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石田友の世界へ ようこそ

このブログは、「妄想」と「無茶な提案」の山が連なる暗黒連峰です。 この暗闇を抜け出して、子供達の未来を守りたいと願い、書いています。 「妄想」ですから、眉に唾をして読んでください。


最新記事

2019-05-06 評論       「空気に支配される危険」 
2019-05-05 評論       「転職・起業の準備は出来ていますか」 
2019-05-04 評論       「国力衰退と貧困と崩壊という流れ」 
2019-05-03 評論       「国民の皆さんは、どうしたいですか」 
2019-05-02 評論       「民主主義風王政並立封建制度」 
2019-05-01 評論       「相対的貧国と絶対的貧困は仲良し」 







再掲載

    崩壊との遭遇      崩壊後の社会    

   簡単な算数       財務省の推計  


このプログには、次のオリジナル小説があります。

長編小説 「無力」「海の果て1-3部」「理不尽」「陽だまり」「復讐」 「弱き者よ」
短編小説 「不運」 「天軍の藍」「甲子園城」「川面城」
超短編  「すずめ」 「雨」 「算術」 「逃亡者」 「告発」「火球少女」「花火」

・・・ それぞれの小説へは、この下にある目次から飛んでください ・・・

         日記は左の 記事一覧 からお願いします

  >>> 目 次 <<< 




[ あらすじ ]

    1    

[ 無力 ]

    1     2     3     4     5     6     7     8     9      

   10    11    12    13    14    15    16    17      


[ 海の果て・・・ 1部 ]

    1     2     3     4     5     6     7     8     9     

[ 海の果て・・・ 2部 ]

    1     2     3     4         

[ 海の果て・・・ 3部 ]

    1     2     3     4         


[ 不運 ]

    1    


[ 天軍の藍 ]

    1   


[ 理不尽 ]

    1     2     3     4    


[ 陽だまり ]

    1     2     3     4    

[ 復讐 ]

    1     2     3     4     5    


[ 弱き者よ ]

    1     2     3     4    


[ すずめ ]

    1    


[ 雨 ]

    1    


[ 算術 ]

    1    


[ 逃亡者 ]

    1  


[ 甲子園城 ]

    1  



[ 告発 ]

    1  



[ 火球少女 ]

    1  

[ 花火 ]

    1  

[ 川面城 ]

    1  









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空気に支配される危険 [評論]



今月から令和元年になりました。
あの新元号発表イベントは、発表後の国民の反応をみると、いろいろな問題提起をしてくれていますので、今日も、そのことについて書きます。今回のテーマは、「空気」です。
明治、大正、昭和、平成、そして、令和。
ずっと続いてきたのだから、何の違和感もないと思っている方が多いと思います。
「昭和の次が平成、平成の次が令和。不思議でも何でもないでしょう。令和の次にも元号は作られるのです。元号は未来永劫絶えることはありません」
過去の延長線上に、まだ、未来はあると信じさせてくれています。
たった、二文字の言葉ですが、国民の皆さんは、根拠もなく、安堵しています。
関係のない内閣支持率まで上がってしまいました。
これが、空気の力なのです。
「わーい、わーい、希望に満ちた未来だ」
国民は、大喜びです。
この「令和祭り」に、共産党が喰いつき、また、自民党の後押しをしています。「共産党が反対しているのだから、令和祭りは正しいことなのだ」と国民は確信するでしょう。
この空気は、危ないと思います。
それは、詐欺の手口とよく似ているからです。
最近では、オレオレ詐欺が主流になっていますが、過去の大規模な詐欺事件では、大きな会場に詐欺被害者を集め、大規模なパフォーマンスと言葉巧みな美辞麗句で彼等を洗脳し、騙す手口が使われました。空気は人を支配し、人は空気に支配されるのです。私には、新元号祭りも同じ種類の詐欺のようにみえます。
元号を、伝統や神話にしたいと考えているのかもしれませんが、元号が、何百年、何千年続いても、私達の生活には何の関係もありません。
元号に関係なく、生活に苦しむ人が増えているという現実があるのです。
明日は、我が身なのかもしれません。
令和になれば、皆さんの収入は、非正規労働者の収入は、増えるのですか。
令和になれば、生活保護受給者は、生活保護を必要としなくなるのですか。
令和になれば、これ以上、貧困層は増えないのですか。
令和という言葉さえあれば、夢さえあれば、皆さんは貧困に耐えられるのですか。
違いますよね。
令和になれば、私達の生活は、より苦しくなるのです。
もちろん、元号のせいで生活が苦しくなるのではありません。
国力衰退が進み、地獄の時代が始まるのです。地獄を象徴する言葉としての「令和時代」という言葉が生まれたことを、お祝いする気持ちが理解できません。安倍さんを筆頭に政府の皆さんは、地獄が始まることを知っています。そのことを国民に知られないために、新元号発表に力を入れているのです。いや、善意に解釈すれば、せめて、お祭り気分だけでも味わってもらおうとしているのかもしれません。
「享保」という元号は、多くの方が覚えています。江戸時代中期に起きた大飢饉の象徴として、「享保の大飢饉」という名で教科書に載っている元号だからです。100年後の教科書に「令和の崩壊」という言葉が載るかもしれません。
夢や希望に満ちた時代が始まるのではありません。貧困とは縁のなかった人が、貧困層の仲間になる日が来るのです。それも、数千万人という規模で変化するのです。
お祝いしている場合ではないと思います。
これも、立派な平和ボケだと思います。
「お前なあ、空気を読めよ」
いえいえ、読んでいるから、言っているのです。

内容は違いますが、過去にも、同じような空気がありました。
それが、「原子力安全神話」です。
今では、誰も信じていませんが、当時は、誰もがあの神話を信じていました。
あれも、空気です。
国民は、詳しいことはわかりませんが、その空気を信じていたのです。
日本の原子力発電は、世界一安全なのだ。原子力発電は、他の発電よりも安いのだ。原子力発電は、環境にも優しいのだ。
神話は、永遠に続くと思っていました。
ところが、現実は、どうだったでしょう。
原子力発電は、世界一危険でした。世界一高い電気代を払っていました。環境を破壊し、修復の目途は立っていません。原発事故の後処理に巨額の費用が必要だとわかりました。使用済み核燃料は、未だに、原発敷地内に無防備な状態で保管されていて、その処理の目途は立っていません。廃炉になる原発が多くなりますが、廃炉の時に出てくる危険な廃材の処理もできません。これが現実です。
後になって、「あの神話は何だったのか」と言っても、取り返しがつきません。
国民は、「わーい、わーい、原発は安全だ。電気代が安いんだ。環境にも優しい理想の発電システムなんだ」と歓迎していたのです。
昔は、「原子力発電は危険だ」なんてことが言える空気ではありませんでした。誰もが空気を読み、大人の対応に終始し、その危険を無視したのです。異を唱える発言をすることが出来ない空気に支配されていたのです。
伝統や神話は、決して、庶民の味方ではないと思います。
空気が、いかに、危険に満ちたものなのかを認識すべきだと思います。
平和な時代では、伝統や神話は心地よいものと感じる人がいるかもしれません。でも、今は違います。伝統や神話を盾にして逃げる時ではありません。
今、この国は、平和な国ではないのです。物理的な戦争だけが、平和を損なう事態ではありません。戦争で敗戦することもありますが、勝手に自滅することだってあるのです。現実を見ると、国力衰退と貧困化が進行しています。それが、もしも、崩壊へと続くのであれば、いや、間違いなく崩壊へと向かっていますが、国にとって、国民生活にとって、大変危険なことなのです。人口・財政・戦争・災害という四大災禍が束になってやってくる可能性だってあるのです。
元号が無くても、私達の生活には、何の不都合もありません。
今、求められているのは、国力の衰退を食い止め、貧困層を増やさない政策です。
本物の課題を覆い隠すまやかしの空気は、害になるだけです。

日本の平和ボケ度は、菅官房長官の人気にも出ているようです。
菅官房長官が、「令和おじさん」と親しみを持って呼ばれ、若い女の子の間では「かわいい」と評価されています。
「桜を見る会」では、一番人気で、菅官房長官と写真を撮りたいという人が列をなしたと報道されました。
次期総理大臣という声も出ています。
もちろん、私も菅さんは嫌いではありません。政治家としても有能な方だと思っています。
でも、彼は、国家再建案を提示したわけではなく、元号発表という儀式でクローズアップされただけです。
笑顔が「かわいい」と評価する国民意識は、いかがなものかと心配します。
私達の国は、「相対的貧国と絶対的貧困は仲良し」で書いたように、既に、数千万人の国民生活が壊れ始めている国なのです。
でも、この国は平和な空気で満ちています。
まるで、貧困層は国民ではないようです。
私には、この落差が異様な光景にしか見えません。
ほとんどの国民が将来不安を持っているのに、どうしたのでしょうか。
元号で気分転換ができれば、私達の将来不安は消えるのでしょうか。
皆さんは、空気に騙されているだけなのではありませんか。
皆さん、笑顔です。
「ねえ、ねえ、聞いて、今日さあ、テレビのインタビューってやつぅ、受けちゃった。あたし、テレビに出ちゃうかも。令和おじさんって、かわいくない、ね、ね」
私だって、国民の笑顔が続いて欲しいと思います。
しかし、国家運営の責任者である国民が、アイドルや芸能人を見るような感覚で、政治を見ている現状は、大変危険だと思います。
政治家の先生方は、自分の選挙にしか関心がありません。菅官房長官を次期総理大臣にと望むのは、「笑顔がかわいい」という人気にあやかって、選挙を戦いたいと思っているからです。選挙では、人気が決め手なのです。それは、国家運営を担当する人達を選ぶ選挙が人気投票になっているからです。私達は、国民生活を守ってくれる人を選んでいるわけではないのです。国民の意識が低いことを利用して、自分の利益を得たいと考えても、恥ずべきことではないと思っているからです。政治家の先生方は、自分達が、何のために、誰のために政治をやっているのか、頭の片隅にもありません。ただ、ただ、自分の選挙のこと、自分の利益のことしか考えていません。それでも、国民は、「先生」と呼んでくれます。特別扱いをしてくれ、報酬も貰えます。こんな美味しい仕事はないと思っているでしょう。だから、いつまでも政治家でいたいのです。
実際に、国民の意識は低いのですから、利用されても仕方ありませんが、これは、現行システムが限界を迎えているということなのだと思います。たとえ、意識が低くても、利用されないようなシステムが必要だということではないでしょうか。
私には、皆さんが主権者という意識を持っているようには見えません。
「最終責任を取らされる」なんて、頭の片隅にもないように見えます。
自分に責任があるとは思っていないということは、結果的に責任放棄していることと同じですが、そのことには気付いていません。
「とりあえず、今、ハッピーが一番だぜ」
「自分さえよければ、今さえよければ、のどこが悪い。みんな、やってるじゃないか」
皆さんが、パーフェクトな国民になるなんて妄想は、さすがの私でも持っていませんが、この状態は、とても、危険です。
やはり、この国を壊すのは、国民の皆さん、なのだと強く思いました。
「無知」こそが、最大の悲劇なのだと痛感します。
皆さんが自分で責任を取るのですから、私が四の五の言うことではありませんが、百も承知でやっていればいいのですが、「無知」ゆえに、そうなっているのであれば不幸なことだと思います。だって、苦しむのは、皆さんなのです。
私達の前には、多くの壁があると書きましたが、一番大きな壁は、国民だとすると、私達には、どんな選択肢が残っているのでしょう。
どうすることも出来ません。
どう考えても、この国は壊れます。
この国を壊そうとしているのは、国民の皆さんですが、皆さんは、そのことを知りません。
とても悲しいことですが、これが現実です。

大きな流れの中では、日常生活でどれほど頑張っても、報われることはありません。
例えば、必死に頑張って、大きな注文を取って来たとしても、会社が倒産してしまえば、その注文には何の意味もなくなるのです。
会社が成長していても、国が潰れたら、その成長にも意味がありません。
この国は、今、国力衰退と貧困と崩壊という大きな流れの中にあります。
どんな努力も、水の泡になるのです。
実生活の日々の頑張りだけでは、どうすることも出来ない時代を迎えているのです。
国民の皆さんには、実生活を守る責任があることは言うまでもありませんが、主権者である皆さんには、大きな流れを負の方向へ向けない責任もあるのです。
私達は、非正規労働者の皆さんの生活を助けることは出来ません。
私達は、生活保護を受けている人達を援助することも出来ません。
私達には、数千万人に膨れ上がった貧困者を、個人的に支える方法はないのです。
いつの間に、貧困者がこれほどの数になったのでしょう。
しかし、この先、誰もが、派遣社員や生活保護受給者になる可能性があります。
気が付いた時には、私達も、彼等と同じ立場に立つ日が来るのです。
ですから、大きな流れに気付き、方向転換するための努力はしなくてはなりません。
国民がやらなければ、誰もやってくれる人はいないのです。
貧しい人を助けましょうと言っているのではありません。
皆さんが、貧困層の仲間に入らないために、立ち上がるべきだと言っているのです。
それが、自分を、家族を守ることになるのです。
国民の25%が貧困層に堕ちたと書きましたが、それは、75%の皆さんが、まだ、貧困層に堕ちていないということでもあります。皆さんは、貧困層に堕ちてはいけません。皆さんは、自分のために、家族のために、戦うしかないのです。放置すれば、ずるずると貧困層の仲間入りをすることになります。
どうか、そのことに気付いて欲しいと思います。
国民の皆さんは、「いい人」ですが、「無能」ではありません。
国民の皆さんは、「無知」ですが、「馬鹿」ではありません。
気付きさえすれば、戦う能力を持っている人です。
どうか、目を醒まして欲しいと思います。

もしも、このブログが弱小ブログでなかったら、「お前、何様のつもりだ」と、権力者からも国民からもバッシングされることでしょう。
でも、権力者と国民が手をつないでこの国を壊そうとしていることは、事実です。
どうか、現実を見てください。
国民生活を守ることが、国の目的なのです。
しかし、国は、国民生活を守っていません。
いや、国力を衰退させ、次から次へと貧困者を生み出しています。
一方、国に、国民の生活を守らせる責務を負っているのは、主権者である国民の皆さんです。
ところが、国民の皆さんも、何もしようとしません。
国というシステムは、何一つ機能していないのです。
しかし、最大の問題は、その事に気付いている人が一人もいないことです。
それは、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義がないからです。
しかし、残念ですが、定義が必要だということにも気付いていません。
国民の8割以上の人が、将来不安を抱えています。漠然と、「何か、変だな」と感じています。しかし、その原因を知ろうとしません。まるで、「無知」でいることが、国民の務めだと思っているようにみえます。「見ざる、聞かざる、言わざる」の教えは、今でも生きているように思えてなりません。国民は、封建時代の百姓・町人と同じように、「お上」のことを、盲目的に信じるしかないと思っているのでしょうか。我慢に我慢を重ねて、一揆を起こすしか方法はないのでしょうか。いや、一揆を起こしても解決しないことを知っているのでしょうか。無知は、罪だと思います。
国力衰退と貧困という流れが、崩壊に進むことは、容易に想像できます。
ずるずると壊れます。
では、この崩壊を止める役目は誰が担っているのでしょう。
国民の皆さんです。いや、国民にしか出来ません。
しかし、国民は「俺には関係ねぇ」と思っています。
だとすると、この流れは止まらないということです。
「ちょっと待て。なんで、国民なんだよ。もっと偉い人がいるだろう」
偉い人って、誰なのでしょう。政治家の先生方ですか。
政治家は、国民の中から選出された、言ってみれば、国民の成れの果てのような人達なのです。国民と違うところを、あえて指摘するとすれば、皆さんより「欲」が深いところだけです。だとすると、国民が気付かないことを気付くことはありません。いや、「欲」にしか興味がありませんので、気付くはずがありません。
この国の主権者は、国民の皆さんです。総理大臣でも天皇でもありません。
国民の皆さんが、気付くしかないのです。
「お上」の作る空気に支配されてはいけません。
国は、国民生活を守っていないのです。
だったら、空気を作らなければならないのは、自分の生活を守らなければならない国民なのではないでしょうか。「お上」が作った空気に酔い、「わーい、わーい」と浮かれている場合ではないと思います。


2019-05-06



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転職・起業の準備は出来ていますか [評論]



昔、新聞を購読していた頃、新聞に入っているチラシには、スーパーの特売情報がありますので、それは手に取りましたが、その他のチラシは古新聞として処理していました。多分、忙しいから、チラシを見ている時間がなかったのでしょう。
原案をつくり、印刷をし、配布するためには経費が必要になりますが、それでも、チラシには販売促進効果があるから、チラシ文化は生き残っているのでしょう。
今は、新聞を購読していませんが、ポストには、毎日、チラシが入ります。
年金生活者ですから、時間はあります。ですから、気が向くとチラシを見ます。
チラシを見ていて、驚いたことがあります。
分譲住宅のチラシですが、「最寄り駅から、自転車10分」という分譲住宅です。全部で115区画の住宅です。
私の感覚では、「徒歩2分」から「徒歩7分」が優良物件だと思っています。それも、都心に近い駅に限られます。
しかし、そのチラシの住宅は、郊外の、しかも「自転車で10分」の場所にあります。
分譲価格は、私の肉眼で見える範囲には書いてありませんでした。眼鏡をかければ、小さな文字の場所に書いてあったのでしょうが、それは見ていません。
時代に逆らっているようにしか見えません。
不動産会社の方は、売る自信があるのでしょうか。
私には、塩漬けの土地を、「もう、これ以上放置できない」と考えた不動産会社が、最後の勝負に出たように見えました。数年後には、住宅需要の目に見える減少が始まると思いますので、その経営判断は正しいと思います。
でも、心配です。
売れるとは、思えません。
いや、売れたとしても、それを買った人は、将来、転売することはできないでしょう。
今は、「都心」「駅近」が人気なのです。
もちろん、これが「余計なお世話」だということは承知しています。
しかし、この物件を買う人は、貧困層の仲間に入る人達になります。転売ができないということは、ローンを払い続けるということです。何らかの事情でローンが払えなくなると、自己破産するしか方法はありません。
人口が減少するということは、住宅需要も減少するということです。人口が減少するということは、職場が減少するということです。ますます、「都心」「駅近」が住宅の条件になるのです。東京都心の住宅は、不動産バブルを思い出させるような値上がりを続けてきました。それは、東京の人口が増加しているからです。その東京でさえ、数年後には、人口減少のトレンドに変わります。
不動産販売も、不動産価格も、今が限界だと思う必要があります。
中古住宅は、「都心」「駅近」でも下落する時代になり、特に、郊外の住宅の価格は大きく下がる時代になります。価格の下落であっても、売れればいいほうで、少なくとも、「自転車10分」の住宅は売れません。
私が見たあのチラシは、時代の変わり目に現れる社会現象の一つなのだと思います。あくまでも、買う側の自己責任ですから、どうすることもできませんが、貧困が広がることは、国としていいことではないように思えます。

今日は、不動産会社の話ではなく、金融機関の話です。
ただ、不動産産業の動向は、金融機関に大きな影響を与えます。
不動産市場の悪化が金融機関の破綻につながる可能性があるとすると、国民生活を破壊する可能性だってあります。
金融機関の今の窮状は、日銀の異次元金融政策の副作用だと言われることがありますが、そうなのでしょうか。金融機関の窮地を作り出したのは、企業の劣化と人口減少と貧困化であり、金融政策は瀕死の金融機関の足を引っ張っただけで、日銀が金融機関を意図的に潰そうとしているわけではありません。
人口減少の影響は、次第に、牙をむいてやってきます。
人口が減るということは、購買力が減るということです。購買力が減るということは、供給していた企業も減るということです。企業が減るということは、職を失う人が出るということです。特に、不動産の購買層だった正社員が減少します。職を失えば、住宅ローンが払えなくなる人が出るということです。住宅ローンが払えない人が出るということは、銀行の不良債権が増えるということです。今、銀行経営は青息吐息だと言われています。倒産する銀行が出てきても不思議ではありません。しかも、人口が減少するだけではありません。貧困層が増え、実質賃金が減少しているのですから、購買力は人口減少以上に減少します。
日銀と金融庁の双方が、5年後の金融システムの危険性について発信を強めています。10年後でも、20年後でもありません。5年後です。公的機関が、5年先の危機に警鐘を鳴らしているのです。まさに、危機は目の前にあると言っているようなものです。
金融庁は、地方銀行の統合に躍起になっていますが、それは、単なる合併を意味しているのではありません。合併して、合理化して、片方の銀行を消滅させよ、と言っているのです。なぜなら、国力衰退による資金需要の減少に対して、明らかに、銀行の数が多いからです。今のままでは、倒産が予見できるからです。地銀、信金、信組という金融機関が、100行倒産しても驚くようなことではありません。メガバンクの審査では通らず、地銀、信金、信組という金融機関だからこそ融資を受けていた企業も多いと思います。それらの企業も倒産します。
また、世界市場では、債券バブルが心配されています。それは、余りにも多くの資金が債券市場に流れ込んできているからです。日本の金融機関も、世界のあらゆる債権を購入しています。もしも、債券市場に異変が起きたら、日本の金融機関は大きな含み損を抱えることになり、それらの債権は不良債権となり、経営を直撃します。金融庁は、海外債券の購入には慎重になれ、と言っていますが、金融機関は、今期の利益を出さねばなりませんので、背に腹は代えられませんので、簡単に債券市場から撤退することができません。
また、地方銀行ほど不動産部門への投資が多く、不動産業界に陰りが見えた時には、大きな損失を抱える危険があると日銀が指摘しています。人口減少は始まっていますが、世帯数の減少も数年後に始まることを考えると、心配だけではすみません。しかも、不動産関連への投資が多い金融機関の資本比率は、そうではない金融機関よりも悪く、経営そのものを危険にさらす可能性が高いと指摘されています。
日銀や金融庁が5年後の心配をしているということは、金融機関の大量倒産は、決して、絵空事ではないのです。
金融機関の環境は最悪です。
国力衰退と貧困化という流れが、金融機関を直撃しています。
メガバンクでさえ、支店の統廃合、人員削減には熱心です。合理化しなければ生き残れないことを知っているのです。とても、地方銀行が耐えきれるとは思えません。
ここまでの話は、もう、常識として、多くの方が言及しています。

ここで、金融機関の倒産を前提として、その先に何があるのか見てみます。
こんな想定は、誰も公にしません。国民に知られたら、大変です。
金融機関の大量倒産が発生したら、何が起きるのでしょう。
仮に、預金残高5兆円規模の金融機関が10行倒産したとしましょう。
預金保険機構は、1000万円を限度として、個人の預金を保護しなければなりません。
50兆円全額が預金保護の対象ではないとして、仮に、その半分を保障しなければならないとすると、25兆円の資金が必要になりますが、預金保険機構にそれだけの資金があるのでしょうか。
しかも、倒産が10行で終わるという保証はありません。仮に、100行倒産すると250兆円の資金が必要になります。
預金保護は、北海道拓殖銀行の倒産で国民不安が盛り上がり、それを鎮めるために打ちだされたものです。当時は、大量倒産という事態は想定されていませんでした。
メガバンクの倒産は、あまり想定できませんが、仮に、一番危ないと言われている、みずほ銀行が倒産したとすると、100兆円の預金残高に対処しなければなりません。仮に、その半分を保障したとしても50兆円の資金が必要です。50兆円という数字は、日本の税収に匹敵します。
では、預金保険機構に支払い能力がなければ、どうなるのでしょう。
国は、税金を投入するのでしょうか。
仮に、税金を投入したとしても、その資金が返済される可能性はあるのでしょうか。
国民のパニックを恐れて、約束を反故にすることができないとすると、税金の投入はせざるを得ないと思います。税収を50兆円とすると、その大半を銀行救済に使わなければなりませんが、大丈夫なのでしょうか。
さすがに、銀行の救済はできないとすると、預金保険機構に税金を投入することになります。預金保険機構はその資金を返済できるのでしょうか。何らかの手を考えるしかありませんが、ツケを将来に回すしか方法はないように思います。では、大量の国債を発行して、買ってくれる人はいるのでしょうか。もしかすると、長期金利が跳ね上がるかもしれません。
実際に、起きてみないことには、わからないことばかりです。
でも、簡単に、ことが収まるとは思えません。
たとえ、一行でも倒産すると、銀行株は大幅安になる可能性があります。銀行株を持っていた人は、大きな損失を出します。
約束通りの預金者保護が出来ない場合、庶民は、一斉に、タンス預金にするかもしれません。いや、仮に、預金者保護が出来ても、庶民は利息なんて当てにしていませんので、タンス預金の比率は高まると思います。
預金の急激な減少で倒産する銀行が出る可能性もあります。
5年後に、新紙幣が発行されますが、もしかすると、タンス預金化を防ぐために、旧紙幣は使用できないことになる可能性もあります。戦後、旧紙幣の使用を禁止した経験がありますので、あり得ないことではないと思います。
社会不安は、膨れ上がります。
庶民は、金融機関を信用しなくなります。
いや、政府も信用できなくなります。
金融システムが維持できなくなるかもしれません。
これは、経済崩壊を招きます。
不幸の神様は群れたがります。不幸の神様は悪循環が大好物です。
注意しても、どうにもなりませんが、とりあえず、ご注意ください。

企業の世界ランキングを見ると、日本企業が衰退していることは否定できません。企業の劣化は、想像以上に進んでいると思う必要があります。
企業の衰退と人口の減少は国力の衰退そのものです。
これは、明らかなトレンドになっているように見えます。
その上に、国家運営の失敗が追い打ちをかけています。
反転するどころか、ますます、劣化が進むと考えるほうが自然です。
その先にあるのは、夢の楽園なのでしょうか。
言葉で現実を誤魔化せない時代が来ます。
ところが、政府は、相変わらず、言葉で国民の関心を逸らそうとしています。抜本的な構造改革をするのではなく、儀式やお祭りで、胡麻化そうとしています。
その好例が、新元号「令和」です。
「令和」で浮かれている場合ではないと思いますが、6割から7割の国民が、好印象を持ったという世論調査がありました。内閣支持率も上がりました。国民の皆さんは、ほんとに、底の見えない「いい人達」ばかりです。
安倍さんの言外のメッセージは、「命令に従い、和を尊べ」という意味があったと言う方もいます。万葉集のあの歌は、権力者を憎む歌だと言う専門家もいます。でも、歌の意味など関係ない国民は、美辞麗句盛り沢山の安倍談話には、納得したようです。
安倍さんは、貧困化を食い止める政策を発表したのではありません。「令和」という言葉を発表しただけなのに、どうして内閣支持率が上昇するのか、とても、不思議です。これでは、政府は、ますます、儀式やお祭りに力を入れることになります。
言葉遊びで、窮地が救えるとは、どうしても、思えないのです。
必要なのは、言葉遊びではなく、言葉の定義だと思います。

金融機関にお勤めの皆さん、転職・起業の準備は出来ていますか。
皆さんに直撃弾が飛んできます。
金融機関以外の企業にお勤めの皆さん、転職・起業の準備は出来ていますか。
皆さんにも直撃弾が飛んできます。
国民の皆さん、生き延びる準備は出来ていますか。
早いか、遅いかの違いはありますが、全ての国民の皆さんが、一人の例外もなく、弾を受けることになります。
平等だと言えば、確かに平等ですが、撃ち落される時だけは平等というのは、何となく、納得できない気がします。「いい人達」へは弾が飛んでこなければ、辻褄が合うような気もするのですが、そうはなりません。逆に、「いい人達」ほど、早く撃ち落されるような気がします。


2019-05-05



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国力衰退と貧困と崩壊という流れ



3回に分けて、「国とは、国民とは、民主主義とは」という言葉の定義について書きました。
と言っても、個人的な願望を書いただけのもので、学問的でもなく、体系が整っているものでもありません。ただの願望です。
そもそも、「国とは、国民とは、民主主義とは」という「言葉の定義が必要だ」という主張を、私は読んだことがありません。
「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義の必要性について誰も言及しないのは、国家運営者の皆さんが「そんな定義はしたくない」と思っていることと、曖昧になっていることを不思議だと思わない国民の皆さんの意識が生み出している社会現象だと思いますが、漠然と、確固たる定義が既にあると思い込んでいる人もいるのではないかと思っています。もちろん、言葉の定義は永久不変のものではなく、時代時代で変化していくものだと思いますが、そういう感覚も見ることができません。
ですから、「国とは、国民とは、民主主義とは」という言葉の定義をする動きは、この先もないものと思わねばなりません。だとすると、得意の「先送り」でその場をしのぎ、全体としての方向性は変わらないということになります。

その全体の方向性とは、国力衰退と貧困と崩壊です。
昭和で生まれ、平成で育った、この方向性は、令和で完成するようです。
それは、令和が崩壊の時代になるということです。
時代が作る方向性というものは、小手先で変わるものではありません。大胆な施策と強力な行動力がなければ、変わりません。
そのためには、既成概念を否定する勇気が必要になります。
その実例が150年前にあります。
明治維新です。当時、世界は帝国主義全盛期です。世界では植民地分捕り合戦が盛んだった時代です。アジアにも植民地化という方向性がありました。「このままだと、将来、日本も植民地になってしまう」と気付いた人達がいたのです。彼等は、当時、揺るぎなき既成概念であった徳川幕府を倒すという道を選びました。明治維新は、軍事クーデターですが、あの暴挙がなければ、日本が植民地になる確率は高かったと思います。徳川幕府を倒すという選択ができたのは、討幕派にも、徳川幕府にも、それ以外の勢力にも、「将来、植民地になってしまう」という危険に気付いた人達が大勢いたからです。「将来のことなんて、わからねぇよ」と言っていたら、世界情勢、アジア情勢に気付かなければ、既成概念を守りながら、ずるずると植民地になっていたと思います。
どんな変化も、想像することから始まるのです。
今も、必要なことは、先を見ることです。
では、私達は、先を見るために想像しているでしょうか。
既成概念の上で胡坐をかいていませんか。
幕末の人達は植民地化の危険に気付きましたが、私達は、まだ、今の日本の国力衰退と貧困と崩壊という流れに気付いていません。必要とされているのは明治維新のような変革なのですが、その出発点である「先を見る」ことをしていません。ですから、このままでは、変革は起きません。

誰もが既成概念の上で生きているのです。その土台を否定するということは、自分の生活を否定することになり、得体のしれない恐怖心を生み出します。その恐怖心を取り除くためには、国民に、新しい土台を提示しなければなりません。
「国とは、国民とは、民主主義とは」という言葉の定義は、その恐怖心を抑え、勇気を持つための端緒になる可能性があります。
しかし、今のところ、そのような動きはありません。
それは、先を見ていないからです。
「未来のことなんて、わからないのに、どうして、そんな心配をするのだ。それを取り越し苦労と言うんだ」
「お前の言ってることは、全部、想像だろう。証拠なんてないじゃないか」
「心配するな。何とかなるさ」
「俺、とりあえず、今のままで、いいから」
「訳わかんねぇこと、言ってんじゃねーよ」
「俺には、関係ねぇよ」
というような、反論が返ってきそうです。

この国力衰退と貧困と崩壊という流れを変えるためには、明治維新のように、武力革命しかないのかもしれません。革命は、過去と現在を否定し、新たな価値観を作り出すことですから、要件は満たしています。しかし、武力革命は、別の形で国を壊すことになります。ですから、武力革命は国民の利益にはなりません。それは、シリアのような内戦状態になった国を見れば一目瞭然です。
武力革命は、武器という力による革命です。
では、武力以外に力は存在しないのでしょうか。
一つだけあります。
それが、民意です。
だとすると、国民の皆さんにしか、この流れは止められないということです。
ただ、国民が既成概念を否定することも容易なことではありません。国民の皆さんの中にも、封建制度で培われた既成概念がありますので、自分自身と戦う必要があります。
でも、国民の皆さんが、心に持っている「漠然とした将来不安」を払拭するためには、残念ながら、戦うしか方法はありません。戦わなければ、皆さんの「不安」は現実になります。
気付くことでさえ難しいのに、戦わなくてはならないとすると、奇跡の上に奇跡が必要になります。それでも、戦う必要があります。
国民以外に、戦ってくれる人はいますか。
そんな人はいません。
もちろん、戦うことは簡単なことではありません。
もしも、仮に、万が一、奇跡的に、国民の皆さんが目を醒ましたとしましょう。自分と戦うという難題だけではなく、国民が立ち上がることを防ぐ数々の壁とも戦わなければなりません。

その壁の一つに日本共産党があります。
もちろん、共産党だけを目の敵にしているのではありません。自民党と共産党は、両党とも日本の癌だと思っています。それ以外の政党は、癌にもなれない、毒にも薬にもならない、役立たずの金食い虫だと思っています。
日本共産党には、体制を脅かす世論を消し去るという任務があるのかもしれません。
体制批判や、体制を変えようという世論が出てくると、必ず、共産党が喰いつきます。実に、見事に喰いつきます。ところが、国民の皆さんは、共産党にアレルギーを持っていますので、一歩引いてしまい、大きな世論になることはなく、共産党マターとして、国民の記憶から消えていきます。これは、実に巧妙な世論操作に見えます。
私は、時々、自民党と共産党は裏でつながっているのではないかと思うことがあります。
また、共産党は、選挙になると、「国民生活を守る政治に変えなくてはならない」と言います。その通りです。しかし、共産党の目的は共産主義国の実現です。今は、国民生活を守ると言っていても、政権を取れば、共産党を守る国になるのです。国民生活を守る共産党というイメージが強くなると、国民は、共産党から離反するだけではなく、「国民生活を守る」ことにも離反してしまいます。困ったことです。共産党は、ここでも、裏の自民党支援政党に見えてしまいます。
つい最近知ったことですが、今、供託金訴訟が大詰めを迎えています。
参議院の選挙に立候補するためには、300万円の供託金が必要になります。この金額は世界一です。供託金がゼロの国もあることを見ると、日本は異常です。ですから、この訴訟は正論だと思います。しかし、盛り上がっていません。それは、共産党マターになってしまったからです。
供託金や政党要件を見ると、既存勢力を守る意図がはっきりとしています。体制を変えようという芽が出ないように配慮されています。ですから、供託金訴訟は間違っていないと思います。しかし、問題は、供託金だけではないのです。選挙制度が問題であり、国家運営方法に問題があるのです。そのことに気付いていません。
それは、国力衰退と貧困と崩壊という流れに気付いていないからです。変えなければならないのは、今の国家運営方法なのです。
今の国家運営は、国家運営者と利権集団を守り、人口を減少させ、国民を貧しくさせているという現実があります。その先にあるのが、崩壊だということに、どうして気付かないのでしょう。

共産党という壁を乗り越えても、司法という大きな壁があります。
司法は、法律を守る仕事をします。しかし、司法は、過去の判例を優先させます。この国を変えようとすることは、過去を否定することに他ありません。しかし、司法では、その過去が優先されるのです。それだけではありません。法律を作っているのは国家運営者の皆さんです。国家運営者の皆さんは、ボロが出ないように、細心の注意とその優秀な頭脳を駆使し、総力を挙げて法律を作ります。簡単には敗訴しません。
司法は、体制を守るために存在しているのであり、国民生活を守るために存在しているわけではないのです。司法だけではありません。立法も行政も、現体制を守るために存在しているのです。と言うことは、国のシステムそのものが壁になるのです。
定義がありませんので、国民生活を守るという視点は、どこにもないのが現状です。
それ以外にも、警察や公安や自衛隊という壁もあり、メディアの壁もあるでしょう。当然、新しい世論を潰そうとする古い世論も壁になります。

壁、壁、壁、です。よほど不退転の覚悟がなければ、国民の半数以上の、いや、途中で諦める人もいますから、8割以上の国民の賛同がなければ、続きません。
どう考えても、そんな奇跡は、起きません。
ですから、国力衰退と貧困と崩壊という流れが、止まることはありません。
もちろん、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義をしようという動きも生まれることもありません。
崩壊に直面すれば、「俺達は、こんなことを選んだ覚えはない」と言うでしょう。
しかし、皆さんは、この国の主権者でありながら、責任を果たそうとしませんでした。
たとえ、消極的な選択だとしても、皆さんは、崩壊を選んでいるのです。
定義がないために、そのことに気付いていないだけなのです。

私には、国家運営者の皆さんが、人口減少に対応せず、意図的に新しい貧困層を生み出し、この国を壊そうとしているようにしか見えません。
彼等は、「大の虫を生かすためには、小の虫を殺す」論理を、「大所高所」という言い訳を、まるで、正論であるかのように言います。確かに、大企業は、中小企業と対比すれば大の虫ですが、国と対比すれば小の虫になります。小の虫である企業を生かすために、大の虫である国を殺そうとしているのですから、詭弁に過ぎないと思います。これが、「大所高所」だとは思えません。
国家運営者は、自分と利権集団を守るための国家運営をしているのです。まさに、「自分さえよければ」をやっているのです。「国力衰退と貧困と崩壊」という流れは、国家運営者が、自分の利益のために、意図的に作り出していると言っても過言ではありません。
国民生活を守る仕事を任された国家運営者が、国民生活を壊そうとしているのですが、誰も、そんな指摘はしません。それは、誰も、「国とは」という定義を持っていないからです。彼等は、責任能力さえ持っていません。そんな人達に、好き勝手をさせてはいけません。責任を取るのは、国民の皆さんなのです。どうか、そのことに気付いてください。

大変残念ですが、この国は壊れます。
これは、漠然とした危惧ではなく、確信です。
もちろん、国民の皆さんの生活も壊れます。
国家運営者の皆さんも、国民の皆さんも、誰もが「俺には関係ねぇ」と思っているのですから、もう、必然だと思うしかありません。
問題は、国家が崩壊することが確実であっても、一人一人の国民に、崩壊した時の対処方法がないことです。今の生活を維持することは、100%無理です。
随分前に、対処方法は海外移住しかないと書きましたが、今でも、それしか方法はないと思います。
そうは言っても、人間は結構しぶといものです。
たとえ、草や虫しか食糧がなくても、生き延びるものなのです。
放射性物質に汚染されなければ、そこそこの人が生き延びると思います。
日本は砂漠地帯ではありませんので、水は豊富ですし、山にも海にも、食糧になる物はあります。何人分の食糧が確保できるのかで、生き延びる人数は決まりますが、いざとなれば、人間を食べることも可能です。
そんな時代になって、自分の命を犠牲にして「いい人」を演じる人が何人いるでしょう。そんな人がゼロだとは思いませんが、多くはないと思います。でも、それを恥じる必要はありません。それが、人間なのです。皆さんが「いい人」を演じていたために国が壊れたということに気付いてくれれば、希望はあります。
いつになるかはわかりませんが、多くの屍を乗り越え、苦難を乗り越え、新しい日本が立ち上がると思います。
その時には、国民のための国を作ってもらいたいと思います。


2019-05-04



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国民の皆さんは、どうしたいですか



先月、「民主主義とは」の定義について書き、今月、「国とは」の定義について書きました。
今日は、「国民とは」の定義について書いてみます。
この「国民とは」の定義が、最大の難関です。
「これが、定義だ !!!」なんてものを書くつもりはありません。
独断と偏見と妄想による、「こんな定義があったら、嬉しいな」という個人的な願望を書くだけです。ですから、軽く、読み飛ばしてください。
何度も書きますが、独りよがりの定義なんて、何の価値もありません。
定義とは、より多くの国民が議論し、コンセンサスを得て、多くの国民に受け入れてもらい、それを国家運営の原則にすることで、初めて、意味を持つものだと思っています。
いつものように、極端で、無茶で、荒唐無稽な提案だと思って読んでいただければ嬉しいです。

先ず、誰のことを国民と呼ぶのか、です。
この日本という国で生活をしている、1億2500万人の皆さんを、国民と呼んでみます。日本国籍を持っていない人達をどう扱うかは、重要なことですが、今回は書きません。
民主主義国家であるという前提は必要です。
民主主義の国ですから、国民が主権者であり、その主権者である国民には、国というシステムを運用する、責務があることを承知してもらわねばなりません。
ここを勘違いしている方が多いようですが、あくまでも、責任者は国民です。
国も政府も国家運営者も責任者にはなれません。なぜなら、物理的に責任を取れるのは、国民しかいないからです。
国民は、そのシステム運用に失敗した時、自ら、その責任を取らねばならない最終責任者という立場にいることも、国民は認める必要があります。
責任を取るという言葉も定義が必要になりますが、少なくとも、責任を取るためには、責任を取る当事者が必要です。国は、実体のないシステムですから、その当事者が存在しません。国家運営者は、国家運営を請け負っているだけの人達であり、その人数が少ないこともあり、責任を取るだけの能力がありません。最大多数の国民が、数にものを言わせて責任を取るしか選択肢はないのです。もちろん、国家運営者の皆さんも、その職を離れれば一人の国民ですから、国民としての責任は取らねばなりません。
「俺は、責任を取りたくない」という人は、国外に退去してもらっても構いません。この国に住む限り、好むと好まざるとに拘わらず、責任は取らされます。
その責任の取り方は、先ず、最終責任を取らねばならないような事態を作らないように努力する必要があります。万が一、それが出来ない時には、責任者として、死または果てしない苦痛を受け入れることを容認しなければなりません。

その上で、国民とは、どんな義務を負っていて、どんな権利を持っているのでしょう。
国民は、国家運営に責任を持たなければならないという義務を負っています。
国民は、この国で生活を継続する権利を有しています。
ここで言う、国家運営とは、国の目的を継続的に成し遂げることです。
その目的とは、国民生活を守り続けることを意味しています。
国民生活を、どう守るのか。
絶対的貧困を阻止することには、異論はないでしょうが、相対的貧困を阻止できるかどうかは、現実的な線引きが必要になります。ただ、そのゴールを動かしてはなりません。際限なく増税することや、際限なく社会保障費を削減することや、際限なく年金支給開始年齢を延長することは認められないということです。現状を見てください。今、まさに、政府はゴールを動かすことに熱心になっています。定義がないために、何をやってもいいのです。でも、これは、崩壊への道です。
国民が国家運営に責任を持つと言っても、私達には日々の生活がありますので、国家の運営に専念することは出来ません。国家運営に時間を割くことなく、自分の生計を維持する必要がありますので、私達がやらねばならないことは、システムを作ることです。そのシステムが機能していれば、国民生活が守れるというシステムを作ることです。もちろん、システムのメンテナンスは、常に必要ですから、その時間は国民の義務として捻出しなければなりません。何もせずに、「俺の生活だけは、守ってくれ」なんて言ってはいけません。なぜなら、国民の皆さんが責任者だからです。
1億2500万人の国民が一堂に会して物事を決めることは物理的に不可能ですから、間接民主主義という手法を採用するしかありません。これは、単なる便宜的な手法ですから、責任の所在は、国という実体のないものに移ることはなく、国民にあります。
ただ、常識となっている間接民主主義と、私が提案する間接民主主義は同一のものではありません。従来の間接民主主義は、理想が理想として棚上げされたまま、現実から遊離していることを放置していますので、民主主義が機能しなくなっています。現在の国会議員は、国民を代表していると勘違いされていますが、現実は、そうではありません。しかし、国民を代表しているのだから、何でも、好き勝手にやってもいいと解釈されるようになっています。これでは、国民は、責任の取りようがありません。
「お上」の決めた間接民主主義は、当然、「お上」にとって都合の良いシステムになっています。そのシステムを、「国民」の視点から見たシステムに変更しなければなりません。
私が提案する間接民主主義という手法を、わかりやすく説明すると、本来は、私達がやらねばならない国家運営という仕事を外注先にやってもらうという発想です。その外注先の会社は、虎の門と霞が関にあると思ってください。会社名は「日本政府」です。
ですから、日本政府の人選は、私達がしなければなりません。そのために、選挙という手法を使います。ただ、現在の選挙制度には多くの課題がありますので、新しい選挙制度を作る必要があります。また、全員を選挙で決めることには無理がありますので、政治家という職種の人達だけを選挙で選びます。官僚や公務員という職種の皆さんには、規則を遵守するという約束をしてもらいます。
国家運営という仕事を外注するのであれば、当然、外注先管理はしなければなりません。外注先のやりたいようにやらせておけば、発注者の利益は守れません。発注者が、自分の利益を守りたいのであれば、発注者が管理統制するしかないのです。
「日本政府」という会社は、そこの社員は、国民生活を守る仕事に専念してもらいます。1億2500万人の生活を守る仕事ですから、大変な仕事です。ですから、報酬は、それなりに弾まなければなりません。今は、報酬に見合った仕事をしていないので、目的である「国民生活を守る」ことをしていませんので、大幅に減額する必要がありますが、本来の仕事をしてもらえば、決して、高すぎるということではないと思います。その報酬は、私達が税金という形で納めた資金を使います。言い換えれば、税金は外注費用です。
ここで、国民のやらねばならない仕事が見えてきます。
国民の仕事を4つ挙げてみます。
その1 国家運営システムの構築を主導すること。
その2 役人を管理する規定を作ること。
その3 外注先の成果を評価する監査規定を作ること。
その4 その仕組みや規定をメンテナンスすること。
「国民とは」、これら4つの仕事をする人のことです。
その目的は、国民生活を守ること、です。
これまでと違うことは、この4つの仕事は、国民の視点からシステムを作るということです。確かに、実務的には困難が予想されますが、それでも、やる必要があると思います。
スポーツの世界に「One for All」「All for One」という言葉があります。国民も、同じだと思います。
この4つの仕事は、それほど簡単なものではありません。
いや、大変、難しいと思います。
無関心では、出来ません。
そうです。知ることと、参加することが国民の義務です。
義務を果たさなくても、罰則はありません。
ただ、皆さんの意識が、国民生活を守る度合いを決めます。
皆さんが何もしなければ、国民生活は守れません。
皆さんが、それなりの努力をすれば、それなりの生活は守れます。
どこまで、自分の生活を守るのかは、皆さんが決めることです。
ただ、実生活に貧富の差が生じることは容認しなければなりません。その格差をどこまで容認するのかは、国民のコンセンサスが必要となります。
格差は、必ず、生まれます。
個人には、同じ才能や努力や運がある訳ではありませんので、結果は同じものにはなりません。そこは納得してもらうしかありません。
餓死者を出す国になることや、餓死者につながるような貧困層を作り出さないことが求められます。国家運営という仕事を発注する国民には、そんな国にならないようなシステムを構築する義務があります。
「俺は、何もしないけど、甘い汁だけは欲しい」という我儘や、濡れ手に粟や、棚から牡丹餅は認められないということです。
国家崩壊という危険は冒してはなりません。
国家崩壊は、才能も努力も運も、通用しない状況を作りますので、元も子も失くす危険がありますので、そんな状況を作らないような運営が必要になります。

誰も、こんな提案が実現するとは思いません。
提案している私でも、実現するなんて思ってもいません。
何よりも、国民が関心を示してくれるとは思えません。
政治家や官僚や利権集団の皆さんが賛成してくれることはありません。
国民主導の民主国家になれば、問題が全て解決するわけでもなく、国家崩壊の危険が無くなるわけでもありません。国民の努力が無駄になる可能性もあります。それは、国民の本気度で決まるものだと思います。
ただ、崩壊を回避する可能性を、少し、高めることは可能なのではないかと思います。
ですから、国民の皆さんが何を選択するのかで決まります。少しでも、崩壊の確率を減らしたいと思うのか、面倒だから「どうでもいい」と思うのか。それを選ぶのは、国民の皆さんです。
国民の皆さんは、どうしたいですか。

「国民とは」の定義を書いてみて、確信したことがあります。
国民が定義を知らなければ、国民が行動を起こさなければ、何も変わりません。
国民の皆さんは、絶対的貧困に直面した時、100人中100人が、国が悪い、政府が悪いと言うはずです。まさか、自分が責任者であった、などということに気付く人はいません。
「俺には関係ねぇ」と言いながら、責任の所在が曖昧なまま、責任を他人に転化したまま、この国は、間違いなく、崩壊します。
日本国民に能力がないと言っているのではありません。
その気になれば出来る民族だと思っています。
しかし、能力があっても、意志がなければ行動は起こせません。
ところが、眠った状態では、意志を持つことはできません。
国民の皆さんは、目を醒ますのでしょうか。
少なくとも、過半数の国民が、6000万人以上の国民が目を醒まさねばなりませんし、「国民とは」の定義を議論しなくてはなりませんし、その上で、行動しなければなりません。国民の皆さんを見ている限り、そんな奇跡は起きないと確信できます。
それでも、時間があれば、まだ、希望はあるかもしれません。
しかし、言葉の定義をするだけでも、10年や20年はかかります。その上で、先程提案した4つの仕事を実践するためには、10年から50年という時間が必要になるでしょう。私達に、そんな時間はありません。
繰り言になりますが、私達は、「先送り」ばかりしていて、敗戦後の70年という時間を浪費してしまいました。あの時、天皇制に執着するのではなく、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義をしていれば、変わっていたと思います。
既に、数千万人の相対的貧困者が生まれています。今後、この貧困は広まり、深化していき、絶対的貧困に変化します。もう、崩壊は始まっているのです。

残念ですが。
私達に出来ることは、冷静に崩壊のプロセスを観察することだけのようです。
経過観察の資料が、100年後、500年後に伝わるかどうかはわかりませんが、新しい日本を立ち上げる時に参考になることを願っています。


2019-05-03



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民主主義風王政並立封建制度 [評論]



今日は、「国とは」の定義について考えてみます。
妄想人の妄想ですから、特に深い意味はありません。
ただ、もしも、仮に、万が一、奇跡的に、定義される時があれば、まあ、ほとんど期待は出来ませんので妄想にすぎませんが、こんな定義が含まれていたら「いいのになぁ」というものです。
何度も書いてきたことですが、「国とは、国民生活を守るためのシステムである」という定義が、あったらいいな、と思います。
「国とは」という言葉の定義が確立されて、利益を得られるのは、一般庶民だけです。国民の9割以上が一般庶民なのですから、単純に、国として最も効率の良い利益を得ようとすれば、一般庶民の利益を追求することが理に適っていると思います。
しかし、現実は、そうなっていません。
日本国民に、何かを決める力はないのですから、いや、そう思い込んでいますので仕方ありませんが、全て、「お上」が決め、国民は「ふむ、ふむ」と頷くことが暗黙のルールになっています。定義もなく、曖昧文化が力を持っている国では、国民は、生殺与奪の権利さえも、「お上」に預けていることに気付きません。
このことは、未だに、「下々」から犠牲になっていくという封建制度の伝統が守られているということです。国民は、実質的な主権者ではないのです。もっとも、国民は、自分が主権者だという意識は持っていませんので、こんなことを書いても、皆さんには意味不明なのかもしれません。「なに、ゴチャゴチャ言ってるんだ、こいつは」と言われそうです。

安倍さんは伝統を強調します。伝統は、権力者を守るために生まれたものであり、中には、ほんの少し、そうではないものもあるでしょうが、現在の国家運営者を守るためには、これまでの伝統が権力者を守ってきたように、安倍さんが伝統を守りたいと言っていることは理に適っているのでしようが、国民の利益にはなりません。国民にとっては、伝統よりも生活が大事です。生活にゆとりがあれば、伝統も捨てたものではありませんが、今は、そういう時代ではありません。
「災害復興より、国会議員のほうが大事だ」と言って辞職した大臣がいましたが、たまたま、口が禍しただけで、国会議員の先生方(これは蔑称です)は、誰もが、そう思っています。国民生活を守る仕事をしている人が、国民の生活より、議員の選挙のほうが大事だと言っているのです。目の前に、定義がないことによる弊害があるのに、誰一人、定義に言及しません。なんとなく、この人は悪い人だと思っているだけです。
国会議員の先生方は、犠牲になるのは「下々」の役目だと考えています。先生方は、自分は特別扱いされる特別な人間だと思っているのです。
もちろん、勘違いなのですが、この国では、漠然と認められています。それを認めているのは国民の皆さんなのですが、定義がありませんので、気付きません。皆さんが、国会議員を先生と呼んでいることを見ても明らかです。
私の偏見によれば、国会議員は、国民が国家運営という仕事を外注している会社の社員に過ぎません。しかし、国会議員に、外注先の社員だなんて意識はありません。いや、仕事すらしていません。被災地で苦しんでいる人達や貧困で苦しんでいる人達がいるのに、被災地である岩手に行って、貧困で苦しんでいる国民がいる岩手に行って、仲間の応援演説をして、好き勝手なことが言えるのですから、とても、国民生活を守る役目の人だとは思えません。そんな意識もないでしょうし、そんな仕事もしていません。あの大臣の選挙区の皆さんは、どう思っているのでしょう。地元では「先生、先生」と言われているのでしょうが、あれが、国民の代表なのですか。いいかげん、国民は目を醒ますべきです。あの大臣は、国民生活を守るために国会議員になったのではなく、単純にカネを稼ぐために国会議員なったのです。国会議員は仕事をしなくても稼げる職種だから選んだのです。もちろん、カネを稼ぐことは悪いことではありません。しかし、仕事をして報酬をもらって欲しいと思います。

この国を動かしているのは、政治家や官僚で作られた国家運営グループの人達と、現行の体制で利益を得られる大企業に代表される利権集団の皆さんです。彼等にとっては、「国とは」という定義が曖昧であれば曖昧であるほど、その利益が大きくなります。「国とは、国民生活を守るシステムである」などと定義されたら堪ったものではありません。
国会議員の先生方が、どう考えているのかを、安倍さんの談話から見てみます。
先月も書きましたが、新元号発表の総理談話では、優先順位の1番が皇室で、2番が国で、3番が国民でした。
皇室と国と国民の実態を見てみると、皇室と国民の実態は明らかですが、国の実態が見えません。もしも、国の実態が国民であるのであれば、3番目の国民は誰のことなのかわからなくなります。だとすると、安倍さんにとっての「国」は国家運営者のことを指していると考えなければ、筋が通りません。
仮に、安倍さんが、「国民生活を守り、皇室を尊重し、国の安泰を」と言ったのであれば、筋が通っていたと思います。
アベノミクスが発表された時も、順番がおかしいと書きました。彼は、言葉遊びは得意なようですが、物の本質というものがわかっていないのだと思います。もちろん、安倍総理が、安全保障を意識した総理として、歴代総理の中では優秀な総理大臣であることは認めます。しかし、民主主義から逸脱しようとしていることは評価できません。
民主国家なのに、なぜ、主権者である国民よりも天皇の優先順位が高いのか、なぜ、国家運営者の順位が2番なのか、なぜ、国民の順位は最下位なのか。いや、そのことよりも、なぜ、それを不思議だと思わないのか。それこそが、定義とは縁のない曖昧文化の効能なのでしょうが、結果責任を取るのは、国民なのです。
天皇制を守り、民主主義という風味をつけ、封建制度の伝統を優先する国家統治体制を維持・運営しているのが、日本の国家運営者なのです。日本には、日本独自の民主主義が必要なのだと言われます。実に、都合の良い言い訳です。百歩譲って、日本独自の民主主義が存在するとしてみましょう。では、その日本的な民主主義では、国民の犠牲は容認されるのでしょうか。民主主義という言葉を使う限り、国民を犠牲にすることは出来ないのではありませんか。主権者を犠牲にするということは、その制度を否定することになるのではありませんか。国民を犠牲にすることが許されるのであれば、それは、殿様のために家臣が犠牲になり、百姓が犠牲になる封建制度と同じだと思います。
国民生活の破綻が始まっている今、定義は、どうしても必要だと思います。定義がないと、ずるずると、なし崩し的に、破綻は進行してしまうからです。
この先、国民生活の破綻は本格化しますので、この定義がなければ、国民を守ることはできません。もちろん、定義さえあれば守れるとは言いません。でも、定義すらないのであれば、国民を守る切っ掛けさえもありません。

人間社会を、少し長い視点で見てみます。
人類の誕生が何万年前だったとしても、人類史は、食糧獲得のための戦いでした。その戦いは、21世紀でも同じです。
木の実、草、根、虫、魚貝、動物。食糧になる物であれば、人間はあらゆるものに挑戦してきました。毒性のあるものを食べて死んだ人も多かったと思います。人間は、大きな脳を持っていたので、知恵を絞るという行動が取れるようになり、生き延びることが可能になりました。一人で狩りをするよりも、集団で狩りをしたほうが食糧確保に役立つことも知りました。一人だけの知恵よりも、多くの人の知恵を活用するほうが食糧確保に役立つことも知りました。そして、穀物や芋を栽培することが、食糧確保の歴史を大きく変えました。
ただ、どんな時代でも、食糧は常に最優先です。他の人間を殺して、食糧を奪うことも、当たり前に行われていたと思います。他の集団から自分達を守る必要が出てきました。農耕をするためには、水と平地が必要であったこともあり、人間は農耕に適した場所で集団生活を始め、自分達の命と食料を守るために、戦闘能力を持つようになります。当初は、全ての住民が戦闘力を持とうとしたと思いますが、人間には個性があり、戦闘に向いている人も、そうでない人もいます。次第に、戦闘集団が生まれ、その集団の頭領が力を持つようになります。戦闘集団は、他の集団の襲撃から自分の集団を守ることが任務でしたが、集団が大きくなれば、集団の中に戦闘集団の頭領に歯向かうものも出てきます。頭領には、掟を作り、集団を統率する必要が生まれ、戦闘集団の武力は集団の内側にも向けられることになります。現在の国軍に治安維持の能力があるのは、そのためです。武力で、集団を守る時代は、法と武力で権力者を守るシステムに移行します。これが、封建制度です。

力のある頭領が国を統治した制度を封建制度とするならば、そして、神武天皇が実在していたとするならば、封建制度は約2500年ほど続きました。天皇が国を治めたことが封建制度の始まりだとすると、明治時代に生まれた天皇制は封建制度そのものです。いや、日本の歴史は、封建制度の歴史なのです。
近代民主主義が生まれて、まだ200年ほどの歴史しかありません。日本が、民主国家を名乗ったのは第二次大戦の敗戦後ですから、まだ、70年の歴史しかありません。ですから、封建制度という土台の上に民主国家という家を建てるしかありませんでしたので、封建制度時代の思考が色濃く残っていたとしても仕方がありません。今は、明治中期に挫折してしまった自由民権運動を再開しなければならないのではないかと思います。
「主権が国民にある」などという制度は、封建制度から見れば、驚天動地の思考です。天皇や領主から見れば、百姓や町人に主権がある制度なんて、考えも及ばなかったと思います。
しかし、今は、多くの国が民主国家になり、民主国家でない国でも民主化を求めています。それは、「下々」に過ぎなかった人達に利益があるからです。民主主義は、国民に最大の利益がある制度なのです。ただ、実際に、その制度を運営するのは一部の権力者ですから、権力者が自分の利益を最大化するためには、民主主義の定義をしないようにしているのは自然なことなのでしょう。「国とは、民主主義を具現化するためのシステムであり、その唯一の目的は、国民生活を守ることである」なんてことを公言してしまえば、いや、公言することは構いませんが、それを定義として周知することは、自分の首を絞めることになります。定義のない世界では、国家運営者の利益と国民の利益は同じものではないのです。今は、国家運営者と国民の権力闘争が行われていると考えるとわかりやすいと思います。非正規労働者の年収が、公務員の年収の1/5しかないということは、権力闘争で国民が負けているということです。いや、完敗です。どう贔屓目に見ても、非正規労働者が「下々」であることは明白です。
ところが、日本の場合は、国民が権力闘争をしているという認識は露ほども持っていませんので、ほぼ、封建制度というか、ほぼ、独裁国になっています。国民は、我慢することが自分の責務だと信じているように見えます。
「お上」のご意向に従っているのは国民だけではありません。官僚も政治家も、総理大臣という力のある政治家を忖度しています。本来は、注文を出してくれる国民に忖度しなければならないのに、仕事を請け負っているはずの国家運営者の皆さんは、国民を忖度することはありません。それは、国民が自分の立場に気付いていないから、忖度する必要がないのです。国民は、自分が主権者だということを、知りません。いや、主権者の意味を知りません。
言葉の定義は、コロンブスの卵のようなものなのだと思います。
現状を見る限り、日本は民主国家ではありません。
民主主義風王政並立封建制度は、あくまでも、封建制度です。日本独自の民主主義という主張は、実は、封建制度の変形だったのです。
この先、生活が破綻する国民は増え続けます。日本という国が苦難の時代を迎えます。
明日の食糧に困るようになると、定義を知らない国民でも、「俺達は、守られていないのではないか」と思うようになります。多くの仲間が餓死に直面すれば、国民は、百姓一揆を考えるようになります。そうなると、国は、力で国民を抑えるしかなくなります。民主化に逆行し、権力の強化が行われることになります。政治家が、天皇制に回帰したいと思っているのは、国民を統制するための大義名分が欲しいからです。国家運営者は、法を作る権利と武力を行使する権利を持っているのですから、不可能ではありません。これは、明治維新でも使われた手です。法と武力と信仰があれば、国民を押さえられます。もちろん、国民の犠牲は、特に「下々」の犠牲はやむを得ないと考えています。
自衛隊が国民に銃口を向ける日が来ると思います。
これまでも、天皇や国家運営者を守るためであれば、国民の犠牲はやむを得ない、というやり方は、数千年間、繰り返されてきました。まだまだ、同じことが起きると思う必要があります。まだ、「下々」の命は軽いのです。
国民の皆さんは、「まさか」と思っているでしょう。でも、権力者達も背に腹は代えられません。苦渋の決断だと言い訳をしながら、平気でやります。それは、歴史が証明しています。権力者であろうと庶民であろうと、自分の身が一番大切なのです。力を持っている者が勝つのが、当たり前だとすると、貧乏籤を引くのは庶民なのです。
もしも、「国とは」という定義があれば、こんな状況にはならなかったと思います。

「国とは、国民とは、民主主義とは」という言葉の中で、実態があるのは国民だけです。
国はシステムであり、民主主義は思想であり、食糧や水を摂取する必要はありません。
システムや思想も守る必要はありますが、一番守らなければならないのは、脆弱な生身の人間である国民だと思います。国民を守らずに、システムや思想を守るために、国民を犠牲にするのは、本末転倒だと思います。もちろん、国民が、自分の命を懸けてシステムや思想を守りたいのであれば、民意は尊重すべきですが、強制的であったり、騙し打ちはやってはならないと思います。
国民を守るために、国というシステムを守るのであり、国民を守るために民主主義という思想を守るのです。この目的は、往々にして、忘れられることがあります。国を守るためであれば、国民を犠牲にしても許される。思想を守るためであれば、国民を犠牲にしても許される、ということが度々行われたのです。これは、日本だけに起きていることではありません。ですから、世界でも、まだ、国や主義主張が国民より価値があると思われています。
この世界常識と過去の歴史を見る限り、国民が犠牲になる確率は非常に高いと考えなくてはなりません。正しいか、正しくないか、なんて関係ないのです。正義が勝つ、なんてことはフィクションの中でしか起きません。強い者が勝つのです。
そんな現状の中で、国民が自分を守ろうとしたら、言葉の定義をするしかありません。
いや、国民に出来ることは、他にありません。
海外の民主国家の中には、確かに、定義らしきものは存在しているでしょう。しかし、それらの国でも、忘れ去られているか、賞味期限が切れているものばかりです。日本にとっては、初めての定義ですが、世界も再定義が必要になっていると思います。人類にとっても、今は、大きな曲がり角になっているのです。
壊れ始めた国民生活を救うためには、いや、救われる可能性を生み出すためには、言葉の定義から始めるしかないと思います。確かに、曖昧文化を押しのけて、定義をするのですから、簡単なことではありません。しかし、他の選択肢は見当たりません。
もちろん、定義をしただけでは、何も生まれません。
定義を実現させるための新しいシステムの構築が必要になりますし、そのシステムの運用方法の確立が必要になり、更に、目的に合った運用がされているかどうかを監視するシステムも必要になります。気が遠くなるような作業が待っています。それでも、やるしかないと思います。
「もう、間に合わないんじゃなかったの」
その通りです。でも、抵抗する価値はないのでしょうか。
日本崩壊は避けられませんが、民族の絶滅になるかどうかは、まだわかりません。
生き残り、新生日本を創る人達がいるかもしれません。その時には、この経験が少しは役に立つかもしれません。
微かな希望ですが、抵抗する価値はあると思うのです。


2019-05-02



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相対的貧国と絶対的貧困は仲良し [評論]



今日は、貧困の話を書きます。
国民の皆さんは、「貧困」という言葉に、そろそろ、慣れたと思います。
ただ、今のところ、自分には関係のない話だと思っている方が大半だと思います。自分より、より貧困な人が存在することで、自分はまだ貧困ではないと思っている人もいるかもしれません。抵抗しようとしない人達が多い日本では、大人の対応をすることが尊重される日本では、「貧困とは」という定義をせずに、曖昧にしておくほうがいいのかもしれません。
しかし、それは、絶対的貧困に直面するまでの「先送り」に過ぎません。

最初に、大雑把な数字です。
貧困を代表している国民は、非正規労働者と生活保護費受給者だとしてみます。
潜在的な貧困者が何人いるのかはわかりません。非正規労働者や生活保護費受給者の数より多いかもしれませんが、その数字は把握できません。
非正規労働者と生活保護費受給者の中には、100万人いると言われているシングルマザーも含まれます。ニートや、生活保護は受けていないが、実は貧困者だという人達は含まれていません。
非正規労働者を2000万人、生活保護費受給者を200万人とすると、2200万人、約17%の国民の生活が破綻していることになります。この中に、非正規労働者の子供達は含まれていません。子供を含めると、25%くらいになると思います。
ただ、これは相対的貧困と呼ばれる貧困ですから、「今日、食べるものがない」という絶対的貧困ではありません。だからと言って、安心するのは早いと思います。相対的貧国と絶対的貧困は、別世界のものではなく、親和性は非常に高いと思います。

非正規労働者の平均年収は172万円だそうです。
最近は、平均値では実態が見えにくいということで、中央値という数字が使われることが多くなってきました。その中央値では、151万円になるそうです。
独身者であれば、151万円の収入であっても、食べることはできます。
結婚して、二人所帯になると、151万円では少し厳しくなります。
ですから、共働きは、常識になりました。
15歳から64歳の女性の就業率は、約70%だそうです。
共働きをすれば、300万円の収入になりますので、2人でも食べていけます。
それでも、正規社員一人の年収中央値が432万円ですから、二人で働いても追いついていません。公務員の年収は、約700万円ですから、二人で働いても半分以下です。
では、子供が生まれたら、生活はどうなるでしょう。
当然、出費は増えます。働く時間も制約されますので収入も減ります。
働き手が一人しかいない母子家庭の子供の2人に1人が貧困だと言われるのは、当たり前です。2人の内、2人共が貧困でないことのほうが不思議ですが、シングルマザー全員が孤立無援ではないということなのかもしれません。
生活が苦しいのは母子家庭だけではありません。
子供は、学校へ行きます。
小・中学校は義務教育ですから、授業料はいりません。でも、小学生の教育に必要とされる金額は、つまり、親が負担する教育費は、年間、約32万円だと言われています。中学生になれば、約48万円必要です。もちろん、これは、公立の学校の話です。それ以外にも、制服や運動服等々で、お金は必要になります。夫婦二人が共働きで、300万円の収入があったとしても、年間、50万円の出費は重いと思います。子供が2人いれば、100万円の資金が必要になります。貯金なんて夢のまた夢です。会社の倒産や病気というアクシデントもあるでしょう。OECDの勧告にあるように、消費税が26%になる日も来ますし、保険料も高くなります。数千万人の国民が、薄氷の上に立っているのです。

この先、非正規労働者が減ると考えている人はいないでしょう。
正社員が希少な存在になる日が来てもおかしくありません。
誰が、こんな社会を作り出したのでしょう。
犯罪捜査ではありませんが、非正規社員が誕生したことで、誰が一番得をしたのでしょう。1/3の人件費で人員を確保でき、いつでも契約を切ることができるのですから、企業が得をしたことは明らかです。その政策を実行してくれたのが自民党です。もちろん、自民党は多くの見返りを手にしましたので、主犯は自民党で、従犯が大企業ということになります。つまり、自民党も大企業も、国民生活を犠牲にして、自分達が利益を得たのです。
国民の多くは、自分や自分の子供が非正規労働者になるなんて想像はしなかったのでしょう。「俺には関係ねぇ」と思っていたのでしょう。しかし、社会は、非正規労働者がニューノーマルになろうとしています。
非正規労働者がニューノーマルになった社会で、人口増加の期待は持てるのでしょうか。
非正規労働者が子供を持つということは、自分の首を絞めることです。たとえ、自分の首を絞めてでも、子供が欲しいと思う人も、まだ大勢います。では、複数の子供を持ちたいと思う人が、どれほどいるのでしょう。生涯独身の人が増えているのですから、夫婦が2人以上の子供を持たなければ人口は増えません。ですから、人口減少のトレンドは終わりが見えません。自分の首を絞めないために選択していることが、自分で自分の首を絞めていることに、誰も気付いていません。諸悪の根源は貧困なのです。
現状を見る限り、国は、国家戦略として、国民を貧しくさせ、人口を減らそうとしているようにしか見えません。
人口減少に危機感を持っている人は、それなりにいます。でも、その危機感は、漠然とした危機感に過ぎません。「やばい、かも」程度の危機感です。どうして、一歩踏み込まないのか。不思議でなりません。

先月、生活保護費を受給している老人が120万人だと書きました。潜在的な貧困老人を計算に入れれば、貧国老人は400万人いるだろうと書きました。
私の勝手な予測ですが、この貧困老人は、この10年で2000万人になると思っています。
非正規労働者が3000万人になり、生活保護受給者が2500万人になったとすると、国民の約半数が貧困者になります。厄介なことに、平均寿命は伸び続けていますので、このトレンドはしばらく変わりません。
それでも、現在の環境が維持できれば、国に生活保護費を支払う能力があれば、何とか、相対的貧困でも生きていくことはできます。
しかし、環境が変われば、国に生活保護費を支払う能力がなくなれば、国民の半数が絶対的貧困に堕ちる可能性が高いのです。
では、環境は、現在の延長線上のまま、変わらないのでしょうか。国は、いくらでも生活保護費を支給できるのでしょうか。
それは、ありえないと思います。
1000年前と、100年前と、10年前と今が同じ環境だと言う人はいません。環境は変化することが自然なのです。しかも、その変化は「何でも、あり」なのです。当然、10年後の環境は、現在とは違う環境になっています。
例えば、世界戦争なのか、金融危機や世界恐慌なのか、国際関係の構造変化か、国際収支の悪化か、国内経済の不況か、財政破綻か、ハイパーインフレか、他の要因なのかはわかりませんが、何かが起きます。いや、何が起きても不思議ではありません。
そんな時に、国力の衰退と人口の減少というトレンドがあるのです。
「なんとかなる」と思うほうが、異常だと思わねばなりません。
では、国の生活保護費支給能力はどうでしょう。
国力衰退の中身は、民間企業の劣化と人口減少です。
国力衰退は、GDPの減少に直結しています。
仮に、2500万人の生活保護費受給者に、月額10万円、年額120万円の生活保護費が必要だとすると、30兆円の財源が必要になります。GDPが減少するということは、税収が減少するということです。現在の税収が50兆円から60兆円だとすると、税収が40兆円や30兆円になることは想定されます。仮に、50兆円の税収が確保できたとしても、そこから、30兆円の生活保護費が支給できるのでしょうか。
生活保護費だけでも、無理であることは明らかですが、社会保障費は、生活保護費だけではありません。障碍者年金、老齢年金、医療費、介護費もあります。子供手当も、教育無償化もあります。
どう考えても、やりくりが出来るとは思えません。
どんな結果になるのかは明らかです。そうです。増税と社会保障費の大幅削減です。
仮に、生活保護費として3兆円の財源が確保できたとしましょう。生活困窮者に支給できる一人当たりの生活保護費は、月額1万円になります。当然、生活はできません。社会保障で生活を支えるということが出来ない時代になるのです。
生活をするためには、お金が必要です。しかし、先月も書きましたが、国民は、貯金もありません。それが、何を意味するのかは、誰にでも想像できます。
相対的貧困は、コインを裏返すように、簡単に、絶対的貧困に変わるのです。

今の相対的貧困を、実際に引き受けているのは誰でしょう。
そうです、国民です。
では、絶対的な貧困は、誰が引き受けるのでしょう。
もちろん、国民しかいません。
絶対的貧困とは、今日明日の食糧がない状態を意味します。
国民の皆さんの未来にあるのは、この絶対的貧困なのです。
「俺には関係ねぇ」「何とかなる」と漠然と思っているだけでいいのでしょうか。
どう計算しても、行き詰るのは目に見えているのに、どうして、皆さんは平気な顔をしているのでしょう。
余りにも「能天気」なのではありませんか。
国民の皆さんも、自分が勤めている会社が倒産するかもしれない、自分の商売が行き詰るかもしれないという想像は、漠然と、しているものと思います。でも、その先を想像しているでしょうか。会社が倒産しても、「何とかなる」と思っていませんか。世の中には、「何ともならない」ことなんて、山ほどあるのです。
自分を守る必要はないのですか、家族を、子供を、守らなくてもいいのですか。
一度、貧困に堕ちれば、二度と這い上がることはできません。
絶対に、貧困層の仲間になってはいけないのです。
では、時の流れに任せておくしかないのでしょうか。
基本的には、それしかありません。
あるとすれば、救われる可能性を生み出すための努力をしてみることです。
可能性ですから、努力すれば報われることが保証されているわけではありません。
それでも、選択肢は、他にありません。
私達には、「国民生活を守れ」という声を出すことくらいしかできませんが、そんなことでもやるべきだと思います。
何もせずに、貧困層に堕ちたら、皆さんは、自分に対しても、家族や子供に対しても責任を果たしていないということなのです。
それは、人間として、どうなのでしょう。
それでも、「俺には関係ねぇ」と言われたら、「仕方ないですね」と返すしかありません。
食料と水を求めて、走り回ってください。それが、皆さんの選んだ道です。
もっとも、私の考えも甘いのかもしれません。
私は、勝手に、日本崩壊の前に死ねると思い込んでいます。
実は、そんな保証は、どこにもないのです。
弱った足腰に鞭打って食糧を探さなければならなくなるかもしれません。
弱肉強食の世界で、老人が生き延びる確率は、ほぼ、ゼロなのでしょう。老人には、餓死を受け入れるという選択肢しか残らないと思います。

私が、こんな暗いブログを書いているのは、抵抗したいと思っているからです。
なぜ、抵抗しようと思ったのか。それは、地獄で、もがき、苦しみ、嘆き、呪っている人達の姿が見えたからです。もちろん、私の妄想の中の光景です。最初は、私も、ただの妄想だと思っていました。「馬鹿げている」と思いました。そんな可能性はないだろうと思っていたのですが、目の前にある現実を見ると、どれもがその方向を指しているのです。妄想が現実になっても不思議ではないと思うようになりました。だから、抵抗しようとしたのです。でも、抵抗する方法がわかりません。出来ることと言えば、文章という狼煙を上げることくらいでした。10年間、試行錯誤の文章を書いてきましたが、何の成果も出ていません。現実の国民生活は、壊れていくばかりです。それでも、こんなことしかできません。残念です。
妄想で見たあの光景は、現実になると思っています。今では、99.99%現実になると思っています。私の上げる狼煙なんて、余りにも小さくて、誰の目にも止まらないかもしれません。でも、あの光景が見えている人が、抵抗しようとする人が、私一人とは限りません。小さな小さな狼煙であっても、数が集まれば、少しは役に立つかもしれません。草原を狼煙で埋めることだって可能かもしれません。「夢」だと言われれば、「夢」なのでしょう。何の役にも立たないかもしれません。それでも、何かしたいと思うのです。
地獄が見えていたのに、何も出来なかった私が天罰を受け、地獄で苦しむのは仕方がありませんが、何も知らずに地獄へやってきた「いい人達」が苦しむのは見たくありません。

どうして、こんな国になってしまったのでしょう。
国民生活を守るという視点がなかったことが原因です。
「先送り」「自分さえよければ」「今さえよければ」で国家を運営したからです。
そして、最大の原因は、国民が、外注先(政治家や官僚)の人達の好き勝手を黙認してしまったことです。
最大の責任は、国民にあります。
多くの国民の皆さんは、「そんな馬鹿な、俺達に何が出来たと言うのだ」と言うでしょう。それを考えるのも国民の仕事だと思いますが、ここは、百歩譲って、国民には責任がなかったとしてみましょう。
では、結果責任を取るのは誰でしょう。
国民の皆さん以外に、貧困を引き受けてくれる人がいるのですか。
責任があろうが、なかろうが、責任を取るのは、国民の皆さんなのです。
だったら、それを防ぐのは、皆さんの仕事なのではありませんか。
それが、責任を持つということだと思います。
自民党は、責任の欠片もないと思っています。「政権を自民党に持たせたのは、国民の皆さんであり、私達の責任ではありません」と言うでしょう。
「そこを、何とかしてくれなくっちゃ」と思いますよね。でも、それは願いであり、期待であり、夢・希望に過ぎません。別に実現する必要もないし、実現することもありません。
神風を待ちますか。棚から牡丹餅が落ちてくるのを待ちますか。嵐が去ることを、神仏に祈りますか。ほんとに、そんなことで危険が去るなんて、思っていませんよね。
どう転んでも、国民の自業自得という回答しかないのです。
これが、現実なのです。
政治家や官僚は、ろくでもない奴等ばかりです。でも、一番の「ろくでなし」は、国民の皆さんだと思っています。これは、偏見なのでしょうか。国民の皆さんは、自分に責任があるとは思っていませんし、自分達が「いい人」を演じていることは正しいと信じているのですから、自分が「ろくでなし」だなんて思ってもいません。
でも、大丈夫なのですか。「誰かが、何とかしてくれる」なんてことは起きません。
責任者不在のまま、日本崩壊病が、ステージⅣになる日も、遠くはありません。


2019-05-01



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新元号発表という儀式について [評論]



新しい元号が「令和」と決まったそうです。
どうして、封建制度の残滓でしかない元号に、一喜一憂するのか。
そのことが、どうしても、私には理解できません。
多分、民主主義風王政並立封建制度という統治体制を示す儀式だったのでしょう。
それにしても、日本人は、ほんとに、儀式が好きです。
国民の皆さんは、儀式で安心が得られるのであれば、それでもいいと思っているように見えます。確かに、それはそれで意味があるとは思いますが、国民の皆さんにとって、実生活よりも、儀式や夢のほうが大事なのでしょうか。
このような儀式を見るたびに、きっと、この国は、民主国家になることは、ないのだろうと、強く思ってしまいます。
日本民族は、たとえ、国民生活が破綻したとしても、儀式と神頼みさえあれば、どこまででも我慢できる稀有な民族なのかもしれません。それが、伝統だと教えられ、伝統を守ることが使命だと思っているのかもしれません。
でも、それは、勘違いです。
皆さんが守らなければならないのは、伝統ではなく、皆さんの生活です。
どこまでも我慢する、悲しいほどの「いい人達」なのでしょう。
我慢に我慢を重ね、餓死を目の前にして、やっと、命をかけて一揆を起こしていた昔の農民の姿を彷彿とさせます。封建時代の伝統は、脈々と受け継がれているということなのでしょう。どうか、呪縛を断ち切ってください。大切なのは、皆さんの生活です。
確かに、元号なんて些細なことです。別に、お祭り騒ぎにしても問題はないと思っていますよね。でも、薄紙であっても、何枚も重ねれば強い力を持ちます。その力が、皆さんの生活を圧し潰すことになるのです。
伝統を賛美する人達がいますが、私達の国に伝統などというものはありません。この国が民主国家という看板を掲げてから、まだ、100年にもなっていないのです。100年では伝統は生まれません。しかも、看板だけですから、中身はありません。
今ある伝統は、全て、封建制度での伝統です。もちろん、中には賞賛すべき伝統もあるでしょう。では、伝統という言葉さえあれば、賞賛してもいいのでしょうか。政府は元号も文化だと言います。いいえ、元号は封建統治の象徴として使われてきたものです。
時間さえ経てば、伝統であり、文化だと思うのは、勘違いです。良き伝統もあれば、悪しき伝統もあります。時代に適応していない伝統もあれば、時代に相応しい伝統もあります。あらゆるものを呑み込んでしまえば、体調を崩してしまいます。次々と、生活破綻に追い込まれている人達がいるのは、この体調不良の症状なのです。
懐が深いというか、曖昧というか、度量があるというか、ほんとに不思議な民族です。
「なあ、なあ、そこは、それ、だから、な、ふむ、ふむ」で納得してしまいます。
そんな国で「国民生活、国民生活」と呪文を唱えている私は、大馬鹿者だということを痛感させられるイベントでした。国民自身が国民生活を守る意識を持たずに、儀式に拍手している様子を見ると、「日本崩壊」を避ける最後の砦であり、頼みの綱である国民の皆さんが目を醒ますことはないのだと思いました。
いよいよ、本格的な崩壊が始まります。令和元年は崩壊元年になり、後世の人達は「令和」という言葉を、崩壊を示す言葉として使う人も出てくるでしょう。

右翼の皆さんは、元号が伝統ある文化だと言う方もいますが、ここまで熱心にやることなのか、敬意を払わなければならないほど大切なものなのか、元号がなければ国民生活が破綻するのか、と疑問に思います。第二次天皇制が始まっているとすると、多分、私は、天皇を尊敬していても、崇拝していないという点で、非国民なのでしょう。
政府は、祝賀ムードにしたいと思っていますし、国民は、儀式が好きなだけではなく、お祭りも大好きですから、喜んでいるようですが、私には、皆さんの気持ちが、よくわかりません。生活に苦しんでいる人達が数千万人規模で存在していることを、どう受け取っているのでしょう。非正規労働者やシングルマザーや貧困老人は、もう、国民ではないのでしょうか。「俺には関係ねぇ」のでしょうか。
お祝いしている場合ではないと思います。それは、今、お祝いしている国民の多くが、近い将来、生活に苦しむことになるからです。私には、元号よりも国民の生活のほうが大事に思えます。「別にいいじゃん。お祭りなのだから、楽しみましょうよ」と言われるかもしれませんが、素直に喜べない私は、多分、変人奇人の類なのでしょう。
こんな文章を書くと、左翼だと思われるかもしれませんが、何度も書きますが、私は左翼でも右翼でもありません。私達が大事にしなければならないのは、国民の生活であり、子供達の未来だと思っているだけです。国民生活や子供達の未来に、元号が貢献しているとは思えないのです。

安倍さんの会見では、「願い」や「希望」や「夢」が満載でした。
「これでもか」と言うくらい美辞麗句が並んでいました。
その美辞麗句を書き出してみましょう。
「人々が美しく心を寄せ合う
豊かな国民文化と長い伝統
悠久の歴史と薫り高き文化
四季折々の美しい自然
厳しい寒さの後に春の訪れを告げ
見事に咲き誇る梅の花のように
一人一人の日本人が明日への希望とともに
それぞれの花を大きく咲かせること
文化を育み
自然の美しさをめでることができる
平和な日々に心からの感謝の念を抱き
皇室の長い伝統と、国家の安泰と、国民の幸福への深い願い
日本人の心情に溶け込み
日本国民の精神的な一体感を」
文学的と言うか、平安短歌のような談話でしたし、「国民の精神的な一体感」を強調している部分では、天皇制復活に照準が合わされているような文章でした。もちろん、戦闘的な文章や排他的な文章よりは、数段、素晴らしい文章だったと思います。それだけに、現状との乖離が印象に残る文章だったとも言えます。
特に違和感を持ったのは、「皇室の長い伝統と、国家の安泰と、国民の幸福への深い願い」という文章です。一番に皇室、二番に国、三番に国民が語られていました。
あれれれ、国民は三番目なのですか。
今月は「民主主義とは」について書きましたので、この文章は気になります。多分、意図してこのような順番を強調したのではないと思いますが、安倍さんの本音が素直に出てしまったのではないかと思っています。
しかも、皇室は伝統であり、国は安泰ですが、国民は「願い」です。国民には「幸福への深い願い」さえあれば、いいのでしょうか。現実の生活は、無視していていいのでしょうか。とても、民主国家の総理大臣の発言だとは思えません。
嘘でもいいですから、表看板は、民主国家ということになっているのですから、夢ではなく国民の現実の生活を一番目に持ってきて欲しかったと思います。
天皇制を中心に置き、民主主義という風味を加え、封建制度という伝統を守ることが、この国の国家運営方針なのでしょうか。だとすると、そこに「国民生活」という視点はありません。もっとも、国民が喜んでくれているのだから、それでいいのかもしれません。ほんとに、不思議な国民です。変人奇人の私には理解できません。

総理会見の質問者は、産経新聞とフジテレビとニコ動でした。私には、総理発言に迎合するような質問にしか聞こえませんでした。ニコ動は、よく知りませんが、自民党と産経新聞とフジテレビという組み合わせは、まるで、天皇崇拝グループの総会を見ているようで、違和感しかありません。明らかに、「やらせ会見」だと思いますが、記者クラブに所属する皆さんも同意したということです。日頃、社会正義を主張している皆さんが、やるべきことなのでしょうか。恥ずかしいとは思わないのでしょうか。ま、ジャーナリストの皆さんには期待できませんので、仕方ありません。これが、国としての実力なのでしょう。
記者の皆さんも、立派に「大人の対応」を果たしたと思いますが、そんなことをやっている時ではないと思います。
「まあ、まあ、空気を読みなさいよ」
では、空気を読んでいれば、地獄へ堕ちることはないのでしょうか。
私には、安倍さんの得意とする言葉遊びにしか見えません。
もちろん、夢や希望はあったほうがいいです。願うことも自由です。
でも、それは、あくまでも、夢であり、希望でしかありません。
私達には、現実の生活のほうが大事です。現実と夢を交換するわけにはいかないのです。
なぜなら、夢や希望は実現しないというのが、相場だからです。
「夢は、必ず、叶う」と熱心に主張する人がいます。
もちろん、ごく低い確率で夢が叶う場合があることは認めます。
しかし、多くの国民を救うためには、「夢」は適しているとは思えません。
精神論で現実が変わらないことは、あの戦争で、既に、実証済みです。
安倍さんは、「働き方改革」で夢と希望を叶えると言っていましたが、今の働き方改革で国民生活が守られるとは思えません。いや、更に、壊れます。
極論ですが、日本の未来には、夢も希望もないことを知らせるべきだと思います。その上で、「せめて、元号で夢を見てください」と言って欲しかったです。今の国家運営者は、国民に、生活を守る約束はできないので、美辞麗句や夢を提供することしかできないことも表明してください。皇室を守り、国家運営者を守るためには、国民の犠牲が必要なのです、と言ってもらってもいいです。それでも、国民は「万歳、万歳」と叫んでくれるでしょう。大丈夫です。ほんとに、とことん、「いい人達」なんですから。
安倍政権は、これまで、国民が夢や希望を持てる国家運営をしてきたのでしょうか。いいえ、国民の夢や希望を潰してきました。既に、多くの犠牲者が生まれています。この先、更に、多くの犠牲者を生むことになります。
私には、詐欺にしか見えないのです。国民に糠喜びをさせて、地獄へ突き落すやり方は、決して、褒められるやり方ではないと思います。
ただ、元号なんて、私達にとって些細なことであっても、日本会議の皆さんにとっては、きっと、重要なことなのでしょう。私は、日本会議のメンバーの方々が極悪非道の人達だとは思っていません。彼等も「いい人達」だと思っています。ただ、少しだけ信仰心が強く、国民生活を大切にすることよりも信仰心のほうが勝っているだけだと思います。国民の皆さんにお願いする前に、日本会議の皆さんに「国民生活最優先」をお願いしたほうがいいのかもしれません。日本会議が変われば、日本会議の傀儡政権である今の政府も、きっと、国民生活に重点を置いてくれるのでしょう。

今回の国民の対応を見ていると、紛れもなく、日本人は「いい人達」ばかりだと、あらためて、思いました。
こんな「いい人達」を、たとえ自業自得だとしても、地獄へ堕としていいのだろうか、と思います。
と同時に、国民の皆さんは、何も知らずに、地獄へ堕ちていくのだろうな、と強く思いました。
ほんとに、救いようのないほどの、悲しいほどの、「いい人達」です。

新元号フィーバーを見ていると、国家運営者も、学者やマスコミも、そして、一般庶民も、全員で肩を組み、一致団結して、地獄へ向かっているように見えます。どうして、現実を見ないのでしょう。それとも、夢や希望という言葉にすがるしか、もう、方法はないことを知っているのでしょうか。確かに、その判断は間違っていないと思いますが、それでも、抵抗はするべきだと思います。これほど団結力のある国民はいません。その団結力を「生き延びる」方向へ向ければ、もしかすると、奇跡は起きるかもしれません。
いや、無理なのでしょう。
誰も気付いていないのですから、どうすることもできません。
間違いなく、地獄へ堕ちます。
国民の皆さんに期待している私こそ、夢を見ているだけなのでしょう。


2019-04-07



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時代の曲がり角で行き詰った民主主義 [評論]



今日は、世界で起きている民主主義の行き詰まりについて、イギリスとフランスの現状から見てみます。
民主主義国家の目的は「国民生活を守る」ことだという大前提の上に立って書きますので、その前提が否定されれば、私の主張は成り立ちません。前提が前提でなくなることは、いつでも起きることですから、これは、あくまでも、机上の空論です。ただ、机上の空論でも、何も選択肢がないよりは、ましだと思っています。
私の主張は、あくまでも、将来のことであり、確定している将来なんて存在していませんから、当然のことですが、眉に唾をつけることは忘れないでください。ただ、確率の問題だとしても、可能性があることだけは否定できませんので、注意が必要です。
将来のシナリオなんて、書く側の都合で、どんなシナリオでも作れます。もちろん、私の書くシナリオでも同じです。
ただ、私が、99.99%の確率で実現すると、勝手に信じているものがあります。
それが、「日本崩壊」です。
将来のシナリオですが、これだけは、間違いなく実現すると確信しています。
0.1%の確率しかない予測も書きますので、わかりにくいかもしれませんが、そこは、充分に眉に唾をつけて読んでいただければ、嬉しいです。
今日の話も、「イギリス崩壊」や「フランス崩壊」の可能性を秘めた話です。「日本崩壊」の確率から見れば、心配するほどの確率ではないと思いますが、崩壊が決まっている私達にとって参考になることはあると思っています。

ブレグジットが暗礁に乗り上げています。
ブレグジットを心配する話はよく聞きますが、イギリスがEUを離脱すれば、「イギリスにはこんな利益がある」という意見を聞くことが少ないのは、なぜなのでしょう。
もちろん、EUへの拠出金を支払わなくても済むことや移民を受け入れなくても済むことがメリットだと言われていますが、それが、それほど説得力のある利益になるのでしょうか。
イギリスは、一度、没落しました。その没落を救ったのはEU加盟だったのではないかと思います。EUを離脱すれば、イギリス没落の第二幕が始まるとは考えなかったのでしょうか。イギリス経済を支えている海外資本がイギリスから逃げ出すという状況を想像したのでしょうか。
イギリスに進出している日本企業は、約1000社あると言われています。日本企業はイギリスの需要だけが目的でイギリスに進出したわけではありません。EUの市場が欲しかったのです。英国に進出したのは、イギリスが英語圏だったことがあります。もしも、イギリスとEUの間に国境が出来たとすると、関税や通関手続きや情報の共有という面で、これまでとは違う環境が生まれます。イギリスで企業活動をするよりも、EU加盟国で企業活動するほうがメリットがあるとすると、日本企業は言語の問題を解決しようとするでしょう。企業は利益で動くのです。イギリスに工場や店舗を置いておくことで利益が少なくなるようであれば、対応せざるを得ません。もしも、金融関連企業に影響が出れば、イギリスの強みは失われます。今は、まだ、推測の域を出ていませんが、実際に負のスパイラルが始まると、それを反転させるのは容易ではありません。波が引くように外国資本がイギリスから引くかもしれません。これは、イギリスにとって致命傷になる可能性があります。
イギリスの人も、EUの人も、イギリスに進出している海外企業の人も、「何が起きるのかは、わからない」と言います。これは、大変、不吉な兆候です。
イギリスは、なぜ、そんな不確実性が高いEU離脱をしようとしているのでしょう。
今となっては、誰も、わかっていないのではないでしょうか。

私は、以前に、2016年に行われた国民投票に問題があったと書きました。イギリスの民主主義もこの程度のものだったのかと書きました。
私には、民主主義の定義が賞味期限切れになっているように見えます。
民主主義の持ち味は、その柔軟性だと思いますが、その柔軟性が失われ、古い教義、それも「暗黙の了解」という魔物にからめとられているように思えてなりません。民主主義には絶対的な教義は存在しません。柔軟性を許容しているのは、定義が常に進化していくことが条件になっているからだと思います。時代に対応しなければ、民主主義は窒息死することになるのです。
必要なのは、民主主義の再定義なのではないでしょうか。
時間と共に民主主義の解釈が漠然としたものになり、それでも、何となく、過去の「暗黙の了解」に引きずられ、出口を失っているのであれば、再定義をすることで、新しい民主主義を見つけることが出来るかもしれません。
民主主義を超える、新しい哲学と思想が生まれているのであれば、新しい選択肢があるのであれば、新しい選択をするという方法もありますが、まだ、新しい哲学と思想は生まれていません。いや、生まれるという確証もありません。未来永劫、そんなものは存在しないのかもしれません。
今、私達にできることは、民主主義を使い続けることしか、ないのです。
だとすると、時代に合った定義が求められているのではないでしょうか。
イギリスのEU離脱の国民投票が実施された時、国民に、古き良き時代への郷愁があったことは否定できません。夢を見ることは自由です。でも、現実では、そんなことは起きません。イギリス帝国が蘇るような奇跡は、古き良き時代が再現することは、ありません。
多くの先進国が国家運営に行き詰まっています。古き良き時代に戻りたいという気持ちはわかります。しかし、それが、叶わぬ夢であることは、人間社会の法則です。夢を見ることは自由ですが、それは夢であって、現実ではありません。国の責任は、今生きている国民の生活を守ることであり、将来の国民の生活を守る環境を引き継ぐことです。それは、時計を逆回転させて得られるものではありません。人間は、未来へ向けて歩くことしか出来ないのです。
イギリスのメイ首相は、国民投票の結果を尊重することが、民主主義だと思い込んでいます。確かに、多数決で決めることが民主主義のルールなのですから、彼女がそう信じることは間違ってはいません。
でも、あの国民投票の時に、国民に対して、政府はそのメリットとデメリットを提示できていたのでしょうか。もしも、「国は、国民生活を守るシステム」だという定義があれば、感情や郷愁ではなく、国民生活に与えるメリットとデメリットを提示すべきだったと思います。民主国家の政府には、その責任がある、と定義すべきだったと思います。
当時のイギリス国民は、「俺達は、EUに加盟していることで、損をしているのではないか」という疑心暗鬼に囚われていました。それは、大きな声で、そう主張する人がいたからです。「損をしている」「得をする」という話には、誰もが飛びつくものです。
手入れを怠った民主主義の硬直化と漠然とした国民投票という手段が、イギリスの混迷を作り出したように見えます。
「後講釈であれば、何とでも言える」と誰もが思うでしょう。
その通りです。それでも、私達には想像することで、ダメージを最小限にすることしかできないのです。その努力をイギリス政府はやったのでしょうか。
何となく、安易な気持ちで、風評に引きずられて、国民投票という手段を使ってしまったのではないでしょうか。
今、試算されているイギリス経済への影響は、マイナス6%だと言われています。もちろん、試算ですから、確実な数字ではありません。しかし、このマイナス6%という数字は、全てのイギリス国民の生活に大きな負の影響を与えます。もしも、国の使命が国民生活を守ることであるのであれば、国は、大きな失敗をすることになります。
国民投票をする前に、政府は、メリットチームとデメリットチームを立ち上げ、徹底的に試算し、その結果を国民に提示する責任があったように思えます。
たとえ、マイナス6%のデメリットがあっても、イギリスの誇りを優先させたいと国民が考えているのであれば、国民が生活を犠牲にしてもいいと判断したのであれば、国民投票の結果は尊重しなければなりません。しかし、何も知らない国民に、「何となく」、感情だけで答を出させたやり方は、正しかったとは思えません。
これまであった、民主主義や資本主義や自由という概念は、賞味期限が過ぎていて、時代の要請に答えられなくなっているのではないでしょうか。多くの先進国が「古き良き時代」へ郷愁を感じているのは、そのためなのではないかと思います。
今、必要とされているのは、新しい哲学と思想です。
もし、それが無いのであれば、時代に合った新しい定義の再構築です。
そのことに気付かなければ、民主主義も資本主義も自由主義も、壊れる運命にあります。
ただ、民主主義も資本主義も自由主義も、余りにも日常になっているために、定義の再構築が求められていることに気付きません。
イギリスでは、いろいろな方が意地を張ることで、自分の存在価値を認めさせようとしています。これは、「自分さえよければ」であり、国民生活を守る行動にはなりません。



フランスで、「黄色いベスト運動」というデモが、まだ続いています。
マクロン大統領は、世論を鎮静化させるために、国民との対話を演出していますが、国民の話を聞くだけでは収まりそうにありません。
デモ好きという意味では、フランスと韓国は世界の両雄ですが、問題は、もっと深刻だと思います。
フランスの国家運営者も、デモは「ガス抜き」だと思っているでしょう。「なに、時間が経てば、落ち着くさ」と思っているでしょう。構造上の問題だとは捉えていないと思います。でも、これは、民主主義の構造上の問題が提起されているのです。そのことに気付かなければ、波は何度でも押し寄せてきます。
全国の市町村役場に設けた16世紀以来の「歎願陳情書」は、ノート1万6000冊になり、ネットを通じての要望は、150万件に及んだそうです。
真面目な陳情も多かったようです。
陳情内容の記事がありましたので、転記しておきます。
「田舎から消えた医療、行政サービス、商業施設を復活してほしい」
「減税で生活を楽にして」
「年金生活者から社会保障税を徴収するな」
「公共交通機関の拡充を」
「燃料税は廃止を」
「租税回避の取り締まりを強化せよ」
「国民が直接発議する国民投票の導入を」
「大統領の罷免手続きを定めよう」
「国会議員の定数を減らせ」
「比例代表制を導入せよ」
「上院はいらない」
「燃料税は大きな航空会社から徴収すればいい」
「必需品を消費税の課税対象から除外して」
「高級官僚や公務員の給料を公開せよ」
「国の予算で運営されるテレビ局の記者たちはジャーナリストといえない。予算を減らせ」
「警官の給料を引き上げて」
「指導者が国民から遊離している。マクロンは辞職せよ」
等々の意見があったそうですが、日本で同じことをやれば、やることはないと思いますが、どんな結果が出るのでしょう。
「黄色いベスト運動」が続いているということは、フランスでも、国民生活が守られていないと感じている国民がいることを証明しています。
デモ好きなフランス国民らしいやり方ですが、大統領が渋々だとは言え、国民のほうを向いたのですから、それなりの成果はあったと思います。「俺達は、いつも、お前の行動を見ているぞ」という脅しにもなりました。その方法には賛否があると思いますが、少なくとも、フランス国民は声を出しています。私は、フランス国民に敬意を表したいと思います。
「消費税増税」に賛成してくれる日本国民とは、一味違います。日本の総理大臣は、笑いが止まらないのではないでしょうか。「民主主義風王政並立封建制度」は楽でいいと思っているかもしれません。


イギリスとフランスの現状を見ましたが、国民生活最優先という考え方が失われているように見えます。今は、経済成長最優先です。昔は、経済成長さえしていれば、国民生活が守れるという時代でしたが、今は、そうなっていません。それは、経済成長に固執したために、手段を問わない経済成長が正義になってしまったために、貧富の格差が広がり、貧困層が増加し、守られていない国民生活が生まれてしまったのです。もちろん、経済成長は不可欠ですが、同時に、国民生活も守らなければならないという時代になっているのです。
もしも、国民が主権者であり、その国民生活を守ることが国の仕事だとすると、国は責務を果たしていません。共産主義国でも、経済成長最優先になっていますので、民主国家の存在価値は失われつつあるように見えます。これは、イギリスとフランスに特有な現象ではなく、全ての民主国家に言えることです。
民主主義が、今の時代に対応できていないということなのではないでしょうか。
考えてみれば、現代民主主義が生まれた時代は、王様が統治していた時代です。国民は貧しく、知識もなく、情報も得られない時代です。前提も環境も、今とは違います。それでも、古くからある間接民主主義と選挙という手法で運営されているのです。賞味期限が切れているとしても不思議ではありません。
昔は、村長や族長という立場の人が、村民や一族の共通な利益を代表して戦うことができました。しかし、現在の選挙区の住民は一枚岩ではありません。住民の利益は様々です。その多様な利益を代表する議員を選出すること自体無理があるのです。ただ、一つだけ、住民に共通する利益があります。それが、「国民生活を守る」ことです。間接民主主義も選挙も、それを前提に作り替える必要があるのではないかと思います。
民主主義を再定義し、国民生活を守る原点に戻る時なのだと思います。
そのためには、日本だけではなく、世界の民主国家が「国とは、国民とは、民主主義とは」という新しい定義を確立しなければならない時代になっているということなのだと思います。
しかし、現実を見ると、そのような動きはありません。
国には、その能力が無くなっているように見えます。
それは、国家運営者が、自分の既得権益を守ることを、自分の仕事にしているからです。もちろん、国家運営者だって人間なのですから、自分の利益を守りたいと思っても不思議ではありません。彼等に任せておけば「何とかなる」という時代ではないのです。
「お上」に丸投げという手法も賞味期限切れだとすると、最後の砦である国民が立ち上がるしかないと思います。

国民が責任を果たさなければ、被害を受けるのは、国民の皆さんです。
何度も書きますが、ここで言う「国民」とは、現在の国民だけを意味するのではなく、将来の国民も含んでいます。
民主主義の目的は、「国民生活を守る」ことです。
国がその責務を果たしていない現在、国民の責務は、「国民生活を守るシステム」を構築することです。いや、「国民生活を守るシステムを構築せよ」と要求することです。つまり、声を出すことです。
私達は、この「責任」という言葉を「負担」と感じてしまいますが、別の視点から見てみると、「権利」と捉えることもできます。
民主国家では、国民が責任を果たす「権利」を持っていると考えてみてください。独裁国家や封建国家の国民には、そんな「権利」はありません。
確かに、日本人は、フランス人や韓国人とは違い、シャイですし、「いい人達」ばかりです。しかし、自分を、家族を、国を守るためには、行動する必要があると思います。今が、その時なのです。「いい人」を演じていても、被害には遭います。そろそろ、本音を出す時なのではないでしょうか。
もちろん、「楽をしたい」という気持ちは、よくわかります。でも、楽をしてドツボに嵌ることは、日常生活でもよくあることです。「喜んで」という気持ちにはなれないと思いますが、そろそろ、立ち上がらなければ、ひどい目に遭います。いや、皆さんは、何もしないことで、既に、加害者になっているのかもしれません。皆さんは、子供の学校で「いじめ」があっても、「見て見ぬふりをしろ」と言っていませんか。たとえ、言葉で言わなくても、子供は親の態度で、「見て見ぬふり」が自分の選択肢だと思っているかもしれません。私達は、黙って耐えることが美徳にならない状態にまで追い詰められていることに気付く時だと思います。
ただ、もう、時間はありませんので、どう転んでも、崩壊は免れません。
皆さんが地獄に堕ちることは防げません。
それでも、行動を起こす必要があります。
それが、きっと、新しい日本の国民の利益になると思うからです。
日本再生が、100年後になるのか、500年後になるのかはわかりませんが、きっと、私達の行動は役に立つと信じます。いや、信じたいです。


2019-04-06



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「民主主義とは」の定義について [評論]



「民主主義とは」の定義をするわけではありません。定義がないことによる弊害という視点で個人的な意見を書きます。
私の勝手な解釈ですが、民主主義とは、国が、王様や天皇や、殿様や領主や、独裁者のために存在するのではなく、国民のために存在するシステムだと解釈しています。主人公は、国民です。国はシステムですが、国民は生き物です。ですから、生活をしなければなりません。その「国民の生活」を守ることが、民主国家の最大の目的だと思っています。

なぜ、民主主義を支持する人が多いのでしょう。
独裁国家や封建国家よりは、民主主義国家のほうが、ほんの少し、ましなのです。
なぜ、他の制度よりもましなのか。
それは、「国民生活を守る」ことを、公然と、最優先事項にすることが出来るからです。
民主主義の利点は、それ以外にありません。
民主主義は、国民崇拝の制度ではありません。国民が濡れ手に粟を取れるような制度でもありません。ましてや、夢の楽園なんかではありません。半面、民主主義を民主主義として機能させるためには、国民の積極的な努力が求められる制度です。国民にとっては、責任だけは重く、楽ができる制度でもありません。
一方、為政者にとっては、独裁や封建制度のほうが楽に決まっています。ですから、たとえ、民主主義を選択していても、自分達の裁量権を大きくする努力をし、意識しているかどうかは別にして、独裁や封建に近づける力が働くものなのです。
問題は、民主主義の定義がないために、別に、国民生活を守らない制度になっていても民主主義を標榜することができることです。形式さえ整っていれば、風味さえついていれば、問題ないのが現状です。これは、国家運営者と国民の努力の差が生み出したものです。
民主主義の定義は、もしかすると、一つだけでいいのかもしれません。
「民主主義とは、国民生活を守るためのシステムであり、その利益を受ける国民が運用するものである」という一行で済むかもしれません。もちろん、そのためには、実際に運用する人を選出しなければなりませんので、選挙制度を変える必要があります。私達が選出した人達が国民生活を守る仕事をしない場合は、別の人を選出しなければなりません。現在のように、誰も、国民生活を守る人達がいない場合、国民は、国民生活を守る人達を募集しなければなりません。つまり、目的が達成されるまでが、運用者である国民の仕事です。
民主主義は、国民生活のためにあるシステムなのですから、そのシステムを運用する責務が国民にあるのです。ただ、実際には、外注するしかないのですから、その外注管理をすることも、国民の仕事です。「お上」に丸投げという、現在のやり方は、「国民生活を守る必要はありませんよ」と言っていることと同じです。
つまり、民主主義が機能するかどうかは、国民生活が守られるかどうかは、国民次第なのです。外注先の管理を怠り、国民生活が守れなかった場合は、国民に責任があるのです。
国民は、民主主義が自分の利益と直結しているとは思っていません。この勘違いに気付いてもらうことは至難の業ですが、そこは、気付いてもらうしかありません。今は、定義がありませんので、国民は、そのことを知りません。
知らなかったのは、国民の勝手だと言われれば、反論できません。自業自得だと言われても、どうすることもできません。民主主義とは、そういうものだと思います。
何も言わなくても、何もしなくても、至れり尽くせり、守ってくれるシステムなんて、この地球上のどこにも存在していません。生活を守りたいのであれば、それなりのことをする必要があります。
ただ、国民は、まさか、自分にその原因があるとは思ってもいません。だって、そんなこと考えたこともないからです。学校も親も、そんなことは教えてくれませんでした。
国は、いくらでも、国民を教育することができました。それを、意図的にやらなかったのです。それは、国家運営者にとって、曖昧な民主主義が利益になったからです。
国は、学校教育に道徳の時間を作りました。民主主義の議論をする時間も作ろうと思えば作ることが出来たはずです。でも、そうはしませんでした。それは、「国民生活」という伝家の宝刀を国民に持たせたくなかったのです。
例えば、「民主主義国」=「国民生活を守るシステム」と定義されているとすると、貧困に苦しんでいる非正規労働者やシングルマザーや貧困老人は、国民ではないと判断しないと数式が成り立ちません。もしも、仮に、国民が伝家の宝刀に気付いていたら、収拾がつかなくなります。どんな形の国でも、国家運営者が一番恐れているものは、民の暴動です。暴動の武器になる伝家の宝刀を与えないことは、彼等にとっては、理に適っているのです。もちろん、「いい人達」ばかりの国民の皆さんは、そんな屈折した考えは持っていないと思います。それは、それで、素晴らしいことだと思いますが、生活が破綻したのでは元も子もありません。
私達には、伝統に従い、とことん追い詰められるまで我慢し、一揆を起こすというやり方しかないのでしょうか。封建制度に安住していていいのでしょうか。
民主国家では、国民が声を出しても許されるのです。
先ず、民主主義の目的を知ってください。国は、皆さんの生活を守るために存在しているのです。ただし、その運用責任は皆さんにあるのです。

国家運営者は、できるだけ、民主主義を曖昧にしておきたかった。
同じことが、選挙制度にもあります。
民主主義では、主権は国民にあると言われていますが、間接民主主義でそれを担保しているのは選挙だけです。
では、今の選挙制度が、国民主権を担保しているのかと言うと、確信を持って「イエス」と答えられる人はいないのではないでしょうか。
「選挙がないよりは、あったほうがいいに決まっている」と言う方もいますが、それって、いつの時代の話なんでしょう。
必要とされているのは選挙という形式ではなく、選挙を通じて国民の願いが実現しているのかということなのではないでしょうか。
私も、何度か、新しい選挙制度について提案したことがありますが、確かに、決定的な選挙制度というものもありません。それでも、少なくとも現行の選挙制度は国民主権を担保しているとは思えません。
そもそも、選挙制度は「お上」が決めるものですから、勝手に決めていいのであれば、「お上」の都合が優先され、投票権を持っている国民の都合は考慮する必要などないと思っているのかもしれません。しかし、民主主義の目的が「国民生活を守る」ことだとすると、そのシステムを運用する人達を選ぶ時に、選ばれる側の都合が優先されるのは、理屈に合いません。泥棒に刑法を作らせるようなものです。
私は、過去に選挙制度の公募を提案しましたが、実現することはないのでしょう。
選挙制度は法律です。そして、法律は国会議員が作ると決められています。その法律で自分達は選ばれるのです。国会議員に有利な法律を作ることは、自然なことです。彼等が、自分の不利になる法案を提案することはありません。これを、世間では「お手盛り」と言っています。そんなことは、誰でも知っている常識ですが、そのことに異を唱える人はいません。それは、国民が民主主義の定義を持っていないからです。
「みせかけ」の国民主権ではなく、実質的に国民主権を担保できる選挙制度について考える必要があるのではないでしょうか。
現状では、選挙と国家運営は別物になっています。そこにあるのは、選挙という形式だけです。形だけの選挙をしておけば、国民生活を守らなくてもいいことになっています。
現状を見てみましょう。
「国民を代表する国会議員」が決めるのであるから、どんな政策を実施しても、どんな法律を作っても、国民の総意であると言われます。
ほんとに、そうなのでしょうか。
私には「まやかし」にしか見えません。
国会議員は、ほんとに、国民を代表しているのでしょうか。
もしも、そうであるのであれば、なぜ、党議拘束が必要なのでしょう。
国会議員は政党の目的を達成するための駒に過ぎないのではありませんか。
では、政党の目的は何でしょう。
自民党の場合は、大企業の利益を守ることです。
大企業を守れば、大企業に属している社員も守ることになりますので、利益を得られる国民が存在することは確かです。では、大企業の社員は何人いるのでしょう。大企業に属していない国民は、利益を享受できているのでしょうか。とても、そうなっているとは思えません。その典型的な政策が、非正規労働者を誕生させた政策です。
現実は、政党が介在することで、選挙と政治が、全くの別物になっているのです。
私には、間接民主主義が機能しているとは思えませんが、何となく、漠然と、選挙をしているのだからという言い訳だけで、形の上だけで、民主主義だと認められているにすぎないのではありませんか。
特に、儀式好きな日本人は、形式が整っていれば安心します。
国民の願いが、国家運営に反映される道は、政党によって遮断されているのですが、国民はそのことに気付いていません。「政党政治」という言葉を、「ふむ、ふむ」と聞くだけです。国民生活を守ることより、大企業の利益を守ることが優先される「政党政治」は、民主主義なのでしょうか。

国民は、漠然と、政治不信を持っています。
政治不信は、不正やカネの問題があるからではありません。国民の願いが政府に届いていないことを、国民は直感で知っているからです。
国民の願いは、「貧困を何とかしてくれ」「将来不安を解消してくれ」というものですが、政府のやっていることは、真逆のことです。
何のための政治なのでしょう。誰のための政治なのでしょう。
こんな国家運営の、どこが民主主義なのでしょう。
国の使命は、国民生活を守ることなのではありませんか。
いや、定義が曖昧だったら、何をしても許されるのでしょうか。
生活が守られていない国民が続出しています。
今後、更に、多くの国民生活が壊れます。
これは、すでに、民主主義ではありません。
カネの亡者に過ぎない国会議員を、私達は「先生」という敬称をつけて呼びます。
皆さんは、外注先の鈴木さんという社員を「鈴木先生」と呼ぶのでしょうか。
これでは、自分から、主権を放棄しているのではありませんか。
私達は、総理大臣を罷免する手段を持っていません。私達の願いを無視する国会議員を罷免する手段も持っていません。私達は、選挙制度を変える手段も持っていません。これらのことは、「国会議員が国民を代表している」という「まやかし」があってこそ正当化できることばかりです。国民が発議できるシステムはありませんので、国会議員になってしまえば何をやってもいいのです。
政治家は、不正やカネの問題を切り抜ければ、それでいいと思っています。
切り抜ければ、「禊は済んだ」と開き直ります。
そんな不様な国会議員のやり方を見ている国民は、誰だって「何か、変だな」と思っていますし、それが政治不信なのです。「奴等は、俺たちの声を聴いていない」ことが、不信の元なのです。
すれ違ったまま、国民不在のまま「なあ、なあ」「まあ、まあ」で終わっているのです。
しかし、それには、立派な理由があります。
実権を握っているのは、国民ではなく国家運営者です。国民主権ではなく、国家運営者主権の国になっているのです。政治家や官僚や大企業を守ることが目的です。
政治家を含む国家運営者にとっては、現状が最善の環境なのです。
その環境を、なぜ、変える必要があるのだ、と思っているでしょう。
彼等は、政治家や官僚を中心にして世界は回っていると思っています。
そこには、国民主権も国民生活という視点もありません。
あるのは「自分さえよければ」と「今さえよければ」です。
これが民主主義なんでしょうか。
いいえ、これは封建制度です。
ま、封建制度か独裁国家だと割り切ってしまえば、これでも、いいのかもしれません。
しかし、このままだと、貧困から抜け出すことは出来ませんし、まだ貧困層に属していない人達も時間の問題で貧困層の仲間入りをすることになります。そして、その先にあるのは「野垂れ死に」の世界です。そのことも、受け入れるしかありません。
私は、国民の皆さんが、そんなことを望んでいるとは思えないのです。
いや、そう思っているのは、私の勘違いで、皆さんは「それでもいい」と考えているのかもしれません。皆さんにとって、私は「お上」に逆らう不届者なのかもしれません。皆さんは、「余計なお世話」だと思っているのかもしれません。
でも、子供達の未来は、どうするつもりなのですか。
「そんなこと、知るか」と言われれば、言葉もありません。

どこから見ても、「お先、真っ暗」ですが、世間は何事もないふりをして動いています。現実を無視し、希望や夢だけを語る人も、後を絶ちません。いわゆる、「大人の対応」をすることが、「ふむ、ふむ」が、大人だと勘違いしている人が多すぎるように見えます。今、生活に苦しんでいる人達は、皆さんの将来の姿なのです。私には、皆さんが「逃げている」ようにしか見えないのですが、これも偏見なのでしょうか。
いつも不思議に思うことがあります。法と民主主義を旗印にしている立憲民主党は、どうして、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義を国民に問わないのでしょう。これでは、自由と民主主義を旗印にしている自民党と同じです。立憲民主党の目も国民を見ていないということです。きっと、彼等も同じ穴の狢だということなのでしょう。もっと言えば、学者もジャーナリストもマスコミも、言葉の定義の「こ」の字も言いません。
そうだとすると、国民を守る人達はどこにいるのでしょう。
偽物の「おれおれ議員」「おれおれ学者」「おれおれジャーナリスト」「おれおれマスコミ」しかいないということなのではありませんか。

「じゃあ、誰に投票すればいいんだ」と言う方がいます。
どうして、与えられたものしか見ないのでしょう。
国民が「国民生活を守れ」と合唱すれば、国民生活を守るための政治家も政党も、勝手に出てくるのです。そうなれば、学者やジャーナリストやマスコミは、尻馬に乗ることを仕事だと思っている彼等は、ちゃんと尻馬に乗ってくれます。
だって、政治家は選挙で当選しなければ政治家になれないのです。国民の声が大きければ大きいほど、国民の声に応えるために、多くの政治家と政党が出てくるのです。
「自分は何もしないけど、私を守って」なんて美味しい話があるわけがありません。政治家も政党も、国民が作ればいいのです。なに、自分で政党を作る必要なんてありません。
言葉の定義を知り、伝家の宝刀を手に入れ、「国民生活を守れ」という声を出すだけでいいのです。それが民主主義なんです。
この国の主役は、国民の皆さんなのです。
皆さんは、「お上」に与えられた選択肢しかないと思い込んでいませんか。今の皆さんは、封建時代の百姓・町人と同じことをしているのです。民主主義風王政並立封建制度と言っているのは、そのことです。この封建制度を支えているのは、皆さんなのです。

選挙制度にも同じ勘違いがあります。選挙では「AさんかBさんか」という選択肢しかありません。ですから、国民は「どちらが、ましか」という基準で投票します。どれだけ投票率が悪くても、得票数が少なくても、AさんかBさんのどちらかが国民の代表になってしまうのです。ところが、AさんもBさんも、国民生活には関心がないとすると、「投票したって何も変わらないじゃないか」と思うことになります。これが、今の選挙です。
でも、Cという選択肢を作れば、AさんもBさんも国民の代表にふさわしくないという選択肢を作ることができます。国民は、白票を投票するだけです。AさんとBさんの二人を否定する白票を有効票にするのです。その結果、再選挙をすれば、「国民生活を守ります」と言って抜け駆けする人間が必ず出てきます。立候補者は、なんとしても、国会議員になりたいのです。ただし、立候補者には、バラマキ政策を公約にしてはいけないという制約が必要になります。本気で日本を立て直すつもりがなければ、抜け駆けすらできません。
政治家は、国民から票を貰わなければ、政治家になれません。そうなれば、政党による党議拘束なんて守る政治家はいなくなります。

現状を変えるためには、この封建制度から抜け出すためには、「国とは、国民とは、民主主義とは」の定義を、国民が作ることから始める必要があると思います。もちろん、定義を作ることが目的ではありません。国民の生活を守り、子供達を守ることが目的です。


2019-04-05



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国家崩壊とは水や食料がなくなることです [評論]



「ベネズエラの惨状は、将来の日本の姿です」なんてことを言っても、誰一人、「ふむ、ふむ」と頷いてはくれないでしょう。
日本人にとって、ベネズエラは遠い存在です。ニュースになることも少ないです。「将来の日本の姿」なんて言われてもピンときません。しかし、ベネズエラ国民が置かれている状況を「俺には関係ねぇ」と思い込んでいていいのでしょうか。
経済破綻は、どこの国でも起きます。破綻のストーリーは、国によって違いますが、経済破綻が起きた時には、同じような「結果」が待っています。
その結果とは「国民が責任を取らされる」ことです。
それが、どういうことなのかを見せてくれているのが、今のベネズエラなのです。
経済破綻の責任は、国民の皆さんの一人一人が、取るのです。総理大臣や政府が責任を取る訳ではありません。いや、総理大臣が辞任しても、政権が代わっても、国民の皆さんが、食糧を、水を求めて、走り回ることには何の変りもありません。実際に責任を取れるのは、国民しかいないのです。
これは、もう、自然の法則だと言っても過言ではありません。
皆さんには、水と食料が必要なのです。
そんなこと言われても、実感湧きませんよね。
もう少し待ってください。
その日は、必ず、来ます。
その時は、思う存分、「結果責任」の意味を噛みしめることができます。
ただ、実際に、この国が破綻し、「これが、責任を取ることの意味だったのか」と知っても、時間を戻すことは出来ませんので、打つ手はありません。

ベネズエラの国家破綻は、以前にも書きましたが、収束の方向へ向かうのではなく、更なる破綻へと進んでいます。これが、トレンドの怖さです。
国外へ避難、逃亡をしたベネズエラ人は数百万人だと言われていますが、未だに、正確な避難民の数はわかっていません。私達には、難民を想像するのでさえ難しく、数百万人という数字も実感できません。
ベネズエラの人口は、約3000万人ですから、仮に、難民の数が200万人だとすると、日本の場合、800万人に相当します。北海道と四国を合わせた人口が約900万人です。北海道と四国が無人になるなんて、妄想が得意な私でも、実感は湧きません。
そんな避難民の一人の女性のルポが記事になっていました。
仮に、その女性をAさんとします。
Aさんは、夫を交通事故で亡くし、1歳の息子と、まだ生まれていない娘を抱える母親です。
ともかく、食べるものが、ない。
朝起きると配給の行列に並ぶことが仕事となったが、その配給の量も減り、ついに、配給はなくなった。
息子の体調が悪くても、病院に行くお金もないし、行っても、薬がない。
食糧を手に入れなくては生きていけない。しかし、ベネズエラには仕事がない。
Aさんは、幼い息子を連れてコロンビアへ逃げるしかなかった。
運よく、コロンビアに逃げることに成功し、今は避難民収容施設で暮らしている。施設で娘を出産し、親子3人で生活しているが、この先に何があるのかはわからない。出来れば、コロンビアで仕事を見つけたい。ベネズエラには帰りたくない。不安しかない。
想像してみてください。肉親も知人もいない、他国の収容施設で、2人の子供を守らなければならないのです。不安しかないと思います。それでも、自分と子供の命をつなぐためには、ベネズエラから逃げるしかなかったのです。それが、権力者の「自分さえよければ」の結果だとすると、とても、救われません。
「どうして、私が、こんな目に遭わなくてはいけないの」
「それは、あなたが、ベネズエラ国民だったからです」
「そんな・・・・」
理不尽ですが、それが現実なのです。
食糧不足は人間だけではありません。動物園では900頭いた動物が200頭まで減ったそうです。生き残っている動物も痩せ細っています。第二次大戦当時、そして敗戦後、日本でもそんなことがありました。

ベネズエラは、社会主義国であり、独裁国家です。
だからと言って、それが、悪の根源だとは思いません。
本物の根源は、独裁者の「自分さえよければ」だと思います。
世界一の石油埋蔵量を誇る国ですが、石油産業以外に大きな産業はありません。その石油産業が、世界的な原油価格の暴落により、国の経済を破綻させました。
どうして、原油価格の変動を想像しなかったのでしょう。原油価格の暴落という単一の事象で経済が破綻するということは、勘違いや思い込みや「今さえよければ」に頼り、国の経済運営を間違えたということです。世界一の資源を持っていたのに、国を破綻させたのは、国家運営の失敗としか考えられません。それなのに、責任を取らされているのは、国家運営者ではなく、国民です。
破綻した後であれば、明らかなことでも、助平根性に引きずられていると、見えるものも見えなくなるものなのです。多くの国民の命を預かっている国家運営者は、勘違いや思い込みで国家運営をしてはいけないのです。ましてや、「自分さえよければ」や「今さえよければ」という助平根性で国家運営をしてはいけません。
ベネズエラのマドゥロ大統領が、そのことを実証してくれているのです。
国家運営の失敗が続いている日本が、そうならないという保証はどこにもありません。
「後になって振り返ってみれば」という国家運営は間違っていると思います。
ベネズエラは、経済破綻の結果として、ハイパーインフレに見舞われ、国民の生活が破綻します。ここで、最終責任者である国民の出番がきます。
杜撰な経営を続けていた石油産業の多くは、その不備が露呈し、操業を停止してしまいます。
国の収入が減り、国民に食糧を配給する力も失ってしまいます。
ベネズエラで問題になっているのは老後保障ではありません。国民の、今日、明日の命を支える力も失くしてしまったのです。
独裁者のマドゥロ大統領は、自分の権力を守ることが最優先事項になりました。
見事なほどの「自分さえよければ」に徹したのです。
ベネズエラにも、「国とは」という定義がなかったのでしょう。
社会主義国であろうと、民主主義国であろうと、国の使命は、国民生活を守ることです。
しかし、国民生活を守る前に、自分を守ることを選んだのです。
野党の国会議長を務めていたグアイド氏が、国家元首を名乗りますが、マドゥロ大統領は認めません。
独裁国家のロシアや中国やキューバは、マドゥロ大統領を支持しています。
ロシアは数十億ドルの武器を供与し、マドゥロ大統領の身辺を警護する傭兵を派遣していると言われています。
それ以外の国は、グアイド議長を支持していますが、政治的な声明で国民が救われるわけではありません。
マドゥロ大統領が元首であっても、グアイド議長が元首になっても、ベネズエラ国民が救われることはないと思います。政治家の権力闘争では、国民を救えません。
国家運営は、一に経済、二に経済、三に経済です。たとえ、グアイド議長が元首になったとしても、経済が破綻しているのですから、経済の再生には時間が必要になり、時間をかけている間に、グアイド政権の中に、新しい腐敗が生まれるだけの悪循環にすぎません。
国民の目先の利益を優先するのであれば、どこかの国に、国ごと売ってしまうことです。中国であれば、上手に運営してくれます。もっとも、長期的にみれば、この方法は推奨できません。
もし、ベネズエラ国民が、自分達の生活を大切にしたいと思うのであれば、暴動を起こし、国民生活のことしか頭にない奇人変人をリーダーにし、商売の天才を右腕に持つことです。政治家に任せたら失敗します。石油という資源があるのですから、可能性はあります。しかし、暴動と奇人変人と天才商人という要素が揃うことは、先ず、ないものと思います。
そんな中、アメリカ政府は軍事力行使も視野に入れると言っています。
アメリカからの支援物資がブラジルやコロンビアに運ばれましたが、マドゥロ大統領は受け取りを拒否し、国境に軍を展開させました。マドゥロ大統領は、ベネズエラに人道危機など存在せず、水も食料も足りている。支援物資はベネズエラに進攻しようとしているアメリカの陰謀だと言っています。
食糧を必要としているベネズエラ国民が国境に集まってきましたが、軍は、自国の国民に銃を向けました。一説にはゴム弾だと言われていますが、詳細は不明です。ただ、兵士達が、勝手に引き金を引いたわけではありません。軍隊は、上意下達の世界です。上官の命令には従う集団です。そして、大統領は、国軍の最高司令官です。国軍の兵士が国民に銃を向ける状況は、どこの国でもあり得ることなのです。もちろん、日本の自衛隊が、私達に銃を向けることだってあります。
ここでも、死傷者の数は、わかりません。断片的に伝わって来る情報では数百人の死傷者が出たとされていますが、その情報が正しいのかどうかわかりません。
そんな混乱の中、電力供給が途絶えます。
電力が無くなると、最初に水不足が起きます。国民は、先ず、水を確保しなければ生きていけません。もちろん、食糧は必要ですが、その前に、水が必要です。
国民にとっては虎の子の食糧が、冷蔵庫の中で腐っていきます。商店の中には、無償で冷蔵庫の中身を配ったという話もあります。
マドゥロ大統領は、停電はアメリカがダムに攻撃を仕掛けたからだと言っています。
その後、電力が復旧したのかどうかは知りません。
世界中の「不幸の神様」が、ベネズエラにやってきています。
ほんとに、「不幸の神様」は群れるのが好きです。

日本国内で、ベネズエラの破綻は話題になりません。
ベネズエラの記事を読んだ方も、「可哀そうに」「お気の毒に」と思うだけでしょう。中には「俺には関係ねぇ」と言う人もいるでしょう。
でも、それ、違いますから。
ベネズエラの惨状は、将来の日本の姿なんです。
日本は、社会主義国でも、独裁国家でもなく、経済基盤もしっかりしているから、ベネズエラになることはないと思っているかもしれません。
しかし、これは国家体制の問題でも経済基盤の問題でもありません。「お上」が「自分さえよければ」と考えているかどうかという問題なのです。
それは、同時に、国が、国民生活を守るか、守らないか、という問題なのです。
どんな国家体制であっても、最後に責任を取らされるのは国民です。その国民を守ることが、国を守るということなのです。大統領を守ることではありません。
ベネズエラには、地続きで隣国があります。難民流入を拒否する国もありますが、受け入れてくれる国もあります。しかし、日本は四周を海に囲まれているのです。逃げる場所はありません。
人間は、水を飲まなければ、食糧を食べなければ、生きていけません。
当たり前のことですが、私達は、そのことを忘れています。
日本がベネズエラにならないと、誰が保証するのでしょう。
為政者の「自分さえよければ」が、今日のベネズエラを生み出したのです。
日本の国家運営者の「自分さえよければ」も、目に余ります。
国家崩壊とは、水や食料がなくなるということなのです。
ベネズエラ国民は、生き延びるためには、国を捨てるしかなかったのです。
その点では、ベネズエラ国民のほうがラッキーと言えます。私達には、逃げる場所がありません。私達は、難民になることさえ出来ないのです。

食べるためには仕事が必要です。自分の国に仕事がなければ、仕事のある場所へ移動しなければなりません。数万年前に、アフリカで誕生した人類が、世界に拡散したのは、趣味や道楽からではありません。食糧を求めて、さまよい続けた結果なのです。ベネズエラだけではなく、世界各地の難民の行動も、私達人類が歩んできた道なのです。
多分、多くの日本人が忘れていると思いますが、私達には、水と食料が必要だという大原則があります。ベネズエラ国民が、その大原則に直面し、苦しんでいる状況は、決して、他人事なんかではありません。
「ひもじさ」の記憶を持っているのは、私達の年代が最後なのでしょう。私達が死ねば、「ひもじさ」を体験した人はいなくなります。そうなれば、「ひもじさ」は想像すらできなくなります。想像しなかったからといって「ひもじさ」がなくなる訳ではありません。現実に直面すれば、誰もが「ひもじさ」に苦しむことになります。私達にできることは、「ひもじさ」を想像し、「ひもじさ」に遭遇しない国を作るしかないのです。そのために、私達は、大量の政治家と官僚を、税金という名の外注費を支払って、雇っているのです。国家運営者も国民も、そのことには気付いていません。これは、勘違いでしかありません。ベネズエラは、この「勘違い」「思い込み」「自分さえよければ」「今さえよければ」で破綻したのです。
同じことをやっている私達の国も、国家破綻と無縁ではありません。いや、破綻寸前だと言っても言い過ぎではありません。
どこかで限界が来ることは、明らかです。
「いつか、昔の、あの良き時代が戻って来る、筈だ」
「きっと、神風が吹く、筈だ」
「夢よ、もう一度と願っても許される、筈だ」
そろそろ、夢見る乙女は、やめなくてはなりません。
何度も書いてすみません。
国家が破綻した時に、私達に必要になるものは、水と食料です。
私には、ベネズエラが他人事だとは思えません。


2019-04-04



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日本の命運を握る国際的信用 [評論]



二日間、ミクロの地獄を書きましたが、今日は、マクロの地獄を書きます。
昨日も貯蓄が鍵を握っていると書きましたが、それは、マクロの世界でも同じです。私達は過去の遺産で食いつないでいるのですが、そのことには気付きません。過去の蓄積の減少が、限度を超えた時、初めて気づきます。その限度が、どこにあるのかはわかりません。崩壊した時が限度だったと後で知るだけです。
「地獄ではなく、極楽を書けよ」と言われるかもしれませんが、私達の前にあるのは、極楽ではなく地獄なのですから、どうか、ご理解ください。
「そんなことは、わかってる。だから、極楽の話が読みたいんだ」と言われるでしょうが、それは、子供達を地獄へ連れていくことになるのですから、気休めは書けません。

最初に、国家運営の方向性と環境について書きます。
これも、トレンドの話です。
現代金融理論(MMT)が脚光を浴びていることをご存知でしょうか。
自国通貨を持っている国は、無尽蔵に国債を発行できるという理論で、ニューヨーク州立大学のステファニー・ケルトン教授等が提唱した経済理論です。
多くの方が批判していますが、擁護する方もいます。擁護する方は、地動説や進化論が弾圧されたことと同じだと言っています。ただ、気になるのは、この理論に飛びついているのが政治家ばかりだということです。
日本でも、数年前から宣伝されています。
でも、この理論は、余りにも前提条件が現実離れしていますので、大変危険だと思っています。しかし、政治家は、それなりの根拠さえあれば、いや、経済理論という肩書さえついていればいいと考えているようです。
金融政策も効かない、成長戦略もない。
だったら、財政拡大しかないのではないか。
過去に縛り付けられ、そこから抜け出せない政治家にとっては、嬉しい理論です。
彼等は、未だに、過去の延長線上に未来があると信じているのです。
私の妄想も、いい加減、無茶なものですが、この理論ほど荒唐無稽ではありません。立派な経済学者の先生が提唱していますが、いかがなものかと思います。
その前提条件を見てみましょう。
「政府債務の増加がインフレを起こすような場合でなければ」
「経済成長と雇用の増加が続いている限り」
という条件です。
こんな条件が満たされるとは思えませんが、いろいろなエコノミストが、追加で出している条件には、次のようなものもあります。
「政府や中央銀行への信頼が失われなければ」
「金利が上昇しなければ」
「通貨の信認が失われなければ」
「株価が上昇し続ければ」
「現状の国際関係が維持できれば」
「世界恐慌や世界大戦がなければ」
という条件も満たされる必要があります。
こんな条件がクリアできるのでしょうか。
経済は「生き物」だと言われます。何が起きても不思議ではないのです。
しかも、これらの条件を、一つ残らず、完璧にクリアしなければなりません。
とても、クリアできるとは思えません。
そう考えると、これは逆説の理論なのかもしれません。これだけの条件をクリアしなくてはならないのだから、そんなこと、誰が考えても不可能なのだから、国債は発行してはいけない、という理論なのかもしれません。そうであれば納得できます。
それでも、打つ手の無くなった日本政府は、この理論の結論だけを採用するしかありません。「自国の通貨を持っている国は、政府債務を増やしても問題ない」という結論です。
日本は、国家運営費用も借金で捻出しています。最近では、政府から成長戦略という言葉すら聞かなくなりました。
これ以上の国債を発行して、何に使うのでしょう。
それは、目先の経済成長が欲しいからです。経済成長がなければ、政権を維持することが出来ないからです。
経済成長の中身は、国土強靭化計画という名のインフラ投資です。
インフラ投資は、政権維持に貢献してくれるだけではなく、裏金も入って来るのですから、自民党議員にとっては、美味しい政策です。彼等にとっては、国民生活を犠牲にするだけの価値があるのです。
もちろん、選挙の時のバラマキ資金としても使われます。
インフラ投資は、一時的に経済成長になりますが、それは一時的な効果しかありません。選挙用のバラマキ資金も一時的な効果しかありません。
いわゆる、借金してはバラマキ、借金してはバラマキ、という自転車操業が始まるのです。いや、もう、自転車操業は始まっていますが、その速度を上げようとしています。
普通に考えて、こんな運営が可能だとは誰も思いません。
その背景にあるのは、「いつか、きっと、神風が吹き、あの古き良き高度経済成長の日本が帰って来るはずだ」という夢があるのだと思います。
百歩譲って、この理論が正しいとしても、最初に実験する国になるべきではありません。
でも、この国の国家運営者は、経済理論という肩書さえあれば、前提条件など気にせず、実行することしか頭にありません。

アメリカでも、この現代金融理論は脚光を浴びています。
アメリカも、日本ほど酷くはありませんが、借金の額は半端ではありません。度々、政府機関が閉鎖されますが、あれも借金のせいです。
次の大統領選挙に向けて、民主党から大量の出馬表明者が出ていますが、彼等は新政策を国民に訴えなくてはなりません。
その政策を実行するためには、当然、カネが必要です。しかし、財源がありません。それは、既に、借金は法律で決められた上限に達しているからです。もちろん、法律を変えれば国債の発行は可能ですから、国債発行を正当化するための理論を必要としており、現代金融理論に飛びついています。FRBは一笑に付していますが、政治家は、そんなことを気にしていません。美味しい話には誰でも飛びつくものです。特に、政治家に顕著に現れます。でも、そもそも、美味しい話なんて、この世に存在していないのです。彼等は、「れば、たら、もしも」という条件をクリアできるという話はしません。前提条件を無視し、結果だけを利用しようとしている、ただの助平根性に過ぎないのです。

日本の環境を見てみましょう。
日本国債の購入原資は、国民の年金資金、民間保険会社の保険掛け金、証券会社の投資家からの預かり金、金融機関への国民や企業の貯金が原資です。海外資金は10%しかありません。年金資金は取り崩しが始まっています。保険会社は、死亡者が激増する時期を迎えます。株価が暴落すれば、証券会社の預かり金は激減します。国民の貯金は、既に減り始めています。日銀が購入するしかありませんが、日銀の購入資金は架空資金です。当然、国と通貨の信認は失われます。
後段で書きますが、日本の国際信用は、国際収支の黒字で担保されています。国際収支が赤字転落すれば、景色が変わります。日銀の架空資金も見過ごされることはないでしょう。

どこの国でも、借金が無制限にできるのであれば、こんな楽なことはありません。
現代金融理論の結論だけを利用して、多くの国が国債の発行を増やした時を考えてみると、行き詰ることは目に見えています。なぜなら、世界の富には限りがあるからです。
日本が日銀の財政ファイナンスに頼らざるを得なかったのも、国内の富に限界が見えたからです。法則破りは、どこかで露呈し、大きなペナルティーを払う時が来ます。
貨幣は、富の裏付けがあるから、貨幣としての価値があるのです。
もしも、富の裏付けのない架空通貨が問題ないのであれば、人類は働く必要がありません。政府が輪転機を回して架空通貨を生み出し、国民の生活を支えればいいのです。そんなこと、誰が考えても不可能です。
もちろん、経済学者は馬鹿ではありません。だから、数々の前提条件があるのです。その美味しい部分だけを利用しようとしている政治が間違っているのです。
食べられる草や実を探し、魚を捕らえ、動物を捕獲し、作物を栽培し、今日まで人類は生き延びてきました。確かに、数千年前に比べて、人類の環境は複雑になりました。でも、その基本は変わらないと思います。汗して働き糧を得て生き延びることです。人類の労働こそが富の源泉なのです。人類は架空通貨では生きていけません。
昔、「最近の子供は、ゲームや漫画ばかりで、現実がわかっていない」という批判が大人達から出た時期がありました。「現実はバーチャルゲームではない」「人間は、一度死ねば、リセットボタンを押しても生き返らないのだ」と言われました。しかし、大人は、今、子供達と同じことをやろうとしているのです。大人達が、架空通貨に頼ろうとしているのは、そういうことなのです。欲望のために視野狭窄症にかかっていることに気付かねばなりません。


さて、一般メディアでは、あまり話題にはなりませんが、専門家の間では、当たり前のように、国際収支の悪化が心配されています。ただ、庶民にとって、国際収支なんて、火星の岩石よりも遠い存在かもしれません。しかし、庶民の生活に大きな影響があります。
国際収支は、海外へ支払った資金と、海外から受け取った資金の差額で示されます。
受け取った資金が大きい時は、経常黒字と呼ばれ、支払った資金が多かった時は、経常赤字と呼ばれます。
貿易収支も国際収支の一部です。
昔の日本は、優秀な製品で、貿易黒字を出し、繁栄しました。
しかし、東京電力福島原発事故により、国内の原子炉の稼働が止まり、火力発電に電力供給を頼ることになり、原油や天然ガスの輸入が一気に増え、日本は貿易赤字国になりました。原油価格の下落等があり、貿易赤字は解消されましたが、その貿易黒字金額は小さなものです。その上、日本製品の優位性は失われつつあり、将来的には、貿易赤字が大きくなると予測されています。
国際収支は、貿易だけではありません。所得収支というものもあります。これは、海外への投資から得られる利息や配当金です。2018年の数字を見てみると、所得収支の黒字が21兆円で、貿易収支の黒字が1兆円です。日本は、既に、輸出大国ではありません。日本は、世界一の債権大国なのです。
では、この所得収支は、今後、増えるのでしょうか。
いいえ、減少すると言われています。
既に、対外資産残高は、3年続けて減少が始まっています。近い将来、ドイツに抜かれると見られています。
なぜなら、投資の原資は国内の貯蓄で賄われているからです。
将来の国内貯蓄の減少は、定説になっていて、増えると予測する人はいません。
その大きな要因になっているのが、貧困による貯蓄率の減少、高齢化による貯金の取り崩し、景気悪化による企業の内部留保金の減少、年金資金の減少等々です。
2020年代の後半には、所得収支の減少により、国際収支は赤字になると予測する人もいます。ほんの10年後の話です。
製品の競争力がなくなり、貿易収支の赤字化も予測されています。原油価格の変動があれば、大幅な赤字になる可能性もあります。
人口の減少、経済成長の減少、国際収支の減少。私達のマクロ環境は悪化しています。増加しているのは、貧困層の増加と借金の増加です。このトレンドは、何を意味しているのでしょう。
「何とかなる」とは、とても、思えません。

日本は、今、この国際収支の黒字と、債権大国という地位があるから、国も通貨も信認されています。もしも、国際収支が赤字になり、債権大国という地位を失えば、国も通貨も信認を失うことになります。今は、世界的な安全通貨として利用されていますが、ユーロが日本円に代わって安全通貨になれば、ブラジルのレアルや韓国のウォンと同じ、身の丈に合った評価をされることになります。それは、日本円が安くなるということです。短期的には円高が心配されていますが、心配しなければならないのは円安です。人口が減少し、経済が縮小し、国際収支が悪化する国になるのです。しかも、世界一の借金大国という称号を持っています。誰が、日本円を買いたいと思うのでしょうか。いつ暴落するのかわからない通貨を買ってくれる人はいません。
通貨の下落は、庶民の生活を直撃することになるということを知っておく必要があります。
円安になれば、日本製品は競争力を増し、輸出が増えると言われてきました。過去の常識を信奉している方は多く、まだ円安を歓迎する空気があります。しかし、輸出する製品がなければ、円安は関係ありません。逆に、エネルギーや食糧の輸入を止めることはできません。貿易収支は大幅な赤字になり、エネルギーや食糧の輸入を制限せざるをえなくなります。物資の不足は物価の上昇を生み出します。
ここまでくれば、国民生活が打撃を受けることは容易に想像できます。
これは、想定されるシナリオの一つに過ぎません。実際に、どんな経過をたどるかはわかりませんが、最終的には、国民生活を壊します。
ハイパーインフレの可能性も否定できません。

専門家の皆さんは、想定内のリスクは指摘するでしょうが、指摘するだけで、政府が対応するとは限りませんし、民間企業の対応力にも限界があります。
想定外の金融危機が起きると、その影響は、いとも簡単に国際収支にも及びます。ところが、金融危機は、いつ、どこで起きても不思議ではない環境になっています。私達は、大変、危ない橋を渡っているという認識を持たねばなりません。未来が過去の延長線上にない状況は、経済では、簡単に起きてしまうのです。
世界恐慌や世界大戦が始まれば、海外の債権が保全されるという保証はありません。
どこかの国や企業が、支払い能力を失うかもしれませんし、投資対象の債権等が暴落するかもしれません。
世界一の債権を持っているということは、世界一のリスクを抱えているということであり、世界一のダメージを受ける可能性があるということです。

マクロ環境も、ミクロ環境も、国民生活の未来にあるのは暗雲だけです。
説得力のある明るい未来があるのであれば、教えて欲しいくらいです。
政治も経済も軍事も、国民生活を守るために存在している筈です。例え、国民にそんな認識がなかったとしても、国はその責務を果たさねばなりません。しかし、政治、軍事は昔から機能していませんでしたが、経済まで機能しなくなるとすると、見事なまでに、機能していないことになります。国が繁栄する要素が、無くなる方向へと向かっている国、それが日本です。放置したままでいい訳がありません。
今、この国に必要なのは、被害に遭うことを約束されている国民の皆さんの声です。


2019-04-03



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国民生活の破綻は始まっています [評論]



新元号で盛り上がっている時に、暗い話で申し訳ありません。
今日は、貯蓄の話ですが、マクロの話ではなく、私達の身近にあるミクロの話を書きます。
ただ、マクロの話もミクロの話も、同じ場所に行き着きます。
皆さんは、こんな悪夢ばかりを書いているブログを見たことがありますか。
私は、見たことがありません。ほんとに、ひどいブログだと思います。
でも、これまでのように、夢や希望を書いていて、いいのでしょうか。
相変わらず、大人の対応をしている方が多いようですが、夢や希望を書く時代ではなくなっていることに気付いて欲しいと思います。いくら、見ないふりをしていても、現実は容赦なく襲いかかってきます。実際に、生活が破綻する人が続出しています。次は、皆さんの番です。「俺には、関係ねぇ」と言っているわけにはいかないのです。

貯蓄ゼロの人が3割いる、というニュースがあります。
2割というニュースもあれば、4割というニュースもあります。
個人の家計は、まだ、把握されているわけではありませんので、いや、把握されていたら怖い話ですが、いやいや、いつかは把握される日が来るでしょうが、今はまだ把握されていませんので、数字の信憑性は、どの調査にもありません。
いわゆる、大雑把な、信頼性のない、数字だと捉える必要がありそうです。ただ、ゼロか100かと言うことではなく、一定程度、貯蓄ゼロの人が存在しているのは否定できないと思います。過去には、貯蓄率の高さでは、世界的に優秀な成績だった日本が、中の下か、下の中くらいの貯蓄率しかない国になっているのですから、貯蓄ゼロの人がいても不思議ではありません。
問題は、今後も、人口減少と貧困層の増加と可処分所得の減少という現実がありますので、貯蓄率の改善は見込めないことです。それに反し、これからは、高齢者の増加に伴い、過去の貯蓄の取り崩しが増加しますので、貯蓄額全体では、減少幅が大きくなります。これは、マクロの課題ですが、背景にこのトレンドがあることは、知っておく必要があります。
仮に、世帯主の3割の人が貯蓄ゼロだったとすると、家族も人数に入れれば、人口では3600万人です。2割だと2400万人、4割だと4800万人が路頭に迷う計算になりますが、子供達は独立していきますので、半数だとしてみます。それでも、1200万人から2400万人の人が、貯金もなく、路頭に迷う状況が生まれるということです。年金と生活保護が頼りですが、それらの社会保障は大丈夫なのでしょうか。
50代、60代の人がゼロの場合は厳しいでしょうが、この数値は、全世代の数値ですから、若い人が貯蓄に励むことは出来るでしょう。それでも、5000万円や1億円の貯蓄は、どう考えても無理です。もちろん、そんな快挙をやってのける人がゼロだとは言いません。でも、頑張った人でも、500万円とか1000万円が限界ではないでしょうか。頑張らなかった人も、やはり、それなりにいて、ゼロの人も100万円とか200万円の貯蓄しかない人も大勢いるものと思います。これが現実であり、このことは、「野垂れ死に老人」の予備軍が大勢いるということです。その予備軍は、数千万人規模だと思います。
皆さんが何のために貯蓄をするのかというと、突然の出費に対応するためという動機もあるでしょうが、やはり、老後のためなのではないでしょうか。「老後の生活を心配している」と回答した人が81.5%もいたという調査もありました。この8割という数字は、「心配している」で済む数字ではありません。実際に破綻する人が大量に生まれることを示している数字なのではないでしょうか。仮に、心配している人の半数が生活破綻に直面するとすれば、約5000万人の「野垂れ死に老人」が生まれるということです。
先程から、犠牲になる人の数字を書いていますが、この数千万人の犠牲なんて、心配する必要のないものなのでしょうか。
でも、世間の空気に悲壮感はありません。それは、誰もが、現実から逃げたいと思っているからなのではないでしょうか。見なければ、無かったことになる。これも、処世術の一つです。もちろん、将来の生活破綻なんて考えたくもない、という気持ちはわかりますが、現実が私達を素通りしてくれるわけではありません。それでも、それさえも無視することで、無かったことにしたいのです。多分、無理は承知なのでしょう。「何とかしなきゃ」と思う前に、「だって、どうすることも、できないもの」と思ってしまうのです。それは、国民に主権があることを知らないだけではなく、「お上」の指示に従うことが国民の責務だと思っているからです。残念ながら、この国の国民は、未だに、封建制度を背負っているのです。
300万円を超える年金をもらえる大企業の社員だった人や、税金からお手盛りで高給をもらい、税金を投入して高い年金積み立てを実現し、老後資金の心配をしないで済む公務員だった人を除き、100万円の年金しかもらえない人を対象にして考えると、老後資金は5000万円は必要です。もちろん、死ぬまで働き、しかも、収入があれば、楽になります。優雅な生活はできませんが、贅沢をしなければ、生活は可能です。でも、そんな人は数えるくらいしかいないと思います。
もちろん、貯金も無く、年金ももらえない人は、地獄へ行くしかありません。
これが、現実です。
多くの日本人の将来は、社会保障にかかっているのです。
皆さんは、年金をもらえますか。年金支給開始年齢が、70歳、75歳、80歳になる可能性がありますが、その年齢まで、自力で生活できますか。
20代、30代の人、いや、40代や50代の人でも、大半の人が、将来、年金がもらえるとは思っていません。ほぼ、確信に近い感触を持っています。では、彼等は被害妄想にかかっているのでしょうか。そうではありません。生きている間に年金を手にする確率は減り続けているのが現状です。それでも、保険料の負担は増加します。
また、医療機能の確保という大義がありますから、健康保険料の増加だけではなく、医療費の個人負担の増加も検討されています。
もちろん、消費税の税率も10%で打ち止めではありません。時間は必要ですが、25%まで増税される可能性は非常に高いと思います。
収入の増加は期待できませんが、支出の増加は容赦なくやって来ると予測できます。
しかも、政府は「物価を上げろ」と言っています。
国民の皆さんは、アベノミクスを大きな拍手で迎えました。消費者物価を上げることに賛成する国民の皆さんの判断が私には理解できませんでした。
「おれおれ詐欺グループ」の詐欺手口開発能力には、いつも感心しています。実にアイディア満載の新しい手口を次々に繰り出してきます。ただ、歩留まりは低いと言われています。100人の老人に電話をして、カモになるのは一人かもしれません。
その点で、国民の半数を騙している日本の官僚は、「キングオブ詐欺グループ」の称号に相応しい活躍をしています。何といっても、日本の最高頭脳と呼ばれる人達の集団なのですから、天下無敵です。巧妙で美味しい話をいろいろとするものです。そんな話を信用する気持ちがわかりませんでした。もちろん、未だに理解できません。なぜ、自分の首を絞めようとするのか、理解不能です。おれおれ詐欺の被害者と日本国民に共通するのは、どちらも「いい人達」です。「いい人達」は、決して、被害に遭わないという法則が欲しいくらいですが、現実は、「いい人達」ほど被害に遭うという法則があるとしか思えません。
貯蓄は出来ない、負担は大きいのに社会保障はなくなるという国で、国民は、どうやって生きていけばいいのでしょう。
そろそろ、そのことに気付かねばなりません。
もう、自己責任の領域は逸脱していると思います。
これは、明らかに、国家運営の失敗です。いや、犯罪のレベルです。

国民の大半が、いや、ほとんどの国民が、将来不安を持っています。
その不安は、確かに、漠然とした不安感なのですが、根拠のない不安なのでしょうか。
人間の頭脳には、断片的な情報が蓄積されています。それらの情報から方向性が生まれ、脳が途中経過を示すことなく、「ヤバイかも」という結論だけを出します。それを、私達は直
感と呼んでいます。もちろん、結論だけですし、情報の全てが記憶に残っているわけでもなく、関連性も因果関係も明確になっているわけでもなく、ただ、結論が出てくるのですから、どうしても漠然としたものになります。その結論だけでは、誰かに伝えるほどの根拠を見出すことはできませんので、自分の中に温存するしかありません。しかし、その結論は自分が出した結論に違いないのですから、否定することもできません。手の付けようがないのです。それが、不安感と同時に焦燥感を生み出している原因です。
では、皆さんが持っている不安は、ただの不安にすぎないのでしょうか。放っておけば、いつか無くなるようなものなのでしょうか。
そうではありません。
私達が考えている以上に、脳は優秀なのです。
皆さんの不安は、生活が破綻するのではないかという不安は、現実になります。
実際に、毎日、貧困層が増加しています。
生活破綻寸前の人もいます。
実際に生活が破綻した人も大勢います。
生活破綻を予測して、実現してしまったら大変なことになりますので、できるだけ、考えたくないと思うものです。それが、直感をますます曖昧なものにしてしまいます。
でも、皆さんの直感は、私の妄想よりも、はるかに、実現性が高いと思います。
目には見えませんが、この国は不安の渦の中にあります。1億2000万人の不安なのですから、半端な渦ではありません。
「俺には関係ねぇ」と嘯いている人も、口にはしませんが、不安感は持っています。
でも、不安感に蓋をし、嵐に過ぎ去ってくれと願うのは、現実的な対応ではありません。
逃げても、逃げても、どこまで逃げても、逃げ切れるものではありません。現実とは、そういうものなのではないでしょうか。
ところが、国がやっていることは、国民の不安を増長するようなことばかりです。
そこに、「国民生活を守る」という意志を感じることは出来ません。
原点に戻って、「国は、国民生活を守る」のが仕事なのではないか、と言う人もいません。なぜなら、原点が曖昧になっているからです。いや、そもそも原点が無いのですから、私達は流浪の民と同じなのです。
国民の皆さんが持っている将来不安は、時間の経過とともに実現していきます。
この国は、今、そういうトレンドにあるのです。
トレンドは、底を打つまで止まりません。これも、自然の摂理です。
その底は、神さま以外の誰にもわかりません。
問題は、私達の気持ちがいつまで耐えられるのか、だと思います。
行き着くところまで、行くしかないのかもしれません。
人間は、特に日本人は忍耐強いと言われていますので、そう簡単には崩壊しないと思いますが、いつかは、気持ちが切れる日がやってきます。そこにあるのは、阿鼻叫喚の修羅場だと思います。生き延びるためであれば、どんな手段でも使われる世界です。
そんなことになる前に、底を打って反転してくれることを願います。
私達の気持ちが鬼になる前に、ぜひとも、再生のために立ち上がって欲しいと思います。
どんな聖人君子でも気持ちが切れれば、どんな鬼にでもなれます。
そうなる前に、私達が立ち上がるしかないと思います。
ここまで病状が重くなってしまったのですから、丸く収めることはできません。それは、犠牲者が出ることは阻止できないということです。
私が提案している、「国立姥捨て施設」と「安楽死法案」は、年齢の高い者から犠牲になりましょうという提案です。
こんな提案をすれば、政権がひっくり返りますので、政治家が採用することはありません。そういう意味では、ただの妄想で終わる運命にあります。
では、他に方法はないのでしょうか。
過去の概念に立てば、専門家の提案がその例ですが、国家再建は実現していません。
それほど病状は重いということです。
実際に、国力の衰退が進んでいるということは、有効な対策を実行していないという側面はありますが、その対策を過去の経験則に頼りすぎているという側面もあります。
今は、過去の常識を破るような、無茶な提案が必要なのです。
そして、考えられることは、何でもやることです。
私達の国は、その努力をしているのでしょうか。
国は、本当に、国民生活を、何が何でも、守ろうとしているのでしょうか。
そうは思えません。
このままであれば、国民の直感が示すように、多くの国民の生活は、ずるずると、なし崩し的に、破綻することになります。
いや、もう、国民生活の破綻は始まっています。

私は、度々、「私達は救われないけど、足掻いてください」とお願いしています。
それは、崩壊後の日本が再生する時に力になると思うからです。
何でもやるべきです。
もちろん、私達個人にはできませんが、個人は、国に要求することはできます。
そのためには、世論を作らねばなりません。
世論を作るためには、多くの国民が声を出さなくてはなりません。
「ふむ、ふむ」と頷いている場合ではないのです。
今からでは間に合わない、という時間的な制約がありますので、現状の日本を前提にすれば、先程提案した「国立姥捨て施設」と「安楽死法案」になりますが、新しい再生日本を想定すれば、いろいろな提案があるのではないかと思います。
例えば、補助金の概念を変えることです。
成果が出るまでには、20年から50年の時間が必要ですから、現在の国民を救うことはできません。でも、再生日本にとってはヒントになるかもしれません。
現在の補助金は、利権の温床という効果しかありません。
だったら、現行の補助金を全廃して、新たな補助金の大盤振る舞いをしてみたら、どうなるのでしょう。もちろん、現行の補助金は全廃しますので、正しく使われている補助金も廃止され、犠牲は出ますが、そこは目をつぶってください。
先ずは、経済の再生をしなければなりません。
最近、経済分野で成功をおさめているのは誰でしょう。
そうです。中国です。
中国の真似をする時代になっているのではないでしょうか。
国家資本主義だと批判されても、経済成長に成功したものが勝つ時代です。
新しい産業になりそうな民間企業に補助金を出すのです。もちろん、ベンチャーの起業にも補助金を出します。税金を減額するというケチなやり方ではありません。国が、直接、資金提供するのです。政府主導で産業育成をするという中国方式を真似てみるのです。
もちろん、補助金を騙し取ろうとする人も大勢出てくるでしょう。それでも、100人が100人ともそんな人だとは限りません。
日本の官僚の皆さんの能力は高いと言われていますので、最近では、その言い伝えにも陰りが見えていますが、まだまだ、彼等の力も使えます。
仮に、半分の企業が成長すれば、将来的には力になります。
そんな国になれば、若者の目の輝きも戻って来るかもしれません。相乗効果も期待できます。老人は、過去の体験に重きを置きます。老人が国家運営をしていたのでは、若者の目は死ぬだけです。このままで崩壊すれば、それは、もう老害崩壊と言っても過言ではありません。政治家や官僚に、40歳定年制度を作るくらいの無謀な政策が必要です。
国家運営は、一に経済、二に経済、三に経済です。経済再生の主役は若者にしかできません。経済を再生しなければ、人口減少も止められません。外国人労働者や働き方改革という、「先送り」や「弥縫策」では、経済の再生は出来ないのです。
無謀な、常識では考えられない、そんな手法が求められているのだと思います。
ただ、その大前提は、あくまでも、国民の意識です。
政府に、丸投げしていれば、同じことをやっても成功しません。
加計学園に利用されるだけです。
国民意識が変わらなければ、国民が「国とは、国民生活を守るシステムに過ぎない」と、堂々と言うことが出来なければ、この国の再生はありません。
国民の外注先にすぎない国家運営者に、「まともな仕事をしろ」と要求できなければ、国の再生はありません。国会議員を「先生」と呼んでいたのでは何も変わりません。
もっとも、国民の意識改革が一番難しいのですから、実現の可能性は、ほとんど、ゼロだと思いますが、国民が変われば、対応策がないわけではありません。
私は、実現性のない提案ばかりをしていますが、逆に言えば、実現可能な提案では、この国は再生できないということでもあります。それが、現実です。
後は、国民の意識と覚悟次第です。
このまま崩壊すれば、いや、必ず崩壊しますが、それは、国民の自業自得だということです。
崩壊するのも、再生するのも、国民次第です。
でも、国民は、何もしようとしていません。声すら出しません。
私は、「テロを起こせ」とか「武力革命をしろ」と言っているわけではありません。「国民生活を守れ」という声を出して下さいとお願いしているだけです。しかし、この国に、そんな空気は全くありません。犠牲者が出始めているのに、国民は、まだ、「俺には関係ねぇ」と思い込んだままです。
ですから、このままでは、崩壊は必然だと思っています。これほど、生活が破綻している人達がいるのに、他にどんな証拠が必要なのでしょう。もう、私達の生活は壊れ始めているのです。こんな心配をしているのは、私だけだはありません。
デービッド・アトキンソン氏の言葉を引用しておきます。
「今すぐにでも対応を始めないと、日本は近い将来、三流先進国に成り下がることは確実です。いや、下手をすると、日本は三流先進国どころか途上国に転落する危険すらあるのです」

将来、新しい日本を創る皆さん。
「国とは」という定義に、国民生活を守るという項目が必要になると同時に、「国民とは」という定義に、圧政や放置を見過ごすのではなく、国民には、声を出す義務がある、という項目が必要になるのではないかと思います。
しかし、「この国を壊してしまった奴に、そんなこと、言われたくない」と返されれば、一言もありません。


2019-04-02



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時代が生む、幸運と不運の落差 [評論]



夢も希望もない、その上、救いのない、ひどい話を書きますので、積極的にはお勧めできません。
いつものように、独断と偏見で、まるで確定しているような書き方をしますが、ここに書かれているのはシナリオの一つにすぎません。でも、その中から、随所に見え隠れするトレンドを見つけていただけると、幸いです。

10年後に70歳になる、現在60歳の、まだ貧困層に属していない方。
20年後に70歳になる、現在50歳の、まだ貧困層に属していない方。
30年後に70歳になる、現在40歳の、まだ貧困層に属していない方。
皆さんは、自分が70歳になった時の生活を、真剣に想像したことがあるでしょうか。
多分、そんな方は少ないと思います。
いつも、「想像してください」とお願いしていますが、あらためて、お願いします。
ただ、念のために、既に、貧困層に属している皆さんは、想像しないようにしてください。そこから抜け出すことはできませんので、辛いだけです。
70歳の時の生活。
私は、全く、想像したことがありませんでした。今日のこと、明日のこと、ごく稀に来年のことを想像しましたが、数十年後のことは、頭をよぎったこともありませんでした。
生活に余裕があり、将来的にも心配のない生活だったわけではなく、何度も、生活の危機に直面しながら、それをすり抜けてきました。それは、たまたまの幸運に恵まれただけで、生活が破綻していても不思議ではなかったと思います。
しかし、これは、特殊な例ではなく、私達の年代の多くの皆さんが体験したことなのではないかと思います。
では、私達は、たまたまの幸運に、どうして恵まれたのでしょう。
あるとすれば、私達の年代の者が生きてきた時代がもたらした幸運だったのではないかと思っています。今振り返れば、「何とかなる」時代だったのだと思います。それは、経済も国力も右肩上がりだった時代が作り出した幸運だったのではないでしょうか。
もしも、この「時代が作り出した幸運説」が正しいとすると、10年後、20年後、30年後に70歳を迎える皆さんに、幸運が訪れるとは限らないことになります。「何ともならない」不運に直面し、生活破綻を迎える人が続出する可能性が大きいと思います。
何度も、「未来は過去の延長線上にはない」と書いていますが、ここにも、断ち切られた線が見えています。既に、その被害者も出ています。貧困に捕まった人達は、どう足掻いても、抜け出すことができません。一度貧困層に落ちたら、そこは無限地獄だと思う必要がありそうです。昔は、幸運が味方してくれたのですが、今は幸運に見放されているからです。皆さんは、昔の私より何倍も努力していると思います。しかし、その努力は報われてはいません。しかし、周囲には幸運に見放された人達しかいませんので、自分が幸運に見放されていることにも気付けません。
まだ貧困層に属していない皆さん。今から想像しても手遅れかもしれませんが、それでも、未来を想像し、未来に挑戦するしかありません。皆さんは、そういう時代を生きているのです。時代は変わったのですから、過去に縛られていたのでは、救われません。年寄りは、「何とかなるものさ」と言いますが、そんな年寄りの話をまともに聞いてはいけません。年寄りが、「何とかなった」のは、時代が生み出した幸運でしかなかったのです。

生活破綻の実態は把握されていませんが、表に出てきている数字としては、生活保護受給者の数字があります。
幸運の時代を生きてきた私達の世代でも、約90万世帯(120万人)の老人が生活保護を受給しています。生活保護を受給している人は、生活困窮者の3割だと言われていますので、生活困窮老人は、今でも、300万世帯(400万人)以上いる計算になります。
では、生活困窮者は、これ以上増えないのでしょうか。
いいえ、急増すると思います。
10万人や100万人という単位ではなく、1000万人単位の生活困窮者が誕生します。
私達が体験したのは、経済発展の時代でした。今は、経済停滞の時代が続いていますが、この先にあるのは経済減速の時代なのです。
では、経済減速の時代とは、どんな時代なのでしょう。
歳入が減少する時代です。
問題は、高齢化と貧困化が歳出を増加させる時代でもあることです。
しかし、ない袖は振れませんので、国に、生活困窮者を支援する力がなくなる時代です。
幸運に恵まれる時代ではなく、不運に押し潰ぶされる時代が来るのです。
国は、そのことを予測していないのでしょうか。
いいえ、予測はされていますが、何もしていません。
もちろん、得意とする「先送り」や「弥縫策」や「責任転嫁」には努力しています。でも、「先送り」や「弥縫策」や「責任転嫁」で未来が変わるとは思えません。
予測されていることを示す例を見てみましょう。
随分前に、自民党の憲法草案について書いたことがあります。
その中で、自民党が書き入れようとしていた言葉があります。
自助、共助、公助という言葉です。
自助とは、自己責任なのだから、自分で対処してください、という意味です。
共助とは、家族で助け合ってください、という意味です。
公助とは、国が支援します、という意味です。
現在の自民党草案の中身は知りませんが、過去に作られた自民党草案は、10年ほど前だったのではないかと思います。その時でも、自助と共助を憲法に書き入れる必要性があったのです。現在の憲法には、国民生存権が書かれていますので、憲法に定められているのは公助だけなのです。公助だけでは立ち行かないことが明白だと予測したために、自助と共助を追加する必要があったのです。
国は、承知しているのです。
ただ、憲法改正は実現していませんし、近い将来、実現するとは限りません。
では、公助だけで国民生存権を保障するのでしょうか。
そうはなりません。
それは、ない袖は振れない、という現実があるからです。
生活保護の申請が年々難しくなっています。個人で申請できるようなものではありません。申請業務がビジネスになっているのです。生活困窮者の3割しか生活保護費を受給していない事情には、この申請業務の難しさも大きく影響しています。それでも、それをビジネスにする業者は年々増加していますし、更に増加するでしょうから、申請業務の複雑さで申請そのものをブロックする方式には限界が来ます。
受給要件の更なる厳格化と生活保護費の更なる削減が必要になります。
当然のことですが、官僚は、真剣に議論しています。
では、それで「何とかなる」のでしょうか。
無理です。
だから、自民党は、自己責任と家族責任を強調したかったのです。

かつて、貧困ビジネスは暴力団の資金源だと言われていました。
しかし、その時代も終わります。
もう、貧困ビジネスが成長産業になる時代になっているのです。
「お上」が認可する「無料低額宿泊所」という施設が、全国に約600あるそうです。
生活保護受給者や生活困窮者が一時的に収容される簡易施設ですから、決して、恵まれた環境が提供されているわけではありません。一般社会と同じで、喧嘩は日常的にあり、傷害事件や殺人事件も起きている場所です。
「お上」は、老人を一時的に収容して、その後、どうするつもりだったのでしょう。
施設に入った老人を追い出しても、老人が自立して生計を立てることは不可能ですから、終の棲家になろうとしている現状を見ると、一時的な簡易施設という建前は、将来のために、できるだけ安価な老人収容施設の実績を作るためだったのかもしれません。
無認可の施設は把握されていませんが、1000以上の施設が存在しているということです。もちろん、「無料低額宿泊所」よりも劣悪な環境です。
今後は、このような施設が急増するものと思います。
生活保護の申請、住居や食事の提供、医療等の生活管理を一括で処理する業者です。NPO法人が運営しているケースが多いそうです。
もちろん、生活保護費は、個人に渡されるのではなく、施設が管理します。
健康で文化的生活という言葉の意味も変わりつつあります。とりあえず、命さえ奪わなければ、生存権を守っていることになります。劣悪な環境だと非難されている施設ですが、今後は、生活保護費の削減により、更に、劣化していくものと思います。将来像としては、タコ部屋か捕虜収容所を想像してもらえばわかると思います。何百万人、いや、何千万人もの老人が、まとめて収容されるのです。そこは、地獄だと思ってください。
今は、「ひどい」と思う方がいるかもしれませんが、この先は、そんな劣悪な施設でも、施設に収容された人は「恵まれている」という評価になる時代がきます。それは、生活保護費の削減で、ビジネスが成り立たなくなる日が来るからです。
では、国の保護が受けられない人達は、どうなるのでしょう。
いわゆる、野垂れ死にするしかありません。
保護者もなく収入もなく体力もない老人から犠牲になります。家賃を払っているかどうかは別にして、まだ住む場所がある老人は、孤独死となり、住居を失った老人は路上で野垂れ死にすることになります。最初は、自治体が対処するかもしれませんが、1000万人単位の死体を処理する能力は、自治体にもありませんので、数えきれないほどの死体が放置される可能性があります。死臭に覆われ、人骨が散乱する環境が日常になります。そこは、地獄と呼ばれても不思議ではない場所になります。
「生存権」が議論されることになりますが、ない袖は振れないという現実はどうすることもできません。
このような状況がいつやってくるのか。10年後なのか、20年後なのか、30年後なのかはわかりません。でも、確実にやってきます。いや、もう、始まっています。
私達が生きてきた時代は、70歳を想像しなくても「何とかなった」時代でした。しかし、今から老人になる皆さんは、想像しなければ「何ともならない」時代を生きることになります。不公平ですが、仕方がありません。
まだ、老人と呼ばれていない国民の皆さん。
これは、皆さんの問題なのです。
「俺には関係ねぇ」で済む時代ではないのです。
個人にできることは、想像することと、声を出すことくらいです。
皆さんには、足掻くことが求められているのです。
確かに、私の妄想は、ほぼ被害妄想症状に見えると思いますが、この妄想を論破出来る人もいないと思います。論破できるとすれば、「何とかなる」という主張ですが、その「何とかなる」論が機能しなくなっているのです。時代が変わってしまったことを認めなければ、一歩たりとも前に進むことはできません。
多分、石田のような無茶を言う人はいないでしょうから、皆さんは「お上」の言葉に「ふむ、ふむ」と頷きながら地獄へ引きずり込まれることになるのでしょう。最終的には「自業自得」という言葉しか残りません。それでいいのでしょうか。
「お前に、四の五の言われる筋合いはない」
確かに、その通りですが、ほんとに、それでいいのですか。

それでも、何か方法はないのでしょうか。
ありません。
時間切れなんです。
あとは、子供達を道連れにするかどうかを、問うことくらいです。
以前に提案した「国立姥捨て施設」の創設と、「安楽死法案」の成立を、再度、提案します。
皆さんの前にある選択肢は、「苦しんで死ぬ」か「楽に死ぬ」かの二つです。
国が、国民の生活を守ってくれなかったのですから仕方ありません。
国民が、国民生活を守れと言わなかったのですから仕方ありません。
でも、政府は、「国立姥捨て施設」も、「安楽死法案」も採用することはないでしょう。
それは、「苦しんで死ぬ」という選択肢しか残されていないということです。
ですから、皆さんは、弱肉強食の世界を、苦しみながら生き、苦しみながら死ぬ。そういう環境しか残されていないのです。
そんなことを望んでいる人は一人もいないでしょう。では、願ってさえいれば、いつか、棚から牡丹餅餅が落ちてくるのでしょうか。そんなことは、ないと思います。
日本経済がマイナス成長になる日は、それほど遠い将来ではありません。もしかすると、数年以内にその現実を突きつけられるかもしれません。そうなれば、いよいよ、崩壊の幕は切って落とされます。
もう、時間は残されていません。
私が提案する無茶な提案ではない案をお持ちでしたら、是非、声を出してください。
放置すれば、文字通りの弱肉強食の世界に突入することになります。
もちろん、強者の方は心配する必要はありません。生き残れます。
でも、そんな人が何人いるのでしょう。
潤沢な財産があり、体力にも恵まれ、もしかすると、武器や格闘技が必要になるかもしれません。
そう考えると、99%の皆さんが、弱者だということです。
弱者にも、段階がありますので、強者に食われる時期には差が出てきますが、それは、早いか遅いかということに過ぎず、いつかは、食われる運命にあります。
この地球上には、絶滅した種がいくつもあります。絶滅危惧種に指定されている種もあります。日本民族が絶滅しないなんて法則は存在していないのです。

私は高齢者ですから、残された時間は多くありません。皆さんが地獄に堕ちて、のた打ち回る前にあの世に行けると確信しています。しかし、余命残年数が多い方は、私のような幸運に恵まれているわけではありません。皆さんは諦めてもらうしかありませんが、是非、子供のために、孫のために抵抗して欲しいと思います。確かに、「子供や孫のため」に抵抗したとしても、自己満足に過ぎないのかもしれません。でも、何もないよりは、いいのではないかと思うのです。
私のやっている抵抗は、吹けば飛ぶような抵抗に過ぎません。いや、吹き飛ばす必要もないほどの抵抗なのでしょう。それでも、小さな小さな抵抗が集まることでしか、この国は変わらないのではないかと思っています。


2019-04-01



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第二回米朝首脳会談決裂の持つ意味



今日は、第二回米朝首脳会談について、数々の専門家の皆さんが言っていることとは少し違う推論を書きます。いつもの妄想ですから、そのつもりで読んでください。

米朝首脳会談が物別れに終わりました。
予想していなかった方も多かったのではないかと思います。
私も、こんな結末は予想していませんでした。いや、私は、アメリカにとって、米朝首脳会談は国益にならないと主張していましたので、醒めた目で見ていました。
自分からハードルを下げて、合意文書の調印を夢見ていたのは、拍手喝采を夢見ていたのはトランプのほうです。
そのトランプが、ちゃぶ台を返したのです。いや、ちゃぶ台を返したのはトランプのほうだと、勝手に私が考えているだけです。拍手喝采は、彼にとって大変重要な要素です。それなのに、なぜ、席を立ってしまったのでしょう。
経済制裁の緩和で合意できなかったと言われていますが、そうなのでしょうか。
金正恩は、喉から手が出るほど制裁緩和が欲しかったと言われていますが、無茶な要求をしたのでしょうか。
そうではないと思います。私達の知らない、拍手喝采をも封印するほどの「何か」が起きていたと解釈するしか説明がつきません。それは、大統領選挙に関した「何か」だと思います。
今回の交渉決裂で、米朝合意は遠のいたと言われています。
この先、アメリカは大統領選挙モードになりますので、トランプの頭の中からも北朝鮮案件は削除されることになるのではないでしょうか。

米朝首脳会談が行われた2月28日は、トランプの元顧問弁護士であったコーエンが公聴会で議会証言をした日でもあり、アメリカのメディアにとってはコーエンの議会証言がトップニュースでした。米朝首脳会談は、その他のニュースの一つとして伝えられただけです。そんな時に、安易な妥協をしてしまえば、拍手喝采どころか、非難されるだけです。「合意文書にサインしようと思えばできたが、そんなことをすれば非難されるだけだ」とトランプも記者会見で認めていました。何らかの理由により、トランプは、自分を守るために、逃げ出したのだと思います。
トランプは「北朝鮮が、制裁の全面解除を要求してきたから、妥協できなかった」と記者会見で言いました。しかし、それまで記者会見などしたこともない北朝鮮が、深夜に記者会見を開き「我々は、国民生活に係わる一部の制裁解除を要求しただけだ」と言いました。西側メディアはトランプ発言を信用しているようですが、北朝鮮の対応を見る限り、トランプが嘘を言っているという見方のほうが正しいのではないかと思ってしまいます。
もっとも、トランプが嘘をつくのは常識になってしまいましたので、誰も驚かないのかもしれません。でも、一国のトップが、嘘つきの公認を得ているとすると、アメリカは病んでいるとしか思えません。これでは、コーエンが「トランプは嘘つきだ」と証言したことにも信憑性が生まれることになります。

コーエンの発言をいくつか書いておきます。
「私は、トランプの不正、隠蔽に関与したことを後悔しています」
「私は、トランプがどんな人間か知っている。彼は、人種差別主義者であり、ペテン師であり、嘘つきなのです」
「ある日、トランプから、黒人が指導者で、まともな国はあるか、と聞かれたことがあります。オバマ大統領のことを言っているのだと思いました」
「シカゴの貧民街を車で通過する時、こんな街で生活できるのは黒人しかいない」
「黒人は愚かだから、自分には絶対に投票しない、と言っていました」
「ポルノ女優に口止め料を支払う役目を指示され、夫人には内緒にすることを約束させられました」
「徴兵逃れをしたのは、健康上の理由だと言え、と指示されましたが、何か証拠はありませんかと聞くと、ただ健康上の理由と言えばいい、と命じられました」
ここまで言うか、と言うくらいボロクソだったのです。
公聴会に出席していた共和党議員は、コーエンを「嘘つきの犯罪者」だとして糾弾しましたが、確かに、コーエンは「嘘をついて、有罪を認めた人」ですから間違ってはいないのですが、「その通り、私は罪を犯しました。トランプの指示に従っている皆さんは、私と同じことをしているのですから、私と同じ道を辿ることになる」と反論しました。
公聴会はテレビ中継されました。当然、その映像はネットで拡散されますし、消去することは出来ません。
「ロシアと共謀したという証拠は持っていませんが、私が持っているのは状況証拠だけですが、トランプがロシアと共謀したのではないかという強い疑念は持っています」と言っています。

モラー特別検察官の報告書が、提出されるのではないかと言われているこの時期のコーエン発言は、トランプにとって危険なのかもしれません。
これは、あくまでも、私の独断と偏見による妄想で、ヨタ話の類でしかありませんが、米朝首脳会談を、突如、中止したのはコーエン発言が原因なのではないかと思っています。
コーエン発言に目新しいものはないと言われていますが、実は、コーエンは気付いていませんが、いや、世間も気付いていませんが、トランプの痛いところを突いているのかもしれません。トランプのアンテナが、その危険を察知したのかもしれません。ロシアとの政治的共謀はないのかもしれませんが、ロシアでの経済活動の中にある別の犯罪を裏付ける発言をしているのかもしれません。それが、表に出てくれば、支持率が大きく動く可能性があり、大問題です。立証できるかどうかは別として、人間は、誰でも脛に傷を持っているものです。トランプの場合、その傷が大きな傷なのかもしれません。
アメリカでは、外交は票に結び付きません。トランプの今の最大の関心事は、その票がものを言う大統領選挙です。そんな時に、北朝鮮という小さな果実に執着している場合ではないと判断したのでしょう。北朝鮮の非核化なんて案件は、トランプにとって重要な案件ではありません。拍手喝采の材料の一つですが、支持率が落ちたのでは本末転倒です。
確かに、コーエン発言は前座にすぎませんが、時期が悪いと思っているでしょう。この流れの中で、モラー報告書が出てくると考えると、その対策を急がねばなりません。誰かが、何かに、気付くかもしれないという犯罪者心理が働いたのかもしれません。モラー報告書が出てくることは避けられませんが、コーエン発言の熱が冷めるまで遅らせる必要があります。トランプの頭の中は、コーエン発言とモラー報告書で一杯だったと思います。その対策のために、一刻も早く帰国したかったのだと思います。私は、コーエン発言とモラー報告書が、どうリンクしているのかは知りません。でも、犯罪者本人は、知りすぎるほど知っているのです。つい、過剰反応をしてしまう犯罪者心理は否定できません。
ま、小説風に推理すると、そういう可能性もあるという程度の話ですから、信用はしないようにお願いします。実際に、どうだったのかなんて、私にはわかりません。
ただ、合意しなかったことを歓迎する人は多いようですから、民主党が、米朝首脳会談当日に、コーエン公聴会の日程を決めた作戦は、短期的に、アメリカの国益に適ったのです。
一方、北朝鮮は、せっかく北朝鮮ペースになり、果実を目の前にしながら、逃げられてしまったのですから、まさに、釣った魚に逃げられたのですから、ほんとに、気の毒だと思います。もう少しだったのに、残念だったろうと思います。

何通もの合意文書を用意し、記者会見の準備を整えていたアメリカ側のスタッフは、一瞬、頭が真っ白になったのではないでしょうか。
下手な妥協をするよりは、決裂したほうがよかったと言う人もいます。
私は、そうは思えません。
そもそも、米朝首脳会談をすることが間違っていたのです。
一回目の米朝首脳会談の前にも「会談はやってはいけない」と書きましたが、北朝鮮に核廃棄させる方法は一つしかありません。それは、北朝鮮を軍事力で叩き潰すことです。もちろん、即座に、実際に、軍事攻撃をするという意味ではありません。誰一人、北朝鮮が自発的に、あるいは交渉の結果、核廃棄をするとは思っていません。トランプでさえ、そんな期待は持っていないでしょう。北朝鮮の核廃棄は、事実上、不可能なのです。
そんな北朝鮮に、もしも、本気で、核廃棄をさせたいと思っているのであれば、不可能を可能にしたいのであれば、戦争か核廃棄かの二者択一を迫るしかなかったのです。
必要だったのは、交渉ではなく、通告だったのです。
ところが、トランプは、北朝鮮に「経済発展」か「核廃棄」か、を問うたのです。
手柄欲しさにのこのこと出かけて行ったトランプの助平根性が、的外れな対応を作り出したのです。
トランプの提案は、経済を犠牲にし、国民を犠牲にして、金王朝を守るためだけに核開発をしてきた国に対して、提案するような内容ではありません。
トランプが交渉を持ちかけたのは、商売人の性だったと言ってしまえばそれまでですが、周囲に助言をする人がいないことと、助言を聞こうともしないトランプに問題があったのだと思います。
アメリカは、独裁者と交渉しているという認識に欠けています。それは、対北朝鮮でも、対中国でも、対ロシアでも言えることです。特に、北朝鮮の独裁は、恐怖による独裁という古い形の独裁です。ところが、民主国家の人達は、特に商売人は、利益を示したら、相手は同意してくれると思いがちです。もちろん、相手も人間ですから、利益があれば同意します。しかし、その利益のプライオリティーが、民主国家と独裁国家では違うのです。独裁者は、国民の利益を求めているのではありません。独裁者自身の利益が最上位のプライオリティーなのです。
「核放棄をして、日本と韓国からカネをもらって、経済発展すれば、君の国もベトナムのように発展することが出来るんだよ」と言っても、金正恩の気持ちは動きません。「わかった、わかった、それで、俺に何の利益があるんだ」と思うだけです。
トランプだけではありませんが、アメリカ人の思考回路が間違っているのです。
アメリカは、中国を仲間に入れてやれば、中国も民主的な行動をするようになるだろう、と思って中国の独断専行を許してしまいました。
どちらも、アメリカのアプローチが、その思考回路が間違っていたのです。
多分、まだ、その事には気付いていないと思います。気付いていないから「経済発展はいかがですか」なんて提案をしてしまったのです。
それは、民主国家に住み、資本主義世界にいる人達にとっては、ごく当たり前なことでも、共産主義国や独裁国家の場合は、非常識になることだってあるのです。アメリカ人は、前提条件が違うことに気付いていません。自分の常識と自分の都合だけを優先させた、独り相撲なのです。
戦争という選択肢を捨てたアメリカは、北朝鮮には、好きにやらせるしかないと思います。ま、自滅という結末もあるのですから、それを待つのも一つの方法だと思います。
アメリカの対応を見ている限り、アメリカは北朝鮮の核廃絶を目的としているようには見えません。リスクを負って戦争をするとも思えません。それは、アメリカには、もう、そんな力は無いことを証明しています。かつて、偽情報であっても、イラクが大量破壊兵器を持っているとしてイラク戦争を仕掛けたアメリカは、もう、存在していないのです。
時代は、変わっているのです。
アメリカは、ミサイル防衛技術を高めなくてはなりません。
北朝鮮のミサイルだけではなく、中国やロシアのミサイルにも対応しなくてはなりませんので、ミサイル防衛システムの向上は不可避でもあり、理に適います。
実際のアメリカも、その方向へと動いています。従来のアメリカの安全保障概念、大西洋の反対側に前線を置き、太平洋の反対側に前線を置くという概念が変化しています。将来的には、NATOも日米安保も米韓同盟も不要になります。この変化は、アメリカには世界と戦う力がなくなったことを証明していることになります。
今回の失敗は、アメリカの弱体化を、事象として、世界に示すことになりました。
中国やロシアに嘗められるのであれば仕方ありませんが、北朝鮮に嘗められたのでは、示しがつきません。今のアメリカには、北朝鮮を恫喝する力もありません。トランプの態度は、顧客に媚びを売るセールスマンのように見えます。
助平根性で首脳会談などするから、世界に弱みを見せてしまうことになるのです。
中国、ロシア、イランが勢いを増すことになる危険が大きいと思います。
困ったときは、神頼みしかありません。
今、アメリカに出来ることは、神に、独裁国家の自滅を祈ることです。

さて、東アジア情勢はどうなるのでしょう。
文在寅がどう動くかが鍵になりそうです。
文在寅が積極的に動けば、米韓同盟に変化が出るかもしれません。
いや、文在寅は積極的に動くという選択肢しかなくなったのかもしれません。旗幟を鮮明にして、国連に働きかけて、国連の経済制裁を取り除く行動が必要だと確信するかもしれません。そのためには、中国とロシアに接近し、国連安保理に人道支援は制裁の範囲から除外するという提案をしてもらわねばなりません。人道支援という抜け道さえ作れば、後は、どうにでもなります。
もう少し、長期的に見ると、第三次世界大戦への道が動き出すのかもしれません。
東アジアの一寸先は闇です。
これは、アメリカによる世界覇権の終わりの始まりであり、世界の混乱の序章が始まっていることを追認したという意味を持っています。
コーエンの議会証言がトップニュースになったのも偶然ではないと思います。それは、大統領が犯罪者かどうかというニュースなのですから、このアメリカ国内の分断も凋落の一つの現象なのだと思います。
アメリカの凋落は、今後も続くものと思います。
もちろん、日本が風前の灯であることに変わりはありません。


2019-03-05



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日韓戦争というヨタ話について [評論]



ネットの一部で、日韓戦争の話題が賑わっています。
一般メディアでも、ほんの少しですが、そんな話も出ています。
「たかが、ヨタ話」と切り捨てることは簡単ですが、ヨタ話で終わらなかった場合は、甚大な被害が出ます。せめて、準備は必要なのではないかと思います。
私も、以前に、日韓戦争を予測しましたが、それは、あくまでも、米中戦争の代理戦争としての日韓戦争であり、日本と韓国が独自に戦争をする可能性は、非常に低いと思っています。
韓国の文在寅は、超大国のトランプと違い、自分の意志だけで行動を起こすことはできません。必ず、中国と北朝鮮の同意が必要になります。
文在寅が、誰かの忠告を受け入れるとすれば、金正恩しかいません。
では、金正恩は日韓戦争を望むでしょうか。
韓国が勝っても負けても、北朝鮮に利益はありません。
それは、韓国が勝利し、日本がボロボロになってしまったのでは、日本からカネが取れないからであり、韓国が負けた場合は、自分の味方を減らすことになりますので、利益はありません。今、金正恩の言いなりになってくれるのは韓国しかないのですから、孤立無援を選択することはないと思います。
それでも、文在寅が強引に日韓戦争を始め、それが朝鮮半島対日本の戦争に発展し、中国、ロシアが参戦してくれば、アメリカが参戦してきますので、その時は、米中戦争になり、第三次世界大戦に発展する可能性があります。中国が勝っても、アメリカが勝っても、朝鮮半島全体に外国軍が駐留することになりますので、北朝鮮国民が歓迎したとしても、金王朝にとっては、危険が一杯です。そんなことをして、金正恩に利益があるとは思えません。韓国が日本と戦争しても、金正恩には利益がないのです。
文在寅は、自分の理想を実現することが自分の利益になるという思い込みはあるのでしょうが、実利は伴いません。その点で、金正恩は、自分の命と金王朝の存続という実利を守りたいと願っているのですから、とても人間らしいと思います。
文在寅は、金正恩との関係を維持することでしか理想を実現することはできませんので、金正恩の言うことであれば、聞くと思います。
中国は、日韓戦争が日韓戦争で終わるのであれば、無視する可能性はあるでしょうが、日韓戦争が米中戦争に発展する可能性を考えれば、日韓戦争は歓迎できません。中国は、あと20年は、アメリカと戦争をしたくないと思っています。いつかは、戦争をすると思いますが、それは、今ではありません。習近平は、自分の野望を、文在寅ごとき人間に邪魔されたくないと思うのではないでしょうか。日韓戦争で、万が一、日本が勝利したとすると、日本が軍備増強する口実を与えることになり、そのことも容認できません。
文在寅の理想は、朝鮮人による朝鮮人のための朝鮮統一国家の樹立です。
日本人という立場を離れれば、その理想は理解できますし、実現も可能だと思います。
日本は、その対応を考えておかなければなりません。しかし、日本は、いつものように、無視作戦を採用するようです。いわゆる「先送り」作戦です。困った時は一番得意な手法を使うという意味では、あり得る作戦ですが、これまで「だんまり」や「無視」が有効な手段となったことがありません。
先程も書きましたが、日韓戦争の始まる危険度は、それほど高くはありません。しかし、万が一の確率が無くなった訳でもありません。
国家としては、日韓戦争に対応する行動が求められていると思います。その行動は「先送り」行動ではありません。この日韓戦争に対応する行動に必要なものは、時間です。日本が宣戦布告する必要はありませんが、韓国が宣戦布告をしてきた時に、対応できる準備が必要なのです。そして、準備をするために必要なものが時間です。少子高齢化を先送りしたように、無防備なまま、「先送り」で時間を浪費し、日韓戦争が始まれば、「あちゃー」という事態になる可能性があります。
何度も、「未来は過去の延長線上にはない」と書いていますが、ロシアのプーチンや中国の習近平がやったように、憲法を変えて王朝を作ることは可能なのです。韓国の国家統治システムが、今のまま継続するという保証はありません。文在寅は憲法改正をするだろうという予測もされています。ここまで革命を成功させてきた文在寅が、右派に政権を譲ったのでは意味がありません。革命政権を維持しようとするのは、ごく自然だと思います。
日本の政府関係者は、「次の政権になれば」と言って、「先送り」が最善の策だと吹聴します。でも、そんな保証はないのです。
文在寅政権は、着々と体制強化を図っています。
文在寅がやろうとしていることは、右派と左派の戦いではありません。革命という観点から見なければ、説明がつかないのです。
革命では、メディアの制圧が第一目標になります。
そして、メディアは、ほぼ、制圧したようです。
文在寅手法に反対する右派が、デモをし、声明を出していますが、右派の動向を報道するメディアは、ごく一部に限られているそうです。
韓国は経済的に苦境に立たされていて、韓国国民の関心は経済問題に集中しています。ですから、左派であろうと右派であろうと関係ありません。自分の生活が良くなるのであれば、どちらでもいいのです。
文在寅政権は、若者の失業率を何とかしなければ、革命が頓挫してしまいます。
ですから、政権が打ち出した政策が、共産村の建設になったのは必然だったと考えなくてはなりません。税金を使って自動車工場を作り、若者を雇用しようとしています。給料は民間自動車会社の半分程度ですが、住居や生活費を税金で支援するという、かつてのロシアや中国にあった村を作る計画です。時代錯誤の計画が成功する確率は、極めて低いと思いますが、文在寅が本気であることは確かなようです。
共産主義を目指す文在寅も、天皇制を目指す安倍晋三も、国民としては歓迎できませんが、韓国も日本も、革命が求められていることでは同じです。ただ、二人とも、国民が願う方向とは違う方向を向いていることは、大変、残念です。

既に、韓国は、陸軍を削減し、空軍と海軍の増強をしています。北朝鮮との戦いで、空軍や海軍は必要ありませんし、北朝鮮との間には、不可侵条約のような約束ができています。何のために、どの国と戦うために、空軍と海軍の増強をしているのでしょう。日韓戦争が想定されていると考えるのが自然だと思います。
朝鮮民族の意識、特に韓国の国民意識として、日本に勝ちたいという根深い感情があり、日本に勝って、初めて、彼等のアイデンティは本物になると思い込んでいるように見えます。でも、それは感情であって、理屈ではありませんので、日本が譲歩したとしても落としどころはなく、日本をこの地球上から抹殺するまでなくならないと思います。韓国は、いつも「国民感情が許さない」と言いますが、それが本音なのだと思いますので、日韓関係が普通の国同士の関係になることはないと思います。これは、北朝鮮の発言ですが「日本は、謝罪と賠償だけをしていればいい」と言うのが彼等の本音だと思います。
総理大臣が謝っても、天皇が謝っても、この感情はなくなりません。
ですから、文在寅が日韓戦争で日本に勝ちたいと願っても、不思議ではないと思います。私達は、そんな朝鮮民族の悲願を、感情を、軽視するべきではないと思います。特に朝鮮民族の感情は激しいと言われます。喧嘩は、理性から生まれるものではなく、感情から生まれます。日本から喧嘩を売る必要はありませんが、喧嘩になる可能性がゼロではないのであれば、準備をしておかねばなりません。
近い将来、日本は崩壊します。でも、朝鮮半島の皆さんにとっては、日本が勝手に自滅したのでは、彼等の感情は収まりません。ともかく、一度、自分達の手で日本をこてんぱんに負かすことが求められているのかもしれません。

国会で、日韓戦争が議題になっているという話は聞きませんし、外務省や防衛省は「先送り」が基本路線になっているようですから、何らかの対応がされるという期待は持てませんが、とりあえず、何が必要とされるのかを考えてみます。
一番難しくて、一番時間がかかるのが、国民への情報開示だと思います。
国民は、「俺には関係ねぇ」と信じていますし、左派の人は「戦争」という言葉を聞くだけでも忌まわしいと思っていますので、簡単なことではありません。突然、韓国軍が目の前に現れ、銃を向けられれば、パニックになるしかありません。自分の命と家族の命を守るために、どんな行動をとるのかを考えてもらう必要があります。先ず、国民に現状と将来予測について聞いてもらう必要がありますが、話だけでは何もできませんので、訓練が必要になります。もちろん、戦う訓練ではなく、逃げる訓練です。逃げることが、国民の責務です。国が、国民を守るためには、国民に逃げてもらわなければなりません。
戦争が起きる可能性の説明。
戦争が始まった時の、国民の行動指針。
国民にできることは、捕虜にならないように逃げることです。
防災マップのように避難場所を設け、逃げてきた住民を受け入れる場所が必要になります。国は、それらの避難民の生活を支援しなければなりません。
韓国軍の上陸に備えるだけではなく、北朝鮮が協力すれば、ミサイルは大量に飛来すると思いますので、日本海側の住民だけではなく、全国の国民に、避難シェルターの設置を求めなければなりません。国民の生命と財産を守るのは国の使命です。戦争になれば簡単なことではありませんが、せめて、生命だけは守らねばなりません。
日本は、先制攻撃ができないだけではなく、相手が発砲してこなければ、何も出来ません。韓国軍は、そのことを承知していますので、上陸するまでは発砲しないと思います。ですから、少なくとも、第一波の上陸は阻止できません。
では、重武装をして上陸してきた韓国軍にどう対応するのでしょう。
韓国軍は、日本海側のどこに上陸してくるのかはわかりません。ですから、迎撃部隊を配置しておくことはできません。もしも、逃げる訓練がされていなければ、大量の民間人が捕虜になることは避けられませんので、陸上自衛隊が駆けつけてきたとしても、民間人の捕虜がいる限り、制圧することは不可能です。捕虜が増えれば増えるほど、困難が増しますので、占領地域を広げさせない対応が必要になります。陸上自衛隊が来るまでの間、韓国部隊を足止めしなければなりません。
防波堤になれるかどうかは定かではありませんが、せめて、警察官に拳銃ではなく武器を持たせ、国民の避難行動を助けるための訓練をしなければなりません。もちろん、警察官も住民の最後尾で逃げなくてはなりません。出来れば、民間人の自衛部隊(民兵)を編成しておけば、警察官の力になります。素人が正規軍と戦ってはいけません。
第一波の上陸は防げないとしても、第二波、第三波の上陸を防がねばなりません。
韓国の港か、日本海海上で殲滅しなければなりませんので、その対応が必要です。
日本独自の情報収集能力としてのハードウェアとソフトウェアが必要になります。
航空自衛隊と海上自衛隊に敵基地攻撃能力が必要です。
幸運が続き、第一波は陸上自衛隊が殲滅できたとし、第二波、第三波の攻撃を海上自衛隊と航空自衛隊が阻止したとしても、それだけでは戦争は終わりません。戦争を終結するためには、朝鮮半島へ陸上自衛隊を送り込まなければなりません。
陸上自衛隊に、敵基地攻撃能力を持たせるか、海兵隊の創設が必要です。
韓国には50万人の陸軍があり、北朝鮮が北朝鮮軍の半分を援軍として送ると、100万人規模の部隊になります。陸上自衛隊の実戦部隊が何人いるのか知りませんが、多くても15万人だとします。その中から10万人を朝鮮半島へ送り込んだとしても、100万人の敵には勝てません。
訓練された兵士を、50万人から100万人増員しなければなりません。
応募方式では、こんな大量の軍人は募集不可能です。
徴兵制度が必要になります。
5年間は、訓練が必要です。
ここに挙げた準備は、どれ一つとっても実現不可能と思われるものばかりです。
仮に、これらの準備が出来ていたとしても、全戦域で勝てるとは限りません。
たとえ、準備万端だとしても、敗戦する可能性は、決して低くはないのです。
準備が出来ていなければ、間違いなく、韓国軍に蹂躙されます。
朝鮮半島の人達には、日本軍に酷い目にあわされたという意識がありますので、日本人に対しては、どんな非道なことをしても許されると考えているかもしれません。女子は慰安婦にされ、男子は強制労働を強いられることは覚悟しておく必要があります。
国民を守るためには、ここに挙げた準備以上に、準備する必要があるのです。
平和の花園で眠っている私達に、そんなこと、できるのでしょうか。
「アメリカ軍がいるじゃないか」と言う人がいるでしょう。
では、アメリカは日韓戦争に参戦してくるという保証はあるのですか。
中国軍やロシア軍が出てくれば、アメリカ軍も参戦してくるでしょうが、日韓戦争では参戦してこないかもしれません。
安全保障は、他人任せでは出来ないのです。
戦争に負けて、初めて「自分の国は自分で守るしかなかったのだ」と気が付いても取り返しがつきません。経済力を高め、軍事力を高めるのが国の使命だということは、世界常識なのです。良し悪しの問題ではありません。
軍事力や国民の国防意識は、数十年の時をかけて作り出すものです。仮に、日韓戦争が5年後に始まるとすると、それだけで手遅れです。ところが、私達の国は「先送り」を選択していて、日韓戦争に対応しようとはしていません。
政府は「遺憾である」と言うだけで、韓国に対して「無視作戦」を取っています。国を守ろうとか国民を守ろうなんて気持ちさえもありません。これでは、日韓戦争に対する準備ができるとは思えないのです。
ま、私達は、地獄に堕ちる運命なのですから、日韓戦争に対応できなくても仕方がないと言えば仕方がないのかもしれません。

今のところ、日韓戦争はヨタ話の領域を出ていません。
しかし、その可能性は、1%や2%ではなく、10%とか20%の確率まで上がっていると考える必要があります。
でも、私達は、何の準備もしていません。
四大災禍に対応する時に、一番重要なのは、時間です。時間が残されていなければ、何もできないのです。それなのに、私達は、その時間を浪費しています。私達には、「先送り」という手法しか残されていないのでしょうか。
惰眠を貪る国家運営者と国民の目を醒まさせるのは、誰なのでしょう。
国には、国家運営者と国民しか存在していませんので、その役目を果たせる人がいません。
では、外国に頼るのですか。
そんな助言をしてくれる国が存在しているとも思えません。
永遠の「先送り」はできません。必ず、どこかで、決着がつくのです。
どんな決着になるのか。
国民がドツボに嵌ります。
どんな状況であっても、このことだけは、確定しています。
日本幕府のご老中様になってしまった国家運営者に丸投げをしていてはいけません。目を醒まさなければならないのは国民なのです。
その理屈は、「自分を守るため」という簡単なものです。
最後には、「自己責任」とか「自業自得」という言葉が待っているのです。自分が目を醒ます以外の選択肢はありません。


2019-03-04



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未来は、過去の延長線上には、ありません [評論]



今日も、想像力の話ですが、想像しなかったことによる不利益と、想像できなかったことによる不利益を、私達の身近にあるもので考えてみました。想像力さえあれば何とかなる、などと言うつもりはありません。それでも、想像力は不可欠だと思います。

「空き家」問題が、解決の糸口もなく、放置されています。
この空き家問題は、空き家が危険だという問題に矮小化されていますが、それは、いろいろな方のいろいろな思惑が生んだ現実逃避に過ぎないと思います。空き家問題は、経済や社会に大きな影響を持つ根本的な問題だと思います。
近い将来、2000万戸とか、3000万戸が空き家になると言われている問題です。
この先、人口が減っていくのですから、不必要になる住居が出てくることは自然なことです。今や、「不動産」は、「負動産」と呼ばれるようになりました。相続する親族がいない住居もあるでしょうし、相続放棄をする被相続人も増えるでしょう。それは、相続しても、換金できないからです。相続すれば、税金だけを徴収され、建物の管理もしなければなりませんので、出費だけが増える結果になります。
相続放棄をすれば、固定資産税は請求されませんが、管理責任を逃れるためには所有権放棄をしなければならないようです。ただ、法整備はされていませんので、放置されるケースが多いようです。国としても、2000万戸の住居を押し付けられても困ります。建物を撤去するだけでも、数兆円の費用が必要になるのではないでしょうか。今後、法整備が行われるとすると、所有権の放棄には、撤去費用の負担が必要になると思います。国としては、固定資産税が入ってこないのに、撤去費用を負担することはしないでしょう。
ただ、現実としては、法整備は始まっていません。管理責任者を探すことも大変ですし、探し出したとしても費用負担ができるとは限りません。結局、幽霊屋敷やゴーストタウンを放置することになります。見捨てられた不動産が、荒廃した国土の象徴になる日がくるのです。その数、数千万戸です。死屍累々という言葉がありますが、数千万戸の空き家は、その言葉にふさわしい状況を作り出します。
まだ使用に耐えられる住宅が、既に、100万円台で売りに出ているものもありますが、近い将来、100万円を贈呈するから不動産を買ってくださいという状況が普通になります。それは、相続に関係なく不動産の始末をするのは大変だからです。
不動産は、大型ごみで捨てられません。売るか寄付をするしかありません。しかし、売れない時代が来ます。寄付は、寄付を受けてくれる相手がいなければ、寄付できません。
早く売った者勝ちの世界になれば、最後に買った人が、「ババ」を引くのです。
マンションの場合、残された住民は、もっと、悲惨なことになります。
被相続人がいないとか相続放棄された場合、残された住民の共益費負担が増えます。例えば、マンションの半数が無人になった場合、共益費や修繕積立金は倍になります。残された住民の一人でも、それを認めなかった場合は、共用部分の電気は使えませんし、エレベーターも使えませんし、給水設備の保守もできなくなり、もちろん、大規模修繕なんてできません。ゴーストマンションになってしまうのです。特に、流行りのタワーマンションは悲惨な状況になると言われています。
不動産が厄介者になる時代が、そこまで来ているのです。
そんなに遠い先の話ではありません。
それでも、新築住宅は次々と建設されています。
そして、信じられないことに、それを買っている人がいるのです。
新築住宅は、買ったその日から中古住宅になります。
売る側の人達は、専門家ですから、不動産が財産にならない時代が来ることを知っています。最近では、「財産」という言葉ではなく「夢」をコンセプトにして売っています。でも、彼等は「夢」にくるんでいる中身が地獄だと言いません。
もう一つ、家賃収入という美味しい話にのって、財産をつぎ込み、借金までしてアパートを建てる人がいます。新築アパートだけではなく、中古住宅を購入して賃貸住宅として貸し出す、いわゆる不動産投資も、まだ推奨されています。美味しい話に食いついてはいけません。人口減少で何が始まるのかを考えれば、これは、詐欺みたいな話なのです。被害に遭った人達を待っているのは、自己破産と生活保護という世界です。
土地神話の時代は、土地・建物が財産だった時代は、終わっているのです。
今は、「不動産」が「負動産」と呼ばれる時代なのです。
これは、未来は過去の延長線上にあると信じていた結果であり、現状認識と将来予測ができなかった結果です。想像力の欠如は、自分の生活を破壊することもあるのです。
空き家問題は、かなり前からニュースになっていましたし、人口減少は数十年前から指摘されていました。
どうして、想像しないのでしょう。
不思議でなりません。
今からでも、想像できることはあります。
想像すれば、今が持ち家を売る最後のチャンスだということに気付きます。
物の価格は、需要と供給で決まります。
2040年には、ほんの20年後ですが、全住宅戸数の40%以上の空き家が誕生します。
中には、まだ充分使用に耐えられる住宅もあるでしょうが、売れるのでしょうか。
人口が減少するだけではなく、貧困化が進みますから、中古住宅の値段が崩れるであろうことは、需給関係から容易に想像できます。中古住宅は、二束三文の価値しかなくなる時代が来ます。いや、二束三文でも売れない住宅のほうが多くなると思います。今、住宅を購入している人達は、30年ローンを組み、多額の借金を抱えます。人口が減少し、国が縮小していくということは、企業にも大規模な自然淘汰が起こります。倒産で失業する人も大量に出てきます。中古住宅が売れない人、ローンが払えなくなる人が続出しますので、社会問題になり、度々ニュースになると思います。誰もが、ヤバいということに気付く日がやってきます。そうなれば、ますます、中古住宅は売れません。住宅を購入するということが、財産を手に入れるという意味にはならず、借金を作るという意味になります。好き好んで借金をする人はいませんので、不動産は売れなくなります。もちろん、現金で購入できる裕福な人はいますので、新築住宅がなくなる訳ではありませんが、その新築戸数は激減すると思います。
一般の人にとって、住宅は、財産としての価値はなく、ローン返済と納税義務があるだけの負債なのです。想像力がなければ、未来が過去の延長線上にないことを知ることができません。想像するだけで、自分を守ることが出来るのです。想像するだけなら、カネはかかりません。是非、想像してもらいたいと思います。


次に、想像力では見えなかったものもあります。
それは、貧困の連鎖と呼ばれる、貧困化による子供への影響です。
子供に影響が出るということは、未来に影響が出るということです。
この国のお先真っ暗に拍車をかけることになります。
政府が、貧困化を代表する非正規社員を生み出した時、子供の学力に差が生まれるなんてことは予測されていませんでした。
しかし、実際に学力の差が出ていることは、多くの調査で明らかになっています。
非正規社員問題とシングルマザー問題は別のものですが、貧困化という同じような現象が見られるということでは、同じ種類の問題です。
シングルマザーの家庭のほうが深刻だと言われています。
この国でも、建前としては、男女平等です。しかし、それは、あくまでも、建前の話であり、実際の女性の地位は他国に比べても劣悪な状況にあります。男女平等という教育を受けた女性が、平等を主張しようとしても、世間はそういう仕組みにはなっていません。たとえ、怒りをぶつけても、仮に、男達が面と向かって「離婚したのは、女の辛抱が足りないからだ」と言わないとしても、大半の男は腹の中でそう思っています。中には、体力差を武器にして、暴力をふるう男もいます。まさに、理不尽です。
書類の上の人間という文字や、統計上の数字と違い、実際の人間は、毎日食べなければなりません。雨露をしのぐ住居も必要です。着る物も履く靴も必要です。生きていくためには、収入が不可欠なのです。そんなことは、当たり前のことですから、想像する時に、抜け落ちるものです。しかし、女であることや、学力の不足や、スキルの不足は、収入に直結します。身を粉にして働いても、貧困から抜け出せません。そして、親の貧困は、子供の貧困の原因になっているのです。この貧困の連鎖については、予測されていませんでした。貧困世帯が増えているということは、貧困世帯の予備軍である貧困家庭の子供が増えているということなのです。夢も希望も持てない子供達が増えているのです。
一時期、「より豊かな生活をするために」「自分のキャリアを大事にしたいから」という理由で働く女性がもてはやされた時期がありました。でも、今は、違います。働かなければ生活が出来ないから働くのです。専業主婦は、特権階級になってしまいました。
子供の目から見れば、母親はキリキリ舞をしているようにしか見えません。母親も余裕がありませんので、ついつい、子供に怒りをぶつけることがあります。訳わからないことで、怒られる子供にとっては、理不尽でしかありませんが、耐えることしかできません。
調査によると、「結婚したくない」「子供、欲しくない」と考えている子供は、男子よりも女子のほうが多いとされています。母親と同じ生活をしたくないと女子が考えるのは自然なことなのでしょう。母親の愚痴も聞かされているでしょうし、高校生になれば、ある程度、世間も見えてきます。進学も、結婚も、早々に諦めるのは、女子のほうが多いようです。子供だって学力格差は自覚しています。頼れるのはカネだけだと思うかもしれません。年収300万円以下の家庭の場合、女子のアルバイト従事率は30%で、男子は3%です。私達は、この数字を深刻な現実だと考える必要があります。女子が夢も希望もなくしているとすると、男には、子供を産む能力がありませんから、明らかに、人口減少に拍車をかける要因を作っていることになります。
非正規社員誕生の法案を作った私達に、今の状況は想像できていなかったと思います。
もっとも、想像できていたことに対しても、何の対策もないのですから、想像できなかったことに対処するのは不可能ではありますが、結果責任は誰かが取らなくてはなりません。その責任を取っているのは、今は、非正規社員、女性、子供ですが、この先は、国民全員が責任を取らされることになります。崩壊は始まったばかりです。

では、どうして、こんな状況になってしまったのでしょう。
「先送り」と「弥縫策」に終始してきたことによります。
必要だったのは、構造改革だったのですが、まだ、手が付けられていません。
ここでいう構造改革とは、国そのものの構造改革という意味です。
国家運営者は自分を守ることを優先させ、構造改革をしませんでした。
「国とは」という定義があれば、理解できたのでしょうが、そんなものはありませんので、国家運営者は「先送り」と「弥縫策」でも、国家運営をしている気になっていたのです。
子供手当を支給する前に、親の収入を増やすことが必要だったのです。しかし、政府がやったことは、親の収入を減らすための非正規社員政策でした。昨日書いた定年延長も「先送り」策です。構造改革という言葉だけは踊りますが、何もしていないのです。いや、「弥縫策」で傷口を大きくしているのです。
たとえ、弥縫策であっても、その犠牲者は出ます。皆を納得させ、丸く収める方法なんてありません。現に、非正規社員や女性や子供が犠牲になっています。誰かが犠牲になるのは仕方がないとしても、「先送り」と「弥縫策」は負の遺産を生むだけです。犠牲にされた人達にも浮かぶ瀬がありません。思い切った構造改革をして、一時的には犠牲者が出ても、取り返しがつくような方法を考えなければなりません。
今、求められているのは、新しい国の建設に匹敵するような構造改革です。
大正維新も、昭和維新も、平成維新もありませんでした。次の元号はまだ知りませんが、次の元号では、是非とも、維新を、構造改革を実行してもらいたいものです。
ただ、これは、簡単なことではありません。
構造改革の例を見てみましょう。
大胆な構造改革と言えば、明治維新です。あの時代の若者は、自分の命を失う覚悟で行動していたと思います。今の国家運営者にその覚悟はあるのでしょうか。それとも、老人は覚悟なんて持てないのでしょうか。これは、老害なのですか。
もしかすると、国家運営者の皆さんは、徳川幕府の老中になったつもりなのではありませんか。
今、この国に必要なのは、明治維新級の構造改革だと思います。それは、明治維新でも捨てきれなかった天皇制や封建制度を捨てることです。
過去に立脚した国家運営の方法が、国家運営者が自分の身を守ることを優先させた国家運営の方法が、間違っていたということです。
今の国家運営者がやっていることは、江戸末期の老中と酷似しています。
未来は、過去の延長線上にないことのほうが多いのです。
未来は想像力でしか見えません。しかし、たとえ、想像力を駆使したとしても、見えない未来もあるのです。特に、人口減少と国力の衰退は、予想もできないほど巨大な負の力を生み出します。私は、随分と極端な妄想を書いてきましたが、私にも妄想できない事態は多く起きると思います。
だったら、せめて、想像できることくらいには対処しなければなりません。
そんな主張が、どこからも聞こえないとすると、お先真っ暗だということです。


2019-03-03



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新しい貧困層を誕生させようとしている国 [評論]



私が社会人になった頃、定年は55歳でした。
それが60歳になり、65歳になり、今70歳が議論され、その先には75歳が、既に、予定されていると言われています。平均寿命が延び、老人が元気になったと言われていますが、どこまで、延長するのでしょうか。80歳ですか、85歳ですか、90歳でしょうか。いや、いっそ、100歳にしたいと考えているのかもしれません。「人生、100年時代」という言葉が、溢れていますが、この空気を作っているのは誰なのでしょう。

なぜ、今、定年延長が必要なのでしょう。
政府は、労働人口の減少を食い止めるためだと言います。国民の皆さんは、「ふむ、ふむ」と頷くのでしょう。しかし、少子高齢化に対応しなかった政府が、労働人口の減少を食い止めるという弥縫策を、まるで大義のように主張することは許されるのでしょうか。露ほども、自分達に責任があるとは思っていないように見えます。
しかし、定年延長は真の目的ではないのですから、気にしていません。政府が欲しいのは、大義という名の旗なのです。本当の目的は、年金支給開始年齢の先送りです。
良くも悪くも、辻褄合わせは官僚の基本技術です。年金支給年齢の先送りをするためには、定年の延長という辻褄合わせが、どうしても必要だったのです。
でも、一寸、待ってください。国民目線で見ると、別のものが見えてきます。
給料明細の保険料欄に抵抗を感じている人は多いと思います。それでも、誰もが保険料を払い続けてきたのです。年金支給年齢が、70歳になり、75歳になり、80歳になれば、多くの人が、年金を一度も受給することなく死亡することになります。では、何のために保険料を払い続けたのでしょう。相互扶助なのだから仕方がないと言われると思います。そう言われれば反論できません。でも、なんか、変です。
それは、保険料という名称が誤解を招いているのです。これからは、失業保険料は失業者援助税に、健康保険料は国民健康援助税に、年金保険料は老人支援税に、介護保険料は介護老人支援税という名称に変えて、税金だと割り切る必要がありそうです。もっとも、給料明細が税金のデパートになることを喜ばない政府は認めないでしょう。それでも、保険という要素がゼロではないとしても、税金という要素のほうが大きいと思います。
定年延長の動きは止まりません。
それは、財政破綻を回避するためには、他に選択肢がないからです。ここまで財政赤字を膨らませた責任は、少子高齢化を先送りし続け、経済政策という名目で財政赤字を膨らませ、甘い汁を吸っていた国家運営者にあるのではなく、国民にあると言っているようなものです。失言した大臣の弁明に多用されている「誤解を与えたとすれば・・・・」というやり方と同じです。悪いのは誤解した国民のほうであって自分ではないという弁明手法です。同じように、悪いのは景気対策を要求した国民なのだから、国民からは、いくらでも、搾り取れるだけ搾り取ってもいいという論理が優先します。やっていることは、昔の殿様や悪代官と同じです。ただし、これは永遠にできることではありませんので、国民が鼻血も出せなくなった時に終焉がやってきます。これが、四大災禍の財政問題です。
では、老人は、どの程度の仕事ができるのでしょう。
老人の私の実感として、体力は低下します。記憶力も低下します。何よりも「根気」が無くなります。同じことを続けることが苦痛になります。見栄を張りますが、個人的な感覚としては、60歳の私でもそれなりに対処できたのではないかと思っていますが、70歳は無理だと思います。もちろん、個人差がありますので、線引きは難しいのでしょうが、70歳定年は、問題があるように思えてなりません。老人の労働生産性は、かなり低いと思います。そんな老人に、企業はどれほどの給料を払ってくれるのでしょうか。日本企業の大部分は中小企業です。大企業や官公庁が、定年の延長に協力したとしても、中小企業が生産性の悪い老人を雇い続けるとは思えません。
では、定年延長が建前として認知された先には、何があるのでしょう。
新しい貧困層の誕生です。
貧困老人という名の、非正規社員よりも、さらに貧しい、平均年収100万円クラスの貧困層の誕生です。
そして、国全体が貧しくなっていきます。今は、非正規社員という貧困層が問題になっていますが、その制度の導入時点では、美辞麗句で飾られていて、国民は「ふむ、ふむ」と頷き、容認しました。私達は、また、同じことをしようとしているのです。
もちろん、定年を延長して、年金支給年齢を変更しないのであれば、労働力の確保という言い訳は成立します。私と違って、まだまだ、パワーを持っている老人はいると思いますので、全体としては、ほんの少しかもしれませんが、力にはなるものと思います。でも、既に、年金支給年齢の変更は、当たり前のように議論されています。いや、それこそが、本来の目的です。これほど「あからさまな」先送りを見たことがありません。官僚の皆さんも理由づけに苦労していると思います。
彼等は、定年が延長されれば、消費が増えると言っています。
年金が貰えて、その上、収入があるのであれば、消費は増えるかもしれません。でも、定年の延長と年金支給開始年齢の延長は、セットなのです。
労働力が確保できて、消費が増えて、その上、社会保障制度が安定する、夢のような対策だと言っています。
ほんとに、そうなのでしょうか。
そんな美味しい話があるとは思えません。
美味しい話というのは、大抵の場合、詐欺と相場は決まっています。
老人に高給を支払わないことは、今でも、常識になっています。年齢を重ねれば重ねるほど、給料は下がると考えておくべきです。働いて、バンバン消費して、悠々自適の生活を送りましょう、なんてことにはなりません。
収入の低い、年金のもらえない、老人が大量に生まれるだけです。
老人は、年金がもらえなければ、どんな悪条件でも働かなければなりません。長年、使い続けてきた体にもガタが来ています。病院とは縁が切れません。当然、社会保障費削減という今のトレンドは、医療費の自己負担の増加にもなり、可処分所得は減ります。いつ、動けなくなるかわかりませんので、年金支給年齢に達するまでの資金を確保するために節約をしなければなりません。そんな老人が、バンバン消費するでしょうか。
そうは思えません。貧困層が増えるということは、消費が減少するということのほうが現実的な見方だと思います。
人口が減少し、貧困にあえぐ国民が増加し、国力は着実に低下していきます。
美味しい話で、非正規社員を誕生させた政府は、今、また、貧困老人を誕生させようとしているのです。
これは、やはり、詐欺です。
老人は、どんな対応を取るのでしょう。
政府は、年金支給開始年齢を先送りすれば、年金会計は「何とかなる」と言っているようですが、そうは思えません。確かに、年金会計にとっては利益になりますが、老人は生活保護に横滑りすることになり、社会保障費全体では利益にはなりません。
老人は、生活保護という今でも厳しい生活を選択せざるをえなくなります。ただし、生活保護が今の延長線上にあると思ってはいけません。生活保護費だって、既に、削減トレンドに入っています。大量の老人を受け入れれば、そのトレンドは加速すると思います。既に、老人の生活保護受給者は全体の5割を超えていますが、老人と生活保護が同義語になる時代がきます。仮に、1000万人の老人が10万円の生活保護を受けるとすると、それだけで10兆円の税金が必要になります。そんな出費に、この国が耐えられるとは思えません。もちろん、餓死を選択するという道も残されています。あるいは、何年か前に提案した「国立姥捨て山施設」の建設が必要になるかもしれません。
もう、国民生活は壊れかけています。このままでは、間違いなく、崩壊します。
国民の皆さんは、どうして、この現実を、国民生活の崩壊を無視するのでしょう。
この国の皆さんは、確かに「いい人」ばかりです。「オレオレ詐欺」の被害に遭うほど「いい人」です。しかし、政府の詐欺は、老人全員を、いや、将来の老人を含む国民全員を騙そうとしているのです。「いい人」のままでいいのでしょうか。
どうして、「お上」の話を「ふむ、ふむ」と聞いているのでしょう。
これが、大人の対応というやつですか。
私には、理解できません。
国民の皆さん。
貧困にあえぐのは、皆さん自身であり、皆さんの子供や孫です。
若者にとって、定年なんて関係ないと思っているかもしれませんが、若者も老人になる日が必ず来るのです。他人事ではありません。国民全員の問題なのです。
どうして、声を出さないのか、不思議でなりません。
今、皆さんが歩いている道は、地獄へ続く一本道です。
目を醒まして、周囲を見てください。
歩いている道は、続いていますか。
この先で、道が途切れているのが見えませんか。
皆さんが抱えている将来不安は、その道が見えないからだと思いませんか。
確かに、途切れている道の先は見えません。
だったら、この道の先にあるものを、想像してください。
そこにあるのは、断崖絶壁であり、その下は地獄なのです。
これ以上、前に進んではいけません。
立ち止まるしか、ないのです。
なぜ、こんなことになってしまったのか、を考える時です。
救われる道を探す時です。
では、何か方法はあるのでしょうか。
ありません。
手遅れなのですから、どうすることも出来ませんが、それでも、足掻く時だと思います。私達には足掻くことくらいしか出来ませんが、無駄にはならないと思います。
私は、将来のことばかり書いています。
それは、不都合な事態が起きた場合、大抵、時間が無くなっているものです。
ですから、時間がある間に、その対処をお勧めしているのです。
そして、これが、国家運営の仕事だと思っています。
もちろん、万全の対策なんてものは存在しません。それでも、痛みを和らげることは、出来るかもしれません。
今起きている定年延長という動きは、少子高齢化に対処できなかった結果です。
では、何もしなかった政府を、この国家運営の方法を、今後も続けていくのですか。
手遅れではありますが、先ずは、国家運営の新しい形を見つける必要があるのではないかと思います。
「毒を食らわば皿まで」という言葉があります。百歩譲って、私達が毒を食べたことは仕方ありませんが、皿まで食べてはいけません。私達大人は、毒を食べました。でも、子供達には毒を食べさせてはいけないのではないでしょうか。今の国民の生活が守れないことは明らかになりつつありますが、せめて、将来の国民の生活を守るための仕事をするべきだと思います。
そのためには、どうしても「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義が必要になります。その定義に従って、これまでの国家運営を総括し、新しい方法を構築しなければなりません。少なくも、今のままでいいとは思えないのです。
では、現在、国家運営を担当している皆さんは、今、何をしているのでしょう。
この国の課題は、森友問題なのですか、不正統計問題なのですか。
違うと思います。
この国の課題は、「子供を守るか、子供達も巻き添えにするのか」という問題です。
でも、そんな議論は、どこからも聞こえてきません。
私達は、子供達を巻き込んで、地獄へ堕ちようとしているのです。

もう、何年も前から「自分さえよければ」という潮流が生まれていると書いてきましたが、これは、世界的な潮流である前に、この国の潮流でもあります。
国家運営者が、「自分さえよければ」を平然と臆面もなくやってきて、「自分さえよければ」が認知されるようになり、国民も「自分さえよければ」に抵抗を感じなくなり、当たり前のように、誰もが「自分さえよければ」を実践するようになりました。
その「自分さえよければ」の犠牲になっているのが、弱者である子供達です。児童虐待のニュースが後を絶ちません。これは、社会への警告だと思う必要があります。
今の老人は、多いか少ないかという違いはありますが、貯金もあり年金もあるという老人が多く、まだ、弱者ではありませんが、貯金もなく、年金もない老人が増えますので、老人層が全体として弱者になる時期も遠い将来の話ではありません。
国に見放され、家族にも見放される老人が、大量に生まれる時代がやってきます。
国家運営者がやっていることは、そのための作業なのではないでしょうか。
そんな社会になって、若者は夢や希望を持てるのでしょうか。
生き残った若者は、一人の例外もなく老人になるのです。
彼等の目に見えるのは、生活に喘ぐ老人の姿です。自分達の将来の姿が、そこにあるのです。活力のある社会になるという予測はできません。それだけではありません。社会がストレスの坩堝になることは必定です。「何でもあり」の社会になります。そんな社会で犠牲になるのは弱者です。しかし、弱者は比較論から生まれる存在ですから、消滅することはありません。常に、新しい弱者が生まれるのです。
弱者が犠牲になるのは、人間社会の宿命です。いや、生物の宿命だと言えます。
ですから、「仕方ない」と言うことはできます。
だったら、国家運営システムなんて、必要ないのではないでしょうか。
人間に理性など必要ないのではないでしょうか。
「自分さえよければ」を突き詰めていけば、弱肉強食の世界になるしかありません。
確かに、人間も動物ですから、それでいいのかもしれません。
しかし、人間の「欲」は他の動物に比べて、強大な「欲」ですから、自滅への道を辿る可能性も否定できません。
私達は、そういう社会を作ろうとしているように思えてなりません。

どうして、誰も、こういう議論をしないのでしょう。
国家運営者達が、国権の最高機関と言われる国会議事堂で議論をしているのは、森友・加計に続き、統計問題です。
重箱の隅って、そんなに居心地がいい場所なのでしょうか。
多分、「大人の対応」とやらを信仰している人には、「青臭い」と言われるでしょう。「まあ、まあ、理想論はやめときましょう」と言われるかもしれません。
地獄に堕ちた時に、同じことが言えるのでしょうか。
ほんとに、「なあ、なあ」「まあ、まあ」でいいのでしょうか。
辛気臭いかもしれませんが、議論するしかないと思います。
もちろん、議論したからと言って、解決策が見つかる保証はありません。
でも、議論さえしないのであれば、何も見つかりません。
99.9%の確率で、この国はドツボに嵌ります。なぜなら、私達が、私達が選んだ国家運営者達が、自分の手でその穴を掘っているからです。国民の皆さんは、薄々と、そのことに気付いています。皆さんが持っている漠然とした将来不安は、間違いなく、実現するのです。将来不安の実態は、財政、人口、戦争、災害という四大災禍です。今のまま、眠ったまま、あの世に行けるのであればいいのですが、そうはいきません。苦しみ抜いたうえで、あの世に旅立つことになります。尚、これは自業自得ですから、怒りをぶつける相手はいません。

今、起きていることは雨粒と同じです。
雨粒は集まって川になります。
そして、川の流れは大地をも削ります。


2019-03-02



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私達、もう、お腹、いっぱいです [評論]



最近、ごく一部で、「日本会議」の増殖が危惧されています。
ごく一部というのは、前川喜平氏のことです。
以前に、「日本会議」の危険性については、私も書いたことがありますが、前川喜平氏が天皇制と教育勅語を批判的に書いています。
いろいろな意見はあるでしょうが、「日本会議」の増殖を心配する前川氏の主張には、私も同意します。
先月、「自分さえよければ」という世界潮流について書きましたが、「自分さえよければ」は右傾化とも親和性があり、「日本会議」にとっては追い風が吹き始めたと喜ばれているかもしれません。世界の右傾化が顕著になれば、日本も、天皇制に回帰する可能性があります。そういう意味では、「日本会議」は時代の先端に躍り出たのかもしれません。
しかし、「日本会議」も天皇制も、国民にとっては危険です。
ただ、国民は、そのことに気付いていません。
それは、国民が眠り続けていることが主因ですが、民主国家でないことも起因しています。
この国には、「民主主義とは」という確固たる定義がありません。
あるのは、曖昧とした「民主主義もどき」です。
ただ、平穏な日々が続く限り、曖昧な民主主義でも問題はありません。
民主主義ほど不完全なものはありません。いや、欠陥だらけだと言っても過言ではないと思います。ですから、常時、その運営と補修には細心の注意が必要なのだと思います。
私は、何度も、この国には、言葉の定義が必要だと書いていますが、「これが、定義だ!!!」というものを書いたことがありません。誰一人、定義が必要だと言っていませんので、「これが、定義だ!!!」と言っても、マスターベーションにしかならないからです。今は、定義がないことによる不利益を書くことが、求められているのだと思っています。「仮に、・・・・が定義だとすると」という書き方しかしていません。
そこで、今日も、「民主主義とは」の定義の一丁目一番地として、最も重要なものは「国民生活」だと仮定してみます。
異論のある方もいると思いますので、議論が必要になりますが、多くの国民は受け入れてくれるのではないか思います。もちろん、断定ではありません。これは、国民にも大きな責務があることを認めることでもありますので、国民のコンセンサスが得られることが一番だと思います。
先月、四大災禍による犠牲者数を、独断と偏見だけで、書きました。余りにも大きな数字でしたから、誰も信用していないと思いますが、1/10であっても、1/100であっても、大変なことです。国民生活は、ズタズタにされます。そうならないようにすることが、民主主義社会の、国と国民の、仕事だと思います。
私達日本人は、文化の「ごった煮」が好きです。神様だけでも、「八百万の神様」が併存している国です。ですから、民主主義風王政並立封建制度であっても、別に不思議だとは思いません。先ほども書きましたが、平穏無事であれば、何の問題もありません。国民生活が最優先でなくても、それほど痛痒は感じていません。しかも、権力者には、最後の砦として「自己責任」という宝刀がありますので、それを突き付けられたら、国民は、「貧困を何とかしろ」「国民を守れ」と大声を出すことは憚れます。もちろん、国民一人一人の努力が不要だと言っているのではありません。ただ、四大災禍のような大きな災いを防ぐ仕事は、個人にはできないと思います。このままでは、誰も責任を感じることもなく、ずるずると、なし崩しで、地獄に落ちる危険が非常に高いと思います。
「ごった煮」が好きなのであれば、その「ごった煮」の中に、国家統治システムだけは定義が必要だという食材を入れても問題はないのではないかと思います。
私が、度々書いている、民主主義風王政並立封建制度の、民主主義風の「風」は、「もどき」という意味です。
「かにかま」という食材がありますが、あれは、「蟹」の風味をつけた「かまぼこ」であり、「蟹」ではありません。日本の民主主義は、「国民生活を大事にする」という風味はつけられていますが、「お上」のご意向が優先する「封建制度」なのです。
とても、国民生活最優先だとは言えません。
しかも、民主主義風王政並立封建制度の中では、天皇制が完全否定されていないという現実があります。天皇制は、民主主義制度なのでしょうか。それとも、封建制度なのでしょうか。少なくとも、民主主義制度ではないと思います。なぜなら、国民ではなく、天皇が優先されるからです。敗戦後、それまで天皇制の国に住んでいた人達が天皇制を否定するのは難しかったと思いますので、現行憲法を否定するつもりはありません。当時としては、ギリギリの妥協だったと思います。
しかし、今、憲法改正が議論になっている中で、民主国家の憲法という視点がないのは、なぜなのでしょう。自民党が言う自主憲法とは、天皇制の復活なのでしょうか。
では、国民の皆さんは、天皇制に復帰したいと願っているのでしょうか。「天皇陛下、万歳」と叫んで銃火の中へ飛び込みたいのでしょうか。「天皇陛下、万歳」と叫んで、崖から飛び降りたいと思っているのでしょうか。
現行憲法の、第一章第一条は、天皇条項です。現行憲法の一丁目一番地は、今でも天皇なのです。なぜ、それを変えようとはしないのでしょう。この国は、国民生活よりも天皇のほうが大事な国だと宣言しているのです。改憲論者も護憲論者も、その事には触れません。「象徴」という曖昧な言葉で、胡麻化しているだけです。なぜ、憲法の第一条に、この国の主権者は国民である、と書けないのでしょう。そこにあるのは、「なあ、なあ」「まあ、まあ」なのではないでしょうか。
自民党の政治家の大部分が、天皇制を理想としている「日本会議」の会員なのですから、仕方がないとしても、野党の皆さんが一丁目一番地を無視するのは変です。
つまり、政治家の皆さんは、誰一人、国民生活が最優先だとは思っていないということなのではありませんか。もっと言えば、国民は、自分の生活よりも「お上」のご意向が優先すると考えているということです。だったら、封建時代と何が違うのでしょう。この封建制度を支えているのは、実は、「ふむ、ふむ」と頷いている国民なのではありませんか。
それでも、最終責任を取らされるのは、国民の皆さんです。

私は、民主主義国家になるためには、教育が必要だと書いています。
別に珍しい主張ではありません。
では、子供達が「国とは、国民とは、民主主義とは」という議論をする習慣を持つような教育は存在していたのでしょうか。
いいえ、戦後70年間、そんな教育はありませんでした。
自民党も、教育行政が大切であることを熟知しています。特に、安倍さんは教育改革に熱心だと言われています。その、安倍式教育改革の目的である天皇制の亡霊が少しずつ見えてきて、その目的に反対する前川氏のような人が出る状況が生まれているのです。前川氏の文章は長文ですから、紹介はしませんが、天皇制と教育勅語の危険性を指摘しています。
国内では、安倍さんを右翼と呼ぶ人は少ないと思いますが、海外では右翼だと言われています。それは、安倍さんが「日本会議」という右翼団体の会員だからです。そんな安倍さんと「日本会議」がやっているのは、天皇制に回帰する権力闘争です。天皇制では、国民主権など害になるだけです。私達は、生命も財産も、天皇の後ろに隠れている右翼団体に捧げなければなりません。
では、「日本会議」という団体は、どんな団体なのでしょう。
「日本会議」は、神社の利益のために生まれた団体です。
かつての天皇制時代には、神社は大きな利権を持っていました。敗戦で失った利権の復活をするためには、天皇制に復帰するしかありません。
もっとも、今では、天皇というご本尊を掲げた、宗教団体だと言ったほうが正しいと思います。ただ、ご本尊に祭り上げられた天皇は困っているものと推察します。
人間も、団体も、国も、宗教も利益で動くのです。
例えば、労働組合は労働者の利益のために、経団連は大企業の利益のために、創価学会は公明党の利益のために活動しています。ですから、「日本会議」が神社の利益のために活動することには問題はありません。問題は、「日本会議」が国家運営に影響を与え、国家運営に参画し、国家運営に侵食することで団体の利益にしようとしていることです。
政治家にとっては、天皇という錦旗を挙げておけば、好きなことが出来るという利益があります。自民党の権力者が「日本会議」の会員であれば、若手政治家も「日本会議」の趣旨に賛同することで利益が得られます。自民党の多くの議員が「日本会議」の会員になっているのは、助平根性が結合した結果なのです。そこにも国民生活という視点はありません。
この1000年、天皇家は権力に利用され続けてきました。それが、天皇家の歴史であり、存在価値です。それを、「日本会議」は伝統と呼んでいます。「伝統」という言葉を使えば、「良き伝統」だと思い込みがちですが、「悪しき伝統」だってあるのです。
そろそろ、権力のために天皇を利用するのはやめるべきだと思います。
国民生活を最優先にして、国民に何か不都合があるのでしょうか。
利権団体に不都合があるから、この国は、国民生活最優先になっていないのではありませんか。神社の利権よりも、国民の生活のほうが大事だと思います。

私は、天皇制には反対ですが、平成天皇は尊敬しています。死者を弔い、被災者に寄り添う、あの空気は、よほどの覚悟がなければ生み出せません。「天皇陛下、万歳」と叫んで死んでいった国民に、一番、「申し訳ない」と思っているのは昭和天皇であり平成天皇だと思います。天皇のあの笑顔には、贖罪の気持ちがあるように感じるのです。国に安寧あれ、国民に幸せあれ、と願っている気持ちは本物だと思います。しかし、2000年前とは違い、今は、個人の人格で国家運営ができる時代ではありません。「日本会議」に天皇家を大切に思う気持ちが、ほんとうに、あるのであれば、天皇を傀儡にするのではなく、国家運営とは切り離し、文化遺産として天皇家を敬い、守っていくことだと思います。平成天皇も、それを望んでいると思いますし、国民生活が最優先だと知っていると思います。
天皇は、天皇を利用して権力を得ようとしている、自称「天皇崇拝者」のことを苦々しく思っているのではないかと推察します。二度と、「天皇陛下、万歳」と叫んで死地に飛び出していく国民を作りたくないと思っているでしょう。もしも、天皇が天皇制を求めているとすると、平成天皇の一生は自己矛盾になってしまいます。「あの贖罪の気持ちは、何だったのか」と言われることは、耐えがたいことだと思います。天皇は政治的発言ができませんから、いや、政治的であってはならないと考えているでしょうから、直接的な発言は出来ません。しかし、「日本会議」の危険は知っています。ですから、天皇制復活に警鐘を鳴らすために退位を表明したのではないかと以前に書いたことがありますが、今でもそう思っています。天皇は、「日本会議」が自己都合による天皇の退位は許せないと言っていることを知っているものと思います。「日本会議」にとっての天皇は、あくまでも、傀儡なのですから、傀儡の自己主張など許せないのです。「日本会議」は、すでに、宗教になっています。それは、天皇よりも、教義が優先していることで証明されています。宗教を相手にする時に難しいのは、信者と議論が出来ないことです。宗教には絶対性が不可欠ですから、その絶対性は譲ることができませんから、議論は平行線になるしかありません。天皇は、体力を振り絞って、行動で示したのではないかと思っています。天皇退位の表明は、平成天皇にとっての玉音放送だったのではないでしょうか。

国は、国民の愛国心を必要とします。それは、人間社会から戦争が無くならないという現実があるからです。世界中のあらゆる国の全ての国民は、戦争を望んでいません。それでも、戦争はなくならないのです。性善説が日常になっている日本では、平和的な話し合いで戦争を無くそう、と主張する人達がいます。無理です。それは、私達人間が「欲」の塊でできているからです。世界は、性善説で動いているわけではありません。
アメリカは「自由」を旗印とし、中国は「反日」を旗印として、国民の愛国心を醸成する教育をしてきました。「日本会議」が心配する日本の愛国心教育の欠落は間違っていません。しかし、それを、「天皇陛下、万歳」で実現しようとしているのは、間違いだと思います。民主国家になり、自分のため、家族のため、地域のため、そして、国のために戦うという愛国心を醸成することが必要なのだと思います。「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義があれば、国民の責務として「国を守る」ことは欠かせないと思います。国民のために国があるのであれば、その国を守るしかありません。
「日本会議」の信仰が、この国を侵食しようとしているという前川氏の主張は間違っていないと思います。前川氏は、学校の道徳の時間に「教育勅語」が採用される危険があると警鐘を鳴らしています。森友学園が世間を騒がせましたが、あの森友学園の幼稚園では、園児に「教育勅語」を暗唱させていました。森友さんは、「日本会議」の会員なのですから、不思議ではありません。園児達の暗唱を聞いた総理夫人は「素晴らしいことだ」と絶賛したそうです。夫人は、自分の夫が「日本会議」の重要会員であることを熟知していたものと思います。でも、国民は、戦前のような弾圧を認め、自分の命を天皇に捧げたいと考えているのでしょうか。そうは、思っていません。しかし、教育勅語で教育を受けた子供達が大人になった時は、天皇を崇拝する危険があります。そのことは、既に、歴史が証明済みです。
私達は、あの第二次世界大戦を、その敗戦を、70年間、総括していません。
「天皇陛下、万歳」と叫んで死んでいった兵士や、「天皇陛下、万歳」と叫んで崖から飛び降りた民間人は、何のために死を選んだのか。敗戦を認めるのが、どうして、あのように遅れてしまったのか。広島や長崎や沖縄の犠牲者は必要だったのか。あらゆることが曖昧なまま放置されてきました。
しかし、これは、どう考えても、天皇制の負の遺産だと思うしかありません。
「皇国日本は不滅」「一億玉砕」を叫んでいた軍人は、天皇制という宗教に洗脳されていたのです。
昭和天皇が、玉音放送を強行したことだけが救いです。昭和天皇は、「天皇陛下、万歳」と叫んで死んでいった多くの国民に責任を感じていたのではないでしょうか。その気持ちを引き継いだ平成天皇が慰霊の旅を続けたのも、必然だったように思います。
私達は、また、同じことをするのですか。
国民の皆さんは、神社の利権のために、ご自分の命を、子供達の命を、捧げることを望むのでしょうか。
宗教に、国を明け渡してはいけないと思います。
なぜなら、この世に絶対正義など存在しないからです。
私達は、騙し騙し、民主主義と付き合っていくしか道はないと思います。
国は、宗教の教義を守るために存在しているのではありません。国は、国民のために、国民生活のために存在しているのです。
四大災禍だけで、お腹一杯です。
私達は、この上に、宗教という災禍を食べるゆとりはありません。


余談です。
これは、「日本会議」とは直接関係がないのかもしれませんが、特定の女性に、注文していない商品が着払いで送られてくる被害が出ています。従来の送り付け詐欺ではなく、「いやがらせ」だと言われています。その特定の女性というのは、地方議員や弁護士で、右傾化が始まっている現体制に批判的な意見を持っている人達のようです。そういう人を狙い撃ちにしているということは、犯人は右翼思想を崇拝する体制擁護派の人だと推定できます。ある地方議員は、前川喜平氏の講演会の司会をしてから被害に遭うようになりました。犯人は特定されていませんが、通販カタログにある注文葉書を使って送り付けていたようです。と言うことは、犯人は、「お上」に逆らう女性を特定し、その名前と住所と電話番号を調べたということです。怖いことです。犯人にとっては、自分の正義を主張しているつもりなのでしょうが、自分と違う声を出す人を抹殺したいと思いこんでいることは怖いことです。天皇制の時代でも、体制に対して批判的な人を「非国民」と呼び、体制に媚びる市民は多かったと聞きます。すでに、同じ現象が起きているとすると、病状は重くなっていると考える必要があり、このような空気が生まれていることと、その空気に汚染されている人がいることは大変危険なことだと思います。葉書が投函されているのが、安倍総理の地元である山口のようですが、「日本会議」と関係があることは証明されていません。天皇制になれば、前川氏は国賊扱いになり、その講演会の司会を務めた議員も国賊になるのでしょう。こんな文章を書いている石田は、押しも押されもしない国賊です。こんな文章が書けるのは、弱小ブログの強みです。決して、真似をしないようにお願いしておきます。


2019-03-01



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国民の大半が将来不安の中で生活している国 [評論]



今日は、ロイターの記事を紹介します。


[ダボス(スイス) 21日 ロイター] - PR会社のエデルマンが世界経済フォーラム(WEF)年次総会(ダボス会議)の開幕に先立ち発表した信頼度調査「エデルマン・トラストバロメーター」によると、自分の会社を信頼しているとの回答が、自国の政府を信頼しているとの回答を大幅に上回った。
調査は27カ国の3万3000人以上を対象に昨年10月19日から11月16日にかけて実施した。
経済・政治・社会制度が自分にとって望ましい状況にあるとの回答は約20%。貿易摩擦が自分の会社に悪影響を及ぼしており、自分の職が脅威にさらされていると回答は、全体の60%近くに達した。
先進国では、先行きに悲観的な見方が目立った。「5年後に自分の生活が豊かになっているとは思わない」との回答が最も多かったのは日本で、「知識層」を除く一般人の84%が、豊かになっているとは思わないと答えた(知識層は所得が平均を上回り、定期的にニュースを視聴している大卒者)。フランス(79%)、ドイツ(74%)、英国(72%)が後に続いた。27カ国の平均は49%だった。
「自分の会社を信頼している」との回答は75%、「自国の政府を信頼している」との回答は48%、「メディアを信頼している」との回答は47%だった。
エデルマンのリチャード・エデルマン最高経営責任者(CEO)はロイターに「世界にはリーダーシップが欠けており、企業のCEOが存在感を発揮して、個人的な責務を果たし、絶対にこの穴を埋めるべきだ」と述べた。
先行きに楽観的な見方が多かったのは米国で、一般人の半数近くが「5年後に自分の生活が豊かになっている」と回答。知識層では62%が豊かになっていると答えた。
エデルマン氏は、米国の調査結果について「株式市場は非常に好調で、富裕層向けの減税や規制緩和が行われている。エリートにとっては非常に良い環境だ」と指摘した。



この調査は、政府を信頼するか、自分の会社を信頼するか、という趣旨で行われたと思いますが、勝手に、そのデータだけを取り上げてみます。
「5年後に自分の生活が豊かになっているとは思わない」との回答が最も多かったのは日本で、一般人の84%が、豊かになっているとは思わないと答えた、とあります。27カ国の平均が49%ですから、随分、悲観的な結果です。
アメリカが悲観的になるのは、もう少し先になりますが、先進国は総じて悲観的になっています。今は、そういう時代なのです。先進国は、この現実を見ていながら、見ないふりをして、やり過ごそうとしています。没落の始まりは、夢にすがり、現実逃避をするところにあるのではないでしょうか。新しい世界潮流は「自分さえよければ」という考え方だと書きましたが、その潮流の中には「今さえよければ」も入っているように見えます。
日本の皆さんは、自分たちの不安が「世界一」だと知っているのでしょうか。
私達は、「世界一」の称号をいろいろと持っています。借金も世界一、少子高齢化も世界一、国力衰退も世界一です。好ましくない分野の世界一でも、世界一を誇りにすべきなのでしょうか。「なんか、ちがう」と思います。
この調査は、現実を反映していないのでしょうか。
嘘八百、でっち上げなのでしょうか。
少なくとも、私は、これが現実だと思っています。
私は、いつも、国民は将来不安を持っていると書いていますが、素人ですから、データで証明したことはありません。でも、この84%という数字は、そのことを証明しているのではないでしょうか。
この調査の設問では、5年後の自分を想像した時のことが質問されていますが、では、10年後、20年後の質問をしたら、どんな答えが返って来るでしょう。
「わからないが、生活が良くなっているという想像は、とても、できない」と答える人が94%かもしれません。
では、皆さんの子供達は、30年後、豊かな生活をしているでしょうか、と質問されたら、どんな答えが返って来るでしょう。
「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅん」という答えが返って来るのではないかと想像します。
では、この状況は一時的なもの過ぎず、好転する見込みはあるのでしょうか。
そんな話は、聞いたことがありません。
もちろん、私達が住んでいるのは、建前が横行し、明るい話が優先される社会ですから、「なんとかなる」という話を聞きますが、実現可能と思われるような話を聞いたことがありません。どれも、「なあ、なあ」や「まあ、まあ」の話ばかりだと思います。「確かに、どうなるかわかんないけど、とりあえず、明るい話をしとこうじゃないか」と思っているのではないでしょうか。
今のトレンドが反転する、実現可能な、兆しは見えていないということです。
それも、国民不安の一つです。
「なんとかなる」と思っていた人も、「なんともならない、かもしれない」と思い始めているかもしれません。
政府は、墓穴を掘ることになるのが明白ですから、こんな調査はしませんが、民間では、この調査に近い調査はやっています。前に紹介した老後資金に対する意識調査もそうです。
たとえ、建前だけの民主国家であっても、主権者の国民が不安を持っているのです。
国民不安を軽視する国が、国民主権国家なのでしょうか。
ここに、多くの疑問が埋まっています。
国民生活を守る使命を持っている政府が、この現実を無視していていいのでしょうか。
「国民の大半が将来不安の中で生活している」という主張は、デマに過ぎないのでしょうか。
建前とか、大人の対応とか、明るい話優先論は、いつの世でも前面に押し出されます。では、暗い現実を無視し、砂に埋もれている宝石のような明るい話だけをしていれば、万事うまくいくのでしょうか。
「暗い話ばかりを掘り出していて、そんなことしていて、楽しいのか」と言われるかもしれませんが、暗い話のほうが多いのは事実なのではないでしょうか。
たとえ、国民が、財政・人口・戦争・災害という四大災禍を意識していないとしても、「何となく、ヤバい」という意識は、持っているのではないでしょうか。
逆に、「何の心配もない」と思っている人は、どれほどいるのでしょうか。1%もいないのではないでしょうか。
国民の意識調査をし、どうすれば国民の不安を払拭できるのかを議論すべきなのではないでしょうか。民主国家であれば、主権者である国民の生活が最優先事項だと思うのですが、そうではないのでしょうか。
ずるずると、なし崩し方式で崩壊することが正解なのでしょうか。
いいえ。
今の国家運営が間違っているのです。
厚労省の不手際で、データの信頼性が疑われていることは無視しておきますが、調査結果やデータの数字は、「ふむ、ふむ」で終われば、何の意味もありません。
その数字は、「なぜ」「どうして」「なにが」という目で見る必要があり、「不安」という想像の中身は、どんな不安なのかを追求し、その「不安」を和らげる方策を探し、実行して、初めて数字が意味を持つのではないでしょうか。それこそが、政府の仕事です。私達は、そのために税金を納めているのです。
国民の大半が不安に思っているのであれば、国そのものが不安を抱えているということです。国家運営者が無視していいような話ではありません。
もっとも、「国とは、国家運営とは」という定義がありませんので、「不安を解消しろ」と要求する根拠はありませんが、放置していていいとは思えません。
でも、現実は、放置されたままです。
国家運営者の皆さんは、「いろいろな方策を模索し実施しているけど、特効薬はないのだ」と言うかもしれません。
確かに、誰一人犠牲になることなく、丸く収める方法はないと思います。
だったら、そのことを認めるしかありません。
今、私達の国は、ジリ貧街道まっしぐらです。それは、丸く収める方法がないからと言い訳しながら、何もしようとしていないからです。
たとえば、限られた食糧しか残されていない状況なのであれば、何を、誰を、優先するのかという選択を迫られている状態だと思います。空腹に耐えてもらわなければならない人も出てきます。その決断をするためには、空腹に耐えている人達を救うために、食糧増産のためのあらゆる手段を取っていなければなりません。それが、国のシステムそのものを変える構造改革だと思います。構造改革をせずに、丸く収めようというのは虫が良すぎると思います。
国家運営者の皆さんは、既存のシステムを守ることを前提に考えています。
いや、既存のシステムにこそ、自分の利益はあると考えているようにみえます。
もう、その段階は越えていると思います。
既に、国民生活は守られていません。
この先は、もっと、追い詰められると思います。
確かに、人間は、納得していなくても、耐久力があるものです。
いや、耐えるしかないと思っているのです。
それは、北朝鮮やアフリカの国々の国民を見ていると、よくわかります。
でも、国民が我慢してくれているのだから、それでいいということではありません。
国は国の責務を、国民は国民の責務を果たす必要があると思います。
やはり、定義が欠如していることが、致命傷だと思います。



余談です。
統計データの信頼性を揺るがす厚労省の失態が表面化しています。
以前に、財務省の公文書改竄問題の時にも書きましたが、公文書が絶対正義だと考えるほうが間違っていると思います。それは、あくまでも、建前です。改竄は日常的に行われています。統計データでも同じです。規則に反していたと言われていますが、そんなことは、日常的に行われていると考えなければなりません。
「お上」を盲目的に信用することが間違っているのです。
政治家も官僚も、犯罪に手を染めることもありますし、間違いを犯すこともあります。その点では、一般国民と同じなのです。いや、欲深さでは彼等のほうがはるかに欲深いのですから、彼等のほうが危険です。「お上」は神でもなければ、スーパーマンでもありません。その前提に立って制度設計をしなければならなかったのです。封建制度を卒業しなければなりませんし、性善説による制度は見直さなければなりません。そもそも、人間は「悪さ」をする生き物であり、間違いを犯すものです。
この世に、絶対がないことを前提にするしか、方法はないと思います。
私は、直感を推奨していますが、その直感だって当てにはなりません。
「お上」の公文書も、統計データも、人間の直感も、不完全なのです。
完璧はありません。
しかし、人間社会では、バックアップシステムは不可欠だと思います。
直感で国家を運営することを推奨するつもりはありませんが、せめて、そのバックアップシステムは直感を基に構築して欲しいと思います。
もちろん、直感には、科学的根拠も説得力もありませんので、どの直感を採用するかは難しい問題ですが、そこは、知恵を絞るしかありません。まだ、その方法は見つかっていませんが、必要になる時が来ると思います。


2019-02-05



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アメリカの賞味期限を延長するのは誰か [評論]



昨日書いた「アメリカの賞味期限は切れているのでは」の補足を書きます。
アメリカの賞味期限が切れるまで、あと、10年だと書きました。
その賞味期限切れを延長する方法は一つしかないと書きました。
賞味期限を先送りするためには、10年以内に、戦争が不可欠であると書きました。この10年という数字は私の独断ですが、中には5年以内と言う人もいれば、既に、開戦の時期は失っていると言う人もいます。実際には、やってみなくてはわかりません。それでも、10年先に決断していたのでは、戦争に勝つ可能性は非常に少なくなります。
アメリカの場合、特に外交に関しては、大統領権限は絶大ですから、誰が次期大統領になるかで、占うことができます。
中国に宣戦布告をする大統領は出現するのでしょうか。
出現するとすれば、それは、誰なのでしょう。
今回は、将来予測でも想像でもありません。
妄想の領域をも超えた、占いの世界の話です。

次期大統領選挙は、2020年11月3日ですが、既に、次期大統領選挙の運動は始まっていると言われています。
今年3月以降、本格化するとも言われています。
トランプの準備は、万全だと言われています。
民主党から強力な候補が出てこない限り、現状を大きく変える事態が生じない限り、トランプが再選される公算は高いと言われています。
アメリカの大統領選挙は、共和党と民主党という二大政党の一騎打ちです。
共和党内で、トランプと予備選を戦いたいと考えている人はいないと言われています。ですから、共和党の次期大統領の候補者は、トランプになるでしょう。
では、民主党の次期大統領候補者はどんな人達なのでしょう。
本命と言われる候補者がいません。
と言うことは、民主党支持者は一枚岩にはなれないということです。
このことは、誰が予備選を勝ち抜いたとしても、強力な候補者にはなれないということです。
現在、メディアで名前が出ている人を挙げてみましょう。
ジョー・バイデン(75)     前副大統領
ヒラリー・クリントン(71)   前回の大統領選挙の候補者
バーニー・サンダース(77)   前回の民主党予備選挙の候補者
ミシェル・オバマ(54)     前大統領の夫人
マイケル・ブルームバーグ(76) 前ニューヨーク市長
エリザベス・ウォーレン(69)  トランプに対する噛み付き亀で有名な上院議員
オブラ・ウィンフリー(64)   人気女優
ジョー・ケネディ(38)     ケネディ家の御曹司 
ここに挙げた人達だけではなく、マスコミでは多くの名前が挙がっています。
これは、マスコミによる観測ですから、この中から何人の人が立候補するのかは不明ですし、名前の挙がっていない自薦他薦の人が出馬するでしょうから、全貌が見えたわけではありませんが、この中に、マスコミから「トランプにとって、脅威になる」と言われている人はいません。もちろん、下馬評だけで選挙結果が決まる訳ではありませんが、現実的には、トランプ再選が一般的な評価のようです。
今日のテーマは、誰が、中国に宣戦布告をするのか、というものです。
少なくとも、トランプは宣戦布告をしないと思います。
実際に、出馬を表明して、政策を発表しなくてはわかりませんが、米中戦争を表明する民主党候補者がいるようには見えません。
民主党は、これまでと同じ大統領選挙をやろうとしています。
前回の大統領選挙で、トランプが勝利したということは、時代は変わっているということです。そんな時代に、従来のような選挙を考えていたのでは勝てません。それは、想像力が欠落しているということであり、アメリカの賞味期限というテーマが抜け落ちているように見えます。トランプ政治に対する危機感はあっても、アメリカの置かれている立場への危機感はないようにみえます。たとえ、大統領選挙に勝利したとしても、アメリカの没落は防ぐことが出来ません。
もしも、「10年以内に、アメリカの賞味期限は切れる」という主張が正しいとすると、アメリカが置かれている立場を理解している大統領候補者はいない、ということです。もちろん、この主張は、ごく少数の人の主張ですから、その通りになるという可能性は低いかもしれません。しかし、その危険性は排除できません。
このことは、これからの6年間は、米中戦争は始まらないということです。
では、残された4年で、実現するのでしょうか。
その可能性も、低いと思います。
アメリカ政界に、中国脅威論は認知されていると言われていますが、その脅威論は、脅威に過ぎず、危機論にまでは育っていないと思わねばなりません。
と言うことは、中国の世界制覇は、決して、夢なんかではないということです。
ただ、誰かが、今、目の前にある危機に気付いて、大声を出す可能性は残っています。
それは、天啓みたいなものですから、当てにできないとすると、アメリカは世界覇権を手放す公算が高いということです。
天啓は、混乱の中から生まれるとすると、アメリカ政界に波乱が起きて、本気で将来を心配する人が出てくる状況が生まれなければならないのかもしれません。
そこで、先程挙げた、現状を大きく変える事態が生じた時を想定してみます。
共和党議員がトランプを見限らないとすると、トランプ弾劾は成功しません。ですから、これは、もしも、仮に、という想定です。トランプが「もう、やってられねえ」というかもしれません。トランプが任期途中で辞職した時を想定してみます。
その時は、ペンス副大統領が、暫定的に、残りの任期に限り、大統領になります。
トランプは、出馬できませんので、共和党でも予備選が行われます。
大統領になりたいと思っている人は大勢いますので、いろいろな方が手を挙げるでしょう。
ただ、その時は、民主党候補者と同じで、強力な候補者が出てくるとは思えません。
ただ、一人、気になる方がいます。
それは、ニッキー・ヘイリー前国連大使です。彼女がどんな人物で、どんな政策を持っているのかは知りません。国連で攻撃的な演説をしていた姿が印象に残っていて、彼女であれば「中国と戦争する」と言い出しても不思議ではないと思ったのです。
今のアメリカ国民にとって、受け入れやすい大統領は、白人ではない女性候補だと言う方がいます。ヘイリー前国連大使は、インド系のアメリカ人女性です。州知事を6年間やった実績も持っています。トランプと意見が合わなかったという評価もありませんでしたが、「やれることは、やった」という理由で謎の辞任をしました。二期先の大統領選出馬を目指していると言う人もいました。ただ単に、「疲れた」だけかもしれませんが、しっかりと計算ができる人ではないかという期待もあります。もしかすると、「アメリカの賞味期限」に気付いているのではないかと、勝手に憶測してみたのです。
ニッキー・ヘイリーが、そんな人物ではなかったとしても、トランプ弾劾が成功した時のほうが、可能性があるように思えてなりません。トランプが再選され、オバマとトランプ、合わせて16年の空白は、余りにも大きすぎます。取り返しがつかないのではないかと思います。
平和が続いたり、王座に座り続けたりしていると、人は「未来も、現在の延長線上にある」と信じるようになります。
しかし、それは幻覚に過ぎません。一寸先は闇なのです。
栄枯盛衰はどこの国にもありました。栄枯盛衰を繰り返すことのほうが、人間社会の日常であり、人間の宿命なのだと思います。
それは、賞味期限が切れることのほうが、普通だということです。

以前に、トランプは拍手喝采渇望症という病に犯されていると書きました。日常的に拍手をもらわないと、生きている気がしないのです。
トランプは、取引することが好きで、目先の利益を獲得して拍手をもらうことが快感です。快感に酔う人は、次の快感を熱望します。短期的な利益で、何度も拍手されるほうが、理に適うのです。そんなトランプにとって、中長期の利益など、無用の長物です。国の賞味期限なんて、気にしていません。トランプの弱点は、中長期的な視野に欠けるところにあります。ところが、中長期的な視野に立たなければ、戦争の必要性は見えてきません。
さて、ここで、無謀な提案をしてみます。
民主党の皆さんも、次の大統領選挙が勝ち戦になるとは思っていないでしょう。
だったら、別の戦い方を考えたら、ひょっとすると、可能性は低いかもしれませんが、勝ちが転がりこんでくるかもしれません。
アメリカの二大政党は、極左と極右の戦いではありません。
同じテーマで、相手の党よりも国民の支持を得ればいいのです。
それは、トランプ政治に反対するのではなく、トランプ政治の上を行くことです。
トランプの最大の功績は、中国に焦点を当てたことです。やっていることは見当外れのことばかりですが、着眼点は、たまたま、当たっていました。
共和党が宣伝している中国脅威論を深堀りし、中国に覇権を奪われる事実を明確に示し、覇権を奪われた時の国民生活を提示し、貿易戦争ではなく、武力による本物の戦争を主張するのです。
「皆さんは、中国人に使われる奴隷になっても、いいのですか」と訴えるのです。
「皆さんは、ウイグルやチベットのようになりたいのですか」と問いかけます。
もちろん、戦争を喜ぶ人はいません。でも、中国人の奴隷になることを喜ぶ人もいないと思います。特に、ナンバーワンであり続けたアメリカ人の心には響きます。
さて、アメリカ国民は、どんな判断をするのでしょう。
確かに、無謀な提案ですが、そういう選択をする時期に来ていると思いますし、大統領選挙に勝つチャンスも生まれると思います。
今日も、無謀な提案をしましたが、従来のような選挙戦をやっていたのでは、民主党に勝ち目はありません。勝ちたいのであれば、新しい戦略を構築しなければなりません。戦略を構築するために必要になるのが将来予測です。つまり、想像力が欠如している今の状態を続ければ、民主党の賞味期限も、アメリカの賞味期限も切れることになります。

こんな文章を書くと、過激で危険な右翼だと言われるかもしれません。
もちろん、私は右翼でも左翼でもありません。
日本の左翼の方は、どんな条件があっても、戦争は悪だと言います。でも、それは世界常識ではありません。自分の利益を守るために戦うことは、人間の本性です。左翼の皆さんも、自分の利益のために、自分の信仰を守るために戦っているようにみえます。信者の方と議論すると、必ず、平行線になります。左翼であっても右翼であっても、絶対を信じている限り、それは信仰ですから、議論する意味はないと思います。私は、絶対は存在していないと思っていますので、残念ながら、左翼にも右翼にもなれません。
左翼の方は、私達に人間の本性を捨てよ、と言っているのです。それが実現すれば、彼等にとっての理想なのかもしれませんが、人間が「欲」を捨てれば、人間ではなくなり、いや、生物でさえなくなり、人類は滅ぶことになります。そこまで、想像しているのでしょうか。
軍隊を持っていない国はありません。それは、人間社会には、必ず、極悪人が生まれてくることを、誰もが知っているからです。国際社会でも同じです。国は国民の生活を守らなければなりません。国民生活は、日々の糧があればいいというものではありません。思想も信条も自由も平等も守らねばなりません。
もしも、中国が世界覇権を握ったら、世界中の人々が、抑圧された中国人民やウイグル人やチベット人のような状態になります。
凶悪な中国共産党に、世界を支配させることは阻止しなければなりません。
そのためには、戦争という手段も必要になると思います。
アメリカに戦争を推奨しているのは、アメリカのためだけではありません。中国と戦える力を持っているのはアメリカだけですから、願望を込めて、推奨しているのです。
では、なぜ、中国は危険なのでしょう。
私達の生活が、どう変わるのかを見てみましょう。
中国は、監視社会だと言われています。
国家運営者にとって、特に独裁者にとって、理想の社会は、一人たりとも造反者を出さないことです。独裁者にとって、「蟻の一穴」はあってはならないのです。
そのためには、全ての国民の全ての行動を把握しなければなりません。ですから、あらゆる技術を動員し、国民一人一人を監視しなければなりません。中国の技術発展はそのためにあったのです。その上で、技術で把握できない部分は、国民に対して、「密告者」になれと強要しているのです。穴だらけの民主国家では考えられないことですが、中国共産党は本気です。
たとえば、中国のキャシュレス化は驚異的な普及をしています。「便利だから」という理由で、国民は端末決済を歓迎しています。しかし、政府はこの取引データを利用することができますし、その能力も持っています。国民は、経済的に丸裸です。5G技術で、経済生活以外のデータも政府に把握されます。まだ、国民は、その被害を受けていませんが、データに制御される日がやってきます。
Aさんの月収、その使途、家族構成、趣味、思想、信条、誰と会話し、どんなメールをしたか、どんな本を読み、どんなサイトを閲覧しているか、行動パターン、等々が把握されるのです。街へ出れば監視カメラに追跡され、隣人や家族に監視されているとすると、「お上」の指示に従うしか生き延びる方法はありません。政府としては、万全の体制ですが、国民にとっては奴隷になることを意味します。
このような文章を書いている私には、逮捕、拘束、非公式裁判、死刑という道しかないことになります。
「なにを、大袈裟な」と思われるかもしれません。
ほんとに、そう思いますか。
技術的に、社会的に、不可能なことなのでしょうか。
いいえ、全て、実現可能です。
独裁者の最大の仕事は、反乱の阻止であり、事前に反乱の芽を摘むことです。
独裁者が、自制して、利用可能なツールを放置することはありません。
現に中国国内では、着実に監視社会が実現しつつあります。
習近平は、その中華思想を、全世界に普及させたいと言っているのです。
中国が世界覇権を取れば、そういう世界に変わるのです。
そして、中国が世界覇権を取る可能性は、決して、低くはないのです。
いや、間違いなく、中国は世界覇権を手にします。
そうなれば、あなたのデータも、私のデータも、北京に自動送信されるのです。
もちろん、アメリカのジョンさんやスミスさんのデータも送られます。
これって、世界の危機なのではありませんか。
もちろん、絵空事で終わることを、私も、期待します。
ただ、期待や願いが成就するとは限りません。

もしも、習近平の野望が実現する可能性がゼロではないとすると、それを阻止する方法はあるのでしょうか。
中国が世界最大の経済大国になった時に、打つ手はあるのでしょうか。
私には、想像できません。
もちろん、中国は自己崩壊するだろう、という意見にも可能性はあります。中国は、紳士的に振舞う大人になるだろう、という期待も捨てたくはありません。でも、それは、他力本願の願望に過ぎず、実現するとは限りません。
そうならなかった時には、どうするのですか。
中華思想による世界制覇が、習近平の野望なのです。実現の可能性がゼロだとは思えないのです。無視すべきではないと思います。
危機感のないアメリカは、中国のシナリオの上で動かされていることに気付いていません。
確かに、戦争という手段は究極の選択です。しかし、他に、方法があるとは思えません。


2019-02-04



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アメリカの賞味期限は切れているのでは [評論]



今日は、いや、今日も、無茶な話を書きます。
申し訳ありません。いつも、将来のことばかりですから、確かなことは何一つありません。
想像であり、妄想ですから、額面通りに受け取る必要はありません。
ヨタ話か荒唐無稽な預言の類だと思ってくれたほうが正しいのかもしれません。
それでも、21世紀に一番求められているのは、想像力だと思います。
それは、時の流れが余りにも速くなってしまったために、想像力でなければ時空を超えられないという現実があるからです。
21世紀は、この想像力の優劣が、国の将来を決め、国民生活を守る決め手になる時代なのだと思います。
これは、単純な話です。未来は、想像力でしか見えません。
そして、未来を想定しない国家運営は、失敗する可能性を高めるだけです。
私は、データも持っていませんし、データ分析をしてくれるアナリストも持っていませんし、AI技術も持っていませんので、ただの想像です。確かに、正確な将来予測は難しいと思いますが、それでも、劇的な差があるとは思っていません。
「先のことなんて、誰にも、わかんねぇよ」と言う方がいます。
その通りですが、それでも挑戦するしかないと思います。逃げ口上としては立派な意見ですが、それで済むような時代ではないと思います。
もちろん、本気で「今さえよければ」と考えているのであれば、想像力も未来への挑戦も必要ありません。でも、それは、子供や孫を見殺しにするということです。
私達の国は、いや、国民は、曖昧模糊とした空気の中に住んでいますので、将来の国民生活を守るという意識が希薄であり、未来に挑戦するという必然性は感じないのかもしれません。その結果は、私達の子供や孫が受け止めることになります。
21世紀は、無理にでも、将来予測をする必要がある時代なのだと思います。

この将来予測に、ヒト、カネ、モノという資源を一番多く投入している国が中国だと思っています。
経済発展で中国が手に入れたのは、軍事力だけではありません。先行投資にも資源配分を惜しみません。もともと、中国人は戦略が好きな民族です。戦略を立てるためには、どうしても将来予測が必要になります。ですから、人口比で優位を持っているだけではなく、人口比を越えた資源配分を、この将来予測に投入していると見るべきです。
例えば、予測部門という部署があると仮定すると、アメリカに100人投入できる力があるとすると、人口比で考えれば、中国は500人投入できます。それが重要部門だと認識していれば、1000人を投入することも可能です。いや、中国が主張する核心的利益を守るための戦略であるとすれば、1万人を投入しても不思議ではありません。しかも、応募者から選別するのではなく、スポーツ分野でも実績があるように、中国全土から、14億人の中から、優秀な人材を強制的に集める力を持っています。
予測が欠かせない戦略という分野では、どちらが有利かは明らかです。
将来予測が欠かせない現実をみてみましょう。
以前に書きましたが、これは、多くの方が指摘していることですが、中国が経済規模でアメリカを抜くことは、どう考えても、避けることが出来ません。仮に、中国で民主革命が起きて、共産党政権が倒れたとしても、このことは変わりません。それは、中国の一人当たりGDPがアメリカのそれに接近していくことのほうが自然だからです。将来的に、人口の多い国の経済力が勝ることは、どうすることも出来ない現実なのです。これは、もう、自然の摂理と同じです。
この自然の摂理を破壊できるのは、戦争だけです。
時間が経過すれば、中国が、経済的にも軍事的にも戦略でも、世界一になることは約束されているのです。中国は、そのことを、よく理解しています。
そんな時代に、中国の「自分さえよければ」に対応するのではなく、中国の真似をして、「自分さえよければ」になってしまったアメリカには勝機がありません。「アメリカの賞味期限は切れているのでは」という表題にしたのは、その選択ミスが元になっています。
アメリカが世界覇権を維持したいのであれば、同盟国・友好国と協力して、中国を軍事力で圧し潰すという方法しかなかったのです。
同盟国・友好国としても、中国がアメリカ以上の暴君になることは想定していますので、協力が必要になることは覚悟しています。そのためには、アメリカが一歩も二歩も譲らねばなりません。しかし、アメリカは「自分さえよければ」と言っているのです。これでは、団結のしようがありません。
アメリカは、目先の利益に執着し過ぎていて、中長期の利益を失おうとしているのです。これは、明らかに、将来予測の欠如による弊害です。人間は神ではありません。一人の人間の能力なんて、小さなものです。アメリカには「叡智を結集する」という言葉は存在していないのでしょうか。いや、その言葉を知らない大統領に、なぜ、教えようとしないのでしょうか。そこにあるのは、自己保身だと思います。アメリカの国家運営者達は、自分を守るために、自分の利益のために、国民を見殺しにしようとしているのです。どこの国の国家運営者も同じようなものですから、アメリカだけに要求するのは酷かもしれませんが、アメリカ国民にも大きな影響があるのですから、ぜひ、気付いて欲しいと思います。
資本主義的発想の西欧諸国が欲しかったのは、中国という巨大市場です。
そこにあるのは、目先の利益のためであれば、犠牲もいとわないという助平根性です。戦争で、中国を潰してしまったら、せっかくの市場を失うと心配する人もいるかもしれません。でも、戦争で、中国を敗戦国にし、国土を分割したとしても、中国人を皆殺しにするわけではありませんので、市場としてはなくなりません。
野蛮な方法ではありますが、戦争という手段しかなかったと思います。
中国人は、そのことを知っているから、軍事力の増大に力を入れたのです。
時間が経過すれば、中国は超大国になるのです。
物理的な大小から生まれる問題は、話し合いでは解決しません。それが国際常識です。
強大な国は、話し合いなどせずに、命令すればいいのです。そのために法律が必要であれば、法律を作れば済むことです。そのことは、現在の国際法を、中国が作る国際法に変えたいと言っていることでも明らかであり、彼等は、話し合いを必要とはしていません。世界を中国共産党が作るルールで統治したいと言っているのです。既に、中国は、国内で、それを実践しています。
今、一番、留意しなければならないのは、時間です。
それを一番理解しているのが、将来予測に力を入れた中国なのだと思います。
アメリカの行動を見ている限り、将来予測では、中国に完敗していると思います。
将来を予測すれば、中国を叩くのは、今しかないのです。
もちろん、今、戦争をして勝てるという保証はありませんが、まだ、勝つ確率は残っています。しかし、10年後では、手遅れになります。
トランプは、取引にしか関心がありません。しかし、取引に成功したとしても、どんな成果を出したとしても、物理的な大小を逆転することは不可能です。トランプは、独りよがりの満足のために、時間を浪費しているに過ぎません。これこそ、中国の思う壺です。
アメリカが衰退に向かう時期に、中国が成長する時期に、商売人を大統領に選んでしまったアメリカ国民の責任は大きいと思います。もちろん、商売人を馬鹿にしているのではありません。商売では、目先の利益を重視するのは当たり前です。しかし、国家運営は、長期的な視野に立たねば、将来を危うくしてしまいます。では、ヒラリー・クリントンが大統領になっていたら、戦争をしていたかと言うと、それはわかりません。トランプより確率は高いと思いますが、そこまでの危機感は持っていないように見えます。
戦争の勧めなんて提案はしたくありませんが、アメリカに残された選択肢は、戦争以外にないのではないかと思います。
そう主張する人が何人もいることは、アメリカ政府も知っているでしょう。しかし、知っていることと、実践することとは別物です。本物の危機感を持っていなければ、実践なんて出来ません。アメリカが持っているのは、漠然とした脅威に過ぎないと思います。
アメリカ議会は、「大変だ、大変だ、中国にやられるかもしれないぞ」と騒ぎますが、中国にやられたら、どんな未来が待っているのかは想像していません。いや、彼等は想像できないのです。それは、戦争に敗れた体験も、占領された体験も、抑圧された体験も、持っていないからです。
「アメリカを、再び、超大国にする」とトランプは誓いましたが、過去の栄光を追い続けた国が栄光を取り戻したという歴史はありません。でも、アメリカを含む対等な同盟国・友好国連合という新しい存在が出現すれば、新しい栄光を作ることは可能かもしれません。もう、アメリカ一国では、中国に対峙することは難しいと思います。
まだ、過去の栄光の中に安住しているアメリカ人は、勝手に、自分たちは優位を保てると信じているのかもしれません。若干弱気な人の中には、中国は中国、アメリカはアメリカで、両雄が並び立つと考えている人がいるようですが、中国は、そんなに甘くはありません。アメリカを押さえつける能力を持てば、徹底的に押してくると思います。
50年後、アメリカは中国の顔色を伺いながら国家運営をする国になっている可能性が非常に高いと思います。その時になって、2020年代に戦争をしなかったことを後悔しても間に合いません。それは、アメリカという国にも、アメリカ国民にも、想像力が欠如していたということなのだと思います。
こんな「火を見るより明らかなこと」でも、過去の栄光に浸かっていると見えないものなのでしょうか。1+1=2くらいに確かなことなのに、不思議です。
私は、個人的には、中国の支配下に置かれる国になりたくないと思っていますが、これは、私の趣味の問題であり、国民の皆さんにとっては、中国のポチになることのほうが正解なのかもしれません。
なぜなら、アメリカは、このままでは、泥船になります。
厄介なことに、アメリカは、手遅れになった頃に気付くかもしれません。
手遅れになって、初めて動き出すということは、よくあることです。いや、手遅れになる前に動き出すことのほうが珍しいのです。
そして、米中戦争を始めるかもしれません。
日本は、どんな判断をするのでしょう。
国民の皆さんは、「お上」のご意向に従うだけですか。
私達も、過去の栄光と平和という温泉に浸かっていますので、想像力は働かないでしょう。
でも、アメリカと心中すると、アメリカは何とか生き残りますが、地理的条件が不利な日本は壊滅的な被害を蒙ることになります。
多分、そんな想像もしないのではないかと思います。
確かに、泥船から逃げ出せば、中国のポチになれば、辛い生活になると思いますが、犠牲者の数は随分少なくて済むと思います。
こんな判断材料を政府が提示するとは思えません。
「ずるずる」と「なし崩し」で戦争に巻き込まれるであろうことは、容易に想像できます。
私達にとっては、多分、想像力以前の問題が大きいのではないかと思います。
それは、「お上」のご意向には逆らえないというDNAです。

「絶対に、戦争をしてはいけない」と思っている私が、まさか、戦争を推奨するとは思いませんでした。
短期的に、アメリカの小さな勝利はあると思いますが、最終的には中国が世界覇権を取ることになると思います。そのほうが自然だからです。
誰も口にしませんが、もう、アメリカの賞味期限は切れていると思います。
世界の国々は、そのことに気付き始めていますが、アメリカは気付いていません。
もし、賞味期限が切れているとすると、トランプがやっていることは「最後の悪あがき」なのでしょう。それは、この2年間で、政権の中枢にいる人が、42人も、首を切られたことでわかります。とても、正常な状態だとは思えません。まさに、断末魔状態だと言っても過言ではないでしょう。
退任してしまったマティス国防長官は、同盟国の重要性を知っていたと言われています。しかし、トランプは、マティスを更迭してしまいました。もう、反対する者はいません。トランプは、軍人を国内に引き上げることが人気取りになると信じていますので、世界からアメリカ軍を撤退させるかもしれません。
中国は、イラク戦争の時のようなアメリカ連合軍が出来ることは避けたいと思っています。中国にとって、トランプ政権はカネで片が付くありがたい政権であり、同盟国を切り捨ててくれるトランプは、大歓迎です。私は、トランプが中国の「回し者」なのではないかと思うことがあります。中国もロシアも北朝鮮も、優秀なサイバー部隊を持っていますので、次の大統領選挙で、トランプを陰から応援したとしても驚きません。
多分、こんなことを考えているのは私だけではないと思います。世界中の国が、今、そのことを、アメリカの賞味期限を、真剣に考えていると思います。かつての覇権国であるアメリカの国家運営の失敗は、多くの国の国民生活に直結しているからです。


2019-02-03



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世界潮流の変化は、他人事ではありません  [評論]



今、世界は大きな弧を描いて、旋回し始めています。
その行きつく先は、「自分さえよければ」という世界潮流だと思います。
しかし、日本に住む私達の身の回りに「世界潮流」という言葉は存在していません。ましてや、「世界潮流の変化」という視点は、全くないといっても過言ではありません。トランプ一人が無茶をやって世界を混乱させているという視点はありますが、それが世界潮流の先駆けだと認めようとはしていません。誰もが安定を維持したいと願っているのですから仕方ありませんが、この先、「自分さえよければ」はもっと顕著になると思います。
この「自分さえよければ」という潮流の先頭を力強く走っているのがアメリカと中国ですが、今日は、欧州の視点からこの潮流を見てみたいと思います。

イギリスが、EU離脱で立ち往生しています。
その前に、いろんな建前はあるでしょうが、イギリスのEU離脱も「自分さえよければ」という動きであることは知っておくべきだと思います。
もちろん、国際関係は「自分さえよければ」の競争なのですから、それも、人類誕生の時からの根本潮流ですから、驚くようなことではありませんが、公然と主張することには若干の遠慮があったものです。しかし、それをトランプが取っ払ってしまったために、遠慮しなくても済むようになってしまいました。
今年の3月が離脱の期限ですが、結論が出ません。
EUとイギリス政府が合意した離脱協定案がイギリス議会で承認されませんでしたし、このままでは、EUとイギリスは合意なく、イギリスがEU域外に置かれるという結果になります。経済的な悪影響は大きいと言われていますが、過去に前例がありませんので、実際には、やってみなくてはわからない、ということなのだと思います。しかも、影響を受けるのはイギリス経済だけではありません。EU域内の多くの国の経済にも悪影響があると試算されています。
現在の離脱協定案について、EU側は「変更しない」と言っていますが、その動機は「離脱すればひどい目に遭いますよ」という警告が優先しています。EU側から見れば、イギリスは「裏切者」なのです。当初から、イギリスが有利になるような協定案になるなんてことはありませんでした。ただし、世界が変わろうとしている時代に、「協調」という既存のシステムを守ることに専念することは、EU側にも時代錯誤があるように思えてなりません。
イギリス政府もイギリス国民も視野狭窄に陥っており、イギリスという国が、将来どんな国になるのかという確信はないものと思います。
なぜ、こんな事態になってしまったのでしょう。
その根っ子にあるのは、亡霊だと思います。偉大な大英帝国という夢から醒めないまま、国の方向を決めてしまったのです。100年前のイギリスと、今のイギリスでは、世界の中での重みが違います。100年前は列強のメインプレイヤーでしたが、今は、その他大勢の国の一つに過ぎません。確かに、誇りはあるのでしょうが、誇りでは飯は食えません。その上、何の確信もないまま、国民に判断を丸投げしてしまったのです。
これだけ右往左往する事態を招いた出発点は、国民投票であり、何の準備もなく国民に丸投げしてしまったことです。
ですから、イギリス政府は重圧に晒されているわけではありません。それは、「国民が決めたことだから、政治家には責任はない」という大義名分があるからです。
では、国民投票が行われた時に、国民にとっての、国にとっての、メリットとデメリットは提示されていたのでしょうか。
ありませんでした。と言うより、想定しなかったのです。
あったのは、「俺たちは損をしているんじゃないか。いや、きっと、損をしているんだ。〇〇さんも、そう言っていたじゃないか」という感情論であり、「大英帝国を再び」という時代錯誤だったのです。
国民投票という手法が難しい手法であるという認識が欠けています。
国民が的確な判断をすることができる材料を提示することの難しさは、どんな国民投票でも現実問題として起きます。実際のところ、イギリス国民は、感情で一票を投じる選択肢しかありませんでした。当然、声の大きな人の意見に左右されます。これが、議会制民主主義で長い歴史を持つイギリスの民主主義だったのです。国民が判断できる材料を、どうやって提示するかという一番大事なシステムが存在していませんでした。イギリスを非難しているのではありません。民主主義の看板を掲げている全ての国に、そんなシステムは存在していません。しかし、問題は、システムが存在しなかったことへの問題提起がないことです。そのことに誰も気付いていません。
日本でも、憲法改正の国民投票があるかもしれないと言われていますので、他人事ではありません。既に、民放の意見広告の取り扱いについて、問題が出ています。国民が判断できる材料をどうやって提示するかというシステムが必要だという発想がありません。もっとも、日本の場合は、国民の代表を選ぶ選挙でさえ、感情優先の人気投票になっているのですから、人気投票が民主主義だと考えていても不思議ではありません。
感情で投票をすれば、それは、悪い意味でのポピュリズムになります。私は、民主主義はポピュリズムだと思っていますので、ポピュリズムを悪者扱いするのは、自己矛盾だと思っていますが、曖昧文化の国では、ほとんど気にしなくても済みます。
民主国家の主権者である国民が、国の進路を決めるのであれば、投票という方法しかありません。それを、ポピュリズムだと切って捨てるのであれば、民主主義を採用すべきではありません。投票という方法が間違っているのではなく、感情で投票している現状が間違っているのではないでしょうか。どんな選択をしても、利益と不利益はあります。国民が、利益と不利益を承知の上で、判断するためには、その利益と不利益が提示されていなくてはならないのではないでしょうか。
選挙になると、「国民がしっかりしなければならない」と言われますが、私達の実際の社会はそんなシステムになっていません。国民がしっかりと判断するためには、それなりのシステムが必要になります。それは、一朝一夕にできるようなものではありません。最短でも、50年は必要です。先ず、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義をし、小学校の授業から、そのことについて自由に議論する習慣を作り、国と国民の責務を知ることだと思います。
しかし、私達は感情の動物だと言われる人間ですから、言葉の定義もなく、教育も訓練もなく、「しっかりする」なんてことはできません。感情に左右されることのほうが自然なのです。確固たる定義があれば、その定義に従った判断材料の提示も可能でしょうし、国民も、感情ではなく定義に沿った判断が可能になるのではないかと思います。もちろん、万全とは言えませんが、現状よりはかなり改善されると思います。
しかし、現状、そんなシステムは存在していません。
そこに、国民投票という方法の問題があると思います。
たとえ、それが人気投票であったとしても、国民投票の結果で、イギリスのように、国は大きく進路変更をすることになります。
楽をしたいという人にとって、民主主義は、理想の統治システムではありません。民主主義は国民次第で、国民の利益にも不利益にもなるシステムです。楽をしたいのであれば、自由を犠牲にしてでも、独裁システムを選ぶべきです。
AKB48の総選挙は、人気投票ですから、感情で投票するのが、正しいやり方です。
しかし、国家の方向を決める時に、人気投票をするという考えは正しいとは思えません。
私達は、過去の亡霊に支配されていたイギリスという国と国民投票に丸投げしてしまったイギリスの現状を詳細に分析し、日本の国民投票の参考にするという配慮はするべきだと思います。もっとも、日本政府がそんなことをするとは思いませんが。

しかし。
EUが抱えている問題は、イギリスのEU離脱問題だけではないことです。
EU発の経済危機を心配する人もいます。
地中海沿岸の国々の財政破綻も心配されています。
メルケルさんが退陣表明をしたことで、リーダーの不在が心配されています。
どこの国でも、分断が表面化しています。
経済発展が続けば、一枚岩を維持できたのでしょうが、世界経済の減速は、当然のようにEU経済にも影響します。実際に、EU経済の牽引役であるドイツとフランスの経済が弱くなっていますが、世界環境が悪くなるのであれば、回復に時間がかかります。
プーチンの支持率低下が、ロシアの軍事侵攻につながると心配する人もいます。
NATOの将来も不透明です。ロシアの脅威に晒されている国は、中国に救いを求めようとさえしています。もう、中国は、立派な軍事大国なのです。
その上、世界は「自分さえよければ」という潮流に変わろうとしているのです。いや、既に、この世界潮流は始まっています。その筆頭がアメリカと中国ですが、イギリスもイタリアもロシアもトルコもシリアもイランもイスラエルも韓国も北朝鮮も、それ以外にも多くの国がその潮流に乗っています。もう、誰にも止めることはできません。
「自分さえよければ」はナショナリズムに向かいます。ナショナリズムは民族単位のものですから、多くの民族が同居しているEUがEUという形態を維持できるかどうかもわかりません。しかも、EU域内には他民族である大勢の移民・難民が生活しています。
「俺たちは、EUに属していて、ほんとに、利益になっているのか。ドイツのためのEUなのじゃないか」というEU懐疑論は、どこの国にもあり、その疑問は大きくなってきているのが現状です。実際に、EUから最大の利益を得ているのはドイツなのですから、ドイツ以外の国の国民が不信感を持つのは当然だと思います。ただし、EUというシステムがなくても、ドイツが欧州一の裕福な国になっていたでしょうから、ドイツ国民は自分たちが利益を得るのは当然だと思っているでしょう。
現在、世界の三大経済圏は、アメリカ、中国、EUの三つです。
アメリカと中国が共倒れになる危険があり、EUにも崩壊の危険があるとすれば、世界経済が無傷のまま、今の延長線上にあるとは思えません。
その世界経済危機の引き金を引くのが、EUであっても不思議ではないのです。
単一の要因で、重大な結果が生まれるということは、ありません。
重大な結果は、数えきれないほどの要因が重なって生まれるのです。
私は「不幸の神様は群れたがる」と書いていますが、これは、珍しいことでなく、これが普通に起きる、ごく当たり前のことなのです。
「自分さえよければ」という潮流は、多くの会議体でも見られます。
既に、G7は機能していません。G20も機能しなくなるでしょう。それぞれの地域で開かれている協調会議も意味を持たなくなります。それは、もう、「協調」というキーワードは「自分さえよければ」というキーワードに変わっているからです。

では、米中対立は、EUの不安定は、それらを生み出している「自分さえよければ」という世界潮流は、日本には影響がないのでしょうか。
「自分さえよければ」という世界潮流が生まれているとしても、「俺には、関係ねぇ」と思っているか、「他人事」だと思っている人が大半です。いや、そもそも、世界潮流なんて視点は気にしていないでしょうから、日本に影響があることすら気付くチャンスはないのかもしれません。その点では、過去の亡霊に取りつかれていたイギリスと似ています。
でも、この世界潮流の変化は、私達国民生活に大きな影響力を持っています。
リーマンショックが起きた当初、政府やエコノミストは「日本への影響は軽微」と言っていましたが、実際には、そうではありませんでした。
「自分さえよければ」という世界潮流の中で起きる経済危機は、リーマンショック程度の影響では済みません。どこの国も、自分の国の利益を確保することが最優先事項になり、他国と協調することは損失を出すことと等しくなります。
ナイーブな日本経済は、一気に、マイナス成長に突入すると思います。
「自分さえよければ」の世界で必要とされるのは「誠意」でも「協調」でもなく、「おもてなし」や「夢見る乙女」でもありません。必要とされるのは「強欲」です。
日本の強みは、品質であり、性能ですが、ナショナリズムの世界では通用しません。
第二次大戦前の日本を思い出してください。
石油は海外に頼るしか選択肢はありませんでしたが、国内で生産可能な物品は地産地消が推奨されました。品質でもなく、性能でもなく、価格でもありません。
そして、当時の標語は「欲しがりません、勝つまでは」でした。
それが、ナショナリズム時代の日本の姿です。
ですから、多くの国で、地産地消が推奨されるようになることは、容易に想像できます。
日本製の優秀な商品は必要ないのです。
では、経済成長だけを犠牲にすればいいのでしょうか。
そうではありません。
国内経済が打撃を受けるのは避けようがありませんが、心配なのが国際収支です。
余り話題にはなりませんが、日本は、債権大国なのです。多少の貿易赤字が出たとしても、国際収支は黒字を維持してきました。国に世界一巨額の債務残高があっても、日本円が暴落しなかったのは、この国際収支の黒字があったからです。しかし、貿易黒字は年々減少していて、近い将来、経常的に赤字になると予測する専門家もいますので、国際収支が悪化することは避けられません。
では、ナショナリズムの世界になって、国家間の債権債務関係に影響は出ないのでしょうか。
大量に持っているアメリカ国債が暴落することはないのでしょうか。
国際債券市場や国際為替市場は機能するのでしょうか。いや、日本の債権や日本円は取引材料になるのでしょうか。
自分の国の利益を犠牲にしてでも、相手を尊重し、相手の利益を守るのでしょうか。
いいえ、大変、危険な状態になると思います。
最近の例ですが、新日鉄住金は、韓国で持っている株を差し押さえられました。これも、日本企業が海外で持っている債権です。日本政府は、「言語道断だ」と言っていますが、ナショナリズムの世界になれば、こんな状況は、韓国だけではなく、どこの国でも起きることです。「司法の判断に従う」と言えば済むことです。韓国のやっているのは「自分さえよければ」ですが、世界潮流の具体例だと解説している専門家はいません。
ナショナリズムの世界になれば、貿易の収支が赤字になることは容易に想像できます。なぜなら、輸出が減少する中で、石油や鉱石は輸入に頼らなくてはなりませんし、食糧や医薬品の輸入も減らせません。貿易赤字はそのまま国際収支の赤字に反映します。外貨不足になり、日本円の信任もなくなります。今は、円は安全資産と言われていますが、価値のない通貨になります。誰も、円を買ってくれません。底なしで下落する危険があります。石油や食料の輸入ができなくなる可能性もあるのです。
先程、戦前の標語を書きましたが、次の標語は「欲しがりません。いつまでも」になるのかもしれません。
こんな心配、誰もしていません。そのことが、一番心配です。
いや、実際には、多くの国民が本音では心配をしているのですが、「どうすることも出来ない」から「何とかなる・・・だろう・・」と思うしかないのが現状です。多分、将来不安を持っていない国民のほうが圧倒的に少ないと思います。ただ、「どうすればいいのか」という経験値を私達は持っていません。ですから、「なるようになる」しか方法はないと思っているのです。確かに、一発逆転の方法は存在しません。だからと言って、何もしなければ、何も変わりません。せめて、「子供達の未来のために」という目標があれば、声を出す国民もいたのでしょうが、そんな目標は、この国にはありません。私達の目の前にある選択肢は「皆で赤信号を渡りましょう」というものです。


2019-02-02



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四大災禍(財政・人口・戦争・災害)の被害想定 [評論]



どの国でも、いろいろな問題を抱えています。
問題のない国なんて存在していません。
それは、そうなのですが、放置しておいてもいいという訳ではありません。
いや、現実としては、放置されたままですが、それが望ましいことだとは誰も思っていないでしょう。
普通に「何とかならないか」と考えますが、「何ともならない」のが現実ですから、その被害実態だけでも知っておくべきなのだろうと思います。知っていれば、救われるのか、と言うと、そんなことはありません。ただ、ほんの少しだけ、気持ちの負担が軽くなる可能性はあるのではないかと思います。
この「何ともならない」現実を無視していて、何かいいことがあるのでしょうか。財政赤字は増え続けています。人口は減り続けます。戦争の危険は大きくなっています。自然災害は、私達にはどうすることもできません。どれ一つとっても「何とかなっている」ことはありません。つまり、私達は「何ともならない」現実の前に、無防備に、まるで他人事のように、漠然と立っているだけです。
でも、この四大災禍の被害を受けるのは、私達国民なのです。
是非、そのことに気付いて欲しいと思いますし、声を出して欲しいと思います。
今日は、四大災禍の被害想定を、いや、被害妄想を書いてみます。
もちろん、これは妄想ですから、現実になる確率は決して高いものではありませんが、現実になる確率がゼロという訳でもありません。
こんな話、誰も、読みたいとも、聞きたいとも思いません。
だから、放置されているのですが、それで済むとは思えません。
もちろん、「何ともならない」ことですから、被害想定をしても意味はありません。ただの自己満足です。それでも、ないよりはあったほうがいいのではないかと思います。

先ず、この国の基調となる人口減少から推定してみます。
何事も起きずに、現在の延長線上に未来があるのであれば、そんなことはあり得ませんが、日本の人口が半減する時期は、約100年後だと推定されています。
特に、この先50年は、私を含めた多くの高齢者が死亡するために、10年ごとに600万人の人口が減少します。これは、10年ごとに5つの県が無人になっていくことと等しい人口減少になり、50年経てば、25の県が消失し、地方自治体の半数が不要になるということです。
どう贔屓目に見ても、これは、明らかな国力衰退であり、国家運営の大失敗が先送りされ続けた結果だと思うのですが、未だに、何の対応もされていません。
では、人口が半減すれば、どんな国になるのでしょう。
今、宣伝されているのは「スマートシティ」という考え方です。この言葉から受ける印象は、何か明るい未来を想像させますが、現実には、地方の切り捨てを意味します。もっとも、今でも、地方の切り捨ては着実に進行していますので、驚くようなことではないのかもしれません。口先では、「地方創生」や「全国津々浦々まで」と言われていますが、地方の衰退が止まったという話は聞いたことがありません。
では、地方の切り捨てが何を意味するのでしょう。
それは、故郷という感情の切り捨てであり、日本式農業の切り捨てです。
この感情の切り捨ては、形としては見えませんが、感情は本能なのですから、大きなダメージになります。
しかし、背に腹は代えられませんので、人間は「スマートシティ」という名の場所に集められることになります。
仮に、頑固親父が「俺は、ここを、一歩も動かん」と言ったとしたら、どうなるでしょう。
普通に考えてください。
この頑固親父を石田さんとしてみます。石田さん一人のために、市役所や村役場を存続させるでしょうか。石田さん一人のために送電線を維持するのでしょうか。いや、石田さん一人のために、誰かがスーパーを営業することはありません。鉄道もバスも採算を度外視して営業することはありません。もちろん、病院なんてありません。国には、石田さんを放置することしかできないのです。つまり、電気の供給も、飲料水の供給も、鉄道も、商店も、病院も、役所も、農協もなく、道路や橋やトンネルというインフラの補修も行われませんから、「スマートシティ」とは遮断された場所になります。自給自足の生活ですが、現代の私達には、この自給自足の生活は不可能だと思います。水も電気も、「あって当たり前」の世界ではなくなります。一日の始まりは、先ず、水汲みから始まります。近くに良質な水源があればいいのですが、水源が遠ければ、大きな負担になります。石田さんに必要となるのは、食糧ですから、農作業は欠かせません。しかし、人力での農作業は簡単ではありません。自力で、農業用水の確保もしなければなりません。農機具も自分で作らねばなりません。薬草も確保しなければなりません。住居が痛んでも、自分で補修することになります。堤防が決壊しても、誰も助けてはくれません。しかも、人間は、年々、歳を取るのです。
南方のジャングルで生き延びた帝国陸軍小野田少尉の例もありますので、絶対不可能だとは言いませんが、普通は、無理です。少なくとも、私には出来ません。
つまり、スマートシティと呼ばれる都会に人口が集中し、それ以外の場所は荒地になります。スマートシティの周辺に農地は存在するでしょうが、一か所に集中している農地は危険です。大きな災害があれば、一気に食糧不足になります。100年後に、国連の食糧援助が機能していたとすると、あまり期待は出来ませんが、スマートシティは難民キャンプ状態になります。しかし、国連が頑張ってくれたとしても、6000万人の難民に食糧を供給することは不可能です。100年後でも、国連活動が続いているという予測が甘いとすると、スマートシティの住人は餓死するしかありません。
では、人口減少という現象は、ただ単に人口が減ることなのでしょうか。
そうではありません。人口が減少するということは、国が衰退するということでもあります。国が衰退するということは、産業も衰退するということです。100年後に、世界に通用する企業が生き延びているとは思えません。つまり、国民生活は、どんどん貧しくなるということです。
当初は、全国に点在していたスマートシティも、次第に統合され、最終的には東京圏のスマートシティだけが残ったとしましょう。
東京圏以外の場所には、誰も住んではいません。先ほど例に挙げた石田さんが生き残っているとも思えません。
九州に、中国人が勝手に移住してきたとしましょう。北海道には、ロシア人が移住し、日本海側の場所には朝鮮半島の人達が移住してきたとします。100年後に、日米同盟が存続しているとは思えませんので、日本は、それを阻止する術がありません。スマートシティ以外は管轄外になっているからです。移住者は、本国の支援を得て、インフラを整備し、経済活動を始めます。東京圏のスマートシティ住民よりも豊かな生活を始めるでしょう。日本人は、移住者の土地に出稼ぎに行くことになります。
確かに、こんな想定は無茶苦茶です。小説の世界でも受け入れてもらえないでしょう。でも、こんな状況は、絶対にないと言えるのでしょうか。
以前に、人口減少は不治の病だと書きました。人口減少が止まり、人口の増加へと転じることはあるのでしょうか。人口増加の必須条件は経済発展です。縮小し続ける経済が、どこかで反転する条件は整うのでしょうか。100年後には、世界は、今とは違う世界になっているでしょう。どんな世界になっているかは予測不能ですが、少なくとも、日本は世界から100年は遅れているのです。世界のレベルに追いつくためには、100年以上の時間が必要です。
どう考えても、私達が歩み始めた人口減少の未来は、明るいものではありません。確かなのは、今の延長線上に、私達の未来はないということだけは約束されているのです。
人口減少の予測値は発表されていますが、それは、単なる数字であり、「大変だ、大変だ」と言う人はいても、どんな現実に直面するのかについては、誰も言及しません。もちろん、私が主張するような荒唐無稽な妄想が正しいと言うつもりはありませんが、ほんとに、これで、いいのでしょうか。
明るい未来を探す努力を否定するつもりはありませんが、人口減少という現実を無視することで成り立つ未来に何か意味があるのでしょうか。
私達は、人口減少に対処するしか道はないと思います。
では、どうすればいいのでしょう。
人類史を見れば、経済と人口は強い相関関係にあることが見えてくると思います。数万年、この相関関係は維持されています。
経済発展でしか、人口増加は実現しないのです。
女性に「子供を産む機械になれ」と言ってみたり、子供手当を増額したり、お見合いパーティーをやったりしても、人口は増えません。
経済発展に見放されたこの20年、30年。人口増加が、人口減少へと変化したことでも、経済と人口の相関関係は証明されています。
例を挙げれば、非正規社員が誕生した現実を、その経済構造を、変える必要があるのです。
非正規社員は、結婚も出来ない。子供も作れない。これが現実です。もちろん、非正規社員問題が唯一の原因ではありませんが、人口減少は、当然の結果なのです。
生物の最大の本能は生存本能であり、生存するためには、生殖本能も重要な本能です。もちろん、人間も同じです。しかし、私達は生存本能を優先させるために生殖本能を否定しようとしているのです。子孫を残すことよりも、自分が生き残ることが優先されているのです。「自分さえよければ」「今さえよければ」が当たり前の世界なのです。これって、生物として「滅び」の始まりを意味しているのではないでしょうか。
確かに、安倍さんが得意とする「口先政策」はありますが、構造改革なしに現実を変えられるとは思えません。先月、ファーウェイの「5G」技術のことを書きましたが、なぜ、「5G」技術は中国で発展したのでしょう。日本人が開発していてもよかったのではないでしょうか。しかし、日本では「5G」技術を生み出す環境がなかったのです。その環境を変えることが構造改革なのです。「口先政策」や「増税」では構造改革はできません。
構造改革とは、価値観の改革だと思います。「いい大学」に入り、「いい会社」に就職し、「豊かな生活」を送るという価値観は、賞味期限を過ぎています。「自分さえよければ」「今さえよければ」という価値観は続けることができません。それは、絶滅への一歩です。
日本の若者の目は、「死んだ魚の眼」に見えると書いたことがあります。発展途上国の若者の目は、「キラキラと輝いている」と書きました。目を輝かせる若者を作るためには、どんな環境が必要で、現状をどう変える必要があるのかについて、もっと議論すべきだと思います。そのために既得権益を排除しなければならないのであれば、やるべきです。私が具体的な処方箋を持っているわけではありませんが、いや、私が処方箋を書けば無茶苦茶な提案になり、誰も聞く耳を持ってくれませんので提案は控えますが、議論をしなければならないことだけははっきりしています。この国に議論する能力が欠けているとは思えません。自己保身が能力に蓋をしているだけだと思います。本気で議論すれば、構造改革の姿は見えるのではないでしょうか。「とりあえず、先送り」では何も生まれません。「口先政策」で人口が増加することもありません。
エコノミストの皆さんは、彼らが現実的だと思う提案をします。例えば、持続可能な財政、社会保障制度の再構築、国際競争力の回復です。しかし、これが、現実的な提案なのでしょうか。
確かに、過去に私が提案した内容より現実的であることは認めます。しかし、それが実現できるとは思えないのです。私だけではなく、多くの方がそう思っているでしょう。いや、提案しているエコノミストでさえ、実現できるとは考えていないと思います。実現できないという点では、私の提案と同じことになります。人口減少の荒波は、余りにも大きく、あらゆる対策を呑み込んでしまいます。可能性があるとすれば、非現実的で、根っ子から変革する、革命に似たものでしか、この荒波は越えられないと思うのです。しかし、そんな提案をする人はいません。もちろん、そんな提案をしても受け入れられませんから、提案する人が出現しないのですが、そのことにも気付きません。
誰もが、過去に縛られて、飛び出すことが出来ないのであれば、荒波に呑み込まれるのを、指を咥えて見ていることになります。
人口減少の被害想定をします。
犠牲者は、6000万人です。これは、生きていた人が死ぬということではなく、生まれてくるはずだった人が生まれてこなかった人数ですが、犠牲者としてカウントしました。

次に、最も犠牲者の少ない災害の被害想定をしてみます。
東南海地震、首都直下地震、北海道地震という大災害は、いつか起きます。それ以外にも、気候変動による災害は新しい災害として普通に起きると思います。それでも、犠牲者数という観点からは、他の災禍に比べれば小さいものになり、何の根拠もありませんが、100万人だとしてみます。もちろん、これは四大災禍の他の犠牲者よりも少ないというだけで、決して、小さな犠牲ではありません。
ここでいう犠牲者とは、死亡者を指しています。
ただ、災害の場合は、直接の犠牲者は少なくても、広範囲な影響を残します。それは、災害の被災者数が数千万人になると予測できるからです。被災者も犠牲者だと定義すれば、犠牲者は100万人では済みません。
住居の全壊・半壊の修復に多額の費用を必要とし、インフラ復興にも、経済基盤の再構築にも、大きな困難があります。この経済損失は、歳入の減少や歳出の増加を生み、ボディブローのように国家経済に打撃を与えます。もちろん、子供を作りたいと願っていた若い夫婦にも試練になり、人口減少に拍車をかけます。多くの被災者が、生活再建のために資産を減らすのですから、一時的な消費はあっても、長期的に見れば消費の減少になります。
それだけではありません。被災者を支援するという名目で、増税が行われます。その結果、国民全体の可処分所得が減り、経済の減速は顕著になります。
災害後に生活再建が可能になる人は、決して多くはありません。貯金を使い果たした人達が、貧困層の仲間入りをします。特に、老人は困窮します。住む場所も、生活費もなく、仮設住宅を終の棲家にするしかありません。当然、仮設住宅で孤独死をする老人は増えます。
阪神大震災や東北大震災の被災者の皆さんの中で、生活再建に成功し、震災前よりも豊かな生活を獲得できた人は一握りの人達だけだと思います。何とか凌いでいるという人や、貧困層の仲間入りをした人達が大半なのではないでしょうか。過去の生活体験がある人にとっては、夢も希望もない生活を強いられ、気力さえ失います。国民が気力を失えば、その国の発展はあり得ません。国民一人一人の気力が、国を発展させるのです。
災害の影響は、経済損失と気力喪失を生み出し、国力の衰退を加速させます。そして、衰退が始まっているこの国の背中を、思い切り、押すような効果を生み出すのです。
気候変動による農業や漁業への影響は物価上昇を生み出し、私達の生活に変化をもたらします。気候変動は世界規模で起きていますので、食糧の輸入価格も上昇させます。寒波や酷暑による人的被害や農業被害も増え、森林火災も頻発することになります。風速70メートル級の巨大台風が発生する頻度も増え、人的被害、農業被害だけではなくインフラ被害も生まれるでしょう。
あらゆる災害が、国力衰退を後押しするのです。
世間では、直接の犠牲者が注目されることになりますが、亡くなられた方には申し訳ありませんが、一番の被害は、経済損失であり気力の喪失なのだと思います。
人災の場合は、恨む相手がいるだけ、気持ち的には救われるかもしれません。自然災害は、恨む相手もいないのです。

次に、戦争による被害を見てみましょう。
紛争、戦争は世界各地で起きていますが、ここで取り上げる戦争は、日本が関与する戦争という意味です。それが第三次世界大戦です。
第三次世界大戦は、アメリカ連合軍と中国連合軍の戦争です。
戦争が始まる時期によって連合軍の様子は違うと思いますが、どんな状況であっても、日本が戦争に巻き込まれることは避けられません。
もちろん、アメリカが中国に世界覇権を譲れば、戦争にはなりません。その可能性もゼロではないと思いますが、私は、戦争になる確率のほうが圧倒的に高いと思います。
第三次世界大戦の主戦場は東アジアです。いや、もっとわかりやすく言えば、日本です。日本人は誰も戦争なんて望んでいない。その通りなのですが、望みが叶うことのほうが少ないというのが現実です。
では、この戦争の犠牲者は何人なのでしょう。
誰にも、推定できないと思います。
それは、どちらが勝利するかが予測できませんし、どんな兵器が使われるのかも予測できないからです。
ただ、最も犠牲者が少ない場合でも、1000万人規模だと思います。これは、あくまでも、私の独断と偏見による推測にすぎませんが、それほど外れているとは思えません。
最悪の場合、それはアメリカ連合軍が敗れ、核兵器が使用された場合ですが、1億人の犠牲者が生まれる可能性もあります。その場合には、日本列島は人間が生活できる環境を失っているでしょうから、日本民族は戻るべき国を失った流浪の民になります。
戦争が始まった場合、最初の標的になるのは軍事基地です。アメリカ軍の場合、アメリカ本土とハワイとグワムと日本に基地があります。韓国は外しました。距離的に近い場所が最初の攻撃目標になるのが自然だとすると、最初に標的となるのは在日米軍基地です。日本列島に点在する在日米軍基地は、全て、標的になり、大量のミサイルが飛来します。次の標的にされるのが、自衛隊基地です。標的は更に拡大され、原子力発電所や工場、そして大都会も標的にされるでしょう。
最大の米軍基地である沖縄が集中砲火を浴びるだけではなく、東京の横田基地、神奈川の厚木・座間・横須賀等の基地にもミサイルは飛んできます。もしかすると、あらゆる機能が集中している首都圏全体が軍事基地に匹敵する攻撃目標になる可能性もあります。東京都周辺の自治体を含めた地域を首都圏とした場合、首都圏の人口は約4000万人です。その1割が犠牲になったとしても400万人の犠牲が出ます。ミサイルによる犠牲者だけではなく、事故も殺人も起きるでしょうし、病人や弱者が死亡することもあるでしょう。
戦争の初期段階で、1000万人の犠牲者が出ても不思議ではありません。
なぜなら、日本は、アメリカ軍の不沈空母と呼ばれる最前線基地だからです。
もちろん、まだ、核兵器は使用されていないという条件が必要です。
首都圏にお住いの皆さんは、攻撃目標にはならない、できるだけ辺鄙な場所への疎開をお勧めします。もっとも、生き残ることが幸せかどうかは、保証できません。

最後に、財政破綻による犠牲者を推定します。
この財政破綻による犠牲者については、過去に何度も書きましたので、その推定値だけを書いておきます。
犠牲者は、3000万人から1億2000万人と推定します。


ここに挙げた四大災禍のどれをとっても、多くの犠牲者が出ます。
数千万人の犠牲者と書いていますが、これは他人事ではなく、皆さんが死ぬ確率は低くないということです。しかも、苦しみながら死んでいくのです。
これらの災禍は、どれか一つだけに限るという条件はありません。複数の災禍が同時発生する可能性だってあるのです。
しかし、私達は、これらの災禍に対して、何の対応もしていません。
そのことを、疑問に思うことさえしていません。
これが現状です。
ここまで犠牲者が出るということは、もう、民族絶滅の危機だと思います。
「何を大袈裟な。大丈夫。何とかなる。これまでも、何とかなってきたじゃないか」と反論されるかもしれませんが、必ず、後悔する時が来ます。それだけは、自信を持って断言できます。
では、この行き詰った現状を打破する方法はあるのでしょうか。
ありません。
でも、人間の矜持として、抵抗する意思を示すことはできます。
私達は、自分のため、家族のため、友人・知人のため、そして、未来の子供達のために声を出すしかないと思うのです。
もちろん、声を出したら、これらの犠牲者が無くなるのかというと、そんな奇跡は起きません。ただ、「とりあえず、やれることはやった」という自己満足は手に入ります。たとえ、自己満足にすぎなかったとしても、やる価値はあるのではないでしょうか。


2019-02-01 



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財政赤字は誰にとって危険なのか [評論]



最近、世間では、財政赤字について騒ぎ立てる人を見ません。
私のような変人が、細々と騒いでいますが、波にも風にもなりません。
では、もう、私達の国は財政赤字の危険からは逃れられたのでしょうか。
とんでもありません。病状は重篤になる一方です。
財政赤字が、なぜ、危険なのか。
「何となく、危険な感じがする」と思っている方は多いでしょうが、財政赤字は誰にとって危険なのかについては、更に、曖昧になっています。
財政なんて、「お上」の世界の話だから、「俺には関係ねぇ」と思っているようですが、それは違います。財政赤字は、国民にとって、大変、危険なものなのです。
財政赤字が限界を超えた時、どうなるのでしょう。
増税や弱者切り捨てや貧困という形で、私達を苦しることを、ぜひ、知っていただきたいと思います。いや、もう、そのトレンドは始まっています。国民の皆さんは、皆さんの目でそれを見ているのですが、危険だという認識が持てていないだけです。
なぜ、国民が犠牲になるのかと思うかもしれませんが、責任をとれるのは、国民以外に存在していないからです。これは、太陽が東から登り西に沈むような、水が高いところから低いところへ流れるような、自然現象と同じです。財政が破綻した時に、国民以外に責任を取れる人がいるのであれば、是非、教えて欲しいものです。増税や弱者切り捨てや貧困の先にあるのは、多くの犠牲者を伴う国家崩壊です。責任を取るという言葉の意味は、わかりやすく言えば、死をもって責任を取る人が出るということです。
どうして、こんな簡単な理屈が無視されているのかは、わかりませんが、これが曖昧文化の凄さなのかもしれません。

当たり前のことですが、この世では、あらゆることに「限界」というものが存在しています。この「限界」を無視した社会は存在していないこともご理解ください。
今月、フランスのデモの話を書きましたが、フランスのマクロン大統領は財政再建を旗印として国家運営をしていました。どこの国の国家運営者も、財政赤字が危険であることを知っているのです。ただ、国家運営者が最初に思いつくのが増税であり、簡単だという理由で、増税を選択します。マクロンも、財政再建のためには増税しかないと考えてしまったために、国民の反発を招いたのです。
日本では、フランスのようなデモは起きませんが、苦しむのは、どちらの国でも国民です。まだ、日本の消費税は10%になっていませんが、既に、15%、20%、30%という観測気球は挙げられています。そして、それは、実現します。国民は、その増税に耐えられるのでしょうか。もちろん、給付の削減も実行されます。増税や給付の削減は、私達の生活に直接影響しますが、その根っ子は財政赤字にあるのです。財政赤字を一番心配しなければならないのは、国民の皆さんなのです。日本国民の皆さんは「いい人達」ばかりですから、「ふむ、ふむ、ま、仕方ないか」と太っ腹に構えていると思いますが、それでは済まない時がやってきますので、どうか、ご注意ください。すみません。注意していても、何の役にも立ちませんので、そのこともご理解ください。
何か方法はないのか。
あります。日本を脱出するか、この世から脱出することです。この国に住んでいる限り、生きている限り、この人災から逃れることはできません。

税収不足(歳出超過)を補うために、国は国債という債権を売ります。
なぜ、債券を売るのか。
国家運営には現金が必要だからです。
これは、債券を売って、国家運営のための現金を手にするという売買行為ですので、今日は、売買行為という視点で見てみます。
では、売買行為が成り立つ条件とは、何でしょう。
最初に思いつくのが、値段の折り合いです。国債の場合は利回りです。
次に思いつくのが、安全性です。
では、これ以外の条件はないのでしょうか。
実は、忘れられがちですが、買う側の人が現金を持っている、という条件があります。
買う側に購買力がなければ、売買は成立しません。
私達は、このことを失念しています。
では、今、国債を購入している人達の現金は、どこから手に入れた現金なのでしょう。
国債を購入している、銀行、保険、証券という会社に代表してもらいます。個人国債という国債もありますので、個人も買っていますが、全体からみれば端数にすぎません。
銀行は、個人や企業から預かった預貯金が、原資です。
保険は、個人や企業から預かった保険料が、原資です。
証券は、個人や企業から預かった保証金が、原資です。
つまり、国債購入資金の原資は、全て、民間から集めたものです。
では、民間の資金は、無尽蔵にあるのでしょうか。
そんなことを肯定する人はいないと思います。民間の資金も有限なのです。
では、その限界を超えたら、どうなるのでしょう。
最初に思いつくのが、海外資金です。
海外資金に頼れないことは何度も書いていますので、今日は書きませんが、海外資金という選択肢はありません。
では、個人や企業という民間の資金が底をついたら、誰が、日本国債を買ってくれるのでしょう。
そんな人はいません。買い手不在になります。
買ってくれる人がいることで成り立っていた売買行為が成立しなくなるのです。

そこで、政府は「禁じ手」に手を出しました。それが、日銀による国債ファイナンスです。「禁じ手」に手を出したということは、他の選択肢がなくなったということです。もちろん、5年前に「買い手不足」が起きていたわけではありません。「買い手不足」が起きる時が確実に来るという予測があるから、国債ファイナンスに突入したのです。政府の弁明や日銀の詭弁に耳を傾けるのではなく、事実を見れば、財政赤字という事態は収束に向かっているのではなく、最後の段階へと進んだのです。
では、この国は、上へ下への大騒ぎになっているのでしょうか。
いいえ、平静そのものです。
これは、重篤な病人が、究極の先送りで、死を前にして小康状態になっているようなものだと思います。

では、この「禁じ手」がいつまで続けられるのでしょう。
もう、日銀ファイナンスなしに、この国の国家財政は成り立ちません。
外圧によるか、「円」の暴落によるかはわかりませんが、どこかで行き詰ります。
この先、紆余曲折、右往左往、すったもんだ、迷走を経て、崩壊へと向かいます。
そんな環境の中で、少子高齢化が始まっています。
これは、最悪の巡り合わせです。
少子高齢化の先にあるのは、経済のマイナス成長です。経済がマイナス成長になるということは、税収の減少を意味します。税収が減るということは、日銀か購入する国債が増加するということです。日銀ファイナンスが未来永劫続けられるのであれば、問題はありませんが、どこかで限界を迎えます。
日銀は輪転機を回しているだけです。もし、輪転機を回すことで国家運営の費用が捻出できるのであれば、そもそも、税金なんて必要ありません。
でも、政府は輪転機を回しながら、増税をしています。つまり、輪転機では国家運営が出来ないことを知っているのです。彼等は、行けるとこまで行くしかないと思っているのです。それでも、限界はどこかでやってきます。
今後も、税収減を補うために、増税は何度となく実施されるでしょうが、増税にも限界があります。

最終的には、歳出を減らすという選択肢しか残りません。これは、どの党が政権をとっても同じことです。
では、歳出の何を減らすのでしょう。
働いて税金を納めている人達を「大の虫」とすると、働かずに税金を使っている人達は「小の虫」になります。
行きつく先は、「小の虫」を見捨てるしかありません。
日本古来よりの伝統である「姥捨て山」の復活です。
伝統、伝統と叫ぶ人達は喜ぶかもしれませんが、これは、喜ぶような話ではありません。
もちろん、老人だけではなく、生活保護を受けている人、障害を持っている人、いわゆる弱者を切り捨てるしか方法はなくなります。その理由は、「お上」が得意とする「大の虫を生かすためには、多少の犠牲はやむを得ない」というものであり、「無い袖は振れない」というものです。
国は、税金を納めてくれる人達を守ることが、最優先になります。これは、ごく、自然な成り行きだと思います。ただし、ここに、落とし穴があります。今、税金を納めている人達は、将来、税金で生活する人になるということです。「俺には関係ねぇ」ということが出来る人は一人もいないのです。「お上」に上納金を納められなくなれば、その人は、この国にとって不要な人になるのです。いや、いつか、きっと、いい時代がやって来ると宣伝されると思いますが、そんな時代が来ないことくらい、国民は知っています。それでも、国民の皆さんは「いい人」ばかりですから、耐え忍ぶのでしょう。でも、それは、間違っていると思います。そんな事態にならないようにすることが、国家運営者の仕事だったはずです。定義がないということは、恐ろしいことです。
「人道上・・・・」は、余裕のある時だけに機能する考え方にすぎません。追い詰められれば、人間はどんなことでも出来るのです。

では、今、私達の国の国家運営者は、どんな対応をしているのでしょう。
得意の「やってるふり」は巧みですが、財政赤字は増え続けています。
安倍総理は、日本の税収が過去最高になると自慢しました。
もっとも、日本の歳出が過去最高になることは自慢しません。
税収が増えれば、その使い道を捜すことには長けています。
借金を返済しようという意思は感じられません。
なぜ、税収が増えたのでしょう。
増税と、円安による税収増です。
だとすると、今後も、増税と円安を推進するのでしょうか。
少なくとも、増税は継続されるでしょう。円安は海外要因がありますので、予断を許しません。注意しなければならないのは、円安と円の暴落は全くの別物だということです。円安は輸出競争力を高めますが、円の暴落は私達の首を絞めます。このことは、円安にも限界があるということです。

少し、昔を思い出してください。
確か、安倍さんは「成長戦略」を声高に言っていたと思うのですが、あの「成長戦略」はどこへ行ってしまったのでしょう。
安倍さんに対する評価はいろいろな評価がありますが、私は、安倍さんに「日本一の口先男」という称号を贈りたいと思います。口先で説得できるというのは、誰にでもできることではなく、明らかに、才能だと思いますので、称号です。この論法でいくと、詐欺師にも称号を贈らねばなりませんが、とりあえず、総理大臣は詐欺師ではないという前提条件を容認しておきます。もしかすると、最も悪質な詐欺師なのかもしれませんが、私達は善意の人ですから、そうではないと信じてのことです。オレオレ詐欺のシナリオを書いている人も、個人的には、すごい才能だと思っています。私は、安倍さんが「オレオレ詐欺」をやっているとは言っていません。国家運営と「オレオレ詐欺」は似て非なるものと信じたいと思います。
安倍さんが主張していたように、経済成長は必要です。
では、経済成長が必要だと言っていれば、経済は勝手に成長するのでしょうか。
例えば、生活が苦しい。月末まで、あと1万円必要だ、と思っていれば、どこかから1万円が湧いてくるのでしょうか。そんなことは、起きません。
では、この先、日本経済は成長するのでしょうか。
私は、近い将来、マイナス成長の時代に入ると思っています。
成長戦略も構造改革もなく、増税に頼っていたのではジリ貧になることは避けられません。
そのマイナス成長は、人口減少のトレンドに導かれ、長期間継続するものと思います。
残念なことに、マイナス成長は、国民が受け止めるしかありません。
マイナス成長の先にある場所は地獄です。ですから、その地獄の苦しみを受け止めるのも国民です。
冒頭で、日本国債を購入している銀行、保険、証券という会社を例に挙げましたが、財政が破綻すると、これらの会社が窮地に立ちます。でも、それだけでは済みません。皆さんが預けている預貯金、保険料、証拠金が無価値になる危険があるのです。ここでも、責任を取らされるのは国民です。

私個人は、この国が地獄の国になる前に、あの世へ行けると思っていますが、私よりも若い人達は、気の毒なことに、その苦しみに耐えなければなりません。皆さんの老後は「姥捨て山」という場所にあるのです。随分前に、孤独死が日常になる日がやって来ると書きましたが、まだ、孤独死が日常になるまでには至っていませんが、増加しています。そして、この先、誰も孤独死に驚かない社会になっていきます。もちろん、孤独死をするのは国民の皆さんです。孤独死をする人達は、どんな思いで死んでいくのでしょう。怨念の世界なんて現実的ではないと思いますが、日本中に怨念が渦巻くことになるのかもしれません。
無責任な言い方で申し訳ありませんが、これが現実です。
「俺には、関係ねぇ」と思っている国民の皆さん。
財政赤字は、皆さん自身の問題であることを、どうか理解してください。
「何とかなる」と信じている国民の皆さん。
「何ともならない」ことは、普通に起きます。
「年の初めくらい、明るい話を書けよ」とお叱りを受けるかもしれません。
そんな話があるのであれば、是非、教えて欲しいと思います。


2019-01-06



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私達の先送りが限界を迎える日 [評論]



本題に入る前に、少し、「株」のことを書きます。
最初に、たとえ話を書きます。
江戸時代、南町奉行所のお奉行様が、荷車に小判を積んで、博打場にやってきて、大博打を打っているような状況が、今の日本にあるからです。もう少し、極端なことを言えば、その博打場の客の半数は、イギリス、フランス、アメリカの人達です。彼等は、博打場で稼いだ小判を黒船に乗せて、帰っていきます。利益を出すのは、胴元と外人さんという構図は、現状と同じです。念のために書けば、お奉行様が博打に使っている小判は、百姓や町人が「お上」に収めた税金です。
これって、変ですよね。
でも、21世紀の今、それが現実に起きているのです。

株価チャートは、「欲望」の軌跡だと言われることがあります。
損をするために株取引をする人はいません。100人中100人が利益を得たいと思って取引をします。しかし、残念なことに、100人中50人は損をするのが株取引です。100人中50人と書いたのは、全員が同じ金額を投資した時の数字です。勝つ人が50人誕生するためには、負ける人が50人必要だということです。
株取引は、「上がる」か「下がる」かのどちらかに資金を投入します。
わかりやすくするために、もっと端的な勝敗を見てみましょう。丁半博打は、二つのサイコロの出目の合計が、偶数か奇数かを賭けるものです。丁か半のどちらかしかありません。丁半博打に参加した人が全員、「丁」に賭ければ、勝負は成り立ちません。実際には、胴元がその差を埋めるのですが、ここは、ゲームとして考えてください。100人中50人が「丁」に賭け、残り50人が「半」に賭けて、初めて博打が成り立つのです。でも、賽の目は「丁」か「半」のどちらかです。50人は負ける仕組みになっているのです。では、投資資金を失わなかった、勝った人だけが、次の勝負をしたとしましょう。25人は負けます。最終的には99人が負けるのです。博打は勝つためにやるのではなく、負けるためにやるのです。自分が、最後の一人になる確率は1%に過ぎません。
その取引経過を図にしたのが株価チャートです。しかし、株式相場に参加しているのは、いろいろな立場の人がいます。いろんな人がいろんな環境分析をするので、その行動は一方通行にはなりません。「まだ、上がる」と言う人もいれば、「ここが、天井だ」と言う人もいます。ですから、株価チャートは上がったり下がったりするのです。
その参加者を大きく分けると、プロとアマがいます。もちろん、プロ同士の戦いもあり、アマ同士の戦いもありますが、集計すると、プロとアマの戦いになります。結果論ですが、個人投資家というアマチュアは、プロの投資家の餌になります。もしも、個人投資家が存在せずに、プロだけが戦った場合、株式相場は成り立たなくなります。なぜなら、100人中50人のプロが損を出すのです。プロは顧客の資金を運用しているのですから、損は認められません。損を出すプロに資金を預ける人はいませんので、資金が集まらずに相場から撤退することになります。
つまり、株式相場というのは、個人投資家の資金を、どれだけ、誰が、獲得するのかという戦いなのです。もちろん、例外的に、個人投資家が利益を出す場合はありますが、全体から見れば例外中の例外であり、プロは、その例外を宣伝し、「誰でも、Aさんになれますよ」と言って新規個人投資家の参入を誘います。個人投資家は山のようにいますが、Aさんは一人です。変じゃないですか。理屈から言えば、個人投資家の半数は、少なくとも一回はAさんになれるはずですが、そうはなりません。それは、個人投資家の資金は、そのほとんどが、プロの餌になっているからです。
株取引が危険だということを庶民は知っています。それでも、一獲千金を狙って投資の世界へやってくる庶民は後を絶ちません。競馬、競輪、競艇、丁半博打と株取引、投資信託、商品取引は同じ原理で成り立っており、一獲千金を手にする人は、ほんの一握りです。
株取引が生活費の一部になっている私が言うのは変ですが、博打や投資はお勧めできません。庶民は、体を動かして、コツコツと稼ぐしかないのです。

そんな株式市場で、GPIFと日銀が大量の株を買っています。GPIFは国民が納めた年金の運用をしている政府機関であり、日銀は、無力な政治に代わってカネをばら撒いている政府そのものです。ただ、GPIFは、利益追求が建前になっていますが、日銀は、ただただ、カネをばら撒くことが目的となっています。
「お上」は博打の取り締まりはしても、博打場にカネをばら撒くようなことはしないものですが、日銀は、それを実行しています。ですから、もともと、まともではない株式相場が、大きく歪められ、機能不全になりそうな状況になっているのです。
日銀の株式保有残高は25兆円に達し、このまま推移すれば、2022年には40兆円を超えると言われています。株式市場に、何が起きているのでしょう。日銀は上場企業の4割に当たる民間企業の大株主になっているのです。サッポロホールデング等5社では、日銀が筆頭株主です。サッポロビールが国の資金で製造されているなんて思っている人はいませんが、今や、国営のビール製造工場なのです。まるで、中国のビール会社です。
株には、固定株と浮動株という区分があります。固定株は市場に出てきません。株式市場で取引される株は、浮動株と呼ばれます。投資専門の企業やヘッジファンドや個人投資家が、その浮動株を保有し、売買しているのです。日銀が、どれほど株式相場に影響を与えているかを、その浮動株に占める日銀保有株の比率で見てみましょう。
ファーストリテーリング    69.6% 日銀保有
アドバンテスト        42.8% 日銀保有
ユニーファミリーマート    38.4% 日銀保有
コムシス           31.4% 日銀保有
コナミ            30.9% 日銀保有
太陽誘電           27.6% 日銀保有
トレンドマイクロ       26.5% 日銀保有
GPIFの保有株内容は知りませんが、今の時点では、GPIFは日銀よりも保有株数が多いのですから、銘柄は違っても、日銀と同等の影響があると考えなければなりません。政府機関がここまで影響力を与えているとすると、市場メカニズムは歪んでいると考えなければなりません。
当初、日銀は株を買うことで資金供給を行い、金融緩和をしていることになっていましたが、ここまで継続され、ここまで大量の株を保有すると、株価を下支えしている巨大投資家になっています。そして、日銀が投入した資金は、最終的に外国人投資家の利益となり、海外へ流出します。それは、日本の株式市場の参加者の半数がプロの外国人投資家だからです。
日銀の黒田総裁は、金融緩和の縮小(テーパリング)は、まだ、行わないと言っていますが、このまま、緩和政策を続けることは不可能です。アメリカが日米通商交渉の中に為替条項を入れたいと言っていますが、このまま、永遠に、金融緩和を継続すれば、円安誘導だと判断されます。
つまり、どこかの時点で、テーパリングに舵を切らねばなりません。
では、500兆円もの保有国債をどうするのでしょう。40兆円もの株をどうするのでしょう。国債も株も売れません。国債の巨大保有者が、国債を売れば、債券市場は崩壊します。株の巨大保有者が、株を売れば、株式市場は崩壊します。日銀は、国債も株も売れないのです。では、今、株式相場が2万円だとします。今年か来年には経済不況がやってくると言われています。当然、株も下がります。1万円になったとしましょう。例えば、今年の末に日銀の保有株が30兆円になっていたとすると、15兆円の評価損が発生します。仮に、国債の評価損が50兆円だとすると、日本の税収は、全額、その評価損に充てられるということになります。もちろん、評価損は評価損ですから、実際の損失が出ているわけではないとして、法律の解釈を少し変えて、「いつか、また、好景気が来る」と言って、やり過ごすとしましょう。では、好景気は、また、やってくるのでしょうか。そんな保証はどこにもありません。「先送り」では問題は解決しません。

私達は、日本が外圧に弱い国だということを知っていますが、忘れています。
外圧と言えば通商問題ですが、もっと大きな影響力を持っているのが通貨戦争です。
中央銀行の金融緩和政策は、自国の通貨安を誘導します。
日銀の金融緩和政策でも、結果が出たのは「円安」だけです。
これまでも、あの黒田バズーカの本当の目的は、国債ファイナンスと円安誘導だと書いてきました。劇的な「円安」で、企業は劇的な収益増を体験しましたが、経済の劇的成長がなかったことが、それを証明しています。2%の物価上昇が日銀の目的だったと信じている人達は、日銀の政策は失敗だと言いますが、それは違います。国債ファイナンスと円安誘導という本当の目的は達成しているのです。
日本は低成長に喘いでいましたので、大胆な金融緩和政策で経済活動を刺激するという言い訳は成り立ちました。しかし、これだけ長期間、緩和政策をしているのに、建前として掲げている目的が達成されないのは、金融緩和政策には正当性がないと言われても仕方がありません。金融緩和政策の賞味期限が切れようとしているのです。
では、今年は、どんな年になるのでしょう。
アメリカの景気減速に言及するニュースが増えています。
米中貿易戦争の影響が広がると予測されています。
日米通商交渉が始まります。
日本企業の収益減少が予測されています。
中国の経済成長が鈍化すると予測されています。
この世界環境が意味するものは、どこの国も自国の利益を守る姿勢が強くなるということを意味しています。それは、通貨戦争が始まるという意味でもあります。
既に、日米通商交渉に為替条項を入れるという話がアメリカから出ています。
国内に限定すれば、日銀の黒田総裁の発言に反論する人は、少ないと思いますが、国外に対する説得力はありません。海外では、日本の金融緩和政策は円安誘導が目的だったと認識されています。それは、実績をみれば歴然としています。
日銀は、外圧により、金融緩和政策の縮小を余儀なくされることになります。
国債の買い入れも、ETFの購入も減少しなければなりません。国債に関しては、既に、市中にある国債の絶対量が少なくなっていますので、買い入れは減少するしかありませんが、ETFの購入減少は株式市場に影響を与えます。
日銀の株式市場への介入減速だけではなく、世界景気が減速するのですから、当然、株価は下落します。株価が下落すれば、日銀の含み損が増えます。
通貨戦争では、その通貨の持つ価値は評価されません。他国の通貨が下がることを阻止する戦いなのです。通貨戦争は、自国の通貨を安くするか、他国の通貨を高くするかのどちらかです。他国の通貨が高くなれば、自国の通貨は安くなり、国際競争力が強くなり、自国の経済に貢献できるのです。
ですから、他国の通貨安誘導をしている政策は、断じて、認められません。
と言うことは、日本の金融政策は、攻撃の的になるということです。
「これまで大丈夫だったから、これからも大丈夫だ」という法則はありません。
つまり、今年一年は、経済的な困難が待ち構えているということです。
どんな展開になるのかは予測し難いのでしょうが、少なくとも、マイナス方向へのベクトルがかかることは間違いありません。厄介なことに、これが短期的な現象で終わるという保証がありません。満身創痍の日本ですから、抵抗力は弱く、ずるずるとマイナス方向へと押されるかもしれません。そうなると、数年以内には、日本経済がマイナス成長に転落する可能性があります。株式市場では、「材料出尽くしによる下落」という言葉が使われることがあります。日本経済の場合は、オリンピックが最後の材料になる可能性があります。
国の経済がマイナス成長になるということは、その下落率にかかわらず、環境の大きな変化を伴います。当然、私達の生活にも影響があります。これまでの風景とは全く違う風景が出現することになるのです。日本は、財政と人口という問題を抱えていますので、マイナス成長が一時的な現象で終わらない可能性が高いと思います。

日本は、多くのことを「先送り」してきました。
最大の「先送り」は民主化と安全保障の「先送り」ですが、財政問題も人口問題も「先送り」してきました。
ここで問題になるのは、「先送りのツケは、国民が支払う」という原則があることです。残念ですが、この法則は、これまで、一度も、例外が起きていません。
そろそろ、ツケが回って来る時を迎えているのかもしれません。
「先送り」をしていれば、いつか、経済成長は戻って来る。いつか、人口減少は止まる。日本は、再び、豊かな国になる。この20年前の幻想は、語られなくなりましたが、「無理だよなー」と思いながらも、心のどこかでまだ夢を見ています。
この現状を見る限り、幻想の先にあったのは、繁栄ではなく、現実逃避だったようです。
経済は、マイナス成長の淵まで追い詰められ、人口減少は加速し、国民の生活は更に厳しさを増す。これが、現実なのですが、国も国民も、それを正面から認めようとはしない。国民が先送りのツケを支払う日は、刻々と近づいて来ています。とても、逃げ切れるものではありません。
私達は、漠然とした不安は持っていますが、曖昧文化のこの国では、不安が恐怖に変わることはありません。現実も仮の姿、未来も仮の姿、そして、「何とかなる」という曖昧であっても確信に近いものを持っている私達に訪れるのが地獄だとすると、私達は見事に責任を取らされることになります。悟りに逃げるしか方法はないのかもしれません。しかし、「心頭滅却すれば火もまた涼し」なんてことはありません。火は、熱いものです。
私には、多くの国民の皆さんが、この現実に気付き、自分の問題だと認識してくれることを祈ることしか出来ません。


2019-01-05



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ファーウェイと中国の世界制覇の関係 [評論]



昨日、「アメリカの内戦が世界を壊そうとしている」の中で、アメリカには、トランプ政府とアメリカ政府の二つの政府が存在していると書きました。
一般メディアでは、このような書き方はされませんが、この「二つの政府説」はそれほど珍しい意見ではなく、いろいろな方が言及しています。
少し、整理をしておきます。
トランプ政府とは、トランプ本人とその親族、そして、政権内にいるトランプ信奉者と利権に群がる魑魅魍魎達のことを指しています。トランプ政府は、マティス国防長官も辞め、イエスマンばかりを集めたトランプ王朝になり、王様の独断専行で動く政府になるようで、民主国家としては、かなりヤバいです。共和党は歴史に残る失態になると思いますが、どうするのでしょう。いよいよ、アメリカの二大政党制は終わるのでしょうか。
一方、アメリカ政府とは、トランプ政権内の隠れ反トランプ派と上下両院の反トランプ派議員、そして、大半の官僚達です。もちろん、ここにも、魑魅魍魎はいます。しかし、このアメリカ政府に属する人達の多くは、前回の大統領選挙で国民の反発を受け、トランプ政府を生み出した人達であり、中国をモンスターにしてしまった人達です。そこにあったのは「驕り」だったと思います。
ですから、どちらかが正しいなんて判定はできません。共和党も民主党も、トランプ政府もアメリカ政府も、アメリカ国民の生活を守ろうとしているのではなく、自分達を守ろうとしています。
トランプ政府もアメリカ政府も、表面上、国益を追求しているように見えます。ただ、政府は、その国の在り方を決める場所ですから、長期的な国益を視野に入れなければなりませんが、それが出来ているようには見えないところが残念です。多くの国で、長期的視野が持てなくなっていますが、これも世界的混乱の大きな要因だと思います。長期的な視野を持ち続けているのは中国だけかもしれません。
一つの国に二つの政府が生まれ、世論が分断され、短期的な視野で争う状況も、国力衰退の現象なのだと思います。
今年は、このトランプ政府とアメリカ政府の対立が具体化し、アメリカを混乱させることは避けられません。
その最大の対立が、モラー特別検察官によるロシア疑惑の報告書だと言われています。
そして、もう一つの対立が、米中対立であり、これは、長期的な対立ですから、今年に限定すれば、突如、表面化したファーウェイ事件や短期的な貿易交渉です。
モラー報告書が、トランプの致命傷になるかどうかは、わかりません。民主党は、ロシア疑惑以外のことでも、捜査の中で明らかになった事件で、トランプを訴追する可能性がありますが、世論がどう変化するかはわかりません。トランプ弾劾は、共和党が思考停止状態になっていますので、簡単に成功するとは思えません。対立状態を継続させるしかないと思います。次の大統領選挙で、トランプが勝利するようであれば、アメリカ政府の反省と戦略が足りなかったということなのでしょう。アメリカ議会が、特に民主党が、国民とどう向き合おうとしているのかが見えてきません。アメリカが一枚岩になるためには、国民の分断を修復しなければなりませんが、その道筋が見えていません。
中国という強敵が現れた今、世界が中国に呑み込まれようとしている今、アメリカの使命は、同盟国や友好国と協力し、中国の世界制覇を阻む時です。それが、アメリカ国民の将来を守ることになります。内輪もめをしている場合ではないと思いますが、修復は無理なのでしょうか。もちろん、アメリカがどんな国を目指そうとも、アメリカの自由です。しかし、アメリカのポチの日本としては、とても悩ましいです。

新たに表面化したファーウェイ事件の対応を間違えれば、アメリカは大きく国益を損なう結果になると思います。
カナダがアメリカの要請でファーウェイの孟晩舟CFOを逮捕した事件をトランプは知りませんでした。米中首脳会談の後で知ったトランプは激怒したと言われています。その後、トランプは「米中貿易交渉に役立つのであれば、介入する」と言っています。周囲の人達に言われて、この件での発言はなくなりましたが、トランプは介入するものと思います。なぜなら、孟晩舟CFOの身柄は大きな交渉カードになるからです。それは、中国の対応を見れば一目瞭然です。中国は、ファーウェイを、何が何でも守り抜かねばなりません。中国の世界制覇の野望を実現させるためには、ファーウェイは欠かせない存在だからです。ファーウェイが潰れたら、中国の野望は10年単位で遅れる可能性があります。もちろん、中国は指をくわえて見ているようなことはしないでしょう。あらゆる対応策が用意されていて、決断が早いのが中国政府の特色です。ファーウェイの半導体技術や通信技術を強制的に他社へ移転させる計画は、もう始まっているかもしれません。
ただ、アメリカは一枚岩ではありませんので、まだ、中国にはアドバンテージがあります。中国は、アメリカ政府ではなく、トランプ政府を相手にすればいいのです。
トランプ政府は、ファーウェイを取引材料にして、より多くの短期的な利益を手に入れたいと思っています。ここに、突破口があります。思い切った利益を供与すれば、ファーウェイは生き残れます。ファーウェイにはそれだけの価値があります。
一方、アメリカ政府は、ファーウェイを潰したいと思っていますので、中国は、アメリカ政府を相手にしてはいけません。
では、ファーウェイが、なぜ、世界制覇の鍵を握っていると言われているのでしょうか。
確かに、半導体技術では、ファーウェイの子会社が世界のトップクラスにいます。でも、半導体の国産化で、世界制覇が実現できるわけではありません。
ファーウェイが、「5G」の技術を開発したからです。
「5G」とは、次世代の通信プラットフォームです。
「5G」の世界標準を獲得した国が、世界の通信を支配します。
その「5G」技術のトップランナーが、ファーウェイです。そして、実用化する能力を持っているのが、ファーウェイであり中国です。それは、中国国内に膨大な需要を持っていますので、実用化に伴う技術開発が容易であり、大量生産が可能で、コスト競争力もずば抜けているからです。
これまでは、通信分野の世界標準を獲得したとしても、その影響力は通信分野に限定されていました。しかし、「5G」は違います。特に、中国の企業が世界標準を獲得すると、通信を支配するだけではなく、世界中の政治も、経済も、支配できるのです。それだけではなく、戦争の勝敗も決めてしまうかもしれません。
私達が、勘違いしているのは「企業」という言葉です。
資本主義国家と共産主義国家では、「企業」の定義が違うことを忘れているのです。
共産主義国家の中の「企業」は、国家目標を達成するための道具です。一方、資本主義国家の「企業」は、企業そのものが独自の目標を持っているのです。
中国の企業は、全て、国営企業だと思わなくてはなりません。
それは、法律で、全ての企業は中国政府の要請には応じなければならないという国内法があるからです。そのために、全ての企業に共産党支部が存在しているのです。
では、今、中国政府の目標は、何でしょう。
世界制覇です。
中国が世界制覇に自信を持ったのは、「5G」を開発したファーウェイを持っているからです。そのファーウェイが潰されたら、当面、世界制覇は遠のきます。
「5G」の怖さを理解しているアメリカ政府は、トランプ政府に痛めつけられている同盟国に対して、敢えて、協力を要請しました。それが、ファーウェイ製品のボイコットです。
ただし、ファーウェイ製品のボイコットで、ファーウェイを封じ込めることが出来るのかが問題です。数か国程度の政府調達のファーウェイ製品のボイコットで、ファーウェイを封じ込めることが出来るとは思えません。スピードは、若干、遅くなりますが、世界はファーウェイで溢れることになると思います。なぜなら、ファーウェイ製品が一番安いからです。すでに、アメリカの民間企業はファーウェイを採用しています。それは、コストが他社の1/4だからです。10%の価格差があっても容易なことではありませんが、75%もの価格差があれば、独占状態になります。
中国を、ファーウェイを、封じ込めることは容易なことではありません。
資本主義国では、コストが重要になります。もちろん、性能が要求性能に達していなければ、コストは決め手にはなりませんが、性能が良くて、コストが安ければ、採用しないという選択肢はありません。それが、資本主義です。ですから、資本主義を利用しているファーウェイが、将来、世界の通信事業を制覇することは避けようがありません。しかし、問題は、中国にとっての企業も資本主義もそのルールも、全て、国家目標を達成するための道具だということです。
システムの違う国家が、同じルールで共存することは不可能なのです。この点からも、たとえ、ゴリ押しだと言われても、アメリカに残された選択肢は武力行使しかないことがわかります。

では、ファーウェイの「5G」が世界の通信プラットホームとして使われた場合に何が不都合になるのでしょう。
身近な例を挙げてみましょう。
パソコンには、ウィルス対策ソフトが不可欠です。それなしで、パソコンを使用している人はいないと思います。パソコンを終了する時、「更新してシャットダウンします」というメッセージが表示されることがあります。これは、ソフトウェア会社が、私達のパソコンのソフトを、最新情報にするために、勝手に変更していることを表します。
もしも、ファーウェイのソフトを使っているとすると、同じことが起きる可能性があります。例えば、データ収集のプログラムを追加することは簡単で、ファーウェイのプラットホームにあるシステムからは、どんな情報でも収集が可能になります。中国政府が、「このデータを集めろ」と言えば、ファーウェイは世界中から、そのデータを取得できるのです。
ファーウェイは、以前に、ハッキングで技術データを盗んだとして、アメリカで捜査されたことかあります。もう、ハッキングの必要もありません。ウインドウズをインストールするように、ファーウェイの「5G」もインストールされるのです。中国国内だけではなく、全世界を中国共産党の監視下に置くことが可能になります。
これは、政治的、外交的、経済的な交渉の領域を超えた事案です。
ですから、平和的な交渉で、事態を打開することは困難です。
アメリカがアメリカの国益を守りたいのであれば、軍事力で制圧する方法しか残されていません。アメリカは、じわじわと、中国に呑み込まれる時を待つのでしょうか。もちろん、大人しく中国の覇権を受け入れるという選択肢もあります。でも、そんな事態は想像できません。
そんな環境にあるアメリカですが、トランプ政府は、ファーウェイ事件を取引材料にしようとしているのです。民間企業のファーウェイ製品採用に制限をかける大統領令に署名すると言われていますが、取引材料の値段を吊り上げるための大統領令である可能性もあります。アメリカ大統領の外交権限は大きく、それを止める権限は議会にはありません。唯一、あるのが、大統領の弾劾ですが、共和党は党に傷がつくのを恐れて、弾劾には賛成しません。どの国の政党でも同じですが、政党にとっては党が最重要事項なのです。たとえ、国に傷がついても、党に傷がつかない方法を選択します。もちろん、国民がトランプ弾劾に賛成するようであれば、共和党も賛成するでしょう。
ただ、最終的に、武力行使しか選択肢はないとしても、あらゆる努力をした、というアリバイ作りにはなりますので、政治的、外交的、経済的な交渉は続けるしかありません。
米中戦争の開戦が、いつになるのか。
まだ、わかりませんが、アメリカが勝ちたいのであれば、10年後では手遅れになるのではないかと思います。その鍵は、トランプ政府にかかっているように思えます。トランプを除き、このままでは、中国に覇権を奪われるという状況分析は出来ていると思いますので、アメリカ自身が一枚岩になることなのではないでしょうか。一つの国に二つの政府が存在していたのでは、力は半減します。
トランプが「過去の政権は何もしなかった」と、唾を飛ばして罵っている映像を見ることがありますが、その指摘は、決して、間違っていません。アメリカは、10年、後れを取ってしまいました。もっとも、トランプ政府が今のやり方を続けていれば、長期的な国益を無視していれば、何もしなかった政権の仲間に入ることになります。そこが不思議でなりません。言っていることとやっていることに整合性が全くないのです。半分は正解なのに、全体を見ると不正解という現象が起きているのです。
中国の野望も、ファーウェイの危険も、10年前から警告されていました。オバマ政権の8年間は、アメリカにとって、取り返しのつかない8年間になってしまいました。人格という点では、オバマは申し分のない大統領でした。その点では、トランプは最悪な大統領ですが、同じように、アメリカの長期的な国益を失っているという点では共通する大統領です。二代続けて、変わり者の大統領が選ばれたということが、アメリカにとって不幸な出来事になってしまいました。こういう偶然は、頻繁に起きることではありません。「天が味方する」という言葉がありますが、どうやら、「天」は中国の味方をしているようです。ま、今まで、やりたい放題のことをやってきたアメリカですから、天に見放されても仕方がないのかもしれません。
アメリカ政府にとっての当面の課題は、ファーウェイを潰すことですが、それで解決することではありません。第二のファーウェイは、必ず、出てきます。アメリカが生き残るためには、武力制圧しかないことに、アメリカ政府が気付くことができるのでしょうか。少なくとも、目先のカネに執着するトランプ政府では、アメリカの生き残りは難しいと思います。


2019-01-04



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アメリカの内戦が世界を壊そうとしている [評論]



一つの国に二つの政府が存在していれば、銃弾こそ飛び交いませんが、内戦状態であると言っても過言ではありません。かつて、世界のリーダーだった国が内戦をやっているとすると、世界に多大な影響が出ることは避けられません。
地球は気候変動だけではなく、大きな曲がり角に立っているようです。
国民の皆さんは、アメリカの内戦とか米中対立なんて、「俺には、関係ねぇ」と思っているでしょうが、もう、そんな時代ではありません。世界動向が、直接、国民生活に影響する時代なのです。特に、アメリカは日本の飼い主であり、中国は隣人です。しかも、両国とも、横暴であり、傲慢であり、自分勝手であり、他国は自分のポチだと思うような国です。そんな両国が争っているのですから、日本が無傷で済むはずがありません。

昨年になりますが、G20首脳会議が開かれたアルゼンチンで米中首脳会談が行われました。チキンゲームでは、弱気になったほうが負けるのが常識ですが、会談の結果を見ると、なぜ、アメリカが首脳会談に応じたのかが、よくわかりません。米朝首脳会談の時にも書きましたが、派手なパフォーマンス好きの王様の趣味によるものなのかもしれません。
トランプは、会談前に、期待を煽るようなツイートをしていましたが、会談終了後には静かになってしまいました。もちろん、自画自賛はしましたが、いつもとは少し様子が違うように感じます。本題ではないフェンタミルと自動車関税を自慢したのです。自動車関税は、中国がアメリカ製自動車の関税を下げるという話ですが、中国で人気なのはドイツ車であり、関税が安くなったとしてもアメリカ車が売れるとは思えません。
中国の目玉商品は、農産物、エネルギー等を、136兆円購入するというものでしたが、トランプの反応は、従来の反応よりも小さなものでした。アメリカメディアも騒ぎ立てませんでした。米中交渉が成功だったのか失敗だったのか。トランプにも判定できなかったのかもしれません。いや、失敗を認めたくなかったのかもしれません。第三者の私の眼には、6対4で中国の判定勝ちだったように見えます。
アメリカが譲歩したのは、関税を25%にする時期を90日間先送りにしただけです。中国は、盛りだくさんのお土産を差し出しました。それなのに、トランプの反応は中途半端です。トランプがトランプではなくなったようです。
私は、「何か、変だな」と思っています。この「何か、変だな」の裏には、いつも、それなりの理由があるものです。
では、ここで、いくつかの妄想をしてみましょう。妄想ですから信用しないでください。
今回の米中首脳会談では、従来の外交交渉のやり方が採用されました。今回の首脳会談は、事前交渉で積み上げた内容を、大統領が承認する場だったのです。つまり、トランプはレールの上に乗せられていただけの大統領で、それが気に入らなかったのかもしれません。派手なパフォーマンスや度肝を抜く危険球を投げることが交渉だと信じている人ですから、交渉そのものに興味をなくしたのかもしれません。
今回のG20では、習近平の立ち居振る舞いが変わったと言われています。習近平に近い人は、自信に満ち、大人の風格があったと言う人もいます。習近平本人もその気になっていて、内心ではトランプを「下種野郎」と思っていたのかもしれません。確かに、トランプは「下種野郎」ですから、習近平の判断が間違っていたわけではありません。しかし、そういう空気は伝わるものです。一回目の首脳会談の時には、盛んに尻尾を振ってくれた習近平が心変わりをしてしまったと感じたのかもしれません。トランプは、何よりも、尻尾を振ってくれる人を愛します。安倍さんが愛されているのも、盛んに尻尾を振るからです。トランプは、不愉快だったと思います。不愉快な気分が尾を引いていて、いつもの調子が出せなかったのかもしれません。「僕、もう、あいつのこと、好きじゃないかも」
最近、トランプが急に老け込んだように感じています。体調に何らかの異変があったのかもしれません。
ロシア疑惑の捜査で新たな展開があるのかもしれません。
これ、全部、妄想ですから、忘れてください。

共同記者会見も行われませんでしたし、共同文書も発表されませんでしたので、会談内容の詳細は明らかになりませんでした。国内向けに、アメリカはアメリカの都合の良いように、中国は中国の都合の良いように、それぞれが発表しただけです。このやり方は、客観的に見れば、交渉は失敗した、ということであり、中国の思う壺になったということだと思います。
ただ、首脳会談が決裂してしまえば、それは、もう宣戦布告と同じです。
ですから、まだ、宣戦布告の準備が出来ていないために、時間稼ぎを必要としていたために、煮え切らないものになったのだと思います。
オバマは、意識的に戦争を避けてきましたが、トランプは、無意識に戦争を避けているように見えます。
トランプは、拍手喝采渇望症という病に罹患していて、自慢できる手柄が欲しいだけの人ですから、別に、戦争をしたいとは、露ほども考えていないものと思います。とりあえず、自慢する材料さえ貰えば、それで満足です。周囲が手柄に気付かない時は、自画自賛して、手柄をアピールします。他のことは考えていません。本物の戦争という選択肢はトランプの頭の中にはありません。戦争はディールの材料であり、実際に戦争をすることなど考えていないと思います。ただし、トランプが戦争にゴーサインを出す危険性はゼロではありません。たまたま、腹の虫の居所が悪くて、「やっちまえ」と言う可能性はあります。マティス国防長官が辞任したことで、もう、トランプを止める人がいません。
中国は、そんなトランプに対処しなければなりませんが、中国には、4千年の歴史が、権謀術策の歴史がありますので、高い能力を持っています。
中国の格言にあるのかどうかは知りませんが、「騙されるほうが、愚かなのだ」という格言があるのではないかと思っています。
彼等には、評価に値する言葉を発することも、実現しそうなプランを提示することも可能にする能力があります。中国では、言葉やプランと実行や結果との間に因果関係は必要ないのでしょう。ですから、言葉やプランが、実現するかどうかは別の問題なのです。また、「誠実さ」は相手に求めるものであり、自分が誠実になることではない。これが、中国の常識なのかもしれません。
ただただ、手柄が欲しいだけのトランプを騙すことなんて、朝飯前なのだと思います。
「騙し」に関しては、日本の官僚も優秀ですが、中国の官僚は桁外れに優秀です。
ここで、オピオイドの合意について、想像してみましょう。
トランプは「フェンタミルは阻止した。もう、安心してくれ」と自慢していましたが、実現するのでしょうか。フェンタミルはオピオイドの一種です。
オピオイドというのは、鎮痛剤です。多くは、癌の患者に投与されます。そのオピオイドによる中毒死が、アメリカ国内の社会問題になっているのです。どのくらい問題なのか。年間の死亡者数が増加し続けていて、2016年には4万人を超えたと言われています。中でも、中国製のフェンタミルは強力なもので、モルヒネの数十倍の鎮静効果があると言われています。常習性もあり、もう、鎮痛剤ではなく麻薬の範疇です。
中国は、そのフェンタミルの中国国内での取り締まりを約束したのです。
もちろん、約束したのは、中国国内を取り締まることであり、アメリカからフェンタミルを一掃すると約束したわけではありません。
中国は、法律も作るでしょうし、専門部署も作り、専門の人員も配置するでしょう。それなりに仕事もするでしょう。既存の部署に看板を増やせばいいだけですから、さほどコストはかかりません。言葉やプランや見た目は、納得できるものを提示するでしょう。
しかし、それが結果につながるかどうかは、別の問題です。
そもそも、フェンタミルをアメリカに流通させたのは工作活動の一部だったはずですから、それなりのコントロールは可能です。「努力はしている」と見せるだけの成果も出すでしょう。しかし、全廃の必要はありません。しかも、成分を少し変えて、第三国経由で、別名のオピオイド鎮痛剤を流通させれば済むことです。
中国は、既に、米中戦争は始まっていると考えているでしょうから、フェンタミルはアメリカ国内に騒乱を起こす材料であり、年間で数万人のアメリカ人を殺せる材料なのですから、手を引くつもりはないでしょう。オピオイド中毒死は、年々、若者に広がっています。中には、兵士もいるでしょう。そんな便利なものを、諦める必要はありません。時間をかけて、取り締まりをしている「ふり」をすれば済むことです。
そんな約束を、トランプは手放しで自慢しているのです。中国の官僚達は笑って見ていることと思います。
中国は、136兆円の買い物をすると約束しました。
でも、別に不要なものを買うわけではありません。アメリカ以外の国から買っていたものを、アメリカから買うだけです。アメリカ以外の国は、とんだ、とばっちりですが、仕方がありません。しかし、中国の腹は、全く、痛みません。
アメリカが要求する、技術の強制移転や知的財産等の5項目について、90日間で結論を出すことを約束しましたが、これも、先ほどのオピオイドの件と同じで、やっている「ふり」を見せれば済むことです。当然、アメリカからはクレームが付くでしょうが、また、新たに協議をすれはいいだけのことです。そうこうしている間に、中国は発展し、アメリカは衰退する。アメリカが開戦に踏み切らない程度にお付き合いをすれば、最終的に勝利が手に入ります。その間は、トランプに貢物を差し出すでしょう。必要経費ですから問題ありません。
G20の習近平は、とても、落ち着いていたと言われています。
きっと、世界覇権を取ることに、トランプをコントロールできることに、確信を持っているということなのでしょう。気が付いてみれば、米中交渉は中国ペースで進んでいるということは、そういうことなのではないでしょうか。北朝鮮との交渉も北朝鮮ペースで進んでいますので、アメリカが交渉でリードできる相手は日本くらいのものなのでしょう。過去の日米貿易戦争で華々しい勝利を収めたライトハイザーが交渉役に就任しましたが、あの成功体験は役に立たないと思います。日本と中国では水と油ほどの違いがあるからです。
ただ、トランプの交渉術が特に劣悪だというわけではありません。格の違い、横綱と十両の立ち合いのようなものです。アメリカも、どこかの時点でこのことに気付くでしょう。解決するためには、武力しかないということに気付く日がやってきます。



カナダ司法省は、米制裁措置に違反している疑いで、中国通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)の孟晩舟CFO(最高財務責任者)をバンクーバーで逮捕した、というニュースがあります。孟晩舟氏は、ファーウェイ創業者の長女だそうです。アメリカには、「ファーウェイは中国共産党工作部のフロント企業だ」と言う人もいますので、私もそう思っている一人ですが、新しい、しかも大きな争点が生まれたと思います。
この件で、中国外務省は、「人権、人権」と声高に主張しています。中国は、「人権」や「誠実」や「平和」という言葉をよく使います。これらの言葉に一番縁遠い国が、最近の中国だと思うのですが、平然と使うところが、すごいです。他民族の人権と、漢人の人権は別物で、漢人の人権だけは地球規模で守られなくてはならないと言っているように聞こえます。私には、鉄面皮な発言にしか聞こえませんが、もしかすると、これが王者の風格なのかもしれません。

米紙ウォールストリート・ジャーナルは、米国が同盟諸国に対し、ファーウェイを使わないよう求めたと伝えた。オーストラリアは8月、同社とZTEを締め出した。ニュージーランドも同様の措置を講じている。また、英通信大手BT(BT.L)は5日、5Gだけでなく、既存の3Gと4Gの基幹ネットワーク部分から同社を排除すると表明した、というニュースもあります。もちろん、日本もファーウェイを締め出しました。

米議会の超党派諮問機関である米中経済安全保障再考委員会(USCC)は先月、慎重に扱うべき一部の米国発のテクノロジーについて、香港による輸入に付与している特別待遇を見直すよう議会に提言。中国政府の声明や法制化が「香港の自治を守るとの中国の約束に反し続けている」ためだとしている。もしも、トランプ政権がこの提言を採用し、貿易において香港に認めている恩恵待遇の打ち切りに向けて扉を開けば、香港経済の優位性が損なわれるのではないかと、香港の経済界が懸念し始めている。中国政府との関係を深めている香港を「単なる中国の一都市」と見なす可能性が浮上しているためだ、というニュースがあります。

これらの小さなニュースを見ると、トランプ政府ではなく、アメリカ政府は、アメリカにとって危険な国である中国を封じ込めるために、同盟国に働きかけ、議会にも提案し、本気で取り組んでいることがわかります。以前に、アメリカには2つの政府があると書きました。アメリカ政府とトランプ政府です。時間の経過とともに、アメリカ政府が仕事をし始めたのではないかと思っています。いや、内戦が表面化してきたのかもしれません。
今のアメリカに必要なのは、同盟国との結束です。商売ではありません。アメリカ政府は、同盟国政府とトランプ政府の板挟みの中で苦労するでしょうが、やるしかありません。
ただ、内戦を抱えたままで、中国を封じ込むことは至難の業だと思います。

余談ですが、朝鮮半島情勢のことを書いておきます。
以前に書いた「日韓戦争」がヨタ話で終わらない可能性が増えました。
韓国は、既に、中国陣営に参加していると考えなければなりません。韓国は、少なくとも文在寅大統領は、先ず、日本と絶縁し、アメリカと決別する決意をしているものと思います。それが、中国陣営に参加するための踏み絵だからです。文在寅政権は、南北融和を政権の最優先事項としています。南北平和宣言と平和条約を結ぶことが目標であり、経済的、軍事的に独自の方針を出し、それを実行しています。韓国と北朝鮮は、境界線にある地雷を取り除き、自国の監視所を爆破しました。これは、画期的なことです。両国は、戦争をしないと宣言しているのです。ですから、今や朝鮮半島の危険な要素となってしまった在韓米軍には、撤退してもらいたいと願っています。ただ、自分から言い出せば、角が立ちますし、責任が生じますし、保守派からの批判もありますし、国民が賛成してくれそうにもありませんので、相手から手を引くと言ってもらいたいと願っています。韓国政府が、トランプの在韓米軍駐留経費の倍増要求に対して首を縦に振らないのも、金額の問題ではなく、何とかトランプのほうから在韓米軍の撤退を言い出してほしいと願っているからだと思います。トランプは、海外に駐留するアメリカ兵を本国へ呼び戻すことが手柄だと信じていますので、次の大統領選挙前に、在韓米軍の撤退はあり得るかもしれません。
トランプは大人気です。金正恩に利用され、習近平に利用され、文在寅にまで利用されようとしています。
日韓関係でも同じです。日本のほうから国交断絶を宣言してもらいたいのでしょう。そのために、理不尽な要求を出しているのです。韓国国民の反日デモと違い、堰を切ったように、公的機関が反日行動に出ているのは、韓国政府の確固たる意志の上で行われていると考える必要があります。それは、南北融和を進めるためには「日米韓」という枠組みが障害だからです。彼等は、その障害を取り除きたいと思っています。
韓国海軍の駆逐艦が、日本のEEZ内を飛行中の日本のP1哨戒機に攻撃用レーダーを照射した事件にも、韓国政府の意向が示されていると思います。これは、旭日旗クレーム事件に続く、韓国の意思表示だと思います。日本の政府関係者や専門家は、韓国海軍の一部跳ね上がりの軍人の軽挙だろうと水を向けますが、これは「トカゲのしっぽ切りを容認しますよ」と言っているようなものですが、その誘いにさえ応じません。文在寅政権は、せっかく、挑発しているのに、丸く治めたのでは目的が達成できないのです。
仮に、日本の駆逐艦が韓国の哨戒機をロックオンしたら、今回のような騒ぎでは収まりません。文在寅政権は、国内を納得させる口実が欲しいのですから、躊躇なく、国交断絶を宣言するものと思います。もっとも、自衛隊は、そんなことはしてくれません。
この先、韓国駆逐艦が、ミサイルを発射しても、自衛隊機が撃墜されたとしても、韓国は「誤射だった」と言うでしょう。哨戒機ではなく戦闘機だった場合は、戦闘行為があったかどうかは別にして、「攻撃を受けたから、反撃をしただけであり、日本政府に抗議する」と言うのでしょう。もちろん、自衛隊機が他国の駆逐艦に攻撃を仕掛けることはありません。
もしも、日本が国交断絶を宣言すれば、「誤解に基づき国交を断絶するのは、言語道断、常軌を逸しているが、我々は誇りを持って、この愚行に対応する。その責任は、全て、日本政府にある」と喜んでくれるものと思います。そうすれば、韓国の国民にも保守派にも言い訳ができます。
もちろん、独立国には、独自に自分の国の方針を決める権利があります。ですから、韓国の方針に日本が異を唱えることはできません。ただ、文在寅が危ない橋を渡っていることは明らかですから、韓国国内に分断が起きる可能性は低くありません。保守派からの批判も強くなっていると言われています。そうなれば、文在寅は反米・反日の姿勢をより鮮明にすることになり、経済的な混乱が増大し、デモ好きな韓国国民が全土で大騒ぎをすることになるのでしょう。
日本から国交断絶を宣言する必要はありませんが、韓国に進出している民間企業や、韓国に投資をしている会社や、韓国に居住している日本人もいますので、日本政府は、適切に情報を開示し、企業や投資家や日本人の判断を助けるべきだと思います。

戦争は、やらなくて済むのであれば、それが最善の方法です。しかし、戦争が不可避であるならば、勝てる戦争をしなくてはなりません。アメリカが中国に勝つためには、仲間の助けを借りて、本気で向き合わなければ、勝てないことを認識するべきです。世界がガラガボンに直面していることを認識し、個人プレーではなく、国として、その修羅場を乗り切る知恵を出さなければ、アメリカの未来はありません。
もっとも、日本は、勝手に自己崩壊するのですから、アメリカの未来がどうであろうと関係ありません。でも、アメリカに巻き込まれて崩壊すれば、崩壊の原因が誤認されることになり、未来の日本人に悪い影響を与えてしまいます。日本は、自業自得で崩壊したということを認識しなければ、再生日本の将来に禍根を残すことになります。
もっとも、中国の属国になれば、日本再生はできません。日本人は日本人ではなくなり、三等中国人になるからです。


2019-01-03



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フランスのSNSデモと日本の暴動 [評論]



去年、フランスがデモで荒れていました。
原因は、燃料税の増税に反対する市民運動から始まったとされていますが、今や、マクロン大統領退陣要求になっているようです。
日本で、デモと言えば共産党主催と相場が決まっていますが、今回のフランスのデモは「アラブの春」が再燃したようなデモです。フランスはアラブではありませんので「フランスSNSデモ」と呼ぶべきかもしれません。
デモの参加者は、地方在住の庶民です。
燃料税の増税は、その切っ掛けに過ぎず、生活苦が動機のようです。
マクロン大統領の支持率は、20%まで落ち込みました。
マクロンは、増税開始時期を先送りせざるをえませんでした。
このままだと、マクロンはフランス史上最悪の支持率を誇る大統領になりそうです。前回の大統領選挙でも存在感を見せたルペンの右翼政党が力を手にする機会だと言う人もいます。すでに、政党支持率では逆転しています。
フランスでは2018年の1年間で、すでに軽油価格が23%、ガソリン価格が15%値上がりしていて、今回の増税案は庶民が受け入れられる限界を超えたようです。
デモを取材した日本人ジャーナリストの報告から、そのインタビュー内容を見てみます。


デモ参加者の多くが、地方からこの日のためにパリに訪れていた。年金について抗議をする高齢者、燃油税値上げに不満を漏らす人、反マクロンの極右や極左など様々な人が参加していたが、話を聞いた人たちは口を揃えて「一生懸命働いて税金を納めているのに、月の終わりに苦しむのはうんざりだ」と憤った。
パリ・オペラ座前で杖をついて佇んでいたナディン(70)は、「一般社会貢献税(CSG)の税率引き上げにより、年金受給額が減った。このままだと、孫にお小遣いすらあげられない」と、不満をこぼした。
ルーブル美術館周辺で、北仏ノルマンディーの旗を掲げていたジェレミー(34)とジュリアン(33)。「政府から無視されているように感じる」と憤るジェレミーは、こう続けた。「母は600ユーロ(7万8千円)の年金から税金など支払った後、手元には200ユーロ(2万6千円)しか残らない。マクロンは、田舎に住む国民の生活も考慮するべきだ」
北仏ピカルディ―地域圏から参加したクリストフ(59)は溌剌とした様子で、「一番腹が立っているのは、マクロンの傲慢な態度だ。外国のことばかりで、自国のフランス人を蔑ろにしている。購買力が下がって苦しんでいる国民の声を『聞いているフリ』をするのは、許せない」
高級ブティックの前でビラを配っていたファニー(68)とジゼル(46)は、「家」がなく、市から補助を受けた施設に暮らしているという。
「定年退職するまで38年間、きっちりと税金を納めてきた。それなのに今は毎月の生活費は雀の涙ほど。毎日同じサンドイッチ(3.5ユーロ 450円)を食べて、同じ服を着ている。健康に良い野菜や魚を買って食べたいのにお金がない。レストランでの食事や、服の買い物なんて10年近くしていない。年金は少なくなる一方で、税金だけどんどん上がっていく」
一方、同様に市から補助された施設で暮らすジゼルは「兄は、路上生活を送っている。マクロン政権は富裕税(ISF)を廃止するなどお金持ちには優しいけど、社会の底辺で暮らしている人間の声も聞くべきだ」と語った。
Tax(税)とExit(出口)の造語「Taxexit」と書いた紙を貼ったヘルメットを装着するクリスチャン(70)は、妻と南仏から毎週黄色デモに参加するためにパリに来ているという。「来年1月からの燃油税値上げは辞めるべきだ。僕の住む田舎では、病院までの距離は片道40㎞。相当な距離を毎日運転するから、生活に響く」
また、パリ郊外に住む男性(35)は「仕事を2つ掛け持ちしている。毎朝3時に起きて、パリの勤務地まで45㎞運転して、夜帰宅する。これだけ働いても生活費と車の燃料費にお金がすべて飛んで、子どもに何も買ってやることができない」と、まくしたてた。
一方エンジニアの男性(34)は、「給料は1400ユーロ(18万2千円)。家賃や電気代など請求書をすべて払い終わったら、5日目に口座は残額ゼロになる。月末は-1000ユーロだ」と、先行きの見えない生活にうんざりした様子で答えた。
ル・モンドに掲載された「上流階級は世界の終わりを考え、僕たちは月(毎月末)の終わりを考える」と題した記事では、フランス東部のドゥー県にある人口5500人の村に暮らす人の声を紹介している。チーズ産業で働く22歳のヴィクトル・マルゴンは1700ユーロ(約21万9000円)の給料のうち、500ユーロ(6万5千円)の燃料費を払っている。彼は、「毎朝3時に起きて、月末に苦しむなんてもううんざりだ」と語った。一方、兄弟と農家を営む28歳のガエル・トゥレは、農業に使用するトラクターのガソリン代を節約するために馬を使用するようになったという。
毎日働いても給与は税金と生活費に消え、満足した生活を送れない――。そこに直面することになる燃油価格高騰。同じフランスに住んでいるにも関わらず、政府から地方への配慮が感じられない中間層の怒りが爆発した反乱となったようだ。


これが、先進国フランスの現状です。
ま、フランスの場合は、建前も本音も用心して聞かなければなりませんが、デモという行動に出ているのは、それなりの動機があるのでしょう。ただ、フランス人はデモ好きで知られていますので、その点も考慮する必要があります。
日本人から見ると、大規模デモをやるようなことなのだろうか、と思いますが、フランスにはフランスの事情があるのでしょう。
ヨーロッパは福祉が充実していると言われますが、それは、税金が高いというということでもあります。福祉政策として老人に年金を支給しているのは、どこの国でも同じなのでしょうが、日本では、年金しか収入のない老人の年金から、保険料は引かれますが、税金が引かれることはありません。高福祉高負担という方式の弱点は、低所得者に打撃を与えるという点にあるのかもしれません。特に、マクロンは、法人税の減税と富裕層の減税をしましたので、庶民の反発は大きくなっています。フランスでも、トリクルダウンという考えがあるようです。企業や富裕層を優遇すれば、その「おこぼれ」が庶民を潤すという日本の自民党と同じような考え方です。でも、この考え方は、今の時代には通用しません。それは、企業も富裕層も、将来に不安を持っているからです。「おこぼれ」しないように、財布の紐を締めることが、彼らの仕事になっているのです。過去の方式に固執するのではなく、新しい方式が求められているのですが、その新しい方式を見つけることができないのです。これは、フランスに限ったことではありません。
もちろん、国そのものが貧しい国は数多くあります。「サンドイッチが食べられるのに、何を贅沢なことを言っているのだ」と言うアフリカ人もいるでしょう。
フランス人の生活苦の根っ子は、賃金や税金や燃料費だけではありません。失業が目の前にあるのです。
難民、移民がヨーロッパを目指しますが、ヨーロッパの人達が彼等を歓迎しない気持ちもわかります。経済のパイの大きさがどんどん大きくなっているのであれば、問題はありませんが、先進国の経済成長はドイツを除き微々たるものです。生活が苦しいのに、仕事がなくなる心配もしなければなりません。フランスの失業率は9%です。
どこの国の指導者も、国民生活を守る処方箋を持っていないのです。
フランス国立統計経済研究所の調査によると、フランスの国民全体に大きな購買力低下が見られたと報告しているそうです。同調査によると2008年~2016年にかけ、フランス人家庭は平均500ユーロ(約6万4500円)近い可処分所得を失ったということですから、フランス人にとっては死活問題なのでしょう。
この調査が示唆している現実は、停滞・衰退・崩壊というサイクルの停滞期に生まれる現象ですし、停滞期の次には衰退期がやってくるのですから、将来も可処分所得が減少し続けるということです。現状よりも、将来の方がヤバいです。
ドイツを除くヨーロッパ各国の庶民は、フランスと同等かそれ以上の生活苦を体験しているものと思います。
このフランスの現状を見ると、フランス国民の生活は守られていません。フランスだけではなく多くの先進国で、同じような現実に直面しています。これは、昨日書いた、成長・繁栄・停滞・衰退・崩壊というサイクルの停滞・衰退・崩壊という場所に入っているということなのだと思います。
そんな時に、「防衛費を増やせ」「イランと商売するな」「アメリカ製品を買え」「中国を締め出せ」というトランプは、どこの国にも歓迎されません。イランや中国が危険な存在であることは、どの国でも承知しています。しかし、どこの国でも、中国を締め出すような余力はありません。中国との商売がなくなれば、更なる窮地に立たされるのは目に見えています。余裕がなければ、将来のことよりも、目先のことが重要になるのです。
西側同盟国の中に、既に「分断」は始まっていますし、今後、その亀裂は大きくなっても小さくなることはないのではないでしょうか。誰でも、わが身が一番可愛いのです。
フランスだけではなく、イタリアもスペインもギリシャもイギリスも東欧諸国も、同じような現実に直面しているものと思いますので、EU加盟国の「分断」も始まっていると思います。国内に「分断」が生まれ、地域に分断が生まれ、国と国が「分断」し、誰もが自分の利益を声高に主張し始めているのです。武力に訴えて、自分の利益を確保しようとする国が出てきても不思議ではありません。

では、日本は、どうなのでしょう。
日本は、フランスほど税負担は高くはありませんが、生活苦では負けていません。年金生活者で比較しても、支給額から必要経費を差し引いて残る可処分所得は、フランスと同じようなものだと思います。多分、物価は日本のほうが高いと思いますので、日本の年金生活者のほうが生活は苦しいと思います。
しかし、日本では、「〇〇反対」という共産党主導のデモは起きても、大規模な「SNSデモ」は起きません。それは、国民が日本人だからです。
日本で大規模なデモが起きる状況を想像してみましょう。
過去に、「百姓一揆」や「米騒動」がありましたが、あれは、デモではなく暴動です。日本人は、「暴動を起こすしか生きる道はない」という極限状態まで我慢するのが常でした。そのDNAは今でも健在だと思います。「今日の米、明日の食糧」が無くなった状態で暴動が起きていることをみると、日本の場合は、もう少し先になると思います。市民革命の体験がない日本では、庶民の不満は「生きる」ための暴動にしかなりません。最初に行き詰るのは老人になりますが、体力のない老人は暴動を起こせません。ですから、暴動はギリギリの状態まで起きないことになります。
ただ、財政破綻は激震になりますし、人口減少は不治の病ですから、忍耐強い日本人であっても、どこかで辛抱が切れる時がやってきます。その上、戦争や災害が来れば、大騒乱に、暴動になるしかありません。
米中の覇権戦争という事態がなくても、世界に先駆けて停滞から衰退へと進んでいる日本の国民生活は更に厳しくなる環境にありますが、米中貿易戦争による中国経済減速の影響は大きく、日米貿易交渉も始まりますので、泣きっ面に蜂の状態になる可能性が高いと思います。その上、トランプには、貢物を献上しなければなりませんので、その費用を国民が負担しなければなりません。安倍総理が、貢物として、1兆円出して、F35を100機買う約束をしましたが、あれは、安倍さんのポケットマネーで買うのではありません。F35は必要だと思いますが、国民が買っているという事実は知っておかねばなりません。国民生活は、更に、悪化すると考えておいた方がいいと思います。それでも、日本人は我慢します。ほんとに、世界一「いい人達」ばかりです。「いい人達には、悪いことは起きない」のであれば嬉しいのですが、そんな法則はありません。いい人であろうと悪い人であろうと、隙があれば、不幸の神様はやってきます。幸福の神様は一人しかいないかもしれませんが、不幸の神様は大勢いるのです。どんな隙も見逃してくれません。

どうすれば、いいのか。
国民が、声を出し、行動しなければならないのですが、私達は何もしません。
もちろん、何かをしたら、何かが変わるなんて保証はありません。
しかし、何もしないのですから、何も変わりません。
全て、「お上」の意のままです。
それは、私達が、声を出し、行動するという文化を持っていないからです。
もちろん、誰かが、何とかしてくれる、なんてこともありません。
とても、残念ですが、これが現実です。


2019-01-02



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成長・繁栄・停滞・衰退・崩壊というサイクル [評論]



私が予測した「日本崩壊」まで、残り7年となりました。
財政破綻による日本崩壊は、日銀の荒業により数年「先送り」になったと思いますが、「日本崩壊」の予測は、変えずに、見守りたいと思います。それは、崩壊の要因となるものは、財政だけではなく、人口、戦争、災害という幅広い災禍が目の前にあるからです。

このブログのテーマは「理不尽」ですが、その大半が将来の「理不尽」に関するものです。
ただ、1日先でも1年先でも、10年先でも100年先でも、将来です。それは、予想であり、予測であり、想像であり、妄想です。ですから、その通りになるなんてことはありませんが、ここで書かれている妄想は、かなりの確率で実現する可能性があります。
時の流れが速度を増したことで、100年後の予測は不可能となりました。いや、数年後の予測でも、予測通りになる確率は減少しています。だからと言って、予測が不要だとは思いません。逆に、長期予測が今ほど重要度を増している時代はなかったのではないかと思っています。
年々、国際問題を書く頻度が増えてきました。時間が速くなっただけではなく、世界の距離も近くなった関係で、国際問題の影響が大きくなってきているからです。
今日の話題は、長期予測の中でも、20年~50年くらい先を想定した予測です。
ですから、ほとんど眉唾物の予測になります。

「歴史は繰り返される」という言葉があります。
その最も代表的な例が、成長・繁栄・停滞・衰退・崩壊というサイクルです。
繁栄し続けた国も、政権も、王朝も存在していません。
必ず、崩壊しているのです。
そう考えると、先進国は、既に、停滞・衰退・崩壊のプロセスに突入していると思われます。それは、経済成長をみれば一目瞭然です。
先進国が、次々と崩壊を迎えれば、世界が無傷のままというわけにはいきません。その先頭を走っているのが日本です。
ただ、先進国は全て民主国家ですから、民主国家の崩壊がどんな形になるのかは経験をしたことがありませんので、想像できる人がいません。もちろん、私にもわかりません。
今のところ、民主主義に代わる思想はありませんので、独裁国家ではない社会主義国家になる可能性があります。マルクスが推奨した社会主義ではなく、民主主義風社会主義国家です。
日本が、その方向へと向かった時は、民主主義風社会主義風王政並立封建国家となり、ただのご都合主義になってしまいますが、それは別の機会に書きます。
現時点で存在している民主主義、社会主義、資本主義、独裁という4つの思想が、これまでと違ったペアリングをする形態です。従来は、民主主義と資本主義、社会主義と独裁が結びついていましたが、他の選択肢を考えなくてはならないほど行き詰っているからです。その最先端を走っているのが中国です。中国は、社会主義と資本主義と独裁の「いいとこどり」をして発展しました。民主国家が、社会主義と結びついても不思議ではありません。「新しい哲学と思想」が生まれていれば、それを選択する道もありましたが、無い袖は振れません。既存の思想の修正をする道しかないのです。
例外的に、もう一つの可能性として、過去に存在した帝国主義の復活があります。民主国家がそれを選択した場合は、民主主義風帝国主義国家になります。
現在のアメリカは、その方向へと進んでいるように見えますが、そのためには強大な力が必要になります。今のアメリカに、その力があるとは思えません。しかし、トランプは世界に向かって「俺の命令に従え」と怒鳴っています。トランプは、すべての国を植民地にして、その頂点に立てれば満足するのでしょうが、そんな力は無いと思います。
一方、中国は、社会主義風独裁帝国主義国家を目指しているように見えます。中国には、まだ、勢いがありますので、可能性がない訳ではありません。それでも、中国には、まだ、全世界を支配下に置くほどの力はありませんので、戦いの中で勝ち取れるかどうかが焦点になります。ただ、そう簡単なことではありません。
アメリカと欧州と日本、そして多くの民主国家が、帝国主義時代へと戻りたいと思っているのか。そんな認識は、どこの国も持っていないと思いますが、アメリカの変節だけではなく、欧州でも右翼政党が力を持ちつつありますので、「あり得ない話」ではないと思います。
ただ、そのことを問う世界世論は、今のところ、生まれていません。
世界の民主国家が、そのことを認識できなければ、世界は逆走を始めてしまう可能性があります。いや、その可能性は少なくないと思います。
そうなっているのは、民主国家のリーダーであるアメリカが、停滞・衰退・崩壊のプロセスに耐え切れずに、価値観の変更をしてしまったからです。確かに、従来の価値観では未来が見えませんので、変更を余儀なくされたのでしょうが、逆走することが吉と出るのか凶と出るのか、わかりません。
民主主義や社会主義に代わる「新しい哲学と思想」が必要だと書いてきましたが、それが、どんなものなのかは見当もつきませんが、未だに、生まれていませんので、現在の哲学と思想を修正するか、過去に逆走するしか選択肢はないのかもしれません。
そう考えると、アメリカの選択も仕方がなかったのかもしれません。社会主義風独裁帝国主義国家に対抗するためには、民主主義風帝国主義国家になるしかなかったのでしょう。
これは、資本主義と社会主義が行き詰り、中国の台頭とアメリカの衰退が、同じ時代に遭遇したことが最大の要因なのだと思います。
過去の帝国主義時代が世界をどう変えたかについては、既に、歴史となっていますので、その帰結は容易に想像できます。世界大戦で決着するしかないと思います。
「新しい哲学と思想」が必要だと考えている人は、世界中に、それなりにいると思いますが、これは、天才の出現を待つしかありません。待っても、待っても、天才は出現しないかもしれませんが、それでも、時間稼ぎをする必要はあるのかもしれません。
しかし、「世界が逆走に向かっている」という世界潮流が生まれていることを認識していなければ、時間稼ぎの必要性も感じないまま、世界は混沌の世界に突入するしかないのでしょう。もちろん、袋小路に追い詰められている現状を心配している学者はいます。しかし、その袋小路から抜け出す方法は見つけることができていません。必要なのは、学者ではなく天才だからです。私達凡人は、流れに押し流され、時にはその流れを押し流しながら、不安定な混沌の世界という大海に出ようとしています。そのことに警鐘を鳴らす方は、多くはありません。
残念なことですが、「新しい哲学と思想」は混沌の世界というプロセスの中からしか生まれないのかもしれません。だとすると、世界は、一度、「ガラガラポン」を経験するしかないのでしょう。
将来、歴史として21世紀を振り返れば、21世紀は混沌の時代の始まりだったと言われるのかもしれません。
しかし、私達は、その時代を生きている人間です。
これまで何度も、時の流れの速さに言及してきましたが、私達はこのニューノーマルに慣れる必要があります。これまでのように、時間をかけて現状把握をし、時間をかけてその分析をし、時間をかけて計画を立てるという、従来のやり方が通用しない時代になっています。特に民主国家では時間がかかります。計画立案の前に、次のフェーズが始まってしまい、計画は役に立たなくなる時代なのです。「オレオレ詐欺」対策に似ていますが、これも、時代によるものかもしれません。
では、どうすればいいのでしょうか。
想像力を使うしか方法は残されていないのではないでしょうか。
これは、最善の策とは言えませんが、他に選択肢があるとは思えません。
もちろん、コンピューターのAI技術の助けも必要です。しかし、どれほど技術が進歩しても、人間の想像力には敵いません。人間の想像力は、理路整然とした回路から導き出されるのではなく、脈絡のない場所から結論が出てくるのです。
極論ですが、私達は数千年昔の時代に戻ろうとしているのかもしれません。余りにも時間の流れが速すぎて、論理的な推論によるものではなく、優秀な占い師や預言者がいる国が栄える時代になる。そんな時代が、目の前にあるのかもしれません。
日本だけではありませんが、国民の多くは、将来に不安を感じています。そして、実際にその不安は現実になるのでしょう。人間には、そういう能力があるのです。動物の中には、地震や火災を事前に察知して逃げるという能力を持っているものもいます。そこにあるのは理屈ではありません。本能です。

「国が乱れる」という言葉があります。
権力争奪戦を思い浮かべる方が多いのかもしれませんが、国民目線から見れば、この言葉は、国民の生活が破綻することを意味します。歴史の教科書は支配者目線で書かれてきましたので、権力争奪戦が表面に出ていますが、多くの国民が苦しんできた経緯があります。
権力闘争や反乱が原因で国民生活が破綻することもあります。
天災や気候変動により、食糧が枯渇して、起きる場合もあります。
人口減少などの国力衰退により、起きることもあります。
財政破綻が引き金になって起きることもあるでしょう。
他国との戦争が、国民生活を破綻させることもあります。
それ以外にも、「国が乱れる」原因は星の数ほどあるのでしょう。
要は、国民生活を守るための国家運営システムが機能しなくなると、国は乱れることになるのです。これを逆の方向からみると、国家運営システムは国民生活を守るために存在していることになります。
では、「国が乱れる」時の初期症状をみてみます。
それは、「分断」から始まるのではないでしょうか。
ただ、「分断」も一様ではありませんので、「国が乱れる」時の初期症状だとは認識されないことが多いと思います。
「分断」には、イデオロギーによるもの、貧富によるもの、年齢によるもの、性別によるもの、権力や武力によるもの、慣習によるもの、地域によるもの等々、分断の種はどこにでもあります。
「分断」症状が現れるということは、どこかで、システムにヒビが入り始めたということなのではないでしょうか。
自然消滅することもあるでしょうし、対策が功を奏して終息する場合もあるでしょうが、そうならない時には、犠牲者が出る事態になることがあると思います。
当たり前のことですが、この分断は、国が成長・発展している時には表面化しません。なぜなら、国民全体の生活が日々良くなっていくからです。
逆に、停滞・衰退の時には、国民の生活が悪化しますから、「分断」が表面化します。
これを「分断」という症状から見てみると、「分断」が表面化しているということは、停滞・衰退のフェーズに突入しているということです。
日本の現状を見てみましょう。
経済の低迷が続き、人口減少で国が衰退する時代を迎えています。日本は、他の国と違い、国民の皆さんが「いい人達」ばかりですから、他国ほど「分断」は表面化していませんが、「分断」症状は見られます。勝ち組と負け組。老人と若者。正規社員と非正規社員。金持ちと貧乏人。都会と地方。他にもあると思います。
停滞・衰退の次に何が来るのか。セオリーから推測すれば、破綻しかありません。それとも、停滞・衰退の先に、成長・繁栄がやってくるというV字回復は可能なのでしょうか。私には、想像もできません。苦節数十年か数百年を経て、新しい成長と繁栄の時代がくることはあるのでしょう。いや、そうであって欲しいと思いますが、そのためには、先ず、苦しみの中で生き延びなくてはなりません。これが、一番、大変です。私達の子供や孫が、その時代を生き抜かなくてはならないのです。宿命だと言ってしまえばそれまでですが、ほんとに、申し訳ないことです。

では、何か、手立てはあるのでしょうか。
私の妄想力では、何も見つかりません。
ただ、今存在する国や社会という全てのシステムは、人間の生活を向上させるために、そして、それを守るために作り出されたものです。そんな意識は、とっくの昔に忘れ去られていますが、行き詰った時は原点に戻るしかないのではないでしょうか。
ただ、人間は、システムを変えるために、今、手にしている利益を捨ててもいいとは思いません。利益の上に利益を積み上げたいと思うものです。このスケベ根性は人間が何らかの行動を決める時の最強の動機になります。ですから、システムの変革は実現しません。そう考えると、崩壊は通らなければならないプロセスなのかもしれません。人間は、自分の利益がゼロになって、初めて、新しい利益を積み上げるための変革を受け入れることが出来るのです。
私は、これまで、「無茶な提案」ばかりを書いてきました。その無茶な提案が実現するなどということは考えていません。それは、私達が人間だからです。
しかし、数十年後か数百年後かは定かではありませんが、日本が再生する時には、考慮していただけると嬉しいと思っています。曖昧文化は私達の血肉となっていますので、そう簡単には決別できないと思いますが、是非、決別してもらいたいと願っています。その時までに「新しい哲学と思想」が生まれていればいいのですが、そうではない場合、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義ができて、「子供達の未来のために」が国家目標になれば、少しはましな修正民主主義が生まれるかもしれません。

それでも、崩壊へと向かっているプロセスを見続けたいと思っています。
99.99%起きることのない奇跡を夢見ることになりますが、これも、人間の「強欲」の一つなのかもしれません。
今年も、暗い話をお届けします。


2019-01-01



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