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2018-07-04 評論       「国民負担率」 
2018-07-03 評論       「重箱の隅」 
2018-07-02 評論       「世界はどこへ 2」 
2018-07-01 評論       「世界はどこへ 1」 


再掲載

    崩壊との遭遇      崩壊後の社会    

   簡単な算数       財務省の推計  


このプログには、次のオリジナル小説があります。

長編小説 「無力」「海の果て1-3部」「理不尽」「陽だまり」「復讐」 「弱き者よ」
短編小説 「不運」 「天軍の藍」「甲子園城」「川面城」
超短編  「すずめ」 「雨」 「算術」 「逃亡者」 「告発」「火球少女」「花火」

・・・ それぞれの小説へは、この下にある目次から飛んでください ・・・

         日記は左の 記事一覧 からお願いします

  >>> 目 次 <<< 




[ あらすじ ]

    1    

[ 無力 ]

    1     2     3     4     5     6     7     8     9      

   10    11    12    13    14    15    16    17      


[ 海の果て・・・ 1部 ]

    1     2     3     4     5     6     7     8     9     

[ 海の果て・・・ 2部 ]

    1     2     3     4         

[ 海の果て・・・ 3部 ]

    1     2     3     4         


[ 不運 ]

    1    


[ 天軍の藍 ]

    1   


[ 理不尽 ]

    1     2     3     4    


[ 陽だまり ]

    1     2     3     4    

[ 復讐 ]

    1     2     3     4     5    


[ 弱き者よ ]

    1     2     3     4    


[ すずめ ]

    1    


[ 雨 ]

    1    


[ 算術 ]

    1    


[ 逃亡者 ]

    1  


[ 甲子園城 ]

    1  



[ 告発 ]

    1  



[ 火球少女 ]

    1  

[ 花火 ]

    1  

[ 川面城 ]

    1  









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国民負担率 [評論]



毎回、毎回、夢のない話ばかりで申し訳ありません。
誰も、こんな暗い話を読みたいとは思いませんよね。
私も同感です。
ですから。
誰も、こんな話を書きたいとは思わないのでしょう。
でも、現実から逃れられないのと同じで、何の対応もしなければ、将来からも逃れることができません。なぜなら、過去が現在に繋がっているように、現在は未来とも繋がっているからです。人間は「欲」で出来ていますので、放置すれば、必ず、地獄へと向かう習性を持っています。突然、地獄が出現することはあっても、理想郷が出現することはありません。でも、人間から「欲」は切り離せませんので、どうしても、軌道修正という作業が必要になるのです。もしも、「国は、国民生活のために、存在するシステムである」という原則があるとすると、その原則に戻る必要があるということです。
私達の生活は、一歩一歩、着実に、苦しい方向へと向かっているのです。
国民の皆さんも、そのことは、薄々、感じていると思います。
軌道修正をしなければならない時期にあるということです。
ですから、誰かが、書くしかないのです。
「お前が書いても、意味ねぇだろう」と言われるかもしれません。
確かに、私のやっていることに意味はありません。
その通りなのですが、それでも、抵抗したいと思うのです。
いや、他に抵抗手段がありません。
もしも、百人の国民が、千人の国民が、一万人の国民が、百万人の国民が、千万人の国民の方が、抵抗したいと思ってブログを書けば、この国は変わります。気の遠くなるようなことですが、他に方法があるとは思えません。
「何か、他に、いい方法があるだろう」という方は必ずいます。もしも、そんな方法があるのであれば、是非、ぜひ、教えて欲しいと思っています。
いつも、ほんとに、申し訳ありません。

私達の生活を、庶民の生活を、江戸時代と平成時代で比較してみたいと思います。
江戸時代の庶民を、百姓に代表してもらいます。
平成時代の庶民は、サラリーマンだとします。
江戸時代の生産品目と言えば、米です。
平成時代は、この米に匹敵するような圧倒的な生産品目はありません。
江戸時代の百姓が支払う税は、年貢と呼ばれていました。
平成時代は、税金と保険料が年貢に匹敵すると思います。
余談ですが、江戸時代の初期と末期で大きく違うのは、商人が力を持っていったことだと思います。それは、商人に対する徴税システムが不備だったことを示しています。百姓の場合は、検地があり、田畑の監視があり、生産物は目に見えるという利点がありましたが、商人は多種多様であり、利益は日々の積み重ねであり、その利益は貨幣に置き換えられていましたので把握することが難しかったのだと思います。稲田は動かすことも隠すこともできませんが、貨幣は隠すことも移動させることも容易にできます。江戸時代が終盤になるほど、武士が商人から借金する金額は増えていきます。不思議に思うのですが、武士は絶対権力を握っていたのですから、借金をするのではなく、税として徴収すれば済んだはずです。商人に利息を支払い、特権を与え、商人の利益に貢献することしか出来ませんでした。これは、明らかに、伝統に縛られた領土運営の失敗だと思います。江戸時代に欠けていたものは、国税庁と税務署と大量の徴税職員だったのではないでしょうか。国家運営が、戦と米で成り立っているという古い考えから脱却できなかったのです。
平成時代のサラリーマンは、源泉徴収制度により、税・保険料は給料から天引きされています。一方、企業や自営業者と呼ばれる人達は、申告制度で税を納めます。江戸時代と違うのは、申告制度に対する専門部署が国にあることです。もっとも、その専門部署は法律に縛られていますので、政治家の都合でどうにでもなるという欠点はあります。この欠点というのは、国民にとっての欠点に過ぎず、政治家にとっては、利点になります。
百姓とサラリーマンは、キッチリと徴税されるという点でも共通しています。
こうやって比較してみると、昔も今も、それほどの違いはないように見えます。
江戸時代の富豪が、平成時代の大企業が、利益を独り占めする構図も同じです。
江戸時代の富豪も平成時代の大企業も、政治家に献金をして特権を手にする手法は似ています。「金が物を言う」のは、どの時代でも同じだということです。なぜなら、人間は「欲」で出来ているからです。

江戸時代の百姓の年貢は、時代と場所により違いますが、四公六民や五公五民や六公四民と呼ばれ、収穫した米の4割から6割を税として納めていました。
「なんと、ひどい」と思うかもしれませんが、実は、今でも同じなのです。
平成時代の、税・保険料の国民負担率は、約4割だそうです。江戸時代の四公六民と同じです。
しかし、2040年には、この国民負担率は6割になると予測されていて、六公四民に近づいていくようです。
農業は自然が相手ですから、豊作の年もあれば凶作の年もあります。例えば、六公四民の場合で、通常の収穫が10石あったとします。凶作で収穫が半減すると5石です。百姓の取り分を計算してみると、10石の4割は4石ですが、5石の4割は2石です。もしも、生きていくためには、4石必要だったとすると、2石では飢え死にすることになります。百姓は、年貢の減免を要求しますが、領主も6石の収入があるはずなのに、3石しか徴収できませんので、簡単には認めません。百姓一揆を起こしたとしても、全面的な勝利はなく、一揆の首謀者は死罪になります。百姓は、土地を捨て、都会に流れていきますが、都会では農業ができませんから、職業がなく、貧困からは抜け出せません。
サラリーマンは天候に左右されるケースは少ないですが、その生活は物価に左右されます。現代のサラリーマンを貧しくするのはインフレです。ベネズエラのハイパーインフレの記事を書きましたが、現代の庶民の最大の敵は、インフレにあります。しかし、政府は、インフレにしようと必死です。「なんか、変」です。
例えば、20万円の給料を貰っているサラリーマンの可処分所得は、国民負担率4割の場合では12万円ですが、国民負担率が6割になると8万円になります。12万円でも苦しかった生活が、8万円になってしまえば、どうすればいいのでしょう。それでも、何とか、生き延びる工夫はします。しかし、インフレになると、その努力は報われなくなります。ハイパーインフレになれば、生活は完全に破綻します。
もっとも、皆さんは「俺には、関係ねぇ」と言っているのですから、何を言っても無駄なのでしょうが、皆さんの未来にあるのは、不安だけです。
庶民は、何のために存在しているのでしょう。そうです。税金や保険料を払うために存在しているのです。ここにも、勘違いがありますが、もっと大きな勘違いは、庶民を守るために国があるのではない、ということです。これまで、国が庶民を守ったという実例は、人類史上、どこにもありません。そのことは、将来、皆さんが体験することで、初めて理解できるようになります。ベネズエラが、今、それを実践しています。

2040年には、社会保障費が190兆円になると推定されています。
仮に、国庫負担が100兆円だとして、実現可能なのでしょうか。
政府の試算では、GDPは、約800兆円になるとされていますが、霞が関が作る公共工事の試算と同じで、効果は絶大、費用は極小で見積もられています。潜在成長率が小さく、生産性が悪く、人口減少が続く国で、GDPに期待するのはいかがなものでしょう。
政府試算の現状を、他の例で、見てみましょう。
PBの黒字化に過ぎないとは言え、政府は、とりあえず、財政健全化という旗を掲げていましたが、その小さな旗でさえ、5年先送りされました。過去の政府目標は、あくまでも、好ましい数値をもとに作文されたものにすぎません。増え続ける借金に、歯止めをかける意思も行動も持ち合わせていません。政府試算は、都合により、どんな変更でも可能な数値にすぎないのです。その作文に、類まれな才能を発揮しているのが、優秀な官僚と呼ばれている人達です。ただ、いつまでも、先送りが出来るわけではありません。
政府は、好景気だと宣伝していますが、財政健全化目標に使われていた数値は、超・好景気の数字だったのですから、目標が達成できなかったのは仕方がありません。目標設定当初から先送りが前提にあったとしか思えません。
そして、今回、設定された目標に使われている数値も、またも、実現性に乏しい数値です。
いわゆる、官僚が得意とする、作文というやつです。
5年後に、また、先送りをすればいいのですから、何の問題もないのでしょう。
政府試算とは、こういうものです。
日本の経済成長は、世界経済の成長に影響されます。世界経済は、2019年に減速し始める、と多くの専門家が言っています。この先、5年から10年は世界不況がやってくるのです。そんな時期に、身の丈に合わない数値を頼りにしていても、いい結果は得られません。
政府試算が絵に描いた餅になってしまった財政健全化目標のケースを見ても、GDP800兆円は無理筋だということです。なぜ、こんな茶番が大手を振って歩いているのでしょう。トランプほど露骨ではありませんが、日本の政治家の皆さんも、選挙で勝つことと政権を維持することが最大の目標になっているからです。今、流行りの、自己保身と組織防衛です。国民のことは、二の次です。
数字遊びで、国民生活が守れるのであれば、こんな楽なことはありません。
現実的には、500兆円の、GDPが維持できれば上出来なのだと思いますが、それでも、仮に、GDPが800兆円だとしてみます。国民負担率が60%になれば、税収は増えますので、税収は100兆円になるとします。国家予算が160兆円だとして、60兆円の借金をして、100兆円の社会保障費を支払うことができるのでしょうか。実現不可能だと思います。
こんなことは、多くの方が承知しています。
何とかしなければなりません。
歳入を増やすか、歳出を減らすか、の二者択一しかありません。
中でも、一番、簡単で、着実な方法が国民負担率を上げることです。
だとすると、国民負担率が60%で終わるという保証はありません。これまで、社会保険料に縁がなかった人達からも徴収しなければなりません。年金保険料・医療保険料では、既にその動きが始まっています。介護保険料は、現在、40歳以上の方が支払っていますが、今後、徴収範囲は広がると思います。

国民負担率以外の環境も見てみます。
就職活動をする大学生が、教授に質問したそうです。「先生、老後資金は1億円必要だと言われていますが、どんな会社に就職したらいいのでしょう」という質問でした。年金・医療・介護は自分で支える時代になることを知っているのです。国民負担率が60%になるのであれば、いや、40%であっても、1億円を貯金するのは至難の業です。しかも、多分、1億円では老後は支えきれません。教授は「わからない」と答えたそうです。

老後の心配をすれば、それでいいのでしょうか。
そうではありません。
貧困の波は、着実に広がっています。
介護退職という風潮は、今後も、増え続けます。
貧困の震源地は老人です。地震の地震波に相当するものが、貧困波(こんな言葉は、まだ、存在していませんが、既に、貧困の連鎖という言葉は生まれています)だとします。波は、広がっていく性質を持っています。
では、今、震源地である老人介護の現場で、何が起きているのでしょう。
介護の課題は介護職員の給料の安さや人員不足だと言われていますが、それだけなのでしょうか。
それだけではありません。
経済的虐待が増えているそうです。
ある養護施設の方の話です。
「預貯金や年金だけでは生活に窮する人が増えています。それだけではなく、40代50代の子供が親を経済的に虐待し、それを逃れるために入所する人が増えました。約4割が家族からの経済的虐待が原因で入所しています」
「親の、少ない年金を頼りに子供が生きている。年金を渡さなければ、手を出したり、家の外に追い出したり、嫌がらせをする。また、自分一人でも食べていけないからという理由で、親を警察署の前に捨てていく子供もいます」
「施設で受け入れても、親の年金を頼りにして暮らしている子供が追いかけてくる。入所後は、新しい名前を名乗ってもらい、電話がかかってきても取り次ぎません」
多分、皆さんの身近には、こんな話はないでしょう。でも、これが、現実です。
親にも頼れない、いや、子供にも頼れない時代になっているのです。
この貧国は、必ず、若者の近くまで押し寄せてきます。
政府は、公助を減らし、自助、共助を増やしたいと言っています。家族という形態を大事にしたいと言っています。生活保護の受給資格にも、この考えは影響します。「貧困老人は、子供に面倒みてもらえ」ということになります。政府には、貧困を若者まで波及させようとする意図があると思わなければなりません。
貧しくても、老人になるまで生き延びることが出来れば、お祝いしなければならない時代になります。いや、いや、老人になっても、死がやって来るまで、地獄を生きなければなりません。誰もが、早く、苦しまずに、死にたいと願う日が来ます。尊厳死法案の提出が待たれます。

また、日本の金融資産は老人が持っていると言われています。
では、遺産相続の実態はどうなっているのでしょう。
日本で、遺産相続を具体的に検討している親は1割で、資産は生きているうちになるべく使い、残った分を子供に相続させるという親が8割、全部使い切るという親が1割だという調査結果がありました。
内閣府の調査では、老人の貯蓄目的は「万が一の備え」とする人が約5割、「子供に残すため」という理由を挙げた人は2.6%に過ぎなかったそうです。
それだけではありません。
政府は、目先の数字のために、老人に「資産を使え」と何度も言います。メディアの中でも、この手の発言はよく聞きます。政府は、「使わないと、損ですよ」とばかりに、相続税の増税もしました。資産の継承という「伝統」も失われているのです。若者は、政府も親も面倒見てくれないのですから、自力で自分の生活と老後を勝ち取らなければなりません。いや、親の面倒も見なくてはならなくなります。
政府も親も、目先のことしか眼中にありません。将来を、子供達や孫達の生活のことを、何も考えていないのです。
では、老人が所有しているとされる国民金融資産は、無駄な金なのでしょうか。
そうではありません。
この国は、借金をしなければ運営できません。老人が保有する資産があるから、国債が消化できているのです。老人が資産を使い果たしたら、誰の資金で国債を消化するのでしょう。今の若者に、数千兆円の貯金が可能なのでしょうか。
今の私達は、未来を食いつぶしながら生き延びているにすぎません。どうして、そのことを心配する人がいないのでしょう。「ツケを未来に残すな」と言う方はいますが、それは、常套句を暗唱しているだけであり、誰も具体的な危険を示しません。国民は、国の借金のために貯金をし続けなければなりませんが、そんなことが出来ないことは、明らかです。
どこかの時点で、必ず、「ガラガラポン」をしなくてはならないのです。この「ガラガラポン」は多くの犠牲者を生み出します。

子供達の将来は、お先真っ暗なのが現実です。
国民負担率が上昇し、社会保障がなくなり、インフレが待っている未来。
子供達の未来は、貧困が大きな口を開けて待っているのです。
それを、国民は、直感として知っています。だから、不安なのです。
あなたを守れるのは、あなたの家族を守れるのは、あなたしかいないのです。どこかの、誰かが、何とかしてくれるというのは、幻想にすぎません。


これは、国家運営のシステムそのものが限界を迎えている証だと思います。
では、処方箋はあるのでしょうか。
誰も傷つくことのない処方箋などありませんので、先送りされているのです。
多分、国家運営システムを作り直すしかないのではないかと思います。
構造改革では追いつきません。新たな、構造設計が必要になっていると思います。
新たな、構造設計をしたとしても、構造疲労をここまで放置してきたのですから、当然、多くの方が痛みに苦しみ、中には耐えかねて亡くなる方もいるでしょう。もちろん、新しい蜜に群がる蟻も生まれます。
それでも、他に選択肢はありません。
そのためには、新しい思想と哲学が必要になります。それが期待できないのであれば、民主主義をもう一度見直してみるしかありません。
最後まで挑戦するのか、逃げるのか。私達はその選択を迫られています。挑戦しても逃げても、犠牲は覚悟しなければなりません。これは、犠牲を選ぶか、大きな犠牲を選ぶか、という二者択一なのです。他に選択肢はありません。
ま、新たな構造設計などに挑戦する人はいないと思いますので、大きな犠牲を伴う国家崩壊を待つことになります。
将来の国民生活は、無視されていることに気付いてください。
今は、先送りをし、国民負担率を上げることで帳尻を合わせていますが、国民負担率を7割に、8割に上げることは可能なのでしょうか。例えば、年収400万円のサラリーマンの手取りが80万円になって、生活できるのでしょうか。それでも、何とか生活したとしましょう。では、9割になったとしたら、10割になったとしたら、どうするのでしょう。働いても、働いても、手取りは0円です。これでは、誰も働きませんよね。私達は、そういう道を選んでいるのです。「俺には、関係ねぇ」と言っていても、税金や保険料という国民負担金は、給料から自動的に天引きされるのです。どう見ても、国民一人一人に関係していると思うのですが、現実を見ようとしない人達は、「俺には、関係ねぇ」と言います。これは、もう、信仰の世界です。
国民負担率一つをみても、これだけのシグナルが出ています。この国の崩壊は、既に、軌道に乗っているのです。
しかし、その被害を受ける国民に抵抗する気はないのですから、受け入れるしかありません。棚から牡丹餅は落ちてきません。
せめて、大声で「あちゃー」と叫びましょう。
もしかすると、叫べば、神風が吹くかもしれません。
これは、嘘です。ごめんなさい。


2018-07-04



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重箱の隅 [評論]



小泉進次郎は政界の「希望の星」だと言われているそうです。
「総理にふさわしい人」という記事には、いつも、彼の名前が出てきます。
最近の世論調査でも、石破さん(2位)や安倍さん(3位)を抑えて、堂々の1位でした。
あの若さで、総理候補と言われるのは、異例のことだと思いますが、とても、歓迎できることでもあります。
では、その「希望の星」に問題はないのでしょうか。
国民の皆さんは、小泉進次郎の何を知っているのでしょう。
国民は、ただ、漠然と、曖昧に、ふんわりと、何となく、「いいんじゃねえの」と思っているだけなのではないでしょうか。
不安感と閉塞感が、掴もうとしている藁に過ぎないのかもしれません。
小泉進次郎が総理大臣になれば、日本は今よりましになるのでしょうか。
私は、そこに確信が持てません。
いや、確信どころか、希望も持てません。
私達は「他の人より、まし、だから」という思考に慣れすぎているようにみえます。自分に責任があることに気付かず、他人任せで、「多少、まし、だから」で、何とかなる時代なのでしょうか。
私達に必要なのは、アイドルのような政治家なのでしょうか。
違うと思います。
安倍さんには安倍さんの、石破さんには石破さんの良さがあります。小泉進次郎の良さは「若さ」ですが、もちろん「若さ」は重要な要素ですが、「若さ」だけで、何とかなるものなのでしょうか。
小泉進次郎も、国民という名の「愚か者」の中から選ばれた「愚か者」の一人なのですから、彼に「希望」という星を背負わせることには無理があるように思えるのです。結局、国民が、目を覚まさなければ、この国を変えることは出来ないのではないでしょうか。

確かに、彼は、既存政治に対する違和感は持っているようにみえます。
何とか、変えたいと思っていることも伝わってきます。
ま、若手政治家で、彼のような人材が存在しないことも現実ですが、小泉進次郎にしか希望がないとすると、お先真っ暗に見えてしまうのは、なぜなのでしょう。
もちろん、私が、国民の皆さんと同じように、彼のことを知らないことが、こんな文章になる原因なのでしょうが、希望の星であれば、ニュースの端々にその片鱗が見えてもいいのではないかと思っています。
多少出来の良い政治家という評価であれば、否定しませんが、「希望の星」は少し、評価しすぎなのではないかと思ってしまいます。
農業再生や社会保障改革に注力していましたが、成果はあったのでしょうか。私には、既得権益者に利用されただけで終わったようにみえます。多分、そのことは、彼も感じていたと思います。ですから、国会改革をテーマに選んだのでしょう。政治改革ではなく、国会改革をテーマに選んだのは、出来ることから改革をしていくという現実を大切にしたためだと思いますが、それは、大変立派なことですが、時間軸を考慮していないことは、結局、他の政治家と同じで、既存政治家と呼ばれる日が来るように思います。
彼の着目点は、他の政治家と違いますから、そこに価値があることは認めますが、農業再生や社会保障改革や国会改革の前に、どのような国家運営が求められているのかを示す必要があると思います。もしも、彼が既存政治家とちがって、「希望の星」なのであれば、その重みは背負ってもらわなくてはなりません。50歩100歩では、意味がないのです。
先ず、自分の思想を示さねばなりません。もう、見た目や変わった発言や演説で点数を稼ぐ時期は過ぎたと思います。小泉進次郎を分析する書物はありますが、小泉進次郎が自分の思想や戦略を書いた本は見当たりません。どんな国を作りたいのか、という思想を国民に示すことが必要です。寄って立つべき思想が無い状態で総理大臣になっても、何かが成し遂げられるとは思えません。この国は独裁国ではありませんので、総理大臣になっても、自分一人で国家運営が出来るわけではありません。思想もなく、賛同者もなく、周囲が既存政治家ばかりで、しかも、個人の利益ばかりを追求する人達ばかりで、どうやって国家運営をするのでしょう。これでは、夢物語です。
彼がやらねばならないことは、「国とは、国民とは、民主主義とは」に挑戦することだと思います。農業再生や社会保障改革や国会改革の答えもそこにあります。この国が進む道を、思想で示すことが求められているのだと思います。彼が、どこまで現状を認識できているのか不明ですが、私達に残された時間は多くはありません。彼も、この国の進んでいる方向を変えたいと強く願っていると思いますが、原点に戻ることと時間軸を考慮に入れることを忘れていれば、他の政治家と同じで「重箱の隅を突く」だけに終わってしまいます。これでは、森友・加計に執着している野党議員と変わりがありません。もちろん、目を覚まさなければならないのは小泉進次郎ではなく国民なのですが、今のままだと、結局、政治家に丸投げしている国民に全責任が帰結するという既存の政治と何ら変わりがありません。国民は、次の「希望の星」を探すことになります。
この国を、どんな国にしたいのか。その目標を達成するためには、何をしなければならないのか。その目標がないまま、国会改革をすることに、何の価値があるのでしょう。国会改革をするためには、先ず、選挙制度や政党政治を変える必要があります。自民党の選挙制度改革は、定数の問題ばかりで、彼も、その枠の中で「ああだ、こうだ」と言っているだけです。彼は、政党政治の根幹にある党議拘束には賛成しているようには見えませんので、党議拘束という日本の政治風土を変えることから始めるのであれば、それなりに評価できます。もちろん、その先には、選挙制度を作り直す仕事が待っています。そして、最終目標は、国民を、国民生活を守ることです。国家の目標は、それ以外にありません。
投票を押しボタン方式にし、ペーパーレスにし、過去の慣習を見直す程度で、国会が変わるとは思えないのです。「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義をした上で、「国会とは、国会議員とは」という定義をしたとします。では、その定義を満足させるためには、投票を押しボタン方式にし、ペーパーレスにし、過去の慣習を見直すことが唯一の方策だと言うのでしょうか。それでは、余りにもお粗末な方策なのではないでしょうか。それは「重箱の隅」なのではないでしょうか。
もちろん、何もしなしよりは、まし、です。
でも、この国が置かれている状況が、それで解決するのでしょうか。



小泉進次郎は、他の政治家に比べれば、出来のいいほうだという意見には賛成です。
では、なぜ、小泉進次郎に対して、こんな批判的な文章を書いたのか。
批判すべき政治家は、山ほどいるだろう、という意見にも賛成です。
しかし。
「希望の星」と言われる小泉進次郎でさえ、「重箱の隅」にいるのでは、国民はどうやって「希望」を持てばいいのでしょう。国民の声を聴き、もっと根っこの部分を変える政治家になって欲しいという願いは、無理な注文なのでしょうか。もちろん、国民が声を出さないのに、そんな要求をするのは筋違いだと言われれば、その通りなのでしょう。でも、彼は政治家である前に、一人の国民なのですから、問題意識を持つ責任は負っていると思います。しかも、政治家になりたいと思っている国民なのですから、国民を守るためには何が必要なのかを考える責任もあります。思想のない政治家に、国民を守る力は生まれません。是非、国民生活を守る政治家になっていただきたいと思います。ま、私の勝手な願望であることは認めます。
小泉進次郎の話を書いたのは、スウェーデンの記事を読んだためです。
ロシアのウクライナ侵略以降、バルト海は欧州の火薬庫になっています。
そのバルト海に面している国は、ロシア、フィンランド、スウェーデン、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、ドイツです。
バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)は旧ソ連領であり、ロシア語人口も多く、ウクライナの次にロシアに侵略されるのは、バルト三国だと言われています。NATO軍も増強されていますが、ドイツ軍は独自に軍を派遣しています。ドイツにとって、バルト三国やポーランドやオーストリアは、自国の安全の緩衝材だからです。
スウェーデンだけではなく、欧州各国が危機感を持ったのは、ウクライナ侵略だけではありません。ロシアのバルト海での大規模軍事演習というデモンストレーションがあり、ロシア西部への軍の増派があります。プーチンの好戦的な発言も日常になっています。一方、トランプ流の「カネ、カネ、カネ」がそれまでの信頼による安全保障体制を揺るがせていることがあります。ドイツのメルケル首相は、「安全保障をアメリカに頼る時代は終わった」と言っています。
日露戦争で有名になったバルチック艦隊は、バルト海で作戦を行っていた艦隊が、極東艦隊を応援するために派遣されたものです。でも、それは、歴史になりましたので、私達にとってバルト海やバルチック艦隊という言葉は、遠い存在です。ですから、日本にはその緊張感は伝わってきませんが、現地の人達は、真剣に戦争を心配しているのです。
今年5月にスウェーデン政府は、全住民に「IF CRISIS OR WAR COMES」という冊子を配布したそうです。ロシア軍の侵攻に備えるためです。
スウェーデンは、人口1,000万人の国です。
長い海岸線があります。
ロシア軍の侵攻を海岸で阻止することは不可能です。
冊子は、侵攻してきたロシア軍に、国民がどう対処するかを、書いたものです。
対面戦争ではなく、最初からゲリラ戦を想定した内容です。国民一人一人に、ゲリラ戦を一人のゲリラとして戦うことを求めている冊子です。その中で「スウェーデンは降伏した、という情報が流れたら、それはロシアの流したデマだから、信用してはいけない。スウェーデンは、決して、降伏することはない」と書かれています。徹底抗戦を国民一人一人に求めているのです。もちろん、スウェーデンには、徴兵制度があります。男も女も移民も、徴兵対象者になっています。
「我々の周りの世界が変わり、政府はスウェーデンの総合防衛力の強化を決めた。平時の緊急事態への備えは、戦時の回復力の重要な基礎になる」と書かれています。
NATOへの参加も検討されています。
北欧諸国が恐れているのは、そう遠くない未来に、場合によっては10年以内に、彼等が長年頼りにしてきた欧州や環大西洋の構造が崩壊する可能性があることです。
「軍の存在意義は、単純に国の存続にある」と言われ、同盟国は頼りにするが、単独で戦う意思があると宣言することが目的のようです。
スウェーデン政府は、世界環境が変わったことを認識し、将来を予測し、不測の事態に対処するように、国民に求めています。
このような行動は、一人や二人の政治家の思い付きで出来るものではありません。もちろん、反対する人や批判する人もいたでしょう。それでも、スウェーデン政府として冊子を配るという行動に出たのは、政治家にも国民にも一定のコンセンサスがあったためだと思います。それが、「民度」なのだと思います。
これが、普通の国の、普通の対応なのではないでしょうか。

では、日本の環境は、どうなっているのでしょう。
50年前と、何も変わっていないのでしょうか。
いいえ。
世界の中で、アジアの変化が一番大きいのです。
そんな時代に、超大国と呼ばれたアメリカが弱体化しています。それでも、日本はアメリカにしがみ付く戦略しか持ち合わせていません。スウェーデンは、欧州やNATOを頼りにしていますが、自分の国は自分で守るという原則は知っています。
中国は、ロシアを凌ぐほどの軍事大国になりました。南シナ海を軍事拠点化し、台湾海峡では軍事恫喝をし、東シナ海にも多数の艦船を派遣し、朝鮮半島への影響力も強めています。それは、中国の目的が、世界制覇だからです。一帯一路でユーラシア大陸を自分の勢力下に置き、太平洋を支配し、世界制覇を完成させようとしています。太平洋を支配するためには、台湾と、朝鮮半島と日本を勢力下に置き、台湾も、朝鮮半島も、日本も、中国が呑み込むことを意味しています。そうしなければ、太平洋は支配できません。太平洋を支配し、最終目標は、アメリカを支配下に置くことです。
そんな環境下にある日本で、政界の「希望の星」と言われる小泉進次郎は、何をしているのでしょう。国会の投票形式を、ボタン方式にすることで、国会を改革しようとしているのです。時代錯誤の極みだと思います。寝惚けているとしか思えません。
戦争の危険だけではありません。私達の国は、人口の激減と財政破綻という爆弾も抱えているのです。いつ、自滅するのか。それほど遠い未来だとは思えません。
政界の「希望の星」なんて命名は、笑ってしまいます。
幕末の志士達は、世界に目を向けていました。自分の国を、民を、守るために行動したいと願っていました。命を落とした志士も大勢いました。小泉進次郎がやろうとしている国会改革は、徳川幕府内部の老中改革のようなものです。そんなことをしていて、国が守れるとは思えません。
能天気な政治家に頼っていてはいけない時代を迎えているのです。
今こそ、国民が立ち上がる時です。
しかし、国民は「俺には、関係ねぇ」と言っています。
これでは、国が崩壊するのは、必然だと思うしかありません。
私達の国は、三重危機(人口・財政・戦争)の真っ只中にあるのです。
重箱の隅を突いている暇などありません。
あらゆる分野で、隠蔽・自己保身・組織防衛が最優先になっている時代に、我らが「希望の星」は、重箱の隅に安住しているのです。
スウェーデンとの落差が大きすぎて、愕然とします。
なぜ、こんなことになってしまったのでしょう。
私達の国に欠けているのは、「定義」です。
私達は、「国とは」なんて考えたこともありません。
私達は、「国民とは」なんて定義を知りません。
私達は、「民主主義とは」なんて、問いかけたこともありません。
私達は、何一つ、定義を持っていないのです。
私達は、他力本願が正しい道だと信じています。
私達は、自分を守るための努力を何もしていません。
そうです。
私達は、「無知」であるだけではなく、自分達が「無知」であることにさえ気付かない状態で浮遊しています。
なんの定義もありませんので、「国民の責任」なんて言葉も生まれません。
責任者が、その責任を知らずに、どうやって、自分を守るのでしょう。
「誰かが、何とかしてくれる、だろう」と思い込んでいます。
都合の良いことに、この「誰か」の中に自分は含まれていません。
「俺には関係ねぇ」という信仰も、ここから生まれました。
日光東照宮の三匹の猿は増殖し、今や、1億2,000万人の猿になってしまいました。
国会改革だ、と寝惚けたことを言っている小泉進次郎の記事が出てくることが、この国の末期症状だと思います。
お手上げです。

小泉進次郎君。
ごめんね。
君が頑張っていることは、評価します。
でも、残念ですが、何の役にも立っていません。
もちろん、私だって、こんな評論を書いていたって、何も役に立っていません。
国民の目を覚ます方法がないのですから、どうすることも出来ません。
痛い目に遭えば目を覚ましてくれるのかどうか、それさえも確信が持てません。
国民は、皆で「あちゃー」と言うことで、納得してしまうかもしれません。
これは、もう、私達の宿命のようです。
それでも、皆さんは「別に、俺には、関係ねぇ」と言うのでしょう。
もちろん、それも選択肢の一つですから、仕方ありません。
でも、皆さんは「こんな筈じゃなかった」と臍を噛むことになります。
「前悔」という言葉はありません。「後で、悔いる」から「後悔」なのです。
みすみす、後悔することがわかっているのに、そこに飛び込んでいくのはいかがなものでしょう。


2018-07-03



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世界はどこへ 2 [評論]



少し視野を広げて、アメリカが置かれている状況を見ると、北朝鮮問題なんて、些細な問題に見えてしまいます。最大の問題は、アメリカの孤立です。今のアメリカには、全世界を相手に戦える力はありません。なぜ、こんな無茶をするのでしょう。
米朝首脳会談後の記者会見でも、G7の質問が出ました。
「同盟国であるカナダのリーダーを『弱虫』と罵り、悪逆非道の金正恩を『素晴らしい指導者』だと褒めるのは、何故なのか」という質問です。
ここに、目先の利益に執着する企業経営者の弱点があり、トランプを大統領にしてしまったアメリカ国民の勘違いがあるのだと思います。
このままだと、アメリカは壊れてしまいます。是非、立ち直ってもらいたいと思っています。日本にとっては、中国の支配下に入るよりも、アメリカの支配下にいるほうが、ほんの、少しだけ、居心地がいいというだけのつまらない理由しかありませんが、是非、お願いしたいと思います。

トランプ政権の足跡をみてみます。
NAFTA、TPP、移民問題、パリ協定、イラン核合意、北朝鮮非核化、貿易戦争、どれをとっても成功しそうにありません。特に、貿易戦争は、世界を大混乱に落とすインパクトを持っています。これ、全部、トランプが一人で、壊しまくっているのです。
問題提起することは、悪いことではありません。しかし、その問題提起の量が、もう、収拾がつかない量になっています。たとえ、トランプが再選されたとしても、あと6年で結果が出るわけではありません。そして、ここまで来ると、もう、昔のアメリカに戻ることも出来ないと思います。トランプは、意図せずに、衰退するアメリカの背中を「力一杯」押してしまったのです。
アメリカは、もともと、横暴な国でしたが、トランプの横暴には、世界が、特に、これまで協調してきた同盟国が、辟易しているようにみえます。国際関係が、利害関係で成立することは仕方ありませんが、それなりに、信頼関係もあったのです。
アメリカとソ連の冷戦終結から約30年を経て、新しい世界が、その実態を見せ始めたのかもしれません。

民主国家の場合、国民世論は大きな力を持ちますので、リーダーの資質だけでは国の方向性は決まりません。しかし、アメリカ国民は、フリーズ状態になっていて、ただただ、傍観しているようにしかみえません。まるで、日本の国民のようです。
これまで、アメリカ国民は外交には、余り関心がありませんでした。
アメリカは超大国ですし、外交では、アメリカの思い通りになってきましたから、放っておいても、国民は、自分達が苦境に堕ちる心配はなかったからです。
しかし、トランプの時代は、違うかもしれません。
過去の延長線上に未来があると信じたいと思っているでしょうが、そうではない時代になる可能性があります。
これまで、世界最強がアメリカ人のプライドの源泉でした。
しかし、新興国の中国に「もしかしたら、俺達、勝てるかもしれない」と思わせてしまったのです。もう、ぶっちぎりの最強国家ではないと見られているのです。
また、アメリカ人は、好戦的であるだけではなく、ヒーローが大好きでした。
悪漢や、悪の枢軸や、負け犬は大嫌いでした。
しかし、アメリカは、その「悪」のトップランナーになろうとしています。今や、「負け犬」にならないという保証もありません。
ハリウッドが、ヒーローを作り続けてきたのは偶然ではありません。どこの国でも、正義のスーパーヒーローは歓迎されますが、特にアメリカでは大歓迎されます。現実としては、正義もスーパーヒーローも存在していませんが、アメリカ人は、自分達がそのスーパーヒーローだと思い込み、そのことを自慢できることだと信じています。
自分の都合だけで、世界を敵に回して戦っているトランプでも、アメリカ国民にはヒーローに見えているのかもしれません。幻想を見ているとすると、困ったことになります。確かに、テレビショーとして見ている分には、楽しいエンターテイメントですが、大丈夫なのでしょうか。
ここで、もう一つ、アメリカ人の勘違いを、別の記事から引用しておきます。
「アメリカ人は、自分達の国は、高潔で、特別で、聡明で、寛大であり、アメリカの外交政策は世界のほぼ全ての人にとって望ましいと信じ、そんなアメリカの政策に同意せず、アメリカの真意を疑う者は、精神的に、どこかに異常があるに違いない、と信じている」
これも、「俺達が一番」教という宗教なのかもしれません。
信仰の力は偉大ですが、反面、信仰は大変危険です。
アメリカを中心にして世界が動いていた時代は存在していました。しかし、時は移り、世界は変わってしまったということに、気付いていないだけなのではないでしょうか。
アメリカが衰退していることに、国民が気付く時が来ます。国力衰退を、他国のせいにしているトランプ政権の処方箋は間違っています。国力衰退は、アメリカ自身の問題であり、その責任を取るのは、アメリカ国民です。
もちろん、アメリカだけではありません。日本も国力衰退に直面しています。それだけではなく、先進主要国と呼ばれる国々も、この国力衰退という病にかかっています。
時代は動くものです。永遠は、この世に存在しません

もともと、世界に相互信頼など存在していませんでしたが、それでも、建前としては存在していました。その建前さえも、トランプは否定したのです。
トランプの態度が変わらなければ、同盟国と言えども、トランプに同調しなくなると思います。なぜなら、どの国のリーダーも自国の国益を一番大切にしなければならないからです。
同盟国は、今、納屋に仕舞ってあった天秤を取り出していると思います。
アメリカ主導で世界秩序を維持してきた同盟国でしたが、そのリーダーであるアメリカがその役目を放棄してしまったのですから、自国の国益を確保する方策を探さなければなりません。その時に必要になるのが、天秤です。
自分は損をしても、アメリカのためであれば我慢しますと言うのは、日本くらいです。
安倍総理は、北朝鮮の非核化の費用は負担すると言っています。
「アメリカは、カネを出さない。韓国と日本が出してくれる」と言ったトランプの言葉に忠実に従おうとしています。
アメリカは、CVIDの工程表を作る努力はするでしょう。そして、実行しようとするでしょう。でも、それがCVIDにならないことは、いつかの時点で知ることになります。そうなった時、アメリカは、当然、次善の策に切り替えることになります。それが、戦争でない場合は、ICBMの廃棄交渉です。アメリカは、ICBMさえ廃棄すれば被害は出ないのですから、妥協するかもしれません。日本に決定権はありません。結果的に、短距離ミサイルと中距離ミサイルは廃棄できずに、アメリカに危険が及ぶICBMだけを廃棄するための費用を、日本が負担することになる可能性があります。
貿易戦争で、同盟国が離反していけば、アメリカ国防省は開戦に慎重になるでしょう。マティス国防長官も、中国を何とかしないと大変なことになると発言しています。彼の判断は正しいと思います。彼は、中国を抑えるためには、アメリカも、軍事力を増強しなければならないが、必要なのは同盟国の力だと言っています。この判断も正しいと思います。今、必要なのは、同盟国の結束であり、同盟国に貿易戦争を仕掛けたり、同盟国のリーダーを侮辱したりすることではありません。アメリカだけで、中国やロシアの連合軍と戦うことは不可能です。

同盟国の反発を受ける中、アメリカは、中国製品に対する関税政策を7月6日に発動すると発表しました。その規模は、約5兆円です。中国も、報復措置として、アメリカからの輸入品5兆円に対して25%の関税をかけると発表しました。
アメリカ政府の決断には驚きましたが、それ以上に、中国政府の決断には吃驚です。このまま、全面的な貿易戦争になった時、中国は、どうするのでしょう。対米輸出抜きでは、中国経済は成り立ちません。
ほとんどの人が、いや、トランプを除く全員が、トランプ発言は、単なる「脅し」に過ぎないと思っていました。いやいや、今でも、そう思っている人は大勢いると思います。どこかで、変更、前言撤回、が出ると思っています。米朝首脳会談でも、見事な「変身」を実行しましたので、貿易問題でも、当然、そうなるものと思っていたでしょう。そう思っていたから、中国もEUもカナダも報復関税を発表したのです。世界は、アメリカの関税政策は「取引」のテクニックだと未だに思っている、ということのようです。世界中が「馬鹿な政策だ」と思っているようですが、確かに、馬鹿げた政策ですが、このまま、成り行きで、本物の貿易戦争になったら、どうするのでしょう。
それぞれの国に、いろいろな思惑は、あると思いますが、それでも、実際の貿易戦争が始まることになってしまいました。
中国の報復措置に対する、更なる報復として、アメリカは、約20兆円規模の追加品目のリストアップ作業を加速させています。
5兆円の品目の影響は限定的だとされていますが、20兆円の品目の影響は甚大だと言われています。更に、中国元は安値を更新していますので、アメリカもドル安政策をとるでしょう。通貨戦争の先にあるのは経済制裁です。そして、経済制裁の先には、戦争があります。
国としての実力は、まだまだ、アメリカのほうが強いと思いますので、中国が正面からアメリカに対抗するのは時期尚早だと思いますが、5兆円という賽を投げてしまったのですから、あらゆる手段を使って、続けるしかないのかもしれません。でも、ここは、タイミングを見て、アメリカに勝ちを譲るほうが利益になります。チャンスは、この先、まだまだ、あります。このままだと、勝負は、アメリカ国民と中国人民との忍耐力勝負になってしまいます。決して、中国国内も万全な状態ではないと思いますので、手を引くことが国益になると思います。
少なくとも、貿易戦争がエスカレートする条件は整ったのです。
お互いに「こんな筈ではなかった」ということは起きるものです。
まだまだ、いろいろな交渉は行われると思いますが、貿易赤字の削減は、トランプ政権の目玉政策ですから、成果が得られるまで、続けるしかないと思います。
もちろん、日本にも影響があります。中国製品としてアメリカに輸出されている品物には多くの日本製品が使用されています。これは、世界経済のパイが小さくなるということです。
世界経済の減速だけではなく、米中双方が、売れなくなったものを別の国に売ろうとするでしょう。アメリカも中国も、日本に協力を求めてきます。いや、協力ではなく踏み絵になる可能性もあります。日本政府は、どこまで対応できるのでしょう。すぐにではありませんが、貿易戦争の終盤になれば、中国はアメリカ国債売却というカードも切るでしょう。ここでも、日本に対する「アメリカ国債を買え」という圧力は大きくなります。トランプの日本に対する基本姿勢は「カネを払うのは俺じゃない。お前が、カネを払え」です。長年、不動産業で培ってきたトランプの感覚を過小評価してはいけません。最初に尻尾を振って来た安倍を、「こいつは、カネになりそうだ」と思い、「アベ」と盟友になったのだとすると、トランプのほうが一枚上だったということです。

少し、貿易赤字の根っ子を見てみます。
なぜ、アメリカは、これほど大きな貿易赤字を抱えているのでしょう。
それは、アメリカ製品に競争力がないからです。
現に、中国に進出しているアメリカ企業のシェアは、年々、減少していますので、この先もアメリカの貿易赤字は増えると予測されています。
原因が、余りにも単純な理由ですから、つい、見落とされてしまいますが、トランプだけではなく、多くのアメリカ人が、アメリカという国そのものが衰退し、競争力を失っているという現実に気付けていないのかもしれません。
競争力、これが資本主義のルールであり、グローバル経済のルールです。
それを、関税で逆転させようとしても、無理があります。ある評論家は「関税政策は、19世紀の経済理論であり、21世紀では通用しない。なぜなら、グローバル経済は19世紀には存在していなかったからだ」と言っています。19世紀でも、21世紀でも共通していることは、世界は弱肉強食で成り立っているということです。競争力の欠如は弱点です。
確かに、中国の知的財産の盗用や開示強制はルールに違反していますが、その違反を関税で解消することはできません。自国の製品に競争力がないことを無視してでも、どうしても、貿易赤字を出したくないのであれば、戦争という手段で相手を叩きのめして勝利するか、貿易をやめて、鎖国政策を取るしかありません。
最大の問題は、アメリカそのものが衰退しているという現実です。ラストベルトこそが、アメリカの現実なのです。関税で、デトロイトを50年前のデトロイトにすることは出来ません。資本主義経済を続けるのであれば、自国の衰退という現実を無視するのは、賢明な対策ではないと思います。貿易赤字を貿易という土俵の上だけで解消することは、もう、できないと思います。
競争力の喪失という原因に目をつむり、貿易赤字という結果を、関税で何とかしようとしているトランプ政策は、デフレという結果を捻じ曲げて経済発展を取り戻したいと言っている、どこかの国の総理大臣と似ています。
ただ、貿易戦争であれ、武力衝突であれ、当事国双方の国民に大きな影響が出ます。
アメリカ国民は、その実際の痛みに耐えられるのでしょうか。中長期的な勝算があるのであれば、「少しの間、我慢してくれ」と言うこともできますが、トランプ政権にそんな戦略があるようにはみえません。

更に、10月には、自動車の輸入関税も25%になると言われています。
中国に対する関税政策でさえ馬鹿げていると思っていた世界の国々は、まさか、こんな愚策は実現しないだろうと思っています。
アメリカ国内でも、業界団体をはじめ、多くの反対意見がありますので、実施は難しいかもしれませんが、もしも、実行されたら、欧州のリーダー国であるドイツは大きな痛手を負い、隣国のカナダも大きな打撃を受け、同盟国の亀裂は大きくなります。G7国ではありませんが、メキシコも韓国も痛手を受けます。もちろん、日本の自動車メーカーの痛手も、小さくありません。
アメリカ国内に限っても、最悪の場合、60万人の雇用喪失になると指摘する人もいます。普通は、こんな政策は採用されませんが、トランプですから、誰も確信を持てません。
「脅しによる取引」は成功している限りは有効な技術ですが、一度失敗すると、役に立たなくなる技術です。負けるわけにはいかない、という意識がトランプにあれば、行き着くところまでいくしかないのかもしれません。
関税政策は、アメリカの物価の高騰を招きます。物価高騰の直撃を受けるのは国民です。国民の購買力は失われ、関税政策の影響を受けなかった物まで、売れなくなります。物が売れなくなれば、生産者は生産ができなくなります。この悪循環は、アメリカの体力を奪い、衰退を加速させることになります。特定の不動産物件であれば、力で押し切ることも可能かもしれませんが、あらゆる利害が交錯している国という単位では、必ず、副作用が出ます。

アメリカの鉄鋼関税に対抗するために、EUが特定品目の関税を25%にすると発表しましたが、その中に、バイクのハーレーダビットソンがあります。ハーレーダビットソン社は、タイに生産拠点を移す計画でしたので、欧州向けの製品は、海外で生産すると発表しました。アメリカ国内の雇用を守るための関税でしたが、結果的に雇用の喪失を生む方向へと向かってしまったのです。もちろん、トランプは激怒しています。ハーレーダビットソン社に、「高額の税金をかけてやる」「アメリカ国内で商売が出来なくさせてやる」とわめいています。もちろん、そんなことは不可能です。暴力団が「暗い夜道に気を付けろ」と言っているのと同じです。

この7月にNATO首脳会議があります。
トランプは、何度も、何度も、NATO加盟国の防衛費負担が少ないと言っていますので、会議では爆弾発言が飛び出すかもしれないと心配する人もいます。それが、アメリカ軍撤退です。6万人~7万人駐留しているそうです。「貿易でアメリカを食い物にしている連中を、なぜ、アメリカがカネを出して守らなければならないのだ」というのが、トランプの主張です。ここでも「カネ」です。韓国に対しても同じことを言っていました。要は「カネ、払え」ということです。まさに、「やくざ商法」です。
さて、NATO加盟国は、カネを払うのでしょうか。それとも、アメリカ軍の撤退を見守るのでしょうか。
対中戦略がありますので、まだ、在日米軍の撤退は難しいと思いますが、トランプですから、どうなるか、わかりません。
短期間では対策が打てませんので、当面は、「みかじめ料」を払うことになるのでしょう。
もしも、アメリカ軍が、欧州からも、韓国からも、日本からも撤退すれば、アメリカの衰退は加速するものと思います。それは、NATO軍も在韓米軍も在日米軍も、アメリカの安全保障上の外堀であり、防波堤であり、砦だからです。外堀を埋められた大阪城の落城と同じことが起きる可能性があります。
もともと、アメリカが軍隊を海外駐留させたのは、ソ連を封じ込めることを目的としたものであり、欧州や韓国や日本を守るためではありません。あくまでも、アメリカの利益のためでした。しかし、その後、同盟国は駐留経費の一部を負担する方向へ向かいました。日本が「みかじめ料」と呼ばずに、「おもいやり予算」と呼んでいるのは、そのためです。ソ連の崩壊で冷戦はなくなったように見えますが、ロシアは、今でも軍事的脅威であり、中国はもっと危険な存在になりました。海外駐留軍の必要性は、決して、減ったわけではありません。それを「カネ」という尺度で判断しようとしているトランプは、目先の利益だけを考えているようで、危なっかしくみえます。

フランス主導で、「欧州介入構想」という動きがあります。これは、アメリカ抜きで欧州を守るための軍事同盟の発足を意味します。構想が発表され、ブリュッセルでその会合が持たれたということは、既に数か月間の協議が進んでいたということです。NATOからアメリカ軍が撤退したとしても、欧州防衛の空白期間を作るわけにはいきません。欧州は、当然のことですが、アメリカ軍の撤退を視野に入れて動いているのです。
このまま、アメリカと欧州が離反してしまうのか、関係を修復するのか。トランプ次第ですが、そこが難しいところです。
中国との貿易戦争が主目的だったとしても、欧州も、日本も、その他の国も、巻き込まれることになります。そこに、安全保障問題が関係すれば、更なる混乱が生まれます。

これからも、紆余曲折や朝令暮改は頻発することになるのでしょうが、トランプ手法は、問題山積みであり、世界を敵に回して、アメリカは勝利することができるのでしょうか。アメリカ国民は、その痛みに耐えられるのでしょうか。
どんな分野でも、「悪手」と言われるものがあります。正攻法ほど、時間と弛まぬ努力が求められるものです。逆に、「悪手」は簡単に実現できるように見えるのです。功を焦る人は、往々にして、この「悪手」を使いたがります。関税政策も、この「悪手」に分類されるものだと思います。いや、トランプ手法は、どれをとっても、目先の利益を優先した「悪手」にみえます。そこに、戦略は見えていません。近代の企業経営者の弱点が、そのまま、国家運営に反映されている代償は大きいものになると思います。
アメリカは、世界をどん詰まりの場所へ誘導しようとしています。
どん詰まりの場所とは、最終決着は武力でつけるしか選択肢のない場所です。
トランプと「やけくそ」はとても相性がいいように思いますので、危険です。
その時に重要になるのが、味方になってくれる国が、どれだけ多いかということです。仮に、百歩譲って、アメリカの貿易赤字の大半を占める中国と戦うことには理があったとしても、同盟国と戦う必要はあるのでしょうか。トランプを認知症と呼ぶ人もいますが、認知症ではないとしても、計算は得意ではないように見えます。短期的には貿易赤字は減少するかもしれませんが、中長期的には、アメリカの国益を大きく損なうことになるのではないでしょうか。
トランプ政権の最大の弱点は、長期戦略がないことだと思います。
「思い付き」や「八つ当たり」では、何も解決しません。
この道を、このまま進めば、碌なことにはなりません。
今となっては、ロシア疑惑によるトランプ弾劾という手段しか残されていないのかもしれませんが、そのためには、11月の中間選挙で共和党が大敗しなければなりません。しかし、トランプの支持率が上昇していますので、中間選挙は闇の中です。アメリカの未来は、アメリカ国民の双肩にかかっています。

一方、同時期に開かれた上海協力機構の首脳会談で、中国の習近平とロシアのプーチンは、この二人は、決して、仲の良い友人ではありませんが、共通の敵を持っているという一点で結びつき、参加各国の首脳の結束を誇っていました。

この「時の流れ」は止まりません。
「資本主義の終焉」という言葉が生まれて、だいぶ時間は経過しましたが、資本主義だけではなく、色々なことが行き詰っているように見えます。
人間の傲慢が、私達人類を争いに導いているのです。
その傲慢を絵に描くと、トランプや習近平のような顔になるような気がします。
それが人間の業だとしても、争いは多くの犠牲を生みます。
世界の三悪人(トランプ、習近平、プーチン)は、人間の欲が咲かせた仇花です。
確かに、この破滅への道を主導しているのはトランプですが、トランプが大統領にならなくても、流れの方向性は同じだったと思います。そういう時代だからこそ、世界の三悪人が誕生したのだと思います。その根っ子にあるのは人間の欲であり、その欲が増殖し、隠されていた「自分さえよければ」が正面に出てきたのです。
こんなブログで、アメリカやトランプに文句を言ってみたところで、何も解決しません。
もちろん、日本の「お上」に頼っていても、解決の糸口は見つかりません。
私達人間は、知恵を絞らなければならない時を迎えているではないでしょうか。
この混沌の時代を乗り切るためには、私達国民が、自分の国のことを、国民の生活のことを、本気で考えなくてはならない時代になっているのだと思います。
しかし、この国の国民の間に、そんな空気はありません。
やはり、「あちゃー」と言うしかないのでしょうか。


2018-07-02



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世界はどこへ 1 [評論]



いつものことですが、石田のブログは、偏見に満ちた独断に基づいていますので、常識を重んじる方は、決して、信用などしないようにしてください。
このブログは、残念ですが、トランプ発言と同じようなものです。
例えば、トランプが、「日本で私は世界的英雄だと思われている」と言っています。
でも、「トランプは世界的英雄だ」なんてことを言っている日本人は、安倍総理以外にはいません。この程度の偏見と独断は、このブログにもありますので、気を付けてください。

先月、米朝首脳会談が行われましたが、私には、非核化交渉には見えませんでした。
当初は、アメリカも、北朝鮮の非核化を話し合うための首脳会談だと言っていたように記憶していますが、途中から、変更があったのでしょうか。
合意文書を読むと、メインテーマは国交正常化であり、ついでに、非核化にも努力しましょうと宣言しているように読めます。これって、北朝鮮が要求していたことだと思っていましたが、アメリカは「忖度」したのでしょうか。それとも、アメリカは、北朝鮮を核保有国と認めたということなのでしょうか。
疑問符ばかりが浮かんでくる、ということは、米朝首脳会談の目的が、北朝鮮の非核化ではなかったということなのでしょう。
もしも、トランプが、深い洞察力を持っていて、北朝鮮の核・ミサイルは、武力による制圧しか選択肢がないことを承知した上で、首脳会談をセレモニーにし、選挙キャンペーンに利用したというのであれば、納得できます。トランプの目的は、アメリカファーストでも、アメリカの国益でもなく、次の大統領選挙での勝利だったのかもしれません。アメリカ国民が納得していますし、政権の支持率も上昇しましたので、キャンペーンは、アメリカ国内的には、大成功だったのでしょう。
もちろん、そんな思慮深さがなかった可能性もありますが、その場合は、国家間交渉を国内選挙の道具として使ったことになり、失敗になる危険があります。
トランプが、英知にあふれ、思慮深さを備え、深い洞察力を持ち、卓越した戦略を持っている大統領であるというイメージを持てないのは、私だけではないと思います。
演出にかなり無理がありましたので、目先の利益だけを考えていたのかもしれません。いや、戦略を立てるほどの時間はなかったと思いますので、単なる思い付きの可能性のほうが大きいと思います。いやいや、政治的判断を、ツイッターで表明するような短絡的な人ですから、やはり、思い付きだったのでしょう。
選挙キャンペーンのメイン・ゲストになってくれた金正恩には、破格のギャラを支払う必要があり、褒めて、褒めて、忖度して、会談のテーマも金正恩の希望するテーマに書き換えて、沢山のお土産を用意したとすれば、「なるほど」と思います。
金正恩のほうが、過剰なサービスに吃驚してしまったのではないかと思います。会談開始の時には固かった金正恩の表情が、次第に満面の笑みに変わっていったのを見ても、アメリカの忖度は、半端ではありませんでした。
アメリカは、世界最強国なのですから、北朝鮮に忖度する必要はありませんし、いつでも、手の平を返すことができるのですから、米朝首脳会談をキャンペーンに利用したって、利用できるものは何でも利用したって、問題はないと思ったのかもしれません。アメリカは、特にトランプは、外交で「アメリカは、何をやってもいいんだ」という姿勢を強めていて、国民を支配する独裁者ではなく、世界の国々を支配する独裁者になりたいと思っているように見えます。トランプは、就任当初から「世界の警察官」は辞めたいと言っていました。それは、警察官から独裁者へ転職したいということのようです。
ただ、「利用できるものは何でも利用する」というやり方は、不動産取引では有効な交渉術かもしれませんが、国際的な交渉でも有効な手段になるとは限りません。
政治ショーだとすると、会談の中身を四の五の言ってみても意味がありません。
会談の内容よりも気になったのは、トランプが、シンガポールでの記者会見で、二言目には「カネ」の話をしたことです。追いつめられると、人間は自分の得意な土俵に戻りたがります。その土俵の上では、つい、本音が出てしまうものです。これまで、「カネ」を稼ぐことに一生を費やしてきたのですから、彼の土俵は「カネ」です。これまでも、トランプの頭の中は「カネ、カネ、カネ」だと書いてきましたが、ここまで「カネ」を強調するとは思いませんでした。彼は、政治家ではなく、やはり、不動産屋だったということなのでしょう。北朝鮮をリゾートシティにし、ホテルやマンションを建設すれば、大儲けできると言っていました。北朝鮮は、不動産という視点から見るべきなんだ、とも言っていました。「おい、おい」と突っ込みを入れたくなります。
少し、記者会見の発言を見てみましょう。
トランプは「金正恩は、国民を愛し、国を良くしようとしている。だから、信頼できるリーダーなのだ。彼は、素晴らしい指導者であり、素晴らしい未来を描き、素晴らしい贈り物を国民に提供しようとしている。だから、この会談は成功する」と熱く語っていましたが、その論理は、現実を無視したこじつけの論理ですから、支離滅裂と言うしかありません。あれだけ「素晴らしい」を連発すれば、知性にも疑問符がつきます。
記者が「金正恩は、自分の家族を殺し、国民を餓死させ、オットーさんを殺した人なのに、どうして、有能だと言えるのですか」と質問しました。
トランプは「実際に、彼は、有能なんだ。あの歳で国を統治しているのだから」と答えましたが、その統治の仕方については答えませんでした。
記者からは、人権問題が何度となく質問されました。でも、会談で人権問題の成果はありませんでした。共同声明にある遺骨の処理については過去に約束した内容の焼き直しにすぎません。北朝鮮の人権問題は、核開発問題に匹敵する問題ですが、トランプは、核問題も、人権問題も、選挙キャンペーンという目的のために、無視してしまったようです。
韓国国民も、金正恩の笑顔にコロリと騙されてしまいましたので、これまで、北朝鮮には関心のなかったアメリカ国民が騙されているのも仕方がないのでしょうが、トランプの金正恩に対する賛辞を、実際に、信用する人が多いことには、とても驚いています。

首脳会談が出来たことが成果だと言う方が多いように思います。しかし、先ずは、双方がスタート地点に立たなければ、前に進まないという意見は、私にはきれい事にしか聞こえません。着地点が無ければ、スタートすることに意味はないと思います。双方が「キレる」ことなく、地道に、前に進めることができるのでしょうか。評価する皆さんの、その評価の大半は期待値で満たされています。現実は、期待通りにならないのが、普通です。特に、当事者が、トランプと金正恩という予測不能なリーダーであり、両者とも「ちゃぶ台返し」の常習者なのですから、期待に添わない結果になるほうが自然です。トランプと金正恩のやってきたことを見る限り、東アジアの有事は解消されたわけではないと思います。その後のトランプの発言を聞くと、その大半が「I think ・・・」「I believe ・・・」「I hope ・・・」という言葉で語られています。これは願望であり、「独りよがり」にすぎません。
日本の安全保障に大きな影響を与えますので、決して、喜ばしい結果ではありませんが、ここは、客観的に現実を把握することが必要だと思います。


北朝鮮は、ほんとに、非核化を実行するのでしょうか。
核兵器を捨てることに、どんなメリットがあるのでしょう。
その答が、見つかりません。
もしも、仮に、ラトビアが、スーダンが、ペルーが、マレーシアが、アメリカに首脳会談を提案して、トランプがシンガポールまで飛んでくるでしょうか。あり得ません。
北朝鮮は、核を持ち、ICBMを持ったから、トランプは、G7を早退してまでシンガポールに飛んで行ったのです。では、北朝鮮の核とICBMが無くなれば、どうなるのでしょう。北朝鮮は、アメリカにとってその他大勢の、アメリカの脅しに屈することしかできない国、の一つになるだけです。そうなった時に、核ミサイルが発射できなければ、金正恩は自分の命を捨てなくてはなりません。イラクのフセインやリビアのカダフィと同じ運命をたどることになります。北朝鮮が、イラクやリビアの真似をするとは思えません。
これまでのアメリカ政権は、同盟国の国民の犠牲も、自国の国民の犠牲と同列に扱っていたために、戦争を回避しましたが、トランプは、朝鮮半島や日本で、何百万人の犠牲が出ても平気だと言っています。アメリカが攻撃されなければ、それでいいのです。トランプ流のアメリカファーストとは、そういうことのようです。日本政府も日本国民も、日米安保を信じ切っていますが、何度も書きますが、日本国民の安全を守るために、アメリカ国民を犠牲にすることはないと思うべきです。これが、普通の感覚だと思います。
もともと、アメリカは、問答無用で武力を使う国なのです。そのことを裏返せば、北朝鮮にとっては、金王朝を守るためには、アメリカが軍事攻撃を躊躇するに足る武器(アメリカ本土を破壊するに足る大量の核ミサイル)が、絶対に必要だということです。そのために、核開発をしたのです。核放棄は、自己否定になるだけではなく、父や祖父を否定することであり、自分の国を否定することです。
金正恩は、そんなことも理解できない馬鹿なのでしょうか。違いますよね。核とミサイルがあるから、アメリカを動かすことが出来ていることを百も承知です。そう考えれば、北朝鮮の核兵器廃絶は、もう、不可能なのです。
交渉さえ続けていれば、核廃棄プログラムを実施しているように見せることが出来れば、アメリカの軍事攻撃は封印できます。ワシントンやニューヨークだけではなく、アメリカの主要都市をすべて焼き払う武器が手に入るまで、アメリカの先制攻撃を延期させればいいのです。北朝鮮は、アメリカの盟友になるつもりは、最初からありません。

逆に、アメリカが、北朝鮮と交渉するメリットは何でしょう。
北朝鮮は、金正恩の時代になってからも、国が秘密裏に人を殺し、国が公開処刑で人を殺し、国が肉親を毒殺し、国が国民を飢え死にさせ、国が多くの人民を収容所送りにし、金一族だけが贅沢をしている、昔ながらの独裁国家なのです。あの中国でさえ、普通の国に見えてしまうほどの独裁国家なのです。
北朝鮮の体制の保障をするということは、そんな独裁国家と国交正常化をし、不可侵条約を結ぶことになり、そんなアメリカに、世界は理解を示すのでしょうか。いや、アメリカ国民が、それを暴挙と判断することはないのでしょうか。
確かに、自由と民主主義という旗は降ろしましたが、アメリカは、悪逆非道の独裁国家を守る国になりたいのでしょうか。
自由と民主主義と人権という価値観を土台に作られていたアメリカは、その価値観を失っても大丈夫なのでしょうか。
アメリカ国民は、精神的な支柱を失い、トランプが作った新しい「自分さえよければ」という価値観を、容認することが出来るのでしょうか。
アメリカ国民は、中国の二番煎じになることをも受け入れてしまうのでしょうか。
疑問だらけです。
私は、アメリカという国そのものが壊れてしまう危険があるように思えて、心配です。
このままであれば、非核化もできない、国交正常化もできない、米朝首脳会談前の状態に戻るだけではなく、目先の利益のために、アメリカが、押しも押されもしない「ならず者」になる可能性もあります。

アメリカの軍事攻撃が永遠になくなったわけではありません。
今の状況は、あくまでも、トランプが自分の都合で作り出した期間限定の平和にすぎません。
アメリカは、簡単に約束を破る国であるだけではなく、トランプは「出たとこ勝負」しか出来ない人です。もちろん、臨機応変な柔軟性のある指導者と見る人もいるでしょうから、私の判断が正しいとは限りません。
しかし、アメリカ国民の性癖が大きく影響するために、トランプとアメリカ国民という組み合わせは、危険が一杯です。
アメリカ人は暴力が好きです。世界で、最も好戦的な国民であると言っても過言ではありません。喧嘩が好きですし、喧嘩に勝つことはもっと好きです。アメリカ社会では、銃も暴力も日常なのです。アメリカ国民の闘争心に火をつけることは簡単なことです。そんなアメリカ人が、「自分さえよければ」大統領を選んでしまったのです。金正恩が、「もう、大丈夫だろう」と思って、平和愛好者という仮面を外して、素顔を見せれば、必ず、どこかで、戦争になるということです。いつか、それも遠くない将来、トランプは「騙された」と言うでしょう。そう言われれば、すぐさま、銃を取る人達ばかりです。世界中が反対したって、アメリカはやります。アメリカは、自分達の失敗を棚に上げて、自分達の強さを誇示するために、簡単に、力を使う習慣も持ち合わせています。

北朝鮮に必要なのは、細心の注意を払った戦術です。
今後、アメリカが、どう動くか。
衝動で動いてしまう今のアメリカ大統領が変わらない限り、すぐにではないとしても、戦争になるという可能性が高いと思いますが、世界の信認を失いつつあるアメリカが、戦争を仕掛ける選択肢を封じられ、北朝鮮を核保有国として黙認する可能性も残されています。
もちろん、戦争にならなければ、北朝鮮の大勝利です。でも、戦争になる確率のほうが高いとすると、北朝鮮にとって最も重要な事は、中国とロシアが、米朝戦争が始まった時に参戦できる条件を作ることであり、韓国が参戦しない条件を作ることです。
最終的には、4ヵ国連合を核にして、中国連合軍を作り、第三次世界大戦でアメリカに勝ち、アメリカを占領下に置くことです。
中国の敵国はアメリカです。
ロシアの敵国もアメリカです。
北朝鮮の敵国もアメリカです。
敵国が同じ、この三国は、今は、暫定的に、味方になってもいいわけです。
両股が好きな韓国が、4ヵ国連合の一角に加わるためには、もう少し時間が必要ですが、韓国国民はどんな判断をするのでしょう。
日本にとっては、韓国が最前線にいてくれたほうが有難いのですが、それを決めるのは韓国政府と韓国国民です。そして、その責任を取るのは、韓国国民です。
北朝鮮は、韓国を追い込み、韓国陸軍が米朝戦争に参戦しないようにしなければなりません。それは、アメリカ兵の犠牲を増やすためには、欠かせない戦術です。アメリカ人は好戦的な人種であると同時に、多大な犠牲には耐えられない人種です。韓国軍兵士を何人殺しても、トランプは痛くも痒くもありません。アメリカ軍兵士を、一人でも多く殺すことです。そのためには、ベトナムと同じことをする必要があります。

それ以前に、北朝鮮にとっての最大の問題は、金正恩の健康です。
太りすぎです。
もし、金正恩が急死したら、誰が指導者になるのでしょう。
妹の金与正が後継者になるのでしょうか。優秀な女性だと言われていますが、北朝鮮社会で女性が権力者になれるのでしょうか。大変、疑問に思います。壮絶な権力闘争が始まり、内部崩壊が起きる可能性のほうが大きいと思います。軍事政権しか考えられませんが、その時、核兵器は、どうなっているでしょう。日本にとっても、今となっては、金正恩の死は大きな影響があります。


明日に続きます。


2018-07-01



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国家運営失敗 [評論]



ベネズエラの経済危機については何度か書きましたが、まだ、好転の兆しはないようです。
2018年5月7日に、ベネズエラ政府が発表した4月のインフレ率は、前年同月比で、13,779%だったそうです。
別の民間の調査ですが、かつての平常経済時の物価を基準とした時のインフレ率は400,000%だという説があります。
こんな数字を見ても、実感が沸きませんので、少し、身近な数字で比較してみます。
日本の場合、日銀が目標としている物価上昇率(実現していませんが)は、年率2%です。
2%のインフレというのは、1年前の物価指数を100とし、それを102%にすることが目標になります。物価が10%も上昇すれば、大事件です。その大事件の時の指数は、110%です。物価が倍になった場合の指数は、200%です。
13,779%のインフレというのは、文字通り桁違いの物価上昇だということです。400,000%なんて数字は、通常の感覚から見れば、天文学的な数字だと言っても過言ではありません。ベネズエラでは、それが現実になっているのです。
もう少し、身近なもので比較してみましょう。
あなたが、10,000,000円の貯金を持っていたとします。
13,779%の場合、10,000,000円が、72,574円になります。
400,000%の場合、10,000,000円は、2,500円になります。
もしも、貯金が百万円しかないとすると、買える米は、1Kgです。1Kgの米で、何日生き延びることができるでしょう。
10Kgが2,500円の米の価格は。
13,779%の場合、344,475円となります。
400,000%の場合、10,000,000円となります。
100円の缶コーヒーの値段は。
13,779%の場合、13,779円となります。
400,000%の場合、400,000円となります。
あなたは、40万円の缶コーヒーを飲みますか。

この数値を見れば、ベネズエラはハイパーインフレの領域に入っているものと思います。
ハイパーインフレで、一番、問題になるのが、食料です。
何度も書きますが、人間は、生き延びるためには、毎日、栄養補給を必要とします。そのためには、食事をしなければなりません。
食料の価格が高騰するだけではなく、食料の供給が極端に減少します。
経済危機に陥った国を紹介する写真では定番になっていますが、ベネズエラでも、スーパーの売り場の棚には、食料品がありません。
悪循環が、インフレを押し上げていくのです。
最近、ベネズエラ政府は妊婦に対して、ベネズエラ通貨で、月額70万ボリバルを支給すると発表したそうですが、この70万ボリバルをドル換算すると、3ドル83セントで、日本円に換算すると、約425円だそうです。母体は2人分の栄養が必要ですが、月額425円でそれが出来るとは思えません。女性は避妊手術を受けようと、病院の順番待ちをしているそうです。妊娠しても、必要な栄養分は手に入りませんし、子供が生まれても、育てられません。ですから、妊娠をしないという選択肢を選んでいるのです。経済危機が今のままで継続することはありませんから、避妊手術を受ける女性が継続的に増えるということもありませんが、もしも、仮に、経済危機が続くとしたら、女性が子供を産むことを拒否し続ければ、ベネズエラは、100年後に消滅することになります。現在のベネズエラで起きていることは、亡国の動きなのです。
貧困率は90%で、子供達は、過去の報道にあったようなアフリカや北朝鮮の痩せ細った幼児と同じ状態にあり、栄養不良で子供達が次々と命を落としているそうです。子供だけではありません。大人も、1日に1食か2食しか食べませんので、体重が去年1年間で11Kg減少したそうです。母親の母乳も出ません。
ベネズエラは、世界最大の石油埋蔵量を持つ豊かな国のはずでしたが、原油生産量は毎年減少しています。それは、食料不足のために、まともに働ける人がいないからだと言われています。職場で倒れる人が続出しています。
難民となって国外へ逃亡した人数は50万人とも100万人とも言われています。ベネズエラは島国ではありませんので、隣国がベネズエラ難民に苦しめられているという話です。

石田の評論には、いつも、予測数値ばかりが出てきますが、ベネズエラの数字は予測数値ではなく、実績値です。
ベネズエラは、選挙制度もある国ですが、この状況は、明らかに、国家運営者の運営ミスだと思います。
ベネズエラは石油大国です。世界最大の埋蔵量があると言われています。一時、原油価格は40ドルにまでなりましたが、今は70ドルまで値を戻しています。産油国は、減産していますが、ベネズエラは特殊事情があるのですから、大幅な増産をして収入を増やせば、そのような国家運営をすれば、国民を救うことは可能なのです。しかし、実際には、産油量は減少しています。ベネズエラ政府には、国民を、国民生活を、守るという意思があるようにはみえません。

さて、ここで、私達が注目しなければならないことは、何でしょう。
ベネズエラの国家運営者の失敗の責任を取っているのは、ベネズエラの国民だという現実です。国民は飢え、子供達は幼い命を差し出すことで、責任を取らされています。
でも、これは、不思議な現象ではありません。
当たり前のことですが、責任を取るのは、責任者です。だとすると、責任を取っていない国家運営者は、責任者ではないということです。国家運営の責任者は、実際に責任を取らされている国民なのです。
いつでも、どこの国でも、最終責任を負わされるのは国民なのです。
この原則には、人類誕生以来、例外がありません。
しかし、誰も、そのことについて、声を出す人はいませんので、国民に認識はなく、ある日突然、不幸が舞い降りたと思っているのです。昔は、「神々の怒りに触れた」と本気で思っていたのかもしれませんが、21世紀の私達も、同じような感覚しか持っていません。
でも、それは、違います。
国家運営者の失敗の責任は、国民が負うことになっているのです。
これは、時代や場所に関係なく、人間社会の大原則なのです。
どうすれば、いいのでしょう。
「神」に頼っても、「お上」に頼っても、私達は救われません。
だったら、責任を負わされる人達が、国民が、その惨事を未然に防ぐしか方法はないのではありませんか。国に対して責任を負っているのは国民です。その国民が責任を果たさなかったのですから、ベネズエラ国民は今回の惨事を受け入れざるをえなかったのです。
ベネズエラの現状は、それを証明しているのだと思います。



日本国民の皆さん。
ほんとに、私達の生活は大丈夫なのですか。
ベネズエラの惨状は、対岸の火事、他人事、なのでしょうか。
ベネズエラは、石油大国です。運営次第では、V字回復も可能な国です。
でも、日本に、石油はありません。
日本の国家運営失敗は、この程度の惨事では終わりません。
国家運営者に好き勝手をさせていれば、ベネズエラよりも悪い状況になるのです。
自分のことは自分で守る。
他に、方法はありません。
・・・・なんて、発言を誰もしません。
それは、日本国民の皆さんが、ベネズエラを他人事だと思っているということです。いや、ベネズエラで起きていることを知らない人が大半です。いやいや、知らないのではなく、知ろうとしないのです。それは、どんなことでも、「俺には関係ねぇ」と言っていれば、自分を誤魔化すことができる国に住んでいるからだと思います。
でも、現実は違うのです。国民の皆さん全員に「関係がある」のです。
これは、「最終責任は、国民が取る」という原則を知らないことによる勘違いです。
この国の、現状を見てみましょう。
私達の国の国家運営者達は、何をしているのでしょう。
国を運営するための国会では、何を議論しているのでしょう。
森友・加計・セクハラです。
なぜ、国家運営者達は、国会で、少子高齢化や借金の増加や戦争という危機の議論をしないのでしょう。国家百年の計を議論しないのでしょう。それこそが、国家運営者の仕事なのではありませんか。
彼等が、国民生活を第一としていないことは、明らかです。
確かに、彼等には、国民に対して責任を取る必要がないのですから、仕方ないのですが、仕事をしているようにはみえません。「国とは」という定義があれば、「国家運営者とは」という定義も生まれていたと思いますが、残念なことです。
それとも。
日本には、神話があるから、大丈夫なのでしょうか。
自分だけは被害者にならないと、勝手に信じていれば、大丈夫なのでしょうか。
「俺には関係ねぇ」という信仰は、皆さんを救ってくれるのでしょうか。
とんでもありません。
大金持ちの国民を除いて、国民全員が、例外なく、被害者になるのです。
あなたは、大金持ちですか。
だったら、そろそろ、海外移住を真剣に検討するべきです。
日本の優良企業と言われ、製薬業界ではトップ企業の武田薬品工業が、約7兆円の資金を投入して、一部では無謀と言われているのに、アイルランド製薬大手のシャイアーを買収しました。人口の激減が確定している日本国内での成長が見込めないために、大博打を仕掛けたのです。企業だって、海外逃亡を始めているのです。
私は、貧乏人です。
身を守る方法は、何一つ、ありません。
ただ、私は老人ですから、致し方ありません。食べるものがなくなるのは辛いことですが、他の選択肢はありませんから、惨事は受け入れるしかありません。
でも、死んでもいい老人以外の皆さんは、苦しみに耐えて生きていかなければなりません。そのほうが、余程、辛いことだと思います。中でも辛いのは、栄養を与えてやれない乳児が痩せ細り、泣く体力を無くし、母親を見つめる「どうして ?」と言う瞳に耐えなければならないことです。
国民の皆さん。
このままで、いいのですか。
しかし。それでも。
「俺には、関係ねぇ」という声が聞こえてきそうです。
「愚か」と言うべきか、「能天気」と言うべきか、「いい人達」と呼ぶべきかわわかりませんが、この曖昧な信仰はどこから生まれるのでしょう。ほんとに、不思議な国です。
もちろん、あなたや私が、個人的に国家運営の方向性を変えることはできません。
しかし、国民という一つの塊になれば、不可能なことではありません。
そのためには。
「知る」ことです。
「声」を出すことです。
「知る」ことだけでも、「声」を出すことだけでも役に立ちません。その二つを同時に実現する必要があるのです。
国会の前で、声を出している人達がいます。
立派な行動です。
でも、的外れな声を出すことに、意味があるのでしょうか。
今だと、「セクハラ反対」という声です。
彼等は、自分にとって何が大切なのかを知りません。
もちろん、セクハラを推奨するつもりはありません。でも、この国の課題はセクハラなのでしょうか。セクハラを無くせば、この国の未来は薔薇色なのでしょうか。違いますよね。少子高齢化や借金の増加や戦争という危機を放置すれば、食料不足で、死んで行く子供達がいるということなのではありませんか。そのことを知らない人が、どれほど大声を出しても、私達の危険は除去されないと思います。
私の目には、彼等が「愚か者」の群れにしか見えません。
彼等が「愚か者」になってしまうのは、野党議員の意識の低さが原因ですが、意識が低いのは野党議員だけではありません。
意識が低いのは政治家であり、「愚かな」政治家を選出している、意識の低い「俺には関係ねぇ」と言っている国民なのです。
「愚か者」の群れから、「愚か者」を選ぶ。これでは変わりようがありません。
選挙制度については何度も書きましたが、私達は、与党議員か野党議員か、どちらかの政治家を選択するしかありません。
政治家の皆さんに、本来の仕事をするよう要求するシステムがないのです。
選挙が終われば、彼等のやりたい放題です。
何が間違っているのでしょう。
選挙制度を、選ばれる側の政治家に作らせることが間違いなのです。
以前に憲法の公募について書きましたが、選挙制度も公募で作るべきなのではないでしょうか。公募は一つの案ですが、「選挙制度を変えろ」と国民が声を出すことで、変わる可能性はあると思います。
国民が意識を高め、意識の高い政治家を選出することでしか、この国は救われません。
そのためには。
どうか、「知って」ください。
そして、「声を出して」ください。
国民が覚醒するしか方法はないのです。
地獄は、目の前にあります。
皆さんは、ベネズエラのようになりたいのですか。
責任を取らされるのは、皆さんなのです。
私達は、少子高齢化や借金の増加や戦争という危機を目の前にしているのです。全部、皆さんに関係があるのです。それだけではなく、地震や津波や火山噴火の自然災害も身近にあると言われています。どれをとっても、皆さんに、直接、関係しているのです。
それでも、きっと、皆さんは「俺には関係ねぇ」と言うのでしょう。
確かに、こんなことを書いている人を、私も知りません。誰も言わないことだから、石田が、間違っていて、愚かで、非常識だということなのでしょうか。
もし、そうであれば、ベネズエラの現状はどう説明したらいいのでしょう。第二次世界大戦での犠牲は、どう説明するのですか。最終的に犠牲になるのは国民なのです。
「俺のことは、放っておいてくれ」というのが本音なのでしょうが、そうも、いかないのです。「国民とは」という定義は、まだ、ありませんが、あなたには、自分に対する責任だけではなく、家族に対する責任もあれば、国民に対する責任もあるのです。
先月も書きましたが、国民には「知る責任」があります。実際に責任を取らされるのは、あなたであり、あなたの家族であり、国民の皆さんなのです。「知らなかった」で済む話ではありません。「知る責任」を「知らなかった」ために最終責任を取らされたとしても、惨事が起きた後で異議を唱えたとしても、後の祭りなのです。未然に防ぐしか方法はありません。
そのことを、ベネズエラの現状が教えてくれています。
しかし、皆さんが、今のように、眠ったままでは、折角のご自分の能力に気付かないままでは、どうすることもできません。
前を走る同胞の尻尾だけを見ながら疾走しているネズミが、崖の先に海があることも知らずに、死の海へ飛び込んでいく様子と変わりがありません。ネズミ達も「何か変だな」と思っているのかもしれませんが、自分達の現実を知る努力はしませんでした。
「愚かな、ネズミどもめ」と言えるのでしょうか。
折角、大きな脳を持って生まれた人間が、ネズミと同じ行動をしていたのでは、宝の持ち腐れになるのではないでしょうか。

先ずは、現状を「知る」ことです。そして、「何か、変だな」と思ったら、その原因を見つけることです。「何か、変だな」なんて思わない、と言う人もいるでしょう。「こんなもんだろう」と言う人もいるでしょう。でも、日本の将来は薔薇色だと思っている人はいませんよね。多くの方が不安を感じています。皆さんが感じているその不安こそ、実は、この「何か、変だな」なのです。
ただ、漠然とした不安は、放置していても、今日明日の生活には影響しません。しかし、ベネズエラのような惨事は未然に防ぐしか方法がないのです。そうであれば、その原因を究明し、将来を予測しなければなりません。
人間は、想像力という素晴らしい能力を持っています。将来を予測することなんて、その気になりさえすれば、誰にでもできる、簡単なことです。何度も書きますが、ベネズエラのような惨事を防ぐ方法は、未然に防ぐ方法しかないとすると、私達には、想像力を使うという選択肢しか残されていないのではありませんか。
惨事を未然に防ぐ仕事は、本来は、国家運営者の仕事ですが、国家運営者がその仕事をしていない場合は、何とかしなければなりません。それが、国民の仕事であり、国民一人一人の皆さんの仕事なのです。
もう、いい加減、そろそろ、この国も民主国家にならなければなりません。
封建国家であれば、民は権力者に従うしか選択肢はありませんでした。でも、民主国家であれば、国民が国家運営の方針に異議を唱えることができるのです。民主主義の利点は、そこにしかありません。
民主主義国家では、「主権は国民にあり」と言われます。言葉を変えれば「責任者は国民の皆さんですよ」という意味です。そうです、あなたが、そして、お隣にいるあなたが、責任者なのです。「下々」が「お上」のやることに口を挟むのは不敬であるという考えが、未だに、続いています。確かに、「逃げ」の口実としては強力なものがありますが、それは、「逃げ切れる」という条件が満たされた時だけ成り立つ口実です。
封建国家の権力者であろうと、民主国家での国家運営者であろうと、彼等は責任を取りません。それは、彼等には責任を取る能力がないからです。唯一、責任能力を持っているのは、民であり、国民なのです。
私達は、封建時代から続く、過去の延長線上でしか考えていないのではないでしょうか。日本全体が疲弊し衰退しているのは、その発想に原因があると思います。私達は、発想の転換を求められているのだと思います。政治、経済、社会、スポーツまで、余りにも過去に縛られすぎているように見えます。スポーツの現場まで、毒が回っています。日大アメフト事件での、学校側の対応が、そのことを象徴しているようで、大変残念です。自己保身、組織防衛は、あらゆる分野で最優先事項となってしまいました。70年前に始まった攻めの姿勢は失われています。このままでは、いつか、自滅する日がやって来ると思わないのでしょうか。
発想の転換をしてみませんか。
民主国家での国家運営者という集団は、封建時代の権力者と違い、国民が、国家運営という仕事を委託している外注先だと考える必要があるのではないでしょうか。実際に、国家運営者はボランティアで仕事をしているわけではありません。私達は、税金という名の外注費を支払っているのです。
あなたが会社経営をしていたとして、あなたは、仕事をしない外注先にでも、外注費を支払いますか。不良品ばかりを納入する業者に、費用を支払いますか。その上、あなたには、外注先を指導することも出来ません。外注先の好き勝手に翻弄されているのに、それでも、外注費だけは支払い続ける。これ、「何か、変」じゃないですか。
今の外注先が仕事をしないのであれば、何としてでも、別の外注先を見つけなくてはなりません。そんな外注先が無いのであれば、惨事を未然に防いでくれる外注先を国民が作るしかないのです。そのためには、国民が声を出すしかありません。
背に腹は代えられないのです。
どうして、こんな簡単な理屈が無視されるのか、どうして、誰も語らないのか、私には理解できません。
やはり、理屈では「俺には関係ねぇ」という信仰に勝てないのでしょうか。
日光東照宮の三匹の猿を信仰するのは、決して、皆さんの利益にはならないと思うのですが、違うのでしょうか。あの三匹の猿も、きっと、「俺には関係ねぇ」と思っているのでしょう。歴史と伝統に守られた信仰には、ほんとに、強い力があるのでしょうか。
最後は「あちゃー」と言うしかないのではありませんか。
不思議な国です。
もしも、日本がベネズエラ状態になった時、国民の皆さんは、平然と、他人に、国家運営者に、責任を転嫁するでしょう。ベネズエラ国民も、文句タラタラです。でも、それでは、何も解決しません。責任は、皆さんにあるのです。この国の責任者は、この国の国民である、あなたなのです。


2018-06-03



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平和愛好者 2 [評論]



これまで、国際世論がアメリカバッシングに傾いたことはありません。
しかし、風向きは変わってきています。
アメリカは、同盟国相手にでも、アメリカファーストを押し付けています。
NATOの経費を、もっと負担しろ。NAFTAもご破算だ。パリ協定も脱退する。EUとの貿易戦争も辞さない。そして、今度は、イラン核合意からの脱退を表明しました。外交面でのトランプの仕事は破壊することばかりでした。
オバマ時代に、イラン核合意が成立した後、欧州各国は、競争するようにイランとの商売を始めました。その核合意を、アメリカだけが勝手に脱退したのです。しかし、アメリカは、ただ、脱退しただけではありません。イランに経済制裁をすると宣言したのです。イランに対する経済制裁は、イランと取引をする国にも及びます。イランに進出していた欧州企業はイランからの撤退を余儀なくされるかもしれません。イランとの取引が大きい中国とロシアが、どう対応するのかわかりませんが、ドイツやフランスは、中国やロシアの仲間に入ってイランとの取引を続けるのでしょうか。
欧州の同盟国は、いいかげん、うんざりしています。
そんな時に、米朝首脳会談後、正義のない屁理屈だけで、アメリカが北朝鮮を攻撃した時、同盟国の理解が得られるのでしょうか。
北朝鮮を攻撃するということは、今や、中国と戦争を始めるということです。中国と戦争をするということは世界大戦を始めることになります。そうなった時に、西側諸国が一枚岩になれるのでしょうか。韓国が米韓同盟を維持するのでしょうか。いや、それよりも、世界経済が大打撃を受けますが、どうするのでしょう。
韓国が、米韓同盟を破棄するかどうかは別にして、韓国は、間違いなく、アメリカの軍事行動には反対します。北朝鮮と戦争する場合には、陸上部隊の働きが不可欠です。アメリカは、空軍と海軍は投入するでしょうが、海兵隊や陸軍は投入しないと思います。それは、犠牲が大きいからです。アメリカ軍兵士を犠牲にするわけにはいきません。アメリカ海兵隊とアメリカ陸軍の代わりに、韓国軍を使う作戦だと思います。では、韓国は、その作戦を支持するのでしょうか。私は、大変疑問だと思います。韓国軍の最高指揮官は文在寅大統領です。文在寅が首を縦に振らない場合は、自前の陸軍と海兵隊を使ってでも戦争を始めるのでしょうか。その時、どんな大義を掲げるのでしょうか。韓国が参戦しない戦争は、第二次朝鮮戦争ではありません。アメリカがテロ攻撃を受けたわけでもありません。どうみても、米朝戦争という侵略戦争になります。しかも、簡単に決着がつくとも思えません。イラクで出来たのだから、北朝鮮でも出来るだろうと考えるかもしれませんが、ベトナムの教訓はどうするのでしょう。北朝鮮との戦争は、背後に中国人民軍がいるのですから、ベトナム戦争に近いと思います。
辺境の地と呼ばれる北東アジアにある北朝鮮の核を封じ込めるために、世界経済を犠牲にして、世界大戦を始めるアメリカの独断に、アメリカの西側同盟国は、日本を除いて、賛成をすることはないのではないでしょうか。現に、イスラエルのアメリカ大使館移転式典に出席した西側の主要同盟国は一国もありませんでした。
客観的に、そして、現実的に見れば、米朝戦争の開戦には無理があります。さらに言えば、第三次世界大戦の火ぶたを切る力も、今のアメリカには、ないように見えます。世界経済の縮小は、アメリカにも大きく影響します。でも、問題は、そのことをトランプが理解しているかどうか、です。
トランプという人は、それが選挙の票に結び付くのであれば、それがどのような材料であっても、それが戦争であっても、躊躇しない人だと思います。トランプの頭の中は、次の大統領選挙のことで一杯だと思います。国際問題は、国内問題、特に、選挙に有利に働くことが条件です。他国が、どうなっても、構いません。何をするかわからない人ですから、とても危険です。
北朝鮮との関係が、昔の口喧嘩に戻ったとしても、勝手に激高して、戦争を始めてしまうかもしれません。
もっとも、首脳会談をやっても、自分の得点にならない場合は怒り狂うことになりますから、軍事力を使うかもしれません。
どんな状況であっても、トランプが大統領である限り、危険があります。だとすると、危険を増やすための米朝首脳会談は、やるべきではありません。
戦争を始めるかどうかは、マティス国防長官がトランプを説得できるかどうにかかっています。しかし、その可能性は、決して高くはないと思います。独裁者になってしまったトランプという人の気まぐれで戦争が始まるとすると、迷惑な話ですが、どうすることも出来ません。
ただ、これは願望に過ぎないのかもしれませんが、トランプ主導で世界大戦が始まるとは思えません。交渉カードとして、チョロチョロとした軍事力行使はするかもしれませんが、トランプに第三次世界大戦を始めるだけの度胸はないと思います。そこまで馬鹿だとは思いたくありません。
トランプという人物を前提にして考えてみると、トランプを満足させる、票に結び付く結果が得られる会談なんて、できそうにもありませんので、米朝首脳会談には意味がないということになります。

少し、横道に逸れますが、アメリカの強さの源泉はどこにあるのでしょう。
経済規模では世界一ですし、軍事力でも世界一です。ですから、間違いなく、アメリカは大国です。でも、それだけで超大国になれるのでしょうか。これは、私の個人的な見解にすぎませんが、世界の主要国との同盟関係とドルの存在が、普通の大国を超大国にしている理由だと思います。しかし、西側諸国と呼ばれてきた国々との関係には亀裂が入り始めています。これで、ドルが基軸通貨の地位を失えば、超大国は、普通の大国になる可能性があります。ビットコインは投機の対象になったために安定性が失われていますが、ブロックチェーン技術は通貨を変えてしまう可能性を持っていると言われています。安定した交換機能を持つ世界標準の通貨に代わる新しいシステムが生まれれば、ドルの地位は、アメリカ国内で流通する普通の通貨という地位になります。世界の国々は、ドルがなくても、貿易の決済や資金の移動ができるのです。そうなると、アメリカ以外の国は、アメリカの経済制裁に脅される立場ではなくなります。技術的には可能だと言われていますので、誰が、いつ、それを実現するのかが将来を決めます。世界を敵に回し、アメリカが孤立すれば、そんな時代がやってくると思います。ドルが基軸通貨ではなくなることでやって来る変化は、アメリカを超大国から大国へと変えるだけではなく、その落差が激震となり、世界秩序を根本から変えてしまうのではないかと思っています。トランプ政権は、最後の悪あがきのスタートボタンを押してしまったのかもしれません。
日本だけではなく、世界も、今、時代の曲がり角にあるのではないでしょうか。

他に選択肢はないのでしょうか。
いいえ、簡単な方法があります。
北朝鮮を核保有国と認め、朝鮮戦争を終結させ、北朝鮮と平和条約を結び、在韓米軍と在日米軍を撤退させればいいのです。そうすれば、核廃棄プログラムの必要はありませんし、核査察も不要です。韓国や日本に駐留していた軍隊の経費も不要になります。「駐留経費を、もっと出せ」と韓国や日本を脅す必要もありません。人殺しをしなくて済みますし、アメリカ国民を戦死させることもありません。おまけに、中国から感謝状も貰えます。いいこと尽くしです。北朝鮮は、そんな素敵な提案をしてくれているのです。もしかしたら、ノーベル平和賞だって夢ではなくなるかもしれません。
これまでのアメリカは、たとえ建前に過ぎないとしても、自由と民主主義のために戦ってきましたが、アメリカファーストなのですから、自由や民主主義のために戦う必要は、もう、ないのです。もちろん、北朝鮮から攻撃を受けたら反撃をする体制は必要です。それさえあれば、抑止力が働き、アメリカ本土が攻撃されることはないと思います。
ほんの少しだけ、プライドや感情を犠牲にすれば、平和が手に入るのですから、悪い選択肢ではないと思います。
そのための首脳会談であれば、会談をする意味はあります。
確かに、そんなことになれば、日本は窮地に立たされますが、それは日本の問題であり、アメリカは自国ファーストなのですから、気にすることはありません。国際関係では「自分さえよければ」は認められるのです。



さて、目まぐるしく変化する時代の中で、私達は何をしなければならないのでしょう。
核開発、核保有、核拡散は、既に、時代の趨勢になっています。
世界大戦の危険は近づいています。
そんな時代に、日米安保に頼り切りの状態で、日本の安全は担保できるのでしょうか。
日本人は、いつまで、眠っているつもりなのでしょうか。
アメリカは、いつでも、日本から手を引くことができます。
今のアメリカは、「自分さえよければ」に邁進しています。それは、アメリカの力を削ぐことになります。トランプ政権が終わっても、衰退に向かったトレンドは簡単には戻りません。世界は群雄割拠の時代に入るのです。積極的に手を引かなくても、手を引かざるを得ない状況が生まれます。そういう時代の幕をトランプが開けたのです。
アメリカは、NAFTAでも、パリ協定でも、TPPでも、イラン核合意でも、自分の都合だけで手を引く国なのです。日米同盟だけは、大丈夫だという根拠はどこにあるのでしょう。
随分前に、日米安保に未来はないと書き、読んだ方はヨタ話だと思ったことでしょう。そして、また、同じことを書いていますが、誰も信用しないでしょう。でも、その日は、必ず、来ます。日米安保は過去の遺物です。どこかで消えるものです。
北朝鮮が、核保有国になったという事実は、もう、否定できません。
核開発とミサイル開発をしなければならないのは、日本なのだと思います。
自分の国は自分で守るという大原則を無視していては、国民を守れません。
自分の力で、抑止力を持つことでしか、国民は守れないのです。
もちろん、日米安保が不要だという意味ではありません。自前の抑止力では足りない部分を補うための軍事同盟は必要です。しかし、それは、あくまでも、補完のためです。日米安保という土台の上に、安全保障という家を建てるという発想では、国民を守れません。
自力の抑止力を持っていなければ、アメリカが手を引けば、戦争に巻き込まれます。
仮に、アメリカが手を引かないとしても、アメリカから無理難題を押し付けられた時に、日本が日米安保を破棄する選択肢を持っていなければ、戦争に巻き込まれます。国民生活が第一であれば、戦争に巻き込まれることは、何としても、避けねばなりません。
最初に、日本がやらなければならないのは、安全保障の議論です。それも、建前ではなく、本音での議論です。願望に基づいた議論ではなく、もちろん、お花畑の議論ではなく、実現可能な議論です。
地震による被害想定は公開され、国民がいつでも見ることが出来ます。驚くような被害が想定されていますが、国民はパニックにはなっていません。
地震の被害想定と同じような、戦争による被害想定を公開し、国民に安全保障の必要性を知らせることが必要です。軍事機密は公表できないという言い訳で、国民を無知状態に追い込み、「なし崩し方式」で自衛隊を憲法に書き込むという詐欺のようなことをやっていたのでは、結果的に国民が被害にあうのです。確かに、軍事機密を公開するなんてことは前代未聞なのでしょうが、日本の場合は、他に方法がありません。なぜなら、国民は、眠ったままだからです。先ずは、国民を目覚めさせなければなりません。
しかし。
戦争をするために、安全保障の議論をするのではありません。
戦争をするために、核開発をするのではありません。
どちらも、戦争をしないためです。
そのためには、現実を、世界の現実を、直視しなければなりません。
議論のための議論をして自己満足を得るのではなく、本気で国民を守るための議論が求められているのだと思います。ここでも、必要になるのは「国とは」「国民とは」という定義なのではないかと思います。



米朝首脳会談が不透明になったことを受け、北朝鮮に提案をしておきます。
ただし、私は、金正恩は最悪の指導者だと思っていますし、北朝鮮ファンでもありませんので、北朝鮮が勝利することを願っているわけではありません。これは、単なる、岡目八目です。
これまでの戦略は、見事に、うまくいきました。
会談が中止になれば、大勝利にはなりませんが、決して、負けたわけではありません。
アメリカを右往左往させた分だけ北朝鮮の勝利だと考えれば、この作戦は有効だったと思います。
しかし、これからの作戦が大事です。
アメリカは、戦術面での思い付きや、あの手この手は繰り出してきますが、戦略面で脅威になるとは思えません。ここは、どっしりと構えるべきでしょう。
トランプの口喧嘩に反応したくなるでしょうが、折角、手にした、平和愛好者という仮面を無駄にせずに、平和愛好者という演出を続けるべきだと思います。
自作の核廃棄プログラムを発表し、それを、履行すると口約束することです。「私達は、平和を望んでいます。核廃棄も実行していきます」と言い続けることです。
なに、裏で何をやっても構いません。
韓国軍を動かさないためにも、南北対話を続けましょう。
中国との関係も、ロシアとの関係も大事です。
アメリカと戦うためには、4ヵ国(中・ロ・南・北)連合を作り出すことが必須です。4ヵ国の利害は一致しますので、不可能なことではありません。
北朝鮮軍の弱点は、海軍力と空軍力です。
韓国と、平和条約を結び、韓国の脅威を取り除き、アメリカの海軍と空軍に対応しなければなりません。対空防衛力と対艦防衛力が必要です。だからと言って、空母やイージス艦を持つ必要はありません。必要になるのは、レーダー技術とミサイル誘導システムとドローン兵器ですから、中国とロシアの協力を得なければなりません。
アメリカは、全面戦争には踏み切れません。トランプ政権に戦略が不足しているとは言え、そんな暴挙はできないと思います。それは、世界経済の繁栄がなければ、アメリカが生きていけないことを、トランプ以外の人は承知しているからです。
巡航ミサイルが撃ち込まれることはあるでしょうが、4ヵ国(中・ロ・南・北)連合が出来るまでは無視しなければなりません。アメリカの空母やイージス艦を沈める技術は中国にあります。技術移転が出来ないのであれば、中国軍の駐留を認めることです。単独でアメリカと戦争をしても勝てませんので、米中代理戦争をする覚悟も必要だと思います。
北朝鮮には選挙制度がありませんが、民主国家には、厄介な選挙制度があります。アメリカの指導者は、選挙を無視できません。戦争を始める時には、なぜか、いつも、賛成してくれるアメリカ国民ですが、彼等は自分達が時代に遅れていることに気付いていません。しかし、どこかで気付きます。アメリカ大統領は、戦争が選挙を有利にすると信じているかもしれませんが、そうなるとは限りません。最近のアメリカ国民を見ていると、とても、勘違いが多いように見えます。アメリカ国民の思考は、過去の栄光から抜け出せていません。まだ、アメリカ軍は、全世界の軍隊が束になってやってきても勝てる、世界最強軍だと信じています。北朝鮮なんて子指一本で勝てると思っています。4ヵ国(中・ロ・南・北)連合相手でも勝てると思い込んでいます。しかし、そんなこと、実際にやってみなくてはわかりませんし、そのことに気付く日は必ず来ます。
時代は、もう、アメリカの時代ではありません。
G7が発足した頃は、G7が繁栄の象徴に見えましたが、今は、G7が衰退の象徴になろうとしています。時代は動き続けるものなのです。
ずるずると時間を使い、アメリカの衰退を待っていればいいのです。アメリカの衰退は、トランプ政権が加速させてくれます。
一方で、経済大改革を実行し、経済的な力を付けなくてはなりません。韓国も中国もロシアも協力してくれると思います。社会主義国でも、経済大国になれることを中国が証明してくれました。北朝鮮だって、経済繁栄は可能なのです。
日本は、アメリカのポチですから、日本との平和条約締結は難しいと思いますが、提案だけはしておくべきでしょう。
これまでのように、脅し文句を言うのではなく、平和愛好者という仮面を脱がずに、「平和、平和」と連呼し続けることが北朝鮮の生命線になると思います。日本には、お花畑理論というものがあります。その理論は役に立ちませんが、「平和、平和」という行動は参考になると思います。平和愛好者を演じ続ければ、北朝鮮の前途は明るいと思います。


2018-06-02



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平和愛好者 1 [評論]



5月25日。
アメリカが、米朝首脳会談を取りやめる書簡を北朝鮮に送った、という報道がありました。
賢明な判断だと思います。
この「平和愛好者」という文章を書いたのは、米朝首脳会談をすること自体がアメリカの利益にはならないという理由で、会談のキャンセルを提案するものでしたので、その目的は達成したことになり、必要なくなりましたが、また、ころりと態度が変わる可能性がないとは言えませんので、このまま、載せることにしました。
・・・と書いた翌日、トランプは「会談を、前向きに、検討する」と言い始めました。
次は、「やっぱ、中止するわ」と言うかもしれません。
これを、交渉術だと言う方がいますが、私には、戦略の無さに見えます。
それでも、米朝首脳会談は中止することを、強くお勧めします。


以前の文章は、次の通りです。

米朝首脳会談の日程と場所が決まったという報道がありました。
6月12日、シンガポールでの開催になるそうです。
世界中が、特に、韓国とアメリカが前のめりになっていますが、今こそ、冷静になる時だと思います。
北朝鮮国民にとっては、悪魔か鬼のような存在である金正恩が、ある日突然、急転直下、「平和愛好者」になったのでしょうか。
そして、もっと重要な観点は、金正恩が提案した首脳会談は、北朝鮮が白旗を挙げたシグナルだと受け取っていいのでしょうか。
そこに、何か、勘違いがあるように見えてなりません。
今日は、金正恩の本音を、石田流の独断と偏見で、探ってみたいと思います。いつものように、マスコミや識者の論調とは一致しません。眉に唾をつけてください。

今日は5月16日ですが、アメリカは、米朝首脳会談を、まだ、やるつもりのようです。
私は、そのことが、不思議でなりません。
アメリカは、いや、トランプは、何を得ようとしているのでしょう。
アメリカが、北朝鮮から、アジアから、手を引くのであれば、首脳会談には意味があります。でも、アメリカがアジアから手を引くとは思えません。
私が提案をしても、何の意味もありませんが、事前交渉でアメリカの要求が受け入れられない場合は、間違いなく受け入れられないと思いますが、6月11日までに、会談のキャンセルをするべきだと思います。
ま、トランプは派手な展開が好きですから、会談をやって、途中で席を蹴るという選択肢もありますが、国家間交渉を趣味でやるのは、決して褒められる行動ではありませんし、利益もありません。勝算がないまま、恥をかくために、シンガポールまで行く必要はないと思います。それは、会談の結果や中身がどのようなものであっても、アメリカに利益はないと思うからです。
首脳会談が、アメリカの利益になるシナリオが二つあります。
A案は、北朝鮮が、アメリカの要求をすべて受け入れ、先の大戦後に、アメリカに占領され、その後、従順なポチになった日本のようになることです。
B案は、北朝鮮がアメリカの要求を100%受け入れ、アメリカ主導で内戦状態が作られ、軍事力も経済力も国家統治力も失った状態になり、最後には金正恩が殺されることです。そうです、話題になっているリビア方式です。
どちらのシナリオでも、北朝鮮が、アメリカの要求を100%受け入れる必要があります。しかし、北朝鮮は敗戦国ではありません。平時の交渉で、そんな結果が得られるのでしょうか。日本やリビアで起きたことは、異例中の異例だと考えるべきなのではないでしょうか。
A案は、既に、破綻しています。
余程の好条件がない限り、小国は自力で世界と渡り合えないのですから、大国との友好関係や大国の庇護が必要です。北朝鮮も、アメリカと中国のどちらを選ぶのか、を決断しなくてはなりませんでした。もしも、金正恩がアメリカを選ぶのであれば、中国との会談は必要ありませんでした。しかし、金正恩は、中国と密接な関係を持ちたいと願い、プライドを捨てて北京に行ったのです。それは、アメリカのポチになるつもりはないという意思表示です。北朝鮮が第二の日本になることはありません。
B案は、大変危険です。
もしも、万が一、北朝鮮が核を隠し持ったまま、内戦状態になれば、現状よりもはるかに危険な状態になります。リビア状態になるのではなく、やけくそになった北朝鮮から、アメリカに核ミサイルが飛んでくる確率は飛躍的に上がります。
つまり。
アメリカが満足する二つのシナリオは、実現性に欠けますし、危険を増殖させます。
では、二つのシナリオ以外の結果を予測してみます。
アメリカが、大きく譲歩した場合は、非核化は実現しませんから、会談そのものが不要であったことになり、アメリカに利益はありません。
会談が決裂した場合、金正恩は「平和愛好者」を演じるだけですから、アメリカが何らかの行動を起こせば、「ならず者」とみなされるだけで、アメリカの立場は、会談前よりも悪くなるのですから、これも利益はありません。
どう転んでも、アメリカにメリットはないのです。

そもそも、アメリカが北朝鮮に非核化を要求する正義はありません。
アメリカが、北朝鮮を危険な国だと思うことは自由ですが、だからと言って、そこに正義があるわけではありません。なぜなら、既に、インドやパキスタやイスラエルが核兵器を持っているのですから、北朝鮮の核だけは認められないというのは、単なる「言いがかり」にすぎないのです。つまり、北朝鮮に非核化を求める国際的な大義はありません。もちろん、国内的には、自国防衛という大義がありますが、同じように、自国防衛という大義なら北朝鮮も持っています。自国の自衛権は主張するけど、他国の自衛権は認めないというやり方にも正義はありません。
北朝鮮への非核化要求は、大国によるゴリ押しに過ぎないのです。
もちろん、大国によるゴリ押しは世界の常識なのですから、それを批判しても意味がありません。ただ、「正義は我にあり」という顔をするのは違うと思います。
大国と、小国が、公平で、平等で、正義に満ちた会談をすることなどありません。
「力関係を認めろ」と恫喝するほうが正直なやり方なのではないでしょうか。
リビアはその成功例ですが、カダフィーと金正恩を同一視するのは間違っていると思います。カダフィーは紛れもなく老人ですが、金正恩は、まだ青年です。老人と青年の差は、安全を求めるか冒険を求めるかにあります。カダフィーは「ごめんなさい」と言いましたが、金正恩は「ごめんなさい」と言っているわけではありません。「交渉しましょう」と言っているのです。この違いは大きいと思います。
金正恩は、白旗を挙げたのでしょうか。そのようには見えません。アメリカが、勝手に、都合よく、白旗だと思いたかっただけなのではないでしょうか。
アメリカがやっているのは、ゴリ押しなのですから、助平根性を出さずに、会談などせずに、力に物を言わせ、本物の白旗を挙げるまで、本気の圧力を続ける必要があったのではないでしょうか。戦争が必要であれば、戦争をするしかなかったのです。そのためには、アメリカ国内の世論を盛り上げる必要がありました。ところが、北朝鮮とは口喧嘩をするだけで、中国に手を出し、シリアに手を出し、イスラエルに手を出し、イランに手を出し、世界中に手を出し、いや、口を出し、国民の目を分散させてしまいました。戦争前夜の演出を全くしなかったのです。口先ばかりで、アメリカには戦争をする意思がなかったということです。アメリカ国民が、自分達の生活を犠牲にしてでも、北朝鮮の危険に対峙することのほうが大事だと感じ、アメリカ世論が北朝鮮問題一色になり、日本と韓国に在住するアメリカ人の退避が始まっていれば、金正恩はこんな賭けには出なかったのではないかと思います。
もっとも、トランプは不動産屋さんですから、出来る限り多くの手を打ち、より多くの金儲けが目的だったのでしょうが、イデオロギーや宗教や民族意識や国家体制は、商業ルールだけで割り切れるものではありません。
なぜ、中途半端な状態で、会談に応じたのか、よくわかりません。いや、戦争をしたくないという弱気から、会談に応じたのでしょうが、それが事態を悪くしてしまいました。
中国であれば、問答無用で、ゴリ押しをしていたと思います。

事前協議が行われています。
アメリカは、リビアを念頭に、「完全で」「検証可能で」「不可逆的な」「核放棄」を求めています。一方、北朝鮮は、段階的な核廃棄方式を主張し、その段階ごとに行動対行動で進めていきたいと言っています。北朝鮮が望むプログラムは、「不完全で」「検証不能で」「いつでも手の平を返すことが出来る」「核の温存」です。その隔たりは大きすぎます。
アメリカの要求する「完全で」「検証可能で」「不可逆的な」という条件は、どれ一つとっても大変難しい条件ですが、三つの条件が、全て、完璧に、成り立つ必要があります。どれ一つ欠かすことが出来ないだけではなく、全てに完璧が求められるのです。少しでも妥協すれば、北朝鮮の非核化は成功しません。こんな離れ業ができるのでしょうか。
アメリカは、1年単位の短期的核放棄を要求し、北朝鮮は、10年単位の核放棄を主張しているのです。しかも、リビア方式は、査察をアメリカがするのです。現状の規則のままであれば、IAEAが査察することは難しいそうです。仮に、超法規的に、IAEAが査察することになっても、そこにはアメリカ側の人間が多く含まれることになります。アメリカが取り除きたいのは核だけではありません。本当に排除したいのは、ICBMとミサイル技術です。査察団と称して北朝鮮に入国するのは、核の専門家だけとは限りません。北朝鮮には、核施設以外にも、アメリカに見せたくないものが山のようにあると思います。
しかも、アメリカが要求しているのは特別査察です。この特別査察というのは、無条件査察のことです。いつでも、どこでも、自由に立ち入り、査察が出来るのです。もちろん、この特別査察がなければ、実効性のある査察は出来ませんから、アメリカが要求するのは当然です。しかし、北朝鮮は、敗戦国でもなく、被占領国でもありません。主権国家が、他国に「自由に、どうぞ」なんて言うのでしょうか。北朝鮮は、査察団がIAEAという名称を掲げていたとしても、アメリカの息のかかった無条件査察が可能な査察団を全面的に受け入れることはないと思います。
北朝鮮が主張する核廃棄プログラムは、時間稼ぎが目的であり、時間稼ぎを可能とする「段階的な」という部分が本音だと思います。「行動対行動」という部分は、それほど意味を持っていません。「核を放棄しますから、制裁を緩めてくださいね」という、いかにも、アメリカの圧力に屈服したような言い方は、単なる餌にすぎません。トランプは「奴らは、俺の圧力に屈したのだ」と自慢しています。そのトランプへの餌です。
経済援助は、既に、中国や韓国と約束済みですから、国連の経済制裁やアメリカや日本の経済制裁は大きな意味を持っていません。もともと、貧乏な国ですから、耐えることには慣れています。北朝鮮は、時間稼ぎができれば、成功なのです。10年20年というスパンで考えれば、アメリカの力は、衰退していくのです。それは、中国の利益にもなります。焦る必要はありません。
会談さえできれば、北朝鮮の勝利です。
交渉をすることが目的であり、結論を出すことが目的ではありません。
だからこそ、金正恩のほうから首脳会談を申し込んだのです。
なぜ、その戦略が読めないのか、不思議でなりません。
会談が決裂しても、決裂させたのはアメリカだと世界に訴え、金正恩は「私は、平和を求めている」と言い続けることが出来ます。それは、国際世論を味方につけることができるということです。もちろん、世界では力の強いものが勝つことになっていますが、単なる暴力は批判されます。中国は、先頭に立って、アメリカの暴力を批判し、正義の味方として参戦することができます。そのために、金正恩は北京に行ったのです。
もしも、アメリカが、北朝鮮の核を無力化したいのであれば、こんな状態になる前の武力攻撃という選択肢しかなかったのです。確かに、武力攻撃は暴挙です。でも、アメリカは、これまで、数々の暴挙をやってきました。しかし、トランプは、商売にしてしまいました。

北朝鮮が、何十年という時間と、莫大な資金をかけ、苦労に苦労を重ねて築き上げた核抑止力を、交渉によって、簡単に捨てると考えてしまったのは、なぜなのでしょうか。
それは、アメリカが、そう願っていたからだと思います。人間は、自分にとって都合の良いシナリオを書きたくなるものなのです。
金正恩の誘いに乗ってしまったということは、行き詰っていたのはアメリカのほうだったのではないでしょうか。トランプは勇ましいことを言っていましたが、身動きが取れなかったのはトランプであり、金正恩の提案に飛びついてしまったのも、トランプです。
トランプは、経済制裁と軍事圧力で窮地に立った北朝鮮が、制裁の解除と体制の保証を懇願していると信じているように見えますが、果たして、そうなのでしょうか。アメリカは、北朝鮮が核を放棄すれば体制の保証をする、と意味不明なことを言っています。しかし、アメリカに北朝鮮の体制を保証する力はありません。そもそも、他国の体制を保証できる国など存在していませんし、約束破りの常習者であるトランプの約束に意味があるとも思えません。もしも、北朝鮮の体制の保証を出来る国があるとすれば、そんな国は存在していませんが、無理にでも存在すると仮定すれば、同じ社会主義国である中国だけだと思います。いや、多分、中国でも無理でしょう。ここまでくると、もう、言葉遊びです。そして、言葉遊びは、北朝鮮が望むところです。体制の保証をする、実現可能な具体案は、どこにもないとすると、自分に都合の良い体制を自分で保証をするために開発した核は放棄できないのではありませんか。これは、北朝鮮が一貫して主張していることです。会談の落し所は「継続協議」しかなく、それが北朝鮮の狙いなのではないかと思います。
会談をやる前であれば、まだ、武力攻撃をするための理屈をつけることができますが、会談をしてしまえば、屁理屈しか残りません。しかも、「お助けください。平和をください」と言っている「平和愛好者」という仮面を被った相手を攻撃するのは至難の業です。アメリカは、アメリカ人の大好物である「正義のスーパーヒーロー」になれないだけではなく、中国に「正義のスーパーヒーロー」をバクられます。中国は、パクリの達人なのです。中国は、今でも、平然と、「我が国こそが自由貿易の旗手」だと言っています。アメリカは、反論もできません。

アメリカが、むきになって北朝鮮の核を無力化したいのは、北朝鮮がICBMを開発したからです。日本が核攻撃を受けることには無関心でしたが、今度は、アメリカも被害に遭うかもしれないのです。ビビっているのは、アメリカのほうなのではないでしょうか。民主国家では国民世論が大きな力を持っています。もしも、核攻撃を受ければ、アメリカ市民に犠牲が出れば、政権は崩壊しますし、最悪の大統領として歴史に名を残します。「自分さえよければ」の「自分」に被害が及ぶのですから、アメリカはハードルを高くせざるをえません。アメリカの要求は、核兵器を含む大量破壊兵器の全廃であり、その兵器を運搬するミサイルの廃棄を含む一切合切の廃棄です。核実験のデータの廃棄や核開発に関係した技術者の国外退去も求めています。これは、戦争終結後に行われる武装解除と同じです。戦争での決着がつく前に、武装解除なんて出来るものなのでしょうか。
さらに、核兵器の廃棄よりも、ミサイルの廃棄のほうが検証が難しいのです。核兵器を作るためには、原子炉を稼働させ、核物質を作らなければなりません。原子炉の移動なんて出来ませんが、ミサイルの製造はトンネルの奥でも出来ますし、ミサイル製造工場の移転も可能です。それを、どうやって、検証するのでしょうか。
また、北朝鮮が、核兵器を含む大量破壊兵器を何発持っているのかなんて、どこの国も知りません。仮に100発の核弾頭を持っていたとして、30発を申告したとすれば、70発の核弾頭は無傷で残ります。アメリカには、核弾頭が100発あることを証明できません。
核とミサイルの廃棄を、交渉によって、約束したとしても、実質的には、何の役にも立たないのです。兵器の削減には寄与できますが、兵器の撤廃は不可能なのです。
ですから。
首脳会談をしても、アメリカの不安は何も解決しません。
トランプが首脳会談に応じてしまった時点で、北朝鮮の勝利は確定していたのです。
韓国を味方につけ、中国とよりを戻し、アメリカを交渉の場に引き込み、時間を稼ぐ作戦は、朝鮮半島で戦争をしたくないと思っている文在寅が韓国大統領になった時から動き始めたと思っています。ここまで、その作戦は成功しています。後は、米朝首脳会談をすれば完成です。米朝会談の中身は関係ありません。金正恩は、ひたすら、「平和愛好者」の顔を見せ続ければいいだけです。そして、中国を利用し、改革開放路線の北朝鮮版を作り、経済発展を目指せばいいのです。文在寅は、インフラ整備や経済開発プランを提示してくれています。中国も、協力する姿勢です。北朝鮮は、世界一の経済大国になる必要はありませんので、アメリカの温情など必要ありません。アメリカが朝鮮半島を軍事攻撃できない条件を作ればいいのです。韓国と南北対話を続け、自作の核廃棄プログラムを発表し、ゆっくりと、時間をかけて、自分で作った核廃棄プログラムを履行しているように見せればいいのです。
既に、米朝開戦の時期は失っています。多分、去年の12月が最後のチャンスだったのでしょう。それでも、まだ、米朝会談をする前であれば、ゴリ押しも可能かもしれません。でも、米朝会談をしてしまえば、そのゴリ押しも難しくなります。
アメリカは、トランプは、何がしたいのでしょうか。
理解不能です。

長くなりますので、明日に続きます。


2018-06-01



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民主化のすすめ [評論]



このブログを読んでくださる皆さんの中には、少子高齢化や財政破綻や戦争を防ぐ方法はないのか、という疑問を持つ方もおられるかもしれません。そもそも、少子高齢化や財政破綻や戦争が亡国のシナリオなのだろうか、と思う方もいると思います。仮に、それが亡国のシナリオだとしても、地獄を予測するのではなく、もっと前向きに、建設的に、地獄にならない提案をすべきだと言う方もいるでしょう。
確かに、少子高齢化や財政破綻や戦争が亡国のシナリオにならない可能性もゼロだとは思いませんし、建設的な対策など無い、とは言えません。しかし、これまでの動きと現状を見ている限り、その望みが叶う確率は非常に小さい、いや、ほとんどゼロに近い確率しかないと思っています。
もちろん、建設的な提案があるのであれば、私も聞きたいと思います。
しかし、亡国のシナリオを防ぐ妙案は、実現可能で現実的な提案は、今日まで存在していませんし、将来も誕生することはないと思っています。少子高齢化や財政破綻や戦争というシナリオは、今日、突然、始まったものではなく、すでに私達が日常の風景として見てしまう状態になっています。その間、それに対処する提案はありませんでした。いや、提案はあったのかもしれませんが、実現することはありませんでした。それは、出来ない条件があったからだと思います。これまで、実現可能で現実的で建設的な提案がなかったということは、そんな妙案が存在していないということであり、残念ながら、これが、現実ですし、突然の妙案が出てきて、しかも、それが実行される確率は、限りなく小さなものだと思います。

ただ、実現の可能性があるかどうかは未知数ですが、誰かが「新しい思想」を生み出す可能性は、まだ、残っていると思っています。もちろん、その時は、国家崩壊が起きても民族絶滅につながらないという条件が必要です。国家崩壊は避けられませんが、それでも、生き残る人達がいるのであれば、その人達には可能性はあると思うのです。それは、亡国という過酷な体験をした人達だからこそ、可能性があるのだと思います。ぬるま湯に浸かっている私達に、その可能性はないのではないでしょうか。
たとえ、「新しい思想」という高いハードルを越えられなかったとしても、現在、存在する民主主義という思想を利用することで、回り道にはなりますが、少しはましな国を再建することは可能になるかもしれません。ですから、今日は、生き残る人達へ向けて、「民主化」の提案をしておきたいと思います。これは、お馴染みの「二度と・・・・」ですから、役には立たないのでしょうが、私達に出来ることは、こんなことしかないのではないかと思っています。


簡単に民主化の歴史を振り返りながら、民主化に必要なものを探ってみたいと思います。
日本の民主化の出発点は、明治維新だったと思います。
ただ、残念なことに、失敗してしまいました。
私は、明治維新がクーデターであり、政権交代劇だったと書いてきました。
もちろん、クーデターや政権交代が悪だとは思いません。
下級武士の力が時代を動かしたことに異論はありません。
しかし、残念なことに、人民革命ではありませんでした。
ですから、主権は人民にはなく、一部の権力者にありました。
だからと言って、民主化がゼロであったとは言いません。
確かに、徳川体制からみれば、民主化される方向へと動き出しました。
しかし、明治の自由民権運動の失敗がそれを象徴するように、日本の民主化は別の方向を向いてしまいました。それでも、明治政府は精一杯のことをしたと思います。徳川時代と比較すれば民主化は進んだと言えます。
しかし、民主国家にはなれませんでした。
それは、明治政府が目指したのが民主国家ではなかったからです。
明治政府が目指したのは富国強兵であり、世界列強の仲間に入ることでした。
そのために、民主化は曖昧な場所に着地し、その体制のまま時間が流れました。
多分、ここに、根っ子はあります。
曖昧な決着は、この国では普通ですから、明治の自由民権運動を批判しても意味がありません。それでも、運動の発想理念には問題がありました。それは、自由民権運動を推進した人達も、「形」から民主国家の樹立を目指すという発想を持ったからです。それが、民主国家の土台を軽視するという結果になりました。当時は、明治政府も、世界列強の国家体制を真似ることが、国家目標になっていましたので、「形」が重視されたことは仕方がありません。しかも、日本人は、もともと、形を重視します。「国会開設」をすれば民主国家の完成だと考えたのかもしれません。結果を変えれば何とかなるという思想は、過去も、現在も健在です。紆余曲折の末に国会は開設されましたが、それは明治政府が自由民権運動に屈したからではありません。明治政府も「形」の上で「国会開設」が必要だったからです。当時の列強と互角に付き合うためには、国会は必要な装置の一つだったからに過ぎません。鹿鳴館と同じ発想だったのでしょう。困ったことに、目に見える、形式上の、結果を変えれば、その原因は無視しても良いというこの発想は、アベノミクスでも受け継がれています。
当時も、必要だったのは「国とは何か」「国民とは何か」「民主主義とは何か」という定義だったのだと思います。その三大定義の先には、多くの定義が必要になりますが、その定義も曖昧なまま時は流れました。中でも一番曖昧にされたものが、その根っ子にある「定義とは何か」という定義がされなかったことだと思います。
仮に、民主国家とは、主権者が国民であると定義するのであれば、天皇制は民主国家の定義には合致しません。でも、現実として、日本という国は天皇制という体制で統治されたのです。これを、日本固有の民主主義だと主張する方もいます。でも、それは違います。民主主義風王政並立封建制度と、民主制度は、全くの別物です。曖昧文化の国ですから、この程度のことは許される範囲なのでしょう。形の上で先進国を真似ることが民主主義だと思ったのかもしれません。
確かに、徳川封建体制の中で生きてきた人達に、民主主義なんて言葉だけを伝えたのでは意味不明です。国民は、ほぼ90%以上の人達が、いや、99.9%以上の国民が、民主主義という言葉さえ知らなかったでしょう。言葉を知っていた0.1%の方も、おぼろげな形を知っていただけで、その根っ子は気にしていなかったのかもしれません。もっとも、平成の今でも、どれだけの国民が民主主義を理解しているのかと言われれば、当時と、それほど差があるようには見えません。言葉を知っているという点では大幅な進展がありましたが、中身は理解されていません。
天皇主権という旗印のもとで、日本は近代化を急ピッチで進めました。錦の御旗を立てて進軍した官軍の様子と同じことが行われたのです。それは、明治維新という成功体験に影響されていたからなのかもしれません。世界の列強に蹂躙される前に国力を増強しなければならなかったのですから、明治政府のやり方が全面的に間違っていたとは言えません。
ただ、自由民権運動が勢いを無くし、天皇制が定着したことで、日本は方向転換をする選択肢を失い、そのまま、第二次世界大戦へと進んでしまいました。そういう意味では、明治維新は、第二次大戦敗北の出発点となってしまったのです。日本の民主化にとって、明治維新は大きなチャンスでした。それを敗戦に結びつけてしまったのですから、折角のチャンスを無にしてしまったと言っても過言ではないと思います。
明治維新当初、この第二次大戦の敗北を予測した人は、いなかったのでしょうか。
明治・大正・昭和初期に、予測した人はいなかったのでしょうか。
私は、いた、と思います。
坂本龍馬という人物の実像は知りませんので、伝聞だけで、想像したにすぎませんが、坂本龍馬が、あの若さのまま、生きていれば、予測したのではないかと想像しています。これは、無いものねだりに過ぎませんが、坂本龍馬と同じような思考回路を持つ人間がいなかったとは言えませんので、そのような予測をしていた人は、きっと、いたと思います。
では、第二次大戦の敗北を受けて、日本に民主化運動が再現したのでしょうか。
いいえ、国民は食料の確保に全力を傾けましたので、民衆による民主化運動が起きる環境ではありませんでした。一部の民衆が、共産主義革命を夢見ましたが、多くの国民は同調しませんでした。いい人達ばかりですから、暴力は馴染みません。しかも、1,000年も2,000年も、「お上」のご意向に従ってきた人達ですから、その環境から抜け出すのは至難の業です。直前までは、封建制度の延長線上にある天皇制の国だったのです。昨日まで、天皇を神様だと信じて生きていた人達です。敗戦を機に生まれ変われと言っても無理です。そこで、力を発揮したのが「なあ、なあ」「まあ、まあ」です。結構、この曖昧状態は気持ちのいいものなのです。日本の社会を表現する時、「ぬるま湯」という言葉が使われます。しかし、その「ぬるま湯」の正体が曖昧文化だという解説はされません。その状態が70年以上も続いて、現在があります。
フランス人ジャーナリストが「日本の民主主義はギフトだった」と言っていました。
フランス人はフランス革命に誇りを持っていますので、フランス人らしい意見だったと思いますが、私も、その意見には賛成です。
リボンをかけた箱の中には民主主義という贈り物が入っていたのは間違いないと思います。でも、その箱を開ける人はいませんでした。
たとえ、贈り物であっても、中身を吟味しなくても、「形」さえ整っていれば、民主国家だと言うことは出来ますし、国民は「我が国は、民主国家なんだ」と思い込みます。「お上が言っているのだから、間違いないだろう」という国民の感覚は、徳川時代でも、明治時代でも、大正・昭和時代でも、平成時代でも、共通しています。日本の場合は、「形」が重要なのです。儀式が執り行われれば、全ては丸く収まるのです。
問題は、第二次大戦の敗北のような惨事は二度と起きないという保証がないことです。
実際に惨事が起きても、ドサクサに紛れて、その惨事を検証する人はいませんし、責任を取る人もいません。第二次世界大戦では、他国の国民が犠牲になっていますので、戦勝国による責任追及が行われましたが、自己崩壊の場合は責任追及を行う人がいません。国家運営者は、ひたすら「国家再建」を叫んでいればいいのです。
「二度と・・・・」の二度目は、必ず、やってきます。
その二度目を、出来限り、先延ばしするためにいろいろな策が考えられますが、先延ばしは先延ばしに過ぎませんので、二度目は、やってくるのです。もちろん、惨事は同じ形でやってくるとは限りません。でも、どんな形で惨事がやってきても、国民が被害を受けるという点では、何も変わりません。
敗戦後の混乱期に民主化運動が国民的運動にならなかったのは、致し方なかったと思いますが、敗戦の20年後に、いや、30年後に、気付くべきでした。そんなのは、後講釈だとして説得力を持っていませんが、この国は、まだ崩壊していないのですから、今からでも民主化運動を始めてもいいのです。もちろん、民主化運動は短期間では終わりません。ですから、手遅れであることに間違いはありませんが、やらないよりはやったほうがいいと思います。それは、国家崩壊が起きても、生き残る国民はいるからです。崩壊当初は、民主化なんて飯の足しにはなりませんので、民主化運動は忘れられたままでしょうが、再建が見え始めた時に思い出す可能性があります。その可能性を残すためだけにでも、やる価値はあると思います。過去にやったことがあるという実績は、決して、無駄にはなりません。
随分前に、小沢一郎氏が「国民生活が第一」というスローガンを掲げましたが、国民の支持は得られませんでした。それは、「国民生活が第一」が国民にとって他人事だったからです。
民主国家の最重要課題は国民生活なのですが、定義が曖昧になっていて、国民がそのことを知らないのですから、どうすることもできません。国家運営者も国民も、「国民生活が第一」が最重要課題だという認識は持っていません。「国民生活が第一」が大切であることは知っていますが、多くの課題の一つに過ぎず、最重要課題という認識がないという意味です。特に、私達の国は「形」重視ですから、中身はあまり気にしません。ですから、その意味を深堀りする必要がないのです。「国民生活が第一」は、本来は、国民が求めるスローガンですが、政治家が選挙のために掲げてしまったのですから、国民にとっては他人事なのです。小沢氏の方向性は間違ってはいませんでしたが、選挙のスローガン第一ではなく、民主主義の定義を作るように国民に訴えることから始める必要があったのではないでしょうか。国民は民主主義が曖昧であることにも、「国民生活が第一」であることにも気付いていません。気付いていないのですから、「国民生活が第一」というスローガンにも反応しません。

誰も言及しませんが、国民には「知る責任」があります。マスコミは「知る権利」を主張するばかりで、「知る責任」には言及しません。
この国では、国民に「知る責任」があることは、ほとんど知られていません。独裁国では「知る責任」も「知る権利」も認められていませんが、民主国家では、その逆です。民主国家では、主権者である国民の責任は大変重いものなのです。民主主義が機能するかどうかは、国民の意識によって決まると思います。私達の国では、国民が、意識的に責任を放棄したわけではないとしても、結果的に、責任を放棄することになってしまいました。それは、自分達に「知る責任」があることを知らなかったからです。国民の責任は、主権者としての責任であり、重いものですから、二度目の惨事がやってきても、その責任は民主主義を知ろうとしなかった国民にありますし、国民が被害者になることは当然の結果なのです。これも、「国民とは」という定義がないことによる、弊害です。国民は、伊達や酔狂で主権者になっているのではありません。
「知る責任」こそが国民の最も重要な責任なのだと思います。何もせずに、手厚く守ってもらえるなんて考えているほうが、勘違いだと思わねばなりません。封建制度の時代に、民は、民に優しい心のある賢君の出現を望みました。例外的に、そのような賢君もいたでしょうが、ほとんどは、夢でした。私達は、その時代から一歩も前に進んでいません。
勝ち取らなければ、手に入らないものは、沢山あります。自分の生活は自分が勝ち取るしかありませんが、民主主義もその一つです。

では、民主国家になれば、私達の未来は薔薇色なのでしょうか。
そうではありません。
いくつかの課題は解決する可能性はありますが、もちろん、可能性にすぎませんが、それでも、全ての課題が解決するわけではありません。ただ、原則が確立していれば、惨事に向けて進む危険がある時に、方向転換かできる可能性はあります。
民主主義は、万能薬ではなく、可能性を生み出す装置だと思います。
なぜ、こんな不確実な方法を選択しなければならないのでしょう。
それは、他に選択肢がないからです。
「何か、他に、もっと、いい方法があるだろう」と言う方は多いと思いますが、そんな方法が存在した事例を知りません。これは、選択肢がない時に使われる言葉であり、方便であり、逃げにすぎません。ただ、選択肢が無いことを証明はできませんので、説得力に欠けていることは確かです。しかし、無いのです。万能薬ではないが、何もしないよりは惨事を回避できる可能性が生まれるということなのだと思います。でも、可能性は、無いよりは、あったほうがいいと思います。
少子高齢化も借金の増加も戦争も、亡国のシナリオです。
そして、亡国の犠牲になるのは国民です。
これだけは、変わりません。
もしも、「国民生活が第一」という視点が国民に共有されていれば、少子高齢化にも借金の増加にも戦争にも対応しなければなりません。その時に重要になるのは、「国民とは」という定義の中の「国民の範囲」だと思います。外国人居住者の取り扱いも大切ですが、そのことよりも重要なことがあります。現在生きている国民が、国民であることは間違いありませんが、まだ誕生していない将来の国民も国民であるという視点です。「国とは」という定義の中でも一番重要な定義は、国は、未来永劫、いつまでも、国民生活を守るシステムであるという定義だと思います。その前提に立って、国としての最重要スローガンを作るとすれば、「子供達の未来を守る国」になるのではないかと思います。今だけ、国民生活を守ればいいのではなく、永遠に国民生活を守らなければならないのが、国の仕事だと思うのです。そう考えると、少子高齢化や借金の増加や戦争は、あってはならないことになります。
もしも、自分の未来が危険なものであれば、自分の子供達の未来が危険に満ちているのであれば、国民は、自分の安全を確保するために抵抗するしか方法はありません。既に、その危険が予見できる事象が数多く起きています。多くの国民が抱いている漠然とした不安感は、その証です。私達に出来ることは、「知ること」と「声を出すこと」しかありませんが、それでも、やったほうがいいと思います。多分、それが民主主義の原点なのではないかと思います。
日本人も人間ですから、得をしたいと思います。人間ですから「自分さえよければ」に徹する人達もいると思います。でも、日本人の大多数は「いい人達」ですから、自分だけが得をしたいとは思わないのです。こんな素晴らしい民族は、地球上には存在していません。本物の民主国家は、日本でしか実現しないのではないかとさえ思います。そんな「いい人達」が、国家運営者の不作為で地獄へ落ちるのは間違っていると思います。もちろん、この地球上に理想の民主国家を実現している国はないでしょう。ですから、日本がお手本になることはあっても、日本人が好むお手本はありませんので、「形」から入ることはできません。
私達に必要なのは、現実を見る力と、将来を予測する力と、方向転換を可能にする柔軟なシステムを持つことだと思います。その前提として「未来の子供達のために」という目標が持てれば、地獄に堕ちることはないと思います。それを可能にするのが民主主義なのではないでしょうか。民主主義を真似るのではなく、民主主義を利用することにより、100%は無理でしょうが、何とか、未来の子供達へ引き継ぐことはできると思うのです。
今生きている崩壊前の日本人に「民主化のすすめ」を提案しても、皆さんの心には届きません。それは、国がここまで壊れているのに、そのような主張や世論は皆無だからです。皆さんは、本気で、「俺には、関係ねぇ」と信じているようです。
この国は、崩壊しますが、崩壊後に生き残る皆さんに、このメッセージが伝わることを願っています。回り道になりますが、ぜひ、民主化を実現して欲しいと思います。
念のために書いておきますが、民主主義風王政並立封建制度は、民主制度ではありません。
「民主化のすすめ」と題しましたが、民主国家になることが、目標ではありません。
民主主義を利用して、国民生活を守るシステムを作ることが目標です。
その為には、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義から出発するしかないと思います。


2018-05-03



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神話について [評論]



少子高齢化と借金の増加は、これまでも何度となく書いてきましたので、耳にタコかもしれませんが、戦争という条件を加味し、財政安全神話の検証をしてみます。話を分かりやすくするために、独断と偏見が入りますが、どうか勘弁してください。

財政破綻の危機という風聞は、財務省による国論操作に過ぎないという意見があります。
「このままでは、日本財政は破綻しますよ」と言う財務省の主張の中には、国論操作の意図が含まれていることは否定しません。ただ、その割合は、2割から3割程度だと思っています。残りの7割から8割は、実際にその危険があります。最近の財務省の言動を見ていると、財務省の言うことを鵜呑みにすることはできませんが、その中に多くの真実が含まれていることも事実です。それは、過去の実績値と個人による独自の予測を基に計算すると、財務省が発表している数値と近い数値が得られるからです。
財務省の発表によれば、2060年代の債務残高は8,000兆円になるそうです。この数値は財務省のホームページからは消えたようですが、消しているだけだと思います。
私の試算でも、近い数値が出ました。
もちろん、50年後の予測ですから、実際の数値がどうなるのかは、誰にもわかりません。これは、あくまでも、予測値であり、実現することはないと思いますが、何らかの数値がないと計算が出来ませんので仕方がありません。ただ、個人的には、8,000兆円という数値は、少し甘いと思っています。
でも、ここでは、話をわかりやすくするために、この数値を使ってみたいと思います。
数値に疑念のある方は、是非、試算してみてください。
借金は返済しなければなりません。仮に、返済しないとしても、利息は支払わねばなりません。それがルールです。ここでは、元本の返済は諦めて、いや、諦めるという選択肢しかありませんので、利息の話をします。元本の返済をしないのですから、利息の支払い義務は永遠に続くという条件があることは、承知しておかねばなりません。今年だけ乗り切れば何とかなるという条件はありません。
利息の計算は、元本に利率を掛けて算出します。
予測した元本は、8,000兆円です。
予想できる利率は、1%から20%だとしてみます。
仮に、長期金利が1%だとすると、利息は80兆円、3%だとすると、240兆円、5%であれば400兆円、10%であれば800兆円、20%であれば1,600兆円になります。
では、次に、利息を支払う資金はどこから調達するのでしょう。
税収です。
将来の税収は、どうやって予測するのでしょう。
過去の数字を参照すると、税収はGDPの約10%です。
では、50年後のGDPは、どのくらいになるでしょう。
政府は、2%~3%の成長率を掲げます。目標ですから、高く設定することは妥当です。ただ、現実は、そのような理想が実現するとは限りません。先進国の経済成長率は、アメリカを除き、1%前後が妥当だと言われています。ただし、その数値を維持するためには、環境が変化しないという前提条件があります。その環境の大きな変動要因に、人口があります。既に、日本の人口は減少トレンドに入りました。この先は、人口減少が続きます。50年後の人口は、現在の人口よりもかなり少なく、8,800万人だと言われています。約3割減です。生産人口という観点からだと、4割減になるそうです。この4割減という数字は、英国の全生産人口を上回る数字だそうですから、国が一つなくなるようなものです。
当たり前のことですが、人口が少なくなれば、GDPは減少し、GDPが減少すれば、税収も減少します。50年後の話ですから、単純計算では算出できませんが、GDPの大幅な減少は避けられそうにありません。
それでも、ここでは、あえて、50年後のGDPを500兆円だと仮定してみましょう。500兆円を維持できるとは思えませんが、独断と偏見で、500兆円という数字を使います。それは、GDPが300兆円であっても500兆円であっても800兆円であっても、計算結果にそれほど影響しないからです。
500兆円のGDPから算出される税収は、50兆円です。
今後、増税は何度となく繰り返されると思いますので、対GDP比の税収率を12%にすると、税収は60兆円、15%にすると75兆円です。
「これでもか !」というほどの増税をしても、税収は75兆円です。
これでは、税収を、全額(75兆円)、利息の支払いに充てたとしても、1%の利息(80兆円)でさえ支払うことができません。3%の利息(240兆円)は、逆立ちしても払えません。もちろん、税収を、全額、利息の支払いに充てるわけにはいきません。行政機能を維持しなければ、利息を支払うという業務すら出来ません。仮に、50年後の国家運営費用には200兆円~300兆円必要だとすると、利息支払いに充当できる資金がないだけではなく、国家運営費用でさえ不足する状態が続くということです。私達の国は、今でも借金で運営されていますが、国家運営者にこの状況から抜け出す意思は見受けられませんので、50年後でも、同じ構造が続いていると確信しています。50年後でも、借金で利息支払いの資金と国家運営費用を捻出しているものと思います。もちろん、借金を、未来永劫、続けることが可能であれば、何の問題もありません。そんなこと、可能なのでしょうか。毎年、400兆円から500兆円の資金が必要です。どこに、そんな莫大な資金があるのでしょう。
利息の支払いができない状態をデフォルトと呼びます。
長期金利に正常値という概念は当てはまらないと思いますが、過去の数値から類推すると、何事もなければ、3%~5%が想定範囲内なのではないかと思います。異常事態があれば、0%の可能性も、25%の可能性もあります。仮に、長期金利が6.5%になれば、利息はGDP総額(500兆円)を越えてしまいます。支払利息だけで、GDPより大きな資金が必要になりますが、そんな資金はどこにあるのでしょう。国民が必死になって働いた結果が、GDPです。どうすれば、GDP以上の働きが出来るのでしょう。
そこにあるのは、物理的な限界です。
どう転んでも、日本財政は、デフォルトが約束されているのです。
50年後の債務残高と50年後の人口の予測値は多くの方が知っています。本来であれば、50年という時間をかけて、債務残高の元本を減らす必要があります。でも、国は元本を減らすという目標は持っていません。国が財政再建という言葉を使う時、それは、借金に関するものを除外したプライマリーバランスという計算式を使います。元本を減らすという発想は、そもそも、存在していないのです。
確かに、今は、50年後の話をしていますが、ご心配はいりません。なぜなら、50年も待つ必要はなく、5年後でも、10年後でも、デフォルトの可能性はあるのです。

さて、ここで、「日本の財政は破綻しない」という神話について書きます。
財政破綻も少子高齢化も戦争も、「俺には関係ねぇ」と思っている多くの皆さんを除外すれば、神話のおかげで、国民の99.9%の皆さんが安心しています。私には、8,000兆円もの借金が神話でクリア出来るとは思えないのですが、何と言っても、日本国民は「いい人達」ばかりですから、どうすることも出来ません。とても、心配です。

巷で、最も多く語られる神話は、「日本には、大きな資産があるのだから、何の心配もない」という資産神話です。
では、その資産には、どんな資産があるのでしょう。
森友問題で有名になった国有地があります。
国会議事堂や国立図書館という建物もあります。
アメリカ国債もあります。
他国に対する債権もあります。
年金積立金もあるでしょう。
地方自治体への貸付金もあります。
国が利息の支払いに窮する状態を想像してみてください。好景気を予測する人はいないでしょう。そんな不景気の中で、土地を買って商売をする民間人がいるのでしょうか。人口減少が続き、不動産の需要は減少します。都市部でも空き家はさらに増えるでしょう。国有地を買って家を建てても売れない時代になります。土地を買って何を建てるのでしょう。森友学園のような私立の学校が増えるのですか。少子化が進みますから、現在でも私立大学の3割が倒産予備軍だと言われている今の傾向は、さらに悪化します。
それとも、中国の資産家に売るのでしょうか。
国会議事堂や国立図書館が売れますか。
国が資金不足に陥った時に、民間経済が大きく成長しているとは思えません。少子高齢化社会で、突然、子供達の数が増えるなんてこともありません。
ですから、国有地や国有の建築物は、実際には売れません。帳簿の上に資産という名前で記載されているだけの飾り物なのです。
では、アメリカ国債は売れるでしょうか。日本の安全保障の基軸は日米安保にあるのですから、アメリカ様の嫌がることをするわけにいきません。アメリカ国債を売れば、日米安保は廃棄されるかもしれませんし、運が悪ければ国交断絶もあり得ます。ですから、アメリカ国債も帳簿上に置いておくしかありません。
日本は、多くの国に資金を貸しています。その元本の取り立てが可能なのでしょうか。そんなことは出来ません。では、利息はどうでしょう。世界大戦が始まれば、利息でさえ入って来ません。
年金積立金は、減少トレンドに入っていて、いつまでもあるわけではありません。そもそも、年金積立金で借金の利息を支払えば、年金の支払いが出来なくなります。
財政に余裕のある地方自治体などありません。東京都の財政さえ逼迫します。どこの自治体でも資金不足なのです。国から貸付金の返済を迫られれば、地方自治体は国の交付金を頼らなければなりませんが、同じように資金不足になっている国から交付金を貰って返済するということができるとは思えません。国にとっても、交付金と貸付金のバーターをしても、状況は変わりません。これも、帳簿上の数字にすぎません。
資産という言葉を、現金と勘違いする方がいますが、換金できなければ、それは帳簿上の数字に過ぎないのです。なぜ換金が必要なのか。利息の支払いには、現金が必要だからです。なぜ、こんな勘違いが起きるのか。それは、資金繰りの話を、貸借対照表で説明するという理屈に合わないことをやっているからです。
不思議なことに、この資産神話は広い支持を得ています。それが、なぜなのか、私にはわかりません。信じられない、という感想しかありません。
そもそも、8,000兆円の借金に対して、600兆円の資産を持っていたとして、それが何か役に立つのでしょうか。焼け石に水ですし、換金できなければ、水にもなりません。

次に、「日本国債は、90%以上が国内で消化されていて、日本円で発行されているのだから、破綻などしない」という国内消化神話があります。
そもそも、この8,000兆円もの借金を実現する資金は、どこにあるのでしょう。借金は、それを貸してくれる相手が存在しなければ成立しません。今までは、国民の金融資産を金融機関が国債に投資していました。良し悪しは別にして、資金はありました。それでも、国民金融資産は1,500兆円しかありません。時間の問題で、無い袖は振れない状況になります。それでも、借金をしなければなりませんので、海外の投資家に日本国債を買ってもらわなければなりません。ドル建ての国債も要求されます。ただ、デフォルトするかもしれない危険な日本国債を買ってくれる、そんな投資家がいるのかどうかはわかりませんが、少なくとも、国内の資金供給能力は限界を迎えます。とても、8,000兆円もの資金は国内にありません。
今ある「国内消化神話」は、続きません。それがわかっているから、金融緩和政策という名を利用して、日銀が国債の購入をしたのです。日銀が500兆円の国債を塩漬けにしてしまえば、その分だけ、先送りができるのです。

では、「日本の長期金利は0%だから、いくら借金をしても、心配いらない」というゼロパーセント神話はどうでしょう。
本来、長期金利は金融市場が決めます。ですから、中央銀行に長期金利の制御は出来ないと言われていますが、日銀は力技でそれを実現しようとしています。今は、コントロールされていますが、これがこの先も出来るのでしょうか。無理だと思います。それには、巨額の資金が必要になるからです。
現在の長期金利の数字は、瞬間風速みたいなもので、未来永劫続く数字ではありません。
国が借金経営を続ける場合、国内資金の枯渇という条件を加味すれば、海外投資家の資金が必要になりますが、そうなれば、簡単に、長期金利は上昇します。なぜなら、高い金利を提示しなければ、誰も買ってくれないからです。アメリカ国債を買えば3%の利息が手に入り、日本国債を買えば0.1%の利息しか手に入らないとすると、あなたなら、どちらに投資しますか。
今は、今だけは、心配ない、という気休めにすぎません。

「日本は、世界一の債権国だから、財政が破綻することなどない」という債権国神話は、大丈夫でしょうか。
国だけではなく、民間も大きな債権を持っているのは事実です。でも、戦争になっても債権は保全されるのでしょうか。仮に、中国が敵国になったとしたら、中国へ投資した資金は、全て、没収されると考えるほうが自然なのではないでしょうか。
たとえ、戦争にならなかったとしても、日本円が暴落する危険はかなり高いと思います。貿易収支は大幅な赤字となり、国際収支も赤字転落すると思われます。そうなれば、ここにも資金不足の現象が生まれます。
何よりも、8,000兆円もの借金に耐えられるほどの債権は存在しません。
この神話も、「今は」有効だという期間限定の神話なのです。

「日銀が、財政をファイナンスすれば、何の問題もない」という日銀神話は、どうなのでしょう。
政府も日銀も、現在の国債購入は財政ファイナンスではないと言っています。と言うことは、財政ファイナンスが禁じ手であることを承知しているということです。実際にやっていることは財政ファイナンスなのですから、何の問題もないのであれば、堂々と財政ファイナンスという政策だと言い切ればいいのですが、それが出来ません。なぜ、できないのでしょう。それは、国際的な通貨の信認を毀損するからです。グローバル時代に、通貨の信認を無くすということは、自殺行為に等しいことです。貿易でも金融でも、致命傷を受ける行為です。
また、日本は、アメリカによる為替操作国というレッテルを貼られたままです。アメリカは、日本が金融政策という名目で為替操作をしていると思っているのです。結果だけで判定すれば、アメリカの主張は間違っていません。自分の国が為替操作をする時は平然とやるのに、他国には注文を付ける。アメリカの悪い癖です。でも、これが、現実です。金融正常化へ向かわなければ、バッシングを受けることになるかもしれません。国債購入額をゼロには出来ないとしても、現在の購入枠は1/100にしなければなりません。
今の状態を、この先も続けることは不可能なのです。


どの神話も、前提条件が「変わらなければ」、という「れば、たら」の上に成り立っています。中でも「今の状態のままであれば」という「れば」は「時計が止まれば」という「れば」です。それは、時間という物理的な条件を否定することになり、それだけで、前提条件が成り立たないことを証明することになるのですが、そこは、都合よく、無視することになります。「時よ止まれ」という呪文が現実世界でも有効な呪文になるとは、思えません。
神話はフィクションであり、時間を超越しても許されるものですが、現実社会に生きる私達が時間から逃れることは不可能です。なぜ、こんな、当たり前の現実が認識されないのか、不思議です。ほんとに、とても、不思議です。
神話は、どんな神話でも、人の手によって作られたものです。人為的に作られるものですから、為政者に利用されることもしばしばありました。いや、大半の神話がそうだったのだと思います。中には、民の信仰によって作られた神話もありましたが、それは、その地方限定の神話でした。
過去の神話をみてみましょう。
日本には、神国日本という神話がありました。日本は神の国なのだから、戦争に負けるはずがないという神話です。実に多くの方が、本気で信じていました。信じていない人でも、神話に異を唱えることはしませんでした。異を唱えたりすれば、自分の身が危険になるのですから仕方がありません。今から振り返って見れば、なぜ、「神の国」なんてトリックを信じてしまったのか、不思議ですが、当時は信じられていたのです。その結果は、当たり前のことですが、第二次大戦の敗北という現実によって神話のほうが否定されたのです。現実と神話が戦えば、現実が百戦百勝するのです。
かつて、原子力安全神話というものもありました。真実と嘘を巧みに織り込んで作られた、利益誘導のための神話でしたが、あの原発事故で神話は吹き飛んでしまいました。当時は、民主党政権でしたが、政権は「メルトダウンは起きていない」と言い続けました。でも、実際には、メルトダウンだったことは今や常識です。原発事故の時、私も数多くの予測をしましたが、政府の発表とは違っていました。しかし、今では、私の予測のほうが現実に近いものだったと思っています。あの事故が起きる前に、原子力安全神話に警告を出していた人がいたそうです。しかし、皆で、その警告を無視しました。
敗戦も原発事故も、後になって考えてみると「なぜ、こんな神話を信じてしまったのだろう」と思うのですが、惨事が起きるまでは気付きません。実に不思議です。
でも、敗戦も予測できましたし、原発事故も予測できたのです。そして、敗戦も原発事故も、実際に警告を出していた人はいたのです。多分、神話が危険であることに気付いていた人は、それなりに、いたと思うのですが、流れに逆らえば碌なことにはならないと思って黙っていた人も多かったと思います。曖昧文化も神話も、権力者の支配のためのツールですが、庶民はそのことに気付くことなく、責任だけを取らされている状況は公平だとは思えません。
それなのに。
今、また、私達は財政安全神話を信じ、将来起きるであろう現実を無視するやり方を採用しています。
なぜ、同じ轍を踏もうとするのでしょう。
財政破綻だって、予測できるのです。
実に、不思議です。
戦争に負けたいと思う人はいませんから、神国日本神話が成り立ち、原子力発電は危険を伴うけれど、危険だと思いたくないから、原子力安全神話が成立し、財政破綻など起きて欲しくないと思うから、財政安全神話は成り立つのです。被害を避けたいという人間の助平根性に乗じて、人の弱みにつけこんで、繁殖するのが神話なのかもしれません。
ま、神話を信じる気持ちもわからなくもありません。波風は立ちませんし、大勢に逆らって非難されることもありませんし、ともかく、楽です。現実直視よりも現実逃避のほうがはるかに楽です。人間ですから、楽なほうに流れるのは仕方ありません。
でも、神話に支配されていれば、惨事は起きるのです。
楽な方法を選択するのか、甘んじて惨事を耐え忍ぶのか。望ましい二択ではありませんが、これが現実というものなのでしょう。
しかし、現実世界に生きる私達には、時空を超えることが出来ないことも事実です。
神話は、フィクションの中でこそ輝けるのであり、現実世界に持ち込むべきものではないと思います。
それを証明する手段は、その手段として適切かどうかは、いろいろな意見があると思いますが、歴史から学ぶことくらいしかないのではないでしょうか。


2018-05-02



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戦火の臭い [評論]



朝鮮半島の南北首脳会談が行われました。
金正恩が、テレビ中継画面の中で動き、発言する様子を世界が見ました。
大変、貴重な映像だと思います。
アメリカの諜報機関の職員は、あの画面を見飽きるほど見ていたと思います。
でも、多くの人にとって、彼が極悪人には見えなかったのではないかと思います。
場慣れをしていない若者の顔はありましたが、決して、韓国大統領に負けているようには見えませんでした。
いや、逆に、文在寅の必死のアプローチが目立ちました。
私には、お願いをしているのは文在寅であり、金正恩は、どっしりと構えているように見えました。中継映像を見ている限り、金正恩が、藁にも縋る立場の人間のように見えなかったのは、なぜなのでしょう。実際に窮地に陥っているのは金正恩であり、窮地の大きさだけで比較すれば、金正恩のほうが切羽詰まっているはずです。しかし、あの会談には、そんな空気は感じられませんでした。あったのは、朝鮮半島の団結だったと思います。当たり前のことですが、団結は一人ではできません。複数の者の利害が一致した時に生まれます。これまでは、アメリカと韓国が団結して、北朝鮮を説得するという図式でしたが、今は、北朝鮮と韓国が団結して、アメリカを説得しようとしているように見えます。
金正恩には、自信があったのかもしれません。
文在寅は、アメリカの軍事行動による、韓国側の被害を大変恐れている。いや、自分が恐れているよりも、文在寅のほうが恐れている。自分は、中国との関係も修復した。ここは、韓国の恐怖心と中国の利益を利用する時だとすれば、自分は決して崖っぷちにいるわけではないだろう、という自信です。
あの若さで、よくやったと思います。
共同宣言が調印され、共同発表が行われたことに、文在寅は胸をなでおろしているのではないでしょうか。しかし、その内容は、これまでの北朝鮮の主張から進展していませんでした。少なくとも、金正恩の共同発表では、「核」や「ミサイル」という言葉は含まれていません。朝鮮民族による、自主的な、平和構築が主題でした。共同宣言に書き込まれた核放棄に関しても、核放棄はあくまでも目標であり、核放棄が平和構築の前提ではありませんでした。それでもいいのです。文在寅の願いは、朝鮮半島での武力衝突を回避することですから、核兵器の廃棄は喫緊の課題ではありません。南北の交流や、南北間の交渉を続け、アメリカの軍事介入を阻止することが目的ですから、「延々と交渉を続けましょう」と提案したのではないでしょうか。交渉が続いている間は、アメリカも無茶なことはできないと思ったのです。文在寅の判断も、金正恩の判断も、間違っているとは思いません。アメリカの国益のために、なぜ、朝鮮民族が犠牲にならねばならないのだ、という意識は共有できたと思います。その点では、北朝鮮にとっても、韓国にとっても、今回の会談は成功だったと言えます。
では、アメリカがゴリ押しをすることはないのでしょうか。
これは、わかりません。
何と言っても、相手は、アメリカであり、あのトランプです。
ただ、希望がないわけではありません。
それは、トランプが、イランの核合意にクレームをつけたからです。フランスのマクロン大統領がアメリカを訪問し、トランプと会談しましたが、トランプを説得できなかっただけではなく、トランプの主張を受け入れた提案をしました。ドイツのメルケル首相もアメリカを訪問し、会談をするようですが、トランプを説得できるのかどうか疑問です。イランは、アメリカの要求は受け入れられないと言っています。イランでは、再び、経済制裁が始まると予想されていて、ドルの両替商の店には長蛇の列ができ、イラン政府は両替商を閉鎖しました。アメリカとイランが衝突する可能性が出てきたのです。しかし、今のアメリカには、二正面作戦を遂行する力はありません。韓国と北朝鮮が、このまま、時間稼ぎをしていれば、アメリカの矛先はイランに向かう可能性もあります。中東は、今、グチャグチャです。あらゆる場所で戦火の火種が燃えています。アメリカとイランが戦争状態になれば、中東全域が大混乱に陥ります。また、その混乱は短期間では収束しません。そうなれば、アメリカは東アジアでの軍事行動なんてできません。
中東だけではなく、中国やロシアとの戦いもあり、中間選挙で共和党が負ければ、大統領弾劾の可能性もあります。北朝鮮と韓国にとって、今は、時間稼ぎが必要な時です。

平時では、世界を動かす役目は外交が担います。
しかし、少しずつ、諜報機関の役割が増えています。今回の南北会談を設定したのも、米朝会談をお膳立てしたのも、韓国と北朝鮮の諜報機関です。アメリカでも、CIA長官が国務長官に就任しました。中国でもロシアでもイスラエルでも、諜報機関は活発に動き始めていると思います。これは、戦時体制に移行していることを証明しているのではないでしょうか。日本にも諜報機関はありますが、世界レベルで活動できる組織ではありません。北朝鮮問題で、日本は蚊帳の外に置かれているという批判がありますが、それは、諜報機関の質の差から生じる、必然的な結果なのだと思います。安全保障の議論をせず、「戦争」という単語を辞書から消し去った国では、諜報機関が仕事をすることは出来ません。



アメリカと中国の貿易戦争が始まったと言う方がいます。
いや、貿易戦争にはならない、と言う人も大勢います。
多分、どちらも正しくて、どちらも間違っているのだろうと思います。
それは、前提となる時間軸の長さを語らないからだと思います。
短期的にみれば、両者が、何らかの妥協をして、とりあえず、収まる。
中期的にみれば、今回の対立は、第一期貿易戦争であり、第二期、第三期と続くであろうから、貿易戦争は始まっている、という見方も出来ます。
では、長期的には、どうなるのでしょう。
私の独断と偏見によれば、これは、貿易戦争ではなく、第三次世界大戦の序章だと思っています。私だけではなく、世界各地に、そういう意見の方がおられます。スキャンダルで盛り上がっている日本に住んでいると、感じないのかもしれませんが、世界大戦という空気は少しずつ世界を覆い始めています。
今、始まろうとしている争いは、最終的に、アメリカと中国のどちらが世界覇権を握るのか、という闘いです。
それは、戦争でしか決着がつきません。
私達は、有史以来、そういう決着のつけ方しか体験していません。何か、他にもっと良い方法があれば、と願う気持ちは誰もが持っていると思いますが、そういう願いが叶ったことはありません。特に、人間の「欲」が介在した時には、殺し合いをして、物理的な優劣を競うしかありません。私達は、やはり、動物なんです。仮に、戦争が回避されたとしても、それは一時的なものになると思います。
なぜ、戦争でしか決着がつけられないのでしょう。
そうです。人間は欲の塊だからです。
人によって、欲の大きさは違いますが、欲のない人間はいません。
大多数の人達は戦争なんて望んでいませんが、それでも、人間から欲が無くならない限り、戦争は起きるのです。
「戦争なんて、やめてくれ」と言う人でも、「じゃあ、お前の財産も、人権も、いや、命もいらないと言うのか」と問われれば、「それは、困る」と答えるでしょう。自分が被害者になることは認められないが、戦争も認められないというのが、多くの方の本音です。これでは、答えのない、成り立たない数式を前に、立ちすくむしかありません。
私達は「戦争」を曖昧という空間に置き去りにしていますので気付きませんが、現実は曖昧ではありません。「自分だけは、そんな理不尽に出会わない」という思い込みが、現実世界で実現するとは限らないのです。
実際に、第二次世界大戦の時、全ての国民が戦争に巻き込まれました。
それが、現実なのです。
大きな利益を享受している権力者は、失うものが大きいために、どんな犠牲を払ってでも、自分を守ろうとします。一番大きな損失を受ける権力者が、開戦の権利を持っているのですから、戦争を防ぐことは不可能なのです。
持っていた利益を失うだけではなく、新たな損失が生まれるのであれば、それを防ぎたいと思うのは自然です。たとえ少ない資産しかなくても、その全財産を失い、人権を失い、その上、ウイグルにあるような絶望収容所に収容されるのであれば、抵抗したくなります。私に限って、自分だけは、そんな酷い目に遭うことはないだろうと思っていても、実際に、絶望収容所はこの世に存在しているのです。
身も蓋もない話ですが、これが現実です。
戦争で勝つしか自分を守る方法はありません。
ひどい話ですが、これが、世界常識です。
日本人以外の人達は、そのことを知っています。特に、白人は、そのことを肝に銘じているようにみえます。それは、自分達が勝者になってきた歴史を知っているからです。白人達は、自分達が征服される側の民族になりたいとは思っていません。
人類史上、軍拡競争が無くなった時代はありません。多くの国が大金を投じて軍拡競争をするのは、戦争に負けたくないからです。地球上では、ごく自然な行動です。世界史でも日本史でも、歴史とは戦争の歴史でもあり、戦争こそが、人間の歴史でもあるのです。
白人の闘争心の強さは年季が入っています。白人は、相手に勝つことでしか自分を守れないことを知っています。ですから、どんな手段を使ってでも勝ちに行きます。過去に、武力で他国を屈服させ、植民地にして、利益を貪ったのも白人ですし、核兵器を初めて使ったのも白人です。彼等のDNAには「征服」という二文字が組み込まれていると思うしかありません。
地球はお花畑なんかではありません。弱肉強食が当たり前の世界なのです。
19世紀、20世紀と白人による世界制覇が続いてきました。21世紀になって、中国が人口という強みを生かして、台頭してきました。トランプがアメリカファーストを得意げに宣伝していますが、自国ファーストであれば、中国のほうが大先輩です。いや、中国の自国ファーストは政策レベルの問題ではありません。中国そのものであり、中国人という民族が自分ファーストだということです。彼等は、自分の利益になるのであれば、何をやってもいいと思っています。政府も人民も、同じ理念で行動します。中国が、一党独裁という強権をもって統治しなければ国として成り立たないのは、中国人という人民を統治するためには、強権政治が必要なのです。中国は、民主主義では統治できません。そのことを、権力者は、自分も中国人なのですから、承知しています。文化大革命で、民主化を制圧したのは、当然のことです。香港での雨傘革命が弾圧され、息の根を止められようとしているのも、必然的な措置です。香港を、蟻の一穴にするわけにはいきません。中国は人口が多くて、国土が広いから、民主主義では統治できないと言われますが、それは違います。中国人民を野放しにすれば、全員が自分ファーストを優先してしまうのですから、強力な独裁政権でなければ統治できないのです。その中国人民の頂点に立っているのが習近平です。彼にとって、中国ファーストは当たり前のことなのです。特に、最近、中国は自分達のやり方に自信を持ち始めています。一帯一路を妨げる者はいませんし、南シナ海でのゴリ押しも出来ました。将来的には、中華思想によるネットでの世界標準を手に入れるという目標も掲げました。中国のネット社会の規制は有名ですが、それを世界に広めたいと思っているようです。悪名高きネット規制を世界標準にすることを、アメリカも、アメリカ国民も、容認するのでしょうか。私には、想像できません。従って、中国の理想や目標を実現するためには、どこかで、アメリカを力で屈服させねばなりません。AIIBの創設時に、世界の多くの国が参加したことが中国の自信となったのでしょうが、中国だけに責任があるのではなく、世界の国々が「欲」を優先させたことにも責任はあります。
アメリカは、自分達の価値観だけで中国に対応してきました。中国を自由貿易の仲間に入れてやれば、彼等も、仲間として相応しい行動をしてくれるはずだという思い込みによるものです。西側諸国も、そのアメリカの考え方に賛同しました。もちろん、13億人という消費者の存在が、西側諸国の助平根性を刺激したという部分のほうが大きかったと思いますが、そこには、ソ連の崩壊による西側諸国の優越感や驕りもあったでしょう。結果を変えれば、原因も変えることが出来るだろうという甘い考えもあったでしょう。しかし、アメリカの目論見とは違った形で、中国は力を付けてしまいました。
「もしかして、これ、ヤバいかも」と気が付いたのです。
もっとも、それは、アメリカが世界覇者であったから気付いた、いや、アメリカファーストのトランプだから気付いたのかもしれません。
欧州諸国の中でも、中国に一番深く食い込んでいるドイツは、少しだけ気付き始めているのかもしれませんが、他の西側諸国に危機感は見られません。もう少し、中国の影響力が深刻な影響を与えるまで、時間がかかるのかもしれません。特に、欧州の国々にとっては、ロシアや中近東の問題のほうが身近にありますので、中国は、一つの市場としての価値しかないのかもしれません。中国の目標が世界制覇であることを、知ってはいるでしょうが、まだ実感はしていないと思います。
アメリカは二番手に甘んじるつもりはありません。彼等は、それを誇りだと思っているでしょう。いつでも、ナンバーワンでいたい国です。その中には、感情的な理由もあります。その感情が表面化した現象が、人種差別です。アメリカ国内での白人至上主義はよく知られていますが、国際関係ではその感情を封印できているのでしょうか。いいえ、彼等は、有色人種である中国人の風下に立つつもりはありません。これは、感情ですから、理屈では説明がつきません。しかし、人間の判断は、いつでも、感情に大きく左右されるのです。
欧州列強の大航海時代から始まった白人による地球支配は、20世紀まで続きました。その頂点に立ったのがアメリカです。白人支配のイギリスがアメリカに挑戦状を突きつけたのであれば、妥協の余地はあったかもしれませんが、相手が中国では、その要求を飲むことはできません。表には出しませんが、黒人は「ブラック」であり、日本人も中国人も、彼等にとっては「イエローモンキー」に過ぎないのです。「イエローモンキー」などという発想は100年前のものだと思う方がいるかもしれませんが、だったら、なぜ、今でも、アメリカ国内で人種による紛争が起きているのでしょう。白人は、白人至上主義者は、白人以外の人間を、同列の人間とは認めていません。白人以外は、人間以下の動物なのです。ヒットラーがユダヤ人を排斥したのも、白人至上主義の一つの表現だったと思います。アメリカが日本に原子爆弾を投下したのも、人間以下の存在である猿を殺すためであるという理由で容認出来たのです。
中国は、これまでの地球規模の白人支配構造に刃を突きつけたことになります。
このままでは、済みません。
アメリカが、世界覇権競争に名乗りを挙げた中国を意識したのは、つい最近です。
中国が、世界覇権という言葉を出すようになったのも、つい最近です。
時代は、新しいフェーズに入ったと考えるべきです。
決着をつける手段は戦争しかありません。
もちろん、戦争を奨励しているのではありませんし、明日から戦争が始まるという意味ではありません。いろいろ、紆余曲折を経て、最終的には、残念なことに、戦争で決着をつける時が来るという意味です。

では、この新時代は、日本にどんな影響を与えるのでしょう。
覇権戦争では、どちらかが覇権を手にするまで終わりません。ですから、その手段として行われる貿易戦争に終わりはありません。中国が譲歩したり、アメリカが譲歩したり、お互いに譲歩しなかったり、「ああでもない、こうでもない」と言いながら続きます。貿易戦争を続ければ続けるほど、アメリカも中国も痛手を受けます。
中国との貿易戦争で得られる利益が少なければ、アメリカは、日本だけではなく、多くの国を標的にします。アメリカは、他国が漁夫の利を得ているとして、当たり散らすでしょう。アメリカファーストなのですから、何としても利益を得ようとします。でも、トランプが選挙公約に忠実であろうとすればするほど、アメリカも、世界も、痛手を受けます。
争いが常態化すれば、世界経済が縮小することは避けられません。
世界経済が縮小すれば、日本経済も縮小します。
これまでも、リーマンショックのように、対岸の火事だと言われていたことでも、日本経済は大きな影響を受けてきました。日本経済は、アメリカ経済に、中国経済に、アメリカや中国の経済に依存している多くの国の経済に、依存しています。今度は、世界規模での経済戦争なのですから、その影響は大きいものになると思わねばなりません。仮に、アメリカ経済が5%の痛手を受け、中国経済が5%の、その他の国が5%の痛手を受けたとすると、日本経済の痛手は、15%になる可能性があります。さらに、その時の為替相場次第では、それ以上の痛手になることもあります。
国の最重要課題は経済です。
トランプは、アメリカで中間層が減り、中国で中間層が増えている、この現状を変えたいと思っています。それが、トランプの選挙公約です。もちろん、それは間違った判断ではありませんが、簡単なことではありません。今は、一発逆転を狙う場面ではなく、地道な努力が必要な時です。しかし、トランプが狙っているのは、その一発逆転劇です。トランプの部屋を見ても、彼が派手好みであることは明白ですから、この傾向は続くと思います。政権のメンバー構成も、その方向へ向かっているようにみえます。彼等は、自国が繁栄するためには、他国の繁栄を犠牲にする必要があるとさえ思っているようです。矛先が中国に向けられていると安心していてはいけません。トランプは、たとえ、世界を敵に回してでも、勝ちたいと思っているようです。自国の繁栄のためであれば、日本に、安倍に、配慮するなんてことはあり得ません。
少し先の話になりますが、アメリカが仕掛けた貿易戦争で日本経済が縮小しているにもかかわらず、アメリカは、経済的にも軍事的にも多くの要求を日本に突き付けてくるでしょう。
多分、踏んだり蹴ったりの状態になります。
国内に目を向けても、財政再建目標は先送りされます。社会保障費の急激な増加は目の前に迫っています。国際問題だけではなく、国内でも国力衰退に向かう課題が山積しているのです。経済の縮小は、国民生活を直撃することになると思います。
武力衝突は、いつ起きても不思議ではない状態になり、実際に武力衝突が起これば、アメリカは戦費を出せと強要するでしょう。金がないのなら、自衛隊を出せと言ってくるでしょう。いや、金も自衛隊も出せと言ってくるのでしょう。もちろん、後方支援部隊という意味ではありません。前戦に立てという意味です。
日本は、対応できるのでしょうか。
無理です。
でも、無理だからと言って、それで済むという話ではありません。
国は、自衛隊員に、国民に、犠牲を強いることになります。
自衛隊員の生命を犠牲にし、国民生活を犠牲にしなければなりません。
もう、この国には余力がありませんので、向かう先は自己崩壊です。
米中貿易戦争だと言っていられるのは、今の内です。
最初に書いたように、これは、第三次世界大戦の序章です。
第三次世界大戦は、第二次世界大戦の数倍の被害を世界にもたらすだろうと言われています。日本は、その第三次世界大戦の最前線の場所にいるのです。とても、数倍の被害で済むとは思えません。その認識が国家運営者にあるようには見えませんし、国民は「俺には関係ねぇ」と思い込んでいます。仮に、10倍の被害だとすると、3,500万人が死にます。20倍だとすると7,000万人が死にます。でも、そんな空気は、どこにもありません。日本にあるのは、「スキャンダルで盛り上がろうぜ」というお祭りの空気だけです。
時々、平和という御旗を立てて、日本が世界をリードすべきだという意見を聞きます。
どこまで、いつまで、世間知らずの「夢見る少女」をやるのだろうと不思議に思います。日本にそんな力がないだけではなく、平和という御旗では平和は手に入りません。
日本の国家運営者にとって、日本の国民は「いい人達」ですが、世界から見れば、日本という国は、「いい国」です。「いい国」というのは、日本の国家運営者が国民をうまく料理しているように、どうにでも料理できる「いい国」という意味です。
世間が世知辛いのは、定番なのです。それは、世界も同じです。


2018-05-01



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出口戦略 [評論]



毎回、夢のない話ばかり書いています。申し訳ありません。このブログは地獄の話しか書きません。そのことを前提にして、読んでくださいますよう、お願いいたします。
残念ながら、このブログを読んで下さる皆さんは、石田のことを信用していないと思います。その判断は間違っていません。信用しないでください。
そもそも、評論を書く奴なんて、信用できません。しかも、フィクション好きな評論家なんて最悪です。ですから、遊び感覚で読んでいただけると助かります。
ただ、いつの日か、思い当たる現実にぶつかる日がやってくるかもしれません。いや、必ず、その日はやってきます。その時は「そう言えば、昔、聞いたことがある話だな」と思い出していただければ幸いです。

日銀の黒田総裁が再任されました。
黒田さんご本人は、どう思っているのでしょう。
5年間の職と報酬を得られたことを喜んでいるのでしょうか。
それとも、「厄介なことになった」と思っているのでしょうか。
私は、「お気の毒なことになりましたね」と同情したいと思います。
これは、私だけの感想ではなく、多くの方が、同情していると思います。
世界景気は、2019年に後退期に入ると言われています。
アメリカは、今年秋の中間選挙が景気のピークになると予測されていますし、日本も2020年のオリンピックの1年前がピークになると予測されています。中国もアメリカとの貿易戦争が始まれば、景気は後退すると予測されます。
しかし、黒田さんの任期は2023年まであるのです。
仮に、景気の後退がなくても、日銀に出来ることは、もう、ありません。
逆に、出口戦略を示せという風当たりは強くなります。ロイターの企業調査によると、7割の企業が、出口戦略が必要だと回答しています。それは、景気後退期に金融政策が打てるだけの体力を日銀に求めているからです。
でも、今更、2%のインフレターゲットを撤回することもできません。ベストシナリオとしては、2019年前半に2%の目標を達成し、出口へ向かうことが出来ればいいのですが、思惑通りになるのでしょうか。経済構造が変わったわけでもなく、成長戦略が実現し景気拡大局面に入った訳でもありませんので、景気後退が始まれば、またデフレに逆戻りです。金融政策は、もう、使い果たしていますので、指を咥えて見ているしかありません。日銀がレームダック状態になれば、地方の金融機関の倒産もあり得ます。企業倒産は、どんな時代でもあるものですが、金融機関の倒産が与える影響は他の企業の倒産とは違います。メガバンクのリストラも始まっていますし、不況業種の大規模リストラも始まっています。経済の構造改革が出来なかったことで、世界景気の悪化は、古くなった日本企業に引退を求めてきます。日本企業の神話は、どんどん崩れています。
これまでの5年間と違い、これからの5年間は不安材料のほうが大きいのです。
来年の秋には消費税増税があります。教育費無償化を選挙で公約しましたので、来年の増税延期は難しいと思います。自民党は、既に、来年夏の補正予算を言い始めています。増税後の消費の冷え込みを小さくするために、増税前に補正予算を組み、増税後にも補正予算を組むことを目指しているようです。仮に、消費税増税の前後で、10兆円~15兆円の補正予算を組むとすると、教育費無償化に要する1.7兆円の財源を捻出するために、その7倍の出費をすることになります。7倍の出費をしても、消費税は毎年入って来るのだから、7年経てば元が取れると考えているのかもしれませんが、その計算は7年間補正予算を組まないという前提でしか成り立ちません。今や、補正予算は、恒例のようになっているのですから、補正などではなく、一般予算と変わりません。消費増税による増収分を教育費無償化に充てざるを得ないということは、他に財源がないということなので、補正予算は全額が赤字国債による借金で賄うことになります。増税をして、借金をして、また、増税をして借金をする。いつになったらこの悪循環から解放されるのでしょう。これって、モラルハザードが起きているということなのではありませんか。「なに、足りなければ、国債を売ればいいじゃないか」というモラルハザードです。「それでも、足りなければ、増税をすればいい。なに、社会保障費という立派な言い訳があるじゃないか」という理屈で、消費税は15%へと動き始めます。
借金を増やすことは簡単ですが、減らすことは容易なことではありません。2019年以降、世界景気が減速するのであれば、日本のGDPも減少します。GDPが減少するということは税収が減少するということです。しかし、社会保障費は、まだまだ、伸び続けます。
増税するから借金が増える。
景気が悪いから借金が増える。
財政出動の言い訳を作っては借金をする。
とりあえず、何らかの理屈を作って借金をする。
政府は、借金をすることが仕事だと考えているのかもしれません。これこそ、モラルハザードなのではありませんか。
最後は、借金の利払いのために借金をするという借金地獄へ向かいます。
例えば、2,000兆円の借金の利率が3%だとすると、利息は60兆円になります。60兆円という数字は税収を全額利息支払いに充当したとしても、払いきれる金額ではありません。
最近の自民党では、統合政府という言い訳が流行しています。政府と日銀が一体になれば、いや、日銀は政府機関であり、元々一体なのだから、借金は借金ではなくなる。「財政ファイナンスのどこが悪いのだ」という言い訳です。統合政府という考え方が成り立つのであれば、財政破綻をする国はありません。でも、過去には、財政破綻をした国が数多く存在しています。これからも、財政破綻する国は出てくるでしょう。ベネズエラなどは、財政破綻寸前にあります。ベネズエラにも中央銀行はあります。統合政府にして、借金をしまくれば、国民も救われますし、国外の債権国も投資家も助かります。どうして、そうしないのでしょう。世の中に「うまい話」なんてものは存在していません。「うまい話」は、最後には「あれは、詐欺だった」という結果になります。
そのカラクリは、通貨にあるのではないでしょうか。
お金には二種類あります。実質通貨と架空通貨の二つです。これは、ビットコインの話ではありません。現物通貨とデジタル通貨という二つでもありません。通貨とは、富の流通のために生まれた尺度であり、富の裏付けのある実質通貨と、富の裏打ちのない架空通貨の二つが存在していると考えられます。
国家を運営する経費は、国民や企業から徴収した税金で賄われます。国民や企業が税金を払えるのは、国民や企業に収入があるからです。つまり、国民や企業が汗水たらして富を作り出し、その一部を国家運営に充てているのですから、その資金には富の裏付けがあるのです。これが、実質通貨です。
しかし、日銀ファイナンスには、富の裏付けがありません。日銀が輪転機を回して印刷しただけの紙切れには富の裏付けがないのです。日銀が投資をして、100兆円の利益を出しているのであれば、それは立派な富ですから、政府に融通しても問題はありません。
日銀が持っているのは通貨発行権という権利だけです。富に応じた通貨を発行するのであれば、問題はありませんが、富の裏付けのない架空通貨を発行すれば、貨幣価値を落とすだけです。現在の日銀は、GDPに匹敵するような、富の裏付けのない通貨を金融政策という名目で発行しています。これは、架空通貨と呼ぶべきもので、実質通貨とは全く別のものです。景気が良くなれば、架空通貨は減少させていく性質のものです。架空通貨は、一時的な経過措置として認められているに過ぎません。
もしも、実質通貨と架空通貨を同じ通貨として扱えば、貨幣価値を下げ、インフレになるはずです。でも、インフレにはなっていません。それは、国債を金融機関から買い取って、市中に放出したはずの通貨が、そっくり日銀の当座預金口座にプールされているからです。私は、日銀当座預金口座はマグマだと思っています。その場所にとどまっていれば、マグマのままですが、一旦、爆発すると急激なインフレが発生します。今は、ハイパーインフレのエネルギーが日銀当座預金口座に貯まり続けている状態だと思います。富の裏付けのない架空通貨であっても、実質通貨と同じ外見をしています。私達が持っている1万円札と日銀当座預金口座にある架空通貨の1万円札は同じ顔をしているのです。これを長期間放置したり、民間に流通させてしまったら、経済の大混乱が生まれます。それを見ているのが、世界の金融市場です。この状態を正常と見るか異常と見るか、海外の判断がトリガーになるのでないかと思っています。そのきっかけは、戦争なのかもしれません。世界恐慌かもしれません。架空通貨が流通している国の通貨を信用してくれる人はいるのでしょうか。最初にやって来るのは、日本円の暴落になるかもしれません。1ドル100円が1,000円になるような暴落でも大変ですが、ドルと交換が出来ない通貨になるような暴落だとすると、致命傷になります。
では、日本円の暴落は私達の生活にどんな影響があるのでしょう。
1ドル1,000円になるということは、光熱費、ガソリン代、交通費、物流費が10倍になるということです。身近な例であれば、1リッター130円のガソリンを40リッター買ったとします。今なら5,200円ですが、それが52,000円になります。レジャーなどで車が使えなくなるだけではなく、業務用の車も使えません。毎月10,000円だった電気代が、100,000円になります。電気のない生活をしなければなりません。もちろん、冷暖房器具は使えません。インフラの価格が上がるということは、当然、あらゆる商品が値上げされます。
貧乏人は自然淘汰されますが、生き残る人もいるでしょう。
でも、ドルと円の交換が出来なくなると、輸入ができません。生活必需品が手に入りませんし、インフラも機能しません。何が起きるのか。ハイパーインフレになるしかありません。ハイパーインフレになれば、庶民は草や木の実に頼るしかありません。
私達は為替動向なんて意識せずに生活していますが、実は、国民生活に直結しているのです。
いつでも、犠牲になるのは国民です。

日銀の黒田総裁の話に戻します。
「出口戦略」という言葉が使われますが、具体的には、何をするのでしょう。
大量発行した架空通貨を金融政策発動前の状態に戻すための工程表を示すことです。
5年で500兆円の架空通貨を発行したのだから、5年で500兆円を処分するという工程にはなりません。多分、50年懸けて減らしていくことになります。でも、将来、何が起きるのかはわかりません。実際には、空の証文になる確率が高いと思いますが、姿勢だけは示さなければなりません。つまり、日本は危険と隣り合わせの架空通貨と共に生きて行かなくてはならないということです。
姿勢を示すと言っても、最初から実行しないというわけにもいきませんので、数年間は工程表に従い実行しなければなりません。
先ず、架空通貨の新たな発行を減らすことから始まります。
それは、国債購入枠の減少を意味します。日銀は、現在、80兆円の購入枠を設定していますが、それを、何年で、何兆円にするのかを示さねばなりません。日本の特殊事情がその工程表を決めることになるのでしょう。黒田さんは「財政ファイナンス」はしていないと言っていますが、誰もが、実質的な「財政ファイナンス」だと思っています。いや、日銀がやっている金融政策が財政ファイナンスかどうかの判定をするのは、日銀ではなく、世界の金融市場です。日銀も日本政府も、被告人席に座っているのです。被告人が「自分は無罪だ」と主張することは自由ですが、判定を出すのは被告人である日銀ではありません。ただし、日銀の事情も理解できます。財政を無視した工程表など作れません。50年の工程表だとすると、購入枠の削減を50年かけてやっていけばいいのかというと、そうではありません。購入済みの国債を減らしていくことのほうが、はるかに時間がかかるのです。購入枠をゼロにしなければ、毎年、日銀の国債残高は増えていくのですから、出来る限り短い期間で削減をする必要があります。仮に、毎年、10兆円減額していくとすると、実行できるのは3年か4年になります。購入枠を40兆円から50兆円残しておかなければ、財政のファイナンスが出来なくなるからです。3年程度で、世間が忘れてくれることを願うしかありません。
次に、日銀内部に積みあがった国債を処分しなければなりません。償還日を迎える国債もあるでしょうから、ほんの少しだけでも減るように思う方もいるかもしれませんが、国債の購入をゼロにするわけではありませんので、増え続けます。市中から買い上げた国債ですから、市中に戻すのが筋ですが、そんなことはできません。日銀は償還日まで国債を持ち続けなければなりません。先程書きましたように、日銀は財政をファイナンスするために、国債の購入を永久に続けなければなりませんので、日銀が保有する国債は増えることはあっても、減ることはありません。500兆円の架空通貨と500兆円の国債は封印されることになります。喉元過ぎれば熱さは感じなくなりますので、いつもの「なし崩し」方式が使えます。ただ、貨幣価値を決めるのは私達ではなく、世界の金融市場です。
50年計画の出口戦略を、3年間だけ実行して、それ以上のことが出来ないとすると、先程書いた日本円の暴落という危険は、ずっと続くということです。
その状態が5年続けば、世界は日本の金融政策は財政ファイナンスだと判断する可能性が高くなります。架空通貨を発行するような国の通貨が信用されるのかどうか。それは、為替市場が決めます。日本政府の力は及びません。グローバル化ということは、国内事情だけで物事が決まるという時代ではないということです。
姿勢を示すだけだとしても、3年間しか実行しないとしても、金融緩和政策を終了するということは、長期金利をゼロパーセントに張り付けておくことが出来なくなるということです。80兆円の枠があったとしても金利制御は難しいのですから、購入枠を減らしてしまえば、日銀による金利制御は不可能になります。長期金利という名の怪物が動き始めることになります。長期金利が上昇すれば、当然、利息の支払い金額が増加します。その財源を確保する手段は、やはり、借金です。悪循環はそう簡単には断ち切れません。

さて、もう少し視野を広げてみます。
日本財政の借金は、将来的に減少するのでしょうか。
参考までに、財務省の試算によると、50年後の国債残高は8,000兆円です。
ただ、いつかは減少します。右肩上がりのチャートが永遠に続くことはない、という鉄則があるからです。ただし、それは、この国が破綻する時です。
私達の国は、借金をしなければ国家運営ができないのですから、それが否定しようのない事実ですから、借金は増えると考えるほうが自然です。今までも、そうやって、借金は増えてきたのです。減少する条件はどこにもありません。
補正予算が補正ではなくなったと書きましたが、この傾向は今後も継続され、補正予算の金額も増加します。それは、社会保障費が増え続けるために、一般予算で賄っていた国家運営費用が押し出されることになるからです。一般予算と補正予算を合計した金額が国家予算になるのです。話がややこしくなりますので、特別会計予算は考えないことにしますが、国家予算が増え続けるということは、税収が増加しない限り、借金は増える計算になります。景気が後退し、人口が減少するということは、GDPが減少するということであり、GDPが減少するということは税収が減少するということです。増税をするか、借金を増やすかの二択しかありません。多分、増税もし、借金も増やすことになるのでしょう。
大変残念ですが、日本の出口はどこにもありません。
いや、一つだけ、出口があります。それが、日本崩壊です。
財政破綻で崩壊するのか、インフレで崩壊するのか、大量の餓死者が出て崩壊するのか、戦争に巻き込まれて崩壊するのかはわかりません。はっきりしていることは、日本に残されている道は、崩壊しかないということです。
国債にまつわる神話は、いろいろとあります。
日本は、債権国だから、借金ごときで破綻するわけがない。
日本国債は、90%以上が国内で消化されていて、日本円で発行されているのだから、破綻などしない。
日本では、国が大きな資産を持っていて、借金なんて、いつでも返済できる。
日本の長期金利はゼロパーセントだから、借金をしても心配いらない。
これらの神話が100%嘘だとは言いません。それぞれの神話には事実も含まれています。でも、その神話が成立するためには条件が満たされる必要があります。条件が満たされない場合は、単なる気休めにしかならない、神話なのです。長くなるので、今日は書きませんが、破綻した後から振り返って見れば、誰にでもわかることばかりです。
私達国民は、今日の延長線上に明日があると信じていますし、「何とかなる」と高をくくっていますし、「俺には関係ねぇ」と思っています。でも、これらの信仰や願いが、叶うとは限らないのです。
日銀には、財政ファイナンスをしなければならないという絶対条件があるのですから、出口戦略を立案することは出来ても、実行することは出来ません。
黒田さんは、日本を破綻へと導いた日銀総裁という歴史を残すことになります。


ここで、ウォールストリートジャーナル紙の記事を抜粋します。

 危機がいつどこで起きるのか、何がきっかけになるのかはほとんど分からない。危機がサプライズなのは、ある前提があまりに分かりやすいために全員がそれに基づいて動き、破滅の種をまくからだ。82年の危機についてはメキシコのような国はデフォルトしないとの前提、97年の危機ではアジアの固定為替相場は崩壊しないとの前提、07年の危機前は全米で住宅価格が下落することはないとの前提、11年についてはユーロ加盟国のデフォルトはないとの前提だ。シカゴで金融調査会社を経営するジェームズ・ビアンコ氏は、現在ではそれが「インフレ高進も成長加速も起きない」との前提だと考えている。どちらかが現実になれば、家計で可処分所得と比べた証券・不動産の価値を押し上げてきた低金利が維持不可能になる。
 ロゴフ氏は「実質ただで借金ができ、借り換えを続けられるときには、危機に陥る確率がずっと低い」と同意している。ロゴフ氏の想定に反して実質金利が1.5~2ポイント上がれば、歴史的には小幅な上昇だが、イタリアやポルトガルの債務は維持不可能になるかもしれない。

日本にも「日本財政は破綻しない」という前提(神話)があります。
神話こそが危険の源なのではないでしょうか。


2018-04-05



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日常業務 [評論]



昨日の「日韓戦争」とは直接の関係はありませんが、根っ子は同じ場所にありますので、森友公文書改竄事件について、書いておきます。
日本政府が得意とする「なし崩し方式」とは、少し意味合いは違いますが、「国民不在」という根っ子の部分では、森友事件から派生した文書改竄事件の「辻褄合わせ手法」はよく似ています。それは、どちらも、曖昧文化から派生したものだからです。
以前に、森友事件は詐欺事件だと書きました。加害者は学園理事長であり、被害者は国でした。国有財産は国民の財産だと言う方がいますが、国民は、そんな認識は持っていませんので、ここにも曖昧が存在しています。
右翼思想を利用した金儲けが学園理事長の目的だったと思っています。詐欺師ですから、利用できるものは、何でも利用する。そして、理事長に利用されたのが、安倍さんであり、安倍夫人であり、財務省だと思います。
理事長と総理をつなぐ糸は右翼思想ですが、この件にどこまで「日本会議」が関係していたのかはわかりません。でも、関係していたと考えるほうが自然だとすると、評判を落としてしまったのですから、結果的に「日本会議」も被害者になってしまったのかもしれません。そういう意味では、学園理事長は詐欺師の鏡みたいな人です。一国の総理大臣も、日本で最強の財務省も、日本最大の右翼団体も、まとめて騙した大物詐欺師です。
政府も、官僚も「じっと我慢の子」を続けていれば、火は消えるはずでした。
しかし、公文書を改竄したことが、不思議なことに、ほんとに不思議なことに、信じ難いことに、バレてしまい、憲法の問題になり、国民の受け取り方も以前とは変わってしまいました。内閣支持率も急落しました。
独断と偏見で文章を書いている私が言うのはどうかと思いますが、私は、自己中心の朝日新聞が大嫌いですが、棚ボタという幸運を差し引いても、今回はいい仕事をしたと思います。ただ、リーク記事の掲載に問題はありませんが、文書改竄は国民の権利に対する犯罪行為だという論調で世論を引っ張っているのは、行き過ぎだと思います。朝日新聞が「国民とは」という確たる定義を持っているとは思えませんし、仮に持っていたとしても、その定義を国民は知りませんから、国民の権利に言及するのはやりすぎだと思います。それは、定義を共有するという土台のない場所に家を建てるようなものだからです。曖昧という大海の中で浮遊している状態では、潮の流れで思わぬ場所へ流されてしまいます。先ずは、曖昧という名の海から抜け出さねばなりません。私達は、政府の洗脳にも染まりますが、マスコミの誘導にも歩調を合わせる性癖を持っていますので、困ったことです。
今回の公文書改竄事件は、麻生大臣が言っているように、「辻褄合わせ」のために行われたものであり、深い意図はなかったと思います。財務省だけではなく、この「辻褄合わせ」の手法は官僚の得意技ですからよく使われますが、普通は、バレないものなのです。都合の悪い結果は、望ましい形に変更する。最後の最後で辻褄を合わせれば、何も問題はない。頭の良い人達にとっては、瑕疵のない文書を残すことは誇りなのかもしれません。これは、霞が関では日常的に行われていることだと思うべきです。特に、今回の改竄は「削除」が主な改竄点ですから、立件するのは難しいと言われています。自民党が、「改竄」と言わずに「書き換え」と言っているのは、立件できないと考えているからでしょう。
決裁文書の改竄なんて「前代未聞」だと言われていますが、そうなのでしょうか。これまでは表面化しなかっただけで、日常的に行われていたと思うほうが自然です。財務省も、日常業務として、淡々と、仕事をしただけだと思います。ま、確かに、量的にあれほどの改竄をしたことは初めてかもしれません。そういう意味では、ほんの少しだけ、良心の呵責はあったのかもしれません。
もしも、文書改竄が犯罪だという認識を持っていれば、その犯罪を実行する時、犯罪者であれば、綿密な計画を立て、完全犯罪を目指し、秘密が漏れないように手を打ち、逃走経路を確かなものにし、万全を期して犯罪に臨むものと思います。しかし、国交省に文書があることを忘れていたり、会計検査院や大阪地検に2種類の文書を提出していたりという、犯罪者らしくない杜撰な行動をしています。日本一優秀な頭脳を集めている財務省の行動とは思えません。リークの心配すらしていなかったようにみえます。つまり、財務省は改竄の事実が外部に漏れることなど微塵も心配していなかったのです。それは、彼等に、犯罪という意識がなかったからだと思います。
誰が朝日新聞にリークしたのかは今後もわからないでしょうが、あの報道がなければ、表面化することはなかったのです。現に、1年間は見事に発覚しませんでした。
今回の「辻褄合わせ手法」も「国民不在」という根っ子から生まれています。
その底流にあるものは「国民は馬鹿だから」という国家運営者共通の認識です。「国民は馬鹿なのだから、何をやっても、問題ない」というこれまでの実績もあます。「馬鹿」という言葉が過激であれば、「いい人達」という言葉に替えてもらってもいいです。
特に、官僚の場合は、最難関の試験と言われるキャリア試験に合格している人達ですから、国民は馬鹿に見えてしまっても仕方ありません。たとえ、馬鹿であっても、主権者なのだから、という結論になればいいのですが、そうはなりません。政治家にも官僚にも「主権者は国民である」という意識はありません。もちろん、建前としては存在しています。でも、国家運営者が得意とする裏の理屈があります。「一応、主権者は国民ということになっているが、例外的に、馬鹿は、主権者として認める必要はない」という判断だと思います。この「例外手法」も国家運営者が度々利用する論理です。定義がないのですから、別に問題にはなりません。もちろん、自分の利益を守るために、口先では「国民が主権者である」と言いますが、それは中身のない常套句に過ぎません。何度も書きますが、「国とは、国民とは」という定義がないことは、国としても国民としても不幸なことだと思います。普段は感じませんが、ドツボに嵌った時には痛感するものです。
国家運営者は、国民が馬鹿だと信じていますので、国民なんて怖くはありません。ですから、国民と向き合う必要もなく、国民に配慮する必要もありません。何をやってもいいのです。もちろん、建前は、常に口にしておく必要があります。仮に、何かがあっても、時間が経てば忘れてくれます。ともかく、いい人達ばかりですから、何の心配もいりません。
現に、国会では国家運営者同士が好き勝手な屁理屈を並べて遊んでいます。官僚は、国民から指一本指される心配はなく、政治家は選挙の時だけ頭を下げていれば、問題ありません。「なし崩し方式」や「辻褄合わせ方式」が有効な手法として使われていることが、その証拠です。この不具合を追求していくと、そこにあるのは「民主主義とは」という定義の欠如という曖昧文化の弊害だと思います。しかし、誰一人、その根っ子には到達していません。
政治家も官僚も、法律を作る人達と法律を運用する人達であり、法律の専門家と呼んでもいいと思います。ですから、法律をすり抜ける方法は常に考えています。自分達が不利にならないような法律の作成を命じ、自分達が不利にならないような運用方法を作り出す。これは、それほど簡単なことではなく、時間も必要ですし、豊富な知識も、緻密な頭脳も、組織の団結も要求されます。もしかすると、それが彼等の仕事の大半を占めているかもしれません。大変な仕事です。それでも、日本の官僚は優秀ですから、うまくやっています。優秀な頭脳をこんなことに使うのはもったいない、と指摘をする人もいません。この国では、今、あらゆる分野で構造改革が求められていますので、そちらの方向に、これらの優秀な頭脳を使えば、日本は生き返ることが出来るかもしれませんが、そうはなっていません。自分の、自分の課の、自分の局の、自分の省の利益が最優先です。何でもやりたい放題に出来るのですから、自分の利益を追求してもいいのです。本来は、それを咎める仕組みがなければならないのですが、この国の仕組みはそのような仕組みになっていません。もちろん、形式的には、それなりの仕組みがあるようになっていますが、きっちりと骨抜きになっています。
日本で最高の頭脳を結集して作られたものですから、不都合なことがあっても、そう簡単に立件できるものではありません。憲法違反なんて、更に、立件できません。安倍総理が強気なのは、違法行為には当たらないという確信があるからです。法律に違反していなければ、何をしてもいいというのが、国家運営者共通の認識です。国家運営者の皆さんは、道義的責任はあっても、法的責任はないように、細心の注意を払って、そのために多くの労力を費やして、国家を運営しているのです。その脱法行為は、国民のためではなく、自分達の利益のためですから、頑張れるという条件もあります。法律をすり抜けるためには、優秀な人材が必要であり、キャリア制度が作られました。官僚はその要望に応えているのです。そこに国民という視点がないことは、大変残念なことです。
公文書を改竄することが「前代未聞」なのではなく、「リークする奴がいたなんて、前代未聞だ」という意味で使われたのであれば、納得です。もちろん、リークしたのは国家運営者集団に属している人ですから、これは内部崩壊現象なのです。内部崩壊が起きていることこそが権力者にとっては「前代未聞」だと認識しなければなりません。
国民なんて馬鹿だと思っている政治家が、国民は馬鹿だと確信している官僚を交えて議論したところで、その根っ子に辿り着くことなどありませんし、空論で終わるしかないのです。これまでも、そうでしたし、これからも変わりません。「このようなことが、二度と起きないように、再発防止のために、文書管理規定を・・・・・」という話になるのでしょうが、二度目だけではなく、三度目も四度目も起きます。それは、新しく作られた規定をすり抜ける方法を必ず見つけ出すからです。それが彼等の仕事なのです。
国民に必要なのは法律ではなく、法律の前提となる定義なのだと思います。そもそも、法律の目的は民を縛ることです。国家運営者に適用される法律はザル法と相場は決まっています。その差を埋めるのは定義しかないと思います。法律は専門家にしかわからないとしても、原則さえわかっていれば、国民でも判別できます。
国会の予算審議からエピソードを一つ。
自民党議員の質問、「あなたは民主党政権時代に野田さんの秘書官をやっていた。だから、安倍政権を貶めるために、いいかげんな答弁をしているのではないか」
財務省理財局長の答弁、「私は公務員として、大臣に誠心誠意お仕えしているのであり、それは、いくら何でも、それは、いくら何でも、それは、いくら何でも、ご容赦ください」
実に程度の低い質疑応答ですが、これ、現実です。確かに、議員の質問は下劣極まりない質問ですが、私は、官僚が「大臣にお仕えしている」と答えた部分に違和感がありました。国会議員は国民の負託を背負っているのだから、大臣に仕えるのは国民に仕えることだと注釈すれば筋は通りますが、そのようには聞こえませんでした。実際に、官僚が議員の後ろにいる国民を意識しているとは思えませんし、そもそも、議員自身も国民の負託に応えているとは思っていないでしょう。もし、議員が国民の負託に本気で応えようとすれば党議拘束に反対しなければなりません。国民は、物価を上げて欲しいとか貧困化を推進して欲しいなどと考えていません。議員は、党の持っている組織票と選挙資金がなければ議員になれませんので、彼等に残された選択肢は、国民を騙す選択肢しかないのです。
理財局長は、かなり怒っていましたので、本音に近い答弁だったのでしょうが、無意識の状態でも辻褄が合うような答弁が出来る官僚の能力は素晴らしいものだと思います。その点では、日本の最高頭脳と呼ばれても、納得です。確かに、国民不在の「証拠を出せ」と言われても、出せません。議員や官僚の本音を証明する方法はありませんから、どうすることもできませんが、定義があれば、少しは判明していたかもしれません。
ただ、野党の皆さんも「国民を、国会を、愚弄する行為だ」と叫んでいますが、国民とか国会という言葉を利用しているだけで、「国民とは」という定義すら持っていません。国会議員にとっての「国民」は自分にとっての「一票」に過ぎないのです。与党議員も野党議員も、その点では一致しています。選挙の時だけ頭を下げ、その「一票」を貰ってしまえば、後は、自分の好き勝手に出来るのです。国民は、何も言いません。現実が、そうなっているのですから、もしかすると、国家運営者が国民を馬鹿だと思っていることは、それほど的外れではないのかもしれません。与党議員、野党議員に関係なく、彼等は「国家・国民のために」という偽の大義を掲げ、莫大な費用を使って、自分の「一票」のために、自分の利益のために、茶番をやっているのです。これでは国民は浮かばれませんが、国民は「ふむ、ふむ」と頷いているだけです。ほんとに、いい人達です。
ま、私達は、自分が「馬鹿」だとは思っていませんが、「無知」も「馬鹿」の範疇に含まれるとすると、「馬鹿」と思われても仕方ありません。国民が、知る努力をしていないことは事実ですから、責任の大半は国民にあります。国民が「俺には関係ねぇ」と思っていたのでは、民主主義は機能しません。ただ、国家運営者の皆さんは、国民に「知る努力をしてくれ」と要請したのでしょうか。国民が知らないことを、知る努力をしなかったことを、是としてきたのではないでしょうか。政治家や官僚がやりたい放題をするためには、国民の「無知」は望ましい環境だったのではないですか。これでは、かつての封建制度と、外見は違いますが、中身は何も変わっていません。私達は、民主主義風王政並立封建制度から抜け出さなくてはなりません。
野党の皆さんは、鬼の首を取ったように振舞っていますが、彼等が改竄の事実を見つけたわけではありません。あのリークがなければ、野党は何もすることがなかったのです。その上、公文書改竄は「民主主義の根幹を破壊する暴挙である」と主張しています。民主主義の定義を共有することもなく、民主主義という言葉を安易に使いたがります。ほんとに、いつも、いつも、言葉が軽くて、困った人達です。
その背景は「民主主義とは・・こんなもん・・だろう」という、曖昧な暗黙の了解の上に築かれています。この「・・こんなもん・・」は、個人によって違います。「・・こんなもん・・」を知らない人も、「・・こんなもん・・」を「俺には関係ねぇ」と思っている人もいるでしょうが、それなりに、自分なりに「・・こんなもん・・」を「・・こんなもん・・」だと勝手に考えている人もいて、この国では、誰一人、その「・・こんなもん・・」を共有していないのです。定義という土台がない場所で、共通の尺度を持っていない人達が、いくら議論をしてみても、それは「お遊び」にしかなりません。佐川氏証人喚問でも、野党の皆さんは、根っ子を探そうともせずに、棚ボタ発言を期待しているだけでした。「人は正しい行動をしてくれるもの」という思い込みに一縷の望みをかける。日本人らしいと言えば日本人らしい行動パターンですが、現実は、そうはならないのが普通です。根っ子が見えていない人は、根っ子に切り込むことができません。どれだけ、枝葉を揺らしてみても、何も変わらないのです。
そもそも、国会議員は、どんな人が、どこから、選出されているのでしょう。国家運営者の皆さんが「馬鹿」だと考えている国民の中から選出されている、国民の一人なのです。「馬鹿」の群れの中から選ばれた「馬鹿」ですから、国会議員も「馬鹿」なのです。中には、私達庶民よりは、多少、頭のいい人もいますが、大きな差はありません。スキャンダルにしか反応しない野党議員。自分の利益しか考えていない与党議員。国民の選択肢は、どこにあるのでしょう。と言っても、議員も「馬鹿」なのですから、どうすることも出来ません。だとすると、私達は自分が「馬鹿」であることを認めるしかないのではないでしょうか。「馬鹿」は「馬鹿」なりに、「馬鹿」に出来ることをするしかないのです。「馬鹿」にでも出来ること、それは「原点に立つ」ことくらいだと思います。
「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義を国家運営者と国民が共有していれば、今のような状況にはならなかったように思います。
それでも、不条理ではありますが、最終的には、国民の責任になります。民主主義国家という統治体制は、そういうものです。大半の国民は「俺は、知らなかった」と言うでしょう。その通りです。国民は知らないのです。責任を放棄してきたのは、国家運営者だけではなく、国民も立派に責任放棄をしているのです。みんなで、責任放棄をやっているのですから、これは、自己責任を取らされても仕方ありません。

たかが詐欺事件の森友問題であっても、その根っ子に気付かないということは、本来は国民生活を守るための議論をしなければならない国会で、与党と野党と官僚が三つ巴になって茶番劇を演じているということは、朝鮮半島連合軍対日本の戦いの危険性など、気付くこともないということです。
政治家の言葉を信用してはいけません、と言っても説得力はありませんが、私達は、せめて根っ子を見つける努力くらいはするべきだと思います。
もしも、朝鮮半島連合軍対日本の戦いが始まってしまうと、これまで、いろいろな場面で、「国民のため」「国民の生命と財産を守るため」と発言してきた政治家の言葉は、全部、嘘八百だったということになります。特に、安倍さんは上手に嘘をつく才能に恵まれています。見事だと思います。もちろん、政治家は、自分達が嘘八百を並べていることを知っています。それが彼等の仕事です。でも、この国の国民は、「いい人達」ばかりですから、その嘘八百を信じてしまう国民なのです。そういう意味では、責任は国民にありますが、願わくば、政治家はそんな国民性を知っているのですから、それを利用するだけではなく、自分の利益だけではなく、国民の利益も考えられる人が政治家になるという矜持は持っていて欲しいものです。実現は出来ないでしょうが、夢としては持ちたいものだと思います。確かに、国民は「無知」ですから「馬鹿」にみえます。でも、「国民が馬鹿だから、国家運営者は何をやっても許される」とは思わないで欲しいのです。やはり、定義を持たずに「なあ、なあ」「まあ、まあ」で誤魔化してしまうという従来のやり方は、大変危険だと思います。
この国は、曖昧という空気の中で、壊れていっていることに気付けていません。
いつ、気付くのでしょうか。
それとも、このまま、壊れてしまうのでしょうか。


2018-04-04



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日韓戦争 2 [評論]



追記
昨日の文章を書いた後に、「韓国と北朝鮮、終戦宣言か」という文章がネットで流れました。私が書いたのはフィクションですが、同じ視点で朝鮮半島を見ている人がいたことに驚きました。
私は、記事紹介の場合は、記事紹介と書くルールを自分に課しています。
ただでさえ価値のない評論ですから、記事や事件の解釈だけはオリジナルに拘りたいと思っているからです。
私の書いたストーリーを削除して、この記事に対する解釈という文章にしようかとも思いましたが、両方とも載せることにしました。
「韓国と北朝鮮、終戦宣言か」という記事を書いたのは、ニューズウィークの編集部ですから、それなりに取材をしたものと思います。韓国と北朝鮮の終戦宣言は、平和条約の前文に当たります。ただ、ニューズウィーク編集部の結論としては、南北対話は「当てにはできない」というものになっていますので、趣旨としては現在の流れに沿ったものです。
その記事の中から、いくつか、抜粋しておきます。詳しくは、ニューズウィーク誌をご覧ください。

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韓国メディアのNEWS1などによると、大統領府の関係者が14日記者団に会った際、「南北首脳会談で終戦宣言や平和条約の締結などについて議論することはあるのか?」という記者からの質問に対し、「大統領の昨年7月の新ベルリン宣言やその他の発言からすると、想定範囲内のことだ」と明らかにしたという。

金根植(キム・グンシク)慶南大学教授は、「文大統領がトランプ米大統領よりも金委員長と先に会って、終戦宣言や平和体制構築のような包括的な内容について対話することで、米朝首脳会談の大きな道筋をつけることができるだろう。先に作っておいた枠組の中にトランプ大統領を囲い込むという狙いもあるようだ」と分析する。

大統領府の関係者は、「これまでの南北の交渉では、制裁緩和しながら段階的に対話をしてきたが、今回もそうなるとは限らない。複雑に絡み合っている問題の結び目を"ゴルディアスの結び目"のように一刀両断で解決する方向にいくことが可能だ」と説明した。

大統領府の南北首脳会談にかける期待とは裏腹に、韓国国民の醒めた視線の方が歴史を学んだ賢人のように思えるのは気のせいだろうか?

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ニューズウィークの編集部が、韓国政府の意向に否定的な解釈をしたのは、多分、アメリカサイドの場所に立っているからなのではないかと思います。もしも、韓国の国益を最優先事項とし、韓国政府に中韓同盟という構想があったとすると、韓国政府はそんな発表は絶対にしませんが、平和条約の締結は、とても現実味を帯びてきます。少なくとも、韓国政府が、トランプを、封じ込めようとしていることは確かなようです。韓国の特使派遣の作戦は、今のところ成功しています。ただ、アメリカとの力関係で、韓国の希望は実らないかもしれません。それでも、文在寅は、可能な限り前に進めたいと思っているはずです。
私は、こんな情報を持っていませんでしたから、この記事を読んで驚きました。私が勝手に5%と予測していた、韓国が向こう側に行ってしまう確率は、7%になったかもしれません。青瓦台は、やる気満々、本気のようです。
もちろん、韓国や北朝鮮が、どんな思惑を持っていたとしても、それが実際に効力を持つためには、中国の協力が不可欠です。中国も、現行のアメリカ主導の世界秩序をひっくり返したいと思っていますので、朝鮮半島情勢はチャンスです。後は、今の時期が適切かどうかを、中国がどう判断するかに懸かっているのではないでしょうか。中国にとって、大きな一歩になる可能性と、ドジを踏む可能性が混在しているのは悩ましいところでしょう。

別の記事です。
トランプ大統領が、駐韓米軍の削減に言及しました。彼の論理は「我々はとても大きな貿易赤字を抱えているのに、彼等を防衛している。貿易で金を失い、軍事でも金を失っている」というものです。
また、アメリカと韓国のFTA条約の再交渉は妥結したようですが、トランプが金正恩と会うまではサインをしないそうです。
韓国を追いつめて、トランプは何を得たいのでしょうか。
文在寅は、どう思っているのでしょう。なんてことを言っても、何の足しにもなりませんが、韓国が窮鼠になる確率を高めるだけなのではないかと思ってしまいます。
トランプの頭の中は想像するしかありませんが、一番目に「カネ」、二番目に「カネ」、三番目に「カネ」、四番目に「支配欲」、五番目に「安全保障」という順番で並んでいるのではないか思います。彼は、企業経営者ですから、「カネ」が権力や支配力を生み出すと信じていても不思議ではありません。習近平や金正恩やプーチンの場合は、一番目に「支配欲」があると思いますが、その点でも異質な権力者だと思います。
今、一番、注意しなければいけないのが韓国の動向だと思わないのでしょうか。トランプ流のハッタリだとは思うのですが、瓢箪から駒が出てくる可能性はないのでしょうか。
もしも、私の推測が当たっているとすると、文在寅は中国に乗り換える口実を探しているものと思います。だとすると、文在寅にとっては「渡りに船」になる可能性があります。これまでも、駐韓米軍の撤退については、何度も言及され、米韓関係が悪化したことが何度もありました。多分、今回のトランプの発言は、トランプ流の商売なのでしょうが、こういう細かな齟齬が積み重なり、タイミングを間違えば、大きな亀裂を生むことになるかもしれません。日本はどんなことを言われても尻尾を振りますが、韓国が同じ対応をするとは限りません。悪い時期に悪い冗談を言って、場の雰囲気を壊してしまう。このトランプ流は、上手くいくのでしょうか。爆弾発言をして、相手国が右往左往しているのを楽しんでいるだけなのではないかと思うこともあります。しかし、日本にも多大な影響がありますので、困ったことです。FTA条約に為替条項が入ったのかどうか知りませんが、いずれ、この条約が破棄されることを韓国が予測していたとすると、トランプの面子は丸潰れになります。
仮に、米朝首脳会談が行われたとすると、トランプは、金正恩の気持ちを掴むために、自分の力を誇示するために、韓国を糞味噌に罵るかもしれません。韓国の言動には、イラついていると思いますので、更に、追いつめてしまうかもしれません。金正恩に駐韓米軍の撤退を約束するかもしれません。北朝鮮が核放棄という偽装約束をし、アメリカ主導で、駐韓米軍の撤退が動き出し、韓国が、仕方なく、中国に擦り寄っていくように見せることは、文在寅にとっては利益になります。中国も、受け入れやすくなります。
トランプは、「なに、文在寅がいなくなっても、晋三がいる。心配ない」と言うかもしれません。いえいえ、お友達の晋三は、今、風前の灯火状態です。
軍事的に日本が対応できるとは、日本人の私でも思いません。
トランプは、身近にあるアメリカ軍やアメリカ国民と、日本の自衛隊や日本国民を、同じだろうという前提で理解しているものと思いますが、日本の自衛隊も日本国民も、全くの別物です。日本人である私にも理解し難いくらいですから、余程の日本通にならなければ、この違いは理解できないと思います。

もう一つ、別の記事です。
26日に、金正恩が習近平と会談をしました。金正恩にとっては、初めての外交でしたが、中国首脳部はどんな印象を持ったのでしょう。とても、知りたいです。
日本では、「経済制裁で疲弊した金正恩が、アメリカの軍事行動を恐れた金正恩が、中国に助けを求めた」という意見の方が多いようです。ただ、皆さんの意見の前提には思い込みがあるように思えてなりません。それは、金正恩だけが悪者であるという思い込みです。確かに、金正恩が悪い指導者であることは認めますが、では、トランプや習近平は悪者ではないのでしょうか。私には、影響力が大きい分だけ、トランプや習近平のほうが悪く見えます。アメリカと中国とロシアを「悪の枢軸」と呼んでもいいくらいだと思います。金正恩だけを極悪人とみるのは公平ではないと思います。ここは、少し、冷静に分析すべきなのではないでしょうか。
中朝首脳会談の映像をみる限り、私には、ただ単に助けを求めて訪中したのでないように思えるのです。確かに、初めての外交ですから、緊張感はみえました。でも、決して、卑屈な態度ではなかったようにみえます。多分、金正恩の腹の中には、北京にでも核ミサイルを撃ち込むことができるという隠された自信があったのでしょう。彼は、核開発が正しい選択だったことを再確認したのではないでしょうか。核を持っていなければ、習近平の足元に縋り付いて助けを求めていたかもしれません。
私は、金正恩の真剣で前向きな表情と習近平の「愛想笑い」に別のものを感じました。習近平の「愛想笑い」映像を観たのは、トランプと初めて会談した時の映像でした。自分の思い通りになってもらいたい相手にであれば、「愛想笑い」をしてもおかしくありません。習近平の本音は、その表情に、特に笑顔に出ると分析している方もいます。許しを請い、助けてくれ、と言っている相手に「愛想笑い」をする必要はありません。安倍総理と会った時のように、そっぽを向いてもよかったのです。しかし、習近平にとって、金正恩を取り込むことが自分の利益になると判断すれば、「愛想笑い」の一つくらい、お安いことです。お互いに利用価値があると納得している会談だったのではないでしょうか。国力が全く違う相手に対して、親子ほどの年齢差がある相手に対して、金正恩は堂々と渡り合っていたと思います。悪と悪が手を結ぶのは最悪ですが、これが現実なのでしょう。
金正恩の目的は、韓国と中国の軍事同盟を促し、北朝鮮と韓国と中国とロシアの4か国による、対米戦略の構築のための訪中だと考えるべきだと思います。中国にとって、前向きな、建設的な提案を持って行ったということだと思います。
なぜなら、昨日も書きましたが、時代の流れは、そういう方向を向いているからです。
南北対話と米朝会談が決まった今、韓国の文在寅が北京へ行くと、角が立ちます。ですから、朝鮮半島を代表して、金正恩が北京へ行ったのではないかと思います。そうであれば、不自然ではありませんし、中国も歓迎してくれます。中国は、中国流資本主義で世界制覇をし、独裁国家連合の頂点に立ちたいと願っています。いつの日か、必ず、アメリカと戦う日がやってきます。北朝鮮も、中国陣営の有力な戦力です。
会談の中で、金正恩は、朝鮮半島の非核化に尽力したいと語ったそうですが、朝鮮半島の非核化が自分の安全を担保してくれるとは思っていないでしょう。朝鮮半島の非核化という提案は、中国へのお土産だったのではないでしょうか。アメリカ軍を、先ず韓国から、次に日本から追い出すことが出来れば、中国にとっての利益になるからです。
金正恩自身の安全を守るためであれば、在韓米軍の撤退だけでは不十分です。
アメリカには、核兵器搭載のICBMもありますし、グゥワムから核兵器搭載の爆撃機も飛んできますし、潜水艦による核攻撃もあります。あれだけ無茶をして核兵器の開発をしたのは、核を抑止できるのは核しかないという当たり前の事実を彼が知っているからです。いや、核兵器は他の兵器に対する抑止にも使えるスーパー兵器なのです。フセインやカダフィが殺されたのは、核武装しなかった結果だと思っているでしょう。
また、アメリカ相手に、どんな平和条約を結んでも、どんな約束をしても、条約も約束も絶対ではありません。双方が、いつでも、破棄できるのです。戦争になる時は、条約も約束も破棄されるものなのです。それが戦争です。崖っぷちを歩いている金正恩が、そんな、あやふやなものに、自分の命をかけるとは思えません。
日本人には想像できないかもしれませんが、力に対抗できるのは力だけです。アメリカが軍事攻撃を躊躇するだけのパワーが自分になければ、彼は安全ではありません。韓国と和平条約を結び、韓国を独裁国家陣営に引き込み、ロシア、中国と連携すれば、アメリカの軍事力を跳ね返すことができるかもしれません。文在寅と話をしたことで、4か国連合という戦略も夢ではないと思ったのではないでしょうか。そう考えると、彼の真剣な表情も理解できるような気がしました。
文在寅から南北平和条約を提案され、足元の危険を除去できる可能性が生まれたとします。そして、中朝首脳会談で、壊れかけていた中朝同盟は再確認されたとします。金正恩は、勝利を確信したのではないでしょうか。
韓国の取り込みには時間が必要ですが、ロシアは仲間に入ってくれるでしょう。これで、トランプの選択肢は非常に少なくなりました。今回の中朝首脳会談後の中国は、朝鮮半島の戦争には、堂々と介入してくると思われます。アメリカの軍事行動は、世界大戦を覚悟しなければ出来ません。ただ、トランプは何もわかっていませんので、アメリカのブレーキにはなっても、トランプのブレーキにはならない可能性があります。それは、トランプを選んだアメリカ国民が責任を取るしかありません。
トランプ政権の側近に力はありませんが、何とかして、米朝首脳会談に出たがるトランプを止めるべきだと思います。なぜなら、アメリカが恥をかくだけで終わる可能性があるからです。トランプは、「何とかしろ」と中国に圧力をかけると思いますが、301条の発表をした後ですから、中国がアメリカの要求に素直に従うとは思えません。逆に、中国から北朝鮮への経済援助が、既に、約束されているかもしれません。
金正恩の訪中は、内容もタイミングも大成功だったのです。
アメリカのテーブルに並んでいた選択肢から、軍事行動という選択肢はなくなりました。一発逆転サヨナラホームランみたいなものです。ただ、自棄になったトランプが、世界へ無理難題を押し付ける心配が出てきました。特に、日本は、格好の標的になる素質があります。この結果は、日本にとっては、大変困った事態になりました。
「同床異夢」という言葉がありますが、トランプはこの言葉を知っていたのでしょうか。アメリカの目的は、北朝鮮の核廃棄を非核化と考えていますが、北朝鮮が言う「朝鮮半島の非核化」は在韓米軍及び在日米軍の撤退を意味しています。トランプは「非核化」という言葉に飛びついて首脳会談に賛成しましたので、「同床異夢」という言葉は知らなかったと思います。トランプは、自分を中心にして世界が回っていると思い込んでいるようですが、現実は、それほど単純ではありません。
私は、金正恩が訪中する決断をしたのは、文在寅からの提案があったからだと、勝手に想像していますが、金正恩訪中のニュースを知った時、「なるほど、この手があったか」と思ってしまいました。随分悩んだと思いますが、よく勇気を出したと感心します。
やはり、世界の流れは、第三次世界大戦の方向へと向かっているように見えます。その流れを見るために、「れば、たら」を並べてみましょう。
トランプが大統領選で負けていれば、金正恩が後継者にならなければ、文在寅が大統領にならなければ、オリンピックがなければ、中国の独裁が進まなければ、ロシアが経済的なダメージを受けていなければ、今のような状況にはなっていなかったと思います。しかし、これらの「れば」は全部実現しています。これが流れだと思うのです。全員がウインウインの関係になることはありません。どこかで行き詰ります。そうなれば、最終的には、力で決着をつけるという選択肢しか残らなくなります。それが第三次世界大戦です。アメリカが総合力で他の国を圧倒していた時代は終わっています。この北朝鮮問題で主導権が取れなくなれば、その衰退は加速すると思います。それは、トランプの「アメリカファースト」が間違った政策だったという証明になります。トランプがやらねばならなかった政策は、西側諸国の結束を固め、中国を潰さなければならなかったのです。私には、上に挙げた「れば」が不幸の連鎖に見えます。ほんとに、不幸の神は群れたがります。

ここで、また、フィクションを書きます。
北朝鮮が、核放棄に応じたと仮定しましょう。
核放棄には、核査察が欠かせません。
では、北朝鮮は、アメリカの要求に、素直に、100%応じるのでしょうか。
そうは、思えません。
同盟国である中国の国益のために、近い将来同盟国になる韓国の安全のために、何よりも金正恩の安全のために、先ず、在韓米軍を追い出さねばなりません。そのための核放棄ですが、それが見せかけの核放棄ではないと、どうやって判断するのでしょうか。
私には、見せかけの核放棄の確率のほうが、はるかに高いように思えます。
では、どうやって、見せかけの核放棄を実現させるのでしょう。
素人でも想像できる方法は、核施設と核兵器の国外逃亡です。
北朝鮮のトンネル技術は優秀だと言われています。
北朝鮮の国土はトンネルだらけだと言われています。
もしも、ロシアとの間にトンネルが存在していたとしましょう。いや、今からトンネルを掘っても構いません。ロシアの地方都市の山間部に、主要な施設と核兵器を隠したとします。アメリカが、IAEAが、ロシア領の査察を要求しても、ロシアは応じないでしよう。
中国、ロシア、韓国、北朝鮮の4か国が協力すれば、アメリカを騙すことなど簡単にできてしまいます。北朝鮮を守ることが、他の3か国の国益にもなるとすれば、喜んで協力してくれるのではないでしょうか。
この程度の戦術は簡単に考えられます。
実際には、もっと、高度な戦術が立てられていると思いますが、直感だけが頼りのトランプは、気付くことができるでしょうか。
中朝首脳会談が成功したことで、金正恩の策略が成功する確率は高くなったのではないかと想像しますが、昨日書いたような無茶なフィクションは、あり得ないことなのでしょうか。ないことを祈るばかりです。
金正恩が北京を訪問した目的は、4か国連合の打診だったのではないかと思いますが、どうなんでしょう。
もちろん、これは素人の想像ですから、信用しないでください。
北朝鮮が核放棄を約束し、核査察が行われていれば、アメリカは軍事行動を起こせません。査察が行われるまでに何年もかかります、査察も年単位の時間が必要です。もしかすると、10年以上の時間が必要かもしれません。10年経てば、世界情勢も変わりますし、中国の力も強くなります。
それでも、「北朝鮮の約束に不審あり」として、無理矢理、軍事行動を起こせば、アメリカに味方をする国はなくなります。
必要だったのは、団結力だったのではないでしょうか。
韓国を追いつめたアメリカ、中国に膝を折ってでも団結を求めた北朝鮮。リーダーとしては、金正恩のほうが上だったということになります。
この部分も、フィクションです。

フィクションに過ぎなかったストーリーでしたし、私の勝手な想像に過ぎないヨタ話の類でしたが、嫌な予感がします。このままでは、朝鮮半島連合軍対日本の戦いになる可能性は、その確率は低いものですが、絶対に無いということではないように思います。
もしも、最悪の事態が起きるとすると、底辺にある「国民不在」の流れこそが、あらゆることを押し流している根っ子だということに、私達は気付かねばなりません。安全保障の議論が出来ない国は、国民を守るつもりのない国だということです。「民主主義とは」という定義はありませんが、民主主義国家は、どんなことよりも、国民生活が優先されなければなりません。国防を語らずに国民を守ることなど出来ません。しかし、この国には、国民という視点が欠けています。
第二次朝鮮戦争を始めないために、という点では、日本に出来ることは限られています。しかし、朝鮮半島連合軍対日本の戦いになることを阻止するのは、日本が主体的にやらねばならないことです。なぜなら、国には、国民生活を守る義務があるからです。しかし、これまでの国家運営者のやり方をみていると、そのような主体的な行動が取れるとは思えません。また、いつもの「なし崩し方式」を利用すれば、「ずるずる」と戦争に突入する危険があります。この国では、「ずるずる」は珍しい現象ではありません。


2018-04-03



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日韓戦争 1 [評論]



今日は、出来の悪い小説を読むつもりで読んでください。
これは、フィクションです。
そのために、少々、いや、かなり、長文になります。

無茶を承知で、日韓戦争のシュミレーションをしてみました。
米朝戦争でも、第二次朝鮮戦争でもなく、日韓戦争です。
「なに、それ」と思われるでしょう。これは、あくまでも、フィクションです。ただ、100%あり得ないと言えないところが、悩ましいと思っています。
実際には、朝鮮半島連合軍(韓国軍と北朝鮮軍)対日本の自衛隊の戦争ですが、本質的には米中代理戦争ですが、日韓戦争と呼んだほうがわかり易いと思いますので、日韓に代表してもらいます。
半年前に、「韓国にとっての最良の選択とは」ということについて書きました。
韓国は、中国陣営に参加することが、他の選択肢よりも優れていると書きました。
今年は、年初から、朝鮮半島で南北融和や南北対話が力を持っています。
北朝鮮が仕掛けた平和攻勢だという意見が主流になっています。
ほんとに、そうなのでしょうか。
私には、韓国が仕掛けた平和攻勢であるように見えます。
と言うよりは、出来レースに見えてなりません。
それは、韓国と北朝鮮の利害が、壊滅的な被害を受ける国という点で一致しているからです。
アメリカの安全のためだけに、北と南に分断されているとはいえ、朝鮮民族が何百万人も犠牲になるのは、割に合いません。北と南が協力するのは自然な流れです。
カードを切ったのは韓国であり、北朝鮮は、棚から落ちてきた牡丹餅にパクリと食いついた結果のように見えます。
韓国の特使と金正恩の会談の映像を見ても、金正恩は自信に満ちています。晩餐会では、終始、笑顔でした。依頼したのが韓国側で、韓国が大胆な条件提示(南北の平和条約締結や軍事同盟のような提案)をしたのであれば頷けます。北朝鮮が「満足できる会談だった」と言っているのは、韓国の平和攻勢だったという意味なのではないでしょうか。
韓国も北朝鮮も、いや、韓国のほうが南北融和を切望しているように見えるのです。
日本の報道では、アメリカの立場に立った意見や、アメリカのポチに徹する日本の立場に立った観測しか流れません。韓国や北朝鮮の意見は反映されているのでしょうか。正義はアメリカにだけあるのでしょうか。私達には、韓国や北朝鮮の本音を知る必要はないのでしょうか。確かに、大国による力の行使が世界の正義になるのですから、小国にはなす術がありませんが、その小国の行動が他の小国である日本に影響する心配はあります。
北朝鮮や韓国の立場に立って、冷静に考えてみましょう。
仮に、北朝鮮が核兵器と長距離弾道ミサイルを廃棄し、朝鮮戦争を終結させ、アメリカや連合国軍の国々と平和条約を結び、米韓同盟を終了させ、駐韓米軍が撤退し、米韓合同軍事演習が無くなれば、北朝鮮、いや、金正恩は枕を高くして眠ることができのでしょうか。
無理だと思います。
アメリカは、民主化を要求してきますし、人権問題を解決しろと強要するでしょう。大国は、いつでも、攻撃の口実を作ることができるのです。折角手に入れた核兵器を放棄しても、金正恩は何も得られません。大量破壊兵器というガセネタだけで、イラクに侵攻した米軍を知らない人はいません。正当化するためなら、どんな理由でも作るのが大国です。
たとえ、北朝鮮が約束をしても、北朝鮮が日本のようなアメリカのポチにならない限り、金正恩の安全は保障されません。そんなことは、金正恩が一番わかっています。アメリカがアメリカである限り、北朝鮮が北朝鮮である限り、両国の平和は実現しないのです。そこにあるのは、強いものが勝つという世界常識だけです。では、金正恩は負けを認めて、アメリカの属国として生きていけるのでしょうか。その確率は、0%ではありませんが、かなり低いと思います。
アメリカのミサイル防衛システムは、敵のミサイルを100%撃ち落とせるわけではありません。以前に、北朝鮮が複数のミサイルを同時発射する映像を公開しました。例えば、連続して50発の通常ミサイルを発射した後に、10発の核弾頭を搭載したミサイルを発射すれば、100%ではなくても、何発かの、いや、かなり高い確率で大半の核兵器がアメリカ本土に落下するでしょう。いや、実際に攻撃をしなくても構いません。その戦略をリークするだけで、アメリカは北朝鮮を核保有国として認めることになります。
どうしても、北朝鮮の核保有を認めたくないのであれば、多分、この数か月か数年が最後のチャンスなのだと思います。北朝鮮が数十発のICBMを実戦配備できるまでに、北朝鮮を焼け野原にしてしまわないと、軍事行動は不可能になると思います。逆に、北朝鮮は、アメリカがそのような決断をするチャンスを潰さねばなりません。トランプは、突然、その決断をしてしまうかもしれませんので、餌をぶら下げておく必要があるのです。それが、米朝首脳会談です。
一方、韓国が生き残るためにも、アメリカの軍事行動だけは、どんなことがあっても阻止しなければなりません。もしも、朝鮮半島で戦争が始まったら、韓国は大打撃を受けます。多くの国民が犠牲になり、多くの都市が破壊され、経済が大損失を出します。どこに、韓国のメリットがあるのでしょう。韓国の国益は考慮されているのでしょうか。私には、アメリカの都合だけしか見えません。
ですから、韓国が自国の国益を守るためには、アメリカと共に北朝鮮と戦うのではなく、北朝鮮と協力してでも、アメリカの軍事行動を阻止しなければなりません。文在寅は、同じ民族なのだから可能だと判断したのでしょう。どんな手段を使ってでも、アメリカの軍事行動だけは避けなければなりません。それこそが、韓国の喫緊の課題なのです。例え、韓国政府がアメリカ軍の軍事攻撃を認めないと言葉で表明しても、アメリカは行動する危険があります。よく言われるように言葉では何も動きません。韓国だって、行動するしかないのです。朝鮮半島で南北戦争を回避する方法は一つしかありません。韓国が中国軍側に立つしかないのです。韓国国民を守るためには、その選択肢しかないと思います。
去年、韓国について書いた、あの時点では、眉唾物のお伽噺であり、1%以下の確率しかありませんでしたが、今年になって、その確率は少し高くなったのではないかと思っています。高くなったと言っても、5%くらいの確率でしかないのでしょうが、ゼロではありません。

日本では、あまり話題になりませんが、韓国の文政権は左翼政権です。日本であれば、共産党政権が誕生したようなものです。
国民のイデオロギー反応度を、勝手に推測すると、日本の場合、左翼指向の国民は5%で、右翼指向の国民は5%、中間層が90%だと思います。中間層は、別名、付和雷同層と呼んでもいいと思います。韓国の場合は、左翼30%右翼30%中間40%だと言われています。日本よりも左翼政権が生まれる確率は高いと思います。そして、現に左翼政権が生まれ、国家としての危機を目の前にしているのですから、社会主義国になるだけの動機はあります。
文政権は、明確に、親北・反日の旗を揚げていますし、親中・反米になっても不思議ではない政権です。
そんな政権が韓国に誕生したおかげで、金正恩は韓国政府の内部事情に精通していると言われます。青瓦台の中は、左翼思想に染まっていて、多くの人が、自ら率先して北朝鮮に情報を渡していると言われています。北朝鮮では「青瓦台は制圧した」とまで言われているそうです。
韓国にとって、今は、南北統一が問題なのではありません。南北統一は夢のままでもいいのです。それよりも、直近の壊滅的な被害を何とかしなければなりません。たとえ、アメリカ軍が北朝鮮軍に勝利したとしても、韓国は立ち上がれません。第二次朝鮮戦争は、韓国にとって何のメリットもないのです。いや、山のようなデメリットしか残りません。
北朝鮮は、核兵器を持っているのだから危険だという方がいるかもしれませんが、北朝鮮と平和条約を結び、同盟国になってしまえば、危険は排除されます。あるいは、韓国が核兵器を開発して装備すればいいのです。韓国では6割以上の国民が核武装に賛成しています。
それ以上に、文在寅大統領には、米韓同盟軍として北朝鮮軍と戦う大義がありません。冷戦時代であれば、イデオロギーという大義がありましたが、今はイデオロギーで戦争をする時代ではありません。文在寅大統領は北朝鮮と同じ思想を持っていると言われています。そんな北朝鮮と、しかも同じ民族である北朝鮮と、戦う大義がありません。第二次朝鮮戦争を始めれば、多くの国民が犠牲になります。大義がないのですから、韓国側に犠牲が出ても、北朝鮮側に犠牲が出ても「国民を殺し、同胞を殺した大統領」という評価をされるかもしれません。戦争をするのであれば、どれほどの犠牲が出ても、渋々であっても、国民が容認してくれる大義が必要なのです。
戦争状態にありながら、あれほど多くの北朝鮮シンパがいるということは、同族意識が非常に強い民族なのだと思います。その朝鮮民族の「情」を納得させるだけの大義があるのでしょうか。
一国のリーダーが、自分にとっても、国民にとっても大義のない戦争で、壊滅的な被害を受けることを容認できるとは思えません。でも、相手はあのトランプですから、何をやるか、わかったものじゃありません。何とかしなければなりません。
文大統領に残されている選択肢は、北朝鮮と独自に平和条約を結び、米韓同盟を破棄し、中韓同盟と韓朝同盟を結ぶことです。すぐに南北統一をする必要はありません。同じ民族ですが、別々の国として平和的な関係を維持するほうが、はるかに利益になります。
歴史的に見ても、朝鮮半島は中国の支配下にあったのです。この60年間が異質な時代だったと思えば、別に問題はありません。

そもそも、なぜ、アメリカは北朝鮮の核兵器を許せないのでしょう。アメリカ本土に届く核兵器であれば、ロシアも中国も持っています。北朝鮮が持つことだけを否定しても、アメリカ本土は守れません。私には、弱い者「いじめ」にしか見えません。金正恩が危険だというのであれば、プーチンも習近平も金正恩に負けないくらい危険です。ま、一番危険なのはトランプ自身ですが、自分の国に向けてボタンは押さないでしょう。プーチンは躊躇なくボタンを押すと宣言しています。「たとえ、世界が終わるとしても、ロシアが存在しない世界など、我々は望んでいない」と言っています。習近平が同じ考えを持っているであろうことは容易に想像できます。
元々、中朝同盟は存在します。仮に、新しく中韓同盟が出来たとして、アメリカ軍は北朝鮮に対して軍事行動を起こせるのでしょうか。相手があのトランプですから、その危険は否定できませんが、事実上の米中戦争の始まりになるのですから、普通の感覚を持っている人間であれば躊躇せざるを得ません。そうなれば、戦争を回避することだって、可能になります。
文大統領は、この数か月の間に、その決断をしなければなりません。
もちろん、中国の協力が必要不可欠です。
中国は、軍事的な米中戦争を始めるのは、まだ、時期尚早だと考えているでしょう。しかし、アメリカの301条も秒読み段階に入っていて、中国の尻にも火が付き始めていますので、自分を守るためにも必要だと決断してくれるかもしれません。ですから、韓国にとっては、北朝鮮との対話よりも中国との対話のほうが重要になります。韓国は、今、アメリカに見放されたら孤立無援になります。しかし、中国が韓国と軍事同盟を結んでくれるならば、孤立無援の韓国も生き残ることが出来ます。そのほうが地政学的に見ても自然ですし、韓国軍という戦力が手に入るのですから、中国がアメリカと本気で対決するのであれば、中国にとっても損にはなりません。ただ、それは、習近平の腹一つです。
中国が軍事同盟を結んでくれなかった場合は、韓国はアメリカの命ずるままに、北朝鮮と戦うことになるでしょう。不条理なことですが、韓国の力だけではどうすることも出来ません。最近の中国は、北朝鮮情勢について目立った反応はしていません。「対話を歓迎する」という発表をしたくらいです。韓国の要請に苦慮しているのかもしれません。

何度も書きましたが、韓国が、朝鮮半島を戦場にしても、何の利益もありません。しかし、このままであれば、そんな不条理がやってくるかもしれません。今回は、そんな韓国に焦点を当てて、韓国の不条理について書いていますが、この不条理は、明日、日本に突きつけられても不思議ではないということに、私達は気付いているのでしょうか。日本の国家運営者の皆さんは、北朝鮮問題を「他山の石」として見るだけの視野の広さを持っているのでしょうか。政治家の皆さんは、口を開くと「日米韓、日米韓」という言葉を呪文のように唱えます。私には、既成概念の延長線しか見えていないようで、大変、心配です。
アメリカは、北朝鮮を「ならず者国家」と呼びます。確かに、北朝鮮は「ならず者国家」だと私も思います。では、アメリカや中国は「ならず者国家」ではないのですか。客観的にみれば、北朝鮮よりもはるかに質の悪い「ならず者国家」がアメリカと中国なのではありませんか。もっとも、国際関係では、自分のことを棚に上げて、白々しいことを平然と主張することは認められていますので、アメリカを非難しても意味がありません。でも、私達は、この現実を承知しておかねばなりません。「ならず者」が横行する地球上で、「夢見る少女」を演じ続けるのは無謀というものです。国家体制の変更は簡単には出来ませんから、韓国が向こう側へ行ってしまう確率は低いかもしれませんが、ゼロではないという前提で考えておく必要があるのではないでしょうか。万が一、韓国が向こう側へ行ってしまうと、アメリカ軍の最前線は韓国ではなく日本になるのです。理念も意識も法律も過去に置き忘れたままのこの国が、そんな事態に、対応できるとは思えません。

アメリカ政府は、いろいろな方々が、次々と、辞めています。トランプちゃん(最近は、トランプがお子ちゃまに見えてしまいます)は自分だけが頼りです。いや、スタッフの助言には耳を傾けず、トランプが全てを決める。大統領就任当初「俺は頭がいいから、ブリーフィングなんて、いらねぇよ」と言っていましたが、その自信に揺らぎはないようです。これが、トランプ政権です。金正恩とよく似ています。そう言えば、トランプや金正恩だけではなく、習近平、プーチン、アサド、ドゥテルテというリーダーも、似ています。もしかすると、21世紀のトレンドは、独裁を好むリーダーの時代なのかもしれません。
トランプは、周囲の反対を無視し、金正恩が提案した米朝首脳会談に賛成しました。韓国特使の持ってきた書類に目を通すこともなく、口頭説明だけで会談を快諾したそうです。確かに、「凄い」と言えば「凄い」ことです。ただ、逆から見れば、「馬鹿丸出し」に見えます。トランプだけではなく、人間の能力は無限ではありません。「イケイケどんどん」で失敗しても、諦めずに「イケイケどんどん」を継続する。「そのうちに、うまくいく」というのがトランプ流なのかもしれませんが、大変、傍迷惑であることは疑う余地がありません。
何よりも、トランプは、自慢がしたかっただけのようです。
「ブッシュにもクリントンにもオバマにも出来なかったことが出来たのは、俺が偉大な指導者だからだ」と自画自賛したと伝えられています。この自己顕示欲の強さは、独裁者に必要な条件ですから、トランプちゃんにしてみれば、「やったぞ」という気分なのでしょう。その演説会場は割れんばかりの歓声でした。我を忘れた民衆の姿を見ていると、「アメリカは壊れてしまうのではないか」と心配しますが、私の目が間違っているのでしょうか。ナチスが台頭してきた時、ドイツ国民は熱狂的にヒットラーを支持したそうですが、その光景とダブって見えませんか。
でも、日本国民にとっては、アメリカ政府が朝鮮半島情勢をほんとに把握できているのか、それが心配です。ご存知のように、私達は自分の国を自分で守れない国です。自分達の安全を確保するためには、アメリカ様に何とかしてもらわねばなりません。アメリカの一挙手一投足が、私達の安全に影響するのです。
米朝首脳会談が失敗に終われば、間違いなく失敗に終わるだろうと言われていますが、戦争という選択肢しか残らないということでもあります。特に、自分の思惑通りにならなかった時、激高型のトランプは、今でも危険な存在ですが、更に危険な存在に変身します。
最大の懸念材料は、北朝鮮ではなく、韓国だということに気付いているのでしょうか。
韓国が向こう側に行ってしまえば、状況はガラリと変わります。
以前にも書きましたが、トランプの本音は「なに、戦争になっても被害を受けるのはあっちだ、こっちじゃない」ということなのでしょう。もちろん、アメリカ国民も、そう思っています。自分の街に核兵器が飛んでこなければいいのですから、北朝鮮を叩き潰せという世論があることは不思議なことではありません。朝鮮戦争ではなく、朝鮮半島連合軍対日本の戦争になっても、アメリカは戦場にはなりませんので、笑って見ていることが出来ます。もっとも、トランプは公約に掲げたアメリカファーストを実践しているだけですから、問題はありません。対岸で火事が起きようが、戦争が起きようが、トランプはハンバーガーを食べながら高見の見物をしていればいいのです。
もしも、仮に、万が一、韓国が中国側に立った時、アメリカはどう動くのでしょう。
「晋三、お前と俺で、奴らを叩き潰すぞ」と言われたら、安倍さんはどんな返事をするのでしょう。
「地元なんだから、お前が先陣に立ってくれ」と言われるかもしれません。
「いや、うちは、その、専守防衛というか、憲法の制約があって、あの、その」
「ごちゃごちゃ言ってないで、やれよ。それとも、できないのか」
「いや、それは、その」
「俺達、友達だよな。裏切るのか」
「いや、でも、あの、その」
ここまで書くと小説の筋書きになってしまいますが、事実は小説よりも奇なりという言葉もありますので、あり得ないと断言もできません。
私達の国は、日米同盟が安全保障の基軸なんですよね。とても、日米同盟を破棄する勇気は持てませんよね。でも、どう考えても、朝鮮半島連合軍対日本の戦争なんてできません。日本の国益を考えれば、そんな戦争、出来ることではありません。韓国が、朝鮮戦争を歓迎できないように、日本も、日韓戦争や日朝戦争を歓迎できません。それでも、アメリカは「何とかしろ」と言うでしょう。
安倍さんは、どうするのでしょう。
戦争になれば、日本各地にミサイルが、雨霰のように降ってきます。その中には、核兵器や化学兵器も含まれているでしょう。イージス艦もパトリオットもJアラートも何の役にも立ちません。アメリカが核兵器を使おうとすれば、中国がアメリカ本土に対して報復攻撃をすると脅してくるかもしれません。
さて、どうするのでしょう。
中国海軍が東シナ海に展開し、アメリカ軍第七艦隊と睨みあいます。ロシアの爆撃機は演習だと称して、北海道・東北・関東を脅してくるでしょう。日本の戦力も分散されます。前面に韓国軍と北朝鮮軍、南に中国軍、北にロシア軍。いわゆる、四面楚歌状態です。韓国のF-15が、日本の原子力発電所を攻撃してきます。厄介なことに、韓国は、日本と戦う時は、いつもより力を出します。そんな中、アメリカは国を挙げて日本を守るのでしょうか。アメリカ軍が撤退したら、どうやって、国を守るのでしょう。
どうするんですか。
「あのー、そのー、えー、あー」と言っている間に、国民はバタバタと倒れます。日本でも、数百万人の犠牲者が出ると予測する方もいます。
安全保障は、国民を守るためにあるのです。こんなことしていたのでは、日本の安全保障は役に立ちません。いや、日米同盟が基軸だと言っている時点で破綻しているのですが、実害が出て初めて気付くのでしょう。韓国の文大統領は、方法論の良し悪しは別にして、国民を守ろうとしているのです。どこまでやれるのか、彼の運と度量にかかっていますが、国民を守る方法は他にないと思います。

時代の変化は軍事同盟に影響しないのでしょうか。
韓国が、冷戦時代に結んだ米韓同盟を維持するメリットはどこにあるのでしょう。
10年前、20年前、50年前と今では、環境が全然違います。中国が力を付けました。北朝鮮が核兵器を持ちました。アメリカには、トランプが出てきました。韓国には左翼政権が誕生しました。10年前と変わっていないことは、韓国が甚大な被害を受けるということだけです。
方向を変えなければ、韓国の明日は見えてきません。
韓国にとって、今が、チャンスなのです。いや、チャンスは今しかありません。

北朝鮮には、核兵器約100個分の核物質があると言われています。ICBMの技術が未完成だとしても、中距離ミサイルに核兵器を搭載することはできるでしょう。日本を攻撃するには十分な兵器を持っているということです。仮に、韓国と北朝鮮が同盟を結び、核物質を共有したとすると、韓国にある5,000発分の核物質が北朝鮮に利用されることになります。日本列島を粉微塵にするだけの核兵器を作ることが出来るのです。
日本は、単独で中国と戦争をしても勝てません。そのために日米同盟があるのです。中国の世界制覇を許さないという点では、日米の国益は一致します。対中国では同盟関係は機能するのです。でも、日韓戦争や日朝戦争では、全面的に国益が一致するとは言えませんので、独立国として、国民を守るために、少なくとも、韓国や北朝鮮には日本が独自に勝たねばなりません。北朝鮮が大量のミサイルと核兵器を持っているのですから、そんな敵と戦うのであれば、日本にも大量のミサイルと核兵器が必要なのです。核兵器を抑止する手段は、核兵器にしかありません。過去にとらわれ、非核三原則に縛られていたのでは、国民を守ることなど出来ません。国民生活よりも非核三原則のほうが重要なのでしょうか。もちろん、「核のない世界」という理想は捨てるべきではありません。ただ、その前に、国民を守らなければ元も子もなくすのです。私達は「きれいごと」が大好きな民族です。識者と言われる人達は、的確な現状分析が出来る識者であっても、国家存亡の危機だと主張していても、最後の最後は「きれいごと」でまとめてしまいます。「きれいごと」という名の曖昧のベールで全体を覆ってしまいますので、全てが曖昧になって、何事もなかったような安堵感に酔いしれます。この落差は、何なのでしょう。私には、マスターベーションにしか見えません。「夢見る少女」をやっていれば、気持ちがいいかもしれませんが、これでは、現実に対処できません。
北朝鮮の核を廃棄させるために、アメリカの命ずるままに、日韓戦争・日朝戦争を始めていたのでは、本末転倒です。核兵器に対する抑止力は、核兵器以外では持てないのです。自分も核兵器を持つという選択肢しかないことを、日本の国民が認識しなければならないのです。世界は、変わりました。それでも、自分の国は自分で守るという原則だけは変わっていません。
日本では、誰も、こんな事態を心配していません。
ほんとに、大丈夫なのですか。
荒唐無稽な笑い話で片付けていいのでしょうか。

今の韓国の運命は、明日の日本の運命になるかもしれないのです。私達にとっては、米朝戦争よりも、朝鮮半島連合軍対日本の戦争のほうが悲惨です。こんなフィクションはフィクションで終わって欲しいものです。確かに、日韓戦争の確率は数パーセントかもしれません。でも、危機管理とは、確率が高いか低いかではなく、最悪の事態を想定し、それに対処できる手段を持っておくことだと思います。
私達は、その覚悟を、戦略を、持っておく必要があると思います。
戦争になれば、物質的に困窮することは想像できるかもしれませんが、それよりもダメージが大きいのは精神的な困窮です。第二次大戦前の日本は、まだ、貧しく、貧しさに耐えることが日常でしたから、精神的に追いつめられる度合いは低かったと思います。今の日本で、戦争状態が生まれれば、日本人は耐えきれません。精神的な耐性が無くなるということは、一過性の症状では終わりません。かなりの長期間、日本再生は難しくなります。国でも個人でも、浮き沈みはあるものです。でも、可能な限り、ダメージを小さくすることが、次につながるものです。それが、覚悟と戦略だと思います。
最後に、念のために書いておきますが、これはフィクションです。実在する国や個人とは一切関係がありません。フィクションです。

このフィクションを書いた後に、関連した記事やニュースが多くありましたので、そのことを追記として、明日書きます。


2018-04-02



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戦争の変貌 [評論]



先月に続き、今日も、安全保障の話を書きます。
今更、安全保障の議論など意味がないと言われれば、その通りなのですが、それでも、議論はしておくべきだと思います。また、私の主張が正しいと言うつもりはありません。できれば、原点に立って議論してもらいたいと願っているだけです。
石田は、天皇制や安全保障という触れてはならない事を度々取り上げています。国家運営者や国民に対しても責任を果たせ、と書いています。右翼の方にも、左翼の方にも、権力者の方にも、国民の皆さんにも、受けが悪いことばかり書いています。大丈夫なのでしょうか。自分でも、あまり自信がありません。

中国でも改憲の動き、という記事を読んで、知識のない私は、「へぇー、中国にも憲法があったんだ」と驚いてしまいました。
共産党による一党独裁国家ですから、中国の最高法規は中国共産党の党綱領だと思っていたのです。中国憲法は読んだことはありませんし、私が読んでも意味がありませんので、あってもなくてもいいようなものですが、やはり、驚きました。いや、中国でも、庶民にとっての憲法は「俺には関係ねぇ」法律なのかもしれません。その点では、日本と同じです。
憲法が改正されたという話なのか、これから改正されるという話なのか、よくわかりませんが、国営新聞や国営放送が宣伝していて、ネット規制が厳しくなっているという現象を見る限り、既に、既成事実なのかもしれません。
流石に、中国といえども、習近平の一言だけで法律が変更されるとは思えません。それなりのプロセスがあると思いますが、憲法の立案機関も、その審議機関も、決定機関も習近平の手中にあるのですから、事実上、彼の一言で決まったということなのでしょうか。
憲法を変えて、国家主席の任期条項を撤廃するということは、習近平が終身国家主席になるということであり、習王朝の皇帝になるということです。次の国家主席を目指していた人、次の次の国家主席を目指していた人に国家主席という目標は持てなくなりました。更に、憲法を変えて、世襲条項を追加すれば、習王朝の完成です。習近平一族でない人達にとっては最高権力者になる道はなくなったということですから、不満を抱えた人達が大勢生まれたということでもあります。ただし、その不満を口にすれば、腐敗撲滅運動の犠牲者になることを意味しますので、それは、逮捕・監禁・有罪判決を意味しますので、不満分子は地下に潜ることになります。今でも、中国は独裁国家ですが、個人による独裁という前近代的な体制になるということですから、お決まりの反乱と鎮圧の歴史を作るのでしょう。
習近平は、独裁者になりたいという願望を隠さなくなりました。トランプも、本音では、独裁者になりたいと願っていると思います。トランプは、習近平への祝辞ともとれるツイートをしているのですから、トランプの本音は、習近平のことを羨ましいと思っているのでしょう。
私は中国国民ではありませんので、他国の政治体制がどのような体制になっても「俺には関係ねぇ」のですが、問題が一つあります。それは、独裁者は戦争をしたがる傾向が強い、ということです。自分の思い通りになる国を作りたいと思う人は、独裁者になりたいと思う人は、世界をも自分の思い通りにしたいと願うものです。人間の欲には限りがありませんので、特に、権力者は強欲なものですから、仕方がありません。世界制覇のためには、独裁者にとっては、戦争という手段は欠かすことができません。
ここでも、いよいよ、第三次世界大戦の環境が整えられていきます。
一方、トランプ大統領の出現で、西側諸国の結束は万全ではありません。好き勝手をやっているのは、習近平だけではなく、トランプも西側諸国の結束を破壊し、好き勝手をやっていて、習近平といい勝負をしています。今や、G7はバラバラです。思想信条という縦糸が無くなってしまったのですから、仕方がありません。
イギリスはEU離脱問題で、経済的苦境が予測されるなか、中国と対立したくないでしょう。ドイツは、数か月かけて、やっと、連立政権が出来た状態で、メルケルさんの力も衰えました。経済的な側面では、ドイツとアメリカは競合する場合があり、全面的にアメリカ依存ができない経済構造があるのです。イタリアは、どの政党も税金のばら撒き政策を競っています。それは、国民が疲弊していて、人気取りをしなければ選挙に勝てないからです。借金の多いイタリアですが、国家財政よりも、世界情勢よりも、国内経済が問題なのです。カナダは、アメリカとの通商条約でギクシャクしています。農業立国のフランスでは、農家の倒産が増えています。
どこの国も、自国の経済のことで精一杯の状態ですから、自由や民主主義や人権は旗印としての役目を終えてしまったのかもしれません。昔からそうでしたが、特に今は、どこも「カネ、カネ、カネ」になってしまいました。中国の落としてくれる大金を無視し、中国に歯向かおうとする国は、自国の経済を犠牲にしなければなりません。そもそも、G7のリーダーだったアメリカが思想信条を捨てて、カネに特化してしまったのですから、トランプはEUとの貿易戦争でさえ否定していませんから、アメリカへの義理は以前よりは小さなものになりました。西側諸国にとっては、中国もアメリカも同じ穴の狢に見えているのではないでしょうか。以前に、ドイツのメルケルさんは「欧州独自の軍事同盟が必要な時が来たのかもしれない」と言っていました。
G7の中で、アメリカのポチを貫き通しているのは日本だけです。こういう書き方をすると日本を褒めているように思う方がいるかもしれませんが、日本は、自分で自分の国を守れない国だという次元の低い話だという意味です。
さて、世界の揉め事はアジアだけではありません。シリアでは、化学兵器が通常兵器並みに使用されています。化学兵器や核兵器は人道上許せない兵器だという国際認識は、信義の上に成り立っていた条約は、過去の幻影になりつつあるのです。軍事的には、シリアのアサド政権を支援しているロシアの存在感が増しています。ロシアは化学兵器大国ですから、実戦で使った場合の結果は知りたかったのかもしれません。プーチン大統領は、どこの国も対応できない最新兵器を実戦配備したと誇らしげに演説しました。仮に、それがブラフだとしても、ロシアは、今でも、世界最強の核兵器保有国の一つです。世界に、ロシアの軍事力を誇示するやり方は、次第にエスカレートしています。最近までは、空自のスクランブルと言えば東シナ海に集中していましたが、三沢からもスクランブルの戦闘機が度々飛んでいます。それは、ロシアが爆撃機を日本周辺で飛ばしているからです。「我々は、いつでも、日本を壊滅させる力を持っている」ことを、日本政府とアメリカ政府に伝えておきたいのだと思います。イランもミサイル発射テストは繰り返していますし、核兵器の開発も進んでいるでしょう。イランは、パキスタンや北朝鮮の核技術も獲得しているかもしれません。イランとイスラエルの核戦争の可能性もあります。いや、イランのミサイルの射程には欧州も含まれているものと思います。世界にも、敵の敵は味方という方程式があります。中国とロシアとイランと北朝鮮の利害は一致します。アメリカと欧州が一枚岩ではない現在、これらの独裁国家連合にアメリカは対応できるのでしょうか。
北朝鮮だけではなく、世界のどこかで、核兵器の抑止力が崩壊する危険が高くなっています。アメリカも核兵器の再開発へと舵を切りました。どこかで、誰かが、核兵器を使用し始めたら、誰にも止めることはできなくなります。アメリカの核兵器再開発の目玉は、小規模核兵器の開発です。爆発威力を小さくするということは、その形状も重量も小さくなるということであり、ステルス性能の高い小型無人機による核攻撃が可能になります。都市一つを壊滅させる兵器でなくなれば、気軽に使用できる兵器になります。シリアで化学兵器が平然と使われているような状況が、核兵器でも起きると思わなくてはなりません。つまり、これまでの戦争と、これからの戦争は別のものになる可能性が高くなっているのです。


では、私達の国は、どんな環境にあるのでしょう。
地球上に騒乱の空気が生まれ、国家間の争いが戦争に発展する危険が増している状況で、私達に出来ることは何なのでしょう。理想を掲げ、地球平和運動を起こすことなのでしょうか。地球平和運動は、戦争を防止することは出来ませんが、少なくとも、自己満足だけは手に入ります。結果は出ませんが、運動をやることでハッピーになれる人がいるのであれば、充実感らしきものを得られる人がいるのであれば、趣味としての価値はあります。
しかし、現実から逃げていたのでは、国民を守ることなど出来ません。人間が人間をやめない限り、戦争の防止は不可能なのですから、これが現実なのですから、戦争は起きるものだとして対処する以外に方法はないのです。
どこの国にも軍隊があります。それは、自国を自分の手で守らなければならないからです。永世中立国のスイスには軍隊などないのではないかと勘違いしている人がいますが、徴兵制などないと勘違いしている人がいますが、スイスは国民皆兵の国なのです。全ての国民に訓練の義務がありますし、訓練をした国民には国から武器が支給されます。スイス国民は全員が軍人なのです。非武装中立など、地球上では成り立たない方程式であることを、スイスは知っているのです。「徴兵制反対」を叫ぶ日本との落差は大きいと思います。最終的には、徴兵制を選択するのか、皆兵制を選択するのかということなのです。軍人希望者だけの軍隊が意味を持つのは、平時だけです。最近、徴兵制度を復活させる国が出てきました。これが、自然の流れなのです。
日本の自衛隊は、世界的に見れば、立派な軍隊です。世界ランキングでも7位に入る力を持っています。
参考までに、軍事力の世界ランキングを載せておきます。
1位 アメリカ    2位 ロシア   3位 中国
4位 インド     5位 フランス  6位 イギリス
7位 日本
8位 トルコ     9位 ドイツ   10位 イタリア
11位 韓国     12位 エジプト  13位 パキスタン
14位 インドネシア 15位 イスラエル 16位 ベトナム
17位 ブラジル   18位 ポーランド 19位 台湾
確かに、ハードウェアでは、世界7位です。
でも、日本に不足しているのはソフトウェアです。ソフトウェアという面だけを捉えれば、世界ランキングは3桁(100位以下)になるのではないでしょうか。
では、欠けているソフトウェアとは何でしょう。
それが、次の「3欠」です。
1.国としての国防理念の欠如。
2.国民の国防意識の欠如。
3.国防に不可欠な法律の欠如。
これでは、実戦になった時に、戦うことは出来ません。
中でも最も難しいのが、2番の「国民の国防意識の欠如」です。残念ながら、この意識の欠如は、国民の自主性に任せていたのでは出来ません。長い年月をかけて、たゆまぬ努力をして、初めて醸成されるものです。もちろん、好戦国になれ、と言っているのではありません。戦争は出来るけど、戦争をしない国にならねばなりません。
自衛隊は、警察予備隊として生まれました。その後、保安隊になり、現在の自衛隊に名称を変更しました。最初は、警察の予備だったのです。アメリカの要求に応じて、装備を買い続け、装備だけは一人前の軍隊に見えるようになりました。自民党が得意とする「なし崩し」方式で、ハードウェアだけは手に入れたのです。今でも、憲法9条に自衛隊という文言を追加しようという「なし崩し」方式は続いていますので、何も変わっていません。理念や意識や法律は、70年前の場所に置き去りにしたままなのです。
装備もあり、自衛隊員は訓練もされていますから、戦争になれば、「それなり」に戦ってくれるものと思います。でも、「それなり」の戦い方では国は守れません。そもそも、自衛隊員の皆さんは、何のために、自分の命を懸けて戦うのですか。給料を貰っているから、戦うのですか。そんなことで、戦えるのでしょうか。私なら、いの一番に逃げ出します。理念に賛同し、国民の願いを背中に背負い、自分のためではなく、誰かのために戦うことが自分の使命だと思わなければ戦うことなど出来ません。しかも、法律の不備により、後で訴追されるのであれば、誰だって二の足を踏むことになります。
何度も書きますが、国を守るという意味は、国民生活を守るということなのです。守るべき国民が、「俺には関係ねぇ」と知らぬ顔をしているのに、国を守るという動機は保たれるのでしょうか。自衛隊員だって人間です。モチベーションが下がったとしても不思議ではありません。
自衛隊の最高指揮官は総理大臣です。そうであれば、総理大臣は部下である自衛隊員に恥ずかしくないような環境を整備する義務があるのではないでしょうか。それが、理念の構築と意識の醸成と法整備なのだと思います。
自衛隊が戦う相手は、イランやシリアではありません。隣国である、中国やロシアや韓国や北朝鮮が相手です。仮想敵国に中国とロシアが入っているのですから、独力で戦えないとすれば、アメリカと軍事同盟を結ぶことも必要です。アメリカの国益と日本の国益を満たすために、協力することは意味のあることです。でも、アメリカに「おんぶにだっこ」状態ではアメリカの国益を毀損することになります。そんな国を、アメリカは同盟国として尊重してくれるでしょうか。平時であれば、「私に、任せておきなさい」と言っていたとしても、戦時になれば、「今、そんなこと、言っている場合ではないでしょう。自分のことは自分で守りなさいよ」と言われると思います。それが正論なのですから、それ以上の要求はできません。アメリカが、手のひらを返さないと保証してくれる何かがあるのですか。日本を守るかどうかは、アメリカが決めるのです。軍事同盟は、あくまでも、補完措置です。アメリカに助けてもらいたいのであれば、日本も、アメリカが日本の力が必要だと言った時には、アメリカを助けに行かねばなりません。お互いに守り合えば、そこに責務が生まれるのです。もちろん、そこまでしても、アメリカが日本を守るという確証はありません。でも、少なくとも、「おんぶにだっこ」では、本物の同盟は生まれません。そんな不確実な国防理念では、国民の生命と財産をアメリカ軍に預けたと勝手に思い込んでいただけでは、国民を守ることなど出来ないと思います。アメリカ政府は、日本国民を助けるためだけに、アメリカ国民に「死んでくれ」とは言えません。当たり前のことです。
「だったら、戦争なんて、しなければいいのだ」と言って逃げる人ばかりです。結果を否定すれば、万事丸く収まるという発想は日本人に特有な考え方なのでしょうか。「デフレを脱却すれば、日本は再生する」という提案と似ています。戦争もデフレも、結果なのです。右の旦那さんも左の旦那さんも同じ提案をするということは、きっと、そういうことなのでしょう。国民は、日本の国民だけではなく、どこの国の国民も、戦争なんてして欲しくないと思っています。でも、現実は違います。戦争は、必ず、起きるのです。今、戦争になっているシリアで、シリア国民は、戦争をして欲しいと願っていたのですか。そんな願いは誰も持っていなかったと思います。でも、毎日、多くの市民が犠牲になっています。その現実に目をつぶっても、何も変わりません。「戦争反対」と叫ぶ人達は、その言葉に酔いしれるかもしれませんが、無責任な夢物語を叫んでいる人達は自己満足という名の快楽を得ることができるかもしれませんが、国民の利益を毀損していることに気付いているのでしょうか。
「あちゃー」と言うしかありませんが、「あちゃー」で済む話ではないのです。
私達の目の前にあるものは、私達自身の危険なのです。
中国は、なぜ、反日教育に力を注いできたのでしょう。日本憎しの怨念でやっているのでしょうか。違いますよね。国民の国防意識を醸成する手段として日本を利用しているのです。推奨できるやり方ではありませんが、少なくとも、日本のお花畑理論よりは、はるかに、理に適ったやり方だと思います。数十年という時間を使い、力を付けてきた中国に、私達の国は対抗できるのでしょうか。中国と日本のソフトウェアの部分だけを比較してみます。会社員に例えると、中国は時間をかけ、実績を積み重ねて、企業の中枢を担うまでに成長したビジネスマンです。一方、私達は、まだ就職もしていない、いや、義務教育も終えていない、いやいや、まだおしめも取れていない幼児です。これでは、勝負になりません。
戦闘機の優劣や潜水艦の優劣だけで戦争の勝敗が決まるのではありません。戦争では、総合力で勝るほうが勝つのです。当然、その中には、ソフトウェアの優劣も含まれます。
真剣な安全保障議論をせずに、国を守ることなどできません。


2018-04-01



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何ともならない事 [評論]



「米中戦争前夜」という本が話題になっています。
既に、この本を読まれた方もいると思いますが、私は、いつものことですが、読んでいません。それよりも、どうして、10年前に出版されなかったのか、どうして、10年前に話題にならなかったのか、そちらの方が不思議です。
ど素人の私が、第三次世界大戦という評論を書いたのが、2010年です。もちろん、その時に思いついて書いたわけではありませんので、その危惧を持ち始めたのは、それよりも5年か10年前だったと思います。20年前にこの本が出版されていれば、驚きを持って、いや、眉に唾を付けながら、読んでいたと思います。
著者は、グレアム・アリソンという方で、何冊も本を書いておられる著名人です。
アリソン氏は、今の米中対立は、75%の確率で戦争に発展すると書いています。
そんなことは、アリソン氏に言われるまでもなく、多くの方が知っています。
条件は刻々と変化していますので開戦時期は流動的ですが、時間軸を長くすれば、第三次世界大戦は必ず起きます。米中戦争はその一例にすぎません。
戦争を回避する処方箋も書いておられるようですが、その回避策が実現する可能性は、とても低いと思います。なぜなら、プレイヤーがコンピューターではなく人間だからです。
株式市場に参加している方であればご存じだと思いますが、株取引の鉄則は「損切り」です。この「損切り」がなかなかの曲者で、理屈としては理解できるのですが、実際に行う場合はかなりのストレスを生み出します。それは、人間が「欲」の塊だからです。人間は、そのストレスから解放されるために、取引そのものをコンピューターに依存する方式が増えていると言われています。「損切り」ラインを設定し、株価がその価格を下回ると、コンピューターが、自動的に、強制的に注文を出すという仕組みです。
つまり、人間は自分の「欲」を制御できない生き物なのです。ましてや、他人の「欲」を制御することなどできません。ですから、争いが起きるのです。
人間社会では、正義も理想も敬意も愛も信義も相互理解も意味を持ちません。あるのは「欲」だけです。それが現実なのです。どこの国でも、自国の国益を最優先します。国益とは、「欲」に他ありません。国益が、正義よりも理想よりも敬意よりも愛よりも信義よりも相互理解よりも優先度が高いということは、「欲」こそが最強の存在なのです。私達はこの現実を受け入れ、理想と現実の境界線を曖昧にしてはいけないということです。
私達の日常生活でも同じで、表面上は「欲」を隠して生活していますが、決定権は、常に、「欲」が握っているのです。
国際関係で「自分さえよければ」が表面化するのは、この「欲」が堂々と出てくるからに他ありません。「国益最優先」とどこかの国が言っても、それに反対する国は出てきません。なぜなら、どこの国も自国が「国益優先」を叫ぶ日がくると信じているからです。
それでも、私達は生き延びなければなりません。
ただし、これも「欲」です。
どのみち、「欲」から逃れられないのであれば、少しだけ、ましな「欲」と付き合うしかないのだと思います。
そのためには、私達自身が「生き延びる」ための努力をするしか道はないと思います。
「誰かが、何とかしてくれる」なんてことは起きません。
今想定できる戦争は、開戦時期がいつになるのかはわかりませんが、アリソン氏も指摘している米中戦争だと思います。既に、太陽光パネルや洗濯機の関税で、貿易戦争の火ぶたは切って落とされています。4月以降、鉄鋼やアルミの関税が変更されれば、加速する可能性があります。アメリカとEUと日本が共同で、中国の知的財産権侵害をWTOに提訴するという話もあります。もちろん、中国も黙っていることはありません。もしも、アメリカが日米貿易摩擦の成功体験に影響されているとすると、大人しく尻尾を巻いて「ごめんなさい」をした日本と、ごり押しの中国とを同一視していると、落とし穴は大きなものになります。
どんな展開が待っているのか、誰にもわかっていないと思います。少なくとも世界経済は打撃を受けるでしょう。世界経済が影響を受けるということは、日本経済は大打撃を受けるということです。
「欲」の行き着く場所は戦争なのですから、今年始まっても、10年後に始まっても不思議ではありません。
では、アメリカと中国が戦争するだけでしょうか。
日本は、この戦争の影響を受けないのでしょうか。
いいえ、経済的な打撃を受けるだけではなく、軍事的な打撃も受けます。
それだけではありません。これは世界大戦になります。
世界地図を見れば一目瞭然ですが、海を無視すれば、アメリカの隣国は日本であり、中国の隣国も日本です。広大な太平洋という空間があるために、勘違いしがちですが、私達の国はアメリカと中国の真ん中にあるのです。いくら、私達が米中戦争と無関係であると主張してみても、意味がありません。立ち位置によって違いはありますが、日本にとっての米中戦争は、日中戦争になるか日米戦争になるのです。
戦争になれば、アメリカはアメリカの国益のために、中国は中国の国益のために戦うのであって、日本の国益など考慮する余裕はありません。日本の国益は、日本自身が守るしかないのです。国民の間で、そのことが語られないことが大変心配です。国家運営者の皆さんは、「日本の国益が心配だから、アメリカに守ってもらうのだ。そのためには、アメリカの要求を呑むしかないのだ」と言うと思いますが、そこには基本部分での勘違いがあります。日米同盟があれば、「アメリカはどんなことをしても日本を守ってくれる、筈だ」という信仰です。しかし、アメリカが日本を守る必然性は、どこにもありません。アメリカ軍兵士の命も、アメリカの国益です。その国益を犠牲にしてまでも、他国を守る必然性は、どこにあるのでしょう。もちろん、アメリカの国益と日本の国益が一致した場合は、アメリカは自国の利益のために戦います。その場合、日本は、棚から牡丹餅が落ちてきたことを喜んでもいいと思います。でも、あくまでも、アメリカはアメリカのために行動するのです。
夢や希望的観測や信義などは、国益の前では何の意味もありません。世界は実利によって動くのです。国外では「なあ、なあ、固いこと言わずに、そこをなんとか」という助平根性は通用しません。
「そんなことを言ったら、身も蓋もない」と言うでしょうが、「その通り、これは身も蓋もない」話なのです。私達は、身も蓋もない話に賭けているのです。結果が出て、いつものように、「二度とこのような失敗をしないように」と言うのでしょうが、「二度と・・・・」は必ず継続するのが世の常です。事前に回避する知恵を持つしか方法はないのではありませんか。
確かに、第二次世界大戦での敗戦は、日本にとっては歴史上初めての敗戦でしたから、そのショックは大きかったと思います。そのショックから逃避しようとして、私達は、全員で、仮眠状態に入ってしまいました。そして、未だに、私達は仮眠状態のままです。この70年間、その仮眠状態を推奨してきた左翼の皆さんの罪も重いと思いますが、一番重い罪を背負っているのは私達国民だと思います。仮眠状態の国民が、同じく仮眠状態にある国民の中から国家運営者を選び、自分の役割は終わったと思っている国民に最大の罪があります。
それ以上に、今でも、国民は「俺には関係ねぇ」と思っているのですから、救いがありません。「俺、何か、悪いことをしたか。何も悪いことはしてないよね」と信じています。でも、それは国民の責務が明らかになっていないだけに過ぎません。何もしないことが国民の責務ではありません。「国民とは」という定義が存在していませんので、誰一人、それが自分のせいだとは思わなくて済んでいます。これって、都合の良い責任転嫁なのではありませんか。「赤信号、皆で渡れば怖くない」「俺だけが眠っているわけではない。皆で眠っているのだから、いいじゃない」という私達の性癖は、自分を壊すだけなのではありませんか。誰のための国なのでしょう。そうです。私達国民のための国であるはずです。そうであれば、国民がその責任を背負うしかないのだと思います。例え、政治家や官僚や「誰かのせい」にしても、最終的に責任を取るのは国民なのですから仕方がありません。

私は、度々、いや、くどい程、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義が必要だと書いています。では、その定義をすれば、私達は生き延びることができるのでしょうか。いいえ、そんなことは保障されていません。そもそも、「定義が出来たら、誰もが定義に従うだろう」なんてことは起きません。定義そのものも完璧な定義はできませんし、誰もが定義を守るという保証など、どこにもありません。あくまでも、これは、原則論です。いや、理想と言ってもいいのかもしれません。ただ、曖昧文化から、ほんの少しだけ、離脱できるかもしれません。それは、この国の運営をする上では、画期的なことになると思います。原則ができれば生き延びるチャンスだけは生まれます。ただし、それは、国家運営に「俺には関係ねぇ」と思っている国民がどれだけ関与できるかにかかっているのでないかと思います。
そもそも、理想という言葉はどうして生まれたのでしょう。それは、欠陥だらけの現実があったから出来たのではありませんか。ただし、理想は理想であり、現実ではありません。そんなこと、誰でも知っていることです。では、理想なんて必要ないのでしょうか。いいえ、人間の社会では、理想は必要です。人間は、目標がないと動けない生き物なのですから、目標はあったほうが動きやすいものです。ただ、理想と現実の間の境界線が曖昧だと、理想は邪魔になる場合があります。その端的な例が日本国憲法です。憲法には「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するものであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われわれの安全と生存を保持しようと決意した」と書かれています。では、崇高な理想を信頼すれば、私達の安全と生存は保障されるのでしょうか。世界は、崇高な理想を達成しているのでしょうか。いいえ、現実は、そんな世界にはなっていません。仮に、同じような前文の憲法を持つ国があったとしても、そんなことを信頼している国民はいないでしょう。世界では、理想と現実が区別されているのが現状です。
崇高な理想があるのであれば、いや、それが実現しているのであれば。
ロシアがウクライナの一部を併合していないでしょう。
中国は、チベットやウイグルを圧政下に置いていないでしょうし、南シナ海や東シナ海で、ごり押しをして領土の拡張をすることもないはずです。
アメリカが、脅し文句で自国の利益を押し付けるようなこともないでしょう。
北朝鮮だって、核やミサイルで世界を脅していないものと思います。
地球上に、理想が成り立っていない場所は、いくらでも存在しています。
つまり、理想と現実の方程式は成り立っていないのです。「平和を愛する諸国民の公正と信義」という理想が成り立っていない状況で、「われわれの安全と生存を保持」することが可能なのでしょうか。
いいえ、不可能です。
なぜ、この現実を見ようとしないのでしょう。
そうです。国民の皆さんは、眠っているのですから、見ることが出来ません。
理想と現実を峻別し、現実に則した安全保障の議論をする必要があるのです。
確かに、手遅れなのですから、今更、議論をしても意味はないかもしれません。でも、議論をしないより、議論をしたほうが、可能性が増えることは期待できます。確固たる指針のないままで、現状の安全保障環境に対応するのは危険を増やすだけです。「自衛隊という文言を憲法に書きこめば何とかなる」という発想が生まれるのも、確固たる指針がないからです。「日本会議」に洗脳された安倍さんに安全保障を丸投げしてはいけません。彼等の安全保障は、国民のためにあるのではなく、彼等の主義主張のためにあるのです。もちろん、一つの意見として耳を傾ける必要はあります。でも、あくまでも、安全保障の目的は国民を守ることです。私達国民の責務の中には、本音と建て前を見極めることも含まれていると思います。「日本会議」の建前である「国民の安全と平和を守る」という文言に騙されてはいけません。文言は同じでも、本音は別にあるからです。彼等の目的は神教による国家統治です。これは、民主主義ではありません。
では、どうすれば、そのような安全保障論議ができるのでしょう。
国民が、目を覚ますしかありません。
誰かに丸投げの安全保障では、国民の皆さんの「安全と生存の保持」は難しいと思います。

私達は戦争に負けましたが、占領軍がアメリカ軍であったために、占領による悲惨な体験は小さなものでした。もちろん、アメリカ軍による事件はありました。今でも、沖縄では起きています。しかし、もしも、占領軍が中国人民軍だったら、どうなっていたでしょう。今、チベットやウイグルは、どうなっているでしょう。
アメリカは、自由と民主主義と人権を旗印にしています。自由と民主主義と人権を相手国に強要しますが、同時に、自分達もその旗印に縛られています。しかし、中国は違います。報道統制が行われていますので、チベットやウイグルのニュースは限られていますが、随分昔に、チベットでは数十人の僧侶が、抗議のために焼身自殺をしたというニュースがありました。焼身自殺なんて簡単には出来ません。しかし、彼等は、次々と、数十人も、抗議の焼身自殺を続けたのです。それでも、その後も、弾圧は続いています。ダライ・ラマが外国を訪問すると、中国はヒステリックに反応します。これは、私の推測にすぎませんが、中国はダライ・ラマに脅しをかけていると思います。「お前が、外国を訪問する度に、千人のチベット人を殺す」と脅しているかもしれません。ウイグルでは、ある日、突然、誰かが消えます。黒い袋を被せられて、中国官憲に拉致されるところを目撃した人もいます。行先は、強制収容所です。そこは、絶望収容所と呼ばれることもあるそうです。もちろん、こんなニュースは日本のテレビや新聞では伝えられません。裏を取りに中国へ行けば、スパイ罪で逮捕されるだけですから、噂を聞いた人達だけしか知りません。
私達の国は、他国による理不尽な弾圧というものを体験していません。日本人には、弾圧という言葉の意味も理解されていないと思います。自由はありません。搾取も、殺戮も、凌辱も、侮蔑も、日常になります。「こんなはずではなかった」と思うでしょうが、二度と昔に戻ることはできません。中国がやっていることは、ヒットラーがやったことと同じです。民族の浄化だって起きる可能性もあります。こんな想像をしている日本人が何人いるのでしょう。戦に負ける、征服される、占領されるというのは、そういうことなのです。
あの時、どうして、本気で、安全保障を考えなかったのだろう、と思った時は後の祭りなのです。巷で、よく「日本人は、痛い目に遭わなければ、気が付かないだろう」と言う方がいます。時々、私も、痛感します。能天気な他人事で済んでいるのです。やり直しができるのであれば、こんな心配をする必要はありませんが、二度と、やり直すことなどできないこともあるのです。「何とかなる」ことがあるのは私も認めます。いや、「何とかなる」ことのほうが多いでしょう。だからと言って「何ともならない」ことが存在しないということにはならないのです。
少し話題は逸れますが、日本は世界最大の債権国だから財政破綻など発生するはずはない、と信じている方が大勢います。戦争になれば、債権の回収など不可能です。世界相手の債権が多ければ多い程、受けるダメージは大きくなります。
今日の延長線上に明日が来るという信仰は、いつでも崩壊する神話に過ぎません。

国民の皆さん。
この国は、近い将来、破綻します。目を覚まし、真剣に、私達が歩んでいる道の先にあるものを見る勇気を持てば、誰にでも危険が見えるはずです。薔薇色の未来が見えると喜ぶ方はいないと思います。
財政破綻又はハイパーインフレ、大量老人破綻、戦争破綻。どれが最初にやって来るのかはわかりませんが、結果にそれほどの差はありません。どうして、不幸は束になってやって来るのか、ほんとに、不思議です。この法則は、理解不能ですが、実在していると思うしかありません。
その時は、泣き言を言ってください。大声で叫んでもいいです。
でも、これは、皆さんが選択した道なのです。積極的に選択したか、消極的に選択したのかは問題ではありません。選択したことに問題があるからです。
「俺は、こんな選択していない」と言う方がほとんどでしょう。
「では、あなたは、何をしたのですか」
「そんなもん、俺達の仕事じゃないし」
「いいえ、それが、あなたの仕事なのです」
「だったら、最初から、そう言ってよ」
「誰かのせい、なのですか」
「そうだろう」
「いいえ、自分の仕事を知ることも、あなたの仕事なのです」
確かに、日々、生活することに忙しい皆さんに、頑張っている皆さんに、こんなお願いをするのは筋違いだと言われるかもしれません。でも、国民の皆さんにお願いするしか選択肢がないのです。皆さんが、最後の砦なのです。どうか、目を覚ましてください。
自業自得という言葉を自分の身で証明するのは、辛いことだと思います。


2018-03-02



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被害想定 [評論]

地球規模の話ですが、マグニチュード7.0以上の地震が、2018年から2021年の4年間は、年平均20回発生するという説があります。もちろん、これは、将来の予測ですから、現実になるのかどうかはわかりません。
ただ、2018年1月に、既に3回発生していて、2017年1年間に発生した回数(7回)を越えてしまうと予測されている部分には説得力があります。
年間20回の地震が4年間続くということは、4年間で80回のマグニチュード7.0以上の地震が発生するということです。仮に、その20%が日本で発生する、とすると年に4回の大地震が発生する計算になります。マグニチュード7.0以上の地震ということは、マグニチュード9.0の地震の可能性もあります。
原因は、地球の自転速度の変化だそうです。私達に実感はありませんが、地球の自転速度は一定ではないそうです。自転速度が遅くなると、赤道が収縮し、地殻変動を誘発することになるそうです。この自転速度の変化は、地上の気象変動や海流の変化や、地下のマントルや核の変化に影響を受け、刻々と変化しているようですが、私達にはそのメカニズムが正しいのかどうか、わかりません。地震が発生してから知ることになります。
ただ、地上の気象変動は、世界中で、度々、ニュースになります。漁獲量の変化もそうです。海水温の低下で、イワシが数万匹海岸に打ち上げられたというニュースもあります。
確かに、最近の異常気象は異常です。
天災は、必ず、やってくるものだと考えておく必要がありそうです。
地球規模で、地震多発の予測がされているということは、日本周辺での地震予測にも影響を与えます。東南海地震や首都直下地震が予測されていますが、その時期にも影響が出るかもしれません。予測されていない地震が発生することもあるでしょう。自転速度の変化が火山噴火と結びついているという証拠は見つけられていませんが、無関係とも思えません。近年、火山噴火のニュースが多いと感じているのは私だけでしょうか。1月に白根山で火山噴火がありましたが、噴火が想定されていた場所ではありませんでした。
日本は地震列島と呼ばれるくらい、地震が多発する場所です。想定外の地震が発生することは、想定しておかねばならないものと思います。
もちろん、私達には天災を未然に防ぐ力はありません。
天災は発生後の対策を持っておくことくらいしかできません。100の内、99は無駄になると思いますが、最後の1のために備えはしておくべきだと思います。
東南海地震の場合、私が住んでいる場所の予測震度は5~6で、津波の予測も小さなものですが、広範囲に影響が出ますので、その備えはしておかねばならないと思い、備蓄食料と飲料水は用意しました。
では、私達は天災に備えていれば万全なのでしょうか。
そうではありません。
人災のほうが、はるかに犠牲が大きいのです。
昨年書きました超巨大噴火という天災を除けば、自然災害で10万人を越える犠牲者を出すことはありません。
しかし、人間の欲から起きる人災は、その犠牲者の桁が違います。数百万人でも、数千万人でも犠牲者は出ます。過去にも、何度も、そういう人災はありました。しかし、人災は予測可能ですし、防ぐこともできるはずです。でも、実際には、予測もしませんし、防ぐこともできていません。特に、国家運営者の欲が作る人災は被害が大きくなります。どうして、彼等が起こす人災に対処するシステムが構築できないのか、そこが、不思議ですが、人間の欲は、人間には対処できないということなのでしょうか。中国の習近平さんやアメリカのトランプさんを見ていると、やりたい放題に見えます。私達にはどうすることもできないような「欲」を、いや、「強欲」を彼等に感じるのですが、誰も対処できていません。特に、国のリーダーが「強欲」に支配されると、大きな人災に発展します。この100年に限っただけでも、ヒットラー、スターリン、ポルポトという有名人が出現しています。私達は、習近平やトランプが、そんな有名人にならないよう祈るしかありません。これが現実です。
もう一つ、天災と人災には大きな違いがあります。地震を例にとれば、耐震性能の高い住まいに住むことも、食料の備蓄もできます。でも、人災の場合は、そのような対策が全く存在していないのです。人災が発生し、その被害に遭った場合は、そこで、その人の人生は終わりです。人災発生後を想定して対処する方法がないのであれば、確かに、人災を予測することは無駄なことだと思います。では、私達には、何もできないのでしょうか。いいえ、私達に出来ることは、天災の場合は、天災発生後の対策を持っておくことであり、人災の場合は、その災害そのものを発生しないようにすることです。もちろん、「どうすれば、そんなことが出来るのだ」という疑問が湧きます。その通りです。今、私達は、その手段を持っていません。でも、このまま、人災を繰り返していていいのでしょうか。無駄な努力かもしれませんが、私達人類は挑戦すべきなのではないでしょうか。その出発点になるのが、将来予測と被害想定だと思います。
独裁者であれ、国家運営者という集団であれ、権力を握っている人達を権力者と呼びます。権力者は武力と法律を握っていますので、その権力者に対抗するのは至難の業です。でも、そんな強大な権力に対抗できる可能性があるのは、数だと思います。可能性に過ぎませんが、権力に対抗できるのは数だけなのではないかと思います。どこの国でも、国民の数が一番多く、国民が一枚岩になれれば、権力者の「強欲」を阻止することも夢ではありません。いや、実際には夢なのでしょうが、それしか選択肢がないのです。
私達の国も、財政悪化と少子高齢化という両輪をフル回転させて、地獄へ向かってまっしぐらです。「自分さえよければ」「今さえよければ」という国家運営者の「欲」の集合が、「先送り」を続けたために、いつの間にか「強欲」と同じ力を持ってしまっています。国家運営者が自分で自分を律することなどできませんので、破滅へ向かっているこの国の進路を変更できるのは、もう、数という強みを持った国民しかいません。しかし、国民は、この先、何が起きるのか知らないのです。一枚岩になりたくても、そのきっかけがありません。このままでは、ずるずると地獄へ呑み込まれてしまいます。地獄が現実になった時、私達は「あちゃー」ということしかできません。この「あちゃー」という言葉には、いろいろな意味が含まれています。「まさか」と思う人もいれば、「やっぱり」と思う人もいます。「どうして、もっと早く気付かなかったのだろう」と後悔する人もいるでしょう。でも、「あちゃー」と言うしかないのではないでしょうか。
過去に、何度も、同じことが繰り返されていても、私達は「俺には関係ねぇ」と思い込んでいます。気が付いていないだけで、関係はあるのです。

人災の対策はないと書きましたが、中には、対処できる人災もあるのではないかと思っています。いや、願っていると言ったほうが適切なのかもしれません。
難しいのは、人災を作り出している国家運営者が、実は、人災に対処できる人達だということです。この矛盾を解く鍵は「国とは、国民とは」という定義しかないように思います。
国民に出来ることは、国家運営者に「人災に対処しろ」と圧力をかけることしか出来ません。ただし、圧力をかけることもなく、好き勝手にやらせている場合は、国民の責任だと言っても過言ではありません。今は、まだ、「国民とは」という定義はありませんが、これが、国民の一番大きな責務だと思っています。私達は「自分では何もしないが。美味しい果実だけは欲しい」と思っています。でも、それは勘違いです。世間が甘くないことくらい知っているのに、どうして、こんな甘いことを考えるのでしょう。それは、自分に責務があることを知らないからではないのでしょうか。知らないということは、怖いことです。
先月、ベネズエラとブラジルのことを書きましたが、ベネズエラ国民やブラジル国民が苦境に立たされている原因は、国家運営者の不作為によるものだと思います。国家運営の最大の課題は経済です。ベネズエラもブラジルも、経済運営に失敗しました。それは、原油価格の下落に対処できなかったことが原因です。1バレル140ドルの価格が、40ドルになれば、収入は激減します。7割減です。例えば、月収20万円の人の給料が、6万円になってしまったら、生活は一変します。世界最大の原油輸出国は、サウジアラビアですが、確かに、経済的な苦境に立たされていますが、11位のベネズエラや10位のブラジルほどではありません。サウジアラビアの場合は、貯えがあったために、破綻に近い場所で踏みとどまっています。そして、今、サウジアラビアは「脱石油」というスローガンを掲げ、大改革へと舵を切りました。
他の産油国は踏みとどまっているのに、なぜ、ベネズエラとブラジルが目に見えるほどの苦境に立たされているのか。それは、幸運に恵まれなかったことと国家運営の失敗によるものだと思わざるをえません。
では、ベネズエラとブラジルの国家運営者には、方法がなかったのでしょうか。
確かに、140ドルが、40ドルになると予測していた産油国はないでしょう。でも、140ドルが、70ドルになると予測することは出来たかもしれません。その予測があれば、ベネズエラもブラジルも、ここまで苦境に立たされることはなかったと思います。株でも債券でも商品でも同じですが、右肩上がりが続くチャートなど存在しません。必ず、どこかで下落するのです。予測できなかったのではなく、予測しなかったのです。もちろん、価格以外の要因があったことは想像できますが、ベネズエラの場合は、石油産業の放漫運営だと言われていますが、市場価格の予測があれば、何とか持ち堪えることが出来たかもしれません。
儲かっている時は、利権集団がウハウハ使いまくり、損をした時は、国民がのたうち回るのであれば、国家運営者など必要ありません。国は国民生活を守らなければならないのですから、「自分さえよければ」と「今さえよければ」は厳禁なはずです。国家運営者の仕事は、予測をし、被害想定をし、軌道修正することが仕事です。国は、現在の国民生活も将来の国民生活も守らなければなりません。それを、未来永劫、続けなければなりません。これが、国の最も重要な使命です。
運が悪ければ、ベネズエラやブラジルになるのでは、国民は堪ったものではありません。今回の苦境を何とか乗り切ったとしても、運に頼っているだけでは、どこの国でも、いつか、ベネズエラやブラジルになる日がやってきます。
理屈では簡単なことですが、現実は、そうなりません。
それは、私達の体も国家運営者である権力者の体も、「欲」で、できているからです
人間ですから、好き勝手にやらせれば、「欲」が優先するのは当たり前なのです。
でも、何とかしなくてはなりません。
誰が、するのでしょう。
「誰かが、何とかしてくれる」なんてことは起きません。
最終的に被害者になる国民が、自分の身を守るために、何とかするしかないのです。
自分を守り、家族を守り、子供や孫を守る。私達は人間ですから、いや、私達は動物ですから、いやいや、私達は生命体ですから、「生存本能」という「欲」も持っているのです。余りにも古くからある本能ですから、ついつい、忘れてしまいますが、本能を呼び覚ませば、誰にだって出来ることなのです。その本能を忘れていたために、生存が出来なくなったとしたら、これこそが自己責任です。為政者だけが悪いのではありません。ドツボに嵌る時は、関係者全員が、ドツボに嵌るようなことしかしていないものなのです。
ベネズエラ国民やブラジル国民は、政府に「何とかしろ」と抗議します。私がベネズエラ国民やブラジル国民であっても、同じことを言うでしょう。でも、岡目八目の立場にいれば、国民にも責任があることが、よく見えます。「何とかしろ」と言う前に「お前らは、何かしたのか」と問われることになります。
ベネズエラ国民やブラジル国民にできることは、原油価格が上昇するように神に祈るしかありません。彼等が、祈ったから原油価格が上昇したわけではありませんが、原油価格は60ドル程度まで回復しました。それでも、100ドルまで上昇すると予測する方はなく、再度50ドルを割り込むと言う方もいます。今後、原油価格がどうなるのかは、わかりません。だとすると、原油価格に左右されない国家運営をするしか方法はありません。成功するかどうかはわかりませんが、サウジアラビアが「脱石油」に舵を切ったことは評価できます。従来と同じ国家運営を続けていれば、仮に、原油価格が上昇して危機から脱出できたとしても、また、危機になります。
そう考えると、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義を必要としているのは日本だけではないということです。日本が本物の民主国家になることができれば、もしかすると、世界を救うことになるのかもしれません。
いやいや、世界のことなど考えているゆとりはありません。
私達の国も破綻寸前の場所にいるのです。
先ずは、自分の身を守ることが最優先です。
ただ、最後の砦となる私達の国の国民は眠ったままで、危機には気付いていません。
大半の国民が不安を持っていますが、その姿を見ようとしていません。
では、政治家や官僚が頼りになるのでしょうか。
いいえ、これまで、国家運営者に自浄努力現象など起きたことがありません。
つまり、国民が覚醒しなければ、何も始まらないのです。
それでも。
もしも、仮に、万が一、奇跡的に、国民が覚醒したとしたら、私達に出来ることとは何なのでしょう。国の責任も、国民の責任も明確になっていないこの国で出来ることがあるのでしょうか。
もちろん、国民が覚醒したという大前提が必要ですが、私達に出来ることは、将来予測と被害想定くらいしかないように見えます。具体的な被害想定があれば、全員とは言いませんが、多くの国民が反応すると思います。ですから、「何となく」という数字ではなく、「現実的な」予測と想定が必要になります。難しいことではありません。私のような庶民でも出来るのですから、その気になれば、誰にでも出来ることです。
その将来予測と被害想定を国民が共有することができれば、その将来予測と被害想定を持った人が政治家になることも可能です。国の進行方向を変えるということは、現在の体制で利益を得ている人達を否定することになりますので、結果的に、現在の国家運営者を変えることになります。そのためには、国民が覚醒し、将来予測も被害想定も持った国民が政治家になることが必須条件です。
ただ、これには時間がかかります。残された時間が少ないために、何も出来ずに破綻するかもしれません。気付くのが遅かったのですから、そのリスクは受け入れるしかありません。しかし、生き残り、この国を再生させる人達にとっては、大きな財産になるはずです。
でも、これは、あくまでも、仮定の話です。
実際には、こんなことは起きません。
奇跡が簡単に実現できるのであれば、それは、もう、奇跡ではありません。
ですから、私達の未来は、ベネズエラ国民と同じ場所にあるということです。
私達も、ベネズエラ国民と同じように「文句タラタラ」状態になります。



老後破産という言葉は定着しましたが、昨今では、老前破産という言葉も語られるようになりました。老後に関する調査がいろいろと行われますが、もう、全世代調査が必要となっているのかもしれません。現状を知るためには、調査は欠かせません。私達の生活も、調査に基づいた将来予測なしでは成り立たない社会になっているのではないでしょうか。将来予測をしなければ、その予測に備えなければ、生き残れない社会になっていると認めたほうが賢明です。方向性は間違っていません。手遅れですが、やらないよりはやったほうがいいと思います。ただ、漠然とした予測ではなく、現実的で具体的な被害想定を伴う予測が求められていると思います。「このままでは、なんか、えらい目に遭いそうだ」という予測ではなく、「かくかく、しかじかの事態に巻き込まれる」という被害想定が必要なのだと思います。
民間の調査ですが、首都圏在住の40代50代の男女に質問した結果の記事を見ました。
質問は「あなたは、あなたの老後について、楽観的に考えていますか、悲観的に考えていますか」という質問と「あなたが老後を迎える時、高齢者の生活はどうなっていると思いますか」という質問と「老後資金は、いくら必要だと思いますか」でした。この設問自体が、大変曖昧な設問ですから、参考にならないと思うのではなく、その中にヒントがあるのではないかと考えれば、このような調査でも活かすことが出来ます。

              比率 (小計) [係数] 推定
楽観的             6.5
どちらかと言うと楽観的    21.5 ( 28.0) [ 0.5] 14.0
悲観的           16.2
どちらかと言うと悲観的   25.8 ( 42.0) [ 0.8] 33.6
わからない         30.0

今より良くなっている     0.0 
今より悪くなっている    52.0
わからない         48.0

3,000万円以上     14.7
3,000万円以下     85.3

係数は、補正係数の意味で、私が勝手に設定しました。
このアンケートに回答した方に、10年後20年後の明確な予測があったとは思えません。また、回答者が正直に答えているという確証はありません。ですから、全体的に「-20%」という係数を設定しました。多分、正直に回答すれば、99%の人達が「わからない」と答えたのではないかと思います。
特に、「どちらかと言うと楽観的」という答えの中には、「悲観的に考えたくない」という理由や「何とかなる」という理由がありましたので、願望が含まれていると思われるので、「-50%」にしました。アンケートであっても、「なあ、なあ」「まあ、まあ」「何も、波風立てなくても」という心理が働きます。特に、日本人は「いい人達」ばかりですから、「どちらかと言うと楽観的」という落し所は魅力的に見えるものです。「悲観的に考えたくない」という人達に覚悟があるとは思えません。なぜなら、現状認識も出来ていませんし、将来予測もしていませんし、何よりも、被害想定がありません。ただ、漠然と、前向きな態度が「良い」ものだと思い込んでいるだけに見えます。また、「何とかなる」と考える人は多く、日常生活の延長線上での思考しかありません。「何ともならない」事があることを見ようとしていません。
楽観的と考えている人と必要な老後資金が3,000万円以上と答えている人が、14%台と近い数字になっていますので、補正係数は間違っていないのかもしれません。もちろん、老後資金が3,000万円では、破綻する人が続出すると思います。いや、ハイパーインフレになれば、3,000万円の老後資金は、現在の貨幣価値に換算すれば、3万円にしかならないとすると、老後資金なんて、何の意味もありません。そのことを棚に上げたとしても、現在、40代50代の皆さんの85%は老後破綻することになります。仮に、老人人口が4,000万人だとすると、3,400万人の人が老後破綻するということです。
統計値ですから、パーセントで表記されていますが、実数にすることで、随分、違って見えます。実数で将来予測をすれば、3,400万人の老人が破綻するという結果です。これは、大変な数です。自分が含まれるかもしれないと思える数字です。
では、その3,400万人の老人は、どんな状態になるのでしょう。
お金がないということは、食料が買えないということです。食料が買えないということは、餓死するしか道はないということです。餓死をしたある方の書置きが「おにぎりが食べたい」というものだったそうです。100円のおにぎりも買えなかったということです。
全員が一文無しになることはないでしょうが、仮に、半数の老人が一文無しになったとすると、1,700万人が餓死することになります。残りの1,700万人は栄養不足で病気になります。老人ホームへ入居するお金はありませんので、苦しみながら自宅で死ぬことになります。どちらにしても、悲惨な状態になります。アパートや団地は事故物件ばかりになります。これが、被害想定です。でも、こんな被害想定は読んだことがありません。
では、老人破綻のピークが過ぎれば、日本は正常な状態になるのでしょうか。自分の親が餓死するかもしれない時に、それを無視できる人は多いのでしょうか。子供達も日本人ですから、そして、日本人は「いい人達」ばかりですから、子供達は何とかしたいと思うかもしれません。子供達が自分の、決して十分とは言えない老後資金を削ってでも親を救いたいと思ったとしても不思議ではありません。そうなると、子供達が老人になった時に、破綻することになります。老人破綻は連鎖する危険が高いとすると、二度と正常な状態に戻ることなどないのではないかと思うしかありません。
国家運営者が少子高齢化という現象を放置した結果が、今の、今後の日本の進路になっています。幸運に恵まれ、犠牲者の数が半値八掛けになったとしても、老人破綻だけで1,000万人以上の国民が苦しむことになります。日本は産油国ではありませんので、原油価格は直接影響しませんが、少子高齢化の将来予測と被害想定がされていないのですから、地獄に堕ちることは避けられません。これが、私達の、明日の現実です。
「皆さん、これでいいのですか」
「将来予測や被害想定を知ったとしても、何も変わらないでしょう」
「それは・・・・・・・・・・・」
「だったら、知らないほうがいいんじゃないの」
「・・・・・・・・・・・」
「それとも、あんたが何とかしてくれるのか」
「いえ、いえ、これは、あなたの問題ですよ」
「何度も言うけど、俺には関係ないって」
困ったことですが、これも、現実です。



「国民の皆さーん、目を覚ましてくださーい」
石田は、ずっと、くどいほど、同じ警告を発し続けています。
「馬鹿な奴だ」と思われているのでしょう。
自分でも、そう思います。
それでも、ほんの限られた人にすぎませんが、このブログを読んでくださる人がいます。そんな皆さんの心のどこかには、同じ種類の心配が棲みついていることを知っている皆さんがいるのではないでしょうか。
もちろん、ほとんどの日本人が「不安」という名の直感を持っています。でも、それは慣れ親しんでいる、漠然とした、曖昧なものですから、その直感に目を向ける人は、ほんとに、少ないと思います。
皆さんの直感は、いつか、正しかったと証明される日が来ます。しかし、残念なことに、それが証明された時は、手遅れであったことが証明される日にもなるのです。


2018-03-01



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明治150年祭 [評論]



今年は、明治維新(1868年)から150年目にあたり、政府は「明治150年祭」のイベントを、全国規模で開催しているそうです。
私は、知りませんでした。
自民党の野田聖子氏が講演で「明治維新のことを、なぞっても、次の日本は描けない。私達は、ここで決別していかなければならない。『あの時はよかった』とか『明治維新をもう一度』などと言うわけにはいかない」と語ったという記事を読んで、初めて知りました。
これって、自民党議員は「あの時はよかった」とか「明治維新をもう一度」と言っているということですよね。安倍総理が先頭に立って言っているのですから、自民党議員の常識なのかもしれません。彼等にとっては、税金をつぎ込んでもやる価値のある「お祭り」なのでしょうが、増税や社会保障費の削減が進められている時代に必要なことなのでしょうか。
また、野田氏は、急速に高齢化が進み、価値観や人口構成が全く異なる、これからの時代には合わないとして「強い人を強くするのではなく、弱者をなくす時代を作るべき」と主張したそうです。
なぜ、野田氏が、自民党の方針に反対し、野党のようなことを言うのでしょう。
それは、彼女が障害児を持つ母親だからだと思います。
彼女には、一般人と違って、多くの情報に接する機会があります。そこから見えてくる将来は、決して明るいものではなく、弱者が切り捨てられる社会が予測できるのであれば、自分の政治生命よりも、母親としての責任が重くなるのは自然です。母親は「どんなことをしても、いつまでも、この子は私が守る」と決意していたとしても、一方で「私が死んだら、この子はどうなるのだろう」と心配します。ですから、弱者に優しい国であって欲しいと願うのは当然のことだと思います。つまり、明治維新に復古するということは、今の偽民主主義からさえも離れて行くということですから、母親としては同意できません。
自民党の議員は「党で決めたことに、勝手なことを、言いやがって」と思っているのでしょう。「強い人(利権集団)を強くするのが、自民党の政治であり、弱者をなくすのは、野党の政治」だと思っている自民党議員の皆さんには受け入れられる主張ではありません。また、自民党議員の大半が明治維新回帰を目指す「日本会議」のメンバーなのですから、明治維新の悪口を言う野田氏を認めることもしません。
そんな野田氏が、次回の総裁選挙に立候補すると言っています。前回も推薦人が集められなくて断念しましたが、この状態では、次も、推薦人は集まらないでしょう。ただ、ここで、野田氏を潰すのは簡単ですが、女性の活躍を掲げている安倍総理も気を使わなくてはなりません。総裁選で、安倍対石破のガチンコ対決をした後のデメリットを考えると、野田氏だけではなく、何人かの候補で戦った方が後遺症は残らないと思っているようで、安倍氏が、推薦人を野田氏に融通するのではないかという観測もあります。これでは、自分の利益のためなら「何でもあり」に見えます。安倍さんは政治家ですから、中身よりも建前と標語が好きな方ですから、私達と同じレベルですから、仕方ありませんが、理想の総理大臣としては「深み」に欠けているように思います。いや、この程度の総理大臣のほうが、日本人の好みに合っているとすると、これも、大切な資質なのかもしれません。
それにしても、自民党のやっていることに「国民目線」など、ないように思うのですが、これは庶民の僻みなのでしょうか。

いろいろな明治維新評価がありますが、肯定的な評価が大半を占めていると感じています。
私も、明治維新そのものは、仕方がなかったと思っています。それは、徳川幕府に統治能力が失われていたためです。当時の世界潮流は、植民地支配と帝国主義全盛の時代です。国を守るという視点で見ても、徳川幕府に、その力はありませんでした。
いつの時代でも、どこの国でも、国を守ることこそが国の仕事なのです。
では、「国を守る」とは、具体的に何を守ることなのでしょう。国民の皆さんは、どう考えているのでしょう。国家運営者の皆さんと国民の皆さんの考えは同じなのでしょうか。私には、同じ考えを持っているようには見えません。ここにも、曖昧文化の影響があるように思います。参考までに、アメリカの国防長官の言葉を紹介しておきます。「アメリカ軍は、アメリカ国民の生き方を守っているが、その思想も守っている。地形を守ることだけが国防ではない」と言っています。単に、国民の生活だけではなく、その生き方と思想を守っているという意見には、重いものがあると思いました。もちろん、世界中の国が同じ思想で国を守っているわけではありませんが、傾聴に値する意見だと思います。私達の国でも、「国を守る」という言葉は、「国民の生活と生き方と思想を守る」ことだと定義すれば、輪郭が見えてくるのではないでしょうか。
問題は、明治維新後の国家運営です。
列強の一員になるという気概は立派だったと思いますが、そのために背伸びをしすぎて、最終的には第二次世界大戦での大敗北につながりました。折角の気概を、明治維新を、失敗の歴史の始まりにしてしまったことは悔やまねばなりません。
しかし、「明治150年祭」で政府のやっていることは、明治維新を神聖化し、もう一度「神国日本」に戻りたいという復古思想にしか見えないのは、定義が曖昧なことによる勘違いがあるのではないでしょうか。
なぜ、明治維新という大改革が、単なる政権交代になってしまい、第二次世界大戦のあの大敗北へと結びついてしまったのか。
そもそも、そんな見方をする方は少ないと思います。
全体の空気としては、「明治維新は、日本の夜明けだった」と思わされています。明治維新が、数百万人もの犠牲者を出した第二次大戦の大敗北に直結したなんて思う人は少数です。さらに、それが民主化の失敗によるものだと指摘する方は、大変、少ないと思っています。
でも、明治維新に尽力した皆さんの中には、民主主義という方向を目指した方が多くいたものと思います。民も、期待をしていたと思います。しかし、日本での民主化は失敗しました。その民主化失敗の大きな要因になったのが、民主主義を曖昧にする天皇制という統治方法だったと思います。
もちろん、当時は、天皇制に勝る統治方法はなかったのかもしれません。一つのプロセスとして天皇制は必要だったのかもしれません。でも、その後、軌道修正をして民主化を進めることも出来たのです。でも、現実は、そうはならずに、あの敗戦へと向かいました。
明治の民権運動は、大正時代までは何とか続きましたが、諸々の世界情勢の中で、頓挫してしまい、天皇を現人神に祀り上げて、古来からの建前と儀式に頼った安易さが、大敗北へとつながってしまったのです。今も、その流れは続いています。
確かに、民主主義はパーフェクトな方法ではありません。しかし、他に選択肢がないとすると、民主化しかないと思うのです。少なくとも、失敗の歴史を刻んでしまった天皇制に回帰するのは、間違っていると思います。
でも、昭和の時代だけではなく、平成の時代も、民主化運動は起きていません。
その原因は、戦後の不毛な政治体制にありました。
もちろん、その根っ子には、国民の無知があります。
本来であれば、大日本帝国憲法や戦後憲法を破棄し、民主憲法の制定を主張すべき野党が、護憲派になってしまったからです。社会党と共産党のレベルの低さが、「平和憲法」という虚構を作り出し、この国をデッドロックさせる要石にしてしまったのです。社会党は、ほぼ消滅しましたが、そのデッドロック状態は今でも継続しています。結果、自民党に明治維新復古を画策する隙を与えています。
現在、民主化という機運はどこにもありません。国民は、自分の国が民主国家だと信じ込んでいますので、いや、信じ込まされていますので、民主化なんて発想が生まれることもありません。私達は、中国の反日教育が「やらせ」だということを知っています。でも、まさか、自分達が同じ目に遭っているとは思っていません。国は、教育で、どのような国にでもなれる、と言われることがあります。私達の国でも、それは成功しています。「国民の無知を温存する」という方針は、大成功です。日本国民が馬鹿だと言っているのではありません。単なる「無知」に過ぎません。無知を無知と思わなくても支障のないような文化があることに気付かないという点で無知なのです。
この国は、実際には、民主主義風王政並立封建制度なのですが、民主主義という「風味」はつけられていますが、制度としては、封建制度です。「風味」には「実態」が伴う必要がありません。ただ、「風味」を出すためには添加物が必要です。それが、多用されている諸々の儀式です。国民は、この儀式を見て「ふむ、ふむ」と頷いているのです。これは、曖昧文化が、いかに優れた文化なのかを知る材料だと思います。
さて、この先、私達を待ち受けている節目はどんな節目なのでしょう。
最初の節目だった明治維新で犠牲になった人が何人だったのか知りませんが、仮に数万人から数十万人だとしてみます。
二つ目の節目である第二次大戦での犠牲者は、数百万人でした。
もしも、三つ目の節目である、将来の私達の犠牲が数千万人だとすると、方向を変える必要があるのではないでしょうか。
残念ですが、そうはならないのでしょう。
節目がいくつあっても、私達は変わらない、と考えるほうが自然です。
節目を予測することもなく。
節目を経過しても、変えようとせず。
節目は、ただの節目でしかなく。
運命に流される民族。
それが、私達です。
確かに、明治維新では節目を予測した方が大勢いました。日本史上、初めてのことだったのかもしれません。しかし、節目を迎えた後は「なあ、なあ」「まあ、まあ」でお茶を濁しました。曖昧という空気の中に拡散してしまい、それが日常になってしまったのです。
今は、そんな予測さえ表明する方はいません。
別の見方をすれば、粛々と運命を受け入れ、誇りを失わず、孤高であっても崇高を求める民族という見方も出来ます。そこに救いを求めることも、生き方の一つかもしれません。節目では、肉体的にも、精神的にも、大きな苦痛と苦しみに耐えねばなりませんが、一度だけ死ねば、それも終わりにできます。
きっと、それで、いいのでしょう。
私達が、いや、私達の無知が選んだ道ですから、仕方ありません。
確かに、自民党の憲法草案の中身はひどいものです。
ま、国民は「憲法」なんて読みませんから、いや、「六法全書」を本棚に飾ってある人だって少数派なのですから、一政党の「憲法草案」なんて、その存在すらも知らないでしょう。国民は、「俺には関係ねぇ」と思っていますから、その草案の中身がどんなものでも、別に構わないのです。
国民は、「あちゃー」という日が来ることも知りませんし、憲法が「あちゃー」とつながっているなんて思いもしません。でも、憲法は国家運営の指針です。指針が間違っていれば、国家運営の失敗につながります。そして、国家運営の失敗は「あちゃー」とつながっているのです。それは、多くの国の多くの国民が体験してきたことです。「うちの子に限って」なんてことはないのです。
確かに、「あちゃー」なんて日は、一生に一度あるかないかの頻度でしか起きませんので、「自分さえよければ」「今さえよければ」であれば、国民には関係のないことなのかもしれません。
ただ、出来の悪い草案であっても、自民党が草案を作り発表したことは評価しなければなりません。それは、自民党以外の政党が憲法草案を発表したという記事を読んだことがないからです。私が知らないだけで、野党が発表した憲法草案があるのかもしれませんが、話題にもならないのであれば、箸にも棒にもかからないものだということかもしれません。
産経新聞が、自社で作成した憲法草案を発表したことがあります。彼等の大目標は「天皇崇拝」ですから、その強い想念が憲法草案を作成する原動力になったのでしょう。彼等の草案にも目標とする思想にも賛同はできませんが、作成して発表したという行動は称賛しなくてはなりません。ただ、憲法草案の作成は、本来であれば、新聞社の仕事ではありません。新聞社に出来て、なぜ、政党には出来ないのでしょう。多分、それは、想念の強さによるものだと思います。民主主義を標榜する政党はありますが、民主主義に対する強い想念があるのではなく、利用価値があるという打算が優先しているのではないでしょうか。
この国には「国とは」という定義がありません。政治家と称する人達は、その曖昧な「国」を利用し、国会議員という職を手にしている詐欺集団なのかもしれません。合法的な犯罪者集団という言葉は成り立ちませんが、実際には、曖昧文化のおかげで、グレーゾーンは誰もが認めているのですから、合法的な犯罪は存在していると思わねばなりません。現行の法律に違反していなければ合法ですし、自分達がやっていることを縛る法律を作らなければ、それも合法になるのです。「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義を憲法に書きこんでしまったら、今の政治家は犯罪者になってしまうのであれば、そんな憲法を作る政治家は存在しないということになります。選挙制度の構図と同じです。
そうであれば、憲法も選挙制度も、国民が作らねばなりません。しかし、そんなことが可能になるシステムは存在していません。今のシステムであれば、政治家のお手盛りによる憲法や公職選挙法は、自由に作ることが可能なのです。
ま、民主国家ではありませんので、仕方ありませんが、最終的に犠牲になるのは、私達国民です。その事だけは覚悟しておかねばなりません。

日本には、国教と呼ばれる宗教がありません。
しかし、宗教が存在しないという意味ではありません。
世界中に存在する神がこの国にも存在しますが、それだけではなく、日本には「八百万の神」も存在しています。
宗教は、力です。
力ですから、宗教で国家統治をすることも可能です。
帝国主義が流行する前から、西欧諸国は宣教師を先兵として派遣したほどです。
今でも、アッラーの神のために自爆テロを実行する信者がいます。
もちろん、宗教は、昔から国家統治の手段として、多くの権力者が利用してきたという歴史もあります。大昔は、学問も科学も存在していませんでしたから、人知の及ばないことは神の仕業だと考えていたものです。病気や災害は、占いや呪術や儀式に頼るしかありませんでした。そういう意味では、宗教を利用する方法は理に適った手法です。
もちろん、今でも、最終的に、私達は「神頼み」になるのですから、それほど進化したとは言えません。「神頼み」は、私達のDNAに何重にも植え付けられていて、そう簡単には消えないのでしょう。
神様にお願いしたところで状況が変わることはありませんが、最後のお願いですから、「諦め」の契機になる効果は期待できます。心安らかに死ぬことも不可能ではありません。ですから、宗教に価値がないなんてことは言いません。
でも、権力者が宗教を利用して、無辜の民を意のままに操縦するやり方は、褒められるやり方ではないと思います。
日本でも、戦前、天皇は「現人神」に祀り上げられて、兵士は「天皇陛下、万歳」と叫んで死んで行きました。この国も、天皇教という宗教を作り出し、それを利用した国家エゴの追求をした国なのです。国際的に「平和国家日本」が諸手を挙げて受け入れられていない現状があるのは、どこかに、日本人に対する怖さがあるからだと思います。「いざとなったら、何をするかわからない民族だから、心配だ」という疑念は無くなりません。
さて、この先、この国がどんな時代を迎えるのか、と考えると、権力者が「神頼み」を用意しておく必要があると考えるのは自然だと思います。身近にいる天皇を利用したいと思ったとしても、不思議なことではありません。ただ、天皇を利用している人達は、私達国民よりも、天皇に対する敬意に欠けているように見えます。彼等は、天皇を道具としか思っていません。もちろん、まだ明確なビジョンがあるわけではないでしょうが、権力者の直感は、国が乱れた時の国家統治のための「神」を求めているものと思います。それが、明治維新に戻りたいという行動に出ている心理なのではないかと思います。国が乱れるであろうという予測は間違ってはいませんが、天皇を神に祀り上げるだけの時間が残されているかどうかは定かでありません。
将来を予測してみましょう。
餓死者が当たり前の社会になり、国は乱れます。
飢え死にをする人達が「天皇陛下、助けてください」と祈るでしょうか。
そうは思えません。
「神様、仏様、ご先祖様、父さん、母さん、助けてください」と祈るほうが、ご利益があるように思えます。
そうではなくて。
絶望の中で死んで行くのかもしれません。


2018-02-03



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民主憲法 [評論]



くどいようですが、今日も、憲法の話です。
議論の俎上に乗っていないことを書いておこうと思います。
先ず、憲法という法律の特質を見てみます。
日本における近代憲法は、二度制定されています。
一度目が、明治憲法(1890年)であり、二度目が、戦後憲法(1947年)です。
どちらも、非常時を契機として制定された憲法です。
日本だけではなく、憲法は、国家体制の変更時に、それは多くの場合が非常時終了後に、制定されることが多いという特質があります。
平時に制定される、あるいは、改憲されるケースは、この国では初めてです。
もう一つの特質は、明治憲法は欽定憲法であり、戦後憲法は米国製憲法である、というものです。日本の特殊事情が大きく影響していますが、制定当時の事情を鑑みると、仕方のないことでした。
私達の国は、一度も民定憲法を作ったことがありません。
もっとも、この国は、本物の民主国家ではありませんので、たとえ、民定憲法を制定したとしても、それが民主憲法になることはありません。現に、そうはなっていないだけではなく、そのような議論も行われていません。形式的な民主国家ではなく、看板だけの民主国家ではなく、普通の民主国家になることが先決です。私見ですが、「民主国家とは、外敵や飢えや、自由や主権の侵害から国民を守る国家」だと思っています。この定義が正しいかどうかは、私にはわかりません。でも、少なくとも、定義も原則も議論することがないのであれば民主国家にはなれません。
明治憲法は、欽定憲法ですから、天皇が制定した憲法です。明治の天皇君主制度は、近代版王政という形をとっていますが、封建制度と民主制度という比較だけで見れば、封建制度の範疇に入ります。それは、将軍や天皇が統治する制度であり、主権は民にありません。
戦後憲法は、時間の制約と知識不足と多少の遠慮があったために、明治憲法(大日本帝国憲法)を踏襲する形式で作られました。当時のアメリカは、9条(戦力不保持)さえ加憲出来れば目的は達成できたのです。その骨格は大日本帝国憲法のままで、今も引き継がれています。いつも、民主主義風王政並立封建制度と書いていますように、日本の憲法は、ごった煮憲法ですから、誰に主権があるのかは、曖昧にされています。
そもそも、「憲法とは」という定義が曖昧で、統一された、確固たる定義があるようには見えません。明治憲法制定時は、それなりに定義はあったものと思いますが、初めての憲法制定ですし、他国の憲法が雛形になったようですから、しっかりとした定義はされなかったのかもしれません。その後も、定義が議論されたことはありませんでした。それは、明治憲法が欽定憲法であったために、臣下である民が言及するものではなかったことと、戦後憲法は占領下の憲法ですから、占領軍に逆らうことができない状況があったためです。アメリカ軍の占領統治が終了した頃には、左翼の皆さんによる「平和憲法神話」が生まれ、何となく、国民も同意していて、憲法に言及すること自体がタブーになってしまいました。曖昧文化の国では、言葉の定義をするという習慣がありませんので、定義が曖昧であることを不思議だと思う人もいません。
このままであれば、70年前と同じ、いや、130年前と同じ、封建制度のままの憲法が出来上がるのです。
しかし、そのことに異を唱える人がいません。
いつものように、「なあ、なあ、まあ、まあ、固いこと言わずに」ということなのでしょうが、このままでは、今回も、この国は民主国家にはなれません。
いつまでも、民主国家になれないことのデメリットは、今は、それほど感じていないかもしれませんが、将来、そのことが私達の首を絞めることになります。
たとえ、民主主義に対する国民意識が低かつたとしても、「あちゃー」という日が来てからでは、何も出来ません。車の自動ブレーキシステムは進化していますが、国家運営にそのようなシステムは組み込まれていません。
今、その「あちゃー」を実践している国があります。以前にもベネズエラのことを書きましたが、その経済崩壊はまだ収まらず、ハイパーインフレが進行中です。ベネズエラ政府は統計数値を発表しなくなりましたので、どれほどのインフレなのかは不明ですが、街角ウォッチングで調査すると、一杯500円だったコーヒーの値段が、6週間で3,500円になったそうです。まだまだ、インフレは続くと予測されています。ベネズエラ国民は「あちゃー」と言うしかありません。いや、もう、「あちゃー」と言っていますが、どうすることもできません。同じように、ブラジルでも犯罪が多発し、国民は困っています。これも、経済運営の失敗による税収不足が原因です。その結果、警察予算が3割も削減されました。どちらの国でも、最終的に、一般国民が被害に遭います。
最近、日本でも、ハイパーインフレという言葉は多用されるようになり、一般国民も、言葉だけは認知するようになりました。でも、いつものように、認知するだけで、その実態を想像することがありません。中には、ハイパーインフレになれば借金が減るのだから「いいことだ」と、まるで自分が国家運営者になったかのような発言もあります。実際に、その時が来たら、「あちゃー」と言うしかないのですが、大丈夫なのでしょうか。

国民投票が行われるということは、国民が改憲の決定権を持っているということです。
定義がないという情報が欠落したまま、国民が判断を誤れば、民主主義風王政並立封建制度は、今度も維持され、曖昧は続きます。
もしも、仮に、この国が民主国家だとすると、そして、もしも、仮に、主権者が国民だとすると、もしも、仮に「憲法とは、主権者を守るため、国家運営の原則を決めた法律」だとすると、真っ先にやらねばならないことが「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義だと思います。その定義を条文化したものが、憲法なのではないかと思います。
それを邪魔しているのが、曖昧文化です。
では。
日本の曖昧文化は、どうして生まれたのでしょう。
それは、日本人が、従順で、大人しい性格の、いい人達の、群れだったからだと思います。大昔から、私達は「いい人」だったのです。どんな無理難題でも聞いてくれる「良き民」であったために、為政者は原則を示す必要がありませんでした。いや、仮に、原則を示したとしても、いつでも、破棄できる原則ですから、その原則に意味はありませんでした。為政者に優しく、民に厳しい統治が当たり前の国だったのです。それを、「伝統」と誇らしく呼ぶ人もいます。私達庶民が「伝統」と呼ぶ場合は、建造物や美術品を指す場合が多いのですが、政治がらみの皆さんの場合は、その統治方法を指すようです。彼等にとっては封建制度こそが「伝統」なのです。それは、私達の国の憲法が、未だに民主憲法になっていないことで証明されています。
過去の権力者達も、現代の国家運営者の皆さんにとっても、法律は曖昧であればあるほど利用価値の高いものになります。以前に国家権力について書きましたが、国家権力とは、武力と法律です。その法律が曖昧で、裁量権が大きい法律の場合、憲法であれば憲法解釈という手法で、どのような事でも正当化することができれば、これほど効力のある権力はありません。原則がないのですから「なあ、なあ、まあ、まあ」で構わないのです。

9条3項加憲の場合、自衛隊の皆さんを除外すれば、国民に直接の不利益はありません。
しかし、このやり方を認めてしまうと、どこかで、国民の不利益が生まれます。
もちろん、自衛隊員も国民ですから、国民の不利益に該当しますが、彼等は、宣誓書を書いて、国と個別の契約を結んで自衛隊員になっていますので、それは不利益を承知で入隊していることになりますので、一般国民とは少し違います。ただ、今までは、宣誓書は単なる事務手続きの一部であり、隊員の皆さんもそれほど重きを置いていなかったかもしれません。武力行使も、戦闘も行わないという前提の軍人ですから、単に職業の一つだったのです。自衛隊員の仕事は、訓練をすることと災害派遣だけでした。自衛隊という名称が残ったとしても、憲法に明記されれば、それがどのような文章であったとしても、今度は紛れもなく軍隊です。少なくとも、国家運営者は、そのつもりです。軍隊になれば、入隊時に提出した宣誓書が大きな意味を持ってきます。今度は、自分の命を懸けて戦場に出て行かねばなりません。
国としての原則がある場合は、比較的、国民の不利益が目に見えますが、曖昧な規則では見えなくなります。
今回の改憲案の俎上には上っていませんが、以前の自民党案には「自助、共助、公助」という言葉がありました。これは、「自己責任」を憲法の条文に入れることを意味します。
国家運営者の利益にとっては画期的な言葉です。
国民の自己責任による場合は、国は国民を守る必要がなくなるのです。
「国とは」という定義がなく、曖昧な概念しかありませんから、国民の自己責任を憲法で規定しても構わないのでしょう。今後、社会保障費がさらに増加しますが、自己責任という規定があれば、社会保障費を抑制することは容易にできます。
いや、社会保障費の抑制は避けて通れませんので、憲法に書きこまなかったとしても、実行されることになるでしょう。ただし、どこかの時点で、憲法違反という訴訟が起きることを想定しておかねばなりません。いくら司法が硬直しているとしても、数十万人の犠牲が出ることになれば、違憲判決が出される可能性は否定できません。将来的には、憲法改正が必要になります。
社会保障の枠組みから零れ落ちる人や社会保障では生活が成り立たない人達が多く出てきてからの憲法改正は難しくなります。国民が、その現実に気付かない時点で改正をしておかなければ、国民投票で過半数は取れません。
既に、この国には国民の生活を保証する力はありません。借金で、なんとかやりくりをしている国なのです。急激に増加する生活困窮者を吸収する余裕など、どこにもありません。これが現実です。どの程度かは別にして、ある程度の犠牲者は容認するしかないのです。その法的根拠を作っておかねばならない。これも現実です。
自己責任だと判定された国民は、国に切り捨てられても憲法違反にはならない状況を作っておかねばなりません。では、社会保障に頼らなければ生きていけない人が、3,000万人いたとしましょう。その中に、自己責任ではないと判定される人が何人いるのでしょう。条件を厳密にすれば、ほぼ、全員を自己責任だと判定することが可能です。
もちろん、一生懸命働いて、頑張って貯金し、自分の生活を最後まで自分で賄うことは奨励すべきことですが、それが実現する確率は決して高くありません。
「お前は、一生懸命ではなかった。お前は、頑張らなかった」と言われたら、困る人が大半だと思います。また、そんな個別の判定を「お上」にできるとも思えません。しかし、声高に、自己責任を押し付ける必要はありません。暗に、自己責任は憲法違反ではないことを文字にしておけばいいのです。そのために作られた言葉が「自助、共助、公助」という言葉なのです。「今回は、500万人分を削減する」という方針に合致するような線引きを行えばいいのです。これは、500万人に、「死ね」と言っていることなのですが、憲法に規定されているのですから、誰にも反論できません。国の自由度は非常に高くなります。「そんな馬鹿な」と言われる方がいるかもしれません。でも、今でも、社会保障費の削減は目標数値に基づいて削減されているのです。その目標数値は国家運営者の都合で決まっています。
たとえ、いい加減な法律であっても、この国の建前は、あくまでも法治国家ですから、国民は法律に逆らうことができません。憲法が、国家運営者の利益のために存在するのであれば、それは民主国家ではありません。
最後は、「お上」の「お慈悲」にすがるしか方法はありません。
慈悲深い「お上」ばかりではないでしょう。
いや、これって、封建制度なのではありませんか。
この国は、「大の虫を生かすために、少々の犠牲はやむを得ない」という言い訳もできる風土です。国は「大所高所からの判断が必要だ」と言います。でも、これは、「弱者切り捨て御免」を正当化する言葉にも聞こえます。封建時代には、武士に「切り捨て御免」が認められていました。何も変わっていないのです。自分が小さくて低い場所にいた場合は、堪ったものではありません。3,000万人が少々の犠牲だとは思えませんが、9,000万人よりは少ないという現実があります。ない袖は振れないのですから仕方ありませんが、国家運営者には、そんな事態にならないように運営する責任があったのではないでしょうか。国家運営者は、「苦渋の決断だった」と言うでしょう。だったら、その「苦渋の決断」をしなければならなくなるまで放置していたことに、どう責任を取るのでしょう。もちろん、国家運営者はそんな責任は取りません。
国民は気付いていませんが、「原則」がないということは、国民にとって、怖ろしいことなのです。

曖昧文化という伝統の不幸は、他にもあります。
言葉の定義をしない習慣は、政府与党だけにあるのではなく、野党の方も、左翼の方も、同じ習慣に支配されています。
ですから、政府が「9条3項」を出して来たら、その反論をすることには熱心ですが、定義の欠如については気付くことがありません。
野党の方は、「憲法を守れ」と大合唱します。彼等は、封建制度の大日本帝国憲法を土台とした米国製憲法を守れ、言っているのです。左翼思想とは真逆にある憲法を信奉していることに、どうして、気付かないのでしょう。それは、野党の皆さんも定義や原則を必要としない曖昧文化に埋もれているからです。この国の衰退は、経済だけではありません。過去の栄光から抜け出せない人達が国家運営を続けている構造に問題があるのです。野党の皆さんも、「平和憲法」という旗印で勢力を伸ばした時期があった過去から抜け出せていません。国民が、過去の栄光と自己保身に執着している今の野党には、期待をしていないことに気付くべきだと思います。
彼等は、反対の理由として「戦争する国になる」「皆さんの子供が戦地で死ぬことになる」と宣伝することになるのでしょうが、もう、そのような時代ではないことに気付いているのでしょうか。
左翼信仰の時代は終わっています。もう、左翼思想では国民を引き付けられません。特に、民主党政権の失敗が、その流れを確固たるものにしてしまいました。「左翼の人達が言っているのだから、彼等が言っているということは、きっと、野党の言っていることのほうが間違っているのだ」と考える人達も一定数存在していると思います。左翼が反対すれば反対するほど、賛成票が増える結果になります。
これは、国民にとっての不幸でもあります。
なぜ、こんなことになるのでしょう。
そうです。これが、曖昧文化のデメリットなのです。
では、もう、野党には存在意義が無くなってしまったのでしょうか。
そうではありません。
この国を変えることが出来るのは、今でも、国民の支持を得た野党です。自民党が国民のために、今の体制を変えることは、決してありません。そんなことは、国民だって知っています。だからと言って、国民が野党を支持しているわけでもありません。「どちらが、ましか」判定で、自民党が有利になっているだけです。そもそも、自民党は利権集団を守るための政党であり、国民を守るための政党ではないことを、国民は知っています。それでも、左翼よりは「まし」だと思っているのです。どれほど野党の存在価値がないのかという事実に、野党が気付いていません。
どうすれば、いいのでしょう。
簡単なことです。左翼思想を捨て、曖昧文化を捨て、民主国家樹立を目指す集団になればいいのです。過去と決別することが、それほど悪いことなのでしょうか。
そう考えると、憲法改正は、絶好の機会なのです。
野党の皆さんは、もう失う物はないのですから、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義をし、それを文章にし、憲法草案を作って、国民に提示すればいいのです。確かに、国民は「無知」ではありますが、「馬鹿」ではありません。理解する能力では、他の民族に負けていません。
安保法制に反対するために、無駄なエネルギーを使ったり、スキャンダル追及に生き場所を求めるやり方には、意味がありません。目的が見えていないから、時間配分を間違うのです。
国は、主権者である国民を、国民の生活を、守るために存在しているシステムなのです。
その端的な例が安全保障です。
安全保障を無視した民主化は成り立ちません。いや、独裁制度や共産主義や封建制度の国であっても、安全保障は必要です。それは、私達は地球に住んでいるのですから、先ず、生存をしなくてはならないからです。
野党の皆さんは、そのことがわかっていません。民主主義が理解できていないだけではなく、地球のことも人間のことも理解できていません。そこから変わるべきです。
国民を守るのは、軍事力という安全保障だけではありませんが、安全保障は地球上に生存するための基本ですから、主権者である国民を守るための軍隊は必要不可欠です。野党は、この出発点から間違いを犯しています。「平和は、力で勝ち取るものであり、文字や空想で得られるものではない」という考え方が世界常識です。世界常識が正しいのか、正しくないのか、を言ってみても意味がありません。それが現実なのですから、選択の余地などないのです。世界がお花畑でないことは確かです。世界の中で生きていくのであれば、好き嫌いの問題ではなく、世界常識に従うしかないのです。
共産党を除き、「日米安保を破棄せよ」という野党はいません。自分の国は他国に守ってもらっていて、自分は何もしない。そんな都合のよい話が通るとでも思っているのでしょうか。世界は、そんなに甘い所なのですか。先ず、自分の国は自分で守るのです。それでも、安心できない時は、軍事同盟も選択肢に入ります。なぜか、この国は、いつも、順序が逆になります。これは、悪い癖です。
自国の国民を守るためには、防衛力を高める必要もあります。交戦規定の変更も必要ですし、敵基地攻撃能力も必要になりますし、核兵器だって必要です。これ、当たり前の国が、当たり前のことをするだけです。これは、野党こそが要求する内容です。それを、未だに、賞味期限の切れたお花畑理論に頼っていたのでは、主権者である国民を守ることなど出来ません。
9条3項に自衛隊という文字を書き込むような姑息な改正しか出来ない自民党に、国民生活を委ねていてはいけないと主張すべきなのは、野党のほうだと思います。

では、民主憲法制定が、私達の目的なのでしょうか。
違います。
それは、出発点にすぎません。
でも、出発点がなければ、前には進めません。
このままでは、日本民族は、曖昧という空間を浮遊し続け、いつの日か消滅する可能性だってあるのです。


2018-02-02



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横行する勘違い [評論]



今月は、憲法についての雑感を3本書きました。雑感ですから、系統だったものではなく、愚痴のようなものだと思って読んでいただければ嬉しいです。

いよいよ憲法論議が始まりました。自民党は、本気で、改憲案を出すつもりです。
論点整理と称しながら、いつの間にか、いや、予定の行動なのか、憲法論議の焦点は「9条」になっています。しかも、その改憲案は、安倍総理推奨の「9条3項」案のようです。
公明党は「世界に誇れる憲法の精神は壊すべきではない」と言っていますが、1項と2項が残れば、公明党の面子は立つと考えているようです。
希望の党は、3項の追加を暗に認め、「専守防衛」という言葉を入れてくれ、と言っています。
立憲民主党と共産党は、反対です。

日本という国は、つくづく、不思議な国だと思います。これだけ国際緊張が高まっている時でも、まだ、与党の議員も野党の議員も「平和憲法」という虚構に支配されているのですから、これが独立国の対応だと思っている国民の意識には、驚いてしまいます。
そもそも、9条が憲法に書きこまれたのは、日本の手足を断ち切るために、戦勝国であるアメリカが決めたことです。日米開戦前までは、日本は世界的な強国とは認められていませんでした。アメリカ市民にとっての日本というイメージは、アジアの小国の、黄色くて矮小な、100年も200年も古い時代の、「イエローモンキー」という原始人だったのです。ところが、戦争を始めてしまうと、これが中々の難敵で、アメリカが世界に誇るスピットファイアーが、ゼロ戦に歯も立たなかったのです。そんな戦闘機を作る経済力も技術力も、日本にはないと思っていました。何段階もレベルの低い国だと思っていましたので、その驚きは大きかったと思います。そして、終戦が近づくと、日本は神風特攻隊という自爆攻撃を仕掛けてきました。今であれば、イスラム過激派の自爆テロは当たり前のことと思っていますが、当時、自爆はそれほど一般的な攻撃ではありませんでした。彼等は「クレイジー」と感じたでしょう。各地の陸上戦でも、日本人は豊富な武力を持ったアメリカ軍陣地に、日本刀を振り上げて「天皇陛下、万歳」と叫んで向かってきましたし、自決する軍人も多数いました。日本人は、民間人でさえも、自決する民族だったのです。彼等にとって、日本人は「アンビリーバブル」な、危険な、得体のしれない、民族だったのです。
戦勝国になった時、アメリカが考えたことは、「こんな危険な民族に、二度と、武器を持たせてはならない」というものでした。当時は、日本がこれほど従順なポチになるとは思っていませんでしたので、危険な民族の手足は切っておこうとしたのです。それが9条です。今となっては、あの9条はアメリカの誤算だったのでしょう。誤算は、もう一つありました。日本が占領統治を終えて独立国になった時は、当然、憲法を改正して軍事力を持つだろうと予測していたと思います。彼等の常識では、そうなるはずでした。実際に、日本政府にも要求しました。ところが、日本は、9条を平和憲法という名の神に祭り上げてしまったのです。「9条という神のおかげで、日本は平和だった」という勘違いも、日本人は受け入れてしまいました。アメリカ人にとって、日本人の心情は、常識外にあったのです。
そして、今、日本は9条を堅持したまま、3項の追加を画策しています。アメリカは「お前たち、自分の国を、本気で、守る気はあるのか」と思っているでしょう。勝手に、「日米同盟を基軸に」と言っている日本人に、呆れているのではないかと思います。アメリカは、アメリカの国益にならないと判断した場合は、日本を守りません。当然のことです。しかし、日本は、未だに儀式と信仰の国ですから「アメリカ様が守ってくれる」と信じています。信仰は、不合理を超越してくれますので、日本を説得する方法はありません。
しかし、心配なのは、平和憲法やお花畑が虚構に過ぎなかったという現実に直面した時、この国は、大きく、右側に振れることになります。北朝鮮や中国からミサイルが飛来し、多くの人命が失われた時、この国は、再び、「一億玉砕」の国になれるのです。
これは、大変、危険です。
今、やらねばならないのは、自衛隊という文字を憲法に追加することではありません。本気で安全保障を議論すれば、何が必要なのかが見えてくるはずです。「9条3項」でお茶を濁し、ずるずると、曖昧を継続することが求められているのではないと思います。これは、ただの勘違いです。

政治家の皆さんだけではなく、国民の皆さんも勘違いしていませんか。
皆さんは、民主国家の、独立国家の、憲法の話をしているのですよね。
だったら、最初に議論しなければならないのは、「民主主義とは」という定義なのではありませんか。その上で、「国とは、国民とは」という定義の議論をし、その定義を文章にし、法律にする仕事が皆さんの仕事なのではありませんか。明治維新の時にも敗戦の時にも、個別の事情がありました。ですから、明治憲法も、現在の憲法も、それなりに意味があったと思います。でも、この平時に憲法を改正するのであれば、平時であるからこそ出来る原則論を求めるべきだと思います。安倍総理は、憲法は理想を書く法律だと言っていますが、それも勘違いです。憲法は、国家運営の原則を書く法律だと思います。
「9条3項」案は、筋の悪い改憲だと思います。
ところが、もう、「9条3項」が既定路線になっているかのごとく、与党の政治家の皆さんの目も、野党政治家の皆さんの目も、国民投票に注がれています。
自民党は、過激な印象を与えないように、できるだけ曖昧に、「まあ、この程度なら」と思ってもらえるように苦労しています。
公明党と希望の党は、「私達は憲法の精神は残しましたし、注文も付けましたからね」と言って、自分の立場を守ろうとしています。
立憲民主党と共産党は、「断固、反対しましたから」と宣伝するのでしょう。
また、「いつか来た道」です。
もう、慣れていますから、誰も違和感すら持っていません。
改憲の国民投票という一大事ですから、大きな騒動になるのでしょうが、前提条件が欠落した玉虫色の草案が賛否の判定材料になるのです。民主主義も、国の責任も、国民の責任も、いつものように「なあ、なあ」「まあ、まあ」で決着することになります。
政治家の皆さんは、自分の立場を守ることが第一義になっていて、これで本当に、この国は国民に対して責任を果たしているのでしょうか。
国民の声は、今のところ、自民党の草案には反映されていません。
いやいや、国民の声があれば、の話です。私達は、憲法に対する知見も、民主主義に対する知見も持ち合わせていません。世間の風に吹かれれば、どこへでも行ける国民なのです。
政府は、広く国民的議論を通じて、そして、国民の皆さんの安全や幸福を守るために、等々、まるで、国民が参加しているような、憲法が国民のために存在しているような、そんな空気を作ろうとしています。ここにも、勘違いがあります。
国民議論と国民的議論には大きな違いがあります。国民的議論という言葉は、「あたかも、国民が議論したような議論」を経て、という意味です。自分の利益にしか関心のない国会議員が「国民を代表して」という「いつもの建前」を使い、国会で議論をすれば、それが国民的議論になるのです。国民を代表しているという国会議員は、選挙の時だけ、頭を下げ、「国民の皆さんのために」と叫んでいれば、当選後は何をやってもいいのです。彼等は、民主主義なんてことは、考えてもいません。ただ、国民も、民主主義を知りませんので、それでもいいのでしょうが、これは、国にとっても、国民にとっても不幸なことです。
多分、やらせ満載の公聴会のようなものも催されることになるのでしょう。その中では、作られたシナリオに合致する意見が取り入れられ、シナリオが完成されていくのです。「皆さんの意見も取り入れましたよ」と胸を張って宣言することになります。儀式の使い方には、伝統で培った力が備わっていますから、また、儀式を経た結果には逆らえないという気質を持っている国民ですから、儀式さえやっておけば大丈夫なのでしょう。確かに、これまでは、そのやり方で何とかなってきました。でも、この先も、それでいいのでしょうか。もう、限界なのではありませんか。
国民投票は大きなイベントですから、賛成派も反対派も力を入れてくると思います。権力の裏の手に誘導された意見が、流れを作り、大勢を占め、シナリオに合致しない意見は罵詈雑言を浴び、非国民の扱いを受け、誰も耳を貸してくれなくなるような予感がします。多分、そうなります。この国には、付和雷同現象と呼べるような不思議な力があります。私達日本人は、結構、付和雷同が好物なのです。その力は、今でも大きな力を持っています。そして、議論は、どんどん細部にはまり込み、自分達が何の議論をしていたのかも見失う結果をもたらします。国民投票当日には、「9条3項」に賛成か、反対か、というものになります。当初、私達は、憲法の話をしていたはずです。しかし、民主主義についても、国の責任についても、国民の責任についても、何も議論されることなく、決められていくのです。それも、曖昧な形で決まるのです。国民投票という儀式は、得票数が出ますので、その儀式自体が曖昧だということではありませんが、いや、それこそが儀式の強みなのですが、決める事柄の曖昧さは隠されてしまうのです。これは、権力の思う壺なのではありませんか。国民投票という儀式を執り行うと決めた時から、結果は決まっているのです。そして、国民の過半数を超える人達が賛成したのだから、という理由で、正当化されるのです。今の選挙制度と同じです。それは、権力者にとっても、国民にとっても、正当化の大きな力になります。誰も、責任を取る必要はありません。
私には、AKBの人気投票のほうが、レベルが高いと思えてなりません。確かに、組織票はあるでしょう。でも、AKBのファンはAKBのメンバーのことを熟知しています。それは、重要な事だと思います。

私達は、小学校高学年の3年間、中学の3年間、高校の3年間、民主主義について議論をするチャンスがどれほどあったでしょう。少なくとも、私の経験では、そんな経験はありませんでした。大学では、学部に関係なく議論する習慣があればよかったのですが、遊ぶことに忙しくて、単位を取ることで精一杯で、そんな経験はしていません。更に、社会に出てから、民主主義について議論をすることなどありませんでした。私達は、漠然とした民主主義しか知らないのが現実です。国の責任なんて考えたこともありません。ましてや、国民の責任なんて、頭の片隅にさえ存在していませんでした。そんな私達が、改憲のための国民投票の投票所に行くのです。これで、私達に意味のある投票行動が取れるとは、とても、思えないのです。ベールに包まれ、宙を浮遊しながら、曖昧で漠然とした知識しか持たずに、「えい、やー」で投票するのです。空気に流される選択肢しかないのではありませんか。私達は、国民議論が出来るような国民には育っていないのです。これが、この国の国民意識の現実です。国民的議論をすることになっている国会議員も、そんな国民から選ばれているのです。でも、そんなことを問題視する人はいません。
選挙も、間接議会政治も、三権分立も、言葉を習っただけで、それについて議論する習慣はありませんでした。受験戦争に勝つことが目的となり、言葉を脳に記憶させることが目的となったために、議論は不要になったのでしょう。知見という言葉は、単語を知っているかどうかではなく、その言葉を理解しているかどうかなのではないでしょうか。
私達は民主国家の雛形を真似ているだけにすぎません。日本に古くからある儀式が、儀式を好む習性が、その真似事の民主主義を可能にしたにすぎません。私達は、民主主義も憲法も、自分のものにはなっていないのです。そんな国民が、憲法の正当性の判断を迫られるのです。判断ができない国民に「判断をしろ」と言っていますし、暗に、判断できないのは「自己責任だ」と言っているのです。国民は、「お前には判断するだけの知見がない」と言われては困りますので、誰にだって見栄の一つや二つはありますので、厳粛な表情で投票することになるのでしょうが、実は、中身は空っぽなんです。だって、何も学んでこなかったのですら仕方がありません。
いつものことですが、私達は、ただ漠然と国民投票という手法を使おうとしています。
国民投票に必要なことは、何なのでしょう。
権力者や左翼の人達の宣伝ではありません。
国民自身が、学ぶことなのではないでしょうか。
そのためには、国が、その環境を作らなくてはならないと思います。
国は、その責務を果たしているのでしょうか。
いいえ。
この国では、未だに、「知らしむべからず、寄らしむべし」という統治方式が、ずっと、続いているのです。確かに、私達国民は無知です。何も知らない国民が、国家運営に口を出したら収拾がつかなくなります。「お前達は無知なのだから、『お上』の指示に従っていなさい」と言われたら、中々、反論できません。そのくらい私達は無知なのです。でも、これが民主主義なのでしょうか。国の責任も、国民の責任も明確にすべきなのではありませんか。しかも、「俺に任せろ」と言っていた国家運営者は自分達の失敗の責任を取りません。責任を取らないだけではなく、「選挙で国会議員を選んだのは国民なのだから」という理由で国民に責任かあると開き直ることができます。「無知なのだから、生意気を言うな」という対応をとるか、「無知な国民を、教育しよう」という対応を取るかは、国家運営者に委ねられています。確かに、前者のほうが楽ですから、時間も費用も必要な後者を選ぶことはしません。しかも、国民に知見を持たせてしまうと、事あるごとに介入してきて大変面倒です。それでは、自分達の利益も危険に晒されます。自分の利益が第一だと考えている国家運営者がそんなことしません。やるとしたら、国民からの強い要求があり、自分の利益が、より危険になると判断した時だけです。
この国に古くからある建前と儀式を用意しておけば、「お上」が「右を向くべし」と言うだけで、無知な民は右を向いてくれます。それでもいい、と思うほど無知なのです。呪術師が活躍していた時代と、何も変わっていません。
確かに、手遅れかもしれませんが、先ずは、知ることです。国民全員が知見を持て、と言っているのではありません。10%の国民が、いや、せめて、5%の国民が「民主主義とは、国とは、国民とは」という場所に行き着くことができれば、国民投票にも意味があります。少なくとも、今の状態で国民投票をするのは、猫に小判です。
何度も書きますが、今の延長線上に未来があるわけではありません。でも、それでも、私達は、未来にも責任を負っているのです。もちろん、未来の変化に100%対応できる憲法を作るのは至難の業でしょうが、変化に一番対応できるのが「原則」だと思います。国民は、直感ではわかっているのです。
痛い目に遭わされても、じっと我慢するように、「お上」には逆らわないように、私達はずっと教育されてきたのです。私達は、あの東北の大震災を見ているのに、そのことに気付きません。数千万人もの犠牲など想像もできないでしょうが、その日はやって来ます。
確かに、いい人ばかりですし、波風は立てたくないと願っているのでしょうが、それで、地獄へ落ちていたのでは、本末転倒です。
以前に、「憲法を公募しましょう」という馬鹿げた提案をしたことがあります。公募で選ばれた憲法草案を、憲法として制定した国なんてありません。誰もやったことがないということが、やらない理由として正当化されるとは思いませんが、無茶な提案であることは、提案者の私でも理解できます。憲法学者の先生方は、大反対をするでしょう。入選賞金をいくらに設定したのか忘れましたが、一獲千金を目指して応募する人だっているはずです。多くの方が参加すれば、それだけ国民の知見が上がることになります。学習という観点からは、捨てたものでもないのではないかと思います。10作品を入選作とし、その10作品に対して国民が投票するものとすると、中には、その10作品に目を通す人だっているでしょう。そうなれば、その人達の知見も上がります。学習の効果は広がると思うのです。入選した10作品に、100億円支払ったとしても、これまで、費用をかけてこなかったのですから、この程度の費用は惜しむべきではありません。
そう考えると、今でも、私は公募方式の憲法草案に魅力を感じます。

「9条3項」案だけが問題なのではありません。
一事が万事です。
「戦争は出来るけど戦争をしない国」か「戦争が出来ないから戦争をしない国」のどちらが国民を守ることが出来るのでしょう。私には、軍事的抑止力を持った経済大国になったほうが、国民を守れると思うのです。
私達は、勘違いしていることが、沢山あるのではないでしょうか。
いや、勘違いが横行しているのかもしれません。
いやいや、私達の社会は、勘違いで成り立っているのかもしれません。
そのことに気付いていないことが幸せだと思う人もいるのかもしれません。
そうだとすると、石田は、おせっかいな、迷惑千万な奴だということになります。
申し訳ありません。


2018-02-01



横行する勘違い



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最高裁判決 [評論]



先月に続き、NHK受信料について書いてしまいましたが、興味のない方は、最後の提案だけでも読んでいただければ嬉しいです。

先月、NHK受信料に関する最高裁の判断が示されました。
NHKが勝訴したという人もいますし、NHKの敗訴だという人もいます。
つまり、NHK受信料問題は、今回の最高裁判決では何も解決していないのではないかと思います。
最高裁は、大騒ぎにならないように、注意して判決文を書いたのかもしれません。

「NHK受信料は、憲法で保障されている、契約の自由に違反している」という国民の主張に対して、最高裁は「違憲ではない」という判断をし、告訴されていた国民が敗訴しました。
例え、悪法であっても、法律が存在している以上、「契約しなければならない」という条文は、国民の義務を定めています。憲法違反を争点にしてしまったのですから、地裁でも高裁でも国民は敗訴しました。多分、告訴された国民の方と多くの未契約者の方の持っているNHK受信料に対する違和感は共通しているものと思いますが、法廷闘争という観点から見ると、憲法違反という争点は、論点選択のミスだったと思います。どんな方が弁護したのか知りませんが、国家と戦う人権派、あるいは左派系弁護士といわれる方が担当し、その弁護士の意向が反映しているのではないでしょうか。そこには、庶民の正直な気持ちが欠落しているようで、どこか落ち着きません。
私は、先月、NHK問題について書きましたが、漠然とした契約を論点にするのではなく、契約内容と契約の合意の自由という論点で争いたいと書きました。その点では、最高裁は判断を示していません。もちろん、判断を示していないだけで、私が戦っても負けるのかもしれませんが、勝つチャンスがゼロではないと思っています。
この裁判を最高裁に上告したのはNHKです。
NHKは、「NHKが定めた契約書を送り付けた時点で契約は成立する」という主張を認めさせようとして、上告したのです。この主張が認められれば、NHKは2,000億円の増収になるのですから、上告するだけの価値はあったのでしょう。
しかし、その主張は棄却されました。
最高裁は、どちらの主張も認めなかったのです。
判決文を見ると、「大騒ぎにならないように」「穏便に、事が収まるように」という配慮があるように見えます。別の言い方をすれば「逃げた」ともとれます。突っ込んだ判決を出せば、どちらかが大きなダメージを負うわけですから、「逃げる」しかなかったのかもしれません。
そもそも、司法にケツを持ってこられても困るという意識があったのかもしれません。
国が、NHKが対応していれば済んだことだからです。
国が、「契約をしなければならない」という文言を「視聴料を支払わねばならない」という文言に法改正をしていれば、問題は解消していました。或いは、NHKの放送が受信できない受信機を製造するように働きかけていれば、問題は解決していたかもしれません。買い替え需要もあり、経済効果も期待できました。
NHKが、放送をスクランブル化し、契約を結ばなければ視聴できない工夫をしていれば、受信料の問題は解決していました。電波を垂れ流して送り付け、「料金を支払え」という送り付け詐欺のような運営をしているNHKにも、司法としては困っていたのかもしれません。これでは、司法として詐欺事件を裁けなくなります。
国もNHKも、解決策がありながら何もしなかったのです。
もちろん、NHKは、現状維持が一番金になると考えていたから何もしなかったのでしょうが、それを裁判所に持ち込まれても、という不満が司法にあったのかもしれません。

この問題の本質は、時代検証から逃げている曖昧さと曖昧な言葉を放置しているこの国の文化にあると思います。
その前に、最高裁の判断を少し見ていきましょう。
先ず、当たり前のことを言っている部分です。
最高裁は、「受信料の支払い義務を、受信設備を設置することのみによって発生させたり、NHKの一方的な申し込みによって発生させるのではなく、受信契約の締結によってのみ発生させる」と判断しました。
契約すること自体は違憲ではありませんし、法で定められているのですから、強制力はあります。ただ、ここで、契約内容については何も触れていません。契約内容については、当事者間で決めることなので、裁判所の守備範囲ではないのです。
また、最高裁は、「契約はNHKとテレビ設置者との間の『合意』によって生じるのであるから、未契約者が同意しない場合は、NHKが当該未契約者を相手に訴訟を起こし、勝訴が確定した時点で契約が成立する」という判断をしました。
この裁判は民事裁判です。民法では、契約は双方が合意しなければ契約にはなりません。ですから、強制力が「合意」まで縛るものであれば、このような文章にはならないと思います。NHKと受信装置設置者が結ぶ契約は、電気やガスのように「契約締結の自由の制限」に類するとは考えていないようです。一般の契約であれば、契約内容について、当事者間の同意と合意は不可欠です。それでも、同意や合意が出来ない時は、「裁判所にいらっしゃい」と言っているのです。
少し脱線した部分を見てみます。
最高裁は、敗訴した受信機設置者に対しては、他の受信機設置者との間の「平等」という観点からという理由をつけて、受信機を設置した時点まで、どこまででも遡って請求できると判断しました。つまり、NHKの受信料の場合に限り、民法上の「時効」の概念を越えてしまったのです。ここは、勇み足だったのではないでしょうか。「平等」という言葉に引きずられ、民法上の時効の概念に例外を設けるやり方は、少し、整合性を欠くように感じました。

では、問題の核心である時代考証を考えてみます。
放送法は、1950年に制定されました。約70年前です。1950年という年は、戦後の混乱期の真っ只中です。放送法が出来た背景も、その当時であれば、納得できたものであったと思います。しかし、1950年の社会と2017年の社会は、全く別物です。それを同じ法律で取り締まろうとするところに問題があります。この70年間、あらゆる面で「先送り」が繰り返されていたのですから、放送法だけが悪いのではないという言い訳はできます。でも、流石に、ここまで社会が変わってしまうと、違和感があることは否定できません。
70年前の社会はどんな社会だったのか。
当時、テレビジョンというものは、最先端の技術でした。私が子供の頃は、まだ、無声映画というものが存在していた時代です。ところが、テレビジョンという機械では、画面の中で、人が動き、声が聞こえてくるのです。しかも、それを、庶民でも鑑賞することができる機械なのです。もっとも、機械そのものは大変高額なものでしたから、庶民が気軽に購入できるものではありませんでした。私は、祖父に連れられて、銀座か有楽町だったか忘れましたが、わざわざ、テレビジョンを見学に行った記憶があります。今では、テレビジョンという呼び方をする人もいませんが、当時は、時代の最先端を走る、華々しいまでのテレビジョンだったのです。ですから、テレビジョンを購入したり、テレビジョンを楽しむという娯楽は、ステータスだったのです。「山田さんの家でテレビジョンを買ったんだって」「わー、観てみたいなー」という会話があった時代です。もちろん、放送受信料はラジオの時代からありましたので、テレビジョンを購入するほどの家であれば、放送受信料を支払っていたと思います。もっとも、ラジオにしても、全国津々浦々の家庭にあったわけではありません。重大放送がある場合は、ラジオのある、例えば、庄屋さんの家にお邪魔することになります。ラジオを持っている、テレビジョンを持っているという家では、受信料はステータスを買う手数料みたいなものだったのかもしれません。また、当時の庶民には「契約」という概念は一般的なものではありませんでした。借用書も契約ですが、借用書くらいしか身近になかったのです。「お上」が法律を作り、「受信料を支払え」と言えば、庶民は「へへぇー」と言って支払うのが当たり前の時代でした。「契約しなければならない」なんて条文は、誰一人、知りませんでした。
では、今は、どんな時代でしょう。
テレビというメディアを見ただけでも、地上波放送、BS放送、CS放送があり、有料放送を計算に入れると、すみません、数えたことがありません。というくらい多くの放送が存在しています。携帯電話がスマホになり、パソコンも普通に存在する時代ですから、誰でもネットから情報が得られます。
では、平成時代の庶民の皆さんにお尋ねします。
災害放送、ニュース、天気予報に限定したとして、「NHKでなければ」「NHK放送がなければ、何もわからない」と思っていますか。
とんでもありません、よね。
別に、NHK放送がなくても、私達は何一つ困ることはありません。
もう、放送法も、NHKも役目を終えたのです。
時代考証もせず、役目を終えた法律を廃止することもなく、放送受信料という宙に浮いた制度を、公共だとか、公平だとか、平等という言葉を利用して維持している状態は、余りにも時代から乖離しすぎていると思います。
放送受信料は、もう、公共とか公平とか平等という言葉で語るべきものではありません。なぜなら、放送受信料はすでに利権という分類の中に入っているからです。
役にも立たないNHKになぜ金を支払わなければならないのか、というのが平成時代の庶民の実感です。それは、契約をしている人も、契約をしていない人も同じ感覚だと思います。

では、公共放送という曖昧な呼び名を考えてみます。
公共放送って何ですか。
本当に、公共放送というものが必要なのでしょうか。
もちろん、必要だと思っている人達はいますが、それは、国民ではありません。
税金や保険料を納めない人もいます。電気代やガス代や水道代を払えない人もいます。でも、そんな人達が900万人もいるという話は聞いたことがありません。NHK受信料だけに起きている現象です。ここに答えがあります。役にも立たないものに、なくても支障のないものに、なぜ、金を払う必要があるのかと考えている人が多いからです。支払っている人でも、納得して支払っている人はいないのではないでしょうか。
ここで、他の公共と呼ばれるものを見てみます。
道路、橋、港湾、飛行場、電気、ガス、水道。これらは「公共インフラ」です。飛行機、鉄道、バス、船舶。これらは「公共交通機関」です。どれをとっても、私達の生活には欠かせないものです。ですから、公共であっても、民間企業が運営している場合、一般のルールとは違い、契約締結の自由の制限が設けられています。これに異論を言う国民はいません。例えば、電気、ガス、水道の契約を結ばなければ、私達は生きていくことさえできません。ですから、通電や開栓を依頼した時点で契約は成立しているのです。
では、公共放送は、私達の生活に不可欠なものなのでしょうか。情報伝達のメディアは、全体としては公共情報伝達媒体です。放送もその一部ですが、それは、NHKだけのものではありません。私達は、NHK放送がなくても、生活することが出来ます。公共に資するという実態がなくても、公共と呼んでいいものなのでしょうか。
今回の最高裁判決の中の公共性に関する意見をみてみます。
「NHKの受信料は、NHKの公共的性格を特徴づけ、特定の個人、団体または国家機関などから財政面での支配や影響が及ばないようにしたもので、広く公平に負担を求めることによって放送を受信できる人たち全体によりNHKが支えられている」としています。
これは、戦前の権力による恣意的な情報操作に放送が利用されたことを反省して生まれた公共的性格だと言われています。その目的は、明らかに、権力である国家機関の影響を排除することにあります。では、現実はどうなっているのでしょう。
NHKの運営委員長を任命するのは総理大臣であり、NHKは総務省の管轄下にあり、予算や決算は国会の承認が必要です。これ、どれをとっても、相手にしているのは国家権力です。国民から選出された国会議員が、国民を代表して行っているという建前を利用した「騙しの構図」なのでしょうが、NHKが争点になった選挙など行われたことがありません。ここでも、政治家が勝手に国民の代表をしているという「いつもの構図」があります。建前というのは、どのようにでも利用できる優れものだと、いつも感心します。
総理大臣に任命され、総務省に指導され、国会承認が必要なのですから、NHKは政治家や官僚には向き合いますが、国民に向き合う必要はありません。出資者である国民と向き合うのではなく、権力としか向き合わないNHKが、「公共」という言葉を担保できているのでしょうか。受信料の値上げをした時に、放送受信契約者に了承を取ったのでしょうか。契約しているのは国民のはずです。多分、NHKが契約書と呼んでいる書類には、個々の契約者の了解なく値上げできると書いてあるのでしょう。税金でもないのに、国会議員が、国民の依頼もなく了承したに過ぎません。そもそも、この国では、当選してしまえば、国会議員は国民と向き合う必要がないのです。国民と向き合わない者同士がやっている出来レースでしかありません。いつものことですが、「なあ、なあ」「まあ、まあ」ですが、国民不在です。これで、国民に対する公平が担保されているとは、とても思えません。最高裁が言う公共的性格は、現実として、成立していないのです。
公共とは、国民の生活や利益に資するために存在しているものなのだと思います。
確かに、権力にとって、公共放送という存在は利益になります。いざという時、特に情報が重要なファクターになっている時代でもあるのですから、権力が自由に操作できる放送はなくてはならないでしょう。でも、それは、国民のためではなく、権力のための利益なのですから、公共という呼び名は不適切だと思います。では、NHKが国営放送になれば、公共放送になるのでしょうか。いいえ、NHKが国営放送になっても、国民の生活や利益に資するものとは言えません。現状のNHKでも、政府がその気になれば、いつでも政府の広報機関になれるのです。また、大本営発表をすることが出来るのです。
どう考えても、NHK=公共放送という式が成り立つとは思えません。
等式の項目に勘違いがあります。
NHK=利権団体という式が、成り立っているのが現状です。
NHKは、すでに利権を守ることが目的となった団体になっているのです。ですから、今でも、1,000人以上の国民を告訴しています。ただただ、利権のために国民を告訴してでも、自分の利益を守ろうとしている団体が、日本放送協会という団体です。それだけではありません。利権という「欲」の怪物は、現状維持だけではなく、増殖も図らなければなりません。携帯電話からも、パソコンからも受信料を徴収しようと必死に画策しています。役立たずになった放送を利用し、送り付け詐欺まがいの方法で、善良な国民から、毎年、数千億円の金を騙し取っているのが、NHKの実態なのです。おれおれ詐欺集団も真っ青になるような巨額の利益を得ている、日本最大の詐欺集団が、利権団体・日本放送協会なのです。
その巨額なあぶく銭があるから、NHKの職員は驚くような収入を手にしているのです。
私は、先月、NHK職員の平均年収は1,200万円だと書きましたが、1,800万円だという説もあります。これは平均年収ですから、部長クラスの人の年収は3,000万円だと言われています。いやいや、もっと多額の収入を得ている人もいるのでしょう。公表されていないそうですから、本当の数字はわかりませんが、いや、公表したくないと思っているでしょうが、庶民とはかけ離れた収入を得ているのがNHK職員です。一般の正社員の平均年収が、約400万円だと言われている時代に、驚きの金額です。これ、全部、詐欺で手に入れた金が元手です。平均年収が200万円の非正規社員や私のような年間100万円の年金生活者から見れば、NHK職員の皆さんは雲上人です。400万円の正規社員が、200万円の非正規社員が、100万円の年金生活者が、なぜ、1,800万円のNHK職員を支えなければならないのか。不思議だと思いませんか。これが、公共なのですか。公平なのですか。平等なのですか。
最高裁に棄却されましたが、「NHKが定めた契約書を送り付けた時点で契約は成立する」という主張が通れば、利権の拡大が実現し、彼等は、さらに、2,000億円のあぶく銭を手にすることが出来たのです。その上、携帯電話からも、パソコンからも受信料が取れれば、薔薇色の未来が待っています。あぶく銭の金額は、軽く1兆円を超えるでしょう。そうなれば、平均年収も3,000万円にすることが可能になります。
どう考えても、変です。
NHKと契約している人には、いろいろな方がいると思いますが、皆さんはこの理不尽を何とも思っていないのでしょうか。もちろん、中には1,800万円以上の収入を得ている人もいるでしょう。でも、そんな人は数える程しかいないと思います。普通の庶民の皆さんは、なぜ、平然としていられるのか、不思議としか思えないのです。
900万人と言われている未契約者の皆さん。NHKの勝訴だと言われている風潮に負けないでください。決して、NHKが勝訴したとは言えないのです。
私が告訴されたら、喜んで戦います。この文章を読んでおられる方の中に未契約者がいるとは思えませんが、もしも、そんな方がいて、告訴された場合は、是非、弁護団の一員に加えてください。弁護士資格も、専門知識もありませんが、一緒に戦わせてください。この法廷闘争には、従来にはない視点での戦略が必要になるのではないかと思っています。まだ、具体的な戦略は持っていませんが、戦略作りを手伝わせていただければ、とても嬉しいです。ただし、私の動機は不純なものです。NHKに勝つことが目的ではありません。裁判を通して、この国が危険な状態であることを、少しでも多くの国民の皆さんに知ってもらうことが目的です。無理強いは出来ませんが、そんな機会があればと願っています。


蛇足になるかもしれませんが、無茶な提案をしておきたいと思います。
放送受信料を半額にし、NHKを廃止、もしくは民営化をし、放送受信料を社会保障税という名前に変えましょう、という提案です。司法ではできないことですが、国として取り組むのであれば、やる気になれば、できないことではありません。
放送法は、NHKは、役目を終えました。今、この国に必要なのは、NHKではなく社会保障です。3,000億円の財源では、社会保障費の不足を補うことは難しいでしょうが、もう、既に役目を終えた仕組みはNHKだけではないと思いますので、これを契機にして歳出の削減や税収増に結びつけ、社会保障の補助をするべき時なのだと思います。
NHKに視聴料を支払っていた人達は、支払いが半分になります。支払っていなかった人達は、残念ですが、NHKと強制的に契約を結ばされたと思ってください。司法も、NHKの裁判がなくなれば、時間的に、少しは助かるでしょう。
利権があるだけで、超裕福な生活を保証する必要はありません。それよりも、今は、生活に困っている人達をどう助けるのか、という時代なのです。
もっとも、こんな無茶な提案が採用されることはありません。民営化に一番反対をするのがテレビ業界だと思います。スポンサー獲得が今よりも難しくなります。テレビ業界は、新聞業界の支店みたいなものですから、新聞も反対するでしょう。利権を失う人達もいて、蔭に回って反対を推し進めます。メディアを敵に回しては、選挙で不利になりますので、政権側も踏み切れません。でも、こういう視点の政策が実行される国になれば、無茶をすれば、まだまだ、この国は変わることができるのです。昨日も書きましたが、この先、膨大な社会保障費用が必要な国になります。体質を変えることで、振り落とされる国民の数も減るかもしれません。
このままだと、私達の国は、数千万人の人達が生活保護を必要とする国になるのです。でも、誰一人、その事には触れません。いや皮肉なことに、NHKはそのことを暗示するような番組を作っていますが、その悲惨な未来には触れることがありません。先ず、NHKが自ら民営化案を提示し、受信料を社会保障費に組み替える提案をすべきです。
このままでは、「あちゃー」しかないのです。
その事態に対応できる青写真を持っている方はいません。
今こそ、舵を切る時だと思います。


2018-01-02



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仙人 [評論]



2018年が始まりました。
慣習としては「おめでとうございます」と言うべきなのでしょうが、私は、その言葉に抵抗を感じてしまいます。多分、私だけではないと思います。
2017年もいろいろありましたが、2018年は、もっといろいろなことが私達を追いつめていくものと思います。2018年は、世界景気の最後の上昇期で、試練は2019年にやってくるという人もいますが、希望通りに事が進むとは限りません。経済が上向きの時は、あらゆる不都合が見えなくなります。経済が悪化すると、その不都合が次から次へと表面化します。この現象は日本独特のものではありませんので、世界の不都合が表面化するのは、これからです。
日本崩壊まで、あと8年となりましたが、年毎にその崩壊速度は加速していきます。一日単位で見ていると、その速度の差は見えませんので、崩壊の年には突発的な速度に見えるかもしれませんが、それは勘違いです。後世の歴史家が見れば、日本崩壊の歴史は、崩壊から50年前に始まっていたと記すことになると思います。
自然災害による崩壊であっても、そのプロセスは存在しています。私達の目には見えませんが、マグマの蓄積のような歴史があるものと思います。体制の崩壊だって、ある日、突然、発生するのではありません。同じように、不純物の蓄積のような歴史があるのです。火山の噴火は自然現象ですが、体制の崩壊も自然現象の一つだと思うべきです。その差は人間が感知できるかどうかの違いだと思います。ですから、人災である体制の崩壊の場合、人間はそれを感知しなければならないのだと思います。人間は、軌道修正するという力を持っているのですから、その力を発揮しなければなりません。
いつの時代でも、どこの国でも、崩壊の速度が速まれば、その体制から振り落とされる人達が生まれるものです。これも、崩壊現象です。私達は、その事象を自分の目で見ているのですが、それが崩壊の過程の事象だとは思っていないだけなのではないでしょうか。それは、振り返って見た時にしか見えないのかもしれません。でも、今、私達の国は壊れつつあり、間違いなく、「あちゃー」という日がやって来ると思っていれば、見えるかもしれません。
崩壊は、私達の驕りと無関心と曖昧文化から生まれています。「今さえよければ」「自分さえよければ」「俺には関係ねぇ」「なあ、なあ」「まあ、まあ」と書いてきたように、それは私達の身近にあります。そんな今を修正するためには、曖昧文化との決別が必要だと書いてきました。そのために必要となるのが「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義です。軌道修正をする道はあるのです。もちろん、軌道修正をしても、時間切れで崩壊するかもしれませんが、その努力は崩壊後に生き残った人達が再生する時に力になるものと思います。
実際の崩壊現象として出てくるのは、驕りや無関心や曖昧文化とは無関係なものに見えると思いますが、根っ子にあるのは驕りと無関心と曖昧文化です。
65歳以上の老人が全人口に占める割合を比較してみます。1950年には約5%でしたが、2016年は約27%です。5倍強です。今後も増加します。現在の65歳以上の老人は恵まれている世代だと言われていますが、それでも、生活ができなくなり、生活保護に頼る人が増えています。しかし、崩壊現象が、目に見えて増えてくるのはこれからです。どれほどの人が貧困に苦しむことになるのか、考えただけでも寒気が走ります。国のリーダーである総理大臣は「少子高齢化は、国難である」と言いますが、彼等は、この事態に対応してきたのでしょうか。予測すらできなかったのでしょうか。いいえ、違います。国難にならないようにすることが、彼等の仕事だったはずなのに、自分達が対応してこなかったことを棚に上げて、平然と「国難である」と言えるのは、どうしてなのでしょう。答えは、簡単です。国家運営者の役割も、国民の役割も漠然としたものしかなかったからです。そこにあるのは、「今さえよければ」「自分さえよければ」「俺には関係ねぇ」「なあ、なあ」「まあ、まあ」だったのです。
ここで、現実にある崩壊現象を、少しだけ、見てみましょう。
今、アラフォークライシスという言葉が生まれています。私は、NHKの放送を視聴しませんので、他の方の記事で知ったのですが、35歳~45歳の世代だけ、給料が減少しているという現実があるそうです。今のアラフォー世代が貧困であるということは、彼等が50歳になっても60歳になっても70歳になっても貧困が続くという意味です。これは、下流老人の予備軍が大量に存在しているということでもあります。もっとも、35歳以下の世代の人達の給料だって、プラスには違いありませんが、マイナスではないという程度のものです。50歳以下の人達が、老後資金を貯金できるのでしょうか。いいえ、90%の皆さんが老後資金を用意できないと思います。しかも、3,000万人~4,000万人が老人になるのです。これだけ多くなると、下流老人問題は国家運営を大きく左右する問題になります。それが、実際の数字として、崩壊のシグナルとして、すでに出てきているのです。
更に、7040問題とネーミングされているものもあります。いわゆる、親の年金で生活している人達の問題です。いずれ、70歳の親は死にます。今40歳の子供は収入を断たれます。生活保護に頼るしか方法はありませんが、そんなこともせずに孤独死をする人が増えるのではないでしょうか。もちろん、生活保護での生活は、悠々自適の生活ではありません。その上、生活保護費そのものも、削減が進んでいます。生活保護受給者が増えていくのですから、ますます、削減されることになります。
近い将来、生活保護費だけで30兆円の財源を必要とする時代がきます。医療や介護を計算に入れれば、それ以上の財源が必要です。そんな財源は、この国にはありません。「無い袖は振れない」という現実が何を意味するのか。貧困に苦しみ、路頭に迷う人達が、今後、増えてくるのです。餓死者も当たり前の社会になります。この近未来の崩壊だけではなく、今でも、生活保護で生活している人は増えています。政府は好景気だと言いますが、なぜ、こんなに壊れていく人たちが多いのでしょう。
NHKスペシャル取材班が出した「母親に死んでほしい」という本を紹介する記事を読みました。それによると、2週間に1件、介護殺人は起きているそうです。こんな時代が来ると書いたのは、随分昔だったような気がします。私は、昨年、妻を亡くし、介護殺人からは放免されましたが、殺す側の気持ちは痛いほどわかります。誰も、自分の家族を殺したいと思って殺しているのではありません。こんな時代になることを誰も予想しなかったのは、どうしてなのでしょう。今、考えれば、これは必然だと思いますが、知らぬ間に「あちゃー」状態になってしまいました。しかし、相変わらず、国民は「俺には関係ねぇ」と思っています。「交通事故死に比べれば、大したことじゃない」と言う能天気な方も必ずいます。でも、そうじゃありません。これは、日本崩壊のシグナルなのです。国民、一人一人、例外なく、地獄に叩き落される日がやってくるのです。「あちゃー」になってしまってからでは、手の打ちようもありません。事前に回避する行動を起こすしか方法はないのです。
国は、国民の「自己責任」に誘導したいと思っているようですが、これは、どうみても、国家運営の失敗だと思います。いつものように、国は知らん顔です。これらは、目の前に、現実に、存在する崩壊現象です。本当に、この国は、国民のためにあるのでしょうか。「国とは何か、国民とは何か」を問うべきなのではありませんか。国が、その責務を果たしているようにはみえません。

そんな現実の中、直接、崩壊の引き金を引くのは、財政破綻という現象だと思います。
いや、財政破綻を回避するために導入されるインフレ税が崩壊の引き金を引くのですが、本質的な原因は財政破綻によるものだという意味です。財政問題の中には、先ほど挙げた「今さえよければ」「自分さえよければ」「俺には関係ねぇ」「なあ、なあ」「まあ、まあ」の全てが含まれています。
今、世界は金融正常化へと向かおうとしています。
金融緩和政策は、どこの国でも同じようなことをやっています。国債を大量購入しているのは日本だけではありません。市場に大きな資金を流そうとすれば、ボリュームの大きい国債を道具に使うことは自然なことです。ただ、私達は、金融緩和というカンフル剤を注射しなければならない状態が正常な経済状態ではないことを忘れています。また、世界の金融緩和政策と日本の金融緩和政策は、その発想の原点が違います。日本の場合は、世界的なカンフル剤注射という流れを利用して、国債ファイナンスを既成事実にすることが目的です。
金融市場では、日銀の出口戦略に対する言及が増えてきました。これは、世界潮流ですから市場の反応は間違っていません。
日銀には、何もできないのか。
日銀も金融正常化に踏み切るというアナウンスはできます。既に、日銀の国債購入額は40兆円程度になっています。お気付きの方もいると思いますが、この金額は新発国債の金額です。80兆円という国債購入の限度額を下げることは可能なのです。それ以上は減額できませんが、正常化に舵を切ったことをアナウンスすることであれば、今でも、出来ます。もちろん、その時、長期金利の急騰があれば、頓挫する可能性もあります。ただ、ETF購入の減額や停止や手持ちの株式の放出をすれば、明からに株式市場は大暴落になりますから、当面は、出来ません。
最終的に、日銀が新発国債を購入することができれば、日本の金融緩和政策の目的は達成できるのです。回りくどいやり方でしたが、この国に必要なのは、中央銀行による国債ファイナンスです。日銀がファイナンスしなければ、国の予算が執行できないのですから仕方ありません。でも、これ、変ですよね。私には、末期症状に見えます。
もしも、日銀が金融正常化への舵を切れば、何が起きるのか。いや、世界が金融正常化へ向かえば何が起きるのか。そうです。金利との戦いが始まるのです。皮肉なことに、いくら金融緩和をしても上昇しなかった消費者物価も、金利上昇が始まれば、物価も上昇します。結果的に、デフレ脱却が出来て、万々歳なのでしょうか。違います。インフレに突入するのです。もちろん、今日明日に激変が起きると言っているのではありません。どのくらいの時間がかかるのかは不明ですが、方向性の話をしています。
では、この先、何が起きるのか。
どんなことでも、辻褄は合うようになっているのです。
特に経済では、ごく、自然なことです。どんな経済活動でも、その基本は、需要と供給、収入と支出です。辻褄を合わせようとする力が働く場合、収入を増やすか、支出を減らすかのどちらかの方法しかありません。国家財政の場合、支出は減らないという現実があります。だとすると、収入を増やすしかありません。収入を増やす方法は、国の場合だと、GDPを増やすことで税収を増やす方法があります。しかし、人口減少と経済構造の老朽化を迎えているこの国にとっては、至難の業です。今は、世界景気が上昇期にあり、円安が企業収益にプラスに働き、GDPは若干ですが増加しています。これは、一時的な現象にすぎません。
もしも、GDP増加による自然増収が続かないとすると、残された方法は増税しかありません。今でも、多岐にわたる増税が検討され、少しずつ実行されていますが、とても税収不足をカバーすることはできません。マイナンバーの紐付け作業は着々と進んでいて、近い将来、資産税の導入が始まりますが、資産税でも税収不足は補えません。でも、それでも、辻褄を合わさなくてはならないとすると、最終兵器の出番がやってきます。それが、インフレ税です。先程も書きましたが、インフレ税の舞台は整いつつあります。
ただ、この国は、あまりにも借金が多すぎて、ハイパーインフレで辻褄を合わせるしかないとすると、そのインフレ税は国民が耐えられる限度を越えたものになります。
ハイパーインフレに警鐘を鳴らす人が増えているのは、自然なことです。他に方法はないのですから、インフレ税は必然だと思わねばなりません。ただ、インフレ税とハイパーインフレによるインフレ税は、全くの別物です。
それなのに、未だに、ハイパーインフレになった時の国民生活はどうなるのかについての言及はありません。どうして、誰も、このことに言及しないのでしょう。国は、国民のために存在しているのであれば、国民生活が最優先であるはずです。まるで、国民生活など取るに足らないことだと言っているようなものです。インフレ税やハイパーインフレという言葉は使われる機会が増えてきましたが、国民は他人事だと感じています。それは、インフレ税やハイパーインフレと国民生活の関係を誰も語らないからです。ですから、国民は「俺には関係ねぇ」と思い込んでいます。でも、現実を見てください。「インフレに苦しむ国民」というニュースは、いろいろな国が発信します。インフレになって苦しむのは、いつでも、どこの国でも国民なのです。もちろん、ハイパーインフレの被害者も国民であり、全責任は、国民が取るのです。その時が来たら、国民は「あちゃー」と言うしか道はありません。もちろん、「あちゃー」で終わりではありません。「あちゃー」の先には地獄が待っているのです。もう、貧しさやひもじさを体験した人は少なくなったと思います。いや、憶えている人はいないのかもしれません。でも、その貧しさやひもじさに耐えることが、今の私達に出来るとは思えないのです。この物理的な貧しさやひもじさは、心を壊します。それは、修羅の道を歩まねばならないということです。多くの人の心が壊れるのですから、修羅こそが日常になるのです。修羅の世界とは強いものだけが生き残る世界です。そんな国になってもいいと思っている人はいないでしょう。でも、皆さんが、そのことに気付かなければ、そんな時がやってくるのです。
私は、根っからの悲観論者ですから、悪しき未来しか予測できません。私の予測を読んでいると、いいかげんウンザリすると思います。ただ、残念なことですが、私の予測はよく当たるのです。確かに、一分の狂いもなく当たるわけではありませんし、時間的なズレも生じますが、予測はおおむね現実になります。でも、それを皆さんに伝える力が私にはありません。私は、自分の非力が悲しいです。

一般論ですが、世の中に奇手・奇策・妙案・隠し玉・一発逆転の手法は、ほぼ存在しないものと思っています。現在の進行方向を変えようとすると、年単位、10年単位の時間が必要です。特に、国の方向性を変えるためには多くの時間が必要になります。短時間で国の方向性を変える必要に迫られた時に「革命」という手法が採用されるのは、この時間軸の制約があるからです。方向性を変えるということは、簡単なことではありません。
時間的な制約だけではなく、もう一つ、人間が人間であるためには、「欲」を排除できないという絶対命題が存在していることが大きな制約になっています。「欲」を失った人間は地球上から消滅します。言い換えれば、人間は「欲」で出来ているのです。ですから、「自浄能力」などという言葉は、弁解のために存在しているのであり、人間が自ら「欲」を捨てることを願うことは現実的ではありません。方向性を変えるということは、この「欲」と戦い、ねじ伏せるという荒業が必要なのです。
もしも、全人類が霞を食べて生存可能な仙人になれるのであれば、「欲」と縁を切ることは可能かもしれませんが、空想と現実は同一のものではありません。もっとも、全人類が仙人になったとしても、全ての仙人が解脱する必要があり、エネルギー源が霞になっただけでは「欲」との縁は切れません。つまり、私達人間は生きている限り「欲」とは縁が切れないのです。これ、当たり前のことです。
現在の体制で、それがどんな体制であろうとも、誰一人利益を享受している人が存在しないという体制は存在しません。誰かが、利益を得ているのです。その利益を得ている人達が、自分の利益を差し出すなんてことは、起きないのです。なぜなら、利益を得ているのが人間だからです。ただ、私達人類は、他の動物にはない「理性」という知恵を持っています。原点に戻り、視野を広げれば、新しい道が開けます。私達は、生存を続けなければならないのです。
私達が生存を続けていくためには、子供や孫に生活を引き継ぐためには、軌道修正をするしかありません。確かに、これは「欲」という自然の摂理に反することかもしれません。でも、他に方法がなければ、やるしかないのです。国民は、今の国民だけが国民ではありません。将来の国民も国民なのです。それを実現するために国家というシステムが存在している、と思っています。軌道修正のための、奇手・奇策・妙案・隠し玉・一発逆転の手法が存在しないのであれば、私達が市民革命の出来ない民族なのであれば、地道に変えていくしかないのです。私達国民はこの国が国になった時から、一度も市民革命を起こしていません。今でも曖昧文化の中にいる私達に、革命という考え方は生まれません。中には、明治維新が革命だと思っている方がいるかもしれませんが、あれは、単なる政権交代です。世界潮流に押されて近代化は進みましたが、本質的には封建制度から抜け出せていません。それは、今も同じです。封建制度下の国であれば、犠牲になるのは「下々」である私達なのです。だったら、地道に変えていくしかなかったのです。地道に変えるためには、時間が、多くの時間と努力が、必要です。
しかし、もう、その時間がありません。
だったら、運よく生き残る人達に、何かのメッセージを残すことが私達の仕事なのではないでしょうか。曖昧なまま崩壊し、曖昧なまま再建しても、曖昧な国家が生まれるだけです。民は、いつまでも「下々」の状態のままです。

私達の国は、今、内憂外患の真っ只中にあります。
中でも、一番大きな内憂が経済の老朽化であり、外患では、紛争の増大です。
それが対岸の火事に見えるものでも、影響はあるのです。
今年も、多くのことが起きると思います。私達にとって良き事が起きてくれればいいのですが、落ち目の時には悪しき事が起きることのほうが一般的です。不幸の神は群れたがるのですから、仕方ありません。
今年も、細々と経過観察を続けていこうと思っています。


2018-01-01



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混沌 [評論]



世界は混沌の時代に入ると書いて10年ほど経過しました。
10年前と現在を比べてみれば、世界の混沌は、日々、深化していっているようにみえます。
日本でも、安定政権と言われながら、景気が良いと言われながら、なぜか、混沌の中にあります。庶民は不安で仕方がありません。確かに、庶民の不安には、明確な根拠はなく、ただの直感にすぎませんが、この直感は取るに足らないことなのでしょうか。
混沌は、収斂の過程にすぎません。
この混沌は、どこへ収斂していくのでしょう。
私達の不安は、どこへ行くのでしょう。
少なくとも、平和や繁栄の前触れのようにはみえません。
もちろん、こんなことを個人が心配したところで、意味はありません。
でも、遠い異国の出来事が私達の生活に影響してきた時は、私達は自分を守らねばなりません。自分を、というよりは、子供達を守らねばなりません。「俺には関係ねぇ」と言ってみても、役には立ちません。ですから、せめて、その覚悟は持っておく必要があると思います。そして、その覚悟は、できるだけ早いほうが良いと思います。「ある日、突然」では覚悟よりも「うろたえ」が優先してしまいます。その「突然」は、もしかすると、「明日」なのかもしれないのです。

地球上のどこかに安定した地域が存在しているのでしょうか。
私には、思い当たる地域がありません。
冷戦後、いや、第二次大戦後、最も不安定な世界になっているように見えます。
もちろん、私は専門家ではありませんので、情報量も少なく、知見もありませんが、一般常識程度ですが、世界を簡単に見てみましょう。
アフリカはどうでしょう。
貧困と搾取に支配され、多くの難民が生み出されている地域です。
欧州各国からの独立は完成したように見えますが、搾取という歴史は続いていて、まだまだ欧州支配の残滓から逃れたようにはみえません。人類発祥の地といわれていますが、古い時代から苦難が続いています。アジアの時代の次はアフリカの時代と言われていますが、本当に、アフリカの時代は来るのでしょうか。欧州各国に搾取されていたアフリカが、中国に搾取されるアフリカになることはないのでしょうか。
南アメリカ圏はどうでしょう。
ブラジルの行き詰まりは深刻です。ベネズエラは、食料不足が懸念されています。その他の国も、地下経済に支配されています。立ち直るためには、世界との競争に勝たねばなりません。時を失ってしまったように見えてなりません。経済の行き詰まりは紛争に繋がる危険があります。
中近東はどうでしょう。
シリア内戦により、シリアはボロボロの状態になり、ISILの支配は終わりつつありますが、テロの温床であることは変わっていません。イランは、シリア内戦を好機ととらえ、サウジアラビアの周辺国であるイラク、シリア、レバノン、イエメンへの影響力を広げ、サウジアラビアはイランに対する危機感から、イランとの戦闘になる可能性もあります。アメリカやロシアから、大量の武器を買っています。イスラエルのニュースは少ないですが、イランが核兵器を完成させた時は、イランを、その核施設を、攻撃するでしょう。複雑な事情を抱えている中東全域が戦争状態になっても不思議ではありません。
ヨーロッパはどうでしょう。
イギリスのEU離脱。スペインの一地方の独立騒動。独立運動はイタリアでもあります。ギリシャという金食い虫も健在です。ギリシャは洪水被害の費用が捻出できずに、EUに泣きついています。EUの盟主であるドイツでも、メルケル首相に暗雲がかかっています。欧州全域で、難民受け入れ反対を主張する右派が勢力を大きくしています。ロシアも虎視眈々と狙っています。
アメリカはどうでしょう。
トランプの出現で、中長期的に、アメリカの地位は没落しようとしています。11月の中国訪問では、中国に自信を持たせてしまいました。「トランプは臆病な犬にすぎない。あの男は、吠えているだけで、何もできないだろう」と思ってしまったとしても納得できます。理念を捨て、目先の金に目を眩ませたトランプ外交は、禍根を残します。国内でも、分断は続いています。これほど問題山積みのアメリカを見るのは初めてかもしれません。
アジアはどうでしょう。
一番大きな危険を孕んでいるのはアジアだと言われています。
北朝鮮の問題だけではなく、最大の懸念は中国です。周辺国は戦々恐々としています。恐怖が支配する地域になるかもしれません。数年以内に、台湾への武力侵攻作戦が実行されるという説もあります。台湾進攻をしても、トランプの北朝鮮対応を見るかぎり、アメリカの反撃はないという感触も得ました。トランプは吠えるでしょうが、無視すればいいだけです。台湾を占領すれば、念願であった太平洋への道は開けます。中国は、既に、世界制覇を目的としていることを隠さなくなりました。勝手に設定したものではありますが、第一列島線は既得権であり、今は、第二列島線が目標になっています。中国が太平洋を半分支配したいと考えているのは、仮に、それが100年後であったとしても、アメリカ本土に侵攻する道を確保しなければならないからです。今、米中戦争が起きても、中国は負けないと言われています。10年後の米中戦争では、中国のほうが優勢になると推定されています。現在の延長線がこのまま続くとすると、30年後には、アメリカは降伏するかもしれません。中国の第二列島線はアメリカ侵略の大きな布石です。一帯一路で欧州への、第二列島線でアメリカ大陸への道を作るのは、それが、世界制覇に欠かせないからです。このことは、多くの方が指摘していますが、トランプは知らんぷりをしています。今のアメリカはこれまでのアメリカとは別のアメリカだと認識する必要があるのです。欧米諸国の認識は、中国の世界戦略は夢の範疇だと考えているようです。私も、実現の可能性は大きくないとは思いますが、ゼロではありません。中国は夢に向かって邁進するでしょう。
武力と経済力を背景にして、中国が得意とする二国間交渉を行えば、小国はひれ伏すしかありません。ただ、中国は内部に多くの危険な問題を抱えていますので、内部破壊が起きる可能性があります。その時は、外部に対する強圧的な行動で民の意識を変えようとします。これも危険です。どちらに転んでも、世界で一番危険なのは中国です。これも、世界常識となっています。私達の国は、その周辺国の一つですから、影響は大きいと思います。

どこで紛争が起きても不思議ではない状況は、深化することはあっても、解消される希望は持てません。なぜなら、世界は「自分さえよければ」で動いているからです。
グローバル時代だと言われ、昔よりは異国の異変がニュースになることは格段と増えましたが、それでも、全ての異変がニュースとして伝えられているわけではありません。例えば、衆議院選挙で自民党が大勝したことを知っている外国人は、限られた地域の、限られた人達だけだと思います。いや、日本の衆議院や自民党のことを知っている人達は、それほど多くはありません。同じように、私達も他国の事情には詳しくありません。しかし、地球上の、どこかの異変が、世界的な異変になることは歴史が証明しています。「俺には関係ねぇ」では済まないのです。
国際関係は「自分さえよければ」のせめぎあいだと書いてきましたが、これは阻止できません。それは、歴史を見れば歴然としています。他国の「自分さえよければ」に巻き込まれれば、私達の生活は破壊されます。結局、自分を律するしか方法はないのだと思います。他国の「自分さえよければ」に巻き込まれないためには、私達が強くならなくてはなりません。何よりも、経済的に強くなることです。最強の経済は、最強の安全保障でもあるのです。ところが、私達の国は、自分で自分の国を守れない私達は、その経済という安全保障をも失いつつあります。あるのは、自民党が、官僚が、得意とする空虚なスローガンだけです。耳障りの良い美辞麗句の使い方は芸術技です。スローガンにも賞味期限があるようで、次から次へと新しいスローガンが発表されます。ただのスローガンですから、その中身を実現させる必要はありません。言葉さえかけておけば、日本国民は、大人しくしていてくれます。今度の新しいスローガンは、「人づくり」と「生産性」という言葉に「革命」という言葉さえ使ってみせました。これは、言葉を愚弄する行為です。過去を温存し、その過去の上に屋上屋を築くことが「革命」ではありません。過去を全否定するから「革命」なのです。「改革」という薬では効き目が薄くなってきたから「革命」という言葉を利用したのでしょうが、定義もなく安易に言葉だけを利用してしまう風潮を作ることは、「何でもあり」の世界を作ってしまいます。私達は、スローガンを掲げることで何かが変わるという夢を、夢だけを、皆で、みているのです。これは、マスターベーションと呼ばれる行為です。

私事で申し訳ありませんが、私はタバコ中毒です。禁煙外来にも行きました。一念発起もしました。でも、どうしても禁煙ができません。実に情けない「ヘタレ」なのです。タバコ一箱が、1,000円になるという話もありますが、多分、それでも、禁煙は出来ないと確信しています。食べるものを削っても、タバコを買うと思います。栄養不足で死ぬことになっても、タバコだけは買うでしょう。それが、中毒患者のあるべき姿だからです。なぜ、こんな馬鹿なことができるのか。それは、私が死んでも、誰にも迷惑をかけることはない、と勝手に思っているからです。子供は自立しており、私の死で、子供や孫に迷惑をかけることはないからです。ま、それでも、迷惑には違いないのですが、いつかは死ぬのですから、大目に見てくれと頼んであります。
そんな意志薄弱な「ヘタレ」な私でも、麻薬には手を出していません。ただ、麻薬患者の気持ちは理解できます。タバコ中毒の場合は、最低限のニコチンを供給しておけば中毒を維持することができますが、麻薬の場合は、使用量が増え続けるという弱点があります。タバコでも麻薬でも体に悪いことに変わりはありませんが、資金が続くのであれば、常用は可能です。私達人間は、「今」しか見ません。タバコや麻薬を常用している状態は、もう当たり前のこととして容認してしまいます。実に、不思議です。
私のタバコ中毒と国家財政を同列で論ずることはできませんが、私達の国も、中毒患者と同じ症状を示しています。借金なんて当たり前。利権なんて当たり前。「今、何とかなっているのに、何が問題なのだ」と開き直るところも中毒患者の症状です。スローガンだけを掲げて、何かをやった気分に浸って、納得している国、それが日本です。禁煙が出来ない私が言うのは僭越ですが、これは、間違っています。私が死んでも、影響は限定されていますが、国が死ねば、全ての国民に影響が出ます。その認識を、国家運営者の皆さんは持っているのでしょうか。国会議事堂という立派な劇場で、国民が選んだとされる議員が、茶番劇を演じている時ではないと思うのです。私達は、国会議員という名の三文役者を選ぶために投票所へ足を運んだのでしょうか。違いますよね。国会議員も国民も、勘違いしています。いや、この状況が当たり前だと思っているのです。これも、中毒症状です。それは、選挙システムの間違いから生まれています。選挙制度が民主主義の根幹だと、誰もが言います。でも、形さえ整えれば、民主主義なのですか。「地盤・看板・鞄」という選挙方式が幅を利かせる時代なのでしょうか。確かに、儀式好きの日本人は、形さえあれば納得してしまうことがあります。「お上」から与えられた民主主義が民主主義だと信じ込んでいます。いい人達ばかりですから、波風は立てたくありませんから、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で流すことを好みます。しかし、ほんとに、これで、いいのでしょうか。皆さんは、どうして、制度の中身に言及しないのですか。なぜ、現行の制度の上に胡坐をかいている国会議員が、茶番をやっていても、許されているのですか。それは、国民が黙認しているからです。私は、そのことを、選挙制度そのものに問題があることを、国民が黙認するという選択肢しか持っていないことが問題であることを、指摘している人を知りません。国会議員になれば、もう、やりたい放題なのです。「政治家の政治家による政治家のための選挙制度」ではなく「国民の国民による国民のための選挙制度」が必要なのだと思います。利権集団と付和雷同集団に支えられている政府が出した法案は、政府案通りで可決されます。これが、国民のための国家運営だとは思えません。検察が起訴した裁判では、必ず、検察が勝つことになっていることと共通します。これが、日本流と言われている決定方式です。このやり方は、独裁国家のやり方と似ています。とても民主主義には見えません。選挙という儀式を通過しさえすれば、独裁が可能なのです。これは、儀式になっている選挙制度に不備があるということなのではありませんか。何も、自民党だけが悪いのではありません。立憲民主党は、立憲主義だ、民主主義だ、と主張しているのに、民主主義の定義もしていませんし、選挙制度にも言及していません。やっているのは、森友・加計です。本来は、「国民の国民による国民のための国家運営」をすることが、民主国家の政治家の仕事です。しかし、与党の政治家も、野党の政治家も、国民のためではなく、自分の利益のために仕事をしているのです。そんな彼等にとって、民主主義の定義も、選挙制度の中身も価値のあるものには見えていないのです。
確かに、人間は、変化を嫌います。ましてや、気付いていないことを変えるという発想は生まれてくることはありません。先ず、気付くことが必要なのです。ただ、日常に流されていると、気付くこともできません。そこで必要となるのが「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義です。定義があれば、「何か変だな」が「これが、変なんだ」と気付く機会を提供してくれます。もっとも、定義が必要だということにも気付かないのですから、手の施しようがないと言ってもいいのかもしれません。でも、それでも何とかなる時代であればいいのですが、世界は変わりつつあります。私達の国は世界の変化に対応しているのでしょうか。残念ですが、置き去りにされているとしか思えないのです。私達の「なあ、なあ」「まあ、まあ」は高い代償を払うことになります。最終的には、国民が責任を取ることになるのですが、そのことに気付いている方もいません。気付いていないことばかりです。これは恐ろしいことです。もっとも、気付いていないからこそ、平然としていることが出来る。これって、宝の持ち腐れの見本なのではありませんか。これも、愚か者の姿です。私は、国民の皆さんが無知無能だと言っているのではありません。皆さんが知識を持っていることは知っています。皆さんは、私よりも、はるかに豊富な知識を持っています。でも、その知識は、埋もれていませんか。結果的に、心ならずも、宝の持ち腐れの見本になってしまう。そんな危険はありませんか。きっと、そのことにも気付いていないのでしょう。自業自得と言ってしまえば、その通りなのですが、その結果は辛すぎる結果になります。
「一寸の虫にも五分の魂」という言葉もあります。何とか抵抗すべきなのではありませんか。私の主張が全て正しい、などと言うつもりはありません。世にいう常識という点からみれば、常識外れ、現実離れ、滅茶苦茶なことを書くことが多いことは確かです。でも、常識はいつでも変化します。現実問題として、不可能だと思っていれば、手も足も出ません。多くの方が、何とかしなければならないと感じているのであれば、直感がそう教えてくれているのであれば、やってみるべきなのだと思います。そのためには、先ず、気付くことです。どうか、皆さんの知識を総動員して、今の危険な現状に気付いて欲しいと願うばかりです。確かに、「今」はいいでしょう。「自分」は何とかなるでしょう。でも、「明日」は、「子供達」は、「孫達」は、大丈夫なのでしょうか。もしも、「国とは」という定義があり、国とは未来永劫継続しなければならないシステムだとすれば、排除しなければならないのは「自分さえよければ」と「今さえよければ」なのではないでしょうか。
この国は、未来の子供達のために存在しているという定義ができれば、現状は変わっていくと思うのです。そのために、安楽死法案が必要であれば、作ればいいのです。

毎月、毎月、ほんとに、無駄なことを書いています。
石田も、マスターベーション常習者だということなのでしょう。
でも、いつも思うのです。
子供達に、これから生まれてくる多くの子供達に、ほんとに、申し訳ないという気持ちで一杯です。日本崩壊は、私達大人が、やるべきことをしなかったことが原因です。どうか、許してください。いや、いや、許されませんよね。
でも、大人達は気付いていないのですから、どうすることも出来ません。

2017年も終わります。
一年を通して、愚痴ばかりで、申し訳ないと思っています。
それでも、来年も、愚痴を書くことになるのでしょう。
どうか、ご勘弁ください。


2017-12-02



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諸悪の根源は [評論]



今日は、「諸悪の根源は曖昧にあり」という持論を、生活体験を通して書いてみたいと思います。もちろん、曖昧文化には、たくさん、いい面があります。しかし、物事には必ず裏面がありますので、その悪い面が、私達の生活を圧迫し、不幸な時代を生んでいると思っています。NHKのことを書きますが、これはNHKだけの問題ではありません。

先日、NHKの勧誘員が来ました。
勧誘員という言い方が正しいのかどうかわかりませんが、既に死語になっていると思われる「受信料」を支払う書類にサインを強要するNHKの下請け企業の方です。今回の方は、慇懃無礼を全身に纏っているような方でした。彼等も商売なのですから、必死なのはわかりますが、どうして、上から目線なのでしょうか。マニュアルの内容も進化しているのだろうと思っていましたが、あまり変わっているようにはみえませんでした。
「公共放送」だから。
「公平」を期すために皆さんで「平等」に負担していただくのが当然のことである、というものです。
国民の皆さんはいい人ばかりですから、反論の難しい言葉(公共、公平、平等、等々)を選び、契約を迫るやり方は、政府のやり方とよく似ています。こういうやり方を、私は、いつも、言葉による詐欺だと言っていますが、多くの方が騙されている現状を見ると、政府やNHKのやり方は間違っていないのでしょう。
でも、国民の皆さん、そしてNHKさん、それは勘違いですから。
もっとも、その勘違いは政府やNHKだけではなく、広く、あらゆる分野において共通するものです。おれおれ詐欺も、その一つです。
ただ、NHKの立ち位置は、戦後日本を象徴しているような組織だと思っています。
NHKは「官」でもなく「民」でもない、曖昧なものです。曖昧なまま、肥大化することしか考えてこなかった、昭和の異物のような組織です。電波を増やし続け、そのための土地建物・設備に金を使い、人員も増やしてきました。経費を増やすことで、視聴料を値上げする材料に使ってきました。それに伴い、NHK職員の報酬も膨大になりました。年収は公務員の2倍の1,200万円です。でも、もう、時代はそんなことが許される時代ではありません。年金生活者が急増しており、私もその一人ですが、年収100万円や200万円の老人が、なぜ、年収1,200万円のNHK職員の生活を支えなくてはならないのでしょう。これが、「公平」や「平等」や「公共」の正体なのですか。違いますよね。彼等は利権集団になっているのです。森友や加計よりも、はるかに多くの、桁違いの利益を吸い取っている、利権集団なのです。
ここでも「公共放送」という言葉の定義が見当たりません。「民」で出来ることは「民」に、というのが時代の流れです。ところが、「官」でも「民」でもないNHKは利益を貪ることが可能なのです。これも、曖昧から生まれる利益の一つです。民放テレビの社員も高給取りですが、テレビ離れが進んでいる今の時代、このままだと、テレビ局が人件費の削減を余儀なくされるような時代になります。しかも、民放テレビは視聴者から集金していません。そんな時代に、NHKは、国民に負担を押し付け、肥大化を進める環境を守るためにあらゆる手段を使っています。「欲」のかたまり、そのものです。「公共」というぬいぐるみを着た「自分さえよければ」です。努力の矛先が違っています。「官」であろうと「民」であろうと、先ず、合理化の努力はしなければなりません。
「民」であれば、どこの大企業も人件費の削減に血道をあげてきましたが、「ぬるま湯」のNHKは、そんな血も流していません。
NHKの視聴料を払っている皆さんは、平気なのでしょうか。
皆さん、お金の苦労などしていないのでしょうか。
そうではないと思います。
皆さんは、曖昧文化の中で、言葉で騙されている、詐欺の被害者なのだと思います。
NHKの視聴料が、「何か変だな」と思っている方でも、「面倒だから」「しつこくやって来るから」という理由で、泣き寝入りをしているだけです。喜んで視聴料を払っている方は、数えるくらいしかいないのではないでしょうか。
利権は、曖昧の中から生まれる、と書いてきましたが、NHKも同じ構図です。
公共放送の定義をし、国営放送にし、報道に特化したテレビ局にすることが、時代の要請なのではないでしょうか。民放テレビと同じことをする必要はありません。放送法という前世紀の異物である法律を変えればいいだけのことです。自民党は、憲法でさえ時代に合った法律にしたいと公言しています。放送法だって、時代に合わせる時です。しかし、NHK職員は、国営放送になり、公務員に成り下がれば、報酬が半減します。また、NHKが国営になれば、政府は、税金でNHKを維持していくために増税が必要になり、選挙で不利になります。国家運営者も、NHKという名の利権集団も、今の曖昧が一番利益になるのです。
6割の国民がNHKと契約を結んでいるということは、6割の国民の皆さんが、利権集団を認めているということなのです。これも、民度の低さです。たかが、NHKですが、一事が万事だとすれば、国民の民度は悲しむべきレベルにあるということです。ま、確かに、面倒だし、長いものには巻かれたほうが楽だし、目くじらを立てる私が変人なのだと思います。でも、これで、いいのですか。これは、NHKだけの問題ではありません。今の構造のままであれば、民主主義風王政並立封建制度という曖昧な国体であれば、利権集団の皆さんは喜ぶでしょうが、一般の皆さんは、どんどん、追いつめられます。利権は、曖昧から生まれます。そして、その利権の原資は国民のお金です。しかし、利権集団だけがその利権を自分のものにすることができるのです。国民のために使われるのではありません。

ここで、ほんの少しだけ視野を広げてみます。
シャープの身売り、東芝の粉飾、神戸製鋼のデータ改竄、それ以外にも一般企業の話題は好ましくないものばかりです。実際に日本企業の国際地位は凋落し続けています。国民も不安に思っていますが、企業も将来を不安に感じています。ですから、個人も企業も守りに入り、昔のようなダイナミックな経済活動は影をひそめてしまいました。現状維持をすることが企業の短期目標になってしまったのです。個人は、老後資金の貯金が重要課題になり、企業は内部留保に傾注します。負のスパイラルは、既に、始まっているのです。以前に、老後資金1,000万円という記事に反論したことがありますが、最近では、1,000万円という記事は見ません。最近の相場は、6,000万円から1億円です。もう、私達国民には、手の届かない金額です。それでも、貯金はしなければなりません。
根底にあるのは、国民の将来不安です。国民は、新商品や新サービスを求めていません。その理由は簡単なものです。「金がかかるから」です。携帯電話が最後の新商品だったのではないかと思っています。ただ、携帯電話の普及で、多くの方が通信費の負担に苦しんでいます。今の老人は携帯を持たなくても生活できますが、この先、携帯なしの生活が出来ない人達が増えます。生活は、ますます、苦しくなるのです。
そんな国民を相手にしている企業は、資金を投じてでも新商品を開発しようとはしません。不測の事態に備えて、資金を貯め込むことが、当たり前の企業活動になってしまいました。
では、国民は、なぜ、不安なのでしょう。
それは、国家運営者が、少子高齢化に対して無策だったためです。
人口構成に無策。出生率の減少に無策。人口減少に無策。どの側面でも無策だったのです。
今日の状況は、50年前から予測可能でした。確かに50年後を予測するのは難しいと思いますが、せめて、30年前に、20年前に、対策を打ち出す必要がありました。
では、国は、なぜ、無策だったのでしょう。
高度経済成長に浮かれ、「時代を読む」という仕事を忘れてしまったからです。
私は、これを視野狭窄病と書いてきましたが、この視野狭窄は左右の視野が狭まるだけではなく、遠くのものも見えなくする病です。個人は、50年後100年後のことを考えていたのでは生活できません。でも、国は、50年後100年後のことを考えるのが仕事です。しかし、国家運営者は「自分さえよければ」「今さえよければ」という風潮を作り出し、「時代を読む」という仕事を放棄してしまったのです。利権集団のための政党が国家運営を牛耳っていましたので、今でもそうですが、利権集団の皆さんは、自分の利益確保しか見ません。既得権益にしがみついて、何が悪い、という開き直りもあります。国民不在の「自分さえよければ」「今さえよければ」は、今でも健在です。
その利権集団を象徴するような団体が、NHKです。
NHKは、次から次へと電波を増やし、設備を増やし、人員を増やし、肥大化することしか考えてきませんでした。今は、そんな時代なのですか。違いますよね。NHKにとって、「放送法」は既得権益です。その既得権益を守るために、形振り構わずに訴訟を起こし、国民を敵対視する団体になってしまいました。公共、公平、平等という言葉を利用し、独裁者ごとき振る舞いをすることに反省の色はありません。彼等の目的は、自分達の利益を守ることだけです。テレビ映像の鮮明さは、国民の悲願だったのですか。BS放送は、国民の願いだったのですか。違いますよね。既得権益を、少しでも増やそうとするNHKの助平根性から生まれたものです。テレビの視聴が衰退し、時代はネット社会になりつつありますが、NHKはネット配信事業を本格的に開始し、パソコンを持っていたら視聴料を取ることが出来る体制構築に必死です。どう見ても、既得権益の温存にしか見えませんが、まだまだ、やるつもりのようです。問題なのは、それでも、国民が無言でいることです。
しつこくて、すみません。年収100万円の年金生活者が、年収1,200万円のNHK職員を支えなければならない理由はどこにあるのでしょう。「公共」ですか。国民の犠牲の上に成り立つ「公共」が「公共」だとは思えませんが、「公共」の定義がないために、文句のつけようがなく、宙に浮いたまま、特定の団体が利益を得ている状態は、変です。
「公共」を旗印にしていていいのでしょうか。
NHKは、国民の皆さんに「平等」に負担していただく、と言いますが、私には「不平等」に見えてしまいます。それは、NHKそのものが不平等の上に成り立っているからだと思います。当初、日本でテレビ放送事業が立ち上がった時、政府は、その初期投資を国民負担で賄う案を採用しました。ここに、ボタンの掛け違いがあったのです。国営放送にしていても、時代の趨勢はテレビ時代になっていたでしょう。しかし、その初期投資を、時間が利権に変えてしまいました。国は、国家運営の失敗を認めません。NHKの受信料システムも少子高齢化も、失敗のツケを払うのは国民なのですから、政治は、何でもできるのです。もっとも、国家運営の失敗だとは、国民は知りませんので、何の問題もありません。
しかし、日本の、社会構造は、経済構造は、デッドロックに乗り上げています。
現在の延長線上に、日本の未来はありません。
この国には、大きな構造改革が必要なのです。
では、国家運営者が、たとえば安倍総理が、構造改革をするのでしょうか。
しません。
いや、できません。
国民が声を出さなければ、国家運営者は自分の利益を優先させます。国家運営者も人間なのですから、それが自然な成り行きです。
時代は、利権構造で成り立つ時代ではなくなりました。しかし、利権集団はその利権を死守しようとします。もちろん、NHKだけではありません。慣性の法則が働いていますので、簡単には進路変更が出来ないのも事実でしょう。それでも、私達は、全体として、間違いなく、追いつめられています。確かに、ここまで追いつめられると、そう簡単に構造改革は出来ません。安倍総理に構造改革を求めるのは、酷だと思います。なぜなら、安倍総理は神ではないからです。もちろん、誰が総理大臣になっても無理です。政策程度では変わらないほど、この国の病状は重いことに気付く必要があります。今も、「自分さえよければ」「今さえよければ」思考に変化はありません。国中が、「子供達のために」思考にならなければ、この国は救えないのです。私達は、一人の例外もなく、曖昧文化に、どっぷりと浸かっています。不安感や閉塞感は持っていますが、曖昧文化という坩堝の中にいる限り「何が問題なのか」について気付く人がいません。坩堝の中で、政策だと称して、右のものを左に移しても、左のものを右に移しても、問題は解決しないのです。問題を解決するためには、その坩堝から抜け出すしか方法はありません。しかし、坩堝の世界しか知らない人達が、その坩堝自体が問題なのだということに気付くことができるのでしょうか。無理ですよね。それでも、騙されたと思って、構造改革という言葉の定義をしてみませんか。そうすれば、究極の構造改革である革命も視野に入ってきます。もしかすると、窒息しそうな坩堝から抜け出せるかもしれません。
私達に残されている選択肢は、市民革命しかないものと思います。確かに、市民革命という存在そのものが古い時代のものですが、一度も市民革命をしたことがないこの国では、まだ、選択肢として残っているものと思います。
私は、ずっと、革命を推奨してきましたが、他に方法はないものと思います。
でも、市民革命なんて、私達には出来ませんよね。
そもそも、この国では、構造改革という言葉はお題目でしかありません。国民は、構造改革なんて「俺には関係ねぇ」と思っています。それは、曖昧体制の中では、何が問題なのかがわからないからです。問題がわからないのですから、その対策である構造改革も市民革命も俎上に上ることはありません。
だとすると、結論は一つしかないのです。
それが、「日本崩壊」です。
これは、私達の必然なのです。

それでも、私は、この流れに抵抗したいと思っています。
蟷螂の斧であろうと、ドンキホーテの風車であろうと、一人くらい抵抗する馬鹿がいてもいいと思っています。
NHKの勧誘員との会話は、大変、不愉快なものです。
サインしてしまえば、その不快から抜け出せるのですが、国民の皆さんに「声を出してください」と言っている私が、サインしてしまったのでは、洒落にもなりません。ここは、どうしても踏ん張るところだと思っています。以前にも書きましたが、訴訟も覚悟しています。
きっと、国民の皆さんには、馬鹿にされることでしょう。
「お前一人が、盾ついて、何になるのだ。馬鹿め」
「長いものには巻かれろよ。いい歳をして、馬鹿め」
確かに、私は馬鹿者です。
なぜ、こんな馬鹿なことをやっているのか。
私は生活を切り詰めていますので、受信料を支払うくらいのことは出来ます。しかし、自分が助かりたいと思っているのではなく、国民の皆さんを助けたいと思っているのです。こんなことを言うと、馬鹿の二乗と言われるのでしょうが、信じてはもらえないと思いますが、馬鹿者だからこそ、皆さんを日本崩壊から救いたいのです。
もちろん、私がNHKと言い争いをしたからといって、皆さんを助けることにはなりません。私一人の反抗では何の役にも立ちません。でも、皆が諦めてしまえば、ずるずると壊れていくだけです。せめて、崩壊に抵抗する努力くらいは、それが蟷螂の斧だったとしても、やらねばならないと思っています。それが、人間の矜持なのではないでしょうか。もちろん、私の体も、皆さんと同じように水分と助平根性でできています。残り少なくなった人生、最後に一度くらい、意地を張ってみようかという、これも助平根性の一つなのだと思います。まさに、馬鹿者です。
国が、国民が、経済が、順風満帆な時は、こんな抵抗に意味はありません。
しかし、今は、違います。
もしも、NHKに訴えられて裁判になり、この国の現状を公の場で話す機会が得られれば、もしかすると、崩壊に向かっているこの国の現状に気付いてくれる人がいるかもしれません。仮に、そんな人が一人もいなかったとしても、やってみる価値はあると思うのです。やってみなければ、何が起きるかなんてわかりませんから。
多分、確信はありませんが、今は抵抗することが必要とされている時代なのだと思います。

多くの方が、電気料金・ガス料金・水道料金・税金・保険料を支払っています。なぜなら、それがなければ、生活できないからです。しかし、NHKの放送がなくなっても、私達は生きていけます。つまり、NHKは、趣味嗜好の範疇にあるものなのです。趣味嗜好のものを、強制的に支払わせるのは、民主主義とは違います。しかし、今は、曖昧な体制の中で、それが大手を振って歩いています。司法も、その曖昧の中に埋もれているのが現状です。趣味の範疇にあるNHKが、国民相手に訴訟を起こすという暴挙を許している司法は糾弾されなければなりません。私達は、曖昧の利益に付き合うほど余裕があるのでしょうか。たかがNHKですが、曖昧という現状を認識する材料になってくれるのであれば、されどNHKなのだと思います。

私は、NHKとの契約を拒否しているのではありません。
本音では、NHKなんて無くてもいいと思っていますが、それでも、法律に支配されている市民である以上、悪法であっても、法律は無視できません。
ですから、私は、「ぜひ、NHKと契約をしたい」と勧誘員に伝えています。
「契約しなければならない」という法律がある以上、国民は契約するという選択肢しか持っていません。ですから、お互いの条件が折り合えば、契約はします。
NHKは、受信料を支払え、という要求です。
私は、NHKという放送は必要ないけど、法制上の問題だけではなく、未だに多くの方がNHKを視聴しているのですから、私の都合だけで廃止しろとは言えませんので、百歩譲って、せめて、合理化をしてください、という要求です。
その合理化の目標は、現在の視聴料の1/10で運営できる放送局にすることです。必要悪を認めるのは本意ではありませんが、理想だけでは何も変わりません。
本来は、視聴料の撤廃が理想ですが、少しでも、国民負担を減らすことができれば、それも現実的な方法だと思います。
ただ、一度に1/10は無理です。
最初は、経費の半減を目標にして契約をしましょうというのが私の要求です。
充分に、譲歩していると思います。
無茶な要求ではないと思います。
誰かが、この半減要求の半減要求を出して契約すれば、いつかは、1/10になります。
さて。
そのためには。
・ 電波を半減しなければなりません。
・ ドラマやバラエティや歌番組やスポーツ中継は必要ありません。それらの放送は「民」に任せるべきだと思います。報道に特化した内容にすれば、経費を抑えられます。大手を振って「NHKは公共放送だ」と言ってもらっても構いません。
・ 職員の給料を、せめて、公務員並みにしなければなりませんし、人員の削減もしなければなりません。
これが、私の具体的な要求です。
どこの企業でもやっていることです。
いや、今の時代、これが当たり前のことなのです。
契約書に、この要求を盛り込んでくれれば、サインします。
もちろん、合理化の期限も明記してもらいます。
契約に違反した時は、違約金も頂きます。
これが、契約だと思うのです。
NHKの用紙にサインすることが契約ではありません。

ま、確かに、一人の老人がNHKと争っても勝ち目はありません。
馬鹿な老人の繰り言です。
でも、国と争うよりはハードルは低いと思います。
このままでは、この国は壊れてしまいます。
私は馬鹿者ですから、少しでも、抵抗したいと思っているのです。
「これって、なにか、変ですか ?」
「・・・・・・・」
「やっぱり、変ですか・・・・ですよね」


2017-12-01



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定義と承認 [評論]



今、一部で、噴火の話題が盛り上がっているそうです。
富士山の噴火ではありません。
アメリカのイエローストーン国立公園の火山噴火の話題です。
噴火にも、いろいろとあるそうで、ウルトラプリニー式噴火と呼ばれたり、カルデラ噴火と言われたり、破局噴火と呼ばれている超巨大噴火の話です。
アメリカの火山噴火なのであれば、私達には関係ないと思うかもしれませんが、これが、そうではないようです。
イエローストーン国立公園の地下には、世界最大級のマグマがあり、60万年~70万年の周期で噴火が起きているようです。今は、直前の噴火から64万年になるそうです。時の単位が1万年ですから、実感としては捉えにくいのですが、明日噴火しても、5万年後に噴火しても不思議ではないとすると、心配する方がいるのは仕方がありません。
イエローストーンでは、2010年にも2,500回を越える群発地震があったそうですが、今年は、8月までに1500回を超え、地面の隆起も確認されていて、地震学者は困っているそうです。なぜ、困るのか。警告を発していいものかどうか、で困っているのです。余りにも被害が大きくて、警告による影響が大きすぎるのです。噴煙は地球全体を覆い、酸性雨が降り、平均気温は10度低くなるミニ氷河期になるからです。では、どんな影響があるのか。世界中の畑が枯れ、食料危機がやってきます。穀物が枯渇すれば、家畜の餌が不足しますので、肉も玉子も不足します。寒冷地では農作物は育ちませんし、温暖地でも、従来の作物は栽培できません。酸性雨に強く、低温でも育つ作物を探さねばなりません。「破局噴火」が起これば、深刻な食糧危機、それも世界規模の食糧危機がやってきます。かつて、7万年前のスマトラ島の火山噴火では、気温が5度下がり、地球上の人類は1万人にまで減少したと言われています。その時の人類が、全体で何人だったのかは知りませんが、存亡の危機にあったと言われています。アメリカのイエローストーン国立公園の火山噴火は、そのスマトラ島の火山噴火よりも規模が大きく、深刻な被害が出るとされています。ま、私達が心配しても、どうすることもできませんので、「ふむ、ふむ」でいいと思うのですが、困ったことです。
こういう話を聞くと、地球も生き物なのではないかと思ってしまいます。イヌイットの長老が、地球は傾いているとNASAに警告を出したという話もあります。長老の意見は、経験値であり、科学的な根拠はありませんが、実際に、地軸は不変ではなく、今も、年間数メートル動いているそうです。地軸の変化が異常気象の原因だと特定されたわけではありませんが、何かが変化しようとしていることは否定できません。また、地球温暖化の原因がCO2によるものかどうかはわかりませんが、人間は、CO2排出規制をするくらいしかやることがありません。もしかすると、CO2排出規制なんて、何の対策にもなっていないのかもしれません。
太陽も、これまでになかった動きをしています。
こういう現象を聞くと、地球も太陽も、滅びゆく過程にあるのかもしれません。
宇宙規模でも、地球規模でも、永遠や未来永劫が無いとすると、人類に未来永劫があるとは、とても思えません。
それは、それで仕方ありませんが、人類が最初に滅びるのであれば、なんとか穏やかに滅びることはできないものかと考えてしまいます。
トランプや習近平や金正恩は、そんなこと、思わないのでしょうか。
思わないのでしょう。

仮に、人類の滅亡まで、まだ数百年、数千年の時間があるのだとすると、何が必要になるのでしょう。
私の勝手な願望ですが、それは新しい哲学と思想なのではないかと思っています。
終焉に向かう人類の最後の知恵です。
それが、いつ、世に出てくるのかはわかりませんが、必ず、出てくるものと思います。
新しい哲学と思想については、具体的な想像が出来なくて、大変申し訳ないのですが、このままでは、自滅へと進んでしまいそうで、残念な結果しか想像できません。
では、ここで、目標を持ってみましょう。
地球や宇宙が壊れた場合は、私達人類に対応策はありません。SFの世界では、他の惑星への移住という対応策がありますが、現実の世界では、少し無理があると思います。
地球や宇宙が壊れるまでは、人類も生存し続けることが目標であってもいいような気がします。この目標は、かなりハードルが高いように思いますが、目標ですから、許容範囲だとしましょう。
では、ただ単に生存しさえすればいいのか、というと、それも芸がありません。
もう少し、目標を具体化してみましょう。
少しでも多くの人達が、少しでも平和で自由な環境で、少しでも豊かな生活ができる状態で、地球の終焉や、宇宙の終焉を待つ、という目標であれば、前述の目標よりは具体的です。もちろん、物理的なものばかりではなく、精神的なものも必要です。
「少しでも・・・」ということは、100%ではないということですが、目標に近づける努力はしなければならない、という意味です。
その目標のために、私達は何をすればいいのでしょう。
独裁国家や共産主義国家や封建制度の国では、目標の達成は難しいと思われます。
なぜなら、そのような体制では、一部の人達の利益にはなりますが、少しでも多くの人達の利益を考えた場合は、目標が達成できないからです。
民主主義国家にも、いろいろな問題があり、ベストな選択ではありませんが、他の方法よりは、目標に近づける可能性があります。民主主義よりもベターなものがない現状では、民主主義の運営という方法で、目標に近づくしかありません。世界には、これが民主主義の完成形だという国は、まだ、存在していないと思っています。ですから、日本がその完成形を目指しても何の問題もありません。民主主義から一番遠い場所にある日本が、先頭に立つのは難しいと思いますが、日本人であれば、出来るのではないかと思います。
その出発点になるのが、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義と国民の承認なのではないかと思います。民主主義の、その運営方法で目標に近づくためには、土台から作らなければ成功しないように思うのです。特に、私達の国には曖昧文化という巨大な壁があります。その文化を変えるという意味でも、定義をするという新しい文化は欠かせないと思います。
では、具体的な定義は誰が作るのか。
私達市民も議論には参加するべきですが、素案を作るのは、私のような素人がやってはいけないほどの、真面目なものだと思っています。これは、専門家の仕事です。
いろいろな学者の方がいると思いますので、いろいろな定義が出てくるのでしょう。その中から、国民が考え、国民が議論し、国民に承認されたものが、たとえ完璧なものではないとしても、この国の定義になるものと思います。
日本の場合、定義をし、承認するだけで、多くの問題が解決の糸口を見つけられると思いますし、方向性も見つけることができると思います。「目から鱗」状態になるのではないでしょうか。結果、あらゆる分野に方向性を持たせてくれます。政治の分野でも、法律の分野でも、統治機構の分野でも、方向性が変わります。最終的には、経済の分野でも、世界をリードするような経済を作り上げることも夢ではありません。一番変わるのは、文化の分野ではないかと思います。その文化は、もしかすると、世界を救う文化になるかもしれません。日本人には、混沌に向かっている世界を変える可能性があると思っています。
この定義があれば、左の方も、右の方も、この土俵の上に立つことになります。なぜなら、この土俵の上に立たなければ、国民の選択肢から外れるからです。
空気ではなく、定義が判断基準になると、確かに、窮屈にはなります。でも、その窮屈さの犠牲になるのは国民ではありません。政治家や利権集団や官僚を含む権力取り巻き集団の皆さんです。
これも、構造改革の一つの手法なのだと思いますが、残念なことに、このような提案は、見たことも聞いたこともありません。もちろん、構造改革には、他のアプローチもあるでしょう。しかし、現実としては、成功している手法はありません。だったら、やってみる価値はあるのではないでしょうか。一番難しいのは、国民に参加してもらう方法だと思います。国民は封建制度に慣れ親しんでいますから、参加することに躊躇するでしょう。日本国民にとって、国家運営者は「お上」であり、自分達の外注先だとは思っていません。ですから、「お上」に逆らう不忠のようなものだと感じてしまいます。
しかし、出口のない袋小路に穴を開ける方法は、これしかないのでは、と思っています。
袋の中が、+20度から-20度だとすると、環境が厳しくなるに従い、冷気は次第に袋の中を支配しようとします。袋の中に閉じ込められた国民は、温度が下がることで活動が鈍り、餓死者が出始めます。その状況が、すぐ近くまで迫っているのです。早く気付けば、犠牲者の数は減らせます。さあ、国民の皆さんは、どういう選択をするのでしょう。私は、風穴を開けるほうに賛成してくれるような気がするのです。封建制度よりも、本能のほうが強いと信じたいです。

袋小路でもがいているこの国が、いや、多くの国が、その苦境を乗り越える方法は、何も、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義だけだとは思いません。「何か、他に、いい方法があるはずだ。ふむ、ふむ」という方もいるでしょう。でも、「いい方法」という選択肢を提示している方を、私は知りません。私が知らないだけなのかもしれませんので、「いい方法」があるのであれば、その方法でも構いません。でも、いつかは、誰かが、やらねばならないように思います。その時の「誰か」は、国民なのではないかと思います。他の「誰か」は想像もできません。もちろん、国民全員は無理ですから、せめて、5%くらいの国民が、その意識を持てば、動き出す可能性があります。ただ、5%と言っても、数百万人です。途方もない数字です。数百万人の人が、「人類を、この国を、少しでも多くの国民を、救おう」と考えるためには、どうすればいいのか。私には、その方法がわかりません。こんなブログを書いているだけでは駄目なことだけは、はっきりしています。しかし、残念ながら、私には、これしかできません。どうしたら、いいのでしょう。
結局、私達は、崩壊を待つことしか出来ないのかもしれません。
それも、選択肢の一つです。
いや、これ以外に選択肢はないのでしょう。
仕方ないことだと思います。


2019-11-02



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小池知事へのエール [評論]



衆議院選挙は自民党の圧勝で終わりました。
中途半端な投票率を無視すれば、多くの国民が自民党に投票したようです。
これは、現実です。
「仕方ないだろう」という声が聞こえてきそうです。
その通りです。
仕方ありません。
一票を託したいと思う政党も、この人に国家運営をしてもらいたいと思う政治家も存在しないのですから、どうすることもできません。
でも、国民の皆さん。
これでいいのでしょうか。
皆さんは、まだ、この国が危機的状況になっていないと思っているのではありませんか。
「何とかなる」と思っているのですか。
いや、「なるようにしか、ならない」と考えているのですか。
ほんとに、それで、大丈夫なのですか。
確かに、私の予測は悲観的です。それでも、半値八掛けだとしても、危機的状況であることは変わりません。今までの行動原理に従っていていいのでしょうか。今回も、国民は意思表示をしませんでした。いつものように「なあ、なあ」「まあ、まあ」でお茶を濁しました。国民は、誰もが将来不安を持っているのに、自分を守ろうとしなかったのです。これが、日本崩壊の大きな要因です。国民は、この国の責任者です。皆さんが、これまでのように、そして、今回のように、自民党を信認し、責任を放棄していれば、皆さんがその責任を取ることになるのです。
「じゃあ、どうすればよかったと言うのだ。選択肢なんてないじゃないか」
ほんとに、そうでしょうか。
投票所に行くことが、国民の責任の取り方なのですか。
違うと思います。
民主主義が機能している時は、それが責任の取り方になることもあるでしょう。
しかし、今は、違います。
民主主義が機能していないのであれば、政治が機能していないのであれば、危機的状況であるのでれば、私達にはボイコットという選択肢だってあるのではありませんか。多くの国民が選挙そのものをボイコットすれば、組織票だけで選挙の勝ち負けが決まります。自民党、公明党、共産党が票を分け合うのです。結果は、今の状況と同じです。選挙に行こうが、行くまいが、同じ結果になるのです。皆さんは「この党に、この人に、この国の運営をしてもらいたい」と思って投票しているわけではありませんよね。皆さんがやっていることに意味はあるのですか。皆さんは、儀式に参列していれば、救われるとでも思っているのですか。その考えは甘いと思います。だって、社会が壊れ始めている今の状況を、皆さんは知っているのです。だから、将来が不安なのです。皆さんも、現在の延長線上に皆さんの幸せがないことに、気付いているのです。
だったら、政治そのものに不信任の意思表示をすべきなのではありませんか。
政権選択選挙である衆議院選挙の投票率が、50%や60%では、中途半端、まさに曖昧の領域にあります。投票率のグラフは、短期的に上下し、全体としては右肩下がりになっていますが、選挙が意味を持たないほどは下がっていません。実に、中途半端な場所にあります。この投票率を支えているのは、「ふむ、ふむ」年配の皆さんです。一見すると、良いことをしているように見えますが、これは老害だと思います。もしも、投票率が20%や30%になったら、多くの方が疑問に思うでしょう。「何か変だな」と思います。これは、与党とか野党という問題ではなく、政治そのものに問題があることを表面化することになりませんか。回りくどい手法ですが、他の選択肢がなければ、自分達を守ろうとするのであれば、藁に過ぎないかもしれませんが、そんな藁でもすがるべきなのではありませんか。この国が崩壊すれば、いや、必ず崩壊しますが、皆さんが、国民の皆さんが、責任を負わねばなりません。私には、国民の皆さんが墓穴を掘っているようにしかみえないのです。なぜ、抵抗しようとしないのですか。私には理解できません。

ある自民党の方が「自民党圧勝の功労者は、前原さんと小池さんだった」と言ったそうです。これは、多くの方が感じています。
小池知事の自爆が自民党を圧勝させたことは、正しい判断なのでしょう。
ここにも、不幸の連鎖があります。
不幸の連鎖を小池さんにバトンタッチした安倍さんは、ほっとしているでしょう。ほんとに、何が起きるか、わかったもんじゃありません。先月、投票日に台風というヨタ話を書きましたが、そんなヨタ話が現実となり、台風も安倍さんを助けてくれました。でも、国民が選んだこの現状維持は、もう少し広い視野で見ると、日本が不幸の連鎖にあるということです。
国民の中には「選挙に参加することは、国民の義務だ」と信じている方が大勢います。そういう方は、傘を差してでも投票所に行きます。私が言う「ふむ、ふむ」族の皆さんです。
でも、現在の選挙制度は、国民の意志を反映しているとは言えません。もしも、国民の意志が国家運営に反映されているのであれば、投票所に行くことが国民の務めかもしれません。しかし、そうはなっていません。国民の意志表示が、中途半端や曖昧では、自分の首を絞めることになります。私達は、皆で、「なあ、なあ」「まあ、まあ」をやってきました。しかし、今は、曖昧文化に頼る時ではありません。国民生活も、社会も、経済も、壊れ始めています。これが現実です。このままで、「何とかなる」と考えるのは、甘いのではありませんか。
以前に何度も書きましたが、選挙と国家運営はリンクしていません。確かに、因果関係はありますが、選挙は選挙、国家運営は国家運営でお互いに分断・独立しています。選挙が終われば、何をやってもいいのです。別の見方をすれば、選挙は表看板であり、国家運営は裏稼業なのです。表と裏はつながっているように見えて、つながっていないのです。この国民と国会の分断は、この国を疲弊させてきました。こんなこと、いつまで続けるのでしょう。国民の皆さんは、諦めているのでしょうが、いっそ、絶望してみてはどうでしょうか。
でも、まあ、お互いに助平根性が前提になっていますので、これも仕方ありません。
政治家は、美辞麗句や餌をぶらさげ、国民は、何もせずに果実だけを求める。どっちもどっちなのですから、これでいいのかもしれません。結局、国民の意識レベルが変わらなければ、何も変わらないのでしょう。もっとも、石田も、何もせずに、こんな御託を並べているだけなのですから、これも助平根性です。
日本崩壊は、必然だということです。
皆で、赤信号に、突っ込むしかありません。
また、日本崩壊へ一歩近づきました。

朝日新聞は「立憲民主党、大躍進」と書いていたそうですが、50や60で大躍進の称号を与えるのはいかがなものかと思います。目糞鼻糞に焦点を当てるやり方は感心しませんが、朝日新聞ですから、仕方ありません。
個人的には、福島原発事故の時の枝野氏の対応を見ていますので、私は彼が信頼に値する人物だとは思っていません。確かに、人間は変わることもありますが、基本部分は変わらないと思っています。でも、作り立ての新党で、ここまで議席を伸ばしたことは、国政という視点ではなく、枝野氏個人にとっては大躍進だったかもしれません。しかし、このままでは政権政党にはなれません。枝野さんが勘違いしなければ、もう少し風は吹くかもしれませんが、時間が答えを出します。なぜ、野党選挙協力をしなければならないのか。その答えを見つけなければ、野党は野党で終わります。これは、既存の政治潮流の中で生まれた姑息な手段に過ぎないのです。共産党の金と組織力に依存している限り、左方向へ向かわざるを得ません。それは、政党消滅へ続く道です。共産党は、地方組織がしっかりしていますので、簡単には消滅しませんが、擦り寄っていく政党は犠牲になります。共産党は、市民連合との共闘という看板も掲げていますが、その市民連合も共産党の資金に頼っているのです。
ま、何をするにも先立つものは金ですから仕方ありませんが、この泥沼の中に身を置いていたのでは、立憲民主党は政権を獲れません。なぜなら、大半の国民は共産主義の国になりたいとは思っていないからです。
今の判官びいきは、風にすぎません。そのことは承知していると思いますが、新しい政党の形を国民に示すことが出来るのでしょうか。重箱の隅をつつき、反対、反対の連呼をしていれば国民の理解が得られると思っているようですが、それは間違いです。森友・加計問題があったにも拘わらず、国会論戦では森友・加計問題ばかりやっていたにも拘わらず、選挙では自民党が大勝しました。これが現実であり、これまでのやり方では国民の理解が得られなかったという証明なのではありませんか。やらねばならないことは、森友・加計問題の追及ではないことを学習しなければなりません。安保法制も共謀罪も秘密保護法も過去のことです。立憲民主党がやらねばならないのは、新しい論点を作ることです。ワイドショー好みの論点や流行を追う論点では、国民を引き付けることが出来ません。そんな時には、原点に戻るしかないのです。もちろん、言葉だけ原点に戻ったのでは、国民は無視します。中身のある言葉を国民の前に示すことが必要になります。
立憲民主党は、立憲主義、民主主義、国民という言葉を前面に押し出していますが、その定義が見えてきません。ま、自民党が言葉だけで勝負しているのだから、立憲民主党が言葉で勝負することを批判するのはフェアではありませんが、これでは、自民党も立憲民主党も、国民のための政党になることはできないという現状は変えられません。国民のための政党でないのであれば「どちらが、ましか」という判定をされ、古い常識が優位になります。もちろん、言葉が不要だと言っているのではありません。政権転覆には大きなエネルギーが必要であり、政権党を倒すためには、言葉だって必要です。しかし、野党の場合は、その言葉に中身を詰めなくては、発信力で与党に負けてしまうのです。
確かに、言葉の定義は両刃の刃です。でも、野党は、失うものがないのですから、定義を前面に出してもいいように思いますが、残念ながら、それに気付く政治家も、それを実行する政治家もいません。
立憲民主党の選挙公約の前文を読む限りでは、その言葉だけであれば、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義の近くまで来ているのですが、あと一歩がありません。この一歩は大きいです。定義のない言葉では、いくら並べても、曖昧という空気に慣れ親しんだ国民の心には届きません。
もしも、立憲民主党が言葉の定義に気付けば、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義を主張すれば、自民党に対抗する政党になることが出来ます。これからの4年間は、憲法論議もしなければなりません。また、言葉の定義をすれば、国の基本である国軍を保持しなければなりません。国民を守るためには、核兵器の保持も必要になります。9条の3項に自衛隊という文字を書き込むような姑息なやり方では、国民を守ることはできません。憲法も明治憲法を引きずるような憲法では、定義から外れます。そんなことが、立憲民主党に出来るとは思えないのです。左寄りの議員が大半ですし、彼等が既存の流れを否定するだけの見識を持っているようには思えないのです。
憲法改定の肝は、国民投票です。言葉の定義を示すことで、その定義を憲法に書きこむことで、国民への働きかけは強いものになります。これまでの自民党政治は、国も、国民も、民主主義も曖昧にすることで、そこから生まれる利益を利権集団に配分してきたのです。その曖昧な部分を明確に定義すれば、国民の理解は得られます。これまでの野党がやってきたように、ふわふわと宙に浮いた「反対、反対」だけでは、自民党の憲法草案が国民の賛成を勝ち取るための応援団になるしかありません。「どっちも駄目だけど、どっちが、ましか」判定になれば、野党は勝てません。
他党に頼るのではなく、堂々と自民党候補者より多くの票を獲得するしかないのです。言葉の定義は、そんな力を与えてくれる魔法の杖なのかもしれません。
立憲民主党が、そんな新しい政党になることが出来るのでしょうか。
私は、無理だと思いますが、頑張ってください。

枝野さんも、小池さんも、新しい政党の形(国民のための国家運営を請け負う政党)の近くに立っています。まだ、お二人とも気付いていないと思いますが、新しい一歩が何なのかは見えていないのでしょうが、見つける可能性だけは持っています。ただ、自民党も馬鹿ではありませんので、野党が動き出したら同じ方向へと動くでしょう。でも、自民党にはどうしても外せない鎖があります。それは、利権集団への利益配分と天皇制です。口先の言葉ではなく、本気で国民を前面に出せば、立憲民主党も希望の党も、政権与党になる可能性は持っているのです。なぜなら、利権集団の構成員と尊皇派の構成員は、少数派であり、一般国民の数には対抗できません。一票を投じてくれるのは、その一般国民なのです。「ふむ、ふむ」派の国民であっても、選択肢さえあれば、何も自民党に投票する必要はありません。自民党を支持する国民が30%いるとされていますが、彼等は、いとも簡単に、手の平を返すことができる「ふむ、ふむ」族です。仕方なく、惰性で、自民党に投票しているだけです。
あくまでも、可能性に過ぎませんが、共産党や社民党や公明党には、その可能性がありませんので、立憲民主党も希望の党も、今のところ前途洋々と言ってもいいのでしょう。もちろん、「今のところ」です。

ただ。
言葉の定義なんて簡単なことなのですが、簡単なことほど気付きにくいのが世の常です。

小池さんは、「踏み絵」や「排除」で批判されていますが、これも、選挙と政治が分断されている現状に影響されている弊害にすぎません。マスコミが視野狭窄に陥り、選挙しか見ていませんので、「踏み絵」や「排除」に目くじらを立てますが、国家運営を行う場合は「踏み絵」や「排除」は不可避です。たとえ連立政権を作るためだとしても、数合わせだけでは短命になります。党内に異分子がゴロゴロいたのでは、何も決められません。その実験をしたのが民進党です。その実験の結果が、今の状況なのですから、「丸呑み」は政治家としてはやってはいけないことだと思います。
ま、確かに、小池さんが陣頭に立たなかったことは、大きな誤算になりました。
でも、ここは、小池さんのお蔭で、結果的に、民進党が分党できたことを喜ぶべきだと思います。
ただ、小池さんにはポテンシャルがありますが、若狭さんや細野さんでは、希望の党は消滅するしかありません。なぜ、小池さんにはポテンシャルがあるのか。それは、一種の嗅覚みたいなものを持っていると思うからです。どのボタンを押せばいいのかを、嗅ぎ分ける力です。もちろん、間違うこともありますが、その嗅覚を持っているか、持ってないかの差は大きいです。これは、誰にでも備わっている能力ではありません。人は、皆、平等と言いたいところですが、やはり、個人の能力には差があることのほうが現実です。

人は誰でも「好き嫌い」の感情を持っていますので、私も私情を挟みます。
私は、枝野さんより小池さんのほうが好きです。頭脳明晰という点では枝野さんのほうが優れていると思いますが、なぜか、山師のような小池さんのほうが好きです。それは、頭脳明晰な人では気付かないことに、山師なら気付く可能性があるからです。今必要とされていることは何か、に気付いて欲しいと願っています。小池さんも希望の党も、地に堕ちてしまいましたが、是非、頑張って欲しいと思っています。
ごく簡単なことに気付けば、「国とは、国民とは、民主主義とは」を定義することに気付けば、道は見えてきます。そして、その定義に基づいた理念を生み出せば、今いる有象無象の国会議員でも役に立つことがあります。いつの時代でも、有象無象はいるものです。そんなことに目くじらを立てても意味がありません。
今は批判の矢面に立たされていますが、言葉の定義をするだけで、大きく変身することが可能なのです。ただ、それが出来るのは、希望の党の中では、小池さんだけなのかもしれません。日本国民は左翼政権を望んでいません。ですから、立憲民主党には限界があります。その点で、希望の党には、まだ希望があるのです。
そもそも、国民のために国家が存在しているのですから、国家運営は国民のためにすることが基本であるはずです。しかし、利権集団のための政党は存在しますが、国民のための政党は存在していません。政治家のための選挙制度はありますが、国民のための選挙制度はありません。これって「何か、変」じゃないですか。そのことに気付くだけで、大きく変わります。ここは、中国でもなく、北朝鮮でもありません。今は、まだ看板だけに過ぎませんが、この国は民主主義国家なのです。
私達は、未だに、「お代官様と越後屋」の世界にいます。「お代官様と森友屋」や「お代官様と加計屋」をいくら追及しても、問題は解決しません。森友や加計は氷山の一角であり、小物にすぎません。トカゲの尻尾切りに血道をあげるのは徒労です。根っ子は、民主主義風王政並立封建制度という国体にあるのです。野党の皆さんがやらねばならないのは、この封建制度から抜け出すことです。その出発点になるのが、言葉の定義なのです。
難しいとは思いますが、頑張ってください。


2017-11-01



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資産保全 [評論]



最近、ハイパーインフレという文字を見ることが増えました。
「そうなの ?」
もちろん、世間一般の話ではありません。日本財政や日本経済の市民ウォッチャーとしての私の目に触れることが多くなったという意味です。多分、国民の皆さんの目には触れていないものと思います。
今日は、ハイパーインフレに対応する方法を、簡単に、ただし、いい加減に、書いてみました。参考にはならないと思いますが、何かのきっかけになれば嬉しいです。

いつから、金利上昇が始まるのかは、わかりません。
でも、どこかの時点で、金利は上昇します。それは、明日かもしれませんし、1年後かもしれませんし、5年後かもしれません。
金利上昇から、金利負担の上昇、国家予算の膨張、歳出の大幅削減、国債の発行不能という道程は、それなりに時間がかかります。
ですから、ハイパーインフレのほうが、現実的な崩壊過程になるのではないかと考えられます。ハイパーインフレであれば、数年で、1,000倍の物価上昇が可能ですし、物価が1,000倍になるということは、貨幣価値が1/1000になるということですし、貨幣価値が1/1000になるということは、借金も金利負担も1/1000になるということです。ハイパーインフレは、構造改革や経済政策は必要ではなく、勝手に財政再建が出来てしまう優れものなのです。自然界だけではなく、経済でも「平衡」現象は起きるのです。
多分、多くの皆さんは、貨幣価値が1/1000になると言われても、実感は湧かないと思います。「ふむ、ふむ」と頷くだけになるでしょう。
虎の子の貯金が、1,000万円あったとしましょう。その貯金は1万円の価値になります。物価は1,000倍ですから、お米は、300万円になります。この現実に気付くには、まだまだ、時間が必要なのでしょうが、気付いた方は、何とかしたいと思うでしょう。自分の身は自分で守る。どんな時代でも、どんな国でも、これは鉄則です。
私は、随分前に、日本崩壊から自分を守る方法は、海外移住しかない、と書きました。それは、回復のしようがない崩壊になった時のことです。
崩壊することは、もう避けられませんが、その崩壊がどこかで止まることも、もしかすると、あるかもしれません。いや、あって欲しいと思っています。どんなメカニズムで崩壊が止まるのかは、私には想像できませんが、そういう可能性はゼロではないと思います。
今回は、崩壊度数が25%で止まった時、50%で止まった時を念頭に想像してみます。50%~100%崩壊してしまった時は、過去の予想を参照してください。
何を根拠に25%とか50%とか100%の数字を出しているのかについてですが、申し訳ありませんが、その根拠は、全くありません。ですから、大、中、小の区分という大雑把なものと思ってください。そもそも、未来を予測するのですから、何の根拠もなく、どんな結果になるのかなど、誰にもわかりません。それでも、無理にでも想像しないと、対策がとれませんので、ここはゴリ押しをするしかないと思っています。ですから、全く信用していただかなくても問題はありません。
無理を重ねますが、崩壊の度合いを犠牲者の数で、推測してみます。
犠牲者の数を縦軸にとり、崩壊度数を横軸にとった時、人間以外の動物の場合は、直線グラフになるのでしょうが、人間の場合は、それなりに対応しますので、そのグラフは放物線グラフになると思います。これも、勝手な憶測ですが、50%を越えると、その角度は急勾配になると思います。それは、力尽きる人が多くなるからです。100%は、1億2,000万人、全人口の消滅を意味します。
ここで、何の根拠もなく、50%の崩壊度数は3,000万人の犠牲者を意味すると決めつけてしまいます。その時、25%の崩壊度数では500万人になると仮定してみます。これ、いいかげんな数字です。最初は、皆さんが頑張って耐え忍びますから、犠牲者の数は、それほど多くはなりません。でも、忍耐にも限度がありますので、崩壊度数が上昇すれば、対策を持っていなかった人達が、精魂尽き果てて犠牲になります。崩壊度数が倍になっただけですが、犠牲者の数は6倍になるのは仕方ないと思います。もっとも、500万人でも、3,000万人でも、想像を絶するような犠牲者の数ですが、1億2,000万人の犠牲者と比べてみれば、まだ、少ないとも言えます。
乱暴な想像ですが、ご容赦ください。
多分、50%以上崩壊した時は、個人の対策では手の施しようがないと思いますので、今回は、50%以内の崩壊を想像してみます。
50%って、どのぐらいの崩壊なのか、という明確な線引きは困難です。それでも、崩壊の対策をしていた人の中に助かった人が多かったという結果分析はできるかもしれません。これは、その時が来ないとわかりません。
さて、無茶で、乱暴な条件ですが、こんな馬鹿なことができるのは、素人だけですから、下手な小説を読んでいるつもりで、充分に、たっぷりと眉に唾を付けて読んでください。

私達のターゲットは、ハイパーインフレです。
資産保全という観点から対策を考えますが、最初は、現金と預金です。
これは、最悪の選択です。
ハイパーインフレとは、貨幣価値が下落するという現象が起きるのですから、現預金、特に日本円を持っていると、ハイパーインフレの餌食になるということです。
日頃は、現預金という流動資産は使い勝手が良くて好まれますが、ハイパーインフレの場合は、最悪の資産になります。
ただし、ハイパーインフレは国内事情ですから、預金であっても、外貨預金は、ある程度の崩壊度数まで大丈夫だと思います。何パーセントの度数まで大丈夫なのかは不明です。

では、土地や建物という固定資産は、ハイパーインフレの影響を受けないのか。
残念ながら、現預金よりも最悪な資産になります。
貨幣価値の下落という点では、影響は受けません。でも、売買が成り立ちませんので、価格は下がります。問題は、価格が下がったとしても売れない状態が続くことです。つまり、食料を購入するための現金が手に入らなければ、宝の持ち腐れです。購買意欲はあっても、ハイパーインフレ進行中に、不動産を買うような物好きは少ないと思います。だって、明日ならば、来月ならば、来年ならば、もっと安くなると思えば、誰でも待ちます。
ハイパーインフレにならない場合でも、中長期的に見ると、土地・建物は下落すると思われます。それは、需要と供給のバランスが崩れるからです。余程条件の良い物件でなければ売れない時代が来ます。既に、空き家は増加していますが、人口減少時代に入り、今後、ますます、不動産が売れない時代がやって来るからです。持ち家に住んでおられる方は、当然、家を資産と考えていると思いますが、売れなければ資産としての価値はありません。いつまでに売れば、元が取れるか。それは、わかりませんが、少なくとも、今から土地・建物を購入するのは冒険になりますのでお勧めできません。ましてや、アパート経営のために資産を使うなんて、愚の骨頂です。

では、地金はどうでしょう。
国内で、為替や商品や債券の交換機能が維持されていれば、地金は影響を受けません。
交換機能は、崩壊度数50%くらいまで、持ちこたえてくれるのではないかと期待しています。期待ですから、そうならないかもしれません。
ドルやユーロを持っている方。いないとは思いますが、石油や穀物を持っている方。外国債券(アメリカ国債等)を持っている方。これらの人は影響を受けません。
つまり、世界規模で取引をされている資産は、日本という一地方で発生したハイパーインフレの影響は受けません。
地金も、国際商品ですから、影響を受けません。
昨今、地金の価格が上昇し、地金の取引が増えているのは、世界的な傾向ですが、特に中国の爆買いが影響していると言う方もいますが、日本でも地金は注目され始めたと思っています。ここでの目的は、あくまでも資産保全です。金価格が更に高騰すれば、資産形成も可能でしょうが、そこは海のものとも山のものとも言えませんので、投機になる可能性もあります。しかし、ハイパーインフレをターゲットとした資産保全という意味では、地金という資産もあり得る選択です。地金の中には、銀やプラチナも含みます。

ドルやユーロといった海外貨幣は、どうでしょう。
為替市場も世界市場での取引ですが、日本円は暴落しますから、日本円を持ったままだと、ハイパーインフレの影響は直接受けます。FXをやっておられる方は、日本円ではなく、他国通貨で資金を持ち、取引の都度、日本円に交換して取引することをお勧めします。

株は、どうでしょう。
日本株は暴落すると言われています。誰もが欲しがるのは食料購入のための現金ですから、多くの人が株を売って現金化したいと思いますので、株価が下がるだけではなく、買い手がいなければ売買が成立しません。一方通行で株価は下落します。ただし、海外株式を持っておられる方は影響されません。
逆に、どこかの時点で崩壊が止まるとすると、下がり切った株を底値で買えば、大金持ちになります。海外投資家は、その資金をドルやユーロや元で持っていますので、日本が持ち直してくれると思えば、いつでも、好きな値段で買うことが出来ます。外貨預金を持っている日本人、地金を持っている日本人にも同じことが言えます。ただし、その時は、日本が持ち直してくれなければなりません。それでも、チャンスであることは間違いないでしょう。

多分、50%を越える崩壊の場合は、国内での交換機能が失われると思いますので、どんな資産を持っていても役に立ちません。資産そのものに意味はなく、食料という現物だけが意味を持つ世界になります。貨幣が信頼できなければ、物々交換経済になるしかありません。

もう一つ、崩壊の初期では、別の交換機能も大きな影響を持ちます。
皆さんが持っている預金通帳の残高は、ただの数字にすぎません。預金は現金を引き出せて、初めて意味を持つ数字です。預金の現金化も交換機能です。
また、1,000万円までの預金は保全されていると信じていると思いますが、それは、崩壊前のお約束にすぎません。金融機関がどの時点まで耐えられるのか、大変疑問があります。一つや二つの銀行が倒産した程度では、問題はありませんが、数十行の銀行が倒産した場合は、皆さんの預金は保全されません。預金保険機構には、そんな大金がないからです。国にも資金はありませんので、個人が泣くしかありません。
仮に、外貨預金を持っていたとしても、取引銀行が倒産してしまえば、ゼロになります。
もしかすると、金融機関の大量倒産がハイパーインフレの引き金になるという事態もあるのではないでしょうか。皆さんは、大慌てで銀行に走ることになりますが、銀行としては、シャッターを閉めるしかありません。政府は、一日の引き出し限度額を設定するでしょう。
最近、金庫の売れ行きが良いという話もありますが、タンス預金のためだけの金庫ではないのかもしれません。地金の現物を自宅の金庫で保管する人もいるのでしょう。多分、世の中には、先のことが見えている人がいるのです。念のためですが、現金を自宅の金庫に入れていても、ハイパーインフレになれば、何の役にも立ちませんのでご注意ください。貨幣価値が下がるだけではなく、新円切り替えや資産課税で、紙屑になるかもしれません。


ここで、ハイパーインフレ対策の順位を見てみます。
海外移住。
農作。
地金。
海外通貨。
海外債券。
外貨預金。
現預金。
不動産。
インフレとハイパーインフレは、異質なものですから、不動産を最下位にしました。不動産の場合は、一度売却して現金化し、その現金で食料を買うことになりますので、手間がかかります。また、不動産が売れなければ、現金は入ってきません。土地や建物だけではなく、国内市場でのみ取引される資産は、資産としての役割を果たせません。
ハイパーインフレで直接影響を受けるのは、皆さんが、今現在、資産だと思い込んでいる現預金と不動産です。多分、95%以上の国民が、ハイパーインフレの犠牲になります。

崩壊度数が小さく、まだ、交換機能が維持されている場合は、地金、通貨、債券、外貨預金が対策になります。ただ、外貨預金の場合は、金融機関の倒産がないという条件です。

崩壊度数が50%を越えるようになると、自分で自分の食料が確保できる農民になるか、日本から脱出することです。ただし、農作は、原発が管理不能となり、放射能で汚染された時は、諦めてもらうしかありません。
海外移住は、どこの国でも通用するスキルを持っている方か、莫大な資産を持っている方に限定されますので、万人向きとは言えません。

ハイパーインフレの対策を考えてみると、私達の一番の願いは、崩壊が、どこかの時点で止まってくれることです。できるだけ、崩壊度数が小さい状況で止まって欲しいと願うしかありません。もちろん、願いが叶うかどうかは、天に任せることになりますが、何もしないで天に任せるか、対策をして天に任せるかでは違う結果が出てくるものと思います。
ほとんどの方が、ハイパーインフレなんて「俺には関係ねぇ」と思っていますので、対策が必要になるという発想もありません。それは、それで仕方ありません。

では、なぜ、こんな対策が必要なのでしょう。
それは、私達には「毎日、餌を必要とする動物」という絶対条件があるからです。
何も食べずに生きていけるのであれば、ハイパーインフレもそれほど怖いものではありません。日常生活が、多少、不便になる程度です。でも、そんな人間は存在しません。

申し訳ありません。
こんな話、ど素人の、いい加減な与太話ですから、信じてはいけません。
でも、ご自分で考えるきっかけになってくれたら、大変嬉しいです。
どうか、ご自分の身は、ご自分で守ってください。


2017-10-03



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開戦 [評論]



北朝鮮問題が煮詰まってきました。
私は、国際政治の専門家ではありません。
いや、何の専門家でもありません。
素人であり、しかも「じじい」です。
そんな私が世界情勢を論じても意味はありませんが、専門家の皆さんの視点に、どこか納得の出来ない部分があって、ストレスになっています。ですから、これは、愚痴だと思って読んでください。これは、与太話の類ですから、信用しないように願います。
専門家の皆さんの主張は論理的だと思いますが、「人間」という視点が忘れられているのではないかと思っています。私は、世界情勢は人間の「欲」の結果だと思っていて、論理的な思考の結果ではないと思っています。これまでも、今も、これからも、人類が存続する限り、この現実は、揺るぎない鉄則だと思います。それが現実であり、そんな人間が世界を動かしているとすると、人間という視点を無視するのは、少し無理があるように思うのです。
北朝鮮問題では、アメリカと北朝鮮の動向が目立っていますが、韓国の動向次第では、全く違う局面が出てくると思いますので、今日はそのことを書きます。
今回も、最悪の想定をしてみます。いつも、最悪ばかりで、ごめんなさい。

さて。
アメリカは北朝鮮に対する軍事行動に踏み切るのか、という議論が続いています。
マスコミは危機を煽ることで視聴率が稼げますから、今にも軍事行動が起きるような騒ぎ方をします。これは無視することにしましょう。
専門家の間では、軍事行動には踏み切らないという意見が多いようです。
それは、余りにも犠牲が大きいこと、世界大戦になる可能性があること、アメリカの国益が失われること、政権の体制が不備であること、等々が指摘されています。世界大戦に火をつけ、国益を失うほどアメリカは愚かではない、という理由で、「戦争は起きない」という主張が一般的です。中には、100%あり得ない、と主張する方もいます。
いかにも説得力のありそうな根拠なのですが、ほんとに、そうなのでしょうか。
軍事行動は、アメリカにとって何の利益にもならない。
私も、その通りだと思います。
ただし、それは、短期的に見た時です。軍事行動を先送りした時、アメリカの中長期的な利益は、どうなるのでしょう。その答えは、10年前と今を見ることでわかります。10年前に軍事行動を先送りした結果が、今です。この先、5年、10年、忍耐の外交を続けて、展望が開けるとは思えません。10年後に軍事行動を起こすことのデメリットは、今よりもはるかに大きなものになると思います。
なぜなら、北朝鮮は核開発もミサイル開発も諦めないからです。北朝鮮が、このまま開発を進め、ワシントンを直撃する核ミサイルを配備すれば、アメリカは、将来、自国の国益が大きく毀損される事態を受け入れなくてはならなくなるからです。
その原因は、その国の国体によるものだと思います。中国も北朝鮮も、国民よりも国体を優先させます。でも、アメリカは国民を優先させなければなりません。国民の犠牲は仕方ないと考える国と、そうではない国が利害関係を争えば、前者のほうが有利です。アメリカは、アメリカ国民を人質に取られるのです。そうなれば、アメリカの国益は、加速度的に毀損される事態を招きます。残念ですが、正義や理想よりも、暴力のほうがはるかに強いのです。それは、アメリカが、武力を背景として世界制覇をしてきたことで証明されています。
選択肢の背景は、+1と-1の比較ではなく、-1と-1の比較です。今、軍事行動を選択した時の損失と、10年後に選択した時と、どちらが、損失が大きいかという比較です。日本であれば、躊躇なく10年後を選択すると思いますが、アメリカが同じだとは限りません。どんな選択をしても、アメリカの国益は守れないとすると、軍事行動はないという今の一般論は宙に浮きます。これが、現実だと思います。
アメリカ一強支配の時代は終わったのです。アメリカの選択は、その衰退を、国益の損失を、どの程度に抑えられるかしかありません。明らかに、万々歳、順風満帆、上り坂、という選択肢は、もうないのです。
どちらに転んでもアメリカの国益が損なわれるとすると、「どちらが得か」の判断に委ねられるとすると、開戦の可能性は五分五分だと思わなくてはなりません。
ここで、時間というファクターを加味すると、開戦の可能性が高くなる可能性があります。
今は、中国よりも、北朝鮮よりも、アメリカの軍事力のほうが上だと思います。アメリカも努力するでしょうが、10年後の軍事力は未知数です。今、叩いておくほうが、アメリカにとって有利だと判断すれば、軍事力行使は魅力的に見えます。いや、アメリカにとって、今が最後のチャンスなのかもしれません。
もう一つ、不確定要素があります。軍事行動は、残念ながら、リーダーという名の人間の胸三寸に委せるしかありません。
ところが、リーダーは神ではありません。人間の判断なのですから、論理的な判断が優先するとは限りません。人間の判断は、感情で、どのようにでも変わります。
ここで、問題になるのは、アメリカのリーダーも北朝鮮のリーダーも、感情の起伏では誰にも負けない、特別な二人なのです。しかも、二人とも、強気です。いや、強気と言うより、無茶苦茶という言葉や支離滅裂という言葉が近いのかもしれません。そんな、二人に正論を当てはめても、意味はないように思うのです。
ですから、開戦の可能性は、五分五分だと思わねばなりません。

トランプ大統領の発言で、驚きの発言がありました。もう、驚きの発言には慣れましたが、他人事ではない発言なので、あらためて、驚いてしまいました。それは、「被害は、こちらではなく、向こうで起きる」という発言です。私には、トランプの本音発言に聞こえました。軍事行動をとっても、戦争はアメリカ本土で起きるわけではなく、朝鮮半島とその周辺で起きるのだから、アメリカ本土の白人労働者には犠牲が出ない、という意味です。トランプに票を入れてくれた白人労働者は守るけど、それ以外の人々は、俺に責任はないと言わんばかりの発言です。在韓米軍や在日米軍の兵士も、守る対象ではなく、ましてや、韓国人や日本人は、トランプに一票たりとも入れてくれていない、という意味でもあります。韓国国民や日本国民には、数百万人の犠牲が出ると試算されています。米軍兵士にも、数万人の犠牲が出るとされています。それでも、それは、トランプが守らなければならない人々ではない、と言うのです。「俺は、ピッツバーグの白人労働者を守るために大統領になった」と言っています。
口実さえあれば、トランプが軍事力行使に踏み切る確率は低くないと思わねばなりません。トランプ政権の中枢にいる人達がトランプを説得できる可能性も高くはありません。トランプは、自分が王様になったつもりですし、王様状態が大好きです。閣僚に向かって「大統領に、この俺に、忠誠を尽くすと誓え」と強要するような人です。

戦争のきっかけなんて、予測不能です。
また、戦争は、一瞬では終わりません。
アメリカが、総力を出せば、一瞬で、北朝鮮を焦土にすることは可能でしょう。しかし、その時は、民間人も全員犠牲になります。世界が終わる時であれば、可能なのでしょうが、人道問題を旗印にしてきたアメリカが、虐殺国家として生きていかなければならなくなります。そんなことは、できません。戦争終結後のことを考えると、アメリカは金正恩と同じことはできないのです。数か月か、数年かはわかりませんが、一度始まった戦争は、すぐには終わりません。その間、お互いに攻撃をするのです。世界戦争になる可能性もあります。いや、間違いなく、世界戦争になります。中国は、川を挟んでアメリカ軍が駐屯する状況を受け入れられません。肉眼でも見える場所にアメリカのレーダー基地ができるのを、座して見ていることなどできません。ロシアも同じです。中国もロシアも、北朝鮮を守るという選択肢しか残されていないのです。
では、それ以外の国がアメリカに協力して戦争に参加するのでしょうか。トランプは世界中の国に喧嘩を売っていますので、そう簡単には参戦してくれないと思います。日本は、ポチですから、自動的に参戦することになりますが、日本以外の国は、自国の国益との相談になります。
そもそも、韓国がアメリカ連合に参加するかどうかも不明です。文政権は、「韓国の了解なしに、朝鮮半島での戦争は起きない」と断言しています。アメリカが勝手に戦争を始めたら、韓国は、韓米同盟を破棄する覚悟がなければ、こんな強硬発言はできません。文大統領は、北朝鮮と戦争をしたくないと本気で思っているようです。それは、彼の出自に由来すると解説する方もいますが、それが的を射ているのかどうかは別にして、戦いたくないと思っていることは、その発言の端々に出ています。これは、彼が弱虫だからではありません。自国の国民に数百万人の犠牲者が出ることを認めるリーダーなど存在しません。ただ、アメリカは、韓国が反対したからといって、開戦を断念することはないと思います。なぜなら、この開戦はソウルを守るためではなく、ワシントンを守るために行われるからです。当然、中国からの調略もあるでしょうから、韓国がアメリカ連合として参戦する可能性は低いのではないでしょうか。韓国は、中立を保つことが国益を守ることになりますが、そんな美味しい選択は、許されないでしょう。
もしも、韓国が自国の国益を守るために、中ロ連合軍に参加したとしたら、この戦争はどうなるのでしょう。
そうです、主戦場は、アメリカの最前線基地である日本になります。
こんなことは、誰も想定していません。
これは、荒唐無稽な想像にすぎないのでしょうか。
どこの国も「どっちが得か」で判断するのです。何があっても不思議ではありません。この第三次世界大戦は、資本主義対共産主義の戦いではありません。「どっちが得か」の戦いです。アメリカファーストを旗印に掲げたアメリカが、「どっちが得か」の先頭を走っているのです。どこの国も「自国ファースト」を主張するでしょう。北東アジア以外の地域の国にとっては、不参加が一番理に適っています。
日本とアメリカの連合軍と中国、ロシア、北朝鮮、韓国の連合軍の戦いになるのでしょう。
日本列島と朝鮮半島が主戦場になります。
日本国民は、そんな状況を想像もしていません。今は、明治でも、大正でも、昭和でもありません。国民の理解なしに、日本は戦争当事国になれるのでしょうか。
多分、「そんな、馬鹿な」と言う方が大半でしょう。
でも、そんなことにはならない、と断言できる人がいるのでしょうか。
ここまで、極論だと言われても仕方のないレアケースを想定しました。
それは、国際関係とは、信義や相互尊重が求められているのではなく、利益が最優先される関係を指すからです。「何でもあり」が現実なのですから、危機管理は最悪のケースを想定しなければなりません。

全体像を離れ、局地的な想像をしてみます。
政府は、二言目には「日米韓の緊密な連携により」という言葉を多発します。
では、日米韓は一枚岩なのでしょうか。
違うと思います。連携を強調しなければならないということは、連携出来ない時は、それがアキレス腱になることを認めているということです。
私は、日米韓の連携には、無理があると思っています。それは、韓国の犠牲が突出して大きいからです。アメリカの国防長官が「韓国の犠牲を最小限におさえる軍事オプションはある」と発言していますが、軍事専門家は首をひねっています。ソウルの2,000万人の市民が人質になっていることを、韓国の被害が大きいことがアキレス腱であることを、認めてしまった発言なのではないかと思えてなりません。
韓国には、犠牲者を減らす方法はないのでしょうか。あります。アメリカ陣地に立つのではなく、中国陣地に立てばいいのです。
北朝鮮は、「ソウルを火の海にする」と言っていますし、米韓の分析でも、ソウルを中心に数百万人の犠牲が出るとされています。数百万人で済むのかどうかもわかりません。韓国は、国の命運を決めるような戦争をしなくてはなりません。人的な被害も甚大ですが、経済的な被害は韓国経済を破壊します。韓国は、そんな事態を受け入れられるのでしょうか。いいえ、他の選択肢を捜すのは当然のことだと思います。韓国では、朝鮮半島で戦争は起きない、と思っている人が、約6割いるそうです。なぜなら、韓国人の心配事の第一位は、北朝鮮ではなく、自分の生活だからです。中国の経済制裁が、徐々に深刻度を増していて、真綿で首を絞められている状況ですから、庶民の関心は経済です。このまま、中国と敵対し、北朝鮮と戦争にでもなれば、踏んだり蹴ったりです。我が国は既定路線でいいのか、韓国は最悪の選択をしようとしているのではないか、という疑問を持つ方は、既に、いると思います。別の選択肢を考えるべき時にあるのです。特に、文政権であれば、その可能性は高くなります。でも、文大統領は間違っていないと思います。戦争が終わったら、困難が待ち構えていますが、とりあえず、国民の犠牲は最小限にすべきです。国の基本は、国民だからです。
日本を敵とした場合、中国と北朝鮮と韓国が手を結ぶことは、それほど困難なことではありません。世界で、反日を掲げている国は3ケ国あります。その中国と韓国と北朝鮮が手を結ぶことは自然な成り行きでもあります。
韓国の動向次第で、日本にとっての戦争は大きく変わります。
ですから、ここでは、日本が主戦場になるという想定で見てみます。
「きみい~ そんなのは、小説の世界の話じゃよ」
そうかもしれません。
では、小説のプロットとして見てみましょう。
この戦争は、朝鮮戦争の延長戦ではありません。北朝鮮とアメリカの戦争でもありません。この戦争は、米中戦争です。戦場という視点で見れば、アメリカの前線基地である日本列島と、中国の緩衝地帯である朝鮮半島の戦いです。
先ずは、日本で、工作員による破壊工作が激しくなるのではないでしょうか。
日本に、北朝鮮の工作員は、数万人いるとされています。中国の工作員も、韓国の情報機関員も、ロシアの工作員も、数えきれないほど存在していると考えなければなりません。テロ等準備罪という法案を無理してでも通さなければならなかったのは、日本がスパイ天国と呼ばれていたからです。
問題は、工作員による破壊工作が本国の指令によって行われたことを証明しなければなりませんが、それが至難の業で、反撃の口実にはなり難いのです。中国人も、韓国人も、北朝鮮人も、日本人も、明確な区別はつきません。工作に失敗して、逮捕されたとしても、黙秘を続ければ、国籍さえわかりません。もし、国籍が分かったとしても、個人の意思でやったのだと主張すれば、国家の責任は問えません。
破壊工作を効果の面から見てみると、インフラに対する破壊工作が有効です。20世紀に行われていた破壊工作の効果より、はるかに大きな成果を得られます。電力、ガス、水道、運輸、通信、道路等々、攻撃の対象になるインフラは多岐にわたります。たとえば、全国の道路を監視することは不可能です。人気のない道路を破壊すれば、孤立する地域が簡単に作れます。トンネルや橋の爆破も有効でしょう。鉄道の線路の破壊、高速道路の破壊、ガス管の破壊、水道管の破壊、新幹線の爆破。中でも一番効果があるのは、送電線の破壊なのではないかと思います。人間や軍事基地を標的にする必要はありません。警備が厳重な原子力発電所を標的にする必要もありません。原発の爆破は、後に行われるミサイル攻撃に任せればいいのです。誰もいない山の中に立っている送電用鉄塔を爆破するだけで、多くの地域を停電にすることが可能ですし、復旧には時間もかかります。送電用の鉄塔は、日本中に無数に存在しています。電力の供給が断たれたら、21世紀の社会は成り立ちません。
破壊工作に失敗する工作員や、逮捕される工作員もいるでしょう。でも、一網打尽にすることは不可能です。左翼の日本人は、戦争阻止のためという大義を掲げ、工作員を支援するかもしれません。工作活動に参加する日本人も出てくるでしょう。
何が起きるのでしょう。
そうです。スパイ狩りが始まります。
警察は、収容施設を新設してでも、片っ端から逮捕しなければなりません。もちろん、スパイだけが逮捕されるのではなく、多くの日本人も逮捕されるでしょう。当然、拷問に近い尋問が行われます。冤罪、などという主張は無視されます。
密告も奨励されるでしょう。流言飛語も増えます。
それでも、破壊工作は続きます。
これは、戦争なのですから、仕方ありません。
政府は、戒厳令を出し、言論弾圧もします。
では、そんな状況の日本社会を想像してみてください。
不安と不満と閉塞感で、社会は壊れ、上手に誘導されれば、どんな方向へも動きます。
新聞は、過去に、政府の御用新聞になったことがあります。この国には、民主主義もジャーナリズムも存在していませんので、メディアは政府の広報機関に変身できるのです。
「政府は、何をやっているんだ。北朝鮮を攻撃しろ」という声に、国民が賛同しても不思議ではありません。日本人は、付和雷同が好きです。
開戦の火ぶたを切るのは、日米連合軍になる可能性が高いと思います。中国もロシアも古い歴史を持つ国ですから、戦略には長けています。逸る北朝鮮を抑え、日米連合軍の攻撃を待つほうが有利だと思うでしょう。
中ロ連合軍は、「先に攻撃したのはアメリカで、我々は自衛のために立ち上がる」と宣言し、国際世論を味方につけます。
この戦争は、朝鮮半島を制圧するか、日本列島を制圧するか、という戦いです。
日本海を隔てて、ミサイル戦争が始まるのです。
アメリカの過去の戦略は、日米韓の連合軍が前提でした。ですから、これまでに想定された戦略は役に立ちません。日本海に、空母やイージス艦を並べる戦いは出来ないのです。いや、これまでの戦略は朝鮮戦争の延長戦という想定で作られてきましたが、これは延長戦ではありません。北にロシア軍が張り出し、南に中国軍が展開し、西に朝鮮半島軍が布陣している戦場で、狭い日本海に艦船を展開すれば、袋のネズミになってしまいます。
そして、日本には、ミサイルがありません。
中ロ連合軍の先鋒は北朝鮮です。
北朝鮮から、数千発のミサイルが撃ち込まれます。日本を攻撃するのであれば、ICBMは必要ありません。
あらゆるシステムが、電力供給を前提に作られていますので、インフラが破壊されれば、既存のシステムは機能しません。Jアラートも鳴りません。原子力発電所の燃料貯蔵プールに直撃弾が落ちれば、放射能汚染も起こります。道路も寸断されますので、流通インフラが機能しません。それは、食料や燃料や水の供給が出来なくなるということです。都会ほど、その影響は大きくなります。
もちろん、ミサイルによる直接の犠牲者も出ます。百万人単位の犠牲者で済むかどうかはわかりません。先月も書きましたが、北朝鮮は、化学兵器、生物兵器、核兵器、通常兵器、とあらゆる武器を持っています。
自衛隊は、救援活動で手一杯です。
止めを刺すために、核兵器が投入されるかもしれません。アメリカ軍は、アメリカ本土への核攻撃ではありませんので、核兵器による報復をしないかもしれません。なぜなら、アメリカが核兵器を使用すれば、その報復という名目でワシントンに中国の核ミサイルが飛んでくるかもしれないからです。アメリカは、前線基地の日本列島を諦めて、前線をグアムとハワイに下げれば、とりあえず、アメリカ本土は戦火を免れます。トランプが指摘したように、被害は、アメリカから見て、「向こう」で生じるのです。
中ロ連合軍は、深追いはしないと思います。中国には、勢いに乗ってアメリカ本土を攻めるほどの力は、まだありません。
日本は占領され、中ロ連合の管理下に置かれることになります。
第三次世界大戦でも、原爆被爆国になるのは日本だけという残念な結果になるかもしれません。非核三原則を掲げていた国が、二度目の被曝をするという皮肉な結果になります。
もちろん、こんな戦争をすれば、中国も無傷ではすみません。中国の経済基盤は、決して、強いとは言えません。日本、アメリカとの経済関係が途切れることで、中国経済もダメージを受けます。経済が国の基本であることは、共産主義の国でも同じです。また、北朝鮮のような凶暴な国を支援し、日本を叩き潰した結果、多くの国が中国を恐れるようになります。表面的な友好は維持しても、深入りはしたくないと思うでしょう。いつ、自分の国が日本のようになるかわかりません。そのほうが、中国経済に大きなダメージを与える可能性もあります。日本でも構造改革はできませんでしたが、中国の構造改革は日本よりも難しいと思います。アメリカは日本という前線基地を失いましたが、それほど大きな傷ではありません。ロシアもそれほどのダメージは受けないでしょう。多分、日本と中国が貧乏籤を引くことになります。北朝鮮は、既に、貧乏籤を引いていますので、それほど変わりはありません。韓国は、賢明な判断をして、国益の損失を最小限に抑えることになります。

悲惨なプロットになってしまいましたが、笑っていただいて構いません。
でも、荒唐無稽な絵空事で片付けられるのでしょうか。
世界を動かしているのは、「正義や信義が優先する」という条件がプログラミングされたコンピューターではありません。
個人でも、国でも、「どっちが得か」で動いているのです。
「何でもあり」のほうが現実なのです。

最悪の想定をしましたが、もちろん、想定が現実になるとは限りません。可能性がゼロではない、というだけです。ただ、こんなことになると、大変だと思います。
しかし、政府は、「日米安保、日米安保」と連呼するだけです。
「戦争反対、安保反対」と叫んでいた左翼の方と同じことをやっています。
「なんか、へんだな」と思うべきなのではありませんか。
政府は、「国民の生命と財産を守る」と言います。
でも、政府は、「全ての国民を守る」とは言っていません。
もちろん、そんなことは、不可能ですが、そのことは伏せています。
極論ですが、1億2,000万人の国民が犠牲になっても、1人の国民を守れば、国民を守ったことになるのです。
国民の皆さんは、「国民の生命と財産を守る」と言われると、自分も守られているように思うかもしれませんが、それは勘違いです。
犠牲者は、必ず、出ます。
それが、戦争なのです。
政府の「国民の生命と財産を守る」という意味は、「可能な限り、国民の皆さんを守る、努力はします。それ以上のことはできません。言葉だけにすぎませんが、何もないよりは、少しは落ち着けると思うのです。だって、全ての国民を守ることなんて、誰にも出来ませんから」という意味です。努力目標なのですから、どんな目標でもいいのでしょう。
ところが、国民を守るのは、日本政府ではなく、自衛隊でもなく、アメリカ軍です。
アメリカ軍兵士が、なぜ、自分の命をかけて日本人を守る必要があるのでしょう。彼等は、正義の味方なのですか。白馬の騎士なのですか。違うと思います。
日本政府には、国民を守る力がありません。
「アメリカが、きっと、守ってくれる。そう信じましょう」と願っているだけで、本当に、国民は守れるのでしょうか。
「日米安保さえあれば、我々は守られる」のであれば、左翼の方が言う「日本憲法さえあれば、9条さえあれば、戦争は避けられる」という論理と、他力本願という意味では同じです。どちらも、信義が優先すると思い込んでいます。信義を信じているのは、日本人くらいです。
驚くほどの論理の飛躍なのですが、国民は、「ふむ、ふむ」と頷くだけです。
まさに、夢見る少女状態です。
もしも、本当に戦争になったら、その責任の大半は、国民にあります。
なぜなら、この国の責任者は国民だからです。
その自覚を持てなかった国民の責任なのです。
国も国民も、どっちもどっちです。私達国民から選ばれた人達が国家の運営をしているのですから、その意識レベルは一緒なのですから、仕方のないことです。せめて、定義が存在していれば、少しは変わっていたかもしれません。

もちろん、こんな小説のプロットのような未来は要りません。
戦争なんて、ご免です。
確かに、これは、与太話の類ですが、その確率はゼロなのでしょうか。ゼロであって欲しいとは思います。
だからと言って、願いが叶うとは限りません。


2017-10-02



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小池旋風再び [評論]



小池東京都知事が、国政政党「希望の党」を立ち上げました。
安倍総理の解散会見の直前に発表するという、サプライズも用意されていました。
凄い人ですね。
半年前に、「希望の党」という政党名を商標登録していたのですから、確信犯です。
新党設立の準備をしていた若狭氏や細野氏は、使い走りにすぎず、いとも簡単にリセットされてしまいましたが、これも、予定の行動だったのでしょう。
凄い人です。
役者の違いを見せつけられました。
ところが、それだけではなく、既に、発表前に、民進党の前原代表、連合の神津会長とも会談をしていて、合流の約束も取り付けていたのです。
民進党は、今回の選挙では公認候補を立てないそうです。離党して、希望の党の公認を貰ってください、と言っています。余りにも滅茶苦茶で、余りにも突然で、唖然とするか、拍手するかの二択しかなかったのでしょう。満場一致で決まってしまいました。もう、これは政党ではありませんが、民進党には参議院議員も地方議員もいますので、苦肉の策だったのでしょうが、民進党の苦悩がにじみ出ているようで、気の毒な気持ちになりました。小池知事は、「合流」は考えていない、と言っています。民進党出身の方であろうと、他の政党の方であろうと、希望の党から出馬したいと応募してきた人は、個別に面談をして決める、と言っています。それは、断る場合もある、ということです。それでも、前原氏は小池氏の提案を受け入れました。小池提案の丸呑みです。私達が感じていたよりも、民進党は窮地に立っていたのでしょう。ただ、前原さんの判断基準は、民進党の議員が、国会議員であり続けるためには、どうすればいいか、にあるように見えます。つまり、「国会議員さえよければ」が判断基準です。そこに、国民という視点は入る余地がありません。別に、前原さん個人を批判しているのではありません。彼の周辺にいる人達は、皆さん、そういう判断基準で動いていますので、あの世界では常識なのでしょう。
それにしても、凄い。
もちろん、小池さんが、です。
これだけの絵が描ける政治家は見当たりません。
前原さんは、その「ヘタレ」ぶりが際立ってしまいました。
国政選挙に関してだけですが、小池さんは、金もなく、組織もなく、候補者も揃えられない、ただのおばさんです。無手勝流の実験です。それを、風にしてしまうのですから、凄いと褒めるしかありません。これは、才能です。
まだ、新党立ち上げ直後ですから、この先、紆余曲折はあるものと思いますが、着実に国民の支持は上がっています。ある世論調査によると、自民の29%に対して、希望18%という数字も出ています。これまで、野党で2桁の数字を出した政党はありません。国民が求めているのは、第2自民党だと以前に書いたことがあります。左翼に投票する勇気はないけど、自民党には投票したくないと思っている国民が多くいることは、東京都知事選挙や東京都議選挙で立証されました。国政選挙でも、小池旋風が吹き始めています。
まかり間違って、若者や女性が投票所に行き、投票率が高くなってしまうと、波乱が起きる可能性があります。また、お年寄りが、特に選挙に関心がなかったお年寄りが、消費税だけを判断基準とした場合は、自民党は不利になります。できるだけ、今まで通り、若者や女性や老人は、眠っていて欲しいと願うしかありません。10月22日が台風で大荒れになり、投票率が50%を切ってくれたら、自民党にとっては、万々歳です。
多分、自民党は「しまった」と臍を噛んでいるのではないでしょうか。小池さんのために総選挙というお膳立てをしてしまって、まんまと利用されてしまった感があります。
ただ、希望の党の人材不足は否めません。
でも、お国の役には立ちそうにもない人でも、当選してしまえば、国会で一票を投ずることができます。優等生でも劣等生でも、一票の価値に変わりはないのです。小池さんは、そんなこと、百も承知で勝負に出たと思います。
凄ッ。
私には、あの太々しい笑顔が、百戦錬磨の狸の顔に見えてしまいます。
選挙は水物と言われ、中々予測が難しいと言われますが、大荒れの選挙になる、と多くの方が予想しています。希望の党の出現で、一番困っているのは共産党ではないでしょうか。相手が民進党であれば、手の中で転がせますが、小池さんを転がすことはできません。
また、民進党の左派議員の皆さんは、困っていると思います。新党を立ち上げるしか選択肢はありませんが、準備不足で、それも難しいと思いますし、社民党の衰退を見ているのですから、バリバリの左翼政党を立ち上げることには抵抗があるでしょう。今になると、左派議員の皆さんにとっては、民進党が理想的な居場所だったのではないかと思ってしまいます。どうするのでしょう。お気の毒、としか言えません。

ただ、国民目線で見ると、自民党も希望の党も50歩100歩に見えます。
政策が似ているという意味ではありません。
小池氏は、リセットという言葉を強調していましたが、多分、自分にとって都合の良いリセットだけを思い描いているのでしょう。国民のためのリセットが、どこに組み込まれているのかは見えてきませんでした。
国民は、小池旋風という騒ぎには巻き込まれますが、時間が経過すれば、元の木阿弥になるしかありません。
国民の皆さんも、慣れていますので、期待することはないと思いますが、少しでも夢を見ると、その分失望が大きくなりますのでご注意ください。
希望の党は、同じ穴の狢にすぎません。確かに、小池氏の希望が叶う可能性はゼロではありません。でも、国民の希望が叶うことはありません。
源流を見てください。希望の党も、これまでの政治の流れの延長線上にいるのです。国民が主役になる国家運営ができる政治集団ではありません。
それは、「国とは、国民とは、民主主義とは」という原点の定義に、全く、触れていないからです。日本の未来を変えたいのであれば、原点に戻るしかないのです。今の延長線上に未来がないことくらい、政治家であれば、わかっているはずです。
自民党は、小池氏の言うとおり「しがらみ」がありますから、現状維持をしなければなりません。野党は、本当に「しがらみ」が無いのであれば、国民を味方につけたいのであれば、原点に戻れるはずです。しかし、同じ流れの中で、流れに竿を差しても、どうすることもできません。結局、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で乗り切ろうとします。少しは波が立つかもしれませんが、すぐに、元の流れに戻ります。
政治家が、従来の発想とは違う動きをすれば、時代を変える可能性はあります。これは、政治家にしかできないことです。もしも、国家存立の原点に戻ることができれば、政治家の政治家による政治家のための選挙制度が、国民のための選挙制度に変わる可能性もあります。「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義をしている政治家であれば、先ず、何よりも先に、選挙制度を変えることになります。選挙制度は民主主義の土台ですから、土台を作ることから始めるしかないのです。しかし、政治家は、誰一人、選挙制度に言及しません。それは、政治家が国会議員という既得権益を守る前提で動いているからです。こんなこと、政治家の皆さんが、気付いていないとは思えません。もしも、目先の利益を争う選挙になるのであれば、与党も野党も、自分達の既得権益だけは、お互いに守ろうという暗黙の了解があるとしか思えません。結局、食い物にされるのは、国民だということなのでしょう。
今までと、何も、変わりはないのです。
これは、ただの、権力闘争にすぎません。
どちらが、国民を食い物にする権利を獲得するか、という闘いの場である投票所に足を運ぶ私達国民は、一体、何者なのでしょう。どちらの領主様を選んでも、領主様は領主様の利益を優先するのであれば、選ぶ意味があるのでしょうか。それとも、「選べるだけでも、感謝しろ」ということなのでしょうか。封建制度であれば、そうなります。いや、封建制度ですから、それが正しい答えなのでしょう。

自民党にとっては、厄介な風が吹き始めましたが、今のところ支持が逆転しているわけではありません。確かに、無党派層の多い都市部では苦戦するでしょうが、100万票で当選しても、10万票で当選しても、国会では一票の重さしかありません。地方で勝てばいいのです。
希望の党は、頑張っても、立候補者数は150だとすると、全員当選しても第一党にはなれません。政権交代はできないのです。
安倍総理は、解散会見で消費税の使途について時間を取って説明していましたが、希望の党が、消費税凍結を主張してしまったので、消費税を争点にすることを避けるために、北朝鮮情勢を前面に出す戦法に変えたようです。これは、正しい判断だと思います。消費税を最大の争点にすれば、勝てる選挙も勝てなくなります。また、安倍総理は、街頭演説で「子供達の未来を守る」と声を大にして訴えていました。いつものことですが、言葉選びや短文の作成については、中身は伴わないとしても、お見事です。「子供達の未来を」一番守っていない人達が、堂々と「子供達の未来を守る」と言うのですから、その厚顔無恥も芸術の域に達しています。これは、政治ですから、選挙ですから、何を言ってもいいのです。野党の皆さんも、見習うべきだと思いました。更に、北朝鮮のミサイルとJアラートのおかげで、自民党は、一定の支持は得られています。
まだまだ、自民党のほうが優勢です。
森友加計問題は氷山の一角であり、自民党は、元来、利権集団のための政党ですから、国民のための政治をする集団ではありません。それでも、なぜか「他よりも、ましだから」と考える国民のおかげで政権を維持しています。この投票動機は、まだ生きています。長い時間騙されていると、人間は、その環境の中に幸せを見つける力を持っています。自分達が騙されていることは忘れてしまうのです。
安倍総理は解散会見で、全世代型社会保障と大見得を切りましたが、単なるバラマキ公約でしかありませんので、一時的なものでしかなく、日銀の政策と同じで、副作用だけが後に残るものになると思います。公約は、国民の心を動かしていません。特に重要な選挙区になる地方の老人にとっては、幼児教育無償化なんて他人事です。自民党勝利で選挙が終われば、消費税増税が現実になりますし、老人向けの社会保障の削減が現実になります。しかし、老人の皆さんに、その実感は余りないように見受けられます。皆さん、大丈夫ですか。
自民党の公約は、自民党政治の真骨頂である、税金を使うだけ使って、後は野となれ山となれ方式ですから、現在の国民だけではなく、将来の国民の首を絞めるものになります。それでも、自民党の最大の利点は、「他よりも、ましだから」という投票動機です。この動機は、曖昧なだけに、なくなりません。
多くの方が、まだまだ「他よりも、ましだから」という理由にもならない理由で、自民党に投票します。愚かと言うしかありません。国民は、いつまで、こんなことを続けるのでしょう。国民は、自分達に選択肢がないことに気付かなくてはなりません。念のため書きますが、希望の党は、別の選択肢ではありません。
国民は、何が選択肢なのかを知らねばなりません。それが、国民の義務です。民主主義の定義がないことと、政治家のための選挙制度しか存在していないことが問題なのです。国民のための選挙制度が存在しないのですから、政治家は国民のために働く必要がないのです。選挙の時だけ、頭を下げればいい。それは、自民党でも希望の党でも、条件は同じです。権力闘争に勝てばいいのです。別に、国民のための政治をしなければならない、という制約はどこにもありません。風であろうが、美辞麗句であろうが、国民を騙したほうが勝つのです。「おれおれ詐欺」と同じようなものです。善良な老人ほど騙されます。そして、この国の老人は、大半が善良な老人です。この国の国民は、皆、いい人ばかりですから、政治家の騙しも、おれおれ詐欺も、悲しいことですが、なくなりません。
それでも、何度でも書きます。この国の責任者は国民です。ですから、たとえ、知らなかったとしても、騙されていたとしても、責任は国民にあります。国民は、知る努力をしなくてはなりません。それを怠った国民が責任を取るのは、仕方のないことです。何も、私は国民が左団扇で生活できる仕組みを作れ、と言っているのではありません。国は国の責任を、国民は国民の責任を果たし、大人達は最大限の努力をし、できるだけ豊かな生活を子供達に渡せる大人の国になるべきだと思っているのです。

それにしても、あのJアラートの選挙効果は大きいです。役に立たないJアラートを鳴らす必要はなかったと思いますが、選挙戦略であったのであれば、これは絶妙な選挙対策になりました。国が、政府が、自衛隊が、国民を守ってくれるわけではありませんが、少しでも太い藁を掴もうとするのは、人情として、仕方ありません。
安倍総理は「いつ、解散するか」「どうすれば、自民党が勝てるか」をずっと考えていたと思います。まさか、小池旋風が再び吹くとは思っていなかったでしょうから、今の状況は想定外だったでしょうが、安倍さんのブレーンに優秀な方がいて、北朝鮮情勢を利用し、国民に恐怖心を持たせることが出来れば、集票できると考えてJアラート案を提案したのであれば、称賛に値します。いや、それ以外にJアラートの意味はないのかもしれません。そうであれば、納得できます。「なんか、変だな」という現象には、必ず、裏があるということを忘れていました。私は、Jアラートに苦情を書いていましたが、反省しなければなりません。
私達は、私も、砂上の楼閣の上で右往左往しているのです。ただ、楼閣の上にいると、それが見えません。

何一つ変わらない権力闘争をしていていいのでしょうか。
いつになったら、国民のための政治が始まるのでしょう。
多分、そんな日は来ないのだろう、と思うしかありません。


2017-10-01



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