかりません。裁判に勝てるのであれば、政府に100億、最高裁に150億(判事一人当たり10億円)払っても、元はとれます。
NHKの要求は「NHKが契約締結を申し入れてから2週間経ったら契約が成立する」という判決です。何という傲慢なのでしょう。一方的な契約であっても、契約さえ締結してしまえば、受信料を取れるという確信があるのです。
憲法違反かどうかが争われていますが、憲法違反以前に、法の精神に合致しているのかどうかを審理すべきだと思います。税金には強制力がありますが、契約の締結に強制力を持たせるのは、違法です。以前にも、国営放送にすれば、こんな無茶をしなくても済むのに、彼等がそれをしないのは、年収の半減を許容できないからだと書きました。NHK職員の平均年収は、1,200万円ですが、公務員の年収は600万円です。一般国民の年収の3倍も4倍も貰っているNHK職員は、600万円になるだけでも許せないのです。もちろん、国もNHKを国営放送にするつもりはありません。国営放送にして、税金で運営するためには増税が必要になります。そんなことをすれば、選挙で勝てません。両社の利害は一致しています。
もしも、最高裁がNHKの要求に屈したら、この国は、中国やロシアや北朝鮮レベルの国になってしまいます。国民の福利のためという建前ですが、これでは法治国家ではなくなってしまいます。
国家権力が牙をむきだした事象の一つだと思います。利権のためであれば、国家権力を使うという、ならず者国家になるのです。たかが、NHK問題ですが、それだけでは終わりません。こういう動きは広がっていきます。気が付けば、国民は身動きのできない状態に押し込まれていたということになるのです。
これは、たまり続けた「垢」による弊害です。
時代は動いています。時代は変わっています。それだけではありません。その変化のスピードは、今後、ますます加速されます。
もう、革命でしか国民を納得させられる方法はなくなってきています。革命には、痛みも伴います。だったら、明日の日本のために、明日の国民のために、時代に合わせた変革をやるしかないのではないでしょうか。
やはり、風呂に入りましょう。
既得権益死守や現状維持は限界に来ています。それは、今では「垢」になっています。風呂に入って、「垢」を落とし、明日を築く時なのではありませんか。



中学校の学習指導要領に銃剣道が記載されるという話があります。
銃剣道。
「なに、それ」と思われる方もいるでしょう。
銃剣術とは、戦場で弾薬が尽きたら、小銃の先に短剣を装着し、敵との白兵戦で、敵を刺し殺して勝つという目的で生まれた戦闘術です。ナポレオンの時代に誕生したと言われています。
この学習指導要領は2020年以降になるようですが、議論が起きています。
私も驚きました。
時代が、昭和20年以前に戻ってしまったのではないかと錯覚しそうです。
モノクロ映像で、校庭で銃剣術の訓練をしている子供達の姿を見ることがありますが、カラー映像でも、現在の中学生達の銃剣道の練習をする映像が、普通に放送される日がやってくるのでしょうか。
何か、変じゃないですか。
私は、左翼でも右翼でもありません。ただの国民です。でも、国が右傾化してくると、普通の国民でさえ左翼に見えてしまうのではないかと心配しています。
大臣が教育勅語を褒め称え、教育勅語を学校で教えても良いという閣議決定をし、子供達に銃剣道を教えようとし、この国は、まさに、「日本会議」大活躍の状態になっています。
変です。
でも、国民は、変だとは思っていないようです。
北朝鮮の脅威が宣伝されて、右翼は押せ押せモードになっています。
軍事力は不可欠ですが、それは、銃剣道などではありません。
「・・道」という言葉。この「道」を付けると、近代スポーツに生まれ変わるという錯覚を多くの方が持っています。
柔道も剣道も銃剣道も、かつては、柔術であり剣術であり銃剣術でした。そして、それは、全て、戦争で人殺しをするための技だったのです。
柔術や剣術は、古くからありました。伝統という観点だけに着目すれば、人殺しの技術がスポーツになることはありうると思います。それは、時間には技術を変える力があるからだと思います。でも、銃剣術は明治以降に輸入した技術です。「・・道」という言葉に変えても、まだ、生々しさは残ってしまいます。ほんの70年前に、アメリカ兵を殺すために訓練していた殺人技術なのです。
では、政府は、なぜ、こんなことをしようとしているのか。
天皇国に戻りたい、という一念から、無理を通そうとしているのです。
彼等にとっての雛形は、天皇制度と大日本帝国陸軍ですが、これは、時代錯誤です。
以前に、天皇陛下の生前退位を希望する放送について書いたときに、あの発言は、天皇の抵抗だと書きました。私の意見は少数意見で、いや、多分、私一人だけの意見だったようで、驚きました。しかし、私は、今でも、あれは政府に対する天皇の反抗だったと思っています。天皇は、「日本会議」の空気を感じていたのだと思います。
「日本会議」は天皇国を実現したいと考えていますが、天皇自身は、天皇国なんて「とんでもない」と考えているのではないでしょうか。二度と「天皇陛下、万歳」と叫んで死んで行く兵士を作りたくない、それが昭和天皇の悲願だったから、と書きました。本来、政治的発言を禁じられている立場の天皇が、私事を理由に政治的な発言をし、国民に、「日本会議」による不穏な空気を察してもらいたいと願ったのではないかと思っています。
天皇国も時代錯誤ですが、教育勅語も銃剣術も時代に合っていません。
神社の利益を最大限にするために、権力を利用する人達は、やはり、魑魅魍魎族の一員なのでしょう。既に、政府は、半分、乗っ取られていますが、国民は抵抗しなくてはなりません。
終戦間際の日本で、女性や子供に銃剣術を教え、残念ながら銃も短剣も在庫がないから、竹槍を使い、米兵に抵抗しようとしたのです。今では、笑い話ですが、当時は、真剣に練習していたと言われています。一億玉砕などという発想は、今では、ありえません。
自衛隊では、今でも銃剣術を教えているそうですが、自衛隊はどんな戦争を想定しているのでしょう。こんな軍隊で、この国を守れるのでしょうか。多分、精神力を鍛えるためだと言うのでしょう。今の時代、精神力で戦争はできません。自衛隊が、銃剣術を使って戦う状態は、明らかに負け戦です。自衛隊は、また、無駄な犠牲を生み出す愚行を繰り返すつもりなのでしょうか。「二度とこのようなことは・・・・」には、二度目も三度目もあるのが常識なのですから、大変危険です。
銃剣道人口は、自衛隊員に限定されているそうです。中学校でも銃剣道を教え、精神を鍛え、天皇の臣民に育てようとすることが目的のようにみえます。まるで、大日本帝国陸軍の亡霊が舞い戻ってきたような状況です。
「日本会議」が活躍し始めてから、時計の逆回しが起きています。
これも、時代の落とし子なのかもしれません。
今の安倍政権が誕生した時、まだ、世界は右傾化していませんでした。世界は、安倍総理を右翼だとして警戒し、オバマも笑顔を見せませんでした。安倍さんが、ケネディ駐日大使を篭絡した結果、アメリカとの関係は修復されましたが、世界は安倍を右翼政治家だと判断していたのです。世界の諜報力は、流石に、優秀です。日本国民は、安倍さんが右翼政治家だと知りませんでした。もっとも、今は、右翼政治家が時代の先端を行っているようですから、安倍さんは先駆者なのかもしれません。ただ、個人的には「天皇陛下、万歳」は勘弁してもらいたいと思っています。なぜなら、そうなれば、国民はまた虫けらになってしまうからです。人間でいたいという願いは、贅沢なのでしょうか。


共謀罪と呼ばれている組織犯罪処罰法が国会で議論されていますが、どのようにでも運営できる法律に、野党は大反対をしています。確かに、日本が得意とする曖昧法制のように見えます。ここに、「日本会議」の息がかかっているとすると、特高警察の復活が目的かもしれません。今の野党の力では廃案にするのは難しく、「日本会議」の独壇場です。
NHK問題も、「日本会議」問題も、どんどん国民の安寧から離れて行くようです。
その根底にあるのは、特定の集団の「欲」です。
ほんとに、「欲」は怖いです。
しかし、これが、現実です。


2017-05-01



時代・世界編 [評論]



トランプ政権が、スタッフ不足で政権として船出できないために、「その場しのぎ」を強いられています。国政では、毎日、問題が発生すると言われています。長引けば長引くほど、お荷物を増やすことになり、「その場しのぎ」はどこかで回収しなくてはなりません。
トランプは「民主党が邪魔をしている」と非難しています。トランプの発言は間違っていないと思いますが、メディアが民主党を叩きません。トランプとメディアは戦争状態なのですから、仕方ありません。
トランプは、メディアと戦争しているだけでなく、退任したオバマとも戦争状態にあります。民主国家でも政権が変われば政策は変わりますが、それは、政策の変更であり、戦争ではありません。しかし、トランプ政権がやっていることは、戦争です。オバマ大統領の時代に、記者達とのセレモニーでジョークの標的にされたトランプが、「オバマ憎し」の一念で大統領選に出馬したと言う人もいます。メディアやオバマに対する彼の対応をみていると、トランプは「根に持つ」タイプの人物のようです。もう、これは、私怨ですが、これがトランプという人間性なのでしょう。
アメリカの35人の精神科医などが連名でニューヨーク・タイムズ紙に投書を送ったそうです。米国精神医学会(APA)は「精神科医が自ら診察していない公的人物の精神状態について意見を述べるのは非倫理的だ」として禁じる規定を設けているのですが、この35人は「黙っていることはあまりに危険すぎる」と考え、あえて規定を破って発言したと言われています。トランプ氏が抱えるとされる精神疾患は「自己愛性パーソナリティー障害」(NPD)だそうです。
また、ある著名な経済学者によれば、世界経済は、特にアメリカ経済は大きな危機に直面しているとし、「新大統領は腐敗して、クレイジーなことをするが、彼はさらに無能である」と言っています。
これほど非難される大統領は初めてなのではないでしょうか。
確かに、オバマの仕事をひっくり返したいと思っているようにしか見えない部分が多々あります。その筆頭に挙げられるのがオバマケアです。新しい医療保険制度の骨格が示され、トランプは自画自賛していますが、医療保険の専門家の解説によれば、貧困層へのダメージが大きいと言われています。特に、トランプに票を入れた白人貧困層を直撃すると言われています。トランプの選挙公約は「貧困層を救うこと」でしたが、どう説明するのでしょうか。ま、結果的には、共和党議員の賛成が得られずに、法案は撤回されました。トランプは、時間をおいて再挑戦するようです。日本なら、どんな法案でも議会を通過しますが、アメリカでは、議員は国民の代表という民主主義の建前がまだ生きているようで、強力な党議拘束はありません。いや、日本の党議拘束が異常なのでしょう。
トランプに一票を投じた有権者は、どんな反応を見せるのでしょうか。就任時の支持率も低かったのですが、更に支持率が下がっているのは、心配なことです。
私は、トランプ大統領が決して嫌いではありません。その方法に問題はありますが、時代が変わる時には、既存の価値観を否定しなくては変われません。クリントンが大統領になっていたら、過去の価値観を引き継いでいたでしょう。ただ、私怨を押し通せば、どこかで、しっぺ返しに会います。
娘の助言で、暴言を封じたと言われていますが、それは、彼の本質が変わったということではないのでしょう。ただ、就任前後の勢いは感じられません。
中国のロビー活動が活発になっていて、中国はトランプファミリーの篭絡に成功しているという報道もあります。中国は、トランプの弱点はトランプのファミリーだと見抜いていると言われています。政争という分野では、世界で一番長い歴史を持っている中国ですから、鋭い分析をするものだと感心しました。その関係なのかどうかはわかりませんが、大統領就任後、トランプの中国に対する威嚇発言はありません。中国共産党も、刺激するような発言は控えています。経済戦争はメキシコが先頭ですが、日本とドイツが続くようです。いや、攻略しやすい日本が先頭バッターになるとも言われています。中国は真打ですから、最後に登場するのでしょう。いや、ほんとに、中国は登場するのかどうか、そこのところはわかりません。果たして、誰が貧乏くじを引くことになるのでしょう。
北朝鮮の金ファミリーとか、アメリカのトランプファミリーとかの一族支配が、今の時代に通用するとは思えませんが、アメリカは、どこへ向かおうとしているのでしょう。
トランプファミリーを除き、アメリカの国家運営者達が考えている仮想敵国は、今でも中国とロシアです。それは、アメリカには、長く「共産主義との闘い」をやってきた歴史があり、それがアメリカ人の思考の底流にあるからだと思います。トランプは、取引のためなら何でもやるつもりでしょうが、この目に見えない空気のような思考を越えることは、そう簡単なことではありません。このアメリカの底流と、商売人の利益の両立は大変難しい課題に見えます。トランプは、軌道修正を強いられます。まだ、表面化はしていませんが、水面下では軌道修正が進んでいるのかもしれません。でも、トランプが普通の大統領になったとしたら(なれないとは思っていますが)、トランプを大統領にした意味は失われます。普通の大統領でもいいのであれば、何も下品でトラブルメーカーの男を大統領にする必要はなかったのではないでしょうか。ただ、アメリカ国民にとって、選択肢はトランプかクリントンかの二者択一しかなかったのですから、仕方がありません。ヒットラーが出てきた時と似ていると言う方もいます。自分の信じることを実現しようとすれば、独裁政権が最適な統治方法です。オバマケア代替法案に反対する共和党議員に「お前らを、次の選挙で落としてやる」と怒鳴っていたというニュースもありました。今のトランプは、心の底から独裁者になりたいと願っているものと思います。こんな人が大国の大統領になってしまう。でも、これは歴史の必然なのかもしれません。地球上の人間社会は「欲」で出来ています。資本主義だけではなく、共産主義も、利益の追求に奔走したのが20世紀なのかもしれません。その結果、生まれたのが格差社会です。その格差社会に悲鳴を上げた民衆が、その価値観を壊してくれる指導者を選んだ。それが、トランプ大統領なのかもしれません。
これが、時代の要請だとすると、時代は、怖いです。いや、怖いのは「欲」なのでしょう。でも、こればかりは、どうすることも出来ません。
アメリカでは、いろいろな場所で、分裂と分断が起きています。一方、中国とロシアは、分裂と分断を、強い権力で、何とかコントロールしていて、アメリカに比べれば安定した統治システムを維持しています。
中でも中国は強かです。韓国のTHAAD配備に対抗して、経済で韓国への締め付けを強化していますが、これは、アメリカに対するメッセージなのです。中国の「いじめ」にあった韓国は、ただでさえ下降気味の経済に大きな打撃を受ける可能性があります。中国の不買運動は、制裁の初期段階ですから、今後、韓国は中国での商売から締め出される可能性もあります。「中国という大きな市場の力には、もう、誰も逆らえない。アメリカよ、お前も韓国のようになりたいのか」と言っているのです。中国の首相も「経済戦争をすれば、犠牲になるのはアメリカ企業だ」と言っています。これは、脅しではありません。実際にアメリカ企業が「いじめ」の対象になります。

余談ですが、韓国の大統領罷免が成立し、大統領は逮捕されました。
ここでは、金石田という名の韓国人になったつもりで、韓国の進むべき道を探ってみたいと思います。
韓国は、新しい大統領を選出しなければなりませんが、これを機会に、中国の属国になるという選択肢を選ぶべきだと思います。
韓国は貿易立国ですが、中国への輸出が25%もあるのです。このままでは、韓国経済は成り立ちません。国の基本は、民主主義や自由ではなく、あくまでも経済ですから、中国に許しを請うことが韓国の生きる道です。民主主義や自由を旗印にしていたアメリカが、経済優先に舵を切ったのです。韓国が、民主主義や自由を捨てても問題ありません。いや、経済的利益のツールとして機能していた民主主義や自由は、ツールとしての役目を終えたのかもしれません。そういう意味では、トランプの着眼点は間違っていません。
THAAD配備を中止し、北朝鮮と対話し、反米・反日に徹し、在韓米軍の撤退を要求すれば、中国の怒りも収まります。そう言えば、大統領候補に名乗りを挙げている方の中に、同じような主張をしている方がいます。アメリカや日本からみると「とんでもない」ことですが、韓国の選択肢としては、一番妥当な選択肢だと思います。
中国も応援してくれます。
これまで、アメリカは、共産主義による赤化の阻止のために、民主主義と自由のために、韓国に駐留軍を配置してきました。でも、その目的は色褪せてしまいました。時代が変わってしまったのですから、米軍が韓国に駐留する意義は、すでに失われています。その上、アメリカが自分から民主主義や自由を捨てたのですから、時代が変わったことを確定してしまいました。
もう、資本主義や民主主義や自由を旗印にする時代ではないのかもしれません。一番先頭で旗を振っていたアメリカが変わってしまったのですから、韓国の方向転換は容認せざるを得ません。アメリカは、韓国が、コリアファーストになることに文句を言える立場にはないのです。韓国は、堂々と中国陣営に鞍替えする時です。
韓国の経済不況は韓国の自業自得ですが、それでも、何とかして、生き残らねばなりません。
韓国が生き延びるためには、アメリカと決別することです。とりあえず、韓国は、中国の「いじめ」から逃れなくてはなりません。そのためには、中国の属国になる。これまでも、朝鮮半島の国は、そうやって生きてきたのです。
北朝鮮の南下作戦に対しては、中国に泣きついて救ってもらうことが、現実的な対応ですから、アメリカ軍の代わりに中国人民軍の駐留を要請することです。金正恩であっても、中国人民軍に戦争を仕掛けるのは余程のことがないと踏み切れません。
もしかすると、韓国の決断次第で、朝鮮半島は安定するかもしれません。韓国の内政問題ですから、アメリカは傍観するしかないのです。北朝鮮も韓国も中国の支配下に置かれ、金正恩の安全が確保されれば、金正恩が改革開放路線に舵を切るかもしれません。彼は、まだ若いですから、変身可能です。ただ、彼は、健康問題を克服するために、思い切ったダイエットをしなければなりません。

中国は、北朝鮮に対して「核開発とミサイル発射を自制しろ」と宣言しました。これも、「北朝鮮を封じ込めたいのであれば、中国に協力せよ」というアメリカ向けのメッセージです。もちろん、既に、中国に北朝鮮を制御する力がないことは世界常識です。それは、金正恩が一度も北京を訪問していないことをみても、明らかです。金正恩は中国に対しても「弱者の恫喝」をやっているのです。中国が、経済的に北朝鮮を締め付けたら、北朝鮮は暴発するしか選択肢がありません。その結果は、中国にとっても、決して喜ばしいものではないのです。ただ、アメリカに対する外交カードとしては、まだ有効です。
最終的に、北朝鮮は暴発するしか道はないのかもしれません。その暴発を阻止できるのは、中国による金正恩斬首作戦か、アメリカによる斬首作戦のどちらかだと思いますが、斬首作戦の成功確率がどのくらいあるのかわかりません。それほど高くないとすると、失敗した時の対策が必要になります。その時は、中国の斬首作戦のほうが不利ですから、中国は動かないでしょう。では、アメリカの斬首作戦が失敗したとしても、アメリカに利益があるのかと問えば、それもありません。アメリカにとっても中国にとっても、このまま、ずるずると長引かせることが国益になります。
もっとも、トランプには北朝鮮と戦争するつもりはないでしょう。なぜなら、北朝鮮と戦争をしても、何の利益もないからです。いや、利益どころか戦費を使うだけですから、損失でしかありません。アメリカは、北朝鮮のICBMさえ阻止できればいいのですから、ミサイル防衛に予算を配分するのです。今でも、アメリカはロシアと中国のICBMの標的になっています。ミサイル防衛に資金をつぎ込むことは理に適っています。ただ、トランプのやることには整合性がないものが見受けられます。トランプは中国に対して「北朝鮮に石油を売るな」と言っています。もしも、抜け道のない経済制裁をすれば、北朝鮮は暴発するしかなくなります。北朝鮮から先制攻撃を受ければ、たとえ、利益にならなくても戦争をしなくてはならなくなり、その時は悪循環に嵌ります。
では、斬首作戦も、北朝鮮への軍事進攻もないとすると、残されるのは、金正恩による南下作戦だけになります。これは、金正恩の腹一つで決まることですから、避けようがありません。その時は、もう、やけくその状態でしょうから、核弾頭付きのミサイルが、どこへ飛んでいくかは不明です。中国でも、韓国でも、日本でも、アメリカでもいいのです。
そうなれば、アメリカと中国の経済ゲームの領域を外れます。
その対策は、立案されているのでしょうか。
その時、日本は、どんな立場にいるのでしょうか。
自民党内で、攻撃能力の保持という議論がされているそうです。たとえ、憲法の解釈変更で限定的な攻撃能力を持てたとしても、北朝鮮には対抗できません。北朝鮮のミサイル技術は日々進化しています。一部を除き、ミサイルは車載ミサイルになっていますし、固形燃料も実用化されています。射程の長いミサイルを、どこからでも発射できるのです。アメリカの攻撃力であっても、無力化は難しいと言われているのですから、簡単なことではありません。
憲法を変えて、普通の国として、戦争が出来るようになるまでは、まだまだ、時間がかかります。金正恩には、それほどの時間は残されていないと思いますので、日本が一番無防備な国として、ミサイルの標的になる可能性はあります。その一番の標的は在日米軍基地です。既に、数多くの実戦配備されているミサイルには、在日米軍基地の座標が入力されていると言われています。
さあ、アメリカ軍の最高指揮官であるトランプ大統領は、どんな決断をするのでしょう。
仮に、先制攻撃を仕掛けて戦争状態になっても、犠牲者は出ます。出費もかさみます。彼は、商売人ですから、彼の価値基準は利益ですから、損得計算をすれば答えはすぐに出ます。
在韓米軍と在日米軍の撤退という選択肢は、トランプ政権では、決して確率の低い選択肢ではないと思います。特にアメリカの企業経営者にとっては、今期の利益が最優先ですから、長期的な利益は、無視されます。また、不採算部門を切り捨てて生き残る企業はいくらでもありますし、企業としては正しい対処法なのです。韓国や日本が不採算部門だと判別すれば、切り捨てることもあるということです。
トランプが戦争をする場合は、利益を得るために戦争をする、という言い訳をしなければなりません。でも、今は植民地時代ではありません。たとえ、戦争に勝ったとしても敵の富を根こそぎ奪うことなど出来ないのです。損益計算をすれば、戦争で利益が出ることはありません。それとも、中国やロシアのやり方を真似るのでしょうか。
民主主義と自由というこれまでの思考であれば、世界制覇が目的であれば、米中戦争という場所に辿り着きますが、利益追求を第一としているトランプには、損失が大きすぎて、米中戦争に踏み切れないと思います。利益を叫んで大統領になったトランプが、損失を出し、アメリカ兵の犠牲者まで出したのでは、トランプ本人でさえ自尊心が傷つきます。
ただし、トランプは、中東で軍事関与を強めています。中東の場合は、利益第一ではなく娘婿の立場が第一ですから、損失が出ても、犠牲者が出ても、戦線の拡大に問題はありません。トランプの驚きの予算教書によれば、国連や地球温暖化等の国外への拠出金は減らされますが、イスラエルへの軍事支援は減らされません。どうやら、アメリカファーストという言葉は、トランプファーストという意味のようです。ただ、トランプの予算案には共和党も呆れていますので、議会を通過することはないと思われます。トランプ不動産では、鶴の一声で、何でもできましたが、議会はそう簡単には同意してくれません。トランプ流は、大阪の橋下流に似ています。本人が妥協できなければ、退陣するしかなくなります。
一方、中国はアメリカと戦争をしても良いと思っているようです。もしも、米中戦争が始まれば、アメリカはGDPで10%の損失になり、中国は25%の損失になると言う方もいます。それでも、この喧嘩は、中国国内に不測の事態が発生しない限り、腹を据えている中国の勝ちだと思います。大国同士の戦争の場合は、軍事力だけで勝敗が決まるとは限りません。
アメリカと中国は、利益という共通の目的のために、握手するしかありません。
利益という側面だけ考えれば、それが、両国にとっての最善の道です。
もちろん、トランプにとっても、利益が第一なのですから、恫喝という選択肢はあっても、戦争という選択肢はありません。
ただ、振り上げた拳を降ろせない状態での手打ち式になりますので、中国主導になることは避けられません。結果、アメリカの威信は地に堕ちることになります。
トランプファミリー以外の国家運営者の頭の中には、まだ民主主義と自由という思考が残っていますので、トランプの弾劾も表面化する可能性があります。
そんな中、不平等条約を押し付けられる日本は、どうするのでしょう。
ポチの立場は、どうなるのでしょう。
大英帝国から始まった先進技術による世界制覇という時代は終わりました。
これまで、何度も、成長戦略という言葉は神話の世界の言葉になったと書いてきましたが、今は、そういう時代なのです。
経済は人口で決まる時代になったのです。
長期予測を見ても、経済大国は、中国とインドです。
日本も、中国の属国になる日がくるかもしれません。トランプか習近平か、という選択は、どちらに転んでも最悪の選択ですから、困ったことです。

G20で、アメリカの横車が通りました。
私は、先月、トランプがG7に出席する必然性がないと書きましたが、一つだけ必然性があるようです。それは、トランプが得意とする恫喝です。オバマを恫喝し、メディアを恫喝し、企業を恫喝し、メキシコ、日本、中国、EUを恫喝し、共和党議員を恫喝し、G20を恫喝してきたトランプ流には、見事なほどの一貫性があります。G7でも、恫喝を目的として参加することは考えられます。
トランプ流は、短期的に見た時は利益になりますが、長期的に見ると不利益になるように思います。G7でもG20でも、古くは西側陣営と呼ばれた国々の、アメリカと同じ価値を共有していたという精神的な絆が失われると、多くの国が、アメリカと微妙な距離を置くようになります。これは、アメリカの不利益になると思います。次の大統領がその傷を修復しようとしても、時間がかかりますし、成功しない場合もあります。価値観を共有できない国が増えるということは、自分の利益を守ることに注力することになります。それは、ごく自然な流れとなり、世界各地に紛争が起きる土壌を生み出します。
欧州にも変化の胎動があります。今年、激変が起きないとしても、数年で大きな変化が起きる可能性があります。世界各地で、変化が起きる時代に突入したと考えれば、トランプ政権はその先頭を走っているのではないでしょうか。


2017-04-02



時代・国内編 [評論]



先月、安倍政権終焉の予感を書きましたが、その中で、終焉の引き金は森友学園疑惑ではないと書きました。今でも、そう思っています。引き金になるのは、為替問題と日米FTA交渉になると思います。
ただ、本震の前に起きる地震の一つになる可能性が出てきました。自民党も安倍総理も、ここまでこじれるとは思っていなかったでしょう。こじれた原因は総理夫人の関与と悪い相手にぶつかったという不運が重なった結果だと思います。安倍総理にも総理夫人にも、人を見る目がなかったことになります。天皇国という夢を追っている仲間だと信じていたものと思いますが、どんな人でも、土壇場になれば、自分の利益が優先するという現実を忘れていたものと思います。あの学園理事長は、天皇国という被り物を被って金儲けをしようとしたのでしょう。もしも、高邁な理想のためであれば、全てを飲みこんで余計なことを言わず、一時的に悪者になるくらいの覚悟は持っていたでしょうが、借金や刑事訴追のことを考えてしまい、やけくそになったようです。いろいろな発言をしていますが、あれは表で発言する内容ではなく、裏取引の材料でしかありません。「すべては、私の責任です」と言って、負債の埋め合わせや刑事訴追の芽を摘むための材料にしなければならなかったと思います。そんな相手に肩入れをしてしまった総理夫人の失敗だったと思います。
理事長は数年前に「日本会議」を退会しているそうですが、小学校設立のために危ない橋を渡らなければならないことを知っていて、「日本会議」に類が及ぶことを避けようとしたものと思います。魑魅魍魎としては、そのくらいの配慮は必要です。しかし、20憶の負債と刑事訴追に動転してしまって、自分の立場を忘れてしまいました。ここまでこじれてしまえば、「日本会議」も手が出せません。いや、「日本会議」から、その通告を受けたために、安倍総理の寄付金問題が出てきたのかもしれません。悪循環は悪循環を呼ぶものです。
そもそも、「天皇国」を夢見ている右翼集団の「日本会議」から退会したのであれば、あのような小学校を建設しようとする整合性がありません。理事長が経営する幼稚園で、右翼思想を教え、教育勅語を叫ばせる必要もありません。いかにも、今回の計画は杜撰だったとしか思えません。魑魅魍魎の計画としては、ひどい内容でしたから、あの理事長は魑魅魍魎新参者だったのでしょう。本物の魑魅魍魎は、こんな計画を立てません。
安倍総理も自民党議員の大半も「日本会議」のメンバーですから、総理夫人も夫の思想に感化されていたようですから、政治的関与も官僚の忖度もあったと思われます。ただ、他の利権事案と違うのは、金銭の授受がなかったということです。個人の思想のために政治権力を使うことが許されるとは思いませんが、法律上では、金銭の授受しか罰則の対象になりません。思想信条の自由が保障されているのですから、司法には「日本会議」を裁くことは出来ないのです。金銭の授受がなかったから、安倍総理も強気でした。「不正があったのであれば、総理大臣を辞めます」と啖呵を切ったのは、金を貰っていないからです。政治家が「法的瑕疵はない」と言う時は、道義的な瑕疵があることが常識です。でも、思想は裁けません。
政治では太刀打ちできない野党が、ゴシップに飛びついて騒いでいるような頼りなさがあります。野党は、人気者の安倍政権に、少しでも傷をつけられたら嬉しいな、程度の覚悟しか持っていないように見え、手柄を立てることが目的のようです。もっとも、国会議事堂はいつも茶番劇を出し物にしている芝居小屋ですから、国会がワイドショーのスタジオになってしまっても仕方ありません。
野党もメディアも、問題として取り上げなければならないのは、「日本会議」の極右思想であり、「日本会議」という組織の肥大化です。確かに、思想信条は自由です。しかし、極右思想が幼稚園や小学校まで浸透してきていることは、問題です。ただ、極右を責めれば、極左も責められることになりますので、共産党は痛し痒しになり、力が出せません。民進党には、何の力もありませんので、「日本会議」の勢力がここまで増殖したのです。でも、この状況は、多くの国民にとって喜ばしい状況ではありません。自民党の国会議員の大半が、右翼集団だと言われる「日本会議」の会員だと国民が知れば、そして、あの幼稚園の運動会の映像を見て、「日本会議」と自民党の結び付きを知れば、なんとなく自民党を支持していた国民は驚くことになります。それは無党派層が増えると言うことです。今でも、無党派層が最大の勢力なのです。国民の多くは、政党を信じていません。それなのに、政党が国を動かしているのです。これって、国民のための国家運営だと言えるのでしょうか。
幼稚園児が運動会で「安保法案を成立させた安倍総理、頑張れ」という宣誓をさせられていることに、もっと、メディアはキャンペーンを張るべきです。あれでは、中国や北朝鮮の幼稚園なのかと思ってしまいます。「将軍様、万歳」をやり始めてしまえば、また「天皇陛下、万歳」の世界がやって来ます。「日本会議」の皆さんの目的は「天皇陛下、万歳」なのですから、仕方ありませんが、国民はそれでいいのでしょうか。ただ、放っておくと流されてしまうのが日本民族の特質ですから、その都度、キャンペーンは必要です。
幼稚園児や小学生に教育勅語を叫ばせることが、必要なのでしょうか。
なぜ、時計を逆回ししようとするのでしょう。
「お上」がやることは、その目的を見る必要があります。
教育勅語が出来た時の明治政府は、富国強兵のシステム構築を迫られていて、苦肉の策ではありましたが、天皇制というシステムを作り、その天皇制を定着されなければなりませんでした。ですから、一般的に理想とされる言葉をちりばめ、結論として天皇を崇拝し、天皇のために命を差し出しましょう、という目的で教育勅語を作りました。もちろん、数々の理想と天皇崇拝という目的の間に関連性は必要ありません。これは、「お上」がいつも利用する手法です。
でも、今は明治ではありません。
「日本会議」は、神社の業界団体が母体ですから、自分達の利益を最大限にするためには天皇制が都合いいのです。でも、今の日本に天皇制は合いません。それは、社会が変わってしまったからです。かつて、武士は藩と主君を守らなければ、自分の生活が維持できませんでした。百姓は、先祖伝来の田畑を守らなければ生活できませんでした。商人は、のれんを守ることが求められました。つまり、既存の価値を守ることが、自分の生活を守ることだったのです。今は、会社を守る意識は多少ありますが、社長を守るという意識は希薄です。社長の代わりはいくらでもいます。農業は衰退産業になり、農業を続けているのは年寄りばかりになり、放棄される土地さえ生まれています。商店は、特に地方の商店はシャッター商店街になってしまいました。既存の価値にしがみ付いていても生活は保障されない時代なのです。封建制度の土台の上に天皇制を作ることは、既存の価値観を守ることになり、それなりの価値がありましたが、民主制度の土台の上に天皇制を乗せてみても違和感しかありません。守るべき価値観が変わってしまったのです。
ところが、子供達に教育勅語を暗唱させることが教育だと思っている人達がいる。その意識レベルの低さは目を覆うばかりです。
天皇崇拝の時代に戻れば、万事うまく行くと考えるのは、時代錯誤にすぎません。
もちろん、愛国教育が必要だという主張には同意します。それは、どこの国でも愛国教育をやっているのですから、日本だけが、戦争につながるという理由で愛国教育を否定していたのでは生き残れません。どう足掻いても戦争は起きるのです。それが、世界の常識です。しかし、愛国教育が天皇制に結びついてしまうという、その思考が理解不能です。
愛国教育は必要ですが、それは「教育勅語」や「天皇陛下、万歳」ではありません。
「国とは、国民とは、民主主義とは」の議論ができる若者を育てることだと思います。
なぜ、国を愛する必要があるのかは、その議論の中から生まれてきます。
私達の世代だけではなく、全世代の日本人が、そのような教育環境を持てませんでした。ですから、誰も根っ子の議論が抜けていることに気付きません。今から、その議論を始めたとしても、国民のコンセンサスが得られるには100年かかります。私達は70年も無駄にしましたが、それでも、今からでも、やるべきだと思います。
明治維新でやってしまったボタンの掛け違いを、そろそろ、修正する時だと思いますが、そのような議論にはなりません。時代の曲がり角に立っている時に、明治維新に戻りたいという議論になってしまうのは、とても、残念です。
時代が動こうとしています。それは、「日本会議」の力がここまで影響力を持ってきたことに表れています。私達は、また、間違った方向へと歩み始めているのです。民主主義風王政並立封建制度という曖昧な統治システムは、そろそろ卒業しなくてはなりません。
でも、左翼の皆さんに任せておいてはいけません。なぜなら、彼等は右翼の皆さんのコインの裏側にすぎないからです。どちらの陣営の皆さんも、国民のことを考えているのではなく、自分達の利益のためにやっているのです。日本にだって、哲学者や思想家や歴史家はいるはずです。どうして、問題提起しないのでしょう。
日本人は、根っ子を外した議論が好きです。それは、多くの人が「なあなあ」「まあまあ」があった方が楽だと感じているからです。でも、もう、そんなことが許される時代ではありません。日本特有の曖昧文化では、世界に通用しない時代になっているのです。もちろん、多くの国民が曖昧文化に殉じ、地獄をも厭わない覚悟を持っているのであれば、それも立派な生き様です。でも、そんな覚悟、庶民は持っていません。

森友学園疑惑がヒートアップしている時に、突如、ほんとに、突如、南スーダンに派遣している自衛隊のPKO部隊の撤収が決まりました。安倍総理も菅官房長官も、成果を上げたから撤収を決めたのであり、PKO派遣の要件が成り立たなくなったからではないと説明しています。南スーダンの状況が緊迫していることは周知の事実ですが、日本政府は認めません。いや、国内的に認めていないだけで、国連に対する説明では「五原則」の崩壊が原因だと説明しているはずです。他に説明のしようがありません。国連の担当官は、日本の後を引き継いでくれる部隊を捜すと言っているのですから、日本の部隊が不要になったわけではないのです。
PKO撤退は、森友学園疑惑を薄めるための発表だと言う方がいました。
私も、そう思いました。
政府は、一石二鳥の名案だと思ったのでしょう。
唐突という言葉がぴったりであり、これまでの主張との整合性がありません。撤退するのであれば、いや、撤退は正しい判断ですが、もう少し前振りがあるものです。ずるずると、「なし崩し」という手法は、そろそろやめるべきだと思います。憲法を改正し、戦争を是認し、堂々と部隊を派遣してこそ、国際貢献です。そのためには、先ず、国民が自衛隊員の戦死を受け入れなければなりません。
どう見ても、野党に餌を投げたとしか思えません。「森友学園よりも、南スーダンのほうが大問題だよね」という餌に野党が食いついてくれれば、しめたものです。
理事長発言に振り回されて、右往左往している野党議員の姿は、大変格好悪いと思います。理事長は、20億円の負債を自分で抱え込むのを何とかしたいと思って、悪あがきをしているだけです。野党は、理事長の悪あがきに利用されていることに気付くべきです。
理事長は「しっぽ切り」だと憤慨していましたが、自分が「しっぽ」だと認めてしまうところも悲しいです。
利権に食いついている人達は、もっと上手くやっています。ばれてしまったのでは洒落になりません。魑魅魍魎にも才能が必要だということです。また、魑魅魍魎の世界にも仁義は存在します。あることないことベラベラ喋る魑魅魍魎は、その世界では最悪の存在で、生き延びることはできません。
これは、いつもの、茶番劇です。
与党の皆さんも、野党の皆さんも、こんな茶番をやっていて、国民に申し訳ないと思わないのでしょうか。いや、いや、そんな感覚はないから、やっているわけで、これでは国民が救われません。
メディアでも、ネットでも、国会でも、森友学園疑惑の本質は、国有地の値引きだと言っていますが、ほんとに、そうなのでしょうか。私は、時代の曲がり角で起きる「きしみ」の一つだと思います。この「きしみ」を乗り越えることができるのは、国民だけのように思えるのです。もっとも、このことは、歴史として検証できるだけの時間が経過しないとわかりません。それでも、今、議論しなくてはならないのは、国民の意識についてというテーマであるように思います。
しかし、そんな議論はどこにも見当たりません。国民が自分達の意識を上げることでしか、問題は解決しない時代を迎えていることに気付くべきだと思います。森友学園疑惑は、数ある疑惑の一例にすぎません。もぐら叩きをしていたのでは切がありません。


2017-04-01



ギリシャの近況 [評論]



今日は、ギリシャの近況に関するロイターの記事を、全文、転載します。
ロイターさん、ごめんなさい。無断転載です。
このブログに取り上げる題材としてですが、ギリシャとは長い付き合いになりました。

こんなことを書くと、ギリシャの方から怒られそうですが、私は、「ギリシャはとても恵まれている」と思っています。それは、EUとIMFからの資金援助が続いているからです。IMFは逃げたがっていますが、逃げ切れるかどうか、まだわかりません。ドイツは、ギリシャを切り捨ててもいいと思っていますが、EUの未来が流動的な状態ですから結論を出せずにいます。ですから、当面は、資金援助することになると思います。
ギリシャ国民は、苦しい環境の中に閉じ込められています。でも、苦しさにも等級があることを、彼等は知りません。ここで「恵まれている」というのは、もっと苦しい環境から見れば、「恵まれている」という意味です。それは、資金援助がある時とない時を比較すれば見えてきます。
EUとIMFからの資金援助がなかったら、ギリシャ国民はどうなっていたのでしょう。財政が破綻するということは、お金が無くなるということです。公務員給与を支払うお金がありません。公務員といえば、官公庁で働く人達だけではなく、軍人も警官も消防官も教師もいます。公務員が無給で働いてくれればいいのですが、あまり、期待はできません。お金が無ければ、年金等の社会保障費も支払えません。医療費も補助できません。政府発注の仕事はなくなります。国宝や文化財を守ることもできません。そんな状態になれば、無法地帯になってしまいますので、最低限の国家機能は守らねばなりません。戒厳令を出し、国民の財産を没収し、統制経済体制を作らねばなりませんが、長期間は続けられません。短期間で、国を豊かにする方策が必要になります。7年かけて、豊かになれなかった国が、数年で経済の立て直しができるとは思えません。最終的には、内戦になると思います。
確かに、今、ギリシャ国民は劣悪な環境下にありますが、まだ、最悪の環境ではないのです。
世界も混乱期を迎えますが、欧州も混乱期に入ります。このまま、資金援助が続くと思うのは、考えが甘いと思います。EUの再編や解体も視野に入れなくてはなりません。大変動が起きれば、誰も、ギリシャのことに配慮する余裕はなくなります。
全責任は、ギリシャの国民一人一人が負うしかないのです。

参考までに、日本が財政破綻したら、どうなるのでしょう。
日本は、EUに属していませんので、EUからの支援はありません。
IMFの資金力では、日本の支援はできません。
日本の場合、資金援助は期待できないのです。
ですから、ある日、突然、奈落へと転落することになります。
この下に書かれているギリシャの状況は、日本に比べれば、恵まれた状況だということに、是非、気付いてほしいと思います。
そういう目線で見ていただければ、日本の未来も想像しやすいのではないでしょうか。
国民が、財政破綻の結果を想像しない限り、間違いなく地獄はやってきます。
ギリシャは、まだ、地獄ではありません。未来の日本から見れば、ギリシャは天国に見えるはずです。
ほとんどの方が「なあに、財政が破綻したって、IMFが何とかしてくれるさ」と思っています。でも、それは、大きな勘違いです。10年後でも、数千兆円の資金がなければ日本の支援はできません。残念ですが、そんな資金、IMFにはありません。



[アテネ 20日 ロイター] - 年金生活者のディミトラさんは、食料配給に頼る生活にまで落ちぶれるとは想像もしていなかった。今月は、コメ、パスタ2袋、ひよこ豆1パック、デーツ(ナツメヤシ)と牛乳1缶を受け取った。
かつては赤十字の給食施設で生活困窮者の支援に当たっていた73歳のディミトラさんは、ギリシャで増加している生活困窮者の1人だ。数十億ユーロを投じたギリシャ救済から7年、貧困の状況はまったく改善されていないどころか、欧州連合(EU)のどの国よりも悪化している。
「こんなことになるとは思いもよらなかった」と語る彼女は、姓を名乗らなかった。ギリシャでは今も、食料の施しを受けることは不名誉であるという意識があるからだ。「質素な暮らしをしていた。休暇を取ったこともない。何もしたことがない、何ひとつ」
現在、1カ月の収入332ユーロ(約4万円)のうち半分以上はアテネのちっぽけなアパートの家賃に消える。残りは諸々の請求書への支払いだ。
グローバル金融危機とその副次的な影響により、ユーロ圏の4カ国は国際融資団に頼らざるをえなくなった。アイルランド、ポルトガル、キプロスはいずれも救済を受けたが、救済が終わった後、これら諸国の経済は成長を再開した。だが2010年にいち早く救済を受けたギリシャは、その後も3次にわたる救済を必要とした。
EUと国際通貨基金(IMF)が供給した救済資金により、ギリシャは破綻を免れたが、国際債権団が課した条件である財政緊縮や改革政策の影響もあって、景気後退は本格的な不況へと転じてしまった。
世論調査での支持が低迷する左派主導政権を率いるギリシャのチプラス首相は、追加支援に反対している債権団との長期交渉の最新段階において、ギリシャ国民の苦境を大義名分にしようと試みた。
「欧州の名の下に略奪を受けた国家に対して、そしてこれほど多くの犠牲を払い、今も払い続けている国民に対して、私たちは皆、注意を払わなければならない」とチプラス首相は今月語った。
巨額の救済資金の多くは、過去の債務の返済に充てるための新規債務という形になっている。だが、生活水準の崩壊の責任は誰にあるかはさておき、EU統計局からの貧困状況を示す数値には驚かされる。
ギリシャはEU内の最貧国ではない。貧困率はブルガリアとルーマニアの方が高い。ギリシャは、この2国からさほど差のない第3位にある。EU統計局のデータによれば2015年、ギリシャ全人口の22.2%が「物質的に深刻に困窮」している。
また、世界金融危機が発生した2008年以降、旧共産圏のバルカン諸国において貧困率の数値が低下している(ルーマニアの場合は約3分の1低下した)のに対して、ギリシャの貧困率はほぼ2倍に上昇した。この時期、EU全体の水準は8.5%から8.1%に低下している。
<「ニーズは非常に大きい」>
こうした統計が示す状況は、ディミトラさんが毎月の配給を受けるアテネが運営するフードバンク(無料給食施設)のような場所に色濃く反映されている。
ここでは、何十人ものギリシャ国民が、配給を受けるためのチケットを握りしめて粛然と待っている。皆、月約370ユーロという貧困ライン以下の生活にあると登録された人々だ。
フードバンクの責任者である市職員エレニ・カツーリ氏は「ニーズは非常に大きい」と言う。
アテネ中央部をカバーするこのフードバンクの数字を見ると、EU統計局による広範囲のデータと同じ傾向がローカルレベルでも確認できる。
カツーリ氏によれば、このフードバンクの登録者は約1万1000世帯(約2万6000人)で、2012年のわずか2500世帯、2014年の6000世帯から大幅に増加している。約5000人は子どもだ。
ここにある倉庫の棚や冷蔵庫の多くは空だ。フードバンクによる配給の内容は支援企業からの寄付次第だが、これらの企業もやはり経営に苦しんでいる場合が多い。
「これらの人々のニーズに今後も応えられるかどうか分からないので、心配している」とカツーリ氏は言う。「幼い子どもがいる家庭もあるが、日によっては、彼らのためのミルクさえ入手できない」
<「ただ生きているだけ」>
経済開発協力機構(OECD)などの国際機関は、ギリシャ政府に対し、貧困や格差対策を優先するよう促している。
失業率はピーク時の28%から23%へとわずかに低下したが、依然としてEU内で最悪の水準に留まっている。危機が始まって以来、ギリシャ経済は4分の3の規模に縮小し、何千社もの企業が倒産した。
今年は経済が上向くのではないかという期待が強いものの、先週発表されたデータでは、2四半期連続で成長が続いたあと、10─12月期には再び後退に転じた。
生活水準の改善となると、これまで以上に遠い夢だ。
経営者団体のGSEVEE及び世論調査会社マルクの調査結果によれば、昨年は75%以上の世帯で所得が大幅に減少した。少なくとも1人の失業者を抱える世帯は全体の3分の1、食費を削らざるを得なかったと回答した世帯は40%に及んだ。
グリーク・オンブズマンによれば、水道・光熱費の支払いに苦しむ人の数が増えているという。アテネ近隣の質素な一角では、ギリシャ正教会が運営する給食施設が1日400食を提供している。
「誰もが苦しんでいる。すべてのギリシャ人が」。ここでボランティアとして働く61歳の元教師Eva Agkisalakiさんはそう漏らす。
彼女には年金受給資格がない。救済プログラムに基づいて定年退職年齢が67歳に引き上げられたときに契約が切れており、次の仕事を見つけられなかったからだという。やはり国際債権団が要求する改革に基づいて、夫の年金は980ユーロから600ユーロに削減されたが、その一部は息子や娘の家庭への仕送りに回している。
ボランティアの見返りとして、彼女は給食施設からの配給を受け取り、それを失業中の娘や息子と分け合っている。
「私たちは何もしていない」。豆のスープ、パン、卵、ピザ1切れ、リンゴという次回の給食に向けて木製の長いテーブルの用意を整えながら、彼女は語った。「ただ生きているというだけ。ほとんどのギリシャ人は、ただ生きているだけだ」
この給食施設の監督者であり、自らの企業から肉類を供給しているEvangelia Konsta氏によれば、この施設で食事を摂る人の数は2年間で2倍以上に増えた。利用者の電気料金や水道料金を教会が肩代わりすることも多いという。
「状況は悪くなっている。改善は見られないし、それが人々のニーズに反映されている」と同氏は語る。「1ユーロさえも持っていない人もいる」



この近況報告を読む限り、ギリシャ国民の未来は「お先、真っ暗」です。
ギリシャ国民は、この状況を悲劇だと思っているでしょう。
でも、その悲劇を選んだのはギリシャ国民であることに、国民が気付いていません。
それは、ギリシャのリーダーがチプラス首相のままだということが証明しています。
国民は、自分達の選択が間違っていたことに気付くべきです。
チプラス首相は、未だに「自分達は、犠牲者だ」と言っています。
7年前から、一歩も前に進んでいません。
確かに、ユーロはドイツの利益のための仕組みですから、間違いではありません。
でも、EUに加盟したのも、ユーロ圏に加盟したのもギリシャ自身です。
ですから、結果は結果として受け入れるしかありません。
他者に責任を押し付けても、経済は再生しません。
自分の手で、愚直に、経済再生するしか道はないのです。
資金援助が続いている間に、経済再生に向かって欲しいと思います。
多分、チプラス首相の頭の中には「ロシアの支援」があると思います。
リーダーが、どこまでも、他人の褌で相撲を取る根性では、国の再建は難しく、経済の再生がなければ、国民は救われません。
チプラス首相もギリシャ国民も、今でも、7年前と同じように、まだ、可能な限り、現状維持をしたいと願っているのかもしれません。でも、今の悲惨な状況は、維持するような現状なのでしょうか。私には「じり貧」にしか見えません。現状維持をしたいという7年前の意識が続いていて、現状維持こそが、自分を守り、国民を守ることだと思い込んでいるだけなのではないでしょうか。
現状維持に固執すると、現状は悪化するという実例に見えます。チプラスさんは、うまく立ち回って、少しでも得をしようという助平根性に、まだ支配されているように見えます。でも、もう、時間切れです。なぜ、アイルランドやポルトガルやキプロスとギリシャは違うのか。客観的に、自分の国の現状を直視すれば、自分達の選択が間違っていることに気付くはずです。国民が、そのことに気付かなければ、出口はありません。
ギリシャの政治家の仕事は、現状を否定し、新しいギリシャを設計し、そこに、国民の知恵を集結し、未来へ向けて歩き始めることです。自分の足で立ち、自分の手で再生をしなければ、何も得ることはできないのです。これは、国家でも、個人でも同じことです。国民の多くが、それを望めば、そのようなリーダーが現れます。7年もの時間を無駄にしましたが、簡単なことではありませんが、今からでも、やるべきです。
ギリシャは、日本と比べれば、大変、恵まれているのですから、自力再生のチャンスがあるのですから、新しい概念を築く時です。
もちろん、このことは、ギリシャだけに限ったことではありません。
今の日本にも求められていることです。
いや、どこの国でも、いつの時代でも、国民が望まなくては何も始まりません。


2017-03-03



終焉の始まり [評論]



今日は、思い切り妄想を膨らませてみました。
「お前の場合は、いつも、だろう」
「その通りです。申し訳ありません」
しかも、アンハッピーな妄想しか書きません。
重ねて、ご容赦ください。

盤石だと言われていた安倍政権の終焉が見えてきたように感じています。
国有地払い下げの問題を指しているのではありません。あの程度の問題は逃げ切れると思っています。
大問題は、トランプです。
まだ、何一つ現実になっていませんので、これは、私の妄想ということで、ご勘弁ください。
結果的に、プーチンに騙されただけではなく、トランプに利用されただけの日本の総理大臣が、そのまま総理大臣の椅子に座っていることは、難しくなると思われます。
きっと、あのフロリダのゴルフ場の記憶は、安倍さんの中では悪夢になるでしょう。
問題は、自動車の輸出や輸入という貿易問題ではありません。もちろん、貿易問題は民間企業にとっては大問題ですが、国のダメージは企業ほどではありません。
一番怖いのは、為替問題です。
日本が、円安方向へと為替操作をしていると断定され、日銀による国債購入が出来なくなることが、日本を破滅へと追いやります。日本は、デフレ脱却のための金融政策だと言い張ると思いますが、日銀の金融政策が円安の原因になっているのは紛れもない現実ですから、アメリカは、そんな言い訳には納得しないと思います。これは、政治判断でしか、決着がつきません。つまり、トランプの腹一つで、どうにでもなることなのです。そのことがあるから、安倍さんは、沢山のお土産を持って行ったのですが、役に立つのかどうか、わかりません。
日本の総理大臣は消耗品なのですから、安倍政権が終わることが問題なのではありません。長期金利が上昇することが問題なのです。いや、そもそも、アベノミクスが間違いだったのですから、トランプのせいにしては、トランプが気の毒です。経済の不安定は、必ず政権を揺るがします。国家運営の要は、いつの時代でも、経済なのです。
自分は外交が得意だと思っていた安倍さんが、外交の失敗で失脚するというのも、皮肉なことです。安倍さんは「人たらし」という才能を持っていると言われています。一対一で話をすれば、誰もが好感を持ってくれる、と言われています。しかし、相手が一枚も二枚も上の場合は、その神通力は負の方向へ作用するようです。多分、そのことには、本人も気付いていなかったのでしょう。プーチンとお友達になったと信じ込んでいるのですから、「お坊ちゃま」の域を出ていません。プーチンですよ。プーチンの一生を小説にすれば、感動的な長編小説になると思います。でも、安倍さんは小説にはなりません。それは、その人の人生の濃度の問題だと思います。きっと、プーチンは墓場まで持っていくものを沢山抱えています。もちろん、他人に褒められるような代物ではないでしょう。しかし、それらの体験が人間の価値判断に影響するとすれば、体験をしていない人には、相手の価値基準がわかりません。また、トランプは見た目だけでも悪ガキに見えます。訴訟も一杯抱えています。公言できないことも一杯あるでしょう。純粋培養された安倍さんには、彼等の本質は見えません。
安倍政権は、日露首脳会談も日米首脳会談も大成功だと自画自賛しています。ただ、会談の結果が出るのは、これからです。
まだ、ほんの少数ですが「なんか、変だな」と感じている人が出始めています。具体的な事案が表面化してくれば、「なんか、変だな」と思う人が増えていきます。そして、最後には「こりゃあ、もう、駄目だ」になるものなのです。そんな時に力を発揮するのが自民党の国会議員です。彼等にとって、大臣ポストは流動的でなければなりません。ずっと、同じ陣容が続けば、夢に見た大臣の椅子が遠のくばかりです。不満のマグマは溜まっていますので、足を引っ張る力にも勢いがつき、いつもの、内部抗争が起きます。
問題は、安倍さんの後継者です。
後継者が見当たりません。
そういう意味では、安倍さんは、歴代総理の中では良い総理だったのかもしれません。ただ、アベノミクスで、日本に引導を渡した罪は、取り返しがつきません。この罪さえなければ、彼は日本の総理大臣の四天王の一人になっていたかもしれません。しかし、実際には破滅へのレールを引いた首謀者ですから、最悪の総理大臣の称号を手にしました。
大統領制と違って、日本の首相は議員が選びますので、民意は反映されません。国民の中には、議員は国民に選挙で選ばれたのだから、民意になるという方がいます。ほんとに、未だに性善説を信じている日本人はお目出度い人種だと思います。議員は、有権者のことなど考えていません。有権者のことを考えるのは選挙の時だけで十分なのです。彼等は、自分の利益のために、どう振舞えばいいか、だれに投票すれば金になるかを考えているだけです。民意など考えていたら、政治の世界で生き残ることなどできません。これが、現実です。
自民党内の力関係だけで総理大臣が決まります。大海に浮かぶ盥の中にある小さなコップの中で決まることなので、大海に対応する力も、盥の中の問題にも初挑戦する人が総理大臣になるのです。とても、荷が重いと思います。いや、重すぎます。ただ、これは、国会議員の質が悪いとか、自民党議員の質が悪いという問題ではありません。私達日本人の実力が、この程度だということです。
どっちみち、私達はドツボに嵌ります。
そんな時に、密室で選ばれたリーダーが先頭に立つのではなく、自分達の選んだリーダーが先頭にいたほうが、諦めがつくと思うのです。ポピュリズムを非難する声が大きいことは承知しています。でも、それは、時と場合によるのではないかと思います。少なくとも、過半数の国民が、自業自得だと納得できたほうが、いいのではないでしょうか。ポピュリズムの利点は、諦める根拠が生まれるところにあるのです。
しかし、このままでは、多くの国民が、いや、ほとんどの国民が納得できないままに地獄に落とされます。この精神的な負担は、かなり、堪えると思います。



ついでに、もう一つ、妄想を書きます。
これは、もう、小説のプロット並みの妄想ですから、眉に唾をお願いします。

東アジアの微妙なバランスも、終焉を迎える予感がします。
韓国では、次の大統領選挙で右往左往しています。今の情勢が続けば、左派系の大統領が誕生します。それは、中国や北朝鮮寄りの政権が誕生するということです。当然、アメリカとの関係も、日本との関係も悪化します。オバマ大統領であれば忍耐をしてくれたかもしれませんが、トランプがどう動くかは未知数です。
私は、朝鮮半島には、いつも、同情をします。地政学上の偶然により、いつも、朝鮮半島は不安定な状態を強いられます。その歴史は、千年も続いているように見えます。
仮に、在韓米軍が韓国から撤退すれば、韓国は裸同然になります。北朝鮮が黙って見ているとは思えません。追いつめられている金正恩は、自分の権力を誇示するために、南下をするかもしれません。在韓米軍が撤退すれば、軍事的には、はるかに、北朝鮮のほうが上ですから、韓国には無血開城の選択肢しかありません。そうなれば、世界から韓国という国が消滅することになり、韓国経済は成り立たなくなり、金王朝に富を奪われた韓国国民はドツボに嵌ります。
冷静になれば、こんな予測も出来ますが、今、韓国国内では鬱積した国民の不満が、最強の力を持っています。財閥支配という自分達の身の回りの環境を変えてくれるのであれば、左派政権でもいいと思っています。もっとも、経済構造そのものを大きく変えなくてはなりませんので、誰が大統領になっても、簡単なことではありません。いや、ほぼ、不可能だと思われます。
よりによって、こんな時に、ということは起きるのです。
もちろん、彼等は、外部環境は現状の延長線上にあるだろうと思っています。米軍のプレゼンスは、長期間続いていたために、あって当たり前の日常になっていますので気になりませんが、THAAD配備による中国の制裁は最近のことですから負担に感じています。
ただ、外部環境は、韓国国民にとって重要なファクターではありません。
彼等は、自分の身の回りの環境に追いつめられていますので、在韓米軍という現実は忘れていると思います。韓国国民は、朝鮮半島が停戦中であることを知っていると思いますが、停戦になったのは60年以上前のことです。停戦後に生まれた人が退職年齢に達しているのですから、兵役があるとは言え、停戦という現実は言葉でしか知りません。慣れというものは、結構、強い力を持っています。
韓国は大統領制ですから、国民がリーダーを選びます。国民の不満という視点から見れば、左派政権になる可能性は大きいと思われます。ただ、この国は、国民が自分で選んだリーダーを、国民が自分で倒す(国民の不満は理解できますが、あのデモは八つ当たりとしか見えませんでした)国ですから、どんな政権でも安泰というわけではないでしょう。
南北の緊張が高まれば、韓国はうろたえて、アメリカに縋り付くことになります。韓国の右顧左眄はいつものことですから、平然と泣きつくと思いますが、トランプがどう対応するのか、そこはわかりません。トランプは、尻尾を振って擦り寄ってくる犬には、ハグをして優しくするようですから、援軍を送る可能性は否定できません。
もっと、妄想を膨らませると、アメリカ軍の様子を見極めてからになりますが、北朝鮮軍が南下した後を追うように、中国人民軍が朝鮮半島に侵攻してくるかもしれません。中国にとっては、北朝鮮と韓国の二か国を制圧することが、大きな国益になるからです。
もしも、仮に、東アジア情勢が、このように変化したとすると、アメリカのアジア地区最前線基地は日本になります。
日本は、国としての根幹が日米同盟なのですから、日本がアメリカの先兵として戦うことは避けられません。ただ、アメリカには、まだ、日本を捨てるという選択肢があります。名誉の撤退という名前でも、戦略の変更という名前でも、アメリカ国益という名前でも構いませんが、在日米軍を撤退させる選択肢をアメリカは持っています。日本には、アメリカの決定を覆す力はありません。出来ることといえば「ワン、ワン」と吠えることくらいのものです。

確かに、この妄想には無理があるかもしれません。しかし、今、世界は混沌の時代に突入してしまったのですから、絶対に起きない、という想定もできません。「何でもあり」という世界で、日本のリーダーがどのようなリーダーシップを発揮するのか、いや、そんな人物が存在しているのか、とても心配です。

もしかすると、日本の終焉の始まりなのかもしれないのです。
「不幸は群れたがる」という格言があるのかどうか知りませんが、妄想癖のある私の目には、そのような光景が見えてしまうのです。自分でも、時々、自分には精神疾患があるのではないかと疑うことがあります。そんな変人の妄想ですから、どうか、笑い話にしてしまってください。
ただ、私の予感は当たることが多いのです。そのことが少し気がかりです。



これは、番外編です。
眉の唾は、そのままにしておいてください。
トランプ政権の終焉の始まり ???
まだ、政権発足後100日も経っていないのに、妄想のし過ぎなんじゃないかと言われると思いますが、イスラム圏からの入国禁止令の決着がついていないのに、次から次へと、ちょっと、「ヤバい」です。
「トランプさん、どう収拾するつもりですか」と聞きたくなります。

ペンス副大統領がヨーロッパで、トランプのNATO懐疑論を否定しようとして躍起になっていますが、ヨーロッパの反応は冷めたものでしかなかったようです。ペンス発言に対する各国の公式の発表がどんなものだったのかニュースにもなりません。
一方、関係者の反応は、否定的です。
「安心できるような発言ではない。今後、我々がいかに連携していくのかに関し、まつたくビジョンを示さなかった」
「ペンス氏は、政権の中枢人物ではないようだ」
「ペンス氏の演説は、トランプという権力者に対して、ロボットのように敬意を表しているような演説で、聞くべき内容はなかった」
「いろんな人がやってきて、NATOの重要性を議論するのは結構なことだ。だが、翌日にどんなツイッターが出てくるのか、わかったものじゃない」
「ペンス氏が、全くEUに言及しなかったことには、驚いた。これは、EUに対する侮辱だ」
日本では、マティス国防長官の発言に、三拝九拝の礼をしていましたが、欧州では役に立たなかったようです。

側近だと言われていたフリン補佐官の辞任の背景にある、ウクライナ和平案なるものを、メディアがスクープしました。
その和平案を作ったのは、トランプの個人弁護士とトランプの個人的な友人と、ウクライナの議員が作ったものだそうです。この記事が表沙汰になって、ウクライナの議員は所属する弱小政党から除名処分にされたそうです。和平案では、ウクライナの国民投票で賛成が得られれば、クリミアをロシアに100年間貸与するという内容です。ところが、ロシアは、クリミアは既にロシアの領土なのだから、ウクライナから貸与してもらうようなものではないので、意味が分からない、と発表したそうです。
国際外交の戦略は、大勢のプロが作り上げるものだと思っていました。
3人の素人が作れるような戦略が、世界で通用するのでしょうか。
これが隠し玉だったとすると、政権そのものが大丈夫なのか、心配です。

アメリカの祝日であるプレジデンツデーに、全米で抗議活動が起きたというニュースがあります。本来は、大統領を称賛するための祝日だそうです。
メディアの討論番組でも、大統領に対する数々の抗議があったようです。
中でも、トランプがツイッターで「偽ニュースメディアはアメリカ国民の敵だ」と投稿したことが取り上げられ、メディアとの戦争は独裁政権の始まりだという非難が集中したそうです。ロシアのフェイクニュースで選挙戦を有利にしたと言われているトランプが、自らも数々のフェイクニュースを流しているトランプが、メディアを責めるのはいかがなものかと思いますが、日本のメディアを見ていると、メディアが国民の敵だという主張も頷けてしまうところが怖いです。アメリカのメディアは日本よりも堕落していないのかもしれませんが、そこはよくわかりません。
問題は、非難する人達の中に、実力者と呼ばれる共和党のジョン・マケイン上院議員が含まれていることです。これは、トランプと共和党が、まだ、関係修復出来ていないことを示しています。
仮に、民主党が大統領の弾劾法案を提出し、独裁政権を阻止するという名目で共和党の多くの議員が賛成に回れば、トランプは弾劾されてしまいます。もし、そんなことになれば、共和党のダメージは大きいと思います。いや、そうしないと、共和党のダメージはもっと大きくなると判断するかもしれません。
アメリカでは、トランプの辞任や弾劾を予測する人が出てきています。トランプ反対派の希望的観測にすぎないのかもしれませんが、実現の可能性はゼロではないと思います。
共和党、大丈夫なのかな。

次から次へと、自ら問題を提供し、積み上げているようで、とても、心配です。
これでは、不動産屋のおっちゃんが、突然、国際舞台で外交という仕事を始めたようで、とても危なっかしいと思います。
「トランプさん、ほんとに、大丈夫なの」

いや、それよりも、世界でただ一人、トランプのケツを舐めに行った日本が信用を失うことになる危険があります。このほうが、日本にとっては痛いです。安倍さんは、欧州に行くようですが、恥の上塗りにならぬように祈るばかりです。
NATO加盟国は、そう簡単に防衛費を増やすことはできないでしょう。どこの国でも、国家予算の編成には苦労しています。防衛費の増額は、他の歳出の削減になりますので、有権者には不評です。「カネ」が絡むと、問題が複雑になるのは、私達個人の生活だけではありません。トランプは「相応の負担をしろ」と言うだけですみますが、明日にもロシアが攻めてくるという状況でなければ、どこの国も、国民を納得させることができません。今のところ、その危険があるのはバルト3国だけです。
アメリカと欧州の離反を喜ぶのは、アメリカ国内を分断して喜ぶのは、メディアと戦争をして喜ぶのは、ロシアと中国です。トランプは、アメリカの国益を毀損しようとしているようにしか見えません。策としては、下策だと思います。中国や韓国のように反日運動を煽って、他国を叩くことのほうが理に適っています。トランプは、中国や韓国の真似をしたくないのでしょうか。でも、メキシコやカナダやオーストラリアやEUという友好国を敵に回すよりも、中国やロシアを敵に回すことのほうが理に適うと思うのですが、違うのでしょうか。
不動産業で大金を稼いだトランプ流商法が、国際政治の場でも有効な手法なのか、という実験になっているようで、ちょっと、危険な臭いがします。


2017-03-02



インフレ税 [評論]



米国の経済学者で、2011年にノーベル経済学賞を受賞したクリストファー・シムズ氏の物価水準の財政理論(FTPL:Fiscal Theory of the Price Level)が、東京の一角で有名になっているそうです。特に、千代田区で人気です。
その趣旨は「金融緩和と財政拡大を協調して実施することで、政府債務の一部が将来のインフレで相殺されるとの期待を人々に抱かせること」というものだそうです。ただし、このインフレ税の実施時には、他の増税はしてはいけないことになっています。
具体的には、バンバン、公共事業をやったり、ヘリコプターマネーをばら撒いたりして、インフレを起こし、将来はもっともっとインフレになりますから、早くお金を使わないと損をしますよと宣伝して、国民をその気にさせて、経済成長をしようというものです。
そして、消費税の増税ではなく、インフレ税で国民の富を国家に移転させ、辻褄を合わせようというものです。
国民のマインドに働きかけるという、この手の理論は、私には国家ぐるみの詐欺に見えてしまうのですが、そのような批判はありません。きっと、私が異常なのでしょう。
自民党の皆さんが泣いて喜ぶような経済理論です。
ただし、シムズ氏の提言には前提条件があります。
先ず、シムズ氏は日本の事情は知らないから、あくまでも、理論上の提言であると言っています。
次に、無計画に歳出を増やせと言っているのではない、としています。
更に、財政赤字を膨らませよ、と言っているわけではない、と言っています。
おまけに、ハイパーインフレにならないだろうと推測しているようです。
また、これはあくまでゼロ金利下限から抜け出せない状況に対する緊急的な措置だと言っています。
たとえ、条件があったとしても、日本の政治家は無視します。いや、理論だけを利用すると言ったほうが適切かもしれません。
彼の前提条件に、少しだけ反論をしてみましょう。
シムズ氏は、日本で成功するかどうか、はわからないと言っています。・・・・・私には大変無責任な提言に見えます。
計画ある歳出の増加が、どんなものなのか、定義をしていません。・・・・・計画があっても無計画であっても、歳出の増加は増加です。どこが違うのか、不明です。
財政赤字を増やすな、と言っています。・・・・・あり得ない前提条件に見えます。
ハイパーインフレにはならない、と思っているだけで保証はしていません。・・・・・ハイパーインフレの危険性は承知しているようですが、根拠を示すこともなく、ハイパーインフレにはならないだろうと思っているようですが、大丈夫なのでしょうか。
そして、あくまでも、緊急措置だとしています。・・・・・緊急措置が緊急措置で終わらないのが日本の歴史です。財政赤字も、当初は、緊急措置でした。それが、いつの間にか、当然の措置になっています。日本では、緊急措置という言葉は、言い訳の常套句なのです。
全ての前提条件に、問題があるということです。
政府目線であれば、正しいと思うのかもしれません。

FTPL理論の肝の部分は、インフレになるのだから、国民が貯蓄をやめて、消費をしてくれることを期待しているという部分です。
では、ほんとに、そんなことに、なるのでしょうか。
FTPL理論が国民目線の理論ではないことははっきりしています。
なぜなら、インフレで苦しむのは国民だからです。
国民は、ほんの少しだけでも、貯蓄をしなければ、とても、心配で、眠れません。
なぜなら、最終的には自己責任という言葉が待っていることを、国民は知っています。
何よりも、この理論の前提条件で、絶対に守れない条件が最初から存在しているのですから、日本の実情には合いません。
その条件とは、財政赤字は、増えているし、これからも増え続けるからです。
とても、成功するとは思えません。
2007年に、一度だけ、対前年比で財政赤字の増加率がマイナスになったことがありますが、1980年からの36年間は増え続けています。これまでの対前年比の増加率の平均は約7%です。ここ数年は円安の影響で歳入が増え、増加率は抑えられていますが、これは途中経過に過ぎません。
仮に、2%のインフレが成功したとしても、7%も増加する債務残高は減りません。
その上に、インフレで増加するのはGDPです。ですから、インフレが税収の増加に寄与する割合は、0.2%に過ぎません。
ここで、無茶を承知で、物価上昇が、全額、税収になると極論してみましょう。
2%のインフレは対GDP(約500兆円)の数字であり、債務残高の数字は、その倍以上もある1,200兆円です。計算上の債務残高を減らそうと思えば、14%のインフレで、債務残高の増加と並ぶことになり、14%以上のインフレが必要だということは、ハイパーインフレの入り口に到達してしまいます。更に、5%の債務残高の評価額を減少させようとすると、24%のインフレが必要です。
しかし、実際の税収増はGDPの10%なのですから、240%のインフレが必要になります。これは、もう、立派なハイパーインフレです。
ここで重要なことは、これ、全部、国民が負担することになるのです。
これでも、国民は、消費するのでしょうか。
「好景気が来たぞ。公共工事も無制限にやるぞ。ヘリコプターから1万円札もばら撒きますよ。どんどん消費してね」と言われて、「はい。そうですか。わかりました」と国民は言うのでしょうか。
もう一つ、シムズ氏の前提の中に埋もれている問題があります。それは、彼が日本の事情を知らないと言っている前提の中に埋もれています。それは、私達が既にリフレ理論で失敗体験を持っているということです。
アベノミクスが華々しく出発した時に、物価は上昇しました。目標の2%には届きませんでしたが、いい線行っていたのです。それが、なぜ、崩れたのか。円安で輸入物価が高騰したために、国民は、物価が上がれば自分達が苦しむことになるという現実を知ったからです。物価上昇以上に収入が増えるのであれば問題はなかったのですが、そうはなりませんでした。政府は経団連に圧力をかけて、賃上げを要求しましたが、大企業でさえ物価上昇を超える賃上げを実現できませんでした。ましてや、政府の圧力がかからない大企業や中小企業の社員や、全体の4割にまで成長した非正規社員は、物価上昇の波をもろに受けたのです。物価上昇の勢いは急速に衰え、マイナスに転じました。庶民が生活防衛をするのですから、当然の結果です。
アベノミクスの金融政策(リフレ理論)も、シムズ氏のFTPL理論も、消費者という名の国民のマインドに働きかけるものです。国民が、その気にならなければ、理論が成り立たないという弱点を持っています。リフレ理論もFTPL理論も、「景気は良くなるぞ。物価は上がるぞ。だから、今の内に消費する方がお得ですよ」という宣伝文句みたいなものです。もちろん、宣伝文句に騙されて消費をする人もいるでしょう。でも、大半の国民は、眉に唾をつけながら宣伝文句を聞いています。「先ずは、給料を上げてよ。余裕が出れば、買い物もするから」と国民は考えます。これが、普通の行動パターンです。
先月も書きましたが、90%もの主婦が「老後が心配」だと言っています。老後資金を貯めるという選択肢しかないのに、喜んで、消費するのでしょうか。
いいえ、国民は自分で自分の首を絞めたいとは思っていません。
これが、シムズ氏の知らない日本の実情です。
消費好きなアメリカ国民の中にいるシムズ氏の前提は、日本には当てはまりません。
国民の、将来に対する不安は、半端なものではありません。
この冷え切った国民の心に働きかけて、そのマインドを変えるのは容易なことではありません。要は、インフレ税という名の税金を支払ってください、と言っているのですから、いい人達ばかりの日本人でも「ふむ、ふむ」とは言ってくれないと思います。それは、リフレ理論で証明されたことでもあります。
とても、成功するとは思えません。
失敗すれば、財政赤字が膨れるだけです。
確かに、少数ですがFTPL理論を擁護する方はいます。でも、余りにも反対意見が多いために、「そうでもないよ」という擁護派になったような論調です。ですから、この方もすぐに実施するものではなく、選択肢として残しておくべきだと言っています。
もし、本気で、FTPL理論を擁護するのであれば、その理論で、国民のマインドが変わる可能性に言及してもらいものです。私も、日々、節約には心がけています。私の周囲の人達も同じです。どうしても、5円安いスーパーのほうへ足が向きます。そんな庶民にとって、FTPL理論が、どんどん消費する動機になるのでしょうか。「狼が来るぞー」ではなく「インフレが来るぞー」と叫ぶことで、国民は消費に走るのでしょうか。現実離れをしているとしか思えません。
私達に必要なのは、もっと、下世話な根拠です。
この方の擁護論を見ると、国債や長期金利という専門的な説明に終始しています。でも、国民は、国債も長期金利も自分達に関係があるとは思っていません。長期金利が、どう変動しようとも「俺には関係ねぇ」と思っているのですから、この方のように長期金利の説明をいくらしても国民のマインドは変わりません。
一方、FTPL理論に疑問を投げるエコノミストが多いことは、ご承知かと思いますが、中には危険視する方もいます。その方の推測では、石田の国家崩壊シナリオとは別のものですが、FTPL理論を採用すれば「日本財政の臨界点は2025年頃になるだろう」と書いています。8年後です。仮に、2025年を乗り越えられたとしても、2035年は乗り越えられないのではないかと主張しています。石田の国家崩壊予測は、2026年です。これは、専門知識のない石田が「えい、やー」で決めた予測ですが、同じような予測が出てきたのを見たのは初めてです。人間の「欲」という視点からしか見ていない石田のシナリオと、専門知識のあるエコノミストの見る臨界点とが、一致してしまうことは怖ろしいことです。ここまで具体的に指摘する専門家は少数ですが、今後は、じわじわと増えてくるものと思います。それでも、庶民の耳に聞こえてくるような大騒ぎになるのは、崩壊の1年前くらいでしょう。ただ、専門家の仕事は財政破綻までのシナリオです。財政破綻後の国民生活には関知しません。しかし、私達にとっては、財政破綻よりも、財政破綻後の国民生活のほうが重大です。そのことについて、誰も、何も、言いませんが、ほんとに、大丈夫なのでしょうか。
政府にとっては、貯蓄よりも消費のほうが有難いことです。それは、税収が増えるからです。実に単純な論理です。誰もが得をしたいと思っている。個人だけではなく、国も得をしたいと思っている。それが現実です。「消費イズベスト」のような風潮がありますが、それは、政府の宣伝に踊らされているにすぎません。なぜなら、消費をした結果、生活に困窮する国民が出たとしても、最終的には個人の自己責任で片が付きますので、政府は責任を取る必要がないのです。もちろん、政府に責任は取れませんが、政府は、責任を取るとも責任を取らないとも言いません。ここが曖昧文化の醍醐味です。

でも、政府は、やると思います。
こんなに美味しい理論を採用しないという選択肢はないと思います。
しかも、消費税増税の再々々延期を抹消する大義名分にも使えます。
いつものように、結論を導くシナリオを作り、そのための人選をし、都合の良い有識者会議を招集して、そのシナリオを消化すれば、何でもできます。
ノーベル賞受賞者の理論ですから、それだけでも有利な展開が期待できます。
いつも感心してしまいますが、今度も、優秀な官僚が国民を上手に騙す宣伝文句を考えてくれると思います。日本の官僚は実に有能です。
あえて、政府を擁護すれば、他に選択肢がないことも現実です。もちろん、現状維持という土俵から出る覚悟があれば、他にも選択肢はありますが、そんな勇気はないでしょう。
ドツボに嵌る時は、こういうものです。
何をやっても、悪い方向にしか進みません。
経済理論がそのまま現実になるのは、条件が揃った時だけです。
机上の計算なら、条件は文字にするだけで済みますが、現実は違います。
現実は、そんなに甘いものではありません。

アベノミクスの生みの親である「リフレ理論」提唱者の方が、金融政策ではインフレは起きない、と自分の間違いを認めてしまいました。当初から、多くの経済学者が否定していましたが、流石に限界だと思ったのでしょう。この方は、自分を守るためにシムズ理論を持ち出しています。金融緩和でインフレにならないのであれば、財政拡大が必要だと言い始めました。すでに、敗戦処理に入ったようです。FTPL理論を推奨しておけば、失敗した時のリフレ理論のダメージは半減できると考えたのでしょう。もちろん、リフレ理論だって、条件さえクリアできれば、経済理論として成り立つのでしょう。しかし、実体経済は生き物ですから、絵に描いたような好条件というものは、存在しません。過去にそういう事例があったとしても、同じ条件が整うことは稀なことです。政治に利用された結果が、凶と出ても仕方ありません。
その根っ子にあるのは、不純な動機です。日本経済の衰退を、原因に対応するのではなく、デフレという結果に対応したために失敗した例です。なぜ、そうなるのか。そうです、現状維持が最優先事項になっているからです。
FTPL理論でも、同じことが起きます。
デフレという結果を捻じ曲げるのではなく、デフレになった原因を取り除かねば、失敗するだけです。
日本が国家崩壊に行き着くシナリオは数多くあると思いますが、大きく分けると、長期金利によるものと、ハイパーインフレによるものと、戦争によるものの3つになるのではないかと思っています。もし、このFTPL理論が実行され、国民が悪乗りをしたとすると、ハイパーインフレによる国家崩壊のシナリオが優勢になると思います。念のために申し添えておきますが、国家崩壊の回避というシナリオは、もう存在していません。



ここからは蛇足です。
仮に、国を挙げて「インフレ大合唱」が起きたとしましょう。
心配になりますよね。
何とか、防衛したいと思いますよね。
でも、庶民に防衛手段はありません。
インフレになるということは、貨幣価値が落ちるということですから、金や不動産に資産を移せば良いと信じている人が多くいます。
でも、今は、その手法は役に立ちません。
増税にしても、インフレ税にしても、国民の富を国家に移転させることが目的です。
残念ながら、国民は、国家権力に勝つことはできません。いや、一つだけ国民が勝つ、革命という方法はありますが、私達日本人に革命はできません。
「インフレ大合唱」に負けて、金や不動産を買ったとしましょう。
国は、その結果を受けて、金や不動産に課税すればいいだけの話なのです。
国は、どんな手を使っても富の移転を実現しなければならないのですから、権力を持っている国家のほうが強いのです。権力というのは武力に限ったものではありません。法律を一本作れば、どんな税金でも徴収することが可能なのですから、法律も権力なのです。
何度も書いていますが、このドツボから逃れる方法は海外移住しかありません。
そもそも、リフレ理論やFTPL理論を採用しなければならないこと自体が、国の衰退を証明しているのです。この手の理論では、国の衰退に歯止めをかけることはできません。
選択肢は、革命しか残されていませんが、私達にはできませんので、このまま、じわじわと皆で地獄へ落ちる日を待つことです。これは、私達の運命(さだめ)なのです。

90%以上の国民が将来に不安を抱いています。その不安に対応するために、ある方が「皆で貧乏になる道を選べばいい」と主張して炎上した、という記事がありました。惜しい方だと思います。先は、漠然と見えているようですが、その先の先へ進むことが出来なかったようです。積極的に、貧乏への道を選択する必要はありません。放っておいても皆が貧乏になる時代がやって来るのです。かすかに、危険な未来は見えているようですが、想像力不足で、その危険はぼやけたままです。もう一歩、踏み込めば、誰にでも見えるはずなのに、その一歩が踏み出せません。また、この方は、日本の衰退は、日本人の前近代的な精神構造にあると言っているそうですが、正解に辿り着いています。この方の過去の思想には賛成できませんが、正しい方向を見ていると思います。ただ、漠然としか見えていないことが、炎上の原因なのではないかと思います。大変、惜しいと思います。
右の方であれ、左の方であれ、どちらも人間です。たとえ、思想が正反対であっても、直感は思想以前のものですから、同じ結論が得られるのです。ただ、自分の土俵でその直感を解釈しようとすると間違いが起きます。直感だけを信じ、平らな気持ちで突き進めば、誰でも同じ場所に辿り着けます。それから、右か左を決めればいいのです。
多くの国民が感じている不安という名の直感は、間違っていません。しかし、誰かが、多くの方がその直感を具体化し、対策を築くことが求められているのです。
たとえば、直感から国家崩壊を予測し、崩壊後の国民生活を想像し、食糧の増産しか対策がない現実を受け入れれば、多くの人命が救われることもあるのではないでしょうか。


2017-03-01



金、よこせ [評論]



アメリカで、いよいよ、新しい大統領が就任しました。
瓢箪から駒のような大統領ですが、れっきとした大統領です。
ロシアに裏仕事をさせたアメリカの大統領というのも、大変ユニークです。
これこそ、究極の国際分業です。
大統領就任演説と直後の大統領令を見る限り、トランプはトランプでした。
彼は、選挙公約を守るつもりのようです。
いや、守る「ふり」をしているのだ、と言う人もいます。
私もそうですが、多くの方が、普通の大統領に変身することを願っていました。
でも、そうではなさそうです。
日本政府も、大変焦っているように見えます。
日本にとっては、「平成の黒船」になる可能性が高くなりました。
就任式典の後、大統領としての最初の仕事は、TPPからの脱退、NAFTAの再交渉または脱退の表明でしたから、選挙公約を守りました。
脱退や再交渉の目的は、二国間交渉でアメリカファーストを勝ち取ることです。
「俺なら、勝ってみせる」と言っているのです。
アメリカに有利な条約、それは、締結する相手国にとっては不平等条約になります。
一対一で、徹底的に圧力をかけて、有利な条約を結ぶことがトランプの仕事です。
横暴でもゴリ押しでも、アメリカの利益になれば、何でもいいのです。彼にとって、利益を生まない結果は必要ではありません。いかにも、アメリカの経営者らしいやり方です。
江戸時代にペリーが、浦賀沖で江戸幕府を威嚇しながら、日米通商条約を結んだ過去が思い出されます。日本にとっては、見事な、不平等条約でした。

トランプは、国際関係の「ちゃぶ台返し」をやっているのです。既存のルールは、俺のルールではない。俺は俺のルールでやる、と言っているのです。習近平にそっくりです。
これまでは、国際慣習を守れ、というのがアメリカのスタンスでした。それをアメリカが自分から否定したのです。
アメリカファーストという言葉やアメリカ第一主義という言葉は、アメリカ人にとっては当たり前の言葉かもしれませんが、他国にとっては不当な言葉に過ぎません。
それなのに、アメリカ第一主義なのに、なぜ、アメリカの世論が圧倒的にトランプ政権を支持しないのでしょう。政権そのものの支持率も、大統領令に対する支持も、国民の賛成は50%を切っています。アメリカ人は、自分達の得になるのに、どうして、拍手をしないのでしょう。どうも、何かが変です。アメリカのテレビは、一日中トランプのニュースで溢れているそうです。テレビに対する拒否反応なのでしょうか。よくわかりません。
国際関係は、「自分さえよければ」の競争だと何度も書いてきましたので、それほど驚くことではありませんが、これほど「あからさま」にやっているのは、これまでは、習近平とプーチンだけでした。日本の西と東と北に暴君が誕生したのです。
世界のリーダー国がやってしまったのですから、国際条約や国際法まで不安定なものにしてしまいました。国際条約も国際法も紳士協定ですから、罰則はありません。国際的な仕返しが怖くなければ、破ってもいいのです。世界は弱肉強食なのですから仕方ありません。
中国やロシアは喜んでいると思います。これまでは、市民と暴力団の対立でしたが、これから先は、暴力団同士の抗争になります。根性の戦いです。
中国もロシアも、遠慮せずに戦えます。手段は問いません。勝てばいいのです。
最近のプーチンには「余裕」が感じられます。一説によれば、トランプの弱みを握ったためだと言われています。その弱みが何かは知りませんが、プーチンは、トランプのロシアでの変態パーティーの映像を持っていると言う人もいます。普通のおっさんであれば、変態くらいは誰も気にしませんが、大統領となると、そうはいきません。多くの女性がトランプに反感を持っているのは、女性特有の感で、何かを感じているのでしょうか。多分、悪意のある憶測なのでしょうが、どこかで頷いてしまうのは、トランプの不徳ということなのでしょう。どこに真実があるのかは不明ですが、トランプはロシアと仲良くしたいと言っていますので、何かあるのでしょう。
では、日本は、どうすればいいのでしょうか。
何といっても、日本にはポチという立ち位置があります。
困ったことになりました。
アメリカの貿易赤字のベスト3は、中国と日本とメキシコです。ただ、中国の比率は28%で、二位の日本が5%、3位のメキシコと4位のドイツも5%で、中国の比率が飛びぬけています。中国との貿易赤字を減らせば、効果が大きくなりますが、中国は、そう簡単には屈服しないでしょう。先ずは、攻めやすい日本とメキシコに照準を当てるものと思います。
日本攻撃の本番はこれからです。「もっと、アメリカ製品を買え」という二国間FTA交渉が始まると考えておく必要があります。農産物でもトランプが譲歩するとは思えません。
この文章を書いた翌日のニュースによると、アメリカが二国間FTAを早急に合意したいと言ってきたそうです。スピード感は素晴らしいと言わざるを得ませんが、ここで焦ってはいけません。日本政府には、できるだけ、先延ばしすることをお勧めします。私達はポチなのですから、どこかで飼い主の要望には従わねばなりません。でも、それは、今すぐではないと思います。大丈夫かな、心配だな。

さて、日本とメキシコは、それなりに料理できますが、問題は中国です。
中国は、日本のように尻尾は振らないでしょう。逆に、噛みつきます。
アメリカ第一主義は、世界に対する宣戦布告です。
その一番の標的が中国です。
ただ、世界中がトランプ流にブーイングしていますので、本命の中国にたどり着くまでに息切れしてしまう可能性があり、その場合には、アメリカの不戦敗という不様な結果になるかもしれません。中国は、ほくそ笑んで見ているでしょう。トランプに正義がないということは、アメリカに正義がないということです。この風は利用できます。
トランプは誰に対しても「キャンキャン」とよく吠えますので、私には彼が小心者に見えます。小心者がどこまで虚勢を張れるのか未知数ですが、どちらに転んでも、良い結果は期待できないのではないかと思います。
ただ、対中国戦で不戦敗になれば、もう大統領としては死に体になります。無理をしてでも、中国と対峙することになると思います。
そんなトランプでも、中国と武力による戦争がしたいわけではありません。経済的な利益が得られれば、言い訳ができます。ただし、国際間の交渉では、軍事力の背景が不可欠であることを知っていますし、オバマと違って戦争を否定しているようにはみえません。ですから、オバマが削減した軍事力の増強を宣言しています。世界の常識では、軍事力も商売道具です。日本は、口先の脅しで決着がつきますが、中国に対しては軍事力の脅しが必要になります。確かに、これが国際交渉の自然な姿なのですが、危険も孕んでいます。どちらかが譲歩しない限り、軍事的な脅しは、軍事力の使用に発展する危険があります。特に、金と名誉がかかっていると、簡単には引き下がれません。
一方、習近平には、アメリカの要求が脅しだとわかっていても、譲歩できない事情があります。それは、習近平が毛沢東を超える「神」になりたがっているからです。アメリカに尻尾を振ったのでは、人民の信認は得られません。中国人民も、かつての中国人民ではありません。中国共産党も中国人民も世界制覇を望んでいます。漢民族の誇りにかけて。
では、中国には、どんな対応策があるのでしょう。
最初は、言葉による脅しから始まりますが、中国には豊富な喧嘩材料があります。
中国がいつもやっていることですが、商取引のルールを変えて、手続きをしなければ商売ができない環境を作ります。そして、アメリカ資本の会社の申請を意図的に保留します。次は、アメリカ製品の通関手続きをサボタージュします。スパイ容疑で、アメリカ国籍の人間を逮捕拘束します。裁判で死刑にすることも可能です。次から次へと逮捕する可能性もあります。ボーイング社に発注している300機の旅客機をキャンセルします。アメリカ産の農産物の輸入も中止します。アメリカ国債を大量に売ります。ハッカー攻撃にも注力するでしょう。もちろん、世界にも「これは、暴力だ」と訴えます。我々は戦いたくないのに、アメリカが無茶を言うので仕方がないのだ、と訴えます。台湾には、勝手に華台州(仮名)の名前をつけます。台湾が従わない場合は、チベットやウイグルのように武力で従わせると宣告をします。中国の定義によれば、台湾問題は国内問題なのですから、世界には内政干渉をするなと言います。もしも、台湾が中国に完全に支配されたら、アメリカは武器を大量に買ってくれていた顧客を失うことになります。
一方、台湾併合を阻止するために、アメリカが軍事介入すれば、中国の主張が建前論でしかないとしても、アメリカも「一つの中国」を認めた過去がありますので、独立国の主権を侵害することになり、それは戦争状態を意味します。
アメリカの分析でも、米中戦争の発端は台湾海峡にあると言われています。
これらは、これまで中国が実際にやってきたことから水平思考したものばかりです。これ以外にも、新しい戦術があると考えておかねばなりません。戦術を生み出すという点では、中国人は優秀です。
経済戦争がどこまでエスカレートするのか、見当もつきません。
実際に、中国製品に関税がかけられるかどうかはわかりませんが、アメリカの武器は輸入制限くらいしか見当たりません。アメリカ在住の中国人を弾圧しても、中国政府にとっては痛くも痒くもありません。
この経済戦争でアメリカに勝算があるとは思えないのです。成果もなく、拳を降ろせば、それは「負け」を意味します。そんなことが、できるのでしょうか。
アメリカは武力の行使に踏み切らざるをえません。
たとえ武力による戦争になっても、中国は徹底抗戦をします。
たとえ、勝てないとしても、中国は負けません。
中国にとっては、ここが正念場です。
中国人民は、一丸となって戦うでしょう。
これでは、トランプが勝利を祝う日はやってきません。
トランプは世界を敵に回しているのですから、国際世論は動きません。ですから、アメリカは単独で戦争をしなくてはなりません。いや、例外的に、日本だけは巻き込まれることになります。何といっても、日本という国は、日米同盟が国の基軸なのですから仕方ありません。日本には、アメリカと心中する選択肢しかないのです。
アメリカには貿易摩擦で日本に勝利した体験はありますが、今回は同じような結果は得られません。今度の相手は最悪です。アメリカのポチを認めている日本と違い、中国は、アメリカに負けず劣らずの「ならずもの国家」です。いや「ならずもの」という点では、中国のほうが、一枚上かもしれません。
ただ、中国にも弱点はあります。中国経済は寄木作りで出来ていますので、ガラガラと崩壊する危険があるのです。住宅バブルの崩壊や不良債権問題で、中国国内は大規模暴動が起きる可能性があります。トランプが中国を攻めるタイミングを間違わなければ、総合力で勝るアメリカのゴリ押しが通じることもあります。
もしも、トランプが、やみくもに、攻めれば、厄介なことになると思います。激情タイプのトランプが、どこまで我慢できるのかが試されます。
この経済戦争がエスカレートすればするほど、両国は傷つきます。
アメリカファーストのために、アメリカが損失を出していたのでは洒落になりません。

さて、今年のG7サミットはイタリアで開催される予定ですが、トランプ大統領は出席するのでしょうか。一応、建前では、G7サミットは世界ファーストということになっています。トランプが、アメリカ第一主義を表明した時点で、G7は空中分解しています。
7か国が価値観を共有することは、もう不可能です。
しかも、それぞれの国が個別の課題を抱えています。
主催国のイタリアは尻に火がついている状態です。次にEU離脱をするのはイタリアではないかと言われています。フランスは、サミットの時は別の大統領になりますが、現在の大統領はトランプに「吐き気がする」と批判していますし、イギリスはEUを離脱し、ドイツのメルケル首相も眉をひそめていて、電話会談でもクレームをつけたと報じられています。カナダに工場を持っているアメリカ企業は多く、高関税をかけられれば困ったことになりますので、カナダもアメリカファーストには賛成できません。日本もメキシコに多くの工場を持っていますので同じです。
トランプが、四面楚歌になるであろうG7に出席する必然性があるようにはみえません。しかも、既に、G7サミットは儀式になっていて、世界をリードする力はありません。
ましてや、彼は、世界平和や協調や自由や民主主義には興味がありません。彼が欲しいのは「金」です。
メルケルは「すべての国がルールや共通の価値観、国際経済システムおよび国際貿易システムでの共同行動に基づいて協力し、軍事同盟に貢献することが、各国に最善の結果をもたらすと強く信じている」と述べたそうですが、もう過去の話になってしまいました。
アメリカ第一主義ということは、世界のルールも価値観も相互協力も第二になるのです。これで、他国のリーダーと協力できるとは思えません。
G7が消滅すれば、中国の存在感を大きくする結果になります。

トランプが選挙戦で勝った時に書きましたが、トランプ政権のカギを握っているのは、今でも共和党だと思います。その共和党の意向が見えてきません。
選挙期間中、共和党はトランプを制御できませんでした。大統領になってからも、制御不能なのでしょうか。少なくとも、今のところは制御できているようには見えません。
トランプの任期は長くても8年です。でも、共和党は永続しなくてはなりません。
そのためには、何とかして、トランプの首に鈴をつけなければなりません。
世界を敵に回して、トランプが勝ち続けるとは思えません。
どこかで頓挫します。
その時、共和党議員は自分の選挙に多大な影響があります。トランプ一派と見られれば、多くの共和党議員が落選することになります。それを放置していていいのでしょうか。
就任演説では、貧困白人層を持ち上げていましたが、トランプはウォール街との関係も無視できないようです。閣僚になっているのは、金持ちばかりですし、トランプファミリーの利益も確保しなければなりませんので、金融の規制緩和もやるようです。お金持ちが、よりお金持ちになる道も用意してあって、本当の目的は、こちらのほうかもしれません。
75%を超える規制緩和をするそうですが、規制緩和で儲けるのは金持ちであり、金持ちが利益を出すということは、貧乏人がより貧乏になるということです。
結果的に貧乏人は貧乏人のままになる可能性は捨てきれません。
トランプを支持した貧乏人は、全員が有権者ですから、その落胆の反動は大きいと思います。
共和党の議員の皆さんに、これで大丈夫なのですか、と聞きたくなります。
それ以上に、このまま、トランプを放置すれば、共和党だけではなく、アメリカそのものが壊れてしまう危険があります。

トランプは、ミサイル防衛システムに大金を投ずるようです。ロシアのミサイルも中国のミサイルも北朝鮮のミサイルもアメリカに照準を合わせていますので、アメリカファーストのためには、アメリカ本土の防衛をしなければなりません。
しかし、トランプのやっていることは、防衛基本戦略の変更を意味します。基本戦略をブリーフィングする人がいない筈はありませんので、トランプが聞く耳を持っていないのでしょう。一説によると「俺は、頭がいいから、ブリーフィングなんて必要ない」と言って、話を聞かないと言われています。
確かに、利益だけに執着すれば、出費を抑えることは理に適っています。欧州やアジアで支出している軍事費を抑えたいと思っても不思議ではありません。経費節減は会社経営の基本ですから、熟知しているでしょう。しかし、アメリカ本土の防衛は難しくなります。目先の金勘定だけでは、安全保障は保てないのです。
これまでのアメリカの防衛戦略は、大西洋と太平洋の入り口を固めてアメリカ本土を守るというものでした。NATOも日米同盟も欧州や日本のために軍事展開していたのではありません。あくまでも、アメリカ本土防衛のための軍だったのです。当初、日本に展開している軍はロシア軍に対する防波堤でしたが、今は、中国軍に対する防波堤です。それを、「お前たちの国を守るために、俺達は損をしている」という言い草は、言いがかりみたいなものです。もしも、中国が希望しているように太平洋を二つに割ってアメリカと中国で支配するようになれば、アメリカ本土の防衛は大変難しいものになります。
私は、中国の第一列島線、第二列島線、太平洋の真ん中という発想が夢物語だと思っていました。しかし、争い事を嫌うオバマと金勘定しかしないトランプがアメリカ大統領になったことで、夢物語ではなくなってしまいました。中国の先見力に敬意を表するしかありません。中国は、太平洋を利用することで、多くの攻撃手段を手に入れることができます。数年では無理でしょうが、数十年というスパンで見れば、アメリカ本土の制圧も夢ではありません。内戦はありましたが、アメリカには他国との戦争でアメリカが戦場になったという体験がありませんので、現実感が希薄なのかもしれませんが、トランプ流では痛い目に遭います。

トランプは、世界平和には、余り関心がありません。ただ、自分の娘婿の出身地であるイスラエルは守りたいと思っているようですから、イランに対する圧力はかけるでしょう。イランが要求に応じない場合には、イスラエルのイラン攻撃を認める可能性があります。これは、トランプファミリーのためですから、アメリカファーストとは呼べません。それに、イスラエルとイランが戦争を始めたら、中東、アフリカ、欧州の混乱は、シリア内戦の混乱程度では収まりません。
トランプはドイツ系のアメリカ人ですが、欧州の平和についても、それほど興味はないと思います。もしも、欧州の安全保障に責務があると考えていたら、ロシアとお友達になるという選択肢はありません。なぜなら、NATOは、対ロシアの軍事同盟であり、アメリカはNATOの主要国だからです。NATOからの脱退も視野に入っているということなのでしょうか。トランプはNATOを「古いシステムだ」と言っていますが、大西洋の入り口を固めるという基本戦略が古いと言っていることになります。確かに、NATOはアメリカに負担がかかっているのは事実でしょう。支出という側面からみれば、その通りですが、大西洋を守らなくて、アメリカ本土の防衛ができるのでしょうか。
トランプ流であれば、台湾や、南シナ海についても、中国との経済戦争の取引材料に過ぎず、アジアの平和が目的ではありません。でも、これまでは、アジアを平和にしておくことがアメリカの国益だったのです。
このようなトランプ流の思考であれば、尖閣諸島なんて、アメリカの利益とは何の関係もありません。口約束で、日本が金を払ってくれるのであれば、口約束はしてくれますが、それは、あくまでも、口約束です。
日本の総理大臣も外務大臣も、その口約束を、涎を垂らして願っていますが、「ちゃぶ台返し」のトランプの口約束に、どれほどの価値があるのでしょう。
彼の関心は、目先の利益だけです。
いかにも、最近の企業経営者の考えそうなことです。
見事なほどの「自分さえよければ」です。
彼は、これまでの価値観を葬り去るのでしょうか。
でも、これが現実です。
これは、時代が、新しい時代に突入したという証かもしれません。


ここまで書いた内容は、私の勝手な想像であり、その中身も極端なものですが、どうも、トランプのアメリカファーストには、無理があるように思えます。だって、他者を貶めることで自分が得をするというやり方が、いつまでも続けられるとは思えないのです。もちろん、私の視点は、変人の視点ですから、多少、歪んでいると思いますし、日本人の視点としても少数派だと思います。でも、危険があることは、多くの方が認めています。「まさか」「そんなことまで」「ありえない」というのは経験則にすぎません。経験則は、いつか通用しなくなる時がやってくるものです。ここは、対応策を持っておく必要があると思います。もっとも、対応策といっても、結論を先延ばしするくらいしか方法はありませんが、やらないよりは、やったほうがいいと思います。「先送り」には嫌悪感を持っている石田が、先送りを推奨するのは異常です。でも、悪手には悪手で対応するしかありません。ただし、恐怖に打ち勝つ勇気が必要です。
ワシントンに巣くう白蟻共を退治し、アメリカを国民に返すという視点は素晴らしいと思います。これも、一つの革命だと思いますので、高く評価します。
しかし、整合性のとれた設計図は、まだ存在せず、選挙公約に引きずられるように走り出してしまったトランプ政権の行方は、トランプにもわかっていないのではないかと思います。安全運転がベストだとは言いませんが、極端な国家運営は副作用が大きくなります。その副作用の影響を受けるのは、いつの時代でも、貧乏人だと決まっています。
貧乏人はやっぱり救われなかったという当たり前のことが終着点になりそうです。
私達は、往々にして、時間という自然現象を忘れてしまいます。
就任式当日から、その兆候は表れていました。トランプ本人が被っていた赤い帽子はアメリカ製ですが、就任式の会場近辺で売られていた赤いトランプ帽は、中国製やベトナム製だったことです。トランプが中国やベトナムに、商売の材料を、利益を、提供していたのです。これこそが現実です。ここまで世界が入り組んでしまったシステムを、昔の秩序に戻そうとするのは、アメリカ大統領であっても、無理なのではないでしょうか。回顧主義は老人の好物ですが、これも、老害の一つかもしれません。日本にも、時計を逆回転させたいと願っている人達がいますが、自然に逆らっても碌なことはないと思います。大勢の方が、古き良き時代を取り戻したいと願います。でも、それは、夢として持つものであって、実現はできません。なぜなら、時間という物理的な条件があるからです。全く違う環境に、かつてのシステムを嵌め込んでも機能しません。人類は、前に進むという選択肢しか持っていないのです。
政治家であれば、メディアは利用するものだということを体で知っています。しかし、トランプはメディアと戦争をしています。メディアを嘘つきだと決めつければ、自分が嘘をつくことも正当化されると考えているように見えます。トランプの嘘をカウントしている人もいます。どちらが嘘つきかで競っても、良い結果は得られません。
トランプは誰にでも噛みつきます。弱い犬ほどよく吠えると言われていますが、私には、トランプの強気は虚勢に見えます。トランプの横に立っている無表情な奥さんのほうが、根性があるように見えるのはなぜなのでしょう。
大統領になってはいけない人が大統領になってしまったとすると、結果的には、トランプのアメリカファーストは失敗に終わる確率の方が高いとみるのが妥当な判断ではないでしょうか。失敗すると、アメリカのダメージは大きいと思います。
そうなれば、TPPは中国が引き受けるでしょう。中国は、お願いされれば、引き受けてもよいと言っています。中国が世界標準を作る世界になるのです。
中国は、すっかり、その気になっています。
暴君の国から、暴君の国にバトンタッチされても、いいことはありません。
トランプさんには、出来るだけ早い時期に軌道修正することをお勧めします。このまま、突き進めばアメリカの利益になりません。もちろん、日本の利益にもなりません。
今は、日本が、この渦に巻き込まれないように願うばかりです。


世界に暴君が続々と誕生しています。
混沌の世界に突入したのですから、致し方のないことだとは思います。時代というのは、ほんとに、不思議なものです。自然発生的に役者が揃っていくのです。
問題は、その荒海の中で、日本が生き残れるのか、ということです。
日本は、「金を出せ」「金、よこせ」「アメリカファーストに逆らうな」とヒステリックに叫ぶ親分のポチなんです。
トランプ政権が4年、または8年続くとすると、日本の財政破綻より前に米中戦争が始まる可能性があります。日本にとっては、夢も希望もありません。
日本の総理大臣は、世界を歴訪して金をばら撒き、親分から上納金を強制され、日本は借金の山の上に、借金の山を築かねばなりません。
とても、生き残れるとは思えないのです。
トランプ台風で、被害に遭ったのは日本だけだったという結果にはなりたくないと思いますが、大変、危険です。


2017-02-02



自己責任 [評論]



ある証券会社が、20代から40代の専業主婦を対象に「老後資金」についてアンケート調査をしたそうです。
証券会社の目的は、投資人口を増やすためには女性の参入が必要だということでしょう。
政府も、女性に「働け、働け」と言っています。
人口減少の影響は、至る所に出ているということです。

アンケートの結果では、老後に「不安」と答えた主婦が約90%だったそうです。
そして、その対策としては「貯金」しかないと考えているようです。
ただし、貯金の金利には不満だと答えています。
ほとんど、誘導尋問に等しい設問だったと思います。
証券会社としては、「預金利息は低いですよね。だから、投資をしませんか」と言いたいのだと思いますが、投資はあくまでも自己責任ですから、証券会社が何かの特典を提供してくれるわけではありません。
仮に、100万人の主婦が投資を始めたとして、一体、何人の人が利益を得られるのでしょう。
私は、数人ではないかと思っています。少額の損失で済めばラッキーです。多分、数パーセントの損失をした人の多くは、投資から身を引くでしょう。そういう人が90万人はいると思います。約10万人の主婦は、資金を使い果たし、離婚騒動になる可能性があります。損をしないことが約束されているのは証券会社だけです。
投資は博打ではないという宣伝がされることがあります。とんでもありません。投資は、博打です。100万円勝つ人がいれば、その裏には100万円負ける人がいて、取引が成立しているのです。チョウハン博打と同じです。そして、相場はオープン戦です。プロもアマも、同じ土俵で勝負するのです。誰が勝つか、なんて明らかなことです。
毎年、多くの個人投資家が誕生します。それなのに、投資人口は増えません。それは、投資の世界から足を洗う人が多いからです。生き残れるのは、ほんの一握りの人達だけです。
投資で利益を生み出すのは至難の業です。
特に、素人にはできません。
私がアドバイスをするとすれば、専業主婦を辞めて、すぐに働き始めるか、70歳になっても80歳になっても働けるだけの健康な体を作ることだと思います。地味で当たり前の助言にしかなりませんが、他に方法はありません。田舎のおじいさんやおばあさんを見てください。70歳になっても80歳になっても、現役で働き続けています。しかも、食料も自分の手で作れるのです。今、一番、現実的な方法が、百姓になることです。投資家になることではありません。
アンケートに答えた主婦の方が、老後になるのは、20年~40年後です。
とりあえず、ここでは、日本崩壊は棚に上げておきます。
では、20年~40年後に年金は貰えるのでしょうか。
かなり、難しいと思います。
働いて、働いて、いつまでも、働くことです。
毎月、収入があることが、どれほど心強いか、その時にわかります。

アンケートでは、老後資金は、どのくらい必要ですか、と質問しています。
一番多かった答えが、「いくらあっても不安」という答えで、約30%だったそうです。無回答の人もいましたから、回答した人に対する比率で言えば、約40%です。
これが、正しい回答です。
金額を答えた人達の様子をみてみましょう。カッコ内は回答した人に対する比率です。
5,000万円以上      13.8%(17.8)
3,000万円~5,000万円 10.4%(13.4)
2,000万円~3,000万円 11.3%(14.5)
1,000万円~1,500万円 11.1%(14.3)
調査対象になったのは、専業主婦の皆さんですから、それなりに生活は成り立っている、恵まれた人達です。しかし、このイマジネーションの低さは、何なのでしょう。
実際に老後に突入する20年~40年後の貨幣価値は無視するとしても、今の貨幣価値でこの金額は、何か勘違いしているとしか思えません。
老後ですから、夫婦二人の生活費が必要です。
5,000万円以上を選択した人達を除き、老々介護を前提としているとしか思えません。
老々介護は、頭で考えているほど簡単ではありません。この先は、妻が夫を、夫を妻が殺す犯罪が、今よりも大幅に増えます。殺してでも楽になりたいと思うほど大変なのです。介護する側に立てば、楽な夫や、楽な妻はいないと思ってください。
何歳から老人ホームに入るかで違いますが、仮に30年間老人ホームにいるとすると、安い老人ホームでも一人当たり5,000万円は必要です。20年で死ねたらラッキーです。10年で死ねたら、お祝いをしなければなりません。5年で死ねたら、神様です。
なぜ、30年という数字を出したのか、と思われるかもしれませんが、いつ死ぬかなんて誰にもわかりません。しかし、お金がなくなれば、路頭に迷います。
老後の心配を解決する方法が一つだけあります。それが、安楽死の容認です。
私は、以前に安楽死法案の必要性を書きました。本当に、必要なんです。安楽死が選択できるということは、本人にとっても家族にとっても福音になるのです。
回答した主婦の方は、漠然とした必要金額ではなく、たとえ達成できないとしても目標として考えられる金額を答えたのではないでしょうか。そうでなければ、いくらなんでも、1.000万円や2,000万円で老後が乗り切れるなんてことは考えないでしょう。つまり、老後も心配なく生きていける人は、ごくごく、限られた人達しかいないということです。
もちろん、5,000万円以上と答えた人達の中には、1億円や2億円を想定している人達もいるでしょうから、全員とまでは言えませんが、ほぼ全員が、現実に直面した時に「あちゃー」と言うことになります。
専業主婦をやっている人達でも、この程度の認識なのですから、共働きをしてぎりぎりの生活をしている人達は、どうするのでしょう。シングルマザーやシングルファーザーは、どうするのでしょう。1,000万円の貯金でも、別世界の話でしょう。子供に面倒を見てもらえると思っているのでしょうか。子供達は、結婚すら難しい収入の人が増え続けています。自分のことで精いっぱいで、とても親の面倒なんて見ることはできません。
仕事も家事もしている女性が、片手間で投資をすれば、時間が使える専業主婦よりも失敗する確率は高くなります。それまで共働きをして、折角貯めたお金を失います。お金だけではなく、何年も何十年も頑張って働いてきた時間が、全部、無駄になるのです。
ぎりぎりの生活をしていた人が投資を始めれば、現実の生活が壊れてしまうことにもなります。
いいことは、何もありません。
投資は、どう繕っても、博打なんです。
もっとも、資産税が新設されて、国に貯金を取り上げられるのであれば、博打で逆転を狙うのも選択肢としてあるのかもしれませんが、それでも、国家権力には敵いません。頑張って、頑張って、爪に火を点すようにして貯金したとしても、最終的には、国に没収されるとしたら、これは、老後資金の問題ではありません。20代から40代の皆さんは、運悪く、最悪の時代を生きていると思ってください。逃れる方法は、ありません。博打に手を出しても、何も好転はしません。
今の老人は、年金もありますし、貯金もあります。退職金だってあります。でも、20代から40代の人達は貯金だけで老後を設計しなければなりません。しかし、貯金そのものが、無理です。そんな人が投資をしたら、元も子もなくしてしまいます。政府や証券会社の甘言に騙されてはいけません。それよりも、安楽死法案の制定を働きかけることのほうが、現実的です。行き詰って、いや、行き詰ることは目に見えていますので、最後の最後で安楽死が選択できるのであれば、頑張れます。地獄を這いずり回る必要はありません。

このアンケートを見るだけでも、お先真っ暗です。
栄光の時代を生きてきた人達が老人になった今でも、生活が成り立たない人が大勢います。衰退の時代を生きている人達が老人になった時に、どんな社会が生まれるのでしょう。ほんの少しだけ、想像力を使えばわかるのではありませんか。
9割の国民が生活保護で生きる時代がやってくる、と言う人もいます。そんな社会が成り立つとでも思っているのでしょうか。
違います。
もう、国として成り立たない状況が、すぐそこまで来ているということです。
「何とかなる」という言葉があると同時に「何ともならない」という言葉だってあるのです。
つまり、財政破綻で国家崩壊が起きなくても、この国は壊れるということです。
紛れもなく、この国は、どう転んでも、崩壊という場所に向かっているのです。
今は、過去の栄光に縋り付くのではなく、いかに被害を少なくするのかを考え、実行する時です。「あちゃー」では、被害が大きすぎます。



先日、パチンコ屋の新装開店チラシがポストに入っていました。
そのチラシの片隅に、全日遊連からお客様へ、という文字がありました。
「パチンコ・パチスロは適度に楽しむ遊びです」「のめり込みに注意しましょう」と書かれています。大人の手と子供の手が指切りげんまんしている写真が添えられていました。これまでは、こんな文章はなかったように思います。では、これで、パチンコに行く人が減ったり、適度な負けで帰る人が出てくるのでしょうか。そうは思えません。もしも、本気でギャンブル依存症に対応したいと思うのであれば、店内のBGMを葬送行進曲にするような変更をしたり、業界ぐるみで顔認証システムを利用して、頻繁に来店する顧客の入場を禁止する措置をとれば、少しは効果があるかもしれません。しかし、パチンコ屋は、本音では、顧客全員にギャンブル依存症になって欲しいと願っているはずですから、こんな対策は採りません。
「パチンコを、徹底的に楽しんでください」「のめり込むくらいでなければ、勝つことはできませんし、喜びも得られません」と宣伝すれば、逆効果が期待できるかもしれません。
カジノ法案でギャンブル依存症がクローズアップされて、政府はその対策を模索しているという話です。しかし、皆さんが勘違いをしているように見えます。
このチラシを見ていると、ああ、また、建前論が前面に出てくるのだろうなと、悲しい気持になってしまいます。人権派の方が文句を言い、建前の対策案が出されるという不毛な言葉遊びが何かの役に立つのでしょうか。人間は、誰でも自己満足を欲しがります。人権派の皆さんは、特にその欲求が強いのかもしれません。
ギャンブル依存症を、国の管轄にするのには、無理があるように思います。
「飲む、打つ、買う」は太古の昔から存在していて、今も現役選手です。国が統制することなど出来ないことを、何千年も証明してきたことです。
自己責任を自己責任だと言い切る勇気も必要なのではないかと思います。
定義を持たない曖昧文化が、ここでも影を落としています。
薬物依存やギャンブル依存を自己責任だと規定しても、反対は少ないと思います。
私の身近にも、ギャンブルで家の貯金を使ってしまって大騒ぎになった人もいます。多分、多くの方が経験していることでしょう。美辞麗句を並べても、建前論を山のように用意しても、ギャンブルに依存する人はいなくなりません。
ただ、ギャンブル依存症の人は、本人が苦しむだけでは済みません。周囲の人達が巻き込まれます。子供は親を選べませんので、子供だけは何とか救済しなければなりませんが、本人も周囲の大人も自己責任で対処するしかないのではないかと思いますが、こんなことを言うと、人権派の方に叱られるのでしょう。
でも、国も国民も、何か勘違いしているようで、とても気持ち悪いです。
150年前までは、博打はご法度になっていました。それでも、博打が無くなることはありませんでした。人間は助平根性の塊みたいなものですから、楽をして、楽しみながら金儲けをしたいと思うものです。禁止したって、博打は無くなりませんし、楽しいのですから依存症もなくなりません。それは、既に、立証済みなのです。
カジノ法案に反対している人達は、「何も、国が率先して賭博場を開く必要はない」と言っているのでしょう。では、競輪やボートの公営賭博はいいのですか。国の許認可を受けて営業している競馬やパチンコは、いいのですか。既に、国や地方自治体が認めているのは良くて、国が新規に法律で認めるのはおかしいという理屈が理解できません。これでは、この国が封建制度の国だと認めてしまうことになります。「お上」公認のギャンブルなのだから、責任は「お上」にあるという論法が間違っているのです。
なぜ、国民の責務を棚に上げてしまうのでしょう。
どんな条件があったとしても、民主国家の最大の責任者は、国民です。
その意識の欠落が、多くの人を不幸にしているのです。
先ずは、国民に国民の責務を果たしてもらわねばなりません。
現在でもギャンブル依存症の人は600万人もいると言われています。まだ、カウントはされていない隠れ依存症患者を含めれば、1,000万人を越えるでしょう。人数は多いですが、この人達は、弱者救済の対象ではないと思います。
逆です。
彼等は、曖昧文化や平和ボケの犠牲者だと思いますが、博打が好きで、やっているのです。国が禁止をしても、博打はなくなりません。ギャンブル依存症を国が助けてくれるのであれば、ギャンブル依存症の人は増えることになります。
誰も、楽に生きているわけではありません。ほとんどの方が、辛いことを耐えながら、生きているのです。
弱音を吐けば、国が食べさせてくれるのであれば、ほとんどの国民が救済を希望します。
でも、それでは、社会が成り立ちません。
私達は、頑張るしかないのです。
自分にとって利益がある時は「自分さえよければ」に従い、自分にとって不利益がある時は「誰かのせい」にしていたら、こんな楽なことはありません。民主主義とか、国民とか、責任とかの諸々のことが勘違いされているようで、とても、気持ち悪いです。
やはり、「国とは、国民とは、民主主義とは」の定義をすべきだと思います。
人権擁護派と呼ばれる人達は、国に要求するばかりで、国民に「責任を果たせ」と要求しないのは、なぜなのでしょう。国が崩壊したら、経験したことのない、究極の人権無視が行われるのです。その崩壊を止められるのは国民しかいないとすれば、国民の人権を守りたいのであれば、国民に責任を果たすように要求しなければなりません。国に要求するばかりの人権擁護であれば、それはももう、人権擁護活動依存症という病気です。
法に従い、税金を納めることだけが、国民の責務なのでしょうか。私には、勘違いしているとしか思えないのです。お代官様の言うことに従い、年貢を納めていた百姓と、どこが違うのですか。これでは、民主国家になった意味などありません。
ギャンブル依存症にならないようにすることも、国民の責任ですし、財政破綻に対応しない国家運営者を放置して、財政破綻したとしても、国民の責任です。国家は国民のために存在するのですから、国民に一番大きな責任があるのです。ギャンブル依存症になっても、財政破綻をしても、苦しむのは、国民なのです。責任ある行動を取るしか、私達に選択肢はありません。これは、民主主義の基本だと思いますが、曖昧なままです。


2017-02-01



力信奉者 [評論]



ニューズウィークの「世界が放置したアサドの無差別殺戮、拷問、レイプ」という記事を紹介します。ルラ・ジュブリアルという方が書いた記事です。


 シリアとレバノンの国境地帯から戻ってきた。わずか250キロ先のアレッポでは、口にするのもはばかられる野蛮な行為が行われていた。ジャーナリストとして政策アナリストとして、世界的な人道主義の危機と呼ぶべき実態とその意味を伝えたい。
 シリアのバシャル・アサド政権は、大量殺人からシステム化された拷問、強制的飢餓、たる爆弾による無差別殺傷、拘束中の女性、子供、男性に対する組織的なレイプまで、おぞましい戦争犯罪を続けている。これまでに虐殺されたシリア人は50万人、国内で居場所を失った避難民は600万人、国外に逃れた者は500万人にのぼる。まさに絵に描いたような大虐殺である。
21世紀のモンスター
 ロシア軍やイランをバックにしたシーア派武装組織などの援軍を得たアサド政権は、ルワンダや旧ユーゴスラビアの虐殺と匹敵する規模で自国の民間人を殺戮した。ロシアとイランはシリアに武器を売り渡し、使い方を教え、資金を援助した。彼らの支援こそが、アサドの反政府勢力に対する勝利と国内での独裁的地位を確かなものにした。人道主義の危機だ。
 ナチスによるホロコーストの記憶を消さないため、われわれは今も博物館や図書館を作り続けている。それなのに、目の前で何万人ものシリア人がアサドの爆弾で生きながら焼かれていても見て見ぬふりだ。
 アサドが「21世紀のモンスター」の称号を手にしたことは間違いない。彼は2000年に父親のハフェズ・アサドから嗜虐性と大統領の地位を引き継いだ。ハフェズは1982年に西部の都市ハマーの住民の寝込みを襲って2万人を虐殺し、通りに放置した遺体を3日間燃やし続けたことを自慢にしていた。アサド家の恐怖支配を徹底し、市民が2度と体制に歯向かわないようにするための見せしめだった。だが、息子のバシャルはその父を楽々と凌駕した。バシャルの鉄拳支配と腐敗したマフィアスタイルの統治が、父の野蛮な暴力を上回ったのだ。
 今回、アサドの蛮行の一部始終はソーシャルメディアを通じリアルタイムで世間に知れ渡っていたが、アサド政権は厚かましくもその前で堂々と戦争犯罪を続けた。最もよく燃える焼夷弾で通りの住民に生きたまま火をつけ、見る者に最大限の恐怖を植え付けようとした。こうした国家によるテロ行為により、アサドは2011年に平和的に始まった小さな民主主義の実験を忘却の彼方に葬り去ってしまった。アラブ世界発の市民社会への一筋の希望になったかもしれないのに。
 シリアの民主化運動が、最初は平和的なデモだったことを忘れてはならない。数万人の住民が、社会的公正と政治改革、自由と民主主義を求めて行進したのだ。
 それに対し、アサドは国家の治安機構ごと解き放った。平和的な抗議は危機に転じ、荒っぽい内戦になった。民主化活動家は逮捕され、拷問され、大量に殺害された。一方では、正真正銘のならず者たるイスラム過激派が国家刑務所から野に放たれ、アルカイダやISIS(自称イスラム国)に吸収されていった。アサド政権は自らを対テロ戦争の軍と位置付け、イスラム過激派やISISに代わる唯一の選択肢として味方を取り込んだ。
 2011年、シリア内戦の発端となったのは、ダルア市出身のハムザ・アルハティーブという13歳の少年の死だった。ハムザは拘束され、警察の拷問を受け、弾丸3発で処刑された。切り刻まれた遺体の写真はネットで拡散され、ダルアからアレッポまで大規模な反政府デモが立ち上がった。だが、だが、無実の少年に対する残忍な拷問、切断、殺人という人道に対するこれ以上ない侮辱に対する人々の怒りに対しても、アサドは政府軍の容赦ない力をぶつけた。凄まじい暴力をもって自らの国民を5年以上、殺し続けたのだ。
 アサドの攻撃は、彼に抵抗する最後の一人、あるいは最後のグループまで根絶やしにしない限り止まらないだろう。アサドはいくら殺しても、軍事作戦を止めようとしない。ロシア軍の助けでアレッポの住民を一人残らず始末しようとしている。
自分の首を絞める国際社会
 アメリカの次期大統領がドナルド・トランプに決まったことも問題を一層複雑にする。アサドは今、ロシアがあらゆる国際法や慣例に反してアレッポ東部を焼き尽くすのを黙認している。旧ユーゴスラビアやルワンダの虐殺で行われた「人道に対する罪」に対する反省として、国連は1999年、「武力紛争下における文民保護」を決議した。それにも関らず、国際社会はその責任を積極的に無視したのである。ロシアが好きだと公言し人権もお構いなしのトランプの参入で、事態はどう変わるのだろう。
 シリアの民主化運動を支持し育成することに失敗したのは悲劇だ。だがそれに続いた内戦を終わらせるために有効な手段を打たず、アサドに戦争のルールを守らせることさえできなかったのは、また大きな別次元の倫理観の崩壊を示している。
 アサドの勝利によって、国際社会はいずれ自分の首を絞められることになるだろう。われわれの世代は昔を振り返り、なぜ人はナチスの台頭を許し得たのだろうと疑問に思う。その答えは、シリアにある。そして歴史の審判は、決して人類に優しくはないだろう。



この記事を書いたルラ・ジュブリアルという方がどんな方か知りません。
この方にはこの方の立場があるでしょうから、100%鵜呑みにすることはできませんが、アレッポが大変なことになっているのは、他のニュースでも伝えられています。
ただ、日本では、シリア情勢のニュースはありますが、どうしても、遠い世界の、別世界の出来事くらいの認識しかないと思います。ほとんどの方が「俺には関係ねぇ」と思っているでしょう。確かに、今は、関係ないのでしょう。でも、ほんとに、そうなのでしょうか。私には、世界騒乱が始まっているように見えます。
ルラ・ジュブリアル氏は「人道主義の危機」だと書いていますが、立場上、そう書かなければならないのでしょうが、この世界が人道主義で統一されることなど、絶対にありません。ですから、あくまでも、人道主義は理想だと理解しておく必要があります。では「人道主義なんて、糞喰らえ」でいいのかというと、やはり、今のところ、新しい哲学と思想が生まれるまでは、理想として持っておくべきだと思います。ただ、現実は現実として、受け止めなくてはなりません。アレッポのような惨事は、この先も起きます。人道主義という物差しでは計ることができません。
何万年も生きてきた先輩諸氏が見つけることができなかったのですから、無いものねだりになりますが、普通の人が普通に生きていける方法を見つけ出したいものです。力に引き寄せられる人がいる限り、人道主義は成り立ちません。
私は、何度か第三次世界大戦の予測の話を書きましたが、世界騒乱が第三次世界大戦になれば、日本も無関係では済みません。その時に、国民は選択を迫られます。政府広報に従順に従うという従来のやり方が、いいのかどうか。判断材料は持っておくべきだと思います。
人類が戦争をしたがる動物であることは実証済みです。そんな中で、オバマ大統領は理想を追いかけた、大国の指導者としては異質の指導者でした。しかし、「我、争わず」という彼の理想主義がシリアの虐殺を生み出したと言う人もいます。確かに、オバマ政権の時代にアサドやプーチンや習近平という力信奉者が活躍し始めました。
世界中が理想を追い求めているのであれば、オバマは指導力を発揮できたでしょうが、世界が求めているのは、今も、力です。それは、アサドやプーチンや習近平だけではありません。オバマの理想主義は、結果的に、そんな力至上主義の指導者達に道を開くことになったのは、皮肉な結果だったと言うしかありません。
アメリカの次期大統領は海軍の増強だけではなく、多くの軍事的発言をしています。その目的は、中国だと考えなくてはなりません。トランプが、経済的な優位を保つためには軍事力が欠かせないということを知っているビジネスマンだったら、中国との衝突は避けられないかもしれません。彼は、アメリカ経済のためであれば、何でもやると公言しています。一方、中国もやる気満々です。そして、アメリカの指導者がオバマのような指導者ばかりだと中国が思い込んでいたら、厄介なことになります。アメリカでは、オバマ時代に冷や飯を食っていた軍人が復権します。軍事力を誇示する両国ですから、軍事衝突の可能性はあるのです。アメリカ大統領としては、オバマのほうがレアケースだと思います。それに、トランプがどう行動するのかなんて、まだ、わかりません。トランプが力至上主義の指導者にならないという保証はどこにもないのです。いや、プーチンにシンパシーを感じているようですから、素質は十分にあります。
今の世界の軍事的トレンドは、紛争拡大に向かっているようにしか見えません。
世界の混沌が、米中の軍事衝突に発展すれば、日本も無関係ではいられません。
私達は、現実的に、戦争について考えておかねばならないと思うのです。
私は、人道を振り回す人が好きではありません。ですから、この記事を書いた方も好きにはなれません。でも、現実は直視するべきだと思います。
それが、この記事を取り上げた理由です。
曖昧なまま、また、ずるずると戦争になるのは避けねばなりません。

日米安保や高度経済成長という過去の遺産にしがみついている日本は、客観的に見ると、衰退国家の見本のようなものです。それは、老人の交通事故問題と似ています。
老人の交通事故が増えたことが話題になっていますが、老人の数が増えているのですから、当たり前のことなのですが、老人が若かりし頃の自分にしがみつき、肉体の衰退に気付いていないことも原因になっています。老人は、運転技術に自信を持っていると胸を張りますが、「いえ、いえ、おじいさん。あなたは、老人なのです」というのが客観的事実です。


2017-01-02



逃げる人達 [評論]



日本崩壊。
ついに、残り9年になってしまいました。
2桁と1桁の違いは、1年しか差はないのに、大きく感じます。
もう、ジタバタしても、どうにもなりません。
1年毎にカウントダウンはしますが、静かに見守ることくらいしか出来ることはなさそうです。
2017年も、世界は激動の年になりそうです。特に、アメリカと欧州の政治リスクが前面に出てくるのではないかと心配しています。
無理かもしれませんが、年に1回くらいは、楽しい話が書ければいいな、と願っています。

楽しい話と書いたインクがまだ乾きませんが、暗い話を始めましょう。
12月中旬に、日露首脳会談がありました。
良い意味も悪い意味も含めて「プーチンは凄腕だ」という世界評価がありますが、目の前でその腕前を見せてもらって、いや、実際に見たということではなくニュースが多かったという意味ですが、納得しました。
「プーチンは凄い」
自民党の幹事長でさえ「国民の大半が、がっかりしているということを、われわれは心に刻む必要がある」と発言しています。
もちろん、「よいしょ」する方もおられますが、どうみても、国と国の外交交渉としては、日本の大敗です。
交渉のテーブルを用意するためだけに、日本は3,000億円を出し、ロシアは1ルーブルも使っていません。
テーブルを用意するだけで、これだけ弱気になっていて、交渉を有利に進めることなんてできるのでしょうか。しかも、相手はロシアです。
日本の常識は、世界の非常識を、また、やってしまったのです。
信頼関係を作ったのだから、相手は譲歩してくれる・・・だろう。
そんなもの、世界では通用しません。
ここは、成果が欲しいという、安倍さんの助平根性を見事に利用したプーチンを褒めるしかありません。ロシア国内では「プーチン、よくやった」という高評価です。自らの領土を他国に割譲したら、プーチンの国内での評価は地に落ちます。プーチンは、ロシアの大統領なのですから、ロシアの国民感情に逆らっても、何もいいことはありません。最近では、暴力国家の代表は中国と思われていますが、ロシアは老舗の暴力国家なのです。ロシアにとって、信頼関係など、二の次三の次であり、自国の利益が最優先です。そして、それが世界の常識なのです。
すでに、「押せば、引く国」という評価の日本を、またも実践して見せたのですから、世界は「押せ、押せ」で対応してくることになります。この外交の失敗は日露関係だけにとどまらず、今後の国際関係に大きく影響してきます。
戦後レジュームからの脱却を掲げていた安倍総理が、自ら、戦後レジュームを見事に引き継いでしまったのです。この先、まだまだ、続くことになります。
日本人は、特に外務官僚は外交交渉という言葉の意味を理解していません。
言葉の定義が曖昧ですから、世界標準での外交交渉という言葉の意味が曖昧なままです。
言葉を定義しない曖昧文化の弊害が、ここにも顕著に表れています。
この曖昧文化こそが戦後レジュームなのです。
日米、日中、日韓で煮え湯を飲んできたのも、この戦後レジュームの結果です。
そう言えば、戦後レジュームという言葉の定義もあまり聞いたことがありません。
戦後レジュームという言葉を流行させたのは安倍さんですが、これは戦後に突然出現したものではありません。多分、聖徳太子の時代に確立された日本レジュームなのだと思います。それは、島国という特殊条件があったために、19世紀まで通用しました。しかし、世界がここまで狭くなった現代では、日本方式は世界で通用しません。
外交問題だけではなく、日本社会の行き詰まりの原因も日本文化に由来しているものだとすると、この曖昧文化そのものを見直す時期に来ているように思います。ただ、この曖昧文化という日本方式は、日本人のDNAに組み込まれています。余程のことがない限り、この文化が変わることはありません。この国が壊れようとしているのは、私達の文化が、世界という環境に放り込まれて、自然淘汰されようとしているのではないでしょうか。そういう意味では、国家崩壊へ向けて進んでいるこの国は、自然現象なのだと言えるのかもしれません。そうだとすれば、国家崩壊は受け入れるしかありません。今、私達にできることは、食料自給率を上げることです。貧しくても、生き延びることができれば、また、新しい国を作ることも可能です。
「一事が万事」という言葉が、これほど似合う国も珍しいのかもしれません。
残存年数が一桁になって、あらためて感じますが、根底に「なあなあ」「まあまあ」「とりあえず」「いつもの先送りで」という文化があるのですから、間違いなく、財政は破綻します。
そして、その財政破綻を引き金にして、国家崩壊が起きます。



昨年の流行語大賞に、「日本死ね」が選ばれて、一部で大騒ぎになりました。
建前論を前面に出し、いや、自分は良識派だと言わんばかりに、「日本死ね」を批判する方が大変多いことに、驚きました。これほど、偽善者が多いとは思いませんでした。
人道上とか、良識とか、建前なんて、自分に被害が及ばない場合にしか適用されないのです。
偽善者の皆さん、もう少し、待ってください。
今回は「保育園、落ちた。日本死ね」でしたが、「保育園、落ちた」の部分が変わるだけで、皆さんも「日本死ね」と言うことになります。
いま、皆さんは、天に唾しているのです。
「年金が減った。これで、どうやって生きていくんだ。日本死ね」
貯金に税金をかけられた。俺の貯金だぞ。日本死ね」
「消費税が25%になった。どこまで上げるんだ。日本死ね」
「こんなに物価が上がって。何も買えやしない。日本死ね」
「食うものがない。日本死ね」
と言う日が、近々、やってきます。
勘違いしてはいけません。死ぬのは、皆さんなのです。
多分、直感ではわかっているのでしょう。
怖いですよね。
抵抗したくもなりますよね。
自分の身に降りかかってくれば、「日本死ね」くらい、誰でも言うのです。
一皮むけば、人間に差はありません。
「保育園落ちた。日本死ね」を誰が言ったのか定かではありませんが、単に、正直だったということにすぎません。
9年後の日本に立って見てみると、現在の多くの方の心の中に、何か、得体のしれない、怖ろしいものがやって来る直感が漠然とあり「イヤだ、イヤだ」と抵抗しているのかもしれません。でも、人道や良識や建前では、惨事は防げません。
「日本死ね」も末期症状ですが、それを非難するのも、末期症状の一つなのです。
今の社会が「まとも」だと思いたがるほうが、異常だと思います。
この国では、今、多くの危険信号が至る所で発せられています。「日本死ね」もその信号の一つであって、特に珍しい現象ではなくなっています。そろそろ、過去に縛られる発想はやめるべきだと思います。現状維持が無理だとすれば、私達にできることは、子供たちのためにできることは、何なのだろうと考えたほうがいいように思います。
私は、人道を、良識を、建前を、良き人たるべき常識を否定するような文章しか書きません。本当に、嫌な奴だと思われているでしょう。でも、今は、仮面を被ったり、化粧したりしている時ではないと思っています。薔薇色の未来が待っているのであれば、こんな文章を書く必要もありません。私達の目の前にあるは、地獄なのです。何度計算しても、財政破綻は避けられません。どうして、皆さんは、目をつぶって「いい子」のふりをするのですか。地獄では、人道も良識も建前も、何の役にも立ちません。そこにあるのは、現実だけです。振り返ればわかるのですが、それでは手遅れなのです。



昨年の年末に、糸魚川市で大きな火事がありました。
私達は、最近では、火事のニュースに接することはあっても、類焼する火災をあまり経験していません。
東北大震災の時は、津波のイメージが強くて、火災の記憶は少なくなっていますので、私は阪神淡路大震災の時の、神戸の火事を思い出しました。
江戸時代、江戸の町では、火事は名物と言われ、何度も何度も大火に見舞われていたそうです。犠牲者の数も、多い時は数万人になったようです。
江戸時代と比べて、今は、都市整備と消火技術の向上により、大火と呼ばれるものは激減しています。冬になると、火事のニュースは多くなりますが、ほとんどが消防の消火活動で最小被害に治まっています。
自分が、火の取り扱いに注意していれば、火事はそれほど怖いものではなくなったのです。
しかし、条件さえ整えば、今でも、大火は起きる可能性があることが証明されました。
今回の糸魚川の火事の場合は、強風と古い木造家屋と狭い道路と消火栓の少なさが火事を大きくしたそうです。日本中に、こんな場所はいくらでもあります。
阪神淡路大震災の時の、神戸の火事では、地震でインフラが壊れ、消防隊が現場に迅速に移動できなかったり、消火栓が使えなかったり、人手が足りなかったり、と多くの要因が重なり、火は燃え放題の状態だった記憶があります。
首都直下型地震のシミュレーション画像でも、火事が簡単に燃え広がる様子を描いています。糸魚川の火事では、強風による飛び火が延焼の原因でしたが、東京の火災予測では、火事そのものの増殖が火災旋風となり、周辺に火種を撒き散らすそうです。そうなると、人力では対応できません。火が自ら消えてくれるのを待つしかないのです。
私達は、火事は火元を消すものだと思っていますが、消防隊は火元の家の隣の家に放水しているのを見ます。燃え盛る火事に水を注いでもなかなか消えません。類焼を防ぎ、火の勢いが小さくなるのを待つのが消火活動の基本のようです。そういう意味では、江戸時代の消火方法と同じです。そんな消火活動で一番困るのが、飛び火だと言われます。江戸時代でも、風の強い日の奉行所や火消しという消防担当者は、緊張を強いられたと言われます。
私達の子供の頃は、「地震、雷、火事、おやじ」が怖いもののベストフォーでした。
「おやじ」は怖いものから脱落したかもしれませんが、「地震、雷、火事」は今でも健在です。条件さえ整えば、何でもありうるのです。
私達は、平和ボケの中で、失っている感性があるのではないでしょうか。
「大丈夫、大丈夫、何とかなる」は、そろそろ、卒業する時だと思います。



私達の身の回りで、多くのことが変わっていきます。
「時代は移るものだ」の一言で済ませてしまっていいのでしょうか。
ほんとに、私達は、何もしなくていいのでしょうか。
既に起きてしまった一番大きな変化が、少子高齢化です。
少子高齢化は、30年前に予測可能でした。
予測することもせず、対策を考えることもなく、何の行動もせず、先送りをしたのです。
何もしなかった結果が、現在の苦境を作り出しました。
今、私達は、9年後の財政を予測していません。
財政破綻など起きないと、言える人がいるのでしょうか。
学校は閉校になるばかり、限界集落は増えるばかり、空き家も増え続けています。
それぞれの事情を聞けば、「仕方ない」と思うしかありませんが、私達は、そうならないような努力を何かしたのでしょうか。
もちろん、私達庶民が、直接できることは限られています。
全国で「こども食堂」が立ち上がり、庶民の力で、少しでも「誰かの力になりたい」と頑張っている人達がいます。でも、それで、何人の子供が救われているのでしょう。もちろん、「こども食堂」を否定するつもりはありません。もっと、もっと、増やしていかねばなりません。週に一回ではなく、常設の「こども食堂」が必要です。でも、それは、国の仕事じゃないのですか。
人口動態に対処するような大規模な課題は、国家運営者の仕事です。
では、彼等は、何かしましたか。
いいえ、何もしていません。
しかし、彼等は、「俺には関係ねぇ」と言わんばかりに、平然としています。
「国とは」という定義がないのですから、どうすることもできません。
子供達は、当たり前のように自殺という選択肢を選びます。ひきこもりの子供たちは、もう、ひきこもりのおじさんになってしまっています。生活保護世帯が毎年記録更新しています。生活保護と年金とどちらが得になるかという試算さえされています。昔は、希少価値だった女子大生売春が、供給過多で値崩れを起こしているそうです。自分の体を売って生活費を稼ぐことも簡単ではないのです。生涯独身の男女が増えています。男たちは牡の本能を忘れようとしています。年収100万円や200万円では、自分一人が食べていくことしかできません。社会が、男達に、牡でいることを断念せよ、と言っているのです。一方、女は、「働け、働け」と言い続けられ、家事も育児も仕事もしなくてはなりません。男女格差が世界最低ランクのこの国で、女が生きていくのは並大抵のことではありません。子供を虐待する親が、子供を殺してしまう親が増えていても、私達には何もできません。
今の日本社会は、そんな社会になっているのです。
どの側面を切り取っても、少子化へ向かう環境しかありません。
時間だけは、確実に進むのですから、高齢化を止めることもできません。
これでは、不安になります。
日銀は、タンス預金が100兆円を超えたと推定しています。預金利息が低いだけの現象ではないでしょう。マイナンバーの危険だけではないでしょう。皆、不安なのです。
これが、まともな社会だとは思えません。
しかし、国は、何も手を打とうとしていません。
国が崩壊しない方が不思議です。

私は、以前に「五月雨をあつめて早し最上川」の句を借りて、書いたことがあります。
あらゆる場所の水滴が、川の源流となり、最後には大きな川となり、暴れ川になる危険を生み出しているのだ、と書きました。
今、起きている諸々の現象は、近くで見れば、一滴の水に見えてしまいますが、向かっている方向は同じなのです。たかが一滴、されど一滴だと思わないのはどうしてなのでしょう。
私には、どう見ても、国家崩壊へと向かっているようにしか見えません。
では、なぜ、私の目にはそう見えるのでしょう。
崩壊後の社会を想像してしまったからです。
9年後という遠い場所から見ると、広い範囲の現象が見えてしまいます。
実に、些細なことですが、見えていないということは怖ろしいことです。

私達は、神話の世界に生きているのではありません。
それなのに、原発安全神話の中で生きて、手痛い目に遭い、今、また、財政安全神話の中で生きて、国を滅ぼそうとしています。
私達は、現実に気付くべきです。


2017-01-01



日々雑感 [評論]



最近、関西でも震度3~4の地震が2度ありました。
阪神淡路大震災以降、関西の地震は少なかったように感じています。
地震は、やはり、怖いです。
阪神淡路大震災の時は、奈良に住んでいて、震度は4でした。食器が飛び出したり、家具が転倒するような被害はありませんでしたが、すごく怖かった。震度7の地域は、どれほど怖かったのだろうと想像すると、身が震えます。
地震のデータベースを見ると、日本が地震列島であることは疑いようもありません。
気象庁に1923年~2016年までのデータがありますが、1923年~1999年までの77年間の、震度6以上の地震は18回ですが、2000年~2016年までの17年間の発生回数は47回です。専門家が、日本列島は地震活動期に入ったと言う意味がよくわかります。4年に1回だった地震が、1年に約3回の地震が起きています。2011年と2016年が9回で最多発生となっています。2016年は、まだ1か月ありますので、単独で最多発生年になるかもしれません。
この自然環境を見ていると、東南海地震が、いつ発生しても不思議ではありません。
関西でも、震度6~7が予測されていますので、建物が崩壊すればどうすることもできませんが、せめて、食料の備蓄はしなければならないと思っています。阪神淡路大震災の後は、非常食の用意をしましたが、もう、賞味期限切れで廃棄しました。災害は忘れた頃にやって来るとしたら、そろそろ、非常食を備蓄しておく時期なのだと思いました。


先日、NHKの勧誘員がやってきました。
7月に大阪に引っ越しをして、「NHKが来るよ」と言われていましたので、満面の笑みでお迎えしました。
「よく来てくれました。契約したい、契約したい、ぜひ、契約したい」と言いました。
「それは、それは」ということで、勧誘員はカバンから書類を取り出しました。
「あなたは、契約する権限を持っていますか」と問いかけました。
「はあ、まあ」
「契約ですから、私にも条件があります。その条件を受け入れて契約していただけるなら、すぐに契約しましょう」
「どんな条件ですか」
一寸、いつもの雰囲気と違うのか、勧誘員は取り出した書類をこちらに渡しません。
「そろそろ、合理化をしていただきたいと思っています」
「合理化ですか」
「具体的に言いましょうか」
「お願いします」
「先ず、電波を半分にしてください。設備も人員も合理化できます」
「はあ」
「次に、番組編成を変えていただきたい。報道番組に特化し、娯楽番組は民放に任せましょう。そうすれば、設備も人員も出演料などの経費も削減できます」
「まあ」
「最後に、人件費を削減してください。希望としては、一般勤労者の平均が妥当だと思っています。今の、1,200万円の年収は多すぎます。私は、年100万円の年金生活者ですが、年収100万円の人間が、年収1,200万円のNHK職員を支援するのは道理に合いません。以上3つの合理化を約束していただければ、喜んで契約します」
「そういう意見の方はおられますが」
「ごめんなさい、もう一つ忘れていました」
「はあ」
「合理化の年限を決めたいと思います。そして、その契約の年限内に合理化が出来なかった時は、違約金を支払う条項も契約書に入れたいと思っています」
「そういうことであれば、NHKのコールセンターへ電話してくれませんか」
「最初に、あなたに契約権限はありますか、と聞きましたよね」
「ええ、まあ」
「今、ここで、結論が出せないのであれば、持ち帰って上司の方と相談して、もう一度来てください。私は、契約する気、満々ですから」
「いや、私は、そういう役目ではなく・・・・」
「だったら、契約できる方に来るように伝えてください」
「はあ、一応、報告はしますが、できれば、コールセンターへ電話していただけるといいのですが」
「以前に、一度、文書でお願いしたことがあります。多分、5年ほど前だったと思いますが、何の返答もいただいていません。ですから、こちらから、行動を起こすことはありません」
「はあ、まあ」
「あなたが、窓口になってくれるのが、一番、いいのですが、駄目ですか」
「私は、そういう仕事ではなく・・・・」
「では、どうするのですか」
「帰って、報告します。私の仕事ではありませんので」
「そうですか、残念です」
勧誘員は、まだ20代の若者に見えました。イケメンでしたから、若く見えたのかもしれませんが、それでも、40代ではありません。彼が、どこまで報告をして、NHKがどこまで対応するのかわかりませんが、次の展開が楽しみです。まあ、悪趣味だと言われれば、そうかもしれませんが、NHKの料金徴収もかなり悪辣ですから、痛み分けということで勘弁してもらいたいと思います。
NHKが私の要求に応じて契約を結ぶことはありません。NHKに残された選択肢は、私を訴えて訴訟に持ち込むというものです。その裁判で勝訴できれば、多くの国民の不満を封殺することができますから、NHKはかなり強い立場に立つことができるでしょう。
でも、私が、NHKの担当者なら、訴訟はしません。敗訴した時のダメージが大きすぎます。それよりも放送法の「・・・契約しなければならない」という条文を「・・・支払わなければならない」に変えるように働きかけることが正しい道です。
ただ、NHKの勧誘員の離職率は高いと思いますので、次から次へと、別の勧誘員がやって来るものと思います。まだその対策は考えていませんので、その都度対応しなければなりません。何か、考えないと。


ダボス会議で有名な世界経済フォーラム(WEF)が発表している男女格差世界ランキングという統計があります。
2015年に101位だった日本は、2016年に111位になりました。
144か国中の111位ですから、喜ばしい数字ではありません。
日本よりも評価の低い国、112位から144位の国は、アフリカ15、中東12、アジア6か国です。
個人的な感覚ですが、昔に比べて女性の地位は大幅に向上したと思っていましたので、111位は意外でした。この順位を上中下に3分割すると、「下」の「上」の最下位が111位になります。
たとえ、分析データの捉え方に問題があったとしても、このランキングは低すぎますので、私の常識は、単に世界の非常識だった、ということのようです。
また、安倍政権が女性活躍社会を旗印に挙げているにも拘らず、ランキングが落ちるという現象も、きっと、何か、私達の勘違いがあるのではないかと思わざるを得ません。
昔、ジェンダーを叫ぶ女性に違和感を持った私の体質が古いのかもしれません。でも、私のような感覚が日本社会の常識になっているとしたら、男女格差が好転する予測は立てられません。女性が活躍できない社会なのに、女性に「働け、働け」と鞭打つ国家運営者に対して、女性は、もっと、もっと「日本、死ね」と叫ぶ必要がありそうです。
過去を引きずっている老人が日本社会の主流派を独占し、過去の常識の上に胡坐をかいている老人の常識が幅を利かし、歳入を増やすために損得を基盤にした女性活躍社会を旗印にする老人による国家運営が行われている、としたら、人口構成が変わる時まで、あまり希望は持てないように思います。その最大の要因は、時代のスピードが速いことによるのではないかと思いました。老人の頭ではついていけないほどのスピードなのに、老人が権力を握っている日本社会。このアンバランスが、いろいろな局面で、いろいろな障害となっているのではないでしょうか。
私を含めた老人が「分を知る」必要があります。以前に、国立姥捨て山構想について書きましたが、もしかすると、強制的に老人を無力化する必要があるのかもしれません。でも、あの構想は絵空事でしかありません。実現の可能性はゼロです。
何か、方法はないのでしょうか。
ありません。
昔の老人には、子孫のためという意識が、もう少しあったような気がします。一方、平成の老人は、先送りばかりしていて、子や孫のことは眼中にないように感じます。
たまたま、今日は、男女格差の問題について書きましたが、一事が万事であり、日本社会そのものに、特に老人に問題があるということだと思います。
この老人支配社会を変えない限り、残念ですが、日本崩壊論が現実になる可能性は、かなり高いと思います。この国を壊すのは、平成の大人であり、特に平成の老人の罪は重いと思います。もちろん、平成の老人の一人である石田も、同罪です。


トランプ次期大統領は、イギリスを訪問するようです。
国民の不満と不安でEU離脱を決めたイギリス。
国民の不満票を集めて当選したトランプ。
トランプにとって、イギリスが一番親しくなれる相手だと感じられるのは仕方がありません。ただ、イギリス訪問をして、NATOの話をしないわけにはいきません。もしも、NATOの防衛費増額の提案をしたら、EUはどんな反応をみせるでしょう。アメリカの提案を断った時、アメリカ軍はヨーロッパから撤退するのでしょうか。EU各国の軍事力を集めても、ロシアに対抗することは難しいと思いますので、簡単には収まりません。
また、実際に日本や韓国に対しても、防衛費の負担増を求めてくるのでしょうか。
日本は、要求に応じる選択肢しかないかもしれませんが、韓国はどうするのでしょう。
私が、中国の参謀役だったら、韓国の調略を進言します。経済的にも政治的にも苦境にある韓国からアメリカ軍を撤退させる好機かもしれません。歴史を遡れば、たいていの時代、朝鮮半島にはいくつもの国家が存在し、中国に隷属していた歴史があります。韓国と北朝鮮が並立し、中国の保護下にある状況は朝鮮半島にとって、とても自然な状態にみえます。
トランプが、もしも、世界中に駐留しているアメリカ軍を引き上げさせたら、アメリカ国内で、それら不要になった軍人を受け入れる職業が必要になり、新たな格差問題が持ち上がります。ですから、そんなことはしないでしょう。
また、移民で成り立っているアメリカで、移民を排除すれば、アメリカのダイナミズムは失われます。
トランプの公約は、どれをとっても難易度が高いと思います。トランプ流アメリカファーストは、かなり、難しいのではないかと思います。
アメリカほど対立軸の多い国はありません。民族、宗教、貧富の闘争が表面化すれば、アメリカ国内は内戦が起きる状況にさえなりえます。
そう考えると、大統領にはなったものの、トランプが采配を振るえる余地は、それほど多くはないのではないかと思います。
トランプが我を張れば、4年間、アメリカは迷走の時代を走るしかないのかもしれません。
トランプも馬鹿ではないでしょう。それほどの無茶はしないと思います。
日本も、おもいやり予算の増額をしなくても、大丈夫なのではないでしょうか。


2016-12-03



駆けつけ警護 [評論]



南スーダンのPKO部隊に「駆けつけ警護」の任務が付与されることが閣議決定されたというニュースがあります。その後、先発隊が南スーダンに向かいました。
他の国のニュースでは、軍事ニュースをどのように報道しているのか、知りませんが、日本では生々しい報道はありません。しかし、このニュースは、生々しいニュースとしては伝えていませんが、実は、生々しいニュースなのかもしれません。
ある軍事評論家は、この「駆けつけ警護」で犠牲者が出る確率は非常に高いと言っています。自衛隊には、実戦経験がありません。そんな訓練も行われていません。従って、実戦を行う装備も持っていません。そんな、軍隊風自衛隊が、実戦に対応することには無理があり、その無理は犠牲者となって現実になるというものです。特に陸上自衛隊は、儀仗兵の域を出ていない、見せかけの軍隊だそうです。もちろん、私は自衛隊の実際の力を知りません。でも、こんな評論を書かれることが問題です。

南スーダンの情勢は、日々、平和に向かって進んでいるのではなく、悪化の一途だと言われています。国連が、4,000人のPKO部隊の増派を行おうとしていることが、その証明です。増派部隊は、インフラ建設の工兵隊ではなく、戦闘部隊です。

国内では、「駆けつけ警護」演習の様子が紹介されましたが、日本国内でデモ隊を排除するような演習になっていました。プラスチックの防護盾を持って、群衆を、演習ですから緊張感の欠片もない群衆でしたが、追い立てて国連職員を救出するというものです。まるで、幼稚園のお遊戯会のように見えました。現実には、防護盾なんて、役に立たないそうです。自衛隊のヘルメットでも、戦場では役に立たないそうです。戦場では、銃弾だけではなく、ロケット弾も飛んできます。銃弾にも、盾で防げる銃弾だけとは限りません。広報を目的とした映像だと説明していましたが、あれでは平和ボケしている日本人でも、疑問を持つことになります。仮に、口径の大きな銃弾が遠距離から一発だけ発射され、防護盾を貫通して隊員が倒れたら、自衛隊員は前に進めるのでしょうか。現地の反政府勢力だって、狙撃銃くらい持っています。自衛隊には、銃弾がどこから飛んできたかわからない状況です。国連職員を放置して、撤退する選択肢しかありません。
しかも、今回、派遣されるのは施設部隊であり、橋や道路の建設の専門部隊です。彼等は、一般に言われる歩兵ではありません。戦闘服を着ていますが、建設会社の社員と同じです。そんな彼等に、究極の専門性を要求される戦闘部隊の仕事ができるのでしょうか。

反政府勢力の勢いが増し、戦闘が頻発するようになったとして、自衛隊は撤退をするのでしょうか。他国のPKO部隊が残っているのに、自衛隊だけ、さっさと撤退なんてできないのではありませんか。そんなことをすれば、この先、「卑怯者」部隊の烙印を背負っていかねばなりません。日本の威信を高めるために派遣した自衛隊が、日本の威信を地に落とすのです。つまり、普通の軍隊として、犠牲を覚悟で駐留するしかありません。

過日、南スーダンのホテルで国連の職員やNGOの職員が政府軍兵士に襲撃され、多くの職員が殺害されました。女子職員は十数回レイプされたそうです。隠れていた職員が救出を依頼しましたが、どこの部隊もやってきませんでした。エチオピア、中国、ネパールのPKO部隊は出動を断ったそうです。最後にNGO職員の生き残りを救助したのは別の政府軍だったそうです。NGOがやっているのは、国連活動への協力であり、実質的には国連活動と言えます。PKOの駆けつけ警護には、NGOを守る仕事も含まれます。
では、日本のPKO部隊は出動するのでしょうか。
国連のNGO職員を襲撃したのは、政府軍兵士です。政府軍と言っても一枚岩ではないのでしょう。国連にPKOを依頼した政府の軍が、国連施設を襲撃し、その政府軍にPKO部隊の自衛隊が発砲できるのでしょうか。

内戦が行われている地域では、いつ、誰が、敵になるのかなんてわかりません。日本のPKO部隊は、発砲しない部隊として現地でも認識されているものと思います。その自衛隊が、突然、発砲する部隊に変わるのです。当然、反政府勢力も対応することになります。戦争の論理は、平時の論理とは別物だと言われます。自衛隊員は戦争のプロに徹することができるのでしょうか。多分、そのような精神構造にはなっていないと思います。
シリアのアレッポにいる数十万人の民間人の食料備蓄がなくなり、国連は食料の運び込みに協力を訴えていますが、ロシアは、その要求を拒否しているそうです。民間人に混じっているゲリラ戦闘員に食料を渡せば、政府軍に犠牲が出るという論理です。アレッポにいるゲリラを掃討するためには、民間人の犠牲もやむを得ないと言っているのです。これが、戦争の論理です。戦闘に勝つことが優先されるのですから、戦時では当然の論理になるのです。平時における、人道上の論理ではありえないことでも、戦時の論理では、ごく当たり前の作戦として採用されてしまうのです。ただ、シリアでは、その戦争の論理により、余りにも多くの民間人が犠牲になりました。せめて、民間人が戦闘のために餓死するようなことにはなって欲しくありません。戦争の論理を変更できるのは政治論理だけですから、プーチン大統領の政治判断に期待したいと思います。
南スーダンに派遣された施設部隊は、ロシア軍やアレッポのゲリラのような戦い方ができるのでしょうか。余りにも、日本人の感覚とはかけ離れているように思われます。

南スーダンでも、いろいろなケースが起きるでしょう。自衛隊員に、その判断ができるのでしょうか。たとえ、本国に打電して指示を仰いだとしても、本国から適切な指示が貰えるとは思えません。日本人は、戦場の自衛隊員も、本国にいる自衛隊員も、戦時の論理に従ったことがありません。誰にも、判断できないことを現地の部隊は判断しなければなりません。判断が遅れれば遅れるほど犠牲が出るとしたら、彼等はどうするのでしょう。もしも、現場で最善の判断だとした行動が、平和ボケした日本国内から、判断ミスだと断定されたら、どうするのでしょう。自衛隊員は軍人ではありませんので、殺人罪に問われる可能性もあります。一方で、自衛隊員は軍人ではないのですから、敵からみればゲリラと同じです。敵は、自衛隊員を捕虜にしても、捕虜として保護する必要もありません。抵抗ゲリラとして、処分可能なのです。

戦場での作戦は、特に近代戦では、大量の情報を基に鬼のようなシュミィレーションをした作戦が求められています。自衛隊は、どこまで想定しているのか、シュミィレーションするだけのデータを持っているのか、甚だ疑問です。彼等には実戦の体験がありませんので、文書を頼りに想定するしかありません。つまり、机上の空論で作戦を立てて、実行しなければならないとしたら、想定外のことが出てくる確率は、かなり高くなる可能性があります。そして、戦場での想定外は、死を意味するのです。
軍隊としては、幼稚園児なみの自衛隊に、武力行使を求める政治は何を考えているのでしょう。
実際に、犠牲者が出た時に、政治はどう対応するのでしょう。
危険手当の日当や犠牲になった時の慰労金は決まっているようですが、体系的には、何も、決まっていません。また、金を払えば済む話だとも思えません。仮に、自衛隊員が犠牲になり、戦死とは認められないとしても、靖国神社に祀られたとして、最高指揮官の総理大臣が参拝できないとしたら、自衛隊の士気はどうなるのでしょう。自衛隊員は総理大臣の命令で戦場に行くのです。その総理大臣が、中国に対する政治的配慮という犠牲者には関係のない理由で無視されて、隊員の名誉は守られるのでしょうか。戦死者の名誉も守れない国の軍人に、国民を守る義務を負わせて、国を守ることができるのでしょうか。
政府に対応案があったとしても、国として対応するためには、議会の承認が必要になります。そんな法案は、一度も見たことがありません。
法治国家だと言いながら、日本には憲法裁判所も軍事裁判所もないのです。
特定の宗教を国営にするわけにはいきませんので、靖国神社も国営ではありません。宗教とは関係のない国営慰霊所に過去の英霊も移し、誰もが参拝できるようにして、犠牲者の名誉を守る必要があります。もっとも、日本会議の主要メンバーは神社ですから、既得権益を放棄することはないでしょう。ここでも、利害関係で物事が決められているのです。
安倍総理は、国防軍を作りたいと言っていますが、自衛隊に国防軍という名前を付ければ、国防軍ができるわけではありません。
国防軍を作るということは、国家存立の基礎を作ることになりますから、「国とは、国民とは」という定義をし、既得権益を考慮することなく、一から国家システムの構築をするところから始めなければなりません。もちろん、国民のコンセンサスを得ることが必須条件となります。
現状では、目の前の事態にも対処できません。発砲できるということは、戦争ができる国になったということです。しかし、そのための法整備はできていません。そもそも、日本国自体が、自衛隊員を軍人だと認めていないのです。たとえ犠牲者が出ても戦死ではなく、事故死ですから、自衛隊員の存在は宙に浮いたままです。
国を守るための軍を作ることが先です。どの国でも、国防軍という基盤の上に立ち、その延長線上でPKO部隊を派遣しているのです。PKO部隊から逆算するというやり方は間違っています。でも、よく似ています。構造改革よりもデフレ脱却が目的になる国ですから不思議ではないのかもしれません。
軍人であれば、戦場に行くことが仕事です。そこでは、戦死は受け入れなくてはなりません。これは、平時では考えられない特別な仕事です。特別な仕事をするためには、特別な法整備を含めた環境が必要です。当然、国民の意識の中に、自分たちは軍人に守られているのだという意識と軍人に対する敬意が求められます。国民意識も法整備も、何も整っていないのが日本の現状なのに、PKO部隊に発砲を許可するやり方は正しいのでしょうか。
野党の皆さんも、本気で自衛隊員を心配するのであれば、憲法を変え、陸・海・空の軍事組織を整備し、法律を整備し、物心両面の環境を整え、自衛隊員をバックアップしなければなりません。
「反対、反対」だけでは自衛隊員を犬死させることになります。
ここでも、「国とは、国民とは」という定義がないことが致命傷になっています。
これまでも、何度も書きましたが、自分の国は、自分の力で守るのです。
私達はお花畑に住んでいるのではありません。中国やロシアのような国が存在する地球という場所に住んでいるのが現実なんです。
国にとって、軍人の死は避けて通れる問題ではありません。
もちろん、軍を政治的に利用できないシステムも必要です。
政治家や国民ができることは、軍人に対する敬意で応えることです。
なし崩しに、ずるずると、権力者にとって都合の良いシステムを作ることのほうが、よほど危険です。
その基本を外しているために、与党も野党も、日米安保が基軸などと馬鹿げた論理に走ってしまうのです。軍事同盟が不要だと言っているのではありません。軍事同盟は、自主防衛という基盤を補完するものにすぎません。

こんな文章を書けば、石田は右翼だ、というレッテルを貼られるかもしれません。
でも、それも「国とは、国民とは」という定義がないことによる勘違いです。
右翼というのは、日本会議のような思想を指して言うのです。
私は、国家存立の基本条件を提示しているだけです。
死を覚悟で南スーダンへ派遣される自衛隊員に同情します。皆さんの死は、残念ながら、無駄死です。犠牲者が出れば、野党が大騒ぎをしますし、朝日や毎日も国民を煽ることになり、それなりの話題にはなるでしょう。でも、それで、国民が自衛隊員に敬意を抱くようになるとは思えません。私には、除隊という選択肢しか残されていない隊員の皆さんに同情することしかできません。
日本のシステムは、限界を超えています。
そのことは、多くの方が漠然とではあっても、感じていることです。
でも、先送りできる間は、先送りをする。
これは、助平根性でしかありません。
必ず、痛い目に遭います。
私達は、そのことに気付くべきだと思います


2016-12-02



勝っちゃった [評論]



アメリカ大統領選挙で、トランプ氏が勝ってしまいました。
多分、トランプ氏本人も、選挙参謀も、選挙結果には驚いていると思います。
「あちゃー、勝っちゃったよ」
「どうするよ」
日本は、大騒ぎで、株価は1,000円近く下落しました。
しかし、翌日には、1,000円以上の上昇になりました。
トランポリン相場と呼ぶ人もいます。
あわてふためいた、という言葉がふさわしい結果になりました。
下げたのも、上げたのも、海外投資家ですから、余程、想定外の結果だったのでしょう。
今回の大統領選挙は過去の常識が通用しませんでした。共和党の予備選でも、同じことが起き、メディアや予測の専門家達を愚弄する結果となりました。
確かに、トランプ氏は史上最低の大統領候補だったかもしれません。でも、そのトランプに敗れたクリントンは、トランプを凌駕するほどの最々低候補だったということになります。民主党の幹部も、民主党支持者も人選を間違えたということだと思います。
民主党幹部は、いや、予備選でトランプを追い落とそうとしていた共和党幹部も含めて、「貧困と格差」問題を軽く考えていたことが原因だったと思います。なぜ、予備選でトランプが勝ってしまったのか。なぜ、無名のサンダースが、あれほど善戦したのか。政党の指導者層が国民の意識に気付けなかったということです。いや、投票権を持っているのが国民だということも忘れていたのかもしれません。でも、こんなことは、よくあることです。
人間は、出世すると見えるものも見えなくなると言われますが、アメリカでも、この普遍的な人間心理が勝敗を分けたのです。
機能不全に堕ちた組織が破れ、トランプという個人が勝利したのです。
トランプは、最初から最後まで、暴言を吐きながらも「貧困と格差」から離れませんでした。多分、彼には、その選択肢しかなかったことによると思いますが、たまたま、それがヒットしてしまったのです。
これは、どこの国でも、どんな集団でも起きることです。
7月に書いた「潮流の変化」で、イギリスが、EU離脱の国民投票をやって失敗したことについて書きましたが、世界潮流は二極分化であり、民衆はその「貧困と格差」に抵抗していたのです。あの時も、事前予想では離脱反対が優勢でした。
その評論の中で、アメリカの大統領選についても書きました。
「トランプ氏は問題児であり、大統領には相応しくないように思いますが、時代は読んでいます。民主党にも時代を読んでいた人がいました。サンダース氏の敗北は、アメリカ国民にとっての損失となります」という文章です。そして、当時、クリントンは2桁のリードをしていましたが、「結果がどうなるかはわからない」と書きました。
なぜなら、世論調査でリードしているクリントンに、アメリカ国民の、特に白人の国民の根っ子にある「貧困と格差」という問題意識が感じられなかったからです。国民意識と遊離しているのに勝てるのだろうかと思っていました。誰がみても、クリントンはエスタブリッシュメントの代表でした。多分、本人もそう思っていたのでしょう。
同じ民主党内にサンダースという競争相手がいたのに、彼女が変われなかったことが不思議でした。クリントンにも作戦変更のチャンスはあったのです。予備選でサンダース相手に苦戦したことを分析すれば、「貧困と格差」という課題に気付けたかもしれません。しかし、彼女はサンダースの主張を摘み食いしただけで作戦の変更をしませんでした。彼女の周囲にいるのは裕福な人達ばかりですから、周囲の人達も彼女に助言できなかったのでしょう。選挙結果を見れば、得票数は、五分と五分でした。しかし、これまで民主党を支えてきた国民が、「トランプもクリントンも嫌いだ」として投票所に行かなかったのです。これは、トランプが勝ったのではなく、クリントンが負けたのです。
トランプは人格的な問題を抱えた相手ですから、民主党は、勝てたはずです。「貧困と格差」を旗印に掲げて、トランプの弱点である「人柄」で勝負をすれば勝てたのです。そう考えれば、国民に嫌われているヒラリークリントンを候補にすることもなかったでしょう。
また、アメリカ大統領選挙では、「熱狂」を道連れにしなければ勝てないようです。サンダースはその「熱狂」も連れていました。民主党の選挙参謀は、サンダースを大統領候補にすべきだったのです。それが難しいのであれば、サンダースの「問題意識」と「熱狂」をクリントンに、そっくり引き継がせるべきでした。
なぜなら、投票権を持っているのは国民だからです。

国民を「下々」だと舐めていてはいけない、ということではないでしょうか。
大昔から為政者は常に「民の声に耳を傾けよ」と言われてきました。千年経っても、二千年経っても、同じことが起きるのです。それは、「お上」も「下々」も人間であり、人間は「欲」で動く動物だからです。共和党も民主党も、欲ボケしたエスタプリッシュメント達が自分達の感覚が、「下々」の感覚からズレていることに気付きませんでした。彼等は、「未来は、必ず、現在の延長線上にある」という根拠のない願望を、常識だと勘違いしたのです。その点では、メディアも予測の専門家も、過去に縛られていたために、根っ子の問題に焦点を合わすことができませんでした。彼等も、自分の常識に敗れたのです。現在の延長線上に自分たちの未来はないのではないかと国民が感じていたのに、既得権益者達は、自分の利益を守るために、未来は現在の延長線上にあると考えてしまったのです。
ただし、欧米の「下々」と違って、日本の「下々」には「欲」は抑えなければならないという風習が残っており、欧米のようにはなり難い状況がありますので、為政者はより一層「民の声に耳を傾ける」必要があるように感じます。ま、現実としては、日本の為政者のほうが、民の声には鈍感だという状況ですが、封建社会ですから仕方がありません。そんな日本ですが、私達もアメリカ人と同じ勘違い病に冒されています。「未来が、現在の延長線上にある」なんて保証はどこにもないのです。しかし、日本の既得権益者は、アメリカ大統領選挙を分析しても、そのことには気付かないでしょう。だって「未来が、現在の延長線上にある」ことが、彼等の常識だからです。現状にドップリと浸かっていると見えなくなりますが、歴史を見れば、「未来が、現在の延長線上」に「ない」ことの方が当たり前なのです。「一寸先は闇」であることを舐めてかかると、痛い目に遭うのです。

では、トランプが大統領になったら、アメリカも世界も激変するのか。
そうはならないと思います。
ただし、ゆっくりとではありますが、変わっていくものと思います。
先ず、トランプと共和党との権力闘争が落ち着かねばなりません。
ライアン下院議長との会談後の映像を見ましたが、主人公はライアンでありトランプではありませんでした。トランプは、まるで、借りてきた猫のように見えました。議会の協力がなければ何もできない状況はどの国でも同じです。
ただ、選挙期間中に約束したことを、全部、無かったことにすることはできません。
彼は、アメリカ・ファーストを約束しました。この約束を守らなければ、国民が黙っていません。何が何でも、この公約だけは実現する必要があります。しかし、それは、従来通り富裕層を守るという意味ではありません。貧困と格差に苦しむアメリカ国民を守ると言ったのです。アメリカ国民の職を奪っている(トランプはそう信じています)自由貿易からの撤退を約束したのです。移民の制限や不法移民の排除も、アメリカ国民の職を守るためです。世界の警察官の役を降りるのも、そのためです。海外で他国を守るために余計な経費を使うのではなく、アメリカ国民を守るために税金を使うと約束したのです。たとえ、それらの約束が全部守れないとしても、アメリカ・ファーストだけは、何らかの形にしなければならないでしょう。ただし、トランプ流は、副作用も大きくなる可能性があります。ロシアのプーチンと中国の習近平は、トランプが生み出す隙間を、虎視眈々と狙っています。トランプが舵取りを間違えれば、アメリカ国内にも経済的な影響が出ます。世界の超大国としてふるまっていることによる経済的恩恵は見えにくいものですが、それが剥落すれば損失が表面に出てくるでしょう。
トランプが大統領選に出馬した本音がどこにあるのかを知っている人がいるのでしょうか。私には、ごく個人的な欲望が、その動機だったような気がしています。「一度、王様になってみたかった」という欲望が動機だとしたら、国民にとって良い指導者になれるかどうかわかりません。彼の自宅が「金ピカ」だった映像を見るかぎり、その確率はそれほど低くはないかもしれません。金ピカ御殿から「私は、貧しくなった皆さんの味方ですよ」と言って、貧しい白人有権者は安心するのでしょうか。トランプに投票してしまって後悔する人は増え続けるような予感がします。
もしも、仮に、彼が本気でアメリカ・ファーストを実現したいと思うのであれば、二大政党制を破壊する必要があります。これまでのアメリカは、政党の論理が国の論理になってきました。ところが、その政党の論理が、既得権益者の論理を代表している現状が、国民に否定されたのです。ですから、「貧困と格差」を解消するアメリカ・ファーストを実現するためには、現在の政党を否定しなければ、何も実現しません。アメリカの二大政党制は、かなり頑強な基盤があるように見えますので、それほど簡単なことではないと思いますが、制度疲労を起こしている二大政党制を破壊することは、決して無駄にはなりません。しかし、そう簡単なことではありません。革命級のエネルギーが必要になります。
私見ですが、これからはワシントンでの「欲」と「欲」の戦いが始まります。全戦全勝はありません。そうなれば、中途半端が最も確率の高い結果になるように思っています。その場合は、アメリカもアメリカ国民も迷走することになりそうです。
現在の貧困と格差も一朝一夕にできたわけではありませんので、その貧困と格差の解消にも、それ相応の時間が必要になります。仮に、トランプが二期八年やったとしても、解消は難しいと思います。
ただ、グローバル経済を推し進め、二極分化を生み、貧困と格差を創り出した張本人のアメリカが、仮に、保護主義に向かうことになれば、世界も保護主義へと向かいます。
いよいよ、混沌の世界の本番が幕を開けます。

日本の対応は、変わるのでしょうか。
変わらないと思います。
いえ、変えようがありません。
日本は、国防という国家存立の基礎部分で、アメリカに首根っ子を抑えられていますので、アメリカに反抗することなどできないのです。今は、とりあえず、いつものように、「先送り」しか選択肢はありません。最大8年の任期しかないアメリカ大統領が変わった程度では何も変えられないのです。
「防衛負担を増やせ」と言われれば、増やします。
「輸出を制御しろ」言われれば、制御します。
「もっと、戦闘機を買え」と言われれば、買うでしょう。
「紛争地帯へ、自衛隊を出せ」と言われれば、出します。
これまでの大統領がアメリカ国益優先でなかったわけではありませんが、トランプはよりアメリカの国益を優先すると公約しています。もっと具体的に書けば、アメリカの国益優先ということは、アメリカにお金を出すということです。「みかじめ料」と同じことです。「手元不如意ですから、ご勘弁を」と言っても聞き入れてもらえません。何といっても、日本という国は、与党も野党も国民も、日米同盟が国家の基軸だとしているのですから、アメリカに逆らうことなどできないのです。自分の国を自分の力で守れない国にしてしまったのですから、今更、取り返しはできません。
相手はアメリカで、アメリカの国益に寄与するには、100万円や1,000万円の出費では済みません。1,000億円単位の出費になります。いや、数兆円になるかもしれません。
これが、何を意味するのか。
そうです。借金が増えるのです。
国家運営でさえ借金で賄っているのですから、臨時出費があれば借金に頼るしかありません。それを毎年出費するようになれば、運営費用の一部になります。
では、日米同盟を破棄して、自前で軍事力を持つという選択肢はあるのでしょうか。
もう、その選択肢はありません。
自主防衛力の整備には、毎年、数十兆円の負担になると言われています。日本には、もう、そんな力はありません。折角、財務省が画策している財政破綻先送りシナリオだって崩れてしまいます。財務省の想定外のことは認められません。
しかし、財務省のシナリオは先送りでしかありませんので、出費が増えれば、少しスピードを速めながら、じわじわと、ずるずると、崩壊へと向かっていくのです。
もう、毒を食らわば皿まで、の状態なのでしょう。
まだ、国民の目には見えていませんが、いや、国家運営者や専門家にも見えていないようですが、日本は、崩壊への大きな一歩を強いられることになりました。それが見えているのは、財政という場所からの定点観測をしている財務省だけかもしれません。財政という視点から見なければ、このダメージは見えません。
安全保障でも国際通商でも、最終的に必要になるのは金なんです。
日本は、その金で行き詰っているのです。

財政なんて「俺には関係ねぇ」と思い込んでいる国民の皆さん。
この国には「国とは、国民とは」という定義がありませんので、曖昧なままになっていますが、国には国民の財布しかないのです。アメリカへの「みかじめ料」も、皆さんの財布から出費されるのです。
一日も早く、この現実に気付いてくださるようお願いします。




2016-12-01



巨大隕石 [評論]



世界で一番長い選挙活動期間のアメリカ大統領選挙が、11/8に迫りました。
この選挙で、どれほどの資金が使われたのか知りませんが、勝った人も負けた人も、思いっきり金を使ったのでしょう。ま、他人様の財布ですから、しかも、アメリカ国民ではありませんから、余計なお世話になるのでしょうが、考え直す時期にきているように見えます。この莫大な選挙資金を貧困対策に使えば、もう少し国民の不満は和らぐかもしれませんが、貧困対策にウォールストリートは金を出すのでしょうか。出しませんよね。
民主党は静かに壊れつつありますし、共和党は派手に壊れています。
なぜ、こんな選挙になってしまったのか。
貧困と格差が原因です。
アメリカに限らず、貧困と格差は、これからも世界を変えていきます。

アメリカのある調査では。
民主党のクリントン候補と共和党のトランプ候補のどちらかが大統領になるくらいなら、巨大隕石の衝突で地球が消滅する方が良いとの回答は約23%に上った、という結果が出ているそうです。
誰が大統領になっても、アメリカは、より内向きにならざるをえません。
過去、問題は多々ありましたが、世界は超大国アメリカの支配下で比較的平穏な時代を過ごしてきました。それも、終わりになろうとしています。
欧州も分裂が表面化してきましたし、NATOは軍備増強に舵を切りました。
中東の紛争は、終結する兆しもありません。
弱体化しているアメリカを追い落とすために、仲の悪い中国とロシアが手を結んでいます。
アジアでも、中国のごり押しは、地域の安定に亀裂を生んでいます。
アフリカ各地の紛争は、ますます、泥沼化しています。
北朝鮮は、崩壊寸前になっていて、どこかで核兵器を使用する危険が高まっています。
ベネズエラでは、食料不足が深刻になってきました。
世界の不安定要素を挙げれば、いくつでも出てきます。
もう、すでに、混沌の世界に突入していると考えなくてはなりません。
核兵器を使った戦争が起きても不思議ではない時代になったのです。

そんな不安定な世界の中で生き抜かなければならない時代に、日本は国家崩壊を起こそうとしているのです。
自分の国が崩壊の危険に晒されていることにも、世界が不安定になっていくことにも、無関心な私達に、何かできることがあるのでしょうか。世界を俯瞰してみると、私達の平和ボケは度を越しているように思うのですが、そんな危機感も、このぬるま湯からは出てきません。とても、心配です。
どうすれば、いいのでしょう。
巨大隕石の衝突で地球が消滅する方が良いとのアンケート結果は、決してアメリカにだけにあるのではないと思います。いや、二人の大統領候補に不安を感じているアメリカ国民の精神は正常だと思います。日本では、1月解散が話題になっていますが、その衆議院選挙で、安倍自民党は圧勝の構えを見せています。対抗馬がいないのですから、自民圧勝の可能性は否定できません。ほんとに、これで、いいのでしょうか。
安倍政権の目標は憲法改正です。
もしも、10年以内に自民党草案により憲法が改正されたら、国民は「自助」を強要され、権力は今以上の権力を手にします。その状態で財政破綻を迎えれば、日本国民の苦痛は大きくなるように思います。第二次大戦の時の「欲しがりません、勝つまでは」という標語を思い出しました。とことん国に搾り取られて、やせ衰えた国民に国家崩壊が襲い掛かれば、民族の消滅ですら視界に入ってきます。

私は、度々「不幸が不幸を呼ぶ」「不幸の神様は群れたがる」という言葉を書きます。
アメリカも、日本も、そんな不幸の前触れに見舞われていますが、韓国はその渦中に巻き込まれてしまったのかもしれません。大統領府に検察の捜査が入るのは、尋常ではありません。「セウォル号沈没」や「ナッツ騒動」がその始まりだったのかもしれませんが、韓国は、今、「泣きっ面に蜂」状態になろうとしています。折角、中国に尻尾を振って擦り寄っていったのに、邪険に振り払われ、韓国最大手の海運会社が倒産し、韓国を代表する企業のスマホは発火事故で製造中止になりました。韓国には「この国から逃げ出したい」という若者が大勢います。どの騒動でも、一つだけであれば笑って済ませることのできる騒動ばかりですが、群れてしまうと厄介になります。「何も、こんな時に、よりによって」ということは起こることがあるのです。
政治も経済も社会も不安定になると、更に大きな不幸がやってくる危険が高くなります。国が不安定な状態の時は、努力の結果が、なぜか危険に吸い寄せられるように、逆方向へと動きます。普通に考えれば、「不幸が不幸を呼ぶ」とか「不幸の神様は群れたがる」なんて言葉は、笑い飛ばせる言葉なのですが、現実は不思議に、そうなるのです。どうしてなのかは、わかりません。
韓国にとって、一番危険なことは北朝鮮の暴発です。私が祈ったところで、何の役にも立ちませんが、そんな事態にならないことを祈るばかりです。
ただ、今の韓国の状態は、10年後の日本の状態と比べれば、ごく軽い症状です。10年後の日本では、不幸の神様は、こんなにいたのか、というくらい集まってきます。

時の流れは、どうすることも、できません。

石田は、このまま、この国の崩壊の実況中継をするしかありません。
何の役にも立たない中継に意味があるとは思えませんが、私にできることは、こんなことしかないのです。
とても、残念です。


2016-11-03



天命を待つ [評論]



昨日は、長期金利の国家統制という無茶な視点で書きました。
視野狭窄という病に罹患していれば、長期金利の国家統制という手法も有効な手法に見えてしまうのかもしれませんが、そんなことが出来ないことははっきりしています。
市場原理というものは、日本国内で完結しているわけではありません。世界市場の一部として存在しているのです。日本政府に限らず特定の一国が、勝手に市場を支配することなんてできません。たとえ、官製談合で一時的に長期金利を抑えることができたとしても、世界は認めません。必ず、外圧がかかります。
現在、日銀の政策により長期金利が動いていることは事実です。でも、それは莫大な資金を使っていることと「金融政策」という建前があるからです。しかし、金融政策には限界があります。その限界を超えた場所で政府による金利統制という手法が取れるのであれば、先送りは可能かもしれません。
でも、鎖国政策でも取らない限り、政府が市場原理を抑え込み、長期金利をコントロールすることはできないのです。裏工作をしたとしても、どこかで馬脚を表します
日本の現状からみれば、世界から孤立して生きて行けるなんてことはありえないことです。
国家による金利統制が不可能であるとすると、長期金利の急騰は、どこかの時点で起きます。
長期金利が急騰すれば、この国は破綻します。
結果を封じ込めるやり方では、何も解決しません。

では、どうすればいいのか。
残念ながら、この国を崩壊から救う方法はありません。
では、せめて、奇跡を起こすことはできないのでしょうか。
奇跡は起こすものではなく、起きるものですから、それも難しいでしょう。
奇跡は、人力の及ばないものなのです。
ですから、古来より「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があるのです。
現実としては、人事を尽くそうが、人事を無視しようが、天命は下るものだとすれば、人事を尽くす必然性はないように見えます。
多分、ここまでくると、これは日本人の「矜持」の問題なのだと思います。
「矜持」であれば、たとえ勝算がないとしても、実行できます。
では、勝算はないとしても、人事を尽くすとすれば、どんな方法があるのでしょう。
ここではっきりしておかなければならないことは、人事を尽くすという行動と先送りをするという行動は対極にあるということです。たとえ幸運を総動員するとしても、人事を尽くすという行動には、崩壊の回避の可能性が奇跡的な確率であっても存在しなければなりません。先送りには「あわよくば」という期待がありますが、「あわよくば」は「矜持」に似合いません。
では、人事を尽くすという行動とは、どんな行動なのでしょう。
人が行動する時には判断が必要になります。判断をするときには、必ず、比較と選択という工程を通ります。私達が何かを判断する時、常に「どちらが、いいか」で決まるのです。当たり前で、ごく簡単なことに思われますが、意外に、この比較選択という工程に気付かないことが多いように思います。曖昧な判断材料しかなければ、「漠然と」とか「何とかなる」という結論が出ても仕方がありません。国家運営者は、「下々」に判断を委ねたいとは思っていませんので、判断材料になるような事実は伏せようとします。
ですから、私達庶民には、比較選択する判断材料が見えていないことが多いのです。
もう一つ、私達がいつも忘れること、国家運営者が曖昧にしておきたいこと、それが目標です。ですから、先ず、目標を決めましょう。
50年後の日本社会に、今の子供や孫たちが、そして彼等の子や孫が、生き延びることのできる環境を残すこと、としてみます。
その上で。
出発点は現在ですが、今日から50年先までの想定をしなければなりません。
10年後の、20年後の、30年後の日本社会は、どうなっているのか。
先ずは、10年後の社会を具体的に想像しなければ、20年後30年後50年後の社会は想像できません。
50年後の社会が、現在の社会の延長線上にあると考える人もいるでしょう。いや、それが大前提になっているようです。でも、現実は、そんなに都合よくはいきません。
日本が崩壊すると考えている人は、ほんの少しです。更に、崩壊すると考えている人の中で、崩壊後の社会の状況を推測しているのは、私が知っている限り、一人しかいません。ほとんどの人が、崩壊するかどうかを想像しているだけで、崩壊後の社会を想像している人がいません。ですから、崩壊後の犠牲者の数を推測している人もいません。先ほど、私達の判断は比較と選択で行われると書きました。10年後の社会が具体的に想定されていなければ、この比較と選択はできません。
今のままでは、比較・選択ができませんので、スタート地点にも立てません。
ですから、ここでは、強引に、犠牲者の数という具体的な数字を比較対象としてみます。
国家崩壊で、どれほどの犠牲者が出るのか。
幸運に恵まれた時の犠牲者の数は、6,000万人。
最悪の場合の犠牲者の数は、1億2,000万人としてみます。
もちろん、この数字に異論のある方はいるでしょう。この数字は、石田の独断と偏見から生まれた数字ですから、信用する必要はありません。できれば、皆さんも推測していただけると嬉しいです。皆さんが推測した数字が、国家崩壊が起きても、犠牲者は出ないという推測でも結構です。ただし、若干の説得力は必要です。
もしも、石田の想定を判断材料として、比較選択する場合には、10年後の難問をクリアしなければ、50年後の社会など想像もできません。いや、国民が一人も生存できていない国の50年後の社会を想定することは、無駄なことです。
では、犠牲者の数を減らすためには、どうすればいいのでしょう。
そうです。
国家崩壊は、財政破綻から生じるのですから、財政破綻を回避することです。
では、財政破綻を回避するためには、どうすればいいのでしょう。
そうです。
借金を減らすことです。
実現可能かどうかは別にして、やらねばならないことは、はっきりしています。

第一の仮説。
毎年、20兆円、借金を減らしていけば、50年で借金はなくなります。
そうなれば、50年後の日本人は、もう、借金に怯える必要はありません。
現在の税収を50兆円とすると、借金の返済に20兆円、借金の利払いに10兆円必要ですから、残り20兆円で、1年間、国家運営をしなければなりません。現在の国家予算が100兆円ですから、単純計算で歳出を1/5にしなければなりません。
では、歳出を1/5にするということは、どういうことでしょう。
公務員の給料を、1/5にしなければなりません。防衛費用も、公共工事も、インフラ整備も1/5です。社会保障費も1/5にしなければなりません。年金も医療も介護も1/5です。その他、あらゆる歳出が1/5になります。
こうやって、文章で書けば、いとも簡単に実現できそうな気がしますが、実現可能なのでしょうか。
例えば、生活保護費が、年間150万円だとすると、1/5にすると30万円になります。月々の生活費は2万5,000円です。例えば、老齢年金200万円で生活している人は、1/5になると月額3万3,000円で生活しなければなりません。医療費も介護費も高くなりますので、一回でも病院に行けば、一か月の生活費はなくなるでしょう。
生活保護費や老齢年金で生活している人達は、餓死するしかありません。多分、3,000万人くらいの国民が該当すると思います。月額2万5,000円や3万3,000円の生活費では、家賃、電気代、水道代ですら払えなくなるでしょう。また、医療費の個人負担が高額になりますので、病院に行く人は少なくなります。当然、病状が悪化して死亡する方も増えるでしょう。市中の個人病院でさえ経営が成り立たなくなり、廃業するしかありません。
当然、個人消費は激減し、企業は社員の給料を1/5にしなければならなくなり、倒産する企業も続出するでしょう。
個人消費が減少し、企業収益が減少するということは、税収が減るということです。当然、1/5でもやっていけなくなります。税収が30兆円以下になれば、すべての歳出ができなくなります。
こうやって、数字を挙げていくと、借金の返済が容易ではないことがわかります。

第二の仮説。
1億2,000万人の犠牲者を受け入れるか、国民が、自分の資産をすべて国に献上するかという比較・選択の材料があります。
国民が自ら資産の所有権を放棄するのです。1億2,000万人の犠牲者ということは、自分も犠牲者になるということですから、所有権の放棄は無茶な話ではありません。銀行預金やタンス預金や換金可能な金・銀・プラチナのような資産を、全部、国に献上するのです。第二次大戦の時は、鍋や釜まで供出させられましたが、鍋や釜は換金できませんので除外されます。同じように、不動産の場合も、換金不能ですから、除外されます。私達の国では、現実に、国家が同じことをやった経験があることを忘れてはならないと思います。
また、ハイパーインフレがやってくれば、資産価値はなくなってしまいますので、インフレタックスで強制的に没収されるか、自分の意志で所有権を放棄するのかの選択肢でもあります。結果は同じなのですから選択肢になりえます。
もしも、換金可能な個人資産が1,000兆円あるとして、国民がその所有権を放棄すれば、借金は一発で返済できますし、利息の支払いもなくなりますので、長期金利に怯えることもありません。ただ、10年後の借金は2,000兆円ですから、チャンスは今しかありません。
では、これで、万事うまく収まるのでしょうか。
いいえ、これも、先送りにすぎません。
なぜなら、国家運営者は、また、一から借金を始めるからです。
多分、30年後には、現在と同じ状況になります。
30年後には、今と同じような国民貯蓄という選択肢はないと思いますので、民族が消滅する可能性が高くなるでしょう。最初に掲げた、50年後の社会は残せそうにありません。
国民が全財産を失うことに同意し、国家運営者が「子供たちのため」だけに国家運営をするようにならない限り、この国は救えません。これができれば、奇跡です。でも、可能性は決してゼロではないと信じたいです。いや、やはり、ゼロなのでしょうか。いやいや、間違いなくゼロなのでしょう。

つまり、奇跡が起きなければ、国家崩壊と、それに伴う犠牲者は必然的に生じるのです。
この国の借金が、いかに身の丈に合っていないかは、このような、ちょっとした計算で証明できます。私は、高等数学を駆使しているのではなく、小学生レベルの四則演算しかしていません。なぜ、誰も、計算しないのでしょう。
皆で、知らん顔をしているのです。
やはり、日本崩壊は、日本人の自業自得だということです。
「俺には関係ねぇ」と思っている国民の皆さん、これはあなたの問題なのです。
犠牲になるのは、あなたであり、あなたの家族なのです。

このブログでは、国家崩壊に対処する方法を何度となく提案してきましたが、一度も成功したことがありません。今回も大失敗でした。
確かに、私のIQは高くありません。でも、これはIQの問題ではなく、人間の「欲」の問題ですから、解決できる人は存在していないと思います。
私達に残された選択肢は。
人事も尽くさず。
運も天に任せて。
全てを曖昧なままにして。
10年後を待つことです。
そして、皆で「あちゃー」と合唱することです。
ただ、子供達に責任はありません。
私達が、最低の大人だということです。


2016-11-02



国家統制 [評論]



先月、「疑問」という表題で、9月20日と21日に行われた日銀金融政策決定会合のことを書きました。
その中で、私は「わけ、わからない」と書きました。
その後の、いろいろな方の評価を読んでみると、「わけ、わからない」という感触は、私だけのものではないようです。多くの専門家が、解説に苦労し、困っています。私は、日銀の迷走が始まったと書きましたが、真面目なエコノミストは、矛盾だらけの政策変更を心配し、更なる政策変更を余儀なくされるのではないかと日銀を心配しています。
ただ、仮に、日銀に、まったく別の意図があったとすると、これらの事象は当然の結果のようにみえます。その意図を見抜かれないことが日銀の目的であったとしたら、成功しているということになります。
日銀が、どんな認識の上に立っているのかを見るために、日銀総裁の発言をみてみます。
先月、ワシントンで講演した黒田さんは、ハイパーインフレであっても日銀の金利操作で対応可能であると発言しています。なぜ、ハイパーインフレの話が出てくるのかと驚きました。そのメカニズムさえ明確ではないハイパーインフレを制御できるという発想には驚きますが、日銀がハイパーインフレにまで言及したということは、事態が悪化していることを日銀が認識しているということです。黒田さんがハイパーインフレや長期金利の急騰を危惧しているということは、伝わってきました。このことは、庶民でしかない石田の認識と、エリート集団である日銀の認識には、それほどの差がないことを示唆しています。
だからと言って、日銀であれば、金利の制御もハイパーインフレの制御もできるということにはなりません。実際に、金利操作でハイパーインフレが制御できるという理論は説明しませんでした。そもそも、黒田さんは、金利操作が可能なメカニズムも金利操作が経済発展に有効な政策であることの理論も提示しないまま、口先だけで乗り切ろうとしているようにみえます。何か変です。
多くのエコノミストの皆さんは、量的緩和と金利制御が矛盾する政策であるために、消化できていません。そこを理路整然と説明すれば、多くのエコノミストを一気に味方につけることができます。黒田さんは、フォワードルッキングを語ります。世間に漂う空気を「将来はインフレがやってくる」という空気にしたいはずです。そのためにも、エコノミストを説得しなければなりませんが、そうはしていません。これは、なぜ、なのでしょう。答えは簡単です。説明ができないのです。
笛を吹けば、無知で愚かな大衆は踊り始める、というのがリフレ派の根拠です。しかし、結果的に大衆は踊りませんでした。ここまで踊らなかった大衆が、わけのわからない笛しか吹かない黒田さんの発言で踊るようになるとは思えません。奏でる曲が悪かったのか、笛の吹き方が悪かったのか、あるいは、大衆が馬鹿ではなかったのか、その原因は特定できませんが、このまま続けても経済の好転という目的には到達しないようにみえます。
日銀の方も、財務省の方も、飛びぬけて頭のいい人達ばかりです。現在の状況が把握できていないなんてことはあり得ません。だとすると、私達には日銀の本音が見えていないのではないかという疑問にぶつかります。

「わけ、わからない」という場合、私は、いつも、何か重要なピースが欠けているのではないかと想像します。それが何なのかについては、私にも明確にはわかりません。ただ、隠し通さねばならないニーズがあるように見えます。
中には、この日銀の新手法は、今後の金融政策を成功させる切り札になる画期的なものだと称賛する方もいます。もしかすると、日銀に「よいしょ」しただけかもしれませんが、この方の解釈が正しいのかもしれません。もっとも、私が知っているのはお一人の方だけですが、大変勇気のある方だと感服しております。ま、評論家とかエコノミストは、翌日に真逆のことを発言してもいいことになっていますので、大したことではないのかもしれません。

では、ここで、いつものように、無茶な想像をしてみましょう。
思いっきり唾を眉に塗ってください。
独断と偏見で、日銀が隠しているピースを考えてみました。
日銀の意図は、どこにあるのか。
仮に、このままでは、つまり、市場原理にゆだねれば、長期金利の急騰が阻止できないと日銀が判断したとすれば、いや、当然そう判断すると思いますが、何よりも、彼らの思考に上がってくるのは市場原理の否定だと思います。なぜなら、今の日本では、原因よりも結果を抑え込む手法が好まれているからです。今回のイールドカーブのコントロールも、その一例なのではないでしょうか。
でも、ちょっと、待ってください。長期金利の急騰が国家運営に影響するのは、借金の大きさが原因です。たとえば、現在の借金が10兆円や100兆円であれば、長期金利の急騰は吸収できたでしょう。原因は借金の大きさであって、長期金利ではないのです。まして、市場には何の責任もありません。しかし、彼等の思考によれば、市場原理を否定して、長期金利を抑え込む手法が採用されるのです。本末転倒の極致ですが、これが現実です。
長期金利を日銀の要求に沿った形で推移させるためには、莫大な費用が必要になるか、何らかの強制力が必要になります。しかし、日銀単独ではできそうにもありません。市場原理にゆだねれば長期金利の急騰が避けられないとすれば、金利を統制下に置かなければ、経済が破綻するとすれば、必要になるのは強制力であり、それができるのは国家だけです。その地ならしをするのが、黒田日銀の役目になったとすれば、イールドカーブのコントロールは腑に落ちます。国家権力という言葉は出していませんが、いや、そのことを出していないために世間が迷走しているのですが、この先は「市場原理には任せませんよ」という宣言である可能性はあると思います。日銀は、数値まで示して金利コントロールを宣言しました。それでも、日銀の手に負えなくなれば、その道の先にあるのは、国家統制しかありません。もちろん、国家統制と言っても、金利保持法というような法律による、あからさまな統制はできません。許認可権は国が持っているのですから、どんな脅しでもかけることができます。官製談合は現在でも行われていますが、強制力を持った官製談合で金利の統制が行われるものと思われます。第二の護送船団方式です。
金利統制は戦時下の国では行われます。つまり、日本は戦時下に匹敵する困難に対処しなければならない状態になると予測したのではないでしょうか。もしも、石田の予測が外れていなければ、まさに、日本は戦時下と同じ事態になります。石田は、日本崩壊は長期金利の急騰から始まると書いています。もしも、同じ予測をしているとすれば、長期金利の急騰は、何としても阻止したいと思うでしょう。
もしも、日銀のイールドカーブのコントロールが、国家統制のプロローグであるとすれば、黒田総裁の説明は、理解できます。日銀の皆さんは、金融のプロです。長期金利の急騰が命取りになることは百も承知しています。この最後の砦は、何としても死守しなければなりません。金利の統制に言及しなければならないということは、それだけ財政破綻が逼迫していることの証です。10年後の財政破綻はあり得ないと言い切れません。破綻後に分析をすれば、国債のファイナンスも金利の統制も、はっきりと見えるのでしょう。
もう一つ、不気味な現象が起きています。それは、ヘリコプターマネー推奨論者が、今回の日銀の政策変更に賛成していることです。彼等は、長期金利が0パーセントに抑えられるのであれば、赤字国債は無限に発行できると考えます。長期金利は未来永劫、0パーセントだと思い込んでしまいます。利息さえ支払っていたら、元本は返済しなくてもいいという考えが常識になっていますが、これは、異常なのです。
もちろん、これも視野狭窄の症状なのですが、財政規律を保つのは難しくなるでしょう。その結果、世界の信認を失った通貨の暴落が、長期金利と同じ作用を、日本経済に与えます。為替相場は、財務省の力をもってしても支配することはできません。あれもこれも、うまくまわることのほうが奇跡的なことなのだと気づかねばなりません。
でも、自分にとって都合の良い側面だけしか見えていない人にとっては、何とかうまく切り抜けられると考えてしまうのでしょう。
大丈夫なのでしょうか。
確かに、世界の現実をみれば、このような仮説はありえないことです。市場原理を無視するということは、世界を無視することになるからです。当然、日本は世界から孤立することになります。世界からの孤立が国家崩壊へとつながる可能性は非常に大きいと思いますが、市場原理に任せれば、確実に崩壊するとすれば、孤立であっても選択肢になるのであれば、金利の国家統制はあり得ます。背に腹は代えられないからです。
しかし、この100年で世界は大きく変わりました。100年前でも、世界から孤立すれば国家の存立に重大な影響がありましたが、今、世界から孤立して国家が成り立つとは思えません。

現実的には、金利統制の前に、増税と社会保障費の削減が進みます。現在でも、一部の国民が貧困に苦しんでいますが、多くの国民が苦しみに直面する場面は、まだ始まっていません。もちろん、不安はあります。多くの国民が不安を抱えているから個人消費は低迷しているのです。まだ、今は、不安という段階にあります。残念ながら、この不安は不安で終わることはありません。
ただ、究極の増税と、究極の社会保障削減が当たり前になった後に、金利統制や思想統制がやってくるのです。それは、第二次大戦の時の、国と国民の関係を見れば理解できます。国民に対する圧迫は、徐々に、強くなるものなのです。安倍政権の閣僚から、消費税15%のアドバルーンが挙げられていますが、15%で終わる話ではありません。事態が改善しなければ、いや、改善することはありませんので、国民への圧力はエスカレートしていくのです。国民は、直感で、「薄々と」ではありますが、そのことを知っているのです。
では、増税と社会保障費の削減は着実に進むのでしょうか。
そう簡単なことではありません。また、先送りになる可能性が高いでしょう。
しかし、その先送りが、致命傷になる可能性があります。
もしも、先送りを重ねて、急激な増税と、急激な社会保障削減と、突然の預金封鎖と、唐突な国家統制が一度にやってくれば、いくら従順な日本人でも暴動を起こします。歴史を見てみれば、日本にも百姓一揆という暴動はありました。追いつめられれば、日本人でも牙をむくことはあるのです。そうなれば、国民を守るはずの国家が、国民を殺すという最悪の事態もやってきます。
これは、もう、立派な国家崩壊です。
原因に着目するのではなく、結果を抑え込もうとするやり方、デフレ脱却やインフレターゲットという手法しか視界に入らない人たちにとっては、金利統制という手法も有効なものに見えるかもしれませんが、それは視野狭窄という病に罹患しているだけです。
原因に対応しなければ、病は治りません。
経済構造を変えなければ、デフレからの脱却はできません。
借金を減らさなければ、デフォルトから逃れることはできません。
しかし、借金を増やそうという人はいても、借金を減らそうという人はいません。
想像力が、全く、機能していないのです。
「国家100年の計」という言葉があるのは、政治には未来に対応する仕事があることを指しています。しかし、国家運営者は目先しか見ていません。
この国の国家運営者は、未だに、プライマリーバランスに縋り付いています。
彼等は、借金をし続けたいのです。借金を議論の外に置いておきたいのです。
それは、国民に、本当のことを知らせれば、政権の座を追われるからです。
財政改革という謳い文句が、借金を減らすという行動には結びつかないように、意図的に利用している理論にしか見えません。例えば、税収が50兆円、支払利息が50兆円という状態を想像してみて下さい。仮に、一般歳出が50兆円だとすると、プライマリーバランスは均衡していることになります。でも、支払優先度でみると、支払利息が優先度一位です。つまり、一般歳出は更なる借金に頼るしかありません。借金が増えるということは、支払利息が増えるということです。この悪循環は、雪だるま式に大きくなるのです。そして、必ず、限界に直面します。その限界の結果が、財政破綻です。
デフレ脱却やインフレターゲットやプライマリーバランスという考えは、ただの「まやかし」にすぎません。
「まやかし」の対極にある「現実」を見てみましょう。
実際に存在するのは、国民の財布だけです。これが、現実です。
国は、国民の財布で成り立っているのです。
国民の財布が「空」になれば、そこで終わります。
それが、国民と国家の関係性であり、国民が壊れれば、国家も崩壊するのです。こんなこと、当たり前のことですが、国民は「俺には関係ねぇ」と信じ込んでいます。では、聞きますが、アメリカのジョンさんが、中国のワンさんが、財布を提供してくれるのですか。日本国民を救うために、自分の財布を提供してくれる人なんているのでしょうか。いませんよね。鈴木さんや斎藤さんや高橋さんの財布が「空」になるのです。もちろん、あなたの財布も、私の財布も「空」になります。
今は、まだ、自分の財布の軽さを実感しているのは一部の国民に限られています。この先、10年で、例外なく、すべての国民が実感することになります。
こんなこと、冷静になれば、10年後の崩壊を想像すれば、その結果を想像すれば、簡単に理解できることです。人間なのですから、想像すべきなのではありませんか。
今は、何の役にも立たない先送りを続けているだけなのです。
先送りは、ダメージを大きくするだけです。
大半の国民は「わけもわからず」に崩壊に巻き込まれます。一部の国民は、日本財政が「ワニの口」になった平成時代に原因があり、日銀の金融政策が崩壊への道につながったことに気付くでしょう。でも、崩壊時に気付いても後の祭りです。30年前に気付かなければならなかったのです。10年前の今日でも気付いている人はいないのですから、30年前に気付くなんてことは無理な相談です。つまり、これは、曖昧文化の中で眠っていた日本民族の宿命なのだと思います。自分のことなのですから、気付くべきでした。


2016-11-01



疑問 [評論]



9月20日21日に日銀金融政策決定会合が開かれ、日銀は政策変更を決定しました。
量的緩和を主力政策にするのではなく、金利調整を主力にするそうです。
「わけ、わかりません」
また、何度も延期をしなければならない物価上昇の達成時期を取り払い、無期限一本勝負としました。
「まだ、やるんですか」
黒田総裁の会見では、これは金融緩和政策の強化だと強調しています。その言葉を信用して「日銀、金融緩和政策を強化」という見出しを出しているメディアもあります。でも、会見場の質問では「これは、テーパリング(縮小)なんですか」という質問も出ています。
いろいろな見方がありますが、諸手を挙げて賛成している方は少なく、信用できないのではないかという疑心暗鬼のほうが多いように思えます。
私には、日銀の迷走の始まりに見えてしまいました。
短期金利も長期金利も、日銀がコントロールすることになりますが、果たして、思惑通りになるのか、エコノミストは首を傾げています。
また、これまでの金融政策の検証も行っていますが、その中で、日銀の金融政策はデフレ脱却を成し遂げ、成功だったと総括しました。私には、自画自賛にしか見えません。残念ながら、日本経済の構造は何も変わっていません。政府関係者は同意するでしょうが、一般の専門家は、失敗であったという人と、失敗の危険が高いという人が多く、「こんな甘い認識で、今後の政策は大丈夫なのか」と心配する人もいます。
また、2%の物価上昇目標が達成できなかったのは、原油価格や消費税や世界経済が原因であり、日銀のせいではないと総括しました。
「日銀は、何も悪いことはしていない」と叫んでいるようで、とても、大人の態度だとは思えません。多分、黒田総裁は「構造改革をしない安倍総理が悪い」のだと言いたいのでしょうが、その本音を封印してしまうので、チグハグが生まれます。この3年半の検証を行い、総括するのであれば、構造改革の失敗が9割以上の比重を占めます。それは、政権批判になり、自分の不利益になると考えたのでしょう。
金融政策が時間稼ぎに過ぎないことは誰でも知っていることです。現在の日本経済の停滞は、その稼いだ時間で、この3年半で、経済改革に成功しなかった安倍総理の責任なのですが、黒田総裁に先を見る目がなかったことは確かです。成長戦略が枯渇している現実を認識しませんでした。既得権益者の抵抗により構造改革が頓挫することすら予測しませんでした。ですから、黒田総裁も連帯責任を取らされる、いや、処世術は政治家のほうが数段上ですから、日銀だけが責任を取らされる覚悟も必要でしょう。昔、黒田さんが日銀総裁に就任した時、私は「日銀総裁の椅子が欲しくて、魂を売った黒田さん」と書いたことがあります。欲に目がくらんで、安倍さんに騙されたのです。残念ながら、騙された黒田さんにも責任はあります。
このブログでは、先月、「行くとこまで行く」で日銀と70年前の日本帝国陸軍の比較をしましたが、また、一歩近づいたのではないかと心配しています。片道切符でしかない、しかも博打でしかない、国債の大量購入という目的地のない航海に出た日銀丸は、いつ沈んでも不思議ではありません。国家運営で博打を打てば、国民を不幸にするという経験は生きていないのでしょうか。数百兆円という資金を使ったのに、何も変わっていない日本。副作用は後からやってくるのです。とても、耐えられるとは思えません。
すでに、今の日銀の政策は、日本経済の再建が目的ではなく、円安と株高という経済現象だけが目標になっているように見受けられます。そもそも、日銀の金融政策は「デフレ」という現象に対応しようとした政策から出発しています。「デフレ」という現象を起こした経済構造に対応したものではありません。ですから、経済現象に拘るのは必然なのかもしれません。
しかし、この視野狭窄は、大変危険です。

理路整然という言葉がありますが、今回の黒田総裁の会見には、それがなかったように見えます。私には、泥沼に浸かっている黒田さんが、無理矢理、笑顔を作っているように見えてなりませんでした。
その原因について、素人の私ではわかりませんので、専門家の解説を引用したいと思います。
佐々木融氏の疑問を彼のコラムから抜粋して転記しておきます。専門用語が沢山出てきますが、どうか、ご勘弁を。



今まで行ってきた3次元の緩和政策では、人々の予想物価上昇率の期待形成メカニズムをバックワード・ルッキングからフォワード・ルッキングに変えられなかったと認めている。特に新たな緩和策を導入せずに、なぜ人々の予想物価上昇率の期待形成メカニズムがフォワード・ルッキングに変わるのだろうか。「2%に届かせる」と言っても信じてもらえないのに、やっていることも変えずに「2%を超えるまで」と言い換えても誰も信じないだろう。

もう1つの政策枠組み強化策として、日銀は「イールドカーブ・コントロール」を導入した。内容としては、日銀当座預金のうち政策金利残高に課す金利(短期金利)をマイナス0.1%に維持する一方、10年物国債金利(長期金利)がおおむね現状程度(ゼロ%程度)で推移するよう、長期国債の買い入れを行う、というものだ。
まず、そもそも、このイールドカーブ・コントロール政策は何のために行うのだろうか。仮に、これが2%のインフレ率実現に向けて適切なイールドカーブを形成するため、ということであれば、なぜ現状程度のイールドカーブの形状が適切と言えるのかについて説明がない。日銀は10年物国債金利をゼロにアンカーさせることに重点を置いているようにも見えるが、なぜ10年物国債金利のゼロ%が適切なのだろうか。

イールドカーブがおおむね現状程度の水準から大きく変動することを防止するために、日銀は、金利が上昇した場合などには、例えば10年金利、20年金利を対象にした指値オペを金額無制限で実施する用意があるとしている。ここで、矛盾を感じるのが、無制限でオペを実施するとしながら、国債の買い入れ額は、おおむね現状程度のペース(年80兆円増)としている点だ。イールドカーブの形状を維持するために無制限に売買するのであれば、年間の買い入れ額は約束できないのではないか。
仮にイールドカーブに強い上昇圧力がかかるとすれば、日銀が購入しなければならない国債は従来以上となり、これまでもくすぶっていた国債購入の限界到達が早まることはないのか。
一方、イールドカーブに強い低下圧力がかかるとすれば、日銀は国債を売却することになるが、これは量的緩和の段階的縮小(テーパリング)の模索どころか、明白な縮小になり、これまでの量的緩和政策の効果を否定することにならないか。
イールドカーブ・コントロール政策と量的緩和政策は矛盾しているように見える。そして、そもそも、中央銀行は本当に長期金利をコントロールできるのだろうか。

最後に言い添えれば、日銀は今回の決定で「政策枠組みを強化する」というが、何を強化する政策なのかが分かりにくい。少なくとも「追加緩和」だったとは言えそうにない。
そして、その結果、市場には金融緩和政策の限界論が強まる可能性が高いと考えられる。その場合、もっとも分かりやすいマーケットへのインプリケーションは円高だろう。
すでに日銀は事実上、量的緩和政策の効果を半ば否定し、長期金利が低下し過ぎることを警戒して金利を固定し始めた(予想物価上昇率の期待形成メカニズムを根本的に変えるのは難しいことが露呈した)。こうなると、日銀の金融政策が急速な円安を発生させることは、期待できなくなってきたようにも思える。
また、マイナス金利の深掘りを避け、10年国債金利をゼロ%にアンカーすることとし、イールドカーブも現状程度を維持することを目指すという政策の採用は、金融機関収益に配慮する側面が強いとも言えそうだ。よって、マイナス金利深掘りのハードルは引き続き高いとも言える。



もう一つ、ブルームバーグの9/22の記事も転載しておきます。


日本銀行の黒田東彦総裁が手を尽くせば尽くすほど、トレーダーらは円の上昇を抑える力が日銀にはないと確信するようになる。
  21日の日銀の政策発表後、円は一時下落したものの結局、前日比上昇で同日の取引を終えた。日銀の会合があった日に円が上昇して引けるのはこれで5会合連続。日銀は政策の焦点をマネーサプライ拡大から金利操作に移し、10年物国債利回りを0付近で維持する方針を打ち出した。フォワードガイダンスを強化しインフレについて「オーバーシュート型」コミットメントも表明した。マイナス金利の深掘りは控えた。
  円は日銀発表後に一時1.1%安の1ドル=102円79銭となったが、その日のうちに下げ幅を全て解消。22日は一時100円10銭まで上昇した後、ロンドン時間午前6時41分は前日比0.1%高の100円23銭。
ブルームバーグがオプション価格からまとめたデータによれば、年末までに円が99円に達する確率は84%と、9月初め時点の59%から上昇した。
  みずほ銀行の唐鎌大輔チーフマーケットエコノミストは、政策メニューをより複雑にすることは日銀が限界に直面していることを市場に確信させるばかりだと指摘。さらに、オーバーシュート型コミットメントがこれまでとどの程度違うのかも不明瞭だとし、従って市場は強い印象を受けず円買いシグナルだと判断したと説明した。
  またSMBCフレンド証券の岩下真理チーフマーケットエコノミストは、イールドカーブをコントロールするには細かい市場操作が必要で、これが軌道に乗るまでは日銀がマイナス金利深掘りを控える公算が大きいとの見方を示した。



おまけ、として池田信夫氏の文章の抜粋も転記しておきます。
なお、(注)は石田が付け加えたものです。


インフレ目標もマネタリーベース拡大も国債買い入れも失敗した、というほぼ全面的な敗北宣言だ。これは(私も含めて)多くの経済学者が指摘してきたことであり、3年半たってから失敗を認めたのは遅きに失したとはいえ、日本では珍しい。
(注)これは、池田氏独特の皮肉であり、日銀が失敗を認めたわけではありません。黒田さんをはじめ日銀の方々は官僚と同じであり、彼等の辞書には「失敗」という文字は載っていません。

「新しい枠組」は分かりにくい。その2つの柱は「イールドカーブ・コントロール」と「オーバーシュート型コミットメント」だが、両方とも意味不明だ。
(注)日本人は何かを誤魔化そうとする時、不思議とカタカナを使います。何をやろうとしているのか、どんな結果を期待しているのか、前述の佐々木氏もその点を指摘しています。素人の私には、まったく理解できませんでした。

では日銀で何が起こっているのだろうか。黒田総裁になって日銀の事務方もリフレ派になったと誤解する向きもあるが、企画局の主流派は白川前総裁の時代とほとんど変わらないので、彼らは面従腹背だ。
マネタリーベースの拡大で物価が上がると信じている幹部はいない。それが不可能であることは、福井総裁の時代に確認ずみだからである。以下は想像だが、彼らの会話はこんな感じだったのではないか。
[日銀企画局の幹部(以下「日銀」)]
総裁、総括的な検証によると、インフレ目標も量的緩和もマイナス金利も失敗だったという結論が出ました。
[黒田]
それは困るな。1つぐらいうまく行ったものはないのか。
[日銀]
円安はききましたが、これはマネタリーベースと無関係です。為替にきいたのは実質金利の低下ですが、これは実体経済がよくないからです。
[黒田]
それじゃかっこ悪いから、「金利コントロールに切り替える」ということにしよう。これならFRB(米連邦準備制度理事会)と同じだろ?
[日銀]
いや、あれは短期金利です。うちはもうマイナスにコントロールしてますよ。
[黒田]
じゃ長期金利もコントロールすればいいじゃないか。
[日銀]
それじゃ昔の規制金利の時代に戻ってしまいます。国家社会主義ですよ。
[黒田]
うるさいな。アベノミクスは国家社会主義なんだよ。

(注)もちろん、こんな酷い会話があったとは思いませんが、フィクションとしては、なかなか面白いと思います。



専門家でも「わけ、わからん」と言っているのですから、素人の私に理解できないとしても許されるのではないかと思います。
3年半前に、「異次元の金融緩和」を打ち出した時の黒田さんは、胸を張り、自信に満ちていました。前任者の態度を「煮え切らない態度」だとし、「そんなことでは、デフレは克服できない」と言い切りました。
しかし、3年半経過し、黒田さんは変節したようです。多分、金融機関からのクレームが予想以上に強烈だったのでしょう。「大丈夫です。金融機関の皆さんのことは守りますから」と言わざるを得なかったのではないかと推測します。ただし、金融機関の保護は、今回限りです。迷走が始まってしまったのですから、今後は何でもありです。
前任者の白川総裁は、政府の言い成りにはなりませんでした。政府が構造改革をするまでは大胆な緩和政策をせずに、政策の小出しをしていたのです。気の弱そうな顔をしていても、政府に対しては甘い顔をしませんでした。国会で証言する時も「長期金利が急騰した時に、政府はどう対応するのか」と言っていました。
言うことを聞かない白川総裁に困り果てていた政府は、総裁の椅子に涎を垂らしている黒田さんに目を付けたのです。それは、大成功でした。日本国としては大失敗ですが、リフレ派に汚染された安倍政権にとっては大成功だったのです。
しかし、3年半経過し、日銀は、いろいろな力関係に翻弄されて、迷走を始めました。一度、迷走が始まると、もう、軌道修正は不可能です。
政府も日銀も、未だに「デフレ脱却」を叫んでいます。原因を修正しなければ結果は変わらないことに、まだ気づいていません。いや、いくら何でも、もう気が付いているとは思うのですが、原因を修正する勇気が持てないことを隠しておくために、あえて、気付かないふりをしているのでしょう。このブログでは、3年半前のアベノミクス発表時に「90%以上の確率で失敗する」と書きました。アベノミクスは人災でしかありません。

ただ、謝っておかねばならないことがあります。
大変、申し訳ありません。
石田は、黒田総裁が日本を壊した大悪党と認定している関係で、どうしても、そのような記事紹介をすることが多いです。
片手落ちだと思われる方は、黒田総裁や安倍総理に好意的な解説をしている人達もいますので、どうか、そういう記事も探して読んでみてください。もしも、そういう記事に出会えなかった時は、重ねて「ごめんなさい」です。


2016-10-04



自然淘汰 [評論]



日銀の含み損が、約9兆円になったという記事があります。
既に、債務超過状態になっているのではないかと言われますが、新聞やテレビで、このようなニュースには遭遇しません。もっとも、私は新聞を一紙も購読していませんし、NHKとも視聴契約を結んでいませんので、NHKは視聴していませんので、知らないだけかもしれません。でも、ネットのニュースを見ていても、日銀の債務超過が、大きな話題になっている様子はありません。
中央銀行が赤字になっても、国民には関係ないのでしょうか。
ネットから情報を取得する人が増えていることは事実なのでしょうが、この国の世論を動かしているのは、まだまだ、新聞とテレビです。新聞やテレビが報じないことは、この世に存在していないかのような扱いになっています。

日銀による国債購入という金融政策なんて、庶民は「別世界の話」程度にしか受け取っていませんし、日銀が評価損を抱えたからといって、「だから、なに」としか思いません。
ところが、実際には、国民一人一人の財布に影響を与えるのです。
そもそも、日銀が国債をファイナンスすることは法律で禁じられています。
しかし、今実施されている国債購入は、法律の文言を盾に取り、国(財務省)から直接購入しなければ国債ファイナンスには当たらないという隙間を利用しているのです。「国→日銀」は法律違反ですが、「国→民間→日銀」は法律違反ではないという解釈なのです。「天下り」の規制と同じ手法です。クッション一つで合法になるのです。
法治国家であるとか、法に従えとか、言われますが、法律そのものが完璧な法律なんて存在しません。法律は抜け穴だらけなのです。特に、公的機関や公人の行動を縛る法律は、最初から抜け穴が用意された法律なのです。仮に、私が公人として法律を作る立場にあったとしても、当然のように、抜け穴は用意します。その上で「法は絶対」だと民には要求します。人間ですから、自分には甘く、他人に厳しくなるのは仕方ありません。
また、「国債の購入は、どこの国でもやっているじゃないか」という言い訳もあります。
もちろん、国民に不利益がなければ、それでもいいのでしょう。
大丈夫なのでしょうか。
現に、評価損が発生していますが、国債購入で発生した損失はどうするのでしょう。
今年の半期決算で、損失をどう評価するのか。来年の本決算で、損失の処理をどうするのか。民間金融機関と違い、日銀には営業努力やコストダウンを含む経営努力は存在しませんので、赤字補填は国がやるしかありません。仮に、来年3月の決算で、評価損が5兆円になっていたら、その5兆円は、どう処理するのでしょう。
5兆円ですよ。半端な金額ではありません。
バブル崩壊後、一般金融機関に国が公的資金を投入して多くの議論を巻き起こしましたが、あの時の税金投入は累計で9兆円だと記憶しています。しかも、民間会社に税金を貸し付けても、返済してくれます。日銀は、利益を出すことが目的にはなっていませんので、返済はしてくれません。また、日銀の債務超過は単年度だけでは終わりません。国債購入が続けられる限り、毎年、債務超過になります。

含み損という概念から一番遠い場所にある日銀が、なぜ、債務超過になるのでしょう。
それは、金融緩和政策という名称で大量の国債を市中から買い入れているからです。法律で禁止されていますから、直接購入はしていませんが、国から直接購入していれば、評価損は発生しません。いや、発生はしますが、債務超過になるような損失にはなりません。
日銀の市中からの国債購入は、時価で買う訳ではありません。額面で買わなければ誰も売ってくれないからです。たとえば、2%の利息がついている国債を、現在のマイナス金利で売る馬鹿はいませんので、当然のことです。
ですから、日銀は国債を購入すればするほど、金利差分の含み損が発生するのです。
来年末には、日銀の含み損は、約20兆円になると言われています。
9兆円でも、日銀は債務超過になっていると見られていますが、20兆円の含み損になれば、何らかの対応が求められます。しかも、年々、その債務超過は膨らんでいきます。
金融機関の債務超過は、どこの国でも認められていません。金融機関を破綻させるか、税金を投入して再建させるかの対応がとられます。中央銀行の場合は、一般の金融機関とは別だという意見もあります。確かに、この地球上に日本一国しかないのであれば、その理屈も通るかもしれません。でも、現実として、世界がそれを認めるでしょうか。そんな屁理屈は通らないと思います。
だとすると、中央銀行を破綻させるわけにはいきませんので、税金を投入してでも、債務超過を解消する必要があります。
一部には、新たな国債を発行して、日銀の債務超過をチャラにすれば何の問題もない、という意見もあります。しかし、その意見には無理があります。なぜなら、その意見の前提には、無期限に、無制限に、国債の発行は可能であるという条件があるからです。そんな無茶な理屈が通るのでしょうか。
たとえば、財務省が試算したように50年後の国債残高が、8,000兆円だとします。その時の長期金利が、仮に5%だとすると、支払利息は400兆円になります。50年後の日本人口から見て、日本のGDPは、よくても300兆円、もしかすると200兆円かもしれないのです。GDPを越えるような利息を、どうすれば払えるのでしょう。支払利息400兆円という数字は、文字通り利息だけの話です。元本は、8,000兆円のままです。翌年も、翌々年も、利息は支払わねばなりません。しかも、借金は8,000兆円で打ち止めになっているわけではなく、増加していきます。支払う利息も増えていきます。こんなこと、出来るのでしょうか。
つまり、国債の発行には、限度があるということなのではありませんか。
もちろん、先送りはできます。「今さえよければ」であれば、それでもいいのでしょう。

では、税金の投入で債務超過を解消するためには、どれほどの増税をしなければならないのでしょう。仮に、毎年、5兆円ずつ税金を日銀に投入するとすれば、消費税を毎年2%ずつ増税しなければなりません。
それ以外にも増税の必要性は出てきます。それを、消費税換算で1%としてみます。
もしも、仮に、2年後から3%の増税を実施したとすると、7年後には、消費税は23%になり、消費税の増税も限界に達します。
それでも、何らかの増税は必要です。
以前にも書きましたが、国家運営の費用も、借金の利息も、借金の返済も、その資金の出所は一か所なのです。国民の財布以外に、原資はありません。
国民に支払い能力がなくなれば、支払い不能になるのは当たり前です。
つまり、今、この国の国家運営者がやっていることは、金融政策という名で、国民の支払い能力を潰すような種まきをしていることになり、国民の支払い能力を超える借金をし続け、国民を追いつめているのです。最終的には、国を亡ぼそうとしているのであり、今は、まさに、その途上にあるということです。
どんなことにも限界はあります。
どうしても越えられない限界は存在しているのです。

では。
政府は、「日銀の債務超過を解消するために増税をします」と言えるのでしょうか。
言えない、と思います。
何らかのカラクリを必要とします。
どんな方法があるのか、私にはわかりません。
社会保障と税の一体改革というカラクリは一回しか使えません。
いや、日本国民相手であれば、何回でも使えるのかもしれません。
でも、心配いりません。
日本の官僚は優秀ですから、必ず、カラクリは見つけてくれるでしょう。
もしも、仮に、万が一、カラクリが見つからないとしても、心配はありません。
もし、うまいカラクリが見つけられない場合は、国債の増発に頼ればいいのです。
現在、150兆円の国債を発行しているとすれば、それが155兆円になったところで、誰も気にしません。いや、国債がいくら発行されているかを知っている国民はいません。ですから、「ちょいと」上乗せしておけば、誰にもバレることはないのです。
そうです。
「先送り」という伝家の宝刀があるのです。
このほうが、現実的な対応だと言えます。
国民に説明を求められることもありません。
長期金利は、いずれ、上昇に転じますので、日銀による国債購入が継続される限り、額面で購入していれば、日銀の含み損は含み益に変わります。取り敢えず、この数年間、長期金利が上昇するまで、秘密裏に日銀の債務補填を国債でやっておけば、日銀の金利差による債務超過は解消します。
ただし、過去に購入した国債は、多分2%近辺だと思いますので、それ以上に、金利上昇が進めば、含み損の材料になりますので、含み損からは、逃れることができません。
長期金利は変動するのが常態ですから、日銀の財務諸表が健全化することは、もう、二度とないのです。
問題は、その長期金利の上昇です。
中でも、最も危険なのが、長期金利の急騰です。
長期金利の急騰と言っても実感が沸かないと思いますが、国債価格の暴落を意味します。もっと、わかり易く言えば、1万円札の価値が、1,000円になったり、100円になったり、10円になったり、1円になることを意味します。
急騰、急落、乱高下というパターンよりも、急騰、高止まりのケースのほうが多いと思います。急騰してしまった金利は、しばらく下がりません。仮に、好材料が出たとしても、様子見が続くと思います。逆に、高止まりしている間に、悪材料が出れば、さらに上昇します。いや、まだ上昇している間は希望が持てます。最終的に国債が紙屑になれば、金利そのものが存在しなくなるのです。
さて、日本の財政は、この長期金利の急騰に耐えられるでしょうか。
先送りを続けてきましたが、最終的には、国民の財布を当てにするしかありません。
先送りは、どこまでも先送りなのですから、いつか、限界を迎える運命にあります。
では、長期金利の急騰に対応するために、増税で対応出来るのでしょうか。
例えば、10%の消費税を、明日から30%にする、なんてこと出来ますか。
増税は、真綿で首を締めるように、じわじわとやるのが常道です。
急に、税金を3倍にするなんて言われても、国民が受け入れる訳がありません。
ですから、消費税だけではなく、あらゆる税金を上げなくてはならなくなります。直間比率であるとか、税の公平性だとか、口実を言っている余裕はありません。ともかく、辻褄を合わせなくてはなりません。資金繰りとはそういうものです。
最後には、資産税の新設と通貨切り替えという最終兵器を出すことになります。
もう、その段階では、明日の借金返済をするための目先の現金しか目に入りません。
もちろん、1週間後にも、1か月後にも返済期日は迫っています。元本の返済など夢のまた夢ですから、利息を支払って、先延ばしをするのですが、その利息を払うお金がなくなるのです。元本が残ったままですから、その状態はエンドレスで続きます。資金繰りに追われたことのない方には理解しにくいと思いますが、毎日が地獄です。
資金繰りに追われるようになると、何でもあり、になります。
この頃になれば、さすがの日本人も目を覚ますでしょう。
社会は大混乱です。
政府が、何でもありなら、国民も、何でもありになります。
徴税に応じる国民はいなくなるでしょう。
いや、もう、国民は鼻字も出ない状況に追いつめられていると思います。
納税拒否をする1億人の国民を逮捕することは、物理的に不可能です。もちろん、1億人の国民の家財を差し押さえることも不可能です。たとえ、家財を差し押さえたとしても換金できません。
政府は、統治能力を失うことになり、日本は無政府状態になります。もちろん、財政は破綻します。財政が壊れるだけではなく、社会そのものが壊れるのです。
国民は生き残りをかけた戦いに挑むことになり、多くの犠牲者を出します。
国内には、必要量の40%の食糧しかありませんので、自然淘汰が起きるのです。
まるで、小説のプロットのようですが、これが、現実に起きることなのです。
どうして、こんな簡単なことが想像できないのか、不思議でなりません。
国家崩壊に繋がるような難問が山積していますが、日本国民は、「誰かが、何とかしてくれる」と信じています。
日本は民主国家ではありませんので、仕方ありませんが、そろそろ、目を覚まさねばなりません。
国民が自分の手で、何とかするしか方法はないのです。
誰も、何も、してくれません。

個人的にですが、国家とは「子供たちの未来のために存在するシステム」だと思っています。以前に書きましたが、人類の最終目標は、この地球上で生き延びることです。そのためには、子孫が欠かせません。ごく、当たり前のことですが、私たちは、このことを忘れることがあります。「自分さえよければ」「今さえよければ」「俺には関係ねえ」と思っていたのでは、目標を見失うのです。
もしも、「国家とは」の定義が「子供たちの未来」であり、それが国民の総意であれば、そして大人が自分の責務を知っていたら、いくらなんでも、先送りが子供たちの未来を壊すことになることに気付くのではないでしょうか。
もしも、国家目標が「子供たちの未来」であるなら、自分の責任は、自分の代で決着させねばなりません。でも、現状では、大人は、誰も、責任を取ろうとしません。山のような「先送り」が子供たちの代に残されるのです。1,000兆円という借金が、その集大成なのです。こんな借金、子供たちの手で返せるはずがありません。
いつも、話題にはなりますが、豊洲問題でも、オリンピック問題でも話題になりましたが、責任者不在というシステムの不具合は、いつの間にか消えてしまいます。もっとも、責任者がいたとしても、責任を取ったという話は聞きませんので、責任者なんて不要なのでしょう。また、責任をとれないほど大規模な決断をしている人は、責任が大きすぎて無罪放免になります。安倍さんや黒田さんは、一万回割腹しても責任を取ったことにはなりません。どう転んでも「なあなあ」「まあまあ」で済んでしまうのです。これでは、やりたい放題です。「子供たちの未来」も斟酌する必要がないのであれば、「自分さえ、よければ」「今さえ、よければ」でもいいのです。
でも。
ほんとに、これでいいのでしょうか。
これでは、駄目ですよね。
何とかしなくては、なりませんよね。
では、誰が、「子供たちの未来」を守ればいいのですか。
国民以外に、それができる人はいるのでしょうか。
国民が自分の責務に気付くしかないのではありませんか。
他に、誰も、いないのですから。


2016-10-03



天皇の反乱 [評論]



9月に「大日本帝国の夢」で書きました天皇陛下の抵抗は成功しなかったようです。
政府は、天皇の意向に沿うためと称し、摂政を立て、天皇の公務を減らし、現・天皇に限り生前退位を認める特別措置法で切り抜けるという方向で動き出した、という記事があります。
世論が、天皇の生前退位に好意的な反応なのですから、ここは「先送り」をすることが良策だと判断したのでしょう。もしも、生前退位に賛成する人が50%であれば、無視することも出来ました。皇室典範の改正ではなく、特別措置法で対応するということは、そういうことです。先送りは、彼等にとって、慣れ親しんだやり方ですから、楽でもあります。
でも、そこには「日本会議」という右翼団体の影響が、色濃く見えています。
ま、総理大臣を筆頭に、大半の閣僚が日本会議の会員なのですから、当然の結果ですが、私は怖さを感じます。

「どうしても辞めたいのであれば、仕方がない。でも、それは、あなたの我儘なのですよ。世論がうるさいから、とりあえず、特別に、あなただけ、認めてあげましょう」
「あなたは、大人しく、ニコニコと笑って、手を振るだけでいいのです。余計なことを考えてはいけません。あなたは、ただの象徴ですから」
「あなたには、利用される価値があるのです。だから、東京の一等地に広大な屋敷を作り、充分な生活費も出してあげているのです。何か、勘違いされてませんか。飼い主である権力に反抗するような象徴は必要なくなりますよ。そうなったら、あなたたちは、どうやって生きていくのですか。よくよく、自分の立場を考えることです」
と言っているように聞こえます。

天皇の反乱は失敗に終わったと思います。
奇跡があるとすれば、天皇家が一枚岩になっている必要があります。
仮に、皇太子が即位し、天皇として生前退位を希望し、仮に、秋篠宮が即位し、秋篠宮も天皇として生前退位を希望し、仮に、悠仁親王が即位し、生前退位を希望した場合、特別措置法で対処できるとは思えません。日本会議も真っ青です。天皇制以外のツールを真剣に探さねばなりません。
でも、そんな奇跡は、起きませんよね。
天皇家は、これまでの天皇と同じで「利用されて、なんぼ」の存在であることを受けいれるしかありません。権力者からの看板利用料で生き延びてきたのが、天皇家の歴史です。
お気の毒だとは思いますが、これは宿命でもあるのでしょう。
天皇陛下を助けることができるのは、国民しかありません。天皇家を文化として敬い、国民が、権力に利用されることのない天皇家を大切に思えば、天皇は、文化の象徴として存在することができます。茶道や華道よりも、遥かに長い歴史を持っています。日本文化の象徴的な存在である、という意味では「象徴」という言葉が生きてきます。
利用する勢力があるから、ややこしくなるのです。

もしも、国民が天皇を心の拠り所としているのであれば、日々の生活が、天皇を敬うことで成り立っているのであれば、天皇主権主義にすればいいのです。
でも、現実は違います。
国民の心の拠り所は、天皇ではありません。
国民の生活は、天皇の存在とは無関係です。
国民は、日々の生活で、天皇という言葉も、天皇という存在も意識していません。宗教として天皇を心の拠り所としろと言われても、何のご利益もありませんので、無視されます。日本には、多くの宗教が混在し、無宗教の国民も多いのですから、イスラム国とは違い、天皇教で国家統治をすることには限界があります。神道を信じる方を否定するつもりはありませんので、神道は神道として、信者を獲得すればいいのです。ただ、天皇を巻き込むのは、もう、時代錯誤になっていることに気付くべきです。
もちろん、法と武力を盾にして、天皇独裁の国体になれば、国民は従います。それは、命の危険を回避するためです。日本会議は、天皇を金正恩にしたいのでしょうか。

天皇の反乱や政府の対応や日本会議の主張を見ていると、この国が民主国家であったことを忘れてしまいます。ごめんなさい。民主国家ではありませんでした。
「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義をすれば、こんな茶番劇をする必要もありません。国と国民と民主主義の中に、天皇の入る余地はないのです。
確かに、この国は曖昧文化の国だと言われますが、それは、文化に限定しなくてはなりません。国体を曖昧にすれば、その曖昧の隙間に魑魅魍魎が住み着き、国民の生き血を吸うことになります。
「なあなあ」や「まあまあ」や腹芸や水面下という言葉は無くならないでしょう。文化とはそういうものです。しかし、原則だけは堅持しなければなりません。国体と文化を混同してはいけません。
民主国家という国体を標榜するのであれば、「国とは、国民とは、民主主義とは」という原則を曖昧にしていたのでは民主国家にはなれないのです。
もっとも、こんなことを言う国民はいませんので、権力に好きなように利用されても仕方ありません。利用されているのは天皇だけではありません。気が付いていないようですが、国民も立派に利用されているのです。とりあえず、天皇は抵抗して見せたのですから、尊敬します。国民の皆さんは、いつまで、「下々」や「百姓」の立場に甘んじるつもりなのでしょう。この構造が、日本崩壊を招くことになるのです。曖昧国体の隙間に住み着いた魑魅魍魎が、この国を破壊するのです。国民は「あちゃー」と言うだけですか。
日本崩壊は、構造的な欠陥による必然的な出来事だと思います。

数年前、ある催しに出席された天皇と皇后が退席される時、会場から万歳三唱が起きました。陛下と皇后は途中で歩みを止められましたが、その時の、天皇の、困惑した表情が忘れられません。多分、あの会場に参列していた人達が日本会議の会員だったのでしょう。天皇の脳裏をよぎったのは、「天皇陛下、万歳」と叫んで死地に飛び込んで行く兵士の姿だったのではないでしょうか。温厚な方ですから、苦笑いを残して会場を去りましたが、危険な臭いを苦々しく思っていたのではないかと推測します。陛下は、父君である昭和天皇が、一番苦しんだのは「天皇陛下、万歳」と叫んで死んでいった何十万、何百万の兵士の存在であり、その家族の苦悩だったということを知っています。いつも、にこやかに笑っていますが、万歳三唱には苦しめられているのではないかと思います。「このままでは、また、天皇が利用される日が来るかもしれない」という危惧を抱いたとしても不思議ではありません。
私は、中学生か高校生の頃に、先輩に連れられて一般参賀に行ったことがあります。立っておられたのは昭和天皇です。群衆は「万歳、万歳、万歳」と叫んでいました。天皇は笑みを浮かべて手を振っておられましたが、天皇にとっては地獄の責め苦だったのではないかと、今では、そう感じます。「黙して語らず」が天皇の重要な仕事ですから、天皇の心中を察すると、不憫でなりません。
誤解がないように書いておかねばならないのは、天皇は社民党の党首ではないということです。戦争は、しないほうがいいと思うのは誰でも同じです。でも、国家が、たとえ戦争という手段を使ってでも、国民を守らねばならない時があることを、天皇であればわかっているはずです。ただ、騙されたり、強制されて、「天皇陛下、万歳」と叫んで死んでいく兵がいてはいけないと思っているものと推測します。それは、社民党の認識とは全く別のものです。
もし、この国が民主国家であり、国家の使命が国民の生命と財産を守ることであれば、攻撃力も守備力も持った国軍が必要です。戦争の出来る国でなければなりません。戦争をすれば戦死する兵士は必ずいます。国軍の兵士は、国民のために死を覚悟で戦うのです。陛下も、そのことを否定することはないと思います。

国民の皆さん。
私達の国は、そろそろ、民主国家になる時なのではありませんか。
時計を逆回しするような愚行は、国民を幸福にしません。


2016-10-02



生き血を吸う [評論]



今日は、先月の話題の続編になります。
東京都知事に就任した小池氏が、築地市場の豊洲移転に「待った」をかけました。
その「待った」をかけた原因の「盛り土」の件はここでは詳しく書きません。
なぜなら、「盛り土」は零れ落ちた一つの現象にすぎないと思うからです。
何から零れ落ちたのか。
利権です。
もしも、国家運営や地方自治が、国民や都民の利益のために行われていたのであれば、都民の食を供給する市場を、汚染された豊洲に移転することは理屈にあいません。
それでも、すったもんだの挙句、誰かが「安全宣言」を出し、一件落着するのです。
でも、ほんとに、そうなのでしょうか。
「お上」の言うことなら、正しいのですか。
豊洲は埋め立て地ですから、地震が起きれば、当然、液状化現象が起こる可能性があります。地下から湧きだしてくる水は汚染された水です。東南海地震や首都直下型地震の発生が警告されている今、なぜ、食料品の集積場を危険な場所に移転するのでしょう。地震発生後、中央卸売市場が汚染物質のために機能出来なかった場合、大人口を抱える東京都は、都民の食をどうやって供給する積りなのでしょう。災害時に、人口密集地になっている東京の住民を、どうやって守るのか。これも、東京都の大きな課題です。
豊洲移転は、どこかすっきりとしない、どこかにチグハグがあるような、収まりの悪さを感じさせます。こういう場合は、何かあるのです。肝心なピースが欠けているために、説明がつかないのです。私は、その欠けているピースが利権だと思います。もちろん、これは、私の独断と偏見によるものかもしれません。証明はできませんが、利権という視点から豊洲をみれば、ストンと腹に落ちると思います。
東京という巨大な地方自治体の運営を任されている人達が、「利権ファースト」で自治体運営をやっているとすれば、都民の安全など守れません。
普段は裏に隠れて見えない利権ですが、時々、表面に出てきます。そんな時、「悪いのは一部の人であり、都議会の先生方も都庁の職員の方も、一生懸命、都民のために働いてくれている」と言う方がいます。
だったら、なぜ、今頃になって、こんなことが出てきたのでしょう。
そうです。小池新知事が、自分が都知事になった成果を出したいために、豊洲移転問題を調査したからです。これは、明らかに権力闘争です。「寝た子を起こしやがって」と思っている人は大勢いると思います。
秘密裏に工事をして、工事に従事した作業員を全員殺したのであれば、バレることはありませんが、普通に工事が行われ、関係者は書類に判を押していたのです。ですから、関係者は、知っていたはずです。いや、「盛り土」案はとっくにお蔵入りになっていましたので、誰一人疑問に思わなかったのでしょう。都民への広報に「盛り土」が残っていたことにも気づきませんでした。東京都運営集団は、「盛り土」だけではなく、「お上」のやることに「都民の馬鹿どもは、気付きゃしないさ」と考え、都民が自分達の雇い主だという認識もないのですから、これは傲慢から生まれた単純ミスです。小池知事は、そこに切り込んだのです。結果的には、皆で協力して、都民を馬鹿にして、隠していたのです。寝た子は「盛り土」ちゃんだけではありません。小池知事にしても、寝た子を全部起こしてしまえば、東京都は空中分解してしまいますので、得点を挙げれば矛を収めます。これは、権力闘争の一場面、それも茶番に過ぎないのです。
「なあなあ」「まあまあ」で責任を霧散させようとすれば、隠蔽が、最も強力な武器だという証明です。これは、東京だけで起きているのではなく、日本全体が、そういう体質になっているのです。

民主国家で、なぜ、こんな馬鹿げたことが起きるのでしょうか。
主権者のために、国も地方も存在しているはずなのですが、そうはなっていません。
都民には、想像できないと思います。
それは、都民の皆さんが、まだ性善説を信じているからです。
実は、この出発点が間違っているのです。
ここで、東京都の運営を委託されている人達を魑魅魍魎軍団と呼んでみます。
軍団の構成員は、政治家、官僚、企業、各種団体の指導的な立場にいる人達です。
魑魅魍魎は「悪さ」をして、初めて魑魅魍魎になれるのです。善き人では、魑魅魍魎にはなれません。性善説から外れた人たちが集まって軍団を作っているのですから、性善説は通用しないのです。
そんな彼らがどんなことを考えるのか。
彼等の発想の原点は、利権の最大化なのです。
都民のことも、食のことも、どうでもいいことなのです。
何よりも、大事なのは、利権なんです。
利権ありきで、物事が決まっていくのです。
そして、そのことが、当たり前のことになっているのです。
もちろん、発想の原点は、それぞれの構成員の頭の中にあるものですから、可視化はできませんし、それを証明することもできません。しかし、結果から遡って見ていくと、構成員の頭の中にあるのが利権でなくては説明がつかないのです。
あらゆる技を使って、利権を肥え太らせることが、彼等の目的なのです。
とても、性善説では説明がつきません。
もしも、仮に、豊洲市場が使用できなくなったとしても、中央市場は必要です。そこには次の利権が生まれるのですから、一粒で何度でも美味しい利権が手に入るのです。彼等は困りません。彼等が絶対に避けなければならないのは、責任を取るということです。生贄になってしまえば、軍団には残れません。
そもそも、利権の構築から出発しなければ、豊洲に市場を作るという発想は出てきません。
「どこに移転すれば、一番甘い汁が吸えるか」が出発点なのです。汚染された東京ガスの使えない土地を使えるようにすれば、いろいろな利権が増えるじゃないか。
都民の生活、都民の食、都民の安全を、事業計画の前提にしていたのでは、利権が小さいのです。利権ありき、ではなく、利権の最大化ありきで、事業計画は作成されているのです。これまでは、優秀な東京都の職員が、行政をチェックするはずの議員の先生方の指導により、辻褄を合わせることに成功してきました。全員がお仲間なのですから、息は合っています。今回は、上手の手から水が零れたにすぎません。
発想の原点が、利権であることに都民が気付かなければ、何も変わりません。
利権以外の、その他諸々の事柄は、付帯事項にすぎません。もちろん、彼等にとって、都民や食は付帯事項の中の付則ほどの価値しかありません。そのことは、既に、国が実践して証明しています。東京都が都民ファーストで都政をやってきたなんてことはないのです。
残念ながら、この先も、それはありません。小池知事でも、無理です。

豊洲市場に限らず、公共工事の当初予算が、その金額で収まったことなどありません。
今回の中央卸売市場の移転でも、費用は膨れ上がっています。それが、全部、魑魅魍魎の餌になっているのです。
今回の工事でも、予算が増額され、しかも、競争入札ではなく、どの工事でも入札したのは一社だけです。入札制度があっても、応札企業が一社であれば、随意契約と同じです。たとえ業者が談合していたとしても、建前さえあれば、何をやってもいいのです。「私達は、規則に則って仕事をしました」という言い訳が立てばいいのですから、怖いものはありません。「違法行為はありません」と胸を張りますが、法律が彼等の味方なのですから、どうすることもできません。都民の安全が目的にはなっていないことを気にする人はいません。
実際に、豊洲市場の入札では、増額された予定価格に対して99.8%の落札額になっています。最大化された利権が着々と実を結んでいるのです。確かに、私達には見慣れた風景です。国が手本を示しているのですから、地方自治体はその軌跡を辿ればいいだけです。
東京ガスが、汚染した土地を東京都へ売った金額が、約1,800億円だそうです。東京都は、汚染対策事業として、約900億円の費用をかけました。ここにも、利権があります。
汚染された土地を買ってくれるような奇特な人は民間にはいませんので、東京都の申し出は、東京ガスにとって大変結構な出来事でした。東京に限らず、地方自治体と電力・ガス会社の関係はズブズブの関係だと言われています。東京都と東京ガスの間に立ったのが誰かは知りませんが、そこそこの大物でなければ、こんな斡旋はできないでしょう。もちろん、裏金がいくら動いたのか、なんてわかりません。
中央卸売市場の移転が必要とされる要件は、実際にあったと思います。
その案件に群がった魑魅魍魎がどれほどいたのか、いや、まだまだ、これから生き血を吸おうとしている魑魅魍魎がどれほどいるのか、不明です。
築地は、東京都中央区にあります。新橋や銀座から至近距離にある、一等地です。
一方、豊洲は、東京都江東区にある出島です。
さて、ここからが、真打の登場です。
築地市場の跡地を、どうするのか。
莫大な利権が埋もれています。
オリンピック用の道路建設が予定されているようですが、全部が道路になるわけではありません。もちろん、道路も欠くことのできない利権です。
ここでも、大きな裏金が動くことは、間違いないことでしょう。
ともかく、税金は、使った方が勝ちなんです。当初予算なんて、いくらでも増額できます。予算増額の理由なんて、官僚の最も得意とする仕事です。魑魅魍魎の餌を生み出すために官僚は存在しているのです。実権を持っているのは官僚だと言われます。官僚がいなくなれば、餌が枯渇するのですから、誰も官僚に足を向けて眠れません。

利権の原資は税金なんですから、都民や国民を除けば、誰の腹も傷みません。
この国は、国民主権の国ではありませんので、文句を言う人はいません。
今の東京都は、昭和後期の日本と同じで、税金は使い放題です。国家財政が逼迫している今、東京都は魑魅魍魎にとって、最も美味しい土地なのかもしれません。国家財政から1,000兆円もの生き血を吸った魑魅魍魎です。東京であれば、数百兆円の生き血があると踏んでいるのかもしれません。東京一極集中と言われますが、それは人口だけではありません。魑魅魍魎も東京に集結しているのです。
では、新都知事は、この件をどうしようとしているのでしょう。
築地市場の跡地をセントラルパークのように、全面的に公園にして、永久不変の法律でも作るのでしょうか。
ま、公園化工事にも裏金は動きますが、都民にとっては、一番傷が浅い対応になるものと思います。
でも。現実的には、公的利用も民間払い下げもある、「なあなあ」「まあまあ」の決着が想定しやすい対応になります。公的な利用は、将来の裏金製造装置ですから、利権の分割方式だとすれば、魑魅魍魎も納得できるでしょう。

それでも、事態は前へ動いています。
いわゆる水面下という場所で、交渉を始める準備が着々と進んでいるものと推察します。
水面下で、自民党と小池知事の手打ちをする儀式が行われるのです。「いろいろと問題はあったが、安全性が確認されたから、豊洲に移転します」という落としどころは決まっているのです。
民主主義という視点に立たなければ、この問題の本質は見えません。しかし、似非民主主義には守らねばならない原則が存在していませんから、最終的には「なあなあ」「まあまあ」で決着することも認められます。今回の件で、魑魅魍魎の側にも痛い目に遭う人がいるでしょうが、そんなもの、次の利権で取り戻せばいいのです。
オリンピック施設も絡んできますので、自民党東京都連では役不足でしょう。自民党本部の案件になり、それも、もしかすると、総理大臣が関与する案件になる可能性もあります。
小池さんも、神ではありませんので、どこかで失敗をします。その時の保険は用意しておかねばなりません。政治の世界は貸し借りの世界です。都民も国民も関係ありません。

彼等にとって、国民が払ってくれる税金と、国民が責任を取ってくれる借金ほど、美味しい蜜はありません。そこに、魑魅魍魎が寄ってくるのは自然現象です。
しかも、国と国民の関係が曖昧なこの国では、魑魅魍魎にとって実に住みやすい場所です。
国民の利益が優先されるのではなく、魑魅魍魎の利益が優先される社会は、民主国家ではありません。それは、魑魅魍魎主権国家です。独裁国は、独裁者がいますのでわかりやすい構造になっていますが、魑魅魍魎の場合は、集団ですから判別が難しいという条件があり、独裁政権よりは長期間続くことになります。しかし、独裁体制であることは変わりません。それが、日本流の「お上」と「下々」という構造です。
時折、氷山の一角が国民の目に見えることがありますが、国民は「またか」「俺には関係ねぇ」と思っていますので、マスコミが商売のネタにするだけです。全部、皆さんの税金なんですが、税金を支払っている側も、税金を使っている側も、日常になってしまっていますので、税金は空気のようなもので、国民は気にしていないのが現実です。これって、「下々」的発想でしかありません。国民は、国家運営を外注している親会社みたいなものですが、外注先が自分の利益の最大化をしているのに、何も注文をつけることはできないのでしょうか。これが、出来ないのです。「下々」が「お上」に注文を付けるなど、もってのほかなのです。「下々」は、実に、うまく、統治されています。「下々」が「下々」を受け入れている限り、この国民統治体制は変わりません。
冒頭で、今回の豊洲問題は権力闘争だと書きました。どんな国でも権力闘争はあります。権力闘争がなければ、問題が闇に葬られるのであれば、民主主義なんて何の価値もありません。この問題の根っ子は、そこにあります。行政をチェックする議会が、率先して闇を作っているのです。つまり、選挙も間接民主主義も機能していないことを証明している。選挙制度さえあれば民主国家だと思っている都民の皆さん、いや、国民の皆さん、この国が民主国家ではないことに気付くべきです。これは、国民の責任です。注文をつけない国民に責任はあるのです。性善説、自浄能力、そんなものが役に立ったことなどありません。

でも。
百歩譲って、利権は仕方がないとしても、借金はいけまません。
今でも、税金は好き放題に使われているのです。
借金は、誰かが、いつか、全額、支払わねばならなくなります。たとえ、元本が返済できないとしても利息は支払わねばなりません。ですから、「お上」は、もっと税金を出せと言ってきます。税金が払えないのなら、資産を出せと言います。税金も資産も出せないような国民は必要ないから「死ね」と言うでしょう。もちろん、国家は人間ではありませんので、発語することはできません。でも、国民を守ることが使命の国家が国民を守れないのであれば、それは「死ね」と言っていることと等しいと思います。
借金の利息を支払うのは、誰かって。
もちろん、支払う人は国民以外にいませんので、皆さんが支払うのです。
最後は、国民が責任を取らされるのです。
ま、10年以内に、あの世へ逝ける人は幸せです。
日本流・魑魅魍魎独裁体制は、市民が自分の手で民主主義を勝ち取るまで続きます。
借金さえなければ、「なあなあ」「まあまあ」も有効な手段だったのでしょうが、ここまで借金が膨れ上がると、競争です。市民が勝つか、国が亡びるのが先か、という競争です。
国民の目の前に、判断材料は山のように積み上げられているのに、誰も、その山のことを気にしていません。
ですから、日本崩壊は、自業自得なのです。
魑魅魍魎を悪の権化のように言っていますが、私は、羨ましいとも思っています。
誰だって、人間であれば、魑魅魍魎になれるのです。あなたも私も、その能力があれば例外なく魑魅魍魎になります。残念なことに、私にはその能力がありませんでした。しかし、能力不足だった私達は、そんな魑魅魍魎達に国家運営や自治体の運営を任せているのです。そんな状況で性善説を信じていてはいけません。出来る限り、魑魅魍魎が利権漁りをできないようなシステムを作らなければならないのです。その第一歩が言葉の定義です。
「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義があったら、こんな結末はなかったのではないかと思います。崩壊するまでに、このことに着目する方はいないでしょう。でも、崩壊後、何人の日本人が生き残るか不明ですが、是非とも、この定義に気付いて欲しいと思っています。それも、無理なのでしょうか。目を覚ますことはないのでしょうか。目を覚ましさえすれば、誰もが、簡単に気付くことなんですが、希望は持てないのでしょうか。


2016-10-01



前の30件 | -
メッセージを送る