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石田友の世界へ ようこそ

このブログは、「妄想」と「無茶な提案」の山が連なる暗黒連峰です。 この暗闇を抜け出して、子供達の未来を守りたいと願い、書いています。 「妄想」ですから、眉に唾をして読んでください。


最新記事

2018-11-04 評論       「中国脅威論と米中戦争 2 」 
2018-11-03 評論       「中国脅威論と米中戦争 1」 
2018-11-02 評論       「核廃棄物の行方と国民保護」 
2018-11-01 評論       「NHKとドン・キホーテの法廷闘争」 





再掲載

    崩壊との遭遇      崩壊後の社会    

   簡単な算数       財務省の推計  


このプログには、次のオリジナル小説があります。

長編小説 「無力」「海の果て1-3部」「理不尽」「陽だまり」「復讐」 「弱き者よ」
短編小説 「不運」 「天軍の藍」「甲子園城」「川面城」
超短編  「すずめ」 「雨」 「算術」 「逃亡者」 「告発」「火球少女」「花火」

・・・ それぞれの小説へは、この下にある目次から飛んでください ・・・

         日記は左の 記事一覧 からお願いします

  >>> 目 次 <<< 




[ あらすじ ]

    1    

[ 無力 ]

    1     2     3     4     5     6     7     8     9      

   10    11    12    13    14    15    16    17      


[ 海の果て・・・ 1部 ]

    1     2     3     4     5     6     7     8     9     

[ 海の果て・・・ 2部 ]

    1     2     3     4         

[ 海の果て・・・ 3部 ]

    1     2     3     4         


[ 不運 ]

    1    


[ 天軍の藍 ]

    1   


[ 理不尽 ]

    1     2     3     4    


[ 陽だまり ]

    1     2     3     4    

[ 復讐 ]

    1     2     3     4     5    


[ 弱き者よ ]

    1     2     3     4    


[ すずめ ]

    1    


[ 雨 ]

    1    


[ 算術 ]

    1    


[ 逃亡者 ]

    1  


[ 甲子園城 ]

    1  



[ 告発 ]

    1  



[ 火球少女 ]

    1  

[ 花火 ]

    1  

[ 川面城 ]

    1  









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中国脅威論と米中戦争 2 [評論]



一方、中国は、アメリカの前に、全面的に、膝を折るつもりはありません。
習近平が宣言しているように、世界覇権は中国四千年の願いであり、このまま時間さえ経過すれば、その願いは叶えられるのですから、あえて、自分から「中米戦争」に突入したいとは考えていないでしょう。そうであっても、ここでアメリカの横暴に屈服すれば、何が起きるかわかりません。勝つ自信はなくとも、負けない自信は持っていると思いますので、アメリカが戦争を仕掛けてきたら、受けて立つ覚悟はあると思います。
彼等はプライドも高く、自信も持っています。
いや、それ以上に、底の見えない「貪欲さ」を、好意的な表現をすれば「バイタリティー」を持っています。世界中を呑み込む意欲に溢れているのです。
その自信の根源は、人口です。
「ああでもない、こうでもない」と言いながら、反発しながら、妥協もしながら、時には、敗者のふりをしながら、アメリカと付き合う用意はあります。
中国が、一番欲しいのは、時間です。
中国にとって、途中経過は、さほど重要ではありません。
今は、「ウイン・ウイン」でいいのです。いや、彼等は、「ウイン・ウイン」や戦略的互恵関係が大好きですし、いつも、そのことを主張します。それは、最後に笑うのは、人口で勝る中国だと考えているからです。
そして、その中国の戦略は間違っていないと思います。
覇権獲得の途上にある今、習近平は、時間を稼ぐためには、トランプと何らかの妥協をしたいと思っているでしょう。しかも、トランプは、喉から手が出るほど手柄が欲しいと思っています。共産党工作部のトランプ分析は、多分、世界最高レベルにあると思います。拍手喝采を手に入れるためであれば、妥協する大統領だということを、習近平は知っています。交渉は可能なのです。
ただ、中国共産党がトランプに負けることはできません。自信を持ってしまった中国人民に弱みを見せることは出来ないのです。アメリカの言いなりになれば、習近平の権威は地に落ちます。中国の選択肢は、名誉ある妥協しかありません。「妥協させられた」のではなく、「妥協してやった」という言い訳が出来なければなりません。問題は、トランプが「勝った、勝った」と騒ぎ立てることです。習近平は、中国人民に、「弱腰」だと思われたくありません。これが、最大の難題だと思います。
少なくとも10年、できれば30年、のらりくらりしていれば、何とかなると思っています。ただ、中国も、どこかの時点で「米中戦争」の可能性は高いと思っていますので、莫大な金額を軍事費に投入してきたのです。もちろん、覇権を取った後のほうが、強大な軍事力が必要になるのですから、無駄にはなりません。恫喝、軍事介入を多用するのは、アメリカと同じか、それ以上だと思います。中国は、正義を決めるのは力であることを知っています。
最終決着が付くまで、中国は、保険をかけておかねばなりません。それが、EUと日本です。中国政府幹部が、笑顔を振りまきながら、日本に接近しているのは、そのためです。ただし、日本に対しては強面と笑顔の両面作戦が有効なことを知っています。
アメリカから締め出されたら、痛手であることは確かですが、致命傷にはなりません。しかし、アメリカとEUと日本から締め出されたら、中国は、国内から崩壊する可能性があります。もちろん、そんなことになれば、EUにも日本にも大きな損失が生じます。ただ、価値観の共有が、中長期的な利益につながるのであれば、多少の損失は我慢するかもしれません。NATO、日米安保が、損失覚悟の関係になるのであれば、中国にとって由々しきことですが、アメリカは、EUにも日本にも喧嘩を売っています。そういう意味では、中国にとってのトランプは、オバマがそうであったように、救世主なのかもしれません。アメリカに、オバマ大統領とトランプ大統領が続けて生まれたことは、時の流れが中国に傾いていると喜んでいるでしょう。
まだまだ、中国のシナリオは崩れていません。
アメリカが同盟国を切り捨てているのに対し、中国が、友好関係、同盟関係を強化しようとしているのは、「米中戦争」で勝つためです。アメリカにとって「米中戦争」は避けられない道ですが、中国も、世界覇権を手にするためには、アメリカとの戦争は不可避だと考えています。中国にとって、ロシアとイランは大きな戦力になります。それは、経済的な利益が目的ではなく、軍事的な価値があるからです。
覇権争いでは、和睦や交渉は、あくまでも、途中経過にすぎません。
人類は、話し合いで最終決着をつけた体験がないのです。これからも、そんな奇跡は起きないと思います。それは、人間が「欲」で出来ているからです。覇権争いの最終決着は、いつの時代でも、戦争でつけるしかありません。そういう意味では、猿山のボス選びと大きな違いはありません。

「米中戦争」は、アメリカと中国が単独で戦争するわけではありません。
アメリカ連合軍と中国連合軍の戦争です。それは、第三次世界大戦を意味します。
中国は、昔から、戦略が好きな国です。
アメリカと中国が単独で戦えば、中国は勝てません。中国は、アメリカの兵力を分散させなければならないのです。イランが中東で戦争寸前状態を作り、ロシアがEUと戦争寸前状態を作れば、アメリカの兵力の半分をアジアから遠ざけることができます。将来は、イランもロシアも中国の支配下に置くつもりですが、当面、アメリカの敵は中国の味方として利用することができます。もちろん、EUも日本も一時的な価値しか認めていません。
「米中戦争」のアジア戦域は、南シナ海、台湾海峡、東シナ海、日本海を結ぶ線が前線になると思います。この広大な戦域を、半数のアメリカ軍でカバーするのは至難の業です。アメリカには、国としての具体的な戦略は見当たりませんが、アメリカ国防省は、それなりに戦術を立てていると思います。その戦術のために、日本の自衛隊に相応の役目を果たしてほしいと思っています。いや、それ以外に選択肢はありません。自衛隊を戦力とみなさなければ、アメリカ軍は戦えないのです。日米合同軍事演習が増加しているのは、そのためです。
そんな時に、日本に貿易戦争を仕掛けている政府の姿勢を、第七艦隊は憂慮しているのではないでしょうか。
安倍政権が、無理にでも憲法に自衛隊の3文字を入れようとしているのは、アメリカ国防省の要請があるからだと思います。
ただ、日本では「中国潰し」の世論操作は始まっていません。日本国民にとって「日韓戦争」や「米中戦争」なんて言葉は、遠い他国の、関係のない言葉だと思われています。
これは、世界常識には頓着しない日本の野党が定番にしている「中東戦争に巻き込まれる」というような話ではありません。日本が最前線基地になるという話なのです。国民の賛成が得られなくても、見切り発車することになるでしょう。もっとも、日本国民は、「お上」の意向には逆らわない「いい人達」ばかりですから、その選択が失敗するとは限りません。
「米中戦争」は価値観の戦争ではありません。「ボスは誰なのか」という戦争です。それは、どこの国も、負ける側にはいたくないと思う戦いなのです。できることなら、中立を保つことが最善の選択になります。
「米中戦争」が始まるまでに、欧州各国との同盟関係が修復できていればいいのですが、欧州各国はアメリカに協力するよりも、ロシアから自分達を守ることを優先するでしょう。形だけは協力するふりをしますが、アジア戦線のアメリカ軍の戦力にはなりません。
NAFTAの交渉でプライドを傷つけられたカナダやメキシコが、積極的に参戦するとは思えません。トランプは、相手国の元首を平気で侮辱します。彼は、それを、交渉術だと信じています。不動産取引では、物件ごとに顧客は変わりますが、国家間の取引は永続するのです。そんな取引で、相手を侮辱するやり方は受け入れられません。
同盟国や友好国は、保険として協力するだけなのではないでしょうか。
また、アジアの国々は、「米中戦争」には関与したくないでしょう。
アジア戦線で対峙するのは、アメリカ、台湾、日本の三国と、中国、北朝鮮、韓国の三国です。つまり、日本と台湾と朝鮮半島は、「米中戦争」の主戦場になるのです。
アメリカは、国家戦略として「軍拡」をすると決めました。トランプは、それが交渉を有利に進めるカードになるという意味で同意しましたが、国家運営者は、米中戦争を視野に入れたことが発端です。
また、アメリカは、ロシアと交わしていたINF条約を破棄しました。中距離ミサイルは、アメリカとロシアの間で制限されていましたが、その間に、INF条約に加盟していない中国が、大量の中距離ミサイルを装備してしまったのです。中距離ミサイルだけを比較すれば、アメリカは大きく後れを取っています。しかも、中距離ミサイル開発に集中してきた中国のミサイル精度は高く、海上にある空母をピンポイントで撃沈させる能力を持っています。INF条約破棄も、「米中戦争」が想定内になったことを示しています。
しかし。
中国の持っている中距離ミサイルは、アメリカ海軍を標的にしているだけではなく、日本の米軍基地、自衛隊基地、主要都市、原子力発電所を標的にしています。本来であれば、標的にされている日本が、国民生活を守るために、中距離ミサイルの開発をする立場にいます。しかし、「非核三原則」や「盾と矛の役割分担」とか「攻撃能力の不保持」という幼稚園児や花園に住む乙女のような考えに縛られたままです。
中国のミサイルも、北朝鮮のミサイルも、ロシアのミサイルも日本を標的にしているという現実には無関心です。日本では、平和行進をやっていれば、ミサイルは飛んでこないと信じられています。日本は、これほど、アジア情勢が緊迫しているのに、未だに、おとぎの国の乙女ちゃんをやっているのです。米中戦争が始まれば、日本は、ボコボコに叩かれることになります。「あちゃー」しかありません。ただ、昨日も書きましたが、日本には「国とは」という定義がありませんので、国は、国民生活を守る必要がありません。
「なし崩し」「うやむや」「まあ、まあ」で終わりです。
国民の皆さんは、ほんとに、これでいいのですか。
街中に出て、「米中戦争は、いつ、始まると思いますか」という質問をしてみてください。「米中戦争では、日本が戦場になると言われていますが、何か対策をしていますか」という質問もしてみてください。誰一人、答えられないと思います。

アメリカは、平等なリングの上で戦うのではなく、敵の庭で戦わねばなりませんから、簡単ではありません。
世界最強のアメリカ軍にとっても、「米中戦争」は容易いものではないのです。
勝てない戦争はするべきではありません。
それでも、アメリカのためだけではなく、世界が中国共産党の独裁下で苦しまないために、「中国潰し」が必要だとするのであれば、他の選択肢を探さなければなりません。綿密な世界戦略が求められているのです。
先ず、中国国内に混乱を起こさせなければなりません。ただし、アメリカ独自の関税政策では、実現しません。今こそ、同盟国の結束が求められているのです。
次に、中国が体力を失うのを待ち。
最後に、中国共産党を叩き潰す武力戦争を始めることです。
時代は変わりました。
第二次大戦後の世界秩序を維持するために作られた国連の役割も終わったと思います。
アメリカは、単独主義に走るのではなく、新しい秩序を作る必要に迫られていると思います。
前提として、アメリカは、アメリカ単独で覇権の維持が出来ないことを知るべきです。
アメリカ、EU、日本だけではなく、多くの友好国と協力して、「中国潰し」を経済的手段と外交的手段を駆使し、中国人民を追い詰め、中国人民が中国共産党に見切りをつけるように仕向ける必要があります。購買力のある先進国相手の輸出入が出来なくなれば、中国は自滅するしかありません。最終的には、武力行使を前提にしますが、国内混乱が武装蜂起を生み、地域ごとに独立する状態になれば、武力行使が必要にならない場合もあります。ただ、そうならない場合は、武力行使が必要になります。
中国の発展で恩恵を享受してきた各国に頭を下げてでも、短期的な不利益を覚悟してもらうように説得しなければなりません。中国を、これほど凶暴な国に育てたのは、西側先進国です。その責任は、自分で負わねばなりません。
今、アメリカがやらねばならないことは、価値観という旗を降ろすことではなく、更に高く揚げることです。どの国も、「自分だけは損をせずに、やり過ごしたい」と思っています。今、必要なのはリーダーシップです。「自分さえよければ」や「アメリカファースト」ではありません。「アメリカファースト」は、アメリカの終わりの始まりです。
戦略が、全く、見えないことが、中国を利しているのです。

日本は、どうするのでしょう。
アメリカには、ベトナム戦争で逃げ出した時のように、北アメリカ大陸へ撤退するという選択肢があります。
しかし、戦場になった日本に、逃げ場はありません。
私達の前にあるのは、アメリカと共に戦うか、中国の属国になるか、の二択です。
前線基地である日本が中立を宣言すれば、中国の属国になることを意味します。韓国は、その道を選択したようですが、日本も同じ選択をするのでしょうか。
日本の国家運営者は、そして、日本の国民は、どんな選択をするのでしょう。
いや、その前に、なぜ、議論をしないのでしょう。
議論すら必要ないのでしょうか。
確かに、日本はアメリカのポチですから、アメリカが間違った選択をしても、無条件で追随しなくてはならないという意見はあるでしょう。でも、それで、国民を守ることが出来るのでしょうか。「あべ」さんがやらねばならないことは、忠犬「ポチ」に徹するのではなく、トランプに戦略の必要性を説くことです。それが、国民を守ることなのです。
一流の専門家は言葉を濁しますが、二流の専門家は、「米中戦争」にはならないと言います。それは、アメリカが覇権を捨てるということになるのですが、ほんとに、そうなるのですか。いいえ、現在の覇権国が戦争もせずに覇権を捨てるとは考えられません。
覇権国が覇権を放棄した時、その落差は想像を絶するものがあると思います。歴史上にも、多くの前例があります。アメリカがその落差を受け入れるとは思えません。
必ず、戦争になるのです。アメリカにも、中国にも、他の選択肢はありません。
だったら、勝つ戦いをしなければなりません。必要なのは、勝つ戦略です。
日本は、また、「なし崩し」方式で、戦争当事国になるのでしょうか。
多分、そういうことになるのでしょう。
「お上」が、民の暮らしを考えないのは、伝統なのかもしれません。
こんな伝統、私達「下々」には何の利益もありませんが、「下々」は、いつも、「お上」を忖度し、「まあ、まあ」「ふむ、ふむ」と納得してしまう「いい人達」ばかりです。
米中戦争を阻止する方法はあるのでしょうか。
日本が戦争に巻き込まれない方法はあるのでしょうか。
私には、そんな方法があるようには思えないのですが、あったら、是非、教えてほしいものです。ただ、議論がない場所から、対応策が生まれてくることがないのも確かです。
無防備なまま戦争になった時、私達はどうすればいいのでしょう。
また、「あちゃー」なのでしょうか。

日本としては、戦争なんてしてほしくありません。
しかし、私達は「ポチ」ですから、巻き込まれることを防ぐ手段はありません。
ですから、百歩譲って、戦争が避けられないとします。
しかし、戦争になって、戦争に負けて、アメリカは逃げて、私達が貧乏くじを引くという結末は、踏んだり蹴ったりだと思います。
だったら、せめて、アメリカには勝つ戦争をしてもらいたいと思ってしまいます。
確かに、アメリカも中国も横暴ですが、中国の横暴に耐えるのは大変だからです。
少なくとも、私はチベットやウイグルにはなりたくありません。


2018-11-04



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中国脅威論と米中戦争 1 [評論]



耳を傾けてくれる方はいないと思いますが、「米中戦争」の話を書きます。
日本の一般メディアでは「米中貿易戦争」は話題になりますが、「米中武力戦争」は話題にはなりません。内閣府や防衛省がどれほどの議論をしているのかは知りませんが、少なくとも、「米中戦争」と「国民生活」が結びついた議論になっているという期待は持てません。
しかし、「米中武力戦争」は着々と近づいています。そんなことになって欲しくないという願いはありますが、願いが叶うとは限りません。
「取り越し苦労なんじゃないの」と言われるかもしれませんが、「米中武力戦争」は私達の生活に影響するのです。「アメリカと中国が戦争するんだったら、日本には関係ねぇ」と思われるかもしれませんが、残念ながら、そうはなりません。
「生活に影響する」と書きましたが、半端な影響ではありません。二度と立ち上がれないほどの甚大な影響があります。
もちろん、石田の妄想ですから、疑ってかかってもらっても構いません。
それでも、「あちゃー」と言うくらいの被害は、間違いなく、出ます。
「あちゃー」と言うくらいの被害とは、数百万人から数千万人の犠牲者が出るという意味です。戦争ですから、インフラや家屋の被害、個人財産を含む経済損失は、計り知れません。戦争が終わっても、経済再生には長い年月が必要です。
このことは、今は妄想ですが、20年以内に、現実が証明してくれます。
それは、日本が、皆さんが住んでいる場所が、「米中戦争」の戦場になるからです。
特に、在日米軍基地、自衛隊基地、大都市、原子力発電所の近くにお住まいの方は、大変危険です。もっとも、敗戦になれば、住んでいる場所に関係なく、皆さんの生活は破壊されます。
しかし、全く話題にはなりません。話題にならなければ、そんな事態はやってこないという法則でもあればいいのですが、そんな法則はありません。
「米中戦争」というテーマは、小説や漫画で題材になっていますので、「お前も、そのテーマで小説を書くのか」と勘違いされるかもしれません。
でも、そうではありません。これは、リアルな「米中戦争」のお話です。
私も、戦争には大反対です。ただ、反対していれば、戦争は起きないという理屈は成り立ちません。避けられないのであれば、その対応を考えておくべきです。
いつものことですが、眉に唾をお願いします。

先ず、「人間社会からは戦争がなくならない」という現実から見てみます。
地球上から戦争をなくしたい、と誰もが願います。
しかし、これは、願いや理想の話では成り立ちますが、現実は、そうなりません。
戦争がなくならない原因は、人間が「欲望」で満ちているからです。
人間が、欲望から解き放たれることはありません。
自分の欲望を実現するためには、と書くと悪い印象があると思いますので言い換えますが、自分の正義を守りたいという欲望を叶えるためには、他者の価値観や介入は排除しなければなりません。そのためには、自分が最強でなければなりません。これは、個人であっても、団体であっても、国であっても、同じです。自分が最強の存在であることを示すことで、自分の正義が貫けるのです。なぜなら、正義も欲望も百人百様だからです。
これが人間社会であり、人類の歴史は、戦争の歴史なのです。これが、現実です。
もちろん、人間には、平等に、公平に、という考え方もあります。
ところが、同じ人間は、一人も存在していません。平等とか公平という概念は、個人差があるために、人間社会では成り立たないのです。それでも、平安を得るために、「法のもとに」平等や公平を実現しようとします。しかし、「法」は、「法」を作る者が、自分にとっての平等や公平というものを前提にしますので、他者にとっての平等や公平にはならないのです。もちろん、平等や公平よりも、自分の欲望を優先させる人達もいますので、「法」は破られるのが常です。
身近な例を見てみましょう。
日本は、他の国に比べて殺人事件は少ないほうです。それでも、殺人事件はなくなりません。「法」があることは、誰もが知っています。それでも、人間が人間を殺すのは、人間が欲望に勝てないからです。この現実を否定することは出来ません。「話し合えば、理解し合える」という知恵もありますが、「欲望」の度合いにより、そうはならないことがあります。これが、否定しようのない人間の現実なのです。
世界に、目を戻しましょう。
国と国との戦争も、殺し合いです。
自国の利益のために、他国の人間を殺す行為なのです。
個人の行為との差は、他国の兵士を殺しても、いや、民間人を殺しても、殺人罪にはならないことです。
やっていることは、個人の犯罪と同じです。
世界では、力の強い国が他国を支配する仕組みになっています。
もちろん、自国の利益のためです。
この仕組みは、人間が「欲望」を捨てない限り続きます。
しかし、人間が「欲望」を捨てることはありません。
ですから、誰もが力を持ちたいと願うのです。
では、人間社会での、究極の「力」とは何でしょう。
それが、世界最強の軍事力です。
では、他者よりも、より大きな軍事力を持つために必要なことは、何でしょう。
それが、経済力です。
「この世は、カネが全て」という言葉は、嫌な言葉ですが、現実です。
経済力が世界一になり、軍事力も世界一になって、他国に従う国があるでしょうか。
そんな国は、存在しません。
では、国の経済力とは、何でしょう。
それは、国民一人一人が生み出す富の合計です。
現代の私達は、それをGDPと呼んでいます。
18世紀から20世紀までは、新技術を手にし、利益を得た国が、世界覇権を手にしていました。
しかし、あまりにも時の流れが速くなってしまったために、新技術の誕生が間に合っていませんし、新技術は短時間で既存の一般技術になってしまいます。また、新技術を生み出す国も同じではなくなりました。
つまり、もう、新技術では世界覇権を維持できない時代になったのです。
この状態が続けば、最終的には、経済力が人口で決まる時代がやってきます。
中国の人口が14億人。世界覇権を握っているアメリカの人口が3億人です。
中国が世界覇権を握る日がやって来るという世界常識は、こうして常識になったのです。
中国がアメリカに代わって、世界覇権を手にする日が来るのです。
アメリカは、座して見ているつもりなのでしょうか。
ありえません。
アメリカに残されている選択肢は、勝てるうちに中国を敗戦国にし、中国という国そのものを分割することです。分割された一つの国が、アメリカの人口よりも少なければ、アメリカは世界覇権を維持できるのです。
つまり。
戦争は、「欲望」と「欲望」が闘ってきた人類社会の必然であり、「米中戦争」もその一つに過ぎません。
この時代背景を前提にして、今を見てみましょう。


ペンス副大統領の演説を聞いて、いよいよ、アメリカは米中戦争の世論形成に動き始めたのではないかと思っています。あの演説は、トランプの意を受けた演説と言うより、議会の要請で行われたのではないかと思っています。演説の中身は、「中国脅威論」です。
トランプを説得することが不可能だと知った国家運営者達は、ダブルスタンダードを容認したもの思います。
「中国脅威論」はトランプの貿易戦争から始まったのではありません。ですから、この動きは、トランプ政権が終わっても、終わりません。いや、次の大統領のほうが、より厳しい対中外交をするかもしれません。
中国がアメリカにとって危険な国であるという認識は、やっと、アメリカの国家運営者の多くの方の共通認識になったようです。この認識がここまで遅れたのは、オバマ大統領の個性によるものだと思います。彼は、戦争に反対し、核兵器に反対し、実際に、軍事費を削減しました。でも、「そんなこと、俺には関係ねぇ」という国が出てきた時に、どうするつもりだったのでしょう。日本の左翼の皆さんのように「話せば、理解しあえる」とでも思っていたのでしょうか。アメリカの国家運営者の皆さんは、やっと、オバマ大統領が作り出した平和の花園という夢から醒めたのです。
しかし、アメリカでは、世論の後押しがなければ、戦争はできません。戦死するのは国民なのですから、「国に奉仕する、名誉の死」を演出しなければなりませんので、世論形成は必須条件です。
トランプは、地球規模で混乱を作り出していますが、国内でも多くの問題を噴出させ、対立や分断という混乱の坩堝を作り出しました。
あまりにも問題が多すぎて、アメリカの国民目線で見ると、「中国脅威論」はそれほど危機的な問題だとは認識されていないようです。アメリカ国民の多くが、中国を危険な敵国だと認識するまでには、まだ時間がかかると思います。
しかし、中国が、アメリカ人の生活を、アメリカ人の信条を、破壊する危険があるという認識をアメリカ国民が持てば、アメリカは、躊躇なく、力で敵国を制圧するやり方を採用する国です。
これまでの「中国脅威論」は、政治的党派を超えた、国家運営者の共通認識の醸成が目的でしたが、世論操作という次のフェーズに移ったと思う必要があります。世論操作をするということは、「米中戦争」が視野の中に入ったということだと思います。
NATOの元司令官も「10~15年以内に米中戦争が始まる確率は非常に高い」と言っています。私は、もう少し早い時期に始まると思っていますが、どうなるかは神のみぞ知ることなのでしょう。「米中戦争」が起きるかどうかが議論になっている間は戦争にはなりませんが、何年後に開戦するのかが議論として出てきているということは、戦争が不可避だという段階になっていることを証明しています。議会も、軍も、シンクタンクも米中戦争は視界に入っているのです。世論を誘導すれば、いつでも開戦できます。そのためのプロパガンダなのです。
中でも、中国共産党統一戦線工作活動に言及する回数が増えてきました。
それは、中国共産党統一戦線工作活動による成果が世界規模で表面化してきたためです。
中国による紐付き経済支援で苦境に立たされる国が散見され、台湾との国交断絶に踏み切る国が増え、オーストラリアでは、メディアが買収されていると言われ、中国企業による買収で、99年間、自国の港の統治権を失う国も出てきています。
アメリカに対する浸食もありました。
一番大きいのは、あらゆる手段を駆使して、アメリカの技術が中国に盗まれていることです。
対応策は別にして、トランプの着眼点は間違っていません。これは、トランプの大きな成果だと思います。ヒラリー・クリントンが大統領になっていたら、「中国脅威論」がこれほど表面化することはなかったと思います。
かつて、ジャパンバッシングがありました。それは、アメリカ製品の真似をした日本が、アメリカより良い製品を作り、アメリカに輸出した時に起きました。もっとも、日本は、ポチですから、「わん、わん」と吠えて終了しました。
中国も、同じことを、いや、違法な方法を使ってでもアメリカの技術を盗み、アメリカを凌駕しようとしているのです。中国人は、技術の進歩は正義だと考えています。その正義のために選択する手段は、非合法なものでも正義になると考えているようです。国際法という規範は存在していますが、別に罰則があるわけではなく、単なる紳士協定にすぎませんので、それを守るつもりは、中国にはありません。彼等の利益が、唯一の正義なのです。ですから、中国は、日本とは違い、アメリカのポチになるつもりはありません。
これは、技術のトップランナーの宿命なのでしょうが、アメリカがトップランナーという地位を明け渡すとは思えません。
オバマは、人格的には立派な人だったと思います。人格という点では、オバマとトランプは、月とスッポンほどの差があるものと思います。しかし、残念ながら、世界は融和や寛容では御しきれなかったのです。中国の暴走を許したのは、オバマ政権です。
オバマ政権時代では、国防省でさえ、いや、現場の将官でさえ、親中派が勢力を持っていた時期があります。
しかし、貿易赤字に着目したトランプの出現で、アメリカは様変わりしました。
トランプの動機は、拍手喝采渇望症という病気(麻薬の禁断症状に酷似した病状を示す病)によるものですが、それでも、国家運営者の目指す方向と一致しています。ただ、その手法の違いから、アメリカには二つの政府が誕生してしまいました。トランプ政府とアメリカ政府です。一枚岩ではありませんので、対中戦略構築には時間がかかります。この遅れは、厳しい結果になるかもしれません。
トランプの目的は、中国からだけではなく、世界中から1セントでも1ドルでも多く奪い取りたい、というものです。商人にとって、カネは正義ですから、当然なのでしょう。それが、トランプの「アメリカファースト」です。トランプは、関税という脅しをかけておいて、「中国と素晴らしい取引が出来ると思う」と期待感をツイートしています。取引にしか、何ドル儲かるかにしか、興味がありません。脅しをかけて、カネを取るという、一昔前のヤクザ商法を多用しているのに、「自分は、取引の達人なのだ」と自慢します。今の時代、こんなヤクザは生き延びることができません。日本なら、尻尾を振って「わん、わん」と言うかもしれませんが、中国は尻尾を振る真似はしますが、「わん、わん」とは言いません。
国という視点からは、カネ以外にも利益があることに気付かねばなりません。これでは、元も子も失う危険があります。
アメリカが大国として君臨している土台は、経済力や軍事力だけではなく、その価値観です。トランプは、その価値観を否定し、価値観そのものを変えようとしているのですから、アメリカの土台を変えようとしていることと等しく、その土台がぐらついた時は、大きな痛手を負います。トランプは、そういうアメリカを作ろうとしているのです。これは、アメリカにとって大変危険なことです。

この先、いろいろな問題を抱えながらも、中国は膨張していくでしょう。アメリカが覇権を維持できるチャンスは減少していきます。20年後か30年後には、アメリカの手に負えなくなっている可能性があります。ですから、中国を潰すチャンスは、今なのです。そこで重要になるのが、同盟国の存在です。アメリカは「アメリカファースト」では生き残れません。「アメリカ同盟国ファースト」にしなければ、アメリカの未来もないのです。
現在のアメリカ国内の分断は、人種差別が根底にありますが、その底流は徐々に変化し、中国脅威論に向けられていきます。世論操作は、そのために行われるのです。国内が分断したままでは戦争なんてできません。「中国脅威論」は、分断を修復する材料としては、うってつけなのです。その変化が出来ない時は、アメリカの衰退は加速し、中国に覇権を渡すことになります。そのことを、トランプを除く国家運営者は認識したのだと思います。
もしも、トランプ以外の多くの方が「米中戦争」を視野に入れているとすると、アメリカが世界から孤立することは避けなければなりません。米中貿易戦争は、トランプの「アメリカファースト」から生まれましたが、「中国潰し」を国家のメインテーマにしてしまえば、同盟国との絆を取り戻すことが可能になります。トランプをコントロールしながら、1ドルに拘ることなく、大きな方向性を修正することは、アメリカの国益になるのです。
トランプの登場で混乱を極めた2年間でしたが、アメリカの軌道修正が始まったのではないかと思っています。ただ、随分前から「アメリカ潰し」を目標としていた中国は、一歩先んじています。この出遅れが、どんな結果になるのかは、わかりません。
「中国脅威論」と「中国潰し」が、アメリカ国民のメインテーマになれば、その先にあるのは「米中戦争」です。何年後に戦争が始まるのかは、わかりません。ただ、時間が経てば経つほど、トランプが自分に酔いしれれば酔いしれるほど、中国が有利になると思います。

明日につづきます。


2018-11-03



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核廃棄物の行方と国民保護 [評論]



原子力発電を、いつものように、国民目線で見てみます。
視野が狭いという批判は、甘んじて受けるつもりです。
「お上」は「大の虫を生かすためには・・・・・」と言いますが、国は、大の虫も、小の虫も生かさねばならないシステムだと思っています。それは、私が「小の虫」だからかもしれません。でも、国民の99.9%の皆さんが、私と同じ「小の虫」なのですから、0.1%の「大の虫」を生かしても意味がないと思うのです。国民のいない「大の虫」だけでは国とは呼べません。
「国民を、国民生活を、守る」ということは「小の虫」を守ることなのです。

以前に、財務省の文書改竄は日業業務だと書いたことがあります。
隠蔽、改竄は、どこでも、日常的に行われているものです。
最近では、免振ダンパーのデータ改竄で、多くの建物に影響が出ています。災害時の避難所に指定されている公共施設にも免振ダンパーが使われているものがあります。
これらの現象は珍しいことではなく、たまたま、氷山の一角として表面化した不運によるものです。
東京電力がデータを公表していたのかどうかは知りませんが、汚染水のデータを隠蔽していたことが、表面化しました。
財務省の文書改竄よりも、免振ダンパーのデータ改竄のほうが国民への影響が大きいのは言うまでもありませんが、放射性物質のデータ改竄やデータ隠蔽は、飛び抜けて、国民生活に影響します。

東日本大震災で事故を起こした東京電力の福島第一原子力発電所の汚染水処理で、東京電力は、溜まりに溜まった汚染水の海洋放出を、ずっと主張していました。その根拠は、汚染水は危険な物質の除去処理が終わっているから「安全だ」というものでした。
「ふむ、ふむ」と頷いていた方も多かったと思います。
しかし、調査の結果、約8割の汚染水が、危険物質除去が不完全だったということです。
誰が、どんな調査をしたのか、知りません。
その中には、基準値の2万倍の濃度の危険物質が含まれているそうです。
東京電力は、この数値を隠し、「安全だ」と言い続けてきたのです。
これは、東京電力の発表ですから、信用に値するかどうかはわかりません。贔屓目に見た8割であり、贔屓目に見た2万倍だったのでしょうが、再処理の必要性に迫られています。
もちろん、国民の税金でやるのです。
これまで、「安全だ、安全だ」と言い張ってきたのですが、多くの方が信用していませんでした。再処理をするとして、その後に、再び、「安全だ、安全だ」と言って、オオカミ東電を信用する人がいるのでしょうか。もっとも、この国には「まあ、まあ」や「大人の対応」という奥の手がありますし、国民は「いい人達」ばかりですから、何とかなるのでしょう。
数々の対策が打たれて、汚染水の発生は少なくなってきているようですが、それでも、汚染水の発生が抑えられませんので、汚染水貯蔵タンクは、増え続けることになります。もう、一時保管という考え方ではなく、耐用年数を意識した構造物として、いや、永久保存を念頭に置いた構造物として考える必要があるようです。
単なる妄想に過ぎませんが、100年後、福島県は、政府直轄の核廃棄物貯蔵地域になるのではないかと心配しています。江戸時代の天領と同じです。これは、福島県民の移住が必要になるということです。全住民を強制的に移住させれば、福島県は政府の直轄地になり、どんな施設でも作れます。
もっとも、100年経過すれば、放射性物質の中には半減期を迎える物質もあるでしょうから、海洋放出可能なレベルになるかもしれません。しかし、それでも、実質的に、福島県が核廃棄物中間貯蔵庫になるという可能性は高いと思います。それは、使用済み核燃料や廃炉で出てくる核廃棄物を持っていく場所がないからです。全国レベルで、実質的に、最大の核廃棄物が集積されているのが福島県です。「なし崩し」方式は、日本が得意とする手法ですから、全国の原発に貯蔵されている使用済み核燃料や、廃炉処分された施設から出てくる全ての核廃棄物が、福島県に集められることになる危険さえもあります。
核廃棄物の処理については、全く、展望が開けていません。いや、今後も、展望が開けるという希望は持てません。今、一番可能性が高いのは、既に、福島第一原子力発電所という巨大な廃棄物を持っている福島県が、中間貯蔵地になるということです。
廃炉が決定された原子炉と廃炉が検討されている原子炉は20基以上あるそうです。廃炉で出る核廃棄物は、厳重な防護容器に保管されますので、その容積は大きなものになります。それらの核廃棄物を保管する場所が、どこにもありません。核物質の半減期は数百年と言われています。しかし、数百年に耐えられる防護容器は存在していません。ただ単に、地中に埋めればいいというものではなく、必ず、メンテナンスが必要になるのです。フランスにある核廃棄物最終処分場は、地下要塞のようになっていますが、それだけの施設が必要なのです。
ところが、日本では、最終処分場の建設なんて、夢の、また夢です。
いや、そんなこと、政府は百も承知していますので、中間貯蔵地という名称を付けて、実質的に、永久保存をしようとしているのです。紆余曲折、二転三転、すったもんだ、の結果、現在の原子力発電所の敷地しか中間貯蔵地は存在しないという結論になります。これは、永遠の「先送り」手法です。環境に変化がなければ、平時であれば、有効な手段に見えますが、思惑通りになるとは思えません。
ごみ処理場反対運動だけではなく、地域住民が自分達の環境を守ろうとする意識は衰えていません。住民にとって、核廃棄物の貯蔵施設なんて、論外です。
住民の環境意識について、最近の例でみてみましょう。
陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の候補地になった山口県萩市の阿武町が、建設反対を表明しました。それは、電磁波による健康被害が心配されているだけではなく、敵の第一標的になるからです。戦争を想定していない日本人でも、戦時に第一標的になるような施設を喜ばないのです。もっとも、イージスアショアが稼働するのは数十年先になりますので、もう時代遅れになっていて標的にもされないかもしれません。
山口県と言えば、安倍総理の地元ですから、圧力をかける方法はいくらでもあるでしょう。カネも出すでしょう。国も、国民も、現実的な戦争という意識は持っていませんので、阿武町は高値で売ろうとしているのかもしれません。ですから、まだ、白紙になったわけではありません。それでも、背景にあるのは、環境意識です。住民の反対運動の矢面に立たされるのは、政府ではなく自治体なのですから、それなりの見返りが必要なのでしょう。
戦争よりも原発事故のほうが有名になってしまいましたので、国民感情としては放射性物質には恐怖感を持っています。自治体に補助金を出したくらいでは、住民が納得しないと思います。政府の方策としては、自治体に補助金を出すという従来の発想をやめて、地域住民に、直接、補助金を出せば、道は開けるかもしれません。住民一人当たり、年間50万円の迷惑料を支払えば、受け入れてくれる場所はあるかもしれません。4人家族であれば、年間収入が200万円増えるのですから、「今さえよければ」の時代にはインパクトがあります。
このままでは、核廃棄物の処分場を受け入れる自治体が存在するとは思えません。と言うことは、現在の原子力発電所がある場所が、事実上の核廃棄物貯蔵庫になるのです。

原子力規制庁による検査合格の原発は徐々に増えています。再稼働する原発も増えています。耐用年数も40年から60年に延長されています。
地震は、いつ、どこで、どんな地震が発生するのかという科学的根拠は全くないのですから、原子力規制庁の検査が、有効な検査であるという根拠もありません。あくまでも、想定内の事態に対する規制でしかありません。
一つでも、想定外のことが起きれば、国のお墨付きは、ただの紙きれになるのです。
「毒を食らわば皿まで」方式しか選択肢はないように見えます。今更、どうすることも出来ない。行けるとこまで、行くしかない。これが現状だと思います。
仮に、原子力発電を減少させていくとしても、核廃棄物の処理は不可欠です。
しかし、間違いなく、何年たっても、いや、100年後であっても、日本国内に最終処分場を建設することは出来ないでしょう。地殻変動の激しい日本には、最終処分場の建設は出来ないのです。
残された道は、核廃棄物を他の惑星へ廃棄することくらいです。もちろん、国際的な同意が取れればという条件はありますが、他に方法があるとも思えません。
核廃棄物を搭載したロケットを、毎日、火星に向けて発射し続けなくてはなりません。
莫大な費用が必要です。
廃炉だけでも多額の費用がかかると言われています。その上、廃棄物処理に莫大な費用がかかるとすると、その費用は、誰が負担するのでしょう。
そうです。全額、国民が負担するのです。
「欲しがりません、核廃棄が終わるまで」というスローガンが国中に溢れるかもしれません。私達は核廃棄物を処理するための奴隷になるしかありません。自業自得なのですから仕方ありませんが、そんな国を、子供達に引き継いでいいものなのでしょうか。もちろん、今になってみれば、こんな批判は「繰り言」にすぎません。それは、想像しなかったこと、想定外を無視したことによります。
この宇宙廃棄は、理屈の上では成り立ちますが、実現することはないと思います。現実的には「先送り」されることになります。この「先送り」が、私達の首を絞めることになるのですが、それは、その時が来るまで、そっと隠され、その時が来れば、「あちゃー」で終わることになると思います。
私の妄想は、誰も信用してくれません。確かに、私の警告は妄想ですから、信用できないと言われても仕方ありません。しかし、原子力発電に関する警告は、専門家の中にも存在していました。利益享受者が、国民を守るためではなく、自分達の利益を守るために、警告を無視した結果が、出口のない場所に国民を追い込んだのです。
7年前に、原発事故について、妄想記事を山ほど書きました。もっとも、当時は妄想でしたが、今では、常識になってしまいました。
その中で、発電コストの話も書きました。
あの時は、まだ、妄想力が不足していて、原子力発電所の建設費用、自治体への補助金、利権団体の利益、廃炉費用、核廃棄物の処分費用などは、必要経費として挙げましたが、福島県民の集団移住費用や核廃棄物の火星廃棄という妄想はできませんでした。
石田の妄想は、この程度のものだということです。
いつも、「これが最悪の想定ですよ」と書いていますが、まだまだ、甘いのです。

原子力事故に関して、国が積極的に関与しているという話は、あまり聞きません。
東京電力を国営化しなかったのは、最初から「逃げる」つもりがあったからです。
では、戦時の原子力発電所を、政府はどう考えているのでしょう。
北朝鮮の核実験やミサイル発射実験で、ほんの少し、認識した方もいるようですが、国民の99.9%の皆さんは、なによりも、国家運営者の100%の方は、「平和ボケ」の楽園で、今日も、眠り続けています。
今のところ、核ミサイルの発射には、どこの国も抵抗感を持っています。しかし、通常ミサイルは、いくらでも、使われています。
あの原発事故以降、敵国のミサイルに設定されている座標は、日本の原子力発電所に集中していると考える必要があります。それは、攻撃効果が大きいことが、あの原発事故で証明されたからです。日本を攻撃する場合、核ミサイルを撃ち込む必要はありません。「核兵器を使った国」と非難されることもありません。通常兵器で核兵器並みの効果が得られることを、世界中が知ってしまったのです。
しかし、原子力規制庁は、地震に対してでさえ根拠のない規則に従い、ミサイル攻撃を無視したまま、合格判定を出し続け、政府は「先送り」をするしか能がないのが現状です。
原子力発電所のミサイル防衛は、何も対応されていないのです。
ミサイル迎撃システムは存在していますが、それは、ミサイルの飽和攻撃に対処できるシステムではありません。50の原子炉に対して、10発ずつのミサイルを撃ち込めば、仕留めることが可能なのです。そうすれば、500発の通常ミサイルで、50発の核ミサイルを撃ち込んだ時と同じ効果が得られます。中国も北朝鮮もロシアも、数千発の通常ミサイルを持っています。500発なんて楽勝です。
先ほど挙げた汚染水タンクは、当然、破壊されますが、原子炉建屋の中には、使用済み核燃料が大量に保管されています。それらの使用済み核燃料を守っているのは雨を防ぐ天井だけですから、ミサイルであれば簡単に突破できます。冷却水の中に保管されていますが、破壊されれば水は流出します。冷却が出来なくなると、使用済み核燃料は核分裂を始めます。もちろん、水が流されなかったとしても、電源がなくなりますので、水を冷却することが出来ないだけではなく、水を循環させるポンプも動きません。いや、そもそも、原子力発電所内の作業員は死に絶えていますので、スイッチ一つ動かせなくなるのです。制御する人がいないのですから、原子炉の中にある稼働中の核燃料も、コントロールできません。原子炉は、核爆弾に変身するのです。
その時の被爆者の数が何人になるのかは、予測したことがありませんので、不明ですが、原爆症で苦しむ人の数は、かなり多くなるものと思います。戦争状態ですから、当然、原爆症の医療対応が十分とは言えないと思いますので、死者の数は、増え続けることになります。それは、何年も、何十年も続きます。
この原子力発電所の問題を安全保障の視点から警告する方は、それなりに、います。
国家運営者の皆さんだって、そんなこと、百も承知です。
しかし、国は、動きません。いや、動けないのです。それは、「今さえよければ」「自分さえよければ」という価値基準からは、無視することが自分の利益になるからです。

私達は、地震に関する科学的根拠を、持っていません。ですから、地震予知は諦めたのです。今、想定されている地震は、統計学で計算された数値によるものです。統計値には、必ず、例外が存在します。統計学は、確率の高い現象を推定するものであり、物理的な事実によるものではありません。7割から9割は的中するとしても、1割から3割は予測通りにはならないのです。
政府は、世界一厳しい規則を作ったのだから、「安心してくれ」と言っています。
でも、その規則は、想定範囲内で作られた規則なのです。想定外のことが起きれば、簡単に破綻してしまうのです。しかも、その想定内は、平時の想定内であって、戦時の想定内は、存在していません。これで、「安心してくれ」と言うのは詐欺でしかありません。
「じゃあ、規則なんて、要らないのか」と言うでしょう。
「要らない」と思います。
想定外で簡単に破綻する規則には、戦時で通用しない規則には、何の価値もありません。
「じゃあ、原子力発電所を、規則もなく、運転してもいいのか」と言うでしょう。
官僚の皆さんが得意とする論法ですが、その発想が間違っているのです。
原子力発電所がなければ、規則もいらないのです。
原子力規制庁が作らなければならないのは、廃炉規則だけです。
政府がやらなければならないのは、核廃棄物の安全な保管場所を作ることです。
こんな役立たずの規則を信用している国民が何人いるのでしょう。
もちろん、「お上」のやることに全幅の信頼を寄せている人は多いでしょう。
しかし、素直で従順で、汚れを知らない乙女のような国民であっても、何も言わなかったとしても、腹の中では「やばい」と思っています。
それでも、地震に対しては、それなりに努力していることは、認めなければなりません。
努力が報われるとは限りませんが、何もしないよりは、気休め程度の効果はあります。

なぜ、戦時の対応は無視されるのでしょう。
この国では、戦争という事態は、全く、考慮されていません。
それは、皆が、平和の花園で、眠っているからです。
しかし、戦争は必ず起きるのです。これが、世界常識です。確かに、私は妄想病ですが、これは、妄想なんかではありません。
私達の国は好戦的なアメリカのポチであり、中国や北朝鮮やロシアという、より好戦的な国々に囲まれているのです。私達は、戦争を一番想定すべき場所に住んでいるのです。私達が、いくら「戦争反対」を叫んでも、何の役にも立ちません。戦争は、一人でするものではなく、必ず、相手がいるのです。相手が「戦争反対」と叫ぶかどうかは、私達が決められることではありません。
国民を、どう守るのか、という視点で、最初に、地震で発生する原発事故の住民対応をみてみましょう。もちろん、平時という条件です。
現在の原発周辺の住民の避難計画は、どうなっているのでしょう。
避難計画が話題になったこともありました。
政府の思惑通りに、周辺住民の皆さんの関心も、うまい具合に薄れてきました。
これまでに、避難訓練が行われた場所もありますが、最近では、話題にもなりません。
そもそも、訓練というものは、何度も、何度も、繰り返して行うことで効果が生まれるものです。自衛隊員やアスリート達が、毎日、猛訓練をしているのは、そのためです。
しかし、過去の避難訓練は、まるでピクニックのようなものでしたから、厳しい環境下で、その経験が生かせるとは、とても、思えません。自治体が「訓練しましたよ」というアリバイを作るために実施されただけの訓練です。
地震で、原子力発電所に何が起きるのか。想定外の想定はされていません。
それが、あの福島原発事故です。
福島原発事故を想定して作られた規則ですが、別の場所で原発事故が起きた時、福島と同じ事故になると誰が保証したのでしょう。
想定外のことが起きることのほうが、確率は高いのです。
と言うことは、この先も、想定外のことは起きるのです。
どうして、想定外を想定外のままで、放置しておくのでしょう。
被害を受けるのは住民です。
今でも、住民にとって、実効性のある避難計画は存在しないと認識するべきです。
「まあ、まあ、一応、とりあえず、やることは、やりましたからね」という言い訳なのです。

地震対策でも、アリバイ工作しかしないのですから、想定されていない戦争の時の国民保護は、そのアリバイすら作ろうとしていません。そもそも、想定内の対策がないのですから、想定外の事態に対処できるはずがありません。
戦時の国民保護に関しては、どの規則の中にも一行も書かれていないと思います。
この国は、戦争を全く想定していない不思議な国なのです。
国民は、恐ろしいことに、「平和行進」をすれば、万事丸く収まると信じているのです。
ですから、原子力発電所が、ミサイルに被弾した時の住民の避難計画は白紙です。
もっとも、瞬時のことで、避難そのものが難しいのですから、不運だと諦めるしかないのかもしれません。避難する前に、多くの住民が、大量の核物質を浴びることになるでしょう。広島に原爆が落とされた時も、市民は、何が起きたのか理解できないまま、被爆しました。
同じことが、50ヶ所の原子力発電所で起きるのです。
では、戦争なんて想定しなくても何とかなるものでしょうか。
いいえ、地震の周期よりも戦争の周期のほうがはるかに短いのですから、覚悟が必要です。2000年前の人間よりも、1000年前の人間よりも、100年前の人間よりも、私達は進化したのでしょうか。いいえ。根源にあるのは、人間の「欲」ですから、何も変わっていません。
何度も断定しますが、戦争は、必ず、起きるのです。
それに、対処するのが、国の仕事なのではないでしょうか。
仮に、「国とは」の定義が、「国民生活を守るシステム」だとすると、私達の国には、国民を、国民生活を、守る気があるのでしょうか。
しかも、国民生活を守るシステムは一朝一夕で出来るものではありません。
もっとも、「国とは」という定義がないのですから、「国民を守る必要などない」と言われれば、その通りなのかもしれません。
国民は、頭を低くして、呪文を唱え、災難が去ってくれることを、ただただ、祈ることしかできません。これでは、呪い師に病気を治してもらっていた時代と同じです。
もちろん、頭を低くしていても、祈っていても、被爆します。
これでは、原始社会のままのシーラカンス状態です。

「ほんとに、暗いことしか書かない奴だ」と思われているのでしょう。
申し訳ありません。
「うざいことばかり書く奴だ」「俺の勝手だろう、俺が責任を取るのだから、お前には関係ない、放っておいてくれ」と言うかもしれません。
でも、それは違います。
「国民とは」という定義がありませんので、皆さんは気付いていなだけなのです。
皆さんには、子供達に安心・安全な社会を引き継ぐ責任があるのです。
いや、皆さんの責任の99%は、そこにあります。
そんなこと、一人で出来ると思いますか。
多くの国民の協力なしには出来ないことです。
皆さんが気付いていないということは、国家運営者の皆さんも気付いていないということなのですから、それを放置している主権者としての皆さんの責任は、とても、重いと思います。命を差し出す程度で責任が取れるとは思わないでください。


2018-11-02



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NHKとドン・キホーテの法廷闘争 [評論]



この2年で4人目のNHKが来ました。
もちろん、NHKの下請け企業の方です。
これまでの3人の方には、上に報告を上げてほしいとお願いしていました。
今回の担当者は渉外担当だと名乗りましたので、ほんの少しだけ、上層部に報告されたようです。もちろん、私がいう「上に」というのは、「NHKに」という意味ですが、そこまでは、まだ、距離があるのかもしれません。
NHKの受信契約を取ってくるのは、民間の下請け企業であり、それなりの経過を踏まないと報告できないのでしょう。「君達の会社も、ブラックなんだってね」と言ったら、苦笑いをしていましたので、従業員は厳しい環境にあるようです。
ただ、NHKの担当者であっても、下請け企業の担当者であっても、問題の解決は出来ないでしょうから、解決しようとすれば、裁判にするしかないと思います。
そこで、今日は、その裁判の冒頭陳述のつもりで、私の主張を整理しておきたいと思います。

最初に、私はNHKとの受信契約を拒否するつもりはありません。
私がお願いしたいのは、個別契約を結んでほしいという要求です。
良し悪しは別にして、法律で「受信契約を結ばねばならない」と定められていますので、法律に違反するつもりはないという意味です。
私には契約の意思はありますが、それは、NHKが作成した「放送規約」に基づく契約ではなく、契約者双方が同意できる内容での契約です。
これまでの裁判では、契約内容については一度も争われていません。
過去の訴訟では、法律に「契約しろ」と書かれているのに、「契約しない」という主張が認められなかったのは当然のことです。また、一般的には契約を解除する条件が含まれているものですが、NHK受信契約には、放送受信機器(テレビ、パソコン、スマホ)を持っている限り契約の破棄はできないものと思います。つまり、一旦、契約してしまえば、テレビとパソコンとスマホを全て捨てない限り、契約の破棄はできません。NHKが差し出す「放送規約」の用紙にサインすれば、永久的に契約順守の義務が生じるのです。

この裁判の最初の争点になるのが、「締約強制」という考え方です。
電気・ガス・水道等の場合の契約は、この「締約強制」が適用されています。
NHKが、公共放送を強調するのは、この「締結強制」という範疇にNHKも含まれるということを主張しているのだと思います。
たとえば、電力会社や水道局に「この人とは契約したくない」という選択肢はありませんし、電気や水を使用する側も「料金が高いから」という理由で契約を拒否できません。もちろん、個人で自家発電装置を持ち、電力供給を必要としない人もいるでしょうし、天然水の水源が近くにあり、水源利用の歴史を持っている人もいるでしょう。しかし、そんな人は稀な存在でしかありません。経済的な理由や地理的条件が存在する以上、一般市民にはそんなことは出来ません。電力の供給を受けた時点で、水の供給を受けた時点で、電力会社や水道局が定めた契約内容で自動的に契約が成り立つことになっています。
それは、国民の生命を守ることが国の仕事ですから、国としては、供給者側にも受給者側にも契約を強制するしかないのです。
もちろん、使用者がその料金を支払わない場合は、自己責任の論理があって、供給を止めることが認められています。水道の場合は、自治体が運営していますので、水の供給は止められていないという現状がありますが、水道事業が民営化されれば、それも変わるでしょう。
NHK放送が、この「締約強制」する事業に該当するかどうかについては争われたことがありません。
では。
一般市民が、NHK放送を受信できなければ、生命に危険が生じるでしょうか。
一般市民にとって、容易に代替手段が手に入るかどうかも問題になります。
NHK放送が受信できないために、生命維持が難しい場合、そして、その代替手段が手に入らない場合、NHK放送が「締約強制」の範疇に入ることは認めるしかありません。
でも、私達は、NHK放送がなくても、生きていけます。
代替の情報としては、民放もありますし、ネットもあります。
新聞の購読をやめてから何年経過したのか忘れましたが、新聞がなくても不都合はありませんでした。同じように、NHKの放送がなくても、不都合はありません。生命の維持に何の問題もないのです。
つまり、NHK放送の場合は、生命を左右することもなく、代替手段も私達の身近にあるのですから「締約強制」に該当しないと思っています。
国が「締結強制」という手法を採用しているのは、国民の生命を守ることが目的です。
裁判では、NHK放送に「締結強制」の必然性があるかどうかが争われます。
私は、そんな必然性はないと主張します。
そういう時代に、古い法律を利用して、いや、悪用して、受信料を得ているのは利権でしかありません。もちろん、騙されている国民にも責任はあります。
では、「締約強制」ではない場合の「契約」とは、どういうものでしょう。
私は法律家ではありませんので詳しいことは知りませんが、多分、法的には商法の「契約」が該当するだろうと思っています。
一般論ですが、契約する者双方が条件を出し合い、協議して一致点を見つけ、双方が約束を交わす。これが「契約」なのではないでしょうか。条件が折り合わず、一致点が見つけられない場合は、契約は締結されません。当たり前です。その時は、双方に責任があります。
NHKが、NHKの都合で、一方的に作成した文書による契約しか認められないという根拠はないように思うのです。
もちろん、数千万世帯との契約を個別に締結していたのでは効率が悪すぎます。ですから、便宜的に「放送規約」による契約が存在してもいいと思います。しかし、これはあくまでも便宜的な理由であり、契約者が個別契約を希望した時には応じる必要があるのではないでしょうか。

私は、NHKを「不要」とも「無用」とも思っていません。逆に、日本にとっては、大きな財産だと思っています。昭和日本が、あの敗戦から立ち上がれたエネルギーの中に、NHKの存在があったことは否定できません。NHKがこの国の財産だとすると、それに相応しい振る舞いが求められていると思います。言い換えれば、NHKは、「自分さえよければ」をやってはいけない立場にあるのです。肥え太り、自分の利益のためであれば手段を選ばないやり方は、「財産」ではなく「害毒」にしかなりません。財産には財産としての品格が必要なのです。「攻め」の姿勢も必要ですが、その相手は国民ではなく、NHK自身に向けなくてはなりません。賞味期限の切れた今のNHKは、新生NHKを築く時期にあると思います。裁判になれば、その新生NHKの方向性を示す手助けをしたいと思っているのです。なぜなら、それがNHKにとっても、国民にとっても利益になるからです。
これまでも契約内容については何度も書いてきましたので、ここでは詳しく書きませんが、放送内容の大幅改変と経営合理化の追求は、NHK自身が抱えている課題でもあると思います。肥え太るだけの現状の経営は、社会通念から見ても、逸脱しているようにみえます。民間企業と同等の経営合理化が無理だとしても、何もしないというのは許されることではありません。国民の支払う受信料で成り立っているNHKの職員の平均給与は、1200万円とも1800万円とも言われています。国民の平均給与が400万円と言われている時代に、100万円の年金で暮らしている老人が増えている時代に、この給与水準は異常だと言えます。一方的に受信料改定が出来る立場を利用し、一般社会とは隔絶したNHKになっている現状は、利権に執着するNHKと呼ぶしかありません。
ただ、最近、少しだけ要求を変更しても良いと思うようになりました。
NHKには、21世紀の日本の新しい財産になれる可能性があるのです。
それは、8月に東南海地震の対応で書いた「被害想定数値」にあるように、新しい切り口の番組作成と番組編成をしてもらえたら、「受信契約」結んでもいいと思うようになったのです。合理化の追求を外しますので、合意に至る可能性は大きくなったと思います。「欲」の塊であるNHK職員にとっては、ごめんなさい、「欲」の塊なのはNHK職員だけではないことを承知していますが、電波の削減や、職員給与の削減はハードルが高いと思います。しかし、番組編成の変革であれば、やれないことはありません。
私は、報道と災害に特化した番組編成を、要求します。
ただ、過去に、このような個別契約を締結した人は存在しませんので、NHKも個別契約を結ぶ根拠が見いだせないかもしれません。そうだとすると、法廷闘争は不可避であり、訴えられる側にいる視聴者にもその覚悟が必要です。
ただ、契約内容が争点になった時に、NHKがどんな判断をするのかは、私にはわかりません。万が一、NHKが敗訴した時は、甚大な影響が出ることをNHKが理解しているのかどうかも、わかりません。NHK受信料を払いたくないという人は、かなりの数になると思います。逆に、NHK受信料を払いたいと思っている人が何人いるのか、と問うたほうがわかりやすいかもしれません。NHKの敗訴は、大きな蟻の一穴になってしまいます。
番組の編成を根本的に変更しなければなりませんので、娯楽番組やスポーツ番組が好きな方は、NHK受信料を払ってもいいと判断するかもしれません。BSやCSの有料放送を契約する人がいるのですから、受信料を払ってでもNHKを見たい人はいるでしょう。でも、そんな人が10%もいるでしょうか。たとえ、10%の方が受信料を払いたいと言っても、受信料収入が9割減になるとすると、裁判は、決して得策とは言えません。確か、最高裁判決でも、NHKは契約内容に留意すべきだという補足説明がついていました。
ですから、私が訴えられるかどうかは、まだ、わかりません。裁判に勝てるという確証があれば、NHKは躊躇なく訴えるでしょうが、そんな確証が見つけられるのでしょうか。裁判所は、商法の「契約」に瑕疵を残すような判決は出しません。放送法よりは、商法を守ることのほうが、はるかに大事です。
もちろん、素人の私が勝てる確率は、更に、低いのかもしれませんが、そこは諦めるしかありません。
ただ、すでにNHKと受信契約を結んでいる方の契約破棄は簡単ではないと思います。それは、結果的に商法の「契約」にNHKが守られているからです。商法の「契約」を無視した契約であっても、一旦結ばれた契約は守られることになります。ですから、一気に9割減にはならないでしょう。それでも、NHKにとっては痛手になります。新しい契約が取れなければ、現在契約している老人が、どんどん死んでいくのですから、収入は減る一方です。
さて、NHKは勝てるという確証が得られるのでしょうか。
NHKには、裁判で全戦全勝が求められているのです。
もしも、仮に、万が一、個別契約が認められると、多くの人が個別契約を希望するでしょう。個別契約は、条件闘争でもあります。中には、受信料を値切る人もいるでしょうし、法外な違約金を契約内容に入れるように要求する人もいるでしょう。そんな要求を受け入れていれば、NHKは成り立ちません。
それでも、NHKと私では、その力量の差は歴然としています。NHKが訴状を出した時点で、私の敗訴は決まるのでしょうが、ここは、ドン・キホーテになるしかないと覚悟しています。
NHKはネット配信を強化し、パソコンやスマホを持っている人からも受信料を取ろうとしていますが、もしも、個別契約が必要だという判決が出れば、このプロジェクトの前途は暗いものになります。絶対に勝てるという自信が必要になります。

8月の文章を探すのも面倒でしょうから、その中身を簡単に書いておきます。
NHKは、その番組編成を大幅に変更し、報道と災害に特化した番組を制作し、それを放送する新しいNHKになってもらいたいというものです。従って、娯楽番組やスポーツ番組は放送できません。もちろん、NHKに「消えてしまえ ! 」なんて言うつもりはありません。
今、この国の喫緊の課題は、人口、財政、災害、戦争ですが、東南海地震や首都直下地震に、どう対応するかという災害対策を最初に取り上げることが、出発点になると思います。中でも、地震発生後の対応について、国民を巻き込んだ「災害関連死対策国民会議」を立ち上げ、災害後の災害関連死の削減を議論する場を設け、国民を啓発する番組を制作することです。単純な話です。「あんぱん」が何個必要なのかを議論すればいいのです。
東南海地震や首都直下地震は、紛れもなく国難です。その被害を少しでも少なくすることは、公共放送を標榜するNHKには、うってつけのテーマだと思います。いや、これは、NHKにしかできない仕事です。
「そんなことであれば、今の番組編成を変えることなく実現できる」とNHKは言うかもしれません。
そうではないのです。
単に番組を作り、放送すればいい、という問題ではないのです。
目的は、国民の生命と財産を守ることであり、災害に対する国民の自衛力を生み出すための国民の啓蒙です。この国民の啓蒙は、過去に体験のないほどの大事業です。NHK単独では出来ないと思いますが、国民の協力が得られれば、出来るかもしれません。
NHKの覚悟を国民に示すことなしに、国民の心に届くことはありません。紅白歌合戦や大河ドラマをやめてでも、災害対策番組を作らなければならなかった理由を国民に知ってもらわねばなりません。また、災害・報道に特化するということは、その放送時間枠が大幅に増えるということであり、災害や報道に深く踏み込んだ番組を制作しなければ時間が埋まらないことにもなります。国民の生命と財産を守ることが目的になれば、NHKは、間違いなく生活インフラになります。
その覚悟がなければ、本気で番組を制作しなければ、国から「待った」がかかった時に、間違いなく「待った」はかかりますので、それに対応することも出来ません。
一人でも多くの国民の命を救うことが目的であり、そのためには、国民の自衛力に頼らなくてはならないのです。国民が自衛力に気づくためには、国民意識を変えなくてはなりません。それは、簡単なことではないと思います。国民を守るという公の利益に資する行動は、片手間でできる仕事ではありません。当然、政権からだけではなく、いろいろなところから、クレームも出てくるでしょう。退路を断ち、不退転の覚悟がなければ、継続は難しいと思います。番組の大幅改変は、そのためにやるのです。
最終目標は、国民の災害関連死を少なくすることであり、そのために必要となる国民の自衛力を引き出すことです。言葉だけなら簡単に実現しそうですが、国民意識を変えるという事業は、明治維新よりも難しい大事業です。
現状の国民意識を見てみましょう。
災害時に、NHKは避難を訴えていますが、実際に避難する人達は、ごく少数です。国民は「まさか・・・自分が・・・」と思っています。「何とかなるさ」と考えています。それは、国民に、災害に対する意識が欠けているからです。
国民が、東南海地震の被害想定を、その中身を理解していれば、パニックが起きても不思議ではありません。でも、大半の国民は、他人事で済ませています。
東南海地震の避難者は1000万人と予測されています。この人数は、誰も公言はしませんが、国や自治体が対応できる人数を大きく超えています。救援があれば助かったであろう命が失われるのです。その命を救うのは、国民自身の自衛力です。国民に自衛してもらうという選択肢しかないのです。
「平和ボケ」の国民に、目を覚ましてもらうためには、数字を提示するだけでは役に立ちません。多少過激な内容であっても、具体的な危険を知らせなければなりません。それが災害関連死防止の国民会議を作る目的です。1000万人もの避難者をどうやって救うのか、という絵は、まだ、誰にも描けていません。誰かが、その絵を描かなければならないのです。無防備なままで災害に遭遇すれば、多くの命が失われます。そんな「平和ボケ」した国民を救うことが出来るのは、NHKしかありません。大きな組織と予算を持ち、専門的なスタッフも持っていて、何よりも番組を制作するノウハウと人材と機材を持っていて、それを全国に放送する電波も持っている。このNHKの利点を、国民のために使うことは、公に資することなのではないでしょうか。公共放送という看板を番組で証明できるチャンスです。21世紀のNHKは、ここから始まります。世界的な災害シンクタンクになることも夢ではありません。そんな新しいNHKになれば、「締結強制」の対象になることだってあるかもしれません。
NHKにこのような提案をするのは、日本政府に期待できないという背景もあります。
国民と公共放送のNHKがコラボすれば、何かが始まるかもしれません。

私は、契約を拒否しているのではありません。
個別契約を結ぶように、お願いしているのです。このお願いは、法律に違反しているのでしょうか。
問題は、裁判になったとして、結審するまで私が生きているかどうかです。
あと10年は、ちょっと、厳しいです。


2018-11-01



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平壌会談 [評論]



最初にお断りしておきます。いつものことですが、私の主張は、専門家の皆さんの意見とも違いますし、とても、一般的な見解とは呼べるようなものではありません。独断と偏見から生まれた、妄想だと承知の上で、最初から、眉に唾をしてから読んでください。

1年前に、日韓戦争の可能性について書きました。そして、半年前に、日韓戦争の危険性について書きました。日韓戦争という言葉は、朝鮮民族(北朝鮮と韓国の連合軍)対日本民族の戦争という意味であり、日韓を象徴的な言葉として使っています。
もちろん、日韓戦争なんて話は、今、どこにもありません。
私が、勝手に作り出したヨタ話だと思っていただいてもいいです。
しかし、今でも、あり得ない話ではないと思っています。
そのことを、9月の平壌会談で、前のめりになっている文在寅大統領の映像を見た時に、再認識しました。私の眼には、韓国と北朝鮮は、既に、同盟国のように見えます。米中戦争が始まるのは、まだ、先になりますが、その代理戦争は日本海を挟んで、先行して始まると思います。それが、日韓戦争です。
今は、金正恩は平和愛好者という仮面をかぶっていますが、彼の本質は悪逆非道の独裁者だと思っています。それは、彼の指示で、多くの人達が殺されているからです。金正恩の国内での動画や写真が公開されることがありますが、その動画や写真から伝わってくるのは、周囲に写っている人達の緊張感です。いや、恐怖心と言ったほうがいいのかもしれません。笑顔の映像や写真であっても、目は笑っていません。そんな恐怖心を強要するような人間が平和愛好者であるはずがありません。その矛先は、いつ、日本に向けられても不思議ではないのです。
確かに、日韓戦争なんて発想は、今なら、荒唐無稽なヨタ話に過ぎないでしょう。
でも、ヨタ話で終わるのでしょうか。たとえ、文在寅が意図していなくても、平壌会談のずっと先には、日韓戦争があるように思えてなりません。朝鮮半島の国々が中国の属国になり、日本と戦うという構図は、昔もありました。地政学的な宿命なのかもしれませんが、歓迎できないという気持ちは、皆さんと同じです。専門家の皆さんは、「大変なことになる」と言いますが、「日韓戦争になる」とは言いません。でも、「大変なこと」とは「日韓戦争」のことなのです。
アメリカ国内でも、韓国の動きに不信を抱く人が出てきたと言われています。今回の平壌会談で、米韓同盟の将来に不確実性が生まれているのは確かだと思います。いや、極論かもしれませんが、米韓同盟は、事実上、破綻していると思います。
韓国は、朝鮮半島有事を最も恐れています。
トランプが、去年、軍事攻撃をちらつかせていた時期に、北朝鮮の地形と似た場所で実戦を意識した演習をやっていたという情報があります。多分、「斬首作戦」と呼ばれるものだと思います。そして、トランプは、韓国にいるアメリカ国民の退避作戦を実行しろと国防長官に命令したと言われています。マティス国防長官が、必死にトランプを説得し、その作戦は実行されなかったと言われています。トランプは、本気で軍事攻撃をするつもりだった可能性があるのです。誰もが、トランプの言うことは「脅し」に過ぎないと思っていますが、そんな保証はどこにもありません。
韓国の文在寅にその情報が届いていたかどうかはわかりませんが、文在寅は、以前から「朝鮮半島での戦争は認めない」と公言していましたので、その危険を避けるためであれば、どんなことでも実行する気があったと思います。
なぜか、板門店での南北会談はアメリカ国内では余り問題になりませんでした。
しかし、平壌での南北会談では、心配する人が出てきたようです。それは、金正恩の意図というより、文在寅の意図が見えてきたからだと思います。
文在寅は「もう、南北間に戦争はない。だから、アメリカ軍が北朝鮮を攻撃する必要もない」と言いたいのです。
韓国では「核とミサイルはアメリカの問題であり、韓国が核攻撃を受けることはない」と信じられています。私も、北朝鮮が韓国に対して核攻撃をしたとしても、得られる利益はないと思います。
南北の平壌合意文書の言外に示されているのは、そういう意味だということに気がついたアメリカ人がいても不思議ではありません。
アメリカは自国の国益を守るために、韓国を利用していただけですが、韓国を利用することが出来なくなれば、当然、日本を利用することになります。それは、朝鮮半島にある南北境界線が日本海へ移動するということです。
私は、文在寅が間違ったことをしているとは思いません。朝鮮半島で戦争などすれば、韓国は二度と立ち上がれません。韓国大統領としては当たり前のことをしているのです。
文在寅が朝鮮半島での戦争を否定しているということは、在韓米軍に「戦争をするな」と言っているのと同じです。戦争を否定された軍隊は、軍隊ではありません。常に、戦争という選択肢があるから、軍隊には意味があるのです。軍として機能しない軍隊を駐留させておく意味はありません。と言うことは、韓国は、米韓同盟そのものが不要であると言っているのです。そのことに、アメリカは気づくべきです。
昔は、朝鮮半島の軍事的危機を抑止するために存在していた在韓米軍が、今は、軍事的危機を生み出す軍隊になっているのであれば、韓国としては、その存在を否定したくなったとしても仕方ありません。
その先にあるのが、米韓戦争や日韓戦争だとしても、それ以外の難題がやって来るとしても、そのことは、後で考えることだと思っているでしょう。今は、朝鮮半島有事を防ぐことに、全力投球するしかありません。
アメリカや中国が参加しなくても、韓国と北朝鮮の二か国で独自に平和条約を結ぶことだって可能です。幸いなことに、停戦協定にサインをしたのはアメリカと中国と北朝鮮であり、韓国はサインしていませんので、独自に二国間平和条約を結ぶことは可能なのです。他国の承認は必要ありません。
北朝鮮は、核実験も、ミサイル発射実験もやっていません。ここで、韓国と北朝鮮が平和条約を結べば、韓国には、国連制裁を解除すべきだと主張する根拠が生まれます。中国もロシアも賛成するでしょう。アメリカは拒否権を使うでしょうが、国連制裁は有名無実なものになります。
文在寅は、どんな犠牲を払ってでも、朝鮮半島での戦争だけは阻止したいのです。
たとえ、アメリカと決別することになっても、韓国国民を数百万人規模で犠牲にし、ソウルを火の海にするよりは、はるかに韓国の国益になるのです。
平壌宣言を見る限り、文在寅の決意は固いと思います。
もちろん、今日明日にそんな時代が来るとは言いませんが、方向は平和な朝鮮半島という夢に向かっていると思います。今のところ、あくまでも、夢ですから、実現するかどうかはわかりません。でも、アメリカに、独立国である韓国の行動を止める方策はあるのでしょうか。トランプは、脅し外交が大好きですから、韓国に対して経済制裁をするかもしれません。アメリカの経済制裁は、韓国経済にとって大きな打撃になるでしょう。しかし、戦争に比べれば許容範囲にあります。中国だって、韓国からアメリカ軍を追い出すためには、韓国に手を差し伸べなくてはならないでしょうから、壊滅的な被害は回避できるかもしれません。いや、既に、中国と北朝鮮と韓国の間で、そういうシナリオがあったとしても不思議ではありません。三者の利益は、見事に一致しています。
韓国の前にある選択肢は、+10と-10の選択ではありません。-20か-100かという選択肢なのです。そういう選択肢しかない時はあるものです。問題は、そのことを、韓国国民にどう説明するかです。北朝鮮の経済に関与することで、韓国経済を活性化できれば、国民も納得してくれるでしょう。そのために、韓国経済界の重鎮を引き連れて平壌に行ったのだとすると、文在寅は、既に、アメリカを見限ったのかもしれません。
少し、冷静に考えてみましょう。
アメリカの国益は、アメリカ本土を標的にした北朝鮮の核戦力を無力化することです。そのためであれば、軍事攻撃も選択肢にあると言っているのです。これまでのアメリカ大統領は、韓国の犠牲を考慮してきましたが、トランプは、そんな考慮はしません。「俺は、アメリカさえよければ、それでいいんだ」と公言しています。
韓国の国益は、朝鮮半島の平和を実現することです。別の言い方をすれば、朝鮮半島で戦争をすることは、韓国の国益を大きく毀損することになるのです。
両国の国益は一致していません。
国益が一致していない国の軍事同盟が機能するとは思えないのです。
既に、米韓同盟は破綻していると思う必要があります。
トランプは、在韓米軍は経費がかかるから撤退したいと言っています。トランプは、「アメリカファースト」というより「マネーファースト」ですから、経費削減には意欲的です。早い時期に在韓米軍撤退があっても不思議ではありません。ただ、国防省は、在韓米軍の撤退なんてありえないと考えていますので、政権内での力関係で決まるのかもしれません。
これまでの、アメリカの軍事戦略を見てみましょう。
NATOは、アメリカの前線基地であり、米韓同盟と日米同盟も、アメリカの前線基地として存在していたのです。決して、欧州各国や韓国や日本を守るために軍を派遣しているのではありません。正義の味方でも、白馬の王子様でも、ボランティアでもありません。アメリカの国益を守るために、駐留しているのです。
NATO、米韓同盟、日米同盟がなくなれば、アメリカの安全保障環境は大幅に悪化すると思います。トランプが「カネを出せ、もっと出せ」と言っているのは、軍事的知識がない商人のたわ言です。中国が強大になっている今は、アジアの前線基地は重要です。もしも、中国が主張する第二列島線を、中国が支配下におさめれば、ロサンゼルスの沖合に中国原潜が侵入してくる時代になり、潜水艦から発射する巡航ミサイルで、アメリカ本土の主要都市を核攻撃できることになるのです。
金正恩と文在寅は、協力して、二度目の米朝首脳会談を開くように働きかけています。
一度目の首脳会談の前に、私は、アメリカにとって利益のない会談はやめるべきだと書きました。あの会談が、金正恩に利用されるだけのものになったことは、その後の米朝協議が暗礁に乗り上げていることを見ても明らかです。トランプは、「米朝協議は順調に進展している」と強弁しますが、誰が見ても、それはフェイクニュースにしか見えません。
もしも、トランプが、二度目の会談の要請に応じれば、いや、どうやら、その気になっているようですが、また、個人の自己満足のために、アメリカの国益を毀損することになります。これは、世に言う恥の上塗りですが、トランプは商売人ですから、恥はかき捨てるものだと思っているのかもしれません。マティス国防長官は、どう動くのでしょう。辞任するしかないのでしょうか。

それでも、トランプは、まだ、現職のアメリカ大統領です。
すぐに感情的になるトランプが激怒すれば、何が起きるかわかりません。
短期的には、トランプの不確実性が、問題です。
トランプは、健常者にとっては予測不能に近いので、「何でもあり」と考えることが正解なのでしょう。
しかし、中長期的には、金正恩が問題になります。
今すぐ、戦争にならなかったとしても、北朝鮮が、経済力を手に入れ、自信を持ち、核の恫喝で日本を脅して来たら、私達はどうするのでしょう。何度も書きますが、金正恩は極悪非道の独裁者なのです。
選択肢は多くありません。
これまでのように、アメリカ様に頼るしかないのでしょうか。
いや、そもそも、アメリカ様は、日本を守ってくれるのでしょうか。
いいえ。
それは、日本の願望、いや、夢に過ぎません。
非常時になれば、条約だって破棄されるのです。これが、世界常識です。相互信頼や夢などというものは、あっという間に消えてなくなります。「信義に基づき、きっと、こうしてくれるはずだ」は、非常時の世界では通用しません。
たとえ、トランプではなく、次期大統領であっても、次の次の大統領であっても、日本を守ることがアメリカの国益にならなければ、アメリカが日本を守ることはありません。
もしも、在韓米軍が撤退することがあれば、在日米軍の撤退もあり得るということです。私達の国は、あまりにも長い間、アメリカに頼る生き方をしてきましたので、「自分のことは、自分で守る」という原則が、この地球上では、不変の大原則だということを忘れています。
時代も環境も変わります。米中関係も、どんな形になるのかわかりません。
日米安保が永久不変のものだとも思えません。
私達は今のままでいいのでしょうか。
いや、国民生活を守ろうとするのであれば、私達には、自分の足で立つという選択肢しかないと思います。
それが、無理難題だとしても、他に選択肢はありません。いや、一つだけあります。中国の属国になればいいのです。でも、それが日本国民の望みなのでしょうか。

私達の周りには、人口、財政、災害、戦争という難題があります。
正に、四面楚歌です。
そろそろ、国民生活を守るための国家運営をしなければならないと思うのですが、どこにも、そんな空気はありません。何事も曖昧なまま放置し、「今さえよければ」と納得し、壊れ始めた社会から目を逸らし、子供達の未来を守ることも忘れ、ひたすら、ただ、ひたすら、先送りしているだけです。
くどいようですみません。私には「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義がないことが、全ての根っ子にあるように思えてなりません。
日本国民が平和ボケしているのは周知の事実ですが、日本の国家運営者の皆さんも国民に負けない平和ボケの中で、いや、群を抜くような平和ボケの中で、ぬくぬくと利権を漁っているだけなのではありませんか。
朝鮮半島の隣国でありながら、日本では無関心が主流です。専門家の中には米韓同盟を心配する人はいますが、日韓戦争を心配する人はいません。「お前は、心配し過ぎなんだ」と言われるかもしれません。しかし、敵は核兵器を持っているのです。核兵器に対抗できるのは、唯一、核兵器だけです。しかし、核兵器を開発し、実戦配備するためには10年は必要です。確かに、私は妄想世界にいますが、国民の皆さんも「ぬくぬく」という妄想世界にいます。私達の「平和ボケ」現象は、デッドロック状態を生み出しています。国家運営者の意識が変わらないのであれば、このデッドロック状態を脱するのは、国民の仕事だと思います。
なぜなら、ドツボに嵌るのは国民だからです。
国家だけではなく、個人も、「自分のことは、自分で守る」しかないのです。

名もなきブログで、こんなことを書いていても、何の役にも立ちません。
それでも、警告を出すしかありません。
日本の現状を見ないようにしているメディアの皆さんにも、識者と呼ばれる皆さんにも、大きな責任があると思います。確かに、カネは大事です。でも、他にも大事にしなければならないことはあるのではないでしょうか。日韓戦争を予測するくらいのことはやるべきだと思います。曖昧・イズ・ベストではありません。
国民の皆さんにとって、「自分さえよければ」や「今さえよければ」は捨てがたい魅力があることは否定しませんが、「子供達の未来のために」も考えてもらえれば嬉しいです。


2018-10-02



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予兆 [評論]



9月、大阪は、風台風と言われる台風21号の直撃を受けました。
大阪の最大瞬間風速は47.4メートル。
和歌山では57.4メートルだったそうです。この10メートルの差は想像できませんが、強烈だったと思います。最大瞬間風速は58.1メートルだったそうです。
私が住んでいる場所の最大瞬間風速がどの程度のものだったのかは不明ですが、風は強烈でした。
風で、頑丈そうなアルミの窓が揺れます。
ゴミや木の葉が舞い、まるで竜巻状態。
ベランダの草履は行方不明。物干し竿は、紐で固定していたのに、落下。網戸が勝手に左右に動きます。建物自体が揺れているのではないかと思うほどの風でした。
強風で電柱が倒れ、電線が切れ、広範囲で停電になり、関西電力管内だけでも約200万戸が停電したそうです。
トラックの横転は、いくつもの映像が放映され、乗用車がコロコロと転がる映像もありました。風で飛ばされてきた屋根や看板等が駐車場の車を直撃。中古車展示場では高潮で海水を浴びた車が自然発火し、100台の車が消失しました。

随分前に、スーパー台風の話題を書いたことがあります。
スーパー台風とは、最大風速70メートル級の台風です。瞬間最大風速は記憶にありませんが、90メートル級の風が吹くものと推察します。フィリピンを襲ったスーパー台風では、103メートルの風が吹いたそうです。今回の21号台風の倍の勢力です。そんなスーパー台風が、年に2回は上陸する時代が来ると予測されているという話題です。
戸建て住宅では雨戸のあるものもありますが、集合住宅では雨戸を見ません。例え、風圧でガラス戸が破壊されることはないとしても、風に巻き上げられた物がガラスを直撃すれば、どうなるかわかりません。一旦、破壊されると、部屋の中にいる人間は吹き飛ばされるかもしれません。トルネードが頻発するアメリカでは、地下室が不可欠だと言われますので、風速は命を危険に晒すだけの力を持っていると言うことなのでしょう。
私達の安全は、ガラス戸一枚で守られているのです。そのガラス戸が破壊されると、身を守る場所がない場所に、私達は住んでいるのです。
実際に被害が出ないと対策はされないと思いますので、初期被害者にならないことを祈るしかありません。

台風21号の被害状況が確定しないまま、2日後に北海道で震度7の地震が発生しました。
北海道では、約300万戸が停電しました。
原子力発電所は停止中でよかったのですが、一時的に、外部電源が失われたそうですから、福島原発のようにならなくて幸いでした。
震度7でしたが、阪神淡路大震災や東日本大震災のような大きな被害にならなくて、よかったと思います。

今年は、頻繁に、自然災害のことを書いています。
それだけ、災害が頻発しているということなのでしょうが、困ったことです。
国民の皆さんも、災害に対する備えについて考えさせられているのではないでしょうか。
是非、考えてください。
すぐに忘れますから、今、考えて欲しいと思います。
そして、是非、何らかの行動に移してくださることを、心より願います。
備蓄食料を揃えるだけでも、対策になります。
私達が考えなければならないのは、次に来る、東南海地震です。東南海地震は、阪神淡路大震災や東日本大震災をはるかに凌駕する地震です。その規模は、阪神淡路大震災や東日本大震災10個分に相当し、大阪や北海道で起きた地震の8000個分に匹敵します。
10億個のパンが必要になることを、是非、想像してください。
1000万人もの被災者を、どう救うかを、是非、考えてください。
数百万棟もの仮設住宅をどうやって作るのかを、考えてください。
東南海地震は、私達にとって未体験ゾーンにあります。
有効な対策があるのかどうかはわかりませんが、ともかく、抵抗はしてみるべきです。
本当は、犠牲者を、被災者を、減らす方策が必要なのですが、自然災害は、人間の手には負えません。先ずは、災害後の自分を守る方策を探してみてください。
津波被害が想定される太平洋岸に面している所では、避難場所の確保と避難方法が第一関門であることは言うまでもありませんが、その先には、水や食料や燃料の問題があります。数日で救援隊がやって来ることはありません。孤立状態で何か月耐えられるかが求められているのです。

自然災害は防ぐことが出来ませんが、その被害を小さくすることは可能です。
ただ、今は、有効な方策を私達は何も持っていません。
それは、私達が、そのことを知ろうとしていないからです。
特に、巨大災害の後で起きる「災害関連死」について知らなければなりません。
何らかの方策があれば、死ななくて済んだ人達が、大勢犠牲になります。災害の規模が大きくなればなるほど、「災害関連死」は大きくなります。
たとえば、地震による直接の犠牲者数が2万人の時の「災害関連死」が4000人だとすると、35万人の犠牲者が出る災害では、比率だけで推定すれば、「災害関連死」は7万人ですが、東南海地震の場合は、200万人になっても不思議ではないと思うのです。もちろん、200万人という数字が正しいと言っているのではありません。10万人かもしれませんし、500万人かもしれません。少なくとも、7万人では済まないと思うのです。
それは、8月に書いた「被害想定数値」を読んでいただければ、想像できるかもしれません。
国民の皆さんが議論し、知恵を出し合い、完璧ではないとしても、何らかの方策を模索する必要があるように思います。
私には、今起きている災害は、巨大災害の予兆に過ぎないのではないかとしか思えないのです。過去の歴史から見ても、巨大地震の前には、地震の発生回数が増えています。

残念ですが、私達は、災害に関しても、曖昧の中に安住しています。
私は、いつも、この「曖昧君」を目の敵にしますが、決して全否定しているのではありません。ただ、国家運営や災害のように、国民に大きな犠牲が出る可能性があることに関しては「曖昧君」は認めるべきではないと思うのです。
私達の身近にあるものを見てみましょう。
災害が起きると、災害特番が放送されます。特に、NHKは、災害特番一色になります。もちろん、それを非難するつもりはありません。是非、今後も、続けてほしいと思います。
地震や台風のメカニズムを解説する番組も放送されます。
被害想定の数値を解説する番組も放送されます。
しかし。
災害の後に起きる「災害関連死」等についての番組は放送されたことがありません。
災害の後のことは、霧の中にあります。
しかし、多くの国民にとって、1000万人という多くの被災者にとって、災害後に起きる問題こそが、一番の問題だと思います。そのことが無視されるのは、間違っているとしか思えません。
「ああですよ。こうですよ。後は、皆さんの自己責任ですよ」と言われているように思えてなりません。国は、暗黙の了解を要求しているように見えます。この暗黙の了解という怪物は、曖昧文化の中でも大きな役割を持っています。そして、人々は、それが「大人の対応」だと誉めそやします。ほんとに、そうなのでしょうか。
違うと思います。言葉に出して言わねばならないこともあると思います。
地震による直接の被害、家屋倒壊や津波や火災で命を落とす方を救う方法はありません。しかし、命拾いをする人のほうがはるかに多いのです。
その人達を助けるのは、間違いなく、国の仕事です。
国家運営者の皆さんは、自分達の責任を減らすために、「曖昧君」を多用します。
もちろん、災害が起きても、その対応に問題があっても、現実的には、誰も責任など取ったことがありませんし、今後も、そのことで責任を取る人はいないでしょう。ですから、責任転嫁をしたところで、国家運営者の皆さんに利益はありません。これは、日本的な心情の問題なのだと思います。ただ、単に、「寝覚めが悪い」という類のものです。いや、言い訳が出来ないと選挙に不利だと思っているのかもしれません。
実際には、ものには限度というものがあるのですから、責任の所在を明確にしておいたほうが、国家運営者にとっても国民にとっても利益があると思います。
国が、いつも、「全力で国民をサポートします」と言うのは、「出来ることを全力でやります」という意味であって、不可能を可能にするという意味ではありません。「出来ないこと」は出来ないのです。国は、そこを言明せずに曖昧にしておくことで、現在の自分の立場を守ろうとします。もっとも、「皆さんの自己責任ですよ」と明言したとしても、彼らの立場が悪くなるとは思えませんが、多分、万が一に備えているのでしょう。災害が起きた後で、「想定外」と言えば済んでしまうのですから、危ない橋は渡らないのです。
災害が大きくなればなるほど、被災者を救うことは困難になります。
東南海地震では、国が持っている救済力の限度をはるかに越える事態が起きることが想定されます。
先ほども書きましたが、東南海地震では、過去の災害で起きた「災害関連死」の比率が意味を持たないような事態が起きると推定できます。
「お上」の曖昧の罠に納得して、痛い目に合うのは国民です。
太古からの大原則である「自分のことは、自分で守る」はまだ生きています。
国民が、どれだけ自衛の対策をとるかで犠牲者の数が変わるのです。
是非、災害特番や災害メカニズムの解説や災害の被害想定で終わるのではなく、復興までの道のりを想像してみてください。
そうすれば、私達がやらねばならないことが少しずつ見えてくると思います。
でも、そういうことは「起きないのだろうな」とも思います。
やはり、「あちゃー」の出番なのでしょう。


2018-10-02



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水不足 [評論]

水不足と言っても日本の話ではありません。
逆に、日本は、多すぎる水による災害に見舞われています。
水は、私達の生活に、いや、生命維持に欠かすことが出来ないもので、飲料水も農業用水も工業用水も大切ですが、今日は、病院の話です。
ハイパーインフレの真っ只中にあるベネズエラの、水に関するニュースがありましたので、そのまま転載します。これは、日本の将来図です。



ハイパーインフレ、不足する医療物資、スーパーの棚は空っぽ――国民の苦難が続くベネズエラの首都カラカスで、水不足がさらに追い討ちをかけている。
ロイター通信によると、医療器具が洗えない病院では手術を延期せざるを得ない、と伝えた。
断続的に水が出ることはあるが、しょっちゅう汚い水が出る。ただでさえワクチンや抗生物質が不足し、十分な医療が提供できないのが現状で、病院はリスクを承知で汚れた水を使うしかない。
ベネズエラ中央大学病院では、手術待ちの患者が増える一方だ。「手術の前に手を洗う必要があるが、蛇口を開けても水が一滴も出てこない」と、婦人科医のリナ・フィグエリアは嘆く。
5年前から経済危機に苦しむベネズエラ。2015年の原油価格の大暴落で、事態はさらに悪化した。財政破綻寸前に追い込まれた政府は紙幣を大増刷。この対応がハイパーインフレを招き、通貨ボリバルは紙屑同然になった。
300万人のカラカス市民は、日常的な断水に直面している。カラカスは海抜900メートルの盆地に位置し、低地にある水源からポンプで水を汲み上げているが、予算不足でポンプや配管のメンテナンスができなくなっている。
「長年にわたって設備の老朽化が気付かないうちに進んでいた。今や水の供給システム全体が手の施しようがないほど劣化している」と言うのは、カラカスの上水道を運営している国営の水道会社ヒドロカピタルのホセ・デビアナ元社長だ。
100万%の超インフレ
ベネズエラのNGOの調査によると、カラカス市民のざっと75%は恒常的な水の供給を受けられていない、水の汚染による皮膚炎や胃腸障害を訴える人は約11%にのぼるという。
ホルヘ・ロドリゲス通信情報相は今年7月、水危機の解消を目指す「特別計画」があると発表したが、詳細は明らかにしなかった。ニコラス・マドゥロ大統領率いる現政権は、政権打倒を企む右派テロリストが首都の上水道施設を破壊していると主張。そればかりか大統領とその取り巻きは、米政府の支援を受けた国内の反政府勢力が「経済戦争」を仕掛け、ベネズエラ経済の危機を拡大しようとしていると国民に説明している。
現実には通貨価値の大暴落で輸入がストップし、食料や医薬品、さらには石油大国にもかかわらず燃料まで不足。IMF(国際通貨基金)が7月に発表した予測によると、2018年末までにインフレ率は100万%に達し、「深刻な経済・社会危機」が続く可能性があるという。政府はもはや公式データを発表していないため、正確なインフレ率は算出しにくい。
食料確保も困難な状況で、ベネズエラからコロンビアなど周辺国に脱出する難民は増加の一途をたどる。国連によると、ベネズエラ難民はすでに230万人に上り、引き続き1日に5000人前後が国境を越えていると見られている。
軍と警察内部にも反政府勢力
マドゥロが失政を認めず、独裁体制を強化しているため、難民の流出には歯止めがかからない。8月4日には、カラカスで演説中にマドゥロの近くで2機のドローン(無人機)が爆発する暗殺未遂事件が起きた。マドゥロはアメリカとコロンビアの支援を受けた一派の仕業だと主張し、事件に関与した疑いで軍高官や野党議員を含む14人を逮捕したが、暗殺未遂はマドゥロ政権による自作自演の可能性もあると、米政府高官は指摘している。
今回の事件では「Tシャツの兵士」を名乗るグループが犯行声明を出したが、その実態についてはほとんど知られていない。軍と警察内部にも反政府勢力がいると見られ、2017年6月末には警察のヘリコプターがカラカスにある最高裁判所と内務省を攻撃する事件も起きている。

もう一つ、別の記事を抜粋します。

ペルーは、経済危機と飢餓から逃れてくるベネズエラ人の流入が止まらない問題を受け、北の国境について公衆衛生に関する非常事態を宣言した。
<中略>
国連は、ベネズエラ人の中南米諸国への脱出は地中海地域の難民問題に匹敵する「危機的状況」となりつつあると指摘した。



ハイパーインフレと水不足には何の関係もないと思われるかもしれませんが、国が破綻するということは、物価上昇という現象が生まれるだけではないということです。日本にまではニュースが届きませんが、国民は水不足以外にも多くの困難に遭遇していると思います。
ベネズエラのような状態を「踏んだり蹴ったり」と言うのでしょう。
私は、「不幸の神は群れたがる」という言い方をしますが、この「踏んだり蹴ったり」状態は、決して、珍しい現象ではありません。
ベネズエラの状況は、好転するのでしょうか。
確かに、ベネズエラは産油国ですから、政権が変われば、好転する可能性は残されていますが、簡単なことではありません。
それは、国民の苦難が続くということです。
水は、上流から下流へと流れるという自然の法則があります。ベネズエラの場合、水源は900メートル下にあるということですから、その自然を克服する必要があります。通常では問題にならない地理的な条件までが、不幸の味方をしています。
日本では、最近、豪雨災害が頻発していて、テレビで河川情報という天気予報が始まりました。その河川情報の画面を見て、一番感じるのは、河川の多さです。まるで、毛細血管のように全国に河川があります。豊富な水の国と言われますが、そのことを実感します。もっとも、それは水害と隣り合わせだということですが、水不足よりはいいのかもしれません。
今や、ベネズエラでも、水は貴重品になったようで、困っているのは病院だけではなく、国民生活に大きく影響しているものと推察します。
以前に、北朝鮮の医療環境について書いたことがありますが、北朝鮮では麻酔なしで手術が行われているというニュースを書きました。「痛っ ! 」ではすまないと思いますが、それでも手術は必要ですから、耐えなければなりません。
日本でも、江戸時代にオランダ流医術が輸入されてからは手術が行われるようになりましたが、長い間、麻酔薬なしの手術でした。それを思えば、ありえないことではないのでしょう。それでも、「痛い」と思います。
医師が国外へと脱出をし、医薬品が不足しているだけではなく、水がないのでは、清潔を優先しなくてはならない手術も行えません。

私は、ベネズエラの人達が「可哀そうだ」と言っているのではありません。
日本にも、「そういう日がやって来ますよ」ということが言いたいのです。
私達は、空気や水や電気、もちろん食料品も医薬品も、あって当たり前だと思っていますが、今の状態がいつまで続けられるのか、保証はされていません。
国が壊れれば、「何でもあり」なのです。
ベネズエラは、将来、日本で起きることを、実演してくれているのです。
国が壊れると、難民となって隣国へ逃げる人が多いようですが、日本は島国です。隣国と言えば、韓国か北朝鮮です。地中海を渡るよりは、日本海を渡るほうが困難に思えます。しかも、反日感情が強い隣国へ逃げるのです。韓国は、難民に対しては厳しいようです。大丈夫なのでしょうか。
既に、ベネズエラ難民は230万人だそうですが、ベネズエラの人口は日本の1/4ですから、単純計算をすれば、日本の場合、920万人の難民が日本海を渡ることになります。フェリーや大型客船は運航していませんので、小さな船かゴムボートでの脱出になります。荒波の日本海を、ボートで渡って、大丈夫なのでしょうか。仮に、30人乗りのゴムボートだとすると、約30万隻のボートが必要になります。そんな大量のボートはあるのでしょうか。

隣国のペルーが非常事態宣言を出したようですが、この非常事態宣言は最高レベルの警告なのです。以前にも書きましたが、災害時に出される情報には5段階あります。避難準備情報、避難勧告、避難指示、避難命令、非常事態宣言です。ペルーの法律は知りませんが、一般的に、避難命令と非常事態宣言は罰則付きです。

ベネズエラ政府の発表は、政権にとって都合の良い内容になっているようですが、これは、ベネズエラだけに起きている異様な光景ではありません。あらゆる国が、政権にとって都合の良い発表をするものなのです。当たり前のことですが、私達個人も、自分に不都合なことは口にしません。国だって、同じです。それは、国家を運営しているのが人間だからです。私達の国だって、「大本営発表」をやった経験があります。これは、世界共通なのです。大昔から、どこの国でも、時の政権は、歴史の改竄であっても、平気でやってきました。権力の維持は、隠蔽、改竄、虚偽の上に成り立っていると言っても過言ではありません。どんなことをしてでも権力を維持したいと思うのは、それだけ、権力が美味だからです。
現代の日本では、そんな酷いことは起きていないと信じている方がいるかもしれませんが、そんなことはありません。今でも、日々、隠蔽、改竄、虚偽は行われています。
昨日まで、「国力衰退」を書きましたが、あらゆる問題の根っ子には、この「国力衰退」があります。しかし、誰も、そのことを議論しようとしていません。いや、ここにも、意図的な隠蔽があるから、議論しないのです。「国力衰退」を政治課題にすれば、政権が危うくなるからです。「自分さえ、よければ」「今さえ、よければ」が第一目的になっている国家運営者にとって、「国力衰退」などというテーマはタブーでしかありません。私達だって、「自分さえ、よければ」「今さえ、よければ」は重要です。ですから、国家運営者であっても、庶民であっても、他人のことや将来のことは気にかけません。皆で、やっているのですから、誰も、そのことを気に病む必要はないのです。でも、これは「亡国の空気」です。
多分、この何となく折り合いをつけてしまうやり方が国力衰退の原因なのだと思います。
アメリカが、中国のZTEやファーウェイを目の敵にしていますが、それは、次世代に彼等の技術が世界を制覇する危険があるからです。では、なぜ、日本ではZTEやファーウェイが誕生しなかったのでしょう。もちろん、単純な原因によるものではないでしょうが、日本が世界を席巻するような技術を開発するチャンスはあったのは確かです。
中国には、良し悪しは別にして、国家目標がありました。日本には、それがありません。これは、大きな相違点に見えます。
私達は定義を持たない生き方をしてきました。この曖昧文化の中では、国の目的も、国民の目標も明確にはなっておらず、そのこと自体を不思議だと思わないで済んできました。
しかし、その生き方が、そろそろ限界を迎えているのではないかと思います。
「この国の目標は何ですか」という問いに、即座に答えられる人はいないでしょうし、答えたとしても、建前ばかりが目立つことになりそうです。
以前にも書きましたが、仮に、私達の目標を「子供達の未来のために」とすれば、いろいろなことが変わるのではないかと思います。今の子供達が、そして将来の子供達が安心して生きていける社会を、国を、作ることが国と国民の目標であれば、「自分さえ、よければ」や「今さえ、よければ」にはなりませんし、人口減少も、国力衰退も、放漫な国家運営もやってはいけないことになります。ただし、曖昧文化の中では、どんなスローガンを掲げたとしても、スローガンが実現することはないでしょう。それは、曖昧文化の中では、隠蔽も改竄も虚偽も、目的の曖昧さも、それほど重要なことではないからです。何事も、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で済んでしまいます。
さて、日本がベネズエラ状態になった時、その危険は非常に高いと思いますが、日本国民の皆さんは、どうするつもりなのでしょう。
多分、国民の皆さんは、ギリシャやベネズエラの話を読んでも、他人事だと思っています。確かに、他人事ですが、自分達が同じ目に遭うという想像はしていないと思います。
私達には最後の砦があります。それが、「まさか・・・・」や「あちゃー」で一件落着させることが出来る習慣です。ただし、いろいろな苦痛には耐えなければなりません。立派な習慣だと言えば、言えないこともありませんが、それは「子供達の未来のために」なっていません。そんな大人に、子供を持つ資格はないのではないかと思います。もちろん、私も無責任な親の一人です。私にも子供がいますが、責任の取りようがありません。私にあるのは、罪悪感だけです。
国民の皆さん、「皆さんには、関係ねぇ」のでしょうか。
そうではありません。
もしも、「国民とは」という定義があれば、私達は、ひどい親であり、ひどい大人なのです。「関係ねぇ」なんてことはありません。


別のニュースですが、イタリアで、高速道路が、突然、崩壊し、多数の犠牲者が出たというニュースがありました。ベネズエラの場合、水道施設の老朽化が問題だったようですが、イタリアの道路崩壊も老朽化が指摘されています。市街地の高架道路であったため、以前から、コンクリート片の落下が常態化しており、高架道路の下にある車や建物が破損したという苦情が続いていたそうです。だとすると、道路崩壊は突然起きたのではなく、起きるべくして起きた事故だったのでしょう。イタリアの内部事情ですから、私達にはわかりませんが、「あの橋は、構造的に問題があった」という専門家が出てきました。アメリカの場合も、同じようなことがありましたが、老朽化であれば、国の責任が問われますが、構造問題であれば、設計者に責任転嫁ができるという意図があるのかもしれません。
しかし、インフラの老朽化が、疑われたり、問題になっているのはベネズエラやイタリアだけではありません。現在のインフラは、第二次大戦後に建設されたものが大半です。どこの国でも、老朽化が指摘され始めて、時間だけが経過しました。この先、どこの国でも、もちろん日本でも、ベネズエラやイタリアのような事故は起きるのです。
ベネズエラとイタリアが抱えている問題は、両国とも財政逼迫です。インフラの点検修理、あるいは代替インフラの建設には多大な費用がかかるだけではなく、大変地味な仕事ですから、利権がなければ、やる気にならないという側面もあります。逆に、点検修理や工事が行われるとしたら、それは利権目的で行われていると考えるべきなのでしょう。
田中内閣の時代に、日本列島改造が推進され、多くの土木建設に多額の国費が投入されました。多くの費用が投入されたということは、それだけ多くの施設が、道路も橋もトンネルも水道施設も、傷む時期を迎えるということです。過去に建設したインフラが寿命を迎えるのは、これからです。今後、老朽化するインフラは増え続けるのです。ですから、予算の関係で保守が先延ばしされるケースは、この先、頻発します。それは、国も地方も予算が不足しているからです。無い袖は振れません。
ベネズエラやイタリアで起きていることが、私達にとっての前兆だとすると、私達の周囲は不幸の予備軍で満ちていることになります。その原因が財政事情によるとすると、これは明らかに国家運営の失敗です。
そんな時代に、国力衰退などしていては、国民生活は成り立ちません。
やっぱり、「あちゃー」しかないのでしょう。


「お前、先の心配ばかりして、何が楽しいんだ」と言う方もいると思います。
「もっと、ハッピーなことを想像しようよ」と言う方もいるでしょう。
「心配したって、俺達には、どうすることも出来ないのに」と言う方もいるはずです。
「お前のやっていることは、悪あがきだ」と言われるかもしれません。
「お前、病院に行ったほうがいいよ」と言われそうです。
いや、そう思う方が、ほとんどだと思います。
確かに、私も、自分は変だと思うことがあります。
それでも、抵抗はすべきだと思っています。
「抵抗したって、意味ないよ。なるようにしかならないのだから」とグサリ。
では、皆さんは「あちゃー」と言わないのですか。
「そりゃあ、言うだろうよ。『あちゃー』くらい言わせろや」
申し訳ありません。
私は、戦後の食糧難の時代に育って、それがトラウマになっているのかもしれません。食料が無くなることが、潜在的に怖いようです。親は、世間並には食べさせてくれていましたので、親を恨んでいるわけではありません。それでも、あの70年前の空腹は、今でも忘れられません。そういう意味では、病気なのでしょう。
若い方の中には、子供の頃、嫌いなものを無理矢理食べさせられてトラウマになっている人もいるかもしれません。しかし、私達の時代は、好き嫌いは贅沢に過ぎませんでした。ほんとに、何でも口に入れました。道辺にある葉っぱでも食べました。そのために、ひどい目にも遭いましたが、何とか生きていました。
多分、私達の世代が飢餓を体験した最後の世代なのではないかと思いますので、このトラウマは理解されないのかもしれません。
最近、空腹で万引きをしたというニュースが出始めています。世の中には食べ物が溢れていますので、万引きしたくなる気持ちもわかります。私だって、自分が泰然と死を待つような境地にはなれないと思います。
何か得体のしれない不穏な空気を感じているのは、私だけなのでしょうか。
最後は、愚痴になってしまいました。ごめんなさい。


2018-09-04



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国力衰退 3 [評論]


国力衰退を、少し、別の視点から見てみます。
「うちの家計は、世間と比べて、どうなんだろう」と思ったことはありませんか。
そこで、「日本は、世界と比べて、どうなんだろう」と思ってみました。
そうすると、GDPからも、国の衰退が見えてきました。
約20年前の1997年、日本のGDPは、534兆円でした。2018年のGDPは、556兆円の予定です。その増加率は、1.04倍です。
他の国のGDPの増加率を見てみると、イタリアが1.67倍、アメリカが2.37倍、韓国が3.45倍、中国は11.07倍です。
参考までに、年度別GDP推移というグラフをネットで見てください。角度は国によって違いますが、どこの国も、右肩上がりの直線です。日本のグラフだけが、折れ曲がって、横に伸びています。国家も企業も、右肩上がりの直線を維持しなければならないという宿命を持っている中で、日本のグラフは、あり得ない形であり、今日まで、国が、存続していることが奇跡なのかもしれません。世界では、このグラフを日本病と呼んでいます。今は、横に伸びている線が、近い将来、下向きの線になることは避けられません。それは、人口減少が加速するからです。
幸運と言うべきか、奇跡と言うべきか、日本は持ち堪えています。
ところが。
「何もしなくても、何とかなるもんだ」
「危ない、危ない、と言う馬鹿がいたけど、大丈夫じゃないか」
「やっぱ、この国は神の国なんだ」
そんな風に感じている方が多いのではないかと思いますが、先送りは、先送りに過ぎません。「あちゃー」と言う日は来るのです。
世界は、日本の実験的な国家運営を興味深く見ています。いつの日か、自分の国のグラフが折れ線グラフになった時の参考にするためです。確かに、ここまで、先送りが成功していることは、実に幸運なことだと思います。ただ、その幸運がくれた時間を、私達は無駄にしているのですから、その反動は厳しいものになると考えるほうが自然だと思います。世の中に「美味しい話」なんて無いのです。多くの人が「なるようにしか、ならない」と思っています。その通りなのですが、その「なるように」の中身については、自分に都合の良い結果を、あるいは、それほどひどくない結果を想定していて、まさか、地獄に堕ちるなんてことは想像していません。ですから、その現実に遭遇すると「あちゃー」と言うしかないのです。
もしも、欧州の中では優等生とは言えないイタリアと同等の増加率があれば、日本のGDPは865兆円になっていたはずです。
アメリカ並みであれば、1265兆円です。
韓国と同等であれば、1842兆円になっていました。
イタリアと比較しても、日本は300兆円のGDPを失っていることになります。
他の国では、収入が増加しているのです。
現在は、相対的衰退ですが、絶対的衰退になる日は、そう遠くありません。
例えば、あなたの給料が20年前から、全く上がらないのに、大学の同期の友人の給料は、この20年で、2倍3倍に、親友のA君の給料は10倍になっていると考えてください。
これは、あなたの会社が衰退しているということなのではありませんか。
もしも、日本が、韓国やアメリカ並みの経済成長をしていれば、仮に、日本のGDPが1500兆円だったら、税収は150兆円あり、社会保障費の増加にも対応できていたと思います。資金需要もあったはずです。
井戸の中では、実感がありませんが、明らかに、日本は劣化していると思います。
経済成長が出来なくなったことを誤魔化すために、悲惨な結果を先送りするために、日本は世界に類を見ないほどの借金をしてきたのです。しかし、誤魔化しや先送りでは、悲惨は回避できません。結果は、必ず、やって来るのです。
この期間は「失われた20年」と呼ばれますが、その責任を追及する人はいませんし、責任を取った人もいません。
まるで何もなかったかのように、既に、「失われた30年」に入っています。
なぜ、「大した問題ではない」という態度を取り続けていることを、国民は放置するのでしょう。「なあ、なあ」「まあ、まあ」はどこへ行き着くのでしょう。
この先、人口減少が続きますので、GDPは更に減少し、衰退は加速します。

国力衰退の本番がやってくるのは、これからです。
ですから、この国は、この先、もっと派手に壊れます。

放置できる問題ではないと思いますが、そんな声は聞こえてきません。
国家運営者の皆さんは、国力衰退には、一切、触れません。
経済成長についても、根拠のない、達成不可能な数字ばかりを並べます。
それでも、国民は「俺には関係ねぇ」と言っています。
現実から目を逸らせば、現実は消えるのでしょうか。
私には、この国民の態度は「能天気」に見えてしまいます。
いや、「無責任」に見えます。
だって、痛い目に遭うのは、皆さんと皆さんの子供達なんです。
何もしないということは、子供達を見殺しにしようとしていることなのです。
どうして、「ふむ、ふむ」なんて頷いていられるのか、不思議でなりません。
銀行の経営不振という現象から書き始めた文章ですが、銀行問題は、ほんの一部の問題であり、その根っ子は国力の衰退だったのです。

「国とは」という定義がありませんので、気付く人がいませんが、民主国家では、国は国民生活を守るために存在しているのです。それは、独裁国家を見れば一目瞭然です。中国では、人民の生活よりも共産党が大事ですし、北朝鮮では、国民生活よりも金一族が大事です。でも、私達の国は、看板だけではありますが、民主国家です。
しかも、国にとっての国民は、現在の国民だけではなく、将来の国民も、国民なのです。今の国民は守るが、将来の国民は守らないなんてことは許されません。国は、未来永劫、国民を守り続けなくてはならないのです。
確かに、国の仕事は多岐にわたりますが、中でも、国力を衰退させることは、一番、やってはいけないことです。国力衰退は、その使命を放棄するに等しいことだからです。
国力を衰退させた大罪人が自民党です。しかし、自民党政治は、今でも続いています。それは、野党になんて任せていられない、と国民が思っているからです。その通りなのですが、では、このまま、壊れ続けるしかないのでしょうか。
もう、そろそろ、気付くべきだと思います。私達の生活が壊されるのです。だったら、国民が、自分で、自分と家族の生活を守るしかないのではありませんか。
「国民とは」という定義がありませんので、気付く人はいませんが、国が責務を果たしていない時に、「責務を果たせ」と言うのが、主権者である国民の責務であるはずです。それを、「俺には、関係ねぇ」と言っていたのでは、国民も責務を果たしていないのです。
「だったら、自民党以外の、どの政党に投票すればいいのだ」と言う方がいます。それが勘違いだということに気付いていません。皆さんは、据え膳だけを食べようとしているのです。自分で料理をするという選択肢があることを忘れています。政治を変えるためには政治家を変えなければなりません。政治家を変えるためには、私達が変わらなければならないのです。ずらりと並べられた政治家の、どの顔を選ぶかというやり方は他力本願でしかありません。
「どっちもどっち」だから、皆で、地獄へ行きましょうというのは、間違っています。
これは、定義を持てなかった代償なのです。
その代償を払うのは、国民の皆さんです。

既に、国力衰退の症状は、至る所で見られます。
国民が認識していないだけで、いや、漠然とは感じていると思いますが、「俺には、関係ねぇ」と気取っているだけで、国力衰退は、もう、私達の現実なのです。
私達は、この国力の衰退と正面から向き合うしかないのです。
私達の国は、過去から抜け出せずに、先送りをして現実から逃げ、国民生活を守るという使命を忘れた国家運営を続け、ふと立ち止まると、お先真っ暗な現実の中にいます。もっとも、立ち止まる人はいないようですから、現実には気付かず、「俺には、関係ねぇ」と能天気なことを言っていられるのですから救いはありませんが、他力本願では、この環境から抜け出すことは出来ないところまで来ているのです。
将来の国力衰退を防ぎ、国民生活を守り続けるのが、国家の仕事だったはずです。あのイタリアでさえ、GDPを1.67倍にしているのです。日本の国家運営者の皆さんは、仕事をしていたのでしょうか。いいえ、していませんでした。GDPがそれを証明しています。
それが出来なかったのは、国家運営者の無為無策ですが、それを黙認してしまった国民の意識の低さが最大の原因です。為政者は「高い理想を持って」なんて言われることがありますが、言葉があるだけにすぎません。やっていることは、私達と同じです。それは、為政者も私達と同じ程度の低い人間だからです。程度の低い国民の中から選ばれた政治家の程度が低いのは必然的な結果なのです。彼等も人間なのですから、自分の利益だけを追求し、易きに流れるのは仕方がありません。私達だって、そういう日々を送っています。彼等は、私達国民の外注先の「おっさん」に過ぎないのです。「偉い人」でも「先生」でもありません。私達には、そんな認識さえありませんでした。
国民が、彼等のやりたい放題を放置した時は、国民が責任を負わねばならないことになっているのです。人間社会では、これは絶対ルールです。曖昧文化の中では、この「国民の責任」という部分が抜け落ちているために、誰も気付きません。
国民には、自分を守り、家族を守り、自分の子供だけではなく、全ての子供達の未来を守る責務があります。そのことを自覚していなかった国民が、この国を壊しているのです。

残念なことに、トレンドというものは、始まると、なかなか、止まりません。
この衰退トレンドは、まだまだ、続きます。
トレンドを変えるためには、大きな力と、それを継続させる力が必要です。
ここまで追いつめられると、それを可能にするのは、国民の意識だけだと思います。
起死回生、伝家の宝刀、妙案、なんてものは存在しません。
そんな便利なものが存在しなかったから、この窮地に立っているのです。
神風神話に縋り付いても、神風は吹きません。
どうすれば、いいのでしょう。
国民の外注先でしかない政治家という名の「おっさん達」に任せておいた結果が、今の状況なのに、その失敗の歴史を繰り返すことに意味はあるのでしょうか。辛抱強く、政治家に、ただただ、期待するだけで「何とか、なる」のですか。その答えは、既に、出ていると思います。「何ともならなかった」から、国力が衰退したのです。
流石に、もう、無理です。
国民の皆さんも、そんなことはわかっているはずです。確かに、他力本願は楽ですが、そろそろ、自分の責務を果たす時だと思います。

一人一人の国民が意識を変えるしかありません。
国民が意識を変えなければ、政治家の意識が変わることはありません。政治家は、意識変革に成功した国民の中から、意識変革に成功した国民によって、選挙で選ばれるのですから、選ばれた政治家の意識が既存の政治家の意識と違うのは当然のことです。政治家の意識が変われば官僚の意識も変わります。国民、政治家、官僚の意識が変わって、初めて国が変わります。中でも、一番難しいのが、国民の意識改革です。でも、そのプロセスなしに、この国が変わることはありません。
これは、気の遠くなるほどの地道な方法ですが、他に方法があるとは思えません。
もちろん、手遅れであることは承知しています。
でも、奇跡を信じて、やるしかないと思います。
そのためには、国民が、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義をすることから始める必要があります。なぜなら、国は国民生活のためにありますが、国民は国のためにあるのではなく、全ての子供達の未来のために存在しているからです。子供達を守れば、その子供達が大人になった時、彼等の子供達も守られることになり、結果として、国が守られることになります。人類の生存という根源的な目的は、そこにしかありません。国を守るということは、子供達を守ることなのです。子供達を守ることでしか、国は守れないのです。
私達は、いや、人類は、他力本願ではなく、自分の力で子供達の未来を守らねばならない宿命を持っているのです。「自分さえよければ」「今さえよければ」では国を守れません。
問題は、自分達が窮地に立っていることに、国民が気付いていないことです。
「あなたの立っている場所。それを窮地と呼ぶんですよ」と警告するしかありません。
私達庶民に出来ることは、ただ、現実を見て、現実を知り、想像力を駆使して危険を察知し、それを発信することくらいしかありません。
一人でも多くの国民が、子供達の未来を守るために、危険を知らせる狼煙を上げることです。
個人の力は微々たるものですが、数の力は最強なのです。
些細なことに見えるかもしれませんが、些細なことの積み上げは大きな力になるのです。いや、ここまで壊れると、他に方法はありません。
文章を書くのは面倒だと言う方は、この駄文をコピペして拡散してもらっても構いません。落書きみたいな文章ですから、著作権などというものはありません。
一人でも多くの国民が声を出すことが、地獄へ向かっている私達を救うかもしれないのです。成功の確率は、ごくごく、小さなものでしょうが、抵抗はしてみるべきだと思います。少なくとも、このまま、今の国家運営者にこの国の運営を委託していれば、間違いなく、私達はドツボに嵌ります。いや、既に、皆さんの両足は泥沼に入っています。
何度も、ギリシャやベネズエラの実例を挙げてきましたが、最終責任を取らされるのは、いつでも、どこの国でも、国民なのです。
抵抗しなければならないのは、私達なのです。
多分、この国は、もう、市民による革命でしか変われません。
革命と言っても、武力による革命ではありません。言葉による革命です。インターネットが存在しない時代であれば、こんな革命は出来なかったと思います。今の時代だから、こういう形の革命が出来るのです。
私達にあるのは、数だけです。でも、声を出す国民の数が集まれば、政治家は国民を無視できませんし、迎合してきます。民主国家では、国民の数が最強なのです。ただ、残念なことに、それが最大の弱点であることも確かです。それでも、少なくとも、同じ穴の中で蠢いているだけの野党議員に期待しても、何も変わらないと思います。国民の皆さんがやるしかないのです。
確かに、自分が苦しむだけなら、自業自得と諦められますが、子供達には何の責任もありません。子供達が、皆さんの自業自得に付き合わされるのは不条理だと思います。


2018-09-03



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国力衰退 2 [評論]


昨日、地方銀行の6割が「本業で赤字を出している」と書きました。
銀行の本業は、預金を集め、資金を貸し出し、その利鞘で儲けを出すという業態でした。その本業が出来なくなってきているのです。
その根っ子にある原因は、国力の衰退による資金需要の減少です。
金利水準の問題ではありません。
銀行経営問題だけではなく、今、この国の最大のテーマは、この「国力衰退」なのですが、そんな議論はどこからも聞こえてきません。
「国力衰退」という言葉を見聞きした人はいますか。
少なくとも、私はお目にかかったことがありません。
「国力衰退」による個々の現象は個別に議論されますが、その根っ子にある「国力衰退」には触れられることはありません。「国力衰退」という現象は、ドカーン、ドカーンとやってくるわけではなく、ジワジワとやってきますから、気付きにくいことは確かですが、「国力衰退」には早期発見と早期治療が必要です。社会にその言葉が生まれない限り、病状は悪化すると考えねばなりません。
私達の国は、長年この問題を、無かったことにして、先送りしてきたために、今現在でも先送り中ですが、状況は悪くなるばかりです。
どう見ても、先送りで何とかなる状況ではないのに、どうして、国民の皆さんは「俺には、関係ねぇ」という態度を取るのでしょう。私の年齢であれば、逃げ切ることも出来るかもしれませんが、大半の国民の皆さんは、特に子供達は、絶対に逃げ切れません。「俺には、関係ねぇ」と嘯くことができるのは、後期高齢者くらいです。
国民の皆さんはいい人ばかりですから、国力衰退などという言葉は使いたくないという「お上」の意向を忖度するかもしれませんが、国力衰退は否定しようのない事実であって、自然消滅するようなものではありません。
「穏便に、穏便に」「そこを何とか」「まあ、まあ」という大人の対応というものが曖昧な空気を作っているだけで、現実は、真っ逆さまに落ちているのがこの国です。
ですから、どこを見ても、人口でも、国民所得でも、国民負担率でも、社会保障でも、非正規労働者の増加や生活保護受給者の増加をみても、高齢者問題をみても、それ以外のあらゆる場面でも、経済成長時代では見られなかった現象が起きているのです。
この金融機関の現状も、国力衰退の症状でしかありません。
衰退国家では、当然、資金需要が生まれません。資金需要がなければ、銀行は貸し出しをする相手を見つけることができません。貸し出しができなければ、利鞘は生まれません。ごく、当たり前の原因と結果が表面化しようとしているだけなのです。
確かに、ゼロ金利は、そんな金融機関の苦境に加速度を付けてしまいましたが、資金需要さえあれば、乗り切れたと思います。日銀が、「これでもか ! 」というくらいの資金を供給しましたが、その資金を貸し出す相手がいなかったために、日銀の当座預金だけが膨らんだのです。
人口減少は、確定しているのですから、多くの民間企業が大きな資金を借りてでも、新しく、何かを作るという行動を起こすことはありません。企業経営者は、海外需要に活路を見つけるか、現状維持に注力するしかありません。多くの企業が、既に、守りに入っています。そこに、資金需要は生まれません。そのことは、多くの企業が社内留保に専念していることでもわかります。
オリンピックという旗があったから、住宅バブルは作ることが出来ましたが、バブルですから、オリンピックが終われば、反動が来ると言われています。そもそも、人口は減り、国民所得は減り、購買力も低下しているのに、どうして、これほど多くの新築住宅が必要なのでしょう。国を挙げての宣伝効果によるものとしか思えません。この先、高額で新築住宅を購入した人達には、苦難が待っています。空き家が深刻な問題になっている状況で、新築住宅が、これほど多く建てられることも、自然に逆らっています。どこかの時点で、反動がやって来ます。個人相手の住宅ローンは銀行にとって不可欠なものですが、このまま、続くとは思えません。
流行を煽り、銀行の売り上げに貢献していた投資信託も、投資家の半数が赤字になっていると言われています。そもそも、投資は簡単ではありません。投資信託は個別株の売買より怪我は小さくて済みますが、利益が出るとは限らないのです。専門家であれば、そんなことは百も承知です。銀行による投資信託の販売は、銀行が手数料を稼ぐためであり、顧客のことは考えていなかったということです。まだ、騙される人はいるでしょうが、損をするとわかっていて、銀行の手数料収入のために投資信託を買えば、それは、投資家ではなく、篤志家になるということです。皆さんは、銀行を助けるために、そんな篤志家になりたいですか。必死に貯めた財産が、減っていくのです。銀行を助ける篤志家になりたい人はいないと思います。資金需要の減少を補うために導入された投資信託の販売でしたが、手数料収入が減少すれば、銀行経営を苦しくさせます。
アパート経営という詐欺商法は、事件にまで発展してしまいました。
学校の統廃合は、随分前から始まっていますが、銀行だって支店の統廃合に積極的になっています。学校の統廃合が起きているということは、当然、企業淘汰だって起きるということです。当たり前のことです。
国力衰退という理由ではありませんが、現金需要が減少するという理由で、三菱UFJ銀行はATMの数を減らそうとしています。ある大きな流れが出来ると、不思議に、吸い寄せられるように色々なことが起きるものです。コンビニ経営が頭打ち状態になっていて、コンビニの店舗整理が始まるのも時間の問題だと言われています。
これからも、数々の縮小が起きます。
国が衰退し、経済が縮小しているのですから、仕方ありません。
どこに、資金需要があるのでしょう。
資金需要は、今後、更に減少します。銀行の未来には、淘汰という暗雲しかありません。

一方、国は国で大きな問題を抱えていて、銀行に配慮する余裕がありませんでした。いや、国力衰退を止めることが出来ませんので、配慮する方法がなかったのです。
昨日も書きましたが、アベノミクスは経済政策ではありませんでした。
経済政策より、より重要な政策が必要だったのですから、仕方がありません。
より重要な政策とは、財政延命政策です。5年前の状況を続ければ、早晩、国債の買い手がいなくなることが明白だったのです。
結果を見れば、本来の目的である財政延命には成功したと思います。日銀による国債購入額500兆円という規模は、約10年、破綻を先送り出来たということです。最近になって、やっと、アベノミクスは失敗だと言う方がいますが、そうじゃありません。アベノミクスは大成功だったのです。いつものことですが、官僚の皆さんの手腕には、いや、問題のすり替え能力には、感服するしかありません。

余談になりますが。
日銀は、2%の物価上昇という目標達成の先送りを何度も続けてきましたが、これが、当初から予定されていたのだとすると、脱帽するしかありません。金融緩和政策を終了するということは、国債の購入をやめるということです。しかし、国は、日銀に、永遠に国債を買い続けてもらわなければなりません。2%の物価上昇目標という旗を降ろして困るのは政府なのです。せめて、大幅なインフレで税収が増えれば、まだ、妥協の余地はありますが、インフレにもならず、日銀ファイナンスも無くなるのであれば、とても容認できません。政府としては、目標達成が長期であろうと短期であろうと構いません。政府の目的は、あくまでも、財政ファイナンスです。
私が、このことに、日銀の目標が達成されないことが政府の利益になるということに気付いたのは最近のことです。そう言えば、政府が日銀にクレームをつけたという話は聞きません。感謝状を贈りたいくらい、よくやってくれています。
ただ、世界の金融政策は方向転換しています。日本だけが続けるわけにもいきません。今は、「財政ファイナンスに見えない財政ファイナンス」の新手法を必死で模索している時期なのでしょう。官僚の皆さんは優秀な方ばかりですから、新手法を編み出すのかもしれませんが、それほど簡単なものではないと思います。

もちろん、金融システムの維持は、国家運営においても、経済運営においても欠かすことのできないものですが、国家崩壊との天秤にかけると、金融システムが多少毀損する政策を取ることはやむを得ないことだったのです。
国としては、財政を崩壊させるわけにはいきませんので、銀行の倒産は織り込み済みだったと思います。
ごく、普通に考えてみてください。国が縮小していくのですから、高度経済成長時代に必要とされた金融機関が、必要なくなるのは当たり前です。
もちろん、必要なくなっているのは金融機関だけではありません。
先月、人口減少について書きましたが、仮に人口が半減するのであれば、多くの企業が淘汰されます。単純に計算すれば、半分の企業は必要ありません。
人口減少は、社会不安の温床になります。
企業が淘汰されるということは、そこで働く人達が職を失うということです。特に、おじさん達は、路頭に迷うことになり、家族は壊れます。これは、社会不安の元です。
人口の減少は、税収の減少を意味します。国家財政は縮小しませんから、国民負担が増えます。国民の可処分所得は、さらに減ります。これも、社会不安の元です。
今、世界でも、日本でも、AIやIoTやロボットや自動運転を推進していますが、これは、どれも、人員合理化につながっているのです。それは、職を失う人たちが増えることであり、国民所得の減少になるのです。これも、社会不安の元です。
人口減少と国力衰退は、同時並行で進みます。その上、国力衰退と、世界潮流が、同じ方向を向いているのですから、人口減少以上に国民は傷みます。これも、社会不安の元です。
それだけではありません。この国は、原因に対処せずに先送りを選択したのですから、現在進行中の国力衰退が向かう先にあるのは国家崩壊です。先送りは、あくまでも、先送りですから、どこかで、限界を迎えるのです。これは、不安の先にある地獄です。
どちらに転んでも、金融機関の倒産は不可避だと思う必要があります。
昔は、金融機関の倒産は避けてきました。業種別倒産件数というデータがあれば歴然とするのでしょうが、戦後の混乱期を除き、過去の金融機関の倒産は他の業界の倒産件数より、極端に少なかったと思います。それは、預金者である国民に多大な影響があることも理由の一つでした。倒産件数はゼロではありませんでしたので、神話にはなれませんでしたが、準神話として、庶民は安心しています。
しかし、これからは違います。金融機関の倒産は、ごく普通に起きるものと思います。環境が変わるということは、これまでの常識が通用する時代ではなくなるということです。これからは、新しい常識が、次々と、生まれ続ける時代になります。
最終的に、個別の銀行の破綻は、自己責任という判定になります。
その自己責任の責任を取るのは、株主と預金者です。
だったら、「自分の預金は、自分で守る」しかないのではありませんか。
もちろん、今日明日という話ではありません。何年後になるのかはわかりませんが、その時は、必ず、やってきます。

国民は、「銀行は潰れない」「潰れても、預金は保護される」と信じていますが、政府は金融機関の倒産は避けられないと判断しています。
その一例を見てみます。
金融庁は、なぜ、銀行に経営統合を「強力」に推奨しているのでしょう。
もしも、銀行経営が順風満帆であれば、「余計なお世話」です。
金融庁は、金融機関の倒産は不可避だと思っているから、世話を焼くのです。
私のような素人でもわかるのですから、専門家はわかっています。
金融庁の目的は、少しでも倒産する金融機関を少なくして、社会不安を抑えようというものです。もちろん、これも金融庁の仕事ですが、これは、既に、敗戦処理に入っているということなのではないでしょうか。
経営統合という手法は、倒産という形態を取らずに、金融機関の数を減らすためのツールです。金融庁の狙いは、経営統合という看板を使い、A銀行とB銀行を合併させ、合併後のAB銀行がリストラや支店の統廃合や合理化により、経費を半分にすれば、A銀行を倒産させることなく、AB銀行の内部でA銀行を消滅させることが出来るのです。そうすれば、実質的な淘汰が実現できます。
政府も金融機関も、そんなことは百も承知です。ただ、金融機関がゼロになるわけではありませんので、どこの銀行も、何とか、生き残ろうとしているために、積極的にはなれないというのが実態だと思います。しかし、現実はそれほど甘いものではありません。合併という手法だけでは限界がありますので、今後、数々の施策が出てくるものと思います。中には、強引なものもあるでしょう。
金融機関の倒産ブームなんて話は、国内だけではなく対外的にも信用の失墜につながります。この信用というものが、実に厄介なもので、失われる時は、あっという間に失われます。信用は、ダムの水に例えられることがあります。コツコツと信用という名の水を貯めていたダムが決壊すると、一気に、信用という名の水は流れ去ります。その被害は思わぬところで、大きな傷を作るものです。

人口減少は止めようがありませんので、これからも、国力衰退は進みます。昔のような資金需要は、もう、二度と出てくることはありません。実際の資金需要に金融機関を合わせるしかないのが現状です。
一方、国民貯蓄も減少へ向かっています。人口減少と国民所得の減少は、貯蓄の減少に直結しています。預金も集まらず、資金需要もないのですから、人口が半減するのであれば、今ある金融機関の半分は必要なく、時代が生み出す現実に、合わせるしかないのです。単純な計算だけでは予測できませんが、100~500の金融機関が消えていくことになります。
もしも、国が「国民生活が第一」だと考えているのであれば、国は、預金者に対して、「地銀、第二地銀、信金、信組に貯金している皆さんは、倒産に備える準備をしてください」という避難準備情報を出すべきだと思います。もっとも、国は「国民生活が第一」なんて考えていませんから、避難情報は出しません。そうであれば、預金保護の限度額を大幅に減らすべきです。1/10にすれば、10倍の倒産に対応できます。ま、10倍では、役に立ちませんが、無いよりはましです。

たとえ、銀行が倒産しても、政府だけではなく、マスコミも、専門家も本当のことを言いません。政府の意向に逆らえば、マスコミは情報が貰えなくなり、専門家は仕事をなくします。ここは、中国ではありませんが、国家による統制は行われているのです。
定義がありませんので、国家運営者は、今でも、国は国民を統制するシステムだと信じています。国民の管理・統制は、何も中国だけの特殊な運営方法ではありません。程度の差はありますが、世界中で行われています。
国民は、そんなことを知りませんから、なんとなく、作られた空気に流されることになります。「新聞に書いてあったから」「テレビで言っていたから」という理由で、簡単に信じてしまうのです。どこまでも、いい人達です。
「公式発表」は、論点をずらすことによって隠蔽を始めており、いや、公式発表というものは、もともと、そういうものであり、いつの日か、「大本営発表」が戻ってきます。政府には、いつでも利用できる「パニックを起こさないために」という便利な大義があります。パニックを防ぐことも国民生活を守ることだという言い訳に過ぎませんが、政府は、嘘を発表しても許されるという身勝手な論理が存在しているのです。過去の「大本営発表」がどんな発表をしていたのかがその一例です。

この国では、誰一人、根っ子の原因に挑戦していません。
国家運営者の目標が「自分さえよければ」「今さえよければ」になっている国で、国民は目と耳と口を塞ぎ、「俺には、関係ねぇ」と言っている国で、国民生活の安寧なんて望めるのでしょうか。
国も国民も、子供達の未来を、どう考えているのでしょう。


明日に続きます。


2018-09-02



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国力衰退 1 [評論]


申し訳ありません。今日も、また、「余計なお世話」の話を書きます。
いつものことですが、石田の話は、疑いの目で読んでください。すべて、私の妄想です。ただ、万が一、もしも、うっかり、皆さんが同感してしまうと、その時から皆さんの妄想となりますので、ご注意ください。
今日明日にも、大惨事が起きるようなことを書いていますが、そんなことはありません。ただ、少し長い目で見ると、石田の妄想は、現実になることが多いのも事実です。
ですから、ほんの少しだけ、心に留めておく程度でも構いません。もしかすると、役に立つかもしれません。いや、役には立ちませんが、気休め程度にはなるかもしれません。
文中では、国民の皆さんに向かって、熱く語ることがありますが、実現することはありませんので、短編小説を読むようなつもりで、軽く読み飛ばしてください。
あと、素人ですから、間違いは多々あると思います。常に眉には唾をお願いします。

先月も、「自分のことは、自分で守る」ということを、くどいほど、書きましたが、どんな局面でも、結論は同じ場所に行き着きます。
私達は、誰かに、何かに、守られていると信じていますが、仮に、守られているとしても、無限に守られているのではないと思っています。私達の勘違いは、この有限と無限の解釈を間違えることから始まります。よくある「まさか・・・」もその一つです。守られているか、守られていないかはデジタルではなく、アナログなのでしょう。守られている領域を超えたら、自己責任に一変することがあることは承知しておく必要があると思います。「何とかなる」時代は終わり、「自分のことは、自分で守る」時代になっていると思います。判断を誤ると、「何ともならない」場面に遭遇する危険があります。

守られていると思っているものの一つに、「預金保護」があります。
皆さんは「預金は1000万円まで、守られている」と信じていると思います。
確かに、一つの銀行が、特別な事情により倒産した場合には、預金保険機構が保障してくれるでしょう。
では、10行が、20行が倒産した時は、どうなのでしょう。いや、100行、200行の銀行が倒産したとしたら、どうなるのでしょう。
皆さんは、「銀行が、バタバタと倒れるようなことは、起きるはずがない」と漠然と思っていませんか。
皆さんは、「まさか・・・私の預金に限って」なんてこと、思い込んでいませんか。
皆さんは、自分の常識が、もう、古くなっていて、使い物ならないと感じたことはありませんか。
皆さんは、今日の延長線上に、明日があると信じていませんか。
皆さんは、既に、時代は変わっていることに気付いていますか。
一度、皆さんが大切にしている常識という化け物を排除してみませんか。
常識と思い込んでいるものには、普遍的で絶対的な根拠があるわけではありません。環境次第で簡単に変わるのです。
時代は変わり、自分の預金は、自分で守る、という時代になっていると思います。
それが、近い将来、現実になります。
「あちゃー」と言うか、「よかった」と言うかは、今の時代を読む、皆さん自身の判断で決まります。
試しに、「銀行が、100行、倒産した時でも、預金は、1000万円まで保護されますか」という質問を金融庁にしてみてください。「推定の話には、回答できません」という答えが返ってくると思います。「保護されます」と答えれば嘘になりますし、「保護されません」と答えればパニックになります。回答しないことが正解なのです。
どこまで保護されるのか、私にもよくわかりません。でも、もしも、「保護される」という文言がアナログであった場合は、どこかに、限界点があるはずです。ですから、自分の預金が保護された時は「ラッキー」と考え、保護されなかった場合は、「まさか・・・」ではなく「やっぱり、駄目だったか」と考えることをお勧めします。
仮に、倒産した100行の銀行の預金額を合計すると、100兆円になったとします。預金保険機構には、それを上回る資金があるのでしょうか。保険の保険はかけられているのでしょうか。預金保険機構のホームページを見ましたが、よくわかりませんでした。推測に過ぎませんが、預金の規模にもよりますが、2行か3行が限界で、とても10行の倒産には対応できないと思います。これ、私の、勝手な憶測です。

随分前に、日本崩壊を小説風に書いたことがありますが、その時に「銀行封鎖」について書きました。銀行の倒産が国民のパニックを誘発すると判断された時には、銀行封鎖という対応しかないことを書きました。
それは、銀行が全預金者の預金の全額を払い戻す現金を持っていないからです。銀行は、そんなことをしていたら、商売になりません。銀行は、慈善事業で皆さんの預金を預かっているわけではありません。それでも、建前として「いつでも、いくらでも、預金の払い戻しはできますよ」というトリックで成り立っているのです。もしも、支払い能力のない銀行に預金者が押しかければ、当然、トラブルになります。それを防ぐためには、物理的に銀行のシャッターを閉めるしかありません。それが「銀行封鎖」です。日本でも、世界でも、何度となく実行されました。「ATMは大丈夫だろう」なんて考えないでください。どうしても、現金が必要なら、銀行強盗をやるしかありません。
例えば、ある地方の銀行、A銀行が倒産したとしましょう。
「倒産は残念だが、A銀行には、特別の原因がありました。A銀行以外の金融機関には、何の問題もありません」という説明が出てくるものと思います。
国民は、素直な人ばかりですから、公式見解を疑うことなく、「ふむ、ふむ」と頷くはずです。「皆さんの預金は守られます」という発表もあるかもしれません。
では、その後、B銀行が倒産したら、C銀行も倒産したら、どうなるでしょう。
専門家の解説の中には、構造的な問題があると指摘する人も出てくるでしょう。それは、A銀行B銀行C銀行以外にも、倒産する銀行が出てくるということです。でも、そんな記事を読む人は限られています。いや、読んでも、信用しないでしょう。人間は、自分に都合の良い結末しか信じないものです。
「皆さんの預金は守られます」という発表はないかもしれません。
その時、D銀行、E銀行、F銀行に預金を持っている人達はどんな行動に出るでしょう。
もしかすると、その時の世間の空気次第ですが、自分の預金を全額引き出す行動に出る人が9割を超えるかもしれません。あらゆる金融機関に預金者が殺到する事態が起きないとは断言できません。
いわゆる、取り付け騒ぎ、です。取り付け騒ぎは、預金者が銀行の前に並ぶだけではありません。この情報社会では、銀行の前に並んでいる人達の映像が、その不安な表情が、瞬時に、全国に伝わります。私も、とりあえず、通帳と印鑑を持って銀行に走ります。
一番大きな影響は、社会不安の増大です。社会不安やパニックは、思わぬ事態を招くものです。預金保険機構が設立されたのは、この取り付け騒ぎを防止するためのものでしたが、設立時には、突発的な事態への対処がなされたのであり、多数の銀行の倒産という事態は想定されていなかったと思います。
例え、メガバンクであっても、この取り付け騒ぎには対応できません。いや、世界規模でも、取り付け騒ぎに対応できる金融機関は存在していません。
政府は、非常事態だとして、銀行の封鎖を宣言し、銀行はシャッターを降ろします。
ATMからの出金限度額も設定されて、1日に出金できるのは千円になるかもしれません。
しかし、銀行封鎖の最中に、もしも、D銀行、E銀行、F銀行が倒産したとすると、預金者は、指を咥えて見ていることしか出来ません。
多分、B銀行が倒産した時が、境目になると思います。と言うことは、A銀行が倒産した時に、どんな判断するかが境目になるということです。
どこまで預金保護が行われるのか定かではありません。政府も銀行協会も、無制限に保障します、という発言はしていないと思います。想定外の事態だとして、新しい判断が示されることになります。「まさか・・・」「そんな話、聞いていない」と言ってみても後の祭りにしかなりません。
もちろん、こんな話は、ヨタ話として一笑に付してもらっても構いません。
皆さんの資産に、私が注文をつける謂れはありませんので、皆さんの自由です。
日本崩壊論を書いたあの時は、フィクションでしたが、現実になる可能性が少しだけ大きくなってきました。

なぜ、こんなヨタ話を書いたかというと、最近、銀行経営が窮地に立たされているというニュースが増えてきたからです。何年か前に、ある信用金庫の理事長の方の話を書きました。その方も、「将来、金融機関の倒産は、必ず、起きる」と言っていましたが、まだ、少数意見でした。もう、少数意見では済まない状況が生まれているのかもしれません。
アベノミクスの副作用だと言われることがあります。いや、そういう空気は作られてしまったように見受けられます。ゼロ金利が常態化してしまったことによる副作用だと言われます。テレビだけではなく、多くのメディアで、そういう解説がされます。「ほんとに、そうなのか」という声はありません。官僚の皆さんの、問題を矮小化する技には、いつも感心します。
しかし、実際には、ゼロ金利の影響は限定的だと思います。ゼロ金利が銀行を追いつめたという説は、間違ってはいませんが、部分的な解釈でしかなく、ゼロ金利を緩めたとしても、銀行経営が持ち直すとは思えません。そうではなくて、金融機関が構造的な問題に直面していて、その問題の解決法が見当たらないことが原因なのだと思います。
金融庁や日銀が右往左往していますが、また、間違った判断をする方向へと向かっているようで、心配しています。デフレ脱却という政策に見られるような、結果にコミットするやり方では、問題は解決しません。結果を捻じ曲げても、何も解決しないのです。
原因にコミットする方はいますが、原因に対応した方は、まだ誰もいないのですから、これでは方向転換は出来ません。

実際に赤字決算を発表する銀行も散見されますので、中には3期連続赤字という金融機関もあるそうですから、金融機関の経営環境はかなり悪化しているものと思います。
赤字決算は、なんとか回避したが、本業での損益では、地方銀行の半数以上、約6割の銀行が赤字だと言われています。これは、地銀だけが苦しんでいるという問題ではなく、第二地銀、信金、信組も同じ環境にあるということです。農協を除いても、約600社の金融機関があります。その1割が倒産したとしても、60社が倒産します。いや、1割で済めば万々歳です。数字の裏付けがあるわけではなく、私の妄想に過ぎませんが、最悪、500社が倒産しても、私は驚きません。メガバンクとゆうちょ銀行と100社の地銀があれば、日本の資金需要は賄えます。
では、メガバンクだけは安泰なのでしょうか。
メガバンクのリストラ計画は、大きな反響を呼びましたが、リストラ計画だけではないようです。三井住友銀行とみずほ銀行の合併という話も浮上しています。合併話がデマだとしても、そういう噂が出てくると言うことは、メガバンクであっても厳しい環境下にあるということであり、もう、銀行の規模の問題ではなく、サバイバルゲームが始まっているのです。これは、金融機関全体が追いつめられているということなのではないでしょうか。

この資金需要不足を解消するためには経済成長が必要です。しかし、日本は経済成長から見放されたまま、時間を浪費してきました。アベノミクスが発表された時、銀行の皆さんも、大きな期待を持ったと思います。誰もが、安倍総理でさえも、アベノミクスは経済政策だと信じたのです。しかし、アベノミクスは、財政延命政策に過ぎず、またも、時間を浪費してしまいました。私は、アベノミクス発表時に「アベノミクスは失敗する」と書きましたが、それは、私もアベノミクスが経済政策だと思っていたからです。誰がみても、この国に必要なのは経済成長だと思っていました。だから、誰もが、アベノミクスは経済政策だと思いたかったのだと思います。
私は、失敗する理由として、順番が逆になっていることを挙げました。3本の矢は、正しい政策だったのですが、その矢を放つ順番が逆になっていたからです。本来は、大胆な、過去の常識を破るような成長戦略が存在し、その成長戦略を援護するために財政出動も金融緩和も厭わない政策である必要があったのですが、実際には、金融政策が一番目の矢になり、矢をバズーカ砲弾に変えただけの偽物に仕立て、後から放たれた成長戦略という矢は、使い古された小粒の政策の寄せ集めに過ぎなかったのです。そこには、戦略の欠片もありませんでした。今、考えれば、私達が勘違いしていたことがよくわかります。アベノミクスが、財政延命政策だと知っていれば、アベノミクスの矢は、間違っていなかったのです。
結果、資金需要は生まれませんでした。

何年も前から指摘されていましたが、このまま行けば、早晩、地銀、第二地銀、信金、信組の倒産というニュースが出てくるものと思います。最初は、1行か2行の倒産でしょうが、資金需要の不足という構造的な問題ですから、1行や2行の倒産では収まりませんし、護送船団方式は終わっていますので、公的資金の投入はありません。
メガバンクは、倒産ドミノの最後になると思いますので、地銀、第二地銀、信金、信組に預金をしている方がいたら、倒産現象が起きる前に、預金をメガバンクへ移し替えることをお勧めします。
「自分を守る」ためには、自分が動くしかありません。
まだ、このような考え方は一般化していませんが、どこかで、誰かが気付き、騒ぎになれば、それだけでドミノ現象が起きる可能性があります。そうなれば、倒産する銀行が出てくるまでもなく、既存の金融機関の崩壊は始まります。それに耐えられるだけの体力は、本業で赤字を出している地銀にはありません。今は、まだ、国民の「まさか・・・」という勘違いだけで持ち堪えているだけです。
これは、私の妄想なのでしょうか。
たとえ、妄想だとしても、危険が予測できるのであれば、無駄であっても、それに対処しておかなければならない、そんな時代になっていると思っています。
本当は、「あちゃー」を阻止すべきなのですが、国民の皆さんには、その気がないようですから、期待は持てません。

明日と明後日は、金融機関の構造問題と、この国の構造問題について書きます。
この構造問題を知れば、多少、「自分のことは、自分で守る」という行動を起こす動機になるかもしれません。ただ、何度も書きますが、眉に唾はお願いします。


2018-09-01



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ギリシャ国民 [評論]



久しぶりに、ギリシャの話題がありましたので、紹介したいと思います。
ギリシャの記事を紹介し始めてから、多分、10年くらいになるものと思います。



 2010年から3度にわたって金融支援を受けて来たギリシャが、2018年8月から自力による再建を目指すことになる。即ち、トロイカ(EU、ECB、IMF)からの金融支援に終止符が打たれることになるのである。
 それを、珍しくネクタイを締めた姿のチプラス首相は6月22日議会の演壇に立ち、あたかも“トロイカからの支援から開放されるのだ”、とでも言いたいかのように国民の前で「2015年に国民の前で約束したことを果たした」と満足げに報告した。
 実際には、これからギリシャは茨の道を歩まねばならないといことを政府は充分に知っているにもかかわらずに、だ。

ギリシャを待ち受ける茨の道
 第3次金融支援の最後の融資150億ユーロ(1兆9500億円)が近くギリシャに提供されることになっている。これを加えておよそ3000億ユーロ(39兆円)がギリシャに融資されたことになる。それはギリシャGDPの178%を占める金額だ。
 ギリシャがこれから茨の道を歩まねばならなくなるというのは、この3000億ユーロを返済せねばならないからである。その為にトロイカがギリシャに規定していることは2022年まで基礎的財政収支(プライマリーバランス)をGDPの3.5%の黒字に保ち、その後2060年まで毎年同収支を2.2%の黒字で確保するということが要求されているのである。
 これは何を意味するのかと言えば、それは達成不可能だということである。40年以上財政収支を毎年2%以上の黒字に保つということは世界のどの国でも出来ないことである。
 一方、トロイカは返済金の回収に務め、負債の少なくとも70%が返済されるまで3か月毎に監査員のギリシャ詣でが継続されることになるとしている。

どう考えても無理難題な返済計画
 返済達成の見込みを立たせるには、IMFのラガルド専務理事が以前から指摘しているように、少なくとも負債の大幅な減免が必要だということだ。返済の開始を10年延期して2032年からの返済としているが、GDPがおよそ2000億ドル(21兆6000億円)のギリシャで、しかも危機が始まってからGDPが25%後退した上に3000億ユーロの負債総額というのは余りに巨額なのである。
 財政収支が黒字であるということは、国民の生活に必要な支出が歳入で全て賄われているということを意味するのであるが、ギリシャは、GDPが危機前に比べ25%減少し、失業率は今も20%以上ある国だ。危機が始まってから25万社が倒産したり廃業したりして姿を消している。財政難から年金は14回削減され、国民の平均収入も38%減少しているという。
 2017年はGDPで輸出が伸びて1.4%の成長を示したとしているが、これまでGDPの10%が輸出だというギリシャはEUの中で輸出規模は最低クラスにある。成長には外貨の獲得が必要であるが、輸出量が余りに少ない。しかも、現状のギリシャでは外国から投資するにも魅力は薄い。実際、危機が始まってから投資は60%減となっている。また。支払い遅延は50%が慣例化している。これではまもともな企業の成長は望めない。
 また、これまでの3度のトロイカからの金融支援についても、その10%は公務員の給与、年金、教育、厚生など公共支出に充てられ、残りの90%は借金返済や金利の支払いに向けられていて、国の産業発展の為の投資に回されたことがないのである。
 よって、財政を黒字化するには歳出の削減しかない。その対象になるのが、例えば、年金の減額である。チプラス政権はそれを今後も実施していかねばならない。また、国有財産の民営化や売却である。その一貫として、ギリシャの最大港ピレウス港は中国のコスコ・グループに売却された。同じく地方の14空港の運営もドイツ企業に売却されている。
 国を発展させる基幹産業が存在せず、現在も外貨獲得の主要産業は観光事業である。このようなギリシャが今後40年余り毎年継続して財政収支を2%以上の黒字にして行くことなど不可能である。
 だから、ギリシャ国民は更に厳しい生活を余儀なくさせられることになるのである。
 そこには、チプラス首相が喜ぶような材料は何ひとつなく、議会で演壇に立ってネクタイを締めたのも、そこには今後も国民は自らの首を絞める道を歩んで行かねばならないということを暗示してのネクタイのように思われる。



本当は、このようなマクロ情勢ではなく、ギリシャ国民の実生活が知りたいと思うのですが、遠い極東の地にある日本にまではニュースが届きません。
GDPや失業率や国民所得の数字からは、国民が厳しい現実の中にいると推察されますが、この先、少なくとも半世紀は貧困から逃れられないと思うと、いや、今以上の、更なる、貧困に耐えなければならないとすると、気の毒に思います。
ただ、人間は環境に順応できる生き物ですから、突然、地獄に落とされるよりは、約10年間、貧困の予行演習をしていたと考えれば、良かったのかもしれません。
それでも、限界はあるものと思います。
しかも、国が地の果てにあり、比較するものが何もない環境にあるわけではなく、他国との比較は日常のニュースとして流れます。
とても、辛い、と思います。
それでも、どうすることも出来ません。
周囲の国も、国民も、ギリシャの自業自得だとしか考えていません。

何か、方法はないのでしょうか。
方法は、二つです。
A案。
GDPの増加に注力するという正攻法です。
ただ、これが一番難しい方法であることは間違いありません。
特に、ギリシャの場合は、巨額の借金を抱えています。稼いでも、稼いでも、利息に消えていきます。
ですから、このA案では、借金の返済をやめます。
GDPの増加は、全額、国民に還元します。
今後、EUも、ECBも、IMFも資金を貸してくれません。次の借金が可能なのであれば、過去の借金の返済は必要ですが、もう、その必要はありません。「無い袖は振れない」と言って、踏み倒せばいいのです。EUからは除名されるでしょうが、どっちみち、どん底まで行くのであれば、EU除名を気にしている余裕などありません。
国民所得の減少を食い止めなければ、新しいギリシャは始まりません。
勝手に推測しますが、10万円の年金で生活していた人の収入は、この10年で6万円になりました。この先、5万円になり、4万円になっていくでしょう。どこまで耐えられるかという、サバイバルゲームは始まっています。このトレンドを変えなければなりません。
国民所得の減少を阻止するためには、地道にGDPを増やすしかありません。
ここまでは、理屈が成り立つのですが、このシナリオには大きな欠陥があります。
それは、ギリシャでは、この10年だけではなく、これまで長いこと、GDPを増やす方法が見つかっていないことです。
簡単ではありませんが、成功率はかなり低いと思いますが、何としても、その方策を見つけることです。
実現は無理でしょうが、私の無茶な提案を書いておきます。
商売は、市場ニーズのあるところに生まれます。今、EUが困っていて、「何とかしてくれ」という事象があります。難民問題です。これは、ニーズです。難民は、全員、ギリシャが引き受けます。そして、EU相手に商売をします。移民受け入れ経費と滞在経費を請求するだけではなく、職業訓練を徹底し、労働力派遣をし、相手国が了解すれば移民手続きをします。
たとえ、多少高い経費を請求しても、EUは喜んで対価を支払ってくれるのではないかと思います。債務減免も条件に入れてもいいと思います。ギリシャにもEUにもメリットがあると思うのです。
B案。
この案は、A案の欠点である、経済成長戦略を他力本願で手に入れる方法です。
ただし、この案には、大きな危険が伴います。
このB案では、ピレウス港だけでなく、国ごと、中国に身売りするのです。
中国共産党と、中国企業と、中国人を受け入れ、中国の欧州自治区として生まれ変わることです。
中国人であれば、ギリシャを欧州トップクラスの国にすることが出来ます。一部のエリートを除き、先住民である旧ギリシャ国民は冷遇されるでしょうが、生き残ることは可能かもしれません。
もしも、仮に、それこそ万が一、そんな馬鹿げた提案が出てきた時には、ギリシャ国民は情報開示を要求しなければなりません。中国に支配されるということは、良いことばかりではないことを知っておかねばならないからです。
チベット自治区やウイグル自治区の弾圧の真実は明らかになっていませんが、ギリシャが自治区になる時には、ギリシャ国民がその当事者になることを覚悟する必要がありますので、チベットで、ウイグルで起きたこと、起きていることを知っておく必要があります。
ウイグルの絶望収容所の話題は、以前にも書きましたが、今でも、その全貌が明らかになったわけではなく、噂の領域にあります。中国政府による情報統制は徹底されていて、断片的に出てくる情報の裏取りができないために、記事になりません。確証のある情報がなく、推測に頼る状態ですから、大きな国際問題にはなっていません。中国らしいやり方ですが、国家ぐるみで強力な隠蔽が行われているのです。
弾圧の対象になっているのは、今のところ、チベット人やウイグル人ですが、漢族の人は安心しているかもしれませんが、共産党を守るためであれば、漢族であっても弾圧される時代がやってくると思わねばなりませんので、ギリシャ人が弾圧の対象になることは避けられないと思います。実際に腐敗撲滅運動という名を借りて多くの漢人が、人民軍の軍人までが、拘束されています。弾圧が必要だと考えれば、人種はどうでもいいのです。独裁国家とは、そういうものですから、仕方ありません。
一説によれば、収監されているウイグル人は、既に、100万人を越えたと言われています。200万人だという説もあります。誰も、その実態を知りません。政治的な闘争をしたわけでもなく、ある日、突然、普通の人が収監されるのです。収容所建設が間に合わずに、既存の公共施設を改造して、収容所にしているという話です。
収容所内では、拷問と愛国教育と称される洗脳が行われ、イスラム教徒であるウイグル人に豚肉を食べるように強制していると言われています。中国の共産党体制を維持するためには、共産党が神である必要があります。共産党よりも上位に、別の神が存在していてはならず、イスラム教だけではなく、全宗教を否定しなければ共産党は存立し得ないのです。ただ、宗教が関係すると、何事も一筋縄ではいきません。中国政府にも「力」を使うという選択肢しかなかったのでしょう。
ウイグル人の通信や移動は制限されていて、海外の家族や友人との接触も出来ないと言われています。いや、海外との交信があると、それだけで収監される危険があるので、「連絡しないでくれ」と頼まれるそうです。街中に武装警官が常駐して住民を監視し、監視カメラがいたる所に設置され、通信は傍受され、ネットは検閲され、強力な監視社会が出来上がっています。
最近、国際社会が、やっと、非難をし始めましたが、中国政府は「内政干渉だ」と国際社会の非難に対して逆切れしています。「俺の国が、俺の国の国民を、どうしようが、それは、俺の勝手であり、お前たちが口を出す問題ではない」という論理が、平然と、強い口調で語られます。
昔、日本でも、そういう時代がありました。
子供は親の持ち物であり、子供を売り飛ばそうが殺そうが親の自由だという時代です。それを、親の権利だと勘違いしていた人が大半だった時代があったのです。ですから、中国政府の論理も理解できないわけではありませんが、中国が大国だと胸を張るのであれば、中国も変わらなければならないと思います。
ただ、共産党一党独裁制度を守るためには、監視や弾圧や洗脳は必要不可欠です。その点で、中国は変われないとすると、ギリシャ国民は、その覚悟を持っておかねばなりません。
さて、ギリシャ国民は、どんな判断をするのでしょう。

「俺には、関係ねぇ」と思っている日本国民の皆さん。
皆さんは、ギリシャやベネズエラのような国に、チベット自治区やウイグル自治区のような場所に、住みたいと思いますか。
もちろん、そんな希望は持っていないと思いますが、国民が希望していなければ、そんなことにはならないという法則は、残念ながら、ありません。国民の思惑とは関係なく、そういうことは起きるのです。
ギリシャ国民の皆さんも、ベネズエラ国民の皆さんも、こんなことになることを望んでいたわけではないと思います。私達だって望んではいません。
でも、ギリシャもベネズエラも壊れてしまいました。
以前に、ベネズエラの話題を書きましたが、その後も、インフレはハイペースで進行しているようです。IMFの最近の発表では、今年のインフレ率は100万パーセントになると報じられています。いろいろな数字が飛び交っていて、どの数字が正しいのか、わかりません。ベネズエラ政府はデータを公表していませんので、推測データしかないものと思います。でも、100万パーセントということは、缶コーヒーが1本1億円の計算になります。印刷が間に合わずに紙幣不足となり、地方では物々交換経済に移行しているという話もあります。なぜ、暴動が起きないのか不思議ですが、現政権は左派政権で、弾圧は厳しいという話です。政権周辺の皆さんは豪華なディナーを食べているようですから、軍や警察も優遇されているのでしょう。国民だけが苦難を強いられているようです。
壊れ方にもいろいろな壊れ方があり、日本がどんな壊れ方をするのかは不明です。
それでも、結果責任は国民が取るしかないのです。
それは、ギリシャ国民やベネズエラ国民やチベット族の人達やウイグル族の人達が身をもって証明してくれています。日本の場合、もっと過酷な壊れ方をするかもしれません。
せめて、抵抗するだけは抵抗したほうがいいのではないかと思います。
「まさか・・・」や「俺には、関係ねぇ」は通用しないと思います。


2018-08-05



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未来予想図 [評論]



少子高齢化や人口減少という言葉は、飽きるほど聞きますが、言葉が躍るだけで、私達は「曖昧」の中に漠然と浮遊しているだけで、先が見えていません。
国民の皆さんの共通認識は、少子高齢化対策や人口減少対策は「お上」の仕事であり、「俺には、関係ねぇ」というものです。その通りなのですが、「お上」が何もしない事を放置しておくのが、国民の仕事なのでしょうか。「国民とは」という定義がありませんので、明確にはなっていませんが、国民にも責任があるのではないでしょうか。
何も対策できずに、既に、私達は少子高齢化や人口減少という泥沼に足を踏み入れています。人口減少が始まって、既に9年経過しているのです。
ただ、不思議なことに、それに抵抗する人達はいません。「困ったことだ」と思っている方は大勢いますが、「何を言っても、どうにもならない」と思っているようで、抵抗などということは念頭にはありません。
それは、少子高齢化や人口減少が泥沼だと認識していないためだと思います。
私のような老人が、「何とか逃げ切れるだろう」と思っていても不思議ではありませんが、若い皆さんが、未来予想図を持っていないことは不思議です。
「何とかなる」「なるようにしかならない」「神風が吹く」「俺には関係ねぇ」という信仰に支えられ、私達は、日々平穏に暮らしているのです。
「平穏に暮らして、何が悪い」と言われるかもしれません。
確かに「今日が平穏であれば、いいじゃないか」という言葉には説得力があります。だからと言って、明日の悲惨を受け入れるのは、少し、違うと思います。
なぜなら、私達には、子供達に平穏な日々を用意する責任があるからです。国民には、大人には、その責任があります。それが出来なければ、人間失格だと言われても、甘んじて受けるしかありません。極論ですが、私達はそのために存在しているのです。
私達には、未来予想図が必要なのです。自分のために必要なのではありません。子供や孫達のために必要なのです。「何のために、生まれたのか」「何のために、生きるのか」という問いに答はありません。宇宙にとって、人類の存在など、何の意味もないのですから、私達が生きていることにも意味はありません。それでも、無理矢理、答を捏造するのであれば、「誰かのために、生まれ」「誰かのために、生きている」のではないでしょうか。「子供達の未来のために生きている」という答は、充分、答になり得ると思います。


人口減少で何が起きるのか、その未来予想図を、データで見てみます。
各項目の数値は、同じ年の数値ではないものがあります。
予算は、特別会計と一般会計の合計です。
債務は、対GDP比です。

          人口      GDP     予算    債務
日本     1億2600万人  487兆円  218兆円  236%

イギリス     6600万人  262兆円  100兆円   87%
フランス     6400万人  258兆円  123兆円   96%
イタリア     6000万人  193兆円   86兆円  131%

3カ国平均    6300万人  240兆円  103兆円  105%

日本の人口が半減するということは、イギリス、フランス、イタリアと同程度の国になるということです。この3カ国平均の数値は、たとえ、人口が半減しても、存続が可能となる数値です。
しかし、日本が、この数値通りの国になることはありません。私の偏見と独断によれば、未来予想図は次のようになります。

日本の未来予想  6500万人  250兆円  400兆円  3000%

現実を見ませんか。今後も、人口は減少します。人口が減少すれば、自動的にGDPも減少します。しかし、予算と債務は自動的には減少しません。
予算は、政権の意志が入りますので、自然減少しないのです。そのことは、この国が数十年間、毎年、証明しています。予算が減少しないということは、GDPの減少で税収が減少しているにもかかわらず、借金の額を増加させなければなりませんので、債務残高比率は増加することになります。
もしも、日本が、イギリス、フランス、イタリアと同程度の国になり、存続しようとするのであれば、借金の元本返済をしなければなりません。ここまで債務残高が増えると、PBの黒字化は屁のツッパリにもなりません。元本の返済が必須なのです。
ところが、既に人口の減少は9年前から始まっているのに、借金の元本返済は始めていません。日本は元本の返済をするのではなく、追加の借金をし続けているのです。それが、ある日、突然、元本の返済を始めるとは、とても思えません。PB黒字化でさえ、約束を守っていないのです。国家運営者は元本の返済という言葉さえ使いません。
既に、日本は、国家存続を放棄しているのです。とりあえず、先送りをして、神風を待っている状態です。
人口半減を待つまでもなく、どこかの時点で日本財政はデフォルトします。いや、政権の意図は、ハイパーインフレの醸成のようですから、極端なインフレ税で国民が飢えることになります。私達の未来にあるのは、餓死社会なのです。

「社会保障費の増加により、日本は・・・」と言われますが、政府は「社会保障費の増加」を理由に、これまでの国家運営を正当化しようとしていますが、仮に、社会保障費が増加しないとしても、この国はデフォルトします。社会保障費の増加は、デフォルトの時期を早める効果はありますが、デフォルトの原因は国家運営の失敗によるものなのです。「ワニの口」を放置したことが原因です。「いつか、また、高度経済成長の波はやってくる」と言い続けて、過去の運営手法を踏襲したことが原因です。少子高齢化に対する政策も打てませんでした。ただただ、借金経営を続けたのです。既得権益は守られましたが、国家の永続や国民生活を守るという意思は感じられません。問題は、そんな国家運営を許したのは、誰なのか、です。
多分、無策も策の内だと考えているのでしょう。いや、「先送り」こそが究極の政策だと考えているのかもしれません。
私達の国は、少子高齢化に対応しませんでした。借金の増加にも対応していません。戦争に対する備えはありません。この無策が、この「先送り」が、日本の三大危機が生まれた背景です。「先送り」しかしない国家運営は国家運営とは言えませんが、誰も、知らん顔です。
ただ、永遠の先送りは出来ませんから、その結果は、将来、現実になります。「自分さえよければ」「今さえよければ」「後は野となれ山となれ」方式で痛い目に遭うのは、将来、大人になる子供達です。

なぜ、少子化に歯止めがかからなかったのでしょう。
それは、国家運営を請け負っている、おじさん、おじいさんの頭の中が、腐っていたからです。
覆すことが出来ない事実を見れば、おじさん、おじいさんの頭の中が腐っていることは明らかです。
その事実とは、子供を産めるのは女性であり、男性には不可能だという事実です。
従って、子供を産むことが出来る女性は、人類にとって欠くことのできない存在であり、「価値」なのです。その「価値」を、おじさん、おじいさん達は、「義務」だと主張します。なぜ、こんな無茶なことを言うのか。それは、自分達の無為無策を覆い隠すためです。
おじさん、おじいさんは、二言目には「女は・・・」「女が・・・」と言います。たとえ、口に出さずとも、大半のおじさん、おじいさんは、そう思っています。女性に責任を押し付けても解決しないことくらい、頭では理解しているはずなのに、出てくる結論は、いつも「女・・・」なのです。自分達の無為無策を自分で証明してみせる、レベルの低いおじさん、おじいさんが溢れているのです。
「女・・・」発言をするのは、国家運営おじさん、おじいさん達だけではなく、「ふむ、ふむ」と思っている一般のおじさん、おじいさん達も、同じです。
現実に目を向けてください。生活のために、主婦はパートに出ます。職場では、パワハラ、セクハラ被害に遭う主婦が7割もいます。それでも、働かなければなりません。そのパワハラ、セクハラをしているのは、一般のおじさん、おじいさんです。男社会が当たり前だと思い込んでいますが、そんな甘い考えが通用する時代ではありません。
賃金格差も大きく、子供を産んでも、保育園がありません。男は、出産も子育ても「女の仕事」だと信じ込んでいます。だったら、妻を専業主婦にするくらい稼いで来い、と言ってみても、現実は、そうはいきません。老後資金なんて、夢のまた夢です。自分の老後だけではなく、不安な未来に子供を残すことを危惧するならば、子供を産むことは罪でしかありません。おじさん、おじいさんは、罪を犯せと言っているようなものです。
政治家だけが女性を追いつめているのではありません。社会全体で女性を追いつめているのです。その上、「女は子供を、もっと、産め」と、まるで「女の義務だ」とばかりに言われる。男共は「ふむ、ふむ」と頷く。「冗談じゃねぇ、じじい、死ね」と叫んでも許されると思います。江戸時代は、子供を産まない女は離縁されました。国家運営おじさん、おじいさん達から、その感覚は、まだ無くなっていません。国家運営おじさん、おじいさん達の家庭は裕福ですから、専業主婦という立場を守れる条件があります。でも、今は、専業主婦になれない人のほうが多いのです。
こんな社会では、子供を産むほうが、間違った判断なのです。
女性は、正しい判断をしているのです。
ですから、人口減少は必然的な結果だと思います。
その責任は、過去に引き摺られて、構造改革が出来なかった国家運営者にありますが、そんな国家運営者しか選出できなかった国民に、特に、「ふむ、ふむ」と頷くおじさん、おじいさんに、もっと大きな責任があります。
少子高齢化の時代が来ることくらい、全員が知っていました。
しかし、国家運営をしている、おじさん、おじいさん達は、何も対策を打たずに、精神論と神風信仰で押し通してきたのです。2018年になっても「女が・・・」発言が出ています。危機意識もなく、発想の転換も出来ないほど、頭の中が腐っている証拠です。
そして、どっぷりと曖昧文化に浸かっている国民が、それを許してきたのです。
「なぜ、少子化になるのか」という課題を論理的に解決しようとすれば、いくつもの対策があり、少子化に歯止めをかけることが可能だったのです。現に、フランスはそれで成功しました。
しかし、定義のない曖昧文化の中では、論理よりも精神論のほうが強いのです。精神論では、「価値」を「義務」に置き換えても問題ないのです。
しかも、国家運営をしている、おじさん、おじいさん達の頭の中は「俺達は、精神論で、今の日本を築き上げた」という成功体験と自信で一杯になっていて、定義や論理が入る隙はありませんでした。
ある医大で、女子受験生の点数を一律に下げ、女子の入学を阻止していたというニュースがありました。その理由は「女は、医者になっても、すぐに、辞めていってしまうから」というものだそうです。「すぐに、辞めてしまう」環境を作っているのは誰なんですか。今の男社会のままでは、この国は立ち行かないのは明らかです。国も、国民も、社会も、そのことに、どうして気付かないのでしょう。私達は、アンフェアなことをしてでも、男社会を守らねばならないのでしょうか。私達は、真逆なことをやっているのではありませんか。
男も女も働かなければならないのだとすると、女が働ける環境を作るのは、今日まで社会を牛耳ってきた男の責任なのではないでしょうか。世界では、女性もGDPを稼いでいるのです。日本だけが、男社会のままで、世界と競争することなどできません。もしも、男社会を維持したいのであれば、世界とは全く別の価値観を持たねばなりません。たとえば、鎖国をして、国民が幸せになるのであれば、それも選択肢でしょうが、それで、国民は幸せになれるのでしょうか。
現在を生きている私達には見え辛いと思いますが、過去に支配されているということは、既に、滅びの過程に入っていることを証明しているのです。
封建社会が崩壊したのは、「戦と米」という古い思考から抜け出せなかった結果だと書きました。今、私達は「男社会と精神論」という古い思考から抜け出せずに、国家そのものを危険に晒しています。その古い思考を支えているのが曖昧文化です。ですから、何よりも先に、この曖昧文化から抜け出さなくてはなりません。そのためには、定義が必要であり、定義に則った論理が必要になるのです。確かに、定義と論理の社会になれば、窮屈です。それでも、生き延びるためには、多少の窮屈は耐えるしかありません。
女性も、人間である前に、動物ですから、有難いことに「子供が欲しい」という本能を持ってくれています。その本能を阻害しているのが環境です。折角授かった「価値」を環境が台無しにしているのです。環境に配慮することなく「子供を産め」というのは、暴言でしかないと思う感性が必要なのです。
精神論が不要だとは言いません。頑張らなければならない時は、誰でも精神論のお世話になるものです。でも、一から十まで、根性が解決してくれるという精神論至上主義は間違っています。これも、あらゆるものを、ごちゃ混ぜにして、曖昧にして、「えい・やー」が伝統だと勘違いしている、おじさん、おじいさんの脳内構造の腐敗に原因があります。「国とは、国民とは」という定義の前に、「人間とは」という定義が必要だとすると、これは不治の病にかかっていると考えたほうがいいのかもしれません。
人は、自分の頭の中が腐っていることに気付かないものです。
もちろん、私の頭の中も腐っているかもしれませんが、私は気付いていません。
国家運営者を総替えしたら、何とかなるのでしょうか。
なりません。
それは、国民が曖昧文化の中で眠っているからです。定義も持たず、論理的な思考も出来ない国民の中から、新しい国家運営者を任命したところで何も変わりません。
では、私達は、どうしたらいいのでしょう。
滅びるしかありません。
では、一度、滅びて、再生すれば、生き延びることができるのでしょうか。
いいえ、曖昧文化が滅びない限り、再生しても、また滅びます。
日本民族を支配している、この曖昧文化の存在に気付く国民が大量に出現するまで、再生と崩壊を繰り返すしかありません。
そんな時が、来るのか。
それは、わかりません。
出生率が2.0を切っているということは、人口減少は永遠に続きます。簡単な計算ですから、小学生にでもわかります。その永遠の先にあるものは、絶滅でしかありません。


国家崩壊は、既に、始まっています。
国民の皆さんは、そのことに「何となく」気付いていますが、「まさか、自分の身に降りかかってくる」とは思っていません。人口減少なんて、他人事です。
でも、この崩壊から、誰一人、逃れることはできません。
「だから、何なんだ」「別に、俺には関係ねぇし」と思っている国民の皆さん。
白けていても、斜に構えていても、苦しむのは皆さんなのです。「あちゃー」と言う日は、必ず、皆さんところへもやってきます。
どうか、その苦痛を想像してください。想像するだけでも、それなりの痛みは感じることができると思います。どうか、その感性を取り戻してください。
誰も、地獄に行きたいとは思いません。でも、地獄のほうからやってくることはあるのです。それは、私達の無関心が、地獄を呼び寄せているからです。
子供を守らない親のニュースが度々出ますが、「俺には、関係ねぇ」と思っているようですが、そうではありません。皆さんが目を覚まさなければ、この国は、そういう国になるのです。皆さんが、直接、子供を殺さなくても、子供を殺す社会を作ろうとしているのです。環境が変われば、どんなことでもあり得るのです。最近では話題になりませんが、中国残留孤児という現象はどうして生まれたのでしょう。あの時、生き残った子供達よりも、命を落とした子供達の数のほうが、はるかに多かったと思います。地獄の環境に置かれれば、人間は、子供を見捨てるのです。あの環境に置かれたら、私も皆さんも同じことをします。それが、人間なのです。ですから、そんな地獄を呼び寄せてはいけません。
どうか、子供達の未来を守ってください。
地震でも、豪雨でも、人口減少でも、手詰まり状態です。
国家運営を国家運営者に任せていた結果が、この手詰まりです。
ここまで追いつめられたら、国民が、いや男達が、目を覚ますしかないと思います。
おじさん、おじいさんが、目を覚ませば、国家運営も変わります。
今のおじさん、おじいさんには、地獄を呼ぶ力はあっても、子供を守る力はありません。
子供達を守れるのは、守る責任を負っているのは、おじさん、おじいさんだと思います。


2018-08-04



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守備範囲



昨日は、地震について書きましたが、災害は地震だけではありません。
7月に豪雨災害がありました。根っ子は同じ場所にありますので、今日は豪雨災害について書きます。
災害発生時に、安倍総理と自民党議員は酒盛りをしていたとして非難されていますが、この風潮は生産的ではないと思います。
もちろん、政府に責任はあります。
でも、それは、酒盛りをしていたからという理由ではありません。
酒盛りをしていたことが問題なのではなく、国民の防災意識を高めるための努力が足りなかったことが、問題なのだと思います。
100年に一度の大雨であれば、決壊する堤防はあります。そんなの、当たり前です。
政府や政治家を非難しても、何も生まれません。気休めになることはあっても、災害による犠牲者が無くなることはありません。
マスコミや野党議員も、同じような勘違いをしています。
「お上」に全責任があるわけではありません。
非難されるべきなのは、国と国民の両者です。
マスコミは商売ですから読者や視聴者を非難しません。政治家も商売ですから有権者を非難できません。だからと言って、総理大臣を非難して、一件落着していたら、災害による犠牲者は減らせません。人間には、災害を無くすことは出来ませんが、犠牲者を減らすことはできます。そのためには、防災意識だけではなく、国民が意識を高めるしか方法はないと思います。その努力をしなかった国民に、致命的な問題があるのです。
日本の総理大臣だって、災害で犠牲になる人はいなくなって欲しいと願っていると思います。犠牲者が出れば、「政府は、何してたんだ」という批判が出てくるのですから、そう願っていても不思議ではありません。でも、国民が「俺には、関係ねぇ」と思っていたのでは、これまでと同じように多くの犠牲者が出ます。災害の犠牲を減らすのは、国民次第なのです。その鉄則が国民の頭の中から抜け落ちていることが問題なのです。
私達の国に欠けているものは、国家運営も災害対策も国民次第なのだということを、国家運営者が、積極的に働きかける行動なのだと思います。「俺には、関係ねぇ」などということは、何一つないということを国民に理解してもらうことです。
しかし、国家運営者には、国民意識を高める動機がありません。低い意識のまま、「お上」の意向に従い、四の五の言わない国民が、彼等にとっての「良き民」なのです。災害対策を切っ掛けにして国民意識が高まると、何かとやりにくくなります。
今のままの、眠ったままの、国民がベストなのです。
ですから、災害対策でクレームがつくことは、想定内なのでしょう。
「いつだって、国民はグダグダ言うんだ、放っておけ」という声が聞こえるようです。
繰り返しますが、「お上」が、「お上」の利益のために、国民の意識を高めようと、積極的に働きかけてくることはありません。なぜなら、低い意識の国民こそが「お上」の利益なのです。これまでも、そうでしたし、これからも、そうです。
昨日、NHKに広報担当をしてもらいたいと書いたのは、そのためです。もっとも、NHKは予算を承認してもらわなければなりませんので、政府から「待った」がかかれば、何も出来ないと思いますが、瓢箪から駒が出てこないとは言い切れませんので、そこに期待するしかありません。
両輪であるはずの国と国民が、共に、車輪の役目を果たさなかった結果が、大きな犠牲を生んだのでないでしょうか。
国民に非がなかったとは言えないと思っています。
「まさか・・・・こんなことに・・・・」という国民の皆さんの反応は、やはり、間違っていると思います。「何十年も、ここに住んでいますが、こんなの、初めてです」と住民の方は言います。自然のサイクルと人間のサイクルが違うのは当たり前です。初めてのことなど、いつでも起きるのです。
現在の延長線上に未来があるなんてことは保障されていないのです。
大半の国民が「俺には、関係ねぇ」と思っていたのです。
だから、大半の国民が、避難情報を無視しました。
私には、国民の勘違いのほうが大きかったとしか思えません。
「自分を守るのは、自分」なのです。「お上」が守ってくれるのではありません。亡くなった方には大変失礼だと思いますが、死者を鞭打つつもりはありませんが、どう贔屓目に見ても、これは自業自得だと思います。
避難情報は、「避難準備」「避難勧告」「避難指示」の三段階ですが、これは、あくまでも、情報であり、罰則はありません。他の国では、「避難命令」や「非常事態宣言」という罰則を伴う法律がありますが、日本にはありません。罰則がなければ、従わなくてもいいという感覚は、いかがなものなのでしょう。罰則のある「命令」だったら、従うのでしょうか。確かに、そういう意識はあると思います。国民は、未だに、「下々」の意識を持っています。強制力のある「お上」の命令であれば従うというDNAは、100年や200年では消えないということなのでしょうか。被支配者という意識では、自分の生活は守れないと思うのですが、そのような空気は全く感じられません。これが、国民意識の低さにつながっているとすると、国民が覚醒することは永遠にないように思ってしまいます。とても複雑な心境です。
命は、受動的に守るものではなく、能動的に守らねばならないものなのです。その認識を国民自身が持たなければ、次の災害でも犠牲者は出ます。もちろん、「お上」が知らん顔をしていていいとは言っていません。その前に、国民が意識を変える必要がありますが、情報ではなく、「お上」の命令を待つ姿勢が変わらないとすると、手の打ちようがありません。それでも、変わって欲しいです。「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義かあれば、少しは変われるのではないかという淡い期待を持ってしまいますが、無理なのでしょうか。
国の動きは、どうしても、災害発生後の救援活動に重点が置かれます。それは必要な事であり、全力で取り組んでもらいたいと思います。自衛隊も、警察も、消防も、役所も救助活動に全力投球でした。ヘリは東京のレスキュー部隊であり、広島の土砂災害の現場にいたのは新潟県の消防でした。
しかし、犠牲者の数を減らすことだって、重要なのではないでしょうか。
気象庁も自治体もNHKも、警告を出し続けていました。
それを、他人事だと思ったのは国民なのです。
そのことを、もっと強く指摘しなければならないと思いますが、そんな空気はありません。
自然災害に限らず、国と国民は、常に、両輪なのです。国民の意識が低いまま、総理大臣を非難しても結果は出ません。
避難指示が出ていた豪雨災害に対応できなかった国民が、東南海地震に、戦争に、国家崩壊に対応できるのでしょうか。無理だと思います。
今回の豪雨被害の犠牲者は、幸いという言葉を使うと語弊がありますが、100人単位でした。東南海地震では、10万人単位の犠牲者が出ます。戦争になれば、100万人単位の、いや、1000万人単位の犠牲者が出ます。国家崩壊になれば、1000万人単位の犠牲者が出ます。その犠牲者を減らすことが出来るのは、国民だけなのです。こんなことを言っても、国民の皆さんは実感が沸かないと思いますが、言葉の定義をしてみてください。そこから、見えてくるものがあるはずです。民主主義国家では、国の繁栄も、幸せを掴む国民の数も、国民次第で変わるのです。
昨日も書きましたが、国民意識を変えるためには、広報活動が絶対に必要です。それも、言葉を流すだけの広報活動や、でっち上げの「国民的議論」という手法では、国民意識は変わりません。実在の国民を巻き込んだ、具体的な議論が必要なのだと思います。東南海地震は大変な災害になるでしょう。でも、そこにチャンスはないのでしょうか。具体的な議論をすれば、導き出されるのは、国の責任範囲と国民の責任範囲の明確化です。それがなければ、結論には辿り着けません。
曖昧の中にいたのでは、国民は何もできません。
いや、何もしません。
国と国民が両輪になるためには、それぞれの車輪が、自分の責任範囲を、自分の役割を、明確にしておかねばならないのです。
ですから、どうしても、「国とは、国民とは」という定義が必要なのです。
災害対策の出発点も、ここにあります。
天災であっても、人災であっても、豪雨でも地震でも戦争でも国家崩壊でも、基本は変わりません。
定義の欠如が、あらゆるところに影を落としていますが、そのことに、どうして気付かないのか、とても、不思議でなりません。
もちろん、定義をしたら、災害での犠牲者がなくなり、戦争がなくなり、国家崩壊が防げるとは言いません。
それでも、今よりは、多少、ましな社会になるのではないかと思うのです。
ただし、実現の可能性がないことも理解しています。
この国を支配しているのは、曖昧文化です。
文化が悪い、と言うつもりはありませんが、どんなものにも二面性があるのです。その悪しき面が表面化してきた時は、文化を見直す時です。
ただ、簡単なことではありません。「文化を、何とかしろ」と言っているようなものですから、無茶な話なのです。
夢物語にすぎませんが、そんな風になったら、いいな、と思っています。


2018-08-03



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被害想定数値2 [評論]



昨日、山ほど、不安材料を書きましたが、ハザードマップと詳細な被害想定が示されたことは、大きな前進だと思います。被害想定値がなければ、不安さえ持てなかったと思います。
ただ、国や自治体は、それなりに対策を考えているものと思いますが、人口の半数が被災する災害など体験をしたことがありませんので、国や自治体の能力を超えると思っておかねばなりません。これも、現実です。
国も自治体も、被災者全員を救えるとは考えていないでしょう。
「最善を期しています」と発表するでしょうが、それは「出来る限りのことはするが、それ以上のことは出来ません」という意味です。神様ではありませんので、出来ないことは出来ません。当たり前です。
問題は、その境目が見えていないことです。実際の災害現場に立って、その境目が見えたとしても手遅れなのです。必要となる「あんぱん」の数を計算すれば、何が起きるのか想像できると思います。たかが「あんぱん」ですが、「あんぱん」も10億個になると、それなりの存在感がありますし、その「あんぱん」がなければ、私達は生命を維持することができません。
想像しなかった時、責任を取るのは国民です。国民は「俺には、関係ねぇ」と思っていますが、これほど明快な因果関係を無視するのは、どうしてなのでしょう。被災する人も、被災しない人も、無関係ではいられないのではないでしょうか。
国家運営に携わる人達にとっては、「一応、被害想定は、お伝えしましたからね」というアリバイ工作の部分もあると思います。
パニックを防ぐという理由で、発表されていない被害もあると思わねばなりません。
例えば、二次被害者の数値は公表されていません。過去の二次被害者の数は、一次被害者の数よりも少ないと思いますので、問題にならないと考える人もいるかもしれません。しかし、私達にとっては、初めての体験ですから、何が起きるのかはわかりません。昨日、65万人という数字を勝手に捏造しましたが、それほど無茶な数字ではないと思っています。
巨大地震が来ることは避けられないとすると、もっと具体的な被害想定を示し、国民に協力を求め、国民の自衛能力を高めるしかないのではないでしょうか。
政府は、もっと、国民に働きかけるべきだと思います。
国民生活を守る責任は国にありますが、その責任は無限ではありません。このような大災害の場合には、守れないこともあると承知しておくことも、国民の責任です。

人類誕生の時から、自分の安全は、自分の生活は、自分で守るのが基本でした。その延長線上にあったのが、家族が個人を守り、一族が個人を守り、集団が個人を守るという互恵関係ですが、その主役は、一人一人の個人です。
この原則は、何万年、何億年経っても変わらないと思います。
生き延びるのは、私達の、個人個人の意思の積み重ねでしかありません。私達は、国というシステムが万能だと勘違いしがちですが、一人一人の国民の意志と努力が存在するという前提の上に成り立っているシステムにすぎません。もちろん、国には私達が生き延びるために全力でサポートする責務があります。しかし、国と国民は、常に両輪なのです。
「お上」に「おんぶにだっこ」では守れないこともあるのです。安全保障では「自分の国は、自分で守る」ことが原則だと何度も書いてきましたが、相手が災害の場合、軍人ではない私達国民も、災害と戦わなければならないのです。アメリカ様が守ってくれる、「お上」が守ってくれる、だから、俺達は何の心配もいらない。こんな都合の良い理屈が現実に通用するとは思えません。
充分な支援があったとしても、避難所生活は試練の連続だと言われます。その支援が充分でなかった時は、避難所であっても地獄になります。被災した自宅は、大きな余震が来たら倒壊の危険があります。電気もガスも水道もありません。「あんぱん」の出前を頼んでも、宅配してくれる人はいません。避難所に行くしか選択肢はないのです。しかし、それが、最悪の地獄から、中程度の地獄に移動するだけだとすると、諸手を挙げて喜べるようなものではないと思います。
「別に、俺、生き延びたいとは思わないし」と言う方もいるでしょう。
では、あなたの家族も、あなたと同じ考えなのでしょうか。あなたには、あなたの家族を守る責任もあるのです。自分を守らなければ、家族を守ることもできません。
「生き延びる意味なんて、あるのか」と言う方もいるでしょう。
ごもっとも、です。
生き延びることに意味などありません。何万年、何億年生きても、意味などありません。
それでも、生物は、生き延びようとするのです。
あなたが、天涯孤独で、死も苦痛も、受け入れる覚悟があるのであれば、生き延びる努力なんて無駄なことです。人間は、「生きること」を拒否する自由を持っています。しかし、能動的に拒否をしない限り、生き延びなければならないのです。それが、宿命なのです。
だったら、努力する以外に方法はないのではないでしょうか。



不条理なことは多々ありますが、それでも、国民が自衛力を高めるしか方法はないのではないでしょうか。
国民が自衛力に無頓着なのは、国が自衛力を他力本願で済ませていることの影響も大きいと思います。「自衛」という言葉が正しく理解されていません。今の日本には、軍人は自分の命を犠牲にしてでも、国民を守ってくれる人達だという認識がなく、認識がないから敬意を払う必要もなく、時には税金泥棒だと呼ばれることもあります。
安全保障が二の次三の次の国で、自衛力という言葉は大きな意味を持っていません。国民が災害に対する自衛力に気が付かないのも、そういう空気によるものだと思います。
それでも、自衛力は、なんとしても、必要です。
そのためには、たとえ不確実だったとしても、将来を予測するしかありません。
国の安全保障でも、個人の自衛力でも同じです。危機管理が必要なのです。

私は、NHK受信料を支払っていません。
「はぁ、突然、何を言い出すんだ、こいつ」と思うかもしれませんが、今こそ、NHKの出番だと思うのです。
もしも、NHKが公共放送だと自負するのであれば、東南海地震対策国民会議の議長になって、市民を巻き込んだ会議を主宰し、撮影し、編集して、ドキュメント番組として放送することは可能だと思います。大河ドラマや紅白歌合戦を制作している場合ではないと思います。
国民に、災害対策の協力を要請するのは、自衛能力が求められていることを知らせることは、NHKならではの仕事だと言えるのではないでしょうか。
娯楽番組は民放に任せて、報道、ドキュメント番組に特化するのであれば、私も喜んで受信料を支払います。
NHKが、今でも、東日本大震災の取材を続けていることは高く評価しますが、東南海地震に対処するために、国民と議論することは、もっと大切なことだと思いますが、なぜ、そうしないのでしよう。
もし、そんな番組を作っていたら、ごめんなさい。
ただ、私が提案している番組は、NHKが得意とする、頑張っている人達を取り上げる番組ではなく、健康優良児を褒めたたえるような番組でもありません。そういう番組を作るな、とは言いませんが、「こんな番組を放送すれば、パニックになる」と心配されるような番組でも、あえて、制作することが求められていると思うのです。被害予測されている数字を突き詰めていけば、「あんぱん」が何個必要になるのかを議論するだけで、そういう番組になると思います。異常事態に対処するためには、異常だと思われる対応が必要になるものです。
ほんの少し想像するだけで、東南海地震の被災者を救うことは困難なことがわかります。
国民の自衛力だけが、頼みの綱になる可能性があります。
国民の自衛力を高めるためには、国民が自分の問題だという意識を持たねばなりません。
総論だけでは、数値だけでは、そのことに、国民は気付きません。
具体論を議論する必要があるのです。
「あんぱん」の必要量を算出し、「あんぱん」製造工場の特定をし、運搬手段と人材の確保を検討するくらいの具体論が必要となります。
地震発生確率も被害想定も、統計手法を使えば、数値を算出することは出来るでしょう。
しかし、それは、数値にすぎません。
その数値に意味を持たせるのは、人間の想像力なのです。

人口・財政・戦争という三大危機に対する関心は、全く持っていない国民でも、地震に対する危機意識は、多少、持っているものと思います。ただ、多少ですから、自分の身に危険が降りかかるとは思っていないでしょう。「まさか、私が・・・」という感覚は、国民共通の感覚だと思います。
仮に、漠然とした危険があったとしても、「何とかなる」「なるようにしかならない」と信じていますので、積極的な行動を起こす動機にはなりません。
必要なのは、広報活動です。国民を巻き込んだ、具体論の議論です。
よく勘違いされますが、国民との議論と国民的議論は、全く別物です。
国民的議論という道具は、あたかも国民が議論したように見せかけるだけの、やらせの作文ですから、何の意味もありません。
自然発生的に始まることが理想ですが、国民に、そこまでの危機感はないと思いますので、誰かが、道筋を示さなければ始まりません。
公益を目的とし、大きな組織を有し、豊富な人材を持ち、報道を仕事にしているNHKは、最適の場所にいると思うのです。
いや、NHK以外に、対処できる組織は存在していないと思います。
受信料を支払っていない私が言うのは僭越ですが、強制的に、裁判に訴えてでも受信料を徴収しているNHKには、その責任があると思いますが、違うのでしょうか。
NHKが公益に資する組織であることを証明すれば、受信料を拒否する国民の数は減少すると思います。裁判に頼るのは本末転倒の邪道でしかありません。番組制作の能力を持っているのですから、番組で証明することです。

私が知らないだけで、既に、検討されているのかもしれません。NHKもプロジェクトをスタートさせているのかもしれません。そうであって欲しいと願います。
古くから「備え有れば憂いなし」という言葉が存在しています。この言葉は日本だけにあるのではなく、どこの国にもあると思います。いつの時代でも、どこの国でも、数々の国難に遭遇してきたのです。「備える」ことは、古くからある人間の知恵です。たとえ、21世紀になっても、私達にとって有効な言葉だと思いますので、是非、思い出して欲しいです。
国民の自衛力がなければ、この巨大災害は乗り越えられません。


東南海地震と首都直下地震が同時発生する確率は大きくはないと思いますが、ゼロではありませんので、首都直下地震の被害想定を追加しておきます。

           東南海     首都直下     東日本
被害総額       150兆円     95兆円    16兆円
死者・行方不明     35万人      7万人     2万人
建物の全壊・消失   250万棟    130万棟    13万棟
被災地域の人口   6000万人   3500万人   750万人
避難者数      1000万人    700万人    50万人

数字だけを見ると、不思議なことに、東日本大震災が小規模災害に見えてしまいます。
まだ、あの東日本大震災の惨状を憶えている方も多いと思います。あの大津波が、また、やってくるのです。阪神淡路大震災の時は、家屋倒壊による被害と、火災による被害が多かったと思いますが、東南海地震では、大津波と家屋倒壊と火災が、まとめて、10倍の規模でやって来るのです。首都直下地震が同時に来れば、その被害は15倍になります。
今の国民意識のままでは、次の災害に対応できるとは思えません。


2018-08-02



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被害想定数値1 [評論]



東日本大震災の揺れは、関西では大きくありませんでしたが、不気味な揺れで、ネット検索をした記憶があります。あの時、感じたのは、不気味さでした。
今年6月に大阪北部地震がありました。
阪神淡路大震災から20年以上経過し、再び、激しい揺れを体感しました。
今回の地震の私が住んでいる場所の震度は「5強」でしたが、最初にやって来たのは、暴力的な揺れによる恐怖感でした。「6強」や「7」になった時の恐怖感を想像すると、身がすくみます。直下型地震でしたから、携帯の警報は揺れと同時に鳴りましたが、その警報音が恐怖心を増幅させた可能性もあります。多少、物が落ちただけで、被害は全くありませんでしたが、「5強」でも、恐怖心はまだ残っています。
関東に比べると地震発生回数が少ないので、揺れに対する耐性が低いのも恐怖心が大きくなった原因かもしれません。

今後30年以内に地震が発生する確率を示したハザードマップが更新されましたが、日本列島の太平洋側は、ほとんどの場所が赤黒くなっていました。
確率は、あくまでも統計上の数字ですから、その通りに地震が発生するわけではありませんが、M8クラスの地震が起きることは、避けようがないようです。
発生確率80%の場所と、10%の場所には、差はないという話です。1%以下であれば、心配はいらないが、1%を越えると、どこで発生してもおかしくないそうです。5,000以上の活断層が未発見だとされていて、海溝型地震のデータが整っているわけでもありません。地震予知は不可能だと言われていますので、いつ、どこで、どんな規模の地震が発生するのかは、何もわかっていないのです。過去の地震の周期を元に算出している発生確率ですから、その誤差範囲は、数十年、数百年、数千年なのかもしれません。
ただ、いつか、どこかで、大地震が発生することだけは覚悟しておかねばなりません。

自然災害は地震だけではありません。
世界規模で火山噴火が増えているように思いますし、世界の異常気象もニュースになることが増えたと思います。地震や火山噴火以外にも、台風、ハリケーン、竜巻、大雨、洪水、山火事、極寒、酷暑、等々があります。
50年前と比べると、私達の周囲は自然災害の繁華街になってしまったように感じます。ハワイの火山噴火による溶岩流の映像は、SF映画を観ているような違和感があります。地球の活動としては誤差範囲にあるのかもしれませんが、動物にとっては死活問題になる可能性もあります。

直近で懸念される地震は、東海地震、南海地震、首都直下地震、北海道地震ですが、東南海地震の被害予測を見てみます。
その被害予測は、東日本大震災の約10倍になると言われています。
10倍と言われても、「あっ、そう」と思ってしまいますが、ほんの少し、想像力を働かせると、そこに大きな不安があることに気付きます。
被害想定の数値を見てみましょう。

           東南海     東日本     倍率
被害総額       150兆円    16兆円    9.4倍
死者と行方不明者    35万人     2万人   17.5倍
建物の全壊と消失   250万棟    13万棟   19.2倍
被災地域の人口   6000万人   750万人    8.0倍
避難者数      1000万人    50万人   20.0倍

この数値を見た国民の皆さんは、どう感じたのでしょう。
とりあえず、「ふむ、ふむ」と頷いたと思います。
でも、「俺には、関係ねぇ」と思った人がほとんどだと思います。
しかし、私は変人ですから、勝手な妄想をしてみたいと思います。

注目していただきたいのは、被災地域の人口です。
6000万人という数字は、日本の人口の半分です。
人口密度の高い太平洋側の広い範囲が被災地になりますので、仕方がありません。
これ、支援する側と支援される側の人口が同数になることを意味しています。
こんな災害は、これまで経験したことがありません。
国民のボランティア活動は、今や、災害復興に欠かせないものになっています。しかし、ボランティアの皆さんは、これだけ広範囲の被災地と、これだけ多数の避難者に対応しなければなりません。充分な数のボランティアが集まるのでしょうか。人口密度の高い場所には、若者も大勢いますが、地方は疲弊していて老人が多いのです。田舎の老人は元気ですから、それなりのパワーを発揮してくれるとは思いますが、被災地との距離は遠く、瓦礫を撤去する場所に行くことだけでも一苦労です。
市民からの救援物資や義援金は、集まるのでしょうか。
一方、全国の自治体職員、警察官、消防官の半数が被災者です。犠牲になる方も、避難生活を余儀なくされる方も多くいると思います。
東日本大震災の時も、多くの自治体職員、警察官、消防官が現地に駆けつけました。
では、救援に行ける人が何人いるのか、どんな支援ができるのか。想像できている人は少ないのではないでしょうか。これだけの災害になれば、短期間で派遣が終了するとは思えませんが、地元に問題は出ないのでしょうか。
35万人もの遺体を、どこに、安置するのか。遺体安置所は、一か所に100人収容したとしても、3500か所の安置所が必要になります。身元が判明するのか。遺体を引き取ってくれる人はいるのか。行方不明者の捜索はできるのか。人手が足りなくて、一般市民が遺体の管理をしてもいいのか。その時、何かがあった時の責任は誰が取るのか。季節にもよりますが、必要となるドライアイスの量は半端ではないと思います。火葬場は確保できるのでしょうか。
1000万人もの避難者を、どこに収容するのでしょう。100人収容できる避難所であれば、10万か所の避難所が必要です。学校が避難所になることが大半ですが、10万校もの学校があるのでしょうか。中には、避難所として使えない学校も多数存在すると思います。
避難所が確保できたとして、1000万人もの避難者に水と食料を供給し続けなければなません。仮に、一人が一日に「あんぱん」を3個とペットボトル1本の水が必要だったとしましょう。被災しなかった地域で、1000万人分の、3000万個の「あんぱん」を毎日製造し、毎日運搬できるのでしょうか。もしも、10日分の「あんぱん」を供給しようとすると、3憶個の「あんぱん」を作り、運ばなければなりません。もちろん、「あんぱん」3個では足りません。メロンパン、ジャムパン、クリームパン、チョコパン等、10個必要だとすると、10億個のパンが必要です。それを10万か所の避難所に運ばなければなりません。1台の車が5か所にパンを届けるとしても、2万台の車と、2万人の運転手が必要です。道路事情は万全ではなく、事故も覚悟しておかなければなりません。運搬途中に道路から滑落したら、その代替え策はあるのでしょうか。
毎日、菓子パンだけでは栄養が偏ります。お弁当も届けなければなりませんが、衛生的な観点から、お弁当は、10日分をまとめて届けることができません。運搬時間を考えると、毎日でないとしても、2日が限度です。6000万食のお弁当を、誰が、どこで、作るのでしょう。食材は確保できるのでしょうか。それを、どうやって届けるのでしょう。2日に1回、2万台の車と2万人の運転手が必要です。車が故障することもあるでしょうし、運転手にもローテーションが必要です。3万台の車と、3万人の運転手が必要です。冷えたお弁当が届いたとしても、電力供給がなければ、電子レンジも使えません。
簡易トイレの数は、大幅に不足すると思いますが、簡易トイレがあったとしても、1000万人分の排せつ物の処理はどうするのでしょう。たとえ、臭いに慣れたとしても、伝染病の心配はあります。
当然、被災者の不満は堆積します。1000万人分の不満が爆発することはないのでしょうか。食料や水の奪い合いは起きないのでしょうか。
仮設住宅が何棟必要になるのかわかりませんが、例えば、全壊する建物の数を参考にすると、250万棟の仮設住宅が必要ですが、建設可能なのでしょうか。一部損壊の建物は、全壊する建物の何倍もあります。当然、住めない住居も多数あると思いますので、更に、数百万棟の仮設住宅が必要になります。場所の確保、資材の確保、建設要員の確保、どれをとっても簡単に解決する問題だとは思えません。仮に、場所や資材や要員が確保できたとしても、入居できるまでに何年かかるのかもわかりません。仮に、1か月に2000棟の仮設住宅を建設したとしても、とても無理だとは思いますが、全壊家屋の分だけでも、100年かかります。仮設住宅という選択肢はないのではないでしょうか。
簡単に復興できないことは、東日本大震災で証明されています。復興期間も10倍だとすると、10年単位の時間が必要です。10年単位の時間ということは、仮の生活などではありません。復興に100年かかるとすると、仮設住宅に入居できるとしても、それは新しい生活と呼ぶべきものです。仮設住宅で生まれ、仮設住宅で死ぬ人もいるでしょう。
ここには、被災地面積が示されていませんが、広範囲になることは避けられません。仮に、国土の25%が被災地になったら、その物理的な距離は、多くの困難を生み出します。広範囲に、10万か所の避難所が分散していたのでは、全域をカバーするのは至難の業です。避難民を1か所に集めて、効率を求めなくては、支援は続きません。仮に、人口50万人の避難都市を作るとしても、それが、どんな都市になるのかは想像も出来ませんが、20都市が必要です。人口50万人ということは、西宮市規模の大都市です。そんなことが、できるのでしょうか。
また、電気、ガス、水道というインフラも被害を受けます。被災地域が広いことと応援人数が限られていますので、短時間で復旧できるとは思えません。これまでも、被災地にある電力会社、ガス会社、水道局が独力で復旧をしたわけではありません。被災しなかった地域の多くの皆さんの協力が必要だったのです。電気・ガス・水道のない生活を長時間続けなければならないという覚悟をしなければなりません。
介護を必要とする病人や老人を、収容する場所が確保できるのでしょうか。新たな病人も、数多く出てきます。1000万人もの避難者がいれば、重篤な病人の数は、数十万人になると思わねばなりません。医療対応ができるのでしょうか。
乳幼児のおむつは、今では、紙おむつがほとんどです。紙おむつは洗濯出来ませんので、数が必要となり、嵩張ります。ミルクも哺乳瓶の消毒も必要です。避難所の温度管理も必要ですし、環境の変化は、子供にとっても厳しいものになります。赤ちゃんは泣くのが仕事ですが、避難所では、その仕事も難しくなります。学校生活が、早期に復旧するとは考えられません。
支援物資を輸送する道路は、橋は、トンネルは確保できるのでしょうか。道路・橋・トンネルを復旧させる人員は確保できるのでしょうか。数日で何とかなる状況ではないと思います。民間の運送業者は都市部にあります。その都市部が被災地になるということは、地震や津波の被害に遭うトラックやトラック運転手も多く、簡単に支援体制が整備されるとは思えません。支援物資が輸送できないということは、一般の物流も出来ないということです。甚大な被害を受けなかった地域でも、スーパーに商品はありません。昔、「欲しがりません、勝つまでは」というスローガンがあったそうです。同じようなスローガンが宣伝される時代が、また来るかもしれません。
つまり、支援できない地域が多数存在するものと思う必要があります。
3日で、1週間で、救援が来るという既成概念は捨てなければなりません。
1カ月、あるいは数か月、もしかすると数年、自力で生き延びる必要があるかもしれません。
工場も、商業施設も稼働できないということは、そこで働く人の給料が支給されるかどうかが心配です。倒産する会社もあるでしょう。避難所生活を強いられる人達の内、数百万人は職を失います。避難所生活をしていない人も、多くの方が職を失います。失業者が何人になるのかは想像できませんが、仮に、1000万人の失業者が誕生したとすると、当然、税収は大幅に減少します。生き残った人達の生活支援をする国家予算は捻出できるのでしょうか。日本財政は、歳入減少と歳出増加というダブルパンチに耐えられるでしょうか。

たった一人の人間の、しかも、思い付きだけでも、これだけの不安材料があります。
具体的な対応策を考えると、不可能という烙印が押される内容は山のようにあると思わねばなりません。不可能が増えれば、それは二次災害になります。
被害想定には、二次被害者数がありませんが、もしも、二次被害者数が65万人だとすると、東南海地震の犠牲者は、100万人になります。勝手に、65万人という数字を捏造しましたが、この65万人で済むという保証はありません。
私達が想定していないような事態は起きないのでしょうか。
想定される事態にも対処できないとすると、想定外の事態には、どう対処すればいいのでしょう。
6000万人の人が何らかの被害を受け、1000万人の避難者という災害は、初めての体験ですから、想定外のことは、数多く起きると思います。
もちろん、完璧な災害対策なんて存在しません。それでも、可能な限り、対応を考えておくべきだと思います。

あの東日本大震災は、紛れもなく大災害でした。しかし、東南海地震は、その10倍の被害をもたらすのです。10倍という表現には、あまりインパクトはありませんが、東日本大震災が、場所を変え、毎日、10日間、連続で起きると考えると、少しは実感できるのかもしれません。報道カメラは、どこへ向けたらいいのでしょう。10か所で、10日間も、連続して、東日本大震災が発生したら、報道能力の限界を超えると思います。
阪神淡路大震災や東日本大震災の体験を基に立案された対策は、阪神淡路大震災や東日本大震災の被害を超える災害には対応できないということです。東日本大震災1個分の対応は可能でも、残りの9個には対応できません。
では、どうすればいいのでしょう。想像力を使うしかないと思います。


明日に続きます。


2018-08-01



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国民負担率 [評論]



毎回、毎回、夢のない話ばかりで申し訳ありません。
誰も、こんな暗い話を読みたいとは思いませんよね。
私も同感です。
ですから。
誰も、こんな話を書きたいとは思わないのでしょう。
でも、現実から逃れられないのと同じで、何の対応もしなければ、将来からも逃れることができません。なぜなら、過去が現在に繋がっているように、現在は未来とも繋がっているからです。人間は「欲」で出来ていますので、放置すれば、必ず、地獄へと向かう習性を持っています。突然、地獄が出現することはあっても、理想郷が出現することはありません。でも、人間から「欲」は切り離せませんので、どうしても、軌道修正という作業が必要になるのです。もしも、「国は、国民生活のために、存在するシステムである」という原則があるとすると、その原則に戻る必要があるということです。
私達の生活は、一歩一歩、着実に、苦しい方向へと向かっているのです。
国民の皆さんも、そのことは、薄々、感じていると思います。
軌道修正をしなければならない時期にあるということです。
ですから、誰かが、書くしかないのです。
「お前が書いても、意味ねぇだろう」と言われるかもしれません。
確かに、私のやっていることに意味はありません。
その通りなのですが、それでも、抵抗したいと思うのです。
いや、他に抵抗手段がありません。
もしも、百人の国民が、千人の国民が、一万人の国民が、百万人の国民が、千万人の国民の方が、抵抗したいと思ってブログを書けば、この国は変わります。気の遠くなるようなことですが、他に方法があるとは思えません。
「何か、他に、いい方法があるだろう」という方は必ずいます。もしも、そんな方法があるのであれば、是非、ぜひ、教えて欲しいと思っています。
いつも、ほんとに、申し訳ありません。

私達の生活を、庶民の生活を、江戸時代と平成時代で比較してみたいと思います。
江戸時代の庶民を、百姓に代表してもらいます。
平成時代の庶民は、サラリーマンだとします。
江戸時代の生産品目と言えば、米です。
平成時代は、この米に匹敵するような圧倒的な生産品目はありません。
江戸時代の百姓が支払う税は、年貢と呼ばれていました。
平成時代は、税金と保険料が年貢に匹敵すると思います。
余談ですが、江戸時代の初期と末期で大きく違うのは、商人が力を持っていったことだと思います。それは、商人に対する徴税システムが不備だったことを示しています。百姓の場合は、検地があり、田畑の監視があり、生産物は目に見えるという利点がありましたが、商人は多種多様であり、利益は日々の積み重ねであり、その利益は貨幣に置き換えられていましたので把握することが難しかったのだと思います。稲田は動かすことも隠すこともできませんが、貨幣は隠すことも移動させることも容易にできます。江戸時代が終盤になるほど、武士が商人から借金する金額は増えていきます。不思議に思うのですが、武士は絶対権力を握っていたのですから、借金をするのではなく、税として徴収すれば済んだはずです。商人に利息を支払い、特権を与え、商人の利益に貢献することしか出来ませんでした。これは、明らかに、伝統に縛られた領土運営の失敗だと思います。江戸時代に欠けていたものは、国税庁と税務署と大量の徴税職員だったのではないでしょうか。国家運営が、戦と米で成り立っているという古い考えから脱却できなかったのです。
平成時代のサラリーマンは、源泉徴収制度により、税・保険料は給料から天引きされています。一方、企業や自営業者と呼ばれる人達は、申告制度で税を納めます。江戸時代と違うのは、申告制度に対する専門部署が国にあることです。もっとも、その専門部署は法律に縛られていますので、政治家の都合でどうにでもなるという欠点はあります。この欠点というのは、国民にとっての欠点に過ぎず、政治家にとっては、利点になります。
百姓とサラリーマンは、キッチリと徴税されるという点でも共通しています。
こうやって比較してみると、昔も今も、それほどの違いはないように見えます。
江戸時代の富豪が、平成時代の大企業が、利益を独り占めする構図も同じです。
江戸時代の富豪も平成時代の大企業も、政治家に献金をして特権を手にする手法は似ています。「金が物を言う」のは、どの時代でも同じだということです。なぜなら、人間は「欲」で出来ているからです。

江戸時代の百姓の年貢は、時代と場所により違いますが、四公六民や五公五民や六公四民と呼ばれ、収穫した米の4割から6割を税として納めていました。
「なんと、ひどい」と思うかもしれませんが、実は、今でも同じなのです。
平成時代の、税・保険料の国民負担率は、約4割だそうです。江戸時代の四公六民と同じです。
しかし、2040年には、この国民負担率は6割になると予測されていて、六公四民に近づいていくようです。
農業は自然が相手ですから、豊作の年もあれば凶作の年もあります。例えば、六公四民の場合で、通常の収穫が10石あったとします。凶作で収穫が半減すると5石です。百姓の取り分を計算してみると、10石の4割は4石ですが、5石の4割は2石です。もしも、生きていくためには、4石必要だったとすると、2石では飢え死にすることになります。百姓は、年貢の減免を要求しますが、領主も6石の収入があるはずなのに、3石しか徴収できませんので、簡単には認めません。百姓一揆を起こしたとしても、全面的な勝利はなく、一揆の首謀者は死罪になります。百姓は、土地を捨て、都会に流れていきますが、都会では農業ができませんから、職業がなく、貧困からは抜け出せません。
サラリーマンは天候に左右されるケースは少ないですが、その生活は物価に左右されます。現代のサラリーマンを貧しくするのはインフレです。ベネズエラのハイパーインフレの記事を書きましたが、現代の庶民の最大の敵は、インフレにあります。しかし、政府は、インフレにしようと必死です。「なんか、変」です。
例えば、20万円の給料を貰っているサラリーマンの可処分所得は、国民負担率4割の場合では12万円ですが、国民負担率が6割になると8万円になります。12万円でも苦しかった生活が、8万円になってしまえば、どうすればいいのでしょう。それでも、何とか、生き延びる工夫はします。しかし、インフレになると、その努力は報われなくなります。ハイパーインフレになれば、生活は完全に破綻します。
もっとも、皆さんは「俺には、関係ねぇ」と言っているのですから、何を言っても無駄なのでしょうが、皆さんの未来にあるのは、不安だけです。
庶民は、何のために存在しているのでしょう。そうです。税金や保険料を払うために存在しているのです。ここにも、勘違いがありますが、もっと大きな勘違いは、庶民を守るために国があるのではない、ということです。これまで、国が庶民を守ったという実例は、人類史上、どこにもありません。そのことは、将来、皆さんが体験することで、初めて理解できるようになります。ベネズエラが、今、それを実践しています。

2040年には、社会保障費が190兆円になると推定されています。
仮に、国庫負担が100兆円だとして、実現可能なのでしょうか。
政府の試算では、GDPは、約800兆円になるとされていますが、霞が関が作る公共工事の試算と同じで、効果は絶大、費用は極小で見積もられています。潜在成長率が小さく、生産性が悪く、人口減少が続く国で、GDPに期待するのはいかがなものでしょう。
政府試算の現状を、他の例で、見てみましょう。
PBの黒字化に過ぎないとは言え、政府は、とりあえず、財政健全化という旗を掲げていましたが、その小さな旗でさえ、5年先送りされました。過去の政府目標は、あくまでも、好ましい数値をもとに作文されたものにすぎません。増え続ける借金に、歯止めをかける意思も行動も持ち合わせていません。政府試算は、都合により、どんな変更でも可能な数値にすぎないのです。その作文に、類まれな才能を発揮しているのが、優秀な官僚と呼ばれている人達です。ただ、いつまでも、先送りが出来るわけではありません。
政府は、好景気だと宣伝していますが、財政健全化目標に使われていた数値は、超・好景気の数字だったのですから、目標が達成できなかったのは仕方がありません。目標設定当初から先送りが前提にあったとしか思えません。
そして、今回、設定された目標に使われている数値も、またも、実現性に乏しい数値です。
いわゆる、官僚が得意とする、作文というやつです。
5年後に、また、先送りをすればいいのですから、何の問題もないのでしょう。
政府試算とは、こういうものです。
日本の経済成長は、世界経済の成長に影響されます。世界経済は、2019年に減速し始める、と多くの専門家が言っています。この先、5年から10年は世界不況がやってくるのです。そんな時期に、身の丈に合わない数値を頼りにしていても、いい結果は得られません。
政府試算が絵に描いた餅になってしまった財政健全化目標のケースを見ても、GDP800兆円は無理筋だということです。なぜ、こんな茶番が大手を振って歩いているのでしょう。トランプほど露骨ではありませんが、日本の政治家の皆さんも、選挙で勝つことと政権を維持することが最大の目標になっているからです。今、流行りの、自己保身と組織防衛です。国民のことは、二の次です。
数字遊びで、国民生活が守れるのであれば、こんな楽なことはありません。
現実的には、500兆円の、GDPが維持できれば上出来なのだと思いますが、それでも、仮に、GDPが800兆円だとしてみます。国民負担率が60%になれば、税収は増えますので、税収は100兆円になるとします。国家予算が160兆円だとして、60兆円の借金をして、100兆円の社会保障費を支払うことができるのでしょうか。実現不可能だと思います。
こんなことは、多くの方が承知しています。
何とかしなければなりません。
歳入を増やすか、歳出を減らすか、の二者択一しかありません。
中でも、一番、簡単で、着実な方法が国民負担率を上げることです。
だとすると、国民負担率が60%で終わるという保証はありません。これまで、社会保険料に縁がなかった人達からも徴収しなければなりません。年金保険料・医療保険料では、既にその動きが始まっています。介護保険料は、現在、40歳以上の方が支払っていますが、今後、徴収範囲は広がると思います。

国民負担率以外の環境も見てみます。
就職活動をする大学生が、教授に質問したそうです。「先生、老後資金は1億円必要だと言われていますが、どんな会社に就職したらいいのでしょう」という質問でした。年金・医療・介護は自分で支える時代になることを知っているのです。国民負担率が60%になるのであれば、いや、40%であっても、1億円を貯金するのは至難の業です。しかも、多分、1億円では老後は支えきれません。教授は「わからない」と答えたそうです。

老後の心配をすれば、それでいいのでしょうか。
そうではありません。
貧困の波は、着実に広がっています。
介護退職という風潮は、今後も、増え続けます。
貧困の震源地は老人です。地震の地震波に相当するものが、貧困波(こんな言葉は、まだ、存在していませんが、既に、貧困の連鎖という言葉は生まれています)だとします。波は、広がっていく性質を持っています。
では、今、震源地である老人介護の現場で、何が起きているのでしょう。
介護の課題は介護職員の給料の安さや人員不足だと言われていますが、それだけなのでしょうか。
それだけではありません。
経済的虐待が増えているそうです。
ある養護施設の方の話です。
「預貯金や年金だけでは生活に窮する人が増えています。それだけではなく、40代50代の子供が親を経済的に虐待し、それを逃れるために入所する人が増えました。約4割が家族からの経済的虐待が原因で入所しています」
「親の、少ない年金を頼りに子供が生きている。年金を渡さなければ、手を出したり、家の外に追い出したり、嫌がらせをする。また、自分一人でも食べていけないからという理由で、親を警察署の前に捨てていく子供もいます」
「施設で受け入れても、親の年金を頼りにして暮らしている子供が追いかけてくる。入所後は、新しい名前を名乗ってもらい、電話がかかってきても取り次ぎません」
多分、皆さんの身近には、こんな話はないでしょう。でも、これが、現実です。
親にも頼れない、いや、子供にも頼れない時代になっているのです。
この貧国は、必ず、若者の近くまで押し寄せてきます。
政府は、公助を減らし、自助、共助を増やしたいと言っています。家族という形態を大事にしたいと言っています。生活保護の受給資格にも、この考えは影響します。「貧困老人は、子供に面倒みてもらえ」ということになります。政府には、貧困を若者まで波及させようとする意図があると思わなければなりません。
貧しくても、老人になるまで生き延びることが出来れば、お祝いしなければならない時代になります。いや、いや、老人になっても、死がやって来るまで、地獄を生きなければなりません。誰もが、早く、苦しまずに、死にたいと願う日が来ます。尊厳死法案の提出が待たれます。

また、日本の金融資産は老人が持っていると言われています。
では、遺産相続の実態はどうなっているのでしょう。
日本で、遺産相続を具体的に検討している親は1割で、資産は生きているうちになるべく使い、残った分を子供に相続させるという親が8割、全部使い切るという親が1割だという調査結果がありました。
内閣府の調査では、老人の貯蓄目的は「万が一の備え」とする人が約5割、「子供に残すため」という理由を挙げた人は2.6%に過ぎなかったそうです。
それだけではありません。
政府は、目先の数字のために、老人に「資産を使え」と何度も言います。メディアの中でも、この手の発言はよく聞きます。政府は、「使わないと、損ですよ」とばかりに、相続税の増税もしました。資産の継承という「伝統」も失われているのです。若者は、政府も親も面倒見てくれないのですから、自力で自分の生活と老後を勝ち取らなければなりません。いや、親の面倒も見なくてはならなくなります。
政府も親も、目先のことしか眼中にありません。将来を、子供達や孫達の生活のことを、何も考えていないのです。
では、老人が所有しているとされる国民金融資産は、無駄な金なのでしょうか。
そうではありません。
この国は、借金をしなければ運営できません。老人が保有する資産があるから、国債が消化できているのです。老人が資産を使い果たしたら、誰の資金で国債を消化するのでしょう。今の若者に、数千兆円の貯金が可能なのでしょうか。
今の私達は、未来を食いつぶしながら生き延びているにすぎません。どうして、そのことを心配する人がいないのでしょう。「ツケを未来に残すな」と言う方はいますが、それは、常套句を暗唱しているだけであり、誰も具体的な危険を示しません。国民は、国の借金のために貯金をし続けなければなりませんが、そんなことが出来ないことは、明らかです。
どこかの時点で、必ず、「ガラガラポン」をしなくてはならないのです。この「ガラガラポン」は多くの犠牲者を生み出します。

子供達の将来は、お先真っ暗なのが現実です。
国民負担率が上昇し、社会保障がなくなり、インフレが待っている未来。
子供達の未来は、貧困が大きな口を開けて待っているのです。
それを、国民は、直感として知っています。だから、不安なのです。
あなたを守れるのは、あなたの家族を守れるのは、あなたしかいないのです。どこかの、誰かが、何とかしてくれるというのは、幻想にすぎません。


これは、国家運営のシステムそのものが限界を迎えている証だと思います。
では、処方箋はあるのでしょうか。
誰も傷つくことのない処方箋などありませんので、先送りされているのです。
多分、国家運営システムを作り直すしかないのではないかと思います。
構造改革では追いつきません。新たな、構造設計が必要になっていると思います。
新たな、構造設計をしたとしても、構造疲労をここまで放置してきたのですから、当然、多くの方が痛みに苦しみ、中には耐えかねて亡くなる方もいるでしょう。もちろん、新しい蜜に群がる蟻も生まれます。
それでも、他に選択肢はありません。
そのためには、新しい思想と哲学が必要になります。それが期待できないのであれば、民主主義をもう一度見直してみるしかありません。
最後まで挑戦するのか、逃げるのか。私達はその選択を迫られています。挑戦しても逃げても、犠牲は覚悟しなければなりません。これは、犠牲を選ぶか、大きな犠牲を選ぶか、という二者択一なのです。他に選択肢はありません。
ま、新たな構造設計などに挑戦する人はいないと思いますので、大きな犠牲を伴う国家崩壊を待つことになります。
将来の国民生活は、無視されていることに気付いてください。
今は、先送りをし、国民負担率を上げることで帳尻を合わせていますが、国民負担率を7割に、8割に上げることは可能なのでしょうか。例えば、年収400万円のサラリーマンの手取りが80万円になって、生活できるのでしょうか。それでも、何とか生活したとしましょう。では、9割になったとしたら、10割になったとしたら、どうするのでしょう。働いても、働いても、手取りは0円です。これでは、誰も働きませんよね。私達は、そういう道を選んでいるのです。「俺には、関係ねぇ」と言っていても、税金や保険料という国民負担金は、給料から自動的に天引きされるのです。どう見ても、国民一人一人に関係していると思うのですが、現実を見ようとしない人達は、「俺には、関係ねぇ」と言います。これは、もう、信仰の世界です。
国民負担率一つをみても、これだけのシグナルが出ています。この国の崩壊は、既に、軌道に乗っているのです。
しかし、その被害を受ける国民に抵抗する気はないのですから、受け入れるしかありません。棚から牡丹餅は落ちてきません。
せめて、大声で「あちゃー」と叫びましょう。
もしかすると、叫べば、神風が吹くかもしれません。
これは、嘘です。ごめんなさい。


2018-07-04



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重箱の隅 [評論]



小泉進次郎は政界の「希望の星」だと言われているそうです。
「総理にふさわしい人」という記事には、いつも、彼の名前が出てきます。
最近の世論調査でも、石破さん(2位)や安倍さん(3位)を抑えて、堂々の1位でした。
あの若さで、総理候補と言われるのは、異例のことだと思いますが、とても、歓迎できることでもあります。
では、その「希望の星」に問題はないのでしょうか。
国民の皆さんは、小泉進次郎の何を知っているのでしょう。
国民は、ただ、漠然と、曖昧に、ふんわりと、何となく、「いいんじゃねえの」と思っているだけなのではないでしょうか。
不安感と閉塞感が、掴もうとしている藁に過ぎないのかもしれません。
小泉進次郎が総理大臣になれば、日本は今よりましになるのでしょうか。
私は、そこに確信が持てません。
いや、確信どころか、希望も持てません。
私達は「他の人より、まし、だから」という思考に慣れすぎているようにみえます。自分に責任があることに気付かず、他人任せで、「多少、まし、だから」で、何とかなる時代なのでしょうか。
私達に必要なのは、アイドルのような政治家なのでしょうか。
違うと思います。
安倍さんには安倍さんの、石破さんには石破さんの良さがあります。小泉進次郎の良さは「若さ」ですが、もちろん「若さ」は重要な要素ですが、「若さ」だけで、何とかなるものなのでしょうか。
小泉進次郎も、国民という名の「愚か者」の中から選ばれた「愚か者」の一人なのですから、彼に「希望」という星を背負わせることには無理があるように思えるのです。結局、国民が、目を覚まさなければ、この国を変えることは出来ないのではないでしょうか。

確かに、彼は、既存政治に対する違和感は持っているようにみえます。
何とか、変えたいと思っていることも伝わってきます。
ま、若手政治家で、彼のような人材が存在しないことも現実ですが、小泉進次郎にしか希望がないとすると、お先真っ暗に見えてしまうのは、なぜなのでしょう。
もちろん、私が、国民の皆さんと同じように、彼のことを知らないことが、こんな文章になる原因なのでしょうが、希望の星であれば、ニュースの端々にその片鱗が見えてもいいのではないかと思っています。
多少出来の良い政治家という評価であれば、否定しませんが、「希望の星」は少し、評価しすぎなのではないかと思ってしまいます。
農業再生や社会保障改革に注力していましたが、成果はあったのでしょうか。私には、既得権益者に利用されただけで終わったようにみえます。多分、そのことは、彼も感じていたと思います。ですから、国会改革をテーマに選んだのでしょう。政治改革ではなく、国会改革をテーマに選んだのは、出来ることから改革をしていくという現実を大切にしたためだと思いますが、それは、大変立派なことですが、時間軸を考慮していないことは、結局、他の政治家と同じで、既存政治家と呼ばれる日が来るように思います。
彼の着目点は、他の政治家と違いますから、そこに価値があることは認めますが、農業再生や社会保障改革や国会改革の前に、どのような国家運営が求められているのかを示す必要があると思います。もしも、彼が既存政治家とちがって、「希望の星」なのであれば、その重みは背負ってもらわなくてはなりません。50歩100歩では、意味がないのです。
先ず、自分の思想を示さねばなりません。もう、見た目や変わった発言や演説で点数を稼ぐ時期は過ぎたと思います。小泉進次郎を分析する書物はありますが、小泉進次郎が自分の思想や戦略を書いた本は見当たりません。どんな国を作りたいのか、という思想を国民に示すことが必要です。寄って立つべき思想が無い状態で総理大臣になっても、何かが成し遂げられるとは思えません。この国は独裁国ではありませんので、総理大臣になっても、自分一人で国家運営が出来るわけではありません。思想もなく、賛同者もなく、周囲が既存政治家ばかりで、しかも、個人の利益ばかりを追求する人達ばかりで、どうやって国家運営をするのでしょう。これでは、夢物語です。
彼がやらねばならないことは、「国とは、国民とは、民主主義とは」に挑戦することだと思います。農業再生や社会保障改革や国会改革の答えもそこにあります。この国が進む道を、思想で示すことが求められているのだと思います。彼が、どこまで現状を認識できているのか不明ですが、私達に残された時間は多くはありません。彼も、この国の進んでいる方向を変えたいと強く願っていると思いますが、原点に戻ることと時間軸を考慮に入れることを忘れていれば、他の政治家と同じで「重箱の隅を突く」だけに終わってしまいます。これでは、森友・加計に執着している野党議員と変わりがありません。もちろん、目を覚まさなければならないのは小泉進次郎ではなく国民なのですが、今のままだと、結局、政治家に丸投げしている国民に全責任が帰結するという既存の政治と何ら変わりがありません。国民は、次の「希望の星」を探すことになります。
この国を、どんな国にしたいのか。その目標を達成するためには、何をしなければならないのか。その目標がないまま、国会改革をすることに、何の価値があるのでしょう。国会改革をするためには、先ず、選挙制度や政党政治を変える必要があります。自民党の選挙制度改革は、定数の問題ばかりで、彼も、その枠の中で「ああだ、こうだ」と言っているだけです。彼は、政党政治の根幹にある党議拘束には賛成しているようには見えませんので、党議拘束という日本の政治風土を変えることから始めるのであれば、それなりに評価できます。もちろん、その先には、選挙制度を作り直す仕事が待っています。そして、最終目標は、国民を、国民生活を守ることです。国家の目標は、それ以外にありません。
投票を押しボタン方式にし、ペーパーレスにし、過去の慣習を見直す程度で、国会が変わるとは思えないのです。「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義をした上で、「国会とは、国会議員とは」という定義をしたとします。では、その定義を満足させるためには、投票を押しボタン方式にし、ペーパーレスにし、過去の慣習を見直すことが唯一の方策だと言うのでしょうか。それでは、余りにもお粗末な方策なのではないでしょうか。それは「重箱の隅」なのではないでしょうか。
もちろん、何もしなしよりは、まし、です。
でも、この国が置かれている状況が、それで解決するのでしょうか。



小泉進次郎は、他の政治家に比べれば、出来のいいほうだという意見には賛成です。
では、なぜ、小泉進次郎に対して、こんな批判的な文章を書いたのか。
批判すべき政治家は、山ほどいるだろう、という意見にも賛成です。
しかし。
「希望の星」と言われる小泉進次郎でさえ、「重箱の隅」にいるのでは、国民はどうやって「希望」を持てばいいのでしょう。国民の声を聴き、もっと根っこの部分を変える政治家になって欲しいという願いは、無理な注文なのでしょうか。もちろん、国民が声を出さないのに、そんな要求をするのは筋違いだと言われれば、その通りなのでしょう。でも、彼は政治家である前に、一人の国民なのですから、問題意識を持つ責任は負っていると思います。しかも、政治家になりたいと思っている国民なのですから、国民を守るためには何が必要なのかを考える責任もあります。思想のない政治家に、国民を守る力は生まれません。是非、国民生活を守る政治家になっていただきたいと思います。ま、私の勝手な願望であることは認めます。
小泉進次郎の話を書いたのは、スウェーデンの記事を読んだためです。
ロシアのウクライナ侵略以降、バルト海は欧州の火薬庫になっています。
そのバルト海に面している国は、ロシア、フィンランド、スウェーデン、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、ドイツです。
バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)は旧ソ連領であり、ロシア語人口も多く、ウクライナの次にロシアに侵略されるのは、バルト三国だと言われています。NATO軍も増強されていますが、ドイツ軍は独自に軍を派遣しています。ドイツにとって、バルト三国やポーランドやオーストリアは、自国の安全の緩衝材だからです。
スウェーデンだけではなく、欧州各国が危機感を持ったのは、ウクライナ侵略だけではありません。ロシアのバルト海での大規模軍事演習というデモンストレーションがあり、ロシア西部への軍の増派があります。プーチンの好戦的な発言も日常になっています。一方、トランプ流の「カネ、カネ、カネ」がそれまでの信頼による安全保障体制を揺るがせていることがあります。ドイツのメルケル首相は、「安全保障をアメリカに頼る時代は終わった」と言っています。
日露戦争で有名になったバルチック艦隊は、バルト海で作戦を行っていた艦隊が、極東艦隊を応援するために派遣されたものです。でも、それは、歴史になりましたので、私達にとってバルト海やバルチック艦隊という言葉は、遠い存在です。ですから、日本にはその緊張感は伝わってきませんが、現地の人達は、真剣に戦争を心配しているのです。
今年5月にスウェーデン政府は、全住民に「IF CRISIS OR WAR COMES」という冊子を配布したそうです。ロシア軍の侵攻に備えるためです。
スウェーデンは、人口1,000万人の国です。
長い海岸線があります。
ロシア軍の侵攻を海岸で阻止することは不可能です。
冊子は、侵攻してきたロシア軍に、国民がどう対処するかを、書いたものです。
対面戦争ではなく、最初からゲリラ戦を想定した内容です。国民一人一人に、ゲリラ戦を一人のゲリラとして戦うことを求めている冊子です。その中で「スウェーデンは降伏した、という情報が流れたら、それはロシアの流したデマだから、信用してはいけない。スウェーデンは、決して、降伏することはない」と書かれています。徹底抗戦を国民一人一人に求めているのです。もちろん、スウェーデンには、徴兵制度があります。男も女も移民も、徴兵対象者になっています。
「我々の周りの世界が変わり、政府はスウェーデンの総合防衛力の強化を決めた。平時の緊急事態への備えは、戦時の回復力の重要な基礎になる」と書かれています。
NATOへの参加も検討されています。
北欧諸国が恐れているのは、そう遠くない未来に、場合によっては10年以内に、彼等が長年頼りにしてきた欧州や環大西洋の構造が崩壊する可能性があることです。
「軍の存在意義は、単純に国の存続にある」と言われ、同盟国は頼りにするが、単独で戦う意思があると宣言することが目的のようです。
スウェーデン政府は、世界環境が変わったことを認識し、将来を予測し、不測の事態に対処するように、国民に求めています。
このような行動は、一人や二人の政治家の思い付きで出来るものではありません。もちろん、反対する人や批判する人もいたでしょう。それでも、スウェーデン政府として冊子を配るという行動に出たのは、政治家にも国民にも一定のコンセンサスがあったためだと思います。それが、「民度」なのだと思います。
これが、普通の国の、普通の対応なのではないでしょうか。

では、日本の環境は、どうなっているのでしょう。
50年前と、何も変わっていないのでしょうか。
いいえ。
世界の中で、アジアの変化が一番大きいのです。
そんな時代に、超大国と呼ばれたアメリカが弱体化しています。それでも、日本はアメリカにしがみ付く戦略しか持ち合わせていません。スウェーデンは、欧州やNATOを頼りにしていますが、自分の国は自分で守るという原則は知っています。
中国は、ロシアを凌ぐほどの軍事大国になりました。南シナ海を軍事拠点化し、台湾海峡では軍事恫喝をし、東シナ海にも多数の艦船を派遣し、朝鮮半島への影響力も強めています。それは、中国の目的が、世界制覇だからです。一帯一路でユーラシア大陸を自分の勢力下に置き、太平洋を支配し、世界制覇を完成させようとしています。太平洋を支配するためには、台湾と、朝鮮半島と日本を勢力下に置き、台湾も、朝鮮半島も、日本も、中国が呑み込むことを意味しています。そうしなければ、太平洋は支配できません。太平洋を支配し、最終目標は、アメリカを支配下に置くことです。
そんな環境下にある日本で、政界の「希望の星」と言われる小泉進次郎は、何をしているのでしょう。国会の投票形式を、ボタン方式にすることで、国会を改革しようとしているのです。時代錯誤の極みだと思います。寝惚けているとしか思えません。
戦争の危険だけではありません。私達の国は、人口の激減と財政破綻という爆弾も抱えているのです。いつ、自滅するのか。それほど遠い未来だとは思えません。
政界の「希望の星」なんて命名は、笑ってしまいます。
幕末の志士達は、世界に目を向けていました。自分の国を、民を、守るために行動したいと願っていました。命を落とした志士も大勢いました。小泉進次郎がやろうとしている国会改革は、徳川幕府内部の老中改革のようなものです。そんなことをしていて、国が守れるとは思えません。
能天気な政治家に頼っていてはいけない時代を迎えているのです。
今こそ、国民が立ち上がる時です。
しかし、国民は「俺には、関係ねぇ」と言っています。
これでは、国が崩壊するのは、必然だと思うしかありません。
私達の国は、三重危機(人口・財政・戦争)の真っ只中にあるのです。
重箱の隅を突いている暇などありません。
あらゆる分野で、隠蔽・自己保身・組織防衛が最優先になっている時代に、我らが「希望の星」は、重箱の隅に安住しているのです。
スウェーデンとの落差が大きすぎて、愕然とします。
なぜ、こんなことになってしまったのでしょう。
私達の国に欠けているのは、「定義」です。
私達は、「国とは」なんて考えたこともありません。
私達は、「国民とは」なんて定義を知りません。
私達は、「民主主義とは」なんて、問いかけたこともありません。
私達は、何一つ、定義を持っていないのです。
私達は、他力本願が正しい道だと信じています。
私達は、自分を守るための努力を何もしていません。
そうです。
私達は、「無知」であるだけではなく、自分達が「無知」であることにさえ気付かない状態で浮遊しています。
なんの定義もありませんので、「国民の責任」なんて言葉も生まれません。
責任者が、その責任を知らずに、どうやって、自分を守るのでしょう。
「誰かが、何とかしてくれる、だろう」と思い込んでいます。
都合の良いことに、この「誰か」の中に自分は含まれていません。
「俺には関係ねぇ」という信仰も、ここから生まれました。
日光東照宮の三匹の猿は増殖し、今や、1億2,000万人の猿になってしまいました。
国会改革だ、と寝惚けたことを言っている小泉進次郎の記事が出てくることが、この国の末期症状だと思います。
お手上げです。

小泉進次郎君。
ごめんね。
君が頑張っていることは、評価します。
でも、残念ですが、何の役にも立っていません。
もちろん、私だって、こんな評論を書いていたって、何も役に立っていません。
国民の目を覚ます方法がないのですから、どうすることも出来ません。
痛い目に遭えば目を覚ましてくれるのかどうか、それさえも確信が持てません。
国民は、皆で「あちゃー」と言うことで、納得してしまうかもしれません。
これは、もう、私達の宿命のようです。
それでも、皆さんは「別に、俺には、関係ねぇ」と言うのでしょう。
もちろん、それも選択肢の一つですから、仕方ありません。
でも、皆さんは「こんな筈じゃなかった」と臍を噛むことになります。
「前悔」という言葉はありません。「後で、悔いる」から「後悔」なのです。
みすみす、後悔することがわかっているのに、そこに飛び込んでいくのはいかがなものでしょう。


2018-07-03



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世界はどこへ 2 [評論]



少し視野を広げて、アメリカが置かれている状況を見ると、北朝鮮問題なんて、些細な問題に見えてしまいます。最大の問題は、アメリカの孤立です。今のアメリカには、全世界を相手に戦える力はありません。なぜ、こんな無茶をするのでしょう。
米朝首脳会談後の記者会見でも、G7の質問が出ました。
「同盟国であるカナダのリーダーを『弱虫』と罵り、悪逆非道の金正恩を『素晴らしい指導者』だと褒めるのは、何故なのか」という質問です。
ここに、目先の利益に執着する企業経営者の弱点があり、トランプを大統領にしてしまったアメリカ国民の勘違いがあるのだと思います。
このままだと、アメリカは壊れてしまいます。是非、立ち直ってもらいたいと思っています。日本にとっては、中国の支配下に入るよりも、アメリカの支配下にいるほうが、ほんの、少しだけ、居心地がいいというだけのつまらない理由しかありませんが、是非、お願いしたいと思います。

トランプ政権の足跡をみてみます。
NAFTA、TPP、移民問題、パリ協定、イラン核合意、北朝鮮非核化、貿易戦争、どれをとっても成功しそうにありません。特に、貿易戦争は、世界を大混乱に落とすインパクトを持っています。これ、全部、トランプが一人で、壊しまくっているのです。
問題提起することは、悪いことではありません。しかし、その問題提起の量が、もう、収拾がつかない量になっています。たとえ、トランプが再選されたとしても、あと6年で結果が出るわけではありません。そして、ここまで来ると、もう、昔のアメリカに戻ることも出来ないと思います。トランプは、意図せずに、衰退するアメリカの背中を「力一杯」押してしまったのです。
アメリカは、もともと、横暴な国でしたが、トランプの横暴には、世界が、特に、これまで協調してきた同盟国が、辟易しているようにみえます。国際関係が、利害関係で成立することは仕方ありませんが、それなりに、信頼関係もあったのです。
アメリカとソ連の冷戦終結から約30年を経て、新しい世界が、その実態を見せ始めたのかもしれません。

民主国家の場合、国民世論は大きな力を持ちますので、リーダーの資質だけでは国の方向性は決まりません。しかし、アメリカ国民は、フリーズ状態になっていて、ただただ、傍観しているようにしかみえません。まるで、日本の国民のようです。
これまで、アメリカ国民は外交には、余り関心がありませんでした。
アメリカは超大国ですし、外交では、アメリカの思い通りになってきましたから、放っておいても、国民は、自分達が苦境に堕ちる心配はなかったからです。
しかし、トランプの時代は、違うかもしれません。
過去の延長線上に未来があると信じたいと思っているでしょうが、そうではない時代になる可能性があります。
これまで、世界最強がアメリカ人のプライドの源泉でした。
しかし、新興国の中国に「もしかしたら、俺達、勝てるかもしれない」と思わせてしまったのです。もう、ぶっちぎりの最強国家ではないと見られているのです。
また、アメリカ人は、好戦的であるだけではなく、ヒーローが大好きでした。
悪漢や、悪の枢軸や、負け犬は大嫌いでした。
しかし、アメリカは、その「悪」のトップランナーになろうとしています。今や、「負け犬」にならないという保証もありません。
ハリウッドが、ヒーローを作り続けてきたのは偶然ではありません。どこの国でも、正義のスーパーヒーローは歓迎されますが、特にアメリカでは大歓迎されます。現実としては、正義もスーパーヒーローも存在していませんが、アメリカ人は、自分達がそのスーパーヒーローだと思い込み、そのことを自慢できることだと信じています。
自分の都合だけで、世界を敵に回して戦っているトランプでも、アメリカ国民にはヒーローに見えているのかもしれません。幻想を見ているとすると、困ったことになります。確かに、テレビショーとして見ている分には、楽しいエンターテイメントですが、大丈夫なのでしょうか。
ここで、もう一つ、アメリカ人の勘違いを、別の記事から引用しておきます。
「アメリカ人は、自分達の国は、高潔で、特別で、聡明で、寛大であり、アメリカの外交政策は世界のほぼ全ての人にとって望ましいと信じ、そんなアメリカの政策に同意せず、アメリカの真意を疑う者は、精神的に、どこかに異常があるに違いない、と信じている」
これも、「俺達が一番」教という宗教なのかもしれません。
信仰の力は偉大ですが、反面、信仰は大変危険です。
アメリカを中心にして世界が動いていた時代は存在していました。しかし、時は移り、世界は変わってしまったということに、気付いていないだけなのではないでしょうか。
アメリカが衰退していることに、国民が気付く時が来ます。国力衰退を、他国のせいにしているトランプ政権の処方箋は間違っています。国力衰退は、アメリカ自身の問題であり、その責任を取るのは、アメリカ国民です。
もちろん、アメリカだけではありません。日本も国力衰退に直面しています。それだけではなく、先進主要国と呼ばれる国々も、この国力衰退という病にかかっています。
時代は動くものです。永遠は、この世に存在しません

もともと、世界に相互信頼など存在していませんでしたが、それでも、建前としては存在していました。その建前さえも、トランプは否定したのです。
トランプの態度が変わらなければ、同盟国と言えども、トランプに同調しなくなると思います。なぜなら、どの国のリーダーも自国の国益を一番大切にしなければならないからです。
同盟国は、今、納屋に仕舞ってあった天秤を取り出していると思います。
アメリカ主導で世界秩序を維持してきた同盟国でしたが、そのリーダーであるアメリカがその役目を放棄してしまったのですから、自国の国益を確保する方策を探さなければなりません。その時に必要になるのが、天秤です。
自分は損をしても、アメリカのためであれば我慢しますと言うのは、日本くらいです。
安倍総理は、北朝鮮の非核化の費用は負担すると言っています。
「アメリカは、カネを出さない。韓国と日本が出してくれる」と言ったトランプの言葉に忠実に従おうとしています。
アメリカは、CVIDの工程表を作る努力はするでしょう。そして、実行しようとするでしょう。でも、それがCVIDにならないことは、いつかの時点で知ることになります。そうなった時、アメリカは、当然、次善の策に切り替えることになります。それが、戦争でない場合は、ICBMの廃棄交渉です。アメリカは、ICBMさえ廃棄すれば被害は出ないのですから、妥協するかもしれません。日本に決定権はありません。結果的に、短距離ミサイルと中距離ミサイルは廃棄できずに、アメリカに危険が及ぶICBMだけを廃棄するための費用を、日本が負担することになる可能性があります。
貿易戦争で、同盟国が離反していけば、アメリカ国防省は開戦に慎重になるでしょう。マティス国防長官も、中国を何とかしないと大変なことになると発言しています。彼の判断は正しいと思います。彼は、中国を抑えるためには、アメリカも、軍事力を増強しなければならないが、必要なのは同盟国の力だと言っています。この判断も正しいと思います。今、必要なのは、同盟国の結束であり、同盟国に貿易戦争を仕掛けたり、同盟国のリーダーを侮辱したりすることではありません。アメリカだけで、中国やロシアの連合軍と戦うことは不可能です。

同盟国の反発を受ける中、アメリカは、中国製品に対する関税政策を7月6日に発動すると発表しました。その規模は、約5兆円です。中国も、報復措置として、アメリカからの輸入品5兆円に対して25%の関税をかけると発表しました。
アメリカ政府の決断には驚きましたが、それ以上に、中国政府の決断には吃驚です。このまま、全面的な貿易戦争になった時、中国は、どうするのでしょう。対米輸出抜きでは、中国経済は成り立ちません。
ほとんどの人が、いや、トランプを除く全員が、トランプ発言は、単なる「脅し」に過ぎないと思っていました。いやいや、今でも、そう思っている人は大勢いると思います。どこかで、変更、前言撤回、が出ると思っています。米朝首脳会談でも、見事な「変身」を実行しましたので、貿易問題でも、当然、そうなるものと思っていたでしょう。そう思っていたから、中国もEUもカナダも報復関税を発表したのです。世界は、アメリカの関税政策は「取引」のテクニックだと未だに思っている、ということのようです。世界中が「馬鹿な政策だ」と思っているようですが、確かに、馬鹿げた政策ですが、このまま、成り行きで、本物の貿易戦争になったら、どうするのでしょう。
それぞれの国に、いろいろな思惑は、あると思いますが、それでも、実際の貿易戦争が始まることになってしまいました。
中国の報復措置に対する、更なる報復として、アメリカは、約20兆円規模の追加品目のリストアップ作業を加速させています。
5兆円の品目の影響は限定的だとされていますが、20兆円の品目の影響は甚大だと言われています。更に、中国元は安値を更新していますので、アメリカもドル安政策をとるでしょう。通貨戦争の先にあるのは経済制裁です。そして、経済制裁の先には、戦争があります。
国としての実力は、まだまだ、アメリカのほうが強いと思いますので、中国が正面からアメリカに対抗するのは時期尚早だと思いますが、5兆円という賽を投げてしまったのですから、あらゆる手段を使って、続けるしかないのかもしれません。でも、ここは、タイミングを見て、アメリカに勝ちを譲るほうが利益になります。チャンスは、この先、まだまだ、あります。このままだと、勝負は、アメリカ国民と中国人民との忍耐力勝負になってしまいます。決して、中国国内も万全な状態ではないと思いますので、手を引くことが国益になると思います。
少なくとも、貿易戦争がエスカレートする条件は整ったのです。
お互いに「こんな筈ではなかった」ということは起きるものです。
まだまだ、いろいろな交渉は行われると思いますが、貿易赤字の削減は、トランプ政権の目玉政策ですから、成果が得られるまで、続けるしかないと思います。
もちろん、日本にも影響があります。中国製品としてアメリカに輸出されている品物には多くの日本製品が使用されています。これは、世界経済のパイが小さくなるということです。
世界経済の減速だけではなく、米中双方が、売れなくなったものを別の国に売ろうとするでしょう。アメリカも中国も、日本に協力を求めてきます。いや、協力ではなく踏み絵になる可能性もあります。日本政府は、どこまで対応できるのでしょう。すぐにではありませんが、貿易戦争の終盤になれば、中国はアメリカ国債売却というカードも切るでしょう。ここでも、日本に対する「アメリカ国債を買え」という圧力は大きくなります。トランプの日本に対する基本姿勢は「カネを払うのは俺じゃない。お前が、カネを払え」です。長年、不動産業で培ってきたトランプの感覚を過小評価してはいけません。最初に尻尾を振って来た安倍を、「こいつは、カネになりそうだ」と思い、「アベ」と盟友になったのだとすると、トランプのほうが一枚上だったということです。

少し、貿易赤字の根っ子を見てみます。
なぜ、アメリカは、これほど大きな貿易赤字を抱えているのでしょう。
それは、アメリカ製品に競争力がないからです。
現に、中国に進出しているアメリカ企業のシェアは、年々、減少していますので、この先もアメリカの貿易赤字は増えると予測されています。
原因が、余りにも単純な理由ですから、つい、見落とされてしまいますが、トランプだけではなく、多くのアメリカ人が、アメリカという国そのものが衰退し、競争力を失っているという現実に気付けていないのかもしれません。
競争力、これが資本主義のルールであり、グローバル経済のルールです。
それを、関税で逆転させようとしても、無理があります。ある評論家は「関税政策は、19世紀の経済理論であり、21世紀では通用しない。なぜなら、グローバル経済は19世紀には存在していなかったからだ」と言っています。19世紀でも、21世紀でも共通していることは、世界は弱肉強食で成り立っているということです。競争力の欠如は弱点です。
確かに、中国の知的財産の盗用や開示強制はルールに違反していますが、その違反を関税で解消することはできません。自国の製品に競争力がないことを無視してでも、どうしても、貿易赤字を出したくないのであれば、戦争という手段で相手を叩きのめして勝利するか、貿易をやめて、鎖国政策を取るしかありません。
最大の問題は、アメリカそのものが衰退しているという現実です。ラストベルトこそが、アメリカの現実なのです。関税で、デトロイトを50年前のデトロイトにすることは出来ません。資本主義経済を続けるのであれば、自国の衰退という現実を無視するのは、賢明な対策ではないと思います。貿易赤字を貿易という土俵の上だけで解消することは、もう、できないと思います。
競争力の喪失という原因に目をつむり、貿易赤字という結果を、関税で何とかしようとしているトランプ政策は、デフレという結果を捻じ曲げて経済発展を取り戻したいと言っている、どこかの国の総理大臣と似ています。
ただ、貿易戦争であれ、武力衝突であれ、当事国双方の国民に大きな影響が出ます。
アメリカ国民は、その実際の痛みに耐えられるのでしょうか。中長期的な勝算があるのであれば、「少しの間、我慢してくれ」と言うこともできますが、トランプ政権にそんな戦略があるようにはみえません。

更に、10月には、自動車の輸入関税も25%になると言われています。
中国に対する関税政策でさえ馬鹿げていると思っていた世界の国々は、まさか、こんな愚策は実現しないだろうと思っています。
アメリカ国内でも、業界団体をはじめ、多くの反対意見がありますので、実施は難しいかもしれませんが、もしも、実行されたら、欧州のリーダー国であるドイツは大きな痛手を負い、隣国のカナダも大きな打撃を受け、同盟国の亀裂は大きくなります。G7国ではありませんが、メキシコも韓国も痛手を受けます。もちろん、日本の自動車メーカーの痛手も、小さくありません。
アメリカ国内に限っても、最悪の場合、60万人の雇用喪失になると指摘する人もいます。普通は、こんな政策は採用されませんが、トランプですから、誰も確信を持てません。
「脅しによる取引」は成功している限りは有効な技術ですが、一度失敗すると、役に立たなくなる技術です。負けるわけにはいかない、という意識がトランプにあれば、行き着くところまでいくしかないのかもしれません。
関税政策は、アメリカの物価の高騰を招きます。物価高騰の直撃を受けるのは国民です。国民の購買力は失われ、関税政策の影響を受けなかった物まで、売れなくなります。物が売れなくなれば、生産者は生産ができなくなります。この悪循環は、アメリカの体力を奪い、衰退を加速させることになります。特定の不動産物件であれば、力で押し切ることも可能かもしれませんが、あらゆる利害が交錯している国という単位では、必ず、副作用が出ます。

アメリカの鉄鋼関税に対抗するために、EUが特定品目の関税を25%にすると発表しましたが、その中に、バイクのハーレーダビットソンがあります。ハーレーダビットソン社は、タイに生産拠点を移す計画でしたので、欧州向けの製品は、海外で生産すると発表しました。アメリカ国内の雇用を守るための関税でしたが、結果的に雇用の喪失を生む方向へと向かってしまったのです。もちろん、トランプは激怒しています。ハーレーダビットソン社に、「高額の税金をかけてやる」「アメリカ国内で商売が出来なくさせてやる」とわめいています。もちろん、そんなことは不可能です。暴力団が「暗い夜道に気を付けろ」と言っているのと同じです。

この7月にNATO首脳会議があります。
トランプは、何度も、何度も、NATO加盟国の防衛費負担が少ないと言っていますので、会議では爆弾発言が飛び出すかもしれないと心配する人もいます。それが、アメリカ軍撤退です。6万人~7万人駐留しているそうです。「貿易でアメリカを食い物にしている連中を、なぜ、アメリカがカネを出して守らなければならないのだ」というのが、トランプの主張です。ここでも「カネ」です。韓国に対しても同じことを言っていました。要は「カネ、払え」ということです。まさに、「やくざ商法」です。
さて、NATO加盟国は、カネを払うのでしょうか。それとも、アメリカ軍の撤退を見守るのでしょうか。
対中戦略がありますので、まだ、在日米軍の撤退は難しいと思いますが、トランプですから、どうなるか、わかりません。
短期間では対策が打てませんので、当面は、「みかじめ料」を払うことになるのでしょう。
もしも、アメリカ軍が、欧州からも、韓国からも、日本からも撤退すれば、アメリカの衰退は加速するものと思います。それは、NATO軍も在韓米軍も在日米軍も、アメリカの安全保障上の外堀であり、防波堤であり、砦だからです。外堀を埋められた大阪城の落城と同じことが起きる可能性があります。
もともと、アメリカが軍隊を海外駐留させたのは、ソ連を封じ込めることを目的としたものであり、欧州や韓国や日本を守るためではありません。あくまでも、アメリカの利益のためでした。しかし、その後、同盟国は駐留経費の一部を負担する方向へ向かいました。日本が「みかじめ料」と呼ばずに、「おもいやり予算」と呼んでいるのは、そのためです。ソ連の崩壊で冷戦はなくなったように見えますが、ロシアは、今でも軍事的脅威であり、中国はもっと危険な存在になりました。海外駐留軍の必要性は、決して、減ったわけではありません。それを「カネ」という尺度で判断しようとしているトランプは、目先の利益だけを考えているようで、危なっかしくみえます。

フランス主導で、「欧州介入構想」という動きがあります。これは、アメリカ抜きで欧州を守るための軍事同盟の発足を意味します。構想が発表され、ブリュッセルでその会合が持たれたということは、既に数か月間の協議が進んでいたということです。NATOからアメリカ軍が撤退したとしても、欧州防衛の空白期間を作るわけにはいきません。欧州は、当然のことですが、アメリカ軍の撤退を視野に入れて動いているのです。
このまま、アメリカと欧州が離反してしまうのか、関係を修復するのか。トランプ次第ですが、そこが難しいところです。
中国との貿易戦争が主目的だったとしても、欧州も、日本も、その他の国も、巻き込まれることになります。そこに、安全保障問題が関係すれば、更なる混乱が生まれます。

これからも、紆余曲折や朝令暮改は頻発することになるのでしょうが、トランプ手法は、問題山積みであり、世界を敵に回して、アメリカは勝利することができるのでしょうか。アメリカ国民は、その痛みに耐えられるのでしょうか。
どんな分野でも、「悪手」と言われるものがあります。正攻法ほど、時間と弛まぬ努力が求められるものです。逆に、「悪手」は簡単に実現できるように見えるのです。功を焦る人は、往々にして、この「悪手」を使いたがります。関税政策も、この「悪手」に分類されるものだと思います。いや、トランプ手法は、どれをとっても、目先の利益を優先した「悪手」にみえます。そこに、戦略は見えていません。近代の企業経営者の弱点が、そのまま、国家運営に反映されている代償は大きいものになると思います。
アメリカは、世界をどん詰まりの場所へ誘導しようとしています。
どん詰まりの場所とは、最終決着は武力でつけるしか選択肢のない場所です。
トランプと「やけくそ」はとても相性がいいように思いますので、危険です。
その時に重要になるのが、味方になってくれる国が、どれだけ多いかということです。仮に、百歩譲って、アメリカの貿易赤字の大半を占める中国と戦うことには理があったとしても、同盟国と戦う必要はあるのでしょうか。トランプを認知症と呼ぶ人もいますが、認知症ではないとしても、計算は得意ではないように見えます。短期的には貿易赤字は減少するかもしれませんが、中長期的には、アメリカの国益を大きく損なうことになるのではないでしょうか。
トランプ政権の最大の弱点は、長期戦略がないことだと思います。
「思い付き」や「八つ当たり」では、何も解決しません。
この道を、このまま進めば、碌なことにはなりません。
今となっては、ロシア疑惑によるトランプ弾劾という手段しか残されていないのかもしれませんが、そのためには、11月の中間選挙で共和党が大敗しなければなりません。しかし、トランプの支持率が上昇していますので、中間選挙は闇の中です。アメリカの未来は、アメリカ国民の双肩にかかっています。

一方、同時期に開かれた上海協力機構の首脳会談で、中国の習近平とロシアのプーチンは、この二人は、決して、仲の良い友人ではありませんが、共通の敵を持っているという一点で結びつき、参加各国の首脳の結束を誇っていました。

この「時の流れ」は止まりません。
「資本主義の終焉」という言葉が生まれて、だいぶ時間は経過しましたが、資本主義だけではなく、色々なことが行き詰っているように見えます。
人間の傲慢が、私達人類を争いに導いているのです。
その傲慢を絵に描くと、トランプや習近平のような顔になるような気がします。
それが人間の業だとしても、争いは多くの犠牲を生みます。
世界の三悪人(トランプ、習近平、プーチン)は、人間の欲が咲かせた仇花です。
確かに、この破滅への道を主導しているのはトランプですが、トランプが大統領にならなくても、流れの方向性は同じだったと思います。そういう時代だからこそ、世界の三悪人が誕生したのだと思います。その根っ子にあるのは人間の欲であり、その欲が増殖し、隠されていた「自分さえよければ」が正面に出てきたのです。
こんなブログで、アメリカやトランプに文句を言ってみたところで、何も解決しません。
もちろん、日本の「お上」に頼っていても、解決の糸口は見つかりません。
私達人間は、知恵を絞らなければならない時を迎えているではないでしょうか。
この混沌の時代を乗り切るためには、私達国民が、自分の国のことを、国民の生活のことを、本気で考えなくてはならない時代になっているのだと思います。
しかし、この国の国民の間に、そんな空気はありません。
やはり、「あちゃー」と言うしかないのでしょうか。


2018-07-02



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世界はどこへ 1 [評論]



いつものことですが、石田のブログは、偏見に満ちた独断に基づいていますので、常識を重んじる方は、決して、信用などしないようにしてください。
このブログは、残念ですが、トランプ発言と同じようなものです。
例えば、トランプが、「日本で私は世界的英雄だと思われている」と言っています。
でも、「トランプは世界的英雄だ」なんてことを言っている日本人は、安倍総理以外にはいません。この程度の偏見と独断は、このブログにもありますので、気を付けてください。

先月、米朝首脳会談が行われましたが、私には、非核化交渉には見えませんでした。
当初は、アメリカも、北朝鮮の非核化を話し合うための首脳会談だと言っていたように記憶していますが、途中から、変更があったのでしょうか。
合意文書を読むと、メインテーマは国交正常化であり、ついでに、非核化にも努力しましょうと宣言しているように読めます。これって、北朝鮮が要求していたことだと思っていましたが、アメリカは「忖度」したのでしょうか。それとも、アメリカは、北朝鮮を核保有国と認めたということなのでしょうか。
疑問符ばかりが浮かんでくる、ということは、米朝首脳会談の目的が、北朝鮮の非核化ではなかったということなのでしょう。
もしも、トランプが、深い洞察力を持っていて、北朝鮮の核・ミサイルは、武力による制圧しか選択肢がないことを承知した上で、首脳会談をセレモニーにし、選挙キャンペーンに利用したというのであれば、納得できます。トランプの目的は、アメリカファーストでも、アメリカの国益でもなく、次の大統領選挙での勝利だったのかもしれません。アメリカ国民が納得していますし、政権の支持率も上昇しましたので、キャンペーンは、アメリカ国内的には、大成功だったのでしょう。
もちろん、そんな思慮深さがなかった可能性もありますが、その場合は、国家間交渉を国内選挙の道具として使ったことになり、失敗になる危険があります。
トランプが、英知にあふれ、思慮深さを備え、深い洞察力を持ち、卓越した戦略を持っている大統領であるというイメージを持てないのは、私だけではないと思います。
演出にかなり無理がありましたので、目先の利益だけを考えていたのかもしれません。いや、戦略を立てるほどの時間はなかったと思いますので、単なる思い付きの可能性のほうが大きいと思います。いやいや、政治的判断を、ツイッターで表明するような短絡的な人ですから、やはり、思い付きだったのでしょう。
選挙キャンペーンのメイン・ゲストになってくれた金正恩には、破格のギャラを支払う必要があり、褒めて、褒めて、忖度して、会談のテーマも金正恩の希望するテーマに書き換えて、沢山のお土産を用意したとすれば、「なるほど」と思います。
金正恩のほうが、過剰なサービスに吃驚してしまったのではないかと思います。会談開始の時には固かった金正恩の表情が、次第に満面の笑みに変わっていったのを見ても、アメリカの忖度は、半端ではありませんでした。
アメリカは、世界最強国なのですから、北朝鮮に忖度する必要はありませんし、いつでも、手の平を返すことができるのですから、米朝首脳会談をキャンペーンに利用したって、利用できるものは何でも利用したって、問題はないと思ったのかもしれません。アメリカは、特にトランプは、外交で「アメリカは、何をやってもいいんだ」という姿勢を強めていて、国民を支配する独裁者ではなく、世界の国々を支配する独裁者になりたいと思っているように見えます。トランプは、就任当初から「世界の警察官」は辞めたいと言っていました。それは、警察官から独裁者へ転職したいということのようです。
ただ、「利用できるものは何でも利用する」というやり方は、不動産取引では有効な交渉術かもしれませんが、国際的な交渉でも有効な手段になるとは限りません。
政治ショーだとすると、会談の中身を四の五の言ってみても意味がありません。
会談の内容よりも気になったのは、トランプが、シンガポールでの記者会見で、二言目には「カネ」の話をしたことです。追いつめられると、人間は自分の得意な土俵に戻りたがります。その土俵の上では、つい、本音が出てしまうものです。これまで、「カネ」を稼ぐことに一生を費やしてきたのですから、彼の土俵は「カネ」です。これまでも、トランプの頭の中は「カネ、カネ、カネ」だと書いてきましたが、ここまで「カネ」を強調するとは思いませんでした。彼は、政治家ではなく、やはり、不動産屋だったということなのでしょう。北朝鮮をリゾートシティにし、ホテルやマンションを建設すれば、大儲けできると言っていました。北朝鮮は、不動産という視点から見るべきなんだ、とも言っていました。「おい、おい」と突っ込みを入れたくなります。
少し、記者会見の発言を見てみましょう。
トランプは「金正恩は、国民を愛し、国を良くしようとしている。だから、信頼できるリーダーなのだ。彼は、素晴らしい指導者であり、素晴らしい未来を描き、素晴らしい贈り物を国民に提供しようとしている。だから、この会談は成功する」と熱く語っていましたが、その論理は、現実を無視したこじつけの論理ですから、支離滅裂と言うしかありません。あれだけ「素晴らしい」を連発すれば、知性にも疑問符がつきます。
記者が「金正恩は、自分の家族を殺し、国民を餓死させ、オットーさんを殺した人なのに、どうして、有能だと言えるのですか」と質問しました。
トランプは「実際に、彼は、有能なんだ。あの歳で国を統治しているのだから」と答えましたが、その統治の仕方については答えませんでした。
記者からは、人権問題が何度となく質問されました。でも、会談で人権問題の成果はありませんでした。共同声明にある遺骨の処理については過去に約束した内容の焼き直しにすぎません。北朝鮮の人権問題は、核開発問題に匹敵する問題ですが、トランプは、核問題も、人権問題も、選挙キャンペーンという目的のために、無視してしまったようです。
韓国国民も、金正恩の笑顔にコロリと騙されてしまいましたので、これまで、北朝鮮には関心のなかったアメリカ国民が騙されているのも仕方がないのでしょうが、トランプの金正恩に対する賛辞を、実際に、信用する人が多いことには、とても驚いています。

首脳会談が出来たことが成果だと言う方が多いように思います。しかし、先ずは、双方がスタート地点に立たなければ、前に進まないという意見は、私にはきれい事にしか聞こえません。着地点が無ければ、スタートすることに意味はないと思います。双方が「キレる」ことなく、地道に、前に進めることができるのでしょうか。評価する皆さんの、その評価の大半は期待値で満たされています。現実は、期待通りにならないのが、普通です。特に、当事者が、トランプと金正恩という予測不能なリーダーであり、両者とも「ちゃぶ台返し」の常習者なのですから、期待に添わない結果になるほうが自然です。トランプと金正恩のやってきたことを見る限り、東アジアの有事は解消されたわけではないと思います。その後のトランプの発言を聞くと、その大半が「I think ・・・」「I believe ・・・」「I hope ・・・」という言葉で語られています。これは願望であり、「独りよがり」にすぎません。
日本の安全保障に大きな影響を与えますので、決して、喜ばしい結果ではありませんが、ここは、客観的に現実を把握することが必要だと思います。


北朝鮮は、ほんとに、非核化を実行するのでしょうか。
核兵器を捨てることに、どんなメリットがあるのでしょう。
その答が、見つかりません。
もしも、仮に、ラトビアが、スーダンが、ペルーが、マレーシアが、アメリカに首脳会談を提案して、トランプがシンガポールまで飛んでくるでしょうか。あり得ません。
北朝鮮は、核を持ち、ICBMを持ったから、トランプは、G7を早退してまでシンガポールに飛んで行ったのです。では、北朝鮮の核とICBMが無くなれば、どうなるのでしょう。北朝鮮は、アメリカにとってその他大勢の、アメリカの脅しに屈することしかできない国、の一つになるだけです。そうなった時に、核ミサイルが発射できなければ、金正恩は自分の命を捨てなくてはなりません。イラクのフセインやリビアのカダフィと同じ運命をたどることになります。北朝鮮が、イラクやリビアの真似をするとは思えません。
これまでのアメリカ政権は、同盟国の国民の犠牲も、自国の国民の犠牲と同列に扱っていたために、戦争を回避しましたが、トランプは、朝鮮半島や日本で、何百万人の犠牲が出ても平気だと言っています。アメリカが攻撃されなければ、それでいいのです。トランプ流のアメリカファーストとは、そういうことのようです。日本政府も日本国民も、日米安保を信じ切っていますが、何度も書きますが、日本国民の安全を守るために、アメリカ国民を犠牲にすることはないと思うべきです。これが、普通の感覚だと思います。
もともと、アメリカは、問答無用で武力を使う国なのです。そのことを裏返せば、北朝鮮にとっては、金王朝を守るためには、アメリカが軍事攻撃を躊躇するに足る武器(アメリカ本土を破壊するに足る大量の核ミサイル)が、絶対に必要だということです。そのために、核開発をしたのです。核放棄は、自己否定になるだけではなく、父や祖父を否定することであり、自分の国を否定することです。
金正恩は、そんなことも理解できない馬鹿なのでしょうか。違いますよね。核とミサイルがあるから、アメリカを動かすことが出来ていることを百も承知です。そう考えれば、北朝鮮の核兵器廃絶は、もう、不可能なのです。
交渉さえ続けていれば、核廃棄プログラムを実施しているように見せることが出来れば、アメリカの軍事攻撃は封印できます。ワシントンやニューヨークだけではなく、アメリカの主要都市をすべて焼き払う武器が手に入るまで、アメリカの先制攻撃を延期させればいいのです。北朝鮮は、アメリカの盟友になるつもりは、最初からありません。

逆に、アメリカが、北朝鮮と交渉するメリットは何でしょう。
北朝鮮は、金正恩の時代になってからも、国が秘密裏に人を殺し、国が公開処刑で人を殺し、国が肉親を毒殺し、国が国民を飢え死にさせ、国が多くの人民を収容所送りにし、金一族だけが贅沢をしている、昔ながらの独裁国家なのです。あの中国でさえ、普通の国に見えてしまうほどの独裁国家なのです。
北朝鮮の体制の保障をするということは、そんな独裁国家と国交正常化をし、不可侵条約を結ぶことになり、そんなアメリカに、世界は理解を示すのでしょうか。いや、アメリカ国民が、それを暴挙と判断することはないのでしょうか。
確かに、自由と民主主義という旗は降ろしましたが、アメリカは、悪逆非道の独裁国家を守る国になりたいのでしょうか。
自由と民主主義と人権という価値観を土台に作られていたアメリカは、その価値観を失っても大丈夫なのでしょうか。
アメリカ国民は、精神的な支柱を失い、トランプが作った新しい「自分さえよければ」という価値観を、容認することが出来るのでしょうか。
アメリカ国民は、中国の二番煎じになることをも受け入れてしまうのでしょうか。
疑問だらけです。
私は、アメリカという国そのものが壊れてしまう危険があるように思えて、心配です。
このままであれば、非核化もできない、国交正常化もできない、米朝首脳会談前の状態に戻るだけではなく、目先の利益のために、アメリカが、押しも押されもしない「ならず者」になる可能性もあります。

アメリカの軍事攻撃が永遠になくなったわけではありません。
今の状況は、あくまでも、トランプが自分の都合で作り出した期間限定の平和にすぎません。
アメリカは、簡単に約束を破る国であるだけではなく、トランプは「出たとこ勝負」しか出来ない人です。もちろん、臨機応変な柔軟性のある指導者と見る人もいるでしょうから、私の判断が正しいとは限りません。
しかし、アメリカ国民の性癖が大きく影響するために、トランプとアメリカ国民という組み合わせは、危険が一杯です。
アメリカ人は暴力が好きです。世界で、最も好戦的な国民であると言っても過言ではありません。喧嘩が好きですし、喧嘩に勝つことはもっと好きです。アメリカ社会では、銃も暴力も日常なのです。アメリカ国民の闘争心に火をつけることは簡単なことです。そんなアメリカ人が、「自分さえよければ」大統領を選んでしまったのです。金正恩が、「もう、大丈夫だろう」と思って、平和愛好者という仮面を外して、素顔を見せれば、必ず、どこかで、戦争になるということです。いつか、それも遠くない将来、トランプは「騙された」と言うでしょう。そう言われれば、すぐさま、銃を取る人達ばかりです。世界中が反対したって、アメリカはやります。アメリカは、自分達の失敗を棚に上げて、自分達の強さを誇示するために、簡単に、力を使う習慣も持ち合わせています。

北朝鮮に必要なのは、細心の注意を払った戦術です。
今後、アメリカが、どう動くか。
衝動で動いてしまう今のアメリカ大統領が変わらない限り、すぐにではないとしても、戦争になるという可能性が高いと思いますが、世界の信認を失いつつあるアメリカが、戦争を仕掛ける選択肢を封じられ、北朝鮮を核保有国として黙認する可能性も残されています。
もちろん、戦争にならなければ、北朝鮮の大勝利です。でも、戦争になる確率のほうが高いとすると、北朝鮮にとって最も重要な事は、中国とロシアが、米朝戦争が始まった時に参戦できる条件を作ることであり、韓国が参戦しない条件を作ることです。
最終的には、4ヵ国連合を核にして、中国連合軍を作り、第三次世界大戦でアメリカに勝ち、アメリカを占領下に置くことです。
中国の敵国はアメリカです。
ロシアの敵国もアメリカです。
北朝鮮の敵国もアメリカです。
敵国が同じ、この三国は、今は、暫定的に、味方になってもいいわけです。
両股が好きな韓国が、4ヵ国連合の一角に加わるためには、もう少し時間が必要ですが、韓国国民はどんな判断をするのでしょう。
日本にとっては、韓国が最前線にいてくれたほうが有難いのですが、それを決めるのは韓国政府と韓国国民です。そして、その責任を取るのは、韓国国民です。
北朝鮮は、韓国を追い込み、韓国陸軍が米朝戦争に参戦しないようにしなければなりません。それは、アメリカ兵の犠牲を増やすためには、欠かせない戦術です。アメリカ人は好戦的な人種であると同時に、多大な犠牲には耐えられない人種です。韓国軍兵士を何人殺しても、トランプは痛くも痒くもありません。アメリカ軍兵士を、一人でも多く殺すことです。そのためには、ベトナムと同じことをする必要があります。

それ以前に、北朝鮮にとっての最大の問題は、金正恩の健康です。
太りすぎです。
もし、金正恩が急死したら、誰が指導者になるのでしょう。
妹の金与正が後継者になるのでしょうか。優秀な女性だと言われていますが、北朝鮮社会で女性が権力者になれるのでしょうか。大変、疑問に思います。壮絶な権力闘争が始まり、内部崩壊が起きる可能性のほうが大きいと思います。軍事政権しか考えられませんが、その時、核兵器は、どうなっているでしょう。日本にとっても、今となっては、金正恩の死は大きな影響があります。


明日に続きます。


2018-07-01



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国家運営失敗 [評論]



ベネズエラの経済危機については何度か書きましたが、まだ、好転の兆しはないようです。
2018年5月7日に、ベネズエラ政府が発表した4月のインフレ率は、前年同月比で、13,779%だったそうです。
別の民間の調査ですが、かつての平常経済時の物価を基準とした時のインフレ率は400,000%だという説があります。
こんな数字を見ても、実感が沸きませんので、少し、身近な数字で比較してみます。
日本の場合、日銀が目標としている物価上昇率(実現していませんが)は、年率2%です。
2%のインフレというのは、1年前の物価指数を100とし、それを102%にすることが目標になります。物価が10%も上昇すれば、大事件です。その大事件の時の指数は、110%です。物価が倍になった場合の指数は、200%です。
13,779%のインフレというのは、文字通り桁違いの物価上昇だということです。400,000%なんて数字は、通常の感覚から見れば、天文学的な数字だと言っても過言ではありません。ベネズエラでは、それが現実になっているのです。
もう少し、身近なもので比較してみましょう。
あなたが、10,000,000円の貯金を持っていたとします。
13,779%の場合、10,000,000円が、72,574円になります。
400,000%の場合、10,000,000円は、2,500円になります。
もしも、貯金が百万円しかないとすると、買える米は、1Kgです。1Kgの米で、何日生き延びることができるでしょう。
10Kgが2,500円の米の価格は。
13,779%の場合、344,475円となります。
400,000%の場合、10,000,000円となります。
100円の缶コーヒーの値段は。
13,779%の場合、13,779円となります。
400,000%の場合、400,000円となります。
あなたは、40万円の缶コーヒーを飲みますか。

この数値を見れば、ベネズエラはハイパーインフレの領域に入っているものと思います。
ハイパーインフレで、一番、問題になるのが、食料です。
何度も書きますが、人間は、生き延びるためには、毎日、栄養補給を必要とします。そのためには、食事をしなければなりません。
食料の価格が高騰するだけではなく、食料の供給が極端に減少します。
経済危機に陥った国を紹介する写真では定番になっていますが、ベネズエラでも、スーパーの売り場の棚には、食料品がありません。
悪循環が、インフレを押し上げていくのです。
最近、ベネズエラ政府は妊婦に対して、ベネズエラ通貨で、月額70万ボリバルを支給すると発表したそうですが、この70万ボリバルをドル換算すると、3ドル83セントで、日本円に換算すると、約425円だそうです。母体は2人分の栄養が必要ですが、月額425円でそれが出来るとは思えません。女性は避妊手術を受けようと、病院の順番待ちをしているそうです。妊娠しても、必要な栄養分は手に入りませんし、子供が生まれても、育てられません。ですから、妊娠をしないという選択肢を選んでいるのです。経済危機が今のままで継続することはありませんから、避妊手術を受ける女性が継続的に増えるということもありませんが、もしも、仮に、経済危機が続くとしたら、女性が子供を産むことを拒否し続ければ、ベネズエラは、100年後に消滅することになります。現在のベネズエラで起きていることは、亡国の動きなのです。
貧困率は90%で、子供達は、過去の報道にあったようなアフリカや北朝鮮の痩せ細った幼児と同じ状態にあり、栄養不良で子供達が次々と命を落としているそうです。子供だけではありません。大人も、1日に1食か2食しか食べませんので、体重が去年1年間で11Kg減少したそうです。母親の母乳も出ません。
ベネズエラは、世界最大の石油埋蔵量を持つ豊かな国のはずでしたが、原油生産量は毎年減少しています。それは、食料不足のために、まともに働ける人がいないからだと言われています。職場で倒れる人が続出しています。
難民となって国外へ逃亡した人数は50万人とも100万人とも言われています。ベネズエラは島国ではありませんので、隣国がベネズエラ難民に苦しめられているという話です。

石田の評論には、いつも、予測数値ばかりが出てきますが、ベネズエラの数字は予測数値ではなく、実績値です。
ベネズエラは、選挙制度もある国ですが、この状況は、明らかに、国家運営者の運営ミスだと思います。
ベネズエラは石油大国です。世界最大の埋蔵量があると言われています。一時、原油価格は40ドルにまでなりましたが、今は70ドルまで値を戻しています。産油国は、減産していますが、ベネズエラは特殊事情があるのですから、大幅な増産をして収入を増やせば、そのような国家運営をすれば、国民を救うことは可能なのです。しかし、実際には、産油量は減少しています。ベネズエラ政府には、国民を、国民生活を、守るという意思があるようにはみえません。

さて、ここで、私達が注目しなければならないことは、何でしょう。
ベネズエラの国家運営者の失敗の責任を取っているのは、ベネズエラの国民だという現実です。国民は飢え、子供達は幼い命を差し出すことで、責任を取らされています。
でも、これは、不思議な現象ではありません。
当たり前のことですが、責任を取るのは、責任者です。だとすると、責任を取っていない国家運営者は、責任者ではないということです。国家運営の責任者は、実際に責任を取らされている国民なのです。
いつでも、どこの国でも、最終責任を負わされるのは国民なのです。
この原則には、人類誕生以来、例外がありません。
しかし、誰も、そのことについて、声を出す人はいませんので、国民に認識はなく、ある日突然、不幸が舞い降りたと思っているのです。昔は、「神々の怒りに触れた」と本気で思っていたのかもしれませんが、21世紀の私達も、同じような感覚しか持っていません。
でも、それは、違います。
国家運営者の失敗の責任は、国民が負うことになっているのです。
これは、時代や場所に関係なく、人間社会の大原則なのです。
どうすれば、いいのでしょう。
「神」に頼っても、「お上」に頼っても、私達は救われません。
だったら、責任を負わされる人達が、国民が、その惨事を未然に防ぐしか方法はないのではありませんか。国に対して責任を負っているのは国民です。その国民が責任を果たさなかったのですから、ベネズエラ国民は今回の惨事を受け入れざるをえなかったのです。
ベネズエラの現状は、それを証明しているのだと思います。



日本国民の皆さん。
ほんとに、私達の生活は大丈夫なのですか。
ベネズエラの惨状は、対岸の火事、他人事、なのでしょうか。
ベネズエラは、石油大国です。運営次第では、V字回復も可能な国です。
でも、日本に、石油はありません。
日本の国家運営失敗は、この程度の惨事では終わりません。
国家運営者に好き勝手をさせていれば、ベネズエラよりも悪い状況になるのです。
自分のことは自分で守る。
他に、方法はありません。
・・・・なんて、発言を誰もしません。
それは、日本国民の皆さんが、ベネズエラを他人事だと思っているということです。いや、ベネズエラで起きていることを知らない人が大半です。いやいや、知らないのではなく、知ろうとしないのです。それは、どんなことでも、「俺には関係ねぇ」と言っていれば、自分を誤魔化すことができる国に住んでいるからだと思います。
でも、現実は違うのです。国民の皆さん全員に「関係がある」のです。
これは、「最終責任は、国民が取る」という原則を知らないことによる勘違いです。
この国の、現状を見てみましょう。
私達の国の国家運営者達は、何をしているのでしょう。
国を運営するための国会では、何を議論しているのでしょう。
森友・加計・セクハラです。
なぜ、国家運営者達は、国会で、少子高齢化や借金の増加や戦争という危機の議論をしないのでしょう。国家百年の計を議論しないのでしょう。それこそが、国家運営者の仕事なのではありませんか。
彼等が、国民生活を第一としていないことは、明らかです。
確かに、彼等には、国民に対して責任を取る必要がないのですから、仕方ないのですが、仕事をしているようにはみえません。「国とは」という定義があれば、「国家運営者とは」という定義も生まれていたと思いますが、残念なことです。
それとも。
日本には、神話があるから、大丈夫なのでしょうか。
自分だけは被害者にならないと、勝手に信じていれば、大丈夫なのでしょうか。
「俺には関係ねぇ」という信仰は、皆さんを救ってくれるのでしょうか。
とんでもありません。
大金持ちの国民を除いて、国民全員が、例外なく、被害者になるのです。
あなたは、大金持ちですか。
だったら、そろそろ、海外移住を真剣に検討するべきです。
日本の優良企業と言われ、製薬業界ではトップ企業の武田薬品工業が、約7兆円の資金を投入して、一部では無謀と言われているのに、アイルランド製薬大手のシャイアーを買収しました。人口の激減が確定している日本国内での成長が見込めないために、大博打を仕掛けたのです。企業だって、海外逃亡を始めているのです。
私は、貧乏人です。
身を守る方法は、何一つ、ありません。
ただ、私は老人ですから、致し方ありません。食べるものがなくなるのは辛いことですが、他の選択肢はありませんから、惨事は受け入れるしかありません。
でも、死んでもいい老人以外の皆さんは、苦しみに耐えて生きていかなければなりません。そのほうが、余程、辛いことだと思います。中でも辛いのは、栄養を与えてやれない乳児が痩せ細り、泣く体力を無くし、母親を見つめる「どうして ?」と言う瞳に耐えなければならないことです。
国民の皆さん。
このままで、いいのですか。
しかし。それでも。
「俺には、関係ねぇ」という声が聞こえてきそうです。
「愚か」と言うべきか、「能天気」と言うべきか、「いい人達」と呼ぶべきかわわかりませんが、この曖昧な信仰はどこから生まれるのでしょう。ほんとに、不思議な国です。
もちろん、あなたや私が、個人的に国家運営の方向性を変えることはできません。
しかし、国民という一つの塊になれば、不可能なことではありません。
そのためには。
「知る」ことです。
「声」を出すことです。
「知る」ことだけでも、「声」を出すことだけでも役に立ちません。その二つを同時に実現する必要があるのです。
国会の前で、声を出している人達がいます。
立派な行動です。
でも、的外れな声を出すことに、意味があるのでしょうか。
今だと、「セクハラ反対」という声です。
彼等は、自分にとって何が大切なのかを知りません。
もちろん、セクハラを推奨するつもりはありません。でも、この国の課題はセクハラなのでしょうか。セクハラを無くせば、この国の未来は薔薇色なのでしょうか。違いますよね。少子高齢化や借金の増加や戦争という危機を放置すれば、食料不足で、死んで行く子供達がいるということなのではありませんか。そのことを知らない人が、どれほど大声を出しても、私達の危険は除去されないと思います。
私の目には、彼等が「愚か者」の群れにしか見えません。
彼等が「愚か者」になってしまうのは、野党議員の意識の低さが原因ですが、意識が低いのは野党議員だけではありません。
意識が低いのは政治家であり、「愚かな」政治家を選出している、意識の低い「俺には関係ねぇ」と言っている国民なのです。
「愚か者」の群れから、「愚か者」を選ぶ。これでは変わりようがありません。
選挙制度については何度も書きましたが、私達は、与党議員か野党議員か、どちらかの政治家を選択するしかありません。
政治家の皆さんに、本来の仕事をするよう要求するシステムがないのです。
選挙が終われば、彼等のやりたい放題です。
何が間違っているのでしょう。
選挙制度を、選ばれる側の政治家に作らせることが間違いなのです。
以前に憲法の公募について書きましたが、選挙制度も公募で作るべきなのではないでしょうか。公募は一つの案ですが、「選挙制度を変えろ」と国民が声を出すことで、変わる可能性はあると思います。
国民が意識を高め、意識の高い政治家を選出することでしか、この国は救われません。
そのためには。
どうか、「知って」ください。
そして、「声を出して」ください。
国民が覚醒するしか方法はないのです。
地獄は、目の前にあります。
皆さんは、ベネズエラのようになりたいのですか。
責任を取らされるのは、皆さんなのです。
私達は、少子高齢化や借金の増加や戦争という危機を目の前にしているのです。全部、皆さんに関係があるのです。それだけではなく、地震や津波や火山噴火の自然災害も身近にあると言われています。どれをとっても、皆さんに、直接、関係しているのです。
それでも、きっと、皆さんは「俺には関係ねぇ」と言うのでしょう。
確かに、こんなことを書いている人を、私も知りません。誰も言わないことだから、石田が、間違っていて、愚かで、非常識だということなのでしょうか。
もし、そうであれば、ベネズエラの現状はどう説明したらいいのでしょう。第二次世界大戦での犠牲は、どう説明するのですか。最終的に犠牲になるのは国民なのです。
「俺のことは、放っておいてくれ」というのが本音なのでしょうが、そうも、いかないのです。「国民とは」という定義は、まだ、ありませんが、あなたには、自分に対する責任だけではなく、家族に対する責任もあれば、国民に対する責任もあるのです。
先月も書きましたが、国民には「知る責任」があります。実際に責任を取らされるのは、あなたであり、あなたの家族であり、国民の皆さんなのです。「知らなかった」で済む話ではありません。「知る責任」を「知らなかった」ために最終責任を取らされたとしても、惨事が起きた後で異議を唱えたとしても、後の祭りなのです。未然に防ぐしか方法はありません。
そのことを、ベネズエラの現状が教えてくれています。
しかし、皆さんが、今のように、眠ったままでは、折角のご自分の能力に気付かないままでは、どうすることもできません。
前を走る同胞の尻尾だけを見ながら疾走しているネズミが、崖の先に海があることも知らずに、死の海へ飛び込んでいく様子と変わりがありません。ネズミ達も「何か変だな」と思っているのかもしれませんが、自分達の現実を知る努力はしませんでした。
「愚かな、ネズミどもめ」と言えるのでしょうか。
折角、大きな脳を持って生まれた人間が、ネズミと同じ行動をしていたのでは、宝の持ち腐れになるのではないでしょうか。

先ずは、現状を「知る」ことです。そして、「何か、変だな」と思ったら、その原因を見つけることです。「何か、変だな」なんて思わない、と言う人もいるでしょう。「こんなもんだろう」と言う人もいるでしょう。でも、日本の将来は薔薇色だと思っている人はいませんよね。多くの方が不安を感じています。皆さんが感じているその不安こそ、実は、この「何か、変だな」なのです。
ただ、漠然とした不安は、放置していても、今日明日の生活には影響しません。しかし、ベネズエラのような惨事は未然に防ぐしか方法がないのです。そうであれば、その原因を究明し、将来を予測しなければなりません。
人間は、想像力という素晴らしい能力を持っています。将来を予測することなんて、その気になりさえすれば、誰にでもできる、簡単なことです。何度も書きますが、ベネズエラのような惨事を防ぐ方法は、未然に防ぐ方法しかないとすると、私達には、想像力を使うという選択肢しか残されていないのではありませんか。
惨事を未然に防ぐ仕事は、本来は、国家運営者の仕事ですが、国家運営者がその仕事をしていない場合は、何とかしなければなりません。それが、国民の仕事であり、国民一人一人の皆さんの仕事なのです。
もう、いい加減、そろそろ、この国も民主国家にならなければなりません。
封建国家であれば、民は権力者に従うしか選択肢はありませんでした。でも、民主国家であれば、国民が国家運営の方針に異議を唱えることができるのです。民主主義の利点は、そこにしかありません。
民主主義国家では、「主権は国民にあり」と言われます。言葉を変えれば「責任者は国民の皆さんですよ」という意味です。そうです、あなたが、そして、お隣にいるあなたが、責任者なのです。「下々」が「お上」のやることに口を挟むのは不敬であるという考えが、未だに、続いています。確かに、「逃げ」の口実としては強力なものがありますが、それは、「逃げ切れる」という条件が満たされた時だけ成り立つ口実です。
封建国家の権力者であろうと、民主国家での国家運営者であろうと、彼等は責任を取りません。それは、彼等には責任を取る能力がないからです。唯一、責任能力を持っているのは、民であり、国民なのです。
私達は、封建時代から続く、過去の延長線上でしか考えていないのではないでしょうか。日本全体が疲弊し衰退しているのは、その発想に原因があると思います。私達は、発想の転換を求められているのだと思います。政治、経済、社会、スポーツまで、余りにも過去に縛られすぎているように見えます。スポーツの現場まで、毒が回っています。日大アメフト事件での、学校側の対応が、そのことを象徴しているようで、大変残念です。自己保身、組織防衛は、あらゆる分野で最優先事項となってしまいました。70年前に始まった攻めの姿勢は失われています。このままでは、いつか、自滅する日がやって来ると思わないのでしょうか。
発想の転換をしてみませんか。
民主国家での国家運営者という集団は、封建時代の権力者と違い、国民が、国家運営という仕事を委託している外注先だと考える必要があるのではないでしょうか。実際に、国家運営者はボランティアで仕事をしているわけではありません。私達は、税金という名の外注費を支払っているのです。
あなたが会社経営をしていたとして、あなたは、仕事をしない外注先にでも、外注費を支払いますか。不良品ばかりを納入する業者に、費用を支払いますか。その上、あなたには、外注先を指導することも出来ません。外注先の好き勝手に翻弄されているのに、それでも、外注費だけは支払い続ける。これ、「何か、変」じゃないですか。
今の外注先が仕事をしないのであれば、何としてでも、別の外注先を見つけなくてはなりません。そんな外注先が無いのであれば、惨事を未然に防いでくれる外注先を国民が作るしかないのです。そのためには、国民が声を出すしかありません。
背に腹は代えられないのです。
どうして、こんな簡単な理屈が無視されるのか、どうして、誰も語らないのか、私には理解できません。
やはり、理屈では「俺には関係ねぇ」という信仰に勝てないのでしょうか。
日光東照宮の三匹の猿を信仰するのは、決して、皆さんの利益にはならないと思うのですが、違うのでしょうか。あの三匹の猿も、きっと、「俺には関係ねぇ」と思っているのでしょう。歴史と伝統に守られた信仰には、ほんとに、強い力があるのでしょうか。
最後は「あちゃー」と言うしかないのではありませんか。
不思議な国です。
もしも、日本がベネズエラ状態になった時、国民の皆さんは、平然と、他人に、国家運営者に、責任を転嫁するでしょう。ベネズエラ国民も、文句タラタラです。でも、それでは、何も解決しません。責任は、皆さんにあるのです。この国の責任者は、この国の国民である、あなたなのです。


2018-06-03



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平和愛好者 2 [評論]



これまで、国際世論がアメリカバッシングに傾いたことはありません。
しかし、風向きは変わってきています。
アメリカは、同盟国相手にでも、アメリカファーストを押し付けています。
NATOの経費を、もっと負担しろ。NAFTAもご破算だ。パリ協定も脱退する。EUとの貿易戦争も辞さない。そして、今度は、イラン核合意からの脱退を表明しました。外交面でのトランプの仕事は破壊することばかりでした。
オバマ時代に、イラン核合意が成立した後、欧州各国は、競争するようにイランとの商売を始めました。その核合意を、アメリカだけが勝手に脱退したのです。しかし、アメリカは、ただ、脱退しただけではありません。イランに経済制裁をすると宣言したのです。イランに対する経済制裁は、イランと取引をする国にも及びます。イランに進出していた欧州企業はイランからの撤退を余儀なくされるかもしれません。イランとの取引が大きい中国とロシアが、どう対応するのかわかりませんが、ドイツやフランスは、中国やロシアの仲間に入ってイランとの取引を続けるのでしょうか。
欧州の同盟国は、いいかげん、うんざりしています。
そんな時に、米朝首脳会談後、正義のない屁理屈だけで、アメリカが北朝鮮を攻撃した時、同盟国の理解が得られるのでしょうか。
北朝鮮を攻撃するということは、今や、中国と戦争を始めるということです。中国と戦争をするということは世界大戦を始めることになります。そうなった時に、西側諸国が一枚岩になれるのでしょうか。韓国が米韓同盟を維持するのでしょうか。いや、それよりも、世界経済が大打撃を受けますが、どうするのでしょう。
韓国が、米韓同盟を破棄するかどうかは別にして、韓国は、間違いなく、アメリカの軍事行動には反対します。北朝鮮と戦争する場合には、陸上部隊の働きが不可欠です。アメリカは、空軍と海軍は投入するでしょうが、海兵隊や陸軍は投入しないと思います。それは、犠牲が大きいからです。アメリカ軍兵士を犠牲にするわけにはいきません。アメリカ海兵隊とアメリカ陸軍の代わりに、韓国軍を使う作戦だと思います。では、韓国は、その作戦を支持するのでしょうか。私は、大変疑問だと思います。韓国軍の最高指揮官は文在寅大統領です。文在寅が首を縦に振らない場合は、自前の陸軍と海兵隊を使ってでも戦争を始めるのでしょうか。その時、どんな大義を掲げるのでしょうか。韓国が参戦しない戦争は、第二次朝鮮戦争ではありません。アメリカがテロ攻撃を受けたわけでもありません。どうみても、米朝戦争という侵略戦争になります。しかも、簡単に決着がつくとも思えません。イラクで出来たのだから、北朝鮮でも出来るだろうと考えるかもしれませんが、ベトナムの教訓はどうするのでしょう。北朝鮮との戦争は、背後に中国人民軍がいるのですから、ベトナム戦争に近いと思います。
辺境の地と呼ばれる北東アジアにある北朝鮮の核を封じ込めるために、世界経済を犠牲にして、世界大戦を始めるアメリカの独断に、アメリカの西側同盟国は、日本を除いて、賛成をすることはないのではないでしょうか。現に、イスラエルのアメリカ大使館移転式典に出席した西側の主要同盟国は一国もありませんでした。
客観的に、そして、現実的に見れば、米朝戦争の開戦には無理があります。さらに言えば、第三次世界大戦の火ぶたを切る力も、今のアメリカには、ないように見えます。世界経済の縮小は、アメリカにも大きく影響します。でも、問題は、そのことをトランプが理解しているかどうか、です。
トランプという人は、それが選挙の票に結び付くのであれば、それがどのような材料であっても、それが戦争であっても、躊躇しない人だと思います。トランプの頭の中は、次の大統領選挙のことで一杯だと思います。国際問題は、国内問題、特に、選挙に有利に働くことが条件です。他国が、どうなっても、構いません。何をするかわからない人ですから、とても危険です。
北朝鮮との関係が、昔の口喧嘩に戻ったとしても、勝手に激高して、戦争を始めてしまうかもしれません。
もっとも、首脳会談をやっても、自分の得点にならない場合は怒り狂うことになりますから、軍事力を使うかもしれません。
どんな状況であっても、トランプが大統領である限り、危険があります。だとすると、危険を増やすための米朝首脳会談は、やるべきではありません。
戦争を始めるかどうかは、マティス国防長官がトランプを説得できるかどうにかかっています。しかし、その可能性は、決して高くはないと思います。独裁者になってしまったトランプという人の気まぐれで戦争が始まるとすると、迷惑な話ですが、どうすることも出来ません。
ただ、これは願望に過ぎないのかもしれませんが、トランプ主導で世界大戦が始まるとは思えません。交渉カードとして、チョロチョロとした軍事力行使はするかもしれませんが、トランプに第三次世界大戦を始めるだけの度胸はないと思います。そこまで馬鹿だとは思いたくありません。
トランプという人物を前提にして考えてみると、トランプを満足させる、票に結び付く結果が得られる会談なんて、できそうにもありませんので、米朝首脳会談には意味がないということになります。

少し、横道に逸れますが、アメリカの強さの源泉はどこにあるのでしょう。
経済規模では世界一ですし、軍事力でも世界一です。ですから、間違いなく、アメリカは大国です。でも、それだけで超大国になれるのでしょうか。これは、私の個人的な見解にすぎませんが、世界の主要国との同盟関係とドルの存在が、普通の大国を超大国にしている理由だと思います。しかし、西側諸国と呼ばれてきた国々との関係には亀裂が入り始めています。これで、ドルが基軸通貨の地位を失えば、超大国は、普通の大国になる可能性があります。ビットコインは投機の対象になったために安定性が失われていますが、ブロックチェーン技術は通貨を変えてしまう可能性を持っていると言われています。安定した交換機能を持つ世界標準の通貨に代わる新しいシステムが生まれれば、ドルの地位は、アメリカ国内で流通する普通の通貨という地位になります。世界の国々は、ドルがなくても、貿易の決済や資金の移動ができるのです。そうなると、アメリカ以外の国は、アメリカの経済制裁に脅される立場ではなくなります。技術的には可能だと言われていますので、誰が、いつ、それを実現するのかが将来を決めます。世界を敵に回し、アメリカが孤立すれば、そんな時代がやってくると思います。ドルが基軸通貨ではなくなることでやって来る変化は、アメリカを超大国から大国へと変えるだけではなく、その落差が激震となり、世界秩序を根本から変えてしまうのではないかと思っています。トランプ政権は、最後の悪あがきのスタートボタンを押してしまったのかもしれません。
日本だけではなく、世界も、今、時代の曲がり角にあるのではないでしょうか。

他に選択肢はないのでしょうか。
いいえ、簡単な方法があります。
北朝鮮を核保有国と認め、朝鮮戦争を終結させ、北朝鮮と平和条約を結び、在韓米軍と在日米軍を撤退させればいいのです。そうすれば、核廃棄プログラムの必要はありませんし、核査察も不要です。韓国や日本に駐留していた軍隊の経費も不要になります。「駐留経費を、もっと出せ」と韓国や日本を脅す必要もありません。人殺しをしなくて済みますし、アメリカ国民を戦死させることもありません。おまけに、中国から感謝状も貰えます。いいこと尽くしです。北朝鮮は、そんな素敵な提案をしてくれているのです。もしかしたら、ノーベル平和賞だって夢ではなくなるかもしれません。
これまでのアメリカは、たとえ建前に過ぎないとしても、自由と民主主義のために戦ってきましたが、アメリカファーストなのですから、自由や民主主義のために戦う必要は、もう、ないのです。もちろん、北朝鮮から攻撃を受けたら反撃をする体制は必要です。それさえあれば、抑止力が働き、アメリカ本土が攻撃されることはないと思います。
ほんの少しだけ、プライドや感情を犠牲にすれば、平和が手に入るのですから、悪い選択肢ではないと思います。
そのための首脳会談であれば、会談をする意味はあります。
確かに、そんなことになれば、日本は窮地に立たされますが、それは日本の問題であり、アメリカは自国ファーストなのですから、気にすることはありません。国際関係では「自分さえよければ」は認められるのです。



さて、目まぐるしく変化する時代の中で、私達は何をしなければならないのでしょう。
核開発、核保有、核拡散は、既に、時代の趨勢になっています。
世界大戦の危険は近づいています。
そんな時代に、日米安保に頼り切りの状態で、日本の安全は担保できるのでしょうか。
日本人は、いつまで、眠っているつもりなのでしょうか。
アメリカは、いつでも、日本から手を引くことができます。
今のアメリカは、「自分さえよければ」に邁進しています。それは、アメリカの力を削ぐことになります。トランプ政権が終わっても、衰退に向かったトレンドは簡単には戻りません。世界は群雄割拠の時代に入るのです。積極的に手を引かなくても、手を引かざるを得ない状況が生まれます。そういう時代の幕をトランプが開けたのです。
アメリカは、NAFTAでも、パリ協定でも、TPPでも、イラン核合意でも、自分の都合だけで手を引く国なのです。日米同盟だけは、大丈夫だという根拠はどこにあるのでしょう。
随分前に、日米安保に未来はないと書き、読んだ方はヨタ話だと思ったことでしょう。そして、また、同じことを書いていますが、誰も信用しないでしょう。でも、その日は、必ず、来ます。日米安保は過去の遺物です。どこかで消えるものです。
北朝鮮が、核保有国になったという事実は、もう、否定できません。
核開発とミサイル開発をしなければならないのは、日本なのだと思います。
自分の国は自分で守るという大原則を無視していては、国民を守れません。
自分の力で、抑止力を持つことでしか、国民は守れないのです。
もちろん、日米安保が不要だという意味ではありません。自前の抑止力では足りない部分を補うための軍事同盟は必要です。しかし、それは、あくまでも、補完のためです。日米安保という土台の上に、安全保障という家を建てるという発想では、国民を守れません。
自力の抑止力を持っていなければ、アメリカが手を引けば、戦争に巻き込まれます。
仮に、アメリカが手を引かないとしても、アメリカから無理難題を押し付けられた時に、日本が日米安保を破棄する選択肢を持っていなければ、戦争に巻き込まれます。国民生活が第一であれば、戦争に巻き込まれることは、何としても、避けねばなりません。
最初に、日本がやらなければならないのは、安全保障の議論です。それも、建前ではなく、本音での議論です。願望に基づいた議論ではなく、もちろん、お花畑の議論ではなく、実現可能な議論です。
地震による被害想定は公開され、国民がいつでも見ることが出来ます。驚くような被害が想定されていますが、国民はパニックにはなっていません。
地震の被害想定と同じような、戦争による被害想定を公開し、国民に安全保障の必要性を知らせることが必要です。軍事機密は公表できないという言い訳で、国民を無知状態に追い込み、「なし崩し方式」で自衛隊を憲法に書き込むという詐欺のようなことをやっていたのでは、結果的に国民が被害にあうのです。確かに、軍事機密を公開するなんてことは前代未聞なのでしょうが、日本の場合は、他に方法がありません。なぜなら、国民は、眠ったままだからです。先ずは、国民を目覚めさせなければなりません。
しかし。
戦争をするために、安全保障の議論をするのではありません。
戦争をするために、核開発をするのではありません。
どちらも、戦争をしないためです。
そのためには、現実を、世界の現実を、直視しなければなりません。
議論のための議論をして自己満足を得るのではなく、本気で国民を守るための議論が求められているのだと思います。ここでも、必要になるのは「国とは」「国民とは」という定義なのではないかと思います。



米朝首脳会談が不透明になったことを受け、北朝鮮に提案をしておきます。
ただし、私は、金正恩は最悪の指導者だと思っていますし、北朝鮮ファンでもありませんので、北朝鮮が勝利することを願っているわけではありません。これは、単なる、岡目八目です。
これまでの戦略は、見事に、うまくいきました。
会談が中止になれば、大勝利にはなりませんが、決して、負けたわけではありません。
アメリカを右往左往させた分だけ北朝鮮の勝利だと考えれば、この作戦は有効だったと思います。
しかし、これからの作戦が大事です。
アメリカは、戦術面での思い付きや、あの手この手は繰り出してきますが、戦略面で脅威になるとは思えません。ここは、どっしりと構えるべきでしょう。
トランプの口喧嘩に反応したくなるでしょうが、折角、手にした、平和愛好者という仮面を無駄にせずに、平和愛好者という演出を続けるべきだと思います。
自作の核廃棄プログラムを発表し、それを、履行すると口約束することです。「私達は、平和を望んでいます。核廃棄も実行していきます」と言い続けることです。
なに、裏で何をやっても構いません。
韓国軍を動かさないためにも、南北対話を続けましょう。
中国との関係も、ロシアとの関係も大事です。
アメリカと戦うためには、4ヵ国(中・ロ・南・北)連合を作り出すことが必須です。4ヵ国の利害は一致しますので、不可能なことではありません。
北朝鮮軍の弱点は、海軍力と空軍力です。
韓国と、平和条約を結び、韓国の脅威を取り除き、アメリカの海軍と空軍に対応しなければなりません。対空防衛力と対艦防衛力が必要です。だからと言って、空母やイージス艦を持つ必要はありません。必要になるのは、レーダー技術とミサイル誘導システムとドローン兵器ですから、中国とロシアの協力を得なければなりません。
アメリカは、全面戦争には踏み切れません。トランプ政権に戦略が不足しているとは言え、そんな暴挙はできないと思います。それは、世界経済の繁栄がなければ、アメリカが生きていけないことを、トランプ以外の人は承知しているからです。
巡航ミサイルが撃ち込まれることはあるでしょうが、4ヵ国(中・ロ・南・北)連合が出来るまでは無視しなければなりません。アメリカの空母やイージス艦を沈める技術は中国にあります。技術移転が出来ないのであれば、中国軍の駐留を認めることです。単独でアメリカと戦争をしても勝てませんので、米中代理戦争をする覚悟も必要だと思います。
北朝鮮には選挙制度がありませんが、民主国家には、厄介な選挙制度があります。アメリカの指導者は、選挙を無視できません。戦争を始める時には、なぜか、いつも、賛成してくれるアメリカ国民ですが、彼等は自分達が時代に遅れていることに気付いていません。しかし、どこかで気付きます。アメリカ大統領は、戦争が選挙を有利にすると信じているかもしれませんが、そうなるとは限りません。最近のアメリカ国民を見ていると、とても、勘違いが多いように見えます。アメリカ国民の思考は、過去の栄光から抜け出せていません。まだ、アメリカ軍は、全世界の軍隊が束になってやってきても勝てる、世界最強軍だと信じています。北朝鮮なんて子指一本で勝てると思っています。4ヵ国(中・ロ・南・北)連合相手でも勝てると思い込んでいます。しかし、そんなこと、実際にやってみなくてはわかりませんし、そのことに気付く日は必ず来ます。
時代は、もう、アメリカの時代ではありません。
G7が発足した頃は、G7が繁栄の象徴に見えましたが、今は、G7が衰退の象徴になろうとしています。時代は動き続けるものなのです。
ずるずると時間を使い、アメリカの衰退を待っていればいいのです。アメリカの衰退は、トランプ政権が加速させてくれます。
一方で、経済大改革を実行し、経済的な力を付けなくてはなりません。韓国も中国もロシアも協力してくれると思います。社会主義国でも、経済大国になれることを中国が証明してくれました。北朝鮮だって、経済繁栄は可能なのです。
日本は、アメリカのポチですから、日本との平和条約締結は難しいと思いますが、提案だけはしておくべきでしょう。
これまでのように、脅し文句を言うのではなく、平和愛好者という仮面を脱がずに、「平和、平和」と連呼し続けることが北朝鮮の生命線になると思います。日本には、お花畑理論というものがあります。その理論は役に立ちませんが、「平和、平和」という行動は参考になると思います。平和愛好者を演じ続ければ、北朝鮮の前途は明るいと思います。


2018-06-02



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平和愛好者 1 [評論]



5月25日。
アメリカが、米朝首脳会談を取りやめる書簡を北朝鮮に送った、という報道がありました。
賢明な判断だと思います。
この「平和愛好者」という文章を書いたのは、米朝首脳会談をすること自体がアメリカの利益にはならないという理由で、会談のキャンセルを提案するものでしたので、その目的は達成したことになり、必要なくなりましたが、また、ころりと態度が変わる可能性がないとは言えませんので、このまま、載せることにしました。
・・・と書いた翌日、トランプは「会談を、前向きに、検討する」と言い始めました。
次は、「やっぱ、中止するわ」と言うかもしれません。
これを、交渉術だと言う方がいますが、私には、戦略の無さに見えます。
それでも、米朝首脳会談は中止することを、強くお勧めします。


以前の文章は、次の通りです。

米朝首脳会談の日程と場所が決まったという報道がありました。
6月12日、シンガポールでの開催になるそうです。
世界中が、特に、韓国とアメリカが前のめりになっていますが、今こそ、冷静になる時だと思います。
北朝鮮国民にとっては、悪魔か鬼のような存在である金正恩が、ある日突然、急転直下、「平和愛好者」になったのでしょうか。
そして、もっと重要な観点は、金正恩が提案した首脳会談は、北朝鮮が白旗を挙げたシグナルだと受け取っていいのでしょうか。
そこに、何か、勘違いがあるように見えてなりません。
今日は、金正恩の本音を、石田流の独断と偏見で、探ってみたいと思います。いつものように、マスコミや識者の論調とは一致しません。眉に唾をつけてください。

今日は5月16日ですが、アメリカは、米朝首脳会談を、まだ、やるつもりのようです。
私は、そのことが、不思議でなりません。
アメリカは、いや、トランプは、何を得ようとしているのでしょう。
アメリカが、北朝鮮から、アジアから、手を引くのであれば、首脳会談には意味があります。でも、アメリカがアジアから手を引くとは思えません。
私が提案をしても、何の意味もありませんが、事前交渉でアメリカの要求が受け入れられない場合は、間違いなく受け入れられないと思いますが、6月11日までに、会談のキャンセルをするべきだと思います。
ま、トランプは派手な展開が好きですから、会談をやって、途中で席を蹴るという選択肢もありますが、国家間交渉を趣味でやるのは、決して褒められる行動ではありませんし、利益もありません。勝算がないまま、恥をかくために、シンガポールまで行く必要はないと思います。それは、会談の結果や中身がどのようなものであっても、アメリカに利益はないと思うからです。
首脳会談が、アメリカの利益になるシナリオが二つあります。
A案は、北朝鮮が、アメリカの要求をすべて受け入れ、先の大戦後に、アメリカに占領され、その後、従順なポチになった日本のようになることです。
B案は、北朝鮮がアメリカの要求を100%受け入れ、アメリカ主導で内戦状態が作られ、軍事力も経済力も国家統治力も失った状態になり、最後には金正恩が殺されることです。そうです、話題になっているリビア方式です。
どちらのシナリオでも、北朝鮮が、アメリカの要求を100%受け入れる必要があります。しかし、北朝鮮は敗戦国ではありません。平時の交渉で、そんな結果が得られるのでしょうか。日本やリビアで起きたことは、異例中の異例だと考えるべきなのではないでしょうか。
A案は、既に、破綻しています。
余程の好条件がない限り、小国は自力で世界と渡り合えないのですから、大国との友好関係や大国の庇護が必要です。北朝鮮も、アメリカと中国のどちらを選ぶのか、を決断しなくてはなりませんでした。もしも、金正恩がアメリカを選ぶのであれば、中国との会談は必要ありませんでした。しかし、金正恩は、中国と密接な関係を持ちたいと願い、プライドを捨てて北京に行ったのです。それは、アメリカのポチになるつもりはないという意思表示です。北朝鮮が第二の日本になることはありません。
B案は、大変危険です。
もしも、万が一、北朝鮮が核を隠し持ったまま、内戦状態になれば、現状よりもはるかに危険な状態になります。リビア状態になるのではなく、やけくそになった北朝鮮から、アメリカに核ミサイルが飛んでくる確率は飛躍的に上がります。
つまり。
アメリカが満足する二つのシナリオは、実現性に欠けますし、危険を増殖させます。
では、二つのシナリオ以外の結果を予測してみます。
アメリカが、大きく譲歩した場合は、非核化は実現しませんから、会談そのものが不要であったことになり、アメリカに利益はありません。
会談が決裂した場合、金正恩は「平和愛好者」を演じるだけですから、アメリカが何らかの行動を起こせば、「ならず者」とみなされるだけで、アメリカの立場は、会談前よりも悪くなるのですから、これも利益はありません。
どう転んでも、アメリカにメリットはないのです。

そもそも、アメリカが北朝鮮に非核化を要求する正義はありません。
アメリカが、北朝鮮を危険な国だと思うことは自由ですが、だからと言って、そこに正義があるわけではありません。なぜなら、既に、インドやパキスタやイスラエルが核兵器を持っているのですから、北朝鮮の核だけは認められないというのは、単なる「言いがかり」にすぎないのです。つまり、北朝鮮に非核化を求める国際的な大義はありません。もちろん、国内的には、自国防衛という大義がありますが、同じように、自国防衛という大義なら北朝鮮も持っています。自国の自衛権は主張するけど、他国の自衛権は認めないというやり方にも正義はありません。
北朝鮮への非核化要求は、大国によるゴリ押しに過ぎないのです。
もちろん、大国によるゴリ押しは世界の常識なのですから、それを批判しても意味がありません。ただ、「正義は我にあり」という顔をするのは違うと思います。
大国と、小国が、公平で、平等で、正義に満ちた会談をすることなどありません。
「力関係を認めろ」と恫喝するほうが正直なやり方なのではないでしょうか。
リビアはその成功例ですが、カダフィーと金正恩を同一視するのは間違っていると思います。カダフィーは紛れもなく老人ですが、金正恩は、まだ青年です。老人と青年の差は、安全を求めるか冒険を求めるかにあります。カダフィーは「ごめんなさい」と言いましたが、金正恩は「ごめんなさい」と言っているわけではありません。「交渉しましょう」と言っているのです。この違いは大きいと思います。
金正恩は、白旗を挙げたのでしょうか。そのようには見えません。アメリカが、勝手に、都合よく、白旗だと思いたかっただけなのではないでしょうか。
アメリカがやっているのは、ゴリ押しなのですから、助平根性を出さずに、会談などせずに、力に物を言わせ、本物の白旗を挙げるまで、本気の圧力を続ける必要があったのではないでしょうか。戦争が必要であれば、戦争をするしかなかったのです。そのためには、アメリカ国内の世論を盛り上げる必要がありました。ところが、北朝鮮とは口喧嘩をするだけで、中国に手を出し、シリアに手を出し、イスラエルに手を出し、イランに手を出し、世界中に手を出し、いや、口を出し、国民の目を分散させてしまいました。戦争前夜の演出を全くしなかったのです。口先ばかりで、アメリカには戦争をする意思がなかったということです。アメリカ国民が、自分達の生活を犠牲にしてでも、北朝鮮の危険に対峙することのほうが大事だと感じ、アメリカ世論が北朝鮮問題一色になり、日本と韓国に在住するアメリカ人の退避が始まっていれば、金正恩はこんな賭けには出なかったのではないかと思います。
もっとも、トランプは不動産屋さんですから、出来る限り多くの手を打ち、より多くの金儲けが目的だったのでしょうが、イデオロギーや宗教や民族意識や国家体制は、商業ルールだけで割り切れるものではありません。
なぜ、中途半端な状態で、会談に応じたのか、よくわかりません。いや、戦争をしたくないという弱気から、会談に応じたのでしょうが、それが事態を悪くしてしまいました。
中国であれば、問答無用で、ゴリ押しをしていたと思います。

事前協議が行われています。
アメリカは、リビアを念頭に、「完全で」「検証可能で」「不可逆的な」「核放棄」を求めています。一方、北朝鮮は、段階的な核廃棄方式を主張し、その段階ごとに行動対行動で進めていきたいと言っています。北朝鮮が望むプログラムは、「不完全で」「検証不能で」「いつでも手の平を返すことが出来る」「核の温存」です。その隔たりは大きすぎます。
アメリカの要求する「完全で」「検証可能で」「不可逆的な」という条件は、どれ一つとっても大変難しい条件ですが、三つの条件が、全て、完璧に、成り立つ必要があります。どれ一つ欠かすことが出来ないだけではなく、全てに完璧が求められるのです。少しでも妥協すれば、北朝鮮の非核化は成功しません。こんな離れ業ができるのでしょうか。
アメリカは、1年単位の短期的核放棄を要求し、北朝鮮は、10年単位の核放棄を主張しているのです。しかも、リビア方式は、査察をアメリカがするのです。現状の規則のままであれば、IAEAが査察することは難しいそうです。仮に、超法規的に、IAEAが査察することになっても、そこにはアメリカ側の人間が多く含まれることになります。アメリカが取り除きたいのは核だけではありません。本当に排除したいのは、ICBMとミサイル技術です。査察団と称して北朝鮮に入国するのは、核の専門家だけとは限りません。北朝鮮には、核施設以外にも、アメリカに見せたくないものが山のようにあると思います。
しかも、アメリカが要求しているのは特別査察です。この特別査察というのは、無条件査察のことです。いつでも、どこでも、自由に立ち入り、査察が出来るのです。もちろん、この特別査察がなければ、実効性のある査察は出来ませんから、アメリカが要求するのは当然です。しかし、北朝鮮は、敗戦国でもなく、被占領国でもありません。主権国家が、他国に「自由に、どうぞ」なんて言うのでしょうか。北朝鮮は、査察団がIAEAという名称を掲げていたとしても、アメリカの息のかかった無条件査察が可能な査察団を全面的に受け入れることはないと思います。
北朝鮮が主張する核廃棄プログラムは、時間稼ぎが目的であり、時間稼ぎを可能とする「段階的な」という部分が本音だと思います。「行動対行動」という部分は、それほど意味を持っていません。「核を放棄しますから、制裁を緩めてくださいね」という、いかにも、アメリカの圧力に屈服したような言い方は、単なる餌にすぎません。トランプは「奴らは、俺の圧力に屈したのだ」と自慢しています。そのトランプへの餌です。
経済援助は、既に、中国や韓国と約束済みですから、国連の経済制裁やアメリカや日本の経済制裁は大きな意味を持っていません。もともと、貧乏な国ですから、耐えることには慣れています。北朝鮮は、時間稼ぎができれば、成功なのです。10年20年というスパンで考えれば、アメリカの力は、衰退していくのです。それは、中国の利益にもなります。焦る必要はありません。
会談さえできれば、北朝鮮の勝利です。
交渉をすることが目的であり、結論を出すことが目的ではありません。
だからこそ、金正恩のほうから首脳会談を申し込んだのです。
なぜ、その戦略が読めないのか、不思議でなりません。
会談が決裂しても、決裂させたのはアメリカだと世界に訴え、金正恩は「私は、平和を求めている」と言い続けることが出来ます。それは、国際世論を味方につけることができるということです。もちろん、世界では力の強いものが勝つことになっていますが、単なる暴力は批判されます。中国は、先頭に立って、アメリカの暴力を批判し、正義の味方として参戦することができます。そのために、金正恩は北京に行ったのです。
もしも、アメリカが、北朝鮮の核を無力化したいのであれば、こんな状態になる前の武力攻撃という選択肢しかなかったのです。確かに、武力攻撃は暴挙です。でも、アメリカは、これまで、数々の暴挙をやってきました。しかし、トランプは、商売にしてしまいました。

北朝鮮が、何十年という時間と、莫大な資金をかけ、苦労に苦労を重ねて築き上げた核抑止力を、交渉によって、簡単に捨てると考えてしまったのは、なぜなのでしょうか。
それは、アメリカが、そう願っていたからだと思います。人間は、自分にとって都合の良いシナリオを書きたくなるものなのです。
金正恩の誘いに乗ってしまったということは、行き詰っていたのはアメリカのほうだったのではないでしょうか。トランプは勇ましいことを言っていましたが、身動きが取れなかったのはトランプであり、金正恩の提案に飛びついてしまったのも、トランプです。
トランプは、経済制裁と軍事圧力で窮地に立った北朝鮮が、制裁の解除と体制の保証を懇願していると信じているように見えますが、果たして、そうなのでしょうか。アメリカは、北朝鮮が核を放棄すれば体制の保証をする、と意味不明なことを言っています。しかし、アメリカに北朝鮮の体制を保証する力はありません。そもそも、他国の体制を保証できる国など存在していませんし、約束破りの常習者であるトランプの約束に意味があるとも思えません。もしも、北朝鮮の体制の保証を出来る国があるとすれば、そんな国は存在していませんが、無理にでも存在すると仮定すれば、同じ社会主義国である中国だけだと思います。いや、多分、中国でも無理でしょう。ここまでくると、もう、言葉遊びです。そして、言葉遊びは、北朝鮮が望むところです。体制の保証をする、実現可能な具体案は、どこにもないとすると、自分に都合の良い体制を自分で保証をするために開発した核は放棄できないのではありませんか。これは、北朝鮮が一貫して主張していることです。会談の落し所は「継続協議」しかなく、それが北朝鮮の狙いなのではないかと思います。
会談をやる前であれば、まだ、武力攻撃をするための理屈をつけることができますが、会談をしてしまえば、屁理屈しか残りません。しかも、「お助けください。平和をください」と言っている「平和愛好者」という仮面を被った相手を攻撃するのは至難の業です。アメリカは、アメリカ人の大好物である「正義のスーパーヒーロー」になれないだけではなく、中国に「正義のスーパーヒーロー」をバクられます。中国は、パクリの達人なのです。中国は、今でも、平然と、「我が国こそが自由貿易の旗手」だと言っています。アメリカは、反論もできません。

アメリカが、むきになって北朝鮮の核を無力化したいのは、北朝鮮がICBMを開発したからです。日本が核攻撃を受けることには無関心でしたが、今度は、アメリカも被害に遭うかもしれないのです。ビビっているのは、アメリカのほうなのではないでしょうか。民主国家では国民世論が大きな力を持っています。もしも、核攻撃を受ければ、アメリカ市民に犠牲が出れば、政権は崩壊しますし、最悪の大統領として歴史に名を残します。「自分さえよければ」の「自分」に被害が及ぶのですから、アメリカはハードルを高くせざるをえません。アメリカの要求は、核兵器を含む大量破壊兵器の全廃であり、その兵器を運搬するミサイルの廃棄を含む一切合切の廃棄です。核実験のデータの廃棄や核開発に関係した技術者の国外退去も求めています。これは、戦争終結後に行われる武装解除と同じです。戦争での決着がつく前に、武装解除なんて出来るものなのでしょうか。
さらに、核兵器の廃棄よりも、ミサイルの廃棄のほうが検証が難しいのです。核兵器を作るためには、原子炉を稼働させ、核物質を作らなければなりません。原子炉の移動なんて出来ませんが、ミサイルの製造はトンネルの奥でも出来ますし、ミサイル製造工場の移転も可能です。それを、どうやって、検証するのでしょうか。
また、北朝鮮が、核兵器を含む大量破壊兵器を何発持っているのかなんて、どこの国も知りません。仮に100発の核弾頭を持っていたとして、30発を申告したとすれば、70発の核弾頭は無傷で残ります。アメリカには、核弾頭が100発あることを証明できません。
核とミサイルの廃棄を、交渉によって、約束したとしても、実質的には、何の役にも立たないのです。兵器の削減には寄与できますが、兵器の撤廃は不可能なのです。
ですから。
首脳会談をしても、アメリカの不安は何も解決しません。
トランプが首脳会談に応じてしまった時点で、北朝鮮の勝利は確定していたのです。
韓国を味方につけ、中国とよりを戻し、アメリカを交渉の場に引き込み、時間を稼ぐ作戦は、朝鮮半島で戦争をしたくないと思っている文在寅が韓国大統領になった時から動き始めたと思っています。ここまで、その作戦は成功しています。後は、米朝首脳会談をすれば完成です。米朝会談の中身は関係ありません。金正恩は、ひたすら、「平和愛好者」の顔を見せ続ければいいだけです。そして、中国を利用し、改革開放路線の北朝鮮版を作り、経済発展を目指せばいいのです。文在寅は、インフラ整備や経済開発プランを提示してくれています。中国も、協力する姿勢です。北朝鮮は、世界一の経済大国になる必要はありませんので、アメリカの温情など必要ありません。アメリカが朝鮮半島を軍事攻撃できない条件を作ればいいのです。韓国と南北対話を続け、自作の核廃棄プログラムを発表し、ゆっくりと、時間をかけて、自分で作った核廃棄プログラムを履行しているように見せればいいのです。
既に、米朝開戦の時期は失っています。多分、去年の12月が最後のチャンスだったのでしょう。それでも、まだ、米朝会談をする前であれば、ゴリ押しも可能かもしれません。でも、米朝会談をしてしまえば、そのゴリ押しも難しくなります。
アメリカは、トランプは、何がしたいのでしょうか。
理解不能です。

長くなりますので、明日に続きます。


2018-06-01



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民主化のすすめ [評論]



このブログを読んでくださる皆さんの中には、少子高齢化や財政破綻や戦争を防ぐ方法はないのか、という疑問を持つ方もおられるかもしれません。そもそも、少子高齢化や財政破綻や戦争が亡国のシナリオなのだろうか、と思う方もいると思います。仮に、それが亡国のシナリオだとしても、地獄を予測するのではなく、もっと前向きに、建設的に、地獄にならない提案をすべきだと言う方もいるでしょう。
確かに、少子高齢化や財政破綻や戦争が亡国のシナリオにならない可能性もゼロだとは思いませんし、建設的な対策など無い、とは言えません。しかし、これまでの動きと現状を見ている限り、その望みが叶う確率は非常に小さい、いや、ほとんどゼロに近い確率しかないと思っています。
もちろん、建設的な提案があるのであれば、私も聞きたいと思います。
しかし、亡国のシナリオを防ぐ妙案は、実現可能で現実的な提案は、今日まで存在していませんし、将来も誕生することはないと思っています。少子高齢化や財政破綻や戦争というシナリオは、今日、突然、始まったものではなく、すでに私達が日常の風景として見てしまう状態になっています。その間、それに対処する提案はありませんでした。いや、提案はあったのかもしれませんが、実現することはありませんでした。それは、出来ない条件があったからだと思います。これまで、実現可能で現実的で建設的な提案がなかったということは、そんな妙案が存在していないということであり、残念ながら、これが、現実ですし、突然の妙案が出てきて、しかも、それが実行される確率は、限りなく小さなものだと思います。

ただ、実現の可能性があるかどうかは未知数ですが、誰かが「新しい思想」を生み出す可能性は、まだ、残っていると思っています。もちろん、その時は、国家崩壊が起きても民族絶滅につながらないという条件が必要です。国家崩壊は避けられませんが、それでも、生き残る人達がいるのであれば、その人達には可能性はあると思うのです。それは、亡国という過酷な体験をした人達だからこそ、可能性があるのだと思います。ぬるま湯に浸かっている私達に、その可能性はないのではないでしょうか。
たとえ、「新しい思想」という高いハードルを越えられなかったとしても、現在、存在する民主主義という思想を利用することで、回り道にはなりますが、少しはましな国を再建することは可能になるかもしれません。ですから、今日は、生き残る人達へ向けて、「民主化」の提案をしておきたいと思います。これは、お馴染みの「二度と・・・・」ですから、役には立たないのでしょうが、私達に出来ることは、こんなことしかないのではないかと思っています。


簡単に民主化の歴史を振り返りながら、民主化に必要なものを探ってみたいと思います。
日本の民主化の出発点は、明治維新だったと思います。
ただ、残念なことに、失敗してしまいました。
私は、明治維新がクーデターであり、政権交代劇だったと書いてきました。
もちろん、クーデターや政権交代が悪だとは思いません。
下級武士の力が時代を動かしたことに異論はありません。
しかし、残念なことに、人民革命ではありませんでした。
ですから、主権は人民にはなく、一部の権力者にありました。
だからと言って、民主化がゼロであったとは言いません。
確かに、徳川体制からみれば、民主化される方向へと動き出しました。
しかし、明治の自由民権運動の失敗がそれを象徴するように、日本の民主化は別の方向を向いてしまいました。それでも、明治政府は精一杯のことをしたと思います。徳川時代と比較すれば民主化は進んだと言えます。
しかし、民主国家にはなれませんでした。
それは、明治政府が目指したのが民主国家ではなかったからです。
明治政府が目指したのは富国強兵であり、世界列強の仲間に入ることでした。
そのために、民主化は曖昧な場所に着地し、その体制のまま時間が流れました。
多分、ここに、根っ子はあります。
曖昧な決着は、この国では普通ですから、明治の自由民権運動を批判しても意味がありません。それでも、運動の発想理念には問題がありました。それは、自由民権運動を推進した人達も、「形」から民主国家の樹立を目指すという発想を持ったからです。それが、民主国家の土台を軽視するという結果になりました。当時は、明治政府も、世界列強の国家体制を真似ることが、国家目標になっていましたので、「形」が重視されたことは仕方がありません。しかも、日本人は、もともと、形を重視します。「国会開設」をすれば民主国家の完成だと考えたのかもしれません。結果を変えれば何とかなるという思想は、過去も、現在も健在です。紆余曲折の末に国会は開設されましたが、それは明治政府が自由民権運動に屈したからではありません。明治政府も「形」の上で「国会開設」が必要だったからです。当時の列強と互角に付き合うためには、国会は必要な装置の一つだったからに過ぎません。鹿鳴館と同じ発想だったのでしょう。困ったことに、目に見える、形式上の、結果を変えれば、その原因は無視しても良いというこの発想は、アベノミクスでも受け継がれています。
当時も、必要だったのは「国とは何か」「国民とは何か」「民主主義とは何か」という定義だったのだと思います。その三大定義の先には、多くの定義が必要になりますが、その定義も曖昧なまま時は流れました。中でも一番曖昧にされたものが、その根っ子にある「定義とは何か」という定義がされなかったことだと思います。
仮に、民主国家とは、主権者が国民であると定義するのであれば、天皇制は民主国家の定義には合致しません。でも、現実として、日本という国は天皇制という体制で統治されたのです。これを、日本固有の民主主義だと主張する方もいます。でも、それは違います。民主主義風王政並立封建制度と、民主制度は、全くの別物です。曖昧文化の国ですから、この程度のことは許される範囲なのでしょう。形の上で先進国を真似ることが民主主義だと思ったのかもしれません。
確かに、徳川封建体制の中で生きてきた人達に、民主主義なんて言葉だけを伝えたのでは意味不明です。国民は、ほぼ90%以上の人達が、いや、99.9%以上の国民が、民主主義という言葉さえ知らなかったでしょう。言葉を知っていた0.1%の方も、おぼろげな形を知っていただけで、その根っ子は気にしていなかったのかもしれません。もっとも、平成の今でも、どれだけの国民が民主主義を理解しているのかと言われれば、当時と、それほど差があるようには見えません。言葉を知っているという点では大幅な進展がありましたが、中身は理解されていません。
天皇主権という旗印のもとで、日本は近代化を急ピッチで進めました。錦の御旗を立てて進軍した官軍の様子と同じことが行われたのです。それは、明治維新という成功体験に影響されていたからなのかもしれません。世界の列強に蹂躙される前に国力を増強しなければならなかったのですから、明治政府のやり方が全面的に間違っていたとは言えません。
ただ、自由民権運動が勢いを無くし、天皇制が定着したことで、日本は方向転換をする選択肢を失い、そのまま、第二次世界大戦へと進んでしまいました。そういう意味では、明治維新は、第二次大戦敗北の出発点となってしまったのです。日本の民主化にとって、明治維新は大きなチャンスでした。それを敗戦に結びつけてしまったのですから、折角のチャンスを無にしてしまったと言っても過言ではないと思います。
明治維新当初、この第二次大戦の敗北を予測した人は、いなかったのでしょうか。
明治・大正・昭和初期に、予測した人はいなかったのでしょうか。
私は、いた、と思います。
坂本龍馬という人物の実像は知りませんので、伝聞だけで、想像したにすぎませんが、坂本龍馬が、あの若さのまま、生きていれば、予測したのではないかと想像しています。これは、無いものねだりに過ぎませんが、坂本龍馬と同じような思考回路を持つ人間がいなかったとは言えませんので、そのような予測をしていた人は、きっと、いたと思います。
では、第二次大戦の敗北を受けて、日本に民主化運動が再現したのでしょうか。
いいえ、国民は食料の確保に全力を傾けましたので、民衆による民主化運動が起きる環境ではありませんでした。一部の民衆が、共産主義革命を夢見ましたが、多くの国民は同調しませんでした。いい人達ばかりですから、暴力は馴染みません。しかも、1,000年も2,000年も、「お上」のご意向に従ってきた人達ですから、その環境から抜け出すのは至難の業です。直前までは、封建制度の延長線上にある天皇制の国だったのです。昨日まで、天皇を神様だと信じて生きていた人達です。敗戦を機に生まれ変われと言っても無理です。そこで、力を発揮したのが「なあ、なあ」「まあ、まあ」です。結構、この曖昧状態は気持ちのいいものなのです。日本の社会を表現する時、「ぬるま湯」という言葉が使われます。しかし、その「ぬるま湯」の正体が曖昧文化だという解説はされません。その状態が70年以上も続いて、現在があります。
フランス人ジャーナリストが「日本の民主主義はギフトだった」と言っていました。
フランス人はフランス革命に誇りを持っていますので、フランス人らしい意見だったと思いますが、私も、その意見には賛成です。
リボンをかけた箱の中には民主主義という贈り物が入っていたのは間違いないと思います。でも、その箱を開ける人はいませんでした。
たとえ、贈り物であっても、中身を吟味しなくても、「形」さえ整っていれば、民主国家だと言うことは出来ますし、国民は「我が国は、民主国家なんだ」と思い込みます。「お上が言っているのだから、間違いないだろう」という国民の感覚は、徳川時代でも、明治時代でも、大正・昭和時代でも、平成時代でも、共通しています。日本の場合は、「形」が重要なのです。儀式が執り行われれば、全ては丸く収まるのです。
問題は、第二次大戦の敗北のような惨事は二度と起きないという保証がないことです。
実際に惨事が起きても、ドサクサに紛れて、その惨事を検証する人はいませんし、責任を取る人もいません。第二次世界大戦では、他国の国民が犠牲になっていますので、戦勝国による責任追及が行われましたが、自己崩壊の場合は責任追及を行う人がいません。国家運営者は、ひたすら「国家再建」を叫んでいればいいのです。
「二度と・・・・」の二度目は、必ず、やってきます。
その二度目を、出来限り、先延ばしするためにいろいろな策が考えられますが、先延ばしは先延ばしに過ぎませんので、二度目は、やってくるのです。もちろん、惨事は同じ形でやってくるとは限りません。でも、どんな形で惨事がやってきても、国民が被害を受けるという点では、何も変わりません。
敗戦後の混乱期に民主化運動が国民的運動にならなかったのは、致し方なかったと思いますが、敗戦の20年後に、いや、30年後に、気付くべきでした。そんなのは、後講釈だとして説得力を持っていませんが、この国は、まだ崩壊していないのですから、今からでも民主化運動を始めてもいいのです。もちろん、民主化運動は短期間では終わりません。ですから、手遅れであることに間違いはありませんが、やらないよりはやったほうがいいと思います。それは、国家崩壊が起きても、生き残る国民はいるからです。崩壊当初は、民主化なんて飯の足しにはなりませんので、民主化運動は忘れられたままでしょうが、再建が見え始めた時に思い出す可能性があります。その可能性を残すためだけにでも、やる価値はあると思います。過去にやったことがあるという実績は、決して、無駄にはなりません。
随分前に、小沢一郎氏が「国民生活が第一」というスローガンを掲げましたが、国民の支持は得られませんでした。それは、「国民生活が第一」が国民にとって他人事だったからです。
民主国家の最重要課題は国民生活なのですが、定義が曖昧になっていて、国民がそのことを知らないのですから、どうすることもできません。国家運営者も国民も、「国民生活が第一」が最重要課題だという認識は持っていません。「国民生活が第一」が大切であることは知っていますが、多くの課題の一つに過ぎず、最重要課題という認識がないという意味です。特に、私達の国は「形」重視ですから、中身はあまり気にしません。ですから、その意味を深堀りする必要がないのです。「国民生活が第一」は、本来は、国民が求めるスローガンですが、政治家が選挙のために掲げてしまったのですから、国民にとっては他人事なのです。小沢氏の方向性は間違ってはいませんでしたが、選挙のスローガン第一ではなく、民主主義の定義を作るように国民に訴えることから始める必要があったのではないでしょうか。国民は民主主義が曖昧であることにも、「国民生活が第一」であることにも気付いていません。気付いていないのですから、「国民生活が第一」というスローガンにも反応しません。

誰も言及しませんが、国民には「知る責任」があります。マスコミは「知る権利」を主張するばかりで、「知る責任」には言及しません。
この国では、国民に「知る責任」があることは、ほとんど知られていません。独裁国では「知る責任」も「知る権利」も認められていませんが、民主国家では、その逆です。民主国家では、主権者である国民の責任は大変重いものなのです。民主主義が機能するかどうかは、国民の意識によって決まると思います。私達の国では、国民が、意識的に責任を放棄したわけではないとしても、結果的に、責任を放棄することになってしまいました。それは、自分達に「知る責任」があることを知らなかったからです。国民の責任は、主権者としての責任であり、重いものですから、二度目の惨事がやってきても、その責任は民主主義を知ろうとしなかった国民にありますし、国民が被害者になることは当然の結果なのです。これも、「国民とは」という定義がないことによる、弊害です。国民は、伊達や酔狂で主権者になっているのではありません。
「知る責任」こそが国民の最も重要な責任なのだと思います。何もせずに、手厚く守ってもらえるなんて考えているほうが、勘違いだと思わねばなりません。封建制度の時代に、民は、民に優しい心のある賢君の出現を望みました。例外的に、そのような賢君もいたでしょうが、ほとんどは、夢でした。私達は、その時代から一歩も前に進んでいません。
勝ち取らなければ、手に入らないものは、沢山あります。自分の生活は自分が勝ち取るしかありませんが、民主主義もその一つです。

では、民主国家になれば、私達の未来は薔薇色なのでしょうか。
そうではありません。
いくつかの課題は解決する可能性はありますが、もちろん、可能性にすぎませんが、それでも、全ての課題が解決するわけではありません。ただ、原則が確立していれば、惨事に向けて進む危険がある時に、方向転換かできる可能性はあります。
民主主義は、万能薬ではなく、可能性を生み出す装置だと思います。
なぜ、こんな不確実な方法を選択しなければならないのでしょう。
それは、他に選択肢がないからです。
「何か、他に、もっと、いい方法があるだろう」と言う方は多いと思いますが、そんな方法が存在した事例を知りません。これは、選択肢がない時に使われる言葉であり、方便であり、逃げにすぎません。ただ、選択肢が無いことを証明はできませんので、説得力に欠けていることは確かです。しかし、無いのです。万能薬ではないが、何もしないよりは惨事を回避できる可能性が生まれるということなのだと思います。でも、可能性は、無いよりは、あったほうがいいと思います。
少子高齢化も借金の増加も戦争も、亡国のシナリオです。
そして、亡国の犠牲になるのは国民です。
これだけは、変わりません。
もしも、「国民生活が第一」という視点が国民に共有されていれば、少子高齢化にも借金の増加にも戦争にも対応しなければなりません。その時に重要になるのは、「国民とは」という定義の中の「国民の範囲」だと思います。外国人居住者の取り扱いも大切ですが、そのことよりも重要なことがあります。現在生きている国民が、国民であることは間違いありませんが、まだ誕生していない将来の国民も国民であるという視点です。「国とは」という定義の中でも一番重要な定義は、国は、未来永劫、いつまでも、国民生活を守るシステムであるという定義だと思います。その前提に立って、国としての最重要スローガンを作るとすれば、「子供達の未来を守る国」になるのではないかと思います。今だけ、国民生活を守ればいいのではなく、永遠に国民生活を守らなければならないのが、国の仕事だと思うのです。そう考えると、少子高齢化や借金の増加や戦争は、あってはならないことになります。
もしも、自分の未来が危険なものであれば、自分の子供達の未来が危険に満ちているのであれば、国民は、自分の安全を確保するために抵抗するしか方法はありません。既に、その危険が予見できる事象が数多く起きています。多くの国民が抱いている漠然とした不安感は、その証です。私達に出来ることは、「知ること」と「声を出すこと」しかありませんが、それでも、やったほうがいいと思います。多分、それが民主主義の原点なのではないかと思います。
日本人も人間ですから、得をしたいと思います。人間ですから「自分さえよければ」に徹する人達もいると思います。でも、日本人の大多数は「いい人達」ですから、自分だけが得をしたいとは思わないのです。こんな素晴らしい民族は、地球上には存在していません。本物の民主国家は、日本でしか実現しないのではないかとさえ思います。そんな「いい人達」が、国家運営者の不作為で地獄へ落ちるのは間違っていると思います。もちろん、この地球上に理想の民主国家を実現している国はないでしょう。ですから、日本がお手本になることはあっても、日本人が好むお手本はありませんので、「形」から入ることはできません。
私達に必要なのは、現実を見る力と、将来を予測する力と、方向転換を可能にする柔軟なシステムを持つことだと思います。その前提として「未来の子供達のために」という目標が持てれば、地獄に堕ちることはないと思います。それを可能にするのが民主主義なのではないでしょうか。民主主義を真似るのではなく、民主主義を利用することにより、100%は無理でしょうが、何とか、未来の子供達へ引き継ぐことはできると思うのです。
今生きている崩壊前の日本人に「民主化のすすめ」を提案しても、皆さんの心には届きません。それは、国がここまで壊れているのに、そのような主張や世論は皆無だからです。皆さんは、本気で、「俺には、関係ねぇ」と信じているようです。
この国は、崩壊しますが、崩壊後に生き残る皆さんに、このメッセージが伝わることを願っています。回り道になりますが、ぜひ、民主化を実現して欲しいと思います。
念のために書いておきますが、民主主義風王政並立封建制度は、民主制度ではありません。
「民主化のすすめ」と題しましたが、民主国家になることが、目標ではありません。
民主主義を利用して、国民生活を守るシステムを作ることが目標です。
その為には、「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義から出発するしかないと思います。


2018-05-03



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神話について [評論]



少子高齢化と借金の増加は、これまでも何度となく書いてきましたので、耳にタコかもしれませんが、戦争という条件を加味し、財政安全神話の検証をしてみます。話を分かりやすくするために、独断と偏見が入りますが、どうか勘弁してください。

財政破綻の危機という風聞は、財務省による国論操作に過ぎないという意見があります。
「このままでは、日本財政は破綻しますよ」と言う財務省の主張の中には、国論操作の意図が含まれていることは否定しません。ただ、その割合は、2割から3割程度だと思っています。残りの7割から8割は、実際にその危険があります。最近の財務省の言動を見ていると、財務省の言うことを鵜呑みにすることはできませんが、その中に多くの真実が含まれていることも事実です。それは、過去の実績値と個人による独自の予測を基に計算すると、財務省が発表している数値と近い数値が得られるからです。
財務省の発表によれば、2060年代の債務残高は8,000兆円になるそうです。この数値は財務省のホームページからは消えたようですが、消しているだけだと思います。
私の試算でも、近い数値が出ました。
もちろん、50年後の予測ですから、実際の数値がどうなるのかは、誰にもわかりません。これは、あくまでも、予測値であり、実現することはないと思いますが、何らかの数値がないと計算が出来ませんので仕方がありません。ただ、個人的には、8,000兆円という数値は、少し甘いと思っています。
でも、ここでは、話をわかりやすくするために、この数値を使ってみたいと思います。
数値に疑念のある方は、是非、試算してみてください。
借金は返済しなければなりません。仮に、返済しないとしても、利息は支払わねばなりません。それがルールです。ここでは、元本の返済は諦めて、いや、諦めるという選択肢しかありませんので、利息の話をします。元本の返済をしないのですから、利息の支払い義務は永遠に続くという条件があることは、承知しておかねばなりません。今年だけ乗り切れば何とかなるという条件はありません。
利息の計算は、元本に利率を掛けて算出します。
予測した元本は、8,000兆円です。
予想できる利率は、1%から20%だとしてみます。
仮に、長期金利が1%だとすると、利息は80兆円、3%だとすると、240兆円、5%であれば400兆円、10%であれば800兆円、20%であれば1,600兆円になります。
では、次に、利息を支払う資金はどこから調達するのでしょう。
税収です。
将来の税収は、どうやって予測するのでしょう。
過去の数字を参照すると、税収はGDPの約10%です。
では、50年後のGDPは、どのくらいになるでしょう。
政府は、2%~3%の成長率を掲げます。目標ですから、高く設定することは妥当です。ただ、現実は、そのような理想が実現するとは限りません。先進国の経済成長率は、アメリカを除き、1%前後が妥当だと言われています。ただし、その数値を維持するためには、環境が変化しないという前提条件があります。その環境の大きな変動要因に、人口があります。既に、日本の人口は減少トレンドに入りました。この先は、人口減少が続きます。50年後の人口は、現在の人口よりもかなり少なく、8,800万人だと言われています。約3割減です。生産人口という観点からだと、4割減になるそうです。この4割減という数字は、英国の全生産人口を上回る数字だそうですから、国が一つなくなるようなものです。
当たり前のことですが、人口が少なくなれば、GDPは減少し、GDPが減少すれば、税収も減少します。50年後の話ですから、単純計算では算出できませんが、GDPの大幅な減少は避けられそうにありません。
それでも、ここでは、あえて、50年後のGDPを500兆円だと仮定してみましょう。500兆円を維持できるとは思えませんが、独断と偏見で、500兆円という数字を使います。それは、GDPが300兆円であっても500兆円であっても800兆円であっても、計算結果にそれほど影響しないからです。
500兆円のGDPから算出される税収は、50兆円です。
今後、増税は何度となく繰り返されると思いますので、対GDP比の税収率を12%にすると、税収は60兆円、15%にすると75兆円です。
「これでもか !」というほどの増税をしても、税収は75兆円です。
これでは、税収を、全額(75兆円)、利息の支払いに充てたとしても、1%の利息(80兆円)でさえ支払うことができません。3%の利息(240兆円)は、逆立ちしても払えません。もちろん、税収を、全額、利息の支払いに充てるわけにはいきません。行政機能を維持しなければ、利息を支払うという業務すら出来ません。仮に、50年後の国家運営費用には200兆円~300兆円必要だとすると、利息支払いに充当できる資金がないだけではなく、国家運営費用でさえ不足する状態が続くということです。私達の国は、今でも借金で運営されていますが、国家運営者にこの状況から抜け出す意思は見受けられませんので、50年後でも、同じ構造が続いていると確信しています。50年後でも、借金で利息支払いの資金と国家運営費用を捻出しているものと思います。もちろん、借金を、未来永劫、続けることが可能であれば、何の問題もありません。そんなこと、可能なのでしょうか。毎年、400兆円から500兆円の資金が必要です。どこに、そんな莫大な資金があるのでしょう。
利息の支払いができない状態をデフォルトと呼びます。
長期金利に正常値という概念は当てはまらないと思いますが、過去の数値から類推すると、何事もなければ、3%~5%が想定範囲内なのではないかと思います。異常事態があれば、0%の可能性も、25%の可能性もあります。仮に、長期金利が6.5%になれば、利息はGDP総額(500兆円)を越えてしまいます。支払利息だけで、GDPより大きな資金が必要になりますが、そんな資金はどこにあるのでしょう。国民が必死になって働いた結果が、GDPです。どうすれば、GDP以上の働きが出来るのでしょう。
そこにあるのは、物理的な限界です。
どう転んでも、日本財政は、デフォルトが約束されているのです。
50年後の債務残高と50年後の人口の予測値は多くの方が知っています。本来であれば、50年という時間をかけて、債務残高の元本を減らす必要があります。でも、国は元本を減らすという目標は持っていません。国が財政再建という言葉を使う時、それは、借金に関するものを除外したプライマリーバランスという計算式を使います。元本を減らすという発想は、そもそも、存在していないのです。
確かに、今は、50年後の話をしていますが、ご心配はいりません。なぜなら、50年も待つ必要はなく、5年後でも、10年後でも、デフォルトの可能性はあるのです。

さて、ここで、「日本の財政は破綻しない」という神話について書きます。
財政破綻も少子高齢化も戦争も、「俺には関係ねぇ」と思っている多くの皆さんを除外すれば、神話のおかげで、国民の99.9%の皆さんが安心しています。私には、8,000兆円もの借金が神話でクリア出来るとは思えないのですが、何と言っても、日本国民は「いい人達」ばかりですから、どうすることも出来ません。とても、心配です。

巷で、最も多く語られる神話は、「日本には、大きな資産があるのだから、何の心配もない」という資産神話です。
では、その資産には、どんな資産があるのでしょう。
森友問題で有名になった国有地があります。
国会議事堂や国立図書館という建物もあります。
アメリカ国債もあります。
他国に対する債権もあります。
年金積立金もあるでしょう。
地方自治体への貸付金もあります。
国が利息の支払いに窮する状態を想像してみてください。好景気を予測する人はいないでしょう。そんな不景気の中で、土地を買って商売をする民間人がいるのでしょうか。人口減少が続き、不動産の需要は減少します。都市部でも空き家はさらに増えるでしょう。国有地を買って家を建てても売れない時代になります。土地を買って何を建てるのでしょう。森友学園のような私立の学校が増えるのですか。少子化が進みますから、現在でも私立大学の3割が倒産予備軍だと言われている今の傾向は、さらに悪化します。
それとも、中国の資産家に売るのでしょうか。
国会議事堂や国立図書館が売れますか。
国が資金不足に陥った時に、民間経済が大きく成長しているとは思えません。少子高齢化社会で、突然、子供達の数が増えるなんてこともありません。
ですから、国有地や国有の建築物は、実際には売れません。帳簿の上に資産という名前で記載されているだけの飾り物なのです。
では、アメリカ国債は売れるでしょうか。日本の安全保障の基軸は日米安保にあるのですから、アメリカ様の嫌がることをするわけにいきません。アメリカ国債を売れば、日米安保は廃棄されるかもしれませんし、運が悪ければ国交断絶もあり得ます。ですから、アメリカ国債も帳簿上に置いておくしかありません。
日本は、多くの国に資金を貸しています。その元本の取り立てが可能なのでしょうか。そんなことは出来ません。では、利息はどうでしょう。世界大戦が始まれば、利息でさえ入って来ません。
年金積立金は、減少トレンドに入っていて、いつまでもあるわけではありません。そもそも、年金積立金で借金の利息を支払えば、年金の支払いが出来なくなります。
財政に余裕のある地方自治体などありません。東京都の財政さえ逼迫します。どこの自治体でも資金不足なのです。国から貸付金の返済を迫られれば、地方自治体は国の交付金を頼らなければなりませんが、同じように資金不足になっている国から交付金を貰って返済するということができるとは思えません。国にとっても、交付金と貸付金のバーターをしても、状況は変わりません。これも、帳簿上の数字にすぎません。
資産という言葉を、現金と勘違いする方がいますが、換金できなければ、それは帳簿上の数字に過ぎないのです。なぜ換金が必要なのか。利息の支払いには、現金が必要だからです。なぜ、こんな勘違いが起きるのか。それは、資金繰りの話を、貸借対照表で説明するという理屈に合わないことをやっているからです。
不思議なことに、この資産神話は広い支持を得ています。それが、なぜなのか、私にはわかりません。信じられない、という感想しかありません。
そもそも、8,000兆円の借金に対して、600兆円の資産を持っていたとして、それが何か役に立つのでしょうか。焼け石に水ですし、換金できなければ、水にもなりません。

次に、「日本国債は、90%以上が国内で消化されていて、日本円で発行されているのだから、破綻などしない」という国内消化神話があります。
そもそも、この8,000兆円もの借金を実現する資金は、どこにあるのでしょう。借金は、それを貸してくれる相手が存在しなければ成立しません。今までは、国民の金融資産を金融機関が国債に投資していました。良し悪しは別にして、資金はありました。それでも、国民金融資産は1,500兆円しかありません。時間の問題で、無い袖は振れない状況になります。それでも、借金をしなければなりませんので、海外の投資家に日本国債を買ってもらわなければなりません。ドル建ての国債も要求されます。ただ、デフォルトするかもしれない危険な日本国債を買ってくれる、そんな投資家がいるのかどうかはわかりませんが、少なくとも、国内の資金供給能力は限界を迎えます。とても、8,000兆円もの資金は国内にありません。
今ある「国内消化神話」は、続きません。それがわかっているから、金融緩和政策という名を利用して、日銀が国債の購入をしたのです。日銀が500兆円の国債を塩漬けにしてしまえば、その分だけ、先送りができるのです。

では、「日本の長期金利は0%だから、いくら借金をしても、心配いらない」というゼロパーセント神話はどうでしょう。
本来、長期金利は金融市場が決めます。ですから、中央銀行に長期金利の制御は出来ないと言われていますが、日銀は力技でそれを実現しようとしています。今は、コントロールされていますが、これがこの先も出来るのでしょうか。無理だと思います。それには、巨額の資金が必要になるからです。
現在の長期金利の数字は、瞬間風速みたいなもので、未来永劫続く数字ではありません。
国が借金経営を続ける場合、国内資金の枯渇という条件を加味すれば、海外投資家の資金が必要になりますが、そうなれば、簡単に、長期金利は上昇します。なぜなら、高い金利を提示しなければ、誰も買ってくれないからです。アメリカ国債を買えば3%の利息が手に入り、日本国債を買えば0.1%の利息しか手に入らないとすると、あなたなら、どちらに投資しますか。
今は、今だけは、心配ない、という気休めにすぎません。

「日本は、世界一の債権国だから、財政が破綻することなどない」という債権国神話は、大丈夫でしょうか。
国だけではなく、民間も大きな債権を持っているのは事実です。でも、戦争になっても債権は保全されるのでしょうか。仮に、中国が敵国になったとしたら、中国へ投資した資金は、全て、没収されると考えるほうが自然なのではないでしょうか。
たとえ、戦争にならなかったとしても、日本円が暴落する危険はかなり高いと思います。貿易収支は大幅な赤字となり、国際収支も赤字転落すると思われます。そうなれば、ここにも資金不足の現象が生まれます。
何よりも、8,000兆円もの借金に耐えられるほどの債権は存在しません。
この神話も、「今は」有効だという期間限定の神話なのです。

「日銀が、財政をファイナンスすれば、何の問題もない」という日銀神話は、どうなのでしょう。
政府も日銀も、現在の国債購入は財政ファイナンスではないと言っています。と言うことは、財政ファイナンスが禁じ手であることを承知しているということです。実際にやっていることは財政ファイナンスなのですから、何の問題もないのであれば、堂々と財政ファイナンスという政策だと言い切ればいいのですが、それが出来ません。なぜ、できないのでしょう。それは、国際的な通貨の信認を毀損するからです。グローバル時代に、通貨の信認を無くすということは、自殺行為に等しいことです。貿易でも金融でも、致命傷を受ける行為です。
また、日本は、アメリカによる為替操作国というレッテルを貼られたままです。アメリカは、日本が金融政策という名目で為替操作をしていると思っているのです。結果だけで判定すれば、アメリカの主張は間違っていません。自分の国が為替操作をする時は平然とやるのに、他国には注文を付ける。アメリカの悪い癖です。でも、これが、現実です。金融正常化へ向かわなければ、バッシングを受けることになるかもしれません。国債購入額をゼロには出来ないとしても、現在の購入枠は1/100にしなければなりません。
今の状態を、この先も続けることは不可能なのです。


どの神話も、前提条件が「変わらなければ」、という「れば、たら」の上に成り立っています。中でも「今の状態のままであれば」という「れば」は「時計が止まれば」という「れば」です。それは、時間という物理的な条件を否定することになり、それだけで、前提条件が成り立たないことを証明することになるのですが、そこは、都合よく、無視することになります。「時よ止まれ」という呪文が現実世界でも有効な呪文になるとは、思えません。
神話はフィクションであり、時間を超越しても許されるものですが、現実社会に生きる私達が時間から逃れることは不可能です。なぜ、こんな、当たり前の現実が認識されないのか、不思議です。ほんとに、とても、不思議です。
神話は、どんな神話でも、人の手によって作られたものです。人為的に作られるものですから、為政者に利用されることもしばしばありました。いや、大半の神話がそうだったのだと思います。中には、民の信仰によって作られた神話もありましたが、それは、その地方限定の神話でした。
過去の神話をみてみましょう。
日本には、神国日本という神話がありました。日本は神の国なのだから、戦争に負けるはずがないという神話です。実に多くの方が、本気で信じていました。信じていない人でも、神話に異を唱えることはしませんでした。異を唱えたりすれば、自分の身が危険になるのですから仕方がありません。今から振り返って見れば、なぜ、「神の国」なんてトリックを信じてしまったのか、不思議ですが、当時は信じられていたのです。その結果は、当たり前のことですが、第二次大戦の敗北という現実によって神話のほうが否定されたのです。現実と神話が戦えば、現実が百戦百勝するのです。
かつて、原子力安全神話というものもありました。真実と嘘を巧みに織り込んで作られた、利益誘導のための神話でしたが、あの原発事故で神話は吹き飛んでしまいました。当時は、民主党政権でしたが、政権は「メルトダウンは起きていない」と言い続けました。でも、実際には、メルトダウンだったことは今や常識です。原発事故の時、私も数多くの予測をしましたが、政府の発表とは違っていました。しかし、今では、私の予測のほうが現実に近いものだったと思っています。あの事故が起きる前に、原子力安全神話に警告を出していた人がいたそうです。しかし、皆で、その警告を無視しました。
敗戦も原発事故も、後になって考えてみると「なぜ、こんな神話を信じてしまったのだろう」と思うのですが、惨事が起きるまでは気付きません。実に不思議です。
でも、敗戦も予測できましたし、原発事故も予測できたのです。そして、敗戦も原発事故も、実際に警告を出していた人はいたのです。多分、神話が危険であることに気付いていた人は、それなりに、いたと思うのですが、流れに逆らえば碌なことにはならないと思って黙っていた人も多かったと思います。曖昧文化も神話も、権力者の支配のためのツールですが、庶民はそのことに気付くことなく、責任だけを取らされている状況は公平だとは思えません。
それなのに。
今、また、私達は財政安全神話を信じ、将来起きるであろう現実を無視するやり方を採用しています。
なぜ、同じ轍を踏もうとするのでしょう。
財政破綻だって、予測できるのです。
実に、不思議です。
戦争に負けたいと思う人はいませんから、神国日本神話が成り立ち、原子力発電は危険を伴うけれど、危険だと思いたくないから、原子力安全神話が成立し、財政破綻など起きて欲しくないと思うから、財政安全神話は成り立つのです。被害を避けたいという人間の助平根性に乗じて、人の弱みにつけこんで、繁殖するのが神話なのかもしれません。
ま、神話を信じる気持ちもわからなくもありません。波風は立ちませんし、大勢に逆らって非難されることもありませんし、ともかく、楽です。現実直視よりも現実逃避のほうがはるかに楽です。人間ですから、楽なほうに流れるのは仕方ありません。
でも、神話に支配されていれば、惨事は起きるのです。
楽な方法を選択するのか、甘んじて惨事を耐え忍ぶのか。望ましい二択ではありませんが、これが現実というものなのでしょう。
しかし、現実世界に生きる私達には、時空を超えることが出来ないことも事実です。
神話は、フィクションの中でこそ輝けるのであり、現実世界に持ち込むべきものではないと思います。
それを証明する手段は、その手段として適切かどうかは、いろいろな意見があると思いますが、歴史から学ぶことくらいしかないのではないでしょうか。


2018-05-02



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戦火の臭い [評論]



朝鮮半島の南北首脳会談が行われました。
金正恩が、テレビ中継画面の中で動き、発言する様子を世界が見ました。
大変、貴重な映像だと思います。
アメリカの諜報機関の職員は、あの画面を見飽きるほど見ていたと思います。
でも、多くの人にとって、彼が極悪人には見えなかったのではないかと思います。
場慣れをしていない若者の顔はありましたが、決して、韓国大統領に負けているようには見えませんでした。
いや、逆に、文在寅の必死のアプローチが目立ちました。
私には、お願いをしているのは文在寅であり、金正恩は、どっしりと構えているように見えました。中継映像を見ている限り、金正恩が、藁にも縋る立場の人間のように見えなかったのは、なぜなのでしょう。実際に窮地に陥っているのは金正恩であり、窮地の大きさだけで比較すれば、金正恩のほうが切羽詰まっているはずです。しかし、あの会談には、そんな空気は感じられませんでした。あったのは、朝鮮半島の団結だったと思います。当たり前のことですが、団結は一人ではできません。複数の者の利害が一致した時に生まれます。これまでは、アメリカと韓国が団結して、北朝鮮を説得するという図式でしたが、今は、北朝鮮と韓国が団結して、アメリカを説得しようとしているように見えます。
金正恩には、自信があったのかもしれません。
文在寅は、アメリカの軍事行動による、韓国側の被害を大変恐れている。いや、自分が恐れているよりも、文在寅のほうが恐れている。自分は、中国との関係も修復した。ここは、韓国の恐怖心と中国の利益を利用する時だとすれば、自分は決して崖っぷちにいるわけではないだろう、という自信です。
あの若さで、よくやったと思います。
共同宣言が調印され、共同発表が行われたことに、文在寅は胸をなでおろしているのではないでしょうか。しかし、その内容は、これまでの北朝鮮の主張から進展していませんでした。少なくとも、金正恩の共同発表では、「核」や「ミサイル」という言葉は含まれていません。朝鮮民族による、自主的な、平和構築が主題でした。共同宣言に書き込まれた核放棄に関しても、核放棄はあくまでも目標であり、核放棄が平和構築の前提ではありませんでした。それでもいいのです。文在寅の願いは、朝鮮半島での武力衝突を回避することですから、核兵器の廃棄は喫緊の課題ではありません。南北の交流や、南北間の交渉を続け、アメリカの軍事介入を阻止することが目的ですから、「延々と交渉を続けましょう」と提案したのではないでしょうか。交渉が続いている間は、アメリカも無茶なことはできないと思ったのです。文在寅の判断も、金正恩の判断も、間違っているとは思いません。アメリカの国益のために、なぜ、朝鮮民族が犠牲にならねばならないのだ、という意識は共有できたと思います。その点では、北朝鮮にとっても、韓国にとっても、今回の会談は成功だったと言えます。
では、アメリカがゴリ押しをすることはないのでしょうか。
これは、わかりません。
何と言っても、相手は、アメリカであり、あのトランプです。
ただ、希望がないわけではありません。
それは、トランプが、イランの核合意にクレームをつけたからです。フランスのマクロン大統領がアメリカを訪問し、トランプと会談しましたが、トランプを説得できなかっただけではなく、トランプの主張を受け入れた提案をしました。ドイツのメルケル首相もアメリカを訪問し、会談をするようですが、トランプを説得できるのかどうか疑問です。イランは、アメリカの要求は受け入れられないと言っています。イランでは、再び、経済制裁が始まると予想されていて、ドルの両替商の店には長蛇の列ができ、イラン政府は両替商を閉鎖しました。アメリカとイランが衝突する可能性が出てきたのです。しかし、今のアメリカには、二正面作戦を遂行する力はありません。韓国と北朝鮮が、このまま、時間稼ぎをしていれば、アメリカの矛先はイランに向かう可能性もあります。中東は、今、グチャグチャです。あらゆる場所で戦火の火種が燃えています。アメリカとイランが戦争状態になれば、中東全域が大混乱に陥ります。また、その混乱は短期間では収束しません。そうなれば、アメリカは東アジアでの軍事行動なんてできません。
中東だけではなく、中国やロシアとの戦いもあり、中間選挙で共和党が負ければ、大統領弾劾の可能性もあります。北朝鮮と韓国にとって、今は、時間稼ぎが必要な時です。

平時では、世界を動かす役目は外交が担います。
しかし、少しずつ、諜報機関の役割が増えています。今回の南北会談を設定したのも、米朝会談をお膳立てしたのも、韓国と北朝鮮の諜報機関です。アメリカでも、CIA長官が国務長官に就任しました。中国でもロシアでもイスラエルでも、諜報機関は活発に動き始めていると思います。これは、戦時体制に移行していることを証明しているのではないでしょうか。日本にも諜報機関はありますが、世界レベルで活動できる組織ではありません。北朝鮮問題で、日本は蚊帳の外に置かれているという批判がありますが、それは、諜報機関の質の差から生じる、必然的な結果なのだと思います。安全保障の議論をせず、「戦争」という単語を辞書から消し去った国では、諜報機関が仕事をすることは出来ません。



アメリカと中国の貿易戦争が始まったと言う方がいます。
いや、貿易戦争にはならない、と言う人も大勢います。
多分、どちらも正しくて、どちらも間違っているのだろうと思います。
それは、前提となる時間軸の長さを語らないからだと思います。
短期的にみれば、両者が、何らかの妥協をして、とりあえず、収まる。
中期的にみれば、今回の対立は、第一期貿易戦争であり、第二期、第三期と続くであろうから、貿易戦争は始まっている、という見方も出来ます。
では、長期的には、どうなるのでしょう。
私の独断と偏見によれば、これは、貿易戦争ではなく、第三次世界大戦の序章だと思っています。私だけではなく、世界各地に、そういう意見の方がおられます。スキャンダルで盛り上がっている日本に住んでいると、感じないのかもしれませんが、世界大戦という空気は少しずつ世界を覆い始めています。
今、始まろうとしている争いは、最終的に、アメリカと中国のどちらが世界覇権を握るのか、という闘いです。
それは、戦争でしか決着がつきません。
私達は、有史以来、そういう決着のつけ方しか体験していません。何か、他にもっと良い方法があれば、と願う気持ちは誰もが持っていると思いますが、そういう願いが叶ったことはありません。特に、人間の「欲」が介在した時には、殺し合いをして、物理的な優劣を競うしかありません。私達は、やはり、動物なんです。仮に、戦争が回避されたとしても、それは一時的なものになると思います。
なぜ、戦争でしか決着がつけられないのでしょう。
そうです。人間は欲の塊だからです。
人によって、欲の大きさは違いますが、欲のない人間はいません。
大多数の人達は戦争なんて望んでいませんが、それでも、人間から欲が無くならない限り、戦争は起きるのです。
「戦争なんて、やめてくれ」と言う人でも、「じゃあ、お前の財産も、人権も、いや、命もいらないと言うのか」と問われれば、「それは、困る」と答えるでしょう。自分が被害者になることは認められないが、戦争も認められないというのが、多くの方の本音です。これでは、答えのない、成り立たない数式を前に、立ちすくむしかありません。
私達は「戦争」を曖昧という空間に置き去りにしていますので気付きませんが、現実は曖昧ではありません。「自分だけは、そんな理不尽に出会わない」という思い込みが、現実世界で実現するとは限らないのです。
実際に、第二次世界大戦の時、全ての国民が戦争に巻き込まれました。
それが、現実なのです。
大きな利益を享受している権力者は、失うものが大きいために、どんな犠牲を払ってでも、自分を守ろうとします。一番大きな損失を受ける権力者が、開戦の権利を持っているのですから、戦争を防ぐことは不可能なのです。
持っていた利益を失うだけではなく、新たな損失が生まれるのであれば、それを防ぎたいと思うのは自然です。たとえ少ない資産しかなくても、その全財産を失い、人権を失い、その上、ウイグルにあるような絶望収容所に収容されるのであれば、抵抗したくなります。私に限って、自分だけは、そんな酷い目に遭うことはないだろうと思っていても、実際に、絶望収容所はこの世に存在しているのです。
身も蓋もない話ですが、これが現実です。
戦争で勝つしか自分を守る方法はありません。
ひどい話ですが、これが、世界常識です。
日本人以外の人達は、そのことを知っています。特に、白人は、そのことを肝に銘じているようにみえます。それは、自分達が勝者になってきた歴史を知っているからです。白人達は、自分達が征服される側の民族になりたいとは思っていません。
人類史上、軍拡競争が無くなった時代はありません。多くの国が大金を投じて軍拡競争をするのは、戦争に負けたくないからです。地球上では、ごく自然な行動です。世界史でも日本史でも、歴史とは戦争の歴史でもあり、戦争こそが、人間の歴史でもあるのです。
白人の闘争心の強さは年季が入っています。白人は、相手に勝つことでしか自分を守れないことを知っています。ですから、どんな手段を使ってでも勝ちに行きます。過去に、武力で他国を屈服させ、植民地にして、利益を貪ったのも白人ですし、核兵器を初めて使ったのも白人です。彼等のDNAには「征服」という二文字が組み込まれていると思うしかありません。
地球はお花畑なんかではありません。弱肉強食が当たり前の世界なのです。
19世紀、20世紀と白人による世界制覇が続いてきました。21世紀になって、中国が人口という強みを生かして、台頭してきました。トランプがアメリカファーストを得意げに宣伝していますが、自国ファーストであれば、中国のほうが大先輩です。いや、中国の自国ファーストは政策レベルの問題ではありません。中国そのものであり、中国人という民族が自分ファーストだということです。彼等は、自分の利益になるのであれば、何をやってもいいと思っています。政府も人民も、同じ理念で行動します。中国が、一党独裁という強権をもって統治しなければ国として成り立たないのは、中国人という人民を統治するためには、強権政治が必要なのです。中国は、民主主義では統治できません。そのことを、権力者は、自分も中国人なのですから、承知しています。文化大革命で、民主化を制圧したのは、当然のことです。香港での雨傘革命が弾圧され、息の根を止められようとしているのも、必然的な措置です。香港を、蟻の一穴にするわけにはいきません。中国は人口が多くて、国土が広いから、民主主義では統治できないと言われますが、それは違います。中国人民を野放しにすれば、全員が自分ファーストを優先してしまうのですから、強力な独裁政権でなければ統治できないのです。その中国人民の頂点に立っているのが習近平です。彼にとって、中国ファーストは当たり前のことなのです。特に、最近、中国は自分達のやり方に自信を持ち始めています。一帯一路を妨げる者はいませんし、南シナ海でのゴリ押しも出来ました。将来的には、中華思想によるネットでの世界標準を手に入れるという目標も掲げました。中国のネット社会の規制は有名ですが、それを世界に広めたいと思っているようです。悪名高きネット規制を世界標準にすることを、アメリカも、アメリカ国民も、容認するのでしょうか。私には、想像できません。従って、中国の理想や目標を実現するためには、どこかで、アメリカを力で屈服させねばなりません。AIIBの創設時に、世界の多くの国が参加したことが中国の自信となったのでしょうが、中国だけに責任があるのではなく、世界の国々が「欲」を優先させたことにも責任はあります。
アメリカは、自分達の価値観だけで中国に対応してきました。中国を自由貿易の仲間に入れてやれば、彼等も、仲間として相応しい行動をしてくれるはずだという思い込みによるものです。西側諸国も、そのアメリカの考え方に賛同しました。もちろん、13億人という消費者の存在が、西側諸国の助平根性を刺激したという部分のほうが大きかったと思いますが、そこには、ソ連の崩壊による西側諸国の優越感や驕りもあったでしょう。結果を変えれば、原因も変えることが出来るだろうという甘い考えもあったでしょう。しかし、アメリカの目論見とは違った形で、中国は力を付けてしまいました。
「もしかして、これ、ヤバいかも」と気が付いたのです。
もっとも、それは、アメリカが世界覇者であったから気付いた、いや、アメリカファーストのトランプだから気付いたのかもしれません。
欧州諸国の中でも、中国に一番深く食い込んでいるドイツは、少しだけ気付き始めているのかもしれませんが、他の西側諸国に危機感は見られません。もう少し、中国の影響力が深刻な影響を与えるまで、時間がかかるのかもしれません。特に、欧州の国々にとっては、ロシアや中近東の問題のほうが身近にありますので、中国は、一つの市場としての価値しかないのかもしれません。中国の目標が世界制覇であることを、知ってはいるでしょうが、まだ実感はしていないと思います。
アメリカは二番手に甘んじるつもりはありません。彼等は、それを誇りだと思っているでしょう。いつでも、ナンバーワンでいたい国です。その中には、感情的な理由もあります。その感情が表面化した現象が、人種差別です。アメリカ国内での白人至上主義はよく知られていますが、国際関係ではその感情を封印できているのでしょうか。いいえ、彼等は、有色人種である中国人の風下に立つつもりはありません。これは、感情ですから、理屈では説明がつきません。しかし、人間の判断は、いつでも、感情に大きく左右されるのです。
欧州列強の大航海時代から始まった白人による地球支配は、20世紀まで続きました。その頂点に立ったのがアメリカです。白人支配のイギリスがアメリカに挑戦状を突きつけたのであれば、妥協の余地はあったかもしれませんが、相手が中国では、その要求を飲むことはできません。表には出しませんが、黒人は「ブラック」であり、日本人も中国人も、彼等にとっては「イエローモンキー」に過ぎないのです。「イエローモンキー」などという発想は100年前のものだと思う方がいるかもしれませんが、だったら、なぜ、今でも、アメリカ国内で人種による紛争が起きているのでしょう。白人は、白人至上主義者は、白人以外の人間を、同列の人間とは認めていません。白人以外は、人間以下の動物なのです。ヒットラーがユダヤ人を排斥したのも、白人至上主義の一つの表現だったと思います。アメリカが日本に原子爆弾を投下したのも、人間以下の存在である猿を殺すためであるという理由で容認出来たのです。
中国は、これまでの地球規模の白人支配構造に刃を突きつけたことになります。
このままでは、済みません。
アメリカが、世界覇権競争に名乗りを挙げた中国を意識したのは、つい最近です。
中国が、世界覇権という言葉を出すようになったのも、つい最近です。
時代は、新しいフェーズに入ったと考えるべきです。
決着をつける手段は戦争しかありません。
もちろん、戦争を奨励しているのではありませんし、明日から戦争が始まるという意味ではありません。いろいろ、紆余曲折を経て、最終的には、残念なことに、戦争で決着をつける時が来るという意味です。

では、この新時代は、日本にどんな影響を与えるのでしょう。
覇権戦争では、どちらかが覇権を手にするまで終わりません。ですから、その手段として行われる貿易戦争に終わりはありません。中国が譲歩したり、アメリカが譲歩したり、お互いに譲歩しなかったり、「ああでもない、こうでもない」と言いながら続きます。貿易戦争を続ければ続けるほど、アメリカも中国も痛手を受けます。
中国との貿易戦争で得られる利益が少なければ、アメリカは、日本だけではなく、多くの国を標的にします。アメリカは、他国が漁夫の利を得ているとして、当たり散らすでしょう。アメリカファーストなのですから、何としても利益を得ようとします。でも、トランプが選挙公約に忠実であろうとすればするほど、アメリカも、世界も、痛手を受けます。
争いが常態化すれば、世界経済が縮小することは避けられません。
世界経済が縮小すれば、日本経済も縮小します。
これまでも、リーマンショックのように、対岸の火事だと言われていたことでも、日本経済は大きな影響を受けてきました。日本経済は、アメリカ経済に、中国経済に、アメリカや中国の経済に依存している多くの国の経済に、依存しています。今度は、世界規模での経済戦争なのですから、その影響は大きいものになると思わねばなりません。仮に、アメリカ経済が5%の痛手を受け、中国経済が5%の、その他の国が5%の痛手を受けたとすると、日本経済の痛手は、15%になる可能性があります。さらに、その時の為替相場次第では、それ以上の痛手になることもあります。
国の最重要課題は経済です。
トランプは、アメリカで中間層が減り、中国で中間層が増えている、この現状を変えたいと思っています。それが、トランプの選挙公約です。もちろん、それは間違った判断ではありませんが、簡単なことではありません。今は、一発逆転を狙う場面ではなく、地道な努力が必要な時です。しかし、トランプが狙っているのは、その一発逆転劇です。トランプの部屋を見ても、彼が派手好みであることは明白ですから、この傾向は続くと思います。政権のメンバー構成も、その方向へ向かっているようにみえます。彼等は、自国が繁栄するためには、他国の繁栄を犠牲にする必要があるとさえ思っているようです。矛先が中国に向けられていると安心していてはいけません。トランプは、たとえ、世界を敵に回してでも、勝ちたいと思っているようです。自国の繁栄のためであれば、日本に、安倍に、配慮するなんてことはあり得ません。
少し先の話になりますが、アメリカが仕掛けた貿易戦争で日本経済が縮小しているにもかかわらず、アメリカは、経済的にも軍事的にも多くの要求を日本に突き付けてくるでしょう。
多分、踏んだり蹴ったりの状態になります。
国内に目を向けても、財政再建目標は先送りされます。社会保障費の急激な増加は目の前に迫っています。国際問題だけではなく、国内でも国力衰退に向かう課題が山積しているのです。経済の縮小は、国民生活を直撃することになると思います。
武力衝突は、いつ起きても不思議ではない状態になり、実際に武力衝突が起これば、アメリカは戦費を出せと強要するでしょう。金がないのなら、自衛隊を出せと言ってくるでしょう。いや、金も自衛隊も出せと言ってくるのでしょう。もちろん、後方支援部隊という意味ではありません。前戦に立てという意味です。
日本は、対応できるのでしょうか。
無理です。
でも、無理だからと言って、それで済むという話ではありません。
国は、自衛隊員に、国民に、犠牲を強いることになります。
自衛隊員の生命を犠牲にし、国民生活を犠牲にしなければなりません。
もう、この国には余力がありませんので、向かう先は自己崩壊です。
米中貿易戦争だと言っていられるのは、今の内です。
最初に書いたように、これは、第三次世界大戦の序章です。
第三次世界大戦は、第二次世界大戦の数倍の被害を世界にもたらすだろうと言われています。日本は、その第三次世界大戦の最前線の場所にいるのです。とても、数倍の被害で済むとは思えません。その認識が国家運営者にあるようには見えませんし、国民は「俺には関係ねぇ」と思い込んでいます。仮に、10倍の被害だとすると、3,500万人が死にます。20倍だとすると7,000万人が死にます。でも、そんな空気は、どこにもありません。日本にあるのは、「スキャンダルで盛り上がろうぜ」というお祭りの空気だけです。
時々、平和という御旗を立てて、日本が世界をリードすべきだという意見を聞きます。
どこまで、いつまで、世間知らずの「夢見る少女」をやるのだろうと不思議に思います。日本にそんな力がないだけではなく、平和という御旗では平和は手に入りません。
日本の国家運営者にとって、日本の国民は「いい人達」ですが、世界から見れば、日本という国は、「いい国」です。「いい国」というのは、日本の国家運営者が国民をうまく料理しているように、どうにでも料理できる「いい国」という意味です。
世間が世知辛いのは、定番なのです。それは、世界も同じです。


2018-05-01



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出口戦略 [評論]



毎回、夢のない話ばかり書いています。申し訳ありません。このブログは地獄の話しか書きません。そのことを前提にして、読んでくださいますよう、お願いいたします。
残念ながら、このブログを読んで下さる皆さんは、石田のことを信用していないと思います。その判断は間違っていません。信用しないでください。
そもそも、評論を書く奴なんて、信用できません。しかも、フィクション好きな評論家なんて最悪です。ですから、遊び感覚で読んでいただけると助かります。
ただ、いつの日か、思い当たる現実にぶつかる日がやってくるかもしれません。いや、必ず、その日はやってきます。その時は「そう言えば、昔、聞いたことがある話だな」と思い出していただければ幸いです。

日銀の黒田総裁が再任されました。
黒田さんご本人は、どう思っているのでしょう。
5年間の職と報酬を得られたことを喜んでいるのでしょうか。
それとも、「厄介なことになった」と思っているのでしょうか。
私は、「お気の毒なことになりましたね」と同情したいと思います。
これは、私だけの感想ではなく、多くの方が、同情していると思います。
世界景気は、2019年に後退期に入ると言われています。
アメリカは、今年秋の中間選挙が景気のピークになると予測されていますし、日本も2020年のオリンピックの1年前がピークになると予測されています。中国もアメリカとの貿易戦争が始まれば、景気は後退すると予測されます。
しかし、黒田さんの任期は2023年まであるのです。
仮に、景気の後退がなくても、日銀に出来ることは、もう、ありません。
逆に、出口戦略を示せという風当たりは強くなります。ロイターの企業調査によると、7割の企業が、出口戦略が必要だと回答しています。それは、景気後退期に金融政策が打てるだけの体力を日銀に求めているからです。
でも、今更、2%のインフレターゲットを撤回することもできません。ベストシナリオとしては、2019年前半に2%の目標を達成し、出口へ向かうことが出来ればいいのですが、思惑通りになるのでしょうか。経済構造が変わったわけでもなく、成長戦略が実現し景気拡大局面に入った訳でもありませんので、景気後退が始まれば、またデフレに逆戻りです。金融政策は、もう、使い果たしていますので、指を咥えて見ているしかありません。日銀がレームダック状態になれば、地方の金融機関の倒産もあり得ます。企業倒産は、どんな時代でもあるものですが、金融機関の倒産が与える影響は他の企業の倒産とは違います。メガバンクのリストラも始まっていますし、不況業種の大規模リストラも始まっています。経済の構造改革が出来なかったことで、世界景気の悪化は、古くなった日本企業に引退を求めてきます。日本企業の神話は、どんどん崩れています。
これまでの5年間と違い、これからの5年間は不安材料のほうが大きいのです。
来年の秋には消費税増税があります。教育費無償化を選挙で公約しましたので、来年の増税延期は難しいと思います。自民党は、既に、来年夏の補正予算を言い始めています。増税後の消費の冷え込みを小さくするために、増税前に補正予算を組み、増税後にも補正予算を組むことを目指しているようです。仮に、消費税増税の前後で、10兆円~15兆円の補正予算を組むとすると、教育費無償化に要する1.7兆円の財源を捻出するために、その7倍の出費をすることになります。7倍の出費をしても、消費税は毎年入って来るのだから、7年経てば元が取れると考えているのかもしれませんが、その計算は7年間補正予算を組まないという前提でしか成り立ちません。今や、補正予算は、恒例のようになっているのですから、補正などではなく、一般予算と変わりません。消費増税による増収分を教育費無償化に充てざるを得ないということは、他に財源がないということなので、補正予算は全額が赤字国債による借金で賄うことになります。増税をして、借金をして、また、増税をして借金をする。いつになったらこの悪循環から解放されるのでしょう。これって、モラルハザードが起きているということなのではありませんか。「なに、足りなければ、国債を売ればいいじゃないか」というモラルハザードです。「それでも、足りなければ、増税をすればいい。なに、社会保障費という立派な言い訳があるじゃないか」という理屈で、消費税は15%へと動き始めます。
借金を増やすことは簡単ですが、減らすことは容易なことではありません。2019年以降、世界景気が減速するのであれば、日本のGDPも減少します。GDPが減少するということは税収が減少するということです。しかし、社会保障費は、まだまだ、伸び続けます。
増税するから借金が増える。
景気が悪いから借金が増える。
財政出動の言い訳を作っては借金をする。
とりあえず、何らかの理屈を作って借金をする。
政府は、借金をすることが仕事だと考えているのかもしれません。これこそ、モラルハザードなのではありませんか。
最後は、借金の利払いのために借金をするという借金地獄へ向かいます。
例えば、2,000兆円の借金の利率が3%だとすると、利息は60兆円になります。60兆円という数字は税収を全額利息支払いに充当したとしても、払いきれる金額ではありません。
最近の自民党では、統合政府という言い訳が流行しています。政府と日銀が一体になれば、いや、日銀は政府機関であり、元々一体なのだから、借金は借金ではなくなる。「財政ファイナンスのどこが悪いのだ」という言い訳です。統合政府という考え方が成り立つのであれば、財政破綻をする国はありません。でも、過去には、財政破綻をした国が数多く存在しています。これからも、財政破綻する国は出てくるでしょう。ベネズエラなどは、財政破綻寸前にあります。ベネズエラにも中央銀行はあります。統合政府にして、借金をしまくれば、国民も救われますし、国外の債権国も投資家も助かります。どうして、そうしないのでしょう。世の中に「うまい話」なんてものは存在していません。「うまい話」は、最後には「あれは、詐欺だった」という結果になります。
そのカラクリは、通貨にあるのではないでしょうか。
お金には二種類あります。実質通貨と架空通貨の二つです。これは、ビットコインの話ではありません。現物通貨とデジタル通貨という二つでもありません。通貨とは、富の流通のために生まれた尺度であり、富の裏付けのある実質通貨と、富の裏打ちのない架空通貨の二つが存在していると考えられます。
国家を運営する経費は、国民や企業から徴収した税金で賄われます。国民や企業が税金を払えるのは、国民や企業に収入があるからです。つまり、国民や企業が汗水たらして富を作り出し、その一部を国家運営に充てているのですから、その資金には富の裏付けがあるのです。これが、実質通貨です。
しかし、日銀ファイナンスには、富の裏付けがありません。日銀が輪転機を回して印刷しただけの紙切れには富の裏付けがないのです。日銀が投資をして、100兆円の利益を出しているのであれば、それは立派な富ですから、政府に融通しても問題はありません。
日銀が持っているのは通貨発行権という権利だけです。富に応じた通貨を発行するのであれば、問題はありませんが、富の裏付けのない架空通貨を発行すれば、貨幣価値を落とすだけです。現在の日銀は、GDPに匹敵するような、富の裏付けのない通貨を金融政策という名目で発行しています。これは、架空通貨と呼ぶべきもので、実質通貨とは全く別のものです。景気が良くなれば、架空通貨は減少させていく性質のものです。架空通貨は、一時的な経過措置として認められているに過ぎません。
もしも、実質通貨と架空通貨を同じ通貨として扱えば、貨幣価値を下げ、インフレになるはずです。でも、インフレにはなっていません。それは、国債を金融機関から買い取って、市中に放出したはずの通貨が、そっくり日銀の当座預金口座にプールされているからです。私は、日銀当座預金口座はマグマだと思っています。その場所にとどまっていれば、マグマのままですが、一旦、爆発すると急激なインフレが発生します。今は、ハイパーインフレのエネルギーが日銀当座預金口座に貯まり続けている状態だと思います。富の裏付けのない架空通貨であっても、実質通貨と同じ外見をしています。私達が持っている1万円札と日銀当座預金口座にある架空通貨の1万円札は同じ顔をしているのです。これを長期間放置したり、民間に流通させてしまったら、経済の大混乱が生まれます。それを見ているのが、世界の金融市場です。この状態を正常と見るか異常と見るか、海外の判断がトリガーになるのでないかと思っています。そのきっかけは、戦争なのかもしれません。世界恐慌かもしれません。架空通貨が流通している国の通貨を信用してくれる人はいるのでしょうか。最初にやって来るのは、日本円の暴落になるかもしれません。1ドル100円が1,000円になるような暴落でも大変ですが、ドルと交換が出来ない通貨になるような暴落だとすると、致命傷になります。
では、日本円の暴落は私達の生活にどんな影響があるのでしょう。
1ドル1,000円になるということは、光熱費、ガソリン代、交通費、物流費が10倍になるということです。身近な例であれば、1リッター130円のガソリンを40リッター買ったとします。今なら5,200円ですが、それが52,000円になります。レジャーなどで車が使えなくなるだけではなく、業務用の車も使えません。毎月10,000円だった電気代が、100,000円になります。電気のない生活をしなければなりません。もちろん、冷暖房器具は使えません。インフラの価格が上がるということは、当然、あらゆる商品が値上げされます。
貧乏人は自然淘汰されますが、生き残る人もいるでしょう。
でも、ドルと円の交換が出来なくなると、輸入ができません。生活必需品が手に入りませんし、インフラも機能しません。何が起きるのか。ハイパーインフレになるしかありません。ハイパーインフレになれば、庶民は草や木の実に頼るしかありません。
私達は為替動向なんて意識せずに生活していますが、実は、国民生活に直結しているのです。
いつでも、犠牲になるのは国民です。

日銀の黒田総裁の話に戻します。
「出口戦略」という言葉が使われますが、具体的には、何をするのでしょう。
大量発行した架空通貨を金融政策発動前の状態に戻すための工程表を示すことです。
5年で500兆円の架空通貨を発行したのだから、5年で500兆円を処分するという工程にはなりません。多分、50年懸けて減らしていくことになります。でも、将来、何が起きるのかはわかりません。実際には、空の証文になる確率が高いと思いますが、姿勢だけは示さなければなりません。つまり、日本は危険と隣り合わせの架空通貨と共に生きて行かなくてはならないということです。
姿勢を示すと言っても、最初から実行しないというわけにもいきませんので、数年間は工程表に従い実行しなければなりません。
先ず、架空通貨の新たな発行を減らすことから始まります。
それは、国債購入枠の減少を意味します。日銀は、現在、80兆円の購入枠を設定していますが、それを、何年で、何兆円にするのかを示さねばなりません。日本の特殊事情がその工程表を決めることになるのでしょう。黒田さんは「財政ファイナンス」はしていないと言っていますが、誰もが、実質的な「財政ファイナンス」だと思っています。いや、日銀がやっている金融政策が財政ファイナンスかどうかの判定をするのは、日銀ではなく、世界の金融市場です。日銀も日本政府も、被告人席に座っているのです。被告人が「自分は無罪だ」と主張することは自由ですが、判定を出すのは被告人である日銀ではありません。ただし、日銀の事情も理解できます。財政を無視した工程表など作れません。50年の工程表だとすると、購入枠の削減を50年かけてやっていけばいいのかというと、そうではありません。購入済みの国債を減らしていくことのほうが、はるかに時間がかかるのです。購入枠をゼロにしなければ、毎年、日銀の国債残高は増えていくのですから、出来る限り短い期間で削減をする必要があります。仮に、毎年、10兆円減額していくとすると、実行できるのは3年か4年になります。購入枠を40兆円から50兆円残しておかなければ、財政のファイナンスが出来なくなるからです。3年程度で、世間が忘れてくれることを願うしかありません。
次に、日銀内部に積みあがった国債を処分しなければなりません。償還日を迎える国債もあるでしょうから、ほんの少しだけでも減るように思う方もいるかもしれませんが、国債の購入をゼロにするわけではありませんので、増え続けます。市中から買い上げた国債ですから、市中に戻すのが筋ですが、そんなことはできません。日銀は償還日まで国債を持ち続けなければなりません。先程書きましたように、日銀は財政をファイナンスするために、国債の購入を永久に続けなければなりませんので、日銀が保有する国債は増えることはあっても、減ることはありません。500兆円の架空通貨と500兆円の国債は封印されることになります。喉元過ぎれば熱さは感じなくなりますので、いつもの「なし崩し」方式が使えます。ただ、貨幣価値を決めるのは私達ではなく、世界の金融市場です。
50年計画の出口戦略を、3年間だけ実行して、それ以上のことが出来ないとすると、先程書いた日本円の暴落という危険は、ずっと続くということです。
その状態が5年続けば、世界は日本の金融政策は財政ファイナンスだと判断する可能性が高くなります。架空通貨を発行するような国の通貨が信用されるのかどうか。それは、為替市場が決めます。日本政府の力は及びません。グローバル化ということは、国内事情だけで物事が決まるという時代ではないということです。
姿勢を示すだけだとしても、3年間しか実行しないとしても、金融緩和政策を終了するということは、長期金利をゼロパーセントに張り付けておくことが出来なくなるということです。80兆円の枠があったとしても金利制御は難しいのですから、購入枠を減らしてしまえば、日銀による金利制御は不可能になります。長期金利という名の怪物が動き始めることになります。長期金利が上昇すれば、当然、利息の支払い金額が増加します。その財源を確保する手段は、やはり、借金です。悪循環はそう簡単には断ち切れません。

さて、もう少し視野を広げてみます。
日本財政の借金は、将来的に減少するのでしょうか。
参考までに、財務省の試算によると、50年後の国債残高は8,000兆円です。
ただ、いつかは減少します。右肩上がりのチャートが永遠に続くことはない、という鉄則があるからです。ただし、それは、この国が破綻する時です。
私達の国は、借金をしなければ国家運営ができないのですから、それが否定しようのない事実ですから、借金は増えると考えるほうが自然です。今までも、そうやって、借金は増えてきたのです。減少する条件はどこにもありません。
補正予算が補正ではなくなったと書きましたが、この傾向は今後も継続され、補正予算の金額も増加します。それは、社会保障費が増え続けるために、一般予算で賄っていた国家運営費用が押し出されることになるからです。一般予算と補正予算を合計した金額が国家予算になるのです。話がややこしくなりますので、特別会計予算は考えないことにしますが、国家予算が増え続けるということは、税収が増加しない限り、借金は増える計算になります。景気が後退し、人口が減少するということは、GDPが減少するということであり、GDPが減少するということは税収が減少するということです。増税をするか、借金を増やすかの二択しかありません。多分、増税もし、借金も増やすことになるのでしょう。
大変残念ですが、日本の出口はどこにもありません。
いや、一つだけ、出口があります。それが、日本崩壊です。
財政破綻で崩壊するのか、インフレで崩壊するのか、大量の餓死者が出て崩壊するのか、戦争に巻き込まれて崩壊するのかはわかりません。はっきりしていることは、日本に残されている道は、崩壊しかないということです。
国債にまつわる神話は、いろいろとあります。
日本は、債権国だから、借金ごときで破綻するわけがない。
日本国債は、90%以上が国内で消化されていて、日本円で発行されているのだから、破綻などしない。
日本では、国が大きな資産を持っていて、借金なんて、いつでも返済できる。
日本の長期金利はゼロパーセントだから、借金をしても心配いらない。
これらの神話が100%嘘だとは言いません。それぞれの神話には事実も含まれています。でも、その神話が成立するためには条件が満たされる必要があります。条件が満たされない場合は、単なる気休めにしかならない、神話なのです。長くなるので、今日は書きませんが、破綻した後から振り返って見れば、誰にでもわかることばかりです。
私達国民は、今日の延長線上に明日があると信じていますし、「何とかなる」と高をくくっていますし、「俺には関係ねぇ」と思っています。でも、これらの信仰や願いが、叶うとは限らないのです。
日銀には、財政ファイナンスをしなければならないという絶対条件があるのですから、出口戦略を立案することは出来ても、実行することは出来ません。
黒田さんは、日本を破綻へと導いた日銀総裁という歴史を残すことになります。


ここで、ウォールストリートジャーナル紙の記事を抜粋します。

 危機がいつどこで起きるのか、何がきっかけになるのかはほとんど分からない。危機がサプライズなのは、ある前提があまりに分かりやすいために全員がそれに基づいて動き、破滅の種をまくからだ。82年の危機についてはメキシコのような国はデフォルトしないとの前提、97年の危機ではアジアの固定為替相場は崩壊しないとの前提、07年の危機前は全米で住宅価格が下落することはないとの前提、11年についてはユーロ加盟国のデフォルトはないとの前提だ。シカゴで金融調査会社を経営するジェームズ・ビアンコ氏は、現在ではそれが「インフレ高進も成長加速も起きない」との前提だと考えている。どちらかが現実になれば、家計で可処分所得と比べた証券・不動産の価値を押し上げてきた低金利が維持不可能になる。
 ロゴフ氏は「実質ただで借金ができ、借り換えを続けられるときには、危機に陥る確率がずっと低い」と同意している。ロゴフ氏の想定に反して実質金利が1.5~2ポイント上がれば、歴史的には小幅な上昇だが、イタリアやポルトガルの債務は維持不可能になるかもしれない。

日本にも「日本財政は破綻しない」という前提(神話)があります。
神話こそが危険の源なのではないでしょうか。


2018-04-05



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日常業務 [評論]



昨日の「日韓戦争」とは直接の関係はありませんが、根っ子は同じ場所にありますので、森友公文書改竄事件について、書いておきます。
日本政府が得意とする「なし崩し方式」とは、少し意味合いは違いますが、「国民不在」という根っ子の部分では、森友事件から派生した文書改竄事件の「辻褄合わせ手法」はよく似ています。それは、どちらも、曖昧文化から派生したものだからです。
以前に、森友事件は詐欺事件だと書きました。加害者は学園理事長であり、被害者は国でした。国有財産は国民の財産だと言う方がいますが、国民は、そんな認識は持っていませんので、ここにも曖昧が存在しています。
右翼思想を利用した金儲けが学園理事長の目的だったと思っています。詐欺師ですから、利用できるものは、何でも利用する。そして、理事長に利用されたのが、安倍さんであり、安倍夫人であり、財務省だと思います。
理事長と総理をつなぐ糸は右翼思想ですが、この件にどこまで「日本会議」が関係していたのかはわかりません。でも、関係していたと考えるほうが自然だとすると、評判を落としてしまったのですから、結果的に「日本会議」も被害者になってしまったのかもしれません。そういう意味では、学園理事長は詐欺師の鏡みたいな人です。一国の総理大臣も、日本で最強の財務省も、日本最大の右翼団体も、まとめて騙した大物詐欺師です。
政府も、官僚も「じっと我慢の子」を続けていれば、火は消えるはずでした。
しかし、公文書を改竄したことが、不思議なことに、ほんとに不思議なことに、信じ難いことに、バレてしまい、憲法の問題になり、国民の受け取り方も以前とは変わってしまいました。内閣支持率も急落しました。
独断と偏見で文章を書いている私が言うのはどうかと思いますが、私は、自己中心の朝日新聞が大嫌いですが、棚ボタという幸運を差し引いても、今回はいい仕事をしたと思います。ただ、リーク記事の掲載に問題はありませんが、文書改竄は国民の権利に対する犯罪行為だという論調で世論を引っ張っているのは、行き過ぎだと思います。朝日新聞が「国民とは」という確たる定義を持っているとは思えませんし、仮に持っていたとしても、その定義を国民は知りませんから、国民の権利に言及するのはやりすぎだと思います。それは、定義を共有するという土台のない場所に家を建てるようなものだからです。曖昧という大海の中で浮遊している状態では、潮の流れで思わぬ場所へ流されてしまいます。先ずは、曖昧という名の海から抜け出さねばなりません。私達は、政府の洗脳にも染まりますが、マスコミの誘導にも歩調を合わせる性癖を持っていますので、困ったことです。
今回の公文書改竄事件は、麻生大臣が言っているように、「辻褄合わせ」のために行われたものであり、深い意図はなかったと思います。財務省だけではなく、この「辻褄合わせ」の手法は官僚の得意技ですからよく使われますが、普通は、バレないものなのです。都合の悪い結果は、望ましい形に変更する。最後の最後で辻褄を合わせれば、何も問題はない。頭の良い人達にとっては、瑕疵のない文書を残すことは誇りなのかもしれません。これは、霞が関では日常的に行われていることだと思うべきです。特に、今回の改竄は「削除」が主な改竄点ですから、立件するのは難しいと言われています。自民党が、「改竄」と言わずに「書き換え」と言っているのは、立件できないと考えているからでしょう。
決裁文書の改竄なんて「前代未聞」だと言われていますが、そうなのでしょうか。これまでは表面化しなかっただけで、日常的に行われていたと思うほうが自然です。財務省も、日常業務として、淡々と、仕事をしただけだと思います。ま、確かに、量的にあれほどの改竄をしたことは初めてかもしれません。そういう意味では、ほんの少しだけ、良心の呵責はあったのかもしれません。
もしも、文書改竄が犯罪だという認識を持っていれば、その犯罪を実行する時、犯罪者であれば、綿密な計画を立て、完全犯罪を目指し、秘密が漏れないように手を打ち、逃走経路を確かなものにし、万全を期して犯罪に臨むものと思います。しかし、国交省に文書があることを忘れていたり、会計検査院や大阪地検に2種類の文書を提出していたりという、犯罪者らしくない杜撰な行動をしています。日本一優秀な頭脳を集めている財務省の行動とは思えません。リークの心配すらしていなかったようにみえます。つまり、財務省は改竄の事実が外部に漏れることなど微塵も心配していなかったのです。それは、彼等に、犯罪という意識がなかったからだと思います。
誰が朝日新聞にリークしたのかは今後もわからないでしょうが、あの報道がなければ、表面化することはなかったのです。現に、1年間は見事に発覚しませんでした。
今回の「辻褄合わせ手法」も「国民不在」という根っ子から生まれています。
その底流にあるものは「国民は馬鹿だから」という国家運営者共通の認識です。「国民は馬鹿なのだから、何をやっても、問題ない」というこれまでの実績もあます。「馬鹿」という言葉が過激であれば、「いい人達」という言葉に替えてもらってもいいです。
特に、官僚の場合は、最難関の試験と言われるキャリア試験に合格している人達ですから、国民は馬鹿に見えてしまっても仕方ありません。たとえ、馬鹿であっても、主権者なのだから、という結論になればいいのですが、そうはなりません。政治家にも官僚にも「主権者は国民である」という意識はありません。もちろん、建前としては存在しています。でも、国家運営者が得意とする裏の理屈があります。「一応、主権者は国民ということになっているが、例外的に、馬鹿は、主権者として認める必要はない」という判断だと思います。この「例外手法」も国家運営者が度々利用する論理です。定義がないのですから、別に問題にはなりません。もちろん、自分の利益を守るために、口先では「国民が主権者である」と言いますが、それは中身のない常套句に過ぎません。何度も書きますが、「国とは、国民とは」という定義がないことは、国としても国民としても不幸なことだと思います。普段は感じませんが、ドツボに嵌った時には痛感するものです。
国家運営者は、国民が馬鹿だと信じていますので、国民なんて怖くはありません。ですから、国民と向き合う必要もなく、国民に配慮する必要もありません。何をやってもいいのです。もちろん、建前は、常に口にしておく必要があります。仮に、何かがあっても、時間が経てば忘れてくれます。ともかく、いい人達ばかりですから、何の心配もいりません。
現に、国会では国家運営者同士が好き勝手な屁理屈を並べて遊んでいます。官僚は、国民から指一本指される心配はなく、政治家は選挙の時だけ頭を下げていれば、問題ありません。「なし崩し方式」や「辻褄合わせ方式」が有効な手法として使われていることが、その証拠です。この不具合を追求していくと、そこにあるのは「民主主義とは」という定義の欠如という曖昧文化の弊害だと思います。しかし、誰一人、その根っ子には到達していません。
政治家も官僚も、法律を作る人達と法律を運用する人達であり、法律の専門家と呼んでもいいと思います。ですから、法律をすり抜ける方法は常に考えています。自分達が不利にならないような法律の作成を命じ、自分達が不利にならないような運用方法を作り出す。これは、それほど簡単なことではなく、時間も必要ですし、豊富な知識も、緻密な頭脳も、組織の団結も要求されます。もしかすると、それが彼等の仕事の大半を占めているかもしれません。大変な仕事です。それでも、日本の官僚は優秀ですから、うまくやっています。優秀な頭脳をこんなことに使うのはもったいない、と指摘をする人もいません。この国では、今、あらゆる分野で構造改革が求められていますので、そちらの方向に、これらの優秀な頭脳を使えば、日本は生き返ることが出来るかもしれませんが、そうはなっていません。自分の、自分の課の、自分の局の、自分の省の利益が最優先です。何でもやりたい放題に出来るのですから、自分の利益を追求してもいいのです。本来は、それを咎める仕組みがなければならないのですが、この国の仕組みはそのような仕組みになっていません。もちろん、形式的には、それなりの仕組みがあるようになっていますが、きっちりと骨抜きになっています。
日本で最高の頭脳を結集して作られたものですから、不都合なことがあっても、そう簡単に立件できるものではありません。憲法違反なんて、更に、立件できません。安倍総理が強気なのは、違法行為には当たらないという確信があるからです。法律に違反していなければ、何をしてもいいというのが、国家運営者共通の認識です。国家運営者の皆さんは、道義的責任はあっても、法的責任はないように、細心の注意を払って、そのために多くの労力を費やして、国家を運営しているのです。その脱法行為は、国民のためではなく、自分達の利益のためですから、頑張れるという条件もあります。法律をすり抜けるためには、優秀な人材が必要であり、キャリア制度が作られました。官僚はその要望に応えているのです。そこに国民という視点がないことは、大変残念なことです。
公文書を改竄することが「前代未聞」なのではなく、「リークする奴がいたなんて、前代未聞だ」という意味で使われたのであれば、納得です。もちろん、リークしたのは国家運営者集団に属している人ですから、これは内部崩壊現象なのです。内部崩壊が起きていることこそが権力者にとっては「前代未聞」だと認識しなければなりません。
国民なんて馬鹿だと思っている政治家が、国民は馬鹿だと確信している官僚を交えて議論したところで、その根っ子に辿り着くことなどありませんし、空論で終わるしかないのです。これまでも、そうでしたし、これからも変わりません。「このようなことが、二度と起きないように、再発防止のために、文書管理規定を・・・・・」という話になるのでしょうが、二度目だけではなく、三度目も四度目も起きます。それは、新しく作られた規定をすり抜ける方法を必ず見つけ出すからです。それが彼等の仕事なのです。
国民に必要なのは法律ではなく、法律の前提となる定義なのだと思います。そもそも、法律の目的は民を縛ることです。国家運営者に適用される法律はザル法と相場は決まっています。その差を埋めるのは定義しかないと思います。法律は専門家にしかわからないとしても、原則さえわかっていれば、国民でも判別できます。
国会の予算審議からエピソードを一つ。
自民党議員の質問、「あなたは民主党政権時代に野田さんの秘書官をやっていた。だから、安倍政権を貶めるために、いいかげんな答弁をしているのではないか」
財務省理財局長の答弁、「私は公務員として、大臣に誠心誠意お仕えしているのであり、それは、いくら何でも、それは、いくら何でも、それは、いくら何でも、ご容赦ください」
実に程度の低い質疑応答ですが、これ、現実です。確かに、議員の質問は下劣極まりない質問ですが、私は、官僚が「大臣にお仕えしている」と答えた部分に違和感がありました。国会議員は国民の負託を背負っているのだから、大臣に仕えるのは国民に仕えることだと注釈すれば筋は通りますが、そのようには聞こえませんでした。実際に、官僚が議員の後ろにいる国民を意識しているとは思えませんし、そもそも、議員自身も国民の負託に応えているとは思っていないでしょう。もし、議員が国民の負託に本気で応えようとすれば党議拘束に反対しなければなりません。国民は、物価を上げて欲しいとか貧困化を推進して欲しいなどと考えていません。議員は、党の持っている組織票と選挙資金がなければ議員になれませんので、彼等に残された選択肢は、国民を騙す選択肢しかないのです。
理財局長は、かなり怒っていましたので、本音に近い答弁だったのでしょうが、無意識の状態でも辻褄が合うような答弁が出来る官僚の能力は素晴らしいものだと思います。その点では、日本の最高頭脳と呼ばれても、納得です。確かに、国民不在の「証拠を出せ」と言われても、出せません。議員や官僚の本音を証明する方法はありませんから、どうすることもできませんが、定義があれば、少しは判明していたかもしれません。
ただ、野党の皆さんも「国民を、国会を、愚弄する行為だ」と叫んでいますが、国民とか国会という言葉を利用しているだけで、「国民とは」という定義すら持っていません。国会議員にとっての「国民」は自分にとっての「一票」に過ぎないのです。与党議員も野党議員も、その点では一致しています。選挙の時だけ頭を下げ、その「一票」を貰ってしまえば、後は、自分の好き勝手に出来るのです。国民は、何も言いません。現実が、そうなっているのですから、もしかすると、国家運営者が国民を馬鹿だと思っていることは、それほど的外れではないのかもしれません。与党議員、野党議員に関係なく、彼等は「国家・国民のために」という偽の大義を掲げ、莫大な費用を使って、自分の「一票」のために、自分の利益のために、茶番をやっているのです。これでは国民は浮かばれませんが、国民は「ふむ、ふむ」と頷いているだけです。ほんとに、いい人達です。
ま、私達は、自分が「馬鹿」だとは思っていませんが、「無知」も「馬鹿」の範疇に含まれるとすると、「馬鹿」と思われても仕方ありません。国民が、知る努力をしていないことは事実ですから、責任の大半は国民にあります。国民が「俺には関係ねぇ」と思っていたのでは、民主主義は機能しません。ただ、国家運営者の皆さんは、国民に「知る努力をしてくれ」と要請したのでしょうか。国民が知らないことを、知る努力をしなかったことを、是としてきたのではないでしょうか。政治家や官僚がやりたい放題をするためには、国民の「無知」は望ましい環境だったのではないですか。これでは、かつての封建制度と、外見は違いますが、中身は何も変わっていません。私達は、民主主義風王政並立封建制度から抜け出さなくてはなりません。
野党の皆さんは、鬼の首を取ったように振舞っていますが、彼等が改竄の事実を見つけたわけではありません。あのリークがなければ、野党は何もすることがなかったのです。その上、公文書改竄は「民主主義の根幹を破壊する暴挙である」と主張しています。民主主義の定義を共有することもなく、民主主義という言葉を安易に使いたがります。ほんとに、いつも、いつも、言葉が軽くて、困った人達です。
その背景は「民主主義とは・・こんなもん・・だろう」という、曖昧な暗黙の了解の上に築かれています。この「・・こんなもん・・」は、個人によって違います。「・・こんなもん・・」を知らない人も、「・・こんなもん・・」を「俺には関係ねぇ」と思っている人もいるでしょうが、それなりに、自分なりに「・・こんなもん・・」を「・・こんなもん・・」だと勝手に考えている人もいて、この国では、誰一人、その「・・こんなもん・・」を共有していないのです。定義という土台がない場所で、共通の尺度を持っていない人達が、いくら議論をしてみても、それは「お遊び」にしかなりません。佐川氏証人喚問でも、野党の皆さんは、根っ子を探そうともせずに、棚ボタ発言を期待しているだけでした。「人は正しい行動をしてくれるもの」という思い込みに一縷の望みをかける。日本人らしいと言えば日本人らしい行動パターンですが、現実は、そうはならないのが普通です。根っ子が見えていない人は、根っ子に切り込むことができません。どれだけ、枝葉を揺らしてみても、何も変わらないのです。
そもそも、国会議員は、どんな人が、どこから、選出されているのでしょう。国家運営者の皆さんが「馬鹿」だと考えている国民の中から選出されている、国民の一人なのです。「馬鹿」の群れの中から選ばれた「馬鹿」ですから、国会議員も「馬鹿」なのです。中には、私達庶民よりは、多少、頭のいい人もいますが、大きな差はありません。スキャンダルにしか反応しない野党議員。自分の利益しか考えていない与党議員。国民の選択肢は、どこにあるのでしょう。と言っても、議員も「馬鹿」なのですから、どうすることも出来ません。だとすると、私達は自分が「馬鹿」であることを認めるしかないのではないでしょうか。「馬鹿」は「馬鹿」なりに、「馬鹿」に出来ることをするしかないのです。「馬鹿」にでも出来ること、それは「原点に立つ」ことくらいだと思います。
「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義を国家運営者と国民が共有していれば、今のような状況にはならなかったように思います。
それでも、不条理ではありますが、最終的には、国民の責任になります。民主主義国家という統治体制は、そういうものです。大半の国民は「俺は、知らなかった」と言うでしょう。その通りです。国民は知らないのです。責任を放棄してきたのは、国家運営者だけではなく、国民も立派に責任放棄をしているのです。みんなで、責任放棄をやっているのですから、これは、自己責任を取らされても仕方ありません。

たかが詐欺事件の森友問題であっても、その根っ子に気付かないということは、本来は国民生活を守るための議論をしなければならない国会で、与党と野党と官僚が三つ巴になって茶番劇を演じているということは、朝鮮半島連合軍対日本の戦いの危険性など、気付くこともないということです。
政治家の言葉を信用してはいけません、と言っても説得力はありませんが、私達は、せめて根っ子を見つける努力くらいはするべきだと思います。
もしも、朝鮮半島連合軍対日本の戦いが始まってしまうと、これまで、いろいろな場面で、「国民のため」「国民の生命と財産を守るため」と発言してきた政治家の言葉は、全部、嘘八百だったということになります。特に、安倍さんは上手に嘘をつく才能に恵まれています。見事だと思います。もちろん、政治家は、自分達が嘘八百を並べていることを知っています。それが彼等の仕事です。でも、この国の国民は、「いい人達」ばかりですから、その嘘八百を信じてしまう国民なのです。そういう意味では、責任は国民にありますが、願わくば、政治家はそんな国民性を知っているのですから、それを利用するだけではなく、自分の利益だけではなく、国民の利益も考えられる人が政治家になるという矜持は持っていて欲しいものです。実現は出来ないでしょうが、夢としては持ちたいものだと思います。確かに、国民は「無知」ですから「馬鹿」にみえます。でも、「国民が馬鹿だから、国家運営者は何をやっても許される」とは思わないで欲しいのです。やはり、定義を持たずに「なあ、なあ」「まあ、まあ」で誤魔化してしまうという従来のやり方は、大変危険だと思います。
この国は、曖昧という空気の中で、壊れていっていることに気付けていません。
いつ、気付くのでしょうか。
それとも、このまま、壊れてしまうのでしょうか。


2018-04-04



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日韓戦争 2 [評論]



追記
昨日の文章を書いた後に、「韓国と北朝鮮、終戦宣言か」という文章がネットで流れました。私が書いたのはフィクションですが、同じ視点で朝鮮半島を見ている人がいたことに驚きました。
私は、記事紹介の場合は、記事紹介と書くルールを自分に課しています。
ただでさえ価値のない評論ですから、記事や事件の解釈だけはオリジナルに拘りたいと思っているからです。
私の書いたストーリーを削除して、この記事に対する解釈という文章にしようかとも思いましたが、両方とも載せることにしました。
「韓国と北朝鮮、終戦宣言か」という記事を書いたのは、ニューズウィークの編集部ですから、それなりに取材をしたものと思います。韓国と北朝鮮の終戦宣言は、平和条約の前文に当たります。ただ、ニューズウィーク編集部の結論としては、南北対話は「当てにはできない」というものになっていますので、趣旨としては現在の流れに沿ったものです。
その記事の中から、いくつか、抜粋しておきます。詳しくは、ニューズウィーク誌をご覧ください。

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韓国メディアのNEWS1などによると、大統領府の関係者が14日記者団に会った際、「南北首脳会談で終戦宣言や平和条約の締結などについて議論することはあるのか?」という記者からの質問に対し、「大統領の昨年7月の新ベルリン宣言やその他の発言からすると、想定範囲内のことだ」と明らかにしたという。

金根植(キム・グンシク)慶南大学教授は、「文大統領がトランプ米大統領よりも金委員長と先に会って、終戦宣言や平和体制構築のような包括的な内容について対話することで、米朝首脳会談の大きな道筋をつけることができるだろう。先に作っておいた枠組の中にトランプ大統領を囲い込むという狙いもあるようだ」と分析する。

大統領府の関係者は、「これまでの南北の交渉では、制裁緩和しながら段階的に対話をしてきたが、今回もそうなるとは限らない。複雑に絡み合っている問題の結び目を"ゴルディアスの結び目"のように一刀両断で解決する方向にいくことが可能だ」と説明した。

大統領府の南北首脳会談にかける期待とは裏腹に、韓国国民の醒めた視線の方が歴史を学んだ賢人のように思えるのは気のせいだろうか?

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ニューズウィークの編集部が、韓国政府の意向に否定的な解釈をしたのは、多分、アメリカサイドの場所に立っているからなのではないかと思います。もしも、韓国の国益を最優先事項とし、韓国政府に中韓同盟という構想があったとすると、韓国政府はそんな発表は絶対にしませんが、平和条約の締結は、とても現実味を帯びてきます。少なくとも、韓国政府が、トランプを、封じ込めようとしていることは確かなようです。韓国の特使派遣の作戦は、今のところ成功しています。ただ、アメリカとの力関係で、韓国の希望は実らないかもしれません。それでも、文在寅は、可能な限り前に進めたいと思っているはずです。
私は、こんな情報を持っていませんでしたから、この記事を読んで驚きました。私が勝手に5%と予測していた、韓国が向こう側に行ってしまう確率は、7%になったかもしれません。青瓦台は、やる気満々、本気のようです。
もちろん、韓国や北朝鮮が、どんな思惑を持っていたとしても、それが実際に効力を持つためには、中国の協力が不可欠です。中国も、現行のアメリカ主導の世界秩序をひっくり返したいと思っていますので、朝鮮半島情勢はチャンスです。後は、今の時期が適切かどうかを、中国がどう判断するかに懸かっているのではないでしょうか。中国にとって、大きな一歩になる可能性と、ドジを踏む可能性が混在しているのは悩ましいところでしょう。

別の記事です。
トランプ大統領が、駐韓米軍の削減に言及しました。彼の論理は「我々はとても大きな貿易赤字を抱えているのに、彼等を防衛している。貿易で金を失い、軍事でも金を失っている」というものです。
また、アメリカと韓国のFTA条約の再交渉は妥結したようですが、トランプが金正恩と会うまではサインをしないそうです。
韓国を追いつめて、トランプは何を得たいのでしょうか。
文在寅は、どう思っているのでしょう。なんてことを言っても、何の足しにもなりませんが、韓国が窮鼠になる確率を高めるだけなのではないかと思ってしまいます。
トランプの頭の中は想像するしかありませんが、一番目に「カネ」、二番目に「カネ」、三番目に「カネ」、四番目に「支配欲」、五番目に「安全保障」という順番で並んでいるのではないか思います。彼は、企業経営者ですから、「カネ」が権力や支配力を生み出すと信じていても不思議ではありません。習近平や金正恩やプーチンの場合は、一番目に「支配欲」があると思いますが、その点でも異質な権力者だと思います。
今、一番、注意しなければいけないのが韓国の動向だと思わないのでしょうか。トランプ流のハッタリだとは思うのですが、瓢箪から駒が出てくる可能性はないのでしょうか。
もしも、私の推測が当たっているとすると、文在寅は中国に乗り換える口実を探しているものと思います。だとすると、文在寅にとっては「渡りに船」になる可能性があります。これまでも、駐韓米軍の撤退については、何度も言及され、米韓関係が悪化したことが何度もありました。多分、今回のトランプの発言は、トランプ流の商売なのでしょうが、こういう細かな齟齬が積み重なり、タイミングを間違えば、大きな亀裂を生むことになるかもしれません。日本はどんなことを言われても尻尾を振りますが、韓国が同じ対応をするとは限りません。悪い時期に悪い冗談を言って、場の雰囲気を壊してしまう。このトランプ流は、上手くいくのでしょうか。爆弾発言をして、相手国が右往左往しているのを楽しんでいるだけなのではないかと思うこともあります。しかし、日本にも多大な影響がありますので、困ったことです。FTA条約に為替条項が入ったのかどうか知りませんが、いずれ、この条約が破棄されることを韓国が予測していたとすると、トランプの面子は丸潰れになります。
仮に、米朝首脳会談が行われたとすると、トランプは、金正恩の気持ちを掴むために、自分の力を誇示するために、韓国を糞味噌に罵るかもしれません。韓国の言動には、イラついていると思いますので、更に、追いつめてしまうかもしれません。金正恩に駐韓米軍の撤退を約束するかもしれません。北朝鮮が核放棄という偽装約束をし、アメリカ主導で、駐韓米軍の撤退が動き出し、韓国が、仕方なく、中国に擦り寄っていくように見せることは、文在寅にとっては利益になります。中国も、受け入れやすくなります。
トランプは、「なに、文在寅がいなくなっても、晋三がいる。心配ない」と言うかもしれません。いえいえ、お友達の晋三は、今、風前の灯火状態です。
軍事的に日本が対応できるとは、日本人の私でも思いません。
トランプは、身近にあるアメリカ軍やアメリカ国民と、日本の自衛隊や日本国民を、同じだろうという前提で理解しているものと思いますが、日本の自衛隊も日本国民も、全くの別物です。日本人である私にも理解し難いくらいですから、余程の日本通にならなければ、この違いは理解できないと思います。

もう一つ、別の記事です。
26日に、金正恩が習近平と会談をしました。金正恩にとっては、初めての外交でしたが、中国首脳部はどんな印象を持ったのでしょう。とても、知りたいです。
日本では、「経済制裁で疲弊した金正恩が、アメリカの軍事行動を恐れた金正恩が、中国に助けを求めた」という意見の方が多いようです。ただ、皆さんの意見の前提には思い込みがあるように思えてなりません。それは、金正恩だけが悪者であるという思い込みです。確かに、金正恩が悪い指導者であることは認めますが、では、トランプや習近平は悪者ではないのでしょうか。私には、影響力が大きい分だけ、トランプや習近平のほうが悪く見えます。アメリカと中国とロシアを「悪の枢軸」と呼んでもいいくらいだと思います。金正恩だけを極悪人とみるのは公平ではないと思います。ここは、少し、冷静に分析すべきなのではないでしょうか。
中朝首脳会談の映像をみる限り、私には、ただ単に助けを求めて訪中したのでないように思えるのです。確かに、初めての外交ですから、緊張感はみえました。でも、決して、卑屈な態度ではなかったようにみえます。多分、金正恩の腹の中には、北京にでも核ミサイルを撃ち込むことができるという隠された自信があったのでしょう。彼は、核開発が正しい選択だったことを再確認したのではないでしょうか。核を持っていなければ、習近平の足元に縋り付いて助けを求めていたかもしれません。
私は、金正恩の真剣で前向きな表情と習近平の「愛想笑い」に別のものを感じました。習近平の「愛想笑い」映像を観たのは、トランプと初めて会談した時の映像でした。自分の思い通りになってもらいたい相手にであれば、「愛想笑い」をしてもおかしくありません。習近平の本音は、その表情に、特に笑顔に出ると分析している方もいます。許しを請い、助けてくれ、と言っている相手に「愛想笑い」をする必要はありません。安倍総理と会った時のように、そっぽを向いてもよかったのです。しかし、習近平にとって、金正恩を取り込むことが自分の利益になると判断すれば、「愛想笑い」の一つくらい、お安いことです。お互いに利用価値があると納得している会談だったのではないでしょうか。国力が全く違う相手に対して、親子ほどの年齢差がある相手に対して、金正恩は堂々と渡り合っていたと思います。悪と悪が手を結ぶのは最悪ですが、これが現実なのでしょう。
金正恩の目的は、韓国と中国の軍事同盟を促し、北朝鮮と韓国と中国とロシアの4か国による、対米戦略の構築のための訪中だと考えるべきだと思います。中国にとって、前向きな、建設的な提案を持って行ったということだと思います。
なぜなら、昨日も書きましたが、時代の流れは、そういう方向を向いているからです。
南北対話と米朝会談が決まった今、韓国の文在寅が北京へ行くと、角が立ちます。ですから、朝鮮半島を代表して、金正恩が北京へ行ったのではないかと思います。そうであれば、不自然ではありませんし、中国も歓迎してくれます。中国は、中国流資本主義で世界制覇をし、独裁国家連合の頂点に立ちたいと願っています。いつの日か、必ず、アメリカと戦う日がやってきます。北朝鮮も、中国陣営の有力な戦力です。
会談の中で、金正恩は、朝鮮半島の非核化に尽力したいと語ったそうですが、朝鮮半島の非核化が自分の安全を担保してくれるとは思っていないでしょう。朝鮮半島の非核化という提案は、中国へのお土産だったのではないでしょうか。アメリカ軍を、先ず韓国から、次に日本から追い出すことが出来れば、中国にとっての利益になるからです。
金正恩自身の安全を守るためであれば、在韓米軍の撤退だけでは不十分です。
アメリカには、核兵器搭載のICBMもありますし、グゥワムから核兵器搭載の爆撃機も飛んできますし、潜水艦による核攻撃もあります。あれだけ無茶をして核兵器の開発をしたのは、核を抑止できるのは核しかないという当たり前の事実を彼が知っているからです。いや、核兵器は他の兵器に対する抑止にも使えるスーパー兵器なのです。フセインやカダフィが殺されたのは、核武装しなかった結果だと思っているでしょう。
また、アメリカ相手に、どんな平和条約を結んでも、どんな約束をしても、条約も約束も絶対ではありません。双方が、いつでも、破棄できるのです。戦争になる時は、条約も約束も破棄されるものなのです。それが戦争です。崖っぷちを歩いている金正恩が、そんな、あやふやなものに、自分の命をかけるとは思えません。
日本人には想像できないかもしれませんが、力に対抗できるのは力だけです。アメリカが軍事攻撃を躊躇するだけのパワーが自分になければ、彼は安全ではありません。韓国と和平条約を結び、韓国を独裁国家陣営に引き込み、ロシア、中国と連携すれば、アメリカの軍事力を跳ね返すことができるかもしれません。文在寅と話をしたことで、4か国連合という戦略も夢ではないと思ったのではないでしょうか。そう考えると、彼の真剣な表情も理解できるような気がしました。
文在寅から南北平和条約を提案され、足元の危険を除去できる可能性が生まれたとします。そして、中朝首脳会談で、壊れかけていた中朝同盟は再確認されたとします。金正恩は、勝利を確信したのではないでしょうか。
韓国の取り込みには時間が必要ですが、ロシアは仲間に入ってくれるでしょう。これで、トランプの選択肢は非常に少なくなりました。今回の中朝首脳会談後の中国は、朝鮮半島の戦争には、堂々と介入してくると思われます。アメリカの軍事行動は、世界大戦を覚悟しなければ出来ません。ただ、トランプは何もわかっていませんので、アメリカのブレーキにはなっても、トランプのブレーキにはならない可能性があります。それは、トランプを選んだアメリカ国民が責任を取るしかありません。
トランプ政権の側近に力はありませんが、何とかして、米朝首脳会談に出たがるトランプを止めるべきだと思います。なぜなら、アメリカが恥をかくだけで終わる可能性があるからです。トランプは、「何とかしろ」と中国に圧力をかけると思いますが、301条の発表をした後ですから、中国がアメリカの要求に素直に従うとは思えません。逆に、中国から北朝鮮への経済援助が、既に、約束されているかもしれません。
金正恩の訪中は、内容もタイミングも大成功だったのです。
アメリカのテーブルに並んでいた選択肢から、軍事行動という選択肢はなくなりました。一発逆転サヨナラホームランみたいなものです。ただ、自棄になったトランプが、世界へ無理難題を押し付ける心配が出てきました。特に、日本は、格好の標的になる素質があります。この結果は、日本にとっては、大変困った事態になりました。
「同床異夢」という言葉がありますが、トランプはこの言葉を知っていたのでしょうか。アメリカの目的は、北朝鮮の核廃棄を非核化と考えていますが、北朝鮮が言う「朝鮮半島の非核化」は在韓米軍及び在日米軍の撤退を意味しています。トランプは「非核化」という言葉に飛びついて首脳会談に賛成しましたので、「同床異夢」という言葉は知らなかったと思います。トランプは、自分を中心にして世界が回っていると思い込んでいるようですが、現実は、それほど単純ではありません。
私は、金正恩が訪中する決断をしたのは、文在寅からの提案があったからだと、勝手に想像していますが、金正恩訪中のニュースを知った時、「なるほど、この手があったか」と思ってしまいました。随分悩んだと思いますが、よく勇気を出したと感心します。
やはり、世界の流れは、第三次世界大戦の方向へと向かっているように見えます。その流れを見るために、「れば、たら」を並べてみましょう。
トランプが大統領選で負けていれば、金正恩が後継者にならなければ、文在寅が大統領にならなければ、オリンピックがなければ、中国の独裁が進まなければ、ロシアが経済的なダメージを受けていなければ、今のような状況にはなっていなかったと思います。しかし、これらの「れば」は全部実現しています。これが流れだと思うのです。全員がウインウインの関係になることはありません。どこかで行き詰ります。そうなれば、最終的には、力で決着をつけるという選択肢しか残らなくなります。それが第三次世界大戦です。アメリカが総合力で他の国を圧倒していた時代は終わっています。この北朝鮮問題で主導権が取れなくなれば、その衰退は加速すると思います。それは、トランプの「アメリカファースト」が間違った政策だったという証明になります。トランプがやらねばならなかった政策は、西側諸国の結束を固め、中国を潰さなければならなかったのです。私には、上に挙げた「れば」が不幸の連鎖に見えます。ほんとに、不幸の神は群れたがります。

ここで、また、フィクションを書きます。
北朝鮮が、核放棄に応じたと仮定しましょう。
核放棄には、核査察が欠かせません。
では、北朝鮮は、アメリカの要求に、素直に、100%応じるのでしょうか。
そうは、思えません。
同盟国である中国の国益のために、近い将来同盟国になる韓国の安全のために、何よりも金正恩の安全のために、先ず、在韓米軍を追い出さねばなりません。そのための核放棄ですが、それが見せかけの核放棄ではないと、どうやって判断するのでしょうか。
私には、見せかけの核放棄の確率のほうが、はるかに高いように思えます。
では、どうやって、見せかけの核放棄を実現させるのでしょう。
素人でも想像できる方法は、核施設と核兵器の国外逃亡です。
北朝鮮のトンネル技術は優秀だと言われています。
北朝鮮の国土はトンネルだらけだと言われています。
もしも、ロシアとの間にトンネルが存在していたとしましょう。いや、今からトンネルを掘っても構いません。ロシアの地方都市の山間部に、主要な施設と核兵器を隠したとします。アメリカが、IAEAが、ロシア領の査察を要求しても、ロシアは応じないでしよう。
中国、ロシア、韓国、北朝鮮の4か国が協力すれば、アメリカを騙すことなど簡単にできてしまいます。北朝鮮を守ることが、他の3か国の国益にもなるとすれば、喜んで協力してくれるのではないでしょうか。
この程度の戦術は簡単に考えられます。
実際には、もっと、高度な戦術が立てられていると思いますが、直感だけが頼りのトランプは、気付くことができるでしょうか。
中朝首脳会談が成功したことで、金正恩の策略が成功する確率は高くなったのではないかと想像しますが、昨日書いたような無茶なフィクションは、あり得ないことなのでしょうか。ないことを祈るばかりです。
金正恩が北京を訪問した目的は、4か国連合の打診だったのではないかと思いますが、どうなんでしょう。
もちろん、これは素人の想像ですから、信用しないでください。
北朝鮮が核放棄を約束し、核査察が行われていれば、アメリカは軍事行動を起こせません。査察が行われるまでに何年もかかります、査察も年単位の時間が必要です。もしかすると、10年以上の時間が必要かもしれません。10年経てば、世界情勢も変わりますし、中国の力も強くなります。
それでも、「北朝鮮の約束に不審あり」として、無理矢理、軍事行動を起こせば、アメリカに味方をする国はなくなります。
必要だったのは、団結力だったのではないでしょうか。
韓国を追いつめたアメリカ、中国に膝を折ってでも団結を求めた北朝鮮。リーダーとしては、金正恩のほうが上だったということになります。
この部分も、フィクションです。

フィクションに過ぎなかったストーリーでしたし、私の勝手な想像に過ぎないヨタ話の類でしたが、嫌な予感がします。このままでは、朝鮮半島連合軍対日本の戦いになる可能性は、その確率は低いものですが、絶対に無いということではないように思います。
もしも、最悪の事態が起きるとすると、底辺にある「国民不在」の流れこそが、あらゆることを押し流している根っ子だということに、私達は気付かねばなりません。安全保障の議論が出来ない国は、国民を守るつもりのない国だということです。「民主主義とは」という定義はありませんが、民主主義国家は、どんなことよりも、国民生活が優先されなければなりません。国防を語らずに国民を守ることなど出来ません。しかし、この国には、国民という視点が欠けています。
第二次朝鮮戦争を始めないために、という点では、日本に出来ることは限られています。しかし、朝鮮半島連合軍対日本の戦いになることを阻止するのは、日本が主体的にやらねばならないことです。なぜなら、国には、国民生活を守る義務があるからです。しかし、これまでの国家運営者のやり方をみていると、そのような主体的な行動が取れるとは思えません。また、いつもの「なし崩し方式」を利用すれば、「ずるずる」と戦争に突入する危険があります。この国では、「ずるずる」は珍しい現象ではありません。


2018-04-03



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日韓戦争 1 [評論]



今日は、出来の悪い小説を読むつもりで読んでください。
これは、フィクションです。
そのために、少々、いや、かなり、長文になります。

無茶を承知で、日韓戦争のシュミレーションをしてみました。
米朝戦争でも、第二次朝鮮戦争でもなく、日韓戦争です。
「なに、それ」と思われるでしょう。これは、あくまでも、フィクションです。ただ、100%あり得ないと言えないところが、悩ましいと思っています。
実際には、朝鮮半島連合軍(韓国軍と北朝鮮軍)対日本の自衛隊の戦争ですが、本質的には米中代理戦争ですが、日韓戦争と呼んだほうがわかり易いと思いますので、日韓に代表してもらいます。
半年前に、「韓国にとっての最良の選択とは」ということについて書きました。
韓国は、中国陣営に参加することが、他の選択肢よりも優れていると書きました。
今年は、年初から、朝鮮半島で南北融和や南北対話が力を持っています。
北朝鮮が仕掛けた平和攻勢だという意見が主流になっています。
ほんとに、そうなのでしょうか。
私には、韓国が仕掛けた平和攻勢であるように見えます。
と言うよりは、出来レースに見えてなりません。
それは、韓国と北朝鮮の利害が、壊滅的な被害を受ける国という点で一致しているからです。
アメリカの安全のためだけに、北と南に分断されているとはいえ、朝鮮民族が何百万人も犠牲になるのは、割に合いません。北と南が協力するのは自然な流れです。
カードを切ったのは韓国であり、北朝鮮は、棚から落ちてきた牡丹餅にパクリと食いついた結果のように見えます。
韓国の特使と金正恩の会談の映像を見ても、金正恩は自信に満ちています。晩餐会では、終始、笑顔でした。依頼したのが韓国側で、韓国が大胆な条件提示(南北の平和条約締結や軍事同盟のような提案)をしたのであれば頷けます。北朝鮮が「満足できる会談だった」と言っているのは、韓国の平和攻勢だったという意味なのではないでしょうか。
韓国も北朝鮮も、いや、韓国のほうが南北融和を切望しているように見えるのです。
日本の報道では、アメリカの立場に立った意見や、アメリカのポチに徹する日本の立場に立った観測しか流れません。韓国や北朝鮮の意見は反映されているのでしょうか。正義はアメリカにだけあるのでしょうか。私達には、韓国や北朝鮮の本音を知る必要はないのでしょうか。確かに、大国による力の行使が世界の正義になるのですから、小国にはなす術がありませんが、その小国の行動が他の小国である日本に影響する心配はあります。
北朝鮮や韓国の立場に立って、冷静に考えてみましょう。
仮に、北朝鮮が核兵器と長距離弾道ミサイルを廃棄し、朝鮮戦争を終結させ、アメリカや連合国軍の国々と平和条約を結び、米韓同盟を終了させ、駐韓米軍が撤退し、米韓合同軍事演習が無くなれば、北朝鮮、いや、金正恩は枕を高くして眠ることができのでしょうか。
無理だと思います。
アメリカは、民主化を要求してきますし、人権問題を解決しろと強要するでしょう。大国は、いつでも、攻撃の口実を作ることができるのです。折角手に入れた核兵器を放棄しても、金正恩は何も得られません。大量破壊兵器というガセネタだけで、イラクに侵攻した米軍を知らない人はいません。正当化するためなら、どんな理由でも作るのが大国です。
たとえ、北朝鮮が約束をしても、北朝鮮が日本のようなアメリカのポチにならない限り、金正恩の安全は保障されません。そんなことは、金正恩が一番わかっています。アメリカがアメリカである限り、北朝鮮が北朝鮮である限り、両国の平和は実現しないのです。そこにあるのは、強いものが勝つという世界常識だけです。では、金正恩は負けを認めて、アメリカの属国として生きていけるのでしょうか。その確率は、0%ではありませんが、かなり低いと思います。
アメリカのミサイル防衛システムは、敵のミサイルを100%撃ち落とせるわけではありません。以前に、北朝鮮が複数のミサイルを同時発射する映像を公開しました。例えば、連続して50発の通常ミサイルを発射した後に、10発の核弾頭を搭載したミサイルを発射すれば、100%ではなくても、何発かの、いや、かなり高い確率で大半の核兵器がアメリカ本土に落下するでしょう。いや、実際に攻撃をしなくても構いません。その戦略をリークするだけで、アメリカは北朝鮮を核保有国として認めることになります。
どうしても、北朝鮮の核保有を認めたくないのであれば、多分、この数か月か数年が最後のチャンスなのだと思います。北朝鮮が数十発のICBMを実戦配備できるまでに、北朝鮮を焼け野原にしてしまわないと、軍事行動は不可能になると思います。逆に、北朝鮮は、アメリカがそのような決断をするチャンスを潰さねばなりません。トランプは、突然、その決断をしてしまうかもしれませんので、餌をぶら下げておく必要があるのです。それが、米朝首脳会談です。
一方、韓国が生き残るためにも、アメリカの軍事行動だけは、どんなことがあっても阻止しなければなりません。もしも、朝鮮半島で戦争が始まったら、韓国は大打撃を受けます。多くの国民が犠牲になり、多くの都市が破壊され、経済が大損失を出します。どこに、韓国のメリットがあるのでしょう。韓国の国益は考慮されているのでしょうか。私には、アメリカの都合だけしか見えません。
ですから、韓国が自国の国益を守るためには、アメリカと共に北朝鮮と戦うのではなく、北朝鮮と協力してでも、アメリカの軍事行動を阻止しなければなりません。文在寅は、同じ民族なのだから可能だと判断したのでしょう。どんな手段を使ってでも、アメリカの軍事行動だけは避けなければなりません。それこそが、韓国の喫緊の課題なのです。例え、韓国政府がアメリカ軍の軍事攻撃を認めないと言葉で表明しても、アメリカは行動する危険があります。よく言われるように言葉では何も動きません。韓国だって、行動するしかないのです。朝鮮半島で南北戦争を回避する方法は一つしかありません。韓国が中国軍側に立つしかないのです。韓国国民を守るためには、その選択肢しかないと思います。
去年、韓国について書いた、あの時点では、眉唾物のお伽噺であり、1%以下の確率しかありませんでしたが、今年になって、その確率は少し高くなったのではないかと思っています。高くなったと言っても、5%くらいの確率でしかないのでしょうが、ゼロではありません。

日本では、あまり話題になりませんが、韓国の文政権は左翼政権です。日本であれば、共産党政権が誕生したようなものです。
国民のイデオロギー反応度を、勝手に推測すると、日本の場合、左翼指向の国民は5%で、右翼指向の国民は5%、中間層が90%だと思います。中間層は、別名、付和雷同層と呼んでもいいと思います。韓国の場合は、左翼30%右翼30%中間40%だと言われています。日本よりも左翼政権が生まれる確率は高いと思います。そして、現に左翼政権が生まれ、国家としての危機を目の前にしているのですから、社会主義国になるだけの動機はあります。
文政権は、明確に、親北・反日の旗を揚げていますし、親中・反米になっても不思議ではない政権です。
そんな政権が韓国に誕生したおかげで、金正恩は韓国政府の内部事情に精通していると言われます。青瓦台の中は、左翼思想に染まっていて、多くの人が、自ら率先して北朝鮮に情報を渡していると言われています。北朝鮮では「青瓦台は制圧した」とまで言われているそうです。
韓国にとって、今は、南北統一が問題なのではありません。南北統一は夢のままでもいいのです。それよりも、直近の壊滅的な被害を何とかしなければなりません。たとえ、アメリカ軍が北朝鮮軍に勝利したとしても、韓国は立ち上がれません。第二次朝鮮戦争は、韓国にとって何のメリットもないのです。いや、山のようなデメリットしか残りません。
北朝鮮は、核兵器を持っているのだから危険だという方がいるかもしれませんが、北朝鮮と平和条約を結び、同盟国になってしまえば、危険は排除されます。あるいは、韓国が核兵器を開発して装備すればいいのです。韓国では6割以上の国民が核武装に賛成しています。
それ以上に、文在寅大統領には、米韓同盟軍として北朝鮮軍と戦う大義がありません。冷戦時代であれば、イデオロギーという大義がありましたが、今はイデオロギーで戦争をする時代ではありません。文在寅大統領は北朝鮮と同じ思想を持っていると言われています。そんな北朝鮮と、しかも同じ民族である北朝鮮と、戦う大義がありません。第二次朝鮮戦争を始めれば、多くの国民が犠牲になります。大義がないのですから、韓国側に犠牲が出ても、北朝鮮側に犠牲が出ても「国民を殺し、同胞を殺した大統領」という評価をされるかもしれません。戦争をするのであれば、どれほどの犠牲が出ても、渋々であっても、国民が容認してくれる大義が必要なのです。
戦争状態にありながら、あれほど多くの北朝鮮シンパがいるということは、同族意識が非常に強い民族なのだと思います。その朝鮮民族の「情」を納得させるだけの大義があるのでしょうか。
一国のリーダーが、自分にとっても、国民にとっても大義のない戦争で、壊滅的な被害を受けることを容認できるとは思えません。でも、相手はあのトランプですから、何をやるか、わかったものじゃありません。何とかしなければなりません。
文大統領に残されている選択肢は、北朝鮮と独自に平和条約を結び、米韓同盟を破棄し、中韓同盟と韓朝同盟を結ぶことです。すぐに南北統一をする必要はありません。同じ民族ですが、別々の国として平和的な関係を維持するほうが、はるかに利益になります。
歴史的に見ても、朝鮮半島は中国の支配下にあったのです。この60年間が異質な時代だったと思えば、別に問題はありません。

そもそも、なぜ、アメリカは北朝鮮の核兵器を許せないのでしょう。アメリカ本土に届く核兵器であれば、ロシアも中国も持っています。北朝鮮が持つことだけを否定しても、アメリカ本土は守れません。私には、弱い者「いじめ」にしか見えません。金正恩が危険だというのであれば、プーチンも習近平も金正恩に負けないくらい危険です。ま、一番危険なのはトランプ自身ですが、自分の国に向けてボタンは押さないでしょう。プーチンは躊躇なくボタンを押すと宣言しています。「たとえ、世界が終わるとしても、ロシアが存在しない世界など、我々は望んでいない」と言っています。習近平が同じ考えを持っているであろうことは容易に想像できます。
元々、中朝同盟は存在します。仮に、新しく中韓同盟が出来たとして、アメリカ軍は北朝鮮に対して軍事行動を起こせるのでしょうか。相手があのトランプですから、その危険は否定できませんが、事実上の米中戦争の始まりになるのですから、普通の感覚を持っている人間であれば躊躇せざるを得ません。そうなれば、戦争を回避することだって、可能になります。
文大統領は、この数か月の間に、その決断をしなければなりません。
もちろん、中国の協力が必要不可欠です。
中国は、軍事的な米中戦争を始めるのは、まだ、時期尚早だと考えているでしょう。しかし、アメリカの301条も秒読み段階に入っていて、中国の尻にも火が付き始めていますので、自分を守るためにも必要だと決断してくれるかもしれません。ですから、韓国にとっては、北朝鮮との対話よりも中国との対話のほうが重要になります。韓国は、今、アメリカに見放されたら孤立無援になります。しかし、中国が韓国と軍事同盟を結んでくれるならば、孤立無援の韓国も生き残ることが出来ます。そのほうが地政学的に見ても自然ですし、韓国軍という戦力が手に入るのですから、中国がアメリカと本気で対決するのであれば、中国にとっても損にはなりません。ただ、それは、習近平の腹一つです。
中国が軍事同盟を結んでくれなかった場合は、韓国はアメリカの命ずるままに、北朝鮮と戦うことになるでしょう。不条理なことですが、韓国の力だけではどうすることも出来ません。最近の中国は、北朝鮮情勢について目立った反応はしていません。「対話を歓迎する」という発表をしたくらいです。韓国の要請に苦慮しているのかもしれません。

何度も書きましたが、韓国が、朝鮮半島を戦場にしても、何の利益もありません。しかし、このままであれば、そんな不条理がやってくるかもしれません。今回は、そんな韓国に焦点を当てて、韓国の不条理について書いていますが、この不条理は、明日、日本に突きつけられても不思議ではないということに、私達は気付いているのでしょうか。日本の国家運営者の皆さんは、北朝鮮問題を「他山の石」として見るだけの視野の広さを持っているのでしょうか。政治家の皆さんは、口を開くと「日米韓、日米韓」という言葉を呪文のように唱えます。私には、既成概念の延長線しか見えていないようで、大変、心配です。
アメリカは、北朝鮮を「ならず者国家」と呼びます。確かに、北朝鮮は「ならず者国家」だと私も思います。では、アメリカや中国は「ならず者国家」ではないのですか。客観的にみれば、北朝鮮よりもはるかに質の悪い「ならず者国家」がアメリカと中国なのではありませんか。もっとも、国際関係では、自分のことを棚に上げて、白々しいことを平然と主張することは認められていますので、アメリカを非難しても意味がありません。でも、私達は、この現実を承知しておかねばなりません。「ならず者」が横行する地球上で、「夢見る少女」を演じ続けるのは無謀というものです。国家体制の変更は簡単には出来ませんから、韓国が向こう側へ行ってしまう確率は低いかもしれませんが、ゼロではないという前提で考えておく必要があるのではないでしょうか。万が一、韓国が向こう側へ行ってしまうと、アメリカ軍の最前線は韓国ではなく日本になるのです。理念も意識も法律も過去に置き忘れたままのこの国が、そんな事態に、対応できるとは思えません。

アメリカ政府は、いろいろな方々が、次々と、辞めています。トランプちゃん(最近は、トランプがお子ちゃまに見えてしまいます)は自分だけが頼りです。いや、スタッフの助言には耳を傾けず、トランプが全てを決める。大統領就任当初「俺は頭がいいから、ブリーフィングなんて、いらねぇよ」と言っていましたが、その自信に揺らぎはないようです。これが、トランプ政権です。金正恩とよく似ています。そう言えば、トランプや金正恩だけではなく、習近平、プーチン、アサド、ドゥテルテというリーダーも、似ています。もしかすると、21世紀のトレンドは、独裁を好むリーダーの時代なのかもしれません。
トランプは、周囲の反対を無視し、金正恩が提案した米朝首脳会談に賛成しました。韓国特使の持ってきた書類に目を通すこともなく、口頭説明だけで会談を快諾したそうです。確かに、「凄い」と言えば「凄い」ことです。ただ、逆から見れば、「馬鹿丸出し」に見えます。トランプだけではなく、人間の能力は無限ではありません。「イケイケどんどん」で失敗しても、諦めずに「イケイケどんどん」を継続する。「そのうちに、うまくいく」というのがトランプ流なのかもしれませんが、大変、傍迷惑であることは疑う余地がありません。
何よりも、トランプは、自慢がしたかっただけのようです。
「ブッシュにもクリントンにもオバマにも出来なかったことが出来たのは、俺が偉大な指導者だからだ」と自画自賛したと伝えられています。この自己顕示欲の強さは、独裁者に必要な条件ですから、トランプちゃんにしてみれば、「やったぞ」という気分なのでしょう。その演説会場は割れんばかりの歓声でした。我を忘れた民衆の姿を見ていると、「アメリカは壊れてしまうのではないか」と心配しますが、私の目が間違っているのでしょうか。ナチスが台頭してきた時、ドイツ国民は熱狂的にヒットラーを支持したそうですが、その光景とダブって見えませんか。
でも、日本国民にとっては、アメリカ政府が朝鮮半島情勢をほんとに把握できているのか、それが心配です。ご存知のように、私達は自分の国を自分で守れない国です。自分達の安全を確保するためには、アメリカ様に何とかしてもらわねばなりません。アメリカの一挙手一投足が、私達の安全に影響するのです。
米朝首脳会談が失敗に終われば、間違いなく失敗に終わるだろうと言われていますが、戦争という選択肢しか残らないということでもあります。特に、自分の思惑通りにならなかった時、激高型のトランプは、今でも危険な存在ですが、更に危険な存在に変身します。
最大の懸念材料は、北朝鮮ではなく、韓国だということに気付いているのでしょうか。
韓国が向こう側に行ってしまえば、状況はガラリと変わります。
以前にも書きましたが、トランプの本音は「なに、戦争になっても被害を受けるのはあっちだ、こっちじゃない」ということなのでしょう。もちろん、アメリカ国民も、そう思っています。自分の街に核兵器が飛んでこなければいいのですから、北朝鮮を叩き潰せという世論があることは不思議なことではありません。朝鮮戦争ではなく、朝鮮半島連合軍対日本の戦争になっても、アメリカは戦場にはなりませんので、笑って見ていることが出来ます。もっとも、トランプは公約に掲げたアメリカファーストを実践しているだけですから、問題はありません。対岸で火事が起きようが、戦争が起きようが、トランプはハンバーガーを食べながら高見の見物をしていればいいのです。
もしも、仮に、万が一、韓国が中国側に立った時、アメリカはどう動くのでしょう。
「晋三、お前と俺で、奴らを叩き潰すぞ」と言われたら、安倍さんはどんな返事をするのでしょう。
「地元なんだから、お前が先陣に立ってくれ」と言われるかもしれません。
「いや、うちは、その、専守防衛というか、憲法の制約があって、あの、その」
「ごちゃごちゃ言ってないで、やれよ。それとも、できないのか」
「いや、それは、その」
「俺達、友達だよな。裏切るのか」
「いや、でも、あの、その」
ここまで書くと小説の筋書きになってしまいますが、事実は小説よりも奇なりという言葉もありますので、あり得ないと断言もできません。
私達の国は、日米同盟が安全保障の基軸なんですよね。とても、日米同盟を破棄する勇気は持てませんよね。でも、どう考えても、朝鮮半島連合軍対日本の戦争なんてできません。日本の国益を考えれば、そんな戦争、出来ることではありません。韓国が、朝鮮戦争を歓迎できないように、日本も、日韓戦争や日朝戦争を歓迎できません。それでも、アメリカは「何とかしろ」と言うでしょう。
安倍さんは、どうするのでしょう。
戦争になれば、日本各地にミサイルが、雨霰のように降ってきます。その中には、核兵器や化学兵器も含まれているでしょう。イージス艦もパトリオットもJアラートも何の役にも立ちません。アメリカが核兵器を使おうとすれば、中国がアメリカ本土に対して報復攻撃をすると脅してくるかもしれません。
さて、どうするのでしょう。
中国海軍が東シナ海に展開し、アメリカ軍第七艦隊と睨みあいます。ロシアの爆撃機は演習だと称して、北海道・東北・関東を脅してくるでしょう。日本の戦力も分散されます。前面に韓国軍と北朝鮮軍、南に中国軍、北にロシア軍。いわゆる、四面楚歌状態です。韓国のF-15が、日本の原子力発電所を攻撃してきます。厄介なことに、韓国は、日本と戦う時は、いつもより力を出します。そんな中、アメリカは国を挙げて日本を守るのでしょうか。アメリカ軍が撤退したら、どうやって、国を守るのでしょう。
どうするんですか。
「あのー、そのー、えー、あー」と言っている間に、国民はバタバタと倒れます。日本でも、数百万人の犠牲者が出ると予測する方もいます。
安全保障は、国民を守るためにあるのです。こんなことしていたのでは、日本の安全保障は役に立ちません。いや、日米同盟が基軸だと言っている時点で破綻しているのですが、実害が出て初めて気付くのでしょう。韓国の文大統領は、方法論の良し悪しは別にして、国民を守ろうとしているのです。どこまでやれるのか、彼の運と度量にかかっていますが、国民を守る方法は他にないと思います。

時代の変化は軍事同盟に影響しないのでしょうか。
韓国が、冷戦時代に結んだ米韓同盟を維持するメリットはどこにあるのでしょう。
10年前、20年前、50年前と今では、環境が全然違います。中国が力を付けました。北朝鮮が核兵器を持ちました。アメリカには、トランプが出てきました。韓国には左翼政権が誕生しました。10年前と変わっていないことは、韓国が甚大な被害を受けるということだけです。
方向を変えなければ、韓国の明日は見えてきません。
韓国にとって、今が、チャンスなのです。いや、チャンスは今しかありません。

北朝鮮には、核兵器約100個分の核物質があると言われています。ICBMの技術が未完成だとしても、中距離ミサイルに核兵器を搭載することはできるでしょう。日本を攻撃するには十分な兵器を持っているということです。仮に、韓国と北朝鮮が同盟を結び、核物質を共有したとすると、韓国にある5,000発分の核物質が北朝鮮に利用されることになります。日本列島を粉微塵にするだけの核兵器を作ることが出来るのです。
日本は、単独で中国と戦争をしても勝てません。そのために日米同盟があるのです。中国の世界制覇を許さないという点では、日米の国益は一致します。対中国では同盟関係は機能するのです。でも、日韓戦争や日朝戦争では、全面的に国益が一致するとは言えませんので、独立国として、国民を守るために、少なくとも、韓国や北朝鮮には日本が独自に勝たねばなりません。北朝鮮が大量のミサイルと核兵器を持っているのですから、そんな敵と戦うのであれば、日本にも大量のミサイルと核兵器が必要なのです。核兵器を抑止する手段は、核兵器にしかありません。過去にとらわれ、非核三原則に縛られていたのでは、国民を守ることなど出来ません。国民生活よりも非核三原則のほうが重要なのでしょうか。もちろん、「核のない世界」という理想は捨てるべきではありません。ただ、その前に、国民を守らなければ元も子もなくすのです。私達は「きれいごと」が大好きな民族です。識者と言われる人達は、的確な現状分析が出来る識者であっても、国家存亡の危機だと主張していても、最後の最後は「きれいごと」でまとめてしまいます。「きれいごと」という名の曖昧のベールで全体を覆ってしまいますので、全てが曖昧になって、何事もなかったような安堵感に酔いしれます。この落差は、何なのでしょう。私には、マスターベーションにしか見えません。「夢見る少女」をやっていれば、気持ちがいいかもしれませんが、これでは、現実に対処できません。
北朝鮮の核を廃棄させるために、アメリカの命ずるままに、日韓戦争・日朝戦争を始めていたのでは、本末転倒です。核兵器に対する抑止力は、核兵器以外では持てないのです。自分も核兵器を持つという選択肢しかないことを、日本の国民が認識しなければならないのです。世界は、変わりました。それでも、自分の国は自分で守るという原則だけは変わっていません。
日本では、誰も、こんな事態を心配していません。
ほんとに、大丈夫なのですか。
荒唐無稽な笑い話で片付けていいのでしょうか。

今の韓国の運命は、明日の日本の運命になるかもしれないのです。私達にとっては、米朝戦争よりも、朝鮮半島連合軍対日本の戦争のほうが悲惨です。こんなフィクションはフィクションで終わって欲しいものです。確かに、日韓戦争の確率は数パーセントかもしれません。でも、危機管理とは、確率が高いか低いかではなく、最悪の事態を想定し、それに対処できる手段を持っておくことだと思います。
私達は、その覚悟を、戦略を、持っておく必要があると思います。
戦争になれば、物質的に困窮することは想像できるかもしれませんが、それよりもダメージが大きいのは精神的な困窮です。第二次大戦前の日本は、まだ、貧しく、貧しさに耐えることが日常でしたから、精神的に追いつめられる度合いは低かったと思います。今の日本で、戦争状態が生まれれば、日本人は耐えきれません。精神的な耐性が無くなるということは、一過性の症状では終わりません。かなりの長期間、日本再生は難しくなります。国でも個人でも、浮き沈みはあるものです。でも、可能な限り、ダメージを小さくすることが、次につながるものです。それが、覚悟と戦略だと思います。
最後に、念のために書いておきますが、これはフィクションです。実在する国や個人とは一切関係がありません。フィクションです。

このフィクションを書いた後に、関連した記事やニュースが多くありましたので、そのことを追記として、明日書きます。


2018-04-02



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